なんとなくそんな気持ちの日々に

本ブログは、もう更新の予定はありません。しかし閉鎖はせずに、記事を残しておきます。

南アフリカにかんする記事について

2010-06-09 18:27:34 | 国際関係
 ワールドカップを目前に控え、南アフリカに関する記事が増えています。ですが、その多くが、南アの犯罪率の高さに関するもののような気がします。

 今日もこんな記事が産経新聞から配信されています。「南アフリカW杯 犯罪の背後に貧困と格差」 南アフリカの性的暴行事件についての記事で、ショッキングな内容です。

 産経の記事でとりあげられている犠牲者のユーディ・シメラニー(Eudy Simelane)さんについて、英語版のウィキペディアでも取り上げられています(ソース)。このウィキペディアの記事によると、シメラニーさんは南アフリカ女子サッカーの代表選手であるとともに、LBGTの運動を行っていました。また、クワ・テマ(Kwa Thema:南アフリカ・ハウテン州イーストランド地域のスプリング市の南西にあるタウンシップ(アパルトヘイト時代の非白人居住区))では、はじめて同性愛者であることを明らかにした人たちのうちの一人でもあります。そして、産経の記事にもあるように、「性の矯正」のターゲットとなって殺害されてしまったのです。

 「性の矯正(corrective rape)」とは、聞きなれない言葉ですが、ウィキペディア英語版によると、「レズビアン女性の性的指向を『治療』する手段と称し、男性が当該女性をレイプする犯罪行為」であり、2000年代初めからレズビアン団体が使いだした言葉のようです(ソース)。

 まさに「驚くべき」ことです。しかし、こうした事件は、ワールドカップ以前から発生しています。おそらく、イギリスやアメリカで同種の事件が発生しているのであれば、瞬時に日本でも報道されることでしょう。ですが、アフリカで発生する事件は、なぜかそうではない。今回、たまたま南アフリカでワールドカップがあったからこそ、産経新聞でも取り上げたのでしょう。

 日本のメディアは、アフリカにあまり駐在員を置いていません。たとえば、某大手新聞社ですと南アフリカに1人置いているだけです。某テレビ局になると、なぜか中東のカイロ支局がアフリカ大陸をカバーすることになっていると聞いたことがあります。そして、駐在員の人が一生懸命取材をして、アフリカの記事を書いても、なかなか編集部の方で取り上げてもらえないようです。つまり、一般的に、アフリカは「ニュースバリューがない」のだと。今年は、南アフリカでワールドカップがあったから、「ニュースバリュー」があがったにすぎません。
 
 南アフリカは、たまに「世界の縮図」と呼ばれることがあります。歴史的な黒人と白人の対立と解決のみならず、グローバリゼーションがもたらす社会的なひずみが見て取れるという意味です。悪いことだけではありません。多様な民族と文化は、魅力的な力をもっています。こうした意味で、彼の国に行ってみると、いろいろ考えさせられます。ですから、ワールドカップ云々を抜きにしても、「ニュースバリュー」が低いとは、ちょっと考えられません。むしろ、丹念に取材をすることで、世界的な問題が見えてくる国です。

 また、南アフリカのみならず、アフリカ大陸と日本がまったく縁がないかというと、これまたそうではないのです。アフリカ大陸にも、日本企業が進出していますし、さまざまな鉱物資源がアフリカから日本へ輸出されてますし、日本人だって住んでいます。そして、ODAも行われています。なぜ、日本のメディアはアフリカに目を向けてこなかったのでしょうか。

 ワールドカップ以降、マスメディアが南アフリカ、そしてアフリカ大陸にもっと目を向けるようになってくれればと思っています。

普天間問題とアメリカ中心的思考

2010-06-03 23:30:59 | 国内関係
 辞意を表明してしまった鳩山氏。後任には菅直人氏が有力だそうですが、はてさてどうなることか。

鳩山氏が首相の座から降りる原因のひとつが、普天間問題でした。「できれば国外。最低でも県外」と、アメリカと交渉したものの頓挫。結局、元の計画に近い線でまとまりつつあることに、世論の支持が得られなかったというのが、たぶん一般的なメディアの説明でしょう。

鳩山氏に首相としての資質については、私も疑わしいところが多々あったなと思います。しかし、普天間基地移設問題に関していえば、私の印象だと、マスメディアの論調は大きく二つの流れになってしまったことが気になります。

ひとつは、沖縄県に米軍基地が集中していることを問題視して、「最低でも県外」の路線を主張するもの。もうひとつが、日米安保体制維持の観点から、普天間移設案に反対する論調です。

一見、相反する論調なのですが、日本とアメリカの関係からでしか議論がされていないことが極めて問題だと思います。というのも、日本から遠く離れた(といっても、かつては日本の植民地だった)パラオの議会が、普天間基地を受け入れてよいといっているのです(ソース)。

もちろん、パラオに米軍基地が行ったら行ったで、さまざまな問題が生じるでしょう。「米軍基地はパラオに行け」と主張したいわけではありません。ですが、日本のメディアで、パラオ議会のことを報道したところはどれくらいあるのでしょうか。つまり、メディアは意図的かどうかはわかりませんが、議論を「わかりやすく」するために、国外移転の選択肢を封じて、県外の議論に収斂させてしまったのではないのでしょうか。

結局のところ、マスメディアは、「世界とは、アメリカであり、ときどきアジア、たまにヨーロッパが入る。だからアメリカのことだけ報道すればよい」と考えているとしか思えません。

アメリカ中心的な立場にから見れば、アメリカは、中国と北朝鮮ののど元にいつでも攻撃をしかけられる沖縄を手放すわけにはいかないのかもしれません。こうしたアメリカ発のものの見方を無批判に受け入れ、それを当然のこととして議論してしまうと、結局のところ「日本から米軍基地が撤退することを議論するのはけしからん」といったことになりかねません。そうなっては、日本人が米軍基地の是非を議論すること自体が無意味ということになります。

また、日本の知識人は自らの周辺環境に鑑み、暗黙のうちに当然の前提としている「アメリカ的なものの見方」を批判的に検討した上で、沖縄の基地問題を論じることが求められていると思います。しかし、こうした批判的思考をする知識人は、あまりにも少ない気がします。

もう少し、マスメディアと知識人(テレビなどに出てくるコメンテーターとか評論家連中)は、思考の脱アメリカ化を(今後中国が台頭すれば、脱中国化も)してもらいたいものです。