なんとなくそんな気持ちの日々に

本ブログは、もう更新の予定はありません。しかし閉鎖はせずに、記事を残しておきます。

最後に―当ブログ更新終了のお知らせ

2010-12-07 19:59:21 | 身辺雑記
 このブログをはじめてから、幾年の月日がながれました。最近は、私も本業が忙しくなり、このブログも更新できない状態がつづいていました。また、どうでもいい日常のこまごまとしたことは某SNSに書くことが多くなりました。

 当初は、ネットの片隅でひっそりとつぶやくことにブログの意義を見出していたのですが、私の周囲の環境がかわり、もっと積極的に世の中にでないといけないようになってきました。「つぶやく」という行為そのものに適した、twitterという便利なものがでてきたということもあります(やっていますが、ほとんどつぶやいていません・・・)。そして、自分の本なり論文なりをアピールするために、もっと、ネットをうまくつかわないといけない状況になりつつあります。

 そこで、ここらへんで、匿名で書いていたこのブログはひとまず更新を終了したいと思います。

 とはいえ、現在、実名でブログをやることを考えています。講義の概要とか、研究の内容とか、本の宣伝とか諸々のことを行う媒体として、ブログを使おうと思っています。

 読者の皆様、いままでありがとうございました。

ロースクールの表と裏

2010-07-31 02:24:31 | 身辺雑記
 日本のロースクール(法科大学院)は、いま曲がり角に来ている。教育内容に関することもさることながら、定員割れに直面しているところ、さっぱり司法試験合格者がでないところがあり、存立の危機にさらされているところもある。さらには、新司法試験の合格率が三割程度であったり、せっかく合格しても職がなかったりと、さんざんな事態になっている。

 このロースクール、そもそもなんのためにできたのか。ウィキペディアの「法化大学院」の項には、次のように制度導入の経緯が書かれている。

<引用開始>
法科大学院は、法曹の質を維持しつつ、法曹人口拡大の要請に応えるための新しい法曹養成制度として導入された。従来の司法試験において、受験生は、いわゆる司法試験予備校に依存し、受験技術を優先した勉強により合格することが増えたとされている(もっとも、後述のように、このような出発点における認識が受験者の実態を正確に反映していたかには疑問が残る)。こうした合格者の増加が法曹の質的低下につながるとの判断に基づき、また、従来の大学における法学教育よりも法曹養成に特化した教育を行うことで将来の法曹需要増大に対し量的質的に十分な法曹を確保するという目的の下、法科大学院制度は導入された。
<引用終わり>

 これだけ読むと、国内的な事情により制度が導入されたように思える。実際、そう思っている現場の大学関係者は少なくないだろう。

 ところで、米国の日本に対する要望をまとめた「年次改革要望書」というものがある。そして、ウィキペディアの「年次改革要望書」の項には、「米国側からの要望が施策として実現した例としては、建築基準法の改正や法科大学院の設置の実現、独占禁止法の強化と運用の厳密化、労働者派遣法改正、郵政民営化といったものが挙げられる」といった記述がある。

 つまり、日本のロースクールは、アメリカからの要望によってできたという側面があるのだ。年次改革要望書は、煎じ詰めるところ、日本におけるアメリカの権益を守る、あるいは広げるためのものである。

 おそらく、アメリカの企業が日本に進出する際に、使いやすい日本の法律家を育成する制度をつくりたかったという意図があったのだろう。アメリカと同じロースクール制度を導入すれば、アメリカ型の発想をする法律家ができるというわけである。

 実際のところは、そうアメリカの思うようにはなっていないだろう。また、幸か不幸か日本の経済は今低調であり、進んでやってくるアメリカ企業やアメリカの投資家は多くはないだろう。その意味では、ロースクール出身者の本来の活躍の場はないのかもしれない。

 根本的な問題として、アメリカからの要望が入ってきていることを隠し、あたかも国内的な要因だけをクローズアップして法化大学院を導入し、現在にいたっているのだが、それで本当にいいのだろうか。また、ロースクール間で司法試験合格者の数を競うだけになっている現状は、結局のところ、優秀な人材を疲弊させているだけではなかろうか。現状は、この制度そのものを批判的に見直す時期にきている。

南アフリカにかんする記事について

2010-06-09 18:27:34 | 国際関係
 ワールドカップを目前に控え、南アフリカに関する記事が増えています。ですが、その多くが、南アの犯罪率の高さに関するもののような気がします。

 今日もこんな記事が産経新聞から配信されています。「南アフリカW杯 犯罪の背後に貧困と格差」 南アフリカの性的暴行事件についての記事で、ショッキングな内容です。

 産経の記事でとりあげられている犠牲者のユーディ・シメラニー(Eudy Simelane)さんについて、英語版のウィキペディアでも取り上げられています(ソース)。このウィキペディアの記事によると、シメラニーさんは南アフリカ女子サッカーの代表選手であるとともに、LBGTの運動を行っていました。また、クワ・テマ(Kwa Thema:南アフリカ・ハウテン州イーストランド地域のスプリング市の南西にあるタウンシップ(アパルトヘイト時代の非白人居住区))では、はじめて同性愛者であることを明らかにした人たちのうちの一人でもあります。そして、産経の記事にもあるように、「性の矯正」のターゲットとなって殺害されてしまったのです。

 「性の矯正(corrective rape)」とは、聞きなれない言葉ですが、ウィキペディア英語版によると、「レズビアン女性の性的指向を『治療』する手段と称し、男性が当該女性をレイプする犯罪行為」であり、2000年代初めからレズビアン団体が使いだした言葉のようです(ソース)。

 まさに「驚くべき」ことです。しかし、こうした事件は、ワールドカップ以前から発生しています。おそらく、イギリスやアメリカで同種の事件が発生しているのであれば、瞬時に日本でも報道されることでしょう。ですが、アフリカで発生する事件は、なぜかそうではない。今回、たまたま南アフリカでワールドカップがあったからこそ、産経新聞でも取り上げたのでしょう。

 日本のメディアは、アフリカにあまり駐在員を置いていません。たとえば、某大手新聞社ですと南アフリカに1人置いているだけです。某テレビ局になると、なぜか中東のカイロ支局がアフリカ大陸をカバーすることになっていると聞いたことがあります。そして、駐在員の人が一生懸命取材をして、アフリカの記事を書いても、なかなか編集部の方で取り上げてもらえないようです。つまり、一般的に、アフリカは「ニュースバリューがない」のだと。今年は、南アフリカでワールドカップがあったから、「ニュースバリュー」があがったにすぎません。
 
 南アフリカは、たまに「世界の縮図」と呼ばれることがあります。歴史的な黒人と白人の対立と解決のみならず、グローバリゼーションがもたらす社会的なひずみが見て取れるという意味です。悪いことだけではありません。多様な民族と文化は、魅力的な力をもっています。こうした意味で、彼の国に行ってみると、いろいろ考えさせられます。ですから、ワールドカップ云々を抜きにしても、「ニュースバリュー」が低いとは、ちょっと考えられません。むしろ、丹念に取材をすることで、世界的な問題が見えてくる国です。

 また、南アフリカのみならず、アフリカ大陸と日本がまったく縁がないかというと、これまたそうではないのです。アフリカ大陸にも、日本企業が進出していますし、さまざまな鉱物資源がアフリカから日本へ輸出されてますし、日本人だって住んでいます。そして、ODAも行われています。なぜ、日本のメディアはアフリカに目を向けてこなかったのでしょうか。

 ワールドカップ以降、マスメディアが南アフリカ、そしてアフリカ大陸にもっと目を向けるようになってくれればと思っています。

普天間問題とアメリカ中心的思考

2010-06-03 23:30:59 | 国内関係
 辞意を表明してしまった鳩山氏。後任には菅直人氏が有力だそうですが、はてさてどうなることか。

鳩山氏が首相の座から降りる原因のひとつが、普天間問題でした。「できれば国外。最低でも県外」と、アメリカと交渉したものの頓挫。結局、元の計画に近い線でまとまりつつあることに、世論の支持が得られなかったというのが、たぶん一般的なメディアの説明でしょう。

鳩山氏に首相としての資質については、私も疑わしいところが多々あったなと思います。しかし、普天間基地移設問題に関していえば、私の印象だと、マスメディアの論調は大きく二つの流れになってしまったことが気になります。

ひとつは、沖縄県に米軍基地が集中していることを問題視して、「最低でも県外」の路線を主張するもの。もうひとつが、日米安保体制維持の観点から、普天間移設案に反対する論調です。

一見、相反する論調なのですが、日本とアメリカの関係からでしか議論がされていないことが極めて問題だと思います。というのも、日本から遠く離れた(といっても、かつては日本の植民地だった)パラオの議会が、普天間基地を受け入れてよいといっているのです(ソース)。

もちろん、パラオに米軍基地が行ったら行ったで、さまざまな問題が生じるでしょう。「米軍基地はパラオに行け」と主張したいわけではありません。ですが、日本のメディアで、パラオ議会のことを報道したところはどれくらいあるのでしょうか。つまり、メディアは意図的かどうかはわかりませんが、議論を「わかりやすく」するために、国外移転の選択肢を封じて、県外の議論に収斂させてしまったのではないのでしょうか。

結局のところ、マスメディアは、「世界とは、アメリカであり、ときどきアジア、たまにヨーロッパが入る。だからアメリカのことだけ報道すればよい」と考えているとしか思えません。

アメリカ中心的な立場にから見れば、アメリカは、中国と北朝鮮ののど元にいつでも攻撃をしかけられる沖縄を手放すわけにはいかないのかもしれません。こうしたアメリカ発のものの見方を無批判に受け入れ、それを当然のこととして議論してしまうと、結局のところ「日本から米軍基地が撤退することを議論するのはけしからん」といったことになりかねません。そうなっては、日本人が米軍基地の是非を議論すること自体が無意味ということになります。

また、日本の知識人は自らの周辺環境に鑑み、暗黙のうちに当然の前提としている「アメリカ的なものの見方」を批判的に検討した上で、沖縄の基地問題を論じることが求められていると思います。しかし、こうした批判的思考をする知識人は、あまりにも少ない気がします。

もう少し、マスメディアと知識人(テレビなどに出てくるコメンテーターとか評論家連中)は、思考の脱アメリカ化を(今後中国が台頭すれば、脱中国化も)してもらいたいものです。

危機管理について――口蹄疫の報道を見て思い出したこと

2010-05-22 22:44:20 | 国内関係
 ここ1週間で口蹄疫の報道が急に増えた気がします。報道管制が敷かれていたとの噂もあります。

 連休前から自民党議員が口蹄疫対策でかなり動いたのですが、あまりメディアには取り上げられていなかったような気がします。そして連休中に赤松農水大臣と舟山農林水産政務官が外遊していたこと、山田農水副大臣が現地視察をまったくしていないこと(5月23日追記:ワクチン接種の現地視察をしています(ソース))は、どういうわけかメディア対策がうまくいっているようで、あまりメディアで叩かれていません。まぁ、赤松氏は外遊中にゴルフをしていたというガセネタが話題になりましたが。他方、東国原知事を執拗に攻め立てる新聞記者がいたことも問題になりました。

 こうした状況をネットを通じて知り、ふと思い出したことがあります。私が、昔、某大学の国際交流を担当する部署にいたときのお話です。

 その部署では学生の送り出しもやっていました。短期留学のプログラムを運営していたのです。どれも安全な国へのプログラムだったのですが、海外で万が一、大きなトラブル(不意の事故による学生の死亡事件など)があった時に備えて、某危機管理会社と契約していました。

 在任中、その会社から提供されたマニュアルを読んで、内容を報告するよう命じられたことがあります(今考えると、おかしなはなしですが)。そのマニュアルを熟読したのですが、マスコミ対応について多く割かれていたことを記憶しています。

 つまり、記者会見でこれを言ってはいけないとか、状況が不確かなときはこういうようにとか……です。そのマニュアルには明記されていませんでしたが、今から思えば、マスメディアの報道による二次災害を極力防ぐための対応の指南だったのでしょう。

 なにか事件が起こったとき、その事件を知らせる報道の役割は重要だと思います。しかし、現実には、マスメディアはその事件にかかわる組織を隙があれば、攻撃することしか考えていない……だからこそ、危機管理マニュアルにマスコミ対応が載っているのでしょう。本来は、事件が起こった時に被害者やその家族のケアをどうするかが一番大切なのですが、メディア対応を誤るとそのケアすらできません。

 「メディアは極めて恐ろしい野獣だ」が、危機管理マニュアルを読んだ正直な読後感でした。考えてみれば、事件が起きたときの記者会見場で、たとえば雪印のように、メディア対応を誤って倒産した会社だってあります。

 今、宮崎県に注がれているメディアの視線は、まさに野獣のそれでしょう。あまつさえ、フジテレビのように消毒せずに取材するという暴挙にでるところもあります(ソース)。消毒場所について「知らない」と答えたようですが、これは事前取材をまったくしていないということであり、プロとして失格です。

 マスメディアは、こんな大失敗をしながらも、あまり非を認めません。しかしながら、今はインターネットがあります。記者会見の模様をすべてインターネットで公開する地方自治体もあります。市民の側が、マスメディアを監視するツールが少しずつではありますが、整いつつあるといっていいでしょう。良識のある市民がメディアの報道を検証し、メディアに非があればそれに抗議する。それをうけてメディアもよりよい取材のあり方を考えるという正の循環ができればと願っています。

 もっとも、今回の口蹄疫事件では、事件について報道しないなぁと思ったら、いきなり責任者を探し出すなんていう報道姿勢であり、現状は「羽織ゴロ」のように思えます。

 マスメディアを徹底的に批判して、まともな報道ができるように教育するのは、市民の役割なのかもしれません。

【Ver. 3】 2010年参議院選 立候補予定の著名人(タレント・スポーツ選手など)リスト

2010-05-20 22:20:22 | 国内関係
 歌手で女優のあべ静江氏の参議院出馬報道は、誤報だったそうです(ソース)。そして、いろいろ調べなおして、著名人候補リストを更新してみました。各政党のホームページにもあたって調べてみました。以下のリストの中には、報道されているものの、政党ホームページに今のところ載っていない候補もいるのでご注意ください。


2010年参議院選 立候補予定の著名人(タレント・スポーツ選手など)リスト

【民主党】
*比例代表
有田芳生(ジャーナリスト・コメンテーター)
池谷幸雄(バルセロナオリンピック 体操個人床銀メダリスト・タレント)
岡崎友紀(女優)
桂きん枝(落語家)
喜納昌吉(歌手・現参議院議員)
庄野真代(歌手)
八代英太(元テレビ司会者・元国務大臣・元衆議院議員)
谷亮子(シドニー&アテネオリンピック 女子柔道金メダリスト)

*選挙区選出
[北海道]徳永エリ(実業家・テレビリポーター)
[青森]波多野里奈(元民放アナウンサー・ファイナンシャルプランナー)
[富山]相本芳彦(フリーアナウンサー)
[茨城]長塚智広(アテネオリンピック チームスプリント銀メダリスト・株式トレーダー)
[東京]蓮舫(元タレント・元キャスター・現参議院議員)
[大阪]岡部まり(タレント)
[島根]岩田浩岳(元民放アナウンサー)
[山口]原田大二郎(俳優)


【自民党】
*比例代表
神取忍(女子プロレスラー・現参議院議員)
片山さつき(前衆議院議員・小泉チルドレン)
佐藤ゆかり(前衆議院議員・小泉チルドレン)
田島みわ(元アイドル・女優・実業家)
堀内恒夫(元プロ野球巨人軍監督・野球解説者)
三原じゅん子(女優)
三橋貴明(中小企業診断士・経済評論家・作家)

*選挙区選出
[秋田]石井浩郎(元プロ野球選手・実業家)
[千葉]猪口邦子(前衆議院議員・元国務大臣・元上智大学教授・小泉チルドレン)
[鳥取]浜田和幸(評論家)


【たちあがれ日本】
*比例代表
中畑清(元プロ野球選手・野球解説者)
杉村太蔵(前衆議院議員・小泉チルドレン)


【国民新党】
*比例代表
西村修(プロレスラー)
敏いとう(作曲家)
江本孟紀(元プロ野球選手・元参議院議員・野球解説者)


【みんなの党】
*比例代表
真山勇一(元民放キャスター・東京都調布市市議会議員)

思考実験 谷亮子の代わりに選挙演説原稿を考えてみる

2010-05-18 00:03:44 | 国内関係
 谷亮子氏の参院選立候補は、世間的に評判が芳しくないようです。私も、先日のエントリーでも少し書きましたが、谷氏の立候補は時期尚早ですし、「何を考えているんだ」と思っています。たぶん、ロンドンオリンピックを目指すといってしまったことが反感を買ってしまったのでしょう。そして、民主党のイメージアップにしゃしゃりでてきてしまったような印象を与えてしまったのも原因でしょう。そのほかにも様々な要因があると思います。いずれにせよ、批判は、本人が招いてしまったことです。

 しかし、こうした状況を考えると、もしも自分が谷亮子氏だったら選挙活動中にどんな演説をするのかを考えてみるのも、思考実験として面白いかもしれないと酒を飲みながらふと思いつきました。そこで、スピーチライターになったつもりで、谷氏の選挙演説原稿を少しまじめに作ってみました。谷氏の関係者がもしもこのブログをご覧になられているようでしたら、どうぞアレンジして、選挙でお使いください。でも、使われるのでしたら、ご一報ください。


――演説原稿案――

 こんにちは。谷亮子です。

 私は、これまでにオリンピックに5回出場し、皆様の応援のおかげで金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得することができました。本当に、みなさんの応援の力というものを感じました。これまでいただいた応援を、今度は私が国民のみなさんにお返しする時期が来たと思い、小沢幹事長の後押しもあって、参議院選挙に立候補いたしました。なにとぞよろしくお願いします。

私、谷亮子は、オリンピックや世界選手権など、柔道を通じて、世界各国の選手と交流をもってきました。私は、この平和で安全な日本、そして柔道の発祥地である日本に生まれ育ち、ともすればその恵まれた環境を当たり前のことと思ってきました。しかし、オリンピックや国際大会で目にした選手たちのなかには、貧困、政情不安、紛争などをくぐりぬけ、柔道に自分の生きた証を刻む人たちがいました。私は、国家の安全とは、そして平和にスポーツができるということは、非常に尊いものだと、こうした選手たちから学んだのです。

 しかし、いま、日本には大変な危機が迫っています。平和はいつまでもそこにあるものではありません。景気はどうでしょうか。安全はどうでしょうか。環境問題はどうでしょうか。どれも、瞬時の判断とポイントを掴むことが重要であります。状況から瞬時に判断し、ここぞというタイミングで決断する――これは、私、谷亮子が柔道から学んできたことであり、国政にも通じるものだと思っております。

 また、みなさん、オリンピック競技のなかには、しばしばルールが変わるものがあることをご存知のことだと思います。そして、選手たちは、ルールの変更に必死で適用しようとします。柔道も国際ルールが、変更します。これは、柔道が日本という枠を超えて、世界のスポーツになった以上、ある意味では仕方がないことなのかもしれません。

 ですが、ルールが変わったら、まっさきにその情報を掴み、対応策を考え、そして相手選手を遥かに上回るような試合を見せる。そして、「対応」といったレベルではなく、そのルールを決める側と、本当の柔道の発展ためには何が必要なのかを歴史や哲学を踏まえて話し合い、よりよいルールを作っていく……これこそが大事だろうということが、私の競技生活のなかから見えてきたことです。

 そして、これは経済政策や財政政策でもいっしょなのではないでしょうか。もちろん、私は経済・財政政策についてはまだまだ勉強中の身です。しかし、大局的な観点から言えば、柔道で培った眼は――もちろん政策の勉強を存分にした上ですが――、国政の勘所で生かせるものだと思います。

 私、谷亮子が小沢幹事長とともに立候補の記者会見をしてから、「政治家と選手と母親の三足のわらじなんて履けっこない」とお叱りの言葉を多く頂戴しました。確かに、それは難しいことだということは重々わかっております。しかし、私があえて三足のわらじを履こうと思ったのは、現場や日常の視点を忘れては、政治家としての足場もないだろうと思ったからです。

 柔道だけでなく、スポーツ選手には、日本を、世界を変える力があると信じています。スポーツから国と国の友好関係が始まった例だってあります。そして、スポーツは専門の選手だけのものではありません。普通の人にとっても、心身に非常にいいものだということは、言うまでもないでしょう。ですから、国民の誰もがいくつになってもスポーツを楽しめる、そういう環境を整えることが私、谷亮子の政治目標でありますし、これはひいては、健康増進につながります。そして、国民の健康は国家の力になるのです。

 この政治目標を実現するためには、現役選手の視点から、不況の中で企業の支援が得られない選手たちに手を差しのべるにはどうしたらよいのか、そして母親の視点から、子どもたちが健康な生活をおくるにはどうしたらよいのかを政策に反映させる必要があると思うのです。そして、三足のわらじが履けるのは、まだ体力的な余裕のある今しかありません。

 みんながスポーツを楽しみ、健康に暮らす。私の政治目標は、究極のところこの一点に尽きます。そして、これまで応援を受けてきた国民のみなさんに、私、谷亮子が応えられるのはこの点であると思っております。

 谷亮子、地球を覆うほどの愛で頑張ります。なにとぞ、ご声援のほど、よろしくお願いします。

2010年参議院選  立候補予定の著名人(タレント・スポーツ選手など)リスト ver2

2010-05-16 13:37:44 | 国内関係
 先日のエントリーから、いわゆる「タレント候補」の出馬表明が増えました。また、少し調べてみると、地方民放局のアナウンサーがけっこう立候補しているようです。できる範囲で情報を収集し、リストにまとめてみました。これからも、ちょくちょく、できる範囲で更新をしていきたいと思います。


2010年参議院選 
立候補予定の著名人(タレント・スポーツ選手など)リスト

民主党
谷亮子(シドニー&アテネオリンピック 女子柔道金メダリスト)
長塚智広(アテネオリンピック チームスプリント銀メダリスト・株式トレーダー)
池谷幸雄(バルセロナオリンピック 体操個人床銀メダリスト・タレント)
岡部まり(タレント)
桂きん枝(落語家)
庄野真代(歌手)
岡崎友紀(女優)
原田大二郎(俳優)
徳永エリ(実業家・テレビリポーター)
相本芳彦(フリーアナウンサー)
岩田浩岳(元民放アナウンサー)
波多野里奈(元民放アナウンサー・ファイナンシャルプランナー)

自民党
堀内恒夫(元プロ野球巨人軍監督・野球解説者)
石井浩郎(元プロ野球選手・実業家)
三原じゅん子(女優)
※あべ静江(歌手) 現在検討中

たちあがれ日本
中畑清(元プロ野球選手・野球解説者)
杉村太蔵(前衆議院議員・小泉チルドレン)

国民新党
西村修(プロレスラー)
江本孟紀(元プロ野球選手・元参議院議員・野球解説者)

みんなの党
真山勇一(元民放キャスター・東京都調布市市議会議員)

「見る眼」が問われる参議院選挙

2010-05-13 00:14:59 | 国内関係
 谷亮子氏の次期参議院選挙出馬には、おどろきました。そして、当選しても選手を続けるということに、「こいつ何を考えているんだ」とあきれもしました。いきなり選挙にでるよりも、まずは選手に専念するか、さもなくばオリンピックなど国際的な大会で得た経験を後進に伝え、日本女子柔道の発展につくしたほうが、ご本人のキャリアプランにとってよかったように思うのは私だけではないと思います。

世間一般の感覚として(マスコミが勝手に作り上げたイメージというのが適切かもしれませんが)、政治家は国民から金をむしりとって、企業から賄賂をもらって、料亭で高級料理をたべながら密室でなにか決めているというイメージがあります。

このような議員はいないとはいいませんが、政治家は、朝から晩まで勉強し、会議をこなし、支持者を回り、地元からの陳情を聞き入れるなどなど、かなりいそがしいのが実情のようです。そして、こうした活動のためにはそれなりのお金が必要であるため、金策にも奔走しなければいけません。かなりいそがしい職業です。

また、立候補にあたって、意気込みらしき理想像を話すかたも少なくありません。しかし、政治家が「理想」を語るのは、ある意味では、そんなに難しいことではありません。理想は、コトバの力強さやレトリックなどでごまかすことができます。「地球を覆うほどの愛で頑張りたい」ですとか、「GNO(義理人情思いやり)」とか、まぁ、いいでしょう。しかし、理想を現実の場にうつすとなるとなかなかむつかしい。これは、社会で働いた人ならば、だれしも経験していることです。

もっというと、沖縄の米軍基地を県外に移すことは理想ですが、現実に移そうとすると、いろいろな問題が生じ(真面目に分析をしようとすると、戦後の日米関係の歴史を紐解かないといけないぐらい根深い問題があります)、鳩山総理が現在置かれている立場になるわけです。愛が地球を覆っても、押しつけの愛は反発をまねくだけです。

 今回(も)、タレントやスポーツ選手などの著名人が選挙に立候補します。選挙にでるにあたって、自分の専門を活かしつつ勉強を重ね、そして社会貢献すべく国政にうってでるというのでしたら、応援のしがいがあります。残念ながら、政党の比例選挙の集票マシーンとしてしか利用価値がない著名人候補が多いのが実情のような気がします。選挙に本当にでるつもりならば、寝る間を惜しんで、政策の勉強をし、実現可能なものにまで練り上げ、そして著名人ならではの発信力を生かして、世間に自分の政策論を問うて、その上で立候補をしてもらいたいものです。

しかし、こういう客寄せパンダ的な候補者を並べるような選挙を招いてしまったのは、日本国民の責任です。国民の候補者を見る眼が問われているのです。なんでもかんでも社会問題を政治家と官僚のせいにしてしまい、その人たちを自分たちが支えてきているということにあまりにも無自覚な人が多いような気がします。自分たちが選んだ政治家が、国会でどのようなことをして、どのような法案作りにかかわり、どれだけ日本社会のために貢献してきたかということを吟味する市民は、きわめて稀です。そして、立候補者の政策や能力を考えながら投票をするよりも、「むつかしいことは、わからないから」という安易な理由で政党や著名な候補者を選んではいないでしょうか。あるいは、投票を棄権してはいないでしょうか。

民主主義の政治体制は、一応、「国民」が主権者ですから、政治問題に対して、国民は「わからない」と言うことは許されません。すべての問題を知る必要はありませんが、だからといってすべてわからないというのも、あまり感心できません。わからなければ、自分の生活に密着した政治社会の問題だけでもいいので、勉強をすればいいだけの話です。そして、マスメディアの情報を「批判的に読む」ことが、とても重要です。そんな時間がないのはだれでも一緒です。そもそもそういう時間がとれない社会状況こそおかしいという感覚が必要なのかもしれません。

まぁ、それはともかく、今度の参議院選挙では、いったいどのような結果になるのか、そしてタレントやスポーツ選手といった著名人候補のうち、一体、何人が国会議員になるのか、注目されるところであります。


※おまけ※
ネットニュースでわかる範囲で、タレント・スポーツ選手といった著名人の立候補予定者を以下に少しまとめてみました。


民主党
谷亮子(オリンピック・柔道・金メダリスト)
長塚智広(オリンピック・自転車競技・銀メダリスト)
池谷幸雄(オリンピック・体操・銀メダリスト)
岡部まり(タレント)
桂きん枝(落語家)
庄野真代(歌手)
岡崎友紀(女優)

自民党
堀内恒夫(元プロ野球巨人軍監督)
石井浩郎(元プロ野球選手)
三原じゅん子(女優)

たちあがれ日本
中畑清(元プロ野球選手)
杉村太蔵(前衆議院議員・小泉チルドレン)

国民新党
西村修(プロレスラー)

みんなの党
真山勇一(元民放キャスター・東京都調布市市議会議員)


働くことは、本来、必要悪である

2010-04-25 20:16:58 | 国内関係
 「なぜ働かないといけないのか?」と考えたことのある人は少なくないはず。僕もその一人。今日は労働について思ったことを、ちょっとダラダラと書いていきます。

 できれば働きたくない。でもご飯を食べていかなければいけないし、お金がなければ読書もできないし、自分のやりたいこともできない。だから働かなければならない。できれば、自分をもっとも評価(自分に見合った給料をくれる)ところで働くのがベスト・・・そんなことを考えています。

 こういう考えは、「若者らしくない」とよく言われます。しかし、少なくとも私の父の世代(団塊の世代)は、働いた結果、何を残したのでしょうか。父の世代で過労死した人は少なくないでしょうし、また、家族を省みず働き、その挙句に定年後家族から見向きもされないという人も少なくないように思えます(主観的ですが)。

 いまでこそ新聞を読まなくなりましたが、私は小学生のころ、新聞を読むこととニュースをテレビで見ることが好きでした。そして、自分の父親の働きようとニュースメディアから得られた情報から、「会社で働くことはとんでもなく大変なことである」と、幼いながらも思ったものでした。接待ゴルフ、モーレツサラリーマン、過労死、賄賂・・・社会はとてつもなく恐ろしいところだと、小学生にして思ったのです。

 その後、私も成長し、世間の冷たい風にさらされ、働くことのありがたさを感じてはおります。働いてお金を得なければ、生きていけないことを痛感しています。その意味で、働くことは尊いことです。

 しかし、「24時間仕事の事だけを考えろ」ですとか、「食べなくても感動で空腹を満たせ」といった言説には辟易しています。これは、私が幼い頃感じた社会への恐怖の正体そのものです。ある人間を、完全に会社のいいなりにするための都合の良い発言です。24時間仕事のことを考えるとは、フリーランスでない限り、24時間組織にしばられろということを意味しています。なぜなら、組織に勤務する人間にとって、仕事=組織だからです。そして、勤労を尊ぶ土壌を利用して、自らの利益のために人を働かせようとする戦略のようにも思えます。

 日本人は職人を尊ぶと聞いたことがあります。ですから、職人のようにひとつのことに打ち込むことを良しとします。勤労を尊ぶ土壌はここからきているのかもしれません。

 しかし、その反面、システムをつくることを苦手としています。典型的な例が、第二次大戦時の戦闘機です。日本は、優秀なパイロットが操ることによって絶大な能力を発揮する戦闘機(ゼロ戦)を作りました。これにより大戦当初は優位に立っていましたが、パイロットが疲労するにつれ、戦闘力を失っていきました。他方、アメリカは、ある程度の人間が操縦すれば、それなりに戦える戦闘機をつくったといわれています。つまり、優秀なパイロットを育成するは時間もかかり難しいが、ある程度のパイロットならば手軽に育成できると。その発想のもとに飛行機を設計し、またパイロットもそれに応じた訓練するというシステムを作ったのです。その結果は、歴史が証明しているとおりです。

 現在、日本の社会が苦しんでいるのも、システム作りがヘタな国民性に由来しているのかもしれません。

 こうしたシステム作りのヘタさを隠して、ひたすら人を働かせ、そして働けない人間を切り捨てるような企業の経営者が大手をふるっているような状態だと、たぶん、日本の将来はないでしょう。

 年間の自殺者が三万人とも言われる現在、働くことを必要最小限に抑えて回る社会をどうデザインしていくか、会社が潰れても人が潰れない社会をどうデザインしていくかが、日本の課題でしょう。さもなくば、働かないと餓えて死ぬ、働けば過労死か精神的に追い詰められ自殺するという、「出口なし」の社会が到来することでしょう。そうした社会が来たらどうするかって?私は、「和僑」として、海外に逃げます。