忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「なんでやねん、おかしいやろがい」が言えるリーダーが誕生したのかも、な。

2023年10月27日 | 随感随筆



「かけそばをください」‐――で日本人の多くが泣いたらしい。ずいぶん前だが、みんなこの手の話が大好きで1988年には書籍化され、1992年には渡瀬恒彦で映画にもされた。キャッチフレーズは「読む人誰もが涙するという幻の童話」とのことだったが、私も含めて泣かない人も結構いた。タモリもそうだった。

タモリは「150円あればインスタントのそばが3つ買える」と言い「涙のファシズム」だと馬鹿にしたが、この話は単純に年末、腹を空かせた貧乏な母子家庭の可哀そうな話というだけではなく、亡くなった旦那がこの「北海亭」のそばが好きで、家族は年に一度、この「北海亭」で年越しそば(かけそば)を食べることが唯一の贅沢だった、というストーリーがちゃんとある。

時は1972年。冬の北海道のお話ということだが、たしかに1972年の物価指数(内閣府)によれば「かけそば120円」とある。「北海亭」は30円高い。ちょっといい蕎麦屋なのかもしれないが、いずれにしても家族4人で600円。消費税もないだろうし、600円ぽっきりだ。その年の大卒初任給は5万4千円。週刊朝日が90円。年末の外食、家族4人で600円を「唯一の贅沢」と表現するのもどうかと思うが、まあ、いろんな家庭があるから仕方ない。

要すれば、タモリみたいな感想を持つ日本人は少数派だった、とわかる。物事に何の疑いもなく善意で何でも受け入れ、素直に感動して絶賛する。日本人の良いところでもあるが、このとき衆院予算委員会で公明党の大久保直彦がほぼ全文を竹下総理(元)に向けて朗読している。あんた、こんな良い話を聞いて、リクルート問題とかどう思うの?と質問したかったのだが、なぜか金丸信が泣いたという話だが、原作者の栗良平はその後、北海道大学医学部卒が学歴詐称だとバレ、滋賀県では寸借詐欺までしていたとバレる。つまり、お話で嘘は書いてもいいが、現実社会で嘘ついて騙したらダメ、がわからなかった。

呆けっと国会に座ってるおじいちゃんは騙せても、タモリみたいに芸能界で勝ち上がって君臨する「ホンモノ」には通じなかった。また、このときの「一杯のかけそば論争」には上岡龍太郎なども参戦。もちろん、上岡龍太郎は「閉店間際やったら売れ残りのそばあるやろ、次の日から正月休みやし、店主も事情察したんやったら2,3玉、気ぃよお3人前出したらんかい」には誰も反論できなかった。大阪人は唸った。そらそうや。

また、この手の論争で有名なのは「火垂るの墓」もそうだ。作中に出てくる「西宮のおばさん論争」である。詳細は避けるが、要するに親戚である清太と節子の面倒を見ることになった親戚のおばさんが、戦時中から戦後、生活が大変な時に我が子らだけを贔屓し、哀れな兄妹を冷遇するシーンに対し、アレは可哀そうだ、いや、ソレは仕方ない、で論争になった。

おそらく、多くの視聴者は「おばさん」に嫌悪感を覚える。そして、自分だったらどうするか、に思いを至らせて戦争や貧困はやはり人間を狂わすのだと結論を出して、やっぱり共産党しかない、とかになるかもしれないが、ここで「親戚とはいえ知ったことか。メシを喰うなら手伝いくらいするのが当然だ。どこのだれが我が子のメシを減らして飢えさせてまで、人の子を喰わせるお人好しがいるのだ。そもそも清太は7000円とか、金持ってるじゃないか。先ず、それを出さんかい」とかはっきり言うのは上岡龍太郎くらいで、さすがの大阪人も躊躇うことになったかもしれない。

ここで私の主観を書いておくと、要するに架空の話、もしくは「他人の懐」ならば、人間はキレイ事を並べることができる、ということである。あと成長して「養う側」になると悠長なことばかり言っていられない、ということもある。みんな坊さんじゃないんだから、自分や自分の大切な人を優先させるほうが多数である。だからこそ自己犠牲の精神や滅私奉公の意義や美徳は物語になるのである。この「絵空事」は人として大切なことではあるが、しっかりと線引きをして警戒もしないと、火垂るの墓なら西宮の叔母さん一家、そこの子が餓死する羽目になる。隣近所から「人道的じゃない」「自分のことばかり」「清太や節子の人権はどうでもいいのか」と批判されることは「おかしい」と判断できる大人が必要だ。

いまの日本。ずいぶん前からキレイ事が罷り通り、日本人がもらえない金を外国人がもらっていたり、日本人が払わねばならない金を外国人は払わなくてよかったりが横行している。これに「おかしい」と発せば差別主義者のレッテルを貼付される。外国人犯罪者は「有罪判決が難しい」で不起訴となる。日本人なら捜査もできるし証拠も揃うから起訴される。特例や例外は外国人の専売特許だ。日本政府は日本人を優遇せよ、は極右とされる。

嗚呼、可哀そうな外国人。祖国を追われて日本の地で生きていく健気な避難民、日本で先進的な教育を受けて世界に羽ばたく留学生、日本の技術を学んで国際的に通用する人材になろうと尽力する外国人技能実習生。そして暗躍する不良外国人勢力、敵性国家の工作員、骨の髄まで反日教育を練り込まれた特定アジア人は数十万以上。日本の警察、自衛隊よりも多数となったいま、清太と節子のように「それじゃあ横穴に行きます」とは絶対に言わない連中が助成金、補助金、交付金、が足らないと威張る。税金も払わない。保険料も払わない。掛け金も払わずに「おまえらと同じだけ、もしくはもっと寄こせ」と凄んでいる。

この国のトップは締まりのない顔にメガネをかけて「外国人と共に生きる社会へ」とか言わされている。どこのだれも「外国人と生きていくのは嫌だ」なんて言っていない。ただ、日本で暮らす、日本で生きるなら、ちゃんと「日本」を尊重しろと言っている。しっかりと義務を果たしましょうと言っている。投票させろとか意味不明は止めましょう、自分で生活できないなら祖国でなんとかしましょう、それが国際常識というものですよ、と言っている。

どこまでいってもそれだけのことなのだが、この国の政治家やリーダーらは、それだけのことが言えない。ビビッて放置しているか、もっとあくどいのは片棒担いでいる。まったくお先真っ暗、亡国の兆し、世も末だと嘆いていたら、何やら最近、正面切って「なんでやねん」と言ってくれる代表を据えた新党が立ち上がったらしい。

結成して日も浅く、どころかまだ国会議員すらいない政党だが、早速にも野党第一党である立憲民主党よりも党員を得ているとのことだ。その党首は「日本が嫌なら日本から出ていけ。日本のルール守らんなら自分のとこ帰れ」を言えるリーダーらしい。日本人の期待、いや、怒りは凄まじいまでに沸騰寸前だ。地上波メディアもさて、いつまでスルー出来るか。




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