画竜点睛

素人の手すさびで作ったフォントを紹介するブログです

読まず嫌い

2010-10-05 | 雑談
前回柄にもなく「こうもり」のトリックについて思いつきを述べてみましたが、元来僕は作者にだまされるのをよしとする怠惰な読者です。
読破した作品の数も寥々たるものですし、海外の作品にいたってはカーもクイーンもクリスティも実は一冊も読んだことがありません。
それというのもあの翻訳文というものを読まされるのがどうにも苦痛でしようがないからです。

一度古典的名作と呼ばれる作品を読んでみたことがあります。
内容がどうのこうのという以前に、まず文章がすんなり頭に入ってこない。読み進めていると催眠術にかかったかのようについうとうとと眠けに襲われてしまいます。健忘症のごとく文章を読んだ端から忘れてしまうものですから、読んでも読んでも内容が把握できない。しまいにはすっかりストーリーの流れから取り残されて、自分がどこにいるのかさえ見失ってしまう始末です。これでは読書を楽しみようがありません。

昔からよく言われることではありますが、翻訳というのは言葉の意味をつなげることではありません。人間の心理や行動を言葉によって再構成する歴とした創作活動であるはずです。だから正しい翻訳というものがあるのではなく、他言語を素材とした優れた創作物が結果的に正しい翻訳になるのだというべきでしょう。

高校時代に森鴎外の「諸国物語」という翻訳集を読んだことがあります。
これは文字通り諸国の物語を無秩序に鴎外が翻訳したものの寄せ集めで、名前も聞いたこともない作家の作品からドストエフスキーやポーの作品まであるという、まさしくごった煮と形容したいような作品集です。

高校生の僕は別段鴎外に興味を持っていたわけではなく、鴎外の作品の正統からは外れるようなこの作品集を読んでみる気になったのは、当時心酔していた石川淳さんが鴎外を論じた文章の中で「諸国物語」を取り上げていたからでした。奇遇というべきか、石川さんの本もこの「諸国物語」も、ともに筑摩書房から装丁の同じ選集の一冊(「諸国物語」は上・下二巻)として出ていました。

ちなみに筑摩のこの選集、本文が精興社明朝で組まれていました。精興社明朝といえば、物書きや物書き志望の人の多くがあこがれる書体でした。その当時はむろん活版ですが、現在はデジタルフォント化されています。講談社のミステリーランドで使用されている書体といえばわかりやすいでしょうか。

ある方がデジタルフォント化された精興社明朝について、やや否定的な見解を述べられていたのを読み、おやと思ったことがあります。活版の頃は漢字が仮名よりやや太く、それが独特の雅味をかもし出していたのに、それがなくなったというのです。ふむ、そういう見方もあるのかな、と思いつつ今気になったのでちょっと調べてみると、デジタルフォント化された精興社明朝の漢字に使用されているのは、これ、イワタ明朝体オールドじゃないですか。

もっとも、イワタ明朝体オールドっぽいなと思って二、三の漢字を比較してみたらどうやらビンゴらしいというだけの話なので、はっきりそうだとは断定できません。ルビに使われているのは、これ、本蘭明朝だろうか。それともヒラギノのルビ用フォント? 別の本を調べてみると、なんとルビにモトヤ明朝が使用されているじゃありませんか。このあたりはデザイナーや編集者の裁量に任されているんでしょうか。

それはともかく、昔も今も精興社明朝は僕にとってあこがれの書体であることに変わりはありません。まあ、一生涯使うことの叶わない書体ではあるんですが。

話が逸れました。

「諸国物語」はバリバリの正字正仮名遣いで、ところどころ、晦渋な漢語がちりばめられていました。
にもかかわらず現代の翻訳文に比べて読みにくいということはまったくないし、心地よい文体のリズムによってむしろ文章がすっと頭に入ってくる。高校生の僕にも諸国の物語が思う存分堪能できました。

面白い作品はいくつもありましたが、ポーの「モルグ街の殺人」(この本では「病院横町の殺人犯」というタイトル)や「メイルシュトロームにのみこまれて」(同じく「うづしほ」)も非常に面白く読みました。特に「うづしほ」は初めて読む作品だったこともあり、わずか数十ページの短編であるにもかかわらず、一編のスペクタクル映画を見るかのような迫力と臨場感に興奮しました。想像力の翼を羽ばたかせて自然と人間の極限状況を描き出した雄編といえるでしょう。

実は大学生の頃、たわむれにこの「メイルシュトロームにのみこまれて」の翻訳を試みたことがあります。辞書を引き引き、文庫本を参考にしながら、夜な夜な呻吟を重ねたのでした。なんとか完成に漕ぎ着けたものの、その出来栄えは甚だ不本意といわざるを得ませんでした。鴎外の翻訳を読んだときに味わったあの血湧き肉躍る感興はすっかり殺がれ、物語の持つ深遠な雰囲気も神秘性も干からびたように失われていました。

鴎外は、翻訳という難事業に際し、何もかも自前で発明しなければなりませんでした。これが凡百の翻訳との決定的な違いでしょう。それは当時、ポーが「うづしほ」で成し遂げたような天地創造にも比すべき行為だったのです。そして程度の差はあれ、昔も今もこの事情に変わりはありません。

「諸国物語」は、その何篇かを青空文庫でも読むことができます。
しかし僕が今読み返すとしたら、やっぱりはじめて読んだ本を手に取ることでしょう。精興社明朝で組まれたあの筑摩の森鴎外選集を。

(ただしこれはおそらく絶版になっているものと思われます)

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