画竜点睛

素人の手すさびで作ったフォントを紹介するブログです

帰省

2013-01-07 | 雑談
今更な話題ですが、去年の大晦日に帰省しました。

田舎は例年通り天候が悪く、どんよりと曇った空から雨まじりの雪が舞い落ちていました。といってもうっすら雪化粧している程度で、一昨年の正月のように交通に影響が出るほどではありません。

田舎での生活より東京での生活の方が長くなってから既に久しいため、帰るたびに浦島太郎になったような気分を味わいます。空港から実家に帰る車の中から眺める風景には昔と変わらない部分とすっかり変わってしまった部分が混在しています。それが幻覚のような作用をもたらし、ときどき車が通り過ぎるだけで人の姿が全く視界に入らないこともあって、何だか十年後、二十年後の世界に迷い込んだかのような、あるいはまるで幽霊になって故郷をさ迷っているかのような妙な気分に陥りました。

実家にはパソコンもなく、テレビも見ないので、ひたすら寝るか本を読むかして過ごします。実は去年の正月にはブログの記事でも書こうかと思いノートを買って帰ったのですが、原稿用紙なりノートなりに文章を書くという習慣から長らく遠ざかっていたせいか、いざノートを広げても頭に何も思い浮かばず、文章を書くことは早々に断念しました。ワープロを使い始めた頃はキーボード入力で文章を書くことのほうがよほど違和感があったのに、それが今やキーボード入力でないと書けない(手書きするのが面倒くさいという側面も多分にありますが)ほどになったのですから慣れというのは恐ろしいものです。

そういう経験があったので今年は最初から文章を書くことはあきらめ、本だけ三冊持ち帰りました。ほかに何もすることがないので、いつも以上に読書が捗ります。一日半だけの滞在なので三冊もあれば十分だろうと踏んでいたのが、次の日の夜まで持つか少々雲行きが怪しくなってきました。今年は読むペースを落として帳尻を合わせたものの、過去にはもう一冊余分に持って帰ればよかったと後悔したことも何度かあります。

今回持ち帰った中で面白かったのは麻耶雄嵩さんの『メルカトルかく語りき』の中の一編「収束」でしょうか。読後しばらくはにやにや笑いが止まりませんでした。

こうしてたまに読書漬けの生活を送ると、やはり読書は紙の本で読むに限るなあという気にさせられます。言葉や文章を理解し味わうことを「咀嚼する」といいますが、Webや電子書籍で文章を読む行為にはこの「咀嚼」という言葉に含まれるものが欠けているように感じられるのです。殊に僕のように老眼で年がら年中目の疲れを感じている人間からすると、電子書籍端末なりタブレット端末の画面を見ること自体極力敬遠したい気持ちが働きます。電子書籍端末に限らず、もっと目に優しい、革新的なモニタが出てこないものでしょうか。

とはいえ専門書などではテキストがデータ化されているメリットには計り知れないものがあるので、紙の本と電子書籍を両方持てるようになるのが理想なのかも知れません。こんなことを考えるのも年を追うごとに眼精疲労がひどくなる一方だからです。

田舎から帰るとすぐにまた一日中パソコンに向かう生活に戻り、まだ仕事が始まってもいないのに早くも目の疲れが元の状態に戻ってしまいました。おまけに目の疲れは頭の疲れと連動し、慢性的に頭が麻痺しているだけでなく、無理を重ねるとひどい頭痛が襲ってきます。どうにかならないものかと常々思いながら、解決を先延ばししているのが現在の状況です。

     *

さて、そんなことより昨年末にフォントを公開したことで、このブログの当初の目的は達成されました。だからどうするという目算があるわけでもなく、さしあたり書きかけのものがあるのでこれまで通り更新を続けます。さしあたりと書きましたが下手をすると五年、十年と書き続けることになるんじゃなかろうかという気がしないでもありません。しかし五年後も果たして同じ生活が続けられているのでしょうか。