画竜点睛

素人の手すさびで作ったフォントを紹介するブログです

フォント公開

2010-11-26 | フォントダウンロード
予想以上に時間がかかってしまいましたが、「かちどき」がひとまず完成しました。
公開方法等についてはいまだ決めかねている状態なので、暫定的にブログ内でのみ公開することにします。
興味のある方は下記URLからダウンロードしてください(無償です)。

ダウンロード先を変更しました(12/11)

*サポートはしませんので使用する際は自己責任でお願いします。

完成間近?

2010-11-18 | 雑談
ようやくゴール地点が見えてきたので、ここしばらくフォント(かちどき)の仕上げ作業に専念していました。仕上げといっても要はIllustratorからFontgrapherへ、FontgrapherからOTEditへ一文字一文字コピーペーストを繰り返していくだけなのですが、一ウェイトあたり200字近くもあるのでこれがまあ大変。単調な作業に寝不足が加わり、猛烈な睡魔と闘いながらの作業となりました。

これと並行してAdobeから組織IDというのを取得したり、フォントメニューのファミリー化をするためにMac版のOTEditを新たに購入したりと公開の準備を進めてきたところで、続々と仕事が入りはじめたため作業は一旦中断。公開はもう少し先になりそうです。

組織IDといっても要は連番で、単なる四桁の数字です。僕が取得したのが「1×××」ですから、単純に考えるとこれまで1×××人がこのIDを取得したということでしょう。このID、Adobeのサイトから使用目的を記入した上で送信ボタンを押すだけで取得できるのですが、「予期せぬエラーが発生しました」というメッセージが出るので何度かやり直していたら、やり直した数だけIDがメールで送られてきてしまいました。まったく人騒がせで迷惑千万なメッセージです。Adobeさん、しっかりしてくださいよ。

これから組織ID(XUID)を取得しようと思う人のために書いておきますと(そんな人は滅多にいないとは思いますが)、送信ボタンを押してエラーメッセージ画面に切り替わっても、やり直す必要はありません。そのままブラウザを閉じてメールが届くのを待てばOK。僕なんか5回もやり直したもんですから、最初の1回を含めて6つもIDを取得してしまいました。つまりIDを5つも無駄にしてしまったわけです。僕のように粗忽な人が他にもいたと仮定すると、1332といってもそのうちの2、3割程度は無駄なやり直し分を含んでいると考えるのが妥当なんじゃないでしょうか。

またフォントメニューをファミリー化するためにMac版のOTEditを購入して作業してみたものの、うまくいかなかったので断念しました。理想としては左の画像のようにファミリーでまとめたいのですが、マニュアル通りに設定しても右のようにしかならないのです。うーん、どうしてだろう。原因がわかりません。そもそもOTEditで作成したフォントは左の画像のように表示することはできないということなのかも知れません。


これ以外にも配布に際しての説明書きの文面を考えなければなりませんし、どういう方法で公開するかといった問題もあります。書体見本も作り直さなければならないでしょう。そうやって考えていくと意外にやることが残っています。

どういう形で公開(販売)にするにしろ、フォントは使われなければ意味がありません。だからといって、このフォントを使いたいと思う人がそれほど多くいるとも思えません。たとえわずかでも使いたいという人がいれば僕としては十分満足なのですが、はたしてどうなりますことやら。


追記:XUIDをそのまま記載すると不都合の生じる恐れもあるので伏字にしました。

石井太ゴシック体

2010-11-10 | 雑談
フォントとは関係のないネタがつづいているので、たまには別の自作フォントも紹介してみます。といってもまだ未完成で、この先完成できるかどうかもわからないのですが。


(片仮名と一部の平仮名は「かちどき」と同じものです。例文は〈タイプラボ〉の組見本用創作文(Copyright (C) 1990 by Akira Satoh[Directed by TYPE-LABO and NAVEL])によります)

このフォントには決まった名前はなく、とりあえずベータという名前で呼んでいます。このほかアルファに相当する明朝体もあるのですが、これについてもいずれ紹介する機会があるかもしれません。

ベータを作り始めたのは、「かちどき」よりずっと前です。というより一番最初に作り始めたのがこのフォントなのです。

当時外字フォントを作成する必要からFontgrapherというソフトを入れ、実際に何度か外字を作成して徐々に操作に慣れてくると、自分でもオリジナルの仮名を作ってみようかという欲が出てきました。初めてフォントを制作するに当たってゴシック体を選んだのは、明朝体よりもパスが単純で、素人の僕でも何とかなるんじゃなかろうかと考えたからです。

作り始めた頃も苦労の連続でしたが、ひととおり完成したあとも出来栄えにさっぱり満足できず、その後数え切れないほど修正を重ねました。今あるベータは、ほとんど当初の原形をとどめていないといっても過言ではありません。

そうやって作り直しに近い作業を繰り返してきたこのフォントですが、お手本として一貫して僕の念頭にあったフォントがあります。それが石井太ゴシック体です。

調べてみると、この石井太ゴシック体が制作されたのは1932年といいますから、ずいぶん昔のことです。しかし現代人たる僕の目から見ても、この書体はまったく古臭さを感じさせません。へー、そんな以前に作られた書体だったの、と驚いてしまうくらい身近に感じる書体です。

ところが「組版原論」という本の中で府川充男さんが石井ゴシック体をあまり高く買っていないらしいと思える記述を読んで、少々意外に思ったことがあります。まあそういわれてみると石井ゴシック体はある意味教科書的で、破格の味わいを持った書体とはいえません。その点を物足りなく感じる人もいるかもしれません。

僕が思うには石井ゴシック体はどことなく女性的で、優美とさえいえるプロポーションを持っているように感じられます。ゴシック体のイメージとは正反対ともいえる性格を内包していることが、のちに情報誌などで本文組の書体として盛んに使われるようになったことの遠因にもなっているのではないでしょうか。

フォントを作ろうという人間であるにもかかわらず、僕自身は物凄い悪筆です。たまに封筒の宛名など書いたりすると、紙の上に文字の屍が死屍累々と折り重なっているといった様相を呈し目も当てられません。悪筆であっても味のある字というのもありますが、僕の字には味も素っ気もなく、ただひたすらお粗末なだけです。

自分が字が下手糞なだけに、たまに手書きではっとするほど綺麗な字を見せられたりすると、とても羨ましい気持ちになります。僕が石井ゴシック体を見る目はこれに似ています。

フォント制作を通じてあらためて気付いたのも、上質な手書き文字のような石井太ゴシック体の品のよさと表情の豊かさでした。それに引き換えわがベータのなんと表情に乏しく、魅力に乏しいこと! 今までこのフォントを封印してきたのも、そこに自分自身の悪筆を見るような羞恥の念が払拭できなかったからです。

現在のデジタルフォントは総じてすっきりと単純化され、余剰なものや余分な間が極力入り込まないように均質化されているように見えます。単純化は必然的なことで悪いことだとは思いませんが、そこに新たな魅力を盛り込むことは想像以上に難しいことだと痛感しています。

ある夏の日の出来事

2010-11-03 | 雑談
会社勤めではない僕にとって、週末だからといって休みが取れるとは限りません。週末をねらったように仕事が舞い込むことも多いので、土・日もたいてい何かしら仕事をしている場合がほとんどです。逆に仕事がなければ平日であってもそれが休日ということになります。

数年前の夏真っ盛りの頃でした。仕事が一段落し、次に入る仕事の予定もないということで、実質的な夏期休暇状態に入っていました。といっても仕事はいつなんどき舞い込んでくるかわからないので、朝起きたらとりあえずMacを起動し、メールをチェックします。何もなければメールソフトを起動したままのんべんだらりと一日を過ごし、寝る前に本を読んで眠りに就きます。これが僕の休日の日課と言えます。

その日も目が覚めると、まだぼーっとした頭で真っ先にMacの電源を入れ、その足でトイレに向かいました。用を足しトイレから出ようとドアノブに手をかけ、軽く握って回そうとしました。ところが鍵がかかったように、ドアノブが右にも左も回りません。力をこめて回してもがちゃがちゃ音がするだけで一向に開かないのです。事ここに至ってそれまでの眠気は一瞬のうちに吹き飛び、これはえらいことになったと顔面蒼白になりました。そう、僕はトイレに閉じ込められてしまったのです。

トイレのドアノブがずっと前からネジが緩んで馬鹿になりかかっていたのに、面倒くさくてそのまま放置しておいたのが最悪の結果を招いたのでした。こんなことになるならもっと早く修理しておくべきだったと後悔しても後の祭りです。

自宅のトイレに閉じ込められるという、客観的に見たら滑稽以外の何物でもない状況ながら、当事者の僕にとってはまったく笑えない状況でした。これが家族と一緒に住んでいる人なら、ちょっと運が悪かったといって笑って済ませる話でしょう。すぐに別の家族の人が気づいて、ドライバーなどの工具でドアノブを外してしまえば済むことなのですから。しかしあいにく僕は一人暮らしですし、訪ねてくる友人の一人もいません。自力で脱出する以外、助かる手立てはないのです。トイレというごく身近な場所から一瞬にして命を落としかねない危険地帯にワープしたかのような恐怖と緊張感が僕を押し包みました。

僕は鬼のような形相で何度もノブを揺すぶり、それが駄目だとわかると次にドアに体当たりしました。ユニットバスの狭い空間を目いっぱい使って勢いをつけ、体ごとぶつかっていったのです。しかし当然のことながらそんなことではドアはびくともせず、衝撃をまともに体に浴びただけでした。まだ朝早いというのにトイレの中はすでに温度が上昇し、荒い呼吸とともに汗が吹き出ました。僕は叫び出したい衝動を抑え、なすすべもなくその場に立ち尽くしました。

落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、僕は浴槽のヘリに腰を下ろして頭を働かせました。今までの悪戦苦闘の結果から考えて、自力でドアを開けるのは無理だろう。となると外からの助けを待つしかないが、果たしてどれくらいで気づいてもらえるだろうか。三日? 一週間? いやいや、下手をするともっと待たなきゃいけないかもしれないぞ。ここは長期戦に備えて、体力を温存しておかなきゃ。

それにしても間が悪いとはこのことです。もし仕事が忙しいときだったら、取引先の人がメールに返信が一切ないのを不審に感じ、異変に気づいてくれる可能性は今よりも格段に高かったでしょう。一日、二日で気づくのは無理にしても、三日も音信不通がつづけばさすがに不審に思うはずです。それから先は警察なり大家さんなりに連絡して部屋に異常がないかどうか確認してもらい、トイレに閉じ込められた僕が無事発見される……というシナリオを頭に思い描きながら、それが決して実現されることのないシナリオである現実に直面して、地団駄を踏む思いでした。

飲み水に困ることはないのは不幸中の幸いでしたが、水だけで一週間も二週間も過ごさなければならないかと思うと、それだけで気が滅入ってきました。いや、その前に生き延びられるという保証はどこにもなく、餓死することだってあり得るのです。それが嫌なら何とか脱出する方法を考えろ、と自分を叱咤激励しても、名案は何一つ浮かびません。あまつさえ換気扇の音が耳について、冷静になろうとする僕の思考を妨げます。ふだんは気にも留めない換気扇の音が、このときばかりはうるさく飛び回る蚊のように僕の心を千々にかき乱しました。しかもこの換気扇の音は、トイレから出ない限り決して止むことはないのです。

あらためてユニットバスの中を見回してみると、その狭さが物理的にも心理的にも僕を圧迫してきました。縦横2m四方ばかりの空間、これが僕に許された全行動範囲なのです。閉所恐怖症の人なら、間違いなくパニックに陥っている状況でしょう。僕も外見上は辛うじて平静を保っていたものの、内心は混乱の極みにありました。たかだか厚さ数センチのドアの先には自由の世界に広がっているにもかかわらず、そこには決して手の届かないもどかしさ、空気のように吸っていた自由から隔てられた息苦しさが、実際の呼吸困難を引き起こすようにさえ感じられたのです。死がこれほど具体的なイメージとして思い描かれたことはありませんでした。

時間の感覚が希薄になり、閉じ込められてからどれくらい経過したのかよくわかりませんでしたが、あとで思い出してみると1時間くらいたった頃だったでしょうか。隣りの部屋のドアが開く音がかすかに聞こえ、かつかつという靴音が響くのが聞こえました。僕の部屋はマンションの端にあり、ユニットバスのある方が隣りのビルに面しているのに対し、反対側には個人経営の設計事務所が入っています。廊下を挟んだ向かいの部屋も同じ設計事務所の別室になっており、二つの部屋の間を人が行ったり来たりする靴音をこれまでにも何度となく聞いたことがありました。今聞こえたのもきっとその音で、隣室で働いている誰かが廊下を渡った音に違いありません。咄嗟にそう判断するや否や、僕は大声で「すみませーん」と叫びました。しかし一瞬判断が遅かったらしく、その靴音はどちらかの部屋の中に消えたまま二度と聞こえることはありませんでした。僕のSOSの叫びはあっさりと無視されてしまったのです。

ところがそれからいくらもしないうちに、再びドアが開く音がしました。僕は恥も外聞もかなぐり捨て、「すみませーん」「誰かいませんかー」「助けてくださーい」と声を限りに絶叫しました。そして耳を澄ませ、部屋の外に何か変化が生じないかを必死に聞き取ろうとします。しかし聞こえるのは換気扇の音ばかりで、外には何の反応もありません。やはりここは外部から隔絶された空間なんだとあらためて認識し、自分が人間には見えない幽霊になったかのような気分を味わいました。

それからも幾度となく人が行ったり来たりする気配を感じ、そのたびに叫んだり果てはドアを思いっきり叩いたりしてみましたが、とうとう何の反応もないまま人の通る気配さえなくなってしまいました。おそらく声が聞こえたとしても、何を言っているのかまではわからず、ただ意味のない奇声がどこかから聞こえくるようにしか思えなかったのでしょう。トイレの密閉性が、声の脱出さえ阻んでいるのでした。

考えてみると、これはポーの小説で有名な「早すぎた埋葬」と状況は同じです。もっともポーの小説では最後に意外な結末が待っているのですが、主人公の恐怖と同じ恐怖が僕を捉えて離さない点では同じであるといっても間違いではありません。

あるいはこう言うこともできます。子供の頃、蟻などをビンや蓋などの中に閉じ込め、その虫が外に出ようともがいている様をニヤニヤしながら観察した経験が誰しもあるでしょう。今や僕の立場はビンの中に閉じ込められた虫も同然で、その虫が助かるか助からないかは僕の気まぐれにかかっていたのと同様に、僕が助かるか助からないかは運命の神の気まぐれに委ねられているのです。そこに何かしら残酷な意志の力を感じ、僕は自分の運のなさを嘆かずにはいられませんでした。

もちろん嘆いてばかりいたではありません。無駄と知りつつ積年の恨みを晴らすかのごとく何度もノブを押したり引っ張ったり上から押さえつけたりもしましたし、ドアをスリッパの足裏でがんがん蹴ったりもしました。これらドアノブへの攻撃はことごとく跳ね返され、人間の無力さを思い知らされるばかりでした。その時点ですでに上着はびっしょり濡れ、顎から汗がしたたり落ちました。

正攻法ではとうてい勝ち目がないと見るや、次に僕は天井に目を向けました。このマンションの浴室の天井には、換気扇の横に配線を点検するための蓋が付いています。その蓋を開けて天井に上がり、そこから何とか外に出られないかと考えたのです。僕は浴槽の縁に上がって天井の蓋を外し、一旦下りて外した蓋を洗面台の脇に立てかけてから、再度浴槽の縁に上がって天井の上に顔を出して奥を覗き込みました。右を見ても左を見ても、パイプやコードがのたうちまわっているだけで、むろん出口のようなものは見当たりません。それでも何かないかとしばらく暗がりに目を凝らしていましたが、どう見ても出られそうにないと諦めて下に降りました。どだい天井裏から脱出するなどはなからできっこないのです。

万策尽き果てた僕は再び浴槽の縁に腰を下ろし、今後のことに思いを馳せました。異変に気づいてくれそうなところは、とりあえず二つ思い浮かびます。いや、二つしかないと言った方がいいでしょうか。一つは三、四年前から付き合い始めたばかりのところで、原稿やデータのやり取りはすべてサーバを介して行っているため、直接顔をあわせることはまずありません。しかし現在もっとも仕事の依頼が多いのもここなのです。もう一つは以前勤めていた会社の元同僚で、付き合いも長く、気心も知れています。できればこちらが気づいてくれれば僕としても安心なのですが、そう都合よくもいかないでしょう。

問題なのは不審に気づいたとき、どういう対応をとってくれるかということです。果たして親身になって僕の身を案じてくれるだろうか、とそのときは本気で心配したのでした。心配の度合いによって対応は遅くもなれば、早くもなります。対応が遅れればそれだけ救出も先に伸びるわけです。しかも運良く救出されたとしても、体が衰弱してすぐに仕事に復帰するというわけにもいかないでしょう。きっと何日かは入院して療養しなければならないに違いありません。そうなると入院費はかかるわ、仕事はできないわで、救出後に受けるダメージも並大抵のものではないことが予測されます。どう転んでも碌なことにはなりそうもありません。

絶望感に打ちひしがれながらふと足許を見やると、先ほど立てかけておいた天井の蓋が目に入りました。そうだ、これでドアノブを叩けば破壊できるんじゃないだろうか、と思いついたのは、閉じ込められてから3時間以上過ぎた頃でした。

最初はこれで確実にドアノブを壊せるという目算があったわけではありません。むしろ期待ははなはだ薄いもので、こんなものでドアが壊せるわけはないだろうという気持ちの方がよっぽど強かったのです。まあ駄目でもともとだからと自分に言い聞かせ、それでも藁にもすがる思いで蓋を両手にもって構えました。これで自分の命運が決まるのだと思うと、否が応でも慎重にならざるを得ません。正面からぶつけたのでは蓋はすぐに割れてしまうでしょうから、側面を下に向けて上から叩きつけるというのが自然に導き出された結論でした。僕は祈りを捧げるかのごとく蓋を頭の高さまで掲げ、一息吸い込んだのち最初の一撃を振り下ろしました。

手応えがあったというよりも、金属の衝撃が板を通して伝わってきて手がじんじん痺れました。それでも執念深くつづけざまに二度、三度と殴りつけているうちに、最初の手応えがありました。わずかながら取っ手が下に曲がったのです。

勢いづいた僕は嵩にかかって攻め続け、無我夢中で拳を振り下ろしました。こうなれば相手をノックアウトするまで殴りつづけるしかありません。

天井の蓋は予想以上にもろく、木屑が飛び散り、煙のように粉が舞いました。気が付いたときには蓋は真っ二つに裂け、指には血が滲んでいましたが、取っ手はぐらぐら揺れ、今にも陥落寸前でした。ノックアウトまであと一歩のところまで追い詰めたのです。

最後の止めを刺すのは、二つに裂けた板の片方で十分でした。真上から垂直に板を振り下ろすと、断末魔の叫びを上げて金属の部品が弾け飛び、取っ手がゴトリと床に落ちました。難攻不落の敵をリングに沈めた瞬間でした。

喜び勇んでドアを開けようとして、愕然となりました。取っ手を完全に破壊したにもかかわらず、ドアは微塵も動く気配がなかったからです。

取っ手が塞いでいた部分を覗き込んでみると、何やら金属の機構が見えました。これを動かしてやれば鍵は開くに違いありません。

といって機械音痴の僕はどこをどう動かせばいいのかわからず、闇雲に指先で弄り回してみました。わずかに動く部分はあるものの、そこを何度動かしてみても変化はなく、思い通りにならないもどかしさに苛々が募るばかりでした。先ほどまでの喜びはどこへやら、一転してまた奈落の底に突き落とされてしまったのです。

しばらく頭を冷やし、その部屋の中で唯一使えそうな先の尖った道具、すなわち歯ブラシの柄で動かしてみることにしました。これだとどこがどう動いているのかも観察できるので、指先の感覚だけに頼っていた先ほどまでよりははるかに効果的なはずです。僕は鉛筆を握るように歯ブラシを握り、柄の先端を中に突っ込んで動きそうな部位に当て、押し込みながらぐりぐりと左右に動かしてみました。そうやって聴診器で診察するように少しずつ位置を変えながら試してみましたが、結果は指先でやったのと同じでした。僕は鍵の構造をなぜもっと簡単なものにしなかったのかと、鍵を発明した先人に対して理不尽な怒りさえ覚えていました。

成功は何の前触れもなくやってきました。何回か失敗を繰り返し半ば意地になって機械的に歯ブラシの柄を動かしているとき、突然バネの抵抗を手の中に感じたのです。抵抗を逃さないようにそのままゆっくり動かし続けると、カチリという反応があり、ドアが自然にすっと壁を離れました。それはあたかも碇を揚げた船が岸壁を離れて船出するかのような瞬間でした。

     *

ドアが開いたときは、喜びよりも安堵感でいっぱいでした。それでも自然と笑みがこみ上げてくるのを抑えることができず、しばらく一人で思い出し笑いのような笑いを笑っていました。そういうほかそのときの笑いを表現する言葉が見つからないのです。

それにしてもこんな奇妙な経験をした人間が世の中に一体どれくらいいるものでしょうか。「トイレに閉じ込められ死亡」などというニュースや新聞記事など見たことがありませんから、ほぼ皆無に等しいのでしょう。中には僕のように脱出に成功したり家族に助け出されたりした人もいるのかもしれませんが、それほど多くの例があるとは思えません。ともかく「トイレに閉じ込められ死亡」した第一号の例にならなくて本当によかったと今は思います。

ちなみに鍵が開いたこともよりも、なぜ鍵を開けるのにあんなに手間取ったのか、そちらのほうが不思議です。トイレの鍵の構造などそれほど複雑なものでなく、動かし方も限られているからです。自分では平静さを保っていたつもりでも、やはり普通の精神状態ではなかったのかも知れません。