フォントとは関係のないネタがつづいているので、たまには別の自作フォントも紹介してみます。といってもまだ未完成で、この先完成できるかどうかもわからないのですが。
(片仮名と一部の平仮名は「かちどき」と同じものです。例文は〈タイプラボ〉の組見本用創作文(Copyright (C) 1990 by Akira Satoh[Directed by TYPE-LABO and NAVEL])によります)
このフォントには決まった名前はなく、とりあえずベータという名前で呼んでいます。このほかアルファに相当する明朝体もあるのですが、これについてもいずれ紹介する機会があるかもしれません。
ベータを作り始めたのは、「かちどき」よりずっと前です。というより一番最初に作り始めたのがこのフォントなのです。
当時外字フォントを作成する必要からFontgrapherというソフトを入れ、実際に何度か外字を作成して徐々に操作に慣れてくると、自分でもオリジナルの仮名を作ってみようかという欲が出てきました。初めてフォントを制作するに当たってゴシック体を選んだのは、明朝体よりもパスが単純で、素人の僕でも何とかなるんじゃなかろうかと考えたからです。
作り始めた頃も苦労の連続でしたが、ひととおり完成したあとも出来栄えにさっぱり満足できず、その後数え切れないほど修正を重ねました。今あるベータは、ほとんど当初の原形をとどめていないといっても過言ではありません。
そうやって作り直しに近い作業を繰り返してきたこのフォントですが、お手本として一貫して僕の念頭にあったフォントがあります。それが石井太ゴシック体です。
調べてみると、この石井太ゴシック体が制作されたのは1932年といいますから、ずいぶん昔のことです。しかし現代人たる僕の目から見ても、この書体はまったく古臭さを感じさせません。へー、そんな以前に作られた書体だったの、と驚いてしまうくらい身近に感じる書体です。
ところが「組版原論」という本の中で府川充男さんが石井ゴシック体をあまり高く買っていないらしいと思える記述を読んで、少々意外に思ったことがあります。まあそういわれてみると石井ゴシック体はある意味教科書的で、破格の味わいを持った書体とはいえません。その点を物足りなく感じる人もいるかもしれません。
僕が思うには石井ゴシック体はどことなく女性的で、優美とさえいえるプロポーションを持っているように感じられます。ゴシック体のイメージとは正反対ともいえる性格を内包していることが、のちに情報誌などで本文組の書体として盛んに使われるようになったことの遠因にもなっているのではないでしょうか。
フォントを作ろうという人間であるにもかかわらず、僕自身は物凄い悪筆です。たまに封筒の宛名など書いたりすると、紙の上に文字の屍が死屍累々と折り重なっているといった様相を呈し目も当てられません。悪筆であっても味のある字というのもありますが、僕の字には味も素っ気もなく、ただひたすらお粗末なだけです。
自分が字が下手糞なだけに、たまに手書きではっとするほど綺麗な字を見せられたりすると、とても羨ましい気持ちになります。僕が石井ゴシック体を見る目はこれに似ています。
フォント制作を通じてあらためて気付いたのも、上質な手書き文字のような石井太ゴシック体の品のよさと表情の豊かさでした。それに引き換えわがベータのなんと表情に乏しく、魅力に乏しいこと! 今までこのフォントを封印してきたのも、そこに自分自身の悪筆を見るような羞恥の念が払拭できなかったからです。
現在のデジタルフォントは総じてすっきりと単純化され、余剰なものや余分な間が極力入り込まないように均質化されているように見えます。単純化は必然的なことで悪いことだとは思いませんが、そこに新たな魅力を盛り込むことは想像以上に難しいことだと痛感しています。