画竜点睛

素人の手すさびで作ったフォントを紹介するブログです

青息吐息

2011-07-25 | 雑談
前回の記事のつづきをアップしましたが、今回も完結まで漕ぎ着けることができませんでした。果たして本当に完成させられるのか自分でも心許ない気がします。

物理学に関しては全くの門外漢なので、引用が多くなり、大雑把で粗雑な文章にならざるを得ませんでした。これだけのことを書くのに毎晩四苦八苦していたのですから、情けない限りです。

文章を書くというのは自転車操業みたいなもので、必死になってペダルを漕ぎ続けていないと推進力を失って転んでしまいます。一旦漕ぎ始めた以上、転倒するか目的地に達するまで漕ぎ続けるしかありません。

今月もまともに休みがとれない状態が続いており、昼間でも気を抜くと睡魔が襲ってきます。こうも眠いと何週間分かの足りない睡眠を体が取り戻そうとしているんじゃないかという気がしてきます。

可能ならば一週間くらい寝て過ごしたいところですが、そうも言っていられません。明日からまた頑張って自転車操業に励むことにします。

「ジェノサイド」(2)

2011-07-25 | 雑談

     *

小林秀雄は現代物理学が逢着した問題を論ずるにあたり、以下のように述べています。

「ベルグソンは、物資の研究について、「科学の最も遠い理想」として予感したところを、凡そ、次の様に要約する。物理学者は、物質の一切の部分の間に相互作用がある事を認めざるを得ないのだが、受動的な事物とこれに作用する力とを区別する。この私達の日常の生活の要求に基づく粗雑な心像が、何の役にも立たぬ事は、物質の直接な観察を進めて行けば、やがて明らかになるだろう。非物質的な作用は物質化し、物質的な原子は観念化し、両者は、互に、その共通の限界に向って結合しようとして来るだろう。そうなっても、私達の精神が、それを分離しようと働く限り、原子はその個性を失わないだろうが、その個体性や惰性は、自ら運動や力線に分解し、再び相互の聯絡は一般的連続を回復しようとするだろうと」

これはベルグソンの言葉をそのまま引用したものではなく、「物質と記憶」第四章の文章を抽出し小林秀雄がまとめたものです。それはともかく、ここでベルグソンが述べていることは、現代物理学が逢着した問題そのものだと言ったら言いすぎになるでしょうか。

僕は物理学のイロハも知らない人間なので、この問題を論じる知識も理解力もありません。ここでは物的世界の客観的記述は現時点では不可能であるという量子力学の到達した考えと、物質が精神の持続と似たある種の持続であるというベルグソンの直観は照応し合っており、量子力学が世界を古典力学の法則に従うマクロコスムと古典力学が通用しないミクロコスムとに分けて考えざるを得なくなったことは、ベルグソンが「実用的」(プラティック)な世界の奥に「運動性」(モビリテ)の世界を見たことと無関係ではない、という「感想」の観点を紹介するにとどめます。

「物質と記憶」発表当時、量子力学はまだ生まれていませんでしたし、量子力学は自ら好き好んで哲学的問題に顔を突っ込んだわけではありません。が、一方は直観によって、他方は実験と観察によって物質現象を極めようとした結果、自ずと接近することになったと小林秀雄は考えます。

観察方法が精密になるにしたがい、原子は徐々にその構造を露わにする一方、この極微の世界では古典力学が通用しない、つまり「物質粒子の位置と運動量とを同時に正確に測定するいかなる方法もない」という事態に物理学者は直面します。「光を使用せず電子を測定する事は出来ないが、電子を見るとは、光の光子を電子に衝突させ、これによって電子の位置も運動量も変えて了う事に他ならない」からです。この物質現象の絶対的な不確定性を認めた上で、物理的実在の新たな秩序を確立すべく数式化されたのがハイゼンベルクの「不確定性原理」です。

1932年に「道徳と宗教の二源泉」を出版して以降、ベルグソンはいくつかの論文集などを除き著作を発表することはありませんでしたが、先に挙げたシュヴァリエの「ベルグソンとの対話」の中に、「不確定性原理」に触れた発言が出てきます。それは以下のようなものです。

「この原理が現実に存在していて事物を支配しているというよりは、むしろ、この原理を想定することによって事実は説明がつく、と言いたい」

このベルグソンの発言からもわかるように、「不確定性原理」は物理学に不確定性をもたらすことになった当のプランク定数を逆手に取り、「得られる位置の精密度と運動量の精密度との積は常数h(注=プランク定数)より小さくはなり得ない」ということを示すものです。

そもそもプランクの法則とは、黒体から放射されるエネルギー密度の分布に関する法則で、彼は「この現象に関する実験の示すところを厳密に記述しようとすれば、物質は、振動数vと所謂プランクの常数hとの積に等しい有限の量ずつしかエネルギーを失う事は出来ない、という仮定の導入を必要とするという結論に達し」ます。つまりエネルギーは連続的な量の変化ではなく、「その作用の単位を持ち、力の自由な増減の不可能な構造を有する」粒子(作用量子)だとする仮説に導かれます。このニュートンの発見にも比すべき発見は当初その価値が認められませんでしたが、それから数年後、若きアインシュタインはプランクの理論を導入し光電効果と呼ばれる現象の解明に成功します。

この現象の解明は光を光量子(光子)とすることによってもたらされたものでしたが、その一方で光の回析現象は光を波と仮定しなければ説明がつかないという現実もありました。実際アインシュタインの仮説では光の回析現象まで説明することはできなかったのです。では本当のところ光は粒子なのか、それとも波なのか、という問題が不可避的に生じ、やがてこの問題は物質理論にも波及していかざるを得ませんでした。

デモクリトスに始まる原子論は、20世紀の初頭、ラザフォードの原子模型で一応の完成を見ます。この原子模型は原子核とその周りを回っている電子から成っており、太陽の周囲を惑星が回っている太陽系を髣髴させるものでした。

ところがこの小宇宙に古典力学を適用しようすると、説明のつかない矛盾が生じることが明らかとなります。「仮に原子内で、電子が、中心にある陽荷電したプロトンという太陽の周囲をクーロンの法則に従って廻転しているなら(中略)、運動する電子は、連続的に振動数の変ずる輻射線の形で、絶えずエネルギーを放出し」、エネルギーを失って原子核に引き寄せられてしまうはずです。また「元素が出すスペクトルが常に同一であり、不連続的性質を持つ」ことの説明もつきません。この矛盾を解消し、より正確なモデルを呈示したのがボーアの原子模型です。

ラザフォードの原子模型が一定の実証性を持つものである以上、これを成立させている条件、電子が一定の運動軌道をとり、輻射エネルギーを放出しない条件があるはずです。その条件の元となるものこそ作用量子だとボーアは考えます。ここから彼は「量子条件」と呼ばれる仮説を立て、電子の運動はこの条件を満たす軌道だけをとるものとされます。原子が周囲の輻射の場と交渉してエネルギーを得たり失ったりする場合、電子は一定の軌道から一定の軌道へ飛び飛びに移行し、「量子条件」を満たさない軌道へ移行することはありません。その際光子として吸収または放出された輻射線の振動数は、軌道の移行によって生じたエネルギーの差を「プランクの常数で除した商といういつも正確な有限値」を持ちます。

こうして原子の構造がより明らかになるにつれ、物理学者はその状態の変化を連続的に確定することができなくなるというジレンマに陥ることになります。このジレンマを合理的に解決すべく提唱されたのがド・ブロイの電子の波動説であり、彼の着想はのちにシュレーディンガーの波動力学に引き継がれます。

光の回析現象は光が波だと語りますし、光電効果は光が粒子だと語ります。この矛盾する事実は、「自然自体がその窮極の構造に於いてそういう二重性を持っている」ことを語るのではないかとド・ブロイは考えます。原子内の電子にも粒子としての電子の側面と波としての電子の側面を仮定すれば、「電子と電子波との数学的量は、常数hが現れるような関係で、互に結ばれている筈であり、電子の飛躍の確率は、電子波によって得られる、電子軌道の不連続は、確率波の連続で補われる筈だ」というのがド・ブロイの仮説です。

「今日、波動力学と言われているものは、その名の如く、粒子の運動の説明を、粒子に結びついた波の伝播の説明に変える、即ち、粒子に関して知られ得るあらゆる事は、波によって表現出来るという考えに基づいているのだから、粒子系の状態に関するこの測定の基本的な不確定性を、波によって表現し、時間の経過に伴うその波の変化を、工夫された伝播方程式によって厳密に辿る事が出来る。辿れる以上、事後の波の形は、私達に、その時の測定がある特定の値をとる確率を予見させる事になる」。しかし注意しなければならないのは、「この方程式は、確率の時間による変化を支配する法則がある事を語るに止まり、粒子系の時間的な状態変化を支配する法則を入れる余地はない」ということです。

すでに述べたように、一つの粒子の位置を測定しようとすればその測定方法自体によって粒子の運動が乱され運動量が確定できなくなり、運動量を測定しようとすれば位置の確定ができなくなります。何故こういうことが起こるかというと、観測者と観測対象との間でエネルギー(作用量子)の交換が行われるからです。観察条件と観察対象が同じマクロコスムに属する古典物理学ではこのエネルギー交換が問題になることはありませんが、現代物理学における「観察条件は、プランク常数hの有限値を、無限小と見なす事の出来るマクロコスムにあり、観察対象は、この常数の有限値を無視できぬミクロコスムなのだから、両世界のエネルギー交換が、重大な現象となって表面に浮び上がる」ことになります。

つまり量子力学では観測方法や観測条件とは無関係に客観的実在を語ることはできないとされるのですが、量子力学と並んで現代物理学の基礎的理論とされる相対性理論でも観測者は重要な役割を演じているものの、その意味合いは全く違うと小林秀雄はいいます。

この理論の全体像を理解するのは僕には困難なので、「感想」に沿って必要な点を簡単に記すに留めます。

まず「この理論は、物理界に、全く革新的な考えを導入したが、私達とは無関係な、独立した客観世界の実在を容認するという近代科学が護持して来た考えは、この理論のうちで少しも動揺していない。動揺していないのみならず、対象の客観性という観念は、アインシュタインによって、誰も考え及ばなかった高度まで、徹底的に推進されたと言える」点で、量子力学の思想と決定的に違うことがわかります。「理論が、観察者の方法なり条件なりからは、はっきりと独立して構成され、絶対的な実在の客観性に、在来のどの理論より正確に適合するように構成されている点で、絶対性理論と呼んでも差し支えない」ものだと小林秀雄はいいます。

「言うまでもなく、ニュートンの力学は、アトミスムの基盤の上に立っていた。それも、物質の不連続的単位として質点という極端な粒子を考えたから、その内部の構造というような問題は、無論、起りようがなかったし、その説明し難い孤立の問題も、この質点は力の中心と考えられ、他の離れた質点との間に、互に作用が働くと仮定されていたから、起りようもなかったのである。力が空間に於いて位置を変える物体相互の距離の函数と定義されている以上、質量を持った不連続的物質と質量を持たぬ連続的力という全く異なった二つの実体は、初めから合理的に妥協出来ていたわけだ」。ところが光や電気現象に関する観察や実験が進むにつれ、ニュートン力学は綻びを見せ始めます。たとえば「磁極を取巻く回路に、電流が流れると、突然、一つの力が現れて、磁極に働く。この力の方向は、電流の環と中心の磁極とを結ぶ線に垂直であり、のみならず、この力は電気の速度にも関係するという驚くべき事実が判明した」。これは二物体間の距離の函数という定義から逸脱した新しい力であり、力の概念の見直しを余儀なくされた物理学者たちは、「力の作用に関する力学を断念して、その代りに電磁場の構造を記述する」いわゆる「場の理論」を生み出します。これは簡単にいえば「物が場のうちに運動する」のではなく、「場の変化が物の運動を規定する」という考えです。

相対性理論も「場の理論」(マクスウェルの方程式)から出発したものであり、空間という概念がこの理論では重大な意味を持ちます。「アインシュタインの空間は、含むものも含まれるものもない。彼にとって、空間とは物質に出会うのに先ず空間に出会うのか、空間を考えるから、物質が考えられるのか、というような問題の起りようのない、ある幾何学的構造」です。これは「デカルトの延長の考えに大変よく似て」おり、「アインシュタインの天才は、デカルトの天才を継承したもの」だといえます。

「デカルトの自然観、物質観の根底をなしているものは、有名な延長の考えだ。万象の多様性は、限りなく延びる三次元の同質な連続的空間に還元される。この延長と呼ばれる、物質世界の基盤には、定義上、実体的なものは全然ない。(中略)たゞこの連続体に導入された要素として許せるものは運動だけである」。「延長」には力というものの入り込む余地はなく、「彼は、ひたすら力学(ディナミスム)を離れて機械学(メカニスム)の道を行き、世界の空間化、幾何学化という理想」に突き進みます。

数学者は物という実体なしでも済ますことができますが、物理学者はそういうわけにはいきません。それゆえニュートンがアトミスムの世界観から出発したのは至極当然のことといえます。ただこの世界に働く力はすべて万有引力の作用に帰され、力の内容まで問われることはありませんでした。この「力即ち万有引力の作用」という大前提が崩れ去ったとき、力学に代わってメカニスムが浮上してきたのは自然の成り行きだったといえるのかもしれません。

運動している物体のすべての座標系において同じ物理法則が成り立つという相対性原理は、アインシュタインが初めて唱えたものではありません。ある座標系における観測の測定値は別の座標系における観測の測定値に変換式を使って変換(ガリレイ変換)でき、変換されたあらゆる座標系において物理法則は不変であるとしたのはガリレイです。ニュートンの運動方程式においてはガリレイ変換が有効ですが、電磁場の構造を記述したマクスウェルの方程式においてはガリレイ変換は有効ではありません。この矛盾を解消するために考案されたのがローレンツ変換です。

相対性理論においては時間さえ空間化され、「ニュートンの三次元空間の時間的変遷は、時間軸を加えた四次元の世界という存在に変った」といえます。相対的に運動している二つの座標系は、古典力学においては「三次元の空間連続体と、一次元の時間連続体とが分離」するため、ガリレイ変換によって関連づけられるのに対し、相対性理論では「空間とともに時間も座標によって変化する」ため、「時間が空間に編入される四次元時空連続体のローレンツ変換」によって関連づけられます。この関連づけが首尾一貫しているところに相対性理論の独創性があるわけですが、「幾何学化による物理学の単純化は、幾何学の複雑化を生んだ。こゝに現れた非ユークリッド的空間の概念は、これを正確に語る為には、専門的な数学的表現による他はないような、極めて複雑なものになった。これは、空間化による同一化に対する、実在の多様性の抵抗を語るものかも知れない」と小林秀雄は総括します。

     *

「相対性理論は、ニュートン力学の観察の相対性を拡大深化する事によって、非常に鋭い又厳密な形で、観察に服従する、因果的に統一した客観世界の観念に到達したが、量子論は、客観的世界、少くとも、微小な物質の世界が、もはや合理的な観察に服しない事を語る。観察の問題は、その相対性から、その矛盾性に移った」といえます。

「感想」が最初から照明を当てようとしているのはこの「矛盾性」(不確定性)であり、そのため波動力学の名前は出てきてもシュレーディンガーの名前は出てきませんし、ハイゼンベルクの行列力学にも触れられていません。この点はちょっとバランスを欠くように思えなくもありませんが、僕もさしあたりこの流れに沿って話を進めることにします。

(つづく)

新フォント公開

2011-07-12 | フォント
新フォント「こきん」をDL-Marketにて公開しました(一部有料)。

公開直前まで何度も繰り返し手直ししてへとへとになってしまったので、茫然として言葉が出てきません。できるだけ多くの人に使ってもらえれば幸いです。

「ジェノサイド」(1)

2011-07-11 | 雑談
高野和明さんの「ジェノサイド」という本を読み終わりました。

この中で主要な登場人物の一人、大学の薬学部に籍を置く大学院生が毎日実験に明け暮れるわが身とアルバイトに明け暮れる文系学生とを引き比べ、文系の人間は気楽なもんだとぼやく場面があります。これは小説の本筋とは関係のない登場人物の紹介シーンに過ぎないわけですが、文系と理系との間に横たわる溝を象徴的に表しているようにも見えます。少なくとも僕はこの箇所を読んで、文系人間としての自分の能天気さをちくりと皮肉られたようなむず痒さを覚えたのでした。

こんな風に感じたのは、むろんこの間に起こった出来事によって自分の理解の限界というものをつくづく思い知ったからです。そして文系・理系という分け方は、案外人間の本質的なところに根ざしているのかも知れないなと思いました。

理系(科学)の世界では、何よりもまず「正確さ」が最大の価値を持ちます。他の何を犠牲にしても正確さが優先されなければなりません。それゆえ正確さを少しでも欠くことは、それ自体が罪であり、悪と看做されることになります。世の中では自分の罪を認めて謝罪すれば情状酌量の余地ありとされることもありますが、理系の世界には情状酌量などというものは存在しません。なぜなら不正確さは何も生み出さないからであり、それを認めた途端理系の世界が瓦解してしまうからです。

しかし当の理系に属する人にしても、自分の専門外のことについては文系の立場に立たざるを得ません。現に「ジェノサイド」の大学院生も独力で目的を達成することはできず、別の分野に精通した韓国人留学生の協力を仰ぎます。社会の背後にこうした高度に発達した理系の世界を仰ぎ見るとき、その複雑さと巨大さに圧倒され、思わず科学こそ神なりと信仰したくなってきます。それは人間の手によって生み出されたものでありながら、人間を凌駕し、もはや人間の手によって制御することのできない存在になってしまったかのようにさえ思えます。

今回の出来事も、このような事情を象徴的に表しているように見えます。多くの学者や技術者が束になってかかってもゴルディオンの結び目を解くことができず、これを一刀の下に両断する勇者も現れません。このような見方に大した意味があるとは自分自身思いませんが、少なくとも表面的な現象を見る限りそのような印象を抱いてしまうのを禁じ得ません。

では人間はひたすら科学の前にかしずき、科学から下される託宣を無条件に受け入れるしかないのでしょうか。文系の人間にはそれを理解することすら許されてはいないのでしょうか。

理系の人は正確さとわかりやすさは違う、両者は矛盾するものだといいます。それはそうでしょう。正確さを犠牲にしなければわかりやすさは成り立たないのですから。しかし正確さを犠牲にせず一般にも理解できるように説明することは本当に不可能なのでしょうか。

たとえば互いの言語を知らない者同士が出会ったとき、相手の話すことは当然全く理解できず、コミュニケーションをとるのは不可能なことのように思えます。もし仮に人間の発明した言語が固定的で不動のものであったならば、この二人の人間は一生相手の話すことがわからないままに終わるでしょう。いやそれ以前に、人間は生まれてから死ぬまでの間に限られた数の言葉しか覚えられないはずです。人間が無限ともいえる言葉の組み合わせを手に入れることができるのは、使用する言語の動性のおかげだとベルグソンはいいます。この動性のおかげで人間は既知のものから未知のものへと移行できるのです。

言語の動性によって、言葉はある対象から別の対象に拡張されます。言葉はあらゆる対象に拡張可能であるがゆえに、言語の生みの親である知性の内部へも侵入し、知性自身の表象、すなわち観念をも一つの言葉に変貌させることが可能です。こうして表象能力一般として覚醒した知性は、以後、どんな種類の観念をも対象として扱うことができるようになります。

数学も一つの言語であり、人類の発明した言語の中で最も論理的、つまり最も正確な言語です。天文学や力学から物理学、化学、生物学へと発達を遂げていった近代科学は数学に源を発し、数学を理想としています(ベルグソン「生きている人の幻と心霊研究」)。数学も人間の発明した言語である以上、それは他の言語にも翻訳可能です。翻訳者の人材が希少であることは、それが不可能であることと同義ではありません。

そもそもなぜ数学は論理的と看做されるのか、数学的に正しいことはなぜ万人にも正しいと判断されるのか、その根拠を示さなければ数学の論理性を云々したところで意味がありません。

数学は金太郎飴のようにどこを切り取っても論理的であり、理路整然としています。かくも複雑な体系が完璧に秩序立てられているのを見て、文系の人間はどんな神的な知性がこれを作り上げたのかと感嘆せずにはいられないでしょう。知性は完成された形ではもともと人間が生物種として生き残るために与えられた能力であり、本能が自分自身の身体の器官を有機的な道具として使用するのに対して、無機物を加工して道具とするための能力です。本能的な認識が遺伝によって確実に次世代に伝えられていくのに比べ、知性が獲得した知識は遺伝によって何一つ伝わりません。そのため人間は何もかも一から学びなおさなければならないのです。生まれたての人間は何も知らない代わり、ある一つの能力を持っています。それはあるものと別のものを結びつける能力、あるものと別のものを重ね合わせる能力、つまり関係を把握する能力です。ある対象と別の対象を結びつけたり重ね合わせたりするためには、その「地」となる等質的な環境が必要です。こうして人間は事物と事物の間に関係を認めるや否や、その背後に存在する空間の観念を速やかに手に入れます。空間の観念を手に入れた知性は伸縮自在のその網を使って物質を分割し、その結果「秩序」が生まれます。知性はこの「秩序」の中に自分自身を発見することになるのですが、それは驚くにあたりません。なぜなら知性は物質の運動と歩調を合わせており、物質と知性は同じ原理によって同時に生み出されたものだからです。

数学が論理的であるというのは、つまるところ数学の中に知性が自分自身を発見するということに他なりません。この観点に立てば、数学的秩序は何ら肯定的・実在的なものではなく、象徴的、あるいは人為的なものであることになります。それは問題を立てた順序に依存しており、問題の選択は偶然に委ねられている以上、生物種が多様な形態をとり得るように、数学の体系や科学の体系は現在あるものとは全く違った形をとることも可能だったでしょう。しかしどんな形をとるにせよ、数学や科学が成功を収めることに変わりはなかったでしょう。というのも数学や科学が扱うのは事物そのものではなく、事物相互の関係性だからです。

こうした科学への信頼は、人類の歴史を通して終始一貫しているといえます。たとえば古代人が槍を持って獲物を仕留めようとしているとき、彼の念頭にあるのは狩猟の成功を保証してくれる呪術的力の存在かも知れません。そして実際に狩猟が成功した暁には、成功の「原因」をこの呪術的力に結び付けようとさえするでしょう。しかし古代人の思考が非科学的だったからといって、その行動まで非科学的だったということにはなりません。

仮に彼の一挙手一投足が物理的法則を無視したものであったとしたら、槍が獲物に命中するのは全くの運頼みということになっていたでしょう。現実にはそんなことはあり得ない以上、古代人も何らかの物理的法則や学問となる以前の自然な幾何学に依拠していたことになります。ただそれは認識として口にされることはなく、意識に上る前に実行に移されます。科学は認識である前に何よりもまず行動原理なのです。こうした行動原理はどんな信念もしくは迷信よりも強固なものであり、科学というより因果律と呼ぶ方が適当です。人間は生まれながらにしてこの因果性への信仰に浸されているといえるでしょう。

科学が物質を支配し、物質の機械化を極限まで進めてくれたおかげで、現代人は古代人の思いもよらないような便利な生活を享受し、行動範囲を宇宙にまで拡張しようとしています。現代人は科学や科学技術に負うものが大きい分だけ、古代人よりむしろ科学への信仰に毒されているということもできるかもしれません。

科学への間違った信仰は科学自身を害するばかりでなく、形而上学をも害するとベルグソンはいいます。科学への間違った信仰とは、科学が実在の全体の認識であると錯覚することです。仮に科学が扱うのが実在の全体であるなら、科学の認識より先へ進もうとするのは意味のない妄想でしかありません。その場合、芸術や文学・哲学・心理学など科学以外のものはすべて科学の亜流か地位の低い派生物ということになるでしょう。哲学がいくらえらそうなことを言っても、それはせいぜい科学的認識の出来の悪い翻訳に過ぎないことになります。

実際に科学が扱うのは実在の全体ではなく、物質と呼ばれる対象です。対象を物質に限定する限りにおいて科学的認識は絶対的であり、正確さと客観性を獲得することができるのです。

逆に科学の方法論で物質以外の対象を扱おうとするのは、もはや科学的態度とはいえません。それはせいぜい擬似科学と擬似形而上学を生み出すことができるだけです。物質以外の対象を認識するためには、知性とは逆向きの努力、知性の傾向に逆らって進む努力が必要です。この努力は長続きはせず、それが示すことができるのはせいぜい一つの方向性だけです。したがってそれは科学のような客観性を一挙に獲得することはできず、いくつかの方向性、いくつかの事実の系列を伸ばすことによって、それらが収束するであろう一点を仮説として導き出せるに過ぎません。それは客観的な事実とはいえず、蓋然的な事実と呼ぶべきものでしょう。しかし蓋然性を一つ一つ積み重ねていけば徐々に確実性が高まり、事実の系列が多くなればなるほど限りなく客観性に近づいていくことが可能です。哲学とはこの蓋然性を漸進的に高めていく努力以外のものではない、とベルグソンはいいます。それは一人の哲学者の体系で完結するものではなく、多くの哲学者の追加と修正を経ながら徐々に確実性を高めていく世代を超えた共同作業です。

不断に改変され修正されなければならないのは科学の場合も同様です。それは最初あまりにも物質の空間性を強調しすぎ、あまりにも明晰すぎるからです。科学と哲学は途中で袂を分かつにしても経験から出発する点では同じであり、最初の経験に復帰することによって得られた成果を相互に検証し合うことが可能です。

こういう考えのもとになっているのは、物質は空間の中に完全に拡がりきってはおらず、心理的なものも空間と無縁ではない、という「物質と記憶」(1896)で呈示された仮説です。物質は心的なものが弛緩し拡がりを獲得することによって生じ、心的なものはこの弛緩が収縮したものであるとするこの仮説は、物質が持続と無縁なものではないとする点で、科学の呈示する原子論とは相容れないものでした。当時物質を構成する原子は未だ自足した存在と思われていたからです。常識的に考えても、物質がある種の超心理的な存在であるというのは俄かに受け入れがたい仮説でしょう。

ところがベルグソンの仮説と歩調を合わせるかのように、20世紀に入ると物理学の急激な革新が起こり、それまで信じられていた原子論もその土台が大きく揺らいできます。革新の幕開けを告げたのはプランクの法則の発見でした。これはのちに量子力学へと発展していくのですが、1905年、量子力学に先立って物理学を変革する画期的な理論が現れます。アインシュタインの(特殊)相対性理論です。

ベルグソンは自身の持続の概念と相対性理論における時空の概念が矛盾しないことを示すため「持続と同時性」を発表しますが、相対性理論に対する誤解が含まれていたとして著者自身により絶版とされます。それから数十年後、この問題を検討し直そうとする試みがなされます。それが「新潮」に56回にわたって連載され、未完に終わった小林秀雄の「感想」です。

     *

僕がこの「感想」の掲載された「新潮」を初めて手に取ったのは、大学生の頃、古本屋巡りをしていたときでした。「感想」は著者の意向により単行本になることもなく、全集に収録されることもなかったため、読もうと思えば連載されていた昭和33年頃の「新潮」を入手するしかありませんでした。「感想」という幻の作品の存在を知った僕は古本屋街を捜し歩き、ようやく一軒の古本屋で二、三冊の古びた雑誌を発見したのです。その後手を尽くして全56回分のコピーを手に入れ、袋とじにして自分用の冊子まで作りました。そうまでして手に入れたのに当時は熟読するまでには至らず、ところどころ拾い読みしただけでした。

そんなわけで「感想」が全集に収録されたときは感慨も一入で、発売されるとすぐに買いに行かずにはいられませんでした。

その時もひと通り通読はしたものの熟読したというには程遠く、その後仕事の忙しさにかまけてほったらかしの状態になっていました。ところが最近になってベルグソンの本を読み返しているうちに「感想」をもう一度読みたくなり、今度こそ本腰を入れて読み直すことにしたのです。停電の夜に読んでいた読みかけの本というのはこの「感想」のことです。

「感想」は未完の上に著者によって出版を禁止されたという点で、特異な作品といえます。またこれは事実上ベルグソン論であるには違いないにしても、タイトルからもわかるように、当初からベルグソン論として書き始められたものではありません。ある一つの逸話を語るうちに、たまたまベルグソンに話題が及び、筆が滑った勢いでそのままベルグソン論に突入していった、というような趣きの文章です。もっとも著者が「道徳の宗教の二源泉」を読み返していたという事実からも、ベルグソンが当時の著者の頭を占めていたのは間違いないところでしょう。

こういう形でベルグソン論が書き始められたのは、若い頃から著者がベルグソンの哲学に親しみ、著者の思考の血肉となっていたことと無関係ではないと思われます。著者にとってベルグソンの思想はあまりに身近で、そのためわざわざベルグソンを論じる必要を感じなかったんじゃないでしょうか。ところが一旦書き始められたベルグソン論の連載は5年にも及び、終盤で現代物理学の諸問題が論じられたあと、力尽きたように連載が中断され、ついには未完となってしまいます。

もっとも小林秀雄の作品で未完に終わったのは「感想」だけではなく、ドストエフスキーの作品論も未完ですし、遺稿となった「正宗白鳥の作について」も結果的に未完となりました。このうち外的な事情により未完となった「正宗白鳥の作について」は除外するとして、完成されていれば最重要作の一つと目されていたであろう作品が二つも未完に終わっているのは単なる偶然ではないと思われます。

未完に終わらざるを得なかった要因の一つは、「感想」でも触れられているベルグソンの信念、「哲学者には本を書く義務があるわけではない」という逆説的な信条でしょう。ある一つの問題はそれ自身のために解かれる必要があるのであって、そこから得られた結論を安易に別の問題に適用してはならない、とベルグソンはいいます。「真の重大問題は、解決される時にしか決して提出されない」というのはそういう意味です。問題を解いてもいないのに別の問題の結論を敷衍することによって何となく解けたように錯覚することは厳に慎まなければならない、という極度に禁欲的な姿勢がここには見られます。

「感想」やドストエフスキー論が未完のまま終わったのも、著者にはこれらの作品を通して自分が正しいと信じられる答えが見つけられなかったからです。では著者の理解の妨げとなり、解決を断念させたものとは一体何だったのでしょうか。

ドストエフスキー論の場合にはそれはキリスト教であり、「感想」の場合にはそれは現代物理学ではなかったかと思われます。「感想」の終盤には相対性理論を論じた「持続と同時性」についていずれ触れなければならない、と書かれており、この問題を取り上げる心積もりがあったことがわかります。しかしその後結局この問題は取り上げられることなく、わずかに相対性理論の一般的な性格が示されただけでした。

著者自身は「感想」が未完に終わったことについて、だいたいの見当はついたが、無学を乗り越えることができなかった、と語っています(数学者・岡潔との対談「人間の建設」)。無学とは物理学に対する無学であり、自説を本業の物理学者をも首肯させられるだけの論述にまで彫琢することができなかったという意味でしょう。

こうした事情とは別に、連載が進むにつれ極度の緊張と集中から著者の肉体が悲鳴が上げ、執筆の断念を余儀なくされたという現実的な側面もあります。ベルグソンは哲学を坂道を上る努力にたとえていますが、実際それは高みに登れば登るほど一歩を踏み出す困難が増す作業となり、苦痛を伴う作業となります。登攀の中断は下山することと同義であり、再び同じ高みに登るためにはもう一度振り出しからやり直さなければなりません。「感想」が未完に終わった背景には、振り出しからやり直すにはあまりに危険が大きすぎるという判断もあったのではないでしょうか。

僕の勝手な想像ですが、著者は連載が中断した時点でまだ五合目までも上っていないと感じていたのではないかと推察します。そうでなければ、5年間にもわたった連載をあんなにあっさりと放棄できたはずがありません。

「感想」執筆時に限らず、著者は創作上の呻吟がそのまま肉体的苦痛に結びつくことが少なくなかったといいます。特に「感想」執筆時のそれは、「物質と記憶」執筆時のベルグソンの逸話を思い起こさせます。

「感想」でも紹介されているシュヴァリエの思い出によれば、「意識に直接与えられているものについての試論」を書き終えたベルグソンはすぐさま次の著作のための準備に入り、数年間を費やして「物質と記憶」を書き終えると放心状態に陥り、不眠症に悩まされるようになったといいます。これを克服すべくベルグソンは休暇をとってアンチーブに旅し、注意力の再教育を自分に課して日常生活への復帰を果たします。

この逸話を記しながら、小林秀雄はわが身のことを思い浮かべていたんじゃないでしょうか。この逸話は、非凡な着想を得るのは一瞬でも、それが生まれるためには数年、数十年単位の探求が必要であること、場合によっては次の世代に引き継がれる必要さえあること、を物語っています。

緊張と集中こそ自分の方法を特徴づけるものであり、直観とは反省のことだとベルグソンは述べています。したがって直観はカンやひらめきといったものでないのはもちろん、一定の手順を表すものでもありません。それはきわめて複雑な精神活動の総体であり、強いて言えば芸術における創作活動に比せられるものです。

直観は定義困難なものであるがゆえに、それは最初常に誤解にさらされ、議論においても劣勢に立たされます。既成の概念を寄せ集めた既成の意見のほうが耳に馴染みやすく、一見明晰に見えるからです。通常ある意見には反対意見が対立させられますが、反対意見も既成の概念の組み替えである限り、両者には見た目ほどの違いはありません。むしろそれらはお互いの足りないところを補い合い支え合っているのです。

既成の概念を組み合わせれば大した苦労もなく尤もらしい意見が得られるのに対して、直観を得るためには多大な努力が必要です。しかも多大な努力を払ったにもかかわらず、それに見合った明証性をすぐには手に入れることができません。新しく手に入れた観念を既成の概念で表現するわけにはいかず、それを伝えるためにはイメージを喚起するという迂遠な方法をとらざるを得ないからです。

実際ベルグソンの著作には要所要所に様々なイメージがちりばめられていますが、それらは安易な比喩を狙ったものではありません。ベルグソンのイメージはメタファーという言葉の語源的な意味、ある表現を別の場所へそのまま移動させるいう意味での比喩的表現として使われているのではなく、対象を直かに指し示すものとして使われている、と小林秀雄は指摘しています。形而上学の領域においてはいわゆる科学的・抽象的言語よりもむしろイメージで語るほうが正確で、抽象的言語のほうがかえって比喩に堕しやすいともいえます。なぜなら抽象的言語は物質や物質の性質を指し示すものであるのに、それをそのまま精神に当てはめても精神の模造物しか得られないからです。対象を正確に指し示すためには、概念とイメージを適宜使い分ける必要があります。

概念がたて糸となり、イメージがよこ糸となって紡がれているのがベルグソンの文体の特徴であり(「感想」)、彼の哲学の正確さと厳密さもここから来ています。そこでは定義の曖昧な哲学用語の使用は極力避けられ、日常的な用語の使用による表現の明確化が目指されています。ややもすると哲学が陥りがちな晦渋さは、その複雑さよりも多くの場合その曖昧さに由来しています。

したがって直観の働きはそうした曖昧さを排除すること、対象と表現との間にできた隙間を排除することにまず現れます。直観の持つこの否定の力をベルグソンはソクラテスのデモンにたとえています。デモンはソクラテスに何かをせよと命ずることはなく、常に何かをしてはならないという禁止の力として現れます。同様に直観も哲学者の耳元にそれは間違いだ、あり得ないと囁きかけるのです。

ベルグソンの哲学はしばしばオプティミスティックと評され、肯定的な面ばかりに注目が集まりがちですが、それは直観の陰に否定の力が隠れてしまったからです。ベルグソンの哲学はニーチェでさえ不徹底と思われるほどの徹底した否定に貫かれています。

しかし直観がいくら自由ほど明白な事実はないと訴えても、議論においてはいとも簡単に決定論者に言い負かされてしまうでしょう。身の回りには自由という事実を否定する材料に事欠かないからです。科学、言語、常識がこぞって決定論者に味方します。知性の全体が築き上げたこの蜃気楼を突き崩すのは容易ではありません。

では当初胡散臭い目で見られる直観はどうやって自身の正当性を人々に認知させるのでしょうか。それは問題を実際に解決することによって、あるいはむしろ問題を解消することによってです。問題の中に入り込むことによって直観は問題自体の持つ知的性格を内部に取り込み、知性化された直観は自己を明瞭化するとともに、問題そのものを消滅させます。解決不可能と思われていた問題は実は知性の生み出した幻影に過ぎないことを、直観は知性自身に気づかせるのです。

(つづく)