少し前から「かちどき」をバージョンアップすべく準備を進めていたのですが、どうせならOTEditの不具合が解消されるのを待ってからにしようと思い公開を保留していました。が、先日OTEditがバージョンアップされたものの、以前指摘したバグは修正されていませんでした。このへんが潮時と判断し、「かちどき」の新バージョンを公開することにしました。
新バージョンといっても、パスの不具合を解消し一部のウェイトの濁点を修正しただけなので、見た目の変化はほとんどありません。すでに「かちどき」を使用されている方はご面倒ですが新バージョンのものと入れ替えてくださるようお願いします。
フォントデータを差し替えた時に「かちどき」のダウンロード数を確認してみると、1500ほどでした。えっ、1500? 以前ダウンロード数5000と書いたことがありましたが、どうやら一桁見間違えていたようです。500と5000を間違えるなんてよっぽど舞い上がっていたんでしょう。
現在「かちどき」につづく新フォントも完成に近い状態にあります。ただこれに関してはOTEditのバグの影響をもろに受けるため、このバグが修正されない限り公開できません。今回のバージョンアップで修正されなかったということは、やはり修正は難しいのでしょうか。
と、書いているうちに思いついたのですが、逆にバグの影響を受けないようにパスを描き直せばいいんじゃないかと閃きました。いやいや、今頃になって気づくのはむしろ遅すぎです。どうしてもっと早い段階で気づかなかったんでしょう。
具体的には「の」の頂点にポイントを一つ追加して、ハンドルが水平になるようにすればよいのです。こんな簡単なことに気づかないとは、我ながら思考が硬直していたというほかありません。
そんなわけであまり遠くない将来に新フォントも公開できるんじゃないかと思います。まあそれはいいとして、こんな形でフォントを公開することに一体どれだけの意味があるんだろうか、と我ながら疑問に思うこともあります。現在はモリサワパスポートやフォントワークスのLETSなど年単位での契約が主流となり、その中からよりどりみどりのフォントを選んで使用することが可能です。よほどのことがない限り、名の知れないマイナーなフォントは使ってみようという気すら起きないのが普通でしょう。
では僕みたいな人間がフォント制作の動機をどこに求めるか、ということになると、結局自己満足ということに尽きます。自己満足という言葉は否定的な意味でしか使われることはありませんが、自分で満足できるんならこんな結構なことはないじゃないか、と常々僕は思っています。一生に一度くらいは自己満足のできることを成し遂げてみたいものです。
新バージョンといっても、パスの不具合を解消し一部のウェイトの濁点を修正しただけなので、見た目の変化はほとんどありません。すでに「かちどき」を使用されている方はご面倒ですが新バージョンのものと入れ替えてくださるようお願いします。
フォントデータを差し替えた時に「かちどき」のダウンロード数を確認してみると、1500ほどでした。えっ、1500? 以前ダウンロード数5000と書いたことがありましたが、どうやら一桁見間違えていたようです。500と5000を間違えるなんてよっぽど舞い上がっていたんでしょう。
現在「かちどき」につづく新フォントも完成に近い状態にあります。ただこれに関してはOTEditのバグの影響をもろに受けるため、このバグが修正されない限り公開できません。今回のバージョンアップで修正されなかったということは、やはり修正は難しいのでしょうか。
と、書いているうちに思いついたのですが、逆にバグの影響を受けないようにパスを描き直せばいいんじゃないかと閃きました。いやいや、今頃になって気づくのはむしろ遅すぎです。どうしてもっと早い段階で気づかなかったんでしょう。
具体的には「の」の頂点にポイントを一つ追加して、ハンドルが水平になるようにすればよいのです。こんな簡単なことに気づかないとは、我ながら思考が硬直していたというほかありません。
そんなわけであまり遠くない将来に新フォントも公開できるんじゃないかと思います。まあそれはいいとして、こんな形でフォントを公開することに一体どれだけの意味があるんだろうか、と我ながら疑問に思うこともあります。現在はモリサワパスポートやフォントワークスのLETSなど年単位での契約が主流となり、その中からよりどりみどりのフォントを選んで使用することが可能です。よほどのことがない限り、名の知れないマイナーなフォントは使ってみようという気すら起きないのが普通でしょう。
では僕みたいな人間がフォント制作の動機をどこに求めるか、ということになると、結局自己満足ということに尽きます。自己満足という言葉は否定的な意味でしか使われることはありませんが、自分で満足できるんならこんな結構なことはないじゃないか、と常々僕は思っています。一生に一度くらいは自己満足のできることを成し遂げてみたいものです。