画竜点睛

素人の手すさびで作ったフォントを紹介するブログです

精興社明朝その後

2010-10-07 | 雑談
前回精興社明朝について思いがけない発見をしたので、もうちょっと調査の範囲を拡げてみました。
ただし割ける時間は限られていますし、ある意味こんなどうでもいいようなことを徹底して調べてみようと思うほど僕も酔狂ではありません。
ささやかながらその後わかったことを簡明に記すだけです。

まずデジタルフォント化された現在の精興社明朝に使用されている漢字についてですが、これは今もってはっきりとはわかりません。
もともと漢字は、仮名に比べて差が見分けづらいという事情がある上に、同じ文章同士で比較することができません。たとえば精興社明朝で組まれているAという本に出てきた「外」という漢字と、イワタ明朝体オールドで組まれているBという本に出てくる「外」という漢字を比較しようと思っても、想像以上に当該漢字を探すのには骨が折れるのです。ようやく同じ漢字を見つけたと思っても、その漢字がよほど特徴を持ったものでない限り、二つの漢字を同じものだとは断定できません。逆に決定的な違いが見つかった時点でそれらは別のものだと断定できるのですが、現在のところそのような違いも見つかっていません。むしろ比較する漢字が増えれば増えるほど、それらは同じものであるように思えてきます。このことからおそらく精興社明朝の漢字とイワタ明朝体オールドの漢字は同じものなんじゃないかなあ、とはなはだ不確かながらひとまず結論づけておくことにします。

……と、ここまで書いてきて、ふと思いつき、精興社のホームページを検索で探して訪ねてみました。もしや、という期待通り、そこでは書体見本がPDFで閲覧できるようになっていました。これをイワタ明朝体オールドの書体見本と比較し、同じ漢字がないか探してみます。すると、ありました。両方に出てくる同じ漢字が。それは「位」という文字です。拡大して比較すると一目瞭然、それらは明らかに別物でした。では、先ほどの結論は間違っていたのか? 本当にこれが真相なのか?

性急にこの結論に飛びつくことができないのは、のちほど述べようと思っている事情が僕の中で引っかかっているからです。結論を急ぐ前に、まず「ミステリーランド」に出てくる「位」という字がたしかにPDFの見本と違っているかを確認してみなければなりません。というのも、PDFで比較する以前は、ずっとこの本を比較の一方の対象としていたのですから。

いざ探すとなると、なかなか見つからないものです。「神様ゲーム」をいくら探しても見当たらなかったので、次に「くらのかみ」に移りました。しかしざっと見渡したところありそうな気配がないので「くらのかみ」は早々に諦め、もう読むこともあるまいと仕舞っておいた「怪盗グリフィン絶体絶命」を引っ張り出しました。「ミステリーランド」シリーズはせいぜい数冊しか持っていないので、これも駄目となると探すこと自体を諦める覚悟をしなくてはならなくなります。半ば投げやりな気持ちで数ページぺらぺらめくっていると、あっさりと見つかりました。恩に着ます、法月さん。

結論をいうと、「ミステリーランド」で使われている精興社明朝の漢字はイワタ明朝体オールドではありませんでした。同じものであってほしいという願望が働いたせいか、最初はどちらとも判断がつきませんでした。同じもののようにも見えるし、別のもののようにも思える。決定的に違っていたのは、人偏の縦棒でした。「ミステリーランド」の精興社明朝には縦棒にウロコがないのに、イワタ明朝体オールドの縦棒にはウロコがあります。両者はまったくの別物なのです。

そして驚いたことに、精興社のホームページにある書体見本の「位」の縦棒にもウロコがあるのです。えっ、どいうこと? 精興社の書体見本にある漢字でもイワタ明朝体オールドの書体見本にある漢字でもないとすれば、「ミステリーランド」で使われている精興社明朝の漢字の正体は一体何なんだ?

さすがにこれ以上捜索をつづける気は起こりませんが、これで一つはっきりしたことがあります。
それは一口に精興社明朝といっても漢字やルビは常に同じものが使われているとは限らない、ということです。そしてこれこそ、先ほど僕がほのめかしておいた事実でもあるのです。

この事実を、僕は活版で組まれた昔の本を何冊か見返しているうちに発見しました。というか、とっくの昔に気づいていて然るべきことだったのですが、わざわざ着目するまでもないことだけに意識にのぼらなかったのです。

先日の夜、精興社明朝のことが頭の片隅に残っていたせいもあり、何の気なしに本棚から昭和48年発行の新潮社から出ている三島由紀夫全集の一巻を抜き出してぱらぱらと本をめくってみました。「活版のときには漢字が仮名よりもいくぶん太かった」という話を聞いて違和感を覚えなかったのは、おそらくこの本(とその他何冊かの本)のことが念頭にあったからでしょう。昔古本屋で購入したこの全集で使われている精興社明朝は、たしかに漢字が仮名よりかなり太く、清冽な強い印象を与えます。繊細で筆の運びの隅々にまで神経の行き届いた仮名と、墨痕を思わせるような力強い漢字との対比が、ページにそういった表情とリズムを与えるのです。ところがしばらく文字を追っているうちに、ふと違和感を覚えました。違和感と同時にフラッシュバックのように記憶がよみがえり、その記憶を確かめるべく一冊の本を手に取りました。メルロー・ポンティという哲学者の「眼と精神」という本です。そして記憶に間違いのなかったことを確かめ、次に手当たり次第に思いつく本を開いてみました。

そう、「眼と精神」で使われている精興社明朝の漢字は、三島由紀夫全集のようには太くはありませんでした。そのことを思い出したのです。それから何冊か調べた結果、活版時代の精興社明朝の漢字にはやはり少なくとも二つのバージョン(ウェイト)があることがわかりました。

最初この違いは、正字正仮名の組版と新字新仮名の組版に対応しているのかなと考えました。三島由紀夫全集が正字正仮名であるのに対し、「眼と精神」は新字新仮名で組まれているからです。ところが調べてみると、一概にそうとも言えません。たとえばヴァレリー全集の一巻「詩集」は正字正仮名であるにもかかわらず漢字と仮名の太さに差がないように見えるし、レヴィ・ストロースの「今日のトーテミズム」は新字新仮名であるにもかかわらず漢字のほうが明らかに太く見えます。このことからも正字と新字対応説は却下せざるをえません。

二つを見比べているうちに、もしかすると漢字の太さに差があるのではなくて、仮名の太さのほうに差があるのだろうか、あるいは印圧によってこの違いが生じているのだろうか、というまったく別の疑いも生じてきました。なにしろ肉眼で観察するほかに検証する方法がない以上、はっきりした結論を出すことができないのです。しかしいずれにせよ、活版時代の精興社明朝には二つ(かそれ以上)のバージョンが存在することはまず間違いありません。

デジタルフォントとは違い、活版はサイズに応じて必要な数だけの活字を揃えなければなりません。このことからも、複数のバージョンが存在する可能性にもっと早く思い至るべきでした。

実はデジタルフォント化された精興社明朝の漢字にも、太いバージョンが存在することに今回気づきました。
平成になって全面刷新された新潮社の小林秀雄全集、これが精興社明朝で組まれているのですが、ここで使用されている漢字が明らかに「ミステリーランド」シリーズのものに比べて太いのです。したがって精興社明朝はデジタルフォント化されたことによって一律に漢字が細くなったのではなく、活版時代と同じようにいくつかのバリエーションがあるらしい、といえるでしょう。

さらに付け加えるならば、デジタルフォント化されて以降、仮名にも改良の跡が見られます。僕が気づいただけでも、たとえば「ろ」の大きさが変更されていますし、「ひ」の字形に若干修正が施されているように見えます。これらの変更は、オリジナルの仮名により近づけるために加えられたものと見て差し支えないでしょう。僕が気づいたもののほかにも修正の施された仮名があったとしても不思議ではありません。

最後にルビについて簡単に触れておきましょう。

といっても前回述べたこと以上のことは、今もわかっていません。
「ミステリーランド」のルビがヒラギノのルビ用フォントかと述べている件りがありますが、あれはオープンタイプフォントのルビ用字形を指すつもりで書いたのです。ところが調べたところ、偶然にも「ヒラギノ明朝体ルビ用仮名」なるものが存在することを知りました。しかしそれがいかなるものかを知るためには実際にフォントを購入するしかなく、お金を払ってまで知りたいことでもないので、この件はとりあえず諦めました。ただ一つ、「ミステリーランド」のルビがヒラギノのルビ用字形ではないことまでは判明しました。

それとこれは今回の調査の過程で偶然わかったことなのですが、精興社の書体見本で使用されているルビはごくごく当たり前に精興社明朝の仮名でした。したがって「ミステリーランド」でルビに正体のわからない仮名が使われていたり、別の本でモトヤ明朝が使われていたりするのは、やはりデザイナーか編集者か、さもなくば組版責任者かオペレーターの設計によるものらしいということがわかりました。これ以上のことを知る手立ては今のところ見つからないので、最初の憶測がある程度裏書されたことだけでも満足することとします。

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