画竜点睛

素人の手すさびで作ったフォントを紹介するブログです

続々・どうでもいい話

2011-09-18 | 雑談
先日、200ページ足らずの本が校了になり、PDFを印刷会社に下版しました。

最初に話があったのが半年近く前のことで、知り合いのもとに或る大学関係者の遺族の方から遺稿を本にしたいという相談があり、その組版の仕事が僕のところに回ってきたのです。

それから何週間かして、原稿が揃ったということで打ち合わせかたがたその知り合いと喫茶店で会うことになりました。本の構成などについて簡単な説明を受けたのち、手書きの原稿のほかにデータの入ったUSBメモリ、口絵に入れる数十枚の写真を渡されました。

その時点ではまだ判型も決まっておらず、全体のページ数も全く読めませんでした。とりあえずこちらで叩き台を作り、相手方の意向とすり合わせながら徐々に形にしていくしかありませんでした。

写真のスキャニングは後回しにすることにして、最初に手書き原稿の入力を片付けることにします。原稿用紙数十枚分を入力した後それぞれ判型と本文サイズを変えた2種類のものを作成し、どちらかよい方を選んでもらうようにしました。

数日のうちには何らかの返答があるものと思っていたのですが、3日経ち、4日経っても返答は返ってきませんでした。どうやら家族の間でもいろいろ意見が分かれているらしく、意向を一本にまとめられないのだそうです。それから数日後、ようやく返答が返ってきたと思ったら、本文はもう少しゆったりめに組んでほしい、版型は規格サイズに拘らないのでもう少し大きめにしてほしい、ただしあまり大きすぎても困る、という何とも煮え切らない要望を伝えられました。

実は返事が来る前に写真のスキャニングを終え、口絵の大まかなレイアウト作業も始めていたのですが、これですべてご破算です。

これとは別にデータの一部が一太郎で作られており、僕の環境では開くことができなかったので、印刷会社にPDFにしてもらうよう依頼してありました。版型はそれも参照して決めなければならないので、印刷会社からPDFが出来上がってくるまでは作業を中断せざるを得ません。そんなわけで最初と同じように版型の違う2パターンの見本を提出し、何とか了解を得ることができたのは原稿をもらってから1ヶ月近くも経った頃でした。

その後も写真を追加したい、原稿を追加したいという連絡が何度か入り、全ページを組み上げて校正に出したのはそれからさらに半月ほど後でした。

まあこういうチグハグなことはよくあることなので、そのたびごとに腹を立てていたのでは身が持ちません。他の仕事が忙しかったこともあり、1週間もするとこの本のことはすっかり念頭から消えていました。

しかし数週間全く音沙汰がない状態が続くと、そういえばあの本は一体どうなったんだと、さすがに気になってきます。ついでの折に知り合いに聞いたところ、こちらにも連絡がないのでもうしばらくかかるんじゃないかという曖昧な返事が返ってくるばかりでした。

それからほどなくして、初校が戻ってきたという連絡が入りました。赤字は大したことはないが、またまた追加の写真と原稿が入るという話を聞き、ややげんなりした気分で電話を切りました。

翌日待ち合わせの喫茶店に行くと、ろくに説明も受けないまま校正紙と追加の写真・原稿を目の前に差し出されました。これまで校正紙は数限りなく見てきたわけですが、見る前に答案用紙を返されるときのような緊張を覚えるのはいつになっても変らないものです。しかしそのときは校正紙よりもむしろ追加の写真のほうが気になり、真っ先に写真の入った封筒の中を検めてみると、結構な枚数があったので思わず顔をしかめました。この様子だと口絵はほぼ全面的にやり直す必要がありそうです。

校正紙の方もぱらぱらめくってみると、追い討ちをかけるように写真の入れ替えの指示が何箇所か入っているではありませんか。それなら最初から順番を決めといてくれよと泣き言のひとつもいいたくなります。

しかしいつまでも愚痴っていても仕方ありません。家に帰り着く頃にはすっかり興奮も収まり、何事もなかったかのように平静さを取り戻していました。気持ちの切り替えというか諦めが早くなったのはそれだけ年をとった証拠でしょう。

口絵以外の赤字は実際大したことがなかったので、先にこちらの修正作業を済ませることにします。その後追加原稿を入力して本文に組み入れたところでその日の作業は終了し、口絵の修正は次の日に回すことにしました。

翌日追加写真を目の前に並べ、モニタと校正紙と写真を交互に見比べてみます。が、校正紙に書き込まれた指示が曖昧なので一見してどこにどの写真が入るのかよくわからず、完成したジグソーパズルを足で蹴っ飛ばされてしまったかのような気分で頭を抱えました。

こういうときはともかくやれることを一つ一つやっていくしかありません。ひとまず追加された写真をすべてスキャニングし、それらをコンタクトシートのように別のドキュメントに配置した上で、一枚ずつ切り取ってしかるべきページのしかるべき場所にパズルのピースのようにはめ込んでいきました。

ところがページに一枚写真を追加すると、当然もともとあった一枚がページから弾き出されます。弾き出されたものはさしあたりペーストボードにどけて作業をしていたのですが、そのうちあぶれた写真がどんどん増えてきてどの写真をどのページに配置すべきか、何ページ増やしたらいいのか判断のつかない状態になってきました。今度は自分でジグソーパズルを引っくり返したい気分です。

二進も三進もいかなくなったので、思い切ってそれまでやったきた作業をすべてご破算にすることにしました。つまりページやレイアウトは一切無視して、最初に写真を分類することだけに集中したのです。分類ごとにまとめた写真を各ページに均等に割り振り、レイアウトは一からやり直すことにしました。

これによって原形は跡形もなく消え去ったものの、あとはレイアウトにのみ神経を集中することができます。要は新規に作業をするのと変わらない結果になったわけですが、迷いがなくなった分作業は比較的順調に進みました。

2、3日ですべての修正作業を終え、そのあとどうしたのか実ははっきりと覚えていません。表紙の制作に取り掛かったことは間違いないのですが、本文の校正だけ先に出して表紙はそれと別進行にしたのか、表紙が出来上がるのを待って本文と一緒に校正に出したのか、そのへんの前後関係がよく思い出せないのです。仕事がいくつか同時進行していたので記憶が紛れてしまったのでしょう。

いずれにしてもこうして2回目の校正を出し、校了がそう遠くないことを信じつつ再校が戻ってくるのを待ちました。ところが再校が返ってくるまでにまたしても1ヶ月近い期間を要したのです。

さすがに今回は訂正はほとんどなく、返ってくるのにどうしてこんなに時間がかかったのかと首をひねるような赤字の量でした。半日ほどで修正を終わらせ、修正が終わったけどこのあとどうするんだと知り合いに問い合わせたところ、オンデマンド印刷で仮本を作り最終校正をしてもらうのだといいます。ついては印刷会社にPDFを送ってくれと頼まれました。

ただし印刷会社もすぐには印刷に取り掛かれないので、急ぐ必要はないとのこと。それでこの機会に僕もひと通り本文に目を通しておくことにしました。というのも相手方の校正がどうも頼りないとかねてから感じていたからです。

案の定、明らかに誤字・脱字と思われるところが何箇所か見つかりました。こちらで気づいたところを校正紙に書き入れ、その旨伝えたうえで仮本と一緒に送ってもらうことにしました。

印刷会社にPDFを送ったあとはこれでもうこの仕事は終わったも同然という気持ちになっていましたが、その後もちょっとした文字の修正や表紙・口絵の色の修正が何度か入りました。しかしレイアウトのやり直しに比べればこの程度の修正は楽なものです。

そしていよいよ校了となり、写真や原稿をすべて返却することになりました。これでこちらのやることはすべて終わり、あとは印刷が出来上がるのを待つばかりです。

     *

それからしばらくして、別の件で電話があり、そういえばこの前写真を返してもらったけどUSBメモリはまだ返してもらってないんじゃないかと言われました。そう言われても僕にはピンと来ず、USBメモリを渡されたことすらすっかり忘れていました。最初に原稿を渡された日から半年も経っているのですからそれも無理からぬことでしょう。

受話器を持ったまま一応デスクの上を捜してみたものの、内心そんなものは残っている筈がないとはなから決めてかかっていました。まるで記憶にないのだから当然です。CD-Rのケースを持ち上げたり書類や封筒の束をめくったりしながら、何故僕がこんなことをしなきゃいけないんだと、身に覚えのない濡れ衣を着せられたかのように軽い憤りさえ覚えました。

ひと通りデスク周りを捜してみましたが、結局USBメモリは見つかりませんでした。自信をもってこちらにないと断言はできないものの、実際に現物が見つからなかったこと、自分の記憶にも全く残っていないことから、もともとそんなものは存在しなかったか写真と一緒に返却したに違いないと都合よく解釈し、先方の勘違いじゃないの、と言って電話を切りました。

その件はそれですぐに忘れてしまったのですが、それから一週間ほどして電話で話した折、またしてもUSBメモリのことを持ち出されました。先方に聞いてもないというのです。いい加減にしろよと思いつつ、そういわれると不安を拭いきれないので会話を続けながら視線をデスクの上にさ迷わせ、空いたほうの手でデスクの上のものを引っ掻き回しました。

デスクの上は雑然としていて、Mac本体、モニタ、キーボード、マウス、外付けのハードディスク2台のほかに、名刺やら進行中の仕事で使う写真、クリップ、ボールペンなどがキーボードとモニタの間のよく目に付くスペースに吹き溜まりのごとく散乱しています。USBメモリを置くとすればこのスペースが一番可能性が高いので、そこを重点的に捜しました。当然そこは前回すでに捜索済みなのですが 、ほかに思い当たる場所がないのです。

真っ先に目に付くのは一枚の写真、それから何かの空き箱、眼鏡、ボールペン、ピンセット、以前仕事で作った案内葉書、などです。何かの下に隠れているにしても遮蔽物となりそうなものは写真と葉書くらいしかなく、それをどければあとは物を隠すものは何もありません。それらを一つ一つ点呼するように目でチェックし、USBメモリがないのをしっかりと確認しました。やはりこちらには残っていないのです。

「ええと、捜したけどやっぱり見つからないね。じゃあ、また」

と言って受話器を置き、振り返った僕の視線がデスクの上のあるものを捉えたとき、しゃっくりをするように体が勝手に反応してくつくつと笑いが込み上げてきました。僕はその箱を手に取り、声を殺して笑いながら蓋を開けました。中を覗くと期待した通りのものが二本入っていました。

僕は箱を手にしたまま振り返り、今置いたばかりの受話器に手を伸ばしました。

「ジェノサイド」(4)

2011-09-07 | 雑談
「物質と記憶」発表の前年(1895)、ベルグソンは「良識と古典学習」と題された講演を行っています。これは10代の学生を対象とした講演で、死後刊行された「エクリ・エ・パロール」という小論集に収められています。半ば儀礼的な講演であるにもかかわらず、ベルグソンの考える良識(常識)というものがほぼ十全に分析されていると言っても過言ではありません。

一口に常識といっても肯定的に受け取られる場合もあれば、軽侮に近い扱いを受けることもあります。常識は生き物であり、他の多くの観念と同様、簡単に分析のできる単純な対象ではありません。ベルグソンがここで試みているのは、常識という対象の分析というよりも、常識という新しい観念の創造だといったほうが適切かも知れません。

ベルグソンが繰り返し注意を喚起しているところですが、人間の感覚は事物を正しく認識することを機能としているわけではありません。味が甘いか辛いか、熱いか冷たいか、明るいか暗いかといった区別は、人間という生物種に対する事物の有用性と危険度の指標であって、事物に対する認識の尺度を表しているわけではありません。感覚が向いているのは事物そのものではなく生活の方向で、事物から客観的性質を分離するためには科学的反省が必要です。それゆえ感覚はまず空間内における活動の指針となり、人間を適切な行動へと導くことを本分とします。社会が発達し、活動の軸足が社会生活へと移行するとともに、この新たな環境において指針となる感覚が徐々に涵養されていったと仮定してもおかしくはありません。この社会的感覚こそ常識だとベルグソンは考えます。その役割は本質的なものと付随的なものを区別し、最大の成果が得られる実現可能な方策を選択することにあります。

社会は存続のために必ずしも天才の存在を必要としませんが、常識がなければ忽ち立ち行かなくなるでしょう。日常生活の様々な困難な局面において天才のごとく振る舞い解決をもたらすもの、それが常識です。

問題を解決するためには議論は必要ありません。議論に身をゆだねることは既成の観念、あるいは出来合いの観念に身をゆだね、物事を評価したり相手を説得することを目的としたものであり、問題の解決とは何の関係もない行為だからです。常識は自発的、能動的に議論の隙間に入り込み、全く新たな視点から問題を捉えなおします。当然そこではあらかじめ用意されていた意見や解答は用を成しません。常に自前で問題を創造し、解答を発明すること、ここに常識の特徴があります。

問題を解く手際の良さ、決断の速さという点で、常識に似たものが自然界にも存在します。それは本能です。ただし本能が特定の問題にしか対応できないのに引き換え、常識は多様な手段を有し、様々な問題に柔軟に対応することが可能です。また常識は現実を尊重し、事実を重んじる点で科学と似た側面を持ちますが、追求する真理の種類が科学とは全く違います。科学が普遍的真理を目指し、いかなる経験的事実や推論の帰結もゆるがせにしないのに対して、常識は現在の真理を目指します。科学があらゆる影響を等しく考慮に入れ、様々な原理からの演繹を極限まで推し進めるのに比べ、常識は瑣末な影響は大胆に切り捨て、原理を最後まで展開することもしません。なぜなら常識が相手にしている現実にとって論理はあまりにも大雑把過ぎるかあまりにも精密すぎ、論理を推し進めることによって却って現実を捻じ曲げてしまうこともあるからです。外面的な特徴からは常識は本能と科学との中間に位置づけられるものですが、本質的な面からいえば常識は生活に向けられた注意といえるでしょう。

常識が現実に即して働くからといって、それが保守的なものだと判断するのは誤りです。常識は変化を好み、思考を通してよりもむしろ行動を通して現れます。しかし変化を好むといっても実現の見込みのない変革に期待するほど、常識は自分の力を過信しているわけではありません。自由は必然性のうちに根を下ろし、必然性と緊密に絡み合ったものであり、無制限な自由などというものは言葉の上の存在に過ぎないことをわきまえているからです。生命が物質を同化しながら必然性の網の目をくぐり抜けるように、常識は障害物を自分のうちに取り込み、それを梃子の支点としてより効果的な作用を生み出します。

注目すべきなのは、以上のような常識の働きの根底にあるのは観察や論理といったものではなく、公正という道徳的精神だとベルグソンが捉えている点です。公正は優に論理的思考に匹敵し、ときには豊富な経験や観察をも凌駕します。それはあたかも純金が貨幣に匹敵するようなものだとベルグソンはいいます。

後年、ベルグソンは「道徳と宗教の二源泉」で正義という概念を分析し、そこに方向性の異なる二つの道徳が重なり合っている様を見て取ります。一方にあるのは均衡とか釣り合いといった観念を暗示する正義です。物と物の価値が釣り合っているかどうかは社会にとって重大な関心事であり、それらの均衡が正義を表現します。正義の観念が物と物の関係から人間関係全般に拡げられるようになっても、この基本的性格に変わりはありません。そして現在も正義がこの種の算術的・商業的起源に由来する性質を引きずっているのは紛れもない事実です。正義がそのようなものである限り、それは他の多くの責務の中の一つの責務に留まります。そこに今日理解されているような正義の普遍的・絶対的性質を付与したのは、旧約聖書に登場する預言者たちであったとベルグソンは見ます。彼らが不正に対して抗議の声を上げたとき、芸術上の革命や科学的大発見がなされたときのような全面的な価値の転換が生じ、正義という概念は全く新たな意味を帯びます。それはもはや交換可能な価値の均衡を表すものではなく、「善をより大きな不善を代価として買うこと」を断固として拒否する、爾余一切のものと通約不可能な価値を有するものとなります。

常識は旧約聖書の預言者たちのような超越性を持たないにしても、その原動力を上記のような道徳的情動から得ています。意志と知性、道徳と認識、行動と思考といったものは精神の異なった傾向を表し、それゆえ哲学は両者の間に明確な線を引くのですが、それらの傾向を渾然と併せ持っているのが常識です。常識の思考が実践的性格を持ち、行動が思弁的性質を帯びるのはそのためです。ベルグソンが常識を出発点として考えるのは、経験が直接的なものから功利的なものへ屈折するちょうどその「曲がり角」に常識が位置するからです。反省によってこの経験の曲がり角に身を置きなおす作業をベルグソンは数学における微分にたとえています。惰性的な思考の習慣を捨て去る必要のあるこの作業は、それ自体容易なことではないにしても、これですべてが終わるわけではありません。哲学が最終的に目指すのは「現実の曲線から私たちが見いだす無限小の諸要素によって、背後の暗がりにのびている曲線そのものの姿を再構成すること」(「物質と記憶」)、つまり積分することです。

常識と哲学はお互いになくてはならないものですが、科学(科学そのものというよりその方法)は常に常識にとって益になるとは限りません。科学は普段曖昧なまま使用されている「もろもろの方法のもつ固有の力と特定の目的」とをこの上なく明確に示してくれます。科学の成果は一般化と演繹を極限まで推し進めることによって得られたものですから、その普遍性を疑ういかなる理由もありません。しかし科学の持つこの絶大な力は経験の領域を測定可能なものに限定するという代価を払って得られたものであって、経験のあらゆる領域においてこの方法が効力を持つと考えるのは根拠のない思い込みに過ぎません。したがってこの方法を日常生活に持ち込むとき、その有効性よりもむしろその危険性にこそ注意を払うべきでしょう。

人間も社会も物理法則からは逃れられない以上、科学の方法が効力を持たないわけではむろんありません。ただその効力は限定的かつ偏頗なものにならざるを得ないというだけです。たとえば社会を自然と同様に扱い、そこに何らかの法則性やメカニズムを発見しようと努めれば努めるほど、自由や意志といった要素がそこからこぼれ落ちていってしまうでしょう。しかしこれとは逆にまず何らかの理想を掲げ、そこから社会の組織化のための条件を演繹しようとする試みも現実的とはいえません。なぜなら理想を立てた時点で自由や意志は無制限なものとなり、人間は社会生活の中であたかも限界を知らないかのごとく振舞えることになってしまうからです。つまり一般化や演繹を進めれば進めるほど自由や意志は網の目からすり抜けていってしまい、現実から遠ざかってしまうというパラドックスに陥らざるを得ません。これを回避するためには論理と現実が乖離する一歩手前で立ち止まり、独自の解法をその都度案出して問題を処理する必要があります。

もっとも精神と物質は解きほぐしがたく複雑に絡み合ったものですから、あらかじめ方法を決めてかかるのは無理なことです。実際、目の前にある難問を解決しようとするとき、その問題が最終的に科学に属することになるのか、哲学に属することになるのか、あるいは全く新しい学問に属することになるのか、前もって知ることは誰にもできないとベルグソンは述べています(「思想と動くもの」緒論)。しかしベルグソンが自分の仕事をポジティヴィスム・メタフィジックと位置づけ、科学の検証を受け入れることを基礎に置いている以上、はっきりしていることが一つあります。それは問題の解決が科学と共通の境界を描き出し、この境界に沿って進むということです。

以上のことからもわかるように、ベルグソンは一貫して科学と哲学を同位に置き、生活の必要から作為的に切り取られた宇宙の非連続性の下に再び連続性を見出そうとする点で両者は一致していると看做します。名称にこだわらなければ、「両者は科学の二部門であるとか、形而上学の二部門であるとか、随意に見な」すことも可能でしょう。ベルグソンが科学について批判的に述べているように見えることがあるとすれば、その批判は無意識的形而上学に陥った疑似科学に対してなされたものだという点に注意する必要があります。そして疑似科学が科学の仮面をかぶって人前に姿を現わすことは決して例外的なことではありません。

疑似科学の実体は疑似形而上学ですから(あるいは疑似形而上学の実体は疑似科学であるといっても差し支えありませんが)、これに瞞着されるのは一般の人だけではありません。むしろ科学者や哲学者の方が瞞着されやすいともいえます。疑似科学や疑似形而上学は現代において大半が払拭され表舞台に姿を現すことは滅多になくなりましたが、近代以前はほとんど疑似科学と疑似形而上学で占められていました。たとえば科学が「上」と「下」、「軽」と「重」、「湿」と「乾」といった観念で自然現象を説明していたとすれば、形而上学も言語の中に蓄えられていたもろもろの概念で「先験的に」体系を構築していたのです。近代物理学がこれらの観念を取り払って直かに事物を観察しようとしたとき、科学の内部で一つの改革が成し遂げられ、科学はその本来の使命に目覚めます。科学の下で覚醒した知性は本来の対象である物質を再発見し、物質をますます厳密に規定するに至ります。こうして科学が着実に進歩の歩みを始める一方で、哲学は一部の例外を除き長らくその半睡状態から脱け出すことができませんでした。もし形而上学が可能であるとすれば、それは知的直観によるのであって、議論(弁証法)によるのではないということをカントが「純粋理性批判」で示したとき、哲学はこの半睡状態から覚めるかに見えました。ところがカントはそう証明したあとで、そのような直観は不可能であると結論付けたのです(「変化の知覚」)。

カントがそう信じたのは、彼が科学を経験の全領域を覆う普遍的な一つのシステムと考えたからです(「創造的進化」)。すると必然的に経験も一つしかないことになり、知性と経験は外延を等しくすることになります。科学にあまりにも強大な権限を与えたばかりに、経験は知性を超越することができず、すでに出来上がった悟性のカテゴリーを丸ごと受け入れるしかありません。その結果あらゆる認識能力は相対的なものとなり、形而上学は不可能であると宣告されることになります。

これに対してベルグソンは、科学は一つ(等質な部分しか含まないもの)ではないし、経験も一つではないといいます。科学が一つであると主張されるとき、「科学の論理的装置を科学そのものと思い違え」(「形而上学入門」)、人間的欲求によって切り取られ知性によってばらばらに解体された経験の寄せ集めを経験の全体と取り違えているのです。近代科学が欲求の作り出した見せかけの客観性を破壊し、その下に物質を再発見することによって自らの改革を成し遂げたように、知性によって加工され言語のうちに蓄えられた概念を破壊し、直接的な経験に復帰すれば直観が可能となり、したがってまた形而上学も可能となるでしょう。しかし形而上学がこのような改革を成し遂げるには科学の場合に比べてはるかに大きな困難が伴うでしょう。というのもこのようにして見出された経験を記述できる言語は存在しないからです。それゆえこの形而上学は「概念を拡大し、柔軟化しなければならぬであろうし、概念の回りにニュアンスを帯びさせて概念が経験全体を包むものではないことを告げなければならない」(「思想と動くもの」緒論)でしょう。

社会生活を円滑にする一方で直観を阻害する言語や一般観念がどのように形作られるかについて、ベルグソンは次のように説明しています(「物質と記憶」第3章)。

(つづく)

夢うつつ

2011-09-04 | 雑談
昨日ベッドで目を覚ますとテレビがつけっ放しになっていて、見たことのない番組が放映されていました。どうやらベッドで横になっているうちに眠りこけてしまったようです。

目覚まし時計に目をやると3時半近くを針が指しています。少し前から時計の電池が切れ掛かっていて30分ほど遅れているので、実際には4時前といったところでしょう。

4時ということがわかっても夕方なのか深夜なのかも咄嗟に判断がつかず、寝入る前の状況もすぐには思い出せませんでした。自分の部屋の中にいるにもかかわらずどこかの異世界に放り出された気分です。

真っ先に思い浮かんだのが、あれっ、晩ご飯食べたっけ? ということでした。ご飯を食べたかどうかも覚えていないなんて我ながらどうかしています。

ベッドに腰掛けて何か知らない番組を意味もなく眺めながら、徐々に寝入る前の状況を思い出してきました。疲れたので途中からベッドに横になってサッカーの試合を見ていたこと。ロスタイムに得点して日本が勝利したこと。そんなことが遠い昔の記憶のように思い出されたものの、その前後のことがはっきりと思い出せません。どうやら晩ご飯を食べたらしいことはうっすらと思い出せたのですが、食べたという実感は戻ってきませんでした。

まあそんなことはどうでもいいとして、問題はこれからどうするか、です。テレビを見たあとブログの記事を書くつもりでいたのに、すっかり予定が狂ってしまいました。

仕方なくテレビを消してパソコンの前に座り、画面に表示された書きかけの文章を前にして考え込みます。数日来ひとところで思考が停滞し、なかなかそこから抜け出すことができません。思考に神経を集中しようとした矢先、別のところからこう訴えてくる声が聞こえました。「ああ、腹が減った。仕事にかかる前にコンビニでサンドイッチでも買ってこようや」。