先日、200ページ足らずの本が校了になり、PDFを印刷会社に下版しました。
最初に話があったのが半年近く前のことで、知り合いのもとに或る大学関係者の遺族の方から遺稿を本にしたいという相談があり、その組版の仕事が僕のところに回ってきたのです。
それから何週間かして、原稿が揃ったということで打ち合わせかたがたその知り合いと喫茶店で会うことになりました。本の構成などについて簡単な説明を受けたのち、手書きの原稿のほかにデータの入ったUSBメモリ、口絵に入れる数十枚の写真を渡されました。
その時点ではまだ判型も決まっておらず、全体のページ数も全く読めませんでした。とりあえずこちらで叩き台を作り、相手方の意向とすり合わせながら徐々に形にしていくしかありませんでした。
写真のスキャニングは後回しにすることにして、最初に手書き原稿の入力を片付けることにします。原稿用紙数十枚分を入力した後それぞれ判型と本文サイズを変えた2種類のものを作成し、どちらかよい方を選んでもらうようにしました。
数日のうちには何らかの返答があるものと思っていたのですが、3日経ち、4日経っても返答は返ってきませんでした。どうやら家族の間でもいろいろ意見が分かれているらしく、意向を一本にまとめられないのだそうです。それから数日後、ようやく返答が返ってきたと思ったら、本文はもう少しゆったりめに組んでほしい、版型は規格サイズに拘らないのでもう少し大きめにしてほしい、ただしあまり大きすぎても困る、という何とも煮え切らない要望を伝えられました。
実は返事が来る前に写真のスキャニングを終え、口絵の大まかなレイアウト作業も始めていたのですが、これですべてご破算です。
これとは別にデータの一部が一太郎で作られており、僕の環境では開くことができなかったので、印刷会社にPDFにしてもらうよう依頼してありました。版型はそれも参照して決めなければならないので、印刷会社からPDFが出来上がってくるまでは作業を中断せざるを得ません。そんなわけで最初と同じように版型の違う2パターンの見本を提出し、何とか了解を得ることができたのは原稿をもらってから1ヶ月近くも経った頃でした。
その後も写真を追加したい、原稿を追加したいという連絡が何度か入り、全ページを組み上げて校正に出したのはそれからさらに半月ほど後でした。
まあこういうチグハグなことはよくあることなので、そのたびごとに腹を立てていたのでは身が持ちません。他の仕事が忙しかったこともあり、1週間もするとこの本のことはすっかり念頭から消えていました。
しかし数週間全く音沙汰がない状態が続くと、そういえばあの本は一体どうなったんだと、さすがに気になってきます。ついでの折に知り合いに聞いたところ、こちらにも連絡がないのでもうしばらくかかるんじゃないかという曖昧な返事が返ってくるばかりでした。
それからほどなくして、初校が戻ってきたという連絡が入りました。赤字は大したことはないが、またまた追加の写真と原稿が入るという話を聞き、ややげんなりした気分で電話を切りました。
翌日待ち合わせの喫茶店に行くと、ろくに説明も受けないまま校正紙と追加の写真・原稿を目の前に差し出されました。これまで校正紙は数限りなく見てきたわけですが、見る前に答案用紙を返されるときのような緊張を覚えるのはいつになっても変らないものです。しかしそのときは校正紙よりもむしろ追加の写真のほうが気になり、真っ先に写真の入った封筒の中を検めてみると、結構な枚数があったので思わず顔をしかめました。この様子だと口絵はほぼ全面的にやり直す必要がありそうです。
校正紙の方もぱらぱらめくってみると、追い討ちをかけるように写真の入れ替えの指示が何箇所か入っているではありませんか。それなら最初から順番を決めといてくれよと泣き言のひとつもいいたくなります。
しかしいつまでも愚痴っていても仕方ありません。家に帰り着く頃にはすっかり興奮も収まり、何事もなかったかのように平静さを取り戻していました。気持ちの切り替えというか諦めが早くなったのはそれだけ年をとった証拠でしょう。
口絵以外の赤字は実際大したことがなかったので、先にこちらの修正作業を済ませることにします。その後追加原稿を入力して本文に組み入れたところでその日の作業は終了し、口絵の修正は次の日に回すことにしました。
翌日追加写真を目の前に並べ、モニタと校正紙と写真を交互に見比べてみます。が、校正紙に書き込まれた指示が曖昧なので一見してどこにどの写真が入るのかよくわからず、完成したジグソーパズルを足で蹴っ飛ばされてしまったかのような気分で頭を抱えました。
こういうときはともかくやれることを一つ一つやっていくしかありません。ひとまず追加された写真をすべてスキャニングし、それらをコンタクトシートのように別のドキュメントに配置した上で、一枚ずつ切り取ってしかるべきページのしかるべき場所にパズルのピースのようにはめ込んでいきました。
ところがページに一枚写真を追加すると、当然もともとあった一枚がページから弾き出されます。弾き出されたものはさしあたりペーストボードにどけて作業をしていたのですが、そのうちあぶれた写真がどんどん増えてきてどの写真をどのページに配置すべきか、何ページ増やしたらいいのか判断のつかない状態になってきました。今度は自分でジグソーパズルを引っくり返したい気分です。
二進も三進もいかなくなったので、思い切ってそれまでやったきた作業をすべてご破算にすることにしました。つまりページやレイアウトは一切無視して、最初に写真を分類することだけに集中したのです。分類ごとにまとめた写真を各ページに均等に割り振り、レイアウトは一からやり直すことにしました。
これによって原形は跡形もなく消え去ったものの、あとはレイアウトにのみ神経を集中することができます。要は新規に作業をするのと変わらない結果になったわけですが、迷いがなくなった分作業は比較的順調に進みました。
2、3日ですべての修正作業を終え、そのあとどうしたのか実ははっきりと覚えていません。表紙の制作に取り掛かったことは間違いないのですが、本文の校正だけ先に出して表紙はそれと別進行にしたのか、表紙が出来上がるのを待って本文と一緒に校正に出したのか、そのへんの前後関係がよく思い出せないのです。仕事がいくつか同時進行していたので記憶が紛れてしまったのでしょう。
いずれにしてもこうして2回目の校正を出し、校了がそう遠くないことを信じつつ再校が戻ってくるのを待ちました。ところが再校が返ってくるまでにまたしても1ヶ月近い期間を要したのです。
さすがに今回は訂正はほとんどなく、返ってくるのにどうしてこんなに時間がかかったのかと首をひねるような赤字の量でした。半日ほどで修正を終わらせ、修正が終わったけどこのあとどうするんだと知り合いに問い合わせたところ、オンデマンド印刷で仮本を作り最終校正をしてもらうのだといいます。ついては印刷会社にPDFを送ってくれと頼まれました。
ただし印刷会社もすぐには印刷に取り掛かれないので、急ぐ必要はないとのこと。それでこの機会に僕もひと通り本文に目を通しておくことにしました。というのも相手方の校正がどうも頼りないとかねてから感じていたからです。
案の定、明らかに誤字・脱字と思われるところが何箇所か見つかりました。こちらで気づいたところを校正紙に書き入れ、その旨伝えたうえで仮本と一緒に送ってもらうことにしました。
印刷会社にPDFを送ったあとはこれでもうこの仕事は終わったも同然という気持ちになっていましたが、その後もちょっとした文字の修正や表紙・口絵の色の修正が何度か入りました。しかしレイアウトのやり直しに比べればこの程度の修正は楽なものです。
そしていよいよ校了となり、写真や原稿をすべて返却することになりました。これでこちらのやることはすべて終わり、あとは印刷が出来上がるのを待つばかりです。
*
それからしばらくして、別の件で電話があり、そういえばこの前写真を返してもらったけどUSBメモリはまだ返してもらってないんじゃないかと言われました。そう言われても僕にはピンと来ず、USBメモリを渡されたことすらすっかり忘れていました。最初に原稿を渡された日から半年も経っているのですからそれも無理からぬことでしょう。
受話器を持ったまま一応デスクの上を捜してみたものの、内心そんなものは残っている筈がないとはなから決めてかかっていました。まるで記憶にないのだから当然です。CD-Rのケースを持ち上げたり書類や封筒の束をめくったりしながら、何故僕がこんなことをしなきゃいけないんだと、身に覚えのない濡れ衣を着せられたかのように軽い憤りさえ覚えました。
ひと通りデスク周りを捜してみましたが、結局USBメモリは見つかりませんでした。自信をもってこちらにないと断言はできないものの、実際に現物が見つからなかったこと、自分の記憶にも全く残っていないことから、もともとそんなものは存在しなかったか写真と一緒に返却したに違いないと都合よく解釈し、先方の勘違いじゃないの、と言って電話を切りました。
その件はそれですぐに忘れてしまったのですが、それから一週間ほどして電話で話した折、またしてもUSBメモリのことを持ち出されました。先方に聞いてもないというのです。いい加減にしろよと思いつつ、そういわれると不安を拭いきれないので会話を続けながら視線をデスクの上にさ迷わせ、空いたほうの手でデスクの上のものを引っ掻き回しました。
デスクの上は雑然としていて、Mac本体、モニタ、キーボード、マウス、外付けのハードディスク2台のほかに、名刺やら進行中の仕事で使う写真、クリップ、ボールペンなどがキーボードとモニタの間のよく目に付くスペースに吹き溜まりのごとく散乱しています。USBメモリを置くとすればこのスペースが一番可能性が高いので、そこを重点的に捜しました。当然そこは前回すでに捜索済みなのですが 、ほかに思い当たる場所がないのです。
真っ先に目に付くのは一枚の写真、それから何かの空き箱、眼鏡、ボールペン、ピンセット、以前仕事で作った案内葉書、などです。何かの下に隠れているにしても遮蔽物となりそうなものは写真と葉書くらいしかなく、それをどければあとは物を隠すものは何もありません。それらを一つ一つ点呼するように目でチェックし、USBメモリがないのをしっかりと確認しました。やはりこちらには残っていないのです。
「ええと、捜したけどやっぱり見つからないね。じゃあ、また」
と言って受話器を置き、振り返った僕の視線がデスクの上のあるものを捉えたとき、しゃっくりをするように体が勝手に反応してくつくつと笑いが込み上げてきました。僕はその箱を手に取り、声を殺して笑いながら蓋を開けました。中を覗くと期待した通りのものが二本入っていました。
僕は箱を手にしたまま振り返り、今置いたばかりの受話器に手を伸ばしました。
最初に話があったのが半年近く前のことで、知り合いのもとに或る大学関係者の遺族の方から遺稿を本にしたいという相談があり、その組版の仕事が僕のところに回ってきたのです。
それから何週間かして、原稿が揃ったということで打ち合わせかたがたその知り合いと喫茶店で会うことになりました。本の構成などについて簡単な説明を受けたのち、手書きの原稿のほかにデータの入ったUSBメモリ、口絵に入れる数十枚の写真を渡されました。
その時点ではまだ判型も決まっておらず、全体のページ数も全く読めませんでした。とりあえずこちらで叩き台を作り、相手方の意向とすり合わせながら徐々に形にしていくしかありませんでした。
写真のスキャニングは後回しにすることにして、最初に手書き原稿の入力を片付けることにします。原稿用紙数十枚分を入力した後それぞれ判型と本文サイズを変えた2種類のものを作成し、どちらかよい方を選んでもらうようにしました。
数日のうちには何らかの返答があるものと思っていたのですが、3日経ち、4日経っても返答は返ってきませんでした。どうやら家族の間でもいろいろ意見が分かれているらしく、意向を一本にまとめられないのだそうです。それから数日後、ようやく返答が返ってきたと思ったら、本文はもう少しゆったりめに組んでほしい、版型は規格サイズに拘らないのでもう少し大きめにしてほしい、ただしあまり大きすぎても困る、という何とも煮え切らない要望を伝えられました。
実は返事が来る前に写真のスキャニングを終え、口絵の大まかなレイアウト作業も始めていたのですが、これですべてご破算です。
これとは別にデータの一部が一太郎で作られており、僕の環境では開くことができなかったので、印刷会社にPDFにしてもらうよう依頼してありました。版型はそれも参照して決めなければならないので、印刷会社からPDFが出来上がってくるまでは作業を中断せざるを得ません。そんなわけで最初と同じように版型の違う2パターンの見本を提出し、何とか了解を得ることができたのは原稿をもらってから1ヶ月近くも経った頃でした。
その後も写真を追加したい、原稿を追加したいという連絡が何度か入り、全ページを組み上げて校正に出したのはそれからさらに半月ほど後でした。
まあこういうチグハグなことはよくあることなので、そのたびごとに腹を立てていたのでは身が持ちません。他の仕事が忙しかったこともあり、1週間もするとこの本のことはすっかり念頭から消えていました。
しかし数週間全く音沙汰がない状態が続くと、そういえばあの本は一体どうなったんだと、さすがに気になってきます。ついでの折に知り合いに聞いたところ、こちらにも連絡がないのでもうしばらくかかるんじゃないかという曖昧な返事が返ってくるばかりでした。
それからほどなくして、初校が戻ってきたという連絡が入りました。赤字は大したことはないが、またまた追加の写真と原稿が入るという話を聞き、ややげんなりした気分で電話を切りました。
翌日待ち合わせの喫茶店に行くと、ろくに説明も受けないまま校正紙と追加の写真・原稿を目の前に差し出されました。これまで校正紙は数限りなく見てきたわけですが、見る前に答案用紙を返されるときのような緊張を覚えるのはいつになっても変らないものです。しかしそのときは校正紙よりもむしろ追加の写真のほうが気になり、真っ先に写真の入った封筒の中を検めてみると、結構な枚数があったので思わず顔をしかめました。この様子だと口絵はほぼ全面的にやり直す必要がありそうです。
校正紙の方もぱらぱらめくってみると、追い討ちをかけるように写真の入れ替えの指示が何箇所か入っているではありませんか。それなら最初から順番を決めといてくれよと泣き言のひとつもいいたくなります。
しかしいつまでも愚痴っていても仕方ありません。家に帰り着く頃にはすっかり興奮も収まり、何事もなかったかのように平静さを取り戻していました。気持ちの切り替えというか諦めが早くなったのはそれだけ年をとった証拠でしょう。
口絵以外の赤字は実際大したことがなかったので、先にこちらの修正作業を済ませることにします。その後追加原稿を入力して本文に組み入れたところでその日の作業は終了し、口絵の修正は次の日に回すことにしました。
翌日追加写真を目の前に並べ、モニタと校正紙と写真を交互に見比べてみます。が、校正紙に書き込まれた指示が曖昧なので一見してどこにどの写真が入るのかよくわからず、完成したジグソーパズルを足で蹴っ飛ばされてしまったかのような気分で頭を抱えました。
こういうときはともかくやれることを一つ一つやっていくしかありません。ひとまず追加された写真をすべてスキャニングし、それらをコンタクトシートのように別のドキュメントに配置した上で、一枚ずつ切り取ってしかるべきページのしかるべき場所にパズルのピースのようにはめ込んでいきました。
ところがページに一枚写真を追加すると、当然もともとあった一枚がページから弾き出されます。弾き出されたものはさしあたりペーストボードにどけて作業をしていたのですが、そのうちあぶれた写真がどんどん増えてきてどの写真をどのページに配置すべきか、何ページ増やしたらいいのか判断のつかない状態になってきました。今度は自分でジグソーパズルを引っくり返したい気分です。
二進も三進もいかなくなったので、思い切ってそれまでやったきた作業をすべてご破算にすることにしました。つまりページやレイアウトは一切無視して、最初に写真を分類することだけに集中したのです。分類ごとにまとめた写真を各ページに均等に割り振り、レイアウトは一からやり直すことにしました。
これによって原形は跡形もなく消え去ったものの、あとはレイアウトにのみ神経を集中することができます。要は新規に作業をするのと変わらない結果になったわけですが、迷いがなくなった分作業は比較的順調に進みました。
2、3日ですべての修正作業を終え、そのあとどうしたのか実ははっきりと覚えていません。表紙の制作に取り掛かったことは間違いないのですが、本文の校正だけ先に出して表紙はそれと別進行にしたのか、表紙が出来上がるのを待って本文と一緒に校正に出したのか、そのへんの前後関係がよく思い出せないのです。仕事がいくつか同時進行していたので記憶が紛れてしまったのでしょう。
いずれにしてもこうして2回目の校正を出し、校了がそう遠くないことを信じつつ再校が戻ってくるのを待ちました。ところが再校が返ってくるまでにまたしても1ヶ月近い期間を要したのです。
さすがに今回は訂正はほとんどなく、返ってくるのにどうしてこんなに時間がかかったのかと首をひねるような赤字の量でした。半日ほどで修正を終わらせ、修正が終わったけどこのあとどうするんだと知り合いに問い合わせたところ、オンデマンド印刷で仮本を作り最終校正をしてもらうのだといいます。ついては印刷会社にPDFを送ってくれと頼まれました。
ただし印刷会社もすぐには印刷に取り掛かれないので、急ぐ必要はないとのこと。それでこの機会に僕もひと通り本文に目を通しておくことにしました。というのも相手方の校正がどうも頼りないとかねてから感じていたからです。
案の定、明らかに誤字・脱字と思われるところが何箇所か見つかりました。こちらで気づいたところを校正紙に書き入れ、その旨伝えたうえで仮本と一緒に送ってもらうことにしました。
印刷会社にPDFを送ったあとはこれでもうこの仕事は終わったも同然という気持ちになっていましたが、その後もちょっとした文字の修正や表紙・口絵の色の修正が何度か入りました。しかしレイアウトのやり直しに比べればこの程度の修正は楽なものです。
そしていよいよ校了となり、写真や原稿をすべて返却することになりました。これでこちらのやることはすべて終わり、あとは印刷が出来上がるのを待つばかりです。
*
それからしばらくして、別の件で電話があり、そういえばこの前写真を返してもらったけどUSBメモリはまだ返してもらってないんじゃないかと言われました。そう言われても僕にはピンと来ず、USBメモリを渡されたことすらすっかり忘れていました。最初に原稿を渡された日から半年も経っているのですからそれも無理からぬことでしょう。
受話器を持ったまま一応デスクの上を捜してみたものの、内心そんなものは残っている筈がないとはなから決めてかかっていました。まるで記憶にないのだから当然です。CD-Rのケースを持ち上げたり書類や封筒の束をめくったりしながら、何故僕がこんなことをしなきゃいけないんだと、身に覚えのない濡れ衣を着せられたかのように軽い憤りさえ覚えました。
ひと通りデスク周りを捜してみましたが、結局USBメモリは見つかりませんでした。自信をもってこちらにないと断言はできないものの、実際に現物が見つからなかったこと、自分の記憶にも全く残っていないことから、もともとそんなものは存在しなかったか写真と一緒に返却したに違いないと都合よく解釈し、先方の勘違いじゃないの、と言って電話を切りました。
その件はそれですぐに忘れてしまったのですが、それから一週間ほどして電話で話した折、またしてもUSBメモリのことを持ち出されました。先方に聞いてもないというのです。いい加減にしろよと思いつつ、そういわれると不安を拭いきれないので会話を続けながら視線をデスクの上にさ迷わせ、空いたほうの手でデスクの上のものを引っ掻き回しました。
デスクの上は雑然としていて、Mac本体、モニタ、キーボード、マウス、外付けのハードディスク2台のほかに、名刺やら進行中の仕事で使う写真、クリップ、ボールペンなどがキーボードとモニタの間のよく目に付くスペースに吹き溜まりのごとく散乱しています。USBメモリを置くとすればこのスペースが一番可能性が高いので、そこを重点的に捜しました。当然そこは前回すでに捜索済みなのですが 、ほかに思い当たる場所がないのです。
真っ先に目に付くのは一枚の写真、それから何かの空き箱、眼鏡、ボールペン、ピンセット、以前仕事で作った案内葉書、などです。何かの下に隠れているにしても遮蔽物となりそうなものは写真と葉書くらいしかなく、それをどければあとは物を隠すものは何もありません。それらを一つ一つ点呼するように目でチェックし、USBメモリがないのをしっかりと確認しました。やはりこちらには残っていないのです。
「ええと、捜したけどやっぱり見つからないね。じゃあ、また」
と言って受話器を置き、振り返った僕の視線がデスクの上のあるものを捉えたとき、しゃっくりをするように体が勝手に反応してくつくつと笑いが込み上げてきました。僕はその箱を手に取り、声を殺して笑いながら蓋を開けました。中を覗くと期待した通りのものが二本入っていました。
僕は箱を手にしたまま振り返り、今置いたばかりの受話器に手を伸ばしました。