画竜点睛

素人の手すさびで作ったフォントを紹介するブログです

ケンからのメール

2011-06-20 | 雑談
先日やや遅い時間に起き出してMacの電源を入れ、寝ぼけ眼でメールソフトを起動すると1通のメールが届いていました。件名が英文のタイトルで、差出人はKen何某となっています。僕には外国人の知り合いはいませんから、どうせ迷惑メールの類いだろうと判断しゴミ箱に捨てようとしたところで、タイトルに見慣れた文字が並んでいるのに気づきました。「Font XUID」。なに、XUIDだって? ひょっとしてアドビからのメールか。というわけで慌ててメールを開いてみると、英文でおおよそ以下のようなことが書かれていました。

「おそらく登録手続きのときに何らかの問題が発生したのではないかと推察しますが、あなたがXUIDを6つ連続で取得していることに気づきました。誤って登録されたものを登録から除外したいので、6つのうちどれを使用する予定なのかを知らせてください。

XUIDは通常各組織に1つずつ割り当てられるものです。万一複数の組織で使用している場合はその旨お知らせください」

以前XUIDの登録をする際、間違って6つも取得してしまった失敗談を書いたことがありますが、やはりあれはまずかったようです。今頃になって言ってくるのは少々遅い気もしますが、チェックしたのがたまたまこの時期だったのでしょう。

さあ、大変なことになりました。登録ミスは直してもらえばいいとして、問題は英文のメールを作成しなければならなくなったことです。果たして僕に英文のメールなど書けるでしょうか。

用件ははっきりしているので、まず日本語で文案を考えてみます。ボロが出ないようになるべく簡素な文章になるよう心がけました。少々素っ気ない表現になるのはこの際致し方ありません。

今は便利なことに、翻訳サイトというものがあります。出来上がった文章を翻訳サイトで英文に直し、これはおかしいんじゃないの、というところを手直ししてめでたく英文メールの完成です。

文法的に完璧かどうかは自信がありませんが、まあ多少間違ったところがあったとしても意図は汲み取ってもらえるでしょう。要は意図が伝わりさえすればいいのです。そう自分に言い聞かせ、迷いが生じないうちにさっさとメールを送信しました。

驚いたことにそれから十分もしないうちに返信が送られてきました。それは次のような内容のものです。

「迅速な回答ありがとうございます。登録ミスの件は仕方ありません。私どものウェブサイトの表示に問題があったのですからお気になさらぬよう」

やれやれ、何とか通じたようです。登録サイトに不具合があることも認識されているようなので、いずれ近いうちに修正されるでしょう。将来IDを取得しようと思っている人にとってこれは朗報です。

     *

さて今回ケンさんには気持ちのいい対応してもらいましたが、前にも書いたように普段使っているアドビのソフトにはどうにも好印象が持てません。その最大の原因の一つは、ファイルを開く、保存する、閉じるという最も基本的な操作に作業の少なくない時間を割かれてしまうことにあるんじゃなかろうかという気がします。たかがファイルを一つ開く(あるいは保存する)のにどれだけ待たなきゃならないんだ、と日々苛々させられているのは僕だけじゃないんじゃないでしょうか。

ファイルを開く、保存するのに時間がかかるのはまだしも、ファイルを閉じてから次のアクションに移るまで1秒以上も待たされるのは不快以外の何物でもありません。

そもそもファイルを開くのは何も作業をするときだけには限りません。単に確認したり参照したりするためだけに開く場合もあります。時には何十というファイルを開いて参照しなければならないこともあるわけで、そのたびに開く・閉じるという操作が確実に発生します。下手をすると実際の作業時間より確認のほうに時間を取られてしまうという本末転倒な事態にもなりかねず、また待ち時間が発生することによってミスが誘発されやすくなるという弊害も生まれます。

通常の作業においてもそうですが、作業が単調であればあるほどリズムというものが大事になってきます。作業の正確さは注意力ばかりでなく、リズムによっても保証されているのです。このリズムが無駄な待ち時間によって壊されれば、作業の正確性に影響が出てくるのも当然です。

こんなことを書くのは、ちょうど今やっている仕事であまりの待ち時間の多さに辟易させられているからです。

今回の仕事では数百個のインライングラフィックを配置する必要があり、1ファイルが数百MBというサイズになってしまいます。そのためファイルを開いたり閉じたりするたびにレインボーカーソルがぐるぐる回り続け、車に乗ってもいないのに大渋滞に巻き込まれたかのようなうんざりした気分にさせられます。これが1色ならインライングラフィックをフォント化してファイルを軽くすることもできるのですが、2色のためそういう方法も取れません。この間僕にできるのは貧乏ゆすりをしながらひたすら待つことだけです。

何もせずに待つというのは思いのほか難しいことです。待つ間さすがに居眠りまではしませんが、別のことに気を取られていたりすると、あれ、どこまで作業やってたんだっけと、それまでやっていたことを瞬間的に忘れてしまうこともないではありません。かといって待つ時間を息抜きに当てられるほど、人間の精神は器用にはできていません。むしろ中途半端な間が挟まることによって作業のリズムを乱され、より疲弊してしまうというのが実情です。

余談ですが、このインライングラフィックの配置にはスクリプトを利用しました。数百個も配置しなければならないのですから当然といえば当然です。作業は去年すでに1回やっているので今年は楽勝だと高を括っていたのですが、スクリプトを実行するとどういうわけかすぐにアプリケーションが反応しなくなってしまいました。Mac本体を再起動してもう一度やり直して見ると何とか最初のファイルには配置できたものの、以後は何度やっても反応しません。おかしいな、と思いつつ作業を中断するわけにもいかないので、ページを区切ってスクリプトを実行することにしました。

手始めに全ページを半分に分けて実行してみます。それでも反応がないので、いくぶん蒼褪めながら3分の1に減らしてみても結果に変わりはありません。真っ青になって最後に見開き2ページで試してみると何とか無事動いたので、ほっと胸をなでおろしました。

2ページずつしか実行できないのは何とももどかしいところですが、手動で一つずつ配置するよりはずっと増しです。ページの範囲を間違えないように注意しながら作業を進め、最初のと合わせて3ファイル分の配置を終えることができました。ここまでの作業で神経をすり減らして疲れてしまったので、残りは翌日にやることにします。

寝る前にベッドに片肘を突いて横になりながら、何故スクリプトが動かなかったんだろうと考えてみます。去年は確実にできていたことができなくなったのが腑に落ちないからです。そういえばこの仕事をしていたときにMacの調子がおかしくなってハードディスクを初期化しなければならなくなったことがあるのですが、まさかそのあたりのことが関係しているんだろうか、などと考えを巡らせてみても確たる原因は思い当たりません。諦めて本を読んでいるうちに、ふと一つのイメージが頭に浮かんできました。それは荷台からこぼれ落ちそうなほど荷物を積んでよたよたと走っているトラックのイメージです。つまりフォントという荷物を積み込みすぎてMacが悲鳴を上げているんじゃないだろうかと考えたのです。

翌日早速和文フォントの3分の1ほどを退避させ、改めてスクリプトを実行してみました。祈るような気持ちで画面を見つめていると、どうやら正常に動いているらしくレインボーカーソルが目まぐるしく回転しています。やった! 大成功です。

たったこれだけのことでうまくいったのには自分でもびっくりですが、結果がすべてを物語っています。正常に動作していたスクリプトがある日突然動かなくなった、という人には一度フォントを減らしてから実行してみることをお勧めします。

このスクリプトに関しては去年もう一つ別のトラブルに見舞われたこともあります。

作業としては上にも書いたように表にテキストを流し込んだあと、特定の記号をインライングラフィックに置換するという内容のものです。やり方はいくつかあると思うのですが、僕にでもわかる単純な記述方法でスクリプトを作成し、数行の表でテストして正常に動作するところまで確認できていました。あとは本番を待つのみです。

夜になりその日の仕事を終えたところで、万一のことを考えてとりあえず一ファイルだけ実際にスクリプトを動かしてみることにしました。本番でうまく動かなかったら目も当てられないからです。

目論見では数分から最悪でも数十分のうちには一ファイルの処理が終わるものと見込んでいました。別に確かな成算があったわけではなく、だいたいそんなもんだろうと楽観していたのです。ところが実際にスクリプトを動かしてみた結果は、想像もつかないほど悲惨なものでした。

最初のファイルを開き画面一杯に表示します。テストで正常に動作することは確認済みとはいえ、失敗は許されないだけにマウスを持つ手にも自然と力が入ります。意を決してスクリプトをダブルクリックすると、瞬時に画面が反応を始めました。ついに運命の歯車が動き出したのです。

記号が小気味よくインライングラフィックに置き換えられていく様を確認した僕はほっと肩を撫で下ろし、ついで小躍りしたいほどの歓喜に包まれました。抑えても抑えきれない笑みがこぼれ、ついつい相好が崩れてしまいます。順調に処理の進んでいく画面を眺めながら、しばらく一仕事終えたあとの充足感に浸っていました。

この至福の時間は、しかし長続きはしませんでした。処理を始めて数分もすると、最初の小気味いい動きはどこへやら、動作が徐々に緩慢になり始め、ついにはスローモーションの映像を見ているかのようなもっさりした動きになってしまったのです。僕の顔からは笑みが消え、みるみる血の気がうせていったことはいうまでもありません。

スローモーションならまだいい方で、そのうち動いているのか動いていないのかもわからないほどの状態に陥ってしまいました。それはスーパースローモーションの映像を見ているようにも、あるいは音声が数秒送れて伝わってくる衛星放送を見ているようにも感じられる異様な光景でした。こんな調子では全部処理が終わるまでに一体どれくらいかかるのか、暗澹たる未来を予測して僕は頭を抱えました。

このまま黙って放置していても埒が明かないので、一旦処理を強制的に中断することにしました。そして頭をフル稼働し、どうにか苦境を切り抜ける方法はないものか考えてみました。が、この期に及んでスクリプトを改良できるほどの技量はありませんし、他に適当な方法も思いつきません。気が動転して慌てて作業を中断してしまいましたが、ここはやはり最後まで処理を継続して実際にどれくらい時間がかかるのか確認すべきではないのかと思い直し、あらためて最初からスクリプトを実行し直すことにしました。そこにはもしかすると今度はうまくいくのではないかという淡い期待もありました。

しかしやり直したからといって結果が変わるはずもなく、期待は無残に打ち砕かれました。すぐにも処理を中断したい衝動をぐっとこらえ、そのまま成り行きを見守ることにします。画面に見入っていては気が滅入るだけなので、その間別のことをして極力この件を念頭から追い払おうと努めました。

30分が経ち、1時間が経過する頃には、不安が極限状態に達していました。本当に終わりは来るのだろうかという疑念に苛まれ、何度処理を中断しようと思ったことかわかりません。怒り、呆れ、自暴自棄になりかけながらも、何とか我慢できたのは、どんなことをしても仕事をやり遂げなければならないという責任感がかろうじて残っていたからでした。

その後もえんえんと処理はつづき、永遠に終わりは来ないのではないかと思われました。その間何も手につかず、新幹線に乗っていたら今頃は名古屋あたりに着いている頃だな、などと意味のないことを考えるばかりでした。

画面に変化が現れたのは、はっきりとは覚えていませんが深夜3時、いや4時頃だったでしょうか。無重力空間をあてもなく漂っているかのようだった画面の動きが旧に復し始めたのです。それからほどなくしてカーソルが一つのセル内で停止し、死の淵から生還したかのようにチカチカと点滅を始めました。11時前後に処理を開始してからここまでくるのに実に4、5時間が経過していました。

処理が完了したことでひとまず安心したものの、事態はより深刻さを増していました。このまま同じ処理をつづけることは現実的ではないことがはっきりしたからです。1ファイルの処理に4、5時間もかかるとすると、全部やり終えるのに数日間かかることになります。しかもその間事実上ほかの作業はできず、エラーが起きてさらに完成が遅れないという保証もありません。別の手立てを考えるか、何とか処理速度を上げる方法を考えなければなりません。

絶体絶命の窮地に追い込まれた僕はどうしようもない絶望感と、どうにかなるさという奇妙な楽観の間を往ったり来たりしていました。いろいろ思案してみたもののそう簡単にいいアイディアが浮かぶはずもなく、一旦は諦めてぼーっと頭を休めていたときでした。何の脈絡もなく一つの経験を思い出したのです。それはいつ頃のことだったかも思い出せないほど非常におぼろげな記憶で、ネットで公開されていた何かのapplescriptを実行した際、処理が始まる前に画面一杯に表示されていたドキュメントウィンドウが自動的に縮小されたことがありました。何の意味があってウィンドウサイズを縮小する必要があるのかはわかりませんでしたが、わざわざスクリプトで制御されている以上、そこには何らかの意図があったと見るべきでしょう。そんなはなはだ曖昧な記憶であるにもかかわらず、どういうわけかこのウィンドウサイズの縮小が今回の件にも応用できるのではないかというふうに思えてきたのです。何故そんな確信めいた考えが浮かんできたのか、今もってわかりません。ともかくウィンドウサイズを縮小することが魔法のような効力を持っているように思え、一刻も早く試してみずにはいられませんでした。

ウィンドウサイズを小さくするには、何もスクリプトで制御する必要はありません。通常のマウス操作でやればいいのです。2つ目のファイルを開いて画面に表示し、ウィンドウの右隅をドラッグしてサイズを最小にしました。これで準備完了です。

結果は期待通りでした。あまりにも期待通りだったので、むしろ拍子抜けしてしまったくらいです。そして何よりも驚いたのは、4、5時間もかかった処理がわずか7分程度で終了したことです。このとんでもない差は一体どこから生まれたのでしょう。

想像するしかないのですが、おそらくInDesignの画面描画が相当な量のメモリを消費しているということでしょう。そうとでも考えなければこの差の説明がつきません。

ところが最近になってまた新たなことがわかりました。この記事を書いている途中、処理速度が極端に低下した状態を再現しようと思ってウィンドウを最小化せずにスクリプトを実行してみたのですが、特に速度が落ちることもなく普通に処理されてしまったのです。ではウィンドウを小さくしたことによるあの圧倒的な差は何だったのか、と愕然となりました。

実をいうと、この実験を行った際には、フォントの数を減らしていました。このことから何がわかるというと、ウィンドウを最小化するよりもフォントを減らすほうが効果的であること、去年は全体のフォント数が今年より少なかったため、ウィンドウを最小化する方法が辛うじて功を奏したこと、つまりウィンドウを最小化する方法が成功したのは、たまたまフォントの数がこの方法が効力を持ち得るぎりぎりの許容範囲内に収まっていたからに過ぎないということです。

このことを知って僕は冷や汗をかきました。もしあのときフォントの数がちょっとでも多かったら、ウィンドウの最小化という方法は効力を持たず、何日間も処理に時間をとられる羽目になっていたに違いないからです。知らぬが仏とはこのことです。

     *

そんなわけでハードの性能は年々向上しているのに、ソフトがそれに輪を掛けて重たくなっていく傾向はどうにかならないものかと思うのですが、現実的にはこれが改善される見込みはほとんどないと考えるのが妥当でしょう。上に述べたことからもわかるように、日本語フォントだけでもアプリケーションにとっては大きな足枷となっているからです。それでも処理の重さを軽減したければ、マシンの性能を上げるという最終手段に訴えるしかありません。もっとも最新のマシンに買い換えたくても、アプリケーションとOSとの互換性の問題などもあり、そう簡単にはいかないのが現実ですが。

身も蓋もない結論が出たところで、急遽予定外の仕事が入ってきました。切羽詰った状況になってきたので、このへんでそろそろ身も蓋もない世界に戻ることにします。

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