極楽往生日記

 葬式無用、戒名不用。

魅力について続考。

2006-05-17 | 現代音楽日記
昨日は書いててアレレな結末になりましたので、
ひさびさにシリーズ物でお願いします(ぇ


最終的には、「人の魅力」について考えているんですが、
その前段階として、たぶん自分にとって一番関わりの深い
音楽について黙考してみます。

ここに書いてる時点で黙考じゃありませんが(-_-lll)

まぁ、独り言が口から漏れてるわけでもありませんので(-_-;)


日本の同時代的な作曲家で(現代作曲家という呼び名は
もういいかげん場違いな気がするので誰かいい
呼び名を考えてくださいよもう_| ̄|○)、
最も評価、支持ともに高いのは武満徹さんでしょう。

私にとっても、とても好きな作曲家です。

武満さんの曲は、「墨絵のような」という形容詞で
語られることもありますね。
西欧的なヨコの音楽ではなく、音が垂直に立ち上がるさまを
描きたいというようなことを、確かご本人も
おっしゃっていたように思います。

ですので、一般的には東洋的な作曲家であると認知
されていると思います。
(まぁ、ノヴェンバーステップス書いたからっちゅーのも
 あるとは思いますけど。あれあんまり好きじゃないんですよね)


しかし、武満さんが支持されつづけている(評価ではなく)のは、
東洋的なタテに発生する音楽を作ったからではないと思うんです。


だいたいそんなこと考えて聴きませんし(-_-lll)


どちらかというと、そのタテに響く音楽を作るに至った
経過が重要だと思うんですよね。

あ、作ると言ってしまえばご本人は否定なさるかも
しれませんけれど。
確か(文献が手許にないのでてきとーですいません)
ご本人が、「僕にとって音楽とは、作り出すものではなく
そこらへんにある音の河から注意深く取り出したものなのだ」
とおっしゃっていたと思います。

ここ重要です(-_-lll)(赤チェック

音の河から取り出す行為のことではなく、
音の河から取り出す行為の結果に恣意的要素を加えない
ということが重要なんです。

つまり、自然の状態をできるだけ忠実に表そうとした。
(自然描写したって意味じゃないです。お間違えのないよう)

んだと思うんですよね。

武満さんの曲を聴いていると、なんだか表面上
波打っている心のその下を見せられているような
気分になります。
それはつまり、日本的に言えば諸行無常ですか、
その移り変わる目の前の状況の下にある、大局的な
流れを掴もうとしているんじゃないでしょうか。

西欧音楽は、ずっと「人」というものの本質を
追いかけてきたように思います。
(それは、宗教的な視点から考えて至極自然だと
 思いますが、今回はそこには触れません)
それが、武満さんにとっては、「(無為)自然」の
本質の追求に置き換わったのでしょうね。

どちらにしろ、何かを追求して本質に迫るという点に於いては
なにも変わりません。題材が違うだけで。

アバンギャルド全盛時、奇を衒っただけの作品が
たくさん量産されたように思いますが、結局
「今何を作ろうとしているのか」ということを
見失わないでいた作曲家の作品が、今も生き永らえて
いるように思います。

魅力、それはモノゴトの本質の凝縮、ということなんじゃ
ないかと思います。


お手軽にヒーリングミュージックやアバンギャルド
書いてちゃだめですよ(-_-lll)



P.S.ファミリーツリーとモーツァルトの関連について
  書こうと思ってたのに、また書けませんでした(泣

  次こそは...(-_-lll)













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