極楽往生日記

 葬式無用、戒名不用。

魅力について続々々考。

2006-05-20 | 現代音楽日記
(前項より続く) 

武満さんが亡くなられた際に、
池辺さんが確かこんな文章を寄せられていました。

「自分が作曲するときは、
 武満さんのスコアは目の届かないところに置いておくんだ」

と。
(いつものように手許に文献がないので間違ってたらすいません<(_ _)>)
この一言で、なんだか池辺さんに親近感を持ったんですよね。

「あちら側」と、「こちら側」を、

とても上手に表現している気がしたので。


先日から出ている「ばけもの」は、こういう一般的な(起承転結等)
をとらないか、もしくはとっていてもなぜかわかりませんが
得体のしれないものがどことなく漂っています。

しかし、スコアを見ると「なんだ、意外に普通の楽譜だなぁ」
と感じてしまうんです。
むしろ、複雑そうなスコアを音にすると、退屈でつまらない曲
だったりして。


今年は、モーツァルトイヤーらしいですが、
全然聴いていません。

なんせ世界一ニガテな作曲家なもので(-_-lll)

創作家を比較することほど意味のないことはないと常々
思ってはいますが、よく引き合いに出されるベートーヴェンと
モーツァルトでは全く違います。

明らかにどこかおかしいです。モーツァルト。

並んでる音はハイドンなんかとたいして変わらないと思うんですけどね。

明るい音の中に、明らかに真っ黒いものが潜んでます。

そこらあたりがよく出ている演奏としては、
サイトウキネンが演奏したアイネクライネ~が挙げられます。
この演奏を聴いて、ちょっと小澤さんを見直しました(-_-lll)


武満さんは、前期と後期で作風が違うとはよく言われることですが、
(ちなみに初期のアーク全曲なんかが好きなんですけどね)
後期の曲は甘くてどうもいかん、とよく聞きます。
(実際そうだなぁと思う曲もなくはないのですが。)

その中で、ファミリートゥリー(系図)という作品があります。
谷川俊太郎さんの詩の朗読をフィーチャーしたオーケストラ作品です。
(確か委嘱はメータ/NYPだったような気が...)

最初聴いたとき、「なんだこれ?」って感じだったんです。
特に日本語朗読版が(-_-lll)(遠野さんの語りのヤツですね。

だから、英語版が欲しいなと思ってました。
(メータによるアメリカ初演の際は英語版だったはずです。
(小澤さんも後に娘の英語朗読で入れなおしてました(たぶん

ですが、英語版を聴いて思ったんですよね。
「なんか違う(-_-lll)」
それで、もう一度日本語版を聴きなおしてみました。

曲は、子供が聴くことも視野に入れているので、
とてもわかりやすい和音が使われています。
詩も、一部のんだくれのかーちゃん等出てきて怖いですが(笑)、
基本的には谷川さんの標高0mから見た自然な世界が広がっていて
難解な部分はありません。

そして、
後期の武満さんの作品に出てくる空虚な長和音が鳴り響くんですが、


なんかぞっとしてしまったんですよね。
曲調は明るいのに(-_-lll)


なんだか、はだかのままで太古の自然の中に放り出されたような。

その時思ったんです。
「あぁ、武満さんもとうとうここに辿りついたんだなぁ」と。

そう、モーツァルトに感じる感覚と同じだったんですね。


あんな曲を書けるようになったんじゃ、天に召されるのも
当たり前です。

ばけものではない私達は、
精一杯構成を練って作品を書くこととしましょう。


あぁ、やっとふぁみりーつりーネタが書けた。

長かった..._| ̄|○








魅力について続々考。

2006-05-20 | 現代音楽日記
End of Evangelion Tribute(動画)
(ここはようつべ動画直接貼れないらしい...)

動画は、それこそ山ほどあるエヴァトリビュートのうちの一つです。
(動画中に、グロテスクなシーンがかなりありますのでお気をつけて。)

このトリビュート作品は、他のものに比べてよくできてるなぁと思います。
原作は、90分ほどの作品なのですが、7分弱くらいの間に
この作品のテーマと見せ所、魅力的なシーンを非常にコンパクトに
まとめあげています。

選曲も非常によいですね。
原作の持つイメージにかなり近い楽曲を用いていると思います。

内容については、書き始めるととんでもなく長くなるので、
気になる人はぜひレンタルでもしてご覧下さい。

あ、もちろんTV版から見ないと意味わからないと思いますが(-_-lll)
(TV版を見ても意味がわからないかもしれませんが)


これで何が言いたいかというと、魅力を作るために必要な技術のことです。

構成力といいましょうか。

起承転結なんてものもありますけれど、実際の製作現場では
それが通用する場面というものは限りなく少ないですね。
新しい構成法を常に考えているわけです。

しかし、どの方法論にも必ず共通する部分があります。


どこを山場に設定するか、ということです。


その山場は必ずしも過激なシーンとは限らず、過激なシーンを
続けた後、突然やってくる静寂だったりします。
その静寂は、前の過激なシーンを受けて最大のエネルギーを溜め込んだ
状態で提示されることになります。

そういう意味では、構成とはエネルギーの頂点をどこに設定するか
とも言えるでしょう。
それは、作品の最後のこともありますし、エネルギーの頂点に
達した後、クールダウンとしてエピローグがつくこともあります。

ちなみに、指揮するときなどは、一通り楽譜を見終わったあと、
まず頂点はどこなのかを確認します。(私の場合はですけれど

そういう構成力の点に於いて、この動画はよくできているなぁと。
(最後のエピローグ部分は、ちょっと尻切れ感は否めませんが)

(続く)






魅力について続考。

2006-05-17 | 現代音楽日記
昨日は書いててアレレな結末になりましたので、
ひさびさにシリーズ物でお願いします(ぇ


最終的には、「人の魅力」について考えているんですが、
その前段階として、たぶん自分にとって一番関わりの深い
音楽について黙考してみます。

ここに書いてる時点で黙考じゃありませんが(-_-lll)

まぁ、独り言が口から漏れてるわけでもありませんので(-_-;)


日本の同時代的な作曲家で(現代作曲家という呼び名は
もういいかげん場違いな気がするので誰かいい
呼び名を考えてくださいよもう_| ̄|○)、
最も評価、支持ともに高いのは武満徹さんでしょう。

私にとっても、とても好きな作曲家です。

武満さんの曲は、「墨絵のような」という形容詞で
語られることもありますね。
西欧的なヨコの音楽ではなく、音が垂直に立ち上がるさまを
描きたいというようなことを、確かご本人も
おっしゃっていたように思います。

ですので、一般的には東洋的な作曲家であると認知
されていると思います。
(まぁ、ノヴェンバーステップス書いたからっちゅーのも
 あるとは思いますけど。あれあんまり好きじゃないんですよね)


しかし、武満さんが支持されつづけている(評価ではなく)のは、
東洋的なタテに発生する音楽を作ったからではないと思うんです。


だいたいそんなこと考えて聴きませんし(-_-lll)


どちらかというと、そのタテに響く音楽を作るに至った
経過が重要だと思うんですよね。

あ、作ると言ってしまえばご本人は否定なさるかも
しれませんけれど。
確か(文献が手許にないのでてきとーですいません)
ご本人が、「僕にとって音楽とは、作り出すものではなく
そこらへんにある音の河から注意深く取り出したものなのだ」
とおっしゃっていたと思います。

ここ重要です(-_-lll)(赤チェック

音の河から取り出す行為のことではなく、
音の河から取り出す行為の結果に恣意的要素を加えない
ということが重要なんです。

つまり、自然の状態をできるだけ忠実に表そうとした。
(自然描写したって意味じゃないです。お間違えのないよう)

んだと思うんですよね。

武満さんの曲を聴いていると、なんだか表面上
波打っている心のその下を見せられているような
気分になります。
それはつまり、日本的に言えば諸行無常ですか、
その移り変わる目の前の状況の下にある、大局的な
流れを掴もうとしているんじゃないでしょうか。

西欧音楽は、ずっと「人」というものの本質を
追いかけてきたように思います。
(それは、宗教的な視点から考えて至極自然だと
 思いますが、今回はそこには触れません)
それが、武満さんにとっては、「(無為)自然」の
本質の追求に置き換わったのでしょうね。

どちらにしろ、何かを追求して本質に迫るという点に於いては
なにも変わりません。題材が違うだけで。

アバンギャルド全盛時、奇を衒っただけの作品が
たくさん量産されたように思いますが、結局
「今何を作ろうとしているのか」ということを
見失わないでいた作曲家の作品が、今も生き永らえて
いるように思います。

魅力、それはモノゴトの本質の凝縮、ということなんじゃ
ないかと思います。


お手軽にヒーリングミュージックやアバンギャルド
書いてちゃだめですよ(-_-lll)



P.S.ファミリーツリーとモーツァルトの関連について
  書こうと思ってたのに、また書けませんでした(泣

  次こそは...(-_-lll)













コントロールされた魅力。

2006-05-16 | 現代音楽日記
ウケを狙うとはずします。こけます。はまります。

ぼーっとしてるときにぽつりとしゃべるとウケるんですよねぇ。

しかも、「なにがおかしいんじゃいゴルァ」
って言えば言うほど、周りは爆笑します。

殺意すら芽生えますね(-_-lll)



それはいいんですが。



魅力の魅の字は魑魅魍魎の魅です。
鬼です。
ばけものです

魅力っていうのは難しいですね。
なかなか作ろうと思って作れるものではありません。

正しくて論理的な人が魅力的なわけでもないし。
(むしろ反対のことが多いですね)
科学者なんかでも、魅力的で有名な人は部分的には
とても論理的ですけれど、どこかオカしいところがあるように
思います。(普通カメラに舌出して写らないと思いますし

かといって、天然であれば魅力的かというと、
そういうわけではないですよね。
自然にしていて疎ましがられる人もまたたくさん
いるように思います。


実は、今までに結構考えました。
作曲とかしてますと、どうしても甘さと辛さをどの程度
含ませるかということを考えざるを得ません。

一時期は、辛いだけの作品が多かった現代音楽界ですが、
最近は甘いだけの作品も増えてますね。
いいのかなぁそれで、と時々ふと思います。

魅力の魅の字は、とりつくという意味です。
つまり魅力とは、とりつく力です。
結局どうしたら相手にとりつけるかというと、
相手が潜在的に持っている欲求を満たしてあげれば
よいわけです。
そして、ある一面の魅力だけでは飽きられますから、
多面的な魅力を必要とするわけですね。

欲求の一面を満たすのは意外に簡単です。
たとえば人が癒しを求めていれば、癒される
ような曲を書けばよいわけです。

でも、それだけでは飽きられるからと、いろいろな曲想を
ぶち込むと、今度はぶち込んだだけの魅力ができるはずです。

って書いておいてなんですが、好きなだけぶち込むと、
かえって魅力が減ることもあります。
難しいですね(-_-lll)

結局、複雑なものをベースにしながら、表にはシンプルな顔を
見せるけれど、少しずつその顔が変わって行くような形が
一番多様な表情を出せるのかなと今は思っています。

人間で言えば、常に明るかったり優しかったりするけれど、
苦労の跡がふと顔に表れるような。


でも、実際にはなんでかわからないけれど魅力的な人や、
魅力的な曲ってたくさんありますよね。

あれはたぶんばけものがとりついています。
近寄らないようにしましょう。

危険です(-_-lll)
(ってあれ?書き始めたとき考えた結論と違うような...