先人の輝く大偉業「大和川付け替えの歴史を訪ねる」
水ぬるむ快晴の3月16日(日)に行われた歩育例会のテーマは「なにわの治水物語・Part-1・大和川付け替えの歴史を訪ねる」。
JR関西線・柏原駅から南へ約1キロの「大和川付け替え記念碑公園」で付け替えに尽力した中甚兵衛の碑をめぐり、過酷な自然と共存、逆境から叡智を育んだ人々の篤い想いにふれました。
大和川は1600年代、4度の大水害を起こし、人々を長い間苦しめました。
そんな中、中河内と呼ばれる地域の庄屋たちが「洪水を起こしにくい川を新たに造ろう」と立ち上がりました。
今米村(現在の東大阪市今米)の庄屋・甚兵衛が中心となって、多くの文書や絵図を作って川を付け替え、新田開発の有効さを幕府に訴えました。
実に50年余の陳情、単眼がついに実を結び、1704年、世紀の大偉業「川違(かわたがえ)」が始まりました。
この時、甚兵衛65歳。その力量が請われ工事の指揮も執りました。
説明を聞いた参加の皆さん「熱い・・・でも凄いドラマやねえ・・・」と、感動することしきりでした。