ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

ながいながいドン五郎のはなし(6)ウンチク前編

2007-10-29 | ながいながいドン五郎のはなし
さて問題です。ドン五郎は、だれでしょう?

  答えは、おわかりですね。


              セミの幼虫でした。

ちなみに、セミの幼虫は、地域によっていろいろな呼び名があるそうです。(参考 セミの家


ここから、本題に入りますよ。

少し前に、いじめた理由についての記事を読みました。
いじめ 摘発165件 力が弱い/無抵抗/いい子ぶる/動作鈍い(産経新聞) - goo ニュース

いじめた理由(複数回答)は
「力が弱い、無抵抗だから」が全体の27・3%で最も多く、次いで
「いい子ぶる、生意気」が27・0%、
「よくうそをつく」が11・7%、
「態度、動作が鈍い」が11・3%。


これを読んで、私が考えたことは、

なぜ、これらの要素が、いじめた人にとって、その人をいじめる対象とみなす理由となるのか、ということでした。言い方を変えると、これらの要素を持った人がいると、他の人は、その人をいじめる対象とする傾向があるのは、どうしてだろう、ということです。


頭に浮かんできた理由は、「進化論」教育でした。

「進化論」と一口に言っても、厳密には、いろいろな考え方があるようですが、ここでは、おおざっぱにひとまとめにして「進化論」と呼ばせていただきます。

「進化」の仕組みを説明するために、主に突然変異と自然淘汰が使われます。「進化論」を成立させるためには、自然淘汰の原則とは、環境により適したものが生き残る、ということになります。逆に言えば、環境に適応する能力が劣るものは生き残れない、滅びて行った、それが私たちの生きている世の原則だ、ということです。「進化論」教育は、これが正しいことなんだ、と教えていることに他なりません。

このことを、やっと文字が読めるか読めないかの頃から、子どもたちは(選択せずして)聞かされて、その考え方を(自分の意図とは関係なく)頭に埋め込まれて、育つわけです。

「環境に適応する能力が劣るものは生き残れない、滅びて行った、それが私たちの生きている世の原則だ」と聞かされ続け、頭に刷り込まれた子どもたちが、その考え方に沿った行動をとることは、ごくごく当然のことです。

自分より弱いものをいじめる。自分が存在しやすい環境を作ろうとして、生意気なやつ、ウソをつくやつをいじめる。自分より鈍いもの、劣るものをいじめる。・・・これらは、「進化論」が正しいと教えられた子どもたちにとっては、「自然」な行動です。なぜなら、それが世の原則だと、教え込まれているのですから。


私は、本気で、「進化論」教育は、いじめを作り出す理由の無視できない要素だと思って、疑いません。(あくまでも「要素のひとつである」と言っているだけであって、「進化論」教育がいじめの原因のすべてであるとは言っていません) 私は、自然科学者でも、文化人類学者でもありません。だから、私の意見は、まったくピントがずれていると、笑って、無視していただいて、いっこうにかまいません。

でも、今日も、他の人より少し弱いから、変わっているから、正直だから、おっとりしているから・・それが理由でいじめられ、自殺を考えるほど悩んでいる子どもたちがいることは、忘れられてはなりません。そして、その環境を作ってきたのは、他でもない、私たちです。

(次回は、解決の糸口をウンチクります。)