いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(546)「きてごらんなさい」

2015年12月01日 | 聖書からのメッセージ

 「ヨハネによる福音書」1章35節から42節までを朗読。

 

 39節「イエスは彼らに言われた、『きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう』。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった」。

 

 ここに「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」と言われていますが、「いったい、何のことかな?」と思います。この記事にイエス様と二人の人が出会ったことが語られています。35節に「その翌日」とありますが、いつの日を基準にして「翌日」なのか、もう一つ前をたどると29節にも、「その翌日」とあります。遡(さかのぼ)っていくと、ユダヤ人たち、祭司やレビ人たちが、バプテスマのヨハネのところに訪ねて来たことが、1章19節以下に語られています。

 

 バプテスマのヨハネがヨルダン川でバプテスマを授けていました。ところが、ユダヤ教の人たちは、「バプテスマを授けるというのは、救い主が来たという証である」と信じていました。ですから、バプテスマを授けていたヨハネを見たときに、ひょっとしたら、これはメシアと預言されている、旧約時代から約束された救い主の到来ではないか? と思って、直接尋ねに来るのです。それが事の始まりでした。ヨハネの所へやって来て「あなたは、あの預言者たちが語ったメシアという人なのか? 」と尋ねました。すると、ヨハネは「いや、わたしはそうではない。実はわたしのあとにおいでになる方こそが、その方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値打もない」と言った。「では、なぜあなたはこんな所でバプテスマを授けているのか? 」「いや、わたしは罪の悔い改めのバプテスマ、いうならば、次に来られるまことの救い主のための備えをしているのである」と語ったのです。そういう問答をした日から事が始まって、29節に「その翌日」となるわけです。

 

 29節に「その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』」と。このときバプテスマのヨハネに出会う。考えてみると、イエス様とヨハネは遠い親戚にあたるといいますか、イエス様がお生まれになる半年前にエリサベツに身籠(みごも)ったのがこのヨハネであります。エリサベツとマリヤさんとは親しい間柄であったことが語られていますから、満更(まんざら)知らないわけでもなかったかな、と思います。(ルカ1:36には親族とあります)。お互いは生まれてから30年以上月日がたっていますので、その間交流があったかどうか分かりませんが、初めてだったかもしれません。それでヨハネはイエス様を見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」、多くの人々の罪のあがないとなってご自身をさげてくださる御方と。その当時旧約時代の名残といいますか、律法の下で生きていましたから、彼らは罪の赦しを受けるためにいろいろな動物を犠牲としてささげました。牛や羊、山ばとであるとか、それをもって自分の罪を清めていただくのが、慣例でありました。その律法にしたがって、イエス様ご自身が罪を取り除く動物となってくださった。動物をささげることが自分の身代わりとしてであったのです。だから、イエス様は神様から遣わされて私たちの身代わりとなり、罪を清めてくださる御方、ご自身が罪を取り除いてくださる羊となってくださることをヨハネははっきりと告白しました。

 

 アブラハムがイサクをささげたとき、「主の山に備えあり」と語ったように、神様がイサクではなくて、羊を備えてイサクを救ってくださったという記事がありますが(創世 22:14)、イエス様ご自身がささげられるべき小羊となったことをヨハネは告白したのです。他の福音書には、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになったことに触れられていますが、「ヨハネによる福音書」ではそのことを特別語っていません。ただ、32節に「ヨハネはまたあかしをして言った、『わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た』」と語っています。イエス様の上に「聖霊がはとのように」と、どのような様子であったのか具体的なことは分かりませんが、何か尋常ならぬ、普段と違う体験をイエス様がなさった。そのそばでヨハネは目撃したのであろうと思います。ほかの福音書と読み合わせてみますと、バプテスマを受けて水から上がられたとき、神の御霊がはとのように下ったと語られていることに相通じるのだと思います。このヨハネの記事によりますと、イエス様の聖霊が注がれたのがいつであったのか? このことは定かではありません。聖霊がはとのようにイエス様に下るのを見ればこそ、「世の罪を取り除く神の小羊」、この方こそまことに来るべき救い主、メシアである、とヨハネは信じたのです。

 

 そして35節に「その翌日」、そういうことのあった次の日、「ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていた」、ヨハネはイエス様より先に預言者といいますか、その当時の霊的な指導者として活動を始めていましたから、ヨハネのもとに弟子たちがいたのです。一つのグループを形成していました。その弟子たちに対してイエス様のことを紹介したのが、恐らくその前日のことであったと思います。ヨハネと二人の弟子たちが一緒に立っている所にイエス様が通りかかる。そしてヨハネが二人の弟子に「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言うわけです。

 

どうしてこんなことを言うのだろうか? と、わたしはすぐそういうのに引っ掛かる。「これはいったいどういうことなのだろうか」と思ってしまいます。恐らく、ヨハネは自分の弟子に、イエス様のことを知ってもらいたいと願ったのでしょう。この方こそ神様から遣わされたまことの救い主、あなた方が求めるべき御方はこの方だよ、と二人の弟子に言ったに違いない。というのはその後37節に「そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った」とあります。いうならば、鞍(くら)替えしたわけであります。それまでバプテスマのヨハネの弟子であった彼らが、今度はイエス様に付いて行くのです。それをヨハネは願っていた。だから「あなた方が仕えるべき御方はこの方だよ」と二人の弟子たちに勧めたといいますか、励ましたのだと思います。ヨハネは、自分の弟子が二人減ったのだから、困ったな、というのではなく、むしろ喜んで、「まことの救い主」とヨハネ自身も信じて、イエス様のことを受け入れていたのです。だから、弟子たちにもイエス様を知ってほしいと願いました。

 

この二人はイエス様に付いて行きましたが、38節に「エスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた」。イエス様はご自分の弟子を集めていたといいますか、募集していたわけではありません。ただ歩いていたところ、後ろから付いてくる連中がいる。離れない、それで「何か願いがあるのか」と聞いているのです。そのときに「彼らは言った、『ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか』」。これもまたおかしな問い方だと思うのです。「どこにおとまりなのですか」と。これは必ずしも泊っている場所がどんな所かを聞いているのではないでしょう。イエス様がどういう御方であるのか知りたい。

 

私どもでも、初対面の人に会うとき、「この人は、いったいどういう人だろうか」と、人柄を知りたいわけです。気難しい人なのか、気の優しい人なのか、どういう性質の人なのかを知りたい。けれども、それをストレートに聞く人はいません。「気が難しい人ですか?」と言うのではなく、皆さんだったら、「どちらにお住まいですか」、でしょう? あるいは、「ご出身はどちらですか? 」と。

 

先だっても、初めてお会いした方に「初めまして、教会の榎本です」と、向こうの方も「どうぞ、よろしく」と、「今はどちらにお住まいですか? 」、「私は千葉に住んでおります」、「はぁ、そうですか、千葉には長いのですか? 」、「いや、出身はもっと他です」「どちらですか? 」「淡路島です」と、「ほう、淡路島で、それから千葉まで?」と、そんな話をしましたが、それを聞いたからといって、その人自身のことが分かるわけではない。そうでしょう、外側の……、どこに住んでいようと、千葉に住んでいるから「この人はちょっとややこしい人かな」とか、そんなことは思わないでしょう。けれども、相手を知りたいときの問い掛けとしては、まずどんな仕事をしているのだろうか、家族はいるのだろうか、結婚はしているのだろうか、していようとしていなくても、その人の性質や性格には関係がない。ところが、氏素性を知りたいというわけではないが、その人の人となり、あるいは、その人の人生観なり、そういうものをもっと深く知りたいとき、その取っ掛かりといいますか、その切っ掛けがそういう問いになるのです。

 

だから、この二人が「どこにおとまりなのですか」とイエス様に聞いたのは、必ずしも場所を教えてくれ、ということではないでしょう。イエス様のことを知りたい、「イエス様、あなたのことを教えてください」という思いです。その後39節に「イエスは彼らに言われた、『きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう』」。あえてイエス様が「きてごらんなさい」と言われるのは、彼らが「イエス様、あなたはどういう御方ですか、本当に救い主でしょうか? 『神の小羊』とヨハネが言うけれども、あなた(イエス様)をどういう御方であるのか深く知りたいのです」と尋ねているのです。だからイエス様は「きてごらんなさい」と答えられる。これはまことにもっともな話です。

 

私たちでも人を知ろうとするときは、履歴書を見れば概略は分かりますが、その人が何を考え、何を大切にして生きて来たか、あるいは、人生に付いてどういう思いを持っているのか、そういう心の奥底まで私たちは履歴書で知ることはできません。だから「結婚の相手の紹介をしてください」と言うときでも、お見合をしたりします。そのとき、「釣書」(身上書)というものを交します。「釣書」というのは、なんだか魚でも釣るようですが、そうではありません。それによって自分を知ってもらうのです。しかし、実際にはなにも分かりません。良いことばかり書いているから、おとなしくて、気立てが良くて、親孝行でと、「ほう、立派な人やな」と思って、会ってみたら違っていたという話もあります。

 

そういう外側のことをいくら聞いてみても分からない。じゃ、どうするか? 「じゃ、しばらく交際してみなさい」と。お見合いのときでも、一応履歴は見ますが、その書類段階で断られることはいくらでもあります。でも、逆に言うと、惜しいこともあります。実際を知らないままに断ってしまうのです。知るためにはそれに触れなければならない。仲介者を通して相手のことを聞くことも、もちろん無駄なことではないでしょうが、しかし、本当に相手を知りたいと思うと、ファースト・ハンド(直接的に・じかに)といいますか、自分自身が直接体験すること、触れること、これ以外にありません。これは人と人でもそうでありますし、神様と私たち、イエス様と私たちの関係も確かにそのとおりです。

 

だから、ここでイエス様が「きてごらんなさい」と言われたのは、つべこべ説明しても難しいから、来てみなさい、「そうしたらわかるだろう」と言うのです。「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう」(6:3)と「ホセア書」にいわれていますが、イエス様を知るのは、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」とイエス様はおっしゃいます。

 

私たちもそうです。いろいろな人たちから「あなたは教会に行っているらしいけれども、キリスト教ってどんなものですか」と言われたら、私たちは説明の仕様がないでしょう。聖書の話をするって……、結局は「来てご覧なさい」と「一度集会に来てご覧なさい」と言うしかないのです。「直接あなたが来て、体験してみれば分かる」。そのとおりです。

 

だから、イエス様がここで「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」というのは、そのとおりです。イエス様の所へ来ることがまず大切です。しかも人に代わってもらうわけにはいかないのです。皆さんが直接にイエス様に触れる。この体験をするということが大切です。

 

この御言葉には忘れられない一つのエピソードがありまして、必ずしもこのお言葉の真意であったかどうかは分かりませんが、昔、若い女性の信者の方がおられたのです。その方が好きな男性がおりました。彼女はなかなか人気者で、二人の男性が熱烈に恋をしたのです。二人とも一生懸命に彼女に求愛をするのですが、彼女は頑としてその求愛を拒んでいました。その理由は「同じ信仰を持ってもらいたい」ということです。「信仰のある人と私は結婚したい」と。それで恋する二人は一生懸命に教会に励むようになりました。一人の人は早くからクリスチャンになっていたから、「彼女の希望としてはそちらの人かな」と、周囲の者には思われました。ところが、もう一人の方はノン・クリスチャンで、今まで教会にも行ったことがない。彼女と出会って、彼も猛チャージを掛けまして、彼女の心を捕えようとしたのですが、彼女から「私はクリスチャンでないと結婚したくない」と言われました。それで彼はがっかりしました。初めのうちは教会にも来ていたのですが、ライバルを見ると、自分がちょっと背も低く、ずんぐりとした人だったので、引け目を感じる。片やすらっとして背も高くてという、状況でした。

ところが、ある時、伝道集会に来たのです。メッセージの中で「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」と聞いたのです。その言葉がパッと彼の心にとどまった。「そうだ、自分は彼女に気に入られるよう一生懸命に信じたいと思いながら、信じようと思っても、どうしてもそれができなかった」と言うのです。いくら恋の力でも信仰を持つことは難しい、こればかりは。それで彼はちょっとがっかりしたのです。「頑張ってみても自分は駄目や」と、「信仰を持て、と言われても自分はできん」と思った。ところが、「きてごらんなさい」と言われる。「そうなのか。イエス様の所へ来れば分かる、信じられるのだ」と思った。それから熱心に教会に励む。彼女以上に一生懸命に求め始めたのです。そうしましたら、彼は救われて、洗礼を受けるまでになった。そうしましたら、彼女のほうがコロッと風向きが変わって、彼に大変心酔したのです。とうとう二人は結婚しました。彼は聖書のひと言、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」と信じて、「よし、私もイエス様の所へ行けば分かる、信じられるのだ」と信じたのです。それで励んで、そのうちイエス様の救いということがはっきりしたのです。

 

だから、屁理屈を言って、難しい聖書がどうとか、教会なんかに行って何になる、とかいう家族がいたら、「まぁ、つべこべ言わずに来てご覧なさい」と言えばいい。これしかないのです。「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。

 

このときのイエス様の答えはまさにそのとおりです。そのときこの二人はどうしたか? 「そこで彼らはついて行った」。彼らはイエス様に付いて行きまして、「イエスの泊まっておられる所を見た」とあります。彼らがイエス様の泊っているところを見たというのは、イエス様の人となりといいますか、そういうものを知ることができた。それでもう「イエス様はこういう所に泊っているのか」と言って、「じゃ、さようなら」と二人は帰って行ったかと言うと、そうではなかったのです。「そして、その日はイエスのところに泊まった」。ここで彼らはイエス様の所に泊るのであります。いうならば、イエス様と一緒になることです。生活をすることです。

 

これは信仰に導かれていく三つのステップと言ってもいいかもしれません。最初は「あなたは、どこにおとまりなのですか」とまずは問い掛けます。その段階ではまだイエス様のことはよく分りません。「きてごらんなさい」と言われ、それでイエス様に直接出会う。付いて行ってイエス様のことを見る。どこに泊っておられるかを見た。「聞いて」、「見て」その次「泊まる」のです。そこで実体験をする。自分で実際にイエス様を経験する。これが大切なことです。

 

その後40節に「ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった」とあります。何とペテロの兄弟であるアンデレは、もう既にバプテスマのヨハネの弟子だったのです。そして、そのアンデレがイエス様の所に泊ることによって彼はイエス様を深く知り、そして今度はイエス様の弟子になるのです。12弟子の一人になります。そのアンデレの信仰、イエス様に出会うきっかけが何であったのか? 実はここだったのです。「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。

 

そして、アンデレは、41節に「彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、『わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った』」と語っています。これはすごいことです。アンデレはバプテスマのヨハネの弟子であって、恐らく、道を求めるといいますか、救いを求めておった人物だと思います。だから、若くしてそういう指導者(ヨハネ)に出会い、弟子になっていたのでしょう。ところが、もうひとつはっきりとした救いの確信が得られない。バプテスマのヨハネも「まことの救い主はわたしではない。私は誰を救うわけでもなく、その前触れとして、道備えとして遣わされたものにすぎない」と言う。アンデレは更にもっと深く知りたいと思ったのだと思うのです。だから「神の子羊」と聞いたときに、「この人こそメシアかもしれない。救い主でいらっしゃるに違いない」と思う。だから「どこにおとまりなのですか」と、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。彼は喜んでイエス様に付いて行って、そこを見ました。見たら、なお一層主を知りたいと思って、とうとう泊ってしまう。イエス様に結び付いて行く。そしてその証言が41節に「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」と。わたしたちは救い主に出会った。これはアンデレの決定的な信仰の出発点であります。もうこのとき、かつての自分の先生であるバプテスマのヨハネのことは何にもないのです。イエス様だけ、そればかりでなくて、自分の兄弟シモンにまでこのイエス様を紹介する。42節に「そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、(あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする)」。

ここでイエス様は、ペテロをご自分の弟子にしてくださった。このへんの記事は実に淡々と書かれていますから、詳しいことはよく分かりませんが、他の福音書ではイエス様がガリラや湖畔を歩いていたとき、そこにいたペテロやヨハネたちに「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:16~)と言ったという記事がありますから、このことはどういうつながりがあるのか、どういう時間的な関わりがあるのか、これは定かではありませんが、いずれにしても、ペテロがイエス様の救いにあずかって、12使徒の一人になる大きな切っ掛けにアンデレが不可欠なのです。欠かせない人物であったことは確かであります。そして神様のご計画の下にアンデレからペテロ、ペテロから地中海各地の教会に……、やがてローマカトリックと言うように、これは神様の大きなご計画であったと思いますが、しかし、その一番最初は何であったかというと、単純です。「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。

 

ともすると私どももイエス様のことを頭で理解しよう、あるいは、多くの情報を集めてそれでイエス様のことを知ろうとします。いろいろな人の経験を聞きます。証(あかし)を聞きます。「なるほど、素晴らしいことだ」と、またいろいろな方の書いた物を読んだりもします。しかし、それはあくまでも間接的な情報でしかありません。大切なのは、私たち一人一人がイエス様に出会うこと、そしてイエス様と共に生きる、生活することに他なりません。アンデレともう一人の弟子がイエス様の泊っている所に行って、見て終わりではなく、泊まったのです。その晩はそこに泊ったと。これは非常に大切なことです。よみがえったイエス様は「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)と約束なさって、私たちの内に宿ってくださる。そのイエス様を信じて、日々の生活の一つ一つの事柄で「主がここにいます」と信じて、主のために生きること、主の御心に従うことを通して、初めて主に触れることができるのです。だから、毎日の生活の一つ一つの中で、何かしようと思うとき、「イエス様のためにこのことをさせていただくのだ」と信じて、「主のために」、そのことを引き受ける、あるいは、自分にゆだねられたこととして、踏み出して行く。

 

 「コロサイ人への手紙」3章16,17節を朗読。

 

 17節に「そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし」と、ここですね。「主イエスの名によってする」。「これはイエス様のためです」と信じてすることです。だから、家族のためであろうと、あるいは、主人のためであろうと、子供のためであろうと、あるいは、誰彼のためであろうと、「あんたのために……」ではないのです。「私は今このことをイエス様、あなたの御心と信じてこのことをさせていただきます」と、イエス様の名によってそれをしますとき、そこでイエス様に出会うのです。それをしないままに意気に感じてといいますか、「ようし、それじゃ私がやってやるわ、あんたのために」となると、後でとんでもないいろいろな感情のもつれの中に、ややこしい事に落ち込んでしまいます。私たちは常に潔(いさぎよ)く「主のために」と、「イエス様、どうぞ、あなたが求めていることを信じて、主の名によってこのことをさせていただきます」と、踏み出して行くとき、たとえ自分では不可能と思えること、「これは難しいな」と思うような事態や事柄にあっても、イエス様が力を与え、また共にいてくださって、知恵を与えて、そのことを全うしてくださる。そして、それを成し終わったときに心から感謝できるのです。「主よ、あなたがこのことを導いてくださって、このようにさせていただきました」と、主に感謝する。それが人から褒められようと、そしられようと、そんなことはもはや関係ないといいますか、何の問題でもない。ただ主に喜ばれる者となっていく。これがイエス様と出会うこと、イエス様に触れることです。だから、地上での日々の生活で、イエス様と共に歩んで、主を深く直接的に経験し、体験して行く。

 

 ヨハネによる福音書」4章39節から42節までを朗読。

 

 これはサマリヤ地方のスカルという町での出来事です。イエス様はちょうどお昼時に通りかかったのです。そこで休憩をしました。弟子たちが昼食を調達に出掛けて行って、イエス様は井戸の所に残っておりましたとき、一人の女の人が水をくみにきた。そこで声を掛けてイエス様との問答が始まりました。その女の人は不品行な人で、5人も主人を取り換えて、今のご主人も自分の主人ではないという、複雑な事情の人でした。イエス様はその女の人の状況を全部知りつくしてくださった。それで、その人の罪を赦し、清めてくださったのです。彼女はイエス様を知って大変喜びました。「本当にこのイエス様こそがまことの救い主です」と、彼女は小さな町に出掛けて行って、そこにいる人たち皆にそのことを伝えたのです。すると39節に「さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、『この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた』とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた」。この女の人はイエス様のことを熱心に証しして回ったのです。すると、「そうなのか、そういうことならその人を信じよう」と、イエス様を信じたのです。信じたといっても、その女の人からの伝聞によって、その人の言葉を通して信じたのです。彼らが直接イエス様に触れて信じたのではありません。信じることの段階がいくつかあります。だから、彼らは取りあえずその女の人が紹介してくれた言葉を通してイエス様を信じたといいますか、ある程度のことは分かった。ところが、そのイエス様のことを聞いて信じて更に深く知りたいと思ったのです。その後40節に「そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された」。まだこれから先へ行く途中だったのですが、その女の人の言葉を聞いて信じた人たちが、イエス様の所へ直接やって来ました。そして「ぜひ、ここへ滞在してください」と。その願いに応えてイエス様は更にこのスカルの町に二日とどまっているのです。イエス様を信じた人たちはここでイエス様と更に深く交わる。この滞在したということは、極めて大切な出来事です。そして、その結果41節に「多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた」。39節には「女の言葉によって、イエスを信じた」とあります。41節には「イエスの言葉を聞いて信じた」。同じようでして大違いです。

 

 私たちもそうです。教会に行って先生の話を聞いて信じただけでは駄目です。皆さんが直接イエス様の声を聞く。イエス様に触れる。「イエスの言葉を聞いて信じた」。彼らは直接イエス様から聞いたのです。その結果、42節に「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」と告白する。すごいことです。このサマリヤの人たちは、女の人の言葉で取りあえずイエス様を信じたけれども、もう一つ深く踏み込んで、そこに滞在してくださる、とどまってくださったイエス様に触れるのであります。直接出会う。これが「来てみなさい」と求めていらっしゃることです。そして彼らが何を知ったかというと、「この人こそまことに世の救主である」。イエス様を救い主・キリストと告白する信仰に立つのです。

 

 私たちにイエス様が求めておられるのはそこなのです。「あなたにとって、イエス様は誰ですか? 」ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき(マタイ16:16)、イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれと言うか」と問われ、シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。このときのサマリヤの人たちはまさにそれと同じ告白、信仰を言い表す。「この人こそまことに世の救主である」。

 

 「ヨハネによる福音書」1章41節に「彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、『わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った』」。救い主にいま出会った。アンデレにこの信仰を言い表す者としてくださった切っ掛けは、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」の一言です。イエス様の所へ来て、「わたしに触れ、私にとどまっていなさい」。彼らがイエス様の所へ来て、そこでイエス様の所へ泊まったのです。宿ったのです。

 

主は私たちの内に、内住の主、内に住み給う御方として宿ってくださっておられる。この主に触れる毎日でありたいと思う。そして今日も主よ、あなたは救い主、キリストです」と言い表す堅い信仰に立って歩ませていただきたいと思います。

 

 ご一緒にお祈りをいたしましょう。


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