いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(407)「感謝の石塚を建てよ」

2014年12月09日 | 聖書からのメッセージ
 「サムエル記上」7章12節から17節までを朗読。

 12節「その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた」。

 今日は3月31日で、今年も三か月を過ぎ、一年の4分の1が終りました。この短い3ヶ月の旅路ではありますが、振り返ってみるといろいろな事の多い日々でした。個人的な生活上のいろいろな悩みや問題、また思い掛けないうれしいことや楽しいこともひっくるめて次々と事がありました。また日本の国にとっては、これは恐らく歴史にも残る大変悲しい出来事でもありますけれども、東日本大震災という大きな試練に直面しています。今なおその状態は進行中といいますか、続いています。次から次へといろいろな暗いニュースが伝わってまいります。既に亡くなった方々、確認されただけでも2万数千人といわれています。今なお行方不明という、生死の不明な方々が更に何千人という規模で残されていますから、最終的なその死傷者の数は想像のつかないぐらいになっている。こういういろいろな事の多い中で、こうして今に至るまで幸いに恵まれています。「いや、私は恵まれとらん」と思われる方もおられるでしょう。しかし、いずれにしても食べるに事欠くことなく、着る物にも不自由しない。また、暖かい寝床が与えられ、こうして健康を与えられて集会にも励んで来ることができる。また聖書のお言葉を通して、神様の力にあずかることができる。どれ一つ取っても感謝しなければならない、喜ぶべきことばかりです。ところが、ついそういうものに慣れてしまうと、「当たり前だ」と思ってしまう。

ですから、関東から東北の被災された方々の所は計画停電で、思うように電気が使えない。一日に何時間か停電する事態に陥(おちい)って大変不便を感じ、不平や不満が募(つの)ります。考えてみたら、昔は今のような時代ばかりではなかったのです。戦争で壊滅的に全ての物を失った後に、今に至るまで神様の憐れみのゆえに保たれて来ました。24時間、365日電気が思うように、好きなだけ使える状態、これは感謝すべきことですが、それを忘れてしまう。当り前、当然のように、スイッチを入れて「どうしてつかないのだ」と、腹を立てる。とんでもない話であります。それは一つの例にしかすぎませんが、考えてみると、私たちがこの地上に生かされていることの、一つ一つの背後に神様の大きな力と恵み、憐れみ、御愛が注がれていることを、つい私どもは忘れてしまう。

 いま読みましたこの記事はサムエルがイスラエルの国を士師(指導者)として治めていた時のことです。この当時は王様がまだいないので、その時時に応じて神様が立てられた人物、士師と呼ばれる人たち、そこには祭司もいましたし、そうでない民間の人もいました。神様が霊を送ってその人々を招いて選び、イスラエルの指導者として用いられた時代であります。ですから、誰か一人の人がズーッと長くイスラエルを支配することはなく、次から次へといろいろな人物が立てられた時代であります。その一番最後がサムエルです。祭司ではありましたが、彼はイスラエルの人々のいろいろなことを取り仕切る、そういう世話役係のようなものであります。それを神様から託せられていたのです。この頃イスラエルの国はペリシテ人とのいさかい、争い、戦争が繰り返し続いておりました。このときも、サムエルの指導していた時でありますが、ペリシテ人がかれらを攻めて来たのです。神様はサムエルの祈りに答えてペリシテ人を打ち破ってくださいました。そのことがその少し前の所に書いてあります。

 「サムエル記上」7章8節から11節までを朗読。

 ペリシテ人が攻めてくることで大変悩んでおったイスラエルの人々、ペリシテ人を恐れていたのです。ところが、とうとうたまらなくなって祭司サムエルの所へまいりまして、8節に「われわれのため、われわれの神、主に叫ぶことを、やめないでください」。神様に祈ることを続けてください、と頼んだのです。これは大変幸いなことだと思います。何か事があると、神様を呼ぶよりはあの方法を取ろうとか、こういう解決をしようとか、こういう手段で行こうといろいろ考えます。私どもは別に戦争をしているわけではありませんが、日々の生活の中でも次から次へと解決しなければならない問題、悩み、そういうものが起こって来ます。そうすると「どうしよう?」と、最初はうろたえて、その後すぐに「ああもしようか」「こうもしようか」と、右に左にいろいろなことを思い巡らす。そして、あちらに頼み、こちらに助けを求め、また、自分の力を使って「何とかしてこの難関を乗り切ろう」と思いますが、神様がそのようにいろいろな事を起こされるには、それなりの目的がある。その全ての場合に共通する大切なことは、悩みや困難に遭うとき、あるいは心配や不安の中に置かれたときに、私たちがまず主に帰る、神に帰る、神様に立ち返ることです。

だからイザヤ書30章にも歌われていますように「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」と。ところが「しかし、あなたがたはこの事を好まなかった」と。そして「否、われわれは馬に乗って、とんで行こう」と。また「われらは速い馬に乗ろう」と手段や方法、解決することばかりに心が捉(とら)われる。しかし、全てのことを解決へと、それを導かれるのは神様以外にいらっしゃいません。

だから、このときイスラエルの人々はどうにもたまらなくなった。ペリシテ人が怖い、恐れを感じましたから「何とかして……」と思ったときに、彼らは自分の力に頼らなかったのです。サムエルの所へ来て、神様に祈ることを求めたのです。この8節に「われわれのため、われわれの神、主に叫ぶことを、やめないでください」「叫ぶことを、やめない」、いうならば「切に祈り求めることを続けてください」と彼らは求めました。というのは、「そうすれば主がペリシテびとの手からわれわれを救い出されるでしょう」。サムエルが祈り続けてくれれば、神様がそれに必ず答えてくださる。これがイスラエルの人々の大いなる信仰であります。これには恐らくサムエルも大変喜んだと思います。民のほうから、自分たちから「何とか、祈ってください」と願い出てくるのですから、他に方法がないのです。そこでサムエルは9節以下にありますように、いけにえ、犠牲をとりまして、それを燔祭として主にささげる。そして、イスラエルの民のために、神様に向かって祈りました。そのとき主はそれに答えられたのです。神様が答えてくださった。これは今でも変わることのない真実であります。私どもは、まず神様に求めること、これが最善にして最高の道です。このときサムエルは「小羊一頭をとり」とあります。燔祭をささげて主に祈ったと。いま私たちは何をささげるか? 私たちは別に何もささげる物とてありませんし、神様の御心にかなうささげ物はできません。しかし、今は神の子羊、キリストの十字架が建てられているのであります。これは永遠に変わることのない私たちにとってのあがないのいけにえ、また、私たちのために執り成し給う主の証詞であります。だから、私たちがお祈りするとき、常にこのいけにえをささげて祈っている。イエス様が常に私たちのために執り成してくださる。私たちの祈りを父なる神様の御心にかなうものとしてくださる。これが私たちの祈りの力であります。もし、そうでなければ、ただ単なる気休めのつぶやきにしかすぎない。しかし、聖書に約束されているように、イエス様は父なる神の右に座してくださって、私たちの祈りを執り成しておってくださる。それゆえに私たちの祈りが聞かれないはずがない。だから、このイエス様の十字架を信じて祈ることが大切です。これは私たちに与えられている大きな恵みであります。このときもサムエルは「小羊一頭をとり、これを全き燔祭として主にささげ」て祈りました。

9節の中ほどに「そしてサムエルはイスラエルのために主に叫んだので」とあります。「主に叫ぶ」のです。それに対して主はこれに答えてくださった。「サムエルが燔祭をささげていた時、ペリシテびとはイスラエルと戦おうとして近づいてきた」。祈りの真っただ中にペリシテ人がやってきたのです。ところが、神様は不思議なわざを起こしてくださった。ペリシテ人に大いなる雷の音をとどろかせたというのです。具体的にどんな状況であったかは、定かではありませんが、いずれにしてもペリシテ人がビックリ仰天するようなことを神様はなさった。いうならば、大津波のような、それこそ山も震うような力を神様はあらわしなさったに違いありません。ですから、ペリシテ人は混乱を起こしまして乱れ、そして逃げ去って行く。11節に「イスラエルの人々はミヅパを出てペリシテびとを追い、これを撃って、ベテカルの下まで行った」。後は逃げるのを追いかけるだけのことですから、こんな楽な話はない。神様は私たちの思わない、想像のつかない、考えもしないようなわざをしてくださる。だから、お祈りするとき白紙になって「神様、あなたがよし、と思うことをやってください」と、委ねきっていくときがいちばん幸いです。下手に条件を付けて「神様、こうしてください」「ああしてください」「これは、嫌です」とか言っていると、返って神様はストップしなさいます。私たちが真剣に神様を求めるまで待っておられます。だから、お手上げになること。いつも申し上げますように「白紙委任」です、神様に対しては。「どうにでも神様してください」と、そこまで主に信頼し祈っていきますと、神様は必ずそれに答えてくださる。

事実、ここまでも主は私たちに答えてくださった。皆さんもこの短い3ヶ月ではありますが、振り返ってみてどれほど祈ったことか。既にその問題や事柄は「ああ、そうか。忘れておった」というぐらい、私どもは健忘症ですから、忘れてしまっていることがたくさんあります。もう一度、それを振り返って「ああ、そうだ。ああいう中に……、あのとき眠られない思いをして祈ったではないか」と、それなのに、いま見てみると「何だ、当り前じゃないか」と思っているところがありますが、どれ一つ取っても神様の憐れみによらないものはどこにもないのです。それに対して私たちはどれ程感謝しているか。

このときイスラエルの人々は勝利を得まして12節に「その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた」。そのときサムエルは神様がこのことをしてくださったという、証詞の石塚、石の塚をそこに建ててエベネゼルという名前をつけたというのです。その意味は「主は今に至るまでわれわれを助けられた」です。今この時に至るまで神様の助けによって、今日在(あ)らしめて頂いている。今日も生きる者として頂いてここに置かれていることを証詞する、明らかにする石塚です。これは感謝の石塚でもあります。それをはっきりと彼はここで置いたのです。「こうして」と13節に「ペリシテびとは征服され、ふたたびイスラエルの領地に、はいらなかった。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテびとを防いだ」。サムエルが生きている間、ペリシテ人は二度と襲って来なかったという。いうならば、このエベネゼル、感謝の石塚をもってそこでペリシテ人を防いだのです。私どもは同じことを繰り返しているように思うとき、どこかで歯止めが掛っていないのです。どこか漏れている所がある。神様の前に全面的に「これは主の恵みでした」と言い切るといいますか、一線を引くことがきちんとできなければ、どこかで崩れるのです。水漏れしていくのです。

いま福島原発はいろいろな問題を抱えて大変な事態になっていますが、どこから水が漏れているのか分からないという。どこが破損しているのか分からない。それで思うように事が進まない。あちらで頓挫(とんざ)し、こちらで行き詰って、次から次へと問題が起こっている。私たちは神様の前にきちんと隙間のない石塚をピシッと建てないといけません。それは、はっきりと感謝することです。私たちはいろいろな事を祈ります。それに対して神様は憐れみをもって一つ一つ事を全うしてくださる、恵んでくださる。思うよりも願うよりも勝れることを、私たちの想像のつかない善いことをしてくださる。「良かった。感謝、感謝。良くなった」と、一言口では感謝と言いながら「でも、あの人がしてくれて良かったよね」「この人が……、こういうこともあって良かったよね」と、どこかで「神様がしてくださった」と100パーセント言えない。言っているつもりだけれども、どこかで間引いているといいますか、引いている。「あの人もしてくれた」「この人も……」時には「やっぱり私があの時前もってああしておったのが良かったのだ」となります。神様の恵みをはっきりと証詞していくといいますか、言い切ってしまう。これが私たちにとっては大切な力です。というのは、次に何か事があったとき、その感謝した石塚、そこから後ろには下がらないからです。そこで防がれていく。「そうだ。あの時も主が働いてくださったのだから、今度もまた神様はくすしきわざをしてくださるに違いない」と。そのように期待していく信仰をサポートするといいますか、支えてくれる力になるのです。

ですから、このときサムエルが「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と言って、その名をエベネゼルと名づけて、それをきちっと感謝して、そこに目に見える形で石を建ててしまったのです。それを見るたびに「これはあのときに感謝したことだ」と、見るたびに「これはペリシテ人の戦いで勝利を与えられたのだった」と思い返す。そう意味で私たちも具体的に感謝の証詞をたてておくと幸いだと思うのです。生活の上で具体的に「これはこうしておく」と決めておく。後々家族が「これはどうしてこんなことをしているのだろう」、「いや、それはこういうことがあって感謝してこうしているんだよ」と証詞できれば幸いです。ですから、私たちは常に神様に対して感謝することを忘れてはならない。

「ルカによる福音書」17章11節から19節までを朗読。

これはイエス様がある村に入って来られたときに10人の重い皮膚病に掛っている人物に会ったときです。彼らは遠くのほうから声を上げて「イエス様、わたしたちをあわれんでください」と懇願(こんがん)しました。そのとき14節に「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。その当時こういう病気に掛った人たちが「癒された」ことを証明してもらう必要があったのです。「あなたの病気は完全に癒されました」と、その証明をするのは祭司だったのです。だから、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」というのは、「よくなっているのだから、それを証明してもらいなさい」ということです。イエス様は「あなたがたの病気を癒してあげよう」とか「手を置いて祈ってあげよう」とか「次にこういうことをして、あそこでこうしなさい」ということはこのとき一言もおっしゃいませんでした。

生まれながらに目の見えなかった人に対して、イエス様は、地につばきをし、そのつばきで、泥をつくり、その泥を目の見えない人の目に塗って「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われたとか、ある手順といいますか、そういうことをしたうえで「目が見えるようになった」というケースもあります。イエス様はいろいろな方法や手段を用いなさいますから、一つの方法でみな同じように「これだったらこれにしよう」と、世間のお医者さんのような大体標準治療法というものはありません。「この病気だったら、この薬とこの方法でこれを何日間ぐらいで、こうして、ああして……」ということになるでしょうが、イエス様はそうではない。一人ひとりにオーダーメイドですから、ケース、バイ、ケース、それぞれの状況に応じて千変万化、いろいろな手段をとられるのです。

このときもイエス様は彼らに何一つしていません。手を置いて祈ってあげたとか、あるいは、おまじないをしたとか、そういうこともありません。ただ「憐れんでください」と求めて来る彼らの様子をご覧になって、「祭司たちの所へ行ってからだを見せなさい」と言われた。いうならば、「もうあなたたちの病はこれで癒されたのだよ」と言われたのです。しかし、彼らが現実の自分の様子を見たら、なおその症状は残っているのです。でも「イエス様がそうおっしゃったから」と、イエス様のお言葉を信じて祭司たちの所へ出ていきます。14節の終わりに「行く途中で」とあります。だから、イエス様に言われた瞬間は、見たところではまだ何の変わりがない。しかし、そこで彼らは信じたのです。イエス様が「行け」とおっしゃったから「それじゃ、行こう」と。そうしましたときに「行く途中で」で、祭司たちの所に着いてみたら、何と彼らの病気は全て清められて癒されていた。

そのうちの一人、15節に「そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて」、10人のうちの一人が大声で神様を褒めたたえ、感謝・賛美して帰って来て、16節に「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」。イエス様の足元にひれ伏して、イエス様を拝して感謝したのです。「これはサマリヤ人であった」と記されています。その後には「他国人」とも言われていますから、サマリヤ人とユダヤ人というのは、スカルの井戸の所でもそうでしたが、あまり仲が良い関係ではなかったのです。同じ民族、ちょっと歴史的には違いがあるのでしょうけれども、でも、サマリヤ人は、ユダヤ人からすれば神様からの祝福を受けられない者と、そういう異邦人、他国人とみられていたわけであります。ところが、感謝しに戻ってきたのはまさにサマリヤ人だったのです。それは彼自身が「こんな恵みを受ける値打も資格もない者である」ことを知っていたのです。ユダヤ人はそうなって当然、神様から恵まれて当たり前、我らは先祖代々神の民、選びの民だ、という誇りと自負心がありますから「このくらいしてもらって当然、どうして感謝しなければいけない」というぐらいの思いがあったでしょう。だから、癒された時は彼らも確かに喜んだでしょうが、もう一つ踏み込んでその恵みを「神様のものです」と、栄光を主に帰することをしなかった。それに対してこのサマリヤ人は、大喜びで、本当に喜んでイエス様の所へ帰って来るわけです。その様子を見たイエス様が17節に「イエスは彼にむかって言われた、『きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか』」。本当にそうです。10人の重い皮膚病の人々にお会いになって、そして「祭司の所へ行ってからだを見せよ」と言われながら、感謝のために戻ってきたのはたった一人であります。10分の1です。後の9人はどこへ行ったのか訳が分からなくなった。いうならば、恩知らずとなるのでしょうが、どちらかというと私たちもそういう始末をしでかすことになりやすいのです。

神様の恵みが、どんなに大きなものであるか、私たちはそのことを感謝する。そして、感謝の証詞をきちっと神様の前にしていくこと、これが恵みに応えていく事です。私どもは何か思いがけない恵まれた事態や事柄に当たると「こんな者のためにしてもらって、どうしようか。あれをしようか、これをしようか」と、何かお返しをしなければと考えます。しかし、何よりも大切なのは神様に対して感謝することです。それが私たちのなし得るお返しです。ですから、常に神様に感謝する。18節にイエス様は「神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」と嘆かれました。本当にそうです。イスラエルの民だとか、神の民だとか自負していた彼ら9人のものはひと言もイエス様の所へ感謝をして来ることはしない。神様に対して感謝しない。ところが、他国人、サマリヤ人、いうならば、異邦人といわれる人たちは自分たちこそ呪われて当然、滅びて当然である者が、この破格の思いも掛けない神様の憐れみを受けることができた。これを感謝し喜んだのです。私たちもこの喜びを絶えず主にささげていきたい。「今日も神様、あなたの恵みによって1日を過ごすことができました」と、1日1日を主の前に感謝の石塚、エベネゼルを建てていくこと。「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と。このことを、1日1日絶えず告白して行く、明らかにして行く日々でありたいと思います。

もう一度初めに戻りまして、サムエル記7章12節に「その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』」。主は今に至るまで私を助けてくださった。どうぞ、はっきりとこのことを感謝して、主の前にきちんと石塚を建てていく。1日1日、神様の前に自分の思いを、砕けた思いを、感謝を主にささげる。そして1週間たって礼拝があります。私どもが毎週守る礼拝は、まさに感謝の石塚です。そこに出て来て、共に心を合わせて「全てが主の恵みでした」と「自分の思いも心も主のものです」とささげてしまうこと、これが礼拝です。過ぎてきた1週間の旅路をその礼拝によって「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と感謝し、新しい旅路に出て行く。だから、毎週の礼拝は、私たちに欠くことのできない命のようなものです。そこで私たちは次なる新しい旅路へと踏み出して行く。遣わされて行くところには、いろいろな戦いが待ち受けている。しかし、いったん感謝の塚を建てますならば、その所から後ろへはもう戻らない。そこで神様はきちっと私たちを助けてくださる、防いでくださる。敵に打ち勝たしてくださるからです。

どんなときにも、私たちはこの感謝をもって主の御前に立って行きたい。その一回一回、一つ一つの感謝を積み重ねて、天国へ、御国へと導かれて行く生涯です。どうぞこの1年、後4分の3しか残っていませんから、それはあっと言う間に過ぎてしまいますから、常に一つ一つはっきりと感謝しつつ主に従って行きたいと思います。

ご一緒にお祈りをいたしましょう。


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