「見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。
山ばとの声がわれわれの地に聞える。」雅歌2:11-12
「天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある」と「伝道の書」に
ありますが、まさにそのとおりで、神様のみ手のわざは季節を違わず、春爛漫、心はずむ
「見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。
山ばとの声がわれわれの地に聞える。」雅歌2:11-12
「天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある」と「伝道の書」に
ありますが、まさにそのとおりで、神様のみ手のわざは季節を違わず、春爛漫、心はずむ
「われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、われらの手のわざを、われらの上に栄えさせてください。
われらの手のわざを栄えさせてください。」詩篇90:17
私たちは神様によって造られ、生かされています。すべてが神様のわざによるものです。
人は自分の力や知恵、働きを誇り、それによって生き動いているものと思い上がっていま
「彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」イザヤ53:5b
イエス様の死とよみがえりによって、救いの道は完成しました。次は、わたしたちの番です。
主の恵みをどのように受け、応答していくかを求められます。主の限りないご愛に深く感動し、
「わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」
ローマ人への手紙6.4
イエス様の十字架のあがないによって、私たちの罪の代価は支払われ、もはや神様から罪をとがめられることがなくなりました。
ですが、それで終わってしまったら、私たちの罪を犯す本質は変わらないままで残ってしまいます。
しかし、イエス様が罪のあがないからよみがえられたことで、それを信じる私たちにも生まれ変わる力を与えて下さったのです。
私たちの古い罪の性質は死んで、イエス様の御旨を喜びそれに従うものとなることができます。
そう聞くとまるでイエス様の操り人形になったように感じますが、そうではありません。
罪の内にいる間は、自由に生命力たくましく動いているように感じますが、実際は罪に抗うことができず、それと妥協し盲従しているだけの事です。
その間は心に確信なく、喜びがなく、力がありません。
しかし、イエス様の御旨を求める時、喜びとこの道で間違いないという確信が与えられます。
また、実際の境遇がどうなろうと動じない力が与えられるのです。
どうぞ日々新しいいのちを得て力強く進もうではありませんか。(正野)
「しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。」ルカ24:16
今日はイースター、イエス様が復活された記念日です。その日、二人の弟子がエマオ村へ
戻る道すがら、イエス様が一緒に歩いて行かれました。彼らはよみがえった主を見ること