「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」エレミヤ32:27
日本には八百万の神がいるとも言われます。また、それらの神々には学問、交通安全、
安産、商売繁盛などなど専門があってオールマイティーではありません。神と称するも
「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」エレミヤ32:27
日本には八百万の神がいるとも言われます。また、それらの神々には学問、交通安全、
安産、商売繁盛などなど専門があってオールマイティーではありません。神と称するも
「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。」
ルカによる福音書19.10
私は若いころイエス様の救いにあずかると非常に窮屈な生活を強いられるような気がしていました。
救いにあずかると、まるで判で押したような品行方正な人間になって自分を押し殺して生きなければならないと考えていたのです。
しかし、それは誤りでした。
イエス様の救いはむしろ本来の自分がおるべき場所に戻ることだったのです。
そのおるべき場所とは神様の御旨を求めていくことに他なりません。
人は自分が求めているところに従って生きているように思っています。
しかしその実、情欲やこの世のならわしに縛られ、本当に自分が求めることが分からずに振り回されているだけのことです。
イエス様の十字架がその悪循環を断ち切って本来おるべき場所に引き戻して下さったのです。
この記事にでてくるザアカイは、不正な取り立てを行うほどの守銭奴でしたが、イエス様を家にお迎えしたとたん、財産をかえりみず神様の喜ばれる道を選びました。
神様の御思いに従う時、今までの自分では到底あり得なかったはずの力に満たされるのです。
どうぞこの力をもって日々大胆に主の御旨を求めようではありませんか。(正野)
「わたしは常に主をわたしの前に置く。
主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。」詩篇16:8
ダビデ王の信仰を言い表した一言です。これほど堅く信頼する方がいるとは、なんと幸いな
ことでしょう。あなたは何を前においていますか。日々の生活のこと、お金、健康、家族、仕