いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

3月13日 教会学校聖言葉

2016年03月14日 | 教会学校聖言葉

「あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。」
ヘブル人への手紙3.15

 私たちは神様からはっきりと罪を示されることがあります。
その瞬間に悔い改めればよいのですが、意固地になってその罪を認めないことが多々あります。
その後もその罪を思い起こしては自己弁解を繰り返し、神様に対する壁をより高くより厚くしてしまいます。

 そもそも神様は私たちを糾弾し罪を清算させるために罪を示されるのではありません。
ただ私たちを愛するがゆえに、その行く末を案じて自分の許に帰るように促して下さっているのです。
なぜなら、罪を抱えたままでは決して平安がなく、魂が死んだ状態になってしまうからです。

 今神様はイエスキリストの十字架によって、罪の赦しを与えて下さっています。
もはやどんな罪があっても神様が清いものとして扱って下さるのです。
もし示される罪があるのなら、恐れずにイエス様の十字架のもとにその罪を悔い改めようではありませんか。
即座に神様は赦しを与え罪の重荷を取り除いて下さいます。
もはや罪の責めに怯える必要がないことがどれほどの恵みと幸福であるか是非味わって下さい。(正野)


3月13日 日々の聖言

2016年03月14日 | 日々の聖言

「あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。

われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の恵みによって飽くことができる。」詩篇65:4

 

 神様との親密な交わり。これに勝る楽しみ、喜びはほかにありません。その恵みを受ける

には神様の一方的な選びと召しによります。それが与えられているのは、あなたです。この

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3月12日 日々の聖言

2016年03月14日 | 日々の聖言

「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、

どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」詩篇19:14

 

自分の行動規範を何に置くか、これが人の価値を決めます。神様に喜ばれることを基準

にして生きるなら、本来の人としての生き方が出来ます。人に喜ばれたり自己満足であっ

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