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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

今年の写真帳 8頁目

2018-12-22 12:55:53 | ゆるゆる歩き:旧跡

睦月三十日

御成道の宿場、川口へ。

御成道は、日光へ将軍一行が参拝するため(日光社参)に通る道。

車道の間にある小島のような緑地に、案内板があった。

この奥の道が、赤羽から荒川を渡って通る御成道。

この道の途中に川口宿本陣があったという。


近くに、川口文化財センターがあったので寄り道。

窓口のある2階に上る階段には、災害の啓発になる表示があった。

過去の洪水の水位を示してある。

津波のあった東北から来た身としては、見過ごせない。



川口は鋳物の街である。


江戸の頃には手工業だったが、明治期には軍需品製造を手掛け、大きく発展した。

昭和の終戦後、川口鋳物生産は、日用品に切り替わる。


高度経済成長の終息、オイルショックから不況となり衰退した。

しかし今、再び川口鋳物の技術は見直され、新しい鋳物調理器具が作りだされている。

 

参考:川口市教育委員会「川口の産業」/川口商工会議所「かわぐちいいもの」/川口鋳物協同組合「鋳物の歴史」


古代から昭和の暮らしまでを、ざっと学んで後にする。

 


街道に戻って北へ進み、旧田中家住宅へ向かう。

 

明治の豪商だが、代々田中徳兵衛を襲名し、今も続く。

初代は農家だったが、二代目から麦味噌醸造と材木商を営んだ。

四代目の頃、豪商となった田中家は、立派な洋館を建築。

イギリス積みのレンガ壁が立派。

中の調度品も美しい。


奥は日本建築で、そこから中庭が見える。

見事なもので、池を回遊する庭園となっている。


残雪の中で、紅梅がほころんでいた。

落ち着く良いところであった。


今年の写真帳 7頁目

2018-12-21 18:38:00 | ゆるゆる歩き:旧跡

睦月二十四日

伊達政宗公の滞在した江戸の地へ。

 

江戸で堀の造設や、将軍の話し相手などを務めた政宗公。

徳川幕府の始まりと共に、諸大名の妻子が江戸に住まうこととなった。


政宗公は、当時、外桜田に屋敷地を与えられ、上屋敷とした。

それは、今の日比谷公園内であった。


日比谷通りを後ろに心字池を見れば、池の手前から公園の中の方が屋敷。

そこは今、第一花壇となっているが、その辺り一帯が屋敷だったとみられる。



第一花壇は、広い芝生敷きの土地に点々と植栽があり、周囲が遊歩道。

幾何学模様になっているそうで、上空写真ではよくわかる。


ペリカン噴水があり、その背景に見える広い土地が第一花壇。

ペリカン噴水を含め、この辺りが屋敷の跡地。


この上屋敷には、家康公、秀忠公、家光公と、三代にわたって将軍が訪問している。

食通の政宗公は、自ら料理の盛り付けや配膳をして、将軍をもてなしたという。


政宗公は、この地で最期を迎えた。享年70歳(数え年、満68歳)であった。


参考:仙台市 東京に残る政宗公ゆかりの地「仙台藩外桜田上屋敷跡」「伊達政宗終焉の地」/千代田区日比谷公園 /

   宮城県 食材王国みやぎ「みやぎ伊達家と食文化」/仙台市博物館「伊達政宗」


日比谷公園は、いろんな記念碑や石像があって面白い。




明治36年に開園の、日比谷公園内にあるレストラン「松本楼」は、同じく明治36年に開店。


 

季節メニューに、東北の「三陸産カキフライ」があった。

被災地の東北は、いまだに大変な状態。

寄り添ってくれているようで嬉しかった。


今年の写真帳 6頁目

2018-12-21 10:59:16 | ゆるゆる歩き:町や通り

睦月二十三日

前日は積雪23㎝程だが、関東にとっては大雪で交通が大混乱。

翌日昼過ぎ、除雪の効果と気温上昇で、雪はずいぶん消えている。

所々雪の残る道を行く。

御徒町。


秋田の久保田藩領主、佐竹氏の江戸屋敷があった佐竹商店街へ。

 

およそ18年前に食べたカステラの味が忘れられず、以来、ここに来た時は寄る店がある。

中屋洋菓子店だ。

お目当ての品を買い、嬉しさいっぱいで後にする。


次に、十条へ寄り道。


東十条駅周辺は、東西で土地の高低差が激しい。

段差に合わせて、店などが建っている。

夕暮れの中を歩いて

十条銀座方面へ。

 

日が暮れてしまったので、さらりと見て回り、総菜を買って帰る。

後日また、今度はもう少しゆっくり立ち寄ってみることにした。

 

気温が10度まで上がり、前日と違って日中はあまり寒くなかったし、鉄道も通常運行。

夜は冷えるが、東北の厳しい寒さに比べると楽である。

しかし、雪に不慣れな地では20㎝の積雪でも大騒ぎだから厄介だと、ひとしきり話した日だった。

 


今年の写真帳 5頁目

2018-12-20 14:32:51 | ゆるゆる歩き:旧跡

睦月十日

故郷と東京を行き来する人々を、守ってくれている場所へ。


赤羽八幡神社である。

小高い赤羽台にあり、昔は赤羽山八幡宮と呼ばれていたという。

 

言い伝えでは、坂上田村麻呂が奥州鎮圧に向かう際、武運長久を祈願したことから創建された。

御神徳は勝ち運だが、古より交通の要所であり、往来の安全を守る神としても慕われている。


なんと、ここは、境内の下が鉄道のトンネルだ。

境内の下を列車が通っていく。

よって、境内へ上がる道は二つあるが、一つは線路高架下をくぐってから境内へ上がる。


 

新幹線に乗っていると、知らず知らずのうちに神社にお参りしているのだった。

鉄道は、本殿脇の社務所の下を通過する。

上の境内からは、行き来する新幹線も見送ることができる。


故郷とこちらを行き来するのに、いつも守られていたとは心強い限りだ。



今年の写真帳 4頁目

2018-12-19 10:51:17 | ゆるゆる歩き:町や通り

睦月九日

南部坂から仙台坂へ。

南麻布から麻布十番への道で、東北の先人の足跡を巡る。

 

麻布は起伏に富む。

現在は有栖川宮記念公園となっているが、江戸時代には盛岡南部藩下屋敷だった。

 

公園内は、高低を活かした、よい庭園がある。

 

小川の流れる様は、里山のような風景であった。

 

どうも良い香りがすると思ったら、なんと早くも紅梅が咲いていた。

 

 

公園の入り口は、南部坂の始まり。

 

 

ここから坂道を上っていく。

途中で振り返ると、すごい勾配だ。

 

 

しばし、道なりに行くと、やがて交差点で「仙台坂上」の文字を見る。

 

ここから坂を下っていく。

その坂が仙台坂で、信号機の脇に道標があった。

 

なかなか長い坂道である。

坂の下にも道標。

 

坂の南側には、韓国大使館と住宅が立ち並ぶ。

その辺りが、かつての仙台藩下屋敷で、脇を通る坂道が今でも仙台坂と呼ばれる。

 参考:港区「港区地名の歴史」/有栖川記念公園/道標「南部坂」「仙台坂」/織田木瓜紋会「第4回江戸古地図petit散歩ちょっと織田家レポート」

 


坂を下ったら、麻布十番の商店街へ出てゆるゆる歩いた。

 

大江戸線の麻布十番駅近くに、稲荷神社があった。

 

 

提灯の灯りや、七福神の乗った宝船の石像が目を引く。

 

今ではビルが立ち並ぶ麻布だが、所々に、昔の名残や和風の情緒がある。

東京にある東北ゆかりの地を訪ねて、その情緒を楽しみ、早い春の香りに驚いた日であった。