goo blog サービス終了のお知らせ 

ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

佐沼の米俵(迫町の新月堂) : 2008年03月19日の食べ歩記

2013-10-15 15:54:29 | 食べ歩記
昔、武士の恩給は、石高で表現していた。
一石は、米約千合で、150㎏に相当したそう。米俵一俵60㎏なので、2俵半で一石になるという。これは、当時のお金にすると、一両なんだとか。

米俵を見かけることは、そうそう無い現代だが、先日、佐沼で見つけた。
それが、この米俵。
もとい、「米俵最中」である。           

2俵買った。もうちょっとで一両である。ちょっと豊かな気分だ。

迫町の佐沼で、上舟丁の通りを進むと、「厄除け饅頭」の新月堂さんがある。
新月堂さんには、厄除け饅頭の他にもう一つ、この米俵最中があったのだ。

ずっしり重いと思ったら、あんこがたっぷりなだけでなく、その中にさらに羽二重餅も入っている。
ちょいと、いにしえに思いをはせる菓子であった。

※追記:新月堂さんは、今も佐沼で営業しています。
佐沼城址(鹿ヶ城公園)の隣地にある登米歴史博物館で、佐沼と米の関わりを知ることが出来ます。

佐沼の厄除けまんじゅう(迫町) :2008年03月17日の食べ歩記

2013-10-15 15:33:18 | 食べ歩記
迫は、涌谷から、さらに北へ向かった所にある町だ。
今は登米市迫町と言いうが、佐沼という地名の方が馴染みがあるかもしれない。
なにしろ、古くから佐沼城があり、佐沼は要所だったから。       

迫は、伊達氏のずっと以前に、奥州総奉行として葛西氏が治め、後に奥州探題として大崎氏が治めるようになったそうだ。佐沼城は、中央政府や幕府が、奥州を治めるために使われていたわけだ。     
しかし、葛西氏も大崎氏も、この辺りに住み続けたので、たびたび佐沼城をめぐって争いが起きたという。

伊達氏が現れた頃には、時の中央勢力によって大崎氏も葛西氏も領地を没収された。
反発した両氏が、一揆を起こして佐沼城を一時占領するが、伊達氏によって一揆は鎮圧され、佐沼城も伊達藩の領地となったのである。
波乱の時もあった、佐沼城や迫の地も、今は穏やかで風情のある場所だ。

さて、迫の町を巡ると、赴きある和菓子の店があった。
看板に「厄除け饅頭」とあり、気になって寄ってみる。

この地方では昔から、津島神社と羽黒神社の大祭で、六月祭り(旧暦・現在7月佐沼祭り)がある。
その際、境内で売り出された饅頭が「厄除け饅頭」と呼ばれたのだそう。多くの人々に親しまれ、軒先に吊るして魔除厄除にしたらしい。
それにちなみ、新月堂さんで作った饅頭を、「厄除け饅頭」と名づけたということだ。

これが、厳選された黒糖の、大島糖を使った饅頭であった。
しっとりした皮で、ふわりと黒糖の香りがし、甘いあんこに、ちょっと塩味が加わっていて絶妙の味わい。
「厄除け饅頭」を食べたら、美味しくて笑顔になり、厄が払いよけられたかも。
※追記:新月堂さんは、今も佐沼で営業しています。
 沼城(鹿ヶ城)は、公園として人々に親しまれています。