バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

自分のものさし、他人のものさし

2012-07-12 04:22:39 | やっぱりミニバス!
平成24年7月12日 木曜日
 
「自分のものさし、他人のものさし」


私は教官という仕事をしています。

言葉を使って、学生という相手に知識を伝えるのですが、

単なる知識は、自分で学ぶことで得られます…、

その知識に、息吹を与えて、血を通わせたものとして伝えることで、その知識は、智恵という実の、種になると思っています。

息吹を与えて、血を通わせたものとして伝えるには、自分の心で語ることが大切です。

ただし、それを受け入れてくれる学生もいれば、知識だけでいいという学生もいます。

それでも私は、後輩達に自分の経験から学び、智恵としたものを、思いを込めて語り伝えていきたいと思っています。


結局、教官も学生も、その思いは違います。

知識は経験によって熟成されて、そのときの、その人の立ち位置によって異なる価値観になっていくのでしょう。

だから、みんな違って当然です。

みんなは違うから、違っていいから、だから互いを思いやる心と言葉が大切なんだということだと思います。


以下は、『PHP』という小冊子に書かれてあったものを抜粋したものです。

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自分の何気ない言葉や振る舞いが、意に反して人の心を傷つけたり、嫌な思いをさせたりすることがあります。

そのことにすぐに気付けば詫びることもできますが、往々にして気付かないのが普通です。

相手が面と向かって抗議をしてくれればまだいいですが、

ほとんどの場合、そんな抗議をする人は、日本人のDNAから言えば、いないに等しい…、

気分を害しても、それを口に出さずに黙っています。

そして、その陰で、デリカシーに欠けた人、思いやりのない人だと言って、その人を嫌い反発し、心を閉ざします。

だから、そうなった時の人間関係の修復はなかなか難しいものです。


世の中には、いろいろな人がいます。

他人には思いも及ばぬ事情、悩みを抱えた人や、またそれを表に出す人、出さない人がいるでしょうが、普通はそのような苦悩を表に出すことはないでしょう。

また、自分とはまったく違うものの見方、考え方をしている人もいます。

同じ物事でも受け取り方、感じ方は様々です。

たとえ悪気はなくても、思慮に欠けた不用意な行動や、何気ないひと言が人を不愉快にすることは多々あることです。

問題は、『自分がこう思うのだから、人もそう思うはず』と断定して、相手と話すことです。

そうではなく、みんな違うという前提で考え、行動し、一方的に話すのではなく、聞きながら、相手の理解や納得について確かめながら、行動し、言葉を発すること…、

相手を尊重し、自分も謙虚に学び、それによって自分の価値観を新たにしていくことに繋がるし、相手との人間関係もしっかりと繋がっていくと思います。

自分の”ものさし”と、他人の”ものさし”…それは異なるものです。


自分のものさしが絶対ではないことを受け入れながら、といって振れない自分であることも大事なことだと思います。

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