戦後の日本教育では、人間にとって命が一番大切で、欲望を満たす事が人間の幸せであると教え込んできました。 何が幸せかは個人も問題ですから、その人の考えで良いでしょうが、命が最も大切だという教育は、社会形成に大きな影響があります。
戦前までの日本では、少なくとも命より大切なものとして、愛する家族であったり、信じる宗教や信念であったり、天皇や国家がありました。
海外では、今でも命を掛けても戦うことをやめようとしない民族や国があります。 戦いの根拠が、国や民族の権威を蔑まれたり、家族や隣人を殺害された憎しみもあるでしょう。
近代社会の合理主義的な生き方を選択している人からみれば、その為に命を懸けたり、命を落す事は、愚かなことと言うでしょうが、一概に愚かと決め付けることも軽率に見えます。 世界、地球、人類というような全体的な見方をすれば、自分と言う個人ばかりを重視して他を犠牲にすることさえ選択してしまうような社会を是としてしまう現在の傾向が果たして最善かと言えば疑問です。
この自分の命が一番大切だと信じる考え方と、自分の命よりも守らなければならない大切な何かが他にあると信じる人の考え方は、思考の両極端に存在しているように思います。
この二つの思考の違いが、将来の国や社会の形成に大きく影響して、栄枯衰勢を決めていく事になります。 かつては、資本主義、共産主義の2極で大きく枝分かれした時期がありました。 今後の2極は、この違いで決まります。 アメリカや日本は一方の利己心中心の考え方で進みますから、マラソンで言えば勝手気儘に先頭を競って走る形になるでしょう。 しかし、この集団は、バラバラで欲望の儘に競い合うばかりですから、統率が取れません。 いずれ息切れして先頭集団から遅れることになるに違いありません。
EUや東アジア諸国はアメリカや日本を手本にある程度、統率の取れた成長を考える傾向ですから、長期的にはアメリカや日本を追い越すに違いありません。 また中国は全く違った思考で国家造りを目指していますから独特な成長を遂げる事になります。
命は大切です。 しかし、死を恐れるばかりに、今の日本人のように、死への恐怖に駆られて金の亡者達の思う坪に嵌り、四苦八苦する様は国家の形成を考えると余り好ましい姿とは思えませんが、皆さんは如何でしょうか?
戦前までの日本では、少なくとも命より大切なものとして、愛する家族であったり、信じる宗教や信念であったり、天皇や国家がありました。
海外では、今でも命を掛けても戦うことをやめようとしない民族や国があります。 戦いの根拠が、国や民族の権威を蔑まれたり、家族や隣人を殺害された憎しみもあるでしょう。
近代社会の合理主義的な生き方を選択している人からみれば、その為に命を懸けたり、命を落す事は、愚かなことと言うでしょうが、一概に愚かと決め付けることも軽率に見えます。 世界、地球、人類というような全体的な見方をすれば、自分と言う個人ばかりを重視して他を犠牲にすることさえ選択してしまうような社会を是としてしまう現在の傾向が果たして最善かと言えば疑問です。
この自分の命が一番大切だと信じる考え方と、自分の命よりも守らなければならない大切な何かが他にあると信じる人の考え方は、思考の両極端に存在しているように思います。
この二つの思考の違いが、将来の国や社会の形成に大きく影響して、栄枯衰勢を決めていく事になります。 かつては、資本主義、共産主義の2極で大きく枝分かれした時期がありました。 今後の2極は、この違いで決まります。 アメリカや日本は一方の利己心中心の考え方で進みますから、マラソンで言えば勝手気儘に先頭を競って走る形になるでしょう。 しかし、この集団は、バラバラで欲望の儘に競い合うばかりですから、統率が取れません。 いずれ息切れして先頭集団から遅れることになるに違いありません。
EUや東アジア諸国はアメリカや日本を手本にある程度、統率の取れた成長を考える傾向ですから、長期的にはアメリカや日本を追い越すに違いありません。 また中国は全く違った思考で国家造りを目指していますから独特な成長を遂げる事になります。
命は大切です。 しかし、死を恐れるばかりに、今の日本人のように、死への恐怖に駆られて金の亡者達の思う坪に嵌り、四苦八苦する様は国家の形成を考えると余り好ましい姿とは思えませんが、皆さんは如何でしょうか?