ついに朝日新聞が、一連の捏造を認めました。
朝日新聞が以前に報道した主な内容は次の二つ。
1「安倍、中川両氏が事前にNHKを呼び出して、番組を訂正するよう圧力をかけた」
2「NHK幹部は圧力に感じたと証言した」
まず、1を証明するには、「両氏とNHK幹部は面会したのか」「したならそれはいつか」「両氏のほうから呼び出したのか」という3つの要素があり、それぞれを証明してこそ、上に挙げた「1」の報道が真実と言えるのである。
というか、記者がその3つを目撃してこそ、それをそう報道しようと思うわけだ。
ところが、現実は「事前に会ったのは安倍氏だけ」「呼びつけてはいない」ということが、証言や当時のスケジュールなど、客観的事実として証明されてしまっている。この時点で誤報であることは明かなのだが、これを認めて訂正、謝罪するのは当然として、故意なのか、どういった経緯で誤報が起きたのかを検証すべきなのだ。ところが、朝日はそれらをこれまで一切拒否し、逆にNHKや安倍氏らに抗議し、謝罪を求めていた(逆ギレともいう)。
この、「誤報を認める」という、次のステップを国民は待っていたわけだ。そして、今日の記事である。
それによれば、「事前の取材で、呼びつけたかと質問したとき、明確に安倍氏が反論しなかったから、呼びつけたのだと判断した」という。
ということは、最初から予断を持って「呼びつけたのかも知れない」いや、「呼びつけたのだろう」もしくは「呼びつけていてほしい」と思ってそう質問したのだ。偶然に事実に出くわして、それを報道したわけじゃないことが明らかになった。
朝日は、安倍氏がNHKを呼びつけて注意(圧力)してほしかったのだ。そうであれば、「政治家による圧力」として安倍をたたけるから。
だから、「そうでしょ?ね?ね?」と質問した。でも明確に否定しなかったから、「呼びつけたと判断した」わけだ。だって、はっきり「呼びつけた」ことが事実であるかのように報道しているからね。
でも、実際は呼びつけていなかった。ということは、良く言えば記者の勘違い。悪く言えば…というか普通に言えば、事実を無視して、裏付けが取られぬままに記者の「希望」をそのまま記事にしてしまったということだ。
これを、人は「捏造記事」という。
記者が、自分の希望するように、現実を無視してありもしない事実をでっちあげて記事にする。これは表現の自由、報道そのものを揺るがす重大な事実だ。まるで大本営発表、現代の北朝鮮のテレビのようではないか。こういうことを平気でやって、危機感というものがないのだろうか?
さらに「2」についてだが、これはもっとひどい。理由もクソもない、ただ「圧力があったと総合的に判断した」だけだという。安倍氏は「かけてない」NHKは「圧力は感じていない」といってるのに、当事者がそういっているのに「圧力はあった」と第三者の朝日新聞が勝手に判断してしまうのだ。
これが正当だとすれば、なんでもありである。
「首相は人を殺したと、総合的に判断した」から「小泉首相は殺人犯」という見出しを打って良いことになってしまう。その「総合的に判断」した根拠を聞いているのに、そういったことは一切語ろうとしない。たとえ首相が「殺してない」といっても、被害者が「殺されてない」といったとしても(笑)、朝日新聞は「殺したと判断」できてしまう。なんともクルクルパーな主張だろうか。
これがなにかの「返答」というか「反論」になってると思ってるのだろうか。
しかも、中川氏とNHK幹部が会ったのは放映後であったという話については、「完全無視」を決め込んでいる。まあ、これは安倍氏に対する返答だからそれは次の機会に答えてくれるのだろうけど。いや、答えるのかなあ。答えなそうだけど。
いまごろ安倍さんは呆れてることだろうけど、いつものように辛辣に反論してほしいものです。NHKとともに、徹底的に、「君がっ!泣くまでっ!殴るのをやめないっ!」という感じで一つ頼みたいものです。
朝日新聞が以前に報道した主な内容は次の二つ。
1「安倍、中川両氏が事前にNHKを呼び出して、番組を訂正するよう圧力をかけた」
2「NHK幹部は圧力に感じたと証言した」
まず、1を証明するには、「両氏とNHK幹部は面会したのか」「したならそれはいつか」「両氏のほうから呼び出したのか」という3つの要素があり、それぞれを証明してこそ、上に挙げた「1」の報道が真実と言えるのである。
というか、記者がその3つを目撃してこそ、それをそう報道しようと思うわけだ。
ところが、現実は「事前に会ったのは安倍氏だけ」「呼びつけてはいない」ということが、証言や当時のスケジュールなど、客観的事実として証明されてしまっている。この時点で誤報であることは明かなのだが、これを認めて訂正、謝罪するのは当然として、故意なのか、どういった経緯で誤報が起きたのかを検証すべきなのだ。ところが、朝日はそれらをこれまで一切拒否し、逆にNHKや安倍氏らに抗議し、謝罪を求めていた(逆ギレともいう)。
この、「誤報を認める」という、次のステップを国民は待っていたわけだ。そして、今日の記事である。
それによれば、「事前の取材で、呼びつけたかと質問したとき、明確に安倍氏が反論しなかったから、呼びつけたのだと判断した」という。
ということは、最初から予断を持って「呼びつけたのかも知れない」いや、「呼びつけたのだろう」もしくは「呼びつけていてほしい」と思ってそう質問したのだ。偶然に事実に出くわして、それを報道したわけじゃないことが明らかになった。
朝日は、安倍氏がNHKを呼びつけて注意(圧力)してほしかったのだ。そうであれば、「政治家による圧力」として安倍をたたけるから。
だから、「そうでしょ?ね?ね?」と質問した。でも明確に否定しなかったから、「呼びつけたと判断した」わけだ。だって、はっきり「呼びつけた」ことが事実であるかのように報道しているからね。
でも、実際は呼びつけていなかった。ということは、良く言えば記者の勘違い。悪く言えば…というか普通に言えば、事実を無視して、裏付けが取られぬままに記者の「希望」をそのまま記事にしてしまったということだ。
これを、人は「捏造記事」という。
記者が、自分の希望するように、現実を無視してありもしない事実をでっちあげて記事にする。これは表現の自由、報道そのものを揺るがす重大な事実だ。まるで大本営発表、現代の北朝鮮のテレビのようではないか。こういうことを平気でやって、危機感というものがないのだろうか?
さらに「2」についてだが、これはもっとひどい。理由もクソもない、ただ「圧力があったと総合的に判断した」だけだという。安倍氏は「かけてない」NHKは「圧力は感じていない」といってるのに、当事者がそういっているのに「圧力はあった」と第三者の朝日新聞が勝手に判断してしまうのだ。
これが正当だとすれば、なんでもありである。
「首相は人を殺したと、総合的に判断した」から「小泉首相は殺人犯」という見出しを打って良いことになってしまう。その「総合的に判断」した根拠を聞いているのに、そういったことは一切語ろうとしない。たとえ首相が「殺してない」といっても、被害者が「殺されてない」といったとしても(笑)、朝日新聞は「殺したと判断」できてしまう。なんともクルクルパーな主張だろうか。
これがなにかの「返答」というか「反論」になってると思ってるのだろうか。
しかも、中川氏とNHK幹部が会ったのは放映後であったという話については、「完全無視」を決め込んでいる。まあ、これは安倍氏に対する返答だからそれは次の機会に答えてくれるのだろうけど。いや、答えるのかなあ。答えなそうだけど。
いまごろ安倍さんは呆れてることだろうけど、いつものように辛辣に反論してほしいものです。NHKとともに、徹底的に、「君がっ!泣くまでっ!殴るのをやめないっ!」という感じで一つ頼みたいものです。