昨日のテレビで、デイケアの施設の2階が、介護者のためのサークル活動の部屋になっているのを見ました。
同じ建物の中で、家族がデイケア・サービスで見てもらい、自分は同じ介護仲間と好きな絵やお花や歌などを楽しむ。
何があってもすぐに駆けつけられる、何より、大事な家族をどこかに置き去りにしている後ろめたさがない。
同じ立場の分かり合える人たちとの安心した時間が過ごせて、愚痴を聞いたり、知恵を貰ったり、介護者にとってもいいことずくめの方法を実施していると言うものでした。
私の、介護時代は、デイケアの施設の介護者教室と言うのがあって、そこでプロの話を参考にさせてもらいましたが、楽しむと言うことはまだまだ、考えられていませんでした。
そのころ、私には、デイケアに母を送り出すことに、テレビに出ていた人や、知人のように罪悪感はちっともありませんでした。
母の、体調がよかったせいも有りますが、具合の悪い人をプロの手にゆだねて、何が悪いの?と言うくらいの思いでした。
母を出迎えの車に乗せると、さっさと自分のボランティアや楽しみに向かっていました。
テレビに出て取材されたり画面に出てくるくらいの方たちだから、男性など特に、自分が一人で頑張る!と、体全体で言い張っていました。
それが、子育てのように、有る決められた期間を経過すれば終わると言うものでないだけに、あなたが、ャLンと折れたら、残された人は誰にゆだねるのですかと問いたい気持ちでした。
ひとたび病人となると、「わがまま」と言う言葉がなくなってしまうくらい頑張りすぎるのは、まじめすぎて、見ていて苦しくなります。
私の介護の身上は、見送った後も健康で、楽しい生活が送れるゆとりを残すことでした。
根性無しだったおかげで、母の介護に早めにサービスの恩恵を受け、見送りました。
今は夫の健康を支え、多少は田舎の義母に寂しい思いにさせていますが、一人で暮らせなかった夫の健康には代えられないものがあると感じてます。
どこまで、気楽に出来ている私だことと、テレビを見ながら思ったことでした。
介護で悩んでいる時は、これしかないと頑張り過ぎるものです。
ちょっと環境を変えると、「目からうろこ」も有るかもしれません。
プロの助言を入れて、少し体だけでも楽になりましょうよ。
ねぇ!日本で介護している○○さん!
同じ建物の中で、家族がデイケア・サービスで見てもらい、自分は同じ介護仲間と好きな絵やお花や歌などを楽しむ。
何があってもすぐに駆けつけられる、何より、大事な家族をどこかに置き去りにしている後ろめたさがない。
同じ立場の分かり合える人たちとの安心した時間が過ごせて、愚痴を聞いたり、知恵を貰ったり、介護者にとってもいいことずくめの方法を実施していると言うものでした。
私の、介護時代は、デイケアの施設の介護者教室と言うのがあって、そこでプロの話を参考にさせてもらいましたが、楽しむと言うことはまだまだ、考えられていませんでした。
そのころ、私には、デイケアに母を送り出すことに、テレビに出ていた人や、知人のように罪悪感はちっともありませんでした。
母の、体調がよかったせいも有りますが、具合の悪い人をプロの手にゆだねて、何が悪いの?と言うくらいの思いでした。
母を出迎えの車に乗せると、さっさと自分のボランティアや楽しみに向かっていました。
テレビに出て取材されたり画面に出てくるくらいの方たちだから、男性など特に、自分が一人で頑張る!と、体全体で言い張っていました。
それが、子育てのように、有る決められた期間を経過すれば終わると言うものでないだけに、あなたが、ャLンと折れたら、残された人は誰にゆだねるのですかと問いたい気持ちでした。
ひとたび病人となると、「わがまま」と言う言葉がなくなってしまうくらい頑張りすぎるのは、まじめすぎて、見ていて苦しくなります。
私の介護の身上は、見送った後も健康で、楽しい生活が送れるゆとりを残すことでした。
根性無しだったおかげで、母の介護に早めにサービスの恩恵を受け、見送りました。
今は夫の健康を支え、多少は田舎の義母に寂しい思いにさせていますが、一人で暮らせなかった夫の健康には代えられないものがあると感じてます。
どこまで、気楽に出来ている私だことと、テレビを見ながら思ったことでした。
介護で悩んでいる時は、これしかないと頑張り過ぎるものです。
ちょっと環境を変えると、「目からうろこ」も有るかもしれません。
プロの助言を入れて、少し体だけでも楽になりましょうよ。
ねぇ!日本で介護している○○さん!