風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

2年間ご苦労様でした

2006年12月02日 | チンゲル亭裏日記

12月で、任期を終えて帰国される青年の送別会がありました。
いつもと違うのは、昼間1時から開かれたことです。

そして、いつもより静かな集まりでした。
おかげで、彼らの担当する事務所員からの送る言葉が、はっきり聞けたことです。
それぞれの活動の様子のエピソードを語られるのが恒例ですが、いつもは、それぞれのテーブルで盛り上がっているものですから、かき消される言葉の方が多くてせっかくの送る言葉が聴けなかったのです。
私たち、年を重ねた者にとっては、穏やかな送別会であったかと思います。
若い人たちにとっては、いまひとつ盛り上がらない会と思ったことでしょう。

テーブルで隣りの青年との話も盛り上がり、そして、いつも話題に出るのが、娘が彼らの先輩であったと言うこと、そのおかげで話の糸口を探さなくて済んでいます。

若者の、はじけた送る出し物と、シニアの唄上手の唄とで、会は一応の盛り上がりを見せました。
そして、相変わらず、「緑のものをたべなくっちゃ」と言う青年の言葉。
これから冬に鰍ッて、野菜が不足する青年の切実な生活状況です。

国境近い町に派遣されている青年は、電気をロシアから買っているという町から来ていました。
モンゴルが、お金を払わないときは、停電になるんですと言っていました。
お湯が出ないときは、鍋で湯を沸かして、体を拭くのだそうです。
そして、洗濯物をためてしまったら、手が凍え、絞るのが大変なのだそうです。
田舎のほうですから、洗濯機は無いようでした。
洗濯物を溜めがちな男性隊員が悲鳴をあげていました。

そんな苦労話を、お酒と緑色の野菜とで、吹き飛ばしてしまう彼らはバイタリティーにあふれています。

けれど、事件の陰は、色濃く残っていました。
具体的には書けませんが、しみじみこの日を無事迎えられたことを感謝しつつ、閉会されました。
二次会に向かう彼らは、いつものはじけたにぎやかさが無くて、悪酔いをしないようにと、心で祈りました。

今、ちょうど10時。門限と定められた時間に、それぞれ、家に、あるいは宿泊場所に着いているでしょうか。
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2年間ごくろうさまでした

2006年12月02日 | チンゲル亭裏日記

12月で、任期を終えて帰国される青年の送別会がありました。
いつもと違うのは、昼間1時から開かれたことです。

そして、いつもより静かな集まりでした。
おかげで、彼らの担当する事務所員からの送る言葉が、はっきり聞けたことです。
それぞれの活動の様子のエピソードを語られるのが恒例ですが、いつもは、それぞれのテーブルで盛り上がっているものですから、かき消される言葉の方が多くてせっかくの送る言葉が聴けなかったのです。
私たち、年を重ねた者にとっては、穏やかな送別会であったかと思います。
若い人たちにとっては、いまひとつ盛り上がらない会と思ったことでしょう。

テーブルで隣りの青年との話も盛り上がり、そして、いつも話題に出るのが、娘が彼らの先輩であったと言うこと、そのおかげで話の糸口を探さなくて済んでいます。

若者の、はじけた送る出し物と、シニアの唄上手の唄とで、会は一応の盛り上がりを見せました。
そして、相変わらず、「緑のものをたべなくっちゃ」と言う青年の言葉。
これから冬に鰍ッて、野菜が不足する青年の切実な生活状況です。

国境近い町に派遣されている青年は、電気をロシアから買っているという町から来ていました。
モンゴルが、お金を払わないときは、停電になるんですと言っていました。
お湯が出ないときは、鍋で湯を沸かして、体を拭くのだそうです。
そして、洗濯物をためてしまったら、手が凍え、絞るのが大変なのだそうです。
田舎のほうですから、洗濯機は無いようでした。
洗濯物を溜めがちな男性隊員が悲鳴をあげていました。

そんな苦労話を、お酒と緑色の野菜とで、吹き飛ばしてしまう彼らはバイタリティーにあふれています。

けれど、事件の陰は、色濃く残っていました。
具体的には書けませんが、しみじみこの日を無事迎えられたことを感謝しつつ、閉会されました。
二次会に向かう彼らは、いつものはじけたにぎやかさが無くて、悪酔いをしないようにと、心で祈りました。

今、ちょうど10時。門限と定められた時間に、それぞれ、家に、あるいは宿泊場所に着いているでしょうか。
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安全チェック

2006年12月02日 | チンゲル亭裏日記

安全担当の専門家が、事務所の職員3人を伴って、アパートにこられました。
外壁からの侵入に対する安全状態、ベランダの侵入状況、雨どい、門番、建物の入り口の施錠状態、部屋のドア、ドアの鍵、窓、寝室の鍵について、写真を撮りながら、ユーモアを交えて、たまに誘導尋問めいた質問を入れながら、大家さんの様子、それから、私の心理状態などを尋ねられました。

私たちは、その人の手の内であれこれと情報を探られたわけですが、こんな人に犯人だと思われたら、あっという間にすべての情報を持っていかれてしまうと思いました。
その分、100%安全と言うのはどこにもありません、ここは90%ですと言われたことで、逆に大変に安心したものです。
これで、ハード面は、合格。

ソフト面ではモンゴル大先輩の中村氏のモンゴルの安全に関してのレメ[トにもあるように、君子危うきに近寄らず、そして、隙を見せないと言うことでしょう。

午後からの安全会議ではモンゴルの法律は、犯人に関する情報は、裁判が結審されてからではないと公開してはならないと言うことになっています。
それは、大体1年くらいかかるそうです。

犯罪が起こったことの事実のみも知らされないわけで、私たちの、いらいらは募るばかりです。
報道に対するモンゴルの考え方も違っているため、真実は1年のあとに知らされるはずですが、それでは、あまりに遠すぎて、うわさが先歩きしてしまいます。
大使館も、モンゴルの法律が相手では、いたし方の無い状況のようでした。

モンゴルで、草の根活動をする若者たち、そのほかの外国人の安全と安心を確保してくださるように、モンゴル警察、モンゴル政府に心からお願いしたい。
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