合唱団の根本テーゼが途切れることなく生かされ続けてきたから

2017-11-27 00:00:00 | コンサート

フレーベル少年合唱団第57回定期演奏会
2017年8月23日(水) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円


「合唱界」東京音楽社1966年4月号(Vol.10 No.4)の表紙になったフレーベル少年合唱団A組
(1966年当時、少年合唱に特化された別巻「合唱界ヤング」は創刊の4年前だった)
写真は同年3月2日イイノホールで開催された「ろばの会特別公演/宇賀神光利をはげます会」のステージ。合唱団はこの日、ジュニア(のちのJ組)・B組・A組(現在のS組にあたる)を演奏会へ送り込んだ。1ヶ月後、写真の少年たちは、前年度から準レギュラーをつとめるNHKテレビの番組「歌のメリーゴーランド」への出演を続けつつ同局の日本少年少女音楽祭に出演しオンエアされる。

 今の団員にも通っている子がいるらしい学校の1年生だったころ、私は先生から「イエスさまの話に出てくる『癒す』というのは病気を治すという意味ではありません。罪びとを許すことを『癒す』というのです。」と教わった(イエスの時代にはこれが神をも冒涜する極めて重篤なプロテストだったのである)。この話がにわかに我が身の出来事へと転じ、信憑性を帯びて落涙させられたのはフレーベル少年合唱団第57回定期演奏会パート3のA組『楽しい童謡を集めて』の「ちいさい秋みつけた」の3番のソロを聴き終えた瞬間だった。
歌っていたのはMCに構音などの点で努力し続けていると思われる団員で、このときも十分なブレスが採れているとは言い難い仕上がり。だが、実に澄みきった、苦しいほど甘く、薄皮の剥けたように美しい歌声だったのである。リキみや色のついた技巧からは永遠に程遠い。正しい聞き方ができなくなっていた私。欺瞞に満ちた誤った目と耳。その男の子の歌声が真の意味で私を「癒し」てくれたことに気づいた私は心から慚愧の念に苛まれた。この団員の、向こうに青空の透けるような鼈甲飴の歌声は私を静かに諭し許してくれたのだった。いったいどうしてこんなにも目の曇った一人の聴衆を静かに諭すように許してくれたのだろう?どういう心根を持つ子だけが人心を浄める歌を無心に歌うことができるのか、客席にあった人々なら看取できたにちがいない。プログラムの望月先生の文面にもある通り、サトウハチローが東大の裏手に住んでいた頃、自宅の庭の櫨(ハゼ)の木を見て書いたのがこの「ちいさい秋みつけた」なのだが、現在この木は文京区レキセン公園の、少年たちが毎年クリスマスで歌うメトロMと後楽園駅舎の前に移植され真っ赤な大樹へと成長している。つまり、本日の演奏会場の横にこの木は現在も植わっていて、彼らの歌声を聴いていたというわけなのである。TFBCでは1973年の初発のLP化(当時はVBC)から10年後の番組『天使のハーモニー:秋の歌を集めて』(この年の春はまだ半蔵門のFMセンターが落成していなかったので前半は太平スタジオなどで番組レコーディングを行っていた)を経て、ライブではアルト系のソリストたちの独壇場ともなっていた作品である。だが、2017年現在のTFBCにはかつてのひたすらで頑張り屋で、美しい日本語で織りなす心の震えるような「ちいさい秋みつけた」を歌う条件が揃っていない。選曲者に全くその意図が無いのはよくわかっているが、フレーベル少年合唱団のしかも年齢構成上は下位クラスという位置付けのA組の子供達が同じソロ入りでこの曲を美しい澄んだ天真爛漫さを感じさせる歌声で奏でている。彼らA組の歌声は、かほどに聴衆の心を和ませてくれた。同様の選曲傾向は実に前半パートへごく目立たないように織り込まれていて、パート1の「おお牧場はみどり」はTFBCの定期演奏会のオープニングナンバー(フレーベルの定演ならば『団歌』に相当する)であり、A組はパートエンドにFMのアンコール定番(フレーベルの『アンパンマンのマーチ』にあたる)の「気球に乗ってどこまでも」をご丁寧に同じハンドクラップ入りで歌っている。どれも定番の曲であるがゆえにTFBCがTFBCとして歌うチャームを留保しかけている作品たちであり、片やフレーベル少年合唱団の子供達はフレーベルらしい魅力をたっぷり見せつけながら歌声によって場内を席巻した。なかでもこのA組は数年前から非常に人気が高い。毎年、定演終演時に回収される観客へのアンケートの「各パートはいかがでしたか?」の問いに、A組単独出演の「パート3」の「良かった」へチェックを付した人は、ここ数年ダントツの多さだろう。「かっこかわいい」「うまキレイ」という日本の少年合唱特有の魅力を兼ね備えた大人気者集団である。昨年度まで頑張っていた超優秀&全員美男美声の団員たちがS組に上がった後、これまた注目株の才色兼備の子達(ビッグマンモスのノンノン君に似ている団員さんとか、大きな口を開けて歌っていた前歯の無かった子とか…)がB組から上進。春頃はまだゴタゴタしていたのだが、あっという間にチームのパワーは恢復した。A組のステージ上の人気の秘密は、実はソリストたちの歌い終わりの挙動を見るとよくわかる。4年前まで、フレーベル少年合唱団のすべての独唱者は、曲中、ソロパートを歌い終えるとすぐその場でお辞儀をして隊列に帰投していた。団員が頭を下げるものだから、お客様は曲の途中であるにも関わらず拍手をする。ジャズのソロ・フィーチャーのイメージがあって「嫌だ」という人もいた。合唱コンサートの習慣ではないのである。現在の指導陣になってから、フレーベルのS組はこれを通常の「1曲終わって、担当したソリストを前に出すか指揮者が指し示して客席の拍手を求める」というかたちに戻した。だが、A組はかつてのあの習慣を一部分だが残している。長いことフレーベル少年合唱団を聞いてきた観客を意識しているのだと思う。現在のTFBCが見舞われている在りようをフレーベル少年合唱団もかなり長いこと体験して今日に至っている。だがかつてのフレーベルにあって、ライバル合唱団が持っていないものは、この「長いこと聞いてきた観客を意識する」ことだと思う。現在のA組は定演レパートリー的にも安定志向が続き、お客様の好みを考えて、あれこれと極端に盛ることをしない。また、本定演の後に彼らが出演するとしまえんの「秋のアメリカンフェスティバル」やトッパンホールの「湯山 昭 童謡トーク&フレーベル少年合唱団コンサート」で演奏される演目を誠意をもってここで歌っている。
 今年もA組演目の中心は「ろばの会」の時代の曲群で、「歌のメリーゴーラウンド」は、後半背後に並ぶOBの先輩方が出演していたNHKテレビの番組テーマソング(フレーベル少年合唱団は、1967年12月末の公開収録の最終回まで出演してこの歌を歌った。番組は当時既に録画編集での放送・再放送だったため、公式には翌年の春までオンエアされている。)。「青い地球は誰のもの」は「70年代われらの世界」のテーマ。「気球に乗ってどこまでも」は昨年の「夕日が背中を押してくる」に相当する1974年のNHK全国学校音楽コンクール課題曲のA組向けチョイスである。「歌のメリーゴーラウンド」のピアノ伴奏がかつての伴奏譜へ後奏まで忠実だったのが感動モノ!
 今年の大当たりの一つは、このA組のアルトパートだった。パート5まで大活躍!たとえ出力にムラがあっても、彼らのチームはしっかり少年合唱団として機能しきっている。ソロのオンパレードだった57回定演…ソリストたちの起用は昨年のA組ステージが引き金になって巻き起こった嬉しい現象だと私は見ている。今回の定演でもA組のプチソリストたちは既に多くの観客から顔を知られているほどだろう…というか、ほぼ全員がソロを取れる実力の持ち主であることを私たちは再認識させられる。本定演中で一回だけ、アルトソロのスタンバイ時に立ち位置を後方修正する指示が出たのだが、真摯な彼はこれをパワーセーブの指示と曲解して歌っていた。小学生の男の子をソロで歌わせるという指導の難しさや苦労、それゆえに垣間見える子供の心の柔らかさを感じた微笑ましい美しい場面だった。定期演奏会を終えた団員たちが、大挙してS組へと上進してくる(そして、ベレーのかぶり方が現在に比べてどの子も格段にカッコ良くなる!)。彼らのパワー・マックスな歌いぶりと対峙する現S組の先輩方が、秋以降どんな立ち回りで一段階昂進を遂げるか今からとても楽しみだ!
 パート冒頭にはお約束の「美男3人組のナレーション」で客席をドンっ!と沸かす。続く「犬のおまわりさん」は、ソロをかまし、小学校低学年の男の子が歌うにはかなり手の込んだアレンジ。「さっちゃん」は適所にリタルダントを効かせ、彼らにしか出せない魅惑のハーモニーを創出した。そして「気球に乗ってどこまでも」のA組アルトの安心感。今年もジャスト15分間の演奏時間が心憎い。プログラムの団員名紹介も添えられた掲載写真のイメージも、A組団員がフレーベル少年合唱団の基幹を占める員数である現状をさりげなく示している。

 演奏会全体の構成は、前年・前前年のプログラムのいいとこ取りの折衷プランだ。まずインターミッション前の3パートは時間配当・演目の選択傾向も含めた昨年度の演目のデジャブ+プラスアルファで、後半の2パートは一昨年の構成パターンによっている。時間配当はパート4とパート5を合わせ、オーラスのアンコール「アンパンマンのマーチ」を含めずに60分間強という正確な数字をはじきだしていく。後半の1時間のうち、三分の一にあたる20分間は、野本先生のマイクでOB会長とゲスト信長氏とのトーク、先生方による「ゆずり葉の木」の朗読が占め、歌は歌われない。特にパート5は、本年度の全国学校音楽コンクール小学校の部の課題曲紹介番組といった趣のものになった。さらに、残りの三分の二にあたる40分間の中にはOB合唱のみの演目が2曲含まれるため、子供達が歌うのは30分間。「年間活動報告の演奏会」と銘打っているが、S組・A組・両チーム混成それぞれのパフォーマンスは後半、レギュラー営業の出演時間(例えば六義園の野外コンサートなど)と全く変わらないことがわかる。
 SA組を配して聞かせた「団歌」の後、A組らしいシャープで迅速な撤収があり、S組がアカペラでムシデンを聞かせ、続いてウェルカムMCを流し込む。このあとアップテンポなイメージのナンバーの日本語版を3曲積んでいくという昨年、一昨年のフォーマットを踏襲した。「おお牧場はみどり」はソプラノ系オブリガートを明快に聞かせ、「歌の翼に」から「流浪の民」へ流す当日ここまでのS組(25名を僅かに割る人数なのだが)は、木漏れ日のようにブライトで軽快なタッチ。「団歌」に聞こえたA組低声のシャイニーな明るさ。ワルトトイフェルくんたちのこなれたアルト。どれも「少年合唱団のコンサートにやってきた!」という客席のワクワクの感を裏切らない。100点満点の設定であれば、250点を付けたいハマリ役のMCが後から後からマイクスタンドの前へとかっこいいユニフォームの姿を見せる。part1の短い15分間が、どうか永遠に永遠に続いてくれたら良いのにと、無理を夢裡へと頼む自分の理不尽さに気づく。「流浪の民」は2017年に入ってから基本のソロキャストをキープしつつ、様々な舞台で試行が繰り返された。大メインの「慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり」を6年生と5年生の2名のソプラノ「トップソリスト」がステージごと毎回交替しながら競い合うように勤め、客席を魅了してきたのである。フレーベル少年合唱団は今年、4・5・6年と各学年に経験も研鑽も豊富な超弩級のボーイソプラノソリストを擁し、6年生ソプラノには今回の「流浪…」を歌い上げたドラマチックで豊満な声のソプラノソリストと、内面性の強い表現とコロラトゥーラな素材が一人の少年の中で鬩ぎ合うという絶妙な味を持つ昨年「美しく青きドナウ」の高声を担ったソプラノの2名の少年を配している。プログラム文面にもある通り、今回のpart1の目玉商品は彼らをはじめとするソロの横溢なのだ。「なかでも一番好きな団員たち全員のソロが聞けた」と休憩中思わず小躍りした観客もいたに違いない。ソプラノ6年の頂点にいるのは、6年前まで六義園などで観客としてお兄さんがたの歌声を聞いていたクリクリ天パーの男の子。…その後、優しく愛らしいMCの代表選手となり「客席の小さな男の子」はついにフレーベル少年合唱団を代表する色艶のついた気品のある声を繰る高評価のボーイソプラノ・ソリストとなった。長いことフレーベルを応援し続けてきた観客にとって、彼は客席の中からデビューし、様々な困苦と戦い、練習を重ね大輪の花を咲かせたわたしたちのスーパーヒーローくんなのである。

 年長さんと小学1年生のB組のステージは昨年まで「練習の成果発表」を標榜する、彼らの日々の練習ぶりを見せるステージの位置付けだった。だが、今年のパート2にはそれをうたうキャッチフレーズが存在しない。いきなり「ぼくらのともだちアンパンマン!」と、株式会社フレーベル館を代表するエンターテイナーの格付けである。こなれたMCは昨年同様。今年のB組ステージは団員構成にもよるのだろうが、昨年までの2年間に積み上げたスキルを踏襲しつつ軽く凌駕して、客席を楽しませる舞台へとランクアップした。1曲めは「ドレミファアンパンマン」を使い階名唱のスキルを聞かせ、これにコダーイシステムのハンドサインを添えて客席を魅せる。彼らのうち、さらにレベルの高い子は手慣れたタッチメソッドで鍵盤ハーモニカを立奏した。しかも仲間の歌声を生かすため呼気をコントロールするという達人ぶりである。「練習の成果発表」というファクターは表には出てこないが、彼らの練習ぶりがわかる演目なのである。
 B組の2曲目は「アンパンマンたいそう」。プログラム上は「フレーベル特別バージョン」とうたわれているが、驚くべきことにこれは2014年7月に東北大学川内萩ホールでS組の先輩方がNHK仙台少年少女合唱隊との合同演奏フィナーレで歌った「仙台演奏旅行」限定版なのである。基本的には、本定演の会場のチリ沈めで流されていた「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」(日本コロムビア COCX-38573 2014年)に収められているドンカマで始まるピアノ伴奏バージョン…つまり「オーケストラバージョン」(もしくは「カラオケバージョン」と記載されているものもある)では無い方のトラックをベースにしたものだ。ディビジ2部合唱で、フレーズエンドにもたたみかけの声部がついている。途中に入るセリフを言い終えないうちに手の込んだスキャットへ歌い繋ぐという、ちょっと厄介な場面がコーダに控えている(横山潤子/池田規久編曲)。

冒頭の「アンパンマーン!」のシュプレヒコールの後、逆付点のハンドクラップ、あまり一般的でない無声破擦音のスキャットなどが矢継ぎ早に入り、コーダでもこれを繰り返して「ヤッ!」と叫んで終わるというポイントは同じだが、3番レフの後に団員たちが「アンパンチ!」という呼号をあげ、続いてpfに乗せ、「暴力チーム」「はみがきチーム」「てんどんまんチーム(てんどんまんは、テレビ版アンパンマンの記念すべき第一話登場キャラ。そのためか、当演出の初演でこのチームを担当したのはワルトトイフェルくんと豆ナレーターくん達だった)」などの組でセリフを叫び、アンパンマンの主要キャラクターを総ざらえして聞かせるという輝度の高い演出を仕掛けている。仙台ではNHK仙台少年少女のかわいい隊員たちの手を借りながら、文字どおりステージと客席が一体となった華やかなフィナーレへと導いていた。その後、定演の報告会でもこの編曲版は歌われず、筆者がもう2度と聞くことはないと諦めていた演目である。今回の演唱が仙台のものとハッキリ違っているのは、ばいきんまんに「はーひふーへほー!」と登場のセリフも叫ばせるなど、セリフを言わせっぱなしにせず、それぞれの言葉の前後に必ずB組団員たちの子供としての心の声でそれぞれのキャラクターの決まり文句を叫ばせるという趣向が盛り込まれた点。一例として、はみがきまんチームの本来の言葉は「みなさん!毎日歯を磨きましょう!」だが、周囲の団員らに「はーい!」と元気でやんちゃな返事をランダムにさせているのである。私の周囲の客たちはこのシーンの秀逸さ、湧きたつようなシズル感の高さに息を飲んでいた。一方で「ばいきんまんは…おまえだッ!!」という演出上の台詞を聞いて怯んでいた観客の存在を私は感じた…実は「お前!」というのは、ばいきんまんのお約束中のお約束のセリフであり(彼は基本的に人称代名詞としては「俺様」と「お前!」という語彙しか発しない)、今回新たに施されたこの演出が、アンパンマンの作品世界を誠意をもって忠実に再現したものであることがうかがい知れる。結果的に曲の尺は、4分間となった。通常、未就学児の男の子が隊列を整えたままdiv.合唱で歌いきれる曲の長さではない。仙台でこのバージョンの「アンパンマンたいそう」を歌った団員は現在7名ほど在籍中だが、いずれも6年生以上の少年たちだ。同じものを6歳の男の子20名が歌いきり、1000席へ埋まった観客を狂喜させる、しかも無条件にカッコかわいく愛らしい。客席は彼らの可愛さに発狂寸前、テンションマックスのまま完膚なきまでにノックアウトされる。ばいきんまんが目を回しながら空の高みへ吹き飛ばされるときのあの状態である。昨年定演でB組団員全員の上に見え隠れした、きつく締まった「教え込まれた」という感じを今年のパート2のステージから受けることは結局無かった。こんなに上手くいっている最年少クラスでさえ、昨年の出来栄えをさらに上まわる研鑽でエンタテイメントを仕掛けてくる…だから、今年も書かざるをえない…「おそるべし、フレーベル少年合唱団B組!」。

 幕引きしたパート3のA組の背中をてんつきで見ながらカミ手袖より入場するS組は、飛んだり跳ねたりが可能な思い思いのスタイル。プログラムに掲載されていない(事前にチケッティングのフライヤーでも予告されていない)2017年9月27日にAAC一般音声配信が開始された「PRIDE(プライド)」(*)のダンシング・パフォーマンス(動画配信は同10月5日開始)が行われた。「ダンシング」と書いているのは、彼らがレコーディングに参加したオリジナルのPA音源をバックに踊ってくれたため。動画サイトでは口が動いているが、音声は編集もの。唯一とも言えるフレーベル少年合唱団だけの一般向け生演奏は17年6月24日の六義園ライブが貴重な機会であった。当日のS組出演団員は20名ちょっとのコンパクトな隊列だったが、メインストリームの少年たちが、トップソリストらの牽引するソプラノと出所の明確なアルト側の声で「PRIDE(プライド)」を歌ってくれた(当日の曲紹介のMCも、ますますカッコ良くなったはに丸くん!)。
 57回定演で遭遇した驚愕の出来事の一つは、このダンシングのS組団員たちに私服を着せたこと。合唱団にはTFBCのような通団服が存在しないため、ステージを下りた出演団員たちを部外者が見分けることは難しい。日常の子供たちのイメージはまったく想像できないため、彼らの普段着姿は観客にとってビジュアル・センセーションに近いものだったのである。私の記憶では…少なくともこの四半世紀間、フレーベル少年合唱団のS組(旧A組)団員がおもいおもいの私服(TFBCが3年おきぐらいに定演で打つ私服ステージで着られているものは、一見してわかるように「かなり厳格な審査ルーチンで許可がおりた私服」だけである)で定期演奏会のステージに登場したことは一度も無かった。これは今春出演のオペラ『トゥーランドット』で茉莉花を歌ったときの「一人っ子政策の男子小学生たち」を思わせる(今回のトゥーランは改革開放路線以降の現代の北京を描いた設定だった)持ち込み普段着的な衣装を報告的にイメージさせる。企画を担当されたかたの頭の中にあったのは「制服で踊らせるわけにもいかないだろうから」ということだけだったと思うのだが、この企画は結局、合唱団の歴史を作った。定期演奏会で録音を利用したケースは、僅かながらあったと記憶するが、服装についてはド肝を抜く出来事だったのである。ただし、収録動画ではおそらくスポーツブランドのロゴなどが目立つ服を事前にセーブし避けているため、子供達はデイリーユースな本当に各自の肌色にフィットした服を着用しているとは言い難い。当然の判断なのだがちょっと残念である。
 ステージの最前列センターに出て、キラキラと輝くように元気一杯踊っていた団員は、イントロダクションの嚆矢MCをブライトな口上で担当した少年だ。彼の立ち位置の周辺はパッと光明が差したような明るさだった。この子の踊りは溌剌としたシズル感と爽快感とに満ち、客席の私たちのもとへ元気と勇気と希望を届けてくれた。団員は昨年の定演の開幕MCへ、所属年限の長い団員の登壇と抱き合わせに「少しがんばって勉強してほしい子」の一人として指名されていた。実際にも言い澱みがあり、セリフの出来栄えは100点満点とは言い難かった。2016年の秋口まで、彼は子供臭い感じのする冷たい目をした小さな団員の一人に過ぎなかった。だが、何が起きたのだろう!?2016年12月24日のクリスマスイブ、私たちはテレビの画面の中へ、フレーベル少年合唱団の紺ベレーに手を後ろへ組み、楽しげに生きる歓びとばかり歌っている「見たこともない」素敵な一団員の姿を認めて仰天した。…「この子は誰?」という疑問が「これが、あの子なのか?」という驚きへと変わるのに少しだけ時間がかかった。別人のように輝いていたのである。番組はANIMAXクリスマスパーティー2016。彼はこの日、中間挿入された「アニメ・クリスマスソング・メドレー」のトリとなる名探偵コナンのWinter Bellsを出だしのシャープなソロできちんと牽引した。ソプラノ側へずらりと並んだベテラン5年生団員たちを差し置いて(かれらは週末にバレエ「くるみ割り人形」の出演を3ステージも控えていたのである…)、S組からの唯一のフィーチャー・ソリストである。私たちはこの日、少年合唱団を応援する者の歓びともいえる一人の少年の転生を見た。オペラ「トゥーランドット」の動きの多い演技でも彼の演唱は光っていた。57回定演で、この団員が最前センターを占めたダンスパフォーマンスを観客は忘れないだろう。定演を企画された方々が、当ステージを組んでくださったことに心から感謝する。彼は定演が終わった今もキラメキながら歌っているからである。こういうことを見てしまうと、私たちは団員の実力を絶対に値踏みしてはいけないと痛感させられる。公開動画(YouTube教育芸術社チャンネル「PRIDE(プライド) 振り付け動画」)で実際に歌っている参加メンバーはアッ!と驚く人選のわずか11名の顔ぶれだが、彼はここでもウエアをさっぱりと楽しげに着こなし良い表情で溌溂颯爽と踊っている。何よりも編集された動画中、唯一の寄りのソロ・ショットがこの団員のものだったことは嬉しい必定であった。

 「流浪の民」のトリのソプラノ独唱をスタンドインで担当する5年生の団員くん。浅黒い顔で、ステージ上にシャープな表情と居住まいを見せる。それでいて、どこかお茶目ハンサムな雰囲気も漂わせ、女性ファンも多いようだ。この年代の団員たちは昨定演が終わってから一斉に眼鏡使用になった。ふっとした時にヤブ睨みを見せていた彼もその一人。もう一つは全力を放出すると、顎が上がってしまうこと。「PRIDE(プライド)」のステージは実に捨てがたく観客を満足させるものであったが、たった1点だけ後半の部に荷物を残した。S組メンバーの体力を少しだけ奪ったのである。お茶目ハンサムくんの顎は後半上がりっぱなしだった。(A組の弟君も全く同じように顎が上がるので、可愛いすぎて、お客さんたちメロメロです…)

 今年のOB合唱はメンバー構成を維持しながら、声の構造を上手に利用して少年合唱団のOBらしい気品のある合唱に仕立てている。パート4のステージで披露されるOBのみの演唱は冒頭「風になりたい」と中間の「ふるさと」の計10分間弱。フレーベル少年合唱団の老功なOB合唱団は2年前から定演に曲数で挑まなくなった。良い歌ならばたとえ短くとも聴衆は十分満足し、息を呑むような感銘を受け家路についてくれることを確信したからだと思う。
 今年はそのポリシーに従って「遥かな友に」をメインイベントに再選しS組に歌わせ、声を添えたが、悔しいことに現役へオイシイところを全部持って行かれた。現役S組がすごく良い子達で、指導陣の少年たちへの対峙に一分の隙も無かったからである。昨年は成人の半分にも満たないA組に。今年はS組に。…だからと言って小・中学生をチカラワザで組み伏せようものならあっさりと「大人気ない」の誹謗がくだる。現役時代はあんなにカッコかわいく(?)旧制服の着こなしもそつなく天真爛漫な少年たちだったのに…フレーベルのOB合唱団ってホントに損な役回りなのである(涙)。

 おそらく定演を夏休み中に移動させたことで稼いだリハーサル時間の余裕を味方に、パート4以降のSA組は少なくとも今世紀に入って以降見たこともない派手なフォーメーションチェンジをステージ上に繰り広げた。ここ数年、日本の児童合唱団のライブステージは曲ごとのフォーメーションチェンジ・メンバーチェンジが野放しな大流行のトレンドとなっている。素材だけで(もちろん、徹底した指導とそれに呼応する少年たちの頑張りで)十分勝負できている彼らにとって、これが果たして流行追従ではなく、必然性を持つ有効な意味のある必要なターンオーバーであったかどうかはお客様がたからの妥協のない評価に委ねるとして、9月から最上位クラスの即戦力として進級するA組団員の諸君の実力を思い知らされた隊列配置だった。

 後半パートの「群青」では今年も幸せなことに低声アルトの歌声が聞けた。
 5年ほど前の私は、ワルトトイフェルくんをして真の意味での「日本一のボーイアルト」と書いた。当時、それは正しかったのかもしれないが、2017年夏の私は自省の意味を込めてこれを以下のように訂正する。相貌は合唱団のカッコいい兄たちとなったが、現在のワルトトイフェルくんこそが日本一のボーイアルトなのだ!と。フレーベル少年合唱団は昭和時代の半ばから今日にいたるまで中学生の団員を小学生と同じユニフォーム着用で、小学生混成の隊列のままステージに送り込むという長い長い伝統を持っている。定期テストの期間には『休んでも叱られないかな?』という特権(?)を除いて、彼らは小さな小学4年生と同じ部屋で全く同じ練習を受け、卒団まで同じクラスに所属する。彼らの役どころは「下級生の世話」ではなく、待遇もボーイソプラノの合唱団の普通の一団員というところにある。実はワルトくんのステージ衣装は本年4月から長パンツに切り替わったのだが、そのことで逆に見えてきたのは、中学生以上の団員が、自分の半分の背丈ほどしかない小学生と全く対等に同じステージに立ち自分の歌を伸ばしていくというフレーベルの愉快痛快な伝統が今もなお連綿と続いているということであった。ワルトトイフェルくんは辛そうだった過去を超えて今、その楽しい伝統の陣頭の第一線にいる。日本一のボーイアルトなのである。日本中の少年合唱団で歌う中学生以上の団員とは明らかに違う次元に彼と彼らはいる。




 ワルトくんのこの声価を印象付けたのは、2016年9月14日にNHKホールで行われた「三山ひろしコンサート2016in NHKホール」のハイライト「貴方にありがとう」だった。
ソプラノ側が比較的経験の豊富な5年生以上中心のS組メンバーを揃えていたのに対し、ワルトトイフェルくん従えるアルト側ではS組団員が4年生以下の4名だけで、近傍の子らはもちろんのこと、あとはほぼA組9歳以下(!?)のクルーを従えて歌っていたのである。疑いようも無いド演歌だ。だが、この日のアルト側の少年たちは全員、号泣の中を歌いまくる三山ひろしを目前に、男も惚れる歌いっぷりをNHKホールに繰り広げた。老練の歌いのワルトくん、命の絶唱とばかり歌いあげる美白男子くん、幼美少年という形容がピッタリの小さい秋みつけたクン等々…当日、「三山ひろしコンサート2016」のアルト・チームを値踏みしたような愚か者は人間の皮をかぶった悪魔と断じてかまわないと私は本気で思っている。そしてA組アルトとも対等に全く同じ目線で一心不乱に歌っていたワルトくんの団員として生き様に私は今日も元気と勇気をもらうのである。

 最後におなじみの団員たちの姿を見ていこう。
 本年度のS組には上進の日を一日千秋の思いで待ったであろう特別な子供達がいる。昨年の晩秋の終わりにようやくS組入りを果たした少年たちだ。正直なところ、昨夏までA組の下積を延長中の彼らがステージ上に見せていた表情は、非常に固く冷ややかな、どこか諦観を感じさせるきびしいものだった。私たち観客も「この子たちって、しっかり歌えているはずなのにどうしてまだS組に上がれないの?」という目で見ていたのかもしれない。彼らを含めた以降の団員はあたらしい指導陣で「テストを受けて15名だけ入団審査に受かった」子供の一部隊。ご存知のようにそのA組にはソロを担うたくさんの後輩団員たちも群れていて、通常は4月に上のクラスへ上がるはずのオアズケ状態の彼らを下から押している状態だったのだ。これは、昨年度、定期演奏会の開催が夏に変更され、通例春先に実施される上進が秋の終わりへと後送りされたためであろう。今回、もうすっかりS組メンバーの顔つきになっていた彼らは、開幕の瞬間からきらきらと輝くような良い表情で歌い、私たちを心底安堵させた。もともとどういうわけか全員がもれなく「美男、美声でステージ姿もこなれている」このチームは、「流浪の民」のソロなどで早々に各自の顔見世を終え、実力を見せつけた。B組時代からMCの気持ちの良さで客席をメロメロにしていた少年たちでもある。長身のソプラノくんは、かつてのカルメンくん(栗原先輩)をイメージさせる声のポジション。小さい子たちを見下ろす彼の慈愛に満ちた柔和な表情は、確実に私たちをノックアウトする。また、PRIDE(プライド)の配信動画でも最高のポジションで記録されている(細かい振り付けがある「涙を流すたびに笑顔に変えてゆくよ…」の部分の動画は彼をセンター・メインにして編集されている)ほどの技量の高さだ。メゾのベルーガくんは心からハートウォーミングで人々を幸福にするような歌声を嗄声+口形のベストマッチで安定出力してくれている。歯切れの良いMCで活躍することの多い印象の彼も、歌の方はそれを数十倍も上回るヒップなクオリティー。歌っている姿も、ときおり見せる笑顔も屈託がなくて素敵。心の憂さや冷たく凝り固まった困苦を一瞬にして吹き飛ばす温和で至高のプレゼントとも言うべき彼の歌声は、おそらくフレーベル少年合唱団最高の宝物だろう。どの子も「半年も待たされたからこそ強く、くっきりと輝いた」と思わせるS組新団員たちである。彼らのショーアップは今回の定演の必聴ポイントの一つだと断言してよい。

 さて、あの愉快な低声系4人の団員たちは、今年どうなったのだろう。隊列の右側にいることは変わりないが、2人はメゾのライト寄り、2人はアルト高声の最右翼に揃って肩を並べている。どの子も合唱団に無くてはならない少年たちで、高学年男子らしいカッコ良さと利発さを身につけた。一年を通じソロやMCで大活躍し4人ともすとんと声が落ちついた。はに丸くんが一番コンパクトに見えるが胸板があつく、引き締まった四肢に共鳴する声を持っている。「ハンサム」という語彙がぴったりの声質はでしゃばることなく、コーラスの中でリリックに響いている。だが、六義園などで間近に見る彼の姿はまだ十分に華奢で、可憐な少女のようだ。この身体からあの人々の心を射る「ありがとうございました!」の声が出ているのかと思うと感動する。昨年の「青きドナウ」の後、プロの舞台監督率いるスタッフが整音したはずのコンソールをあっさりとハウらせたはに丸くんの声の音圧は話題になった。ペアを組んだソプラノくんのバミリは当夜それでも微妙に前へ出してあり、二人の声はバランス良く客室へフィードバックされるハズだった。2人とも1学年半から2学年分体格に猶予があり、ライバルというよりは仲良しで利発そうな印象を受ける。当時のソプラノくんはポンと声が上がるとき、味のあるメリスマがかかり、ドイツ表現主義や新ウィーン楽派の少年の歌を歌うのに極めて適していた。
 この2人は今年もガンガンにソロを歌えるコンディションで定演に臨んでいるが、今年の合唱団が「どの団員もソロが取れる」というスタンスの中でキャストを組んでいるため、昨年のようなヒーロー然とした佇まいを感じさせない。大人っぽいイイ感じのする表情でsoliやナレーションを受け持っている。実力を持った堅実な歌い手に成長したとみて良い。ソプラノくんには本定演を終えた9月以降、何十年もフレーベル少年合唱団を応援し続けてきた者ですら1度も見たことが無い仰天の至福のサプライズが待ち受けている。はに丸くんは本年度から定演の終演号令を引き継いだ。沖縄ステージでのヘーシなどたくさんの実績から先生方の正当な評価を受けているということが感じられる抜擢である。
 一方、昨年までの終演の呼号を担当していたカッコいい声の褐色男子くんは今年、大トリから一転、コンサートの開幕MCを担当するようになった。フレーベルのキーマンであることは、本年度のメゾ系の声質が彼のカラーでしっくりとまとまっていることを聞くとはっきりする。周囲の思慮深い下級生たちがこの少年の声の独特なトーンを支持するようなカタチで2017年度のフレーベル少年合唱団はキリリと美しく仕上がっている。その出来栄えの良さ、歌の神々しさは、自分のもらった飴を弱い者、小さい者ほど多く分け与え、手の中に握らせるような優しい心根を持つ明るい少年にしかついてこない。彼の「ありがとうございました!」の担当期間は従来のこのポジションの少年に比べてかなり長く、こちらも先生方の信頼度や評価の高さをうかがわせる。だが、ステージ上の彼は小さいころ、MC中に笑ってしまったり、吹き出してしまったり、ドヤ顔でMCを締めたりと、相当なヤンチャぶりだった。私たちは彼が出てくると「…また、何かやっちゃうよ」と楽しみにしていたものである(頼れるリーダーとなった今でもステージ上の彼は合唱に、団に、きわめてくつろいで?!歌っている)。他の合唱団であれば排除されてしまうかもしれないこういう団員を客席が支持し楽しみに応援し、先生方が信頼のもとで彼の声質へと合唱団をまとめ、開演MCという最高の役へと止揚する。人々のこうしたプラス方向への審美眼の存在が現在のフレーベル少年合唱団のすばらしい到達点の一つとなっている。

 はに丸くんを向かって左手に擁し、かつてステージで見た上級生のスマートな立ち姿によって私たちを楽しませてくれているのが2番目のアルトくん。様々な幸運と巡り合わせの良さでセンター位置上段やアルト最右翼の一番良いポジションで歌うことが多く、テレビや大規模ホールでの出演とDVD、CDなどの記録を通して常に歌い姿やMCを私たちに見せてくれたように思う。また、昨年度から六義園MCへ毎回起用される彼の挙動は次第にクールで素敵な既視感を強く伴うものになってきた。ただ、やっぱり男の子だから、今はフレーベル低声部の一翼を担う自分の存在の高さ、素晴らしさや真摯さ、周囲や客席で見守り、静かに応援する人たちがおそらくたくさんいることに気がついていないような印象を受ける。お客様を喜ばせている要因の一つは、やはり声質、立ち居振る舞いなどの外見と信頼度の高い既視感。もう一つは、腕にギプスをつってステージに上がるほどの頑張りを見せるなど彼自身が持っている数々の魅力。外目には見えにくいが、おそらくこれが彼の真の姿だろう。すらりと八頭身に近く足が長くどこから見てもカッコいい!だが、MCの声からは、どこか引っ込み思案でぼそりと何かをつぶやきそうなお茶目なたたずまいも感じさせる。このギャップがめちゃくちゃ楽しい!ボーイアルトはやっぱり楽しくなけりゃ!お客様がたはきっと彼が歌っている姿を見るだけで終始ご機嫌だろう。それらのことも含めこの団員が幸せな少年合唱団員生活を送ってくれている実り多い日々を私は周囲の客席に感じ、安堵させられる。

 美白男子くんと必ず肩を並べているあのメゾソプラノくん。
彼の歌い姿を一言でいい切ろううとしたら、それは「思慮深い歌を歌う少年」である。彼の声はコンサートごと、周囲の仲間たち、先輩方に合わせ理路整然と冷静に計算され、全隊に収まっている。私は最初、その吸い付きぶりに彼の声が「小さい」のではないかと訝っていたほどだ。だが、彼のいるライブパフォーマンスやレコーディングで合唱団のつくるメゾ系の音色はしっかりと地に足がついた心地のよさがあり、爽快だ。これは、彼の思慮深さ、当日の合唱に対する読みの正確さ、再現力の高さ適切さがモノをいう「賢い少年」の技だ。低くなり始めた彼自身の声質は決して陳腐なものではなく、現在の合唱団のカラーで言うと褐色男子くんに似たステキな倍音の鳴るものになっている。フレーベル少年合唱団が実は彼のようなメゾに底支えされて鳴っていることをど程の人が分かって聞いているのだろう!大活躍して欲しい!

 定演で聞かせてくれたMCのキリリとした折り目正しい声を聞いてもう明らかなように、美白男子くんの歌声はメゾソプラノの醍醐味ともいうべき100点満点のレベルに達していて完璧だが、歌声には爽快な少年独特のフラッターが存在する。こうした団員はかつて隊団員一人一人の素材を活かすボイトレをしていたTFBCには一定数存在していて、先生方は彼らのピッチが安定していないのを十分承知の上で出演・収録に重用し大切に育てていた。かつてのFMの先生方には何が少年の歌声の魅力であるかが明白だったのである。「過ぎ行く時と友達」のメインクルーで卒団後BSおかあさんといっしょの「うたのおにいさん」へと大成する日向理(ひなたおさむお兄さん)や、オペラ子役としていくつもの難演目の独唱やタイトルロールをこなしTFBC最初のLPやCDにソロ曲を持っている鈴木義一郎など、その抜擢と活躍ぶりは枚挙にいとまがない。美白男子くんが客席を睨みつけて歌うのは、少年合唱団員としての日々を自らに厳しく真摯に問うているからだ。よりハリのあるボーイソプラノへ自分の歌を高めようとしている彼には、その努力を緩めようとする瞬間がなく、私たちに本当の勇気というものを教えてくれる。2017年の秋シーズンは休場続きだが、いつかきっと戻ってきて欲しい団員くんである。「三山ひろしコンサート2016in NHKホール」でNHKホールのカメラマンさん&スイッチャーさんたちがセンターフィックスに選んだたった一人の少年は、美白男子くんだった。NHKホールのカメラマンさんがたを決して見縊ってはならない!時として国営放送の有名なディレクターさんたちに、「この子をセンターにしないで何で少年合唱団を映す意味があるのですか!」と平然とモノ申すようなタイプの非常におっかない人たちである。そのカメラマンさんがたが、主演三山ひろしの真ん前に重ねて映し出す少年として選んだたった一人の団員が美白男子くんだったのは、一般販売されているDVDを見れば一目瞭然。非常に厳しく的確なプロの目。私などはグーの音も出ないのである。

 最近のフレーベルの子供達は、S組の上級生でもステージ上でキョロキョロするようになった…という話を聞くことがある。観客のこの観察は正確であり、ここ数年目立つようになったというのも正しい指摘だと思う。かつての一時代、フレーベルの団員たちは終演までしっかりと指揮者を注目し続け、大きな口を開けて歌わなくてはいけなかった。だが、現在の指導体制に変わってから、彼らは発声に相応しいミニマムな口型を保ちつつ客席の様子をよく観察するようになる。自分の声が客席にどう届いているか、人々が現在進行の自分たちの歌をどう評価しているか。共演している者が今、どういう状態で演唱しているか。オーディエンスを見て声の広がりとステージ状況を判断するプロの技術を彼らは学んでいるところなのである。上級クラスの子供ほどしっかりとそれを楽しみに見届けようとする。楽しもうとしている。おそらく、そう指導されるようになったからと思う。言われた通り歌いきれば、あとはどうでもよいという権威的な歌い方はフレーベル少年合唱団から姿を消しつつある。小さな彼らは観客の喜びを自分の喜びと糧にして今日も歌っている。だから私たちは色気もへったくれも無い、やんちゃでわけのわからんことばかりつぶやいていて「お母さんから無理やり合唱団に入れられた(怒)!」と毒づく、ナマイキばかり言う彼らがどういうわけか小さなヒーローや宝石に見え、その歌声から明日の美しい夢をもらうのだ。

 定演プログラムのパンフレットは総頁8カラー中綴じA4版をキープ。印刷業界ワールドトップをほこるTOPPANグループの幼児用図書・教材の会社が運営する少年合唱団のプログラムである。イケメン揃い(?!)の団員たちを活写したステージ写真がセンスよく配され、グラフィックやレイアウトもこなれていて全くソツがない。チケットの半券を握りしめ客席に収まった人々の心を踊らせるのにふさわしい内容。かなりの文書量になる先生方・OB会長の解説文は一気に読ませる心憎さである。今回は特に昨定演から当月までの活動報告や今後のスケジュールが掲載され、ステージ中に団員MCでもその内容へ触れるようになった。ただ、SA両クラスとも引く手数多でスケジュールにまったく空きのない彼らのこと、「*その他、CM録音、テレビ、映画挿入歌、多数出演」と小さく注記されているように、例えば定演翌々日にも放送があったWOWWOW/TOKYO MXのアニメ「バチカン奇跡調査官」などは合唱団のクレジットがバッちりオンエアされているのにもかかわらずここには掲載されていないし、フレーベル館が主催する公開のイルミネーション点灯式や、すでに駅頭広告まで打たれている2017年度のメトロMクリスマスコンサートなどは「活動予定」に載っていないのである。その他、非公開のものを含め全て掲載しきれないほどの出演頻度なのであろう。逆に1ヶ月後開始される団員募集についてはプログラムへの掲載を止め、フライヤーのみを継続するなどのスクラップアンドビルドも行なっている。

 ユニフォームの選択はここ数年間の定演同様ストイックにまとまっている。ただ、今年のS組にはPRIDE(プライド)のダンシングが充てられており、この更衣に備えてソックスの指定が無かった。開演時、一見して感じられた上級生たちのバラバラ感はこれが原因のようだ。彼らはせっかく「採寸」していただいたパンツをあてがってもらっても、たちまちその裾は短くなって寸足らずになってしまう。初代指揮者磯部俶が「教えても教えてもすぐ声変わりしてしまう」と白旗をあげていたように今なお彼らは音楽をたくさん学びながらものすごいスピードでナカミもソトミも成長し続けている。普段はソックスが黒だから目立たないだけなのだ。彼らが黒パンツの隙間からちぐはぐな靴下を思い思いに覗かせて山台に立っている屈託のない姿を見て、私もまた磯部のように嬉しいような淋しいような気分で定演の時間を過ごすことができた。
 もう一つは、似通った肌色の子が揃う地方の小学生男子の団体と違って、東京のしかも少年合唱団に通っている子供の肌の色はバラエティに富んでいて、輝くパールのような肌の子からカリフォルニアオレンジのような橙色、皮付き甘栗にベレー帽をかぶせたような男の子まで様々な顔色の子供が一通り所属してステージを彩り客席を楽しませている。制服には顔の色とのマッチングに応える色を指定してはいるが、せっかくの定演の機会なのだから途中で一度服色を変えてやる方が、お家の方々にもお客さまがたにもまた違った男の子の表情を見せるのにふさわしいのではないかと思った。

 パート5をアンコール1曲めまで聞いてやはり「TFBCの近年の定演への近似」という胸騒ぎが追駆する。この拙文にもTFBCへの言及が目立つ。パート1・2・3+アルファとA組団員たちのフレーベル然とした歌いがかなりそれを軽減してくれている。アンコール2曲目、アンパンマンのマーチの前奏を聞いたときの安堵。はに丸くんの「気をつけっ!」の叫び声が揚がった時、正直なところ私はホッと胸をなでおろした。
昨年一年間、実に徹底して行われていた、「活躍の場を与えれれたら、そのうち一人は必ず《実力・経験の少ない団員》を優先枠として確保するという見えないルールは、結果的に今年の合唱団の実力をかなり底上げしている。そのために、歌えるはず、前に出られるはずのチャンスを最も立場の弱い者に譲らなくてはいけないヤリ手の少年たちの思いを私のような客席の一人ですら思ったことがある。また、進みの遅い子供に対応する先生方の心苦労や手間は並大抵のものではなかったはずだ。フレーベル少年合唱団は過去60年間にわたって、ドレミと歌わせてもド↘レ↘ミ↘と歌うことしかできない団員たち(磯部俶による)を袖待機にして歌わせないようなことをせず、諦めずどの子にも最善の指導を施してきたのである。こういう崇高なことができたのは、「子どもたちの健やかな育ちを支え、知と感性にあふれた豊かな価値を創造し、社会に貢献する」という保育・教育を支援する企業体だからこそ持ちあわせた合唱団の根本テーゼが途切れることなく生かされ続けてきたからに違いない。

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*PRIDE(プライド)の動画、フレーベル少年合唱団を初めて見たという人々に尋ねてみたい…「いったい、どの少年が一番上手に踊っていますか?」。
「メゾ位置の右、グレーのプリントTに柄ドットの生成りのハーフパンツを履いた小柄でガチムチな色黒の男の子」と言い当ててくれでもしたら私は天にも昇る機嫌の良い一日だ。子供らしい詰めの甘さは皆無とは言えないが、力強く、腰が据わり、男らしい骨太のダンスを彼は踊っている。意外だという人も多分いるのだろう。通常、この団員は背丈の割にどういうわけかアルト側の後列にいることが多く、若干の構音の癖もあり、注意して曇りの無い目で見ていないと、そのカッコよさや少年らしいサラリとした艶や魅力になかなか気が付かない。ただ、今回の動画ではよく見ると右側の目立つ位置へさりげなく配されていることがわかる。
派手さ、華々しさとは無縁だが、フレーベル団員の素材としての魅力や人懐っこさを動画PRIDE(プライド)は私たちへ丁寧に見せてくれている。






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