フレーベル少年合唱団 第49回定期演奏会 創立50周年記念公演 ~美しく夥しくも嬉しい裏切りの中から~

2009-11-21 17:52:00 | 定期演奏会



フレーベル少年合唱団 第49回定期演奏会 創立50周年記念公演
2009年10月28日(水)
すみだトリフォニーホール
開場:午後6時 開演:午後6時30分
入場料:2,000円(全席指定)

「気をつけッ!ありがとうございました!」
 パート4のAB組ステージの終わりに早々とリトル団員たちのバウ&(簡易の)スクレイプ[1]が行なわれた。通常、フレーベル少年合唱団がこれをやるのは完全撤収の場面。「僕たちの出演はアンコールも含めて今日は全て終わりました」という符丁なのである。合唱団を好きになって何度か演奏会を訪れている人ならばよく知っているお約束事。「じゃぁ、A組の子どもたちは次の『カルメン』ステージに出ないの?!」とえらくガッカリしていると、ソデに引っ込んだばかりの彼らがすぱん!と瞬時に衣装替えし浮浪児役で飛び出て来る!「や!やられたー!」と思う。ぼんやりしていると嬉しい裏切りが次々手ぐすねひいて待ち構えている。彼らが演じているのは他でもない命をかけた男とオンナの究極の裏切りの物語「カルメン」[2]なのだ。「ハバネラ」のソロをいさめ、少年たちがフォルテッシモで歌っている…「♪気をつけろ!」。だが、小さなフレーベル・カルメン君はバラの花をピシャリとステージに投げつけるのだ。50周年記念公演のエフェメラ[3]が出来上がり、深紅にグラデーション・マッピングされたアブナい一輪バラの写真がボンとあしらわれているチラシを目の前に差し出され、手渡されたときの私の驚愕といったら…!
 
 彼らがオペラ「カルメン」の「衛兵の交代」(プログラム表記は「兵隊さんと一緒に」:今回、少年たちはこの曲でパート5を開演している)に出演したのは4年前の2005年4月、墨田区民オペラでのこと。物語はあきらかにそこから始まっているのだが、6年ぐらいでほぼ全メンバーが交替するフレーベルにとっては、かなり以前の話なのである。
 さて、実際問題として日本中に10団体ほどあるという少年合唱団(男子のみの児童合唱団)の中でもおそらく圧涛Iに音楽劇の上演回数が少なく、少なくともこの25年間は演出舞台以外の演技というものを定期演奏会のステージにのせてこなかったのがフレーベル少年合唱団なのである。彼らも、また彼らを取り巻く人々も、明らかに男の子のみのオペレッタの演技やハンドル経験というものを持っていない。少年たちはそれでも、何とか自らの履歴を頼りに自前の日本語版「カルメン」をゼロから演じてみようとした。それは、フレーベル少年合唱団の50周年記念定期演奏会が、何故「第50回定期演奏会」ではなく「49回定演」なのかという来歴をも想起させる。ときは1959年の初夏、合唱団第一期生として、とりあえず近傍から集められてきたお世辞にも合唱経験豊富とは言えない36名の少年たちの姿を目の当たりにして、初代指導者のャXトを任されることになる磯部俶が「定期演奏会を開催できるまで数年かかるから、それを(フレーベル館が)待ってくれるなら合唱団を引き受けてもよい」という内容の条件を担当者に呑ませて就任した逸話は比較的良く知られている[4]。フレーベル創成期の第一期生たちもまた、完全なゼロからのスタートだったのだ。大切なのは、先輩がたがとりあえず2年と2ヶ月でそれをやり遂げてしまったこと。私たちは昨年の定期演奏会で歌われた「ジャンボゴリラと窒フ子」を観て気づくべきだった。今回のカルメンのメインキャストをセリフ陣に配した昨年の「ジャンボゴリラ…」が、実は「来年は、もっとスゴイのをやりますヨ!」という少年たちからの予告メッセージであったことに私は終演後ようやく気づくのである。

 タイトルロールのカルメン&ミカエラ、またエスカミーリョ・グループ、ドンホセなどのメインキャストには、ソリストクラスの団員がここぞとばかり投入されている[5]。ハイライトとも言える詠唱ナンバーは「ハバネラ」と「ミカエラのアリア」(「ミカエラ・セレナーデ」)を「神様のおくりもの」君[6]がヒロイン二役の大車輪で担当。「闘牛士の歌」はエスカミーリョ役の「アリヴェデルチ・ローマ」君[7]が朗々と繰り出している。彼らの歌いもまた3ヶ月前にほぼ「即・上演可能」の水準で仕上がり、この夏を終えた段階でアリヴェデルチ・ローマ君は、声が落ち着いて色艶が入るようになり、神様のおくりもの君からは幼い発音が抜けた。ソリストを擁した少年たちは最後に惨殺場面こそ見せなかったものの、嬉しいカーテンコールからアンサンブルを客席に回すという荒業を仕鰍ッて聴衆を煽ってみせた。

 トリフォニーの客席をうめた人々は満足げに団員らの歌い姿を脳裏へと反芻しながら家路についた。だが、実は彼らはプログラム上、カルメンを7曲しか歌っていない。演者は身長150センチにも満たない男の子が30人ぽっちで、歌も動きも背嵩もスカスカ。ソロをとれる子どもは限られ、その他の役者連も少年たちだから、ずっと浮「顔で表情も硬かったりする。それなのに人々は何故あれほどまでに幸せな気分にひたれたのか…そこには2つのファクターがからみつつ作用しているように思える。そのために私はここで再び、あのアルト・チームの子どもらのその後を見ておく事にしたい。


だから君は行くんだ微笑んで…
 昨年、私がここに「アルトの花がひらくとき」とまで書いたあのチーム。今春までのフレーベル少年合唱団の右翼には頼もしい5名の先輩方が入れ替わりスタンバイしていた。彼らはアルトパートの堅牢な外殻であっただけでなく、また合唱団の歌とMCとステージハンドルを一手に引き受ける頼れる存在だった。たとえ上演中でも先生方が簡単な指示を出しさえすれば、彼らは豊富なステージ経験と知恵と歌の実力によってかなり複雑なMCをその場で考えて発したり、ぶっつけでソロや指揮をとったり、詳しい団員募集のアナウンスをしたり、客席をまわってプレゼントを配ったりということをやってのけた。テレビやレコーディングの仕事での露出も多く、「題名のない音楽会」ではアルト側からカメラがまわった。

 平成20年度のセレクト・アルトには、この先輩方のもと、さらにチャーミングなメンバーがひかえていた。…筆頭は昨年の定演でも人気者だったプチ鉄ヲタ君だろうか。彼はまた特徴的な声質の持ち主でもある。「出発合図」の後、指向性のアマいステージマイクは、横に避けているはずの彼の声を鮮明に拾ってしまうことが多かった。合唱団がこの春に吹き込んだCD『アンパンマンとはじめよう! お歌と体操(1)』(バップ:VPCG80642/7月24日発売)の「トイレにいこうよマーチ」などでもアタックの強い彼の声が楽しめる。

 声質ということで言えば、「カルメン」でも進行役ナレーションに単独抜擢され担当したスーパー・ナレーター君もまたアルトの所属。合唱団には代々、美声ナレーターと呼ぶべき先輩方がいるのだが、今回の彼はほんのりとハスキー気味で発音にコケティッシュさと明瞭さを兼ね備え、アルトの声質を生かし落ち着いたムスク系のMCが「いつまでもこの子の話し声を聞いていたい」と観客に思わせる。浅黒い顔に少年らしさを感じさせる外見とのギャップが実に痛快だ!かくして都内各所のコンサートで彼のカッコいいナレーションを聞いた女性客たちが、初恋の乙女のごとく吐息をつく光景を私は多数目撃することになる。

 彼らとともに「セレクト・アルトの末っ子」ともいうべき魅力的な役割を演じている少年の存在も忘れられない。彼の声質もまた幼少年らしい可憐さを湛えたもので、「カルメン」では声の嗄れかけたベテラン・ボーイソプラノと闘牛士のアンサンブルを組む。MCでは粘度の高い甘カワ系のナレーションを繰り出すこともできる。「題名のない音楽会」のオンエアでは、団員インタビューの最後に彼へとマイクが回り、ひとこと「元気が出ました」と述べた。この「元気が出ました」は、ボーイ・アルトとしての彼のステージでの生き様を実に言い得ていて名言だった。さすがテレビ局の編集なのである。

 常駐のセレクトメンバーはここまでだが、さらにこの隊列の下にA組ベースのイケメン軍団とも言える、体格のしっかりした少年たちがずらりと配された。歌い姿の実にキマった惚れ惚れする程カッコいい少年たちである。客席から見る限り、自らの貢献度や魅力というものをさほど自覚して歌っているように見えないのが非常に惜しいところだが、一昨年の定演を見て私が「アウトロー感満載でケタ違いに面白い。楽しみだ!」と評した彼らがついに本格配備され歌い続けた1年間だった。そして彼らの下にはもっとヤンチャでキカン坊そうな低声A組団員たちが添い、昨年度のアルト・パートは非常に魅力的な「ニオイ」を放つチームとして成立していた。

 「プチ鉄ヲタ君」「スーパー・ナレーター君」「元気が出ました君」…少年合唱団の演奏を個々の団員の活躍から論じることは児童合唱のファンとして決して好ましい行為ではないというのは私も良く承知している。だが、少なくとも近年のパフォーマーとしてのフレーベルのスタンスが、単なる「歌う男の子の隊列」(大切なのはあくまでも「歌」で、それをどういう子たちが歌っているのかは副次的な問題に過ぎない)から「真摯に歌う少年らの子どもらしい姿を見せ、楽しんでもらう場」へとシフトしてきたのは、紛れもない事実だ。アドリブのようにして押し込まれた、伴奏も指揮も無いぶっつけの短い演奏に、客席の人々が感極まってハンカチを取り出し涙をぬぐう修羅場のごとき場面に遭遇したことがあなたにも、あなた自身にもあるかもしれない[8]。「ここでこの子をこう使うのか?!」とステージ上の先生方の審美眼に度肝を抜かれ恐れ入った経験もあるだろう。夏から秋にかけての駅前コンサートで「もっと前に来て僕たちが歌うのを見てください!」「前の方で写真を撮ってください!」と団員が客席に呼びかけるシーンに出くわした方はいないか?一見して団員保護者と思われる方にそう声をかけられたことのある観客もいるはずだ。不器用で無愛想かもしれないが、歌に臨む少年たちの等身大の姿を見せることによって、フレーベル少年合唱団は格段に面白くなり私たちを喜ばせるようになった[9]。それゆえ、団員一人ひとりの歌が人物像を伴って客席からよく見え、彼ら個々の息遣いがハッキリとした輪郭を取りはじめた。…だがしかし、それだからこそ、合唱団は今秋のような危険を冒し発表のときをむかえることになるのである。


アンパンマンはキミさ!いつでもキミさ。
 フレーベル版「カルメン」には、ちょっとだけコミカルなナレーションが進行役として施され、それを「子どもたち」役と兼務でスーパー・ナレーター君が受け持っている。だが、メガネ頼りに彼がファイル原稿を読み流し、際立って明瞭な日頃の発音からはやや後退した出来で筋を語るという事態に私たちは遭遇することになる。考えうる状況として原稿を我が物とする余裕を合唱団は今年、持ち得なかったのではないかと私は考えている。また、当夜のアンコールにはレギュラーの「勇気りんりん」と「アンパンマン・マーチ」の前に「 I've Been Working on the Railroad(邦題:線路は続くよどこまでも)」が歌われた。曲の最後に、車掌さんの到着合図がピー・ピッ!のホイッスルとともに発せられる。このセリフは、あきらかにプチ鉄ヲタ君が担当することを前提として企画されたものだ。だが、定演当日、彼は期待されていた、あの「車内放送のコワイロ」をやらなかった。「夢の国、到着致しましたっ!ご乗車、ありがとうございましたッ!」…それはステキな彼のふだんの声でしかなかった。「これは何故?」と思ってしまったのは私だけではあるまい。

 私たちの大好きなフレーベル少年合唱団もまた、首都圏の子どもらの例に漏れず今秋、苦渋の事態に陥った。夏休み明け直後に健康そうな黒い顔をひな壇に並べた少年たちは、9月中旬を過ぎるとはやくも舞台に上がれなくなりはじめ、通常マックス3列横隊でステージ幅いっぱいに並んで歌うべき営業で、実際わずか15人しか集まっていないということもあった。パワーと見栄えの不足を補うため、とりあえず背嵩のいった子たちをセンターにリバースし立たせるという苦し紛れの応急処置まで繰り出されるようになる。それは今回の定期演奏会のわずか2週前の出来事だった。団員の復帰は遅々として進まず、頼みの綱の上級生たちはなかなかステージに戻って来ない。演目の殆どが数ヶ月前にほぼ仕上がっているとは言え、演技等最も大切な追い込みの時期に、肝心のメイン・キャラクターで旗振り役の少年たちの姿がそろわない。そして現実問題として実際、前述の通り合唱団のアルト・パート(低声部という意味ではなく、厳密な意味での「アルト」)は演奏会の後半にいたってもなお舵取り役団員らの暖機が殆ど起動せず、彼らはしっかりふんばって歌ってはいたのだが、結局パートとしての生彩を欠いたままの状態で記念定演を終えた。ソプラノ声部の方がダメージを免れた。「カルメン」の配役の中で、メイン・キャラとしてではなく「子どもたち」役でがんばった団員の中には日頃コーラスの核となりうるソリストクラスの団員が、2学期に入ってからもずっとベストコンディションのまま何人もキープされていた。例えば当夜の終演でも通常通りの出番で発声した「アンコール君」は、その他のコンサートでも「アンコールしてもイイですか?」をあの天然純正ボーイソプラノとも呼ぶべきクリアな声で叫び続けている。アルト声部と違って、コア団員を役にとられてしまってもなお、このような子どもたちの活躍で「カルメン」のソプラノ・パートはきちんと鳴り続けたのである。

 同様のことは、合唱団全体に対しても指摘できるのかもしれない。メインの上級生が入れ替わり立ち代わり欠場したこの2ヶ月間、ひたすらな姿でフレーベル少年合唱団の隊列を守り抜いたのは、学年は高いが短い団員歴しか持たない「中途入団」とも呼ぶべき少年たちや中・低学年の団員たちだった。…ステージメンバーとして常駐し、紺ベレーのかぶり方が上手でチャーミングな、ひな壇最前列に配される中堅の小さな団員たち…。彼らは先輩方の抜けた隊列を歯をくいしばり支えつつ、自らは10月28日に向い着実にコンディションを整えていったのである。背丈や声量や経験がほんの少し足りないという理由から、ささやかな偏見でもって彼らを眺めていた私にとり、これもまた喜ぶべき大きな誤算と素敵な「裏切り」の贈り物だった。


さあ行こう歌声が流れる…
 緞帳の下りないステージになってから、毎年私たちファンをやきもきさせていた入場は改善されていた。人数的なものに助けられてはいるが、彼らは今回15秒以内にスタンバイを完了させている。他所の少年合唱団と比較しても遜色の無い手際の良さを獲得したと思う。他にも、オルガンバルコニーへの隊列の流し込みや、「アンパンマン体操」「アンパンマンのマーチ」を使ったAB組ステージへの行進入場など、明確な根拠と経験に裏打ちされた工夫が整列場面にも生きていた。

 今回のプログラムは合唱曲のチョイスをパート1に配してから、前回評判の良かったパイプオルガン伴奏のステージを前唐オて置き、休憩をはさんだパート3に定番の「世界のャsュラーソング」のステージを充てている。ファイナルステージの「カルメン」の衣装替えと体力回復を見込んだのか、パート4へはAB組のステージをかまして上手に時間を稼いだ。フィナーレはアンコール3曲を歌い、劇場掲示の予定通りほぼ120分間の演唱で興行をはねている。

 全体のパート構成自体はごく穏当なもので、各パートに配当される曲数がほんの少しだけ抑制されているためにプログラム上はやや「食い足りない」印象を受ける。だが、それぞれのパートの後半にはちょっとした演出やサプライズなどの工夫が施されており、私たちを楽しませてくれた。パート1後半の四季の歌4曲は、洒落たハーモニーと伴奏で編曲された気のきいたアレンジの楽譜を選んでいる。ユニゾンばかりで歌ってしまっていた一時期もあったため、昨年の定演のパート1でのハミングやボカリーズなど少年たちの頑張りがフレッシュな驚きに感じられた。今回のアレンジのチョイスはおそらくそれを自信とした上でのものなのかもしれない。狭母音は総じてクリアに整えられ、音価通りのロングトーンも効くようになった。トリフォニーの最初の2年間、噛み合っていなかったホール音響は既に彼らのものとなり、ボーイソプラノの肌理を生かした繊細なフィニッシュを聞かせてくれている。終曲の「冬の夜」には早くもキレのいいソプラノ・ソロの投入が見られる。その起用と伴奏が低声の少年たちのコントロール力とあいまって、客席を温もりに満ちた安堵感で席巻しつつ最初のステージを終えている。

 パート2のオルガンステージは今年もセレクトメンバーがホリゾンに後退。ハーモニーはミュートされて素材の実力が際立ち、舞台のイメージも上手にリセットされ始まった。これがあの「アンパンマン体操」や映画「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマソングを♪ゲゲゲのゲーと歌っている同じ合唱団?…思い込みを裏切る、清新で少年の骨格を感じさせるピュアな声作り。「あたしはャ潟tォニー系のトレブルしか『ボーイソプラノ』とは呼ばないんだよ」などと気安く言い放ってしまうような人たちは、この演奏を前にどういう言い草をするのだろう。地明かりの照明を落とし、彼らの紺ベレーのチョボがスャbトライトに射抜かれ、くっきりとしたシルエットでオルガンバルコニーのコンソール壁面に写るさまは当夜のコンサートの見所の一つとも言えた。
 今年は「アヴェマリア」の聞き比べの趣向もあり、一曲だけ「天使のパン」の挿入があってから、前触れもなく隊列がステージフロアに下りてくる。何が始まるのかと思ったら、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の「アヴェ・マリア」の冒頭にはついに長い長い試用期間を経たセレクトメンバーのハンドベルがブリリアントに鳴って合唱を従えた。オルガンとベルのアンサンブルもまがいものでなく心地よい。今年の定演の開幕には、1ベル代わりにオルガンバルコニーから白手袋の団員代表の手でモノホンの「ベル」が鳴らされていて、それがこの「カヴァレリア・ルスティカーナ」のインテルメッツオ導入部分へとつながってくる仕鰍ッになっているように思われた。

 休憩を挟んだ第3ステージのアペリティフは「ベサ・メ・ムーチョ」だが、MC後に「ゴッドファーザー」が歌われた。短いイントロの出し抜けのソロ先攻。日ごろ彼らのステージでこの曲を繰り返し聞いてきている私たちは、よもやソロが入るとは微塵も思わず、予想すらできず、漫然と客席にふんぞりかえっていて度肝を抜かれた。これは非常に衝撃的な展開だった。…「嬉しい裏切りオンパレード」の50年記念定演にさもありなんである。お客様はソロが引き取ろうとした途端、曲の終わりが待ちきれずとうとう拍手を始めてしまう。

 次のパート4でも同様のサプライズが用意されていた。A組単独のステージにして既にユニゾンでガナる小さな団員たちがおり、そちらの方に目を奪われていると、突然ノビコフのソ連歌謡にドカン!と幼年ピオニールばりのソロが投入されたりする。全く予断を許さない。フレーベル少年合唱団のソロは絶対にセレクトメンバーが担当すると思っているようなヘビーなファンほど仰天の具合は激しい。圧唐ウれている間に聞き慣れた「アンパンマンマーチ」の前奏が鳴って彼らが歌ううち、今度は流れ込んできたB組団員にステージ・センターが乗っ取られてしまう。このパート4は、たった一列の小ちゃな小ちゃな少年たちに大舞台が制圧され、客席がャJンとしている間に6曲が披露され終わっていたという驚愕の15分間…演奏会というよりはゴキゲンで小癪なステージ・ジャックと言えた。私にとって、当夜のあまたのシーンの中、最も爽快で幸せな気分にひたれたのは、A組隊列の前に並ばされニコニコと胸を張って歌うB組軍団の堂々とした晴れがましい姿を見たときだった。彼らにぜひ明日のフレーベルの歌声を託して欲しいと思ったのはおそらく私だけではなかったと思う。


群にはぐれた子ツバメたちは、何を見てきたか
 さて、「裏切りの定演」であるとすれば、やはり負の「裏切り」についても触れておかなくてはならないと思う。今回、アンコールの3曲を含めて、私たちはトリフォニーのステージに33曲ものレパートリーを聞いた。全くもって不足は無いのだが、活動の報告会という側面も持つ定期演奏会に「どうして歌われなかったのだろう?」と思われる作品群が3タイプある。
 先ず挙げられるのは、この一年間、全てのコンサートで必ず歌われてきたため、まず間違いなくプログラムに盛り込まれるだろうと考えられていたもの。「リサイクルレンジャーの唄」はこれまで3番と4番をつまんだ短縮版を殆ど全てのライブパフォーマンスで供してくれていたが、バラード調の美しい3番を担当するソリストとともに今回はついに聞くことが出来なかった。
 次に、従来の定演の流れで、当然歌ってくれるものとして考えられていた企画。「僕たちの活動報告」のコーナーが姿を消した。今年、全国ネットのテレビで流れたCMソングやサウンド・ロゴの中には一見(?一聴?)して「あ!フレーベル少年合唱団の声!」と判るものがいくつかあった。合唱団は今年も引き続きCMやCDレコーディングの仕事に忙しく飛び回っているはずなのだが…。ホール入口で、試供品のガムやキッチン洗剤のおためしサンプルを手渡されたりするかもしれないとわくわくしながら当日を待った来場者には、ちょっと予想外の結末だった。
 そして、運良くばアンコール曲などのカタチで聞く事ができるかもしれないと予想されたものに「あかさたなはまやラップ!」や「崖の上のャjョ」がある。フレーベルではどちらもユニゾンの演奏であり、ライブ中も「オマケ」の格づけだったため決して必然性の高い演目では無かったが、客席の感触は極めて良好なレパートリーだった(年配の聴衆に、少年たちのラップが毎回大ウケなのには完全に意表をつかれる)。定演の1ヵ月後に発売予定の『アンパンマンとはじめよう! お歌と体操編 あそぼう!ことばリズム』 [DVD](バップ VPBE-18422) に挿入される「あかさたなはまやラップ!」(CD版の発売は、さらに1ヵ月後の2009年12月中旬:バップ VPCG-80643)は、合唱団がドスのきいた地声でラップをまくしたてる異色のナンバーだが、前回定演のカノン・ステージがCD『たのしい輪唱<カノン> 』(キング KICG-247)の実質的なプレミア公開であったことを考えても「あかさたな…!」だけはひねったカタチで演目にのぼるのではないかと予想されていた。

 会場がトリフォニーに移ってから数年続いた、ステージユニフォームの目まぐるしい「おめしかえ」で魅せる趣向は、今回、カルメンのコスチューム替えを射程に入れたものなのか目立たぬようイメージ的に抑制されていた。ただ、「キャバレーの雰囲気」「バーテン軍団」「カマーバンドしてる意味が希薄」「ジャケットの裾(スソ)が何か変!」…等々と毎年ネット上でコテンパンに叩かれまくっているレンガ・ジャケットは、今年は黒ストローの中折れ帽が新たなアイテムに加わりさらにパワーアップ(笑)!!彼らミニ・マフィアというかアルトのイケメン軍団やメゾ位置にスタンバイするリトル・セレクトの子どもたちが、目が隠れそうなほど中折れを深めにかぶって客席を睥睨する姿は、シニョーラをもてあそぶヤサ男の色気芬々で、最終ステージのカルメンの伏線ともなって秀逸だった(たぶん、フレーベル以外の日本中の少年合唱団の男の子には、こういうナチュラルな着こなしはできない?!)。

 ユニフォームの更衣が全てのクラスでわずか2回に留まっていたのは、通常営業のフレーべル少年合唱団を知る我々にとって、意想外の事態だった。5年前の突然の刷新があってから、合唱団は長年継承してきた単一不変のモデル[10]から突然解放され弾けたかのようにステージ衣裳を多様化させる。無帽・紺ベレー・今回投入された中折れの3種の帽子、赤・黒の二種類のボウタイとネイビーベロアのリボンタイ、エコ対応のノーネクタイ、メロンとスミレのマフラー、Y字のサスペンダー、プルオーバーの紺ベスト、今回着用のイートンジャケット、レンガ色ブレザーにワンピーク・チーフ、冬季のブランケットコート、イートン用にしつらえられた紺パンツ、ブレザー用の側章パンツ、おそらく2種の紺半ズボン、ソックスは白・黒のハイソックスにSA組はこの夏、20世紀じみて不評だった白ハイソックスをリーマン仕様の黒いクルーソックスへと鮮やかに差し替えた。自前のワイシャツと黒革靴を除いて、これら多種多様のアイテムを日によって細かく組み合わせて着せる。2日連続の出演でさえ、翌日のコーデを微妙にズラし、昨年と同一日程で開催されるコンサートも気候天候に合わせパッケージ自体を差し替えるなど、そのバラエティーは千変万化だ。暑い夏の午後、駅前で歌う無帽・ノータイ・ワイシャツでクルーソックスをはいた半ズボン姿の少年たちの一団を見て、それがまさかフレーベル少年合唱団の2009年の隊列であるとは元指導者でさえ俄に言い当てられないことだろう。現役団員のクロージング面でのふるまいは、ファルセットで響く少年たちの澄んだ歌声だけをお目当てにコンサートへ足を運んだ人々には、さぞや裏切りともとれる居心地の悪さであったに違いない。だが、ここでもまた私たちは、合唱団が聴衆のため、単なる「歌う男の子の隊列」から脱却しつつあることを実感することになるのだった。

 「創立50周年記念」の冠のある定期演奏会だ[11]。だが、私たちファンが想い描くような「片耳の大鹿よ」や「天使の羽根がふってくる」や「北国の春」や「ハレルヤコーラス」といった演目、またOB合唱団の単独ステージ…それらは、もはやプログラムに上がっていなかった。1000名を超えるというOB諸氏にとって、これは「俺たちの歌った日々は、いったい何だったのだろう?!」とホゾを噛む思いだったろう。かろうじて「創立50周年に寄せて」とサブタイトルのついたセクションに含まれていたのは、ビゼー「カルメン」のハイライト版だけだった。これは「50周年」でなくても良いのでは、関係無いのでは、と思わせた。手渡されたプログラムを一見して、私たちはそのラジカルな決断に驚く。…だが、裏切りの物語「カルメン」が進むにつれてフレーベル少年合唱団の「50年目の今」が、彼らの歌い姿からどんどん、どんどん見えてくる。愉快なほど明らかになってくる。私たちはじき明るく晴れやかな気分になっている。長の年月、「ぼくらの歌」を客席で聞き続けた私たちは決してOB諸氏の想いを裏切ることはない。ステージの幕が下りるたび、私たちは思い出すだろう、あなたがたがいてくれたからこそ、フレーベル少年合唱団が今日も人々にやすらぎと勇気を与え、ここにあるのだということを。

 1999年11月17日午後6時30分。私は人いきれのする芝公園abcホールのアルト側席のャWションにようやく腰をおろし、突然、何の前触れも無く団員の9割が小学3年生以下の隊列になってしまった第39回定期演奏会のステージをぼんやりと眺めていた。当夜のB組にはユニフォームが無く、舞台はシンマイ団員たちの着る思い思いの私服でにぎやかだった。この演奏会は実質的には磯部先生の追悼演奏会だったが、ひな壇へと溢れんばかりに居並ぶB組メンバーたちの姿がなぜか強く私の心を引いた。創立40周年記念のその定演が、実は10年後の今夜の予兆となっていたことに、私はプログラムをたたみながらようやく気づく。あの夜のB組がそうであったように、フレーベル少年合唱団は夥しくきらびやかで楽しい「全くもって新たな隊列」をその後の10年間で用意することになる。

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*1  バウ・スクレイプ
 当夜のバウ&(簡易の)スクレイプは、実はこれまでの定期演奏会の終演に施されたバウとは若干違っている。掲げた腕で胸をすくいとるとともに、自分の右脚をわずかに前方へと滑らせ5秒間のホールドをかける優雅さを強調した所作へと進化させた。この目立たぬバージョンアップは2009年1月にはすでに完了している。背丈があり、相対的に脚の長い上級生の方が、このバウでは動作がダイナミックになり見栄えがする。

*2 「カルメン」
 正確には、ビゼー作曲、歌劇『カルメン』の「ハイライト版」であることが、冒頭の団員ナレーションで告げられている。また、テクストはオリジナルのフランス語ではなく、日本語末ナ。MC台本は、おそらく合唱団の創作。伴奏は1台のピアノがフル・オーケストラ並みの鮮やかなサウンドで大活躍する。
 日本人ボーイソプラノで歌われる「ハバネラ」は『∀ガンダム』のサウンドトラックなどを吹き込むTFBCの大塚宗一郎が1996年に本田技研工業のスメ[ツクーペ「プレリュード」のCM用にレコーディングしたものが記録として残っている。当時、大塚は11歳だったが体格的には比較的小柄だったため、半音階をャ泣^メントで落とすなどのテクニックを駆使し「愛の小悪魔」という舌足らずなイメージを上手に表現している。
http://www.youtube.com/watch?v=JVJs_yso9Mc

*3  プログラムについて
 今回の定演チラシやプログラムの表紙を見た人の殆どが、のっけから度肝を抜かれたに違いない。なんと言っても本業が出版社。センセーショナルなイラストの配し方。シブいフォントも使われていて、簡素なつくりのペラの印刷物ながらキレの良さが光っていた。ただ、指揮の寺澤先輩とピアノの中村先生のお名前がどこかに入っていても良かったのではないかと思う。

*4  創立25周年記念演奏会プログラム(1983年)ほかによる

*5  女形たち
 例によって少年合唱団のため、ソプラノ・アルト設定の配役4名は女形で扮装。何かキャラ的にありえなくもなかったので、ちょっと笑ってしまいました…ごめんね。この役を引き受ける彼らの度量の大きさは通常のステージにも見えるような気がします。ふだん、合唱団で歌っている険しい表情の彼らは頼もしくって大好きです!

*6 「神様のおくりもの」カルメン君
 「カルメン/ミカエラ」君と「エスカミーリョ」「ドンホセ」君たちの間の学年ギャップがとてつもなくセンセーショナル!たぶん学校に行ったら「エスカミーリョ」君が6時間目の児童会活動をやっている時刻に「カルメン」君はもうとっくに下校してお家でおやつを食べているぐらいのアッと驚く学年差だ!そういう彼らが非情な恋のカケヒキを演じるというのだから…。少年合唱追っかけ歴の長い人でもこういう年齢差のキャスティングはおそらくお目にかかったことは無いだろうし、これからも未来永劫に無いだろう!今回のカルメンを目撃できた人はかなりスゴいものを見たと言ってよい。
 さて、何が近年フレーベル少年合唱団の在り方を大きく変えたのだろう。
あなたも「小学1年生の男の子は小学1年生の歌しか歌えない」と思い、「1年生の男の子は、1年生なりのMCにしか使えない」と思い込んではいなかったか?「小学2年生の男の子が演ずる劇は『えんそくにいくんだ』や『おたまじゃくしの101ちゃん』であり、オペラ『カルメン』になることは無い」と決めつけてこなかったか?中学生の団員から居るフレーベル少年合唱団にあって、私たち聴衆もそして、おそらく歌っている少年たち自身も「少年合唱団というのは、小学校高学年の男の子が上手に歌えてナンボのものだ」と信じ込んではこなかったか?定演プログラムの隅っこに、カルメン君の名が「ついで」のように載ってから5年…合唱団はなんとパワフルで魅力的なパフォーマー集団へと急成長を遂げたのだろう。たとえそれが小さな男の子たちの歌うステージであろうとも、周囲の人々のもっていきかた次第ではたくさんのお客様に夢と力と勇気と(そして十分なクオリティーの合唱を…)確実に届けてさしあげられることに合唱団は気づいてしまったのではないか?カルメン君の出現が結果的に、彼だけでなく、たくさんの中・低学年メンバーたちの歌い姿を輝かせ、早い時期に信頼度の高いセレクト組へと押し上げ、歌う「ちから」のャeンシャルを励起させたと考えられはしないか?フレーベル少年合唱団が50年間耐え抜いて得た、貴重な「神様のおくりもの」が、私たちの前に見えてきはしないか。

*7 アリヴェデルチ・ローマ君
 メゾ・ソプラノ系の特徴的な余韻を持ち味にしている彼は、夏休みが終わると同時にアルト・ソロでも遜色ないほどに声が野太くなり声量も出て、もともと期待されていただろうソプラノ声部の牽引力という役割を確実に果たすようになった。スレンダーなうえ常におっかない表情で歌っているためシッカリ者のソプラノと思われそうだが、ステージの姿を見る限りちょっぴりお茶目なところもあって憎めない癒しキャラ。題名のない音楽会で、佐渡先生から「脚を叩きましょう」と言われて見せた屈託の無い笑顔に「このお兄ちゃんもステージで笑ったりするんだ…」と、かなりビックリした人も多いはず。いずれにせよ、2009年現在のフレーベル少年合唱団の実働部隊全体を実質上率いているのは、アリヴェデルチ・ローマ君をメインに据えたボーイソプラノ群である。

*8 単なる「歌う男の子の隊列」からの脱却
 例えば2009年5月17日 六義園コンサートの二連アンコールなど。

*9 合唱団の年間出演回数
 フレーベル少年合唱団はその来歴と境遇ゆえにかつて長いこと、「たとえ客席に聞く人がいなくとも僕らは歌い続けるのだ」という謹厳実直なバックボーンの児童合唱団だったように感じる。だが、彼らは今、「客席にお客様がいるからこそ、僕たちは歌い続けるのだ」という合唱団に変わりつつある。
 この1年、一般公開した単独出演ステージは雨天による中止を除いても30回前後にのぼった。単純計算で年間を通じ12日に1度は都内のどこかで30分間以上のコンサートが開かれていることになる。今後、この頻度はさらに増え、年間40回を数えることになるだろうと思われている。それゆえ彼らが練習場を飛び出しステージ上で実戦から歌を学び、パフォーマンスの過程で歌の心を学んでいることは、もはや否定できない事実となった。

*10 旧ユニフォーム
 圧涛I多数のOB諸氏が袖を通し45年間にわたって団員たちの身を包み続けてきた旧ユニフォーム!創立50周年ということで思い出そうとネット上を探しました。新旧のユニフォームを紹介しているサイトもあるにはあったのですが、「あまりにも実物と違い過ぎるー!」と悲しくなってしまったので、記憶を頼りに自分で描きました(うっ!)。これでほぼ正確なハズです。シャツの襟の形状も再現したつもりなのですが、解像度を落としたらディテールが消えてしまいました(要はヘタくそ! orz)。昔は、この半ズボンの丈を見てさえ「うわ!長過ぎる。ぶかぶかしてて、古くさい。」と思ったものです…懐かしい。自分の記憶にある色でジャケットが描けたので満足しております(Macで描いているので、ウインドウズPCで見ると色が濁ってると思います)。描いていて思ったのですが、このユニフォームって美醜の問題というよりは、かつて歌っていた団員たちの心の体温のようなものを感じる。私にとってはながめていてなぜかホッとする「癒し」のアイコンといえます。

*11 消えた赤いfマーク
 毎年の定期演奏会で必ずホリゾントに掲げられていた赤いfマークは、会場がシューボックス化して緞帳が下りなくなると姿を消した。50周年でも掲示されていない。フレーベル少年合唱団が国内の他の少年合唱団よりもかなり早い時期に「第○回定期演奏会」というステージハンガーを舞台上に吊らなくなったのは、このカッコカワイイ赤いfマークが代用されていたためと考えられる。おそらく仕込みの簡略や、バトン使用料削減などの理由から、どこかへ行ってしまったこのfマークが再び日の目を見て少年たちの背後に掲げられることは今後も無いだろう。