恐竜の時代へタイムスリップ / フレーベル少年合唱団第45回定期演奏会

2006-04-14 23:13:19 | 定期演奏会

 フレーベルのファンを自称する人ならば、今回のこのコンサートは「スグル先生の、この1年」を聞きに来たということだけに収斂される演奏会ではある。「団歌」、中学生っぽい「フェニックス」と来て、「未知という名の船に乗り」まで来ると、もうそういうファンはすべて納得済みで「これ以降の曲は団員達からのサービスとして聞かせてもらうよ」というところが正直な感想だったろう。「未知という名の…」と「気球に乗ってどこまでも」は、フレーベルが決定的な危機状況に陥る前の、いわば「パックス・フレーベル」の至福を謳歌していた時期を象徴する2曲。そして、「アンパンマン」系の曲を2曲入れてありはしても、プログラム全体の色調は1970年代のフレーベルを強く意識させる。あの、苦しかった時期の合唱団を想起させる構成は徹底して排除されているのだ。

だからこの演奏会を「スグル先生の、この1年」とだけしか考えていなかったファンにとっては、それで満足しただけのコンサートになってしまったことだろう。フレーベルの奇跡は再び訪れた。けれども、今の彼らはまだ、それ以上のものにはなっていない。「往時の幸せだった頃のフレーベルがよみがえった」だけであることを感覚として感じた古くからのファンは、それならば来年の定演に、かつてのフレーベルを凌駕する、メリハリのある、日本語のクリアな、男の子の体温や汗を感じさせる、それでいて気品のある演奏を見たに違いない。次のステップが明確に具体性をともなって客席からも見えたはじめての演奏会なのだった。

東京の他の少年chorの定演同様、フレーベルも今年、ついに定期演奏会の開幕の数秒間から「緞帳がスルスルと上がる、あの一瞬の高揚感」を放棄してしまった。団員たちが自分のベレーにつけた傾きを真剣な面持ちで確かめ、真っ白いソックスをしっかり膝下まで上げずに団歌の前奏を弾き出されてしまった一瞬の後悔の気持ちを、残念ながらもう、フレーベルの開演前後のステージ上に感じる事はできなくなってしまった。ここ数年、イイノ・ホールを満席にして立ち見を出し続けてしまい、音響構成的にもキャパシティー的にもホームグラウンドとしての使用をあきらめざるを得なかった。今回は約100席を追加してTFBCも定期演奏会で使っていた紀尾井ホールに会場を移す事になる。新しいフレーベルが狙っているboy soprano然とした清心な声質を紀尾井ホールが十分に響かせてくれたのは嬉しい。

だがしかし、かつてのフレーベルに比べ明らかに見劣りのする部分もある。この合唱団のアルト声部と言えば、以前はチームとして非常に魅力的な体臭を放つセクションだった。定期演奏会のときも、フレーベルのアルトの少年達を「見に」行くと言ってはばからない人さえいた。その年月、私は等身大のアルトの団員たちを小川町のフレーベル館の練習場で何度も見て、その歌声を聞いた。「色気より食い気」の飄々としたお兄ちゃんたちや、それを見ながら背伸びをしてみるヤンチャ坊主たちが入れ替わり立ち代わり入って来て歌っていた。彼らのチーム自体が「うたごえ」そのものだと言えた。私は今もそれを決して忘れない。でも、今のフレーベルにはそういうアルト・パートは存在していない。老練で極上の声質の子ども達はソプラノやメゾに配されていて、アルトで歯を食いしばりながら合唱団を支えているのは小さい可愛い男の子たちだ。乱暴な意見だが、この団員構成はむしろ逆でもいいと思った人も皆無ではないと思う。