フレーベル少年合唱団60年の歴史を書き換える 大きな布石となった定期演奏会

2023-11-12 06:15:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団 第61回記念定期演奏会
2023年8月23日(水) 午後6時30分開演
文京シビックホール 大ホール 
全席指定 2000円

 

『とーしんどーい』の華やかな演奏が終わり、少年たちが歌い尽くした肩をおろして全てのプログラム演目が終了した。
「たのしかった」と客席の喝采がまだ降り注ぐ文京シビック1800席の明るくなった地明かりを押して、一人の小柄なソプラノ団員がコロナ後のフレーベル展開隊形の半分より前の空隙を縫って伝い降りてくる。歩みは非常に日常鍛錬の行き届いた、腕の振りも美麗で高雅で端正な、見ていても爽快に気持ちの良いものだった。
上級生用標準ネクタイ(複エンボス赤ボウ)、美しい布目のワイシャツ。ソリッド地の長パンツに華美さも不浄のどちらもない清潔そうな黒い革靴。彼の面差しを見て、直接の面識は無くとも知っている観客たちはかすかなそこはかとない嘆声もたてただろう。少年らしい美しく約しい立ち姿をスタンドマイクの少し控えめな位置で愛らしく正し、拍手の残る客席が静寂に帰すのを男の子の明晰な頭脳で聞き分けて、甘く明るく微かに密かに艶めく鼻濁気味の一声をホール場内に通した。
「皆さん、演奏会はお楽しみいただけましたか?アンコールにお応えして最後に、『わらびがみ』を歌います。最後まで楽しんで聞いてください。」
MCの声が愛らしく僅かに裏返ったり、ビブラートがついたり、首を使ってブレスを送ったりするのは彼が小さい頃から宝物のようにして持っている美しい声の表情だ。上田怜歩那のフレーベル少年合唱団員としての真摯な立ち姿である。アンパンチくんからA組団員を経て、閉鎖前のとしまえんカルーセル・ステージに立った彼の歌う姿を見て、私は即座に「フレーベル少年合唱団60年の歴史を完全に塗り変える団員がついに現れた」とここへ確信をもって書いた。今夕、彼が登壇から非常にクオリティーの高い演唱をひたすら繰り広げ最後まで歌いきる様々な場面と声が、私の心へフラッシュバックし蘇った。入退場の度に見せるきりっと整った蹴り出しと腕振りの所作。『とーしんどーい』の振付で光っていた拳のカエシの、迅速でメリハリのある手捌き足捌き。「映画子役」上田怜歩那(特技は歌と金魚すくい)としてではなく「少年合唱団員」「ボーイソプラノ」上田怜歩那としてこのステージに全ての「歌い」をぶつけた彼の姿と生き様は、61回定期演奏会全体の出来の良さ、本公演自体がエンタテイメントとして聴衆の心を魅了しながら止揚する品位の高さをしっかりとあらわしていたように感じる。

こうして賑やかに歌い踊ったフィナーレの後、アンコール曲『わらびがみ』(ヤマトゥグチのバージョン)が、恩納仲泊の石塊だらけの日暮れかけた海岸に打ち寄せる清らな澄んだ静かな波のように、少年たちの声で奏でられる。今夏の合唱用編曲は特に美しく、また団員諸君のアビリティーもグイと引き出す出色の出来栄えだ。ユースをハケて小3から中学生団員までレンジの広いフレーベル少年合唱団らしい声の流れが、ハーモニーを静謐に歌い置いていき、曲は終止線を超えるまで聴衆を惹きつけてやまない。彼等の最後の声が後奏の中、フッとシビック大ホールの客席の彼方に消え去った刹那、私たちは自分が最後に息を殺し、声を載せた彼等の気息を聞いていたことに気づく。終演の甘美なうら寂しさや、このわずか1時間半ほどの歌声の横溢が「素晴らしいものを聞けた」という満足と安堵を感じさせ、吐息とも嘆声ともつかぬ小さな長い息をふぅと吐かせた。

フレーベル少年合唱団第61回定期演奏会は、その名称に適い、上記のような団員の存在ということのみならず「フレーベル少年合唱団60年の歴史を完全に塗り変える」傾向に近い価値を持ったものだった。「この人たちは、どうしてあんな事にこだわって毎年定期演奏会を開催していたのか?」という偏執に似たものが、すっきりと除却されはじめた、そよ風のような風向が、今回の演奏会の最大の魅力だった。当夜客席にいた者であれば、いくつも指折りで枚挙できることだろう。
この点に関しては、本公演のステージ構成を組み立て、「観客に見せ、満足させて帰す演奏会」として企画した人たちの客の心を手玉にとって喜ばせてくれる絶妙で素晴らしい手腕が一番過激によく現れていたと思しき、開演15分間の流れがある。

ステージの実際はこうだ。本ベル定刻に従って、取り出し6年団員メインの隊列がレンガ色タキシードの暑苦しいスタイルで登場し、『魔笛』2幕16番三重唱「再びお二人を歓迎します!」を歌う。この6年生たちの練度は非常に高く、当然ステージ経験も他の団員たちに比べて圧倒的に潤沢(MC等も各自の味を出してきっちり魅力的にこなす)。だが、合唱団は前回定演以降「4歳以下のお子様のご入場はご遠慮ください」としているため、静粛を求めるこのオープニングのギミックは強力な訴追力を持っていない(大人の客の私語は防ぎきれないが、ホール内に響き渡るタイプのものではないからだ)。この図像は第59回定期演奏会の冒頭と全く同じもので、客席の印象は「またこれなのか」ということになる。東京都のこの日の最高気温は34℃ほどあり、暗暖色のタキシード姿の(ただでさえホッカイロが洋服を着て歩いているような)デカい男子小学生が8人並び(一人一人は超カッコいい!のだが…)サスペンションライトを受けて立っている絵柄は、たとえ綺麗な頭声を統べて聞かせてはいても、お世辞にも「清涼で清々しい」とは言えないものだった。聴衆の「不快指数」は開演した時点でマックスなのである。次に団長先生のごあいさつが例年ルーチン通りに行われる。観客はこれが冒頭団員のかぶせ引き抜きの時間稼ぎであることも知っている。
…だが、ステージが『団歌』のスタンバイに移行したとたん、観客はビジュアル的に混乱しはじめる。
ワイシャツ・サスペンダーの小学生団員。長パンツの中学生団員。そして更衣しているはずだったタキシード団員!ごちゃごちゃである。歌うのは、本来最も折り目正しく正装を揃えて歌うべき『団歌』。ステージ前方には2022年以降のS組(小学3-4年)が、十分に暖機を終えたベストの状態で詰めている。合唱団にとっては初めてのことではないが、満年齢8歳から13歳ぐらいまで5歳幅の少年たちが雑駁に並んでいるように見える。かつて、フレーベル少年合唱団は1年中、小学4年から中学2年までの団員を全く同じマリンブルーのステージ衣装でぴっちり1公演、舞台にのせていた。フレーベルの鑑賞歴が長い客ほど、61回定演のオープニングの光景はショッキングであったろう。しかも、わざわざクラス再編したSSSを混配し敢えてここに立たせている!この時点では気が付く由もないが、私たちは終演後、このセンセーションが「フレーベル少年合唱団は今年から60年の歴史を塗り変えます。なぜならば、聞いている人に喜んでもらいたいから」という高らかな宣誓のアレゴリーであったことに気づく。そして、長期にわたって定演プログラム「パート1」を担当させていた最上級のクラスをステージのカミ手(!)から素早く退出させてしまい、小学3-4年年生にNコン課題曲(ここでも象徴的になことに、この曲を歌って小学校の部で金賞をとったのは暁星小学校聖歌隊である)とフィリピンじゃんけんをフリつきで歌わせている。「歴史を塗り変えます」の宣誓が、宣戦布告や革命宣言などでは決して無いこと、彼らの技量の惜しみない顕在化に邁進することを、企画したスタッフは、「魅力タップリ茶目っ気たっぷりイケメン集団」S組キッズたちの歌声で快活に語らせている。
開演わずか15分。最初に観客を煩慮状態のどん底に置いておき、これをビジュアルセンセーションでパッ!と解放し、最後にカッコかわいく楽しいギャングエイジ集団の動きのあるステージでひっくり返し、喜ばせて魅せるという、背伸びは微塵も感じられ無いが、実に巧妙でエンタテイメント性の高い憎らしい舞台展開を仕掛けている。かくして観客は、フレーベル少年合唱団のあの旧態依然とした定期演奏会のステージが、驚くほど客席側に寄り添うかたちで刷新され始めたことを強く知るのである。

 

アンダンテ程度の歩いているのかいないのか分からないようなスピード感。2部合唱とはいえ、殆ど(特に中間部ぐらいまで)執拗にユニゾンで、流れからたつ飛沫や泡沫のごとく和声や間延びしたポリフォニーが添えられるだけという構造上はミニマルアート的な仕上がり。S組のスタートの声は『ほほぅ!』。平成11年度 第66回NHK全国学校音楽コンクールの小学校の部課題曲だ。20世紀末の「だから何なの?」チックな曖昧模糊とした空気感が支配するナンバー。それを真逆の3-4年生男子というボーイズ真っ只中の少年たちが誠心誠意うたっていくという、外見上デペーズマンとも言える取り組みだった。歌詞の主語は一貫「ぼく」。…前述のとおり、おそらく暁星小学校聖歌隊が日本のボーイソプラノ合唱の頂点として最後に歌うことを意識して作られた挑戦状のような作品だと私は今でも勝手に想像している。ニ長調から変ロ長調へ渡り、再度ニ長調に帰着するという、五度圏を線対称でまたぐような、明度はあるがモヤった転調。ユニゾンの単純な音楽のはずが、実に詳細な速度・表情の指示が行われ、スピード・強弱も厳格に指定されたまま4小節をタイで鳴くロングトーン複数個所。男の子の大好きな(?)無声音を期待したい×音符の唐突な挿入あり。ペダル多用やオッターバなど、ほぼ垂水状態にあるピアノ伴奏など、単純ルーズに見えて実は手ごわい課題に、今回S組は臆することなくコテサキの裏技で誤魔化すこともなく真正面から正々堂々と取り組んで「フレーベル少年合唱団S組の合唱」に仕上げていた。一般の8歳から10歳くらいまでの男子小学生には絶対無理であるはずの楽譜を真摯にこなしながら、それでも×音符を歌声にマッチしたシームレスな小慣れた地声で聞かせてみたり(これは次のフィリピンじゃんけんとはきちんと歌い分けていて立派だった)、前述のロングトーンを抱擁力のあるもので解放したり、高い頭声もきちんと前に出している点は上位クラスも真似してほしいくらいの手腕。頻出する弱起の日本語も「弱拍なのにとてもハッキリ聞こえる」頼もしさ。そこには「先生に言われたから、その通りに歌っています」という卑屈さ、萎縮、屈従は殆ど感じ取れない。自分たちの信念だけに頼ってのびのびと自信をもち「これがボクらの仕事なんだからサぁ」とばかりに歌っている。あっぱれ日本一ともいうべき小3小4男子チームでぞっこん惚れる。1999年、我が国の少年合唱の頂点に君臨していた暁星小学校の聖歌隊は、この曲をNHKホールで歌って当然のように金賞を受賞した。だが、すでにその歌声は彼らが『ヒッコリーのおくさん』や『スケッチブックの空』や『だから すきさ』(笑)で聞かせていたような、「小学生の男の子」独特のアバウトさ、無鉄砲さ、ムラっ気、つまんない冒険と男友達、争い事なぜか大好きな(あと、出さなきゃイケナイもの(例えば水筒とか学校からの「お知らせ」とか)絶対に出し忘れる…)小学生男子しか持っていない、けれどもオレら合唱だけは男同士ガッチリ取り組むゼという独特の味(?)を明らかに欠いていた。AIが奏でる「少年合唱」のような、殆ど小学生男子の体臭を感じさせないシリコン・エラストマーのような歌になってしまっていた。61回定演でのフレーベル少年合唱団各クラスを総じたメタメッセージとして、この暁星の警告は厳然としてあったように思える。それを正演目の第1曲目で披露したメタファーの存在意義はあまりにも大きい。

 

続いて一転、フィリピンじゃんけんの歌が歌われた。

 Jack en-poy! hali-hali-hoy!
 Sinumang matalo siyang unggoy
 (じゃんけんポイ あいこでホイ
  負けたら猿よ …じゃんけんポイ)

詰める記号が入っていてタガログ語である。
この選曲が巧みだと思うのは、第一に日本語を聞き取る必要は無いが、「じゃん、けん、ぽい!」というキーワードだけはストレートに聴衆へ伝わるという点。私たちの殆どは(?)タガログ語を解さないからだが、聴衆の意識は、歌っているS組団員たちの身振り・表情など、演出の方へ大きく引き寄せられる。とはいえ、この演奏の価値と大義は、全く違うところにあるように思える。彼らは『ほほぅ!』から一転、高い声をおおらかに自然のまま繰った。小学校中学年の男の子にしか出せない胸声に近い柔らかい精悍な声を、訓練と曲の推進力の加勢によって、あっけなく喚声域から超克し、すぅーっと高い声へ伸ばしたという魅惑のテイストで統べられている。同様に下にも音域を与え、伴奏にのせハンドクラップを動員しながら音楽は楽しく展開されていく。錯綜したリズムや癖のある上行クリシェなど、聞かせどころは満載。超克の高音はやがて、ケソンのロペス湾に長く突き出た遺棄桟橋で調子に乗ってスキップしながらバカ笑いのまま滑走するずぶ濡れの少年らの嬌声のように、じゃんけんのタガログ語と絡み合いながらキュッキュと上へ伸びてゆく。最後の最後、ついに彼らの「地」の声が炸裂して曲は終わる。選曲の巧みさの第2は、これが10年ほど前のフレーベルS組(最上位クラス)の歌の魅力を思わず私たちに想起させることだ。また、歌われるタガログはポリネシア語グループの言語。私たち日本人は開音節のポリネシア語系の言葉を聞くと、遺伝子情報なのか、意味は分からなくてものんびりとした気分や温暖さ、お気楽さ陽気さを覚える(個人の感想です)。フレーベル全クラスの子供たちが数年前まで常に堅持していた天真爛漫さを観客に思い起こさせる。
総じてS組ステージは、緩く積み上げた多段の山台を従来の横方向にではなく、縦へスマートかつ自由に伸ばして使うことで、合唱団の新機軸を開いた。きれいな美しい合唱の歌声を聞かせてそれで終わりという次元から、男の子と言えども、気迫や、上気した顔色や、楽しんで歌う姿や、無我の挙動などを見せ、目でも楽しませて観客を帰すというタイプのコンサートへの移行を私たちは目撃することになる。しかもそれを先ず具現するのは上位のクラスなどではなく、修行中のS組という点で度肝を抜かれた。

 

プログラム冊子については、今回本年度の活動のうちおそらく一般鑑賞等可能なステージの出演実績が報告されるようになった。他の児童合唱団では観客の応援材料としてごく普通に見られる内容だが、レコーディング・映像参加の足跡についても公表できるものは掲載していくことが相応なのかもしれない。また、初めの方に単純な曲目リストを掲載しておき、あとはクラスごとの情報を記事化して内容を整理している。観客アンケートについても、これにならい、曲目ではなくクラスについての意見集めでフォーマット変換が行われた。アンケートはこれでは非常に書きにくいが、子供たちの歌声を聴きに来ている私たちにとって、楽曲のありがたい来歴やライナーノーツの並ぶプログラム冊子よりも、今回のような、団員をめぐる記述で構成されたプロの方が俄然読み応えを感じる。

 

プログラム的にはS組の開幕をトレースしてきちんと横山作品でAB組ステージをスタートさせている。
これは私の個人の印象でしかないのだが、昨定演に比べ、わずかにメロディーラインを幼少年の胸声に近いものへリフトアップし、鍛練の色を薄め、エンタテイメントとして男の子らしさを聞かせるものへ止揚してステージへ載せている。私はこれで良いと思う。それは入団にテストを課してはいても、入ってくるチビ助たちのカラーや歌う力やキャラは年によってわずかに異なっているはずだから。後述もするが、このAB組ステージでの小さい小さい彼らの「見せる」歌は、年を経るにつれてボディブローのようにじわじわと効いて、私たちのハートを最後にノックダウンさせる。『緑のしま馬』の幼団員らは徹底的に練習場で叩き込まれた低声の下味をちょっとダンディーに響かせながら、上はちゃんと「少年合唱団らしく」頭声を鳴らす子達もいてよくできている。選曲もハッタリの無い2部声で、スキッピングなリズムを遵守しながらポリフォニーに聞かせている。それを作曲者の狙い通りあたかも戯れ歌を垂れてノータリンに踊り回る男の子のイイカゲンさ、「何も考えて無いよね?」的な稚拙さを匂わせながら、かなり真摯に正確に歌い切ってしまう。また、日本語も正確で、発音がクリアに響き、心地よい。後奏の無いナンバーで、バッサリ切り落とした歌い終わりの、少年たちのちょっとカッコいいラストノートが文京シビックのホールトーンに残響する数瞬を聞かせるカットアウトのエンディングは、そこはかとない少年の艷(?)をフッと感じさせる音吐で「まったく、この野郎ども!大人をナメやがって!」なエロスが恐れ入った。同様の感想をコーダの瞬間に感じた人は少なくはなかったろう。

少年合唱から遠く離れて「ちなみにボクは大きくなったらカツオ一本釣りしたいです。」のMCが印象的な『おとなマーチ』はA組の手に負えるのかと思うような難曲で、もちろん「ま、デタラメに歌って済ましても可愛いからイイよね」という免罪符を最初は客席側に与えておきながら、とんでもない!彼らが七転八倒ステージの上でがんばって、苦しんで、挫けないで、「僕らはA組だ!できるんだ!」と最後まで粘り強く歌い抜く姿を見せて私たちの予想をひっくり返すという、「こういう選曲をだれがしたんだ⁉︎」的な実に魅力的でステキで興行性に富んだ小憎らしい演奏だった。個人の感想だが、曲は1960年代の色が濃いハッキリとしたアレグレットの構造が3コーラスきっちり繰り返される作品であるため、私たち21世紀の聴衆には1番から3番まで少しずつプロミネンスを考慮し動態やボリュームを加えながらエンディングに登ってゆく色をつけないと、眠たい仕上がりになるような気がする。もちろん、これはA組団員たちの実力の高さと先生方の指導力の高さを考えたうえでの注文だなのだが…。

 

本定演のプログラム作成者の手腕は、ここでスペーサーのようにSS組単独ステージをかまして単調さを回避していたことにある。このクラスがどのような歌を歌っているのかを、構成団員の度量ではなく、彼らが導かれている合唱の方向性から冷静に判断してプログラムを組んでいる。
『ともだちシンフォニー(合唱とピアノ連弾のための)』(寺嶋陸也・曲)が歌われた。ディビジ2声の10分を超える作品でSSの声には合っていたと思う。

 

61回定演に至るまで、フレーベル少年合唱団は2023年に入り大きなもので3つのステージをふんでいる。

まず2月19日にタワーホール船堀(江戸川区)でcolori X アルカイク ジョイントコンサートいちゃりばちょーでー:ー度会えば、みんな兄弟!(東京公演)へ出演した。50名編成の行き届いた歌声で、団歌に続き今回と同じアベタカヒロ譜の『ユイユイ』を歌い『島唄』を初演した。初っ端の前座(賛助出演)であったのにもかかわらず、彼らの歌声からは管理と統御が強く感じられた。まるでウィーン少年合唱団が歌っている日本語のように聞こえたというのも正直な感想だった。続いて3月12日に本日と同じ文京シビック大ホール開催の文京区民参加オペラ プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』(原語上演・字幕付)に子役で出演。コロナ前に開催予定で、いったんチケット払い戻しの憂き目にあった演目のリベンジ公演である。40人の子供が全員おそろいの白いマスクをして横並び1列で演目を歌う演出のオペラを私は生まれて初めて鑑賞した。日本語ではないがマスクに遮蔽され口唇も見えず「何を歌っているのかわからない」という眠い印象はさらに強まった。勿論合唱団が「ボエーム」に出演するのは初めてのコトではない。彼らは本来FMのようにスカート履きで着飾った「女の子」役が居るわけでもなく、全員が男の子の役で2幕を中心にカーテンコールまで所狭しとボーイズパワー全開で大活躍する。かつて山口先輩はメインキャストに肩車をしてもらって大はしゃぎする、ステージ上で一番高いところから演者たちを見下ろす子役として文字通り担ぎ出され歌っていた。だが、今年彼らはきっちり管理されてコロナ禍の最後の過ぎ越しのステージに立たされる。終幕天に召されるミミには大変気の毒だが、かつてステージで大暴れする少年たちを抱腹絶倒で眺めていた者の正直な感想は、残念ながら「今年のボエームはツマラナイ」だった。

ゴールデンウィークの終わり、西田美術館は各SNSに向け、フレーベル少年合唱団の金子みずゞ展ミニコンサート(2023年4月29日)のスチルを1枚だけアップした。カミ手寄り付きから撮られたもので、ソプラノ後列最左翼で歌っている6年生団員の姿はライトこそ1条ハッキリと差し掛かっていたが、後輩たちに隠れほとんど写っていなかった。わずかに認められるその面差しは、第2展示室の隅々にまでぎっしり押し込まれた客たちにも声を贈ろうと仰角で、なおかつ目前に肩を並べる14名の仲間や下級生らを包容するがごとく大きくはっきりと口唇はうち開いていた…小さくなったfベレーの髪の下で。 これが西田美術館コンサートの大竹祥太郎のスチル記録の全てだった。

コンサート冒頭、彼は前振りのナレーションやマイクセットの修正を十分待って、既に低くなり始めたお兄さんぶりの濡れた声で「みなさんこんにちは。僕たちはフレーベル少年合唱団です。東京から北陸新幹線かがやきに乗ってやってまいりました。」とだけ言った。この日、15名の団員たちは新ウィーン楽派ばりの音色旋律を紡ぐようにシモ手からカミ手へ順送りに全員がMCを一言ずつ発している。口火を切った男の子がリーダーとしてこのツアーを引き連れていたのだ。彼の短い言は、わずか15分間、7曲(+アンコール)だけの演奏の旅がどのようなものであったのかをよく諷示している。当日ここにやってきた少年たち全員が生まれるまさに直前まで、東京から残雪の剱岳の麓の町へ午後1時の出演に間に合うよう行こうとしたら、早朝に家を出て、新幹線で米原からしらさぎに乗って折り返すか、越後湯沢からほくほく線0番乗り場に走り、虫川大杉で単線の対行列車を待ってぎりぎりたどり着くか、羽田から飛行機で、回転寿司といっしょに荷物の回る河原のきときと空港へ降りて行くかの大旅行しかなかったのである。フレーベル少年合唱団が富山地方鉄道の折り返しの駅の町でミニ演奏会を持つということは、かつては考えることもできないようなとんでもない大冒険だったのだ。
それを裏付けるかのように、会場となった西田美術館の2階展示室は、彼らがリハーサルに入った時点ですでに後ろ側の壁までびっしりと観客が詰まっていた。整理券を配布して置いた座席では当然不足し、あわてて館内からかき集めてきたらしいベンチやロングシートを次々持ち込んでも足りず、人々はぎゅうづめの立ち見でも満足しきって彼らの歌声を堪能し拍手をした。
良かれとの信念から思いの丈をぶつけて歌いさえずる下級生たちを決して組み伏せたり凌駕したりせず、温めた充填パテのように彼らの歌のホツレ目へ声を充たしてゆくお兄さんぶりの冷静なボーイソプラノを大竹は美術館上階、第二展示室の翠緑の空間へ響かせ続けていた。その声は美麗に頼もしくソプラノの最左翼後列から常に聞こえ続けてはいたが、決して突出したり目立ったりはしていなかった。6年生になり、声も落ち着き始めた彼は、かつて先輩たちから可愛がられ歌ってもらった通りに、今日は下級生たちの歌声を聞き受容して歌いかけ、合唱を作っていたのだ。そこには過去のステージで「♪きのうの夜中 お池の金魚 エヘンっていったんだよぉ~」と歌ったときの独立独歩、「お化けって、生き物なのぉ?」と上田先輩と顔を見合わせ、ぱっつんキラマッシュの髪を揺らし演じたときの歌への思いの拙さは、もはやどこにも見られなくなっていた。わずか15分間の演奏ではあったが、彼の視線は歌いながら仲間と下級生たち、指揮者・伴奏者と客席のすべてを温かく見やって微笑んでいる。

その様子は公開された動画には解像度的にほとんど映っていない。あの場にいた者たちだけが堪能できた、かけがえのない宝物のプレゼントだった。ほんの2年前まで、須藤(兄)先輩や茂木先輩、野木先輩といったメゾソプラノの上級生たちが、練習場で弄ぶオモチャのように小さな彼を相手にし、面白がり面白がらせ、常に歳下の愉快なチビ助として寄り添って歌ってやっていたことが、結果的に今日の6年生団員大竹祥太郎を作ったのだと思う。61回定演のメゾ最後列センターでタイラ君と並び立ち(*)、一意専心に全てのステージで仲間と下級生たちのために心を込めて「合唱」を歌いつくっていた彼の姿は、まさに剱岳の麓のクリーク台地のただ中で歌っていた大竹祥太郎の図像そのものだった。
予定されていた演目を全て歌い終え、彼らは観客の拍手が加減静まるのを数瞬待って定式通り「ありがとうございました!」の呼号に応じようとしていた。だが、おそらく少年たちのステージ・ルーチンを一度も観たことのない美術館側のMC担当者が気早に「ありがとうございました!盛大な拍手でお送りください!」とアナウンスの声をあげたため、挨拶号令を担当する団員はそのきっかけを逸してしまった。大竹は心配そうな表情を見せたが、その目は「ドンマイだよ。みっともなく無いよ!」と言っていた。楽しい想いをした客席の拍手はすぐさまアンコールをねだって揃ってしまったので、挨拶担当はさぞや途方に暮れ困惑したことだろう。彼らは実際、こんなミニ・ライブにアンコールの声がかかるとは思ってもいなかったようで、当然アンコール曲なども用意していなかったとみられる。指揮者はプロらしいとっさの判断で、金子みすゞナンバーの可憐で静謐な『葉っぱの赤ちゃん』を曲目に示した。そのアナウンスは公示されなかったが、彼女がピアニストに曲目を耳打ちするかに告げる様子は公開動画にも残っている。とりわけ神がかって高貴だったのは、その瞬間6年生ソプラノが「先生!やるじゃん!かっこいいじゃん!」とばかり微かに頷いたことと、ビスのチャンスをくださったたくさんのお客様へ感謝と安堵と、「待って正解だったんだよ」と何度も何度も頷きながら担当団員の言動の容認と同意をしたこと。観客の至福と仲間や下級生らの力を再び送ることができる喜びが集約されたような微笑みだった。この日の彼が一体何を心に込めて歌っていたのかを私はそこに見ることができたし、喜色を通じ西田美術館で彼らの歌声を聞いた人々の想いにも触れることができた。彼はこの日、コンサートの間じゅう、合唱団の仲間と指導者たちと客席の挙動や反応を確認するために、目線は自分のMCのタイミング以外始終きょろきょろしていた。フレーベル少年合唱団はコロナ禍の只中に、合唱団員としての生き様のただならぬ魅力とハートを身につけた少年を育てた。それは、大竹が10月22日の『カルミナ・ブラーナ』本番までどう立ち回ったかを知ると感涙するほど納得がいく。日本の少年合唱は、1951年東京少年合唱隊の誕生から70年以上もかけて、ようやくこのような団員を産むフェーズへと到達できたのかもしれない。

私はこの小さな(?)演奏会で、幸運なことにフレーベル少年合唱団員としての友金君の歌い姿とMCをたっぷり聴くこともできた。入団以来合唱団の堅実な「メルクマール」であり、声であり続けた彼の、6年生になったこの日の姿は、人々を明らかに安堵させた。あの日の私は、幸運でもあり、しあわせだった。友金誠一郎という人の真摯な歌い姿と語り姿を心を込めてきちんと見て聞くことができた。フレーベル少年合唱団のファンにとって、これはかけがえもなく素晴らしい演奏会だったのだ!

*『ちびまる子ちゃん』でいうと3年4組大野くんと杉山くんのイケメン二人組(隣町の男子に絡まれていたまる子を2人で助ける、お別れ会で歌を歌ってクラスの皆を爆泣きさせるなど、通常ちょっと激エモなストーリー展開を得意とする)が6年生に成長したイメージ。ナウくてマブいシティーボーイたちという、ステージ上、大変に♪ウララぁーウララぁーなお二人…なのである。

 

フレーベル少年合唱団は昨年、クラス編成をさらに小分けし、SS・S ・A・ B ・ユースの5チームでの運用を始めた。咋定演ではその機能美があまり明確に発揮されていなかった。だが、今年、状況は出捌けに信念のあるアプローチを加えたことで効果的な演出を可能にした。クリアパーツ入りのレゴブロック・クラッシックのように、A組以上のクラスを自由に組み合わせ、さまざまな色やカタチを作り「遊ぶ」ことができる。彼らはワイシャツに制服ズボンの同じ形状をはじめとして、どのクラスをどう組み合わせてもカッチリはまり、発色が良く美麗でピカピカしており、組んだブロックは崩れることがない。SSSAユース間と単独を含む組み合わせは単純に考えても15通りあり、AB組についても3通りあって、合計18通りのバリエーションが可能だ。ここまでは数学的な順列組み合わせの問題だが、フレーベルは「どのチームもシモ手からステージに入り、カミ手へ捌ける」という大原則を61回定演で徹頭徹尾遵守し迅速なスタンバイを提供してみせた。56回定演の頃は最上級クラスが団歌を歌い終えてから次の1曲目が始まるまで、なんと2分間近くもかかっていた。今回、捌けるチームがカミ手ステージドアをまだ潜っている段階で、続投するチームは山台に隊列を整理し、シモ手から入場するチームを迎え入れるという、非常にテクニカルなスタンバイを見せかっこいいレゴブロックを完成させている。従来のフレーベル少年合唱団では決して期待できなかった、評価すべきことと言える。

 

インターミッション前の超メインにあたる個所へ、今定演のフレーベルは自信をもってアンパンマンの歌特集を組んでいる。
フライヤー等で喧伝された呼び物はB組からSS組までがステージに上がる『アンパンマンのマーチ』だが、冒頭にSAの中堅(?)部隊を擁した『アンパンマンたいそう』が歌われた。

現在のSSメインクルーがステージ部隊として成立し、正式な舞台デビューを飾ったのは、2017年8月23日第57回定期演奏会のB組ステージでだった。場所は本日と同じ文京シビックホール大ホール。当時はまだ六義園のライブがあったので、B組はテスト試用に枝垂桜前広場のツツジ前での歌唱経験は持っていたが、ステージ出演はそれが初めてだった。彼らのチームの出来の良さは誰の目にも明らかだったろう。前年度から歌っている上位学年のメンバーは歌の力もMC等の演技経験もあり、その年度新たに加わった下級生たちは一見してヤリ手の風格が所作ガイケンにあふれていた。彼らはのっけの『ドレミファ アンパンマン』から取り出しメンバーがタッチメソッドで赤(ソプラノ)のメロディオン(一般に普及しているのはアルトの緑桃色メロディオン)をあっさりと弾き(コロナ後、吹奏鍵盤を鳴らすことは文部科学省衛生管理マニュアルの指摘により教育現場で疎まれがちになっているためか、今回のアンパンマンステージの開幕をかっこいいマーチングスネアに持ち替えて手引きしたのも、同じ彼であった)B団員たちは全員でコダーイメソッドのハンドサインを繰り出しながら歌うという凝った演出で見せていた。そのステージのメイン演目こそが『アンパンマンたいそう』(仙台ツアー・バージョン)だったのである。ツアーバージョンなので、当然もともと高学年の子供たちが歌うよう編曲されたものなのだが、それを未就学児もいるB組が、わがものとして自信満々楽し気に歌っている。実は当時のS組もA組も実力のある魅力的なメンバーの集団だったのだが、館の実施した定期演奏会アンケートでB組ステージが「非常に良かった」と評価した観客は、S組を差し置いてA組と並び圧倒的多数だったにちがいない。非公式には、フレーベルの隊列が練習出席率に従って編成されると囁かれているのかもしれないが、第57回定演のB組の隊列ではあきらかに『アンパンマンたいそう』のキャスティングのため綿密に隊列が組まれていた。演出セッションの嚆矢で強烈なアンパンチを叫ぶ少年を指揮者の右センター寄りに置き、当時まだダークブロンズの髪をfベレーの下へさらりとアシメに流してヌーヴェルヴァーグのフランス映画に出てくる少年のイメージだった田中君にひょうきんテンドンマンを演じさせるためセンターのシモ手側に置いて、彼らに添わせるよう他のキャラ達を前列へ配列していた。曲がブリッジを奏でるなか、前列の彼らが一斉ショーアップのごとくステージかぶりつきへ繰り出してゆく瞬間の軽快で機敏な姿は、私たちに、彼らが合唱団の最下クラスの男の子たちであることを完全に忘れさせた。

61回定演で歌われた『アンパンマンたいそう』(仙台ツアー・バージョン)は、まごうかたなき現在のSSメンバーのステージの出発点であり、彼らの歌の原点でもあったのだ。かつて色白で真っ赤な唇をしたその春入団の小さな男の子がハッキリとした声で「次は、アンパンマンたいそうをうたいマス。ぼくたちのだいすきなきょくデス。」とMCをかけてあのとき歌は始まっていた。この小さな男の子が頼もしく成長し6年後の2023年、今回同じアンパンマンステージのMC第一声を発している。このことから、私たちは61回定演が、ステージ構成的にも配員的にも団員MC一人に至るまで非常に緻密で周到な計算に基づいて編まれたものであることに気づく。『アンパンマンたいそう』でアンパンマンを演じアンパンチを力の限り叫んだのは忘れることもできない本当に小さな小さな上田くんだった。2017年の夏の彼は、2023年の中学生になった自分とフレーベル少年合唱団のために、生気溢れる強烈なアンパンチを客席へ叩き込んだのに違いない。

 

SAの大部隊を袖に、自分の腰丈ほどしか無い下級生団員を導いてアンパンマンステージの冒頭MCを担当したのは6年前と同じ大竹祥太郎だった。彼は誕生50周年記念アンパンマンを手短に告知すると、サッとメインステージ中央へ片膝をつき、次の下級生へアナウンスマイクの頭を適切な角度でかざした。バレエ『眠れる森の美女』で美しきデジレ王子がパドドゥのアラベスクを支えて見せるバレエ・ファン垂涎のあのポーズである。彼は右立膝、左の膝をついて下腿を伸ばすその姿態をステージセンター・エプロン際でスマートに堂々とキメてMCマイクを下級生に充てる。これが本来の彼のステージパフォーマンスの真骨頂なのだが、してやったりの賢しらさなど微塵も感じられず、自然でひたむきだった。こういう人なのである。イッパツ喰らった!と思った。マイクを向けられた下級生たちはとても魅力的な声で明瞭に無駄なく(幼なさも残しながら)曲紹介をしてゆく。こういう中低学年男子の魅力的なMC群は国内のどの児童合唱団にも真似できないだろう。ルーチンはシモ手側で別の6年団員がバトンタッチを受け持つのだが、担当したのはタイラ君だった!ルックスもダンディーだが、お声やMCの口調はもっと激エモな団員くん!私が年長さんの頃の彼を初めてステージで目にしたときの印象を正直に言おう。…カ、カッコいい(降参まいりました)!だった。5歳くらいの男の子をつかまえて発する言葉ではさらさら無いのは十分わかっているが、ともかく私は銀幕のカウンター・バーでバーボン片手にブリオーニのソフト帽を目深に被って葉巻を燻らすハンフリー・ボガートと正面からタイマン張れる少年と真顔で思った(何書いてるんだろう…)。よく年のステージで、彼がB組制服にベレーで手作り感満載のクラリネットを吹いたとき、タイラ君のダンディーな雰囲気はもう完全に出来上がっていた。MCや歌い姿に兄譲りの独特の表情はあるが、彼が歌っているアルト部は常に適度な締まりがあった。フレーベル少年合唱団の絶対的魅力の一つはこういうキャラクターの団員に大人たちがつまらないバイアスをかけないことだ。
この導入MCは、最後に再び大竹が「総勢70人が心を一つにして歌います。どうぞお聞きください。」とマイクを引き取って終わるのだが、少年たちの一連の言葉は、61回定期演奏会の文字通り最高潮の頂点をなすものだった。お客様は大喜びである。すごい拍手だったと記憶している。指導者たちは「まだ1小節も歌っていないのに、どうして観客はこんなに盛り上がっているのだろう?」と首を傾げたに違いない。だが、フレーベル少年合唱団の定期演奏会のステージは、61回目にして驚くほど客席側に寄り添うかたちで刷新され始めていたのだ。

 

『アンパンマンたいそう』は、正確には仙台バージョンとイントロ嬌声の入るCDピアノ伴奏バージョンのミックスで、忘れていけないのはpfが今回もデリシャスでパワフルな味をだしていること。小学校中学年(とはいっても開演ステージで聴いたように非常に卓抜したセンスを持っている)S組が加わったことで、かなり深い(エロス??とも言って良い?)イイ感じのしっとりした味の歌声を出し、満腹感のある合唱に仕上がっている。キャラの団員たちがそれぞれ前回の『…たいそう』のパフォーマンスの味を刷新するキレキレのセリフを発しているのも魅力だった。私は確信をもって重度な聴覚障害の人々へ(もちろん子供たちにも)引導したい。彼らの歌声はおそらくハッキリとあなたにも聞こえているでしょう?!私が聴いている彼らの歌声が、視覚からあなたにも届いているでしょう?幸せで暖かな楽しくヤンチャな歌声でしょう?!一緒にこれを楽しめると思うと、私はシアワセです!これからのフレーベル少年合唱団がこのような方向性で発展していってくれることを私は心から祈っている。
SSの『勇気の花がひらくとき』は彼らの涼しい高声が高級磁器のような高品位鉄紺に仕上がっていて良い感じだった。
最後にフレーベル版の『アンパンマンのマーチ』がSSSAB連合のユースをのぞく合唱団総集結の大部隊で文京シビックの舞台空間に総攻撃をかけた。彼らが方々のステージで「僕たちのテーマソング」と謳って曲紹介し歌いまくっているナンバーなのだが、通常各コンサートのオーラスに登場することが多い。定演ではアンコール曲で固定されていたため、近年インターミッション中にばらしのかかるAB組は歌うことができなかった。フレーベル少年合唱団は今年、その機会を小さな団員たちにも引き戻してやったのだ。結果は圧巻で、フレーベルのコンサートをしばしば楽しみに行く筆者のような者にとっても驚くべきものだった。その音場が忽然と立ち上がった光景は、6年生MCの「総勢70人が心を一つにして歌います。」の言葉通りのものだったのは言うまでも無い。具体的にはそれぞれの年齢クラスの持っている基本声域が倍音のように互いを響かせあって、人々の快楽中枢に直接届くという味が一つ。もう一つは、西田美術館の大竹が聴かせていたような、上級生部隊がS組AB組の声を凌駕せず、幼い声素材への密着性・柔軟性に優れ、しかも自重による肉痩せを丁度ボーイズ声域中央で柔らかみも適度な艶もあるS組が土台となって持ち上げると言う意外な活用だった。

今回のこの、中間地点に最も大きな山を置き、開始から終演まで緩急を含めシンメトリーに演目を配して聴かせるという、観客の気持ちに深く寄り添った構成は本当にありがたいし、週2回の練習へ足繁く通いつめた団員たちを心から応援しようという想いにもさせられる。

 

*

15分間のインターミッションはあっという間の頃合いで、開けにSSユースの組み合わせで『モルダウ』が歌われた。
現在のユースはプログラム冊子の名簿上20名弱の団員記載はあるが、SSのメンバーとも重複し、学校出席等とのバッティングもあるので参加人数はそれを下回る。
フレーベル初めての演目ではなくかつて幾度か定演に供していたと記憶するが、同声3部(プロでは混声3部と記載)での最初のトライアルだった。彼らは中学で使う現行の教科書で、必ず『ブルタバ』を学習する。現在中学生向けの音楽教科書は日本では教芸と教出の2種類しか存在しない。いずれも中3の1学期(か、前期)にこの曲を扱うことになっているので、文科省検定済み教科書を使わないと宣言するタイプの私立中学校以外の生徒は必ずブルダバを知っていることになる。これは、おそらく一つ前の学習指導要領で、中学校の音楽では必ず『モルダウ』を学ぶように義務付けていた名残(現行と唯一違うのは、曲名が『モルダウ(ブルタバ)』から『ブルタバ(モルダウ)』と主従逆転したことだけだ)と推察する。このことから、タイトルはややユース寄りの発想で決定されたものと想像できる。直前までフルパワーで歌っていたSSを短い休憩を挟んで続投させたことは、ユースの『モルダウ』を、せっかくだからボーイソプラノも参加させましょうと組み込んだ発想が容易に想像でき、実際の演奏もそうした声作りを感じさせた。立教中学校聖歌隊のようなテイストの合唱で、歌い始めからSSの声は突出させずユースの声とソリッドに鳴らすという仕上がりに上手くまとめている。フレーベル少年合唱団がこれまでOB合唱団など男声と組んで歌う際の基本線だった「あくまでも男の子らの声がメインで、男声は添え物」という発想から一歩前に出た20年後を見据えたものになっているのが評価できた。

これは間違いなく指導による新面目だが、実は歌っている子たちの団員生活の来歴にも種明かしがあるように感じた。名称は「SS」と「ユース」の厳然たる別クラスだが、彼らはコロナ外縁の時代、長いことF館5階で同じ「S組」の子供として肩を並べずっと歌っていた。特殊な時期ゆえ、選抜されることも取り出しを受けることも出演で招集されることも無く、かれらはずっと練習室で各パートのチームを心の拠り所として一緒に歌い、マスク越しにじゃれ合う毎日だったろう。コロナ禍が終わり、一緒に歌っていた彼らは変声した者にユースの名が付され、変声未到の少年たちにSSのタグがかけられた。
だから、『モルダウ』でSSとユースが卑近に邂逅し、両者があたかも他人同士のようにそらぞらしく「それぞれのチームの歌を一意専心に歌っている少年たちの表情」チックな演技を客席に見せていたのは、思わず吹き出してしまうほどカワイく(?)て素敵だった♡!なんのことはない、ブレスのニオイからその子のクセまで全員がよく知りあう友達同士なのである。キミら、小6・中学生にもなってまったくヤッちゃってくれるよ!ヤンキー少年合唱団員たちめ!日本一だ!最高だ!大好きだ!私はニヤニヤが止まらなかった。その情景は、あたかも59回定演『パプリカ』の前MCで野木先輩が見せた満面の「ドヤ顔」の様相だった(どうしてドヤ顔をしていたかは、周囲の団員たちがあまりにも気の毒なので、ココには書けない)。

 

宗教的な後見の希薄な、ギャングエイジ集団を根城とする日本の少年合唱において、「声変わりする」と言うことは「終焉(終わり)」「遺失(失うこと)」をまったく意味しない。むしろ各々の団員がボーイソプラノでフレーベルに徒党を組んで歌った賑やかでヤンチャな日々の中から、いったい何を持って行ったのか。声変わりした後に各自が何を得たのか。もちろん、大竹のように在団中すでに彼のゲットした宝物が客席の私たちにもハッキリ聞こえて見える場合もあれば、卒団後何年・何十年もたってそれが現示される団員もいるだろう。いずれにせよ、日本の少年合唱団員にとって、声変わりした後にこそ、彼は大切で貴重な、他に得難い資産をもらうのである。男の子の変声を面白おかしく、また逆に無常儚きオ耽美気取りでシタリ顔に語ったり、あるいはなんちゃってアナール派的な文脈に落として学究を装ったりする輩は明らかに存在するが、少なくともフレーベル少年合唱団員に関する限り、これらは全くの大間抜けの言説とも言うべき愚行と思える。

OB合唱のわずか2つの小品は、時間的に5分間程度の「ほんのちょっと」と言ってもよい演唱だが、彼らがフレーベル少年合唱団の日々から変声後に何を得た(得てきた)のか、実に明快・爽快で膨大な抱えきれない量のメッセージを送っていた。尠くも筆者はそこに「少年合唱団は声変わりしたら終わりで何も残らない」とは口が裂けても言うことができなかった。61回定演に通底する文脈から、このプレゼンスは今回大変際立って強く私たちの心へ響いたと言える。
2曲は初代指導者への敬意をもって選ばれている。かつてみんなのうたも『シューティング・ヒーロー』も歌ったOB合唱団は近年、磯部俶の珠玉の作に絞って現役の定演に加わっている。

『じんちょうげ』(「おかあさんのばか」1965)は男4部らしく少しゴツゴツした歌声になっていて、荒削りに聞こえるよう仕上げていた。曲集全体のイメージを遵守しようとしたのかもしれないが、OBたちの初句「♪げんかんの戸を開けたら」は、いきなりハッキリと明確に私たちの耳介へ飛び込んできた。この小品の詞の最も心を打つ最高潮の場面は小学生の彼女が「玄関の戸を開けた」という行為報告に集約されている。OBたちはそのことを十分わかって歌っているのである。その証拠に、客席の人々は彼女がどうしてしばらく玄関の戸を開けてこなかったかを何気ない歌詞から伺い知った途端、声にならない嘆声を発していたように聞こえたからだった。だから、OBらの2度目の「♪げんかんの戸を(いっぱい)あけた」の高唱を聞いたとき、私たちは完膚なきまで完全にノックアウトされ仰向けにぶちのめされた。小学生の女の子が書いた、行替えしただけの散文のような詩をそのようには決して聴かせない、作曲者とかつてその元で歌っていた少年たちの技量が感じられた。現役たちに対しこの曲で彼らが言っているのは、日本語の歌は日本語をハッキリと明瞭で正確に伝えなくてはなんの価値もないという諫言だった。

2曲目には磯部俶×ろばの会を象徴する至高の名作『びわ』(1956)が歌われた。
OB合唱団も参加したCDにも収められた作品で、1曲目から一転、非常に柔和で綺麗に穂先を揃えて歌い描かれておりステキだった。鍛錬を受けたボーイソプラノの、5年から中学生くらいまでの男の子がソロで歌っても全く遜色なく響くよう作曲されていて伴奏もきちんと沿うように鳴ることが、彼らの演奏から伝わってきた。現役たちから見ればおじいさんと呼んでもよい世代のOB合唱の響きの間から、きれいな汗にほとびた紺のfベレーの下であたたかい息を一本吐きながらこの曲を歌う一人の男の子の微かな倍音や図像が少しずつ漏れ出てきているのが見取れ聞き取れる。2曲目『びわ』に於ける現役たちへ贈る言葉は、きみたちだから出せる、歌に込められたハートの現示のようなものだった。

 

ステージはここで夕刻の陽の高さをきちんと考慮し、『沖縄ソング・アルバム』のタイトルで4曲を歌って打ち止めた。指揮者は固定だがピアニストを曲ごと3先生で交代担当する(おそらく指導クラスの合唱ピアノを信頼した)面白い展開になっている。

SSは2月のコンサートでの編曲版初演をトリビュートして『島唄』を幾分かこなれた質量のある歌声で披露して開幕。つぎにポンキッキ出自で、前回の沖縄定演でもA組を動員し良い意味キッチュさのあるあたたかい柔らかなイメージで客席にプレゼンしていた『ユイユイ』(ゆいまーる)を今回は幸運にもS組の声で継承している。『とーしん…』を除くとこの演奏がウチナーステージではとりわけ客席寄りの美しい体面を持っており、開幕でも聴かせた精気のある高声と、実はウチナー民謡になくてはならない重大要素である「へーし」(囃し言葉)を軽視することなく心を込め、音楽として聴かせるS組らしい誠実さがハートに火をつけた。何よりもpfがペダルを踏むのかソフトに鳴る中、ソプラノ・チームの少年たちがパート単独で(おそらく2小節間弱だけ)泳ぐゾクリとさせる彼らのカッコイイ歌声は強く記憶に残る。また、3-4年生のみのチームでありながら、かなり緻密に強弱や抑揚などアーティキュレーションのメリハリをつけていて(しかも、それが当然の行いとして彼らの小さな身体の中に宿っているようで)魅力的。
やや重い印象の『島人ぬ宝』をユースクラスに受け持たせ、各曲S・SS・ユースとクラスごとの特色ある声でまとめて無難に最終ステージを転がしていった。

多少はあるが、ここでは各チームというよりも所属団員の個々のカラーがクリアで明るくショーアップされて見え、視覚でも楽しめる演奏になっていた。コロナ期に活動報告としての「オンラインによる定期演奏会」などの代替をせず、あくまでもライブ公開にこだわったフレーベル少年合唱団らしい「男の子の歌いをナマで見せる」舞台が展開されていたことに観客は満足したことだろう。

 

『沖縄わらべうた・民謡メドレー』は、『てぃんさぐぬはな』『はなぬーかじまやー』『あさーとぅやーゆんた』『とーしんどーい』の魅力たっぷりなウチナー民謡ばかりが4曲もデラックスに続く。エイサー系あり、スコールでびしょ濡れ(悲惨!)赤嶺駅で聞いた(…個人の体験ですw)祝い歌系あり、おばあの優しさ系もありのまさにチャンプルーなメドレーだ。
『てぃんさぐ…』の8分の弱起で起きる冒頭の精悍な少年らしい爽やかなユニゾン。本曲と『…ゆんた』の旋律線の中に、聞き覚えのあるホッとさせる少年たちの一人一人の声が鮮やかに鳴り渡り、得をした気分になるとともに爽快、心地良かった。『…かじまやー』の愛らしい(?)、彼らを慈しむ気分にさせられた「ティントゥン マンチンタン、ウネタリ主ヌ前 御目カキレ」の美しさ(彼らは、これがどんなシチュエーションで歌われる曲であるのかを理解しているのだ)。
かくしてプログラム掲載のオーラス曲『とーしんどーい』が振り付きで華やかに歌われた。
SSS+ユースがひな壇を広大に使って、それぞれの年代ど真ん中の歌いを展開する。幼いがピッチの堅いS組、変声途上のお兄さんぶりなユース、濃厚で情念に満ちた旋律性のある声を獲得してきたSS組。前回のウチナー定演のような鳴り物入り大騒ぎという混沌ぶりとまではいかないが、ロミロミサラダ的な食感、口当たり、直感的な華やかさで円満に聞かせている。少年合唱団なので、グーに握った拳の返しを見せる。ただ、小さい団員たちはゼブラパンやヒージャー汁を常日頃ゴソゴソ食べながら育っているわけではないため、振る肘は流れ、腕のスナップはどろどろ、掌も開き気味なテーゲーそのものの姿も散見される。一方で、冒頭に述べたように非常に振りのキマッた団員ももちろんいて、男の子ばかり集まった等質な集団でありながら、演唱そのものは見た目にもダイバーシティーが楽しめるにぎやかなフィナーレとなっている。これは明らかに彼らの魅力であり持ち味。あえて、故意にそれを見せ、聞かせていると考えて差し支えないだろう。構成的には、前半の部の最後にA+SSSのコラボ、後半の部の最後にSSS+ユースの共同戦線と、微かだが明らかにカラーをずらしたアライアンスで楽しく統一性を持たせてある。また、ウチナー方言の詰まったカチャーシであるため、私たちやまとんちゅには歌詞のコトバを楽しむことが能わない。その代わり、子供たちのチバリ姿や視線、表情、めっさテーゲー(笑)な踊りっぷりや一方バリバリに決まった振りの男っぷりの良さ、そして一人一人の歌声の温(ぬく)さん熱ちさんといったものに自然と聴衆の視線と聴覚、臭覚は向く。歌というものをテーマ性や文字情報としてしか楽しめない者にはさぞやオモシロ味の少ないステージだっただろう。この、少年合唱を目でも耳でも五感で楽しませようというスキームは、61回定演全体を貫く謀略とも呼ぶべきアッパレな企てだった。完全無欠では無かったが、これがフレーベル60年の歴史を書き換える布石の大きな一目であったと考えるべきだと思う。

 

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男の子が室内でかぶっても良いのはベレーだけであること。ワイシャツ着用(開襟で裾フラットの場合は免除事項が増える)。タイと靴下を必ず付けること。ベルトかサスペンダーのどちらかをしていること。革靴をはいていること。…少年の順守すべきフォーマルのルールはそれだけだ。手入れの行き届かない頭髪をカバーしてくれていたベレーを脱がせたり、ジャケットの下に半袖シャツを着せたりといった究極のマナー違反をさせてまで上着着用にこだわる意味はどこにも無かったのだ。SDGs 環境分野のハードカバー児童書を刊行したりする出版社の合唱団が、真夏の猛暑日にジャケット着用でエアコンをガンガンに効かせて歌う意味はさておき、私たち観客のメンタルは明らかに「見るからに暑苦しい」と悲鳴をあげていた。体温もハートの温度もオツムの沸騰頻度も高い活発な男の子たち。普通に立っているだけの彼らの姿に私たちは熱を感じる。それはそれで魅力なのだが、そういう彼らにジャケットを着せて見せる必然性も芸術性も判じられなかった。
夏定演になってから、客席の評判があまり良好とは感じられなかったステージジャケットの着用について、今回ようやく改善が見られた。ベレーについては ①寝癖隠し・ 形ばかりの汗止めという機能もあるのだろうが、②ベレーもジャケットも外すとフレーベル少年合唱団員であるということを表す徽章が皆無になってしまう。 定演時には着帽もやむを得ないのだろう。また、ボウタイについても、私たち観客はタイの形状で所属クラスを見分けているので、複数クラスを組み合わせてステージに乗せる今回のような場では鑑賞する立場からは外してほしくない。ソックス丈について夏場はクルー丈がふさわしいのだろうが、私たちは男の子の下腿が異様にキズ・アザだらけで超バッチいことをよく知っている。昭和時代、夏休み後半の男子小学生はほぼ間違いなく全身日焼けて真っ黒だったので、以前はクルー丈を履いていても粗が目立たなかったというだけの話だ。

 

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ギリシャ神話、竪琴弾きの楽人オルフェウスが黄泉から戻る話である。
様々な点で旧弊を排する充実した61回定期演奏会だったが、最後にもう一つ「団長挨拶と影アナ以外のMC等で大人がしゃべらない」ということを取り上げておきたい。今回、最下クラスのB組はもちろん、OB合唱の前振りMCですらマイクの前に立っていたのは男の子だった。このことは彼らの団員としてのアビリティーの高さを示すとともに、合唱団が観客に何を聞かせて楽しませようとしたのかを示唆する非常に好ましい出来事だったと思う。だが、アンコール曲目について指揮者は最後にほんの一言発した。この発言はプログラム記事にも書かれている曲集の販売告知の念押しで、以降の少年たちの速やかなステージ進行に影響を与えていたように感じた。ユースの退出タイミングは乱れ、本定演を象徴する少年団員が発する見せ場のアンコールMCと重複してもいた。ここまで一貫して団員たちの歌と姿に集中していた観客の意識は、この告知で少年たちから大きく指揮者側へ反れたように感じた。

 

拙文の最後に、フレーベル少年合唱団1967年リリースのLP『フレーベル少年合唱団--ぼくらの演奏会から』(キングレコードSKK(H)-284)に収められた『谷の子熊』について触れたいと思う。このサイトの2020年12月の記事冒頭にジャケット写真を掲出したレコードだ。『谷の子熊』には印象的な歌詞が付され、2名のソロが当時のレコーディングのごく標準的手順に則ってラスト前コーラスを受け持つ4番構成の2分45秒程度の作品だった。リリース位置はB面の最後から3曲目にあたる。
とりわけ筆者の気を引いたのは、団員たちの「子熊」「父さん熊」をつくる「グマ」という発音だった。この単語は3分間にも満たない曲中に、低声のフガートもあり13回出現している。団員たちは21世紀の私たちが聞いて震撼するほどあっけなく、自然に、難なく13回すべて「ま」と実に美しい山手標準語の正確な発音であっさりと歌っている。ソリストたちも、アルトの団員も全員!1960年代後半、小川町の旧F館の練習場へ行って、A組・B組・中学生・ソプラノ・アルト・途中入団者…等々さまざまなタイプの団員たちを引っ張ってきて「『子熊』って言ってごらん」と、尋ねたとしても、全員が「こま?」とアッサリ即答したことだろう。そのくらいLPの音溝からは発音の揺れやウッカリ(例えば3コーラス目の最後だけ、アルトの端っこの団員だけ、ちょっと幼い感じの団員だけ「こぐぅまぁ」と発音したりすることが)一切聞き取れない。おそらく、これは指導などではなく、フレーベル少年合唱団にやってくるような少年たちは例外なく山手標準語の正確な発音話者であり、これらがごくごく日常的な発音だったということがうかがえる。
恐ろしいことだが、21世紀に生きる私たちはこのLPディスクの全体的な発音を聞いて「なんとなく古臭い」と思ってしまう。懐かしいと感じる者もいるだろうが、要は「現在の発音と違っている」ということだ。

現在のフレーベル少年合唱団の団員たちが彼らの歌の中に具現する日本語は明らかに美しい山手標準語の正確な発音を逸している。団員らの日常聞く音楽に聴かれない発音であり、おそらく合唱団指導者たちも既に正しい発音歌唱経験を持っていないのかもしれない。私たち聴衆は、少年たちが「何を歌っているのか良くわからない」という現実に、少しずつでも真摯に向き合っていく覚悟を決めなくてはいけない時期に来ているようだ。合唱団が60年の歴史を塗り替えようと邁進している中で、聞く者もまた自らの鑑賞経験を塗り替える必要があるのかもしれない。


60回定演が終演し、この演奏会の何が良かったのか幾度も考えた

2022-11-27 13:43:46 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団 第60回記念定期演奏会

2022年8月31日(水) 午後6時30分開演
東京芸術劇場コンサートホール(池袋) 
全席指定 2000円

大竹くんたちみんなの、初めて見る上級生ネクタイ姿。広くなった肩幅で伸びた甘く温かな声をホール音場に聞きわけられた瞬間の、なんとシアワセだったことだろう!
友金くんたち上級生の至福だが真摯に真っ直ぐ互いに添い立って歌う表情を再び拝むことのできる場面をどれほど長く甘苦しく待ち焦がれたことだろう!
野木先輩たちのすっと伸びゆく謝意に満ちた上背のシルエットと歌声を「終わりよし」の心地から楽しめる夕べの到来が、いかほどか、かけがえのないことだったろう。(しかも池袋の地で!)

フレーベル少年合唱団第60回定期演奏会は、筆者にとって(おそらく全聴衆にとっても)、あからさまにいとおしくも甘く切ない素晴らしい演奏の夕べだった!

「唐突に」という形容すら成立するかもしれない。3年間のブランクを凌駕する団歌の始まりだった。
「我ら歌う少年ら、チータカタッタと、ここに集い!」という前奏ファンファーレ…1959年フレーベル少年合唱団誕生の高揚と、当時の少年らの曇りなき青眼は、もはやここには感じられない。(*)60余年の波乱を乗り越え、結局60回目の定期演奏会を前に私たちを襲った辛く悲しい事態を我が事として大人びた冷たい目でうべなうことになった高学年団員たちの歌声、というやるせない味付けが、今定演開幕の団歌『ぼくらのうた』の歌唱にはありありと感じられる。同じ曲を毎年歌わせながら、今年、そこには小中学生男子の持つ体温の高さや無邪気さ、明るさ、楽しさ、「…結局、キミら…『人生とは』…なんて誰ひとり考えて無いんだろうね??!」的な天真爛漫さの魅力などが一切読み取れないように被覆されている。極めて篤実なエンタテイメント性を備えたオープニングの持って行き方だと私は瞠目した。
(*団歌に間奏・後奏が入っていた時代、少年たちはコーダに向け、「緑の丘へ!」とマルカート・アラ・マルチャで行進曲風の味付けがしっかり出るよう高らかに歌っていた。彼らは高度経済成長期日本のモーレツな少年合唱の実践と発展の一翼を担っていたのである。)

しかし、かなり以前から劇場サイトへの告知掲出があったため、”突然のことで驚き”ということは無いのかもしれないが、冒頭1曲目のレパートリーは、なんとクロッカーの『グロリア・フェスティバ』だった!?
3年前の前回定演のオープニング・ナンバーである。
観客を3年前の時間軸へ引き戻して演奏会を楽しんでもらおうというお客様サービスだったのかもしれないが、これは(コロナ前の定演と同じ曲を同じ箇所で扱うことは)非常に危険な選曲で、小心な私だったら決して踏ん切れない大英断だと思う。

レモネードの匂いがする制服の左ポケットからにじり出したくしゃくしゃのドル札2枚とダイム1枚ネコ2枚ワシントンのクオラ1枚をパチンとレジに置くと、お店の人がenjoy!と目配せして「楽しく歌いなさいよ」と言いながらこの楽譜を手渡してくれる情景がありありと目に浮かぶ。合衆国の6年から11年生ぐらいの子供たちの日常の姿をよく具現した1曲で、歌詞にあるミサ通常文はここでは殆ど景気付けのはやし言葉程度の意味しか持っていない。(クロッカーはラテン語部分の意味の説明を一切せず、「こう発音すりゃそれでイイんだからね」とローマ字読みのような発音注記だけをご丁寧に載せている)。その囃しコトバのようなメロディーを「ポスト・コロナ・フレーベル」独特の、飄々とした声が、ぱた、ぱた、ぱたと積層してゆく。私がここで安堵したのは、メゾとアルトがリードして始まる初句の少年たちの背負う身軽な信任だった。コロナ前の数年間、フレーベル少年合唱団S組のアルト声部に顕在し直截に在った臭気は、彼らの体臭や生き様や矜持や指導ではなく、彼らに対するあからさまな「評価」だった。おそらくそれは部外者や一見の観客の目にも明らかであったろう。だが2022年の低声部がリードするキックオフには、少なくとも「評価」に類する査定が見つけられなくなっていた。フレーベル少年合唱団のアルトは癒されたのだ。

続くソプラノ部が単独で突っ走る4小節目から先を、下支した低声たちの慈愛と分別のある合流は、せせらぎのように静かで品もあり聴いていて心地よい。A-Duaにギアアップし「カム オール リジョイス イン ザ ライト」と歌う高声部をドルチェで受けとるアルトの少年たちの心象の自由さ、晴れがましさ、そして何よりも楽しさ弾けっぷりは新しい「フレーベル少年合唱団アルト」の記念すべき健全の凱歌だった。(…と、書いては見たのだが、この部分の約16小節間で聴衆の心を鷲掴みにするのは、ソプラノとメゾの紡ぐ老練の超カッコいいハーモニー!これを意識させずアルトの方にだけ人々の目を向けさせ賞賛を譲るメゾ団員達は「おまえも悪よのぉ」なトンデモない確信実行犯である…)

筆者のプログラム設定に関する杞憂はこの曲に関して完全な見当違いだった。前回の演奏で強く感じられたF音から↑Cへの跳躍(?)で声が抜けてフォールする現象(このモチーフは曲中に9回ほど登場する)はソプラノ・メゾではほぼ克服されていたし、団員の立ち位置の間隔や音場が彼らの耳を幻惑させてしまうのではないかという問題も許容範囲内に留められている。獅子奮迅のアルト・リードの声は常にブライトで明るく私たちを励起させる。

結局アルトの諸君が1拍リードで上の声部の子達を引っ張ってゆくフィナーレのおよそ12小節、冷静な声で歌い始めながら、最後はフォルテシモからディビジ5声で全音符タイ2つを啼く華麗なエンディング。カットオフのPf.がターボ吸引のように「何かスゴいことでもあったんですか?」とばかりこれを収め静寂に帰す憎らしさ。子供達の合唱がうまくいけばいくほどこの落差は大きく、痛快だ。

演奏会は今回も魔笛2幕16番三重唱「再びお二人を歓迎します!」を約倍増員で歌って開幕している。このプログラム設計とクロージング・プランは、曲のタイトル通り「再度、皆様方を定期演奏会に歓迎いたします」という趣向になっている。だが、演奏の内容は今定演の概観をさりげなく(しかし明確に)伝えるものだった。
東京芸術劇場大ホール(改修後は「コンサートホール」という名前に変更されている)を少年たちがどう鳴らすのかを全ての観客は目撃することになる。そして第一声から「コロナ禍の間にフレーベル少年合唱団本隊がどのような歌いを獲得してきたのか」というプラス要素を私たちは耳にする。大ホールがポーイソプラノを煌びやかに粒立ちよく聞かせ、しかも場内音響が彼らの声も合唱も、もにゃもにゃと残響でつぶしてしまうことは無い機能美も報知する。低声部はクリアに聞かすが突出させることをしない。曲の終わりに繊細さデリカシー0(ゼロ)のはずの男の子達が落ち着いて薄皮のようなメノモッソをかけるのを聴いて、ヒエぇーと心中驚嘆の声をあげさせられ、おしまいかと思うと、前回とは異なり、エレガントかつ愛らしいタッチで後奏を鳴らすピアノのアマデウス味も味わえる。

高額なチケットノルマをこなす保護者サイドが1階席の占有優先を持つのは当然の特恵だと思い、また、さぞや大変なノルマだと思うのだが、プログラムには既に次回61回定演のインフォメーションが載っていた。
「文京シビックホール」の文字にちょっとガッカリ…というか、子供たちの声をこんなにフレッシュで煌びやかに響かせた東京芸術劇場で開催実績が作れたのに、なぜ? キャパシティ的にも観客動線的にもノウハウ的にもコロナ時代の開催を無難にクリアしており、音以外の点でも極めて少年合唱団のコンサートにふさわしい芸術劇場の興行に区切りをつけてしまったことは非常に口惜しい。いつか池袋に再凱旋してほしいものである。今回の演奏会場選択は、聞く側(観る側w?)の立場から評価して紛れもない大正解だったと思う。

続いてラターの『永遠の花』ヘルビック日本語版が歌われる。少年たちは一転、高声部主導でユニゾンから穏当+確実なピッチのハーモニーを堅持して歌い切る。コロナ禍の過ぎ越しのミッションと思われる鎮魂の曲なので前曲のような躍動感は求められない。男子小学生メインの合唱団のオープニングステージの選曲として、量的・冒険の度合いについてはお客さまがたからの感想を待つことにしたい。団員たちはどういう「声」を目指してこの曲を仕上げていったのかいつの日か聞くことができたらさぞや興味深いことだろうと筆者は思った。

ここまでのステージの担当は、SS組と名付けられた変声前の最上位クラス。
フレーベル少年合唱団は今定演からクラス編成を従来の3クラス+ユースから、SS・S・A・B+ユースの構成に増組した。
かつて、国内の大所帯の少年合唱団の指導者は、経験のある公立小学校教諭が社教的指名で任ぜられていることも珍しくなかった。先生方にとって、100人程度のわけわからん小中学生男子の前で棒を振るなど、朝飯前のこと。彼らは配属校の音楽集会や学芸行事で複数学年の100人を超える、多様でちっとも言うことを聞かない子供たちを苦労しながら毎日歌わせていたからである。ただ、少年合唱団の員数が増えてくると、小学校の古い音楽室などを利用していた練習場のキャパシティ限界は無視できないものになってくる。関西圏ではとりあえず学年ごと1クラスにまとめステージに乗せるという慣習のみられることがあった。一方、ピアノを置いた大人向けの小分けの練習スタジオを常時間借りしていたVBCでは1-2年目を予科1年 予科2年 というくくりでクラスにまとめ、3年目からはソプラノ・メゾ高・メゾ低・アルトのパート分けで対処した。かつてのフレーベルでは、フレーベルジュニア(後のJ組)・B組・A組の3クラスが基本。ただし、年度によって選抜などの配員からC組の組織があり、これはコロナ前のS組とある程度類似性を持っている。
今回の4クラス+ユースの編成は上記の各団体の集団組成からコンセプト的にあまり逸脱していない穏当なものだ。

だが、筆者はこのSSというどこかで見たことのあるような記号(戦時ドイツ史を真面目に学んだ者ならば、この名称を子供たちのグループへ安易に名付けることが生理的にできないだろう)に、フレーベルの歌声を様々な意味でピュリファイしていきたいという指導陣の強い意図を感じる。その点から考えた場合の子供たち側からの正直な反応は、インターミッション明けのSSSAの連合で聞かせた『カイト』で明らかにされるだろう。…彼らが遠慮がちに差し出した回答は「風が吹けば歌が流れる」とばかり、そこに聞くことができる。

定演前半の演奏者はプログラム上SSが3曲、Sが4曲、ABがともに1.5という大変不規則なものになっている。これは各クラスの経験・実力や60周年ステージを計算してはじきだされた曲数に間違いない。15年位前のフレーベルなら終演が9時をまわる長丁場で全クラスがきっちり歌って済ませたことだろう。АB組の保護者や現А組ファン(私だ…)には大変気の毒だが、どちらのプロ構成が良いかは明らかだろう。

こうして猛然と可愛らしいB組が登場する。
歌うのは新沢ナンバー2曲(「ハミング」はA組との共同戦線)だが、前回B組同様、チビMCの「高品質+高好感度」の選抜の正確さは、もはや「精密爆撃」のレベルである。私たちは今年もまたフレーベル少年合唱団の小さな小さな団員達のステージ上のふるまいにノックアウトされ、自分たちが歌を聴きにきているのかそれとも夢を見に来ているのか前後不覚の境地に喪神させられる。

だが、彼らのセンセーションはそのルックス(?)の可愛らしさではなく歌声の練度の方だった。原調では無いのかもしれないが、筆者には彼らが勉強のためなのか『ハッピーチルドレン』をドドドミ レミファと彼らの特許声域をかすかに広げるレンジにしてもらって歌い始めたように聞こえた。正直な感想は「えー!ウッソー!」だ。ボーイソプラノの合唱で一般ピープルがナントカの一つ覚えのように希求する「カナリアのように美しい高い声」を嘲笑うかのような彼らの「低い声へのガンバリ」に、私たち観客は、歌う幼少年らへの武者修行を感じとり、うっとりと耳を傾けたのだった。全体として低めのメロディーを、伴奏に担われて繰るために、曲がややどんよりと聞こえるのはご愛嬌なのだが、例年のAB組ステージがギリギリのラインでわからぬように聴かせていた「一人前のボーイソプラノになるための鍛錬」としての選曲がやや前に出たような気がした。フレーベル館という企業の教育産業としての舷灯を考えると、これは全く納得のいく方向性だと思う。

A組を加えて、(やはり同様に指導的な)『ハミング』が歌われた。
低めの歌い出しから旋律線は念入りに頭声を要する音域へ漸進しシフトアップしてゆく。
何がそうさせているのか、私たちはそこにA組チームのきららかな「体臭」を嗅ぎ取る。
(不動の人気をほこる新沢作品だが)ほとんど何のドラマも感じられない鼻歌のような眠たい味気のない楽譜を、私たちが身を乗り出して聴いてしまうのは、低学年用のネクタイを締めた子供達の、このそこはかとない、だが、しっかりと客席に香る歌声の「体臭」がもたらす効果であったことはもはや否定のしようがない。

ひと時は2015年のクリスマスの夕暮れだった。
合唱団S組は12月25日の夕べにも1時間おきのクリスマス・ミニコンサートを3本も打つという、非常に精力的な出演をまだ行えていた(団員らはさぞ楽しい仕事だったろう)。地下鉄丸ノ内線後楽園改札脇の小さなステージだったが、いつものように観客たちは彼らの目前1メートルの卑近までびっしりと詰めかけてクリスマスソングを熱心に楽し気に聞いていた。
午後5時の回、『サンタが街にやってくる』を歌い終わった団員たちが撤収を始めると、立ち見の客から前列アルト側に向けて個人名を無心にコールする一団の少年たちの声が聞こえてきた。彼らは幾度も幾度も「柴田ぁ!」「柴田ぁ!」と真剣に呼ばわっている。明らかに4か月後には5年へ進級する小学4年生の男の子たちの声だった。呼ばれた本人はシャイで男らしい彼らしく、少しく微笑んではいたが、ステージ上では退場中といえども決して少年合唱団員としての機序法条は曲げない…退場方向を真っすぐ見すえ、耳だけで、友の声援を嬉しそうに聞いている。彼はすぐ翌年、『美しく青きドナウ』の第4ワルツの二重唱をステージで歌いこみ、『ミクロコスモス』のソロ「きつねの歌」を吹き込むことになる。私はあのクリスマスの日、フレーベルの子供たちが定演を含め日々方々のステージで、友ら少年たちの同様な声を浴びながら微笑むことにようやく気づく。団員たちにとって、おそらく友らは母の次にうれしい応援者なのだろうが、その黄色い声援は周囲でそれを聞く者たちの心をも温かく爽快にしてくれるご祝儀でもあることを思い知った。

コロナ前の年月、定期演奏会で隊列の退場に際し常に小さな幼い友人たちの夥しい喧しいくらいの呼名を浴びていたのは常にB組だった。叫んでいる幼少年たちも、名を呼ばれている幼少年たちも、小1プロブレムやプロブレム予備軍世代真っただ中の子供ら。わきまえの無さ・場知らずの子供っぽさなのだが、私はあの声を聞くたびに「フレーベルらしくてイイな…ステキだな」と、6‐7歳児のぺしゃんこな横顔にどこか嫉妬のような憧れを感じて客席へ浅く腰掛けなおしたものだった。

合唱団では今定演、AB組の演目圧縮から、A組に『ハミング』のコーダを歌わせ(ハミングさせ)ながらB組の退場をおこなうという演出的な対応策をとった。このため、コロナ前に聞かれていた呼号をそこに確認することが私たちには叶わなかった。観客になるべく口を開けさせないという感染防止だったのかもしれない。いずれにせよ、「B組らしくない」「フレーベルらしくない」ステージ印象が、「小さい連中は、とっとと手堅く片付けて済まそう」という思惑の見え隠れとともに控えめではあれ生じてしまったのは、このようなことが理由だったのかもしれない。

 A組が隊列を整え、『パックス・フレーベル2』を象徴するナンバーとして、『宝島』は歌われた。
かつてフレーベル少年合唱団は二週間に一度というすさまじい頻度のペースで都内各所(具体的には錦糸町アルカキット、後楽園メトロエム、大井町きゅりあん小ホール、文京シビック、駒込天祖神社、文京区の社教・公安系の公共施設、そしてフレーベル館本社エントランスや六義園しだれ桜前広場など)で30分間前後のコンサート・出演を打ち続けた。歌っていたのは早野先輩世代付近の団員たちから…ギリギリ山浦先輩ぐらいの代までの、未だ「A組セレクト」「セレクト組」などと呼ばれていた最年長チームである。レッスン時間よりも出演に費やす時間の方が長いのでは…と思われる日々、彼らが繰り返しステージで聴かせていた曲の一つが『宝島』だった。
これを『パックス・フレーベル2』から最も遠いところ…合唱団で一番辛い目に遭いながら懸命に歌っているA組に担わせる。その感動はひとしおだった!
明らかに基礎訓練期間へ制約を受けたままA組にされてしまった彼らの歌声は、10年前の怒涛の出演の日々、やっつけ仕事のように都内各所をまわっていた少年たちの荒削りな歌声を思い起こさせる。60回の節目の演奏会にこの作品が聞けたことは、実に心に響く選曲とA組の真摯なガンバリにも付随して無条件に素晴らしかった!
「ほら、コロナの一番ヒドいときに採られた子たちだから、こんなもんなんですよ。」と言わんばかりにA組というラベルを貼られてしまったように見える少年たち。しかし観客にとっては相反し真逆の存在として心に焼き付けられた。彼らは、実質も生き方も本性も間違いなく不撓不屈の勇気を与え持つスーパーヒーロー集団だ。私たちはこのA組の子供たちのように生きなくてはならないと信ずる。結局何が起きようとも、おそるべしA組なのである。もしここに立っているチームが公表されているように(早生まれ遅生まれの区別なく)小学二年生のみで成立しているとしたら、非常にレベルが高く安寧に指導されている2022年国内屈指の「歌う小2男子たち」であると言わざるを得ない。

 


TBS系 日曜劇場「DCU」オリジナル・サウンドトラック
B09RLPZDBJ
『Saved life』…カ、カッコいい!!このタイプのボーイソプラノがお好きな方には、かなりの母性本能殺傷能力があり、取り扱い注意の危険なナンバーです(w。60回定演のSSSチームのメインストリームの一つになっているトーンでもあると思われます。ボーイソプラノとしての枯れかたを綺麗に精巧に使っていて…と言うよりもこれが彼の声の味なのです。(2022年1月/3月22日リリース)

 

一聴して明らかだったように、S組は金子みすゞナンバーの中でも比較的曲調が明るく快活な作品を取り上げてステージに乗せている。S組のアビリティーにならった好選曲で、彼ら自身も、観客もまた、元気でバリバリと歌う彼らの体躯に励起される。ギャングエイジ胸声の魅力と自発協働の頼もしさ。低声部が「僕たちでやってやる!」と垂範するベースライン、下支え。それらを素直に厚意と解して歌うソプラノの正義と美しさ!「こんな隠し玉だちがいたのか?」と一瞬驚くが、種明かしは前回59回定演でカウボーイハットをかぶって『ちびっこカウボーイ』を歌い、客席をリードして「いいないいな にんげんっていいな」と客席リハーサルをソロ範唱しまくっていた、超優秀な、全員どの子も即ステージ・ソロOKだった最年少チビB組連中(彼らは例えば当時の六義園などでの試験運用の姿や歌いの段階ですでにスゴかった…)がそのまんまS組に名を変えパンデミックをアンパンチして一人前の団員に成長した姿だったのである。「S組をSS組とS組に分けて歌わせるなんて、調子ブッこいたご都合主義すんじゃねぇヨ!」と観客で怒りを露わにクダを巻いていたオールドファンらは、この新S組の登場に、豁然「こういうのは大歓迎ですよ!早く言ってよ!」と押し黙ったことだろう。コロナ禍の閉そく感や私たちのストレスを確実に忘れさせるフレーベル少年合唱団らしい歌声と歌い姿の中学年版だったのである。それはあたかも「指導者たちは、この軍団をフレッシュなまま見せ聞かせようとしてわざわざSS組を押し出してしまったのではないか?」と勘繰りたくなるような歌の、歌い姿のプレゼントだった。AB組の団員の演唱を見て、私たちは、当時はB組であったにせよ、グループとして大ステージで歌った経験のある少年たちは力強く場馴れしている!と確信させられる。59回定演時の彼らの素敵な高揚ぶりやその一方で見せていた「定演なんてチョロい!チョロい!…ボクら、あと10曲はヨユーで歌えるもんねー!まかしとき!」の「ボーイソプラノどや」な頼もしさ(?)を思い返して、リピーター客たちは「全くこいつらヤッちゃってくれるよ!」と薄幸の金子みすゞさえ踊りだしそうなハッピーなひと時を過ごせたのである。天は二物を与えずだったのは、小学生時代の殆どを(3年生団員にとっては全部を‼)マスク着用で過ごした彼らが発する歌詞から漏れ落ちる、少年合唱団員でなければ問われることはないそこはかとない「発音の軽忽さ」だ。今後の挽回はおそらく可能!

この日、演目の編曲リリースを担当された大切なお客様は、お二方お見えになっていた。
子供たちは演目を歌い終えると彼ららしいMCの爽快さで呼号の出だしを導き、コロナ禍を乗り越えた少年らの声を揃え元気よく呼号した。
「せーの!〇〇さーん!」
こうしたシークエンスが2回繰り返されたことを考えると、MCは事前チェックが入った状態で発声されたものである可能性が高い。
「ホームページがリニューアルしました」「この部屋は静かにしてください」「お客様はこちらは食べれないですか?」といった日本語が普通に使われる21世紀の日本で、子供の繰るMCにあれこれ物申すような無粋をするつもりは毛頭ない。子供たちとクリエイターとの距離の近さを感じさせる文言だ。言葉狩りをするつもりも無い。ただ、文部科学省の幼稚園教育要領やこども園保育要領を公に刊行している出版社が運営する少年合唱団の定期演奏会で、少なくとも聴衆にとっては最大の敬意を払いたいお客様を「せーの!」という掛け声で呼び出すというMCにちょっと当惑させられてしまった。
初期初等教育や保育にかかわる者の多くはおそらく「子供になんらかの動作を惹起させる場合、「せーの!」という語彙の使用は極力避けるようにしてください」と言われ、代替する言葉を添えて指導されているはずである。Eテレのブッ飛び放埓男子小学生率いる料理番組『キッチン戦隊クックルン』でさえ、歌い出しが全く揃わないキウイーン少年合唱団に呆れて男の子が発した正解の掛け声は「さん、はい!」だった。団員や館の招待で客席にいた保育者たちや低学年担任らはどう思ったのだろう。

SSSAチームの演唱の中で、とりわけ彼らの魅力が溢れていたのは、インターミッション開けに歌われた『カイト』だった。これは前回の拙文でも触れたように、フレーベルの少年たちの本来持つケイパビリティーを指導陣が信頼し「選ばれし歌う少年たち」の主体性に任せた好演奏。
当日の演目の中では極めて攻撃的で、聴く者のハートを強烈に吸引しながら彼らの高い体温と男の子の心の鋭気でコーダまで持っていくという、本来のフレーベル少年合唱団の妙味を十二分に発揮するナンバーだった。喚声点を無段階変速で自由に上下させる彼らの訓練された広い声域レンジの実力・器量・練度が、本曲では幸福感と共にタップリ味わえる。目前に聞いてしまったら筆者は感激で号泣するだろう。編曲もカッコよくアーティスティック。A組の子達の声もアゲアゲにフォローしていて100万回いいねの煌びやかさ。
モデラートから諦観のような賢しらさで歌い始めつつ、(間奏前後の起伏を含め)これを次第に彼らの宝物であるやんちゃさ、アグレッシブさ、少年の覇気へピウ・モッソ風の味付けで一つずつバリバリと置き換えてゆく快感!叫ぶように歌い上げてゆく少年たちだけが持つ訴求力。声部ボリュームのバランスの適格さバランスの良さ。年齢差6歳前後もの幅を逆手にとったダイバーシティのユニゾンで押しまくることによって、曲オリジナルの嵐のサウンドテイストへのオマージュやパラリンピックの目指すバリアフリーへの希求が無理なくもたらされていく。「歌わされている」感が全く無い爽快も客席にはストレートに伝わった。伴奏も、まるで「小学生男子たちに引っ張られててんてこまい」というイメージを巧妙に演出しながら、実は明快なタッチを随所に効かせており、「少年合唱ピアノ」という日本に何十人もいない特殊伴奏のプロの技を見せている。
曲自体の来歴はNHK2020ソングで米津玄師の曲なのだが、前回定演の『パプリカ』のイメージを引きずっておらず、フレッシュな視聴感で楽しめた。これからのフレーベル少年合唱団の歌やご指導の方向性が、この曲の仕上がりのようであったら良いのに…と切に感じたのは、私だけでは無かったはずだ。
「ユニゾンばっかり」「ロングトーンが不安定」「ライム押韻がしっかり出ていない」「歌詞を間違えている子がいる」「声が幼くなった」「頭声が熟れていない」「エンド・リフレインへの曳航が雑」…なるほど、その通りだろう。だが、そう言う者には彼らの合唱の最も大切な、宝石よりも美しいところが全く見えていない。…と言うか、全然聞こえていない。哀れだ。

 

 
モンスターハンターライズ オリジナルサウンドトラック / カプコン・サウンドチーム
B08XNDNS61

フレーベル少年合唱団がコロナ禍中に成した仕事として、最もハイクオリティーかつゴキゲンでフレーベルらしさが横溢した傑作収録2本を含む。5曲目「おともだち」と88曲目「おともだち 日本語Ver.」
一聴して判明するゴキゲンさ!当時の合唱団のトピックたちを濃縮重合させ歌わせたということがスグにわかるヤバかっこ良さ。「おお!キミたちが!」チックなソプラノ側と、「きゃー!○○クン!!」(いやぁ、このアルト側、個人的に好きっす!)的なファン冥利につきる歌声縦横無尽でわずか3分32秒のタイミングを圧倒している。2021年5月発売。モンハン・ライズの世界観をきっちり遵守していることはステキでヤバ味十分。個々の団員の味がよく出ている日本語Ver.を聞くと、「フレーベル少年合唱団がコロナの気配を感じながらこの録音をこなしたことの価値やこれらの団員らの声をかろうじて商品として残せたことの奇跡にも近い貴重なタイミング」に驚愕や感謝や喜びを感じずにはおられない。大切な、大切な宝物的録音。

 

ユースクラス1.5曲。OB1.5曲 プラス ハレルヤ・コーラス。
AB組のステージのパターン踏襲に入れ子状プログラム構成をかましてインターミッション明けのプランは進む。
アカペラでテンポ100ぐらいの溌剌とした生気に溢れた『いざたて戦人よ』
歌い手の声質は涙が出るくらいクリアで粒立ちよく聞こえ、Pf.の打鍵がジュエリーのごとく詳らかにもたらされるが、語るようなメロディーとメランコリックな「落ち着き」に満ちた『しあわせよカタツムリにのって』
声質が聞こえるのだからすぐに分かってしまうのだろうが、フレーベル少年合唱団を知らない人に音声トラックだけを聴かせ「どっちが高齢者でどっちが中高生?」と尋ねたときの反応はたぶん微妙だ。
「いくさびとが若い人で、カタツムリってんだから年寄りでしょう? そう聞こえる。」
…この完全な錯誤は笑い話のように聞こえるが、フレーベル少年合唱団卒団生チームの実態や生き方やありかたをよく表していると思う。 

 


第11回定期演奏会で平吉毅州を歌うTFBC
フレーベル少年合唱団やLSOTから移籍してきた少年集団とFMの入団審査を受けて上進した本科生との混成チームである。彼らの元の所属をこの中に見分けることは当時の観客にさえ困難だった。
(指揮:北村協一 1996年3月28日 品川区きゅりあん大ホール)
 

 

かつて、工場を含めた日本の都会的な職場の多くで、従業員の昼休みのリクレーションとして、合唱はもてはやされていた。会社のビルの屋上や社員食堂の片隅などで、社内の皆が集まって男女職階の差なく歌を歌うということは、社会人野球同様当時の勤労者の日常にありふれたもので、とりたてて珍しいこととは言えなかった。グロリアがカトリックのサーヴィスとして始まり、VBCが日本ビクター専属のレコード吹き込みのためのプロの合唱団としてスタートを切り、多くの地方の少年合唱団が自治体の代表や学校音楽の特別活動や社会教育団体のような位置づけで走り出したのに比べ、フレーベル少年合唱団は、上記の社会人合唱団のような形で走り出したと思える。小学生男子向けの無料「うたごえ喫茶」の側面も伺える。少なくとも指導者の磯部が理想としたのはそうした形のレーゾンデートルだった。その実際がよく理解できる資料として、拙文にしばしば登場する1956年創刊の音楽雑誌『合唱界』がある。本誌はかかる人々のニーズから生まれスピンオフした『合唱界ヤング』(東京音楽社)がグループサウンズのファングラフの形で存立した後、最終的に海外の少年合唱団のファンムックのような形で1972年9月に休刊(?)した。フレーベルに関しては、創刊のころから演奏会のレポートが出始め、確認されているものの最後は1971年7月号の第10回定演レポート(共立講堂:各クラスのステージグラビアも写真ページに掲載されている)。
とりあげるのは1965年の定期演奏会のレポートである。この『コンサート評定記』は佐々金治(1912 - 2009:元日本合唱指揮者協会会長)・宇野功芳(1930 – 2016:指揮者/音楽評論家)・日下部吉彦(司会:1927- 2017:合唱指揮者)3名の鼎談という形をとっているが、「25日の夜、虎ノ門ホールで開かれました。これについては佐々さん…」という司会の指名があり、佐々氏が鑑賞報告という形で話をすすめる。

「これは磯部君がやっている少年合唱団ですが、すごくなごやかで、生き生きとしてるんですよ。子供らしいのです。演奏会というより、おさらい会みたいだったけれども、ああいういき方があの合唱団の持っている雰囲気かもしれませんね。」

可評価で切り出している。同誌他巻には当時同発のグロリアの定演レポートなども載っているのだが、「発声は良いが、ボリュームや生気に欠ける」などのパッとしない内容で文書量も1段程度とだったことを考えるとフレーベルの方はかなりの高評価だ。だが、佐々はこの後、

「(中略)我々、ハンガリー少年合唱団なんかが頭にあるものですから、ほんとうの音楽というものを、もうちょっと子供たちに植え付けていくべきじゃないかという気がしますね。」

と、つないでいる。1965年当時、海外から来日したことのある児童合唱団は史上わずか3団体しか存在しなかった。ウイーン少年合唱団とパリ木、そしてこの年(1965年)になってハンガリー少年少女合唱団が6月から8月にかけて来日演奏会を打っている。日本の人々はウィーンやパリ木の「ボーイソプラノ然」とした歌声とは全く違う、土着的で荒っぽい騎馬民族の血を引く子供たちがコダーイ・メソッドの学校正課として歌ってきたバリバリのバルトークやコダーイの合唱曲を聞いて「子供の合唱は、こんな極め方も可能なのか!」と衝撃を受けたばかりだったことは想像に難くない。佐々氏は結局、このレポートをこう結んでいる

「やはり望みたいことは、もうちょっと本質的な音楽教育を叩き込んでいった方がいいんじゃないか、私はそう希望しますね。ここのモットーとしては「楽しくいきたい」ということらしいです。まあ、私らがいうことはないと思うんですけれども…。」
(1965年11月1日発行『合唱界』Vol.9 No.11 (25-26pp.)東京音楽社)

団員が小さい子から中学生まで120人もいて、たくさんの大人たちも彼らを応援している。それなのに、「男同志、気兼ねなく楽しく歌って,『あー、スッキリした!面白かった!俺たち、また明日も歌ってはっちゃけようぜ!』じゃモッタイナイだろう?!音楽の勉強に打ち込む格好の場と好機だっていうのに!ま、本人らも指導者もそれで良いってんだから、勝手にすればぁ?」ということである。
佐々氏は創成期のフレーベルの本質をこの時点で的確に見抜いていたと思われてならない。
前述の通り高度経済成長期の人々には「あー、歌ってスッキリした!楽しかったー!明日もまた、みんな、歌で大暴れしようぜ!」という価値観は理解できないことは無かったはずだが、それを明日の日本を担う少年たちが口にし、具現もすることは、やはり許せなかったのであろう。だが、合唱団はこの論評の通り、すごくなごやかで、生き生きとして、子供らしい歌をばりばりと歌いつないでいく。だから少年たちは、成長しても楽しく至福に満ちた音楽の毎日を感謝とともに半世紀経とうが決して忘れない。フレーベルのOB会は、こうした少年の日々のまごうかたなき延長線上に確固として、ある。

だが、ときは流れ、合唱団は初代指導者の交替を好機と考え、頭声発声へ統べた美しい少年合唱をめざしはじめた。
これは当然の帰結で、日本中の男の子の合唱団がおそらくそれを一意専心に希求していたはずである。そうして、当然のことながら合唱団が発足時に持っていたヤンチャで賑やかで「男だけで楽しく歌たえたらそれでいいじゃん!」的な魅力をたちまち失ってしまう。時期同じくしてさまざまな要因が重なり、ご存知の通りフレーベル少年合唱団はたくさんの団員を他団に移籍させてしまうほどの危機的状況に苦しみだす。

フレーベル少年合唱団OB会になぜ若いOBが集わないのかの決定的要因は、先の佐々氏の最後の一文でもう明らかであろう。

『いざ起て戦人よ』はもちろん今回中高生も参加しているし、曲的にSATB版もあるようだが、お行儀よくまとまって感染対策に密閉された現役連中どもをぶっ飛ばす威力に満ちた雄叫び的演奏を聴かせている。現役時代のユース・メンバーの日々のステージ姿を知っていると、比して胸が空くような歌い上げに仕上がっているし、「『高齢者合唱』とは口が裂けても言わせない」楽しさや満足感をもたらしてくれている。
OB合唱は前世紀の定演でもしばしば「いい歳してこんなワンパクぶっこいてていいの?!」という現役を覇気で凌駕する合唱を聴かせ続け観客を楽しませていたし、ユースの連中の方は全員フレーベル少年合唱団の星の王子さまたちだった(…アレゴリーで、個人の感想です…)。『いざ起て…』の歯切れの良さは小手先の発声・発音の技術力ではなく、彼らが半世紀近くも歌い続けてきた阿吽や身体に刷り込まれたタイミングとフレージングとブレスの感覚なのである。「どうやったらこんなに歌えるのですか?」と尋ねられたときのOBらが「さあ?歌えるんで、よくわからない」と首をかしげたあと、「フレーベル少年合唱団を卒団したからじゃないですかね?」と答える様子が目に浮かぶようである。

ユースクラスのMCに岩崎先輩がマイクをとった。
今回のユースに登場する中高生たちは全員言わずもがなフレーベル少年合唱団の元アイドル諸君である。キャー!である。現在の歌声と歌い姿を拝めただけでも来場の価値はあった。
ただ、彼にMCの指名ががかったことは特段すばらしいことのように思える。
前回定演のS組ステージ『アメージング・グレース』の冒頭ソロで合唱を導いたのは彼だった。
その曲が終わり、客席の喝采が向けられてスポットに浴した後、隊列に下がった彼が首を捻って表情を曇らせていたのをあの場にいた全ての観客が目撃した。実に誠意のこもった歌いだったが、まったく本人の満足のいかない出来だったのだろう。彼の声の嗄れ具合から、これがボーイソプラノとしての最後の登壇であることも、合唱団の先生方が花向けとしてソロ機会を与えてくださったことも私たちには想像できた。コロナ禍が押し寄せて、団員には結局、挽回のチャンスはやってこなかった。だから、今日、彼はここに立ったのである。…それが一つ。
もう一つは、彼の前を通り過ぎていった多彩でおびただしい数の同級生のたくさんの面影である。
彼の学年の団員達は全員、入団早い時期から重用され、タレントさんたちの隣でたびたびテレビに映り、オンエアされ、CDにもなってジャケット写真をかざり、オペラ・バレエやネット動画で我が世の春とばかり歌声や歌い姿を披露した。彼らが全員が歌い終え、もう一人もフレーベル少年合唱団のステージに姿が認められなくなった今、それを全て見送ってきた岩崎先輩の存在は極めて大きく貴い。

このことを考えると、OBの『いちぢく』はプログラムの文面にある通り、ここを通って「巣立っていったすべての団員の方々に大きな感謝と尊敬の念を抱く」団員人生への鎮魂の祈りの歌だった。少年の歌心よ清寧にきよらに眠れという歌をかつての自身らや仲間達に歌いかける。磯部俶の楽譜は東海メールクワィアー委嘱の男声合唱組曲 『七つの子供の歌』である。南茨城鹿行霞ヶ浦の南は、曲の作られた1960年ごろ、もうすでに明るい町だった。隣接する地域は早くから有名な醸造産業が集積する工場地帯で、作曲年の春の終わりに『ロッテ歌のアルバム』へ橋幸夫が出演すると、曲『いちぢく』の描く鄙びた、「夕日が、汚いボロっちい野球帽をかぶった少年の黒い面立ちへ赤錆色に差しかけ、彼が父と役牛を迎える手漕ぎ舟の左舷で眩しさに目を細めて顔をしかめる様子を河畔に実る無花果がたわわに眺めている」という風情の水郷の町は日本全国の人々の知る地名となった。このときすでに東京ー藤沢間では湘南電車モハ153がうなりをあげて時速100キロ超で疾走していたし、東京 - 御殿場間の弾丸道路(高速道路)は戸塚開業していて黒塗りの車がノンストップで走り抜けていた。少年たちの通う山の手や都心の小学校はピカピカな校舎の白亜の鉄筋化がほぼ成立しはじめている。テレビはカラー放送だったし、地下鉄1号線は京成と相互乗り入れしてもいた。水を指すようだが、歌に描かれた茨城県最南部の水郷の夕景は実際に見られたものであったのかもしれないが、フレーベル少年合唱団の団員たちの実生活の中では既に完全なノスタルジーの世界であったことは想像に難くない。

だから、彼らが歌い、OB合唱団が歌いかける『いちぢく』は確実に、まず磯部俶の世界であり、かつてのフレーベル少年合唱団の歌の世界なのだ。60回の記念のため、かつてのフレーベル少年合唱団の団員たちに歌われるのにふさわしい。
だが、たった2分数秒間の歌声の中には、かつての少年合唱の日々、神田小川町のビルディングの各階で嗅ぎ取ったり汗ばんだ腕に触れたり小さな半ズボンの尻を落としたりした日々の情景を込めるがごとく、さまざまな表情づけが甘美なアゴーギクやデュナーミクとともに東京芸術劇場大ホールをスイートに鳴らす。
当然のことなのだろうが、60周年の記念としては、「今現在しか知らない」現役たちの歌声よりも数段に、この2分間ちょっとのたった1曲の方が、ふさわしい演奏だったと言わざるを得ない。

『ハレルヤ・コーラス』は、一言で言うとアングリカン・チャーチのテイストを、突き上げるようなテナーを含む高声部がぐいぐい牽引していくというゴージャスなカラリングだった。

10年前の50周年『ハレルヤ・コーラス』で、この曲の紹介MCを担当していたのは一朗君で、歌い終わりの〆の言葉はスーパーナレーター君だった。あの時も豪華なメンバー構成だったのである。曲の仕上がりもまた、太田先輩たちの声質の上品なコケットリーもあり、アルトの扇動が魅力的で、ソプラノは愛らしくフレーベル的だった。ただ、(これは筆者のまったくの想像でしかないのだが)、指揮者サイドからは当時OB合唱に「子供達の声が前に出るよう、先輩方はなるべく抑えてください。(招待客が聴きにきているのはボーイソプラノの方ですから。)」といった「お願い」があったように強く感じた。(誰もそれを咎めなかった。…カルメンくんやスーパーナレーター君の歌声を聞き分けたかったからである…)。

今回、曲の仕上がりはおそらく宗教オラトリオらしいブライトなものに変わっている。
今回の少年たちは全員、学校で必修外国語科の英語を習っていて、現在の基幹団員たちがここぞとばかり声を張り上げる。おそらく忠言の解けたOBたちは現役に負けてたまるかとジョージ2世もビックリな歌い上げであったように感じた。こうして60周年のハレルヤ・コーラスはおそらく18世紀を通じロンドンで再演のたび雪だるま式にキラビヤカになってゆく『メサイア』の雰囲気を彼らなりに再現できていたように思える。コロナ時代にはありがたいご褒美だ。

 


同声合唱とピアノのための組曲 ドラゴンソング (合唱・同声)
音楽之友社  9784276584020
音楽之友社刊の全ての逐次刊行物に刷り込まれる広告には最後まで「9月下旬発売予定」という文面が印刷されていた。本書の標題紙へ、フレーベル定演の初演情報を刷り込む必要があったのだろう。実際には2022年10月1日ごろの店頭リリース。全ての予告広報の端折った文面は、唐突に「“男子たち”がカッコよく歌える作品を目指して、詩と曲が書き下ろされた。」などと少年合唱団関連の前置きをバッサリ略し印刷されていて大笑い!初めて雑誌広告を目にした人たちは「なんじゃコリャ?」と思っただろう。愉快だ。

 

ペダルで広がる伴奏の変ホ長が、イオニア海のアクアブルーの風を受けて廻るセール風車のようにキラキラと鳴り響き、曲は始まる。ガット弦の木製胴や木管が柔らかい共鳴音をホコホコと鼓吹するような明るい日差しの中で、子どもたちはのっけからソプラノーアルトーソプラノーアルトと呼応しながら歌を運んで物語は始まる。少年合唱団らしい…というよりは全くフレーベル少年らしいスイートな声を彼らは鳴き続ける。だが、その歌詞は「けっとばされ、追いかける…」と、全くの乖離で、聴く者を楽しく混乱させる。「だからからっだーな・の・だ…」16分休符の弱起が目の詰まった特徴的でコンテンポラリーな言葉遊びの文句を引き込んで、話はずんずん進められていく。わかりやすい展開は、作曲者が歌詞の美しさ(?)を誠意をもって子供達に歌わせようとしていることがわかる。明快な分かりやすい曲がなるほど「男の子の合唱」を意識して作られたものであることを窺わせる。
筆者が良いと思ったのは、タイトルにある「ピアノのための」存在意義。少年たちはピアノを盛り立てる方の立場をかって出る。ただ、団員たちの土臭いハーモニーやディビジ3部の唸りはちょっとカッコいい。定演のコダーイ『天使と羊飼い』で聞かされたアレだ。

次曲、今度はその真逆の丹精で男の子の声がブレを感じさせないユニゾンで長々と歌っていく。メゾの子たちが別れてアルトと「ひとりじゃないって ほんとなのかな」のかわいい歌声を招き入れて遊んでいくステージはこの曲の聞かせどころの一つだと思う。「男の子の可愛さ」を聞かせようとする信長の目論見も、やはり成功しているのだ。

曲はさらに急緩急と進んで、ほぼユニゾンで『これは棒っきれじゃなくて』がスケルツォ状に咬まされる。方々に取っ散らかされた三連符がステキ。ただ、筆者がこの曲で意識が行ったのは音楽ではなく詞の方。団員たちはこの歌詞をどんな感想で受容していったのかを尋ねてみたい。「面白い」とか「難しい」とか「同じ”付点8分と16分の連桁”で歌詞を歌い分けるのが大変」とか言うのではなく、単純に「好き!」「あんまし…」「ヤバめ」とか、そういう感想だ。それがこの曲の価値を決めているような気がした。

『相棒』はタイトルに反して(?)「サッカー少年の孤独」(笑)をテーマにした執拗なモノローグ。楽譜上は3部または2部で描かれるが、彼の語りはソプラノ→アルト→ソプラノ→アルト…とステレオフォニックに新ウィーン楽派の音色旋律のごとく左右でパス回しされる。ただ、基本の声はおそらくアルトの少年たちがハンドルしてゴールを狙うポジショニング。唯一イエローカードを胸ポケットにまさぐったプレーは、彼らの発音が体力的にダレていたように感じたこと。もちろん彼らは「ハーフタイム無いの?」などとは思っていない。聴いている側のメンタルなのかもしれない。これは地方の少年合唱団ならば看過される程度の標準語の子音ニュアンスだろう。

フィナーレにタイトル作の『ドラゴンソング』が歌われる。
フレーベルの連中が子供ながらホントに巧妙でズルいと思うのは、彼らが合唱の中に終演へ向けた力戦奮闘やボロボロになるまで歌ってやる!という陶酔感のようなものを聞こえよがしに開放している点だ。指導による追い込みという観客へのサービスなのかもしれない。多くの観客はこの作為にまんまとド嵌りして終演のひとときを過ごした。
私のこのカングリ(?)が穏当だと思うのは、彼らは最後、実に現在のフレーベル少年合唱団らしい甘い良い声で『アンパンマンのマーチ』を歌い、「ありがとうございました!」の呼号をリーダーくんの先導で叫び上げて舞台を降りていったからである。SSSの団員たちはまだまだヨユウでステキな歌を歌えるほどの実力を身につけてここに立っているのだ。

演奏を聴き、楽譜を読んでハッキリとわかることは、作曲者が一貫して高低・左右のパートの追っかけっこ・交替・抜き差しや呼応というフレーベル少年合唱団の子供たちらしい味(私は「手腕」とは言っていない)を引き出そうとしている信長モード全開の魅惑の企てである。現在のフレーベルの指導者達がパートの固定をことさら回避し横断しようと鋭意なのは部外者にとってもステージ上に瞭然なのだが、それでもなお10歳前後の少年たちは口をひらけば「先生ぇ、パートで個別練習しましょうよぉー。」などと年齢学年の幅を超えておそらく日ごろ「パート」というよくわからん小集団に固執し、こだわり、「歌の仲間」と安堵して楽しんでおり、(これを教育心理学の術語で「ギャングエイジ」の仲間意識などと呼んでいる。男の子にとって成長段階に必要なものなのだ)…などなどに気づき、尊重して曲を書いている。

それでもなおかつ、私がどうしても言わなくてはいけないのは、この組曲が人気の「覚・信長コンビの作った作品」というモデリングにしっかりと落ち着いているということだ。テイストは確実に「覚・信長コンビ」のものなのだ。
正式曲名も「同声合唱とピアノのための…」で、「少年合唱のための」とは一切書かれていない。信長自身も「ジェンダー・テイストに拘った曲にしたくない」といった内容のことを書いている。
さらに、この作品のフィナーレ『ドラゴンソング』は、彼らなりの演奏時間およそ8分間前後になるのだが、楽譜のアペンディクスにはご丁寧に「コンクールなどで時間制限がある場合には…」と付記されて曲長を4分間に切った71小節以降の短縮バージョンが掲載されている。これを見て、誰しもが「あー!あのコンクール演目とかで超人気の覚・信長コンビの…」と、「♪くりかえし咲くつぼみぃー」などと脳裏に歌いつつ思ったはずであろう。
筆者が考えているのは、「コンクール演目とかの人気曲」と確実に等号で結べそうな「覚・信長コンビの作った曲」が、はたして「60回定演にふさわしい曲」とも等号で結べるのかどうか、そしてこれは私たちが聴衆が数十年の間に身にまとってしまった「ドラゴンについての曲」のイメージにそったものであるかということに尽きる。

満を持して作られたと思しきフライヤー・プログラム類の表裏には、エルマーと竜の挿画を想起させる『ドラゴンソング』のイラストがグレー味のあるライトな縹系(若い男を表現するジャポネスクカラー?)の地に踊り、プログラムの全てのページへ一貫してこのテーマカラーが用いられる。ワッペン部分とチラシエプロンと裏面には水縹の類似補色からあっけらかんとしたキハダが使われ、男の子の心の軽快さを表す。出版社所属合唱団の名にふさわしい意匠となっている。

だが、私たち観客にとって一番嬉しくもあり、また超お得感満載だったのは表面へ小さめに配された団員総勢のステージ記念写真だった。今夏の定演に来場した観客のほぼ99パーセントは、本来の2022年60回定演が3月30日開催で企画進行されていたことを知っている。また、その演奏会は蔓延防止の対策が子供達のブラッシュアップの足枷となり、クオリティー的にも鑑賞料をとって聞かせる保証が出来なくなった(少なくとも館サイドではそうしたニュアンスの告知もしている)ため、名称も『スプリングコンサート』に挿げ替え無観客に近い形で本番プレゲネプロのようにして催行されたことも、東京芸術劇場の公表などから窺い知れた。フライヤーの写真はおそらくこのときに、芸術劇場大ホールのステージ上で舞台背面扉を閉めて撮影されたものであろう。ユースクラスを除く全隊が立像で写し込まれている。ソーシャルディスタンスを順守しているため、後列の団員らでさえパンツ長や靴のつま先まで写っている子もたくさんいる。最大のプレゼントは山台の3段目より上に立つ子供たちの小さく小さく写った顔、顔、顔…!ああ、キミらは元気でここにいてくれたのか!?歌っていてくれたのかと、筆者は震えるほどの喜びに終日機嫌が良かった。さらに目を凝らすと、前方にはイートンの右ポケットや胸ポケットへ白いマスクを中途半端に突っ込んで立つ団員が何人も認められる。この日のAB組諸君の仕草一挙手一投足、息遣いさえもビビッドに再現するショットで、その可愛らしさ・ひたむきさに無条件降伏状態だった!来場前・開演前にこの小さな写真たった1枚で至福の時間を過ごせたのである。


……

拙文の最後に、再び雑誌『合唱界』1962年(Vol.9 No.11)掲載の記事に触れておきたいと思う。

合唱指揮者の横山千秋氏は9月29日東京文化会館小ホール開催のフレーベルの第2回定期演奏会を「ろばの会については(中略)フレーベル少年合唱団の演奏会(第2回定演)にヒサシを借りているという誤解を招かないでいただきたいものだし、ことに子供たちに対する教育的見地からしてもせっかくこのような団体(フレーベル少年合唱団)は、もっとたくさんの世界の名曲にも親しむようなプログラムであって良いはずだと思います。」として徹底的にこき下ろし、レポートのタイトルも「大人の責任は重い」と断罪している。フレーベル第2回定演が実質的に「子供たちの歌の会」ではなく「ろばの会」(合唱団の指揮者=磯部俶が呼びかけ中田喜直・大中恩らとともに作った当時の若手作曲家クラブ)の楽曲発表会であったことにきわめて憤慨している。氏は「合唱界」の既刊上で、東京文化会館で行われた62年5月の全日本少年合唱発表会に出演したフレーベルの歌声を「Aクラス」(国内トップ)と太鼓判を押しているのだが、一方、定演ではプログラム構成に「大人の事情」が色濃く表れたことに強く不快感を示しているのである。後年の「ろばの会」が世に送ったたくさんの名楽曲と寄与した作詞家の顔ぶれ、会の存在意義の高邁さをよく知っている21世紀の私たちからしたら、「そんなに怒らなくったって…」というものだが、「もっとたくさんの世界の名曲にも親しむようなプログラムを」と具体的に書いているところを見ると、歌われる曲、歌われる曲、「また、ろばの会の曲なのかよ」と、よほど鼻についたのだろう。
(『合唱界』1962年11月号 pp.90-92 東京音楽社)

60回定演が終演し、私はこの演奏会の何が良かったのか幾度も考えた。

アンパンチ君・テンドンマン君たちや竹友軍団の諸君、忘れちゃイケないアルトのダンディー・ボーイたち、前回定演で未だA組B組に歌っていた子たちが少年らしく頼もしくしっかりと成長し、胸板も厚く練れた声でステージに歌う姿が見れたことと、意外にも現A組B組の子供たちが東京芸術劇場大ホールを冷涼な綺麗な声で鳴らしていたこと、OBやユースが私たちの心に寄り添う歌声をお土産にくれたこと…「60周年に際し、どのような演目が並んでいるか」は結局2次的なことで、他の選曲でも十分に楽しむことはできた。
おそらく先の横山氏も、フレーベル少年合唱団の第2回定期演奏会に、今回の私の感想と同じような至福の時間を渇望し足を運んだはずだったのに違いない。
以後、フレーベル少年合唱団が横山氏の「大人の責任は重い」批判を真摯に受け止め、注意深く定期演奏会を持っていくようになったのは事実のようである。プログラムは相変わらず「ろばの会」の曲でも、観客が求めているのは演目やその由緒ではなく少年たちの歌声や歌い姿であることに彼らは気づき始めていくのである。

 


ポスト「1・5チーム」の出発点を占う記念すべきコンサート

2013-12-18 00:28:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団第53回定期演奏会
2013年10月23日(水) 文京シビックホール 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円

   
 少年の艶を感じさせるほどの歌声に仕上がっていた「元気が出ました」君の姿はステージ上に既に無く、カルメン君の声は発酵寸前までしっかり熟れて樹上に揺れる豊満な果実のようです。フレーベル少年合唱団第53回定期演奏会は、ポスト「1・5(いちご)チーム」の出発点とも言える記念すべき有意義なコンサートでした。

 ストーリー性のある簡潔なMCから音取り・イントロ一切無しでスパリと振り出したアカペラ・ソロを引っぱり、定められた音程のピアノ伴奏にふんわりつなげるというセンセーショナルなオープニングは、ステージ経験が豊富で度胸も音感も歌唱力もあるカルメン君にしか出来ない難易度の高い技です。六義園のライブでも万が一のバックアップに備えるがごとくプレビューがしっかりと行われていました。お客様方はそのときもうハッと息を飲んだものです。当夜、この同じ演出が来年の54回定期演奏会に聞くことができないであろう天命をよく理解していた聴衆も少なくなかったと思います。だからこそステキな演奏会だった。だからこそワクワクして、ボーイソプラノ特有のカッコよさにクラクラして、時間よ止まれの思いにしばしの夢を見ます。ポスト「1・5(いちご)チーム」の出発点は、抱えるにはあまりにもあつく甘い香りに満ちた置き土産からスタートしています。私はここにカルメン君らしい優しさや頼もしさ、澄んだ心根といったものを感じました。

 「元気が出ました」君はどこにいたのかというと、客席に居たようなのです。団員ではなくなっても、客席の彼の存在は高学年の団員たちの表情を非常に明るいものにしていたように思えます。やなせ先生が亡くなって、本当はお弔いのような会になっても仕方無かったのに、高学年の子どもたちはニコニコと楽し気によく歌っていました。子どもたちの明るい表情は歌声とともに天国の人を心底楽しませていたことでしょう。新アンコール君など、普段はとても集中して常に厳しい真剣な表情でステージに臨むタイプの団員さんなので、彼が白い歯をこぼして笑むことは殆どありません。本番中にもし見ることが出来たら超ラッキーというくらいの百万ドルのニコニコ笑顔を私たちは当夜見ることができました。MCの声は朗らかで明るく、表情のとても良かった彼に私も癒されました。定演の客席に詰める卒団生の存在が決して「もと団員だった子」と看過できないのは、こういうことがままあるからです。

   
 演奏会のオープニングはサウンド・オブ・ミュージックの『ドレミの歌』です。ポスト「1・5チーム」を占う演奏会…ということを予想して、冒頭にカルメン君がガツン!とまず何かをぶつけて来るだろうとの心づもりで来場している観客にとっても、この選曲はかなり「唐突」な印象を与えます。
 2006年5月の末に、20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンは「サウンド・オブ・ミュージック」のファミリーバージョンをリリースしています。日本語吹替えのキャストを一新した、いわゆる「新録版」と呼ばれるものですが、このDVDの仕事を期に、フレーベル少年合唱団は新たなフェーズへと歩みはじめます。選曲・演出・クロージング。ソロのフィーチャー。定演の会場もすみだトリフォニーへと移り、その初回にスクリーンミュージックが歌われました。彼らはこの演奏会の後、終演の挨拶にアメリカふうの簡易のバウを施してゆきます。2年後に簡単なスクレープを伴ってのち5年間、大小全てのコンサートで退場場面に励行されました。ところでこの2006年の「サウンド・オブ・ミュージック」のファミリーバージョンで、フォントラップ一家の次男坊役の日本語をあてている少年は、何と言うか骨格や体の輪郭を感じさせる鳴りがクルト演ずるDuane Chaseの歌声にしっくりと馴染んで全く違和感がありません。「グッドナイト・フェアウェル」の最初の見せ場は映画版ではクルトの歌う高い高いG5の音の「♪Good Bye!」の歌声です。当バージョンの次に2011年、TXで再録された「サウンド…」のクルト役吹替えには『子連れ狼』の大五郎で人気の小林翼くんがちょうどこの年齢に達していてミュージカル舞台の経験を積んでいたために抜擢されたのですが、歌の方は上手に編集処理されオリジナルの英語版の歌声が使われました。自分の声質はやや高いので、クルトの歌声には合っていない。楽しい仕事だったが、むずかしかったと、当時、小林翼くんは自身のブログで正直に述べていました。ですから、2013年時点でのクルト少年の歌声の映画日本語吹き替え最新版は、やはり2006年のファミリーバージョンということになるのです。
 マリア先生から雷の鳴りわたる最初の晩に名前を忘れられた、ぽっちゃり笑顔の愛らしいクルト・フォントラップを吹き替えたのは、フレーベル少年合唱団の当時の団員さんです。彼がこの吹替えの仕事を担当したことは、結果的に合唱団の毎回のステージに良い意味での変化を与えていったと私は確信しています。最も顕著で誰の目にも明らかだったのは、終演の挨拶の刷新でした。映画版『サウンド…』で、キュートなクルトがマリア先生にニコニコ顔のままダンスの相手を願い出ます。婚約レセプションの場面です。胸の前で腕をすくい、小さな男の子が生意気なバウの挨拶で舞踏へのお誘いをします。聞かせどころの「グッドナイト・フェアウェル」でも、このオ辞儀をして舞踏会のいとまごいをするのです。フレーベル少年合唱団は、終演の挨拶に、これと全く同じ振りのバウを仕立てて見せることによって、2006年のクルト・フォントラップへの感謝の気持ちと同時に、当時頻々に外部録音へと参加していたこの合唱団の自身の活躍への再確認を行っていたと考えられてきます。合唱団が近年、終演のバウをやめてしまったのは、こういう伏線があったからなのではないでしょうか?だからポスト「1・5チーム」の初めにサウンドオブミュージックの1曲を持ってきた…つまり、一つの時代の終わりに、私たちは再びスクリーンミュージックを聞くことになるのです。

   
 2曲目の「虹の彼方」ですが、この曲も歌い出しは日本語。演奏が進むにつれ原語の歌詞にスイッチするフォーマットになっています。これはフレーベル少年合唱団がほとんどの外国曲に対し維持しているクリシェで、当夜もこの歌詞のパターンが丁寧に踏襲されていきます。
 ここではすぱんとジャンプする冒頭の跳躍からまず団員たちのボーイソプラノのコンディションを伝えて曲が始まります。次に基幹をなすカスケードのような和声がじんわりと重ねられていって、私たちを夢見心地にさせてくれます。確信させられるのは、カルメン君の率いるS組ソプラノチームの歌声のクオリティの高さです。特に後列に並んだソプラノ団員たちは、硬軟取り混ぜて、全員ソロ一本立ちも可能な実力派のチーム。先輩の熟成を待っていたかのように彼ら自身も伸びてきて、今はしっかりと表情も変えずカルメン君の底支えに徹しています。何人かの子どもたちを見てみましょう。

 客席に人気の弟くんはMCのリード・アナウンスをつとめた一方、S組ソプラノでガッチリとソリッド感のある高声を鳴らし続けているお兄さんの方は、既にキャッチーなステージ要員の域に達していて、見ていても聞いていても楽しいボーイソプラノです。春の六義園で「はじめてのソロコーナー」の一番手を担当した団員くんは、昨年の定演ではキーとなるMCを担当していたのですが、今回はどういうわけかソロ・MCともにフィーチャーは無し。彼の持ち味である凛々しい身体共鳴の声が聞けなかったのはちょっともったいなかった感じがします!もう一人のソリストは、やなせコレクションのMCのみの登板でした。後述しますが、その引き締まった声だけではなく、立ち居振る舞いがいちいち精悍なのです。ボータイのユニフォームでさえ、彼のためのデザイン?と思われるほど上から下までばっちりキマって見えます。当て推量でしかないのですが、彼が例えば年少さんから1年ごとにステップアップしてきた団員さんではなく、比較的学年が進んでからS組の隊列にダイブで配属されたメンバーであることが、張りつめた気持ちや所作のようなものを良い感じで醸し出しているように思えます。ソプラノ後列に配されたこの他の団員らは、現在の隊列の中ではステージ経験の比較的豊富な子どもたちです。どの子も歌い姿が真摯で、集中力があります。とりわけ、常に音楽に乗ってメロディアスな高声部を展開することができる歌心を全員が持っています。この子たちは誰かに媚びるような歌は歌いませんが、一人一人が前を見据え自分の歌を歌うことで互いを邪魔したり足を引きあったりするような事態を回避しています。外見は幼少年に見えるほどの小さい団員たちですが、ひとたび演奏が始まって彼らの両の目を見ると、射抜かれるのではないかという錯覚さえ覚えるほどに変容します。私は逆翼の、全員がちょっぴりヤンチャでコミキャラ揃いのアルト軍団を見るにつけ、同じ合唱団を構成するメンバーとは思えぬ好対照のこの子どもたちの姿に「フレーベル少年合唱団って、やっぱり面白い!」と思ってしまうのです。

 彼ら、オープニングの「ドレミの歌」では、頭のソロの余韻を消してしまわないように注意深く合唱を展開していました。身体の大きさに比して細やかな歌が歌えるのです。アンコール君の時代、ソプラノを強力に牽引していたのは、やっぱり当時「アンコールしてもいいですか?」と尋ねていたその声でした。その前のローマ君の時代の数年間、ソプラノには、テレビのSFアニメーション・ドラマのエピローグで滔々としたソロを聞かせきるような仕事をしていた上級生も残っていましたが、全てのコンサートでソプラノの色を決めていたのはあきらかにローマ君の声でした。私は2013年のこのフェーズに至って、フレーベルのソプラノ声部がリーダーの主導の鳴り方ではなく、力のある少年たちの連合の声で開花したのは素晴らしいことだと思います。カルメン君の誠意と正確な耳があるからこそそれが出来た。指導陣が的確に少年たちの成長を見抜き、結集した彼らの持てるものの無為な消費を許さなかった。(それゆえに、パート4での彼らの使われ方はやや安全に過ぎて歯がゆい感じがしました!)優秀な子どもが合唱団に集うのは確かに「よい出会い」のなせるところなのかもしれません。ただ、当夜の彼らを見る限り、大切なのは結局彼らがどう活かされてここに歌うのかということに尽きると思われます。フレッシュなハーモニーの中でワンパートと化す合唱ピアノもまた美しく宝石のようにきらびやかに響いていた。同じ原理が働いているような気がします。
 一点、「オリバーのマーチ」では、高低の団員たち一人一人のがんばりやフレーベルらしいセーブのかけ方がとてもうまくいっているのですが、賑やかな曲ゆえにジャンプした頂の「ピッチの歌い落とし」が全体のハーモニーを凌駕してしまって、少しもったいない感じがしました。

   
 ここで再度唐突にクラスへの出はけがあって、A組が「回転木馬」を歌います。
A組ベースの躯体で囀るメロディーグループの旋律とのかけ合い。他方のグループが動きのあまり激しくないコード進行でオスティナートのスキャットを最後まで歌い切るという背伸びをぶつけてきます。…オープニングステージの4曲目以降、昨年まではパート2以降にワンパートの仕切りの中でしか出番をもらえなかった「小さい組」が、冒頭ステージの4曲目から堂々と隊列を流し込んできます。曲数的にはS組が3曲で、AB組には4曲の配当です(A組は4曲通して歌っています)。客席にいらした方は、これが2013年度チームの有り様をよく表していたように思われませんでしたか?吉と出たか凶と出たかについてはさておき、私は後述するように、AB組の当夜の位置づけを推進した何かがS組団員たちの冒険やチャレンジをおそらく良心からフェールセーフしているような気がしてしまったのです。「AB組ステージ」という枠を解消した当夜のプログラム構成を「下位クラスという軛からの解放」や「上位クラスだけで1ステージ歌いきれなくなった凋落」と見るか、はたまたポスト「1・5チーム」の時代を宣する新機軸とみるか。 あなたはどう思われますか?

 A組はこの後、「わんぱくマーチ」を歌い、さらにB組を動員して「おどろう楽しいポーレチケ」と「ちびっこカウボーイ」までを一気に聞かせました。どれも、最近の保育現場ではあまり使われていそうもない、少し以前の感じの伴奏や演出が付いていました。オンエア版やキング盤の「みんなのうた」などでしばしば使われたアレンジのもののように思えます。ビクター少年合唱隊も、77年のアルバム「カントリーロード/天使のハーモニー4」で「ちびっこカウボーイ」のエンディングの「ヤー!」から次の「わんぱくマーチ」の頭のセブンス系ファンファーレへと同じアレンジの構成で流し込んで2曲を歌っていました。私は、当夜の演奏もそういうわけでとても楽しいと思いました。MCにも人気のB組団員さんたちを投入していましたし、客席も心から納得して子どもたちの歌声を楽しんだように思います。ただ、近年のフレーベルの演奏会へ足を運んでいると時々感じてしまうのですが、次期S組配属を約束されているA組の歌と、最近のB組が添ったときの歌声の違いが以前ほどハッキリと分からなくなってしまったような気がします。ここにもポスト「1・5チーム」の団員構成の変化を強く感じます。

   
 パート2の入れ換えでS組隊列が復帰し、女声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」が歌われました。昨年も傾向として感じられたことですが、このPart2が第53回定演では、一番合唱内容の濃いステージになっていました。S組の聞きごたえのあるスマートなキャラが炸裂します。満腹感があります。ひたすらに歌いこむ団員たちの姿を見ていると、彼らが毎週毎週練習を積み重ねている姿がまるで目に見えるようで、応援したくなります。52回定演のときも、かっこいい団員MCがスタンドマイクの前に並びました。今年、冒頭のアナウンスをつとめたのはメガ美男子君です。彼の声は既にお兄さんの声に嗄れはじめていて、もともとそうであったように、彼の存在自体が下級生らの「やすら木」になってくれていることがわかり、うれしかったです。彼らしい声でMCを引き取ると、バランスよくすらりと伸びた躯体の上で清潔そうなかぶりを傾けて、自らのMCに少しだけ値踏みするような挙動を見せて下がりました。合唱団の以前の定演ステージ上に見覚えた姿でした。
数年前、アリデヴェルチ・ローマ君がちょうど同じ学年の頃のコンサートでMCの声がひっかかって、よく今夜のメガ君同様の首を傾げる所作を繰り返していたのを思い出します。団員たちは殆んど見ていない、気にしていないように見えて、先輩たちのステージでのこうした立ち居振る舞いを実に良く冷静にしっかりと見ているということに改めて気付かされます。ローマ君もまた、かつてどこかのステージで先輩方の誰かがそうしているのを背後から目撃していたに違いありません。
 メガ君ご本人もまた、後輩たちから冷静に見据えられていることにおそらく気付いていません。誰もが自身を気付かないままに、数年後、現在の中堅団員たちが成長して最後のステージを下りしなに「僕は少年合唱団員になれたのかなぁ?」と自身を振り返って巣立ち、私たち観客もその後ろ姿を観ながら「これは、どこかで目にした団員の姿に似ているのだが…」と思い出すことになるに違いないのです。
 メガ君の日々の歌い姿を見るにつけ、少年合唱団員は「声が変わりはじめてからが真の勝負」であることがよく判ります。少年合唱は、「声が変わりはじめたら終わり」ということは無いのかもしれません。聴いてくださる人々のために都合をつけ、参集し、黙してステージに出て行って皆と共に最善の歌を歌う。…そんな当たり前のことのようにも思える「少年合唱団員であること」への自問。合唱団きっての美男子君ですが、ステージ上の彼の姿は外見よりもむしろ静かな内観を常に感じさせるものであり続けました。そういうメガ君のステージ出演頻度は非常に高く、今回の定演メンバーの中では経歴が長く断トツのカルメン君を除けば、アメージング君に並ぶトップの回数(出演年数ではなく、出演回数)だったように思います(ごめんなさい。個人的には、メガ君がkazu君、ハンガリアンダンス君とパッチリお揃いの赤ボウ・サスペンダーのワイシャツ姿に錦糸町駅のステージでフリフリしながら『あかさたなはまやラップ』を無心に歌っていた低学年の頃の姿が忘れられません!)。現在の彼は裏声で出る箇所はそうしてメゾの子たちに合わせていますし、気がつくとふんわりと大人の声で歌っているときもあります。豊富なステージ経験から彼が自己判断で、その場に合うよう高低の歌い方を統御しているように見えます。そしてステージを下りしなに何かを自問するような表情を浮かべるのです。変声・その他、諸処の理由からフレーベルの高学年メゾソプラノ団員たちが次々と戦線離脱してきた中、メガ美男子君だけが今、隊列の中できびしく「ボーイソプラノというのは、本当に声が変わり始めたら終わりなのだろうか?」と自身へ問うているのです。彼は今、「声が変わりはじめてから何をなすべきか」という課題と、ステージ上で戦いつつあるようにも見えます。出演のたび、自らに問い続けて来たメガ君だから、最後に当然、「変声は少年合唱団員であることを止める理由になるのか?」というアタリマエに見える事をきちんと問うのです。少年の変声や声域の遷移などの現象を社会の変容といったものに無理矢理帰責し、強引に結論付けてしまうような「変声期の研究」といったものがあきらかに存在しています。しかし、こうした高慢で机上論的な物言いは、最近のメガ君の歌い姿を見ていると既につまらない紙切れに過ぎないように見えて来ます。楽しい、カワイイ、イケメン、面白い、かっこいい、ヤンチャ…たくさんの好キャラ団員が今日も大挙して集う現在のフレーベル少年合唱団の中で、一番「美男子クンで可愛いねー!」で済ませて終わりにしてしまってもよかったはずの男の子が、結局最後まできびしく「団員とは?」を自らに問い続ける。また、外見ではあきらかに辛そうな時期があり、終始虚ろな目で歌っていた、明日にでも中途退団してしまいそうだった団員が今、2013年のフレーベル少年合唱団を引き連れて、コンサートの最後に雄叫びのような「ありがとうございました!」の呼号を発し続け沢山の人々の洪水のような拍手を浴びている…。「1・5カラー」の日々を歌い続けて来たたくさんの団員たち。一番最初に居なくなってしまっても何ら咎められることの無かったはずのメガ君とワルトトイフェル君の二人が結局、低声グループの中で最も長くステージに出続けた団員でいることに人生ドラマのようなものを感じます。

 演奏はタイトルの通りメドレーで、12の唱歌(「故郷」は終曲にリプリーズがあるために、正確には11タイトル)がカデンツのまま続いていきます。楽譜上の曲間は一応切れているために、合唱団の実力や配当時間によって、タイトルの取捨選択が出来るようになっていますが、今回、少年たちはフルレングスのおよそ15分間を休み無しで歌い、前半の部を終えました。硬軟起伏もあるほぼ出力マックスの曲を間断なしのまま四分の一時間歌い続けることは大人でも少し身構えてしまう面さえあると思いますが、フレーベルの小さい団員たちは気丈に歌いきりました。曲は春夏秋冬の順に構成されているので全体に起承転結があり、物語性や抒情性を醸し出すものになっています。男声・女声・混声のために作られた作品と言っても、原曲が唱歌群であるために、子どもの声で歌われることによって一層郷愁やノスタルジーを訴求するものにもなっています。誰でもが知る子ども向けの短い曲のメドレーですが、プロフェッショナルが編曲すると、こういうシブい仕上がりになるという代表的な作品だと思います。アカペラ、パートのフィーチャー、もともと男子向けに編まれたと思しき「こいのぼり」「我は海の子」などの曲と少年合唱のマッチングなど、楽しみどころは満載でした。アルト系のフォローは少年らしいまっすぐな味の中でフレージングが爽快に決まり、数十年来のフレーベルアルトの大ファンの私めなど、それゆえ「冬景色」で聞かれる低声の少年たちのリードに心底惚れなおしました!ソプラノ部の歌い上げは前述の通りステキな持ち味の子どもたちの連合で、多色に沈めた刷毛をサッと振って描いたようなみずみずしいシズル感。メインの彼らを飾るメゾ・アルトは必要な場面で必ず抑制がかかって頼もしいのはもちろんのこと、「この子たちにうまく出し切れるのかな?」と思っていた「茶摘み」の最後のハミングが存外大人っぽいフィーリングに響いていたりと聴きどころは尽きません。
 冒頭の「故郷」は前奏ピアノの叙情を受けて最後にまたピアノのカデンツに「歌」を返して行く少年たちの気持ちが思いやりに充ちて優しく、「これから僕たちの四季がはじまります」という言明にもなっていて、メドレー全体の色を決定づけています。「春の小川」の低声部のセーブが軽快さをもたらしていましたし、「朧月夜」の夜鳴きウグイスのような高声のピッチ感の良いさえずりは3曲目に醸成したオリエンタルムードの層の厚い合唱という感じの仕上がりに寄与しました。「鯉のぼり」には一貫してピアノの左手に顕著なベースパタンが刻まれていくのですが、伴奏と少年たちの対峙の仕方が良好で「男の子の合唱団だからできた?」というべきか「男の子の合唱団でもできた?」というべきか、ちょっとわからないのですが、上手でした。「茶摘み」の伴奏も少年たちの旋律とはズラしてあって、今度はツッコミ鉄路系のポップなリズムパターンが彼らの歌の追いかけっこを煽っていくのですが、意外にもしっかりとカノンを保ちつつ最後に結んでいくのを聞いて頼もしく思いました。次曲はレガートな歌いとカデンツァ状態の間奏ピアノに意識の行きがちな「夏は来ぬ」なのですが、フレーベルの子どもたちは逆に日本語の明瞭さで攻めて来ます。次の「われは海の子」も主旋律を歌うのは高声の少年たち。でも、要所要所でシッカリとコトバが立っているのは、実はどちらの曲もビルトイン・スタビライザーのように無意識のまま低声が「頑張って」歌っているからです。2013年度のフレーベル少年合唱団が実は低声系のメゾやアルトに支えられていることが、この部分にさしかかるとハッキリしてきます。次の「紅葉」も教材としての原曲の歌われ方を踏襲して輪唱に展開されているのですが、低声の良さがさらに顕在化して聞こえます。こうして「冬景色」のパッセージに至って遂にボーイアルトたちの素材が「ここで歌っているのは僕たちです!」と前面にフィーチャされてきます。「雪」の設定ピッチはおそらく冬晴れの空のキンとした感じを出すために比較的高めの位置にあるように思われます。少年のアルトが得意とする声域に戻って来るせいか、ブリッジ部分のハミングもフィーリングよく頼もしく安定した鳴り。リプリーズの「故郷」(2番歌詞から)は一転してユニゾンの歌い出しが練習の成果を感じさせるレガート唱で、途中からデュナーミクを折ったり、テンポをいじってあったりして面白かったです。3番の歌詞から転調のピアノが添ってセピア色の斉唱の写真にフッと色彩が戻り、聞く人を「今もなおそこに在るふるさと」へと引き戻す劇的な編曲が施されていますが、この部分の低声の子どもたちは1曲目の「故郷」同様、表情も変えずメインを再びソプラノに任せ底支えに徹する立場をわきまえた出力へと復帰しています。だからカッコいいのです!心憎いのです!彼らの歌がソプラノの隊列を凌駕して曲を終えたら演奏は台無しになってしまうことでしょう。フィナーレには各パートかけ合い状のクライマックスが用意され、最後の絶唱で開放されるという仕組みになっています。アルトの子どもたちは全て判った上でここに自分たちの声を抑制して歌い終えているので、癪に障るくらいカッコいいのです。

 首都圏のボーイズ合唱団の歌声を追っている人ならば、TFBCが今年、春の定期演奏会のファイナルステージで、同じ「ふるさとの四季」の同じ女声コンプリート版を演奏したことや、一般販売のCDをカッティングしたことに想到したかもしれません。曲自体はバブル期に発表されていて、現在流通している楽譜も2007年ごろに出版された版ですから既にアップトゥデートなナンバーではありません。ただ、女声合唱バージョンのおそらく最初のCD化を手がけたのは当時TFBCの主席指揮者にあった北村協一先生でした(JASRACの著作権情報にも本曲には北村先生の名前が登録されています)。今回、フレーベルがこれを定演の演目にとりあげたことは、理由の如何にせよステキなフィーチャーだったと思います。どちらも都内区部の山手線内に本拠を構え、それぞれ違ったカラーを堅持しながらも、「児童数の減少」や「子どもをとりまく家族のライフスタイルの変化」にともなう様々な課題といったたくさんの試練と向き合い続けている。どちらも男の子ばかりの合唱団(違いはFMの団員が小学1年生以上の男子対象で、変声の有無にかかわらず小学6年終了とともにそろって卒団することぐらいです)ならではの宿命を抱えていますので、年によっては4年生メインの隊列で3パート構成のオリジナルのクリスマスコンサートをマチネとソワレの2日間打つことになったり、メインクルーの顔触れを見たら殆ど全員が国私立の小学校在籍の子ばかりだったり、同じ鉄道路線を利用して通団する子がやけに集中していたりといったこともあるようなのです。チームを導く6年生がたった2人だけという年度があったかと思うと、2桁の数にのぼる最上級生を卒団させてしまうような年度もあったりすることはすでにご存じのかたも多いのではないでしょうか。フレーベルとはやや事情は異なりますが、どちらの合唱団も団員構成やパート配分になかなか絶対的均衡や恒久的安定が望めないという悩みをかかえています。フレーベル少年合唱団も前述の通り、AB組のステージにVBCの匂いを感じさせる色づけをしていたり、本定演1か月後にはプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』への出演が発表されたりしています。「ラ・ボエーム」こそ、ここ数年のTFBCがさかんに子役出演へチャレンジしている歌劇演目ナンバーワン!第2幕のほぼ全編に出ずっぱりで、中間部分のパルピニョールを追ったり、最後にはカルメン冒頭の「兵隊さんといっしょ」よろしく巡邏兵の行進にくっついていったり、ソロもあったりと、華やかな演技を求められます。FMの団員たちの場合は、かわいい(?!)女の子演ずる配役の少年たちが自分たちの「不運にも押し流される」(?!)運命に粛々と抵抗しながら演じているという、何ともボーイズ合唱団ならではの楽屋ウチの情報が様々なところで面白可笑しく語られ、お客様はそれも含めてニヤリとしながら公演を楽しんだり、彼ら自身がもう定演の舞台で「女の子でもダイジョブです!(少女の役を演じる心構えも自信も勝ち得た)」と次期リーダーに真顔で宣言させて笑いをとったりと、すでに「FM合唱団代表作」的な扱いになっている感があります。「男の子の合唱団」である2つのクワイアーが各々の迫り方で同一作品へアプローチをかけ、料理していくさまは、見比べ聞き比べても、其々全く別のものとして楽しんでも、いずれも味わいのある心躍るひとときを提供してくれているように思えます。

    
例年ハーフタイム明けのプログラムになる団長(株式会社フレーベル館代表取締役社長)挨拶は「悲しいお知らせをしなくてはなりません」の言葉から始まるやなせたかし氏追悼の辞。本定演開催のほんの10日前の旅立ち。そこは「アンパンマン少年合唱団」ことフレーベルBCの定期演奏会のこと、およそ15秒間の黙祷の後に「アンパンマンのマーチ」をはじめとする彼らのレパートリーや、やなせ先生が被災地に贈られたというポスターパネルを提示しての「勇気の花がひらくとき」の詞(1999年7月公開の映画『それいけ!アンパンマン 勇気の花がひらくとき』の主題歌。BGM担当ではないフレーベル少年合唱団のおそらく唯一のアンパンマン映画出演作品。少年たちはアバンタイトル後の映画冒頭部分でキララ姫に歌声を聞かせる顔が肉厚(?!)キラ星の「キラキラ星の合唱団」の役でこの曲を歌い、エンドロールにもクレジットが出ている。)などを紹介してくださっています。一部でOBステージをはさんだパート4の話題などにも触れ、最終ステージの期待感をリフトアップする適切な予告にもなっていましたし、今後の出演予定の告知なども、専用HPを持たないこの合唱団にとっては効果的で妥当なアナウンスだったと思います。感謝です!

 子どもたちのステージがAB組独占の解消から結果的に昨年比1パート(1幕)減の配分となって動きの見られる定期演奏会ですが、OB会のステージについては昨年から復活の兆しが感じられ、明るいニュースとなっているような気にさせられます。現に昨年磯部俶の「ふるさと」でリスタートをきったOBたちの歌声は、終演のアンコールにも聞かれ、いじらしい頑張りの現役チームへの最高のエールとなっていたような気がします。また、インターミッション前のパート2で歌われた「ふるさとの四季」(混声合唱版)は2003年の第43回定期演奏会で、OB合唱団がすでに採り上げた(フレーベル・ファミリーコーラスが第31回定演で先に歌っている)作品でもあります。今回はフォスターメドレーの5曲がソロ入りで歌われました。OB会としては、1997年の定演で現役チームが前年レパートリーにしていたこともあったのかフォスターを1曲採り上げて(今回も51回定演での現役たちのレパートリーを追いかけて)歌っていました。また21世紀に入ってからもトッパンホールの42回定演(2002年11月27日)で「おおスザンナ」を採り上げています(指揮:高橋(教)先輩/ピアノ:下地直子さんのフィーチャーでした)。百戦錬磨のフレーベルOB合唱団の声質は10年前でもまだ全体的に太鼓の皮をぴんと張って調整しているようなブラス的な甲高い鳴りが特徴的でした。フォスター作品に限らず、かつてのOB合唱は、テンポは穏当でもやんちゃでノリが良く、すっとびかっとびの合唱が何だか現役たちよりも格段に元気で、「こじんまりと秀才ぶった歌をいつまでも歌ってないで、きみらも声変わりする前にこのくらいハジケてくれよ!」と少年たちを焚き付け続ける扇動的な演奏でした。16年・10年を経て今年フォスターの同曲をつむぐ歌声は、良い意味で非常に涸れて落ち着いています。低音がしっとりと鳴り、力技で組み伏せていると思われる箇所も上手に冷静に処理してあって、日本語・英語ともに明瞭です。出演しているメンバーは以前から殆ど変わっていませんので、口の悪い人に言わせたら「伊達に歳をとっていない」ということになるのでしょうが、それだけでしょうか?
 今年、OBステージ「Part3アメリカンメドレー」の前にはカゲアナでかなり丁寧な紹介MCが入りました。OBの年期構成、指揮者・伴奏者名、曲目に至るまで。今回は現役団員のスタンドマイクのアナウンスではありませんでしたが、OBステージの前振りには例えば第50回の記念定期演奏会の時にはスーパーナレーター君が起用されていました。当時の団員の中で実質的に最高の質のMCを打てる子が厳選され配当されています。私は近年ステージ構成を担当なさっている方の筆の中に、OB合唱の先輩方への身の引きしまるような敬畏とともに、寄り縋りたいほどの信頼や願いというものを感じています。立場は既に180度逆転し、2013年の現役団員たちが日々ヤンチャですっとびかっとびの合唱を展開する今、「ハジケた歌ばっかり歌ってないで、きみらも声変わりする前にだってこのくらい落ち着いた大人っぽい歌を歌ってくれよ!」と先輩然とした誡めるような歌。小さい団員にも当夜のOBコーラスの、自分らを遥かに凌駕するクオリティーというものは理解できたでしょう。「僕もいつかあんな歌を歌えるようになりたい。」と彼らが日々の研鑽のブレスの刹那に思ってくれたとしたら、現役団員たちの歌声に何か素敵な変化が現れて来ることもあながち求め得ぬ願いとは言えないような気がします。そして、いつの日か現役チームとOB軍団のハジけ具合が均衡を保つように並び立ち、また合同で『筑後川』全曲などを歌っていただきたいと思います。

   
 本年度、AB組の独占ステージ解消によって彼らがSクラスの隊列へと時にスイッチされ、時に合流してともに歌って行く趣向になったことは既に述べました。Part4「やなせたかしコレクション」でも、そうしたステージ展開が繰り広げられていきます。S・A・Bの歌声の塩梅は巧妙に均等で、冒頭の団員MCからフィナーレの「アンパンマンたいそう」とアンコール(本年度も団員のアンコールMCは残念ながら行われなかったのですが、インターミッション後の団長挨拶でこの曲がアンコール曲として後ほど採り上げられる予告アナウンスがあり、客席参加の案内もそちらで行われました)の「アンパンマンのマーチ」まで、3つのクラスの歌声がシビックホールにこだましました。ですから、数十年間に渡りフレーベル定演の最終ステージが常に上級のクラスの独壇場だと思って聞いてきた人々にとっては、かなり斬新で驚愕の構成だったと思えます。パート・オープニングのMCにはついにK君が起用されました!冒頭、幼王子のごとく勇気にうち震える声で彼はアナウンスを仕掛けます!グッときます!カッコ良過ぎます!続く朗読はカゲアナが引き取っていくのですが、構成を担当なさった方が少なくともこのステージをどう持って行こうとしていたのかに気持ちが至ります。パート4のMCを担当しているのは全員がこのように表現力・MC経験豊かな選りすぐりのメンバーでした。曲目を考えてみましょう。6曲が歌われました。「手のひらを太陽に」や「勇気のうた」や「天使のパンツ」といった有名なやなせ作品が入っていません。合唱曲として作られたものはこの中では「夕焼けに拍手」が知られているものだと思いますが、昨年のプログラムの流れから当然入っていていい「誰かがちいさなベルをおす」や、昭和60年度全国の小学生に歌われた「花と草と風と」ですとか「ぼくらは仲間」など、スタンダードな作品が欠けています。フィナーレに据えられたアンパンマン・ナンバーは華やかでアニメチックな「勇気りんりん」ではなく、イメージ的に歌詞が「…マーチ」寄りで冒頭のキャッチのフレーズからして大人しめな「アンパンマンたいそう」がユニゾンで選ばれています。トータルタイム20分間とちょっとで、これは児童合唱団の定期演奏会ということを考えても少し「あっけない」「空腹感を残した」印象を拭いきれません。先の団長挨拶の内容から観客は、この長さが本来の台本通りのものではなく、実はやなせ先生のサプライズ出演が予定され、組み込まれていたはずであったことを承服しています。私はフレーベル館のご担当の方々であれば当然、やなせ先生のコンディションの現状を委細承知の上で、おそらくXデーの時期すら予見していたはずであるように思えます。先生とフレーベル少年合唱団の関係(これについては、この一つ前の六義園コンサートのレポートで述べました)があって、十分にタイミングを見計らって、今でしょ!とパート4に「やなせコレクション」を組んでいるはずなのです。イクスキューズだったのかと思いました。プログラム・チケット・フライヤー等のエフェメラのデザインにやなせ先生の天使のイラストが使われていることからも、それがわかります。ただ、パート4のS組はしゃしゃり出て歌うことをしていませんから、彼ららしい合唱の持っていきかたで、歌声はSABのチームの「混声」に仕上がりました。そのことが逆に「合唱団のコンディションにとっては、必ずしも適期ではなかった」といったような指導陣の評価の存在を邪推させてしまいます。これが「空腹感を残した」終演の真の原因であったように思えてしまうのです。
 カルメン君は「老眼のおたまじゃくし」前のMC先鋒をつとめ、下級クラスの団員たちを導いていました。スポットの当たったこの姿がボーイソプラノとしての彼の姿の見納めになったというお客様もいるのかもしれません。起用がピンチヒッターであったかどうかは別にして、その図像がパート4に於ける合唱の鳴りの構図を象徴的に表していたようにも思えました。

 11月20日。2013年のフレーベル館本社前のクリスマスイルミネーション点灯式には、すでにカルメン君が出演していませんでした。カルメン君の居ないフレーベル少年合唱団のコンサートというものを、私はおよそ7年ぶりぐらいに見ました。翌日の11月21日に六男のカンタータ『天涯』のソロ出演があり、彼はおそらくそのゲネプロでこちらの出演をキャンセルせざるをえないのだろうぐらいに思っていました。ただ、師走の都会の一隅、灯った明かりの下で歌って終えたその演奏が、今回のコンサートの提題を受けるポスト「1・5カラー」の時代の到来を告げる歌声となりました。たくさんの少年らが隊列を物心両面から支えています。歌声だけでなく、彼らのその心情が立ち居振る舞いや表情に滲み出てやたらとカッコいいし、頼もしいのです!A組ソプラノには高出力のすごい団員君が一人いて、カルメン君の居ないソプラノ隊列をぐいぐい引っぱって底上げしていました。彼の歌にはまだかなり伸びしろがあり、今は本人の心意気と力にまかせた声量なのですが(腹式呼吸をまだ完全には会得していない感じの声なので15分間は気力でキープできていますが、それ以上はたぶん1時間持ちません…ですから今は、その歌声というよりは、むしろ彼の歌い姿の方にたくさんのお客様が元気と勇気と活力をもらっているようなのです!)、一時期のローマ君なみの、堂々とした出力の中に少年の艶のような声質もふんわり立って、とても感じが良かったです。
 今回の定演演奏会のパート4は、S組、A組、B組の子どもたちの声の混交で、最終的にはこの点灯式のようなカラーへと収斂されていきます。アンコールにはOB諸氏や先生方も加わります。全体的に雑然とした印象になっているのですが、よく聞いていると小さい子どもたちが声を抑制して曲調を整えたり、出来る限りのピッチホールドをかけながら斉唱を聞かせたりと、なかなかよく頑張っていることがわかります。また、フレーベルにありがちだった進行のもたつきがだいぶ整理され、一方では子どもっぽいフィーリングを残しながら内容的には気のきいたMC(これは、今回の定演全体に反映されていたことでした)を繰り出したりといった演出上の変化も感じられました。「夕焼けに拍手」以降、A組の隊列を核にしてS・B・OBの各チームが左右から寄り添って大集団をかたちづくっていくような印象の劇的な展開で大団円を迎える段取りは洒落ていて心地良かったです。小学生男子メインの児童合唱団で、本来クオリティが落ちていっても不思議ではないはずのこうした趣向を通じ、むしろどんどん歌が生き生きと輝きはじめたのは驚きでした。何よりも、学年の低い子どもたちの中に、わくわく、キラキラ、心の中から溢れ出る泉のごとく歌を繰り出してさえずる少年たちがたくさんいて、彼らの歌がそれでもきちんと指導されていることが判り、なおかつ客席の私たちのもとへワンフレーズ、ワンフレーズ明瞭に響いてくるという、素晴らしい体験を私はしました。
 アンコールには予告通り「アンパンマンのマーチ」が歌われ、さらに「ふるさとの四季」のメインタイトルから「故郷」が供されました。「故郷」こそ昨年の定期演奏会で幾ばくかのアナウンスすら無く唐突に歌われたOB合唱=磯部俶「ふるさと」に対するレスポンスであったと私は受けとりました。今回歌っているのは昨年と異なり、「古いOB」だけではありません。下は5歳のB組団員からS組の少年たち、先生方、そしてOB諸氏自身。「故郷」から「ふるさと」へ。この図式が何を表し、合唱団のどのような行く末を占っているのか、きっとみなさんにもお判りだったと思います。

    
 隊列上段右翼エッジへと昇進したワルトトイフェル君は、既に追いつめられ、絶体絶命の真剣勝負を強いられた、凛とした真摯な少年の顔つきになっていました。薄い胸板で腹式呼吸のブレスが浅い、あの、やんちゃで、誰の言う事も聞かなそうな、焦点の定まらぬふわふわとした一時期の彼の視線…出演の度にステージ上で心理的に叩かれて、叩かれて、卑屈そうになっていた眼差しは、今日の彼のどこにも微塵たりとも残っていませんでした。隊列最右翼に控えたアルト(メゾ系の低声ではないアルト・アルト)は今年、結局6人の編成になっていました(アンコール君がソプラノ側で支えていた51回定演のアルトは8人編成、昨年度の52回定演では最終的には7名です。女声二部のフレーズでは今回メゾの新アンコール君が下声部全体をリードしていました)。年間30ステージの時代を含めて5年間を歌いきった現在のワルトトイフェル君が率いているのは、優秀ではあってもステージ経験が圧倒的に少なく学年構成が低いボーイアルトたちです。他所の少年合唱団へ行ったら「こんな下の学年の子たちばかりのチームにいきなりアルトは任せられない」と尻込みされてしまうことでしょう。しかし数年来の髪の毛を切った子、伸ばした子、眠い目をこすりつつ睡魔と戦いながら今日も歌い続けているのは、ワルトトイフェル君に負けないくらいの小さなガンバリ屋さん。年度はじめに下段最右翼に配属された団員君は、どこへ配属されるのか客席からは予想できなかった時期もありましたが、今ここに立ってカッコよく歌っています(彼の立ち位置はその後も浮動します)。今年A組から上進した幼団員たちは、ワルトトイフェル君同様、B組時代からステージMCを任されてきたような小さなアルト・ヒーローたちです。ただ、「元気がでました」君も、kazu君も、残念ながらそこにはいません。客席から見たら無二の戦友であって欲しい豆ナレーター君は口惜しいことに本ステージを欠場しています。最後の頃に彼の周囲で歌ってくれていたスーパーナレーター君もプチ鉄君も北風小僧の寒太郎くんたちのかっこいい頼もしい姿ももうありません。この日、カルメン君が隊列左翼で非常に有能で切れ味も好感度も良好な王子のような下級生ソプラノ群を率いていたのに対し、ワルトトイフェル君が率いているのは自身に比べステージ経験の少ない下級生が5人だけです。そんな中、ステージが進むにつれ、S組アルトの前へときに送り込まれて来るAB組の小さな団員たちの後ろ姿を眺め下ろし、心底穏やかに楽し気に微笑むワルトトイフェル君の表情が実に爽快で印象的でした。先生方も、お家の方も、当然一見のお客様方も、そして彼自身もまた、アルト声部の右上の端に立つこの男の子が今、半世紀以上にも及ぶ日本一の歴史を持つ少年合唱団の隊列の中で正真正銘の「日本一のボーイアルト」へと栄達したことにおそらく気付いていません。
 私のようなファンが最後にワルトトイフェル君へ所望するお願いは一つ。少年の声尽きていつの日か「日本一のボーイアルト」の名を返上する日がやって来ても、決してフッと黙っていなくなったりしないでほしい。名誉の返納は衰えや恥でしょうか?いいえ!日本でただ一人のホンモノの「日本一のボーイアルト」だった少年だけが、その栄誉を後進に譲る権利を確実に持っています。せめてきみらしく歌いきり、最後のステージを下りていって欲しい。私たちはその日、「本当にありがとう。きみが歌い続けてきてくれたから私たちも頑張れた。」と、最後の歌に心からの感謝の気持ちをこめて拍手をおくりたいのです。
 2013年、日本一のボーイアルト、ワルトトイフェル君が終演に臨み雄叫びのように唱えた「ありがとうございました!」の呼号は、やっぱり日本一の真実の「ありがとうございました!」の声だったのでした。

 団員構成的には高安定性を保ち、歌声的にも年齢相応で穏当なA・B組をフレキシブルかつ堅実に活用して聞かせていたことを考えると、一方のS組チームやクルーの使い方・配置・プログラム構成といったものに「もっと冒険が欲しかった」と感想を述べることになります。ただ、先生がたや団員保護者、関係者にとって、当夜の演奏内容は十分に「冒険」だったのではないでしょうか。放っておいても自分たちで指揮をして歌ってしまうような団員や、数々のCDで喉を披露するレコーディング慣れしているような団員、前振り無しのぶっつけで平然とソロやMCをこなしてくれるような団員たちは既にほぼ卒団し、もうカルメン君やアメージング君ぐらいしか残っていません。ステージ上での突発的事態に冷静に対処できるのは豆ナレーター君ぐらい(これまでも、MCの最中にクライアントの司会者さんが突然マイクアナウンスを挟んでしまったり、想定外の箇所でお客様が喝采を始めたり、打ち合わせた場所にPA関係機器がセットされていなかったりといったかなり困った事態に豆ナレーター君は度々遭遇してきましたが、いつも必ず冷静な自己判断と落ち着いた態度で対処しピンチを切り抜けてきました。衆人環視のホンバンのステージ上で咄嗟に落ち着いた行動がとれるのは、合唱団ではこんにち豆ナレーター君を置いて他にいないような気がします。出演している舞台の運びや団員たちの動きをいつも客観的に冷静に見つめている豆ナレーター君だからこそ、それも当然可能だということがいえるのかもしれません。…もう誰にも「豆」とは言わせない心頼みが現在の彼の立ち姿にはあるのです!!)なのですが、本日のステージにその頼もしい姿は見えません。隊列の両翼にいる少年たちのほとんどがそもそも2-3年前まで(未就学児もいる)AB組か、もしくは客席にいた少年たちです。当夜の演奏が、十分に「冒険」であったことがこれで理解できませんか?
 それでもなおかつ筆者が「冒険が欲しかった」と言ってしまうのは、今回の定期演奏会のステージにそれが痛ましく見えないように、上手に美しく企画が組まれていると思われるからです。別名「アンパンマン少年合唱団」です。…お客様がたは少年たちの歌声に愛と勇気と友と夢と癒しを求めてやってきます。合唱団が冒険をおかし、苦労や悩みを押して歌っていることをなるべく見せないようにするのは企画方針以前の良識というもの。…ただ、合唱団の運営が子どもたちを対象とした「社会貢献活動」(20世紀には「社会還元事業」と呼ばれていました)であることをメインに視座を据えると話が違ってきます。S組団員たちのポテンシャルに対して、あまりにも安全パイに過ぎたこのステージの構成は、ちょっともったいない気がします。2月の六義園コンサートで組まれた「初めてのソロ・コーナー」で、「初めてのソロ」を担当したのは前述の「2年前まで客席にいた少年たち」でした。私たちファンの目から見てもかなり危険性の高い「冒険」でしたが、結果はオーライでお客様方は皆、大喜び!それぞれの歌声に感歎のため息が漏れ、大きな拍手が沸いていました。結局その日、ソロを披露した団員らはそれ以後パワーアップを遂げていったのも前述の通りです。余裕の殆どない、苦しいこの時だからこそ、かわいい子には旅をさせよのチャレンジ精神で、ときには失敗したり、辛い目にあったりしながら苦労を喜びに変えて力を付けていってほしい…という乱暴で言いたい放題なファン心理が働きます。
 ユニフォームは今シーズンを通してS組にレンガ色のタキシードを無帽で充てています(当夜の後半は、おそらくやなせ先生に敬意を払って紺イートンでした)。このユニフォームにはサイズや数量に作られた当時の状況から限りがあるようで、今期のS組のコンディションを冷静に見計らい、的確に着用の判断がくだされたような感じがします。

   

 


フレーベル少年合唱団 新しい世界へ

2011-12-11 18:36:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団 第51回定期演奏会
2011年11月2日(水) すみだトリフォニーホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円


I. 物語は始まる

イートンに赤ボウ姿の1-2パート子どもたち。同じボウをイニシャル・ベストと無帽で組み合わせたパート3のAB組。体温の上がって来たラストは上級生全員がレギュラーのベスト・スタイル着用で、B組メンバーはボウのみゴールドにスライドする。例年通りのユニフォーム・チェンジのフォーマットを踏襲しつつ、今年はブレザー&中折れ帽の配当が見られなかった。2005年以降、毎年一つずつアイテムを追加して来た定期演奏会のステージユニフォームにはじめての引き算を見た。

カンタンなカラクリである。21世紀に入ってから合唱団が定演プログラム上堅持し続けて来た5部構成が、パート4までの4部構成に差し替えられたためだ。彼ららしいレパートリーをトピックごと3-4曲程度の緩やかなパッケージに組み立てながら繋いでゆくパート1と2(例えば今年はアメリカ民謡3曲とフォスター3曲に合唱組曲が1つ。)の後に、休憩やAB組ステージをはさんで必ずャsュラーナンバーのパート3(数年前まではパート4)が展開されていた。abcホール時代の第36回定演から15年間も連綿と続いて来た「フレーベル少年合唱団の定演」を印象づけるこのステージが整理解消されたことで、今年はレンガ色ブレザーに黒ハットの定番のユニフォームの出番は無かったのだ。原因は被災?単なる時間配分の問題?ブーイングが漏れ聞こえなかったとは言えない衣装の費用対効果??運営方針・指導方針の変更?…いずれにせよプログラムのパート分量は間引かれたように見える。
2011年11月2日水曜日、午後6時30分。すみだトリフォニー大ホールの本ベルは定刻に鳴動し、演奏会は非常に静かなたたずまいの中に幕を開けた。キー団員によるベルのシェイクも呼号も無く、30秒間で小さなA組団員までを擁する隊列は入場整列を完了させた。一切のMCを排したまま前奏ピアノが鳴って団歌が始まる。途中20分間の休憩を挿み、終演の影アナを聞いたのは午後8時35分。子どもたちは105分間歌っていたことになる。
一方、昨年の50回記念定期演奏会の終演時刻は午後8時20分だった。休憩時間は15分間。計算すると実質演唱時間は95分。終演の興奮さめやらぬトリフォニーのロビーに立ち、時計を眺め、私は「おや?」と首を傾げた。プログラムは1パートぶん減量したはずなのに、演奏時間は10分間も増えている…

物語はステージ上に居並ぶ小さなA組団員たちの姿と、彼らの後ろに悠然として立ち揃うセレクト団員らの視線に貫かれて始まる。プログラムにあるその肩書きは昨年までの「セレクト(「A組の中からセレクトされているメンバー」という意味である)」ではなく、「S組」になっている。3級構成への改組を示すクラス名の出現に私たちは軽いショックを受けた。そしてまた、彼らがこのプレビューで見せた主客転唐フギミックをいちげんに近い観客たちは実感として理解できないでいる。「S組の上級生たちとA組の下級生たち…この1年間、出演の場数をより増しにこなしてきた団員の占める割合が多かったのは、いったいどちら??」
昨年の記念定演後この一年間、フレーベル少年合唱団のライブパフォーマンスの頭数を支え続けてきたのは、上段にすらりとした背を統べるS組の上級生メンバーではなく、むしろ前列であどけない表情をたたえてスタートダッシュを待つA組の子どもたちだったのではないか?!(勿論、S組にもカルメン君やアルトのコーナー君のように皆勤に近い団員もわずかに存在する)
…演奏会が始まる。天真爛漫な団歌の前奏ファンファーレがホールに立ちあがり、低学年団員の無邪気な未だ生えそろわない歌声が私たちを包む。芽生えはじめた誇りと、この1年間のステージを矮小な身体で担い続けた経験の立ち姿。後列に並んだS組上級生は最低でも3年選手のベテランぞろいだが、今年、彼らは後輩らの天衣無縫でにぎやかな歌声を凌駕出来ずにいる。演奏会のパート1前半、合唱団はリトルA組メンバーの歌い姿を余す事無く私たちに見せていく。51回定期演奏会もまた、正真正銘の「年間活動報告会」だったのだ。


II.団員MCから垣間見えた2011年のフレーベル

開演のMCを担当するのはカルメン君。現存する日本最古のボーイズコーラスの一つ、52年目のフレーベル少年合唱団を事実上統率しているのは、今や誠実な歌を歌う小柄な一人の小学4年生なのだ!だが、パート1前半の曲目に対する彼の印象があっさりと述べられただけで、オープニングMCとしての開会宣言は惚れ惚れするほどシンプルなものだった。3月11日以降の彼らのスタンスを告げる定石のインフォメーションはここではなされない。この日、公演中計8回のべ10名のみ行われたミニマムなMCにはいくつかの共通点が見出される。王道のソプラノ+メゾ系の団員ばかりを起用したこと。甘美壮健少年らしいナレーションを繰り出したパート4の上級生MCたちが、かつてわずかな構音障害をもっていたり、滑舌があまり良くなかったりというハンデをかかえていたこと。フレーベル館のマネジメント・スタッフは21世紀にかかる前後の数年間、「入団を希望する児童の中に若干の構音障害のある子どもが目立って増えてきた」とインフォーマルに表明して善後策を模索していた時期があり、今回のMCでの彼らの起用は10年越しの処方の結果だったのかもしれない。高学年になるとともに彼らの発音はクリアになり、少年らしい深みや艶を得て「スーパーナレーター」に伍するクオリティーのものへと止揚されてきた。
カルメン君のオープニングMCの声は長い間彼の持ち味だったスイート&アンファンな愛らしさが抜け、小柄でちょっぴりコケティッシュ(!)な秀才少年といったストライクゾーンど真ん中のフィーリングである。「アメリカ民謡をたずねて」のパート後半のMCを受け持つのはメゾ系遊撃手の頼もしさを感じさせる誠意のある朴訥な声の団員で、前半担当のカルメン君との絶妙のマッチング感が実にセンスよくしっくりとまとめられている。
パート2担当MCはソプラノ側からフレッシュなメンバーがパート1に似たコントラスティヴなテイストで2名選ばれており、前半ステージに統一性を与えていた。TFBCの曲目紹介ナレーターに似た声質の少年が注意深く確信をもってチョイスされており、なかなかかっこいい。だが、今年はステージハンドル系のアナウンスは全てスタッフの影アナへ移管され、組曲クリエイターの紹介とオマージュなどに子どもたちの出番は無かった。
パート3初動のA組MCには骨格を感じさせる「なごみ系」の声の団員を使い、B組には定石通りの高低・細太の好一対の子どもたちが選ばれていた。

ここ数年大活躍のスーパーナレーター君は今回、欠場。パート4の開幕MCを担当するのはナレーター君より一つ下の世代のメゾ系団員である。これまで、活躍のわりにソリストとしての記述が少なかったのは直近の上級生らのインパクトの強さということもあるのだが、むしろ「力にものを言わせた合唱」という歌の在り方を決して良しとしない彼のステージでの人柄によるものだったと言えはしないだろうか。彼の歌い姿にはもともと暖炉のような家族の温もりといったものが常に感じられる。聞いていて見ていて幸せな気持ちになれる歌を彼は届け続けてきたのである。このステージで、彼はまたカルメン君と「アメイジング・グレイス」の冒頭デュエットも担当している。二重唱の場面で、3小節目の弱起を歌いつつ耳だけを頼りに立ち位置の修正をかけた。少年はステージフロアのバミテには一瞥もくれず、劇場モニターのPAを聞きながら自己判断でオンマイク側の適正位置に身体をずらしたのである。21世紀の小学生であり、ステージ経験が豊富で、すみだトリフォニーの音響を感覚として体で知り尽くしたボーイソプラノ(メゾソプラノ)・ソリストにしか出来ない離れ業を彼はやってのけたのだった。打ち合わせと違う突発的な曲目変更や、マシントラブルや不可抗力のハプニングといった数々のできごとが数年にわたりこの茶目っ気タップリ愛嬌のある表情豊かな男の子におそいかかり、彼はその持ち前の機転の良さと葦のようにしなやかな心でニコリとしながらそれらをかわしてきたのだ。今夜のこの一瞬のドラマはそうした彼の団員人生を象徴するかのような出来事だった。

パート4の中盤MCを担当した団員はもともとソプラノのレフトウイングをローマ君らとともにキープしてきたソプラノだが、成長とともに声がおちついて昨年からメゾ低声系のャWションに就いている。当夜の彼は癒し系ャbプ・ミュージシャンのライブステージの曲紹介といったおもむきの静謐なMCで言い収め、少年合唱団のナレーションとしては非常に斬新で訴求力に優れ実に印象的なイメージを客席に与えていた。
パート4の3人のナレーションではついに曲タイトルのインフォメーションさえ聞かれなくなる。合唱団は今年、ここにャXト3.11を感じさせる少年らの「語り」を織り込んでカラーの刷新を印象づけた。MC団員をアナウンサーとしてではなく、ストーリー・テラーとして位置づける静謐で実直な語り口はFM合唱団の得意とするところであり、2011年の私たちの心情に寄り添って、必然的に2つの合唱団の定演イメージに類似を感じさせることとなった。

エンディングのMCにはアンコール君が起用された。本来アンコールの発声を担当すべき団員がこのャWションに横転したということは、2011年の定演であの皆が心待ちにしている「アンコールしても…」のMCは行われなかったということになる。客席のリピーターたちの期待を出し抜いて「2011年からのフレーベル」の流儀を遂行する試みはこうして終演の瞬間まで付け入る隙も無かった。
だが、彼のアンコールの声を聞き、あぁー!と即座に甘い声をあげ、胸をときめかす年配のご婦人がたや現役ママさんたちは全ての演奏会場に今日も厳然と存在する。こんなスーパー人気者のボーイソプラノなど日本中探しても結局彼一人しか居ない。だが、ステージに見るアンコール君の姿は真面目でひょうきんで心根の真っ直ぐなごく普通の男の子でしかない。モミアゲが偶然にも軽くクルリとカールしていたアンコール君の姿をかつて1度だけ目にし、「ああ、そうなのかもしれない!」と即座に想到したことがあった。畢竟、お客様方を幸せにできるのなら等身大の小学生のままでいる必要など無いのである。天然純正ボーイソプラノ100%の男の子である。だが、フレーベルの子たちが出演時可能なのは、ベレーの傾きに艶をつけるか、前髪をいじるか、シャツのフィッティングに留意するか、信頼できる団員にネクタイを直してもらうか、ズボンのはきこなしを工夫するか、オーバーサイズのソックスを選ぶか、靴の手入れを念入りにこなすか、メガネをかけるかのどれかしか無い。そうして現実にはそれらを少しずつ実践してきた団員たちもいるのである。どこにでもいそうな普通の男の子のままでいたら、アンコール君の場合、たとえそれが彼らしい姿ではあってもモッタイナイことと言えはしななかったか。この学年のメイン・ソプラノ・ソリストとしてはあまりにも出番の少なかった当夜のアンコール君のたたずまいを思い出すたび、私はつくづく「少年合唱団員である」という生き様の潔さや恬淡さに思わずホロリとさせられてしまうのである。


III. 組曲「地雷のあしあと」を児童合唱で初めて歌う

パート1後半に配置された3曲は強烈な既視感のようなインパクトを私たちに与える。どこかで聞いたテノールの歌声を想起させる。だが、ステージに肩を並べるのはS組の少年たち…。どの曲にもすぐる先生の独唱のテイストがしっかりと息づいているのである。オープニング・パートの前半が今年1年のメインクルーの健闘を示す報告会であったとすれば、後半部分はフレーベルがこの1年、誰の指導する合唱団であったかを「具体的」に顕示する大変有意義な確認の会だったように思う。

パート1の後に2分半強のインターバルの出し入れを形だけ挿み、パート2の同声合唱組曲「地雷のあしあと」が歌われた。1995年停戦のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で敷設放置された対人地雷の被害を告発するこの曲は、2002年の作品。合唱版は2008年10月に出版され、翌年1月に初演が行われている。子どもたちのMCにもある通り、こやま峰子の詩画集「地雷のあしあと―ボスニア・ヘルツェゴビナの子どもたちの叫び」(小学館2002年)を底本として編まれた曲集で、停戦年から作曲年まで7年間のタイムラグが存在するのはこのためである(現実の地雷除去作業完了は2019年頃になると聞いている)。
「なぜですか?」「どうしてですか?」と高低の声部のユニゾンの鰍ッ合いから始まるこの作品は哀情をたたえつつも慟哭・断罪を叫ぶものにはなっておらず、フレーベルの子どもたちの声質によくなじんでいる。選曲者は彼らの声を良く知り抜いていることが客席にもよく伝わってくる。冒頭に提起されたソプラノ>アルトの鰍ッ合いの手法は曲集の各箇所に繰り返し散りばめられ、終曲のエンディングで「アルト>ソプラノ」の順に置換され安寧に結ばれている。また、モチーフとしてでは無いが、子どもたちの声へ執拗に現れる3連符や伴奏の連符のグリサンド(耳につく連符の存在理由は8曲中4曲目にあたる「真夜中のコンサート」で種明かしされることになる)や、毎曲の感情が高ぶる場面でスニークしてくる部分3部、シェーンベルグのホロコーストの合唱を想起させる2回のシュプレッヒなど、いくつかの聞き処を携えている。声部指定の無い「同声合唱組曲」になっているのは、一見して部分3部のパートが頻出し、童声だけでなく男声、混声合唱へのフレキシブルな対応が可能であるためあえて「女声2部合唱曲」とうたっていないためであろう。いずれにせよ、少年合唱の直截な声にも児童合唱の甘い声にもよくマッチする。フレーベルのS組メンバーは、彼らの持つ長所でもあり短所でもある愛らしいソプラノ、ツワモノ集団のアルトとその間を充填する頼もしい遊軍メゾのチームでこれに応じ、部分3部だけではなく不協和音も器用にバランス良く処理して聞かせた。「百万ボルトの痛み」の後尾リフレインが誘発するカウンターパートのトリプレットの歌い分けがアルトの諸君の身に付いているのも頼もしい限り。全音符以上に長さの振られたロングトーンは全曲で繰り返し要求されるのだが、これも雑作無く全てクリアしている。
曲集の転回点にあたる4曲目「真夜中のコンサート」は、子どもがオモチャにしている地雷を取りあげようとして手を失ったピアニストの青年の物語である。先述列記した特徴的なアイテムが大挙して盛り込まれている。両パートとソロがそれぞれメロディーを支えて数小節にもわたるボカリーズを泣ききったかと思うと、アダージョ程で4小節続く3部のロングトーンがリタルダンドの指定で引っぱられていたり(すっごくカッコイイですっ!)と少年たちは小さい身体でよく対処している。3拍子で始まり3拍子で終わるこの極めて感傷的なナンバーはおしなべてショパン的であり、全曲中にしばしば見られる連符やグリサンドなどの正体が何であったのか、団員らは静かに教えてくれている。組曲「地雷のあしあと」は、腕をなくした青年が「地雷無き未来のヒナゲシ咲き乱れる大地」を逍遥しつつ夢の中に奏でるショパン・ピアノ演奏会の曲集だったのである。テンメEプリモから流れ来るアルトのメインボーカルは、前曲「地雷をふんだ日」の後半冒頭に出現するアルト・ソロの超カッコいいヒロイックなボーカルとともに当夜の白眉にもなっていた。


IV. 少年たちは「ニュー・フレーベル」AB組の誕生を高らかに宣言する

インターミッション明けには今年も団長挨拶が設定されている。(株)フレーベル館社長さんのご挨拶。2011年の今年は被災地の放送局が「アンパンマンのマーチ」を流し続けたことに触れ、曲が会社の誇りでもあり喜びでもあると言明。アンコールナンバーに本曲を据えるむね予告してようやく3.11以降の合唱団のスタンスが公のものとなる。

パート3はAB組のステージ。タイミングは15分間で例年通り。A組2曲、B組込みで2曲、パートフィナーレ1曲の計5曲構成で、昨年減量したボリュームを堅持している。出来の良いステージだった。
今夜出演のS組団員の基本隊列が画然と成立したのは2008年の第48回定期演奏会のこのAB組ステージでのことだ。その年のB組は比較的仕上がりが良好で、現在S組アルト側前列で歌っている団員らは、全員その年の定演で活躍したB組団員が成長した3年後の姿である。推し量って今夜のB組の頼もしい歌いぶりを見ると楽しいわくわくするような予感を抱かずにはおられない。
ついこの春先まで、六義園の野外コンサートの客上げで「会場に来ている小さなお友だちは、僕たちと一緒に歌いましょう!」と声をかけられ、アルトのお兄さんたちに無理やり手を引かれ、しょっちゅうステージへと引っぱり出されていた弟クンたちがいる。今夜、そんな彼らがついにフレーベルのユニフォームを身にまとい、檜舞台へと上りつめた姿は愉快痛快、胸のすく光景だ。門前の小僧よろしくイチニンマエの顔つきで楽しそうに歌う彼らの晴れの姿。プログラムの最後へあるように、今年、合唱団は団員募集の対象年齢を従来の「3歳から12歳くらいまでの男の子」から「5歳から10歳くらいまでの男の子」に突如リデュースした。10歳側の上限はおそらく機動部隊の実態を反映したもので、5歳という下限の線引きは声作りやハンドルなど指導方針の表明と考えてさしつかえないだろう。プログラム文面に衝撃を受けた当日の定演リピーターたちの間でもこのことは当然話題にのぼる。ステージに並ぶB組の子どもらは、この新しい採用条件をクリアしてパスした新入団員なのだ。
ソロ・シュプレヒコール…結果的に優秀なメンバーのS組登用を助勢するかたちで打たれ、やや背伸びしたきらいもあった近年の本パートのプログラムだったが、今年は穏当なものへと回帰している。一方で、パートエンドに、「にじ」「世界中のこどもたちが」「さよならぼくたちのようちえん」等で就学前後期の子どもらに絶大な人気をほこる新沢としひこの「生きているそれだけで」を投入し、当夜の話題をさらった。比較的ヘビーなスロー・ナンバーだが、選曲は「ニュー・フレーベル」のAB組の誕生を高らかに宣言するものである。おそるべし新沢パワーの効果も無視できないが、選曲者は合唱団の子どもたちの歌をよく知っており、この場面への配置は非常に巧妙で手堅く上手に仕組まれている。


V. フレーベル少年合唱団、新しい世界へ

パート4は声高に宣言することをしていないが、実質は「震災と僕たち」を歌う会だった。ステージタイトルも「明日へ向かって」とうたわれている。フレーベルもFMも、東京に本拠を持つ2つのボーイソプラノの合唱団が定演にこうした視点を持ち込んで料理しているのは面白い。被災時すでに開催まで10日を切っていたTFBCの今年の定期演奏会にはバックボーンとしてもともとこの試みは存在していなかった。だが、1ヶ月遅れで演奏会を開催に持ち込んだTFBCは急遽開演MCを差し替え、各ステージへ巧みに復興への気概を盛り込んで客席に聞かせてみせた。フレーベル少年合唱団の51回定演が今回彼らなりの技能で扱ったのは、まくしたてるようなスローガンや悲嘆にくれた鎮魂の言葉の数々ではなく、分相応の穏やかな静かな力に満ちた楽しい合唱の数々だった。
ここ数年来の定演で繰り広げられて来た華やかな演出やチャレンジといったものは一切見られない。少年たちの歌のみで勝負しようというモア・ソング・レス・トークの質朴さやつつましさだけがこのステージを成立させている。この道はいつか来た道と昔からのファンは言うかもしれない。だが2011年の私たちはあの不愉快でおぞましい気の滅入るような震災後の日々を思わずにはおられない。むしろ現在の合唱団のこの姿を「逆戻り」ではなく、新しい世界への助走ととらえたいというのが聴衆の正直な希望だろう。「聞いてください!僕たちの定演は180度方向転換したんです!」と彼らは言っている。つまりここでは従来の定演プログラムのパート1に盛り込まれることの多かったタイプの合唱ナンバーが完全湯uで配されている。「新しい世界へ」「あしたのうた」「ひろい世界へ」「アメイジング・グレイス」「ユー・レイズ・ミー・アップ」「Believe」…。

合唱団の歌う「新しい世界へ」は2011年の晩春公開の演目の一つとして登場した。6月の六義園コンサートの2日目(最終日)、彼らはフォスター・ナンバーのキャッチとして「金髪のジェニー」を歌う段取りで2人のソリストをマイクスタンドの前にスタンバイさせていた。カルメン君らがソロ・マイクの前で居住まいを正し、今回の定演で「アメイジング…」のアルトソロを担当した団員くんがフォスターナンバーの曲名を列挙して踵を返す。先生は子どもたちを見渡して歌いだしのタイミングを待った。だが、流れてきたカラピアノの伴奏はアメリカ南部の歌とは似ても似つかない蹄鉄を打つようなリズミカルでアップテンモフワイルドなメロディーと、アーシーでエキセントリックな左手のランニング・ベースだった。団員たちは一瞬たじろいだが、すぐニヤリとしてはじかれたようにユニゾンの第一声を繰り出した!偶然にもカルメン君たちがマイクの前に立っていたことで、彼らのたわやかで透き通ったトップするボーイソプラノがストレートにコーラスをリードし、アウトプットのミスに気づいた観客も彼らの男の子らしいまっすぐな歌いこみにすぐさま引き込まれた。この最初の演唱をアルト側で担当したのはかろうじてメゾ系の団員を擁しアタマカズだけを揃えたという状況にいる数人の子どもたちだった。目前の矮小な身体から、あの「♪ぼくらは風…風…」にリードされる低声のフレーズが生乾きのまま骨太に鳴り響くのを聞いたとき、アルト贔屓な私は心中密かにガッツメ[ズを作り喜んだ。少年たちは、既に両手を広げるメ[ジングでコーダを処理している。これはフレーベルの新しい境地へのブレイクスルーを告げる偶然の小さなハプニングだった。「新しい世界へ」はこうして予告も事前曲紹介も無く聴衆の前に示された。
合唱団は2011年8月1日に横浜みなとみらい大ホールに於て開催の「ジュニア・コーラス大集合!~希望を歌声にのせて~」というファミリーコンサートへ参加している。『YOKOHAMAから、響け希望のメッセージ!』と銘打たれた少年少女合唱団の合同演奏会は、首都圏の児童合唱が2011年の今、どのような局面をむかえているのかを非常に分かりやすいカタチで示す興行だった。「男子の構成メンバーについては、非常にいびつな年齢構成」「曲想についてはメランコリックな、歌詞については朴訥だが観念的にすぎるナンバーの連発」「冒険が無く、穏当にまとめられた歌唱とこぎれいに揃った無味無臭の日本語」等々。最後に「あすという日が」を合同合唱して幕を閉じている。表立ったアピールは無いが復興支援のメッセージ性を担う演奏会なのである。フレーベル少年合唱団はこのコンサートで彼ららしい提言をしている。時代の趨勢に反し、「地雷告発」などというハードなテーマでコンサートを開演させていること。2011年6月の六義園コンサートでA組のみ解除していた終演のバウをこの演奏会では全てキャンセルしプレーンな挨拶に戻している(自分たちの出番を終えた時点で挨拶をした団体は他には無かった…)こと。出演団員氏名一覧の冒頭にソプラノ・メゾ・アルトの3チームから代表団員を一人ずつ挙げ、演奏中のMCをその順番で担当させていること(このときの「元気が出ました」君のMCはかなりカッコよかった)。夏の盛りであるのにもかかわらず、彼らは紺ベレー、イートンに紺ハイソという秋冬用の正装(タイは既に赤のボウタイに替わっている)での出演だった。このことから、合唱団が鎮魂と(他団体への)敬意の意思を持って演奏会に臨んだことがうかがえる。合唱曲から始まる前半をS組の童声部分三部14名という綱渡り的な員数でスタートさせ、最後半に等量のA組を流し込んで「アンパンマンのマーチ」などを歌っている。夏休み最中のお盆前の出演で、他団体のメンバー構成が「比較的力を入れて団員を揃えた」という印象であったのに対し、定演で活躍するようなコアのメンバーの顔ぶれが、レギュラーのアトラクション出演の際と同様、ほとんど揃っていなかったのが気になった。「新しい世界へ」はステージ前半「地雷のあしあと」の直後に歌われた。アルトにはメゾ系の上級生を何人か置いていたが、観客の目を奪ったのは小柄な豆ナレーター君の真剣な歌い姿だった。曲中に幾つか用意されている見せ場の一つは各パートの少年たちのハイライトであり、曲後半に顕れるゴスペル調のハンドクラップを伴ったアカペラ部分でもある。次世代の合唱団を担う団員たちの小さな堂々とした歌い姿は見モノだった。佳境部のアカペラに合わせすぐさま客席の手拍子が始まり、私は合唱団の歌うこの作品のパワーの大きさを思い知った。もう人々に「男の子は2つのことが同時に出来ない」とは言わせない。彼らは手拍子を高圧力で弾き出しながら、自分たちの歌にはブレを許していなかった。
定期演奏会当夜、彼らの歌う「新しい世界へ」はすでに『フレーベル少年合唱団の「新しい世界へ」』と仕上がっていた。錯綜したピッチや音価の歌い分け。男の子らしいヤッツケのフレージングとブレスの調整。頻出する7拍程度のロングトーン。男の子なりのダイナミクスの仕立てなど、ャCントは一通り順道に押さえられている。彼らは常に淡々といつの間にか仕事をこなしてしまう。一方、ヤマ場であえてインテンモ匇?オてボーイズライクに走らせるトリッキーなスピード感や、フレーズのトップ音を少年っぽい「さぐり」のテイストで鳴らしっ放しにし子どもらしい不器用さを仄めかすといった、「少年の歌声が大好き」な聴衆向けの仕鰍ッも撒き餌のごとくふんだんに用意されていて、全く飽きを感じさせない。8月の「ジュニア・コーラス大集合!」で目立っていたアルト過重のバランスの悪さには徹底的に手直しが加えられ、どの声部がメインのメロディーを担当しても歌詞が明確に際立って聞こえるようになった。鋭利なナイフのように下から切り込んでくるメゾの「♪今日からは自然といつも一緒」のフレーズなどメゾ系団員たちのニオイまで感じさせる歌い込み全開でたまらなくかっこいい!バルトークのピアノ練習曲のようにオクターブを「叩いて」ゆくピアノ伴奏は、一方で「涙をこえて」や「怪獣のバラード」「ともしびを高くかかげて」といったような懐かしい合唱ピアノのパーツの折衷形で、郷愁を感じさせ、聴衆を引きつけるものになっている。今後も何年か演奏会のレパートリーにしていって欲しい、「グリップ感」の期待できる曲である。


VI. 51回定期演奏会というのは誰のために開かれた催しだったか

宮本益光の同声合唱版「あしたのうた」は、フェミニンなイメージで冒頭からハーモニーが交錯する可憐なワルツ。前曲「新しい世界へ」とのコントラストが心憎く、さっぱりと清涼でいてメランコリックな印象。少年たちは彼ららしい声質をよく駆使してチャーミングに歌い込んでいる。ソプラノのコーダのがんばりやアルトのセーブの効いたおっとりとした絡みなどキュート感満載であるくせに、聞き終わってどこかほんのりと哀愁の残るフシギ・ステキな演奏だった。

「ひろい世界へ」は被災1ヶ月後には既に小ホールでリリースを開始している。メイン音程で「元気が出ました」君の声などがビビッドに立ち上がってくる。豆ナレーター君らの幼げであどけないイメージを少年っぽいキリリとした語調の中で歌いきらせる処理がアルト・ファンにはたまらない!爽やかな出来栄えだ。クールでいてなおかつ幼少年チックな鳴りを基調としたボカリーズも、パキンとトップで折り返すソプラノのサビもよく出来ている。さらに沢山の機会を設けてこれからももっと歌い込んで欲しい1曲と言えた。

続く「アメージング・グレイス」は、事前に「どうやら団員のソロが聞けるらしい」という情報が一般へと流出し、六義園コンサート最中にも曲紹介MCを聞きながらカルメン君が不覚にも(?!)ニヤリとしたのを決して見逃さなかった私たちは当夜、期待に胸はずませ定期演奏会へと足を運んだ。前述の通り2人の声で牽引する冒頭の二重唱が気品に満ち輝かしく美しく歌いあげられ、当日不覚にも(?!)ニヤリとさせられたのは客席にいた私たちの方だった。後味も品も良い彼ららしいソロの囀りは十分に納得のいくものだったが、演奏会をここまで堪能し、なんとなくスッキリとしない思いがつのったことも事実。今回なぜ団員ソロは一点豪華主義に走ってしまったのだろう?
どの団員がどういう声質を持っていて、それが合唱の中でいかなる構造を担い、どう響いてハーモニーを構築しているのか、観客にとっての唯一の判断基準はソロの歌声やMCの口調からようやく伺い知れるそれぞれの子ども各自の音色や発声のクセというところにしかない。だから児童合唱団の演奏会といっても、ボーイソプラノ特有の振幅を持った鳴りを扱う以上、ソロやMCを出来る限り客席に供して聞いてもらうことは大変有意義なことだと私は思うのだが…。男の子のソロの重用は客席への顔見世サービスということよりはむしろ資料提供という意味合いを強く持っているのである。(とは言え、今一番旬で美味しい時期を迎えているアンコール君や「元気が出ました」君の独唱をナマで聞くことができなかったのは痛恨の一撃に類する大ダメージであった…(悲) 2011年のバレエ「くるみ割り人形」は、アンコール君の出演した日としなかった日では、パワー的にもハーモニー的にも、あたかも別の合唱団が歌っているのかと思われるほど全くもって違う出来映えだった。)

アタッカ調に「アメージング・グレイス」から流れ来て、締めのナンバーは復興支援サッカーのBGMほかテレビCMでもおなじみの「ユー・レイズ・ミー・アップ」。全体的にフレーベル少年合唱団らしいメイン団員に頼った合唱にも聞こえるが、彼らなりの耳で合唱を聞きとりながら真剣にハーモニーを歌い定め積み重ねてゆく小学校中学年以下の少年たちの姿を見るのはなかなか心の保養にもなり良いものである。「この子にこんな大きな力が備わっていたなんて!」と保護者や担任でさえ驚いてしまったりするのかもしれない。波状的にクライマックスへと肉迫し、節度を保ちつつダイナミックな歌い上げを聞かせてくれた。曲がこの位置にすえられたことの妥当性がよくわかる出来映え。子どもたちの力やモラールを心底知りぬいた人が計画したステージであることはもはや明らかだ。

アンコール君のちょっとお兄さんぽく大成した声のクロージングMCをはさんでA組の流し込みがあり、「Believe」が歌われる。フレーベルチックな声質のカラーが子どもたちの体温とともにしっかり打ち出されてラスト2にふさわしい演奏だった。ピアノ伴奏は合唱編曲版そのままであくまでもゴージャスに。だが、低学年の子どもたちの歌っている「Believe」を日頃あまり耳にする機会もない聴衆にとって、たまさかこの生え揃わぬ邪気の抜けたひたすらな「うた」によってもたらされたものは、「もしや、51回定期演奏会というのはこの幼い団員らのために開かれた催しではなかったか?」という驚愕の真実だった。彼らの歌声の背後から、美しいカリヨンの音のS組団員たちのハーモニーが漏れ出るがごとく染み出して客席へと達する。会の実質的な構造を可視化する、フィナーレへと至る1曲である。

オーラスはピアノ・ブリッジをかましてB組部隊の追加をもたせ、終曲のニュー「アンパンマンのマーチ」へとつないでいる。今年はB組流し込みのBGMに定番の「アンパンマンマーチ」を使わず、「Believe」のインストを流用した。合唱団はこの日、ここに新しい編曲の「アンパンマンのマーチ」を用意する。伴奏の出だしの一音から華やかなトランスメ[ズが聴き取れる。ドラスティックでかなり攻撃的な演奏だ。AB組の子どもたちが「♪そうだ!嬉しいんだ!」と曲の頭から叫ぶがごとく歌い上げる。叫ばざるを得ないほど強烈に殊更ピッチ・アップされているのである。こうしたテコ入れの手法は、ドラマ「水戸黄門」が第42部のごく初期にオープニング主題歌へと施した色彩的な処理を彷彿とさせる。耳をすませば、上級生団員たちの美しいボーイソプラノが宝箱の中の天体のようにキラキラと光って息づいている。何よりもフレーベル少年合唱団・団歌のファンファーレを引用した前奏が誇らしげで実に心憎い。これは被災後全国で歌われた「アンパンマンのマーチ」ではなく、彼らだけのオリジナル編曲の「アンパンマンのマーチ」なのである。2011年6月29日、映画「それいけ!アンパンマンすくえ!ココリント奇跡の星」でリリースされたクライマックス・シーン(アンパンマンがジャムおじさんに新しい顔と勇気をもらい、哀ればいきんまんに反撃を仕鰍ッる場面)に挿入されている『ガンバレ!アンパンマン』というタイトルの付された「アンパンマンマーチ」のワントラックをフレーベル少年合唱団はレコーディングしなおしているらしいという情報が在る。サントラのインスト冒頭で映画のメインテーマのモチーフがセンス良くあしらわれている事実を知っていると、今回の「マーチ」選定の位置づけが明らかになる。それは同時に合唱団の舵輪が新たに切られたことを高らかに謳い上げる声明的なラストナンバーでもあった。

アンコールには「手のひらを太陽に」と、すぐる先生の音頭で「アンパンマンのマーチ」のリプリーズが用意された。フレーベル少年合唱団は3番まである珍しいフルバージョンの「手のひらを太陽に」を、2011年7月27日リリースのCDセット「生きているから歌うんだ」(「手のひらを太陽に」創作50周年記念限定3枚組CD)のためにレコーディングしている(今回演奏されたのは穏当な2番までの短縮バージョン)。アンコールの2曲は今年彼らが手がけた2つのレコーディングの仕事の簡素な営業報告なのである。団員の撤収に至るまで、客席には「ようちえんのおともだち」の勇姿を見に来たと思しき小さな少年たちが一斉に叫びあげるアイドルの名を呼ぶがごとき強く高くおびただしい嬌声で充たされた。彼らは知っている出演団員たちの名を声尽きる限り叫び続けているのである。かつて中学生たちが定演の命運をになっていたフレーベルを知る人々にとって、この衝撃の出来事は「フレーベル少年合唱団、何処へ行く?」の諦観にも似た想いだったろう。だが、明らかに言えることは、1990年前後数年間の終演の瞬間に「もう来年の定期演奏会は無いのかもしれない」と思われる時期すら在った私たちの大好きなフレーベル少年合唱団が、2011年の今もここにこうして元気に在り、多くの人々に望まれ、愛され続けているというまぎれもない事実だった。


VII. 定演各所にちりばめられた試行の意味

定式となりセレモニー化した「アンコールしてもいいですか?」の口上は現在もライブパフォーマンス中、アンコール君の代役団員たちの声で聞くことが出来る。こんなちょっとイヤミなセリフをお客様方がキャーキャー・ワーワーと感謝感激・大喜びのうえ拍手で大歓迎の意を表するのは、ひとえにアンコール君の人柄のなせる技なのだが、51回定演では行われなかった。
「アンコールしても…?」を割愛したのに対し、終演のバウは部分的に残している。今回は各列ごとの挨拶ではなく、各クラスごとの辞去+退出の3セット。B・A組には頭を下げるだけのお辞儀。S組のみバウが施されている。フレーベル少年合唱団は昨年の定演後、2011年の夏にかけて終礼のバウを全て取りやめていた時期があった。今回は部分的な復活なのである。このことから、51回定演で明らかにされたニュー・フレーベルへの試みは、過去数年間のすべてをご破算で否定しようとしているのではなく、子どもたちの身の丈に合った趣向で再構築していこうというスタンスによっていることがわかる。51回定演の上演時間増加のタネアカシは、どうやらこのへんの操作に在りそうだ。合唱団は12月に入ってからもライブステージのしめくくりをクラス毎に異なった挨拶を一斉にかける方式でトライしている。新しい試みへの模索は今現在もなお進行中なのである。

定演の各所にちりばめられた合唱団の試行はこの他にも枚挙に暇が無い。
トリフォニー定演のメダマの一つでもあったオルガンの使用は今回無し。長らく定演の檜舞台として在ったイイノ・ホールが時を同じくし11月に建て替えのかたちで竣工を遂げている。あるいは、このコンサートがトリフォニーでの合唱団最後の定演になるのかもしれないと私は思ったのだが、そんな今年にこの趣味のよい良心的な企画が姿を消したのはやはり残念だった。

当日の隊列の見映えはアルト側がフレーベルらしいマージンの置き方で美しく、センターをはさんだソプラノ側が比較的タイトに見えてアンバランスな印象を与えた。彼らはゲネプロの段階まで整列の調整を受けているはずなのだが、こうした現象がホンバンのステージに発生してしまうのは位置決めがシモ手側団員に念入りな一方、ソプラノ側の子どもたちに柔軟な対応を求め過ぎているからではなかろうか。アルト側の並びがフィックスすれば、それを基準にソプラノ団員たちも並ぶことができるだろう…というわけである。だが、大切なオープニングセクションのエンディングで比較的ステージ経験の豊富な団員がハケのタイミングを見誤るなどちょっとビックリするような光景を目の当たりにしてしまうと、カミ手側の子どもたちへの段取りの徹底がどの程度行われたのだろうと首を傾げざるを得ない。平日の午後に演奏会を開催する合唱団の事情もあってか念入りなリハーサルを繰り返しプローヴェする事ができないという彼らの泣き処も見え隠れし、ちょっと気の毒な感じもする。


VIII. 51回定演をめぐるS組アルトの在り方

ステージ上に団員一人一人の姿が見えてしまう歌の仕上がりは、子どもの合唱を評価するうえで明らかなマイナスャCントとして捉えられてきた。そういう歌は所詮子どもらの思い思いの好き勝手な声の寄せ集めであって、指導者の技量の低さを物語る根拠として今日でもなお信じ続けられている。また、15分間から最長でも1時間前後の露出しか無いステージ上の歌い姿だけを見て児童合唱団の団員ひとりひとりの持ち味を検分することは不可能に近い。だが、2008年前後の見え難い一時期を境にして、フレーベルはその常識を鮮やかに逆転させて見せた。
彼らはまずここ数年来ライブパフォーマンスへと単一チームで年間30ステージに及ぶ出演をこなしていた時期があった。平均して一年を通じ12日間に一度の出演という頻度である。それ以上にチーム全体のキャラクターがアルト部で特に際立って見えていたこと、団員一人一人の生き様がありのままステージ上にのっていた事がこのような見極めを可能にした。本定演の出来事ではないが、ステージ出演中、まぶたがどうしても重くて重くて堪らなく立ったまま意識が遠のくたった一人の小さな可愛い団員に、会場を埋めた観客が歌そっちのけで拍手までしてクギヅケになったことが幾度かあった。客席は大喜びである。現在のフレーベル少年合唱団は、そういう合唱団になったのだ。お客様方はもはや、団員を集団の構成要素や部品としては見ていない。フレーベルの子どもたち各自の歌い姿を心躍らせつつ眺め、合唱を胸の内で楽しく再構成し、心から幸せな気持ちになって演奏会場を後にしているのだ。(彼が歌いながら睡魔に襲われたのは、寒冷な雨に配慮した空調に対し当日のユニフォームがやや厚着だったからのように思われた…)

このコンサートをめぐるS組アルト・パートの在り方は2010年までの「フレーベル少年合唱団の花形声部」というステータスを返上し、本来あるべき「縁の下の力持ち」という実力も品格も頭脳も経験も問われる非常に困難の多い立ち位置へと復旧した。ソロの歌声を聞く事も無く、MCに至っては一人の配当も無い。四半世紀にわたりフレーベル・アルトの大ファンとして暮らして来た私にとってそれだけは少し寂しいことでもあった。彼らの先輩アルトが数十年前の往時、飾らぬ人懐こい愉快な少年らが集う頼もしいチームとしてあった事は先述した。だが、過ぎし日の団員たちは2011年の少年らに多くの過重で扱い難い置き土産など残してはいない。それが彼らの拘りのない気性の魅力であり、彼らの歌の当為そのものだったからであるように思う。そこで51回定演のステージに見たS組現役アルトらの姿をはかることで、フレーベル合唱団にとっての世界観がどのような展望を持ちうるのか明らかにしたうえで拙文の筆を置きたい。

当夜のセンター2段目で中心的な役を担っていた低声系の2人の団員たちのことは既に述べた。彼らはチームの中でもう何年もメゾソプラノに軸足を据えて来たのだが、ここ2年ほどはアルト側へのピンチヒッターとしての役割を持つに至り、現在は「メゾ・パートにも対応できるアルト」という位置についている。「アメージング・グレイス」のデュエットは彼の耳の優秀さを裏付けていたし、身体を味方に付けたコントロール力で魅せてもくれた。彼の右に立つ団員も「ソリスト」として十分な力を持っているが、(音域レンジのアビリティーはさておき)本来はカルメン君に近いメゾ寄りのボーイソプラノという位置でも十分実力を発揮できる団員のように思われる。2011年の彼が頻繁にアルト側のャWションに立つのは、「歌って誰かを支えたい」という少年の心根を先生方が静かに感謝しつつ汲んでいるからなのではないかと私は密かに思っている。ハートウォーミングでありながらも体格相応のまっすぐな素朴なボーイソプラノが魅力である。

2段目センターの彼らの右で歌うのは、「元気が出ました」君。本定演最大の個人的な悔恨と無念と究極の憤慨は彼のソロやMCが聞けなかったことだった。カルメンのトレアドレ役で披露した2011年フレーベル筆頭アルト・ソリストのあの超カッコいい歌声と姿をできるだけ多くの機会にできるだけ多くの人に聞いてもらいたいと思うのは人情というものだろう。ステージ上の彼の瞳の奥に息づくお茶目で「いたずらっ子」そうなおもむきが歌の方には全く滲出して来ないというのも彼の歌が持つオーラのなせる技だと思う。

彼の右隣に立つのはあの、北風小僧の寒太郎くんである!フルート形のシャンパングラスをシュッと擦って鳴らしたような彼のボーイアルト(声質的には少年らしいソプラノだと個人的には思うのだが…。少なくともMCでの話し方は王道のドラマティック・ボーイソプラノ系ド真ん中のものだ!)がアンサンブルの中でミルフィーユの透けた薄皮のごとく繊細に響き重なるのを耳にするたび、私は「少年合唱って、本当にイイなぁ」「フレーベルのアルトパートって最高にカッコいいなぁ」と心の底からわくわく元気になってしまうのである。もはや後列最右翼にも立つ高学年団員となり、諸所のステージに姿を見せる機会がめっきり減ってしまった寒太郎君へ心からたった一つのお願いがあるとすれば、それは彼の関わった合唱をもっと聞かせてほしかったし、これからも私たちに勇気を与え続ける歌を出来る限り長くたっぷりと歌い続けて欲しいという一言に尽きる。少なくとも、私自身が彼の歌から学んだ事は、計り知れないほど深く多く、貴重で満足のゆく物なのである。

「皆ィな様ァ、お待たせェ致しましたァ~。夢の国行きィ、発車いたしバす…」。現在のフレーベル少年合唱団にとって結節点のひとつとなった年…2008年リリースのCD『楽しい輪唱<カノン>』(キングKICG-247)と48回定演ステージでの衝撃のキャラクター・デビューからはや3年。人気者のあのプチ鉄君は今こうして寒太郎君の隣に立ち、すっかり上級生らしくなった頼もしい姿で歌っている。歌う姿を見るだけで人々が幸せな嬉しい気持ちにさせられるボーイアルトなど後にも先にも彼以外考えられない。そしてそれは「歌っている少年を見せる」ということだけで人々の心を十分潤して足りるという、私たちの少年合唱の原点へと立ち戻る画期的な出来事の端緒だった。「少年合唱は教育である」「少年合唱は件p的陶冶である」「少年合唱は美の超克である」「少年合唱は宗教である」「少年合唱は精神のクロニクルである」「少年合唱は社会文化事業である」「少年合唱は…」…健康で円満そうで不敵な面構えのプチ鉄くんの登場は、私たちの脆弱な少年合唱の筐体へ綿埃のようにわんさかまとわりついていたすべてのものどもとの訣別へのあきらかな足がかりとなった。彼が合唱団にとってどうしても必要な、大切なかけがえのない団員であったことは、もはやここであらためて述べるまでもないことである。

プチ鉄くんの右にしっかりと立ち位置をキメているのは、アルト・エッジでおなじみのあの団員くんである。フレーベルの高学年団員の隊列ャWションはきわめて流動的で見定め難く、ホンバン中の息子の写真を撮ろうとカメラを構えた団員保護者にも撮影ャCントが予見できないであろうほど徹底して並び順がシャッフルされる。ゲネプロでセンター団員のバミ位置を決めてやったら、ホンバンでは全く違う順番で子どもが並んでいた…というステージスタッフの悲鳴にも似た述懐を教えてもらったことがある。長期欠席でもしないかぎり、隊列の並び順が変わるということは殆ど起こらない都内の他の少年合唱団(テレビ収録の場合のみテレビ写りの良い子(美男子という意味ではない)がカメラ位置のセンターに来るよう直前にそっと入れ換えられる)とは異なり、彼らの配置は公演毎頻繁に動いている。だが、例外的にここ数年間、アルト右上のエッジに立ち続けている団員がいる。このャWションは数年前にドンホセ君などがやはり目まぐるしく交替を繰り返していたのだが、結局彼が角位置を占めるようになって落ち着いた。こうして今、私は開演時に彼がここへ立ち刹那のブレスを整える姿を認めると常に「ホッ」と安堵するまでになった。彼もまた、私たちリピーター観客にとって合唱団アルトの定位置に居て歌い続けていてほしい、闇夜を照らす灯台のような大切な大好きな団員なのである。

アルト・エッジ君の前に立ち、低声一列目の最カミ手をつとめるのは今回もこの彼だ。昨年も偶然同じ位置にいて、真後ろにちょうどスーパーナレーター君がスタンバイしていた。二人の組み合わせの構図は「ヤバい」ぐらいカッコ良かった。私の記憶が正しければ、彼はこのステージに既に8年間も登場し続けている。日本国内の少年のみの児童合唱団の現役小学生ボーイアルトの中でも8年選手という子どもは彼以外には殆ど存在しないはずである。学齢期の少年が人と合わせ、人に聞かせる歌だけのために5年超のスパンで自分の時間を捻出することの厳しさは、どこの少年合唱団であってもOBであれば身にしみてわかることだろう。彼は声の素材自体もカッコよく、MCにも魅力が溢れ、彼が51回定演の下段アルトのエッジに居た事の合理性は十分に頷ける。

彼の左隣にいるのは注目のボーイアルトである。かつて、この団員がB組ソプラノ側の隊列に胸を張り、ジルコンの両目をキラキラと輝かせながら怒鳴るがごとく歌っていたとき、彼の面貌は空を見上げるように晴れやかだった。やがて客席の私たちの目にも見えるほどあしざまな段階を踏み、彼が指揮者の前をソプラノからメゾ、メゾからアルトへと横滑りに配置転換されてゆくにしたがって、両目の輝きや開いた口の大きさは次第に変わっていった。彼が長い旅路の果てに低声の右端へとたどりついたとき、空ふりあおぐ勇敢でワイルドな歌声はもはや客席に聞こえてはいなった。わが世の春と群れたアルト側の上級生たちから本番中も鍛え抜かれ耐えしのんで彼は今、ここにある。「きみが頑張るなら、私たちも負けない」と、彼の立ち姿から今、観客が貰うのはただ勇気と力である。市井の人々がこんないじらしい小さな少年を前にそれでもなお、「少年合唱は精神的陶冶である」と強硬に説き続けようとするのであれば、そこに適う最も勇敢な児童の一人として、私は小さな体で真の勇気を体現する彼の歌い姿を真っ先に推したい。

前列アルトの左から3番目に控えるのは豆ナレーター君。豆ナレーター君の「ナレーター」たるゆえん。…かつて幼い彼が数年のB組団員であった日々、MCマイクの前に立つ颯爽としたお兄ちゃんらの背後の隊列で同じMC原稿を小さな声、小さな唇で違わず唱えている姿を私たちはどのステージにも見た。それは、実に素晴らしい光明のひとときだった。いじらしい、ひたすらなその姿をたくさんの観客が目撃していただろう。彼はこうして今、フレーベル・アルトの高いベンチマークとしてここにある。日の光のような彼の歌い姿を楽しみに演奏会へ足を運ぶ観客もおそらく現実に存在していることだろう。もうあと何年か後の近い未来にアルトパートを颯爽と率いて歌っているのは間違いなく彼らなのだろう。

豆ナレーター君の左に立つのは2011年現役S組アルトの中で最も小柄な団員くんだ。どこかウェービーな独特のヘアスタイルや一目で彼と判る表情を持つ色白の彼だが、自然体の彼がうっとりするような良い姿勢を保ってステージに臨んでいることは客席の私たちも見落としがちである。背丈から立ち位置が平均して指揮者の先生方の前に来る事も多く、今年度は特に目前へしばしば上背のある後輩A組の隊列がインサートされてしまうので、個人的な彼のファンたちは人影に隠れて見え難くなってしまうその歌い姿にきっといつももどかしく切歯扼腕してきたことだろう。骨格や表情通りのヒューマンな声を持ち味にしたイチオシのボーイアルトである。

当日、彼の左のアルト前列角から5番目にいるのは、きっと合唱団を代表するカッコかわいいメガ美男子くん。だが、ステージ出演中の彼の歌い姿は、容姿の外見ではなく逆にむしろ「少年合唱団員である」という存在論的な視点で見るにふさわしい。彼が歌う様はメガ美男ゆえほぼ全ての聴衆の目に入りやすいものだが、私たちがそこから受け取るメッセージは「少年合唱団員とは何であるか」という一言につきる。ともに歌う周囲の団員たちの音楽を見極めようとし、目前に肩を並べた下級生団員らの挙動へ常に気を配っている。彼がその「少年合唱団員とは」の問いかけを自身にも厳しく課し続けていることは、いつも例外無くさっぱりと整った身繕いや美しい立ち居振る舞いなどを見てもあきらかだ。

最後に私が2011年のフレーベル少年合唱団で一番好きな団員くんの紹介ができることを嬉しく思う。彼のアルトでのャWションはソプラノ(メゾ)との境界に当てられることが多く、51回定演のステージでも前列アルトかみ手から6人目の最も中央寄りで歌っていた。比較的立ち位置の安定しているボーイアルトである。声は外見通りの微かな木管系のテイストを持っている。日本人少年合唱団員の例外にもれず、本番中は眉間に皺を寄せたようなしかめっ面のまま歌っている彼も、歌の端々からは温厚で愉快で楽しいステキな男の子の日常を爽やかな息づかいとともに確実に伝えて来る。少年らしい快活な日々や、夢や涙や学びやガンバリの諸相が歌声を通じて鮮やかに再現される。そういう意味で真摯な歌を彼は歌っているのである。現在のフレーベルの団員には珍しいスィンギーな演唱。退屈な演奏には自ら歌いつつ遠慮なくあくびをかみ殺す。色白少年ゆえの上気した紅顔やピンチに追い込まれたときの顔色など実に少年っぽく、見ているだけでもう元気めらめらだ。
「どこにでもいそうな普通の男の子」が天使の歌声とも例えられる少年合唱団の団員として歌うことの良さ、楽しさ、醍醐味を観客は彼の姿から味わうことができる。小学生の男の子らが様々な困苦を乗り越えて人々に歌を聴かせようと頑張っている。先生方や団員保護者やOB集団といった大人たちが真剣に彼らを見守り、歌がうまくいくよう祈り続けている。貴重で尊い合唱なのである。だとすれば私は先ず人々をシアワセな気持ちにしてくれる、彼の歌のような合唱をいつまでもいつまでも聞いていたいと思うのだった。

フレーベル少年合唱団 第50回記念定期演奏会 遥かなる航路のあてどに

2010-12-12 23:17:00 | 定期演奏会



フレーベル少年合唱団 第50回記念定期演奏会
2010年11月17日(水) すみだトリフォニーホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円


第50回記念定演はどんな演奏会だったのか

昨年刷新されたフォーマットにのっとり、開幕のウエストミンスター・チャイムが団員代表のミューベルによって鳴らされた。今回はオルガンバルコニーではなく、ぐっと観客寄りの舞台面フロアでのスタンバイ。見栄えの良いコンソールステップから団員たちを観客本位のステージレベルに戻す試みは、今回の定演全体を通じて見られた傾向の一つだった。ベルのアサインメントは継承されていたが、担当メンバーの顔ぶれは昨年とは異なっていた。彼らはチャイムをつつがなくシェイクし終え、ベルキャストをカシドス・ネイビーのユニフォームの胸に沈めてぺこりとお辞儀する。リンガーとしての所作は申し分なかったが、聴衆は漠としたかすかな所在の無さを覚えた。昨年は確かに存在した「礼っ!」の号令を発する上級生が今年のチームには居なかったのである。コンサート開幕を告げるこの心許ないイメージの現出は実に象徴的な出来事だった。非常に大雑把で乱暴な言い方だが、フレーベル少年合唱団第50回記念定期演奏会というのは、呼号発声の任を解かれた一人の団員の進退をきっかけに、ここ3年間の彼らの合唱を読み解く実に有意義なひとときだったように思う。

2008年夏の日々。彼らは酷暑の中、未だ半袖シャツにXYサスペンダーを吊り、きっちりと首を絞めたリボンタイに、白ハイソを履いたまま玉の汗で歌っていた。彼らがMCで「小さい組」と一見(いちげん)の観客に紹介する出演用のAB組団員を流し込み、最後にフルメンバーを揃えると、全隊は3~4列にもなった。総勢45名を越す男の子らが六義園の緑深いアジサイの植栽の前にずらりと勢ぞろいした。だが学年構成は注視するまでもなく少年合唱団のメインクルーとして期待されているはずの高学年・中学生のベテラン団員の頼もしげな姿を決定的に欠いており、比較的体格の優位なアルトの一角を除いて全員がとても幼く頼り無さそうに見えた。内外の観客や関係者たちが「今は小ちゃい子たちしかいないから…」「低学年の子が中心で…」と率直に申し述べ、フラットフロアに立つ彼らは全員の背丈がまるで揃って矮小で、客席の床几からは奥の子の顔が殆ど見えてこなかった。それでもただ一つ、現在の私たちが彼らのことでよく知っているのは、若干の出入りはあったにせよ、今回の第50回定期演奏会を支えたのは2年後の彼らだったということだ。定演のステージ袖でスタンバイするアルト団員へ仮に総動員をかけ「2008年の夏に六義園のコンサートで歌ったお友だち?」と尋ねれば、「この子が?!」と思うような低学年の団員を含めて間違いなく全員の挙手があったはずだ。「僕はそのときは未だ入団していませんでした」という団員がほとんど居ないことに驚かされるはずである。着用ユニフォームは現行の夏のスタイルとまるで違っていたのに、あの夏の少年たちは今日ここで歌っていたのだった。

続いて2008年の秋口、そういう彼らにもついに転機が訪れた。優秀であるかもしれないがステージ経験が決して潤沢とは言えないひとりの男の子がソプラノ最上段左端角のエッジに配属され定位置についたのである。配置は体格を見込まれたものであったはずだが、声質はアクリリックで硬質な、セクション違いのメゾソプラノ系だった。本人がはたしてそれを望んでいたものなのか、「わが少年時代の全てを合唱に捧げて悔い無し」と思っていたのか、客席には判らない。腫れぼったい目をした鼻閉気味のスマートな少年が、そこそこの経験を積んだ僚友に混じり下級生や新入団員たちがわんさか群れていたソプラノ・パートのニューリーダーを期待されてそこに立った。こうして彼がレギュラー位置になる最後列のコーナーから団員たちのユニフォームの背中をまぶしそうな眼差しで見下ろし眺めまわしたとき、フレーベル少年合唱団に劇的な変容のときが訪れた。あたかもコーナーのキマったルービックキューブがカタカタと音をたて突如として完成して行くように、その人選がチームとしての合唱団を一挙に確固として魅力的なものへと止揚させていった。ソプラノ声部は安定を取り戻し、リードパートに必要で十分な声量を、我が世の春と充実を謳歌しはじめるアルト声部とのバランスの中で獲得した。たとえステージ経験は豊富でも外見上は小さな小学1年生というカルメン君を遊撃手としてソプラノからメゾまでのワイドレンジの中で使えるようになった。アルトの少年たちはパートのカラーとして押し付けられていた「ソプラノの顔つきをしたアルト」という不自然きわまりない立場から解放された。こうして彼らが少年らしい立ち姿で自分たちの歌を歌うようになると、団員各自の持ち味がステージ上で鮮やかに発現しはじめた。その日から2010年までの2年間、彼はくる日もそこに立ち続け、歌い続けた。フレーベル少年合唱団の歌声が、2008年の夏以降、格段に面白く魅力的になったのは当時の定演レポートにもはっきりと見て取れる。2008年定期演奏会も佳境にさしかかったパート3、ついに彼は期待の中、年を置いて復活したソロを担当した。精悍なボーイソプラノの立ち姿をマイクの前で披露し「すっかり面白くカッコよく変わったフレーベル」を客席へと印象づけた。記念すべきその曲は甘美な別離と追慕を歌いあげる『アリヴェデルチ・ローマ』だった。背後に控えた合唱団は「さようなら!ローマ!」と元気な嬌声をあげつつ、新しい航路へと舵を切ったのだった。

今夕、50回定期演奏会の開幕ベルチームにもはやアリヴェデルチ・ローマ君の姿は無かった。
きりっとした彼の呼号が聞けなかった理由は開演5分も経ず、明らかになる。定演オープニング恒例、フレーベル少年合唱団の「団歌」が演奏された後、年度リーダーのステータスに恥じない頼もしいきちんとした印象の一人の団員が毎年開会宣言のMCを担当する。当夜、ついに進み出てきたのはアリヴェデルチ・ローマ君だった。持ち味は不変だったが男の子の声は変調をきたしており、台詞が嗄声したり裏返ったりしないよう注意深く組み敷くがごとく留意して話す姿が印象に残った。メインキャストの数名の団員を1日にいくつもの役柄で重複して使う事の多い現在のフレーベル合唱団の中にあって、50回定演を通じ、彼が聴衆の前に一人で立ったのはこれ1回きりだった。

ボーイソプラノとしてのこの団員の姿は唯一、非売品『ファインプレーを君と一緒に~Go!Go!ジャイアンツ~』(2007 8164P-8164)のCDジャケットにほんのチビ団員同列の小さな扱いで写っているにすぎない。日本通運の環境CM『環境を守る仕事』篇の冒頭メインボーカルを担当したのはカルメン君の方だった。結局、彼のソロの歌声はCDにもCMにもならず市販されたものとしては全く残らなかった。だが、彼の率いていたチームの歌声は少年らしいひたむきさに溢れ底抜けに楽しく出色だった。この数年間、フレーベル少年合唱団が彼の先導によって勝ち得た「K君トーン」とも呼ぶべき先鋭的な音色は、ディズニー映画『魔法にかけられて』(日本語吹き替え版)の冒頭に歌われる「真実の愛のキス」や「デストロイオールヒューマンズ!日本版」のテーマソング(セガ)、実写版『ゲゲゲの鬼太郎:千年呪い歌』(松竹)主題歌のあたりから次第にハッキリとした形をとりはじめ、2009年発売のDVD『アンパンマンとはじめよう! お歌と体操』のシリーズで明確なものとなる。2008年制作のCM『CHARMY(チャーミー)泡のチカラExtraClean(エクストラ・クリーン)「ロボット篇」』(ライオン)に聞かれる極めて真摯でドラスチックな歌声は、ここ3年間のフレーベルのトーンで仕上げられた代表的な仕事である。アリヴェデルチ・ローマ君の声は今後いかに変わっても、彼が根幹を作り、率いた部隊の歌声は、こうしてカタチあるものとして「フレーベル少年合唱団」の名のもと、永久に残ったのである。


天馬と不死鳥と明日~厳しい局面の中から

2010年10月。定期演奏会の開催までついに1ヶ月の猶予をきり、例年秋口に少年たちがステージ上で繰り広げる定演の広報が今年は全く行われないことに、さすがのコンサートリピーターたちも首をかしげはじめた。野外コンサート等で配布される定演のチラシも一向に姿を見せず、そうこうしているうちに10月もおしつまってようやく会社のサイトにエフェメラのコピーが掲載され、英文タイトルに一見して判る誤植があったことから遅延が判明した。団員配当のチケッティングは11月にずれ込み、合唱団が出演ステージで初めて定演広報を打つのはカウントダウン2週前を切る11月5日のアルカキット錦糸町のクリスマスイルミネーション点灯式でのことになる。  
   
全てのことがらが滞っているように見えた。例年夏には仕上がっているはずのプログラムナンバーを、少年たちは秋になってもなお危なっかしく自信なさげに綿あめのような声量で歌っている。『君はペガサス(1991)』『フェニックス(1989)』『Let's search for Tomorrow(1989)』…今回パート1で歌われた曲群はそもそも昭和時代に学校教育を終えた人々には馴染みが薄いものである(最近の中学校の合唱祭プログラムのようだ(笑))。ブツ切れでピッチに不安を残す子どもらの歌を最後まで聞き届ける気になれない六義園の聴衆は途中から次々と歩き去ってしまう。夏の段階で合同練習のため現役団員たちの歌声を聞かされたOB諸氏は(1980年代末からの危機的状況の中で少年たちに寄沿って歌った経験を持っていてさえもなお)、今回「…これはちょっとマズいことになった」と焦慮したに違いない。…『ハレルヤ・コーラス』?OBは蚊の鳴くような現役諸君の声にどう対峙するつもりなのだろう?いっそのこと『アヴェ・ヴェルム』『大地讃頌』も四部合唱に?…トンデも無い!危険すぎる!元・弾丸ボーイソプラノの男声陣にどこまでセーブを要求しようというつもりなのだ?!以前、六義園枝垂桜前に並んだ少年たちの声で、ハレルヤコーラスの再リメイクを聴いた。合唱に少しだけ力を入れているミッション系小学校の4年生のあるクラスの男子だけを集めて歌わせました…と、そういうレベルの出来でしかなかった。OB会のブログが、現況隊列の遠目の写真入りで「人数が少ない」と諦観の中で紹介した。彼らの状態を知るおそらく多くの大人たちが10月中旬の時点で「50回定演」の安寧な開催を危ぶんだはずだった。

定演当日、フィックスしないローマ君の声と、ほっそり並んだコア団員単列スレスレの少年たちの圧縮された員数を見て観客はさらに震え上がった。彼らがもし定演前最終の11月のアルカッキットや10月末の六義園のコンサートを聞いていなかったとしたら、歌いだす直前の彼らの姿を憂慮から正視できなかったろう。だが、先月後半の合同練習を都合で欠席したOBたちは、トリフォニーの音響特性を手なづけ大音量で歌う小さな現役諸君の姿を突如ゲネプロで目の当たりにして腰を抜かすほど驚愕したに違いない。…彼らの歌はホンバン半月前を過ぎて何の前触れも無く電撃的に仕上がっていたのである。乾燥してぼつりぼつりと切れていた潤いの無い不自然なマルカート気味のフレーズは『君はペガサス』のどこにも存在していなかった。メンバーの殆どがすでに4年間をトリフォニーの大ホールで歌い、会場の残響やPAのかかりかた、客席への声の届き方を感覚として会得している。正確に聞こえる音長とロングトーンの置き方、流し方を身体で覚えているのである。こうしてナカツギのMCをアルト側から「元気が出ました」君がバトンタッチで担当する。彼の声にも姿にも、もはやあの「アルト・パートのヤンチャな弟分」の面影は伺い知れなかった。甘カワさが抜け、頼もしいものへと変わっていた。2008年夏の団員一人ひとりの成長もまた、現在のフレーベル・パワーの源の一つなのである。かつて退屈すぎて六義園の観客に「人気」とは言えなかったパート1の3曲は様変わりを遂げていた。男の子独特の体臭を感じさせる少年合唱らしい爽快な歌い込みが魅力的で、あっという間の15分間だった。『Let's search for Tomorrow』の彼らが苦手とするコーダの執拗なリフレイン…何回目のリピートなのか混乱してしまい、やっぱり両パートが声を聞きあって幾度も引きそうになってしまうというお約束のニヤリもあったが、パート1は児童合唱の定期演奏会の開幕ステージとして遜色の無いものに止揚されて終わった。


数年後の団員らが私たちに託しに来たもの

パート1の退場からパート2の入場にかけて、合唱団はMCを聞かせながらA組(かつて出演レギュラーの「セレクト組」の下位に属する2軍待機クラスを意味していたが、現在は在団期間がやや短く、実力も分相応のステージ実習中の出演メンバーをさすようになってきている。団員募集要項の記載上は入団テストで振り分けられる2つのクラスの間の線引きは明確だが、毎週の練習時間や場所、通常出演中の配置・ユニフォームや待遇などには特に区別らしきものは見られない。)のステージ衣装の引き抜き(早替え)をおよそ25秒間ほどの短かさで行った。A組団員の衣装替えについては昨年の『カルメン』での手際の良さに驚かされたが、今回すっきりしたベスト・スタイルでシモ手ソデから突然走り出て来た彼らの姿はビジュアル的なセンセーショナリズムを感じさせる。(セレクト組の団員たちは、この間バックステージでレンガ色ブレザーのユニフォームに着替えている)

合唱団は昨年人気の良かったAB組のソロに勢いを得たのか、今年は『おはようゆでたまご』のシュプレッヒとパート・ラスト『とんでったバナナ』のリードボーカルにフレッシュ・メンバーのチームソロを大挙して投入した。春の段階で早々と実戦部隊は組織され、毎月の公開演奏を通じ繰り返し徹底した実地訓練が重ねられた。このためヘビーなファンの中には、当日のソロの誰がどんな声質と発声の仕上がりで、誰がテンポを持ち崩しやすく誰がパートナーとの相性が良いかといったことまで知る人もいる。プチ団員らは気づいていないだろうが、上記の来歴からパート2の曲群はきわめて「六義園の客層」向けに仕上がっているとも言えた。
 恒例の「アンパンマンのマーチ」のかわいらしいインストが奏でられ、B組の幼王子たちがステージセンターに導かれると客席は今年もひとしくほだされて心の底から嘆声を漏らした。上級生団員の存在がある以上、私たちはAB組諸君の愛らしい姿や所作に心を奪われがちだが、毎年の定期演奏会の彼らのステージには、「カワイイ!」ゆえに漫然と聞き流す事のできない重要な見どころも存在している。AB組単独ステージ鑑賞に存在する失念出来ないポイントは、今年のアルト前列メンバーの顔ぶれを俯瞰して帰納するとわかりやすい。日常はポイントとなる役柄やMCなどを殆ど受け持たない低学年アルトだが、彼らの声質やステージで追いつめられたときの立ち居振る舞い・表情というものを私たちは一応心得て知っている。前列アルトのほとんど全員が、過去の定演のAB組コーナーでスポットの当たるキーマン役として起用された経験を持っているからだ。そういうわけで、現在のアルト前列の団員たちというのは、ただ単に低めの声が出やすいといった観点からだけでなく、指導者からの信頼を得て難易度の高いこのパートへと配属されていることに気付く(2010年現在の前列アルトが全員「超イケメンでカッコカワイイ」のは偶然?!…です、たぶん)。メタファーじみた言い方だが、私たちは、未来のフレーベル少年合唱団を聞くために今年も注意深くAB組ステージに耳を傾け、記憶にとどめておく必要があるのだ。


レパートリーの急速な完成

夏休み以降の我々をやきもきさせたプログラム・チラシ・チケット等のエフェメラのデザインは、セレクトチームのステージ・ユニフォームと同じレンガ色の地に墨色でステンシル書体の英文タイトルをあしらった、グラフィティー調の意匠で統一された。ストリート・テイストでインパクトの強いフォントはFROEBELの「F」と「L」の活字を3段で貫通させ(件の誤植は団名とは関係のない部分)、黒みをたたえたカーニングを施すなど今年も出版社の仕事らしいスマートさが光っている。縦に打ち抜かれた2文字のフォルムはコロネードやスラムのアパート群の非常階段・バルコニーの外観を想起させ、昨年の定演エフェメラのテーマが(カルメンの)赤バラだったことから、50回定演では「ウエストサイド物語」をモチーフにしたものであると想像できる(イメージはおそらく映画版『West Side Story』のタイトルロゴからの借用?)。私たち聴衆が、「ウエストサイド」の2曲を心して聞くべきと教えてくれているのだ。
 プログラムは5ステージの構成。各ステージの曲数は、目立たぬよう実に巧妙に間引かれている。彼らの遅々とした仕上がりを計算してのセーブがニュアンスとして感じられる。

ところで、50回定演の曲群が1ヶ月間という極めて短期間のうち劇的に仕上がった理由はいったい何だったのか、ここで考えておきたい。
 有力な手掛かりは、件のアルト・チームを基軸にパート3のステージ上で見出される。彼らが調和的なソプラノの組み上がりに抗って2年前、こつ然と実体化したチームである事は前述した。だが、彼らがきわめてアウトロー的な魅力を放ちつつステージに上っていたが故に、押しなべて短命パートに終わる予感も終始つきまとった。「フレーベル少年合唱団のアルト」が外見上は見るからに質朴な一匹狼の集団ゆえに内部崩壊していくさまを目算するのは決して困難なことではないようにも思われた。2009年の春未き日々、頼もしい最後列のボーイ・アルトたちがドンホセ君やイケメン軍団を除いて隊列を離脱してゆくと、予感は俄に現実味を帯びはじめたかのように見えた。上級生らは一人、また一人とライブパフォーマンスのステージに姿を見せなくなりはじめ、2010年の夏を過ぎて、メインクルーの抜け落ちた合唱団右ウイングは、もはやかつてのアルトの呈をなしてはいなかった。

毎年、「世界の名曲(ポピュラー)を集めて」のコンセプトで打たれるLove, foreverと題されたパート3は、ラテン2曲とウエストサイドの2曲の後にブラックミュージックから1曲の計5曲のノミネート。メインはウエストサイドの「マリア」と「トゥナイト」だけというつましいチョイスだが、当夜歌われた20曲を越える総演奏曲目のちょうど正中には「マリア」が据えられている。プログラム全ナンバーのセンターど真ん中に、キーとなる曲をしのばせておくという手法が垣間見えた。

2曲目から、私たち観客が毎年心待ちにしているリリックなソロの投入が始まった。
3曲目、ウエストサイド物語を代表するラブ・バラード「マリア」のレチタティーヴォを「フレーベル少年合唱団のボーイアルトここにあり!」の無頼さで歌い出したのは、スーパーナレーター君だった。クラクラするほどのテラ萌えのカッコ良さに観客はしばしグーのネも出ない。たおやかで微かな振幅のコントロールされた少年のソロ。だが、朗唱ゆえに彼の「ナレーター」としての声の魅力がホール音響に増幅されて届く。初夏のライブ出演以来、ステージに姿を見せていなかったスーパーナレーター君。定演の隊列へと戻って来てくれていたのだ。私たちは演奏会の分水嶺にあたるこのナンバーを聞き、ようやく当夜のアルトが彼のリードで蘇生されていることに気付く。ソロを終えて帰投した団員の隣に対峙して立つのは北風小僧の寒太郎君の、やはり久方ぶりの立ち姿。この2人のマッチングは見ていても実に痛快だ。ナレーター君の集中度にありがちなワウ・フラッターを原隊復帰したドンホセ君や寒太郎君、「元気が出ました」君、イケメン軍団の諸君が手際よくフォローして鳴らす。カムバックしたこれら上級生アルトが触媒になり、パート全体が二重の意味でビルトイン・スタビライザーの役を果たしている。…近年のソプラノパートはアルトの声量に伍して歌う習慣を経験的に身につけている。身を挺してまでたっぷりと歌おうとするローマ君。彼をかばうよう声を寄せ高らかに歌い上げるアンコール君。彼らに率いられた、真剣な形相のソプラノの少年たち。最後にアタッカを思わせるパッセージのひとくされをカルメン君が安定した「夜のソロ」でさえずってみせる。こんなテクニックを何処で勉強してくるのだろう!TOKYO FM少年合唱団ふうの涼しげな発声がテイストとしても、彼自身の持ち味としても文句無しに発動し見事な出来映えだった。
 「定演1ヶ月前に急激に仕上がった合唱」のカラクリは、「マリア」を通じ、このようにハッキリと実感することができた。また、パート1の冒頭から鳴り続けているキリリとした少年っぽいアーシーな声作りの臨界点が何によってもたらされたのかを学ぶ事もできた。パートエンドで前半の部の最後になる「We are the world」では、一時期のフレーベルが失っていた清楚にブルージーなノリを、芯のある柔軟な小学生の身体から鳴る音質とともに楽しめ、オクターブで聞かせるマイケル・ジャクソン調のサビも高低両パートの統御力からか的を得たものになっている。彼らは定演直前のメンバーの復帰で心からゲンキになれたのだ。彼らの歌声がゲンキだからこそ、私たち聞いている者の心もゲンキになれたのだった。


クリスマスの白 と 長い時代の終わり

「こども店長」こと加藤清史郎の出演する(株)ダリヤのテレビコマーシャル、SALON de PRO「みんなで染めても/泡島なお美さん」篇(15秒)のオンエアが2010年10月に始まった。CMの中で加藤はついに合唱隊員へと扮している。興味深いのはメゾソプラノ前列に収まった第60回紅白歌合戦出場歌手「こども店長」のそこそこに訓練された歌声と、ホワイトを基調にした少年合唱団ふうのコスチュームに身を包んだ姿だった。2001年生まれの加藤の「団員」としてのこの風采は、ちょうど同年代のメンバーが多数所属する現在の少年合唱団の相貌や訴求力と重なるところがある。生成りのベレーにセーラーカラーの軽快なブラウス、映画撮影のために染めたらしいブラウンの髪、純白のフォントルロイ・パンツの裾から白い靴下を覗かせている。トレードマークの赤いブレザーや右膝の絆創膏は無いのだが、微妙に中途半端な丈ではかれた白無地のスクールハイソックスは同じだった。50回定演の後半の部で、フレーベルの団員たちが突如この「微妙な丈ではかれた白無地のスクールハイソックス」に履き替えて登場したのはニヤリであった(使っていないうちに団員の背が伸びた?)。テレビコマーシャルに於ける「少年合唱団のコスチューム」のステレオタイプといったものが、現在もなお白装束のバリエーションに頼りつづけていること(白っぽいユニフォームのアドバンテージは旭化成ホームズの『ヘーベルハウス/みどりのそよ風』篇(30秒)に出演した団員の姿を思い出すと納得がいく)。合唱団が今回、クリスマスソングのステージの符丁として上着に代えてベストをあてるなど、ホワイトの強調は、もはや明白だ(昨年度の定演では、フィナーレからアンコールのB組でソックスを前ぶれなく白いものに履き替えさせている)。そしてまた、このシルエットは2008年夏の彼らの白っぽい立ち姿の記憶へと繋がっていく。

 パート4のクリスマス・メドレーはセレクトのリンガーズをステージ側にフィーチャーして、オルガンバルコニーに脇田先生サイドを配する。一見してフォーメーションから音楽を先読みしやすく、(ベルをキャスティングじか置きで放置する必要も無くなり)、また開幕MCにソプラノのアンコール君の声を起用して華やかな雰囲気を添えるなど、秀逸な演出でスタートした。実質演奏時間10分強のコンパクトなステージながら緩急や明暗を押さえ、フィリング盛りだくさんのブッシュ・ド・ノエルを完食したかのような満腹感を覚える。
 今年はベル担当の隊形をオープンに設定。このため、客席から団員の表情がよく見えるようになり、彼らが緊張の極限でクラッパを打つ姿がいじらしく、胸を打つ。多くのステージで演奏してきた経験からそのフォームはキリリと引き締ってかっこが良い。彼らの持っているベルは保育用品会社の児童合唱団らしく、正式にはハンドベルではなく、ゴム製クラッパの「ミュージックベル」と呼ばれるタイプ。このため、とてもスイートで可愛らしく屈託の無い響きが楽しめる。少年の一途な心に担われた華奢な腕がこれを鳴らすと、クリスマスの朝の真っ白い静かな情景を思わせる音色になるのが不思議だ(アサインメントは一人1本が原則の配当だが、音数の都合なのか両手使いの子もいる。見ていても感情移入できてわくわくする)。
 メドレーでつづられているのは、今年の1月にこちらで紹介したクリスマスコンサートの拙文にあるフレーベル・クラッシックのレパートリーから「ハレルヤコーラス」のみフィナーレのステージに転送し、「おめでとうクリスマス」(正題:We wish you a merry christmas. 1970年代の初頭にJ組の団員たちが「♪おめでとうクリスマス」とケナゲに歌っていた曲は磯部先生がお作りになられた「ツリーをかこんで」というタイトルの作品で、本曲とは全くの別物である)を加えたもの。冒頭の「神の御子は今宵しも」をベルとオルガンのみのアンサンブルで切り出し、ワンコーラス後にいったんベルをタチェットでしずめてから少年たちが歌い出す。この段取りは、リンガーがテンポジュストで演奏できないことのへの巧みなカバーだとは思うのだが、実際の場で聞いてみるとクリスマスプレリュードらしい輝きが招来されて好印象だった。また、10小節目からユニゾンを解く編曲譜を用いているために、曲の途中から件のアルト声部が激萌えの頼もしい低声を繰り出して来るというサプライズ的な攻勢も良かった。続く「きよしこの夜」はリンガーをそのまま1番のソロへ転用。パリ木ふうでアタックの強い高輝度のボーイソプラノ・アンサンブルが鳴り響く間にコーラス隊をステージフロアへと落とし込ませる計算された運び。子どもたちの制服を明るめのものにしているのは、舞台上をクロスして移動する彼らに少しでも多くのサスペンションライトをはらませるためなのかもしれない。かくして「練習した曲を一通り歌ってオシマイ!」というフレーベル少年合唱団の定期演奏会は、ついに終わりを告げたのだ。近年の新譜にあたる「おめでとうクリスマス」はピッチホールドやパッサージオの抜けに不安定があり、アゴーギクも未成熟感を与える。英語歌詞(イギリス民謡)ののっけだけを体よくリフレインして済ましている印象が残り、定番レパートリーとしては歌い込みの余地を残している。「もみの木」は英語の歌詞で歌いはじめて日本語歌詞にスイッチする彼ららしいフォーマット。次の「もろびとこぞりて」とセットで聞くと、昭和時代のフレーベルと現在のフレーベルのトーンの違いや共通点を堪能する事が出来てうれしい。昭和の末、少年たちは「もみの木」を深い頭声から「♪ぼーびーのきー」と歌い、「もろびとこぞりて」を「♪ぶーるぅびどぉー、こずぅーりーてへー」と真剣に奏でていた。今夜の「もろびと…」にも同様のフレージングの切断や息漏れが散見される。50回を記念する定演に、こうした再構築を今の子どもらの「歌」と並列してさりげなく滑り込ませておくのは面白いと思う。「荒野の果てに」でソリスト・チームをリコールしてボリュームをセーブしつつ、ラストの「ジングルベル」で伴奏をピアノとベル・アンサンブルに切り替えて上手につないでいる。「ジングルベル」でやっていることは通常のクリスマス出演のバージョンのものとあまり変わらないのだが、伴奏が生ピアノになったというだけでなく、日頃歌い飛ばしていた日本語が明瞭で丁寧かつ繊細なものになり、集中を伴いチームカラーに統一性が生まれたように思えた。


新旧の団員の見分け方

もろもろの事情からユニフォームの上にぴっちりとコートを羽織った団員があなたの目の前に2名。片方は昭和49年生まれの小学3年生で、もう片方は平成13年生まれの3年生。コートを脱がさずに両君を見分けるのはさほど困難なことではない。所属を聞いて「B組」なら昭和時代の団員で、「セレクト」という回答なら平成生まれに違いない。「団歌」を歌わせて、1番が終わったとたん、突然2番を歌い出したら平成生まれで、1番のあとにファンファーレを抜いた前奏の後半部分を鼻歌で歌って2番に進んだら100%純血種の昭和の子だ。合宿の思い出を語らせてあれこれ珍事件が出て来るか否かを楽しみながら判断する趣向はOB向きで良案に思われるかもしれないが、昭和49年生まれでも小学3年のB組団員に珍事を語れるほどの合宿体験があるとは思われない。
一番手っ取り早く、質問を発することも無く判別するのには、彼らのベレー帽のかぶり方を見ることだ。かつて、日本中の少年合唱団といわず多くの児童合唱団の子どもたちがステージ中はベレー帽着用だった。だが、フレーベル少年合唱団のベレーのかぶり方は、早々にベレーを廃止してしまったLSOTやVBCとともに、「東京の少年合唱団」の名に恥じないオシャレで一見してわかるセンスの良さをたたえたものだったように思う(東京少年合唱隊もビクター少年合唱隊もフレーベルも、それぞれベレーの着帽方法に個性があった)。あなたの前にいる2人の団員のベレー正面に金繍のf字がキラメきながら縫い取られている様は全く同じだ。だが、頭の大きさに比して明らかに小さめの紺ベレーをペタンコのまま後頭部に引っ掛けるようにかぶっている方の子が、間違いなく昭和49年生まれの3年生ということになる。
 
パート5のGreat Memoryを一見して気づくのは、この「ベレーのかぶり方」だった。客席からも垣間見えてしまう舞台裏?OB諸氏が現役チームに向かって「キミらのベレーのかぶり方は俺たちのかぶり方と違うぞ!」と気安く言えない状況があるのではないか?現役団員たちが、先輩方のかつてのベレーのかぶり方を知る由も無いという現況があるのではないか?頭に載くモノは同じ紺ベレーでありながら、両者の間にはあきらかな不連続が感じられる。…パート5は、単刀直入に言ってそういうステージなのだった。
 シフト交替の流れの中、本日のメインイベントの大役MCを担って進み出てきたのはスーパーナレーター君だった!ピリッ、ピリッと切り込む滑舌の良さ。キリリと引き締った子音。ふわりと微かに漏れる男の子らしい甘い音色。総じて明瞭ながら少年の艶を感じさせる絶妙の嗄声。ベネチアングラスをたたいたような余韻。どう見ても動かしてもスポーツ大好きな闊達な男の子にしか見えないキャラクターの強さ。濁りの無い山の手標準語の美しさ…。合唱団が彼を「日本一の少年MC」の確信のもとに投入しているのはもはや明白だ。客席からは拍手とともにどよめきが起こってしまったりするのである。合唱団側がこのステージにどういう位置付けを与えようとしてしているのか、意向はこの人選で明らかにされている。

冒頭の「はるかな友に」のOB隊アカペラは、今回は低声に厚みをつけたサービス精神旺盛な鳴らし方で良く出来ている。「このオジサンたちは、思い出を語りに来たのではなく、現役たちの応援に来てくれているのだ」ということが、男声合唱オンリーの段階で既に相当な説得力をもって客席に届いていたのだった。5年以上のインターバルを置いてOB合唱を聴いた聴衆にとって、この第一声で聞かせた「私たちはここで与えてもらった幸福な少年時代のお礼に来た一団です」という名刺代わりのコーラスは、饒舌で恩着せがましい解説MCなど一切不要にしてくれていた。形勢の悪いパートへの配慮やリカバリー、現在進行中の合唱を正確に把握して統御をかけようとするレスポンス。「これなら、現役たちの合唱も同様にフォローしてくれるだろう」という安心感から、客席は作為無しに「はるかな友に」へとあふれんばかりの拍手を送っていたのだった。

ところが、この頼もしいOB隊が1曲歌っただけでヤッツケ仕事とばかりあっさり撤収していってしまうと、観客の思い描いていた幸せなステージの輪郭は俄にぼやけはじめ、行き先不透明なよくわからないものになってしまう。子どもたちの声に差し戻されたモーツアルトの「アヴェ・ヴェルム…」、「大地讃頌」いずれもここ数年の彼らのレパートリーでありポピュラーで人気のある作品でありながら、なぜこれらの曲が歌われてゆくのかコンサートの流れが見え難い。開演のベルとともに私たちがおちいった、あの、よく分からないがどこか心許ない感覚が、パート5へと還流してくるのである。    
とはいえ、少年たちは実はこの2曲を非常に誠意をもって丁寧に歌っている。「僕はもうどうなってしまっても構わないから、フレーベル少年合唱団の歌を聞く人に届けたい!」という責任感あふれる頼もしい歌い上げで、彼ららしい底力を感じさせてもいる。高低のメインクルーたちが決起して最後の絶唱とばかりぐいぐいと合唱を奮い立たせる。Great Memoryの名に恥じない胸のすくような演奏だったが、ステージの組み立て方の難しさを思い知らされるプログラムだった。


上級生団員の微笑の意味するもの

演奏会最後の口上を担当するのはカルメン君である。彼らしい淡々としたナレーションの運びが印象的だが、明日からのフレーベル少年合唱団を支えて行くのが他ならぬカルメン君たちのグループであることを合唱団はここで示唆しているのである。「ハレルヤ・コーラス」にはOB組の隊列が戻り、少年たちは再度連合を組んで曲を仕上げる。pf、パイプオルガン総動員のトゥッティだが、少年たちの声を引きだすために男声パートが目立たぬようテクニシャン的なふるまいを潜行させていた。ソプラノ側からはローマ君やアンコール君たちに率いられた独自のトーンが立ち上がり、アルト側からはナレーター君を擁した少年らが応酬する。両者間隙の隊列センターを、カルメン君たち中学年グループがマイルドに充填し、King of Kings!へと追い込んで行く。この3年間のフレーベルの歌声が、ここに召喚され、再構築されているのだった。だからこそ彼らはスタートから気持ち良さそうに歌い、アルトの諸君はハッキリとした輪郭のカウンターパートを繰り出す。「とわに!とわに!(and He shall reign for ever and ever)」と各声部がカノンで積み上げる第2テキストのクライマックスに聞こえる団員一人一人の声の収束はもうトリハダもの。あなたの大好きな団員さんの声も明瞭に聴き取れたはずである。3小節の前奏の間、メサイアの慣習から起立をしはじめる観客はここには一人も居ない。今日の演奏が「ヘンデルのメサイア」ではなく、もはや「フレーベル少年合唱団のハレルヤ・コーラス」になっていることを実感できる一瞬だった。

アンコール君がお約束の美声で「アンコールしてもいいですか?」の台詞を高らかに唱え、合唱団がフォーメーションに隘路を渡して隊形を整えなおすとビスの演目が告げられる。緊張感に充ちるスケルツァンドふうの聞きなれた前奏がステージグランドから繰り出され、少年たちの「とっておきの一曲」が「ソーラン節」であったことを知る。この演奏会が「2008年夏の少年たち」からの贈り物であったことを再認識する。彼らはあの夏の日々…降り注ぐ蝉しぐれの中で「ソーラン節」を歌いだしていた。レパートリーは2008年7月の夏休み直前、NET系列の『題名のない音楽会』で公開収録される。佐渡裕の指導のもとハンドクラップの後に腿を打つ独特の演出が施され(同年8月24日地上波オンエア)、曲はライブステージへと戻って来た。出演が彼らの合唱を良い方向に変えたことは、もはや疑うまでもない。合唱団がアンコールの演目筆頭に『ソーラン節』を選んだことは、今回の定演が「あの夏に成立した僕らの隊列」のトータルレビューであったことを暗示しているのだ。だから、団員らの歌はライブパフォーマンスとして見ても実に手馴れていてソツが無い。各自が自分の鳴らしどころをわきまえていてここぞとばかり聞かせて来る。「ライブレコーディング=即・商品化可能」なクオリティーの高さ。彼らのチームの終着点が、ここに示されているのである。

当夜の合唱団を支えた大人たちを加えてオールスターキャストのアンコール2曲目「アンパンマンのマーチ」とオーラスの「団歌(リプリーズ)」にはB組が加わった。合唱は元気いっぱいの我鳴りに覆われ、ヤル気まんまん早とちりのプチ団員もいる。目を奪われたのは、日頃おっかない顔をして歌っている、常に後輩のステージ進行に厳しい上級生団員たちが、B組の可愛らしい粗相を見てもなお安堵し、無言のまま心底ニコニコと隊列を見下ろしたことだった。定期演奏会の最後の2曲は「僕らのチームの終着点」から一転、「明日からのフレーベル少年合唱団をキミらに任せる!失敗を恐れるな!元気に歌え!」という意味合いのものに変わった。終曲が「団歌」になったことは実にシンボリックである。バトンタッチをする側、受ける側、見守る側、…三者の全員がそろって、今歌っているこの曲がまぎれもなく確信を持って「ぼくらの歌」なのだと吟じるのである。
近年の定期演奏会に比べて明らかに短尺の1時間45分(休憩含む)の興行。終演は8時を15分ほど過ぎたあたり。横隊列ごとのバウがあり、それぞれのチームを代表する団員たちが各自の持ち味を生かした呼号をあげ、客席は今年もまた嬌声をあげつつ惜しみない拍手を送った。

フレーベル少年合唱団第50回定期演奏会は、かくして「懐かしむ会」にはならなかった。2008年の夏に生まれ、ローマ君が率い、多くの楽しい団員たちが支え続けて来た素晴らしいチームの仕事がひとまず終わり、合唱団がまた新しいフェーズへと少しずつ流れはじめていることを、記念すべき演奏会終演の余韻は告げているのだった。


フレーベル少年合唱団 第49回定期演奏会 創立50周年記念公演 ~美しく夥しくも嬉しい裏切りの中から~

2009-11-21 17:52:00 | 定期演奏会



フレーベル少年合唱団 第49回定期演奏会 創立50周年記念公演
2009年10月28日(水)
すみだトリフォニーホール
開場:午後6時 開演:午後6時30分
入場料:2,000円(全席指定)

「気をつけッ!ありがとうございました!」
 パート4のAB組ステージの終わりに早々とリトル団員たちのバウ&(簡易の)スクレイプ[1]が行なわれた。通常、フレーベル少年合唱団がこれをやるのは完全撤収の場面。「僕たちの出演はアンコールも含めて今日は全て終わりました」という符丁なのである。合唱団を好きになって何度か演奏会を訪れている人ならばよく知っているお約束事。「じゃぁ、A組の子どもたちは次の『カルメン』ステージに出ないの?!」とえらくガッカリしていると、ソデに引っ込んだばかりの彼らがすぱん!と瞬時に衣装替えし浮浪児役で飛び出て来る!「や!やられたー!」と思う。ぼんやりしていると嬉しい裏切りが次々手ぐすねひいて待ち構えている。彼らが演じているのは他でもない命をかけた男とオンナの究極の裏切りの物語「カルメン」[2]なのだ。「ハバネラ」のソロをいさめ、少年たちがフォルテッシモで歌っている…「♪気をつけろ!」。だが、小さなフレーベル・カルメン君はバラの花をピシャリとステージに投げつけるのだ。50周年記念公演のエフェメラ[3]が出来上がり、深紅にグラデーション・マッピングされたアブナい一輪バラの写真がボンとあしらわれているチラシを目の前に差し出され、手渡されたときの私の驚愕といったら…!
 
 彼らがオペラ「カルメン」の「衛兵の交代」(プログラム表記は「兵隊さんと一緒に」:今回、少年たちはこの曲でパート5を開演している)に出演したのは4年前の2005年4月、墨田区民オペラでのこと。物語はあきらかにそこから始まっているのだが、6年ぐらいでほぼ全メンバーが交替するフレーベルにとっては、かなり以前の話なのである。
 さて、実際問題として日本中に10団体ほどあるという少年合唱団(男子のみの児童合唱団)の中でもおそらく圧涛Iに音楽劇の上演回数が少なく、少なくともこの25年間は演出舞台以外の演技というものを定期演奏会のステージにのせてこなかったのがフレーベル少年合唱団なのである。彼らも、また彼らを取り巻く人々も、明らかに男の子のみのオペレッタの演技やハンドル経験というものを持っていない。少年たちはそれでも、何とか自らの履歴を頼りに自前の日本語版「カルメン」をゼロから演じてみようとした。それは、フレーベル少年合唱団の50周年記念定期演奏会が、何故「第50回定期演奏会」ではなく「49回定演」なのかという来歴をも想起させる。ときは1959年の初夏、合唱団第一期生として、とりあえず近傍から集められてきたお世辞にも合唱経験豊富とは言えない36名の少年たちの姿を目の当たりにして、初代指導者のャXトを任されることになる磯部俶が「定期演奏会を開催できるまで数年かかるから、それを(フレーベル館が)待ってくれるなら合唱団を引き受けてもよい」という内容の条件を担当者に呑ませて就任した逸話は比較的良く知られている[4]。フレーベル創成期の第一期生たちもまた、完全なゼロからのスタートだったのだ。大切なのは、先輩がたがとりあえず2年と2ヶ月でそれをやり遂げてしまったこと。私たちは昨年の定期演奏会で歌われた「ジャンボゴリラと窒フ子」を観て気づくべきだった。今回のカルメンのメインキャストをセリフ陣に配した昨年の「ジャンボゴリラ…」が、実は「来年は、もっとスゴイのをやりますヨ!」という少年たちからの予告メッセージであったことに私は終演後ようやく気づくのである。

 タイトルロールのカルメン&ミカエラ、またエスカミーリョ・グループ、ドンホセなどのメインキャストには、ソリストクラスの団員がここぞとばかり投入されている[5]。ハイライトとも言える詠唱ナンバーは「ハバネラ」と「ミカエラのアリア」(「ミカエラ・セレナーデ」)を「神様のおくりもの」君[6]がヒロイン二役の大車輪で担当。「闘牛士の歌」はエスカミーリョ役の「アリヴェデルチ・ローマ」君[7]が朗々と繰り出している。彼らの歌いもまた3ヶ月前にほぼ「即・上演可能」の水準で仕上がり、この夏を終えた段階でアリヴェデルチ・ローマ君は、声が落ち着いて色艶が入るようになり、神様のおくりもの君からは幼い発音が抜けた。ソリストを擁した少年たちは最後に惨殺場面こそ見せなかったものの、嬉しいカーテンコールからアンサンブルを客席に回すという荒業を仕鰍ッて聴衆を煽ってみせた。

 トリフォニーの客席をうめた人々は満足げに団員らの歌い姿を脳裏へと反芻しながら家路についた。だが、実は彼らはプログラム上、カルメンを7曲しか歌っていない。演者は身長150センチにも満たない男の子が30人ぽっちで、歌も動きも背嵩もスカスカ。ソロをとれる子どもは限られ、その他の役者連も少年たちだから、ずっと浮「顔で表情も硬かったりする。それなのに人々は何故あれほどまでに幸せな気分にひたれたのか…そこには2つのファクターがからみつつ作用しているように思える。そのために私はここで再び、あのアルト・チームの子どもらのその後を見ておく事にしたい。


だから君は行くんだ微笑んで…
 昨年、私がここに「アルトの花がひらくとき」とまで書いたあのチーム。今春までのフレーベル少年合唱団の右翼には頼もしい5名の先輩方が入れ替わりスタンバイしていた。彼らはアルトパートの堅牢な外殻であっただけでなく、また合唱団の歌とMCとステージハンドルを一手に引き受ける頼れる存在だった。たとえ上演中でも先生方が簡単な指示を出しさえすれば、彼らは豊富なステージ経験と知恵と歌の実力によってかなり複雑なMCをその場で考えて発したり、ぶっつけでソロや指揮をとったり、詳しい団員募集のアナウンスをしたり、客席をまわってプレゼントを配ったりということをやってのけた。テレビやレコーディングの仕事での露出も多く、「題名のない音楽会」ではアルト側からカメラがまわった。

 平成20年度のセレクト・アルトには、この先輩方のもと、さらにチャーミングなメンバーがひかえていた。…筆頭は昨年の定演でも人気者だったプチ鉄ヲタ君だろうか。彼はまた特徴的な声質の持ち主でもある。「出発合図」の後、指向性のアマいステージマイクは、横に避けているはずの彼の声を鮮明に拾ってしまうことが多かった。合唱団がこの春に吹き込んだCD『アンパンマンとはじめよう! お歌と体操(1)』(バップ:VPCG80642/7月24日発売)の「トイレにいこうよマーチ」などでもアタックの強い彼の声が楽しめる。

 声質ということで言えば、「カルメン」でも進行役ナレーションに単独抜擢され担当したスーパー・ナレーター君もまたアルトの所属。合唱団には代々、美声ナレーターと呼ぶべき先輩方がいるのだが、今回の彼はほんのりとハスキー気味で発音にコケティッシュさと明瞭さを兼ね備え、アルトの声質を生かし落ち着いたムスク系のMCが「いつまでもこの子の話し声を聞いていたい」と観客に思わせる。浅黒い顔に少年らしさを感じさせる外見とのギャップが実に痛快だ!かくして都内各所のコンサートで彼のカッコいいナレーションを聞いた女性客たちが、初恋の乙女のごとく吐息をつく光景を私は多数目撃することになる。

 彼らとともに「セレクト・アルトの末っ子」ともいうべき魅力的な役割を演じている少年の存在も忘れられない。彼の声質もまた幼少年らしい可憐さを湛えたもので、「カルメン」では声の嗄れかけたベテラン・ボーイソプラノと闘牛士のアンサンブルを組む。MCでは粘度の高い甘カワ系のナレーションを繰り出すこともできる。「題名のない音楽会」のオンエアでは、団員インタビューの最後に彼へとマイクが回り、ひとこと「元気が出ました」と述べた。この「元気が出ました」は、ボーイ・アルトとしての彼のステージでの生き様を実に言い得ていて名言だった。さすがテレビ局の編集なのである。

 常駐のセレクトメンバーはここまでだが、さらにこの隊列の下にA組ベースのイケメン軍団とも言える、体格のしっかりした少年たちがずらりと配された。歌い姿の実にキマった惚れ惚れする程カッコいい少年たちである。客席から見る限り、自らの貢献度や魅力というものをさほど自覚して歌っているように見えないのが非常に惜しいところだが、一昨年の定演を見て私が「アウトロー感満載でケタ違いに面白い。楽しみだ!」と評した彼らがついに本格配備され歌い続けた1年間だった。そして彼らの下にはもっとヤンチャでキカン坊そうな低声A組団員たちが添い、昨年度のアルト・パートは非常に魅力的な「ニオイ」を放つチームとして成立していた。

 「プチ鉄ヲタ君」「スーパー・ナレーター君」「元気が出ました君」…少年合唱団の演奏を個々の団員の活躍から論じることは児童合唱のファンとして決して好ましい行為ではないというのは私も良く承知している。だが、少なくとも近年のパフォーマーとしてのフレーベルのスタンスが、単なる「歌う男の子の隊列」(大切なのはあくまでも「歌」で、それをどういう子たちが歌っているのかは副次的な問題に過ぎない)から「真摯に歌う少年らの子どもらしい姿を見せ、楽しんでもらう場」へとシフトしてきたのは、紛れもない事実だ。アドリブのようにして押し込まれた、伴奏も指揮も無いぶっつけの短い演奏に、客席の人々が感極まってハンカチを取り出し涙をぬぐう修羅場のごとき場面に遭遇したことがあなたにも、あなた自身にもあるかもしれない[8]。「ここでこの子をこう使うのか?!」とステージ上の先生方の審美眼に度肝を抜かれ恐れ入った経験もあるだろう。夏から秋にかけての駅前コンサートで「もっと前に来て僕たちが歌うのを見てください!」「前の方で写真を撮ってください!」と団員が客席に呼びかけるシーンに出くわした方はいないか?一見して団員保護者と思われる方にそう声をかけられたことのある観客もいるはずだ。不器用で無愛想かもしれないが、歌に臨む少年たちの等身大の姿を見せることによって、フレーベル少年合唱団は格段に面白くなり私たちを喜ばせるようになった[9]。それゆえ、団員一人ひとりの歌が人物像を伴って客席からよく見え、彼ら個々の息遣いがハッキリとした輪郭を取りはじめた。…だがしかし、それだからこそ、合唱団は今秋のような危険を冒し発表のときをむかえることになるのである。


アンパンマンはキミさ!いつでもキミさ。
 フレーベル版「カルメン」には、ちょっとだけコミカルなナレーションが進行役として施され、それを「子どもたち」役と兼務でスーパー・ナレーター君が受け持っている。だが、メガネ頼りに彼がファイル原稿を読み流し、際立って明瞭な日頃の発音からはやや後退した出来で筋を語るという事態に私たちは遭遇することになる。考えうる状況として原稿を我が物とする余裕を合唱団は今年、持ち得なかったのではないかと私は考えている。また、当夜のアンコールにはレギュラーの「勇気りんりん」と「アンパンマン・マーチ」の前に「 I've Been Working on the Railroad(邦題:線路は続くよどこまでも)」が歌われた。曲の最後に、車掌さんの到着合図がピー・ピッ!のホイッスルとともに発せられる。このセリフは、あきらかにプチ鉄ヲタ君が担当することを前提として企画されたものだ。だが、定演当日、彼は期待されていた、あの「車内放送のコワイロ」をやらなかった。「夢の国、到着致しましたっ!ご乗車、ありがとうございましたッ!」…それはステキな彼のふだんの声でしかなかった。「これは何故?」と思ってしまったのは私だけではあるまい。

 私たちの大好きなフレーベル少年合唱団もまた、首都圏の子どもらの例に漏れず今秋、苦渋の事態に陥った。夏休み明け直後に健康そうな黒い顔をひな壇に並べた少年たちは、9月中旬を過ぎるとはやくも舞台に上がれなくなりはじめ、通常マックス3列横隊でステージ幅いっぱいに並んで歌うべき営業で、実際わずか15人しか集まっていないということもあった。パワーと見栄えの不足を補うため、とりあえず背嵩のいった子たちをセンターにリバースし立たせるという苦し紛れの応急処置まで繰り出されるようになる。それは今回の定期演奏会のわずか2週前の出来事だった。団員の復帰は遅々として進まず、頼みの綱の上級生たちはなかなかステージに戻って来ない。演目の殆どが数ヶ月前にほぼ仕上がっているとは言え、演技等最も大切な追い込みの時期に、肝心のメイン・キャラクターで旗振り役の少年たちの姿がそろわない。そして現実問題として実際、前述の通り合唱団のアルト・パート(低声部という意味ではなく、厳密な意味での「アルト」)は演奏会の後半にいたってもなお舵取り役団員らの暖機が殆ど起動せず、彼らはしっかりふんばって歌ってはいたのだが、結局パートとしての生彩を欠いたままの状態で記念定演を終えた。ソプラノ声部の方がダメージを免れた。「カルメン」の配役の中で、メイン・キャラとしてではなく「子どもたち」役でがんばった団員の中には日頃コーラスの核となりうるソリストクラスの団員が、2学期に入ってからもずっとベストコンディションのまま何人もキープされていた。例えば当夜の終演でも通常通りの出番で発声した「アンコール君」は、その他のコンサートでも「アンコールしてもイイですか?」をあの天然純正ボーイソプラノとも呼ぶべきクリアな声で叫び続けている。アルト声部と違って、コア団員を役にとられてしまってもなお、このような子どもたちの活躍で「カルメン」のソプラノ・パートはきちんと鳴り続けたのである。

 同様のことは、合唱団全体に対しても指摘できるのかもしれない。メインの上級生が入れ替わり立ち代わり欠場したこの2ヶ月間、ひたすらな姿でフレーベル少年合唱団の隊列を守り抜いたのは、学年は高いが短い団員歴しか持たない「中途入団」とも呼ぶべき少年たちや中・低学年の団員たちだった。…ステージメンバーとして常駐し、紺ベレーのかぶり方が上手でチャーミングな、ひな壇最前列に配される中堅の小さな団員たち…。彼らは先輩方の抜けた隊列を歯をくいしばり支えつつ、自らは10月28日に向い着実にコンディションを整えていったのである。背丈や声量や経験がほんの少し足りないという理由から、ささやかな偏見でもって彼らを眺めていた私にとり、これもまた喜ぶべき大きな誤算と素敵な「裏切り」の贈り物だった。


さあ行こう歌声が流れる…
 緞帳の下りないステージになってから、毎年私たちファンをやきもきさせていた入場は改善されていた。人数的なものに助けられてはいるが、彼らは今回15秒以内にスタンバイを完了させている。他所の少年合唱団と比較しても遜色の無い手際の良さを獲得したと思う。他にも、オルガンバルコニーへの隊列の流し込みや、「アンパンマン体操」「アンパンマンのマーチ」を使ったAB組ステージへの行進入場など、明確な根拠と経験に裏打ちされた工夫が整列場面にも生きていた。

 今回のプログラムは合唱曲のチョイスをパート1に配してから、前回評判の良かったパイプオルガン伴奏のステージを前唐オて置き、休憩をはさんだパート3に定番の「世界のャsュラーソング」のステージを充てている。ファイナルステージの「カルメン」の衣装替えと体力回復を見込んだのか、パート4へはAB組のステージをかまして上手に時間を稼いだ。フィナーレはアンコール3曲を歌い、劇場掲示の予定通りほぼ120分間の演唱で興行をはねている。

 全体のパート構成自体はごく穏当なもので、各パートに配当される曲数がほんの少しだけ抑制されているためにプログラム上はやや「食い足りない」印象を受ける。だが、それぞれのパートの後半にはちょっとした演出やサプライズなどの工夫が施されており、私たちを楽しませてくれた。パート1後半の四季の歌4曲は、洒落たハーモニーと伴奏で編曲された気のきいたアレンジの楽譜を選んでいる。ユニゾンばかりで歌ってしまっていた一時期もあったため、昨年の定演のパート1でのハミングやボカリーズなど少年たちの頑張りがフレッシュな驚きに感じられた。今回のアレンジのチョイスはおそらくそれを自信とした上でのものなのかもしれない。狭母音は総じてクリアに整えられ、音価通りのロングトーンも効くようになった。トリフォニーの最初の2年間、噛み合っていなかったホール音響は既に彼らのものとなり、ボーイソプラノの肌理を生かした繊細なフィニッシュを聞かせてくれている。終曲の「冬の夜」には早くもキレのいいソプラノ・ソロの投入が見られる。その起用と伴奏が低声の少年たちのコントロール力とあいまって、客席を温もりに満ちた安堵感で席巻しつつ最初のステージを終えている。

 パート2のオルガンステージは今年もセレクトメンバーがホリゾンに後退。ハーモニーはミュートされて素材の実力が際立ち、舞台のイメージも上手にリセットされ始まった。これがあの「アンパンマン体操」や映画「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマソングを♪ゲゲゲのゲーと歌っている同じ合唱団?…思い込みを裏切る、清新で少年の骨格を感じさせるピュアな声作り。「あたしはャ潟tォニー系のトレブルしか『ボーイソプラノ』とは呼ばないんだよ」などと気安く言い放ってしまうような人たちは、この演奏を前にどういう言い草をするのだろう。地明かりの照明を落とし、彼らの紺ベレーのチョボがスャbトライトに射抜かれ、くっきりとしたシルエットでオルガンバルコニーのコンソール壁面に写るさまは当夜のコンサートの見所の一つとも言えた。
 今年は「アヴェマリア」の聞き比べの趣向もあり、一曲だけ「天使のパン」の挿入があってから、前触れもなく隊列がステージフロアに下りてくる。何が始まるのかと思ったら、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の「アヴェ・マリア」の冒頭にはついに長い長い試用期間を経たセレクトメンバーのハンドベルがブリリアントに鳴って合唱を従えた。オルガンとベルのアンサンブルもまがいものでなく心地よい。今年の定演の開幕には、1ベル代わりにオルガンバルコニーから白手袋の団員代表の手でモノホンの「ベル」が鳴らされていて、それがこの「カヴァレリア・ルスティカーナ」のインテルメッツオ導入部分へとつながってくる仕鰍ッになっているように思われた。

 休憩を挟んだ第3ステージのアペリティフは「ベサ・メ・ムーチョ」だが、MC後に「ゴッドファーザー」が歌われた。短いイントロの出し抜けのソロ先攻。日ごろ彼らのステージでこの曲を繰り返し聞いてきている私たちは、よもやソロが入るとは微塵も思わず、予想すらできず、漫然と客席にふんぞりかえっていて度肝を抜かれた。これは非常に衝撃的な展開だった。…「嬉しい裏切りオンパレード」の50年記念定演にさもありなんである。お客様はソロが引き取ろうとした途端、曲の終わりが待ちきれずとうとう拍手を始めてしまう。

 次のパート4でも同様のサプライズが用意されていた。A組単独のステージにして既にユニゾンでガナる小さな団員たちがおり、そちらの方に目を奪われていると、突然ノビコフのソ連歌謡にドカン!と幼年ピオニールばりのソロが投入されたりする。全く予断を許さない。フレーベル少年合唱団のソロは絶対にセレクトメンバーが担当すると思っているようなヘビーなファンほど仰天の具合は激しい。圧唐ウれている間に聞き慣れた「アンパンマンマーチ」の前奏が鳴って彼らが歌ううち、今度は流れ込んできたB組団員にステージ・センターが乗っ取られてしまう。このパート4は、たった一列の小ちゃな小ちゃな少年たちに大舞台が制圧され、客席がャJンとしている間に6曲が披露され終わっていたという驚愕の15分間…演奏会というよりはゴキゲンで小癪なステージ・ジャックと言えた。私にとって、当夜のあまたのシーンの中、最も爽快で幸せな気分にひたれたのは、A組隊列の前に並ばされニコニコと胸を張って歌うB組軍団の堂々とした晴れがましい姿を見たときだった。彼らにぜひ明日のフレーベルの歌声を託して欲しいと思ったのはおそらく私だけではなかったと思う。


群にはぐれた子ツバメたちは、何を見てきたか
 さて、「裏切りの定演」であるとすれば、やはり負の「裏切り」についても触れておかなくてはならないと思う。今回、アンコールの3曲を含めて、私たちはトリフォニーのステージに33曲ものレパートリーを聞いた。全くもって不足は無いのだが、活動の報告会という側面も持つ定期演奏会に「どうして歌われなかったのだろう?」と思われる作品群が3タイプある。
 先ず挙げられるのは、この一年間、全てのコンサートで必ず歌われてきたため、まず間違いなくプログラムに盛り込まれるだろうと考えられていたもの。「リサイクルレンジャーの唄」はこれまで3番と4番をつまんだ短縮版を殆ど全てのライブパフォーマンスで供してくれていたが、バラード調の美しい3番を担当するソリストとともに今回はついに聞くことが出来なかった。
 次に、従来の定演の流れで、当然歌ってくれるものとして考えられていた企画。「僕たちの活動報告」のコーナーが姿を消した。今年、全国ネットのテレビで流れたCMソングやサウンド・ロゴの中には一見(?一聴?)して「あ!フレーベル少年合唱団の声!」と判るものがいくつかあった。合唱団は今年も引き続きCMやCDレコーディングの仕事に忙しく飛び回っているはずなのだが…。ホール入口で、試供品のガムやキッチン洗剤のおためしサンプルを手渡されたりするかもしれないとわくわくしながら当日を待った来場者には、ちょっと予想外の結末だった。
 そして、運良くばアンコール曲などのカタチで聞く事ができるかもしれないと予想されたものに「あかさたなはまやラップ!」や「崖の上のャjョ」がある。フレーベルではどちらもユニゾンの演奏であり、ライブ中も「オマケ」の格づけだったため決して必然性の高い演目では無かったが、客席の感触は極めて良好なレパートリーだった(年配の聴衆に、少年たちのラップが毎回大ウケなのには完全に意表をつかれる)。定演の1ヵ月後に発売予定の『アンパンマンとはじめよう! お歌と体操編 あそぼう!ことばリズム』 [DVD](バップ VPBE-18422) に挿入される「あかさたなはまやラップ!」(CD版の発売は、さらに1ヵ月後の2009年12月中旬:バップ VPCG-80643)は、合唱団がドスのきいた地声でラップをまくしたてる異色のナンバーだが、前回定演のカノン・ステージがCD『たのしい輪唱<カノン> 』(キング KICG-247)の実質的なプレミア公開であったことを考えても「あかさたな…!」だけはひねったカタチで演目にのぼるのではないかと予想されていた。

 会場がトリフォニーに移ってから数年続いた、ステージユニフォームの目まぐるしい「おめしかえ」で魅せる趣向は、今回、カルメンのコスチューム替えを射程に入れたものなのか目立たぬようイメージ的に抑制されていた。ただ、「キャバレーの雰囲気」「バーテン軍団」「カマーバンドしてる意味が希薄」「ジャケットの裾(スソ)が何か変!」…等々と毎年ネット上でコテンパンに叩かれまくっているレンガ・ジャケットは、今年は黒ストローの中折れ帽が新たなアイテムに加わりさらにパワーアップ(笑)!!彼らミニ・マフィアというかアルトのイケメン軍団やメゾ位置にスタンバイするリトル・セレクトの子どもたちが、目が隠れそうなほど中折れを深めにかぶって客席を睥睨する姿は、シニョーラをもてあそぶヤサ男の色気芬々で、最終ステージのカルメンの伏線ともなって秀逸だった(たぶん、フレーベル以外の日本中の少年合唱団の男の子には、こういうナチュラルな着こなしはできない?!)。

 ユニフォームの更衣が全てのクラスでわずか2回に留まっていたのは、通常営業のフレーべル少年合唱団を知る我々にとって、意想外の事態だった。5年前の突然の刷新があってから、合唱団は長年継承してきた単一不変のモデル[10]から突然解放され弾けたかのようにステージ衣裳を多様化させる。無帽・紺ベレー・今回投入された中折れの3種の帽子、赤・黒の二種類のボウタイとネイビーベロアのリボンタイ、エコ対応のノーネクタイ、メロンとスミレのマフラー、Y字のサスペンダー、プルオーバーの紺ベスト、今回着用のイートンジャケット、レンガ色ブレザーにワンピーク・チーフ、冬季のブランケットコート、イートン用にしつらえられた紺パンツ、ブレザー用の側章パンツ、おそらく2種の紺半ズボン、ソックスは白・黒のハイソックスにSA組はこの夏、20世紀じみて不評だった白ハイソックスをリーマン仕様の黒いクルーソックスへと鮮やかに差し替えた。自前のワイシャツと黒革靴を除いて、これら多種多様のアイテムを日によって細かく組み合わせて着せる。2日連続の出演でさえ、翌日のコーデを微妙にズラし、昨年と同一日程で開催されるコンサートも気候天候に合わせパッケージ自体を差し替えるなど、そのバラエティーは千変万化だ。暑い夏の午後、駅前で歌う無帽・ノータイ・ワイシャツでクルーソックスをはいた半ズボン姿の少年たちの一団を見て、それがまさかフレーベル少年合唱団の2009年の隊列であるとは元指導者でさえ俄に言い当てられないことだろう。現役団員のクロージング面でのふるまいは、ファルセットで響く少年たちの澄んだ歌声だけをお目当てにコンサートへ足を運んだ人々には、さぞや裏切りともとれる居心地の悪さであったに違いない。だが、ここでもまた私たちは、合唱団が聴衆のため、単なる「歌う男の子の隊列」から脱却しつつあることを実感することになるのだった。

 「創立50周年記念」の冠のある定期演奏会だ[11]。だが、私たちファンが想い描くような「片耳の大鹿よ」や「天使の羽根がふってくる」や「北国の春」や「ハレルヤコーラス」といった演目、またOB合唱団の単独ステージ…それらは、もはやプログラムに上がっていなかった。1000名を超えるというOB諸氏にとって、これは「俺たちの歌った日々は、いったい何だったのだろう?!」とホゾを噛む思いだったろう。かろうじて「創立50周年に寄せて」とサブタイトルのついたセクションに含まれていたのは、ビゼー「カルメン」のハイライト版だけだった。これは「50周年」でなくても良いのでは、関係無いのでは、と思わせた。手渡されたプログラムを一見して、私たちはそのラジカルな決断に驚く。…だが、裏切りの物語「カルメン」が進むにつれてフレーベル少年合唱団の「50年目の今」が、彼らの歌い姿からどんどん、どんどん見えてくる。愉快なほど明らかになってくる。私たちはじき明るく晴れやかな気分になっている。長の年月、「ぼくらの歌」を客席で聞き続けた私たちは決してOB諸氏の想いを裏切ることはない。ステージの幕が下りるたび、私たちは思い出すだろう、あなたがたがいてくれたからこそ、フレーベル少年合唱団が今日も人々にやすらぎと勇気を与え、ここにあるのだということを。

 1999年11月17日午後6時30分。私は人いきれのする芝公園abcホールのアルト側席のャWションにようやく腰をおろし、突然、何の前触れも無く団員の9割が小学3年生以下の隊列になってしまった第39回定期演奏会のステージをぼんやりと眺めていた。当夜のB組にはユニフォームが無く、舞台はシンマイ団員たちの着る思い思いの私服でにぎやかだった。この演奏会は実質的には磯部先生の追悼演奏会だったが、ひな壇へと溢れんばかりに居並ぶB組メンバーたちの姿がなぜか強く私の心を引いた。創立40周年記念のその定演が、実は10年後の今夜の予兆となっていたことに、私はプログラムをたたみながらようやく気づく。あの夜のB組がそうであったように、フレーベル少年合唱団は夥しくきらびやかで楽しい「全くもって新たな隊列」をその後の10年間で用意することになる。

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*1  バウ・スクレイプ
 当夜のバウ&(簡易の)スクレイプは、実はこれまでの定期演奏会の終演に施されたバウとは若干違っている。掲げた腕で胸をすくいとるとともに、自分の右脚をわずかに前方へと滑らせ5秒間のホールドをかける優雅さを強調した所作へと進化させた。この目立たぬバージョンアップは2009年1月にはすでに完了している。背丈があり、相対的に脚の長い上級生の方が、このバウでは動作がダイナミックになり見栄えがする。

*2 「カルメン」
 正確には、ビゼー作曲、歌劇『カルメン』の「ハイライト版」であることが、冒頭の団員ナレーションで告げられている。また、テクストはオリジナルのフランス語ではなく、日本語末ナ。MC台本は、おそらく合唱団の創作。伴奏は1台のピアノがフル・オーケストラ並みの鮮やかなサウンドで大活躍する。
 日本人ボーイソプラノで歌われる「ハバネラ」は『∀ガンダム』のサウンドトラックなどを吹き込むTFBCの大塚宗一郎が1996年に本田技研工業のスメ[ツクーペ「プレリュード」のCM用にレコーディングしたものが記録として残っている。当時、大塚は11歳だったが体格的には比較的小柄だったため、半音階をャ泣^メントで落とすなどのテクニックを駆使し「愛の小悪魔」という舌足らずなイメージを上手に表現している。
http://www.youtube.com/watch?v=JVJs_yso9Mc

*3  プログラムについて
 今回の定演チラシやプログラムの表紙を見た人の殆どが、のっけから度肝を抜かれたに違いない。なんと言っても本業が出版社。センセーショナルなイラストの配し方。シブいフォントも使われていて、簡素なつくりのペラの印刷物ながらキレの良さが光っていた。ただ、指揮の寺澤先輩とピアノの中村先生のお名前がどこかに入っていても良かったのではないかと思う。

*4  創立25周年記念演奏会プログラム(1983年)ほかによる

*5  女形たち
 例によって少年合唱団のため、ソプラノ・アルト設定の配役4名は女形で扮装。何かキャラ的にありえなくもなかったので、ちょっと笑ってしまいました…ごめんね。この役を引き受ける彼らの度量の大きさは通常のステージにも見えるような気がします。ふだん、合唱団で歌っている険しい表情の彼らは頼もしくって大好きです!

*6 「神様のおくりもの」カルメン君
 「カルメン/ミカエラ」君と「エスカミーリョ」「ドンホセ」君たちの間の学年ギャップがとてつもなくセンセーショナル!たぶん学校に行ったら「エスカミーリョ」君が6時間目の児童会活動をやっている時刻に「カルメン」君はもうとっくに下校してお家でおやつを食べているぐらいのアッと驚く学年差だ!そういう彼らが非情な恋のカケヒキを演じるというのだから…。少年合唱追っかけ歴の長い人でもこういう年齢差のキャスティングはおそらくお目にかかったことは無いだろうし、これからも未来永劫に無いだろう!今回のカルメンを目撃できた人はかなりスゴいものを見たと言ってよい。
 さて、何が近年フレーベル少年合唱団の在り方を大きく変えたのだろう。
あなたも「小学1年生の男の子は小学1年生の歌しか歌えない」と思い、「1年生の男の子は、1年生なりのMCにしか使えない」と思い込んではいなかったか?「小学2年生の男の子が演ずる劇は『えんそくにいくんだ』や『おたまじゃくしの101ちゃん』であり、オペラ『カルメン』になることは無い」と決めつけてこなかったか?中学生の団員から居るフレーベル少年合唱団にあって、私たち聴衆もそして、おそらく歌っている少年たち自身も「少年合唱団というのは、小学校高学年の男の子が上手に歌えてナンボのものだ」と信じ込んではこなかったか?定演プログラムの隅っこに、カルメン君の名が「ついで」のように載ってから5年…合唱団はなんとパワフルで魅力的なパフォーマー集団へと急成長を遂げたのだろう。たとえそれが小さな男の子たちの歌うステージであろうとも、周囲の人々のもっていきかた次第ではたくさんのお客様に夢と力と勇気と(そして十分なクオリティーの合唱を…)確実に届けてさしあげられることに合唱団は気づいてしまったのではないか?カルメン君の出現が結果的に、彼だけでなく、たくさんの中・低学年メンバーたちの歌い姿を輝かせ、早い時期に信頼度の高いセレクト組へと押し上げ、歌う「ちから」のャeンシャルを励起させたと考えられはしないか?フレーベル少年合唱団が50年間耐え抜いて得た、貴重な「神様のおくりもの」が、私たちの前に見えてきはしないか。

*7 アリヴェデルチ・ローマ君
 メゾ・ソプラノ系の特徴的な余韻を持ち味にしている彼は、夏休みが終わると同時にアルト・ソロでも遜色ないほどに声が野太くなり声量も出て、もともと期待されていただろうソプラノ声部の牽引力という役割を確実に果たすようになった。スレンダーなうえ常におっかない表情で歌っているためシッカリ者のソプラノと思われそうだが、ステージの姿を見る限りちょっぴりお茶目なところもあって憎めない癒しキャラ。題名のない音楽会で、佐渡先生から「脚を叩きましょう」と言われて見せた屈託の無い笑顔に「このお兄ちゃんもステージで笑ったりするんだ…」と、かなりビックリした人も多いはず。いずれにせよ、2009年現在のフレーベル少年合唱団の実働部隊全体を実質上率いているのは、アリヴェデルチ・ローマ君をメインに据えたボーイソプラノ群である。

*8 単なる「歌う男の子の隊列」からの脱却
 例えば2009年5月17日 六義園コンサートの二連アンコールなど。

*9 合唱団の年間出演回数
 フレーベル少年合唱団はその来歴と境遇ゆえにかつて長いこと、「たとえ客席に聞く人がいなくとも僕らは歌い続けるのだ」という謹厳実直なバックボーンの児童合唱団だったように感じる。だが、彼らは今、「客席にお客様がいるからこそ、僕たちは歌い続けるのだ」という合唱団に変わりつつある。
 この1年、一般公開した単独出演ステージは雨天による中止を除いても30回前後にのぼった。単純計算で年間を通じ12日に1度は都内のどこかで30分間以上のコンサートが開かれていることになる。今後、この頻度はさらに増え、年間40回を数えることになるだろうと思われている。それゆえ彼らが練習場を飛び出しステージ上で実戦から歌を学び、パフォーマンスの過程で歌の心を学んでいることは、もはや否定できない事実となった。

*10 旧ユニフォーム
 圧涛I多数のOB諸氏が袖を通し45年間にわたって団員たちの身を包み続けてきた旧ユニフォーム!創立50周年ということで思い出そうとネット上を探しました。新旧のユニフォームを紹介しているサイトもあるにはあったのですが、「あまりにも実物と違い過ぎるー!」と悲しくなってしまったので、記憶を頼りに自分で描きました(うっ!)。これでほぼ正確なハズです。シャツの襟の形状も再現したつもりなのですが、解像度を落としたらディテールが消えてしまいました(要はヘタくそ! orz)。昔は、この半ズボンの丈を見てさえ「うわ!長過ぎる。ぶかぶかしてて、古くさい。」と思ったものです…懐かしい。自分の記憶にある色でジャケットが描けたので満足しております(Macで描いているので、ウインドウズPCで見ると色が濁ってると思います)。描いていて思ったのですが、このユニフォームって美醜の問題というよりは、かつて歌っていた団員たちの心の体温のようなものを感じる。私にとってはながめていてなぜかホッとする「癒し」のアイコンといえます。

*11 消えた赤いfマーク
 毎年の定期演奏会で必ずホリゾントに掲げられていた赤いfマークは、会場がシューボックス化して緞帳が下りなくなると姿を消した。50周年でも掲示されていない。フレーベル少年合唱団が国内の他の少年合唱団よりもかなり早い時期に「第○回定期演奏会」というステージハンガーを舞台上に吊らなくなったのは、このカッコカワイイ赤いfマークが代用されていたためと考えられる。おそらく仕込みの簡略や、バトン使用料削減などの理由から、どこかへ行ってしまったこのfマークが再び日の目を見て少年たちの背後に掲げられることは今後も無いだろう。



痺れるようなサプライズの果てに~フレーベル少年合唱団の2008年定期演奏会

2008-11-17 22:17:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団第48回定期演奏会
2008年10月8日(水) すみだトリフォニーホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分(終演 午後8時30分)
全席指定2000円

サプライズから報告の会へ
 演奏会最後の撤収の場面、B組の団員代表が号令をかけようとして、誤っておそらく毎週の練習の終わりの挨拶をしてしまいそうになる。B組だから…。でも、錯誤があったにせよ彼は「いつもの僕らの合唱団」を真剣に見せようとした。(*1)フレーベル少年合唱団第48回定期演奏会というのは、実はそういう誠実な演奏会だったのではないかと閉幕後に気づかされる。
 昭和時代の終焉とともに、フレーベルBCは定期演奏会に様々な演出を仕鰍ッはじめることになる。当時、合唱団を担当なさっていたW女史は「定演の幕が下りた瞬間にまず考える事は『来年の演奏会ではどんな趣向で楽しんでもらおうか』ということ」という内容の話を繰り返ししていらした。現在の定演でもウツワのカタチだけ踏襲されているトータルコンセプトの「今年のテーマ」があり、その下に私たち観客をアッ!と言わせる展開や見る者の情緒に直接訴えかける演出が用意されていて、ともかく「定期演奏会を見れば現在のフレーベル少年合唱団がどんなものであるか」は分かっても、「日頃のフレーベル少年合唱団の活動を知っている人が、定期演奏会の内容だけは予想がつかない」というある種の「サプライズ演奏会」的な面で楽しませていた時期があった。私はそれを心から楽しんで見て、わくわくしながら聞いた観客の一人だったからそういう定演を否定する気にはなれない。ただ、最近の定期演奏会は「ビックリの歌声」を聞かせる演奏会から次第に「今年一年間の活動を報告する」演奏会へと良い意味でシフトしてきていたと思う。

 アンコールのナレーションを急く団員が、隊列上段の方から前方に並ぶ団員の肩を突き飛ばしてフレキシブルマイクの前に踊り出て来る。「これはありえない!」と一瞬思わせる(例えばFM合唱団だったら、ひな壇を下りて来る団員のために美しく身体をかわす少年たちのシステマチックな姿を観客に見せる)のだが、彼の台詞が例の「アンコールしてもいいですか?」だったために全て合点がいくのである。客席からは笑い声とともに拍手が起こる。あっぱれ!演出なのだ!このように今年の定期演奏会には舞台慣れしたフィーリングの感じられるMCが聴こえた。ミニ・コンサートとは言え真冬の寒風吹きすさぶ中から盛夏の酷暑の炎天下まで毎月コンスタントに2公演ずつ。年間合計20ステージに届こうとする野外ライブパフォーマンスを団員のMCで(それだけでなく、往年の少年合唱団の映画ばりに、アルトの団員がカッコ良く指揮をとる演奏に遭遇できるときもある!わくわくする!)打ち続けて来た継続の賜物が、当夜のこの客席サービスの中にある。彼らはおそらくおびただしい回数の「アンコールしてもいいですか?」を言い続けて今夜の終演へと至っているのだ。

 アンコールには「リサイクルレンジャー」ほか計2曲が供された。アンコールに「リサイクル」テーマというのも、児童合唱団の定期演奏会としてはかなり異例の選曲なのだが、「…レンジャー」の最後の、あの「ダメ出しメ[ズ」が男の子っぽくヤンチャにキマって客席は大喜び。この曲はフレーベル館が2007年10月に出した環境保育の実例指導書「心を育てるリサイクル」(ISBN9784577803127)の所収で、少年合唱団の歌う範唱CDが付録としてバンドルされている。だから、「リサイクルレンジャー」のCDを手に入れようとすれば、自動的にこの本を買うことになるし、CD化された「リサイクルレンジャー」を歌っているのは世界中でまだフレーベル少年合唱団だけでもある。株式会社フレーベル館の事業としてのフレーベル少年合唱団が、会社へのお礼と報告のために催す定期演奏会という図式が、このアンコールで明確に、だが非常にさり気なく誠意を持って提示されているのである。

アルトの花がひらくとき
 2年前の定期演奏会の感想で、私は「新アルトはチームとして非常に魅力的なものを持っている。このチームが後年どういう使われ方をするのか見届けたい。」と期待に胸膨らませて書いている。だが、昨年のレメ[トは一転し「上級生として信頼されて行くに従ってフレーベルのアルトはチームとしてではなく全体のカラーの中へ穏当に収斂されてしまった」と酷評した。「つまらなくなった。」と書いているのである。その少年たちは今年、どうなったのだろう?

 合唱団はパート2のトリで前半の部の最後でもあるセクションに日本の民謡を3曲だけ歌った。パート2は前半が「今年の活動報告」と銘打って、彼らの担当したCMソングや映画主題歌(*2)などを披露。昨年同様の「これは何のCMの歌でしょう」という地方の少年合唱団のステージ・テーストを強く感じさせる印象的なコーナーがあり、その後にかなり唐突な印象を与える「民謡」のナンバーがわずかにくっつけられているという構成になっている。これはもちろん前半の部のフィナーレに「ソーラン節」を配置するための布石でもあり(*3)、「題名のない音楽会で歌いました」というMCが無くても殆どの観客にとっては「その放送は見た」というステータスのものだった。実際、客席は手拍子膝拍子(?)で大いに演奏を堪能し、私たちは大変満足して休憩時間を迎えることができた。少年たちの目論見は見事に大当たり!でも何故、何のための日本民謡集だったのか。『報告会』であればソーラン節だけでよかったのではないのか?

 疑問に答えてくれたのは、昨年私が「ソプラノの顔をしたアルト」と評した、その少年たちの今年の隊列だったように思う。
2曲目に「おてもやん」がある。歌いだしの団員らの声は息を呑む一瞬の弱起の中からフォルテのかかった一点突破のような後舌母音の深い共鳴に担われ、鋭利に立ち上がってくる。彼らの体格はまだ小さくて、弱い横隔膜を繰りながら息を押し上げるため、自分たちのお腹をグイと前に出してふんばろうとする。私は同じその姿を1980年代の初頭、フレーベル少年合唱団のステージで繰り返し見た。当時、彼らは九州民謡を何曲か携えて歌っていた。きっとマレーシアのツアーでも歌ったのだと思う。「おてもやん」はその稀有な歌いだしの声から、強烈な印象のレパートリーの一つだった。48回定演で彼らはそれを再現して見せた。「僕らの歌」は終わってなどいなかった!これも活動報告だったのだ!そして2008年の今、私がすみだトリフォニーのステージ上に聞いたのは、あのアルトのハーモニー。チームとして共鳴する彼らの音。歌っている子たちの身に付けるものは、もはやマリンブルーのジャケットではない。だが、立ち姿は、山本健二先生の前で自ら「手打ち」や「乱れ打ち」をやりながら頭をかきかき「おてもやん」を歌っていた、懐かしい匂いのする、温和で枯れていて、一寸だけ照れて火照って、チームとして安定し、見る者・聞く者をあたたかい気持ちにさせてくれたアルト団員たちの姿そのものだった!この定演は他でもない、かつて連綿と続いていた「フレーベル少年合唱団のアルト」を愛するファンにとって、十何年ぶりかに訪れた夢のような至福のときだった。 だから彼らの音楽への迫り方は禁欲的なまでに正攻法だと言える。他の合唱団の真似をしたり、「新生フレーベル」的な気負いのある声で歌ったりせず、あくまでも先輩たちが極めていた団員としての生き様を追及して、このようになったのだと思う。
 もちろん、彼らのブレスは殆どの子で非常に高く上がってしまっていて、声質的にも生来のアルトとは思えない子もいる。また、今年のセレクトAアルトの最大の弱点として、彼らが本来いるべきャWションであるプレーンA組合同の編成に戻ったとき、チームとしてはもちろん、音楽としても上手に他声部へ付き添いきれないということもある。(だから、これは、彼らが優秀な低声部の後継者を2008年10月の今、ほとんど持っていないという決定的な弱みでもあるのだ。基幹メンバーの欠席したコンサートのフレーベル少年合唱団の歌い姿は、まるで別の合唱団を見るようだ。)だがそれでも、今年のセレクトAアルトの出来のよさは群を抜いている。少年合唱というのは、やはりチームのなのだ。

 彼らの持つ連帯感は、隊列の自然な美しさというところにも現れている。
フレーベルの整列というのは、実はどのクラスもとてもラフなもので、客席で見ていても(…そしてホリゾン側から見ていても!)あまり美しいというものでは無いのだが(*4)、今年のアルトにだけはそれが見られない。彼らの並びの正確さはおそらく鍛えられた「耳」と幸運に見守られた「連帯感」によるものであり、同じアルトの誰が自分から見てどの方角の何センチの位置で歌っているか感覚的に把持されているかのような美しさだ。このため、セレクトAだけの隊列を見ると、どの子までがアルトで、どの子からがメゾなのか視覚的に知られてしまう。今年のフレーベルのセレクトAアルトは乱暴に言って、そういうチームとして私たちを喜ばせている。
 パート3のおなじみ「世界の名曲」のコーナーで、レンガ色のユニフォームを着て歌っているあいだ中、アルトの少年たち(…と、ソプラノの左翼の子達の一部もそうだったのだが)は全員、手を後ろで組まず、体側に落としていた。そのカッコよさ!見た目の爽快感!個人プレーでは無く、各自がしっかりと「フレーベル少年合唱団」の上級生団員を演じ、今年は一人ひとりが自分の持ち味を生かしてチームへと止揚されている。見せるエンタテイメントとしての立ち姿の美しさ。各自のキャラが立っていて、明確な、だが、イヤミの無い主張をしながら隊列を作っている。「背が伸びちゃって、声がオジサンっぽくなってきたからアルトにでも下りなさいよ」という「でもしか転落アルト」の編成でないことは明らかだ。受験、進学、他のお稽古ごととの競合、「ゆとり教育」の揺り戻しから土日祝日へと怒濤のように還流してきた学校行事…ベストの状態はおそらく来春までも維持できないのかもしれない。だが、少なくとも当夜のアルトの歌いは他の追随を許さないと思われるほど惚れ惚れとするものだった。鳥肌がたつほど美しい声質で私たちを甘く苦しめる団員がいる。ピッチ保持力やリズム感などを日々の研鑽を通じて勝ち獲たと思われる子もいる。それをチームとしてのコアに据えず、メタボリズム的に組み込んでソリッド感を出すという心憎い人員配置になっている。彼らがどういう日常生活を送っているのかは、私たちにはわからない。だが、ステージ上の彼らのスマートで凛々しい姿からはこの年齢層の男の子にありがちな気分の悪い「増長」が殆ど見えてこない。しっかりと『夢』だけを見せてくれるのである。

 ステージMCの要員としての使われ方を見ても、それは明らかだ。アルト基幹メンバーのほぼ全員が、一人ひとり出て行ってマイクの前に立っている。全員が歌だけでなく少年らしい地声の喋りでも観客を魅せている。また、アルト団員がステージでのたいていの事態へ臨機応変に対応できる上級生としての冷静な判断力や行動力を責任感とともに身につけていることが客席からもよくわかる。フレーベルの高学年生たちは、ときに未就学児の団員を擁しながらステージに上がり、さらに保育図書の会社の合唱団であることから客席に幼い観衆を抱える事が多い。小学5~6年ぐらいの少年たちが、ライブ中の経験を通じ想定外の出来事や指揮者から発せられる突然の指令にも機転を利かせ対応できるよう育っていることは決して理解し難い事ではないと思う。また、演奏中の彼らが垣間見せる菩薩のような慈悲深い穏やかな眼差しは、こうした日常の歌い姿から導かれてくるのかもしれない。

さりげなさの統御
 開演前、観客がチケットをもいでもらいロビーに入ってゆくと、ふつうの児童合唱団の演奏会では配られることの無い「ビオレUうるおいミルクA」のお試しサンプル15ml(試供品)を唐突に手渡されたりする。合唱団の歌うテレビCMを知っている観客ならば、もう笑いの止まらない大ニヤリのサプライズなのだが、それをステージでの紹介の前にやってしまうというさりげなさ。そしてアンコールナンバーに黙って「リサイクルレンジャー」をしのばせる心にくさ。当夜のコンサートには、このフレーベル少年合唱団らしい「さりげなさ」が随所に見られた。

 そううたってはいないが、演奏会のちょうど2週間後発売になる新譜CD「楽しいカノン」の挿入曲を聞かせる「輪唱」のコーナーが挿入されている。いわゆる「プレミア公開」なのだが、日本の児童合唱団らしく発売「予定」のものに対して宣伝がましいことを全く言わなかった。「うれしい楽しいクリスマス」を彼らの声で聞いて気づいた事があった。合唱団はこの曲を昭和時代に「レコード」にも吹き込んでいる。降誕祭らしい華やかさや、橇遊び的な躍動感にあふれる仕上がりだった。それに対し、今回のカノン・アレンジは伴奏もツェルニーのピアノ練習曲といった風情の「さりげない」ものだった。これが非常に良かった。ピアノが子どもたちの声を邪魔せず、タッチの間隙から上手にボーイソプラノを響かせてやっている。コーナー冒頭は「かえるの合唱」だった。少年たちはフォーメーションを入れ替えてみせる。4声のカノンなのだ!通常、フレーベル少年合唱団は、可愛らしいドライ気味な頭声で揃えたコントロールのかかった声作りと、頭声の中にカツンと響く声の混入を認めた、男の子らしい生活感に満ちた素材を大切にする声作りとを上手に使い分けてステージに上げている。当夜のカノンのステージには後者の声が選ばれていて、それが4声に分かれて届くという心憎い演出になっていた。伴奏のセーブと相まって、少年たち一人一人の声が愛らしく、ときに頼もしく、あるいは楽しく客席へとやってくる。自分のお気に入りの団員さんがいれば、その子の声を合唱の中から聞き取る事だってできるのだ。2曲目の「メトロノームの発明者メルツェルに」も4声。2声に後退するあとの2曲では、プチ鉄ヲタふうの演出などでカバーする(コレがめちゃくちゃにカワイイ!)。合唱団は今回のCDで全体量の3分の一強にあたる13曲を担当しているのだが、定期演奏会ではその中から曲がさりげなく、だが上手に注意深く選びとられていることがわかる。

 回を重ねてすみだトリフォニーの音響特性を学んだ少年たちのトーンには心地よく制御が効いているものも多かった。パート1の最後を飾る「瑠璃色の地球」のラストノートの美しさ。アイドル歌謡を感じさせない真っ直ぐな少年らしいナイーブさ。低声域から上って添ってくるアルトのさりげなさ!PA拡声がややドラスチックなために、日本の少年合唱を聴き慣れない人には「おや」と思われるのかもしれない。日本にいくつかある少年合唱他団のライブ整音を聞いて比べると当夜の音響の妥当性が理解できる。ギリギリではあるが私は許容範囲内であると思う。この日もパート3で毎年お楽しみのソロがあった。それを聞いて想起したのは1989年4月2日に日本青年館大ホールで聴いた大浦広というボーイソプラノのソロ(スタジオ録音のヴァージョンはセット売りだが商品化されている。フレーベルの団員ではない)。強烈な印象が残っているのは、振りをつけて歌いながらその子自身がマイクの正面に来るよう、ャWションをずらしていたことだった。彼は他のレパートリーでも演奏中マイクの高さを片手で変えている。教会の聖歌隊出身でクラッシックの発声で歌う小学3年生の男の子がそれをやったことで「日本の少年合唱団のPA拡声」は既成事実になったと思う。今日のいかにもフレーベル的な愛らしいソロがトリフォニーの音に沿った形で拡声されていたのは嬉しかった。

オー・ハッピー・デイ
 パートとしては最後の、…ステージとしては最後から2番目の位置に「アベ・ベルム・コルプス」と「アヴェ・マリア」があった。少年合唱団のステージ演目としては決して斬新なものではないのだが、当夜のセレクトAは60ストップ規模の本格的なパイプオルガンの伴奏で、合唱団のスタンバイ位置も聖歌隊よろしくオルガンバルコニーのコンソール際ぎりぎりまで寄って歌ってみせるという観客本位のことをしている。彼らの「聖歌隊」としてのコンディションは良好で、ディナーミク、ピッチ感ともに穏当な、説得力のある演奏を聞くことができた。曲数が2曲と少なく、じっくり聞いたという感じにはなっていないことから、ヒトコト言いたい人もいるのだろうか。合唱やソロのPA拡声にしろ、オルガン使用にしろ、必ずそれなりのコストがかかることをおおかたの聴衆はおそらくあまり意識しながら聴いていないと思う。トリフォニーの大ホールで指定席2000円ぽっきりという破格なチケット代が何を意味するのかもよく考えてみたいと思った。

 宗教ナンバーとしては、この他にパート3の「世界の名曲」でもジョージ・ハリスンの盗作問題を通じ有名なゴスペル系の「オー・ハッピー・デイ」が歌われている。以前、定演の似たようなコーナーで「アイル・フォロー・ヒム」を聞いた強烈な記憶があるのだが、選曲の元ネタが分かったようでちょっとニヤリとさせられた。少年たちの歌いにはウーピー・ゴールドバーグばりのガラッとした咆哮は無く、70年代ごろのフレーベルの先輩らが何故か身につけていたブルージーなフィーリングも既に過去のものとなり、ややぎこちなく、早く言ってしまえばドライな印象。ただ、ここでもアルトの追唱は完璧で、実にマイルド(「弱い」のではなく「マイルド」)な歌い上げからコーラス全体をあたたかくカバーしている。

 一時期、やや気になっていた煩雑な出ハケは今回解消されていた。ただ、男の子ゆえの跫音に配慮しているらしい非常にゆっくりとしたスピードの歩きを保った入退場だけが印象に残った。彼らは「アヴェ・マリア」のステージのあがりにオルガンバルコニーからひな壇へオープンのまま移動する様子を見せているのだが、この少年らしい爽やかな行脚は「歌以外のところも見せて客席を楽しませる」男の子の合唱団のコンサートならではの趣向だったと思う。

 痺れるようなサプライズの果て、今日の定期演奏会のステージで聴衆の見たもの、聴いたものは、フレーベル少年合唱団の日々の立ち姿の中からもたらされる良心に満ちた歌声。私は冒頭に「今年一年間の活動を報告する演奏会」と書いた。
…だが、実際に私が得たものは「報告」という無味乾燥の復命ではなく、夢のように幸せな音と少年たちの歌い姿の横溢。このひとときを聴衆へプレゼントしてくださった先生方になんと言って御礼したらよいのだろう。不幸にも多くの人々が他人を不愉快にさせてしまう子どもを生み育ててしまうこの世の中で、他人を幸福にして余りある男の子らをここに送り出してくださったご家族の皆様へ、心からの感謝と激励の言葉を申し述べていたい。

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*1 フレーベル少年合唱団のコンサートならではの楽しみの一つに、終演時のボウがある。同じ振りに見えるが、実はここにも団員一人一人の個性があって、最後の瞬間までたっぷりと私たちを魅せてくれる。ボウの優美な団員を探すのも一興。実に意外な子が宮廷貴族さながらのやわらかな美しい挨拶をしていたり、白馬の王子さま顔負けのりりしい姿を見せてくれたりする。ちょとウキウキ!

*2 サウンドトラック版の「ゲゲゲの鬼太郎」は実にフレーベルらしい声質で良かった!映画館の座席でむしょうに身震いがしたのは妖気でゾッとしたからではなくて、この歌声が劇場の広いスクリーンに大音響で響いていたからだった!オキニの団員さんたちの声がストレートに押し寄せてくる感じ!2007年から2008年にかけて、彼らは映画サントラの児童合唱を何本か担当しているが、どれもインパクトのある歌声で銀幕を飾っている。

*3 「ソーラン節」とともにオンエアされた「歌えバンバン」が当夜のプログラムからドロップされていたのはとても残念だった。一時期、定演のアンコール曲として用意されていた頃もあったこのナンバー、放送では前の方のマイクが子どもの声をけっこう拾っていて、わくわくするようなハーモニーだった(声質的にも現在のフレーベル少年合唱団のトーンに合っている)だけに惜しいような気がする。

*4 ステージ整列については、最近改善が見られるようだ。子どもたちのフレキシブルなふるまいが頼もしいと思う。



日本で一番「イキのいい」少年合唱団の一夜の物語

2007-11-19 23:30:27 | 定期演奏会

 これは2007年の今、日本で一番「イキのいい」少年合唱団の隊列に並んで歌っているというのに、それが自分たちのことであるとはおそらく思っていないステキな少年たちの一夜の物語。
平成時代もあと2ヶ月で20年を迎えようとする年、その少年合唱団の名前を挙げようとするのは、決して困難なことではない。
平日の開催。午後6時半開演。夜9時終演という定期演奏会。こんなハンデのある時間帯に、まがりなりにも1800席規模の都心のコンサートホールを様々な層のお客様でそこそこにうめて2時間超を聞かせきる。国内のどこの少年合唱団ならほかにできるというのだろう。
 ほかにも考えてみるべきだ。この1年間、(ミニミニではあるにせよ)単独・一般公開の年間コンサート実施回数が一番多かったボーイソプラノの合唱団の名前は?
録音担当を含む全国展開のテレビCM出演本数の一番多かった少年合唱団は?
国内・非インディーズレーベルでの商品CD吹き込み曲数・枚数最多の男の子の合唱団の名前は?
12月発売、最新版の「千の風になって」のCDを吹き込んでいる児童合唱団はどこ?
どの質問にもフレーベル少年合唱団の名前一つを挙げれば事足りる。

 私たちが男の子の合唱団のコンサートを聞くとき、歌っている団員の姿を見ること自体が演奏会の大きな楽しみの一つであることを思い知らされる。国内で最も「イキのいい」はずの彼らは、歌い姿に全く攻撃的なところや脂ぎったところが無い。はるか神田小川町時代からこの合唱団が持っていた無骨さや前にしゃしゃり出て来ることをしない質朴さが、当夜も魅力的に彼らの隊列をまとめあげる。
 プログラムがミソだ。その少年たちのふるまいはさらにハッキリとしてくる。おそらくこの1年間に吹き込んだCD・DVD(*1)の曲や放送されたCMソングを全てしっかり歌うだけでも定期演奏会の四分の一分量のワンステージを消化することができただろう。だが、一番たっぷりと歌った「ファインプレーを君といっしょに~GoGoジャイアンツ」でもダイジェスト版という慎ましいチョイス。CD版ではフルコーラスを供している「緑のそよ風」でさえハイライトのみという非常に抑制された披露にとどまっている。あとは代表的なCMソングのほんのさわりの部分と曲紹介MCがパート2ステージ冒頭、「ぼくらの活動報告」という地味なタイトルのついたコーナーであっさりと扱われ、ISO14001関連の保育関連書籍「心を育てるリサイクル」(フレーベル館・10月)に収蔵された「リサイクルレンジャー」等の曲目がその後に歌われている。プログラム全体は、この合唱団が1990年代からさかんに打ってきたトータルコンセプトの構成を踏襲して(今回は「星=わたしたちの環境」ということだった)スリムに組み上がっている。出色なのは現状の団員たちの体力をよく知った上で上限ぎりぎりのプログラムの量がはかられていることだった。そして毎週、男の子らと激闘を強いられている指導者がその中から考えつくのだろう、ちょっとした演出の工夫がさりげなく目立たないようにちりばめられていて、年少さんの男の子をステージにあげながらお客様にきちんと満腹感を与えて帰すという一見矛盾するような難しい作業を逆転の発想でなしとげている。
 その簡単な例は、緞帳の下りない終演処理の秀逸さに見られる。例え野暮ったく見える危険性はあってもチームとしての折り目の正しさや礼儀の良さをハッキリと見せて客席を納得させるステージ手法は、もちろんこの合唱団の専売特許では無い。だが、未就学児から中学生までを抱えるフレーベルは終演後、その年齢ごとの隊列をボウ&スクレイプでたたみかけるように片付けて鮮やかに退場していった。あたかもボーイスカウトの一団がビーバー>カブ>ボーイと下の隊からイヤサカを唱えテントを撤収していくような心弾む楽しさ、少年らしいシズル感の良さを演奏会の最後の瞬間まで提供してくれている。マイクスタンドに以前のようなブームを使わず、作為的にフレキシブルをかまして放置する(*2)。A組プレーンのアルトがバミテープを使わず整列位置を勘案する姿を見せる。B組の子どもに常動的な振り付けをさせて揺さぶる。…等々、定演を飾る「さすが保育出版社の合唱団」と言いたくなるような演出手法は枚挙に暇がない。

 毎年様々な発見のあるャbプス系コーナーは今年もパート4への配当。レンガ色の新しいジャケットのお披露目(*3)があり、プチ・ダンディで痛快だったのだが、お楽しみはそこまで。常連のお客様方が密かに楽しみにしている「ソロ」煽りのウレシイ暴挙(?)も無く、最近のフレーベルのフォーマット通りユニゾンで押すちょっとモッタイナイ展開だった。「機関車トーマスのテーマ」など斉唱で仕上げた作品がCD化もされ評価されている中で、ユニゾン自体が特にどうこうというわけではない。課題として見えてきたのは、こじんまりとまとまってすっかり落ち着いてしまったセレクト・アルト使い方。今日のこのコンサートでの彼らの歌いぶりをみると2年前、当時まだ貧弱なプレーンA組の団員にすぎなかったこの少年たちがなぜチームとして非常に魅力的に見えたのかはっきりした。もともと魅力的な声を持ってセレクトにのし上がってきたアルトは現在のフレーベル少年合唱団には何人もいないように見える。良い声は持っていても体力的にあやしいものがあったり、集中力がもう少しあればという子がいたり…その中で何とかがんばって歌っている苦労人に見える子や、先生方がそれとなく目をかけてやっているらしい感じが見え隠れする子や、僅かな経験を大切にして歌う職人のような子や、もう歌っているツラガマエ自体が不敵で素敵でたまらないという子まで…イロイロなタイプの男の子の姿が客席からもしっかりと見えた。様々な子どもたちが混在していた魅力。
「少年合唱団って、結局はチームなんですよ」と、かつて技術的にはとても高いレベルだったよその少年合唱団の6年生団員から繰り返し説かれた。だが、上級生として信頼されて行くに従ってフレーベルの方の彼らはチームとしてではなく『フレーベル少年合唱団』全体のカラーの中へ穏当に収斂されていく。
 この子供たちに比べると現在のプレーンA組のアルト(ほとんどユニゾンなので隊列の中央から右側にいる男の子たち)はアウトロー感満載でケタ違いに面白い。「ソプラノの顔をしたアルト」という役柄を押し付けられているセレクトの上級生に比べ、彼らのハジケ方は「歌っている男の子の姿を見せて人の心を癒す」という日本の少年合唱本来の持つ楽しみ方を最大限に許してくれている。残念なことに訓練が足りず、彼らは2時間半にも及ぶ長丁場の待機でさすがに疲れてしまうのだが、それでもセレクトに彼らが添ったときの立ち姿や声の通し方は実に魅力的だ。

 今回の定期演奏会で、合唱団はステージ後半を中心にめまぐるしい衣裳替えを行なった。ベスト&ボウと靴下のコーデを含めると、少年たちは各ステージ毎に違った格好で登場して歌った勘定になる。現在の団服へとステージユニフォームが切り替わったとき以来、「昭和30年代ブームの今、なぜわざわざ流行最先端の団服を廃して地方の学校制服みたいなデザインの服に替えてしまったのだろう?」とずっと思い続けてきた。だが、当夜の徹底した「お召し替え」を見せられた今、フレーベルのやっているのは少年合唱団の「着せ替え遊び」などではさらさら無い、彼らなりの明確な主張だったのだということに今さらながら気づきはじめている。同様の主張はステハン・スタッフの絞られかたにも見られる。指導者ステージのステージハンドは明らかに人数不足だ。だが、団員たちは新しいユニフォームの背中で言っている。「僕たちは一度、あの僕らの大好きなフレーベル少年合唱団と訣別するんです!」と。
 日本のボーイソプラノの合唱団シーンは、20世紀の後半に幾度もの「訣別」を経験して面白くなってきた。ビクター少年合唱隊が1970年代の初頭「僕たちは日本版ウイーン少年合唱団なんかじゃない!」と、外国の少年合唱団の後追いを止め、フォーマルのステージ衣裳を脱ぎ捨てて鮮やかな黄色い半袖トレーナーをまとったとき。ビッグ・マンモスが80年代に「歌って踊れれば日本中の子どもたちをもっと楽しませることができる」と、合唱をすてユニゾンで歌い始めたとき。90年代に暁星小学校聖歌隊が「文部省学習指導要領よサヨウナラ!」とばかりNHK学コンの金賞校へ颯爽と躍り出たとき。明らかに日本の少年合唱は良い方に変わり私たちのボーイソプラノは格段に面白くなっていった。そして今、私たちのフレーベル少年合唱団は、あの心休まる慈愛と温もりに満ちた紺碧の団服を脱ぎ置いて、精一杯変わろうとしている。
 その兆しは六義園の冬から春のコンサートのステージに、彼らが新団服基本のネイビーを保つマントケープと長ズボンのいでたちで歌い始めたとき、既にもう顕れていて明らかだった。45年の長きにわたりトレードマークであり続けた団服をたたみ、ステージハンドに先日まで隊列で歌っていた団員たちだけを使って…。「サヨウナラ!神田小川町の子ツバメたち!つらいけれど僕たちは、もうあそこに戻れない。」
棒を振っている人が合唱団の優秀なOBなのだから、その思いは気まぐれや思い付きであるはずもない。

 日本で一番「イキのいい」少年合唱団の一夜の物語はこれで終わり。「イキのいい」と言っても魚だけとは限らない。しかも一つだけ思い違いがあった。「月夜の蟹」はナカミが薄く、美味しくないものと相場が決まっている。脱皮をして、産卵の時期でもある。どちらもフレーベル少年合唱団の現状に当てはまるはずなのに、彼らの歌う姿は新鮮で美味しかった。今度聞くときはもっとお腹を空かせて来ようと思う。とっても楽しかった。ごちそうさま!

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*1)「デストロイオールヒューマンズ!日本版」のエンディングテーマは、おそらくフレーベル少年合唱団が今年録音した唯一の商業用DVD収録作品(セガ・2月発売)。ジャケットに「暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています」とレートC相当の警告文がついているため、おそらく今回は演奏することができなかった。

*2)フレキシブルスタンドを未就学児に調節させ…あるいは調節できないまま本人が知恵をしぼったり見切ったりする一瞬の愛らしい姿を全て見せる。一方で中学生がこれをいともタヤスく操ったり中堅の団員たちが当然の事のように下級生へ気配りしたりというそれぞれの年齢の姿の鮮やかな対比までをパッケージとして楽しませた。

*3)どうもカマーバンドをしているらしいのだが、側線入りのズボンなのだから、やはりジャケットの襟底からバンドが覗くようにしめる方がダンディーというか男の色気が出ると思うのですが…


フレーベル少年合唱団 第46回定期演奏会

2006-10-23 23:21:29 | 定期演奏会



 かつて座席数400の土曜日の芝公園ABCホールですら満席にできなかったフレーベル定演も、21世紀に入ってからホームグランドのイイノホールをたて続けに満席にし、昨年はついに席数を100席追加して紀尾井ホールへ。そこでもさらに満席状態になりました。毎年頂いていた「ご招待」のハガキはもう何の意味も果たしません。団員さんのお母様にムリヤリ席を融通していただいたりして何年か座ることができました。今年は一挙に1801席のすみだトリフォニーへ場所を移しての開催。全席指定。合唱団が定期演奏会の客席を全席指定にしたのは昭和時代の終わり頃の定期演奏会以来およそ18年ぶりのことです。観客は2階席まで入りました。昭和時代最後の最盛期は25周年記念定演の1983年頃のことです。当時は団員や会社のコネが無くてチケットをとるとちょっと厳しい席にしか当たらないほどの盛況でしたが、その再来を見るようでした。プログラムもしばらく続いて来た賑やかなタッチのものではなく、ミッドセンチュリーモダンなシックなデザインに変わって内容も無難に整理されました。

 プログラムに並んだ演目はフレーベルらしい懐かしい匂いのするものが多く、定期演奏会のステージにふさわしいものになっています。わかりやすく言うとOBのお兄さんたちが暗譜で歌えそうな曲が各所にちりばめられていて、タクトを振っているのが合唱団のOBでもあるのですから当然なのでしょうけれど、誠意と言うものを感じさせました。しかし、その聞き知った曲の間から私たちにもたらされたのは、この少年合唱団が今後、何を克服していけば良いのかという明快な道筋でした。

 第4部になると、これもフレーベルお得意のスクリーンミュージックのナンバーをセレクトチームの子どもたちが主としてソプラノ声部のソロをフィーチャーして聞かせます。お客様は大喜びでした。本来これらの曲は叙情性や物語性にあふれ、メロディーラインは比較的低めで、ひばりがさえずるような華やかなboy sopranoとは無縁のものです。低めのメゾかアルトの子どもたちに歌わせたい作品群でした。肝心のアルトの子どもたちは演奏中どうしていたかというと、ソプラノのソロの団員たちの歌声にうっとりと聞き入っていました。それは、彼らが本当はどうしていたいのかをきちんと話してくれているようでした。

 現在のアルト声部のコア団員たちの基本隊列が出来たのは2年前の2004年のことです。当時、偶然ですが、私はこのアルトの団員たちをかなり近くで見たことがありました。小さかった…というよりは子どものことなのですから当然背丈の問題ではなく、どの子も頼り無さそうな肩の線を見せて立っていました。ただ、彼ら新アルトはチームとして非常に魅力的なものを持っていることがわかりました。このチームが後年どういう使われ方をするのか見届けたいと思ったものです。
ちょうどその時代にはFMの合唱団のアルトで面白い動きがありました。「ぼくたちは日本一のボーイ・アルト」と自ら公言してはばからないアルトやメゾ低声の男の子たちが自信に満ちあふれたパート展開を繰り広げていた時期でもあって、2つの合唱団の低声部の違いが際立って見えていました。あちらでは本来メゾソプラノが歌うべきソロのャXトをアルトの少年たちが奪い取って来ては我が世の春とばかりに歌っています。テレビの公開クラッシック番組でソロ出演した子どもたちもメゾとアルトのチームから選ばれてきていました。そこで私はフレーベルのアルトの子どもたちもあと何年かしたらチーム的に精神面でも肉体面でも変化があるのだろう…合唱団全体の声のカラーもボリューム感も全く違ったものに変化を遂げるはずと思っていました。

 定期演奏会当夜、フレーベル少年合唱団はフィナーレに児童合唱組曲「火のくにのうた」(プログラムでは「ひのくにの歌」と表記されている)を持って来ていました。この曲も先輩方が以前にレパートリーにとりあげていた作品です。20世紀の終わりに児童合唱のひな壇に立っていた全国の子どもたちの多くが今でも前奏を聴いただけで「どっどどどどーどどどどー」と歌えるでしょう。かつて、フレーベルの定演のステージで「火のくにのうた」を歌った団員たちが2006年の私たちに予言し、教えてくれていたのは、2006年のフレーベル少年合唱団のメルクマールとは何かということでした。目にも鮮やかなコバルトのお揃いのジャケットをずっぽりとまとって歌いながら、彼らは「なんで21世紀の僕らの後輩たちはソプラノとアルトが同じなの?」とイタズラっ子そうに言います。「ハレルヤ・コーラス」のときも彼らはトリフォニーの客席はるか後方でそうつぶやきます。美しい、きらびやかな、シャンペンシルバーに輝く至福のひとときでしたが、それでこれからこの合唱団がどういう声を作って行ったらいいのかがよくわかりました。

 今回の定期演奏会に出てきた少年たちは明らかに片足を「新生フレーベル少年合唱団」突っ込んだ状態であると言えます。愛すべきB組の子どもたちは相変わらずの見事な出来とキュートさで私たちをクラクラさせてくれるのですが、A組にはいくつかの揺さぶりがありました。まず、一見して分かるのは無帽での登場やベストを充てた団服のバリエーションなどのクロージングの面。さらに手を後ろに組まずに歌う姿を見せるなど合唱団が何十年も維持してきた約束事の部分的保留ということがあります。どれも彼らが「ちょっとだけやってみた」という段階にあることは明らかなのですが、私たち聴衆にとっては「今後のお楽しみ」ということでもあります。
 勿体ないと思うのは、フレーベル少年合唱団らしいおっとりした「出はけ」が緞帳の下りない大きなホールの会場になってちょっと目立ってしまっていたこと。バリエーションもありません。観客は同じひな壇にぞろぞろと並ぶ少年たちの様子を2時間15分のうちに何度も鑑賞させられることになります。もう一つはとても難しいことではあるのですが、少年たちが、すみだトリフォニーの音響特性を上手に使いきっていないことです。1年目のステージなので、これらは毎年繰り返し使ってみていろいろ研究してくださると面白いと思いました。
 アンコールに「シング」を入れましたが、あとは定石通り「勇気りんりん」と「アンパンマンマーチ」を歌って8時45分に終演。休憩時間を含めれば年少さんの団員からいる少年合唱団の演奏会としてはかなり長尺の部類に入ると思います。


恐竜の時代へタイムスリップ / フレーベル少年合唱団第45回定期演奏会

2006-04-14 23:13:19 | 定期演奏会

 フレーベルのファンを自称する人ならば、今回のこのコンサートは「スグル先生の、この1年」を聞きに来たということだけに収斂される演奏会ではある。「団歌」、中学生っぽい「フェニックス」と来て、「未知という名の船に乗り」まで来ると、もうそういうファンはすべて納得済みで「これ以降の曲は団員達からのサービスとして聞かせてもらうよ」というところが正直な感想だったろう。「未知という名の…」と「気球に乗ってどこまでも」は、フレーベルが決定的な危機状況に陥る前の、いわば「パックス・フレーベル」の至福を謳歌していた時期を象徴する2曲。そして、「アンパンマン」系の曲を2曲入れてありはしても、プログラム全体の色調は1970年代のフレーベルを強く意識させる。あの、苦しかった時期の合唱団を想起させる構成は徹底して排除されているのだ。

だからこの演奏会を「スグル先生の、この1年」とだけしか考えていなかったファンにとっては、それで満足しただけのコンサートになってしまったことだろう。フレーベルの奇跡は再び訪れた。けれども、今の彼らはまだ、それ以上のものにはなっていない。「往時の幸せだった頃のフレーベルがよみがえった」だけであることを感覚として感じた古くからのファンは、それならば来年の定演に、かつてのフレーベルを凌駕する、メリハリのある、日本語のクリアな、男の子の体温や汗を感じさせる、それでいて気品のある演奏を見たに違いない。次のステップが明確に具体性をともなって客席からも見えたはじめての演奏会なのだった。

東京の他の少年chorの定演同様、フレーベルも今年、ついに定期演奏会の開幕の数秒間から「緞帳がスルスルと上がる、あの一瞬の高揚感」を放棄してしまった。団員たちが自分のベレーにつけた傾きを真剣な面持ちで確かめ、真っ白いソックスをしっかり膝下まで上げずに団歌の前奏を弾き出されてしまった一瞬の後悔の気持ちを、残念ながらもう、フレーベルの開演前後のステージ上に感じる事はできなくなってしまった。ここ数年、イイノ・ホールを満席にして立ち見を出し続けてしまい、音響構成的にもキャパシティー的にもホームグラウンドとしての使用をあきらめざるを得なかった。今回は約100席を追加してTFBCも定期演奏会で使っていた紀尾井ホールに会場を移す事になる。新しいフレーベルが狙っているboy soprano然とした清心な声質を紀尾井ホールが十分に響かせてくれたのは嬉しい。

だがしかし、かつてのフレーベルに比べ明らかに見劣りのする部分もある。この合唱団のアルト声部と言えば、以前はチームとして非常に魅力的な体臭を放つセクションだった。定期演奏会のときも、フレーベルのアルトの少年達を「見に」行くと言ってはばからない人さえいた。その年月、私は等身大のアルトの団員たちを小川町のフレーベル館の練習場で何度も見て、その歌声を聞いた。「色気より食い気」の飄々としたお兄ちゃんたちや、それを見ながら背伸びをしてみるヤンチャ坊主たちが入れ替わり立ち代わり入って来て歌っていた。彼らのチーム自体が「うたごえ」そのものだと言えた。私は今もそれを決して忘れない。でも、今のフレーベルにはそういうアルト・パートは存在していない。老練で極上の声質の子ども達はソプラノやメゾに配されていて、アルトで歯を食いしばりながら合唱団を支えているのは小さい可愛い男の子たちだ。乱暴な意見だが、この団員構成はむしろ逆でもいいと思った人も皆無ではないと思う。