60回定演が終演し、この演奏会の何が良かったのか幾度も考えた

2022-11-27 13:43:46 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団 第60回記念定期演奏会

2022年8月31日(水) 午後6時30分開演
東京芸術劇場コンサートホール(池袋) 
全席指定 2000円

大竹くんたちみんなの、初めて見る上級生ネクタイ姿。広くなった肩幅で伸びた甘く温かな声をホール音場に聞きわけられた瞬間の、なんとシアワセだったことだろう!
友金くんたち上級生の至福だが真摯に真っ直ぐ互いに添い立って歌う表情を再び拝むことのできる場面をどれほど長く甘苦しく待ち焦がれたことだろう!
野木先輩たちのすっと伸びゆく謝意に満ちた上背のシルエットと歌声を「終わりよし」の心地から楽しめる夕べの到来が、いかほどか、かけがえのないことだったろう。(しかも池袋の地で!)

フレーベル少年合唱団第60回定期演奏会は、筆者にとって(おそらく全聴衆にとっても)、あからさまにいとおしくも甘く切ない素晴らしい演奏の夕べだった!

「唐突に」という形容すら成立するかもしれない。3年間のブランクを凌駕する団歌の始まりだった。
「我ら歌う少年ら、チータカタッタと、ここに集い!」という前奏ファンファーレ…1959年フレーベル少年合唱団誕生の高揚と、当時の少年らの曇りなき青眼は、もはやここには感じられない。(*)60余年の波乱を乗り越え、結局60回目の定期演奏会を前に私たちを襲った辛く悲しい事態を我が事として大人びた冷たい目でうべなうことになった高学年団員たちの歌声、というやるせない味付けが、今定演開幕の団歌『ぼくらのうた』の歌唱にはありありと感じられる。同じ曲を毎年歌わせながら、今年、そこには小中学生男子の持つ体温の高さや無邪気さ、明るさ、楽しさ、「…結局、キミら…『人生とは』…なんて誰ひとり考えて無いんだろうね??!」的な天真爛漫さの魅力などが一切読み取れないように被覆されている。極めて篤実なエンタテイメント性を備えたオープニングの持って行き方だと私は瞠目した。
(*団歌に間奏・後奏が入っていた時代、少年たちはコーダに向け、「緑の丘へ!」とマルカート・アラ・マルチャで行進曲風の味付けがしっかり出るよう高らかに歌っていた。彼らは高度経済成長期日本のモーレツな少年合唱の実践と発展の一翼を担っていたのである。)

しかし、かなり以前から劇場サイトへの告知掲出があったため、”突然のことで驚き”ということは無いのかもしれないが、冒頭1曲目のレパートリーは、なんとクロッカーの『グロリア・フェスティバ』だった!?
3年前の前回定演のオープニング・ナンバーである。
観客を3年前の時間軸へ引き戻して演奏会を楽しんでもらおうというお客様サービスだったのかもしれないが、これは(コロナ前の定演と同じ曲を同じ箇所で扱うことは)非常に危険な選曲で、小心な私だったら決して踏ん切れない大英断だと思う。

レモネードの匂いがする制服の左ポケットからにじり出したくしゃくしゃのドル札2枚とダイム1枚ネコ2枚ワシントンのクオラ1枚をパチンとレジに置くと、お店の人がenjoy!と目配せして「楽しく歌いなさいよ」と言いながらこの楽譜を手渡してくれる情景がありありと目に浮かぶ。合衆国の6年から11年生ぐらいの子供たちの日常の姿をよく具現した1曲で、歌詞にあるミサ通常文はここでは殆ど景気付けのはやし言葉程度の意味しか持っていない。(クロッカーはラテン語部分の意味の説明を一切せず、「こう発音すりゃそれでイイんだからね」とローマ字読みのような発音注記だけをご丁寧に載せている)。その囃しコトバのようなメロディーを「ポスト・コロナ・フレーベル」独特の、飄々とした声が、ぱた、ぱた、ぱたと積層してゆく。私がここで安堵したのは、メゾとアルトがリードして始まる初句の少年たちの背負う身軽な信任だった。コロナ前の数年間、フレーベル少年合唱団S組のアルト声部に顕在し直截に在った臭気は、彼らの体臭や生き様や矜持や指導ではなく、彼らに対するあからさまな「評価」だった。おそらくそれは部外者や一見の観客の目にも明らかであったろう。だが2022年の低声部がリードするキックオフには、少なくとも「評価」に類する査定が見つけられなくなっていた。フレーベル少年合唱団のアルトは癒されたのだ。

続くソプラノ部が単独で突っ走る4小節目から先を、下支した低声たちの慈愛と分別のある合流は、せせらぎのように静かで品もあり聴いていて心地よい。A-Duaにギアアップし「カム オール リジョイス イン ザ ライト」と歌う高声部をドルチェで受けとるアルトの少年たちの心象の自由さ、晴れがましさ、そして何よりも楽しさ弾けっぷりは新しい「フレーベル少年合唱団アルト」の記念すべき健全の凱歌だった。(…と、書いては見たのだが、この部分の約16小節間で聴衆の心を鷲掴みにするのは、ソプラノとメゾの紡ぐ老練の超カッコいいハーモニー!これを意識させずアルトの方にだけ人々の目を向けさせ賞賛を譲るメゾ団員達は「おまえも悪よのぉ」なトンデモない確信実行犯である…)

筆者のプログラム設定に関する杞憂はこの曲に関して完全な見当違いだった。前回の演奏で強く感じられたF音から↑Cへの跳躍(?)で声が抜けてフォールする現象(このモチーフは曲中に9回ほど登場する)はソプラノ・メゾではほぼ克服されていたし、団員の立ち位置の間隔や音場が彼らの耳を幻惑させてしまうのではないかという問題も許容範囲内に留められている。獅子奮迅のアルト・リードの声は常にブライトで明るく私たちを励起させる。

結局アルトの諸君が1拍リードで上の声部の子達を引っ張ってゆくフィナーレのおよそ12小節、冷静な声で歌い始めながら、最後はフォルテシモからディビジ5声で全音符タイ2つを啼く華麗なエンディング。カットオフのPf.がターボ吸引のように「何かスゴいことでもあったんですか?」とばかりこれを収め静寂に帰す憎らしさ。子供達の合唱がうまくいけばいくほどこの落差は大きく、痛快だ。

演奏会は今回も魔笛2幕16番三重唱「再びお二人を歓迎します!」を約倍増員で歌って開幕している。このプログラム設計とクロージング・プランは、曲のタイトル通り「再度、皆様方を定期演奏会に歓迎いたします」という趣向になっている。だが、演奏の内容は今定演の概観をさりげなく(しかし明確に)伝えるものだった。
東京芸術劇場大ホール(改修後は「コンサートホール」という名前に変更されている)を少年たちがどう鳴らすのかを全ての観客は目撃することになる。そして第一声から「コロナ禍の間にフレーベル少年合唱団本隊がどのような歌いを獲得してきたのか」というプラス要素を私たちは耳にする。大ホールがポーイソプラノを煌びやかに粒立ちよく聞かせ、しかも場内音響が彼らの声も合唱も、もにゃもにゃと残響でつぶしてしまうことは無い機能美も報知する。低声部はクリアに聞かすが突出させることをしない。曲の終わりに繊細さデリカシー0(ゼロ)のはずの男の子達が落ち着いて薄皮のようなメノモッソをかけるのを聴いて、ヒエぇーと心中驚嘆の声をあげさせられ、おしまいかと思うと、前回とは異なり、エレガントかつ愛らしいタッチで後奏を鳴らすピアノのアマデウス味も味わえる。

高額なチケットノルマをこなす保護者サイドが1階席の占有優先を持つのは当然の特恵だと思い、また、さぞや大変なノルマだと思うのだが、プログラムには既に次回61回定演のインフォメーションが載っていた。
「文京シビックホール」の文字にちょっとガッカリ…というか、子供たちの声をこんなにフレッシュで煌びやかに響かせた東京芸術劇場で開催実績が作れたのに、なぜ? キャパシティ的にも観客動線的にもノウハウ的にもコロナ時代の開催を無難にクリアしており、音以外の点でも極めて少年合唱団のコンサートにふさわしい芸術劇場の興行に区切りをつけてしまったことは非常に口惜しい。いつか池袋に再凱旋してほしいものである。今回の演奏会場選択は、聞く側(観る側w?)の立場から評価して紛れもない大正解だったと思う。

続いてラターの『永遠の花』ヘルビック日本語版が歌われる。少年たちは一転、高声部主導でユニゾンから穏当+確実なピッチのハーモニーを堅持して歌い切る。コロナ禍の過ぎ越しのミッションと思われる鎮魂の曲なので前曲のような躍動感は求められない。男子小学生メインの合唱団のオープニングステージの選曲として、量的・冒険の度合いについてはお客さまがたからの感想を待つことにしたい。団員たちはどういう「声」を目指してこの曲を仕上げていったのかいつの日か聞くことができたらさぞや興味深いことだろうと筆者は思った。

ここまでのステージの担当は、SS組と名付けられた変声前の最上位クラス。
フレーベル少年合唱団は今定演からクラス編成を従来の3クラス+ユースから、SS・S・A・B+ユースの構成に増組した。
かつて、国内の大所帯の少年合唱団の指導者は、経験のある公立小学校教諭が社教的指名で任ぜられていることも珍しくなかった。先生方にとって、100人程度のわけわからん小中学生男子の前で棒を振るなど、朝飯前のこと。彼らは配属校の音楽集会や学芸行事で複数学年の100人を超える、多様でちっとも言うことを聞かない子供たちを苦労しながら毎日歌わせていたからである。ただ、少年合唱団の員数が増えてくると、小学校の古い音楽室などを利用していた練習場のキャパシティ限界は無視できないものになってくる。関西圏ではとりあえず学年ごと1クラスにまとめステージに乗せるという慣習のみられることがあった。一方、ピアノを置いた大人向けの小分けの練習スタジオを常時間借りしていたVBCでは1-2年目を予科1年 予科2年 というくくりでクラスにまとめ、3年目からはソプラノ・メゾ高・メゾ低・アルトのパート分けで対処した。かつてのフレーベルでは、フレーベルジュニア(後のJ組)・B組・A組の3クラスが基本。ただし、年度によって選抜などの配員からC組の組織があり、これはコロナ前のS組とある程度類似性を持っている。
今回の4クラス+ユースの編成は上記の各団体の集団組成からコンセプト的にあまり逸脱していない穏当なものだ。

だが、筆者はこのSSというどこかで見たことのあるような記号(戦時ドイツ史を真面目に学んだ者ならば、この名称を子供たちのグループへ安易に名付けることが生理的にできないだろう)に、フレーベルの歌声を様々な意味でピュリファイしていきたいという指導陣の強い意図を感じる。その点から考えた場合の子供たち側からの正直な反応は、インターミッション明けのSSSAの連合で聞かせた『カイト』で明らかにされるだろう。…彼らが遠慮がちに差し出した回答は「風が吹けば歌が流れる」とばかり、そこに聞くことができる。

定演前半の演奏者はプログラム上SSが3曲、Sが4曲、ABがともに1.5という大変不規則なものになっている。これは各クラスの経験・実力や60周年ステージを計算してはじきだされた曲数に間違いない。15年位前のフレーベルなら終演が9時をまわる長丁場で全クラスがきっちり歌って済ませたことだろう。АB組の保護者や現А組ファン(私だ…)には大変気の毒だが、どちらのプロ構成が良いかは明らかだろう。

こうして猛然と可愛らしいB組が登場する。
歌うのは新沢ナンバー2曲(「ハミング」はA組との共同戦線)だが、前回B組同様、チビMCの「高品質+高好感度」の選抜の正確さは、もはや「精密爆撃」のレベルである。私たちは今年もまたフレーベル少年合唱団の小さな小さな団員達のステージ上のふるまいにノックアウトされ、自分たちが歌を聴きにきているのかそれとも夢を見に来ているのか前後不覚の境地に喪神させられる。

だが、彼らのセンセーションはそのルックス(?)の可愛らしさではなく歌声の練度の方だった。原調では無いのかもしれないが、筆者には彼らが勉強のためなのか『ハッピーチルドレン』をドドドミ レミファと彼らの特許声域をかすかに広げるレンジにしてもらって歌い始めたように聞こえた。正直な感想は「えー!ウッソー!」だ。ボーイソプラノの合唱で一般ピープルがナントカの一つ覚えのように希求する「カナリアのように美しい高い声」を嘲笑うかのような彼らの「低い声へのガンバリ」に、私たち観客は、歌う幼少年らへの武者修行を感じとり、うっとりと耳を傾けたのだった。全体として低めのメロディーを、伴奏に担われて繰るために、曲がややどんよりと聞こえるのはご愛嬌なのだが、例年のAB組ステージがギリギリのラインでわからぬように聴かせていた「一人前のボーイソプラノになるための鍛錬」としての選曲がやや前に出たような気がした。フレーベル館という企業の教育産業としての舷灯を考えると、これは全く納得のいく方向性だと思う。

A組を加えて、(やはり同様に指導的な)『ハミング』が歌われた。
低めの歌い出しから旋律線は念入りに頭声を要する音域へ漸進しシフトアップしてゆく。
何がそうさせているのか、私たちはそこにA組チームのきららかな「体臭」を嗅ぎ取る。
(不動の人気をほこる新沢作品だが)ほとんど何のドラマも感じられない鼻歌のような眠たい味気のない楽譜を、私たちが身を乗り出して聴いてしまうのは、低学年用のネクタイを締めた子供達の、このそこはかとない、だが、しっかりと客席に香る歌声の「体臭」がもたらす効果であったことはもはや否定のしようがない。

ひと時は2015年のクリスマスの夕暮れだった。
合唱団S組は12月25日の夕べにも1時間おきのクリスマス・ミニコンサートを3本も打つという、非常に精力的な出演をまだ行えていた(団員らはさぞ楽しい仕事だったろう)。地下鉄丸ノ内線後楽園改札脇の小さなステージだったが、いつものように観客たちは彼らの目前1メートルの卑近までびっしりと詰めかけてクリスマスソングを熱心に楽し気に聞いていた。
午後5時の回、『サンタが街にやってくる』を歌い終わった団員たちが撤収を始めると、立ち見の客から前列アルト側に向けて個人名を無心にコールする一団の少年たちの声が聞こえてきた。彼らは幾度も幾度も「柴田ぁ!」「柴田ぁ!」と真剣に呼ばわっている。明らかに4か月後には5年へ進級する小学4年生の男の子たちの声だった。呼ばれた本人はシャイで男らしい彼らしく、少しく微笑んではいたが、ステージ上では退場中といえども決して少年合唱団員としての機序法条は曲げない…退場方向を真っすぐ見すえ、耳だけで、友の声援を嬉しそうに聞いている。彼はすぐ翌年、『美しく青きドナウ』の第4ワルツの二重唱をステージで歌いこみ、『ミクロコスモス』のソロ「きつねの歌」を吹き込むことになる。私はあのクリスマスの日、フレーベルの子供たちが定演を含め日々方々のステージで、友ら少年たちの同様な声を浴びながら微笑むことにようやく気づく。団員たちにとって、おそらく友らは母の次にうれしい応援者なのだろうが、その黄色い声援は周囲でそれを聞く者たちの心をも温かく爽快にしてくれるご祝儀でもあることを思い知った。

コロナ前の年月、定期演奏会で隊列の退場に際し常に小さな幼い友人たちの夥しい喧しいくらいの呼名を浴びていたのは常にB組だった。叫んでいる幼少年たちも、名を呼ばれている幼少年たちも、小1プロブレムやプロブレム予備軍世代真っただ中の子供ら。わきまえの無さ・場知らずの子供っぽさなのだが、私はあの声を聞くたびに「フレーベルらしくてイイな…ステキだな」と、6‐7歳児のぺしゃんこな横顔にどこか嫉妬のような憧れを感じて客席へ浅く腰掛けなおしたものだった。

合唱団では今定演、AB組の演目圧縮から、A組に『ハミング』のコーダを歌わせ(ハミングさせ)ながらB組の退場をおこなうという演出的な対応策をとった。このため、コロナ前に聞かれていた呼号をそこに確認することが私たちには叶わなかった。観客になるべく口を開けさせないという感染防止だったのかもしれない。いずれにせよ、「B組らしくない」「フレーベルらしくない」ステージ印象が、「小さい連中は、とっとと手堅く片付けて済まそう」という思惑の見え隠れとともに控えめではあれ生じてしまったのは、このようなことが理由だったのかもしれない。

 A組が隊列を整え、『パックス・フレーベル2』を象徴するナンバーとして、『宝島』は歌われた。
かつてフレーベル少年合唱団は二週間に一度というすさまじい頻度のペースで都内各所(具体的には錦糸町アルカキット、後楽園メトロエム、大井町きゅりあん小ホール、文京シビック、駒込天祖神社、文京区の社教・公安系の公共施設、そしてフレーベル館本社エントランスや六義園しだれ桜前広場など)で30分間前後のコンサート・出演を打ち続けた。歌っていたのは早野先輩世代付近の団員たちから…ギリギリ山浦先輩ぐらいの代までの、未だ「A組セレクト」「セレクト組」などと呼ばれていた最年長チームである。レッスン時間よりも出演に費やす時間の方が長いのでは…と思われる日々、彼らが繰り返しステージで聴かせていた曲の一つが『宝島』だった。
これを『パックス・フレーベル2』から最も遠いところ…合唱団で一番辛い目に遭いながら懸命に歌っているA組に担わせる。その感動はひとしおだった!
明らかに基礎訓練期間へ制約を受けたままA組にされてしまった彼らの歌声は、10年前の怒涛の出演の日々、やっつけ仕事のように都内各所をまわっていた少年たちの荒削りな歌声を思い起こさせる。60回の節目の演奏会にこの作品が聞けたことは、実に心に響く選曲とA組の真摯なガンバリにも付随して無条件に素晴らしかった!
「ほら、コロナの一番ヒドいときに採られた子たちだから、こんなもんなんですよ。」と言わんばかりにA組というラベルを貼られてしまったように見える少年たち。しかし観客にとっては相反し真逆の存在として心に焼き付けられた。彼らは、実質も生き方も本性も間違いなく不撓不屈の勇気を与え持つスーパーヒーロー集団だ。私たちはこのA組の子供たちのように生きなくてはならないと信ずる。結局何が起きようとも、おそるべしA組なのである。もしここに立っているチームが公表されているように(早生まれ遅生まれの区別なく)小学二年生のみで成立しているとしたら、非常にレベルが高く安寧に指導されている2022年国内屈指の「歌う小2男子たち」であると言わざるを得ない。

 


TBS系 日曜劇場「DCU」オリジナル・サウンドトラック
B09RLPZDBJ
『Saved life』…カ、カッコいい!!このタイプのボーイソプラノがお好きな方には、かなりの母性本能殺傷能力があり、取り扱い注意の危険なナンバーです(w。60回定演のSSSチームのメインストリームの一つになっているトーンでもあると思われます。ボーイソプラノとしての枯れかたを綺麗に精巧に使っていて…と言うよりもこれが彼の声の味なのです。(2022年1月/3月22日リリース)

 

一聴して明らかだったように、S組は金子みすゞナンバーの中でも比較的曲調が明るく快活な作品を取り上げてステージに乗せている。S組のアビリティーにならった好選曲で、彼ら自身も、観客もまた、元気でバリバリと歌う彼らの体躯に励起される。ギャングエイジ胸声の魅力と自発協働の頼もしさ。低声部が「僕たちでやってやる!」と垂範するベースライン、下支え。それらを素直に厚意と解して歌うソプラノの正義と美しさ!「こんな隠し玉だちがいたのか?」と一瞬驚くが、種明かしは前回59回定演でカウボーイハットをかぶって『ちびっこカウボーイ』を歌い、客席をリードして「いいないいな にんげんっていいな」と客席リハーサルをソロ範唱しまくっていた、超優秀な、全員どの子も即ステージ・ソロOKだった最年少チビB組連中(彼らは例えば当時の六義園などでの試験運用の姿や歌いの段階ですでにスゴかった…)がそのまんまS組に名を変えパンデミックをアンパンチして一人前の団員に成長した姿だったのである。「S組をSS組とS組に分けて歌わせるなんて、調子ブッこいたご都合主義すんじゃねぇヨ!」と観客で怒りを露わにクダを巻いていたオールドファンらは、この新S組の登場に、豁然「こういうのは大歓迎ですよ!早く言ってよ!」と押し黙ったことだろう。コロナ禍の閉そく感や私たちのストレスを確実に忘れさせるフレーベル少年合唱団らしい歌声と歌い姿の中学年版だったのである。それはあたかも「指導者たちは、この軍団をフレッシュなまま見せ聞かせようとしてわざわざSS組を押し出してしまったのではないか?」と勘繰りたくなるような歌の、歌い姿のプレゼントだった。AB組の団員の演唱を見て、私たちは、当時はB組であったにせよ、グループとして大ステージで歌った経験のある少年たちは力強く場馴れしている!と確信させられる。59回定演時の彼らの素敵な高揚ぶりやその一方で見せていた「定演なんてチョロい!チョロい!…ボクら、あと10曲はヨユーで歌えるもんねー!まかしとき!」の「ボーイソプラノどや」な頼もしさ(?)を思い返して、リピーター客たちは「全くこいつらヤッちゃってくれるよ!」と薄幸の金子みすゞさえ踊りだしそうなハッピーなひと時を過ごせたのである。天は二物を与えずだったのは、小学生時代の殆どを(3年生団員にとっては全部を‼)マスク着用で過ごした彼らが発する歌詞から漏れ落ちる、少年合唱団員でなければ問われることはないそこはかとない「発音の軽忽さ」だ。今後の挽回はおそらく可能!

この日、演目の編曲リリースを担当された大切なお客様は、お二方お見えになっていた。
子供たちは演目を歌い終えると彼ららしいMCの爽快さで呼号の出だしを導き、コロナ禍を乗り越えた少年らの声を揃え元気よく呼号した。
「せーの!〇〇さーん!」
こうしたシークエンスが2回繰り返されたことを考えると、MCは事前チェックが入った状態で発声されたものである可能性が高い。
「ホームページがリニューアルしました」「この部屋は静かにしてください」「お客様はこちらは食べれないですか?」といった日本語が普通に使われる21世紀の日本で、子供の繰るMCにあれこれ物申すような無粋をするつもりは毛頭ない。子供たちとクリエイターとの距離の近さを感じさせる文言だ。言葉狩りをするつもりも無い。ただ、文部科学省の幼稚園教育要領やこども園保育要領を公に刊行している出版社が運営する少年合唱団の定期演奏会で、少なくとも聴衆にとっては最大の敬意を払いたいお客様を「せーの!」という掛け声で呼び出すというMCにちょっと当惑させられてしまった。
初期初等教育や保育にかかわる者の多くはおそらく「子供になんらかの動作を惹起させる場合、「せーの!」という語彙の使用は極力避けるようにしてください」と言われ、代替する言葉を添えて指導されているはずである。Eテレのブッ飛び放埓男子小学生率いる料理番組『キッチン戦隊クックルン』でさえ、歌い出しが全く揃わないキウイーン少年合唱団に呆れて男の子が発した正解の掛け声は「さん、はい!」だった。団員や館の招待で客席にいた保育者たちや低学年担任らはどう思ったのだろう。

SSSAチームの演唱の中で、とりわけ彼らの魅力が溢れていたのは、インターミッション開けに歌われた『カイト』だった。これは前回の拙文でも触れたように、フレーベルの少年たちの本来持つケイパビリティーを指導陣が信頼し「選ばれし歌う少年たち」の主体性に任せた好演奏。
当日の演目の中では極めて攻撃的で、聴く者のハートを強烈に吸引しながら彼らの高い体温と男の子の心の鋭気でコーダまで持っていくという、本来のフレーベル少年合唱団の妙味を十二分に発揮するナンバーだった。喚声点を無段階変速で自由に上下させる彼らの訓練された広い声域レンジの実力・器量・練度が、本曲では幸福感と共にタップリ味わえる。目前に聞いてしまったら筆者は感激で号泣するだろう。編曲もカッコよくアーティスティック。A組の子達の声もアゲアゲにフォローしていて100万回いいねの煌びやかさ。
モデラートから諦観のような賢しらさで歌い始めつつ、(間奏前後の起伏を含め)これを次第に彼らの宝物であるやんちゃさ、アグレッシブさ、少年の覇気へピウ・モッソ風の味付けで一つずつバリバリと置き換えてゆく快感!叫ぶように歌い上げてゆく少年たちだけが持つ訴求力。声部ボリュームのバランスの適格さバランスの良さ。年齢差6歳前後もの幅を逆手にとったダイバーシティのユニゾンで押しまくることによって、曲オリジナルの嵐のサウンドテイストへのオマージュやパラリンピックの目指すバリアフリーへの希求が無理なくもたらされていく。「歌わされている」感が全く無い爽快も客席にはストレートに伝わった。伴奏も、まるで「小学生男子たちに引っ張られててんてこまい」というイメージを巧妙に演出しながら、実は明快なタッチを随所に効かせており、「少年合唱ピアノ」という日本に何十人もいない特殊伴奏のプロの技を見せている。
曲自体の来歴はNHK2020ソングで米津玄師の曲なのだが、前回定演の『パプリカ』のイメージを引きずっておらず、フレッシュな視聴感で楽しめた。これからのフレーベル少年合唱団の歌やご指導の方向性が、この曲の仕上がりのようであったら良いのに…と切に感じたのは、私だけでは無かったはずだ。
「ユニゾンばっかり」「ロングトーンが不安定」「ライム押韻がしっかり出ていない」「歌詞を間違えている子がいる」「声が幼くなった」「頭声が熟れていない」「エンド・リフレインへの曳航が雑」…なるほど、その通りだろう。だが、そう言う者には彼らの合唱の最も大切な、宝石よりも美しいところが全く見えていない。…と言うか、全然聞こえていない。哀れだ。

 

 
モンスターハンターライズ オリジナルサウンドトラック / カプコン・サウンドチーム
B08XNDNS61

フレーベル少年合唱団がコロナ禍中に成した仕事として、最もハイクオリティーかつゴキゲンでフレーベルらしさが横溢した傑作収録2本を含む。5曲目「おともだち」と88曲目「おともだち 日本語Ver.」
一聴して判明するゴキゲンさ!当時の合唱団のトピックたちを濃縮重合させ歌わせたということがスグにわかるヤバかっこ良さ。「おお!キミたちが!」チックなソプラノ側と、「きゃー!○○クン!!」(いやぁ、このアルト側、個人的に好きっす!)的なファン冥利につきる歌声縦横無尽でわずか3分32秒のタイミングを圧倒している。2021年5月発売。モンハン・ライズの世界観をきっちり遵守していることはステキでヤバ味十分。個々の団員の味がよく出ている日本語Ver.を聞くと、「フレーベル少年合唱団がコロナの気配を感じながらこの録音をこなしたことの価値やこれらの団員らの声をかろうじて商品として残せたことの奇跡にも近い貴重なタイミング」に驚愕や感謝や喜びを感じずにはおられない。大切な、大切な宝物的録音。

 

ユースクラス1.5曲。OB1.5曲 プラス ハレルヤ・コーラス。
AB組のステージのパターン踏襲に入れ子状プログラム構成をかましてインターミッション明けのプランは進む。
アカペラでテンポ100ぐらいの溌剌とした生気に溢れた『いざたて戦人よ』
歌い手の声質は涙が出るくらいクリアで粒立ちよく聞こえ、Pf.の打鍵がジュエリーのごとく詳らかにもたらされるが、語るようなメロディーとメランコリックな「落ち着き」に満ちた『しあわせよカタツムリにのって』
声質が聞こえるのだからすぐに分かってしまうのだろうが、フレーベル少年合唱団を知らない人に音声トラックだけを聴かせ「どっちが高齢者でどっちが中高生?」と尋ねたときの反応はたぶん微妙だ。
「いくさびとが若い人で、カタツムリってんだから年寄りでしょう? そう聞こえる。」
…この完全な錯誤は笑い話のように聞こえるが、フレーベル少年合唱団卒団生チームの実態や生き方やありかたをよく表していると思う。 

 


第11回定期演奏会で平吉毅州を歌うTFBC
フレーベル少年合唱団やLSOTから移籍してきた少年集団とFMの入団審査を受けて上進した本科生との混成チームである。彼らの元の所属をこの中に見分けることは当時の観客にさえ困難だった。
(指揮:北村協一 1996年3月28日 品川区きゅりあん大ホール)
 

 

かつて、工場を含めた日本の都会的な職場の多くで、従業員の昼休みのリクレーションとして、合唱はもてはやされていた。会社のビルの屋上や社員食堂の片隅などで、社内の皆が集まって男女職階の差なく歌を歌うということは、社会人野球同様当時の勤労者の日常にありふれたもので、とりたてて珍しいこととは言えなかった。グロリアがカトリックのサーヴィスとして始まり、VBCが日本ビクター専属のレコード吹き込みのためのプロの合唱団としてスタートを切り、多くの地方の少年合唱団が自治体の代表や学校音楽の特別活動や社会教育団体のような位置づけで走り出したのに比べ、フレーベル少年合唱団は、上記の社会人合唱団のような形で走り出したと思える。小学生男子向けの無料「うたごえ喫茶」の側面も伺える。少なくとも指導者の磯部が理想としたのはそうした形のレーゾンデートルだった。その実際がよく理解できる資料として、拙文にしばしば登場する1956年創刊の音楽雑誌『合唱界』がある。本誌はかかる人々のニーズから生まれスピンオフした『合唱界ヤング』(東京音楽社)がグループサウンズのファングラフの形で存立した後、最終的に海外の少年合唱団のファンムックのような形で1972年9月に休刊(?)した。フレーベルに関しては、創刊のころから演奏会のレポートが出始め、確認されているものの最後は1971年7月号の第10回定演レポート(共立講堂:各クラスのステージグラビアも写真ページに掲載されている)。
とりあげるのは1965年の定期演奏会のレポートである。この『コンサート評定記』は佐々金治(1912 - 2009:元日本合唱指揮者協会会長)・宇野功芳(1930 – 2016:指揮者/音楽評論家)・日下部吉彦(司会:1927- 2017:合唱指揮者)3名の鼎談という形をとっているが、「25日の夜、虎ノ門ホールで開かれました。これについては佐々さん…」という司会の指名があり、佐々氏が鑑賞報告という形で話をすすめる。

「これは磯部君がやっている少年合唱団ですが、すごくなごやかで、生き生きとしてるんですよ。子供らしいのです。演奏会というより、おさらい会みたいだったけれども、ああいういき方があの合唱団の持っている雰囲気かもしれませんね。」

可評価で切り出している。同誌他巻には当時同発のグロリアの定演レポートなども載っているのだが、「発声は良いが、ボリュームや生気に欠ける」などのパッとしない内容で文書量も1段程度とだったことを考えるとフレーベルの方はかなりの高評価だ。だが、佐々はこの後、

「(中略)我々、ハンガリー少年合唱団なんかが頭にあるものですから、ほんとうの音楽というものを、もうちょっと子供たちに植え付けていくべきじゃないかという気がしますね。」

と、つないでいる。1965年当時、海外から来日したことのある児童合唱団は史上わずか3団体しか存在しなかった。ウイーン少年合唱団とパリ木、そしてこの年(1965年)になってハンガリー少年少女合唱団が6月から8月にかけて来日演奏会を打っている。日本の人々はウィーンやパリ木の「ボーイソプラノ然」とした歌声とは全く違う、土着的で荒っぽい騎馬民族の血を引く子供たちがコダーイ・メソッドの学校正課として歌ってきたバリバリのバルトークやコダーイの合唱曲を聞いて「子供の合唱は、こんな極め方も可能なのか!」と衝撃を受けたばかりだったことは想像に難くない。佐々氏は結局、このレポートをこう結んでいる

「やはり望みたいことは、もうちょっと本質的な音楽教育を叩き込んでいった方がいいんじゃないか、私はそう希望しますね。ここのモットーとしては「楽しくいきたい」ということらしいです。まあ、私らがいうことはないと思うんですけれども…。」
(1965年11月1日発行『合唱界』Vol.9 No.11 (25-26pp.)東京音楽社)

団員が小さい子から中学生まで120人もいて、たくさんの大人たちも彼らを応援している。それなのに、「男同志、気兼ねなく楽しく歌って,『あー、スッキリした!面白かった!俺たち、また明日も歌ってはっちゃけようぜ!』じゃモッタイナイだろう?!音楽の勉強に打ち込む格好の場と好機だっていうのに!ま、本人らも指導者もそれで良いってんだから、勝手にすればぁ?」ということである。
佐々氏は創成期のフレーベルの本質をこの時点で的確に見抜いていたと思われてならない。
前述の通り高度経済成長期の人々には「あー、歌ってスッキリした!楽しかったー!明日もまた、みんな、歌で大暴れしようぜ!」という価値観は理解できないことは無かったはずだが、それを明日の日本を担う少年たちが口にし、具現もすることは、やはり許せなかったのであろう。だが、合唱団はこの論評の通り、すごくなごやかで、生き生きとして、子供らしい歌をばりばりと歌いつないでいく。だから少年たちは、成長しても楽しく至福に満ちた音楽の毎日を感謝とともに半世紀経とうが決して忘れない。フレーベルのOB会は、こうした少年の日々のまごうかたなき延長線上に確固として、ある。

だが、ときは流れ、合唱団は初代指導者の交替を好機と考え、頭声発声へ統べた美しい少年合唱をめざしはじめた。
これは当然の帰結で、日本中の男の子の合唱団がおそらくそれを一意専心に希求していたはずである。そうして、当然のことながら合唱団が発足時に持っていたヤンチャで賑やかで「男だけで楽しく歌たえたらそれでいいじゃん!」的な魅力をたちまち失ってしまう。時期同じくしてさまざまな要因が重なり、ご存知の通りフレーベル少年合唱団はたくさんの団員を他団に移籍させてしまうほどの危機的状況に苦しみだす。

フレーベル少年合唱団OB会になぜ若いOBが集わないのかの決定的要因は、先の佐々氏の最後の一文でもう明らかであろう。

『いざ起て戦人よ』はもちろん今回中高生も参加しているし、曲的にSATB版もあるようだが、お行儀よくまとまって感染対策に密閉された現役連中どもをぶっ飛ばす威力に満ちた雄叫び的演奏を聴かせている。現役時代のユース・メンバーの日々のステージ姿を知っていると、比して胸が空くような歌い上げに仕上がっているし、「『高齢者合唱』とは口が裂けても言わせない」楽しさや満足感をもたらしてくれている。
OB合唱は前世紀の定演でもしばしば「いい歳してこんなワンパクぶっこいてていいの?!」という現役を覇気で凌駕する合唱を聴かせ続け観客を楽しませていたし、ユースの連中の方は全員フレーベル少年合唱団の星の王子さまたちだった(…アレゴリーで、個人の感想です…)。『いざ起て…』の歯切れの良さは小手先の発声・発音の技術力ではなく、彼らが半世紀近くも歌い続けてきた阿吽や身体に刷り込まれたタイミングとフレージングとブレスの感覚なのである。「どうやったらこんなに歌えるのですか?」と尋ねられたときのOBらが「さあ?歌えるんで、よくわからない」と首をかしげたあと、「フレーベル少年合唱団を卒団したからじゃないですかね?」と答える様子が目に浮かぶようである。

ユースクラスのMCに岩崎先輩がマイクをとった。
今回のユースに登場する中高生たちは全員言わずもがなフレーベル少年合唱団の元アイドル諸君である。キャー!である。現在の歌声と歌い姿を拝めただけでも来場の価値はあった。
ただ、彼にMCの指名ががかったことは特段すばらしいことのように思える。
前回定演のS組ステージ『アメージング・グレース』の冒頭ソロで合唱を導いたのは彼だった。
その曲が終わり、客席の喝采が向けられてスポットに浴した後、隊列に下がった彼が首を捻って表情を曇らせていたのをあの場にいた全ての観客が目撃した。実に誠意のこもった歌いだったが、まったく本人の満足のいかない出来だったのだろう。彼の声の嗄れ具合から、これがボーイソプラノとしての最後の登壇であることも、合唱団の先生方が花向けとしてソロ機会を与えてくださったことも私たちには想像できた。コロナ禍が押し寄せて、団員には結局、挽回のチャンスはやってこなかった。だから、今日、彼はここに立ったのである。…それが一つ。
もう一つは、彼の前を通り過ぎていった多彩でおびただしい数の同級生のたくさんの面影である。
彼の学年の団員達は全員、入団早い時期から重用され、タレントさんたちの隣でたびたびテレビに映り、オンエアされ、CDにもなってジャケット写真をかざり、オペラ・バレエやネット動画で我が世の春とばかり歌声や歌い姿を披露した。彼らが全員が歌い終え、もう一人もフレーベル少年合唱団のステージに姿が認められなくなった今、それを全て見送ってきた岩崎先輩の存在は極めて大きく貴い。

このことを考えると、OBの『いちぢく』はプログラムの文面にある通り、ここを通って「巣立っていったすべての団員の方々に大きな感謝と尊敬の念を抱く」団員人生への鎮魂の祈りの歌だった。少年の歌心よ清寧にきよらに眠れという歌をかつての自身らや仲間達に歌いかける。磯部俶の楽譜は東海メールクワィアー委嘱の男声合唱組曲 『七つの子供の歌』である。南茨城鹿行霞ヶ浦の南は、曲の作られた1960年ごろ、もうすでに明るい町だった。隣接する地域は早くから有名な醸造産業が集積する工場地帯で、作曲年の春の終わりに『ロッテ歌のアルバム』へ橋幸夫が出演すると、曲『いちぢく』の描く鄙びた、「夕日が、汚いボロっちい野球帽をかぶった少年の黒い面立ちへ赤錆色に差しかけ、彼が父と役牛を迎える手漕ぎ舟の左舷で眩しさに目を細めて顔をしかめる様子を河畔に実る無花果がたわわに眺めている」という風情の水郷の町は日本全国の人々の知る地名となった。このときすでに東京ー藤沢間では湘南電車モハ153がうなりをあげて時速100キロ超で疾走していたし、東京 - 御殿場間の弾丸道路(高速道路)は戸塚開業していて黒塗りの車がノンストップで走り抜けていた。少年たちの通う山の手や都心の小学校はピカピカな校舎の白亜の鉄筋化がほぼ成立しはじめている。テレビはカラー放送だったし、地下鉄1号線は京成と相互乗り入れしてもいた。水を指すようだが、歌に描かれた茨城県最南部の水郷の夕景は実際に見られたものであったのかもしれないが、フレーベル少年合唱団の団員たちの実生活の中では既に完全なノスタルジーの世界であったことは想像に難くない。

だから、彼らが歌い、OB合唱団が歌いかける『いちぢく』は確実に、まず磯部俶の世界であり、かつてのフレーベル少年合唱団の歌の世界なのだ。60回の記念のため、かつてのフレーベル少年合唱団の団員たちに歌われるのにふさわしい。
だが、たった2分数秒間の歌声の中には、かつての少年合唱の日々、神田小川町のビルディングの各階で嗅ぎ取ったり汗ばんだ腕に触れたり小さな半ズボンの尻を落としたりした日々の情景を込めるがごとく、さまざまな表情づけが甘美なアゴーギクやデュナーミクとともに東京芸術劇場大ホールをスイートに鳴らす。
当然のことなのだろうが、60周年の記念としては、「今現在しか知らない」現役たちの歌声よりも数段に、この2分間ちょっとのたった1曲の方が、ふさわしい演奏だったと言わざるを得ない。

『ハレルヤ・コーラス』は、一言で言うとアングリカン・チャーチのテイストを、突き上げるようなテナーを含む高声部がぐいぐい牽引していくというゴージャスなカラリングだった。

10年前の50周年『ハレルヤ・コーラス』で、この曲の紹介MCを担当していたのは一朗君で、歌い終わりの〆の言葉はスーパーナレーター君だった。あの時も豪華なメンバー構成だったのである。曲の仕上がりもまた、太田先輩たちの声質の上品なコケットリーもあり、アルトの扇動が魅力的で、ソプラノは愛らしくフレーベル的だった。ただ、(これは筆者のまったくの想像でしかないのだが)、指揮者サイドからは当時OB合唱に「子供達の声が前に出るよう、先輩方はなるべく抑えてください。(招待客が聴きにきているのはボーイソプラノの方ですから。)」といった「お願い」があったように強く感じた。(誰もそれを咎めなかった。…カルメンくんやスーパーナレーター君の歌声を聞き分けたかったからである…)。

今回、曲の仕上がりはおそらく宗教オラトリオらしいブライトなものに変わっている。
今回の少年たちは全員、学校で必修外国語科の英語を習っていて、現在の基幹団員たちがここぞとばかり声を張り上げる。おそらく忠言の解けたOBたちは現役に負けてたまるかとジョージ2世もビックリな歌い上げであったように感じた。こうして60周年のハレルヤ・コーラスはおそらく18世紀を通じロンドンで再演のたび雪だるま式にキラビヤカになってゆく『メサイア』の雰囲気を彼らなりに再現できていたように思える。コロナ時代にはありがたいご褒美だ。

 


同声合唱とピアノのための組曲 ドラゴンソング (合唱・同声)
音楽之友社  9784276584020
音楽之友社刊の全ての逐次刊行物に刷り込まれる広告には最後まで「9月下旬発売予定」という文面が印刷されていた。本書の標題紙へ、フレーベル定演の初演情報を刷り込む必要があったのだろう。実際には2022年10月1日ごろの店頭リリース。全ての予告広報の端折った文面は、唐突に「“男子たち”がカッコよく歌える作品を目指して、詩と曲が書き下ろされた。」などと少年合唱団関連の前置きをバッサリ略し印刷されていて大笑い!初めて雑誌広告を目にした人たちは「なんじゃコリャ?」と思っただろう。愉快だ。

 

ペダルで広がる伴奏の変ホ長が、イオニア海のアクアブルーの風を受けて廻るセール風車のようにキラキラと鳴り響き、曲は始まる。ガット弦の木製胴や木管が柔らかい共鳴音をホコホコと鼓吹するような明るい日差しの中で、子どもたちはのっけからソプラノーアルトーソプラノーアルトと呼応しながら歌を運んで物語は始まる。少年合唱団らしい…というよりは全くフレーベル少年らしいスイートな声を彼らは鳴き続ける。だが、その歌詞は「けっとばされ、追いかける…」と、全くの乖離で、聴く者を楽しく混乱させる。「だからからっだーな・の・だ…」16分休符の弱起が目の詰まった特徴的でコンテンポラリーな言葉遊びの文句を引き込んで、話はずんずん進められていく。わかりやすい展開は、作曲者が歌詞の美しさ(?)を誠意をもって子供達に歌わせようとしていることがわかる。明快な分かりやすい曲がなるほど「男の子の合唱」を意識して作られたものであることを窺わせる。
筆者が良いと思ったのは、タイトルにある「ピアノのための」存在意義。少年たちはピアノを盛り立てる方の立場をかって出る。ただ、団員たちの土臭いハーモニーやディビジ3部の唸りはちょっとカッコいい。定演のコダーイ『天使と羊飼い』で聞かされたアレだ。

次曲、今度はその真逆の丹精で男の子の声がブレを感じさせないユニゾンで長々と歌っていく。メゾの子たちが別れてアルトと「ひとりじゃないって ほんとなのかな」のかわいい歌声を招き入れて遊んでいくステージはこの曲の聞かせどころの一つだと思う。「男の子の可愛さ」を聞かせようとする信長の目論見も、やはり成功しているのだ。

曲はさらに急緩急と進んで、ほぼユニゾンで『これは棒っきれじゃなくて』がスケルツォ状に咬まされる。方々に取っ散らかされた三連符がステキ。ただ、筆者がこの曲で意識が行ったのは音楽ではなく詞の方。団員たちはこの歌詞をどんな感想で受容していったのかを尋ねてみたい。「面白い」とか「難しい」とか「同じ”付点8分と16分の連桁”で歌詞を歌い分けるのが大変」とか言うのではなく、単純に「好き!」「あんまし…」「ヤバめ」とか、そういう感想だ。それがこの曲の価値を決めているような気がした。

『相棒』はタイトルに反して(?)「サッカー少年の孤独」(笑)をテーマにした執拗なモノローグ。楽譜上は3部または2部で描かれるが、彼の語りはソプラノ→アルト→ソプラノ→アルト…とステレオフォニックに新ウィーン楽派の音色旋律のごとく左右でパス回しされる。ただ、基本の声はおそらくアルトの少年たちがハンドルしてゴールを狙うポジショニング。唯一イエローカードを胸ポケットにまさぐったプレーは、彼らの発音が体力的にダレていたように感じたこと。もちろん彼らは「ハーフタイム無いの?」などとは思っていない。聴いている側のメンタルなのかもしれない。これは地方の少年合唱団ならば看過される程度の標準語の子音ニュアンスだろう。

フィナーレにタイトル作の『ドラゴンソング』が歌われる。
フレーベルの連中が子供ながらホントに巧妙でズルいと思うのは、彼らが合唱の中に終演へ向けた力戦奮闘やボロボロになるまで歌ってやる!という陶酔感のようなものを聞こえよがしに開放している点だ。指導による追い込みという観客へのサービスなのかもしれない。多くの観客はこの作為にまんまとド嵌りして終演のひとときを過ごした。
私のこのカングリ(?)が穏当だと思うのは、彼らは最後、実に現在のフレーベル少年合唱団らしい甘い良い声で『アンパンマンのマーチ』を歌い、「ありがとうございました!」の呼号をリーダーくんの先導で叫び上げて舞台を降りていったからである。SSSの団員たちはまだまだヨユウでステキな歌を歌えるほどの実力を身につけてここに立っているのだ。

演奏を聴き、楽譜を読んでハッキリとわかることは、作曲者が一貫して高低・左右のパートの追っかけっこ・交替・抜き差しや呼応というフレーベル少年合唱団の子供たちらしい味(私は「手腕」とは言っていない)を引き出そうとしている信長モード全開の魅惑の企てである。現在のフレーベルの指導者達がパートの固定をことさら回避し横断しようと鋭意なのは部外者にとってもステージ上に瞭然なのだが、それでもなお10歳前後の少年たちは口をひらけば「先生ぇ、パートで個別練習しましょうよぉー。」などと年齢学年の幅を超えておそらく日ごろ「パート」というよくわからん小集団に固執し、こだわり、「歌の仲間」と安堵して楽しんでおり、(これを教育心理学の術語で「ギャングエイジ」の仲間意識などと呼んでいる。男の子にとって成長段階に必要なものなのだ)…などなどに気づき、尊重して曲を書いている。

それでもなおかつ、私がどうしても言わなくてはいけないのは、この組曲が人気の「覚・信長コンビの作った作品」というモデリングにしっかりと落ち着いているということだ。テイストは確実に「覚・信長コンビ」のものなのだ。
正式曲名も「同声合唱とピアノのための…」で、「少年合唱のための」とは一切書かれていない。信長自身も「ジェンダー・テイストに拘った曲にしたくない」といった内容のことを書いている。
さらに、この作品のフィナーレ『ドラゴンソング』は、彼らなりの演奏時間およそ8分間前後になるのだが、楽譜のアペンディクスにはご丁寧に「コンクールなどで時間制限がある場合には…」と付記されて曲長を4分間に切った71小節以降の短縮バージョンが掲載されている。これを見て、誰しもが「あー!あのコンクール演目とかで超人気の覚・信長コンビの…」と、「♪くりかえし咲くつぼみぃー」などと脳裏に歌いつつ思ったはずであろう。
筆者が考えているのは、「コンクール演目とかの人気曲」と確実に等号で結べそうな「覚・信長コンビの作った曲」が、はたして「60回定演にふさわしい曲」とも等号で結べるのかどうか、そしてこれは私たちが聴衆が数十年の間に身にまとってしまった「ドラゴンについての曲」のイメージにそったものであるかということに尽きる。

満を持して作られたと思しきフライヤー・プログラム類の表裏には、エルマーと竜の挿画を想起させる『ドラゴンソング』のイラストがグレー味のあるライトな縹系(若い男を表現するジャポネスクカラー?)の地に踊り、プログラムの全てのページへ一貫してこのテーマカラーが用いられる。ワッペン部分とチラシエプロンと裏面には水縹の類似補色からあっけらかんとしたキハダが使われ、男の子の心の軽快さを表す。出版社所属合唱団の名にふさわしい意匠となっている。

だが、私たち観客にとって一番嬉しくもあり、また超お得感満載だったのは表面へ小さめに配された団員総勢のステージ記念写真だった。今夏の定演に来場した観客のほぼ99パーセントは、本来の2022年60回定演が3月30日開催で企画進行されていたことを知っている。また、その演奏会は蔓延防止の対策が子供達のブラッシュアップの足枷となり、クオリティー的にも鑑賞料をとって聞かせる保証が出来なくなった(少なくとも館サイドではそうしたニュアンスの告知もしている)ため、名称も『スプリングコンサート』に挿げ替え無観客に近い形で本番プレゲネプロのようにして催行されたことも、東京芸術劇場の公表などから窺い知れた。フライヤーの写真はおそらくこのときに、芸術劇場大ホールのステージ上で舞台背面扉を閉めて撮影されたものであろう。ユースクラスを除く全隊が立像で写し込まれている。ソーシャルディスタンスを順守しているため、後列の団員らでさえパンツ長や靴のつま先まで写っている子もたくさんいる。最大のプレゼントは山台の3段目より上に立つ子供たちの小さく小さく写った顔、顔、顔…!ああ、キミらは元気でここにいてくれたのか!?歌っていてくれたのかと、筆者は震えるほどの喜びに終日機嫌が良かった。さらに目を凝らすと、前方にはイートンの右ポケットや胸ポケットへ白いマスクを中途半端に突っ込んで立つ団員が何人も認められる。この日のAB組諸君の仕草一挙手一投足、息遣いさえもビビッドに再現するショットで、その可愛らしさ・ひたむきさに無条件降伏状態だった!来場前・開演前にこの小さな写真たった1枚で至福の時間を過ごせたのである。


……

拙文の最後に、再び雑誌『合唱界』1962年(Vol.9 No.11)掲載の記事に触れておきたいと思う。

合唱指揮者の横山千秋氏は9月29日東京文化会館小ホール開催のフレーベルの第2回定期演奏会を「ろばの会については(中略)フレーベル少年合唱団の演奏会(第2回定演)にヒサシを借りているという誤解を招かないでいただきたいものだし、ことに子供たちに対する教育的見地からしてもせっかくこのような団体(フレーベル少年合唱団)は、もっとたくさんの世界の名曲にも親しむようなプログラムであって良いはずだと思います。」として徹底的にこき下ろし、レポートのタイトルも「大人の責任は重い」と断罪している。フレーベル第2回定演が実質的に「子供たちの歌の会」ではなく「ろばの会」(合唱団の指揮者=磯部俶が呼びかけ中田喜直・大中恩らとともに作った当時の若手作曲家クラブ)の楽曲発表会であったことにきわめて憤慨している。氏は「合唱界」の既刊上で、東京文化会館で行われた62年5月の全日本少年合唱発表会に出演したフレーベルの歌声を「Aクラス」(国内トップ)と太鼓判を押しているのだが、一方、定演ではプログラム構成に「大人の事情」が色濃く表れたことに強く不快感を示しているのである。後年の「ろばの会」が世に送ったたくさんの名楽曲と寄与した作詞家の顔ぶれ、会の存在意義の高邁さをよく知っている21世紀の私たちからしたら、「そんなに怒らなくったって…」というものだが、「もっとたくさんの世界の名曲にも親しむようなプログラムを」と具体的に書いているところを見ると、歌われる曲、歌われる曲、「また、ろばの会の曲なのかよ」と、よほど鼻についたのだろう。
(『合唱界』1962年11月号 pp.90-92 東京音楽社)

60回定演が終演し、私はこの演奏会の何が良かったのか幾度も考えた。

アンパンチ君・テンドンマン君たちや竹友軍団の諸君、忘れちゃイケないアルトのダンディー・ボーイたち、前回定演で未だA組B組に歌っていた子たちが少年らしく頼もしくしっかりと成長し、胸板も厚く練れた声でステージに歌う姿が見れたことと、意外にも現A組B組の子供たちが東京芸術劇場大ホールを冷涼な綺麗な声で鳴らしていたこと、OBやユースが私たちの心に寄り添う歌声をお土産にくれたこと…「60周年に際し、どのような演目が並んでいるか」は結局2次的なことで、他の選曲でも十分に楽しむことはできた。
おそらく先の横山氏も、フレーベル少年合唱団の第2回定期演奏会に、今回の私の感想と同じような至福の時間を渇望し足を運んだはずだったのに違いない。
以後、フレーベル少年合唱団が横山氏の「大人の責任は重い」批判を真摯に受け止め、注意深く定期演奏会を持っていくようになったのは事実のようである。プログラムは相変わらず「ろばの会」の曲でも、観客が求めているのは演目やその由緒ではなく少年たちの歌声や歌い姿であることに彼らは気づき始めていくのである。