子どもが幸せだった時代

2005-05-29 23:30:33 | CD,レコード


 東京タワーをバックに何やらヤンチャそうな子どもたちが自然な表情で写っている。
そこに写り込んでいるおじさんは、一定年齢以上の日本人だったら聞いたことのある童謡をたくさん作り続けた作曲家ご本人だ。
そう、このレコードは、日本を代表する作曲家が、自分とその周辺の童謡作家たちで作った曲を中心に、それを人々がどのように歌って欲しいのか、(Wikipediaによると)自分の持っている合唱団の子どもたちに実際に歌わせて録り上げたものだ。児童合唱団版のシンガーソングライターみたいなものなのだ。

 写真を見たらわかる。昭和30年代だ。確実に、だが少しずつ、豊かになりはじめた時代。でも、家の中はまだガランとし、このレコードで子どもたちの着ている制服の縫製ははなはだちゃちなものだ。

 作曲家が自分で作って、自分で棒をふり、自分の大切にしている子どもたちに歌わせたその歌の数々は、それでも慈愛に満ちている。どの曲も優しい気持ちにあふれ、子どもたちはそれを無邪気にいたずらっ子そうに歌っている。

 ラストナンバー「棚をつくりましょう」で「ぼくが日曜日に台所の棚を作りますよ、ね、お母さん」と男の子が歌っている。当時、台所の棚は、通販やホームセンターで買ってきて使い捨てのスパナで組み立てるものではなく、小学校高学年の男の子が、木工作の趣味みたいにして面白がりながらクギを打って作るものだったのだ。そして歌は、最初にこうことわっている....「もう一つ棚をつくりましょ」と言っている。棚が一つも無いような家ではなくて、必要な最低限のものがあり、そこには日用の調味料の置いてあることがあっさりと歌われている。塩の缶、醤油の瓶、海苔や煎餅の缶....食品は化学製品の密閉容器や小分けのパックではなく、皆ガラス瓶や缶に入れられストックされていたのだ。だから、この家に来る前の塩や醤油や煎餅や海苔も、店頭では当然パックで売られていたのではなく、大きな瓶や缶や大皿やカメに盛られ入れられて売られていたのだ....。彼が、そういうものどもの並ぶ台所の棚をもう一つ作ると公言しているのは、新しく作った棚にこれまでの調味料と併置して、それ以降の時代、怒濤のように台所へとなだれ込んでくるたくさんの品々を迎えようというささやかな予言になっているのだ。

 何もなかったのに、子どもたちがあの時代、なぜ幸せだったのかをこのレコードの歌は教えてくれている。