フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何だったのか

2009-03-03 20:57:12 | コンサート
フレーベル少年合唱団 早春のコンサート
2月14日(土)・15日(日)各日13時~13時30分
六義園しだれ桜前広場(文京区本駒込)
無料(入園料別途)

少年たちがブランケットを脱ぎ去る
 2009年(平成21年)2月の聖バレンタイン・デーの午後、フレーベル少年合唱団は月毎レギュラーの六義園コンサートを行った。前日吹き荒れた春一番の残り香か、花々のかすかな芳香の中で首都圏の気温は優に20℃を超え、開演時の文京区本駒込の温度計の目盛りは25℃を振り切ろうとしていた。いつものように六義園エンタランスのさざれを静かに踏みしだきながら少年たちが現れると、彼らのコスチュームの移変は誰の目にも明らかだった。2007年の2月24日25日(この頃はまだ午後2時のスタートだった)、昨年2008年の2月16日17日、…毎年2月のコンサート。彼らは紺ブレ長パンツの上下にブランケットを着込み、メロンとスミレのマフラーをピッチリと巻いて「早春コンサート」とは名ばかりの寒風の中で目を細め「北風小僧の寒太郎」を歌っていたと記憶する。今回の「早春のコンサート」でもオープニングに「雪の降るまちを」を歌い、次いで「早春賦」を演目へ組んでいた。だが、合唱団は防寒着をあっさりと脱ぎ置いて、赤ボウに紺ベストの合着のスタイルをフォーマル標準の側章パンツに組み合わせ颯爽と登場した。引き抜きのような彼らの早変わりは爽やかで男の子の合唱団独特の軽快なステップを感じさせる。同時に、これはフレーベル少年合唱団が蓄積してきた膨大な野外コンサートのノウハウを表してもいて頼もしい。MCの少年は「今日は暖かいですね。」という一文をさりげなく織り込んで観客をくすぐるのだが、翌日には一転して「今日は寒いですが…」といった内容にすげかえていく。
 冒頭の隊列が「白手袋をして不規則」なのは毎回オープニングのファンファーレでハンドベルを担当する団員たちがいるからなのだが、意外なことに一見の観客にとってこれが良い意味でビジュアルセンセーションになっているようなのである。いずれにせよ、彼らの六義園コンサートのフォーマットとして開会宣言代わりのセレクトメンバーのハンドベル演奏(曲目は回によって異なっていることもあり、土日でも違っていたりする)を聞くことができる。ここで面白いのは、この合唱団独特の姿勢のため、最近のハンドベル担当の団員たちは白手袋を握りしめるか、はめたままで30分間歌い続け、客上げの子どもたちの手を引いたりMCを繰り出したりまでしているということに観客が殆ど気づいていないということなのかもしれない。


六義園コンサートとMC団員たち
 曲紹介のMC担当はたいていの場合毎回異なり、同じ月の土曜日と日曜日では同じ基本原稿をダブルキャストで受け持つ。土曜日の開幕のMCを現役リーダー格が述べれば、日曜日には昨日出席できなかった現役トップソリストが同じ原稿で片をつけるといった具合。土曜日にソプラノの中堅団員がした曲紹介は日曜日にはまた別のソプラノ中堅団員が担当すると見てよい。六義園コンサートが基本路線として持っている、「土曜日と日曜日、同一内容の2回のマチネ」という構成が、実は非常に重要な意味を持つ。一つは1回の演出で2人の団員を相乗的に育てられるというマルチな利点。もう一つは男の子の合唱団にありがちな病欠や学校行事による突然の欠席に備えられるというフェールセーフな利点である。少なくとも、観客にとっては同じ構成の演奏会であるのにもかかわらず土日で違う少年の声や姿を楽しむことができるのだから、おトク感満載の連続来場サービス特典ということになる。

 この日、MCマイクの前に立った団員の中には、マイクホルダーのクリップの可動を確かめて、過度にマイクヘッドを下げながらしゃべるという姿が散見された。六義園コンサートのマイクセッティングは常に2基のスピーカーに供応する位置へ施される。2ウェイバスレフのフロントメインが彼らの背丈より高い位置にスピーカスタンドをかましてセットされ、隊列の斜め後ろから伴奏を振りかけるという構成になっている。スタジオに入れば彼らもキューボックスを通じて伴奏を聞くだろう。だが六義園では彼ら自身が伴奏音をそこから聴き取らなければ歌えないし、観客も曲を理解できない。必要最低限の構成で成立したミニマムなユニットの中で、MCの少年たちは自分の声がどうしたらハウらずに済み、落ち着いたしっとりした音で鳴らす事ができるのかを耳や体で雰囲気として知っているのである。(スピーカーの位置が十分に遠いときやマイクホルダのピンチのきつい時、マイクスタンドの低さがマックスの場合には下級生たちはそれをやらない)。おそらく彼らが年間のステージパフォーマンスを通じ経験の中から無意識のうちに繰っているのが、このプロ仕様のバウンダリマイク顔負けな「マイクロフォーンの下向け」なのである。


連結式の解消から見えた「ぼくたちの合唱団」
 低学年の小さな子どもたちが低めに立てられたマイクスタンドの首をさらに下へとネジって自分の声を入れようとする姿は、昨年までは演奏会後半でしか見られない大変貴重なシーンの一つだった。
 かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの基本構成として、A組セレクトの部隊のみが演奏会前半を担当し、途中からプレーンA組が合流して最後まで流すという連結式のキャスティングが堅持されていた。しだれ桜のはるかカミ手側の藤棚の近くで、矮小な列を作って入りを待つプレーンA組の小さな子どもたちの頼りなさそうな姿を記憶している人も多いことだろう。だが、その愛らしい隊列は2008年以降の六義園にはもはや存在しない。無くなってしまったのはプレーンA組ではなく、A組セレクトの方だととらえるのが穏当であるように思われた。合唱団がおよそ20年もの間保ち続けていたこの2分隊の編成が、現在のフレーベルの学年構成の上ではもはや成立し得なく(成立し難く)なってしまったと考えてはどうだろうか。

 フレーベル少年合唱団が2008年の夏休み明けにチームの要となる12歳以上の団員をほぼ完全に失うということは、実は客観的な年齢構成の概算により2004年から2005年の段階で部外者にもほとんど明らかになって知られていた。平成20年…チームを牽引する6年生団員はおらず、最上級生の中学生団員たちは夏休みを終えれば一斉に変声をむかえる。そのとき合唱団に残っている上級生は、片手の指で数えれば終わってしまうくらいわずかな人数の10歳から11歳の小学5年の子どもたちでしかないということを2005年の私たちは覚めた頭で計算し震撼させられた。彼らが、子ウサギのように群れているイタズラっ子そうな目つきの低学年の子どもたちを引き連れてフレーベル少年合唱団をどう仕切るのか、その無謀で「バカげている」としか思えないような状況を私は考えないようにしたかった。それが実際、2008年の夏休みをまだ終えないほど早い段階で避けられない現実となったとき、少人数の、重圧に押しつぶされ消えてしまってしかるべきはずの男の子たちは、もたらされた責務をひょいと両肩に担い、うっとりするほど頼もしい楽しげな真摯な立ち姿で私たちの前に現れたのだった。高低のトップソリストを隊列の両翼に従え、アルト側のエッジに暖かい安定感のあるヘッドクウォーターを布陣し、ソプラノ後列の左翼には誠意あふれる声質の少年たちを配しながら。それは『芳しい』と呼べるほど鮮やかで魅力的な出来事だった。彼らは降ってきたただならぬ試練を少年らしい柔らかな心できちんと受け止めて支えきったのだ。今年度のフレーベルが俄然面白くなったのは、そういう彼らが「プレーンA組」に甘んじていたはずの小さな団員たちを「僕らのチームメイト」として大切に相手にしながら歌っているからだと私は思う。


林を抜け、僕らのハーモニーが聞こえる
 六義園コンサートへの批評の代表的なもの2つに、野外演奏であることの意義を問うものと、カラオケ伴奏の是非を問うものがある。前者について言えば、そもそも残念なことに少年合唱の最も美しく爽快な瞬間を聞き逃している。あなたは知っているだろうか?森の中、深い茂みを抜けて聞こえ来る少年たちのコーラスの美しさ、楽しさ!六義園で試してみたらいい。そろいのユニフォームに身を包んだ子どもたちの姿や、それを幸せそうに取り囲む人々の輪から少し離れ、庭園の奥深く、だが子どもたちの声が木立を分け、木々の緑の梢を抜けハッキリとやってくる場所を注意深く探して静かに耳を傾けてみたらわかるというものだ。だが、もう長いこと少年合唱を聞き続けてきた私自身ですら、その驚くべき瞬間を最初に体験したのは、追っかけを始めてからすでに十何年も経ってしまった後のことだった(…しかも、そのとき歌っていたのは私が個人的にかなり良く知っていた少年たちで…それほど極端に想定外な出来事だった!)。私たちの誰もが、歌っている子らの表情や姿見たさに今日も彼らの隊列の前に当然のように陣取る。それは決して悪いことでも無駄なことでもない。だが、ボーイソプラノのハーモニーの美しさ、清らかさ、温もりが森や林の中では何倍にも増幅されて聞こえることをあなたも体験しておくべきだ。フレーベル少年合唱団がもともと株式会社フレーベル館の社会還元事業として位置づけられている以上、私たちはそれが安易に地域の六義園へと結びついているととらえがちだが、彼ら自身もまた、かつて人工物で取り囲まれた神田小川小学校の校庭で毎月コンサートを開きたいなどとは(可能ではあっても)決して思わなかったろう。


カラオケ伴奏をめぐって
 カラオケ伴奏の是非については、ここでさらに2つのことが言いたい。彼らは今年の「早春のコンサート」のアンコールの客上げで「崖の上のャjョ」を歌った。伴奏に使われたのは合唱譜のピアノパートをなぜたものではなく、正真正銘のメイド・イン・映画版宮崎アニメーション・サウンドトラックのカラオケ音源だった。大橋のぞみがスタジオ録音に使い、全国1000万人の観客が劇場のタイトルロールを前に胸震わせて聞いたあのサントラ音源だったのである。上級生団員たちがあまり奔走するまでもなくステージ上手に集まってきてくれたたくさんの「ちいさなお友だち」が、そのCDの冒頭の4秒590msのイントロを聞いただけで弾かれたように歌いだした光景は今さらここで書き記すまでもない。誰の脳裏にも容易に描き得るだろう幸せなワンシーンなのだった。ナマ・ピアノやナマ・キーボードの演奏で子どもたちが歌うことは、決して悪いことだとは思わないし、大切なことだとも思う。だが、目前で歌う子どもたちを見下ろしつつ心底ホッとした安堵の表情をたたえて歌うアルトの上級生団員らのユニフォームの肩が一番大切なことを言っていたのである。「うれしいなぁ!ありがとう!僕たちは伴奏が何で鳴っていてもいいんだ。僕らの仕事は聞いてくれている人たちを幸せな気持ちにしてあげることだから。」

 現在でもときたま不都合の出ることがあるが、かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートはCDの音飛びやハウリングなど、PA機器類のマシントラブルのオンパレードだった。初期の頃の団員たちは、こういうハプニングがあると、ただならぬ躊躇をためてから演奏自体を放棄してしまうことがあった。指揮者が何か指示なり対応なりを示してくれるのを待っていたのである。だが、現在の団員は既にこうしたハプニングの中で六義園デビューをはたしてきた老練の少年たちだ。伴奏が落ちれば平然とアカペラで歌ってボーイソプラノの素材そのものの声を見せつけてくれるし、CDが音飛びすれば、注意深くそのパターンを聞いてなんとか合わせてみようと試みる。前述の通り、マイクホルダを下向きにしてハウリングを避けようとする団員たちもいれば、マイクのリモートスイッチを疑ってみるような上級生もいる。現在のフレーベル少年合唱団は、オーディオ関係以外にも、およそ考えうる限りの様々なハプニングの洗礼をしだれ桜の前で受けながら今日ここに立っている。2008年の今、先生方が棒を振らず、5年生の男の子に指揮をさせて1曲を聞かせきるほどに団員が成長したのはこのためだ。六義園で起きた信じられない程多くのトラブルが、彼らをこのように頼もしく育てあげたのはもはや疑いようもない。コンサートの最中、自らもパートの中心として歌っているのに、客上げやハプニング等、一人でも多くの手が必要になれば誰からの指示が無くても隣の団員の肩をぽんぽんと叩いて目配せし「おい、行くぞ!」「よし!やろう!」とばかり隊列を飛び出て行く少年たちの姿は見ていても常に颯爽として頼もしく清々しい。そして隣で歌う3年生団員がその数秒間の一部始終を傍視しつつ未来への記憶にとどめる。フレーベル少年合唱団の最も美しい瞬間が、またここにも見られるのである。


プログラムに関する若干の分析
 毎月のコンサートには簡潔なタイトルがつき、次に副題としてのテーマが掲げられる。2009年2月のタイトルは「早春のコンサート」でテーマは「和を楽しむ」だった。また、場合によってその下にプログラム・コンセプトの紹介が添えられることもある。今回は「日本の歌を中心に」。これらは毎回、オープニングMCでアナウンスされる。だが、2月14日15日の実際の構成は、ハンドベル>「雪の降るまちを」>OpMC>「早春賦」>MC>「おてもやん」「会津磐梯山」「ソーラン節」>MC>「どこかで春が」「春よ来い」「うれしいひなまつり」>MC>「宝島」「勇気りんりん」「アンパンマンマーチ」>EdMC>「春よ来い」>アンコールMC>「崖の上のャjョ」>ボウとなっている。確かに日本製の曲ばかりだが、一般的に考えられている「日本の歌」直球路線のプログラムにしていない。特に「宝島」から後半とアンコールが、テレビと映画のアニメ音楽のラインナップになっている点が目を引く。
 Op>本編>Ed+アンコールの大きな三部構成。これが六義園コンサートの誠意ある基本構造だ。今回の本編は団員MCをはさんでそれぞれテーマを持たされた3曲ごとのユニットからなっている。最初が「日本の民謡」で次が「春の童謡」。最後が「アニソン」。典型的な3-3-3構成だが、そこにはフレーベルならではの縦糸がさりげなく織り込まれている。「日本の民謡」の3曲はいずれも昨秋の定期演奏会でも歌われたもので、とくに最後の「ソーラン節」はNET系列の『題名のない音楽会』でオンエアされたものの改良バージョン。このコーナーは「僕らの活動報告」といった趣向で裏打ちされているのである。そこでは「僕たちの歌ったコマーシャル・ソングです!」というような真正面からのアプローチになることもあれば、今回のように、全体のテーマに沿ったものをさりげなく配して済ます場合もある。プログラムの中央に位置する次のコーナーには、メインテーマ通りの曲が並ぶ。最後のコーナーはややひねりの利いた選曲。こうした部分ではフレーベル少年合唱団のテーマソングとも言うべきアンパンマンの番組挿入歌や「リサイクルレンジャーの唄」「星のうわさ」などの彼らの所属がらみの作品がちりばめられている場合が多い。

 前述の通り、1回のマチネに動員される少年は6名。2日間でのべ12名がマイクの前に立っている。今回のコンサートでは、珍しいことにソロやアンサンブル入りの演奏が供されなかった。また、団員による指揮も行なわれなかった。学校行事の影響をモロに被る秋口や、風邪の流行や中学受験など不確定要素の増える年明けの2ヶ月間などは、演目のためにソリストを確保しておきたい男の子の合唱団にとって頭の痛い時期にあたる。しかも、演奏会が必ず週末の2日間(たいていが連続の土日曜日に設定されている)にあたるため、春の運動会にはじまり、夏は学校の林間学校、秋は学潔?竄サの他の文化・体育行事、早春の式典行事、さらには学校公開や模擬テスト、私立の学校に通っている子どもの土曜授業など、年間を通じキャスティングのやりくりや見通しは決して良いものとは言えない。最悪なことに小学生の男の子の健康自己管理能力の水準といったら限りなくゼロに等しいものと相場は決まっている。どこの少年合唱団でもごく当たり前に見られることは開演ギリギリに楽屋へ駆け込んでくる団員。鼻水、嘔吐、瀉痢、失禁に鼻血など出血のオールスターキャスト。こうしたぐずぐずな水モノ状況をおしてソロや演出の少年を捻出する先生方はさぞや大変なことだろうと同情の念を禁じえない。
 現在のフレーベルでは団体戦の重唱は比較的聞かれるが、厳密な意味でのソロは非常に少ない。2日間のコンサートで日曜日にのみ独唱がプログラムに上がるということもある。演奏会全隊のチームカラーは、出演しているソロ団員のメンバーで日によって微妙に異なる。市販されているCDで言うと、今回の初日は「ゲゲゲの鬼太郎」サウンドトラックの声質、2日目は「きかんしゃトーマスのテーマ」のセリフ部分や、「リサイクルレンジャーの唄」の3番のカンレンジャーのアンサンブル(「トーマス…」と「リサイクル…」の曲全体の色を決定づけているのはセリフ担当とソリストの声なのである)に声質が似ている。


観客は六義園コンサートをどう聴いているか
 合唱団は六義園でもまた、終演に列ごとのボウ(&スクレイプ)を見せる。フレーベル少年合唱団の音楽が六義園で観客にどう聴かれているのか、この場面を見るにつけ思い知らされることがある。挨拶の開始は、冷静な目を持った横列ごとのコール担当の号令で始まる。
「気をつけッ!」
男の子が少年合唱団員らしいきりりとした通りの良い声で一言叫ぶと、…何と団員たちといっしょにお客様が姿勢を正すのである。背筋を伸ばし少年たちと相対するのである。私は、この美しい一瞬を目前で幾度と無く目撃し、ただ中に身を置いて来た。お客様は漫然とそこに腰を下ろし、また立っていたのではなく、どうも心の中で「少年たちといっしょに歌っていた」ようなのだった!合唱団がなぜ六義園で「客上げ」の企画にこだわり、誰もが知っている曲の中にオリジナリティーのあるナンバーを苦心して織り込もうと努めるのか。毎回、数多くの観客たちが見ず知らずの少年らの姿をなぜ我がことのように熱心に写真に収め続けるのか。そしてフレーベル少年合唱団の少年たちがどうしてこんなにも人々から愛され可愛がられているのか。六義園コンサートの30分間は観客にとって「私も合唱団とともにここに歌った小さな思い出の時間」なのである。

 少年合唱団のコンサートの観客にとって、途中入団の少年のステージデビューの目撃者になれるということもまた最高の役得の一つだと思う。六義園のコンサートは、少しずつ繰り入れられる中途採用団員たちのために繁くステージデビューのシーンを提供してくれている。しかも、それは豆粒のようにしか見えない大ホールの遥か遠方の舞台ではなく、幸運な事に観客や新入団員保護者の至近で展開されているのである。今回、少年たちの終演の挨拶は直立のボウではなく、簡易の「ボウ&スクレイプ」だった。見慣れぬその団員が未だとってつけたようなかぶりかたの紺ベレーの頭を垂れてサッと彼の右脚を伸べたとき、春風のように温暖で爽やかな感動が私の固くなりかけた側頭をそよがせたのだった。

 あまたの物語を持つボウの後も野外イベントらしい撤収が彼らには待ち構えている。挨拶の列がハケるとまず担当団員は白手袋着用の上ハンドベルの回収があり、その後は先生方が先頭に立ち、現在はアルト側の上級生が列を牽引しフレーベル館へ帰投する。ここではどの保護者にも我が息子の「バックステージ」を観察する絶好のチャンスが与えられている。ショッピングセンターのイベントや劇場出演の終演後には決して見ることのできない「一仕事終えた後の様々な想いをたたえた」愛息たちの表情を脇からそっと読む事が出来る。日本中のボーイソプラノ合唱団でも極めて稀な全保護者向け月毎デラックス特典なのである。


六義園コンサートとは、いったい何だったのか
 最後に、フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何であり続けてきたのかを考えてみたい。毎年のフレーベル少年合唱団の定期演奏会の客席には同じ在京のボーイソプラノの合唱団であるTFM少年合唱団の団員の姿を見かけることがある。彼らにとって水曜日の定演の開場時刻がちょうど訓練日の帰りにあたるらしく、保護者のピックアップを待って来場するのに良いタイミングなのだろうと思う。私は定演潜入中(?)のFMの団員たちをこれまでに4~5人は目撃したことがある。そういう彼らをつかまえて、どういうつもりで聴きに来たのかを尋ねると、全く他意の感じられないくったくの無い表情で「楽しみに来ました」と言われたりする。さすがFMの団員たちだけあって、実に的を得た発言だと思う。彼らは音楽技術やステージコンセプトを探りに来たのではなく、心から「ステージを、歌を、演奏を楽しみに来た」と言っている。フレーベル少年合唱団が演奏会で一番大切にしていること、観客が聴き取らねばならないことを、ライバル合唱団の彼らは良く判って聞いているのである。

 タマゴと砂糖とバターと薄力粉が手に入ったら、必ずマドレーヌを作らなくてはいけないとは、誰も思わないだろう。また、嵩リの野菜を下茹でするか、油通しするか、固いもの以外は何も下ごしらえしておかないかは調理人に任せるべきだし、戒律の定めにより「嵩リ」自体が食べられないという人も日本にはおよそ7万人いる。フレーベル少年合唱団の六義園コンサートは「変声前の男の子」という素材をどう料理して見せるか聴かせるかという意味では、私たちの楽しい「食」に酷似している。もしこの愛らしい小さなひとときを外見で区別するとしたら、それは調理が設備万全のワークトップ・キッチンで行われるか日本庭園に面した簡素なギャレーで行われるかでしかない。六義園コンサートをめぐって行われるだろう頻々な批判が有るとすれば、それは前もって味に結論を用意するかどうかだけのことだ。ドンツユ入りの小麦麺を北はホウトウから南は沖縄そばまで食べてみて、どれも全部「おいしかった!」と大喜びするか、「薄色で甘くないダシに柔らかい麺を入れ、稲荷鮨を添えたもの以外は『うどん』とは呼べない」と大人げなく言い張るのかの違いだけである。このように、かつての定期演奏会がそうであったように、「何がどう調理されて出てくるのかわからない」「季節ごと、日ごと、状況に応じていろいろやってみる」のヌーベル・キュイジーヌな楽しみこそがフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの醍醐味として浮かび上がってくる。

 初代指揮者である磯部俶が、1959年から60年に著した合唱団の極めて初期のレコードのライナーノーツにフレーベル少年合唱団をして「いろいろとやってみる」と書いているのを読んだことがある。
「きちんとした理論とメトードを確立した上で、計画通り粛々と運営を進める、演奏を展開する」とは書かれていない。この一文には、毎週末、遊びたいのを我慢して頑張って歌いに来ている少年たちや、それを楽しげにとり巻く大人たちの等身大の姿が見え隠れする。その人たちが思いきり少年合唱を楽しめるように「いろいろとやってみるのだ」と磯部は書いているのである。私たちは六義園に集う団員たちの姿を見るにつけ、初代指導者の想いは現在のフレーベル少年合唱団にも驚くほど不変のまま引き継がれていることに気づく。「ぼくらのため、聞いてくれる人のため」、彼らは今日も「いろいろとやってみる」気概を大切にしだれ桜の前へ隊列を作っている。