フレーベル少年合唱団よ永遠に

2019-11-09 15:10:00 | コンサート

フレーベル少年合唱団第59回定期演奏会
2019年8月23日(金) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円

2019年4月13日午前8時、開店直前の平成時代の喫茶店にステップバックしてきたポニーテールで制服姿の見ず知らずの少女が慌ただしくコーヒーを淹れ始める。ホワイトモノトーンのカジュアルを着てミディアムパーマに下ろした主人公の方は、コーヒーもいれるがワンハンドルマスコンもいれる引く手数多な大人気の若い女優さんだ。カップにコーヒーが満たされる音を聞きながら目をつむってそれを飲み干すと、やがて店内にかかった3つの時計の中央が止まり、左のターコイズの時計が動きだす。彼女は西暦2000年の12月24日午前8時へと旅立っていくのだ。変声直前といった風情を漂わせる一人の少年の真摯でガーネット色の歌声が鮮明にスニークしてくる。水中に漂う彼女は壁一面にかけられた過去の額絵の中から降下するときを探しつつその歌声に舞っている。劇場いっぱいに大音量で響き渡るしっかりした少年のソロ。作品中、最も重要で全ての出来事の集束点となるシーンの幕開けを一人のボーイソプラノの歌声が朗々と広大に牽引していく。この少年の歌声には特徴的なピッチの揺動としっかり練習を重ねたお兄さんぶりの頼もしさが同居し、一度聞いたことのある者であれば、誰がこれを歌っているか直感的に峻別することができる。映画のロールには歌詞の無いBGM的な歌に関するクレジットが一切なく、所属協力社のインフォメーションすら出てこないが、オリジナル・サウンドトラックのCDにはboy soprano:としてアーチスト名も「フレーベル少年合唱団」の記載もハッキリと見て取れる。2018年にビクターのスタジオで収録されたものだ。
この団員の活躍が本格化したのは2014年7月の東北公演の頃から。彼は最年少の仙台ツアーメンバーの一人として参加していたのだ。プログラムには本定演同様アンパンマンの図柄が踊り、今回アンコールとして歌われたセリフ演出入りの「アンパンマンたいそう」がやはりアンコール曲として発表された公演だった。合唱団の世代興行が一巡したことを感じさせる。
フレーベル少年合唱団第59回定期演奏会のステージにこの団員の姿は無かった。それどころか、今期合唱団のソプラノ中核の歌声を担うことが確実だった、彼の大切な弟くんも…。兄は前年、S組上進した弟をしっかりと横並びで隣に引き寄せ、ソプラノ最左翼へ常時肩を並べ、毎公演自重の中で厳しく歌い続けた。一見の客にでさえ、顔を見れば彼らが兄弟であることはすぐにわかる。しっかりと心で繋がった2人の立ち姿は常に私たち観客の「心の保養」であり、神様からの贈り物であり、彼らは質朴なアイドルだった。兄弟を同パート隣同士に立たせ、客席の目を和ませるという日本の少年合唱ではあまり見かけないしつらえがどこから生まれたものなのか、私は全く気がついていなかったが、今春ようやく判然とした。彼らは今、日本各地にいくつもある被災地の一つで今度はご両親を支えはじめているようなのだ。
定演の話の最初にこれを書いたのは、もちろんこの2人の団員の最後の年をいつまでも忘れたくないからだが、彼らのいない合唱団が「そこで歌っていたはずの団員がいない」今回の定演の実情の一端を象徴していたように思えるからだ。


演奏会はセレモニアスリーなクロッカー Emilly Crockerの「グロリア・フェスティバ」で開幕した。ギャロップ・ファンファーレのイメージで書かれたこの曲はアメリカのK-12ミドルゾーンエデュケーションの色彩を強く放つ溌剌としたもの。ラテン語米語歌詞で曲長もたっぷりと歌って3分間に届かないが、その一方フレーベル少年合唱団お得意の追っかけの応酬あり、ハリウッド調の起伏あり、「歌いきったー!」というコーダありと歌う側の満腹感も得られるようになっている。高学年の子たちをエッ?!と驚かせそうな『With you smile』そっくりさんの前奏、からりとした曲調やアドベンチャー映画のサントラにありそうなわくわく感を醸し出すリズム…日本の子供たちにも好まれそうなナンバーをよく選んでオープニングに据えている。フレーベルは本年初頭にはすでに劇場公開できる程度にこの曲を仕上げており、実際かつしかシンフォニーのモーツアルトホールで2月に聞いた演奏は高声部の申し分のないボリューム感や、アルトの子達のカッコいい旋律奪取や、メゾ少年らの甘ぁーいおいしそうなハーモニーなどが満載の「これぞ日本の少年合唱団!」的な仕上がりだった。「この惚れ惚れとさせるヤンチャぶりを夏までにどう刈りそろえていくかが彼らの課題じゃないかな」と客席で思ったことを今でもよく覚えている。
だが、定演当日、団歌に続く彼らS組による「グロリア・フェスティバ」はまるで大人しい穏当な演奏だった。「演奏会の冒頭なのでかなりセーブをかけているのかな」と思っていた。だが、当夜の演奏を最後まで聞いて抱いた率直な印象は、昨年までのイケイケ路線が一転、総じてやややんちゃぶりに欠ける仕上がりの定期演奏会だったということだ。もともと数年後には予想されていた事態だが、まずそれが3年近く繰り上がってやってきてしまったというイメージ。これはいくつかの要因が運悪く重なってしまったということだと思う。前述のかつしかシンフォニーでのコンサートに聞いた天空の城ラピュタのソロ入りのテーマはなんだかムフフな出来栄えの痛快な一曲だったが、この定演で結局再度歌われることはなかった。象徴的な出来事だと思っている。

今回の定期演奏会の期日となった8月23日は、都内の小学校や初等中等学校の2学期始業ギリギリの日程である。9月にならないと小学校では新学期が始まらないというのは、まだ文京区・北区などには残るが基本的に平成のノスタルジーだ(隣接する新宿区・豊島区の2学期始業は定演の週明け)。合唱団側でも来年の定演は8月の19日水曜日へスライドすると発表している。微妙なラインで、定期演奏会が始業式の直前となる団員がいることには変わりない。


冒頭の兄弟団員たち同様、今回の定演では「そこで歌っていたはずの団員がいない」と思わせる光景が印象的な定演だった。
一つは彼らが紺イートンでpart1に登場するシーンから既に明らかになる。フレーベル少年合唱団は2年前から中学生に長パンツ着用を指定している(紺イートンはもともと丈の無いレギュラー半ズボンと組み合わせることが前提にデザインされたものなので、裾丈が長パンツにフィットしない。ユースのプルオーバーをベストに替えているのはこのためか若しくは市販品のサイズアウトが理由だろう)。一見して誰が中学生なのか一見してわかるようになっている。…3人しかいない。一つは中学進学を機に卒団した団員達がいること。彼らは在団中ずっと強烈な存在感を持っていた(客席にいた!嬉しかった!)。もう一つは昨年度お披露目のあったユースクラスに中学2年生以上の団員が吸い上げられたためで、ユース兼任の中学1年生は1名活躍するにとどまる。S組を去った彼らがフレーベル少年合唱団にとってどんな功績を果たし、素晴らしい歌を聴かせ続け、下級生たちを統率していたかはユースクラス・ステージに登場したメンバーやプログラムの名簿を見てもハッキリする。
中1団員たちはソプラノ側からメゾ、アルト側へここ4年間ほぼ同じ位置へ立ち今日に至っている。各回のコンサートで彼らの姿を確認するとほっとしてしまうのはおそらくこのためだ。ソプラノの団員は「アニマックスのクリスマス」「PRIDE」昨年の「天使と羊飼」の天使チームと毎年のようにここでも書いているが、私がどうしても忘れられないのはオペラ「トゥーランドット」でたくさんの団員たちと歌った彼のマツリカのキラリと光る演唱だった。
メゾ位置前列で必ずセンターにいるカッコいい中学生は、三山ひろしのNHKホールのライブ「貴方にありがとう」の頃からセンターに歌いDVDでも終始(合唱団の登場から彼の目前へ緞帳が降りるまで!「全く最後まで魅せてくれる!」と思わず叫んでしまう)印象的に撮られていた。彼はフレーベル少年合唱団の団員には珍しく、手を後ろに組んでいた時代から両脚をぴっちりと閉じ揃えて歌うシルエットを堅持していて、これが彼の声量をコントロールしているような印象を受ける。他にもごく少数だが足を閉じて歌う団員はいるのだが、彼のポジションは必ず最前列センターで固定されているために、観客にとっては演奏会開演とともにその姿が確認しやすく、安堵のようなものを感じるということが常であった。ここ数年のフレーベルのライブで全団員の基準座標のような役割を果たしてきた大切な大切な団員くんである。とくにこの1年間六義園ライブやその他のステージでメインMCなどもつとめ、少年らしい凛々しい声を私たちに届けてきた。
アルト右翼の中1団員は5年生で変声したが最前列の立ち位置をキープし続けた。羽が生えたように勝手気儘に歌いさえずるということをしない。与えられたポジションを堅実に誠意をもって守り続ける職人のようなすばらしい人。彼の声と「少年合唱団員としての生きざま」は、どちらも兄譲りの美しい誇るべきものだ。そしてそのどちらも、私は心から愛してやまない!彼は今日、part5でユースメンバーとしても活躍する。少年合唱というものの真実が、多くの部分で「少年合唱団員としての生きざま」に依って立つものであることを彼の歌い姿は長い間物語ってきた。

part1ではこの後、ボーイソプラノ映えのする「グリーンスリーヴス」や「アメージンググレース」を歌い継いだ。「アメージンググレース」はwowwowの連続ドラマW 「湊かなえ ポイズンドーター・ホーリーマザー」の第2回放送でフレーベル少年合唱団S組出演のうえ歌ったもの。放送は7月13日だが収録は3月21日に行われたため、映っているのも歌っているのも定演後の昨年度S組団員である。先述の最前列センターにいる中学生団員がまだ半ズボンの制服を着こなしているのでそれとわかる。立ち位置の人選や画像の仕上がりはきちんとした映画の迫真のシーンを見せられているかのような印象だった。編集でほんの数秒間、センター団員らが寄りの横舐めドリーで撮られていく。彼らの日常のステージを見慣れているはずの私は、彼らが圧倒的な「存在感」で仕上げられ画像に収まっているのを見て、あまりものクオリティの堅実さに戦慄させられた。おそらく、この驚愕は別人のように高インパクトで撮られた我が子の姿をテレビ画面の中に見てしまった団員保護者全員の偽らざる感想だったに違いない。彼らがきれいに着こなした、白ベレーに白スモックといった衣装のドラマツルギーも手堅い。アニマックスのクリスマスでの彼らの撮られ方の清新さにも舌を巻いたが、今回は設定にかなう歌い姿を披露し、また撮らせてもいる。曲は本編の主人公である「毒親」がトラックに轢き殺される瞬間に合わせ正確にカットアウトされ、表象オブジェの浮かぶショットで団員らが拍手を受けるよう仕組まれている。このため少年たちの歌い終わりは非常に印象的なものになった。作中の歌唱はフラッシュするシーンに合わせてやや乱暴で粗野な整音のまま録りあげられており、ソロ系の声が目立つ部分を絶妙にミュートし今回の定演のものとは印象を異にしていた。また、出演の役どころはそのものズバリ「少年合唱団」の役でソロを擁していない。59回定演ではこの「アメージンググレース」を大活躍のソリストくんが甘く美しく先導し、以降も次々と団員が登壇。ソロの喉を聞かせた。「グリーンスリーヴズ」でもマイナーコードにあった冷涼なアンサンブルを適材適所にフィーチャーしている。フレーベル少年合唱団は今年、メンバーのラックを補うかのように目立ったソロをいくつも打った。どの団員も一人残らず十分独唱に耐えるレベルで日常レッスンに於いて陶冶されていることを印象づけている。素晴らしいことと言える。だが、昨年定演で歌われた団歌や「アンパンマンのマーチ」と、今日ここで聞いたそれらの曲とでは格段にカロリーやポテンシャルや面白み、高音域の冴えが違う。それはユースへの上進や卒団以外にも、そこで歌っていて当然の団員たちが何人か今回の定演には姿を見せなかったことを示している。また、A組上進メンバーたちの補填をもってしてもそこを補いきれていなかったことも物語っているようだ。昨年のプログラム裏面記載のS組団員と今年度のそれとでは単純に比べても10名の団員が減っている。少年合唱団にある日、素敵な少年たちが花咲くがごとく一度に出現したとしたら、それは素敵な少年たちがいつの日か一どきに合唱団を去るのだという摂理。昨年も書いた通り、2年前の2017年、57回定期演奏会のpart3「『いぬのおまわりさん』の2番のソリストたちが、消防少年団の訓練礼式にも負けないくらいカッコいいシャープなお辞儀をして隊列に戻り(彼らは颯爽としたワンワン巡査の正義と真の勇気を少年らしい誠心を尽くして体現しようとしたのだ)、客席の私たちが曲の終わりを待ちきれず思わず拍手した瞬間」がエンタテイメント集団としてのフレーベル少年合唱団の天頂の一つだったと私は今も信じている。「小さいアキみつけた」君たちが透明度の極めて高い、練習を積んだ声を駆使し心を尽くして「小さい秋みつけた」を歌い、その後カラフルな心踊るカジュアルを身にまとったS組団員たちが「PRIDE」で舞台狭しとばかりきっちりとステップを踏んだ。あれは晴らしい夜だった。エンタテイメントとしてのボーイズコーラスのレーゾンデートルとは何か?我が国に於ける少年合唱の醍醐味として無視できない大切なものは何か?…今回の事態はそれらを静かに教えてくれている。


もう一つは今回の定期演奏会へ強烈に通底する既視感を、「前も聞いた」ではなく、「待ってました!フレーベルの定演は毎回絶対コレでなくっちゃ!」と客席に納得させる手法のさじ加減だったと思う。
合唱団は今年も演奏会のアバンに「魔笛」の三重唱(日本語版)をワーニングとして打った(その効果は、当夜文京シビックに居た観客なら誰でも知っている)。この演唱は員数・運びからコスチュームに至るまで全く昨年通りのフォーマットを踏み、今年の演奏会が終演までどのように運ばれるのか、客席の誰もがこの時点で予想できてしまったイメージだった。だが、実はこの隊列は目立たぬよう昨年度とチーム構成・人選が巧みにズラされており、また一つ違ったフレーベル少年合唱団の面白さを楽しめるようにしてあった。しかし、視覚的な印象は圧倒的に「去年の定演と全く同じじゃん!」であり、冷静な目でこれを見ない限り判じることが出来にくい。「前にもこれを聞いたな、見たな」という印象の連なりは、本定演のプログラム進行に徹底して流れ続けていたのである。

定演までの合唱団のメインストリームをトップで支えてきたキーマンは、まっすぐな歌を歌い続けてきたいわゆるクマくんウシくんチームともいうべき頼もしき集団だ(彼ら一人一人についてここで書きつくすと兄弟関係の活躍にまで話が及びとてつもない文章量になるので全員は書かない!)。彼らの学年は、定期演奏会がその年に晩秋から8月へシフトした煽りを受けてS組入りが半年以上も遅れ、客席にいる私たちを心からヤキモキとさせた。「新入団員は1年に15名、合唱団の定めた日程でテストを受けてパスし、適格とされた少年のみ。条件は集団行動遂行能力があり毎週の練習へ必ず出席できる者。」とした現在の団員募集による初期の子供たちでもある。優秀なのは当然だが、下のクラスへ在籍していた元気一杯ボーイズの群れる当時のB組A組をこうした事情から長い間鮮やかな手腕や搦手の心優しさで引っ張ってきた。彼らはS組2軍の下位集団でありながら、ソロやMCへの登壇、頭数が必要な外部出演のS組補充要員、それどころかS組下請けクラスのリーダーとして八面六臂の大活躍を展開し続けた。下級生らの幼さや拙い行動をポロリと客席に見せ「こんな小ぃちゃな坊やたちがあんなにキレイで上手な歌を歌っていたなんて!フレーベル少年合唱団ってステキ!」と客席をメロメロにさせる辣腕の下級生止揚力も持っている。着実な実績の割にいつまで経っても「S組団員」という肩書きにしてもらえずタキシードの制服も与えられない彼らの姿を見て、判官贔屓の私たちは彼らのステージでの姿へ次第に「諦観」や微かな「やさぐれ」のようなものの兆しを重ね始めたほどである。クマくんウシくんチームのソプラノ側リーダー…彼がS組入りした途端大進撃を開始した歌の出来栄えの良さ、一見して感じる爽やかさ、ダンスパフォーマンスのクオリティーの高さはここにも毎年のように書いているので繰り返さない。ただ、少年合唱団員としての彼の最大の魅力は、彼本人よりも寧ろ、周囲の団員たちが舞台上で視線に頼って彼に自分のありかを問い、何かを得て安堵し歌い続けるという姿をさんざん見せてもらってきたゆえの心ゆるびと千年至福に違いない。ひまわりのごとくすらりとして姿勢が良く、かつての辛い時期に太い導管から力強く土中の養分や水分を懸命に吸い上げた結果で周囲の子を明るい気持ちにする。
私はこの団員の出現が、今後しばらくの間のフレーベルの集団と知恵の色を決定づけてくれるのではないかと密かに想い願っている。昭和後期から現在までの首都圏の少年合唱団の、チームとしての主なニュアンスは「歌うエリート集団」だった。自覚し責任を負った上級生らが豊富な経験から下級生集団をきびしく律し、実力主義や年功序列で互いに切磋琢磨しながら成長し変声までの数年間を駆け抜ける。少年スポーツに見る子供らのありように酷似する。かつて少年スポーツの志向は「苛め抜かれて勝ち残ってきた少年たち」をさらに叩いて陶冶するものだった。同様のアプローチは現在の様々な少年合唱団の高学年チームにあっても基本的には変わらないだろう。フレーベル少年合唱団は決定的な団員数低迷の一時期を経験したために、上記のようなモーレツぶりが非常に緩和され現在へ至っているように思われる。だからクマくんウシくんチームのソプラノ側リーダーのような優秀な先輩団員であっても、周囲の団員らを高圧的な態度で処すること無く、少年たちの心のともし火として歌い続け、指導者も保護者も彼の歌を全幅の信頼で認めているのであろう。彼らは「先輩」である以前に同じ戦いをくぐり抜けてきたかけがえのない「戦友」なのであろう。

「フレーベル少年合唱団で超一番好きな団員をたった一人だけ挙げよ。2人ではダメ!」と尋ねられたときの私に一瞬の躊躇も逡巡も無い!クマくんウシくんチームのアルト側代表選手の名を挙げるに決まっている!理由は簡単でただ1つ。彼の歌声は小さい頃から今までずっと、聞いている人々の心を確実に、最高に、シアワセに、ホカホカ暖かくしてきてくれたから!A組の時代から常にセンター寄りアルト側最前列のポジションで歌ってきたため、彼は自分ひとりの声が客席へ直接ゴリゴリと届くような高慢な歌を決して歌わない。周囲を含め、ソプラノの旋律がきちんと響くよう配慮して何年も真摯に誠実にとても品よく歌い続けてきたのだ。だから、一見のお客様にはその声がなかなか聞き分けられないだろう。しかし、合唱の中の彼の声が陰影に富み、少年らしいお茶目さを含みながらラリックやバカラのクリスタルガラスを擦って出したように甘苦しく響くのを一度でも聞き分けてしまったら、私たちはもう引き返せない。彼の声質がどうしてこんなにも人心へ幸せの鐘を静かに打ち鳴らし続けるのか。私は彼の引き締まった安心のたっぷりとした躯体や下顎の構造や咽頭の仕組みの幸運な組み合わせによって発せられたマイクロ波が、私たちの心の振動子にエネルギーを投げ直接ハートをホカホカに温めてくれるのではないか…と、かなりホンキで想像している。一方、ステージ上に見る彼の歌い姿は常に真摯で温暖に気持ちがよく、しかも明らかに秀麗であることから、この少年の生き方自体がすでに「聞いている全ての人々を最高にシアワセにする」ものであるに違いないと確信している。
彼らクマくんウシくんチームの超スーパーミラクルかっこ良すぎでヤバい悶絶ものの歌声は、柏木広樹のCD「VOICE HIROKI KASHIWAGI」(HATS 2019 HUCD-10289)のトラック09「Dear Angel」(フィーチャリング・フレーベル少年合唱団)でタップリと聞くことができる!甘く清らかで上品に切なく、商業的にもパーフェクトの域に達する彼らのボカリーズを聞かないで生涯を終えるというのは、なんと心の栄養を粗末にして生きることになるか!

part1の最後に「ふるさとの空は」が歌われた。フレーベル少年合唱団第27回定期演奏会でとり上げられたナンバーで、基本的に同じ編曲版の32年ぶりの再演である。この曲に強い既視感が伴うのは、TOKYO FM(オンエア当時はFM東京)のサスプロの合唱番組『天使のハーモニー』1987年5月2日土曜日放送分で本編の冒頭にこの曲のライブ音源がコンプリートで使われたからだ(収録:1987年4月5日(日)イイノホール、開演は午後2時だった)。番組名から判る通り、この放送はFM東京少年合唱団(現・TOKYO FM少年合唱団)のフランチャイズ番組で、収録スタッフもFM少年合唱団の定期演奏会やスタジオ録音を担当するチームが「日本人の男の子の合唱」に十分慣れた手際で驚くほど鮮明な音像を再現し穏当にまとめている。フレーベル少年合唱団は27回定演に登壇したA組(現・S組)の中学生団員が総勢15名を超え当時のフレーベルらしい頭声の合唱を大車輪で展開する。このお兄さん集団を統率していたのは手島英という名前の当時中学2年生の少年だった。のちに21世紀のフレーベル少年合唱団の指導者となるその人である。彼らは第2ステージからイイノの舞台に姿を現し(開演直後の最初のステージはB組の担当だった)この「ふるさとの空は」を歌った。合唱団の少年たちは当時、アゴーギグの微揺動が不規則にかかるテクニカルな欠点を常に抱え、自らと戦っていた。また、講演会や落語などをレギュラーカスタマーとする当時のイイノホールには硬質なボーイソプラノの反響レンジを吸い取ってしまうという音響特性があった。この時代、フレーベル少年合唱団は60年間の歴史の中で最も頭声側に発声が振れた時期である。少年合唱がきちんとした頭声を統べ日本語で歌うと結果がどうなってしまうかは、いまさらここで述べるまでもない。
21世紀のフレーベル少年合唱団は現在の彼ららしい声で好条件に恵まれ「ふるさとの空は」を歌った。今回は後半にハンドクラップを加えちょっぴりハンガリーらしさを演出した。拍手に加速がかかり拍の強弱が逆転すればハンガリー化(?)は大成功なのだが、なかなか素敵な感じに擦り寄せてくれたと思う。フレーベル少年合唱団の大きな節目となるタイトルを上手に選び、パート終わりにふさわしい盛り上げをまっすぐに目論んだ。「既視感」はそういう意味でフレーベル少年合唱団らしい味に昇華され、団員らの頑張りを目の当たりにして彼らをこれからも応援していきたいと感じさせられた1曲であった。

part1を通じ、員数的にかなり梳かれた印象の彼らの歌声を通じて明らかに見えてきたのは、実はポスト・クマくんウシくんチームの近い将来に展開される数年後のフレーベル少年合唱団S組の清く正しく美しい少年たちの姿であった。咋定演のAB隊列の上進組を加え、今年度炸裂するはずであったイケイケムード全開チームの猛攻は鳴りを潜め、素敵な少年たちの涼しいポジションがメインストリームになっている。とくにこのネクスト・ジェネレーション右翼(アルト側)にあたる少年たちは、かつてのやんちゃにぎやかな子供っぽいカラーをとうに脱ぎ棄て、歌声も地声も端正でピッチの正確さもしっかりと身にまとう王子さまのような集団に成長している(部外者の私がどう聞いてもアルト側の出力がソプラノ側を常時凌駕しているのだ…)。一方で彼らの少年としての心根の優しさや、性格の純良さ、人懐っこいまでのハニカミの愛らしさなど歌以外にも特筆すべき点は実に満載で面白い。ステージ上へエイリアンの猛攻のごとくやってくる数々のハプニング等にも彼らは全く動じない。プロフェッショナルなのである。9月末の「ごえんなこんさぁと 東京公演 小児がんの子どもたちのためのチャリティー公演 竹下景子さんとともに」の終演後、トリトンスクエアの天空ロビーにトランスルーセントの募金箱を抱え半袖シャツ+ボウタイ・サスペンダーのさっぱりした衣裳で頭を垂れる彼らのあまりにもカッコイイきりりとした清らかな声と姿に接し、不覚にも涙をこぼしそうになった観客は皆無とは言えなかったろう。彼らは実際にはコバケンの方には出ていないのだが、熱誠に一途で胸を張りフレーベルの少年らしい心がスッと澄み渡るような歌を歌っていた。評価に値する。

part2
B組の隊列は当然のことと思うが年によって隊列のモラールとモラルが全く違っている。S組のお兄さんに手を引かれ登場する彼らよりもお兄さんがたの方がめちゃくちゃキュートでラブリーに感じられてしまうような精鋭部隊の年度があるかと思えば「小一プロブレムど真ん中&予備軍」のヤンキー・チーマーもあり色とりどり。本年度のB組諸君はどちらかと言うと後者のイメージなのだが、そこはフレーベル少年合唱団のこと、今年の新入団員たちのハジけっぷりを組み伏せることなく、逆に汲めども尽きぬフレッシュでビビッドで精気と士気に溢れた幼少年の楽しい歌声へあっさりと構造転換し、止揚してしまった。彼らがシモ手袖からいたずらっ子そうな得意満面の表情で登場してきた途端、あらゆる意味で「タダ者ではない」彼らの力量がハッキリする。「少年合唱団」と聞いて、清楚で古風なフォーマルを身につけ、薄荷飴のように青白い長い長い脚をすらりと伸ばした美麗なお兄様がたが天使のような裏声(私たちの誰も天使の歌声を実際に聞いたことは無いはずだが…)で歌うものと信じてきたような哀れな者は、このB組少年たちの登場に一発で崩壊しただろう。実に愉快だ!ザマミロだ!しかしこのステージの過激なエンタテイメント性は、これだけにとどまらない。
彼らは通常のB組ユニフォームに合わせ、イイ感じにスローライフ感満載の帽子を被り得意満面だ。「ちびっこカウボーイ」なのだから、彼らのかぶる小さな琥珀色の手作り感のあるハットは愛らしい荒野の男!ならぬ「荒野の坊や」仕立てのカウボーイハット。だが、このちびっこカウボーイハットは彼らB組の可愛らしさを引き出すための単なるファッションアイテムにとどまらない。まあ、ともかくpart2のプログラムは予想通りカッコかわいさ満点のMCに次いで「ちびっこカウボーイ」が歌われるにいたる。第一声から驚愕だった!毎年フレーベルの定演を聞きに来ている人々にはB組であってもステージ上で美麗なソロの歌声が普通に聞けることは知っている。だが、今年の子達の歌声は冒頭から「早く僕にソロを歌わせろ!ボク、歌えるんだからサ!!」と言わんばかりの高出力・高解像度(?)だ。彼らはその自己顕示の通り快活に楽し気に歌い、とことん客席を楽しませた。その歌が18小節目をまたいだとき、私たちの意識はもう頭上の愛らしいカウボーイハットには一切向いていなかった。彼らの歌が頭上の小道具を凌駕したのだ!日々の練習に耐えてきた魅力的な歌い姿だったのだ。しかも、お愉しみはこれだけではない。「ちびっこ…」を歌い終えた彼らはそのハットをサッと取って卑近のリーダーたちに手渡し、まとめさせ、客席を待たせることなく整頓させ、山台の空所にそっと置かせたのだ。かつてのフレーベル少年合唱団であれば、歌い終えた時点で大人のスタッフ連がひとりひとりの子からハットを回収して済ませたことだろう。だが、彼らは自身へのそういう厚情を許さなかった。この光景に頓着の無い観客も当然いたはずだが、私はB組団員たちの刹那の「僕らの歌なんだから僕らが片づけて当然でしょ?」という刹那に心底ほれぼれとさせられた。これからのフレーベルを彼らの成長とともに見てみたいと強く希求させられたさりげない数瞬だった。
「ちびっこ…」はゼッキーノ・ドロのナンバーとして1965年に紹介された。皆川おさむが歌っているLPレコードの1曲目が「黒ネコのタンゴ」で、ラストナンバーが「ちびっこカーウボーイ」だったといえば納得がいくかもしれない。平成27年度版まで教芸などの小学3年の音楽教科書に取り上げられていた。昭和平成を経て現在まで継続的に歌われてきたことがわかる。「にんげんっていいな」は相貌からちょっと癖のある役をこなしていた80年代の子役、中島義実のソロがリードする「まんが日本昔ばなし」の有名な後テーマで1985年に曲のテレビオンエアが始まった。オリジナルは今聞くと気恥ずかしいほどのテクノくずれで大時代なインストを携えた作品。こちらも現在幼保の現場でごく普通に歌われている。十分巧妙と感服させられたのは、これらの選曲の観客層に対するスタンスだ。ホールを埋めた高い年齢層の人たちは、自らの幼少期にこの2曲をほとんど歌っていない。だが、彼らの子供たち、孫たちはテレビオンエアや、学校・幼保で習ってきた「ちびっこ…」と「にんげんっていいな」をお父さん・お母さん、おじいちゃん・おばあちゃんの前で楽し気に歌いまくったに違いない。だから老人たちはこの2曲を知っているのだ。あたたかい思い出の中に記憶しているのだ。お父さんになった息子らや可愛い孫たちの息づかいがこのプログラムの行間へ聞き取れたに違いない。あたかも家族と共に歌っているように!この演奏会に通底する「既視感」がpart1の最後に「ふるさとの空は」で念押ししたのとは対照的に、B組の選曲は「知っている!でも明らかに今の私たちの歌声だ!」とヒトヒネリかけている。最年少のB組団員でありながらソロもアンサンブルもコーラスも一通りきちんとこなす5-6歳の男の子集団がそれをおそらく承知の上で我が世の春とばかりに歌い上げる。2曲10分間のミニマムなステージだが肥沃に耕され、よくできていた。

part3
毎年楽しみにしているA組のpart3ステージ。だが、シモ手袖から卒然と飛び出てきた彼らの顔ぶれを見てわずかに思い至ったことがあった。本年度の最上級S組のキャスティングに何かを感じ、ボルテージの電位差に触れたことの合点にようやく至った。昨定演のA組ステージの勝負の一つとも言えた「お花がわらった」で、珍しいソロ登壇のバッティングがあった。ソロの団員が1名、先発の子の帰投に阻まれてどうしてもマイクの前に出てくることができない。彼は仲間の眼前で右へ左へと幾度も身をかわし、すんでのところで立ち位置に滑り込みソロを歌いきった。一部始終を客席で見ていた私は彼のピンチを回避する姿にちょっとウットリとさせられた。少年合唱団の出てくるディズニー実写映画のステージ上のワンシーンを見るような美々しさカッコよさだったのである。危機一髪の大ピンチをみごとにかわしたその経験を糧に、彼がメキメキ歌の腕をあげるにちがいないと密かに期待した。それでも私は何か胸騒ぎがして結局それをここには書けなかった。狼狽は的中し、彼は今日の演奏会に出ていない。私たち客席の当夜一番の無敵のヒーローだったお花がわらった君!当時既に、明快な声のカラー(喚声域から上の高い声の方が体格を反映して非常に美麗で安定する)をものにしていた彼が今、SA組にいないのはおそらく本人の意思によるものなのだろうが、一声聞いて「体位が上がればしっかりと豊かで安定した声になるのが明らか」だった彼がいつの日かフレーベル少年合唱団に戻ってきてくれはしないかと私は願い、また客席にいた人々も楽しみに思っていることだろう。今も彼はどこかで、それはそれは美しい声で歌っているに違いない(当日彼とソプラノ側で応答の歌声を囀っていた団員は現在S組で一番背の低いメゾだが、歌っているときの姿勢が最高に秀逸!彼はプロだ!見ていてホッと癒されてしまう!)。とはいえもし、B組から上進したメンバーがどの子もこれほどめざましく清良でなかったとしたら、今年はA組の声もまたキレが良いとは言えない演唱に留まっていたにちがいない。

おばけなんてないさ うちゅうじんにあえたら 赤鬼と青鬼のタンゴ パフ 怪獣のバラード…の5曲が歌われた。自身らのトッパンホールでの仕事を回顧した昨年度の「湯山昭の世界」を整理し、A組の得意とする「こどものうた」を真摯に歌いきった。曲がどれも合唱団で過去に歌われたナンバーの集積であったのにもかかわらず、part3に強い「既視感」を感じさせなかったのは、昨定演との間のこの決断によるところが大きかったと思う。一昨年までのA組の大隊パワーやテイスティーな格好良さをいったん控え、今年の部隊は彼らが2年間かけてB組から運んできたキレの良い清新さや折り目の正しさ、愛らしさを歌声にもきちんと実現し聞いていて気持ちが良い。また、そのメンバーがB組時代から持っている真っ直ぐなソロの味も格別だ。例えば「赤鬼と青鬼のタンゴ」。曲の最後に入るカデンツァ(アルゼンチン・タンゴ??なので、「カデンサ」?)が、もう大爆笑ものに悶えるほどかっこカワイくてたまらない。歌っている少年たちやソリスト(アルゼンチン・タンゴ?なので、「エル・カントール」?)が真剣に一生懸命歌えば歌うほど可愛らしく、こちらはデレデレ状態にさせられてしまう。小学校低学年の男の子がなるべく完璧にソロを努めようと頑張るのは至極当然なことなので、選曲も趣向も全くもって巧妙でズルすぎる♡!見せられ聞かされる側の「可愛さにヤラれたー!もう100%降参だぁ!」の恍惚感が半端なくズバッと出た強烈な1曲であった。B組の選曲でも触れたが、この年代の発表曲を定期演奏会のプログラムにチョイスしてくる手腕や発想力は実に巧妙で(もちろん、団員たちが納得づくめでそれに心から奉じ歌い尽くしたからだが)、客席を全く欺かない。眼力の鋭さやアンテナの好指向性を感じさせる。「うちゅうじんにあえたら」のように近年定演で歌われたか、いつかどこかで聞いた曲というカラーをまといながら、それを慎重に集め、上出来でモチベーションの高いA組の少年たちに歌わせることで「この演奏は前にも聞いた」というポジティブな側面を完璧に払拭しきっている!

続いてS組が「パプリカ」合唱版をイートン脱衣のスタイルで歌った。1日平均気温28.4℃という8月に催される男の子の合唱団のコンサートには、フレーベルらしくベレー着帽・ボウタイをつけるとしても、このスタイルの方が見た目にも爽快だと思った人は客席に多かったのではないだろうか?外見に限ったことではなく、近年のフレーベル少年合唱団のステージ衣装は危険なほど厚着で、男子小学生を立ったまま20分間全力で集中して歌い続けさせるとどの程度の発熱発汗があるのかを知っていると本当にヒヤヒヤさせられる。特に21世紀の彼らはシャツの下へ下着を着けないため体力面でのダメージが予想され、自律神経系の体調を考えると歌っている間だけでも薄着にしてやることが管理側の責務として問われることにもなるだろう(ステージ写真を通年で宣材に使うことが難しくなる…)。
曲の方は、ビルボードにチャートインするFoorinのタイトルではなく、合唱版の振り付けが施されている方のバージョン(Nコン2019バージョン)。心はずませたA組ステージをてんつきで押し出し、白く明るい子供達のシルエットにステージを突如占拠させるステージパフォーマンスは完全なサプライズ。カミ手側に集合するセレクトメンバーに不意打ちのMCを仕掛けさせた。フレーベル少年合唱団らしい弱起への総攻撃やボディスラップで総崩れ的にテンポ走りするスリリングな歌い出しなど、彼らにしか出せないお楽しみは一万発の花火大会クライマックス状態!団員らは見た目の明度同様、体温の高い歌と踊りで客席を煽り、十二分に楽しませ、歌い終えつるべ落としの撤収で迅速にハケるなど、落とし所を全く欠いていない。確信する人はあまりいないのではないかと思うが、これがフレーベル少年合唱団の少年らの本当で本来の素晴らしい姿と魅力であると思う。ピッチの雑駁さやきつめの発声も計算づくなのか非常に功を奏し曲によくフィットしていて聞いていて気持ちが良い。Eテレを観ている観客であれば十分納得できる演奏だったに違いない。だが、場内にいた私がどことなく感じてしまったのは言葉にし難い客席内の微かな雰囲気だった。少年たちの歌声とパフォーマンスに満足した私たちは実際には惜しみない賞賛以外は誰も口に出して言うことがない。だが、これは「一昨年みせてもらったPRIDEステージ」の再現フォーマットに則ったもので、「既視感」の滲出は否定できなかった。男の子の合唱団であるフレーベルが比較的避けて通りがちだったライブパフォーマンスを積極的に取り上げて定期演奏会で見せることの意義は非常に大きいと思う。演出設計上、この位置にインサートされることは全くもって穏当で当然の帰結だが、サプライズであったことがそこはかとない賢しらさを感じさせたのかもしれない。そもそも、こうして前と同じものを確信をもって観せてくれるフレーベル少年合唱団が、なぜ「前と同じように手を後ろに組んで歌う」という姿だけは見せてくれないのだろうか?!悲しい。

part4
最終ステージのPart5が、やなせ作品を現役各クラスのカラーやトータルで「最近のフレーベル少年合唱団」の色へ引き寄せたり落としたりしたのとは対照的に、なつかしい良い匂いのするホッと一息つかせる磯部俶の歌のひと時を静謐に語って見せた。OB合唱団はよくのべるあたわず単独で年輪を重ねてきていて、これを払拭せんがために最後の「遥かな友に」でユースクラスの少年たちを彼らの体側に温厚のまま添わせ慮って歌わせてやっている。だが、私はこの選曲に感じた「既視感」や「僕たちは何年かかってもこの曲をOB合唱団の先輩方のようには歌えないかもしれない」という中高生たちの畏敬の念(それは悲しいことに心の奥底で事実だろう)を知らんぷりすることが出来なかった。かつて「声変わり前のOB会長の姿」と私が心踊らせてこの曲を聞き、ここにも書いたはに丸くんが、今日はおとなしくそこで歌っている。誰が悪いということもなく、また、私はこの選曲でなくても(例えば「花の街」や「片耳の大鹿よ」の編曲譜などでも)よかったのではないかと彼らの歌い姿を見ながら傷心した。先輩方がこの曲を選ばれた理由は、部外者の私たちくだらない聴衆の側にあったのではなかったのかという辛いあきらかな自省がいつまでも後味として残りつづけた。

part5
S・A組による「手のひらを太陽に」、S組諸君の「夕焼けに拍手」、ユースクラスの「冬の街」、A組の「老眼のおたまじゃくし」、S組の「ひばり」そしてオーラスの「ジグザグな屋根の下で」とアンコールの「アンパンマンたいそう」「アンパンマンのマーチ」。定演リピーターにはあまりにもフレンドリーでステキなナレーターである丘野けいこ先生の朗読をたっぷりと聞かせ楽しませ、客席を満足させる最終ステージだ。だが、私が言いたいことはここまで読んでこられたかたには明白であろう。冒頭にも記した通り、2014年のフレーベル少年合唱団のツアーや定演も、本定演同様アンパンマンが表紙を飾るプログラムで(当時のデザインは絶筆にちかいカタカナのアンパンマンとやなせうさぎのもので、今回は60周年らしくキンダーおはなしえほん初版バージョンの平仮名の「あんぱんまん」である)、今回の出演団員のなかで当時「アンパンマンたいそう」をステージで歌ったのはユースのワルトトイフェルくんと山浦先輩、薫先輩だけで、S組以下には一人もいない。
最終ステージで各クラスの歌声を入りくりさせたり、組み合わせたりして聞かせるという設定については様々な意見があるのだろうが、私はクラスごとの声の特徴が際立ち、特に夏休みの間に急激に成長する2・4・6の偶数学年の男の子の身体特性が頼もしく見とれて申し分のない配当だと思う。非常に工夫されており、嫌味なくうまくいったステージナンバーの最後に「ジグザグな屋根の下で」を総出演で歌っている。演奏の仕上がりはさておき、「最終パートのステージテーマは、この曲が先か、やなせたかし100年が先か…」と考える自分がつくづく嫌になった。

59回定演の「既視感」の例外として極めて魅力的に感じたのは木下牧子を歌う「雪の街」のユースクラスだった。part4でOB合唱に埋没していた彼らもここでは一本立ち。しかも、フレーベルの他のクラスが声部ごとになるべくソリッドな感じを持たせようとしているのに比べ、一人一人の声が聞ける余地を残した良心的な声作りをしている。これは、聴衆にとって最高の、きららかな美しい良い匂いのするプレゼントだった。定石通りS組時代メゾ-アルト系だった団員らをテナー側に上げ、全体で、かつてさまざまなセレクトの仕事からソロや小アンサンブルの喉を鮮やかに聞かせてくれていた少年たちの今の声を楽しませてくれた。彼らの物心両面でのポテンシャルを揺さぶる選曲もとてもいい。今回定演でA組の「赤鬼と青鬼のタンゴ」と並び最高にゴキゲンで幸せいっぱいに感じさせてくれたと思われる「This is フレーベル少年合唱団」な1曲である。今年、ワルトトイフェル君は十何回目の定演出演をしたことになるのだろう。彼は4人の歴代指揮者の棒で歌い続け、今日このステージにいる。彼のこうした幸運へ感謝する。また、一度プログラムの団員名の表示から消えていたメンバーの再帰も、今年はテノールにモンスターズインクのMシャツくんが登場してくれた。私がかつて毎定演で楽しみにしていた低声側の「あの4人組」のうちの3人がここで揃ったことになる。彼らの歌いはだから、2017年の「流浪の民」のソロ部分を聞いているような印象であった。しかし、合唱団はこの1曲をボーイソプラノ時代の団員達の姿を想起させるだけの「以前は良かった」的なものにしていない。この隊列にはしっかりと現役S組団員でもある少年が加わって一翼を担っているのだから。その彼の聞きまごうことのない、彼だけが出せる変声後も変わらぬ個性的な声がハッキリと客席に聞こえてきたとき、私はこの夜ここへ来ることができて本当に良かったと思った。

アンコールには「アンパンマンたいそう」が選ばれ、「アンパンマンのマーチ」に添えられた。(この編曲版でセリフ入りの「…たいそう」は、くりかえすようだが、現在のユースの面々が川内萩ホールでメインに歌っていたものである)。オリジナルのものとはセリフの一部やエンディングで違いはあるものの客席を沸かせる手練の巧みさに私たちは思わず引き込まれてしまう。男の子の持っている生来ガサツで音楽的にピタリとはなかなかいかない成長途上の泉門を魅力に逆転させて聞かせるたしなみは、それぞれのクラスがそれぞれの年齢や経験に即して声を出していることや、伴奏者がその鍵盤の向こうを通り過ぎていったおびただしい数の少年たちの生気や、たとえ拙くとも懸命であった彼らの歌いを参照しながら団員らに演奏を届けていたことが大きいと思う。「既視感」への適切な対処は、それを届ける側の、客席への正直な姿勢によるものなのだ。「またコレなのかァ」という否定と「待ってました!やっぱりコレだね!」という聴衆の肯定を決定づけるものの要因に大きな違いがあることは、この曲を聞くだけでハッキリとする。

60周年のフレーベル少年合唱団定演ステージに庶幾があるとしたらはやり彼らの乗る箱馬の高さだろうか。彼らは伝統的にかなり低い蹴上で下段を組んでいるため、近年のS組などはこれを1段ぬかしで使い良い表情を見せてくれる。3段目には平台が噛んでいるため結局高さ1尺をかせぎ、高学年団員のブレスも綺麗に見とることができる。だが、それ以上になると段の高さは6尺に戻ってしまう。背が高い訳ではない団員の場合、かなり後列の客席でも角度によって顔が隠れることはあきらかであろう。また、1段ぬかしの山台使用は後列の団員をホリゾント側へ深く追いやることにもなる。公立小学校で使われているアルミひな壇(脚と台がアルミニウム組成で児童が転倒しても木材同様にダメージを低減する)でさえ高学年の児童が立って後ろの子の視線を邪魔しないよう25センチ(一寸弱)の段差で急峻に組み上がっている。早生まれ1年生の児童ですら「6年生を送る会」や来春の「1年生を迎える会」の練習のため鍵盤ハーモニカなどを抱え短時間に最上段まで登る使い方を当たり前のように要求される現在、体位向上の少年たちで構成される少年合唱団が今更6尺箱馬に拘泥する理由も無いであろう。息子をこの演奏会で卒団させる保護者にとっては、対応はちょっとアリガタイ配慮となるに違いない。

ユニフォームに関しては昨年に準じてアバンのセレクト部隊にタキシードを着せて早替え(今年度の部隊は更衣が速やかで整っており、団長の話すタイミングの二分の一でスタンバイを終えたように感じた)し、以降は紺イートンベースを着脱してバリエーションを捻出し最後まで見せていた。「既視感」ということで言えば、今回のメソッドはフレーベル1990年代の苦しかった時代の定演での窮策を思い起こさせる。当時のフレーベルの団員は現在と同じ紺ベレーの他は開襟にジャケットと裾広の薄鼠の半ズボンしか貸与されていなかった。彼らの自由になったのは「黒い革靴」という条件のアイテムだけで、「白無地のハイソックス」の着用が年間を通じ義務付けられていた。ライバルのTOKYO FM少年合唱団が当時は超短い?!半ズボンに合わせるカジュアル(放送局のロゴが入った7分袖のトレーナー(?!))と「通団服」(ステージ出演時にも着用される)と呼ばれるブランド仕立てのニットシャツとは別に5年ごとフォーマル制服とクリスマスなどに着られる聖歌隊ふうの制服をトータルでリニューアルし耳目を集めていた。がさつな男子小学生の合唱ほどフェティッシュな要素できっちり攻めていかないと客席の支持を得られないことが実態としてはっきりしていたのだ。時のフレーベルのマネジメントスタッフがそれに対し考えたのは、創立後の1960年代から70年代に打っていた「絣浴衣のようなものに兵児帯・草履」のスタイル(今回のプログラムにも1961年9月の最初の演奏会の小さな舞台写真が載っている。そこには「第一回定期演奏会」と記載されているが、実際はこの回のみ「発表演奏会」としていたようだ。馬場先門・東商ホール)やちょっとスポーティーに剣道着を防具なしでセレクトにあてるという和装路線と、通常制服の上着やベレーの着脱という2つだった。団員が目に見えて減少していた当時、月謝をとらないフレーベル少年合唱団ではそれが精一杯の処方だったのである。今回の定演で感じた子供達の制服の着脱は、当時の状況も含めて「ああ、あの時もこれを見たな」という辛苦の思い出だった(それでもやっぱり8月定演での彼らは厚着すぎると思う)。

今回、終演に際して指導陣が子供達の前に導かれ、総顔見せをするというフレーベル少年合唱団らしくないエンディングを試行した。こうしたことがどこから導かれてきたのかは想像にかたくない。合唱団を応援しているのは団員達の友人や幼保のかわいい(?!)お友達ばかりではなく、圧倒的多数が地域やオールドファンの高齢層なのだ。国内の男の子の合唱団に対し「運営に新鮮さが欠け保守的である」と厳しく糾弾しながらも「昭和時代の少年合唱団はどこもよかった」と回顧するその傍若無人ぶりである。指導陣の隊列がはけた後、今年度、褐色王子くんやはに丸くんの後を継いだクマくんウシくんチームのリーダーが、まったく「新鮮さに欠け保守的」なルーチンをかたくなに堅持してフレーベル少年合唱団の終演の呼号を「気をつけっ!礼っ!」と彼らしい颯然とした凛々しい声で投げ、それに応じた少年たちが歌い尽くしたかんばせをようやっと下ろしたとき、私は彼らの姿に心底ほっとして思わず独言することになるのだった。「本当に本当にどうもありがとう。フレーベル少年合唱団よ永遠に」。

 


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