ポスト「1・5チーム」の出発点を占う記念すべきコンサート

2013-12-18 00:28:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団第53回定期演奏会
2013年10月23日(水) 文京シビックホール 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円

   
 少年の艶を感じさせるほどの歌声に仕上がっていた「元気が出ました」君の姿はステージ上に既に無く、カルメン君の声は発酵寸前までしっかり熟れて樹上に揺れる豊満な果実のようです。フレーベル少年合唱団第53回定期演奏会は、ポスト「1・5(いちご)チーム」の出発点とも言える記念すべき有意義なコンサートでした。

 ストーリー性のある簡潔なMCから音取り・イントロ一切無しでスパリと振り出したアカペラ・ソロを引っぱり、定められた音程のピアノ伴奏にふんわりつなげるというセンセーショナルなオープニングは、ステージ経験が豊富で度胸も音感も歌唱力もあるカルメン君にしか出来ない難易度の高い技です。六義園のライブでも万が一のバックアップに備えるがごとくプレビューがしっかりと行われていました。お客様方はそのときもうハッと息を飲んだものです。当夜、この同じ演出が来年の54回定期演奏会に聞くことができないであろう天命をよく理解していた聴衆も少なくなかったと思います。だからこそステキな演奏会だった。だからこそワクワクして、ボーイソプラノ特有のカッコよさにクラクラして、時間よ止まれの思いにしばしの夢を見ます。ポスト「1・5(いちご)チーム」の出発点は、抱えるにはあまりにもあつく甘い香りに満ちた置き土産からスタートしています。私はここにカルメン君らしい優しさや頼もしさ、澄んだ心根といったものを感じました。

 「元気が出ました」君はどこにいたのかというと、客席に居たようなのです。団員ではなくなっても、客席の彼の存在は高学年の団員たちの表情を非常に明るいものにしていたように思えます。やなせ先生が亡くなって、本当はお弔いのような会になっても仕方無かったのに、高学年の子どもたちはニコニコと楽し気によく歌っていました。子どもたちの明るい表情は歌声とともに天国の人を心底楽しませていたことでしょう。新アンコール君など、普段はとても集中して常に厳しい真剣な表情でステージに臨むタイプの団員さんなので、彼が白い歯をこぼして笑むことは殆どありません。本番中にもし見ることが出来たら超ラッキーというくらいの百万ドルのニコニコ笑顔を私たちは当夜見ることができました。MCの声は朗らかで明るく、表情のとても良かった彼に私も癒されました。定演の客席に詰める卒団生の存在が決して「もと団員だった子」と看過できないのは、こういうことがままあるからです。

   
 演奏会のオープニングはサウンド・オブ・ミュージックの『ドレミの歌』です。ポスト「1・5チーム」を占う演奏会…ということを予想して、冒頭にカルメン君がガツン!とまず何かをぶつけて来るだろうとの心づもりで来場している観客にとっても、この選曲はかなり「唐突」な印象を与えます。
 2006年5月の末に、20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンは「サウンド・オブ・ミュージック」のファミリーバージョンをリリースしています。日本語吹替えのキャストを一新した、いわゆる「新録版」と呼ばれるものですが、このDVDの仕事を期に、フレーベル少年合唱団は新たなフェーズへと歩みはじめます。選曲・演出・クロージング。ソロのフィーチャー。定演の会場もすみだトリフォニーへと移り、その初回にスクリーンミュージックが歌われました。彼らはこの演奏会の後、終演の挨拶にアメリカふうの簡易のバウを施してゆきます。2年後に簡単なスクレープを伴ってのち5年間、大小全てのコンサートで退場場面に励行されました。ところでこの2006年の「サウンド・オブ・ミュージック」のファミリーバージョンで、フォントラップ一家の次男坊役の日本語をあてている少年は、何と言うか骨格や体の輪郭を感じさせる鳴りがクルト演ずるDuane Chaseの歌声にしっくりと馴染んで全く違和感がありません。「グッドナイト・フェアウェル」の最初の見せ場は映画版ではクルトの歌う高い高いG5の音の「♪Good Bye!」の歌声です。当バージョンの次に2011年、TXで再録された「サウンド…」のクルト役吹替えには『子連れ狼』の大五郎で人気の小林翼くんがちょうどこの年齢に達していてミュージカル舞台の経験を積んでいたために抜擢されたのですが、歌の方は上手に編集処理されオリジナルの英語版の歌声が使われました。自分の声質はやや高いので、クルトの歌声には合っていない。楽しい仕事だったが、むずかしかったと、当時、小林翼くんは自身のブログで正直に述べていました。ですから、2013年時点でのクルト少年の歌声の映画日本語吹き替え最新版は、やはり2006年のファミリーバージョンということになるのです。
 マリア先生から雷の鳴りわたる最初の晩に名前を忘れられた、ぽっちゃり笑顔の愛らしいクルト・フォントラップを吹き替えたのは、フレーベル少年合唱団の当時の団員さんです。彼がこの吹替えの仕事を担当したことは、結果的に合唱団の毎回のステージに良い意味での変化を与えていったと私は確信しています。最も顕著で誰の目にも明らかだったのは、終演の挨拶の刷新でした。映画版『サウンド…』で、キュートなクルトがマリア先生にニコニコ顔のままダンスの相手を願い出ます。婚約レセプションの場面です。胸の前で腕をすくい、小さな男の子が生意気なバウの挨拶で舞踏へのお誘いをします。聞かせどころの「グッドナイト・フェアウェル」でも、このオ辞儀をして舞踏会のいとまごいをするのです。フレーベル少年合唱団は、終演の挨拶に、これと全く同じ振りのバウを仕立てて見せることによって、2006年のクルト・フォントラップへの感謝の気持ちと同時に、当時頻々に外部録音へと参加していたこの合唱団の自身の活躍への再確認を行っていたと考えられてきます。合唱団が近年、終演のバウをやめてしまったのは、こういう伏線があったからなのではないでしょうか?だからポスト「1・5チーム」の初めにサウンドオブミュージックの1曲を持ってきた…つまり、一つの時代の終わりに、私たちは再びスクリーンミュージックを聞くことになるのです。

   
 2曲目の「虹の彼方」ですが、この曲も歌い出しは日本語。演奏が進むにつれ原語の歌詞にスイッチするフォーマットになっています。これはフレーベル少年合唱団がほとんどの外国曲に対し維持しているクリシェで、当夜もこの歌詞のパターンが丁寧に踏襲されていきます。
 ここではすぱんとジャンプする冒頭の跳躍からまず団員たちのボーイソプラノのコンディションを伝えて曲が始まります。次に基幹をなすカスケードのような和声がじんわりと重ねられていって、私たちを夢見心地にさせてくれます。確信させられるのは、カルメン君の率いるS組ソプラノチームの歌声のクオリティの高さです。特に後列に並んだソプラノ団員たちは、硬軟取り混ぜて、全員ソロ一本立ちも可能な実力派のチーム。先輩の熟成を待っていたかのように彼ら自身も伸びてきて、今はしっかりと表情も変えずカルメン君の底支えに徹しています。何人かの子どもたちを見てみましょう。

 客席に人気の弟くんはMCのリード・アナウンスをつとめた一方、S組ソプラノでガッチリとソリッド感のある高声を鳴らし続けているお兄さんの方は、既にキャッチーなステージ要員の域に達していて、見ていても聞いていても楽しいボーイソプラノです。春の六義園で「はじめてのソロコーナー」の一番手を担当した団員くんは、昨年の定演ではキーとなるMCを担当していたのですが、今回はどういうわけかソロ・MCともにフィーチャーは無し。彼の持ち味である凛々しい身体共鳴の声が聞けなかったのはちょっともったいなかった感じがします!もう一人のソリストは、やなせコレクションのMCのみの登板でした。後述しますが、その引き締まった声だけではなく、立ち居振る舞いがいちいち精悍なのです。ボータイのユニフォームでさえ、彼のためのデザイン?と思われるほど上から下までばっちりキマって見えます。当て推量でしかないのですが、彼が例えば年少さんから1年ごとにステップアップしてきた団員さんではなく、比較的学年が進んでからS組の隊列にダイブで配属されたメンバーであることが、張りつめた気持ちや所作のようなものを良い感じで醸し出しているように思えます。ソプラノ後列に配されたこの他の団員らは、現在の隊列の中ではステージ経験の比較的豊富な子どもたちです。どの子も歌い姿が真摯で、集中力があります。とりわけ、常に音楽に乗ってメロディアスな高声部を展開することができる歌心を全員が持っています。この子たちは誰かに媚びるような歌は歌いませんが、一人一人が前を見据え自分の歌を歌うことで互いを邪魔したり足を引きあったりするような事態を回避しています。外見は幼少年に見えるほどの小さい団員たちですが、ひとたび演奏が始まって彼らの両の目を見ると、射抜かれるのではないかという錯覚さえ覚えるほどに変容します。私は逆翼の、全員がちょっぴりヤンチャでコミキャラ揃いのアルト軍団を見るにつけ、同じ合唱団を構成するメンバーとは思えぬ好対照のこの子どもたちの姿に「フレーベル少年合唱団って、やっぱり面白い!」と思ってしまうのです。

 彼ら、オープニングの「ドレミの歌」では、頭のソロの余韻を消してしまわないように注意深く合唱を展開していました。身体の大きさに比して細やかな歌が歌えるのです。アンコール君の時代、ソプラノを強力に牽引していたのは、やっぱり当時「アンコールしてもいいですか?」と尋ねていたその声でした。その前のローマ君の時代の数年間、ソプラノには、テレビのSFアニメーション・ドラマのエピローグで滔々としたソロを聞かせきるような仕事をしていた上級生も残っていましたが、全てのコンサートでソプラノの色を決めていたのはあきらかにローマ君の声でした。私は2013年のこのフェーズに至って、フレーベルのソプラノ声部がリーダーの主導の鳴り方ではなく、力のある少年たちの連合の声で開花したのは素晴らしいことだと思います。カルメン君の誠意と正確な耳があるからこそそれが出来た。指導陣が的確に少年たちの成長を見抜き、結集した彼らの持てるものの無為な消費を許さなかった。(それゆえに、パート4での彼らの使われ方はやや安全に過ぎて歯がゆい感じがしました!)優秀な子どもが合唱団に集うのは確かに「よい出会い」のなせるところなのかもしれません。ただ、当夜の彼らを見る限り、大切なのは結局彼らがどう活かされてここに歌うのかということに尽きると思われます。フレッシュなハーモニーの中でワンパートと化す合唱ピアノもまた美しく宝石のようにきらびやかに響いていた。同じ原理が働いているような気がします。
 一点、「オリバーのマーチ」では、高低の団員たち一人一人のがんばりやフレーベルらしいセーブのかけ方がとてもうまくいっているのですが、賑やかな曲ゆえにジャンプした頂の「ピッチの歌い落とし」が全体のハーモニーを凌駕してしまって、少しもったいない感じがしました。

   
 ここで再度唐突にクラスへの出はけがあって、A組が「回転木馬」を歌います。
A組ベースの躯体で囀るメロディーグループの旋律とのかけ合い。他方のグループが動きのあまり激しくないコード進行でオスティナートのスキャットを最後まで歌い切るという背伸びをぶつけてきます。…オープニングステージの4曲目以降、昨年まではパート2以降にワンパートの仕切りの中でしか出番をもらえなかった「小さい組」が、冒頭ステージの4曲目から堂々と隊列を流し込んできます。曲数的にはS組が3曲で、AB組には4曲の配当です(A組は4曲通して歌っています)。客席にいらした方は、これが2013年度チームの有り様をよく表していたように思われませんでしたか?吉と出たか凶と出たかについてはさておき、私は後述するように、AB組の当夜の位置づけを推進した何かがS組団員たちの冒険やチャレンジをおそらく良心からフェールセーフしているような気がしてしまったのです。「AB組ステージ」という枠を解消した当夜のプログラム構成を「下位クラスという軛からの解放」や「上位クラスだけで1ステージ歌いきれなくなった凋落」と見るか、はたまたポスト「1・5チーム」の時代を宣する新機軸とみるか。 あなたはどう思われますか?

 A組はこの後、「わんぱくマーチ」を歌い、さらにB組を動員して「おどろう楽しいポーレチケ」と「ちびっこカウボーイ」までを一気に聞かせました。どれも、最近の保育現場ではあまり使われていそうもない、少し以前の感じの伴奏や演出が付いていました。オンエア版やキング盤の「みんなのうた」などでしばしば使われたアレンジのもののように思えます。ビクター少年合唱隊も、77年のアルバム「カントリーロード/天使のハーモニー4」で「ちびっこカウボーイ」のエンディングの「ヤー!」から次の「わんぱくマーチ」の頭のセブンス系ファンファーレへと同じアレンジの構成で流し込んで2曲を歌っていました。私は、当夜の演奏もそういうわけでとても楽しいと思いました。MCにも人気のB組団員さんたちを投入していましたし、客席も心から納得して子どもたちの歌声を楽しんだように思います。ただ、近年のフレーベルの演奏会へ足を運んでいると時々感じてしまうのですが、次期S組配属を約束されているA組の歌と、最近のB組が添ったときの歌声の違いが以前ほどハッキリと分からなくなってしまったような気がします。ここにもポスト「1・5チーム」の団員構成の変化を強く感じます。

   
 パート2の入れ換えでS組隊列が復帰し、女声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」が歌われました。昨年も傾向として感じられたことですが、このPart2が第53回定演では、一番合唱内容の濃いステージになっていました。S組の聞きごたえのあるスマートなキャラが炸裂します。満腹感があります。ひたすらに歌いこむ団員たちの姿を見ていると、彼らが毎週毎週練習を積み重ねている姿がまるで目に見えるようで、応援したくなります。52回定演のときも、かっこいい団員MCがスタンドマイクの前に並びました。今年、冒頭のアナウンスをつとめたのはメガ美男子君です。彼の声は既にお兄さんの声に嗄れはじめていて、もともとそうであったように、彼の存在自体が下級生らの「やすら木」になってくれていることがわかり、うれしかったです。彼らしい声でMCを引き取ると、バランスよくすらりと伸びた躯体の上で清潔そうなかぶりを傾けて、自らのMCに少しだけ値踏みするような挙動を見せて下がりました。合唱団の以前の定演ステージ上に見覚えた姿でした。
数年前、アリデヴェルチ・ローマ君がちょうど同じ学年の頃のコンサートでMCの声がひっかかって、よく今夜のメガ君同様の首を傾げる所作を繰り返していたのを思い出します。団員たちは殆んど見ていない、気にしていないように見えて、先輩たちのステージでのこうした立ち居振る舞いを実に良く冷静にしっかりと見ているということに改めて気付かされます。ローマ君もまた、かつてどこかのステージで先輩方の誰かがそうしているのを背後から目撃していたに違いありません。
 メガ君ご本人もまた、後輩たちから冷静に見据えられていることにおそらく気付いていません。誰もが自身を気付かないままに、数年後、現在の中堅団員たちが成長して最後のステージを下りしなに「僕は少年合唱団員になれたのかなぁ?」と自身を振り返って巣立ち、私たち観客もその後ろ姿を観ながら「これは、どこかで目にした団員の姿に似ているのだが…」と思い出すことになるに違いないのです。
 メガ君の日々の歌い姿を見るにつけ、少年合唱団員は「声が変わりはじめてからが真の勝負」であることがよく判ります。少年合唱は、「声が変わりはじめたら終わり」ということは無いのかもしれません。聴いてくださる人々のために都合をつけ、参集し、黙してステージに出て行って皆と共に最善の歌を歌う。…そんな当たり前のことのようにも思える「少年合唱団員であること」への自問。合唱団きっての美男子君ですが、ステージ上の彼の姿は外見よりもむしろ静かな内観を常に感じさせるものであり続けました。そういうメガ君のステージ出演頻度は非常に高く、今回の定演メンバーの中では経歴が長く断トツのカルメン君を除けば、アメージング君に並ぶトップの回数(出演年数ではなく、出演回数)だったように思います(ごめんなさい。個人的には、メガ君がkazu君、ハンガリアンダンス君とパッチリお揃いの赤ボウ・サスペンダーのワイシャツ姿に錦糸町駅のステージでフリフリしながら『あかさたなはまやラップ』を無心に歌っていた低学年の頃の姿が忘れられません!)。現在の彼は裏声で出る箇所はそうしてメゾの子たちに合わせていますし、気がつくとふんわりと大人の声で歌っているときもあります。豊富なステージ経験から彼が自己判断で、その場に合うよう高低の歌い方を統御しているように見えます。そしてステージを下りしなに何かを自問するような表情を浮かべるのです。変声・その他、諸処の理由からフレーベルの高学年メゾソプラノ団員たちが次々と戦線離脱してきた中、メガ美男子君だけが今、隊列の中できびしく「ボーイソプラノというのは、本当に声が変わり始めたら終わりなのだろうか?」と自身へ問うているのです。彼は今、「声が変わりはじめてから何をなすべきか」という課題と、ステージ上で戦いつつあるようにも見えます。出演のたび、自らに問い続けて来たメガ君だから、最後に当然、「変声は少年合唱団員であることを止める理由になるのか?」というアタリマエに見える事をきちんと問うのです。少年の変声や声域の遷移などの現象を社会の変容といったものに無理矢理帰責し、強引に結論付けてしまうような「変声期の研究」といったものがあきらかに存在しています。しかし、こうした高慢で机上論的な物言いは、最近のメガ君の歌い姿を見ていると既につまらない紙切れに過ぎないように見えて来ます。楽しい、カワイイ、イケメン、面白い、かっこいい、ヤンチャ…たくさんの好キャラ団員が今日も大挙して集う現在のフレーベル少年合唱団の中で、一番「美男子クンで可愛いねー!」で済ませて終わりにしてしまってもよかったはずの男の子が、結局最後まできびしく「団員とは?」を自らに問い続ける。また、外見ではあきらかに辛そうな時期があり、終始虚ろな目で歌っていた、明日にでも中途退団してしまいそうだった団員が今、2013年のフレーベル少年合唱団を引き連れて、コンサートの最後に雄叫びのような「ありがとうございました!」の呼号を発し続け沢山の人々の洪水のような拍手を浴びている…。「1・5カラー」の日々を歌い続けて来たたくさんの団員たち。一番最初に居なくなってしまっても何ら咎められることの無かったはずのメガ君とワルトトイフェル君の二人が結局、低声グループの中で最も長くステージに出続けた団員でいることに人生ドラマのようなものを感じます。

 演奏はタイトルの通りメドレーで、12の唱歌(「故郷」は終曲にリプリーズがあるために、正確には11タイトル)がカデンツのまま続いていきます。楽譜上の曲間は一応切れているために、合唱団の実力や配当時間によって、タイトルの取捨選択が出来るようになっていますが、今回、少年たちはフルレングスのおよそ15分間を休み無しで歌い、前半の部を終えました。硬軟起伏もあるほぼ出力マックスの曲を間断なしのまま四分の一時間歌い続けることは大人でも少し身構えてしまう面さえあると思いますが、フレーベルの小さい団員たちは気丈に歌いきりました。曲は春夏秋冬の順に構成されているので全体に起承転結があり、物語性や抒情性を醸し出すものになっています。男声・女声・混声のために作られた作品と言っても、原曲が唱歌群であるために、子どもの声で歌われることによって一層郷愁やノスタルジーを訴求するものにもなっています。誰でもが知る子ども向けの短い曲のメドレーですが、プロフェッショナルが編曲すると、こういうシブい仕上がりになるという代表的な作品だと思います。アカペラ、パートのフィーチャー、もともと男子向けに編まれたと思しき「こいのぼり」「我は海の子」などの曲と少年合唱のマッチングなど、楽しみどころは満載でした。アルト系のフォローは少年らしいまっすぐな味の中でフレージングが爽快に決まり、数十年来のフレーベルアルトの大ファンの私めなど、それゆえ「冬景色」で聞かれる低声の少年たちのリードに心底惚れなおしました!ソプラノ部の歌い上げは前述の通りステキな持ち味の子どもたちの連合で、多色に沈めた刷毛をサッと振って描いたようなみずみずしいシズル感。メインの彼らを飾るメゾ・アルトは必要な場面で必ず抑制がかかって頼もしいのはもちろんのこと、「この子たちにうまく出し切れるのかな?」と思っていた「茶摘み」の最後のハミングが存外大人っぽいフィーリングに響いていたりと聴きどころは尽きません。
 冒頭の「故郷」は前奏ピアノの叙情を受けて最後にまたピアノのカデンツに「歌」を返して行く少年たちの気持ちが思いやりに充ちて優しく、「これから僕たちの四季がはじまります」という言明にもなっていて、メドレー全体の色を決定づけています。「春の小川」の低声部のセーブが軽快さをもたらしていましたし、「朧月夜」の夜鳴きウグイスのような高声のピッチ感の良いさえずりは3曲目に醸成したオリエンタルムードの層の厚い合唱という感じの仕上がりに寄与しました。「鯉のぼり」には一貫してピアノの左手に顕著なベースパタンが刻まれていくのですが、伴奏と少年たちの対峙の仕方が良好で「男の子の合唱団だからできた?」というべきか「男の子の合唱団でもできた?」というべきか、ちょっとわからないのですが、上手でした。「茶摘み」の伴奏も少年たちの旋律とはズラしてあって、今度はツッコミ鉄路系のポップなリズムパターンが彼らの歌の追いかけっこを煽っていくのですが、意外にもしっかりとカノンを保ちつつ最後に結んでいくのを聞いて頼もしく思いました。次曲はレガートな歌いとカデンツァ状態の間奏ピアノに意識の行きがちな「夏は来ぬ」なのですが、フレーベルの子どもたちは逆に日本語の明瞭さで攻めて来ます。次の「われは海の子」も主旋律を歌うのは高声の少年たち。でも、要所要所でシッカリとコトバが立っているのは、実はどちらの曲もビルトイン・スタビライザーのように無意識のまま低声が「頑張って」歌っているからです。2013年度のフレーベル少年合唱団が実は低声系のメゾやアルトに支えられていることが、この部分にさしかかるとハッキリしてきます。次の「紅葉」も教材としての原曲の歌われ方を踏襲して輪唱に展開されているのですが、低声の良さがさらに顕在化して聞こえます。こうして「冬景色」のパッセージに至って遂にボーイアルトたちの素材が「ここで歌っているのは僕たちです!」と前面にフィーチャされてきます。「雪」の設定ピッチはおそらく冬晴れの空のキンとした感じを出すために比較的高めの位置にあるように思われます。少年のアルトが得意とする声域に戻って来るせいか、ブリッジ部分のハミングもフィーリングよく頼もしく安定した鳴り。リプリーズの「故郷」(2番歌詞から)は一転してユニゾンの歌い出しが練習の成果を感じさせるレガート唱で、途中からデュナーミクを折ったり、テンポをいじってあったりして面白かったです。3番の歌詞から転調のピアノが添ってセピア色の斉唱の写真にフッと色彩が戻り、聞く人を「今もなおそこに在るふるさと」へと引き戻す劇的な編曲が施されていますが、この部分の低声の子どもたちは1曲目の「故郷」同様、表情も変えずメインを再びソプラノに任せ底支えに徹する立場をわきまえた出力へと復帰しています。だからカッコいいのです!心憎いのです!彼らの歌がソプラノの隊列を凌駕して曲を終えたら演奏は台無しになってしまうことでしょう。フィナーレには各パートかけ合い状のクライマックスが用意され、最後の絶唱で開放されるという仕組みになっています。アルトの子どもたちは全て判った上でここに自分たちの声を抑制して歌い終えているので、癪に障るくらいカッコいいのです。

 首都圏のボーイズ合唱団の歌声を追っている人ならば、TFBCが今年、春の定期演奏会のファイナルステージで、同じ「ふるさとの四季」の同じ女声コンプリート版を演奏したことや、一般販売のCDをカッティングしたことに想到したかもしれません。曲自体はバブル期に発表されていて、現在流通している楽譜も2007年ごろに出版された版ですから既にアップトゥデートなナンバーではありません。ただ、女声合唱バージョンのおそらく最初のCD化を手がけたのは当時TFBCの主席指揮者にあった北村協一先生でした(JASRACの著作権情報にも本曲には北村先生の名前が登録されています)。今回、フレーベルがこれを定演の演目にとりあげたことは、理由の如何にせよステキなフィーチャーだったと思います。どちらも都内区部の山手線内に本拠を構え、それぞれ違ったカラーを堅持しながらも、「児童数の減少」や「子どもをとりまく家族のライフスタイルの変化」にともなう様々な課題といったたくさんの試練と向き合い続けている。どちらも男の子ばかりの合唱団(違いはFMの団員が小学1年生以上の男子対象で、変声の有無にかかわらず小学6年終了とともにそろって卒団することぐらいです)ならではの宿命を抱えていますので、年によっては4年生メインの隊列で3パート構成のオリジナルのクリスマスコンサートをマチネとソワレの2日間打つことになったり、メインクルーの顔触れを見たら殆ど全員が国私立の小学校在籍の子ばかりだったり、同じ鉄道路線を利用して通団する子がやけに集中していたりといったこともあるようなのです。チームを導く6年生がたった2人だけという年度があったかと思うと、2桁の数にのぼる最上級生を卒団させてしまうような年度もあったりすることはすでにご存じのかたも多いのではないでしょうか。フレーベルとはやや事情は異なりますが、どちらの合唱団も団員構成やパート配分になかなか絶対的均衡や恒久的安定が望めないという悩みをかかえています。フレーベル少年合唱団も前述の通り、AB組のステージにVBCの匂いを感じさせる色づけをしていたり、本定演1か月後にはプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』への出演が発表されたりしています。「ラ・ボエーム」こそ、ここ数年のTFBCがさかんに子役出演へチャレンジしている歌劇演目ナンバーワン!第2幕のほぼ全編に出ずっぱりで、中間部分のパルピニョールを追ったり、最後にはカルメン冒頭の「兵隊さんといっしょ」よろしく巡邏兵の行進にくっついていったり、ソロもあったりと、華やかな演技を求められます。FMの団員たちの場合は、かわいい(?!)女の子演ずる配役の少年たちが自分たちの「不運にも押し流される」(?!)運命に粛々と抵抗しながら演じているという、何ともボーイズ合唱団ならではの楽屋ウチの情報が様々なところで面白可笑しく語られ、お客様はそれも含めてニヤリとしながら公演を楽しんだり、彼ら自身がもう定演の舞台で「女の子でもダイジョブです!(少女の役を演じる心構えも自信も勝ち得た)」と次期リーダーに真顔で宣言させて笑いをとったりと、すでに「FM合唱団代表作」的な扱いになっている感があります。「男の子の合唱団」である2つのクワイアーが各々の迫り方で同一作品へアプローチをかけ、料理していくさまは、見比べ聞き比べても、其々全く別のものとして楽しんでも、いずれも味わいのある心躍るひとときを提供してくれているように思えます。

    
例年ハーフタイム明けのプログラムになる団長(株式会社フレーベル館代表取締役社長)挨拶は「悲しいお知らせをしなくてはなりません」の言葉から始まるやなせたかし氏追悼の辞。本定演開催のほんの10日前の旅立ち。そこは「アンパンマン少年合唱団」ことフレーベルBCの定期演奏会のこと、およそ15秒間の黙祷の後に「アンパンマンのマーチ」をはじめとする彼らのレパートリーや、やなせ先生が被災地に贈られたというポスターパネルを提示しての「勇気の花がひらくとき」の詞(1999年7月公開の映画『それいけ!アンパンマン 勇気の花がひらくとき』の主題歌。BGM担当ではないフレーベル少年合唱団のおそらく唯一のアンパンマン映画出演作品。少年たちはアバンタイトル後の映画冒頭部分でキララ姫に歌声を聞かせる顔が肉厚(?!)キラ星の「キラキラ星の合唱団」の役でこの曲を歌い、エンドロールにもクレジットが出ている。)などを紹介してくださっています。一部でOBステージをはさんだパート4の話題などにも触れ、最終ステージの期待感をリフトアップする適切な予告にもなっていましたし、今後の出演予定の告知なども、専用HPを持たないこの合唱団にとっては効果的で妥当なアナウンスだったと思います。感謝です!

 子どもたちのステージがAB組独占の解消から結果的に昨年比1パート(1幕)減の配分となって動きの見られる定期演奏会ですが、OB会のステージについては昨年から復活の兆しが感じられ、明るいニュースとなっているような気にさせられます。現に昨年磯部俶の「ふるさと」でリスタートをきったOBたちの歌声は、終演のアンコールにも聞かれ、いじらしい頑張りの現役チームへの最高のエールとなっていたような気がします。また、インターミッション前のパート2で歌われた「ふるさとの四季」(混声合唱版)は2003年の第43回定期演奏会で、OB合唱団がすでに採り上げた(フレーベル・ファミリーコーラスが第31回定演で先に歌っている)作品でもあります。今回はフォスターメドレーの5曲がソロ入りで歌われました。OB会としては、1997年の定演で現役チームが前年レパートリーにしていたこともあったのかフォスターを1曲採り上げて(今回も51回定演での現役たちのレパートリーを追いかけて)歌っていました。また21世紀に入ってからもトッパンホールの42回定演(2002年11月27日)で「おおスザンナ」を採り上げています(指揮:高橋(教)先輩/ピアノ:下地直子さんのフィーチャーでした)。百戦錬磨のフレーベルOB合唱団の声質は10年前でもまだ全体的に太鼓の皮をぴんと張って調整しているようなブラス的な甲高い鳴りが特徴的でした。フォスター作品に限らず、かつてのOB合唱は、テンポは穏当でもやんちゃでノリが良く、すっとびかっとびの合唱が何だか現役たちよりも格段に元気で、「こじんまりと秀才ぶった歌をいつまでも歌ってないで、きみらも声変わりする前にこのくらいハジケてくれよ!」と少年たちを焚き付け続ける扇動的な演奏でした。16年・10年を経て今年フォスターの同曲をつむぐ歌声は、良い意味で非常に涸れて落ち着いています。低音がしっとりと鳴り、力技で組み伏せていると思われる箇所も上手に冷静に処理してあって、日本語・英語ともに明瞭です。出演しているメンバーは以前から殆ど変わっていませんので、口の悪い人に言わせたら「伊達に歳をとっていない」ということになるのでしょうが、それだけでしょうか?
 今年、OBステージ「Part3アメリカンメドレー」の前にはカゲアナでかなり丁寧な紹介MCが入りました。OBの年期構成、指揮者・伴奏者名、曲目に至るまで。今回は現役団員のスタンドマイクのアナウンスではありませんでしたが、OBステージの前振りには例えば第50回の記念定期演奏会の時にはスーパーナレーター君が起用されていました。当時の団員の中で実質的に最高の質のMCを打てる子が厳選され配当されています。私は近年ステージ構成を担当なさっている方の筆の中に、OB合唱の先輩方への身の引きしまるような敬畏とともに、寄り縋りたいほどの信頼や願いというものを感じています。立場は既に180度逆転し、2013年の現役団員たちが日々ヤンチャですっとびかっとびの合唱を展開する今、「ハジケた歌ばっかり歌ってないで、きみらも声変わりする前にだってこのくらい落ち着いた大人っぽい歌を歌ってくれよ!」と先輩然とした誡めるような歌。小さい団員にも当夜のOBコーラスの、自分らを遥かに凌駕するクオリティーというものは理解できたでしょう。「僕もいつかあんな歌を歌えるようになりたい。」と彼らが日々の研鑽のブレスの刹那に思ってくれたとしたら、現役団員たちの歌声に何か素敵な変化が現れて来ることもあながち求め得ぬ願いとは言えないような気がします。そして、いつの日か現役チームとOB軍団のハジけ具合が均衡を保つように並び立ち、また合同で『筑後川』全曲などを歌っていただきたいと思います。

   
 本年度、AB組の独占ステージ解消によって彼らがSクラスの隊列へと時にスイッチされ、時に合流してともに歌って行く趣向になったことは既に述べました。Part4「やなせたかしコレクション」でも、そうしたステージ展開が繰り広げられていきます。S・A・Bの歌声の塩梅は巧妙に均等で、冒頭の団員MCからフィナーレの「アンパンマンたいそう」とアンコール(本年度も団員のアンコールMCは残念ながら行われなかったのですが、インターミッション後の団長挨拶でこの曲がアンコール曲として後ほど採り上げられる予告アナウンスがあり、客席参加の案内もそちらで行われました)の「アンパンマンのマーチ」まで、3つのクラスの歌声がシビックホールにこだましました。ですから、数十年間に渡りフレーベル定演の最終ステージが常に上級のクラスの独壇場だと思って聞いてきた人々にとっては、かなり斬新で驚愕の構成だったと思えます。パート・オープニングのMCにはついにK君が起用されました!冒頭、幼王子のごとく勇気にうち震える声で彼はアナウンスを仕掛けます!グッときます!カッコ良過ぎます!続く朗読はカゲアナが引き取っていくのですが、構成を担当なさった方が少なくともこのステージをどう持って行こうとしていたのかに気持ちが至ります。パート4のMCを担当しているのは全員がこのように表現力・MC経験豊かな選りすぐりのメンバーでした。曲目を考えてみましょう。6曲が歌われました。「手のひらを太陽に」や「勇気のうた」や「天使のパンツ」といった有名なやなせ作品が入っていません。合唱曲として作られたものはこの中では「夕焼けに拍手」が知られているものだと思いますが、昨年のプログラムの流れから当然入っていていい「誰かがちいさなベルをおす」や、昭和60年度全国の小学生に歌われた「花と草と風と」ですとか「ぼくらは仲間」など、スタンダードな作品が欠けています。フィナーレに据えられたアンパンマン・ナンバーは華やかでアニメチックな「勇気りんりん」ではなく、イメージ的に歌詞が「…マーチ」寄りで冒頭のキャッチのフレーズからして大人しめな「アンパンマンたいそう」がユニゾンで選ばれています。トータルタイム20分間とちょっとで、これは児童合唱団の定期演奏会ということを考えても少し「あっけない」「空腹感を残した」印象を拭いきれません。先の団長挨拶の内容から観客は、この長さが本来の台本通りのものではなく、実はやなせ先生のサプライズ出演が予定され、組み込まれていたはずであったことを承服しています。私はフレーベル館のご担当の方々であれば当然、やなせ先生のコンディションの現状を委細承知の上で、おそらくXデーの時期すら予見していたはずであるように思えます。先生とフレーベル少年合唱団の関係(これについては、この一つ前の六義園コンサートのレポートで述べました)があって、十分にタイミングを見計らって、今でしょ!とパート4に「やなせコレクション」を組んでいるはずなのです。イクスキューズだったのかと思いました。プログラム・チケット・フライヤー等のエフェメラのデザインにやなせ先生の天使のイラストが使われていることからも、それがわかります。ただ、パート4のS組はしゃしゃり出て歌うことをしていませんから、彼ららしい合唱の持っていきかたで、歌声はSABのチームの「混声」に仕上がりました。そのことが逆に「合唱団のコンディションにとっては、必ずしも適期ではなかった」といったような指導陣の評価の存在を邪推させてしまいます。これが「空腹感を残した」終演の真の原因であったように思えてしまうのです。
 カルメン君は「老眼のおたまじゃくし」前のMC先鋒をつとめ、下級クラスの団員たちを導いていました。スポットの当たったこの姿がボーイソプラノとしての彼の姿の見納めになったというお客様もいるのかもしれません。起用がピンチヒッターであったかどうかは別にして、その図像がパート4に於ける合唱の鳴りの構図を象徴的に表していたようにも思えました。

 11月20日。2013年のフレーベル館本社前のクリスマスイルミネーション点灯式には、すでにカルメン君が出演していませんでした。カルメン君の居ないフレーベル少年合唱団のコンサートというものを、私はおよそ7年ぶりぐらいに見ました。翌日の11月21日に六男のカンタータ『天涯』のソロ出演があり、彼はおそらくそのゲネプロでこちらの出演をキャンセルせざるをえないのだろうぐらいに思っていました。ただ、師走の都会の一隅、灯った明かりの下で歌って終えたその演奏が、今回のコンサートの提題を受けるポスト「1・5カラー」の時代の到来を告げる歌声となりました。たくさんの少年らが隊列を物心両面から支えています。歌声だけでなく、彼らのその心情が立ち居振る舞いや表情に滲み出てやたらとカッコいいし、頼もしいのです!A組ソプラノには高出力のすごい団員君が一人いて、カルメン君の居ないソプラノ隊列をぐいぐい引っぱって底上げしていました。彼の歌にはまだかなり伸びしろがあり、今は本人の心意気と力にまかせた声量なのですが(腹式呼吸をまだ完全には会得していない感じの声なので15分間は気力でキープできていますが、それ以上はたぶん1時間持ちません…ですから今は、その歌声というよりは、むしろ彼の歌い姿の方にたくさんのお客様が元気と勇気と活力をもらっているようなのです!)、一時期のローマ君なみの、堂々とした出力の中に少年の艶のような声質もふんわり立って、とても感じが良かったです。
 今回の定演演奏会のパート4は、S組、A組、B組の子どもたちの声の混交で、最終的にはこの点灯式のようなカラーへと収斂されていきます。アンコールにはOB諸氏や先生方も加わります。全体的に雑然とした印象になっているのですが、よく聞いていると小さい子どもたちが声を抑制して曲調を整えたり、出来る限りのピッチホールドをかけながら斉唱を聞かせたりと、なかなかよく頑張っていることがわかります。また、フレーベルにありがちだった進行のもたつきがだいぶ整理され、一方では子どもっぽいフィーリングを残しながら内容的には気のきいたMC(これは、今回の定演全体に反映されていたことでした)を繰り出したりといった演出上の変化も感じられました。「夕焼けに拍手」以降、A組の隊列を核にしてS・B・OBの各チームが左右から寄り添って大集団をかたちづくっていくような印象の劇的な展開で大団円を迎える段取りは洒落ていて心地良かったです。小学生男子メインの児童合唱団で、本来クオリティが落ちていっても不思議ではないはずのこうした趣向を通じ、むしろどんどん歌が生き生きと輝きはじめたのは驚きでした。何よりも、学年の低い子どもたちの中に、わくわく、キラキラ、心の中から溢れ出る泉のごとく歌を繰り出してさえずる少年たちがたくさんいて、彼らの歌がそれでもきちんと指導されていることが判り、なおかつ客席の私たちのもとへワンフレーズ、ワンフレーズ明瞭に響いてくるという、素晴らしい体験を私はしました。
 アンコールには予告通り「アンパンマンのマーチ」が歌われ、さらに「ふるさとの四季」のメインタイトルから「故郷」が供されました。「故郷」こそ昨年の定期演奏会で幾ばくかのアナウンスすら無く唐突に歌われたOB合唱=磯部俶「ふるさと」に対するレスポンスであったと私は受けとりました。今回歌っているのは昨年と異なり、「古いOB」だけではありません。下は5歳のB組団員からS組の少年たち、先生方、そしてOB諸氏自身。「故郷」から「ふるさと」へ。この図式が何を表し、合唱団のどのような行く末を占っているのか、きっとみなさんにもお判りだったと思います。

    
 隊列上段右翼エッジへと昇進したワルトトイフェル君は、既に追いつめられ、絶体絶命の真剣勝負を強いられた、凛とした真摯な少年の顔つきになっていました。薄い胸板で腹式呼吸のブレスが浅い、あの、やんちゃで、誰の言う事も聞かなそうな、焦点の定まらぬふわふわとした一時期の彼の視線…出演の度にステージ上で心理的に叩かれて、叩かれて、卑屈そうになっていた眼差しは、今日の彼のどこにも微塵たりとも残っていませんでした。隊列最右翼に控えたアルト(メゾ系の低声ではないアルト・アルト)は今年、結局6人の編成になっていました(アンコール君がソプラノ側で支えていた51回定演のアルトは8人編成、昨年度の52回定演では最終的には7名です。女声二部のフレーズでは今回メゾの新アンコール君が下声部全体をリードしていました)。年間30ステージの時代を含めて5年間を歌いきった現在のワルトトイフェル君が率いているのは、優秀ではあってもステージ経験が圧倒的に少なく学年構成が低いボーイアルトたちです。他所の少年合唱団へ行ったら「こんな下の学年の子たちばかりのチームにいきなりアルトは任せられない」と尻込みされてしまうことでしょう。しかし数年来の髪の毛を切った子、伸ばした子、眠い目をこすりつつ睡魔と戦いながら今日も歌い続けているのは、ワルトトイフェル君に負けないくらいの小さなガンバリ屋さん。年度はじめに下段最右翼に配属された団員君は、どこへ配属されるのか客席からは予想できなかった時期もありましたが、今ここに立ってカッコよく歌っています(彼の立ち位置はその後も浮動します)。今年A組から上進した幼団員たちは、ワルトトイフェル君同様、B組時代からステージMCを任されてきたような小さなアルト・ヒーローたちです。ただ、「元気がでました」君も、kazu君も、残念ながらそこにはいません。客席から見たら無二の戦友であって欲しい豆ナレーター君は口惜しいことに本ステージを欠場しています。最後の頃に彼の周囲で歌ってくれていたスーパーナレーター君もプチ鉄君も北風小僧の寒太郎くんたちのかっこいい頼もしい姿ももうありません。この日、カルメン君が隊列左翼で非常に有能で切れ味も好感度も良好な王子のような下級生ソプラノ群を率いていたのに対し、ワルトトイフェル君が率いているのは自身に比べステージ経験の少ない下級生が5人だけです。そんな中、ステージが進むにつれ、S組アルトの前へときに送り込まれて来るAB組の小さな団員たちの後ろ姿を眺め下ろし、心底穏やかに楽し気に微笑むワルトトイフェル君の表情が実に爽快で印象的でした。先生方も、お家の方も、当然一見のお客様方も、そして彼自身もまた、アルト声部の右上の端に立つこの男の子が今、半世紀以上にも及ぶ日本一の歴史を持つ少年合唱団の隊列の中で正真正銘の「日本一のボーイアルト」へと栄達したことにおそらく気付いていません。
 私のようなファンが最後にワルトトイフェル君へ所望するお願いは一つ。少年の声尽きていつの日か「日本一のボーイアルト」の名を返上する日がやって来ても、決してフッと黙っていなくなったりしないでほしい。名誉の返納は衰えや恥でしょうか?いいえ!日本でただ一人のホンモノの「日本一のボーイアルト」だった少年だけが、その栄誉を後進に譲る権利を確実に持っています。せめてきみらしく歌いきり、最後のステージを下りていって欲しい。私たちはその日、「本当にありがとう。きみが歌い続けてきてくれたから私たちも頑張れた。」と、最後の歌に心からの感謝の気持ちをこめて拍手をおくりたいのです。
 2013年、日本一のボーイアルト、ワルトトイフェル君が終演に臨み雄叫びのように唱えた「ありがとうございました!」の呼号は、やっぱり日本一の真実の「ありがとうございました!」の声だったのでした。

 団員構成的には高安定性を保ち、歌声的にも年齢相応で穏当なA・B組をフレキシブルかつ堅実に活用して聞かせていたことを考えると、一方のS組チームやクルーの使い方・配置・プログラム構成といったものに「もっと冒険が欲しかった」と感想を述べることになります。ただ、先生がたや団員保護者、関係者にとって、当夜の演奏内容は十分に「冒険」だったのではないでしょうか。放っておいても自分たちで指揮をして歌ってしまうような団員や、数々のCDで喉を披露するレコーディング慣れしているような団員、前振り無しのぶっつけで平然とソロやMCをこなしてくれるような団員たちは既にほぼ卒団し、もうカルメン君やアメージング君ぐらいしか残っていません。ステージ上での突発的事態に冷静に対処できるのは豆ナレーター君ぐらい(これまでも、MCの最中にクライアントの司会者さんが突然マイクアナウンスを挟んでしまったり、想定外の箇所でお客様が喝采を始めたり、打ち合わせた場所にPA関係機器がセットされていなかったりといったかなり困った事態に豆ナレーター君は度々遭遇してきましたが、いつも必ず冷静な自己判断と落ち着いた態度で対処しピンチを切り抜けてきました。衆人環視のホンバンのステージ上で咄嗟に落ち着いた行動がとれるのは、合唱団ではこんにち豆ナレーター君を置いて他にいないような気がします。出演している舞台の運びや団員たちの動きをいつも客観的に冷静に見つめている豆ナレーター君だからこそ、それも当然可能だということがいえるのかもしれません。…もう誰にも「豆」とは言わせない心頼みが現在の彼の立ち姿にはあるのです!!)なのですが、本日のステージにその頼もしい姿は見えません。隊列の両翼にいる少年たちのほとんどがそもそも2-3年前まで(未就学児もいる)AB組か、もしくは客席にいた少年たちです。当夜の演奏が、十分に「冒険」であったことがこれで理解できませんか?
 それでもなおかつ筆者が「冒険が欲しかった」と言ってしまうのは、今回の定期演奏会のステージにそれが痛ましく見えないように、上手に美しく企画が組まれていると思われるからです。別名「アンパンマン少年合唱団」です。…お客様がたは少年たちの歌声に愛と勇気と友と夢と癒しを求めてやってきます。合唱団が冒険をおかし、苦労や悩みを押して歌っていることをなるべく見せないようにするのは企画方針以前の良識というもの。…ただ、合唱団の運営が子どもたちを対象とした「社会貢献活動」(20世紀には「社会還元事業」と呼ばれていました)であることをメインに視座を据えると話が違ってきます。S組団員たちのポテンシャルに対して、あまりにも安全パイに過ぎたこのステージの構成は、ちょっともったいない気がします。2月の六義園コンサートで組まれた「初めてのソロ・コーナー」で、「初めてのソロ」を担当したのは前述の「2年前まで客席にいた少年たち」でした。私たちファンの目から見てもかなり危険性の高い「冒険」でしたが、結果はオーライでお客様方は皆、大喜び!それぞれの歌声に感歎のため息が漏れ、大きな拍手が沸いていました。結局その日、ソロを披露した団員らはそれ以後パワーアップを遂げていったのも前述の通りです。余裕の殆どない、苦しいこの時だからこそ、かわいい子には旅をさせよのチャレンジ精神で、ときには失敗したり、辛い目にあったりしながら苦労を喜びに変えて力を付けていってほしい…という乱暴で言いたい放題なファン心理が働きます。
 ユニフォームは今シーズンを通してS組にレンガ色のタキシードを無帽で充てています(当夜の後半は、おそらくやなせ先生に敬意を払って紺イートンでした)。このユニフォームにはサイズや数量に作られた当時の状況から限りがあるようで、今期のS組のコンディションを冷静に見計らい、的確に着用の判断がくだされたような感じがします。