痺れるようなサプライズの果てに~フレーベル少年合唱団の2008年定期演奏会

2008-11-17 22:17:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団第48回定期演奏会
2008年10月8日(水) すみだトリフォニーホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分(終演 午後8時30分)
全席指定2000円

サプライズから報告の会へ
 演奏会最後の撤収の場面、B組の団員代表が号令をかけようとして、誤っておそらく毎週の練習の終わりの挨拶をしてしまいそうになる。B組だから…。でも、錯誤があったにせよ彼は「いつもの僕らの合唱団」を真剣に見せようとした。(*1)フレーベル少年合唱団第48回定期演奏会というのは、実はそういう誠実な演奏会だったのではないかと閉幕後に気づかされる。
 昭和時代の終焉とともに、フレーベルBCは定期演奏会に様々な演出を仕鰍ッはじめることになる。当時、合唱団を担当なさっていたW女史は「定演の幕が下りた瞬間にまず考える事は『来年の演奏会ではどんな趣向で楽しんでもらおうか』ということ」という内容の話を繰り返ししていらした。現在の定演でもウツワのカタチだけ踏襲されているトータルコンセプトの「今年のテーマ」があり、その下に私たち観客をアッ!と言わせる展開や見る者の情緒に直接訴えかける演出が用意されていて、ともかく「定期演奏会を見れば現在のフレーベル少年合唱団がどんなものであるか」は分かっても、「日頃のフレーベル少年合唱団の活動を知っている人が、定期演奏会の内容だけは予想がつかない」というある種の「サプライズ演奏会」的な面で楽しませていた時期があった。私はそれを心から楽しんで見て、わくわくしながら聞いた観客の一人だったからそういう定演を否定する気にはなれない。ただ、最近の定期演奏会は「ビックリの歌声」を聞かせる演奏会から次第に「今年一年間の活動を報告する」演奏会へと良い意味でシフトしてきていたと思う。

 アンコールのナレーションを急く団員が、隊列上段の方から前方に並ぶ団員の肩を突き飛ばしてフレキシブルマイクの前に踊り出て来る。「これはありえない!」と一瞬思わせる(例えばFM合唱団だったら、ひな壇を下りて来る団員のために美しく身体をかわす少年たちのシステマチックな姿を観客に見せる)のだが、彼の台詞が例の「アンコールしてもいいですか?」だったために全て合点がいくのである。客席からは笑い声とともに拍手が起こる。あっぱれ!演出なのだ!このように今年の定期演奏会には舞台慣れしたフィーリングの感じられるMCが聴こえた。ミニ・コンサートとは言え真冬の寒風吹きすさぶ中から盛夏の酷暑の炎天下まで毎月コンスタントに2公演ずつ。年間合計20ステージに届こうとする野外ライブパフォーマンスを団員のMCで(それだけでなく、往年の少年合唱団の映画ばりに、アルトの団員がカッコ良く指揮をとる演奏に遭遇できるときもある!わくわくする!)打ち続けて来た継続の賜物が、当夜のこの客席サービスの中にある。彼らはおそらくおびただしい回数の「アンコールしてもいいですか?」を言い続けて今夜の終演へと至っているのだ。

 アンコールには「リサイクルレンジャー」ほか計2曲が供された。アンコールに「リサイクル」テーマというのも、児童合唱団の定期演奏会としてはかなり異例の選曲なのだが、「…レンジャー」の最後の、あの「ダメ出しメ[ズ」が男の子っぽくヤンチャにキマって客席は大喜び。この曲はフレーベル館が2007年10月に出した環境保育の実例指導書「心を育てるリサイクル」(ISBN9784577803127)の所収で、少年合唱団の歌う範唱CDが付録としてバンドルされている。だから、「リサイクルレンジャー」のCDを手に入れようとすれば、自動的にこの本を買うことになるし、CD化された「リサイクルレンジャー」を歌っているのは世界中でまだフレーベル少年合唱団だけでもある。株式会社フレーベル館の事業としてのフレーベル少年合唱団が、会社へのお礼と報告のために催す定期演奏会という図式が、このアンコールで明確に、だが非常にさり気なく誠意を持って提示されているのである。

アルトの花がひらくとき
 2年前の定期演奏会の感想で、私は「新アルトはチームとして非常に魅力的なものを持っている。このチームが後年どういう使われ方をするのか見届けたい。」と期待に胸膨らませて書いている。だが、昨年のレメ[トは一転し「上級生として信頼されて行くに従ってフレーベルのアルトはチームとしてではなく全体のカラーの中へ穏当に収斂されてしまった」と酷評した。「つまらなくなった。」と書いているのである。その少年たちは今年、どうなったのだろう?

 合唱団はパート2のトリで前半の部の最後でもあるセクションに日本の民謡を3曲だけ歌った。パート2は前半が「今年の活動報告」と銘打って、彼らの担当したCMソングや映画主題歌(*2)などを披露。昨年同様の「これは何のCMの歌でしょう」という地方の少年合唱団のステージ・テーストを強く感じさせる印象的なコーナーがあり、その後にかなり唐突な印象を与える「民謡」のナンバーがわずかにくっつけられているという構成になっている。これはもちろん前半の部のフィナーレに「ソーラン節」を配置するための布石でもあり(*3)、「題名のない音楽会で歌いました」というMCが無くても殆どの観客にとっては「その放送は見た」というステータスのものだった。実際、客席は手拍子膝拍子(?)で大いに演奏を堪能し、私たちは大変満足して休憩時間を迎えることができた。少年たちの目論見は見事に大当たり!でも何故、何のための日本民謡集だったのか。『報告会』であればソーラン節だけでよかったのではないのか?

 疑問に答えてくれたのは、昨年私が「ソプラノの顔をしたアルト」と評した、その少年たちの今年の隊列だったように思う。
2曲目に「おてもやん」がある。歌いだしの団員らの声は息を呑む一瞬の弱起の中からフォルテのかかった一点突破のような後舌母音の深い共鳴に担われ、鋭利に立ち上がってくる。彼らの体格はまだ小さくて、弱い横隔膜を繰りながら息を押し上げるため、自分たちのお腹をグイと前に出してふんばろうとする。私は同じその姿を1980年代の初頭、フレーベル少年合唱団のステージで繰り返し見た。当時、彼らは九州民謡を何曲か携えて歌っていた。きっとマレーシアのツアーでも歌ったのだと思う。「おてもやん」はその稀有な歌いだしの声から、強烈な印象のレパートリーの一つだった。48回定演で彼らはそれを再現して見せた。「僕らの歌」は終わってなどいなかった!これも活動報告だったのだ!そして2008年の今、私がすみだトリフォニーのステージ上に聞いたのは、あのアルトのハーモニー。チームとして共鳴する彼らの音。歌っている子たちの身に付けるものは、もはやマリンブルーのジャケットではない。だが、立ち姿は、山本健二先生の前で自ら「手打ち」や「乱れ打ち」をやりながら頭をかきかき「おてもやん」を歌っていた、懐かしい匂いのする、温和で枯れていて、一寸だけ照れて火照って、チームとして安定し、見る者・聞く者をあたたかい気持ちにさせてくれたアルト団員たちの姿そのものだった!この定演は他でもない、かつて連綿と続いていた「フレーベル少年合唱団のアルト」を愛するファンにとって、十何年ぶりかに訪れた夢のような至福のときだった。 だから彼らの音楽への迫り方は禁欲的なまでに正攻法だと言える。他の合唱団の真似をしたり、「新生フレーベル」的な気負いのある声で歌ったりせず、あくまでも先輩たちが極めていた団員としての生き様を追及して、このようになったのだと思う。
 もちろん、彼らのブレスは殆どの子で非常に高く上がってしまっていて、声質的にも生来のアルトとは思えない子もいる。また、今年のセレクトAアルトの最大の弱点として、彼らが本来いるべきャWションであるプレーンA組合同の編成に戻ったとき、チームとしてはもちろん、音楽としても上手に他声部へ付き添いきれないということもある。(だから、これは、彼らが優秀な低声部の後継者を2008年10月の今、ほとんど持っていないという決定的な弱みでもあるのだ。基幹メンバーの欠席したコンサートのフレーベル少年合唱団の歌い姿は、まるで別の合唱団を見るようだ。)だがそれでも、今年のセレクトAアルトの出来のよさは群を抜いている。少年合唱というのは、やはりチームのなのだ。

 彼らの持つ連帯感は、隊列の自然な美しさというところにも現れている。
フレーベルの整列というのは、実はどのクラスもとてもラフなもので、客席で見ていても(…そしてホリゾン側から見ていても!)あまり美しいというものでは無いのだが(*4)、今年のアルトにだけはそれが見られない。彼らの並びの正確さはおそらく鍛えられた「耳」と幸運に見守られた「連帯感」によるものであり、同じアルトの誰が自分から見てどの方角の何センチの位置で歌っているか感覚的に把持されているかのような美しさだ。このため、セレクトAだけの隊列を見ると、どの子までがアルトで、どの子からがメゾなのか視覚的に知られてしまう。今年のフレーベルのセレクトAアルトは乱暴に言って、そういうチームとして私たちを喜ばせている。
 パート3のおなじみ「世界の名曲」のコーナーで、レンガ色のユニフォームを着て歌っているあいだ中、アルトの少年たち(…と、ソプラノの左翼の子達の一部もそうだったのだが)は全員、手を後ろで組まず、体側に落としていた。そのカッコよさ!見た目の爽快感!個人プレーでは無く、各自がしっかりと「フレーベル少年合唱団」の上級生団員を演じ、今年は一人ひとりが自分の持ち味を生かしてチームへと止揚されている。見せるエンタテイメントとしての立ち姿の美しさ。各自のキャラが立っていて、明確な、だが、イヤミの無い主張をしながら隊列を作っている。「背が伸びちゃって、声がオジサンっぽくなってきたからアルトにでも下りなさいよ」という「でもしか転落アルト」の編成でないことは明らかだ。受験、進学、他のお稽古ごととの競合、「ゆとり教育」の揺り戻しから土日祝日へと怒濤のように還流してきた学校行事…ベストの状態はおそらく来春までも維持できないのかもしれない。だが、少なくとも当夜のアルトの歌いは他の追随を許さないと思われるほど惚れ惚れとするものだった。鳥肌がたつほど美しい声質で私たちを甘く苦しめる団員がいる。ピッチ保持力やリズム感などを日々の研鑽を通じて勝ち獲たと思われる子もいる。それをチームとしてのコアに据えず、メタボリズム的に組み込んでソリッド感を出すという心憎い人員配置になっている。彼らがどういう日常生活を送っているのかは、私たちにはわからない。だが、ステージ上の彼らのスマートで凛々しい姿からはこの年齢層の男の子にありがちな気分の悪い「増長」が殆ど見えてこない。しっかりと『夢』だけを見せてくれるのである。

 ステージMCの要員としての使われ方を見ても、それは明らかだ。アルト基幹メンバーのほぼ全員が、一人ひとり出て行ってマイクの前に立っている。全員が歌だけでなく少年らしい地声の喋りでも観客を魅せている。また、アルト団員がステージでのたいていの事態へ臨機応変に対応できる上級生としての冷静な判断力や行動力を責任感とともに身につけていることが客席からもよくわかる。フレーベルの高学年生たちは、ときに未就学児の団員を擁しながらステージに上がり、さらに保育図書の会社の合唱団であることから客席に幼い観衆を抱える事が多い。小学5~6年ぐらいの少年たちが、ライブ中の経験を通じ想定外の出来事や指揮者から発せられる突然の指令にも機転を利かせ対応できるよう育っていることは決して理解し難い事ではないと思う。また、演奏中の彼らが垣間見せる菩薩のような慈悲深い穏やかな眼差しは、こうした日常の歌い姿から導かれてくるのかもしれない。

さりげなさの統御
 開演前、観客がチケットをもいでもらいロビーに入ってゆくと、ふつうの児童合唱団の演奏会では配られることの無い「ビオレUうるおいミルクA」のお試しサンプル15ml(試供品)を唐突に手渡されたりする。合唱団の歌うテレビCMを知っている観客ならば、もう笑いの止まらない大ニヤリのサプライズなのだが、それをステージでの紹介の前にやってしまうというさりげなさ。そしてアンコールナンバーに黙って「リサイクルレンジャー」をしのばせる心にくさ。当夜のコンサートには、このフレーベル少年合唱団らしい「さりげなさ」が随所に見られた。

 そううたってはいないが、演奏会のちょうど2週間後発売になる新譜CD「楽しいカノン」の挿入曲を聞かせる「輪唱」のコーナーが挿入されている。いわゆる「プレミア公開」なのだが、日本の児童合唱団らしく発売「予定」のものに対して宣伝がましいことを全く言わなかった。「うれしい楽しいクリスマス」を彼らの声で聞いて気づいた事があった。合唱団はこの曲を昭和時代に「レコード」にも吹き込んでいる。降誕祭らしい華やかさや、橇遊び的な躍動感にあふれる仕上がりだった。それに対し、今回のカノン・アレンジは伴奏もツェルニーのピアノ練習曲といった風情の「さりげない」ものだった。これが非常に良かった。ピアノが子どもたちの声を邪魔せず、タッチの間隙から上手にボーイソプラノを響かせてやっている。コーナー冒頭は「かえるの合唱」だった。少年たちはフォーメーションを入れ替えてみせる。4声のカノンなのだ!通常、フレーベル少年合唱団は、可愛らしいドライ気味な頭声で揃えたコントロールのかかった声作りと、頭声の中にカツンと響く声の混入を認めた、男の子らしい生活感に満ちた素材を大切にする声作りとを上手に使い分けてステージに上げている。当夜のカノンのステージには後者の声が選ばれていて、それが4声に分かれて届くという心憎い演出になっていた。伴奏のセーブと相まって、少年たち一人一人の声が愛らしく、ときに頼もしく、あるいは楽しく客席へとやってくる。自分のお気に入りの団員さんがいれば、その子の声を合唱の中から聞き取る事だってできるのだ。2曲目の「メトロノームの発明者メルツェルに」も4声。2声に後退するあとの2曲では、プチ鉄ヲタふうの演出などでカバーする(コレがめちゃくちゃにカワイイ!)。合唱団は今回のCDで全体量の3分の一強にあたる13曲を担当しているのだが、定期演奏会ではその中から曲がさりげなく、だが上手に注意深く選びとられていることがわかる。

 回を重ねてすみだトリフォニーの音響特性を学んだ少年たちのトーンには心地よく制御が効いているものも多かった。パート1の最後を飾る「瑠璃色の地球」のラストノートの美しさ。アイドル歌謡を感じさせない真っ直ぐな少年らしいナイーブさ。低声域から上って添ってくるアルトのさりげなさ!PA拡声がややドラスチックなために、日本の少年合唱を聴き慣れない人には「おや」と思われるのかもしれない。日本にいくつかある少年合唱他団のライブ整音を聞いて比べると当夜の音響の妥当性が理解できる。ギリギリではあるが私は許容範囲内であると思う。この日もパート3で毎年お楽しみのソロがあった。それを聞いて想起したのは1989年4月2日に日本青年館大ホールで聴いた大浦広というボーイソプラノのソロ(スタジオ録音のヴァージョンはセット売りだが商品化されている。フレーベルの団員ではない)。強烈な印象が残っているのは、振りをつけて歌いながらその子自身がマイクの正面に来るよう、ャWションをずらしていたことだった。彼は他のレパートリーでも演奏中マイクの高さを片手で変えている。教会の聖歌隊出身でクラッシックの発声で歌う小学3年生の男の子がそれをやったことで「日本の少年合唱団のPA拡声」は既成事実になったと思う。今日のいかにもフレーベル的な愛らしいソロがトリフォニーの音に沿った形で拡声されていたのは嬉しかった。

オー・ハッピー・デイ
 パートとしては最後の、…ステージとしては最後から2番目の位置に「アベ・ベルム・コルプス」と「アヴェ・マリア」があった。少年合唱団のステージ演目としては決して斬新なものではないのだが、当夜のセレクトAは60ストップ規模の本格的なパイプオルガンの伴奏で、合唱団のスタンバイ位置も聖歌隊よろしくオルガンバルコニーのコンソール際ぎりぎりまで寄って歌ってみせるという観客本位のことをしている。彼らの「聖歌隊」としてのコンディションは良好で、ディナーミク、ピッチ感ともに穏当な、説得力のある演奏を聞くことができた。曲数が2曲と少なく、じっくり聞いたという感じにはなっていないことから、ヒトコト言いたい人もいるのだろうか。合唱やソロのPA拡声にしろ、オルガン使用にしろ、必ずそれなりのコストがかかることをおおかたの聴衆はおそらくあまり意識しながら聴いていないと思う。トリフォニーの大ホールで指定席2000円ぽっきりという破格なチケット代が何を意味するのかもよく考えてみたいと思った。

 宗教ナンバーとしては、この他にパート3の「世界の名曲」でもジョージ・ハリスンの盗作問題を通じ有名なゴスペル系の「オー・ハッピー・デイ」が歌われている。以前、定演の似たようなコーナーで「アイル・フォロー・ヒム」を聞いた強烈な記憶があるのだが、選曲の元ネタが分かったようでちょっとニヤリとさせられた。少年たちの歌いにはウーピー・ゴールドバーグばりのガラッとした咆哮は無く、70年代ごろのフレーベルの先輩らが何故か身につけていたブルージーなフィーリングも既に過去のものとなり、ややぎこちなく、早く言ってしまえばドライな印象。ただ、ここでもアルトの追唱は完璧で、実にマイルド(「弱い」のではなく「マイルド」)な歌い上げからコーラス全体をあたたかくカバーしている。

 一時期、やや気になっていた煩雑な出ハケは今回解消されていた。ただ、男の子ゆえの跫音に配慮しているらしい非常にゆっくりとしたスピードの歩きを保った入退場だけが印象に残った。彼らは「アヴェ・マリア」のステージのあがりにオルガンバルコニーからひな壇へオープンのまま移動する様子を見せているのだが、この少年らしい爽やかな行脚は「歌以外のところも見せて客席を楽しませる」男の子の合唱団のコンサートならではの趣向だったと思う。

 痺れるようなサプライズの果て、今日の定期演奏会のステージで聴衆の見たもの、聴いたものは、フレーベル少年合唱団の日々の立ち姿の中からもたらされる良心に満ちた歌声。私は冒頭に「今年一年間の活動を報告する演奏会」と書いた。
…だが、実際に私が得たものは「報告」という無味乾燥の復命ではなく、夢のように幸せな音と少年たちの歌い姿の横溢。このひとときを聴衆へプレゼントしてくださった先生方になんと言って御礼したらよいのだろう。不幸にも多くの人々が他人を不愉快にさせてしまう子どもを生み育ててしまうこの世の中で、他人を幸福にして余りある男の子らをここに送り出してくださったご家族の皆様へ、心からの感謝と激励の言葉を申し述べていたい。

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*1 フレーベル少年合唱団のコンサートならではの楽しみの一つに、終演時のボウがある。同じ振りに見えるが、実はここにも団員一人一人の個性があって、最後の瞬間までたっぷりと私たちを魅せてくれる。ボウの優美な団員を探すのも一興。実に意外な子が宮廷貴族さながらのやわらかな美しい挨拶をしていたり、白馬の王子さま顔負けのりりしい姿を見せてくれたりする。ちょとウキウキ!

*2 サウンドトラック版の「ゲゲゲの鬼太郎」は実にフレーベルらしい声質で良かった!映画館の座席でむしょうに身震いがしたのは妖気でゾッとしたからではなくて、この歌声が劇場の広いスクリーンに大音響で響いていたからだった!オキニの団員さんたちの声がストレートに押し寄せてくる感じ!2007年から2008年にかけて、彼らは映画サントラの児童合唱を何本か担当しているが、どれもインパクトのある歌声で銀幕を飾っている。

*3 「ソーラン節」とともにオンエアされた「歌えバンバン」が当夜のプログラムからドロップされていたのはとても残念だった。一時期、定演のアンコール曲として用意されていた頃もあったこのナンバー、放送では前の方のマイクが子どもの声をけっこう拾っていて、わくわくするようなハーモニーだった(声質的にも現在のフレーベル少年合唱団のトーンに合っている)だけに惜しいような気がする。

*4 ステージ整列については、最近改善が見られるようだ。子どもたちのフレキシブルなふるまいが頼もしいと思う。