フレーベル少年合唱団 新しい世界へ

2011-12-11 18:36:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団 第51回定期演奏会
2011年11月2日(水) すみだトリフォニーホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円


I. 物語は始まる

イートンに赤ボウ姿の1-2パート子どもたち。同じボウをイニシャル・ベストと無帽で組み合わせたパート3のAB組。体温の上がって来たラストは上級生全員がレギュラーのベスト・スタイル着用で、B組メンバーはボウのみゴールドにスライドする。例年通りのユニフォーム・チェンジのフォーマットを踏襲しつつ、今年はブレザー&中折れ帽の配当が見られなかった。2005年以降、毎年一つずつアイテムを追加して来た定期演奏会のステージユニフォームにはじめての引き算を見た。

カンタンなカラクリである。21世紀に入ってから合唱団が定演プログラム上堅持し続けて来た5部構成が、パート4までの4部構成に差し替えられたためだ。彼ららしいレパートリーをトピックごと3-4曲程度の緩やかなパッケージに組み立てながら繋いでゆくパート1と2(例えば今年はアメリカ民謡3曲とフォスター3曲に合唱組曲が1つ。)の後に、休憩やAB組ステージをはさんで必ずャsュラーナンバーのパート3(数年前まではパート4)が展開されていた。abcホール時代の第36回定演から15年間も連綿と続いて来た「フレーベル少年合唱団の定演」を印象づけるこのステージが整理解消されたことで、今年はレンガ色ブレザーに黒ハットの定番のユニフォームの出番は無かったのだ。原因は被災?単なる時間配分の問題?ブーイングが漏れ聞こえなかったとは言えない衣装の費用対効果??運営方針・指導方針の変更?…いずれにせよプログラムのパート分量は間引かれたように見える。
2011年11月2日水曜日、午後6時30分。すみだトリフォニー大ホールの本ベルは定刻に鳴動し、演奏会は非常に静かなたたずまいの中に幕を開けた。キー団員によるベルのシェイクも呼号も無く、30秒間で小さなA組団員までを擁する隊列は入場整列を完了させた。一切のMCを排したまま前奏ピアノが鳴って団歌が始まる。途中20分間の休憩を挿み、終演の影アナを聞いたのは午後8時35分。子どもたちは105分間歌っていたことになる。
一方、昨年の50回記念定期演奏会の終演時刻は午後8時20分だった。休憩時間は15分間。計算すると実質演唱時間は95分。終演の興奮さめやらぬトリフォニーのロビーに立ち、時計を眺め、私は「おや?」と首を傾げた。プログラムは1パートぶん減量したはずなのに、演奏時間は10分間も増えている…

物語はステージ上に居並ぶ小さなA組団員たちの姿と、彼らの後ろに悠然として立ち揃うセレクト団員らの視線に貫かれて始まる。プログラムにあるその肩書きは昨年までの「セレクト(「A組の中からセレクトされているメンバー」という意味である)」ではなく、「S組」になっている。3級構成への改組を示すクラス名の出現に私たちは軽いショックを受けた。そしてまた、彼らがこのプレビューで見せた主客転唐フギミックをいちげんに近い観客たちは実感として理解できないでいる。「S組の上級生たちとA組の下級生たち…この1年間、出演の場数をより増しにこなしてきた団員の占める割合が多かったのは、いったいどちら??」
昨年の記念定演後この一年間、フレーベル少年合唱団のライブパフォーマンスの頭数を支え続けてきたのは、上段にすらりとした背を統べるS組の上級生メンバーではなく、むしろ前列であどけない表情をたたえてスタートダッシュを待つA組の子どもたちだったのではないか?!(勿論、S組にもカルメン君やアルトのコーナー君のように皆勤に近い団員もわずかに存在する)
…演奏会が始まる。天真爛漫な団歌の前奏ファンファーレがホールに立ちあがり、低学年団員の無邪気な未だ生えそろわない歌声が私たちを包む。芽生えはじめた誇りと、この1年間のステージを矮小な身体で担い続けた経験の立ち姿。後列に並んだS組上級生は最低でも3年選手のベテランぞろいだが、今年、彼らは後輩らの天衣無縫でにぎやかな歌声を凌駕出来ずにいる。演奏会のパート1前半、合唱団はリトルA組メンバーの歌い姿を余す事無く私たちに見せていく。51回定期演奏会もまた、正真正銘の「年間活動報告会」だったのだ。


II.団員MCから垣間見えた2011年のフレーベル

開演のMCを担当するのはカルメン君。現存する日本最古のボーイズコーラスの一つ、52年目のフレーベル少年合唱団を事実上統率しているのは、今や誠実な歌を歌う小柄な一人の小学4年生なのだ!だが、パート1前半の曲目に対する彼の印象があっさりと述べられただけで、オープニングMCとしての開会宣言は惚れ惚れするほどシンプルなものだった。3月11日以降の彼らのスタンスを告げる定石のインフォメーションはここではなされない。この日、公演中計8回のべ10名のみ行われたミニマムなMCにはいくつかの共通点が見出される。王道のソプラノ+メゾ系の団員ばかりを起用したこと。甘美壮健少年らしいナレーションを繰り出したパート4の上級生MCたちが、かつてわずかな構音障害をもっていたり、滑舌があまり良くなかったりというハンデをかかえていたこと。フレーベル館のマネジメント・スタッフは21世紀にかかる前後の数年間、「入団を希望する児童の中に若干の構音障害のある子どもが目立って増えてきた」とインフォーマルに表明して善後策を模索していた時期があり、今回のMCでの彼らの起用は10年越しの処方の結果だったのかもしれない。高学年になるとともに彼らの発音はクリアになり、少年らしい深みや艶を得て「スーパーナレーター」に伍するクオリティーのものへと止揚されてきた。
カルメン君のオープニングMCの声は長い間彼の持ち味だったスイート&アンファンな愛らしさが抜け、小柄でちょっぴりコケティッシュ(!)な秀才少年といったストライクゾーンど真ん中のフィーリングである。「アメリカ民謡をたずねて」のパート後半のMCを受け持つのはメゾ系遊撃手の頼もしさを感じさせる誠意のある朴訥な声の団員で、前半担当のカルメン君との絶妙のマッチング感が実にセンスよくしっくりとまとめられている。
パート2担当MCはソプラノ側からフレッシュなメンバーがパート1に似たコントラスティヴなテイストで2名選ばれており、前半ステージに統一性を与えていた。TFBCの曲目紹介ナレーターに似た声質の少年が注意深く確信をもってチョイスされており、なかなかかっこいい。だが、今年はステージハンドル系のアナウンスは全てスタッフの影アナへ移管され、組曲クリエイターの紹介とオマージュなどに子どもたちの出番は無かった。
パート3初動のA組MCには骨格を感じさせる「なごみ系」の声の団員を使い、B組には定石通りの高低・細太の好一対の子どもたちが選ばれていた。

ここ数年大活躍のスーパーナレーター君は今回、欠場。パート4の開幕MCを担当するのはナレーター君より一つ下の世代のメゾ系団員である。これまで、活躍のわりにソリストとしての記述が少なかったのは直近の上級生らのインパクトの強さということもあるのだが、むしろ「力にものを言わせた合唱」という歌の在り方を決して良しとしない彼のステージでの人柄によるものだったと言えはしないだろうか。彼の歌い姿にはもともと暖炉のような家族の温もりといったものが常に感じられる。聞いていて見ていて幸せな気持ちになれる歌を彼は届け続けてきたのである。このステージで、彼はまたカルメン君と「アメイジング・グレイス」の冒頭デュエットも担当している。二重唱の場面で、3小節目の弱起を歌いつつ耳だけを頼りに立ち位置の修正をかけた。少年はステージフロアのバミテには一瞥もくれず、劇場モニターのPAを聞きながら自己判断でオンマイク側の適正位置に身体をずらしたのである。21世紀の小学生であり、ステージ経験が豊富で、すみだトリフォニーの音響を感覚として体で知り尽くしたボーイソプラノ(メゾソプラノ)・ソリストにしか出来ない離れ業を彼はやってのけたのだった。打ち合わせと違う突発的な曲目変更や、マシントラブルや不可抗力のハプニングといった数々のできごとが数年にわたりこの茶目っ気タップリ愛嬌のある表情豊かな男の子におそいかかり、彼はその持ち前の機転の良さと葦のようにしなやかな心でニコリとしながらそれらをかわしてきたのだ。今夜のこの一瞬のドラマはそうした彼の団員人生を象徴するかのような出来事だった。

パート4の中盤MCを担当した団員はもともとソプラノのレフトウイングをローマ君らとともにキープしてきたソプラノだが、成長とともに声がおちついて昨年からメゾ低声系のャWションに就いている。当夜の彼は癒し系ャbプ・ミュージシャンのライブステージの曲紹介といったおもむきの静謐なMCで言い収め、少年合唱団のナレーションとしては非常に斬新で訴求力に優れ実に印象的なイメージを客席に与えていた。
パート4の3人のナレーションではついに曲タイトルのインフォメーションさえ聞かれなくなる。合唱団は今年、ここにャXト3.11を感じさせる少年らの「語り」を織り込んでカラーの刷新を印象づけた。MC団員をアナウンサーとしてではなく、ストーリー・テラーとして位置づける静謐で実直な語り口はFM合唱団の得意とするところであり、2011年の私たちの心情に寄り添って、必然的に2つの合唱団の定演イメージに類似を感じさせることとなった。

エンディングのMCにはアンコール君が起用された。本来アンコールの発声を担当すべき団員がこのャWションに横転したということは、2011年の定演であの皆が心待ちにしている「アンコールしても…」のMCは行われなかったということになる。客席のリピーターたちの期待を出し抜いて「2011年からのフレーベル」の流儀を遂行する試みはこうして終演の瞬間まで付け入る隙も無かった。
だが、彼のアンコールの声を聞き、あぁー!と即座に甘い声をあげ、胸をときめかす年配のご婦人がたや現役ママさんたちは全ての演奏会場に今日も厳然と存在する。こんなスーパー人気者のボーイソプラノなど日本中探しても結局彼一人しか居ない。だが、ステージに見るアンコール君の姿は真面目でひょうきんで心根の真っ直ぐなごく普通の男の子でしかない。モミアゲが偶然にも軽くクルリとカールしていたアンコール君の姿をかつて1度だけ目にし、「ああ、そうなのかもしれない!」と即座に想到したことがあった。畢竟、お客様方を幸せにできるのなら等身大の小学生のままでいる必要など無いのである。天然純正ボーイソプラノ100%の男の子である。だが、フレーベルの子たちが出演時可能なのは、ベレーの傾きに艶をつけるか、前髪をいじるか、シャツのフィッティングに留意するか、信頼できる団員にネクタイを直してもらうか、ズボンのはきこなしを工夫するか、オーバーサイズのソックスを選ぶか、靴の手入れを念入りにこなすか、メガネをかけるかのどれかしか無い。そうして現実にはそれらを少しずつ実践してきた団員たちもいるのである。どこにでもいそうな普通の男の子のままでいたら、アンコール君の場合、たとえそれが彼らしい姿ではあってもモッタイナイことと言えはしななかったか。この学年のメイン・ソプラノ・ソリストとしてはあまりにも出番の少なかった当夜のアンコール君のたたずまいを思い出すたび、私はつくづく「少年合唱団員である」という生き様の潔さや恬淡さに思わずホロリとさせられてしまうのである。


III. 組曲「地雷のあしあと」を児童合唱で初めて歌う

パート1後半に配置された3曲は強烈な既視感のようなインパクトを私たちに与える。どこかで聞いたテノールの歌声を想起させる。だが、ステージに肩を並べるのはS組の少年たち…。どの曲にもすぐる先生の独唱のテイストがしっかりと息づいているのである。オープニング・パートの前半が今年1年のメインクルーの健闘を示す報告会であったとすれば、後半部分はフレーベルがこの1年、誰の指導する合唱団であったかを「具体的」に顕示する大変有意義な確認の会だったように思う。

パート1の後に2分半強のインターバルの出し入れを形だけ挿み、パート2の同声合唱組曲「地雷のあしあと」が歌われた。1995年停戦のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で敷設放置された対人地雷の被害を告発するこの曲は、2002年の作品。合唱版は2008年10月に出版され、翌年1月に初演が行われている。子どもたちのMCにもある通り、こやま峰子の詩画集「地雷のあしあと―ボスニア・ヘルツェゴビナの子どもたちの叫び」(小学館2002年)を底本として編まれた曲集で、停戦年から作曲年まで7年間のタイムラグが存在するのはこのためである(現実の地雷除去作業完了は2019年頃になると聞いている)。
「なぜですか?」「どうしてですか?」と高低の声部のユニゾンの鰍ッ合いから始まるこの作品は哀情をたたえつつも慟哭・断罪を叫ぶものにはなっておらず、フレーベルの子どもたちの声質によくなじんでいる。選曲者は彼らの声を良く知り抜いていることが客席にもよく伝わってくる。冒頭に提起されたソプラノ>アルトの鰍ッ合いの手法は曲集の各箇所に繰り返し散りばめられ、終曲のエンディングで「アルト>ソプラノ」の順に置換され安寧に結ばれている。また、モチーフとしてでは無いが、子どもたちの声へ執拗に現れる3連符や伴奏の連符のグリサンド(耳につく連符の存在理由は8曲中4曲目にあたる「真夜中のコンサート」で種明かしされることになる)や、毎曲の感情が高ぶる場面でスニークしてくる部分3部、シェーンベルグのホロコーストの合唱を想起させる2回のシュプレッヒなど、いくつかの聞き処を携えている。声部指定の無い「同声合唱組曲」になっているのは、一見して部分3部のパートが頻出し、童声だけでなく男声、混声合唱へのフレキシブルな対応が可能であるためあえて「女声2部合唱曲」とうたっていないためであろう。いずれにせよ、少年合唱の直截な声にも児童合唱の甘い声にもよくマッチする。フレーベルのS組メンバーは、彼らの持つ長所でもあり短所でもある愛らしいソプラノ、ツワモノ集団のアルトとその間を充填する頼もしい遊軍メゾのチームでこれに応じ、部分3部だけではなく不協和音も器用にバランス良く処理して聞かせた。「百万ボルトの痛み」の後尾リフレインが誘発するカウンターパートのトリプレットの歌い分けがアルトの諸君の身に付いているのも頼もしい限り。全音符以上に長さの振られたロングトーンは全曲で繰り返し要求されるのだが、これも雑作無く全てクリアしている。
曲集の転回点にあたる4曲目「真夜中のコンサート」は、子どもがオモチャにしている地雷を取りあげようとして手を失ったピアニストの青年の物語である。先述列記した特徴的なアイテムが大挙して盛り込まれている。両パートとソロがそれぞれメロディーを支えて数小節にもわたるボカリーズを泣ききったかと思うと、アダージョ程で4小節続く3部のロングトーンがリタルダンドの指定で引っぱられていたり(すっごくカッコイイですっ!)と少年たちは小さい身体でよく対処している。3拍子で始まり3拍子で終わるこの極めて感傷的なナンバーはおしなべてショパン的であり、全曲中にしばしば見られる連符やグリサンドなどの正体が何であったのか、団員らは静かに教えてくれている。組曲「地雷のあしあと」は、腕をなくした青年が「地雷無き未来のヒナゲシ咲き乱れる大地」を逍遥しつつ夢の中に奏でるショパン・ピアノ演奏会の曲集だったのである。テンメEプリモから流れ来るアルトのメインボーカルは、前曲「地雷をふんだ日」の後半冒頭に出現するアルト・ソロの超カッコいいヒロイックなボーカルとともに当夜の白眉にもなっていた。


IV. 少年たちは「ニュー・フレーベル」AB組の誕生を高らかに宣言する

インターミッション明けには今年も団長挨拶が設定されている。(株)フレーベル館社長さんのご挨拶。2011年の今年は被災地の放送局が「アンパンマンのマーチ」を流し続けたことに触れ、曲が会社の誇りでもあり喜びでもあると言明。アンコールナンバーに本曲を据えるむね予告してようやく3.11以降の合唱団のスタンスが公のものとなる。

パート3はAB組のステージ。タイミングは15分間で例年通り。A組2曲、B組込みで2曲、パートフィナーレ1曲の計5曲構成で、昨年減量したボリュームを堅持している。出来の良いステージだった。
今夜出演のS組団員の基本隊列が画然と成立したのは2008年の第48回定期演奏会のこのAB組ステージでのことだ。その年のB組は比較的仕上がりが良好で、現在S組アルト側前列で歌っている団員らは、全員その年の定演で活躍したB組団員が成長した3年後の姿である。推し量って今夜のB組の頼もしい歌いぶりを見ると楽しいわくわくするような予感を抱かずにはおられない。
ついこの春先まで、六義園の野外コンサートの客上げで「会場に来ている小さなお友だちは、僕たちと一緒に歌いましょう!」と声をかけられ、アルトのお兄さんたちに無理やり手を引かれ、しょっちゅうステージへと引っぱり出されていた弟クンたちがいる。今夜、そんな彼らがついにフレーベルのユニフォームを身にまとい、檜舞台へと上りつめた姿は愉快痛快、胸のすく光景だ。門前の小僧よろしくイチニンマエの顔つきで楽しそうに歌う彼らの晴れの姿。プログラムの最後へあるように、今年、合唱団は団員募集の対象年齢を従来の「3歳から12歳くらいまでの男の子」から「5歳から10歳くらいまでの男の子」に突如リデュースした。10歳側の上限はおそらく機動部隊の実態を反映したもので、5歳という下限の線引きは声作りやハンドルなど指導方針の表明と考えてさしつかえないだろう。プログラム文面に衝撃を受けた当日の定演リピーターたちの間でもこのことは当然話題にのぼる。ステージに並ぶB組の子どもらは、この新しい採用条件をクリアしてパスした新入団員なのだ。
ソロ・シュプレヒコール…結果的に優秀なメンバーのS組登用を助勢するかたちで打たれ、やや背伸びしたきらいもあった近年の本パートのプログラムだったが、今年は穏当なものへと回帰している。一方で、パートエンドに、「にじ」「世界中のこどもたちが」「さよならぼくたちのようちえん」等で就学前後期の子どもらに絶大な人気をほこる新沢としひこの「生きているそれだけで」を投入し、当夜の話題をさらった。比較的ヘビーなスロー・ナンバーだが、選曲は「ニュー・フレーベル」のAB組の誕生を高らかに宣言するものである。おそるべし新沢パワーの効果も無視できないが、選曲者は合唱団の子どもたちの歌をよく知っており、この場面への配置は非常に巧妙で手堅く上手に仕組まれている。


V. フレーベル少年合唱団、新しい世界へ

パート4は声高に宣言することをしていないが、実質は「震災と僕たち」を歌う会だった。ステージタイトルも「明日へ向かって」とうたわれている。フレーベルもFMも、東京に本拠を持つ2つのボーイソプラノの合唱団が定演にこうした視点を持ち込んで料理しているのは面白い。被災時すでに開催まで10日を切っていたTFBCの今年の定期演奏会にはバックボーンとしてもともとこの試みは存在していなかった。だが、1ヶ月遅れで演奏会を開催に持ち込んだTFBCは急遽開演MCを差し替え、各ステージへ巧みに復興への気概を盛り込んで客席に聞かせてみせた。フレーベル少年合唱団の51回定演が今回彼らなりの技能で扱ったのは、まくしたてるようなスローガンや悲嘆にくれた鎮魂の言葉の数々ではなく、分相応の穏やかな静かな力に満ちた楽しい合唱の数々だった。
ここ数年来の定演で繰り広げられて来た華やかな演出やチャレンジといったものは一切見られない。少年たちの歌のみで勝負しようというモア・ソング・レス・トークの質朴さやつつましさだけがこのステージを成立させている。この道はいつか来た道と昔からのファンは言うかもしれない。だが2011年の私たちはあの不愉快でおぞましい気の滅入るような震災後の日々を思わずにはおられない。むしろ現在の合唱団のこの姿を「逆戻り」ではなく、新しい世界への助走ととらえたいというのが聴衆の正直な希望だろう。「聞いてください!僕たちの定演は180度方向転換したんです!」と彼らは言っている。つまりここでは従来の定演プログラムのパート1に盛り込まれることの多かったタイプの合唱ナンバーが完全湯uで配されている。「新しい世界へ」「あしたのうた」「ひろい世界へ」「アメイジング・グレイス」「ユー・レイズ・ミー・アップ」「Believe」…。

合唱団の歌う「新しい世界へ」は2011年の晩春公開の演目の一つとして登場した。6月の六義園コンサートの2日目(最終日)、彼らはフォスター・ナンバーのキャッチとして「金髪のジェニー」を歌う段取りで2人のソリストをマイクスタンドの前にスタンバイさせていた。カルメン君らがソロ・マイクの前で居住まいを正し、今回の定演で「アメイジング…」のアルトソロを担当した団員くんがフォスターナンバーの曲名を列挙して踵を返す。先生は子どもたちを見渡して歌いだしのタイミングを待った。だが、流れてきたカラピアノの伴奏はアメリカ南部の歌とは似ても似つかない蹄鉄を打つようなリズミカルでアップテンモフワイルドなメロディーと、アーシーでエキセントリックな左手のランニング・ベースだった。団員たちは一瞬たじろいだが、すぐニヤリとしてはじかれたようにユニゾンの第一声を繰り出した!偶然にもカルメン君たちがマイクの前に立っていたことで、彼らのたわやかで透き通ったトップするボーイソプラノがストレートにコーラスをリードし、アウトプットのミスに気づいた観客も彼らの男の子らしいまっすぐな歌いこみにすぐさま引き込まれた。この最初の演唱をアルト側で担当したのはかろうじてメゾ系の団員を擁しアタマカズだけを揃えたという状況にいる数人の子どもたちだった。目前の矮小な身体から、あの「♪ぼくらは風…風…」にリードされる低声のフレーズが生乾きのまま骨太に鳴り響くのを聞いたとき、アルト贔屓な私は心中密かにガッツメ[ズを作り喜んだ。少年たちは、既に両手を広げるメ[ジングでコーダを処理している。これはフレーベルの新しい境地へのブレイクスルーを告げる偶然の小さなハプニングだった。「新しい世界へ」はこうして予告も事前曲紹介も無く聴衆の前に示された。
合唱団は2011年8月1日に横浜みなとみらい大ホールに於て開催の「ジュニア・コーラス大集合!~希望を歌声にのせて~」というファミリーコンサートへ参加している。『YOKOHAMAから、響け希望のメッセージ!』と銘打たれた少年少女合唱団の合同演奏会は、首都圏の児童合唱が2011年の今、どのような局面をむかえているのかを非常に分かりやすいカタチで示す興行だった。「男子の構成メンバーについては、非常にいびつな年齢構成」「曲想についてはメランコリックな、歌詞については朴訥だが観念的にすぎるナンバーの連発」「冒険が無く、穏当にまとめられた歌唱とこぎれいに揃った無味無臭の日本語」等々。最後に「あすという日が」を合同合唱して幕を閉じている。表立ったアピールは無いが復興支援のメッセージ性を担う演奏会なのである。フレーベル少年合唱団はこのコンサートで彼ららしい提言をしている。時代の趨勢に反し、「地雷告発」などというハードなテーマでコンサートを開演させていること。2011年6月の六義園コンサートでA組のみ解除していた終演のバウをこの演奏会では全てキャンセルしプレーンな挨拶に戻している(自分たちの出番を終えた時点で挨拶をした団体は他には無かった…)こと。出演団員氏名一覧の冒頭にソプラノ・メゾ・アルトの3チームから代表団員を一人ずつ挙げ、演奏中のMCをその順番で担当させていること(このときの「元気が出ました」君のMCはかなりカッコよかった)。夏の盛りであるのにもかかわらず、彼らは紺ベレー、イートンに紺ハイソという秋冬用の正装(タイは既に赤のボウタイに替わっている)での出演だった。このことから、合唱団が鎮魂と(他団体への)敬意の意思を持って演奏会に臨んだことがうかがえる。合唱曲から始まる前半をS組の童声部分三部14名という綱渡り的な員数でスタートさせ、最後半に等量のA組を流し込んで「アンパンマンのマーチ」などを歌っている。夏休み最中のお盆前の出演で、他団体のメンバー構成が「比較的力を入れて団員を揃えた」という印象であったのに対し、定演で活躍するようなコアのメンバーの顔ぶれが、レギュラーのアトラクション出演の際と同様、ほとんど揃っていなかったのが気になった。「新しい世界へ」はステージ前半「地雷のあしあと」の直後に歌われた。アルトにはメゾ系の上級生を何人か置いていたが、観客の目を奪ったのは小柄な豆ナレーター君の真剣な歌い姿だった。曲中に幾つか用意されている見せ場の一つは各パートの少年たちのハイライトであり、曲後半に顕れるゴスペル調のハンドクラップを伴ったアカペラ部分でもある。次世代の合唱団を担う団員たちの小さな堂々とした歌い姿は見モノだった。佳境部のアカペラに合わせすぐさま客席の手拍子が始まり、私は合唱団の歌うこの作品のパワーの大きさを思い知った。もう人々に「男の子は2つのことが同時に出来ない」とは言わせない。彼らは手拍子を高圧力で弾き出しながら、自分たちの歌にはブレを許していなかった。
定期演奏会当夜、彼らの歌う「新しい世界へ」はすでに『フレーベル少年合唱団の「新しい世界へ」』と仕上がっていた。錯綜したピッチや音価の歌い分け。男の子らしいヤッツケのフレージングとブレスの調整。頻出する7拍程度のロングトーン。男の子なりのダイナミクスの仕立てなど、ャCントは一通り順道に押さえられている。彼らは常に淡々といつの間にか仕事をこなしてしまう。一方、ヤマ場であえてインテンモ匇?オてボーイズライクに走らせるトリッキーなスピード感や、フレーズのトップ音を少年っぽい「さぐり」のテイストで鳴らしっ放しにし子どもらしい不器用さを仄めかすといった、「少年の歌声が大好き」な聴衆向けの仕鰍ッも撒き餌のごとくふんだんに用意されていて、全く飽きを感じさせない。8月の「ジュニア・コーラス大集合!」で目立っていたアルト過重のバランスの悪さには徹底的に手直しが加えられ、どの声部がメインのメロディーを担当しても歌詞が明確に際立って聞こえるようになった。鋭利なナイフのように下から切り込んでくるメゾの「♪今日からは自然といつも一緒」のフレーズなどメゾ系団員たちのニオイまで感じさせる歌い込み全開でたまらなくかっこいい!バルトークのピアノ練習曲のようにオクターブを「叩いて」ゆくピアノ伴奏は、一方で「涙をこえて」や「怪獣のバラード」「ともしびを高くかかげて」といったような懐かしい合唱ピアノのパーツの折衷形で、郷愁を感じさせ、聴衆を引きつけるものになっている。今後も何年か演奏会のレパートリーにしていって欲しい、「グリップ感」の期待できる曲である。


VI. 51回定期演奏会というのは誰のために開かれた催しだったか

宮本益光の同声合唱版「あしたのうた」は、フェミニンなイメージで冒頭からハーモニーが交錯する可憐なワルツ。前曲「新しい世界へ」とのコントラストが心憎く、さっぱりと清涼でいてメランコリックな印象。少年たちは彼ららしい声質をよく駆使してチャーミングに歌い込んでいる。ソプラノのコーダのがんばりやアルトのセーブの効いたおっとりとした絡みなどキュート感満載であるくせに、聞き終わってどこかほんのりと哀愁の残るフシギ・ステキな演奏だった。

「ひろい世界へ」は被災1ヶ月後には既に小ホールでリリースを開始している。メイン音程で「元気が出ました」君の声などがビビッドに立ち上がってくる。豆ナレーター君らの幼げであどけないイメージを少年っぽいキリリとした語調の中で歌いきらせる処理がアルト・ファンにはたまらない!爽やかな出来栄えだ。クールでいてなおかつ幼少年チックな鳴りを基調としたボカリーズも、パキンとトップで折り返すソプラノのサビもよく出来ている。さらに沢山の機会を設けてこれからももっと歌い込んで欲しい1曲と言えた。

続く「アメージング・グレイス」は、事前に「どうやら団員のソロが聞けるらしい」という情報が一般へと流出し、六義園コンサート最中にも曲紹介MCを聞きながらカルメン君が不覚にも(?!)ニヤリとしたのを決して見逃さなかった私たちは当夜、期待に胸はずませ定期演奏会へと足を運んだ。前述の通り2人の声で牽引する冒頭の二重唱が気品に満ち輝かしく美しく歌いあげられ、当日不覚にも(?!)ニヤリとさせられたのは客席にいた私たちの方だった。後味も品も良い彼ららしいソロの囀りは十分に納得のいくものだったが、演奏会をここまで堪能し、なんとなくスッキリとしない思いがつのったことも事実。今回なぜ団員ソロは一点豪華主義に走ってしまったのだろう?
どの団員がどういう声質を持っていて、それが合唱の中でいかなる構造を担い、どう響いてハーモニーを構築しているのか、観客にとっての唯一の判断基準はソロの歌声やMCの口調からようやく伺い知れるそれぞれの子ども各自の音色や発声のクセというところにしかない。だから児童合唱団の演奏会といっても、ボーイソプラノ特有の振幅を持った鳴りを扱う以上、ソロやMCを出来る限り客席に供して聞いてもらうことは大変有意義なことだと私は思うのだが…。男の子のソロの重用は客席への顔見世サービスということよりはむしろ資料提供という意味合いを強く持っているのである。(とは言え、今一番旬で美味しい時期を迎えているアンコール君や「元気が出ました」君の独唱をナマで聞くことができなかったのは痛恨の一撃に類する大ダメージであった…(悲) 2011年のバレエ「くるみ割り人形」は、アンコール君の出演した日としなかった日では、パワー的にもハーモニー的にも、あたかも別の合唱団が歌っているのかと思われるほど全くもって違う出来映えだった。)

アタッカ調に「アメージング・グレイス」から流れ来て、締めのナンバーは復興支援サッカーのBGMほかテレビCMでもおなじみの「ユー・レイズ・ミー・アップ」。全体的にフレーベル少年合唱団らしいメイン団員に頼った合唱にも聞こえるが、彼らなりの耳で合唱を聞きとりながら真剣にハーモニーを歌い定め積み重ねてゆく小学校中学年以下の少年たちの姿を見るのはなかなか心の保養にもなり良いものである。「この子にこんな大きな力が備わっていたなんて!」と保護者や担任でさえ驚いてしまったりするのかもしれない。波状的にクライマックスへと肉迫し、節度を保ちつつダイナミックな歌い上げを聞かせてくれた。曲がこの位置にすえられたことの妥当性がよくわかる出来映え。子どもたちの力やモラールを心底知りぬいた人が計画したステージであることはもはや明らかだ。

アンコール君のちょっとお兄さんぽく大成した声のクロージングMCをはさんでA組の流し込みがあり、「Believe」が歌われる。フレーベルチックな声質のカラーが子どもたちの体温とともにしっかり打ち出されてラスト2にふさわしい演奏だった。ピアノ伴奏は合唱編曲版そのままであくまでもゴージャスに。だが、低学年の子どもたちの歌っている「Believe」を日頃あまり耳にする機会もない聴衆にとって、たまさかこの生え揃わぬ邪気の抜けたひたすらな「うた」によってもたらされたものは、「もしや、51回定期演奏会というのはこの幼い団員らのために開かれた催しではなかったか?」という驚愕の真実だった。彼らの歌声の背後から、美しいカリヨンの音のS組団員たちのハーモニーが漏れ出るがごとく染み出して客席へと達する。会の実質的な構造を可視化する、フィナーレへと至る1曲である。

オーラスはピアノ・ブリッジをかましてB組部隊の追加をもたせ、終曲のニュー「アンパンマンのマーチ」へとつないでいる。今年はB組流し込みのBGMに定番の「アンパンマンマーチ」を使わず、「Believe」のインストを流用した。合唱団はこの日、ここに新しい編曲の「アンパンマンのマーチ」を用意する。伴奏の出だしの一音から華やかなトランスメ[ズが聴き取れる。ドラスティックでかなり攻撃的な演奏だ。AB組の子どもたちが「♪そうだ!嬉しいんだ!」と曲の頭から叫ぶがごとく歌い上げる。叫ばざるを得ないほど強烈に殊更ピッチ・アップされているのである。こうしたテコ入れの手法は、ドラマ「水戸黄門」が第42部のごく初期にオープニング主題歌へと施した色彩的な処理を彷彿とさせる。耳をすませば、上級生団員たちの美しいボーイソプラノが宝箱の中の天体のようにキラキラと光って息づいている。何よりもフレーベル少年合唱団・団歌のファンファーレを引用した前奏が誇らしげで実に心憎い。これは被災後全国で歌われた「アンパンマンのマーチ」ではなく、彼らだけのオリジナル編曲の「アンパンマンのマーチ」なのである。2011年6月29日、映画「それいけ!アンパンマンすくえ!ココリント奇跡の星」でリリースされたクライマックス・シーン(アンパンマンがジャムおじさんに新しい顔と勇気をもらい、哀ればいきんまんに反撃を仕鰍ッる場面)に挿入されている『ガンバレ!アンパンマン』というタイトルの付された「アンパンマンマーチ」のワントラックをフレーベル少年合唱団はレコーディングしなおしているらしいという情報が在る。サントラのインスト冒頭で映画のメインテーマのモチーフがセンス良くあしらわれている事実を知っていると、今回の「マーチ」選定の位置づけが明らかになる。それは同時に合唱団の舵輪が新たに切られたことを高らかに謳い上げる声明的なラストナンバーでもあった。

アンコールには「手のひらを太陽に」と、すぐる先生の音頭で「アンパンマンのマーチ」のリプリーズが用意された。フレーベル少年合唱団は3番まである珍しいフルバージョンの「手のひらを太陽に」を、2011年7月27日リリースのCDセット「生きているから歌うんだ」(「手のひらを太陽に」創作50周年記念限定3枚組CD)のためにレコーディングしている(今回演奏されたのは穏当な2番までの短縮バージョン)。アンコールの2曲は今年彼らが手がけた2つのレコーディングの仕事の簡素な営業報告なのである。団員の撤収に至るまで、客席には「ようちえんのおともだち」の勇姿を見に来たと思しき小さな少年たちが一斉に叫びあげるアイドルの名を呼ぶがごとき強く高くおびただしい嬌声で充たされた。彼らは知っている出演団員たちの名を声尽きる限り叫び続けているのである。かつて中学生たちが定演の命運をになっていたフレーベルを知る人々にとって、この衝撃の出来事は「フレーベル少年合唱団、何処へ行く?」の諦観にも似た想いだったろう。だが、明らかに言えることは、1990年前後数年間の終演の瞬間に「もう来年の定期演奏会は無いのかもしれない」と思われる時期すら在った私たちの大好きなフレーベル少年合唱団が、2011年の今もここにこうして元気に在り、多くの人々に望まれ、愛され続けているというまぎれもない事実だった。


VII. 定演各所にちりばめられた試行の意味

定式となりセレモニー化した「アンコールしてもいいですか?」の口上は現在もライブパフォーマンス中、アンコール君の代役団員たちの声で聞くことが出来る。こんなちょっとイヤミなセリフをお客様方がキャーキャー・ワーワーと感謝感激・大喜びのうえ拍手で大歓迎の意を表するのは、ひとえにアンコール君の人柄のなせる技なのだが、51回定演では行われなかった。
「アンコールしても…?」を割愛したのに対し、終演のバウは部分的に残している。今回は各列ごとの挨拶ではなく、各クラスごとの辞去+退出の3セット。B・A組には頭を下げるだけのお辞儀。S組のみバウが施されている。フレーベル少年合唱団は昨年の定演後、2011年の夏にかけて終礼のバウを全て取りやめていた時期があった。今回は部分的な復活なのである。このことから、51回定演で明らかにされたニュー・フレーベルへの試みは、過去数年間のすべてをご破算で否定しようとしているのではなく、子どもたちの身の丈に合った趣向で再構築していこうというスタンスによっていることがわかる。51回定演の上演時間増加のタネアカシは、どうやらこのへんの操作に在りそうだ。合唱団は12月に入ってからもライブステージのしめくくりをクラス毎に異なった挨拶を一斉にかける方式でトライしている。新しい試みへの模索は今現在もなお進行中なのである。

定演の各所にちりばめられた合唱団の試行はこの他にも枚挙に暇が無い。
トリフォニー定演のメダマの一つでもあったオルガンの使用は今回無し。長らく定演の檜舞台として在ったイイノ・ホールが時を同じくし11月に建て替えのかたちで竣工を遂げている。あるいは、このコンサートがトリフォニーでの合唱団最後の定演になるのかもしれないと私は思ったのだが、そんな今年にこの趣味のよい良心的な企画が姿を消したのはやはり残念だった。

当日の隊列の見映えはアルト側がフレーベルらしいマージンの置き方で美しく、センターをはさんだソプラノ側が比較的タイトに見えてアンバランスな印象を与えた。彼らはゲネプロの段階まで整列の調整を受けているはずなのだが、こうした現象がホンバンのステージに発生してしまうのは位置決めがシモ手側団員に念入りな一方、ソプラノ側の子どもたちに柔軟な対応を求め過ぎているからではなかろうか。アルト側の並びがフィックスすれば、それを基準にソプラノ団員たちも並ぶことができるだろう…というわけである。だが、大切なオープニングセクションのエンディングで比較的ステージ経験の豊富な団員がハケのタイミングを見誤るなどちょっとビックリするような光景を目の当たりにしてしまうと、カミ手側の子どもたちへの段取りの徹底がどの程度行われたのだろうと首を傾げざるを得ない。平日の午後に演奏会を開催する合唱団の事情もあってか念入りなリハーサルを繰り返しプローヴェする事ができないという彼らの泣き処も見え隠れし、ちょっと気の毒な感じもする。


VIII. 51回定演をめぐるS組アルトの在り方

ステージ上に団員一人一人の姿が見えてしまう歌の仕上がりは、子どもの合唱を評価するうえで明らかなマイナスャCントとして捉えられてきた。そういう歌は所詮子どもらの思い思いの好き勝手な声の寄せ集めであって、指導者の技量の低さを物語る根拠として今日でもなお信じ続けられている。また、15分間から最長でも1時間前後の露出しか無いステージ上の歌い姿だけを見て児童合唱団の団員ひとりひとりの持ち味を検分することは不可能に近い。だが、2008年前後の見え難い一時期を境にして、フレーベルはその常識を鮮やかに逆転させて見せた。
彼らはまずここ数年来ライブパフォーマンスへと単一チームで年間30ステージに及ぶ出演をこなしていた時期があった。平均して一年を通じ12日間に一度の出演という頻度である。それ以上にチーム全体のキャラクターがアルト部で特に際立って見えていたこと、団員一人一人の生き様がありのままステージ上にのっていた事がこのような見極めを可能にした。本定演の出来事ではないが、ステージ出演中、まぶたがどうしても重くて重くて堪らなく立ったまま意識が遠のくたった一人の小さな可愛い団員に、会場を埋めた観客が歌そっちのけで拍手までしてクギヅケになったことが幾度かあった。客席は大喜びである。現在のフレーベル少年合唱団は、そういう合唱団になったのだ。お客様方はもはや、団員を集団の構成要素や部品としては見ていない。フレーベルの子どもたち各自の歌い姿を心躍らせつつ眺め、合唱を胸の内で楽しく再構成し、心から幸せな気持ちになって演奏会場を後にしているのだ。(彼が歌いながら睡魔に襲われたのは、寒冷な雨に配慮した空調に対し当日のユニフォームがやや厚着だったからのように思われた…)

このコンサートをめぐるS組アルト・パートの在り方は2010年までの「フレーベル少年合唱団の花形声部」というステータスを返上し、本来あるべき「縁の下の力持ち」という実力も品格も頭脳も経験も問われる非常に困難の多い立ち位置へと復旧した。ソロの歌声を聞く事も無く、MCに至っては一人の配当も無い。四半世紀にわたりフレーベル・アルトの大ファンとして暮らして来た私にとってそれだけは少し寂しいことでもあった。彼らの先輩アルトが数十年前の往時、飾らぬ人懐こい愉快な少年らが集う頼もしいチームとしてあった事は先述した。だが、過ぎし日の団員たちは2011年の少年らに多くの過重で扱い難い置き土産など残してはいない。それが彼らの拘りのない気性の魅力であり、彼らの歌の当為そのものだったからであるように思う。そこで51回定演のステージに見たS組現役アルトらの姿をはかることで、フレーベル合唱団にとっての世界観がどのような展望を持ちうるのか明らかにしたうえで拙文の筆を置きたい。

当夜のセンター2段目で中心的な役を担っていた低声系の2人の団員たちのことは既に述べた。彼らはチームの中でもう何年もメゾソプラノに軸足を据えて来たのだが、ここ2年ほどはアルト側へのピンチヒッターとしての役割を持つに至り、現在は「メゾ・パートにも対応できるアルト」という位置についている。「アメージング・グレイス」のデュエットは彼の耳の優秀さを裏付けていたし、身体を味方に付けたコントロール力で魅せてもくれた。彼の右に立つ団員も「ソリスト」として十分な力を持っているが、(音域レンジのアビリティーはさておき)本来はカルメン君に近いメゾ寄りのボーイソプラノという位置でも十分実力を発揮できる団員のように思われる。2011年の彼が頻繁にアルト側のャWションに立つのは、「歌って誰かを支えたい」という少年の心根を先生方が静かに感謝しつつ汲んでいるからなのではないかと私は密かに思っている。ハートウォーミングでありながらも体格相応のまっすぐな素朴なボーイソプラノが魅力である。

2段目センターの彼らの右で歌うのは、「元気が出ました」君。本定演最大の個人的な悔恨と無念と究極の憤慨は彼のソロやMCが聞けなかったことだった。カルメンのトレアドレ役で披露した2011年フレーベル筆頭アルト・ソリストのあの超カッコいい歌声と姿をできるだけ多くの機会にできるだけ多くの人に聞いてもらいたいと思うのは人情というものだろう。ステージ上の彼の瞳の奥に息づくお茶目で「いたずらっ子」そうなおもむきが歌の方には全く滲出して来ないというのも彼の歌が持つオーラのなせる技だと思う。

彼の右隣に立つのはあの、北風小僧の寒太郎くんである!フルート形のシャンパングラスをシュッと擦って鳴らしたような彼のボーイアルト(声質的には少年らしいソプラノだと個人的には思うのだが…。少なくともMCでの話し方は王道のドラマティック・ボーイソプラノ系ド真ん中のものだ!)がアンサンブルの中でミルフィーユの透けた薄皮のごとく繊細に響き重なるのを耳にするたび、私は「少年合唱って、本当にイイなぁ」「フレーベルのアルトパートって最高にカッコいいなぁ」と心の底からわくわく元気になってしまうのである。もはや後列最右翼にも立つ高学年団員となり、諸所のステージに姿を見せる機会がめっきり減ってしまった寒太郎君へ心からたった一つのお願いがあるとすれば、それは彼の関わった合唱をもっと聞かせてほしかったし、これからも私たちに勇気を与え続ける歌を出来る限り長くたっぷりと歌い続けて欲しいという一言に尽きる。少なくとも、私自身が彼の歌から学んだ事は、計り知れないほど深く多く、貴重で満足のゆく物なのである。

「皆ィな様ァ、お待たせェ致しましたァ~。夢の国行きィ、発車いたしバす…」。現在のフレーベル少年合唱団にとって結節点のひとつとなった年…2008年リリースのCD『楽しい輪唱<カノン>』(キングKICG-247)と48回定演ステージでの衝撃のキャラクター・デビューからはや3年。人気者のあのプチ鉄君は今こうして寒太郎君の隣に立ち、すっかり上級生らしくなった頼もしい姿で歌っている。歌う姿を見るだけで人々が幸せな嬉しい気持ちにさせられるボーイアルトなど後にも先にも彼以外考えられない。そしてそれは「歌っている少年を見せる」ということだけで人々の心を十分潤して足りるという、私たちの少年合唱の原点へと立ち戻る画期的な出来事の端緒だった。「少年合唱は教育である」「少年合唱は件p的陶冶である」「少年合唱は美の超克である」「少年合唱は宗教である」「少年合唱は精神のクロニクルである」「少年合唱は社会文化事業である」「少年合唱は…」…健康で円満そうで不敵な面構えのプチ鉄くんの登場は、私たちの脆弱な少年合唱の筐体へ綿埃のようにわんさかまとわりついていたすべてのものどもとの訣別へのあきらかな足がかりとなった。彼が合唱団にとってどうしても必要な、大切なかけがえのない団員であったことは、もはやここであらためて述べるまでもないことである。

プチ鉄くんの右にしっかりと立ち位置をキメているのは、アルト・エッジでおなじみのあの団員くんである。フレーベルの高学年団員の隊列ャWションはきわめて流動的で見定め難く、ホンバン中の息子の写真を撮ろうとカメラを構えた団員保護者にも撮影ャCントが予見できないであろうほど徹底して並び順がシャッフルされる。ゲネプロでセンター団員のバミ位置を決めてやったら、ホンバンでは全く違う順番で子どもが並んでいた…というステージスタッフの悲鳴にも似た述懐を教えてもらったことがある。長期欠席でもしないかぎり、隊列の並び順が変わるということは殆ど起こらない都内の他の少年合唱団(テレビ収録の場合のみテレビ写りの良い子(美男子という意味ではない)がカメラ位置のセンターに来るよう直前にそっと入れ換えられる)とは異なり、彼らの配置は公演毎頻繁に動いている。だが、例外的にここ数年間、アルト右上のエッジに立ち続けている団員がいる。このャWションは数年前にドンホセ君などがやはり目まぐるしく交替を繰り返していたのだが、結局彼が角位置を占めるようになって落ち着いた。こうして今、私は開演時に彼がここへ立ち刹那のブレスを整える姿を認めると常に「ホッ」と安堵するまでになった。彼もまた、私たちリピーター観客にとって合唱団アルトの定位置に居て歌い続けていてほしい、闇夜を照らす灯台のような大切な大好きな団員なのである。

アルト・エッジ君の前に立ち、低声一列目の最カミ手をつとめるのは今回もこの彼だ。昨年も偶然同じ位置にいて、真後ろにちょうどスーパーナレーター君がスタンバイしていた。二人の組み合わせの構図は「ヤバい」ぐらいカッコ良かった。私の記憶が正しければ、彼はこのステージに既に8年間も登場し続けている。日本国内の少年のみの児童合唱団の現役小学生ボーイアルトの中でも8年選手という子どもは彼以外には殆ど存在しないはずである。学齢期の少年が人と合わせ、人に聞かせる歌だけのために5年超のスパンで自分の時間を捻出することの厳しさは、どこの少年合唱団であってもOBであれば身にしみてわかることだろう。彼は声の素材自体もカッコよく、MCにも魅力が溢れ、彼が51回定演の下段アルトのエッジに居た事の合理性は十分に頷ける。

彼の左隣にいるのは注目のボーイアルトである。かつて、この団員がB組ソプラノ側の隊列に胸を張り、ジルコンの両目をキラキラと輝かせながら怒鳴るがごとく歌っていたとき、彼の面貌は空を見上げるように晴れやかだった。やがて客席の私たちの目にも見えるほどあしざまな段階を踏み、彼が指揮者の前をソプラノからメゾ、メゾからアルトへと横滑りに配置転換されてゆくにしたがって、両目の輝きや開いた口の大きさは次第に変わっていった。彼が長い旅路の果てに低声の右端へとたどりついたとき、空ふりあおぐ勇敢でワイルドな歌声はもはや客席に聞こえてはいなった。わが世の春と群れたアルト側の上級生たちから本番中も鍛え抜かれ耐えしのんで彼は今、ここにある。「きみが頑張るなら、私たちも負けない」と、彼の立ち姿から今、観客が貰うのはただ勇気と力である。市井の人々がこんないじらしい小さな少年を前にそれでもなお、「少年合唱は精神的陶冶である」と強硬に説き続けようとするのであれば、そこに適う最も勇敢な児童の一人として、私は小さな体で真の勇気を体現する彼の歌い姿を真っ先に推したい。

前列アルトの左から3番目に控えるのは豆ナレーター君。豆ナレーター君の「ナレーター」たるゆえん。…かつて幼い彼が数年のB組団員であった日々、MCマイクの前に立つ颯爽としたお兄ちゃんらの背後の隊列で同じMC原稿を小さな声、小さな唇で違わず唱えている姿を私たちはどのステージにも見た。それは、実に素晴らしい光明のひとときだった。いじらしい、ひたすらなその姿をたくさんの観客が目撃していただろう。彼はこうして今、フレーベル・アルトの高いベンチマークとしてここにある。日の光のような彼の歌い姿を楽しみに演奏会へ足を運ぶ観客もおそらく現実に存在していることだろう。もうあと何年か後の近い未来にアルトパートを颯爽と率いて歌っているのは間違いなく彼らなのだろう。

豆ナレーター君の左に立つのは2011年現役S組アルトの中で最も小柄な団員くんだ。どこかウェービーな独特のヘアスタイルや一目で彼と判る表情を持つ色白の彼だが、自然体の彼がうっとりするような良い姿勢を保ってステージに臨んでいることは客席の私たちも見落としがちである。背丈から立ち位置が平均して指揮者の先生方の前に来る事も多く、今年度は特に目前へしばしば上背のある後輩A組の隊列がインサートされてしまうので、個人的な彼のファンたちは人影に隠れて見え難くなってしまうその歌い姿にきっといつももどかしく切歯扼腕してきたことだろう。骨格や表情通りのヒューマンな声を持ち味にしたイチオシのボーイアルトである。

当日、彼の左のアルト前列角から5番目にいるのは、きっと合唱団を代表するカッコかわいいメガ美男子くん。だが、ステージ出演中の彼の歌い姿は、容姿の外見ではなく逆にむしろ「少年合唱団員である」という存在論的な視点で見るにふさわしい。彼が歌う様はメガ美男ゆえほぼ全ての聴衆の目に入りやすいものだが、私たちがそこから受け取るメッセージは「少年合唱団員とは何であるか」という一言につきる。ともに歌う周囲の団員たちの音楽を見極めようとし、目前に肩を並べた下級生団員らの挙動へ常に気を配っている。彼がその「少年合唱団員とは」の問いかけを自身にも厳しく課し続けていることは、いつも例外無くさっぱりと整った身繕いや美しい立ち居振る舞いなどを見てもあきらかだ。

最後に私が2011年のフレーベル少年合唱団で一番好きな団員くんの紹介ができることを嬉しく思う。彼のアルトでのャWションはソプラノ(メゾ)との境界に当てられることが多く、51回定演のステージでも前列アルトかみ手から6人目の最も中央寄りで歌っていた。比較的立ち位置の安定しているボーイアルトである。声は外見通りの微かな木管系のテイストを持っている。日本人少年合唱団員の例外にもれず、本番中は眉間に皺を寄せたようなしかめっ面のまま歌っている彼も、歌の端々からは温厚で愉快で楽しいステキな男の子の日常を爽やかな息づかいとともに確実に伝えて来る。少年らしい快活な日々や、夢や涙や学びやガンバリの諸相が歌声を通じて鮮やかに再現される。そういう意味で真摯な歌を彼は歌っているのである。現在のフレーベルの団員には珍しいスィンギーな演唱。退屈な演奏には自ら歌いつつ遠慮なくあくびをかみ殺す。色白少年ゆえの上気した紅顔やピンチに追い込まれたときの顔色など実に少年っぽく、見ているだけでもう元気めらめらだ。
「どこにでもいそうな普通の男の子」が天使の歌声とも例えられる少年合唱団の団員として歌うことの良さ、楽しさ、醍醐味を観客は彼の姿から味わうことができる。小学生の男の子らが様々な困苦を乗り越えて人々に歌を聴かせようと頑張っている。先生方や団員保護者やOB集団といった大人たちが真剣に彼らを見守り、歌がうまくいくよう祈り続けている。貴重で尊い合唱なのである。だとすれば私は先ず人々をシアワセな気持ちにしてくれる、彼の歌のような合唱をいつまでもいつまでも聞いていたいと思うのだった。