フレーベル少年合唱団は何を歌ったか~2019年秋から2020年春

2020-12-15 12:00:00 | コンサート



フレーベル少年合唱団--ぼくらの演奏会から(キングレコードSKK(H)-284)
一見して団員たち全員がソックスを軽いダブル履きにしているのは、70年代初頭に到るまで、東京の男子小学生は通常、靴下やストッキングの履き口にガーター(パンツのゴムなどで代用した)を入れてとめ、履き口を折って隠しておく必要があったため。これは正しくフォーマルな装着法と考えられていた。


「TFBCは特筆すべき評価として多くのソリストを育ててきた」というもの言いが最近ネット上にしばしば登場する。フレーベル少年合唱団がその来歴として早稲田グリーに依って立ち、育てあげられたものであり、現在は栗友に近いポジションにいる生粋の「合唱する少年たち」であるのに比べ、VBCやTFBCは60年代を終える頃は既に二期会や東京室内歌劇場といった、「オペラやリサイタルへの出演をする声楽家の団体」と深い関係にあった(彼らの練習場が一時、二期会会館や新宿駅周辺にあって、結局それがKDDビル31階のエフエム東京につながったのはこのためである)。VBCの少年たちはチャンバー・オペラや華やかなグランド・オペラの「男の子の役」の童声を担当できるソリストとしても、大人のテナーやバリトンが一人一人カッコイイ持ち味で聴衆を楽しませるのと同じように、子供の個性を十二分に生かすボイトレがすべての団員に対し丁寧に繰り返し施されていた。団員はオペラ子役としても活躍できることを期待され育成されていたのである。一般の児童合唱団ではおそらく全く評価されないであろう特異な持ち味の多くの団員たちがむしろ重用され、先生方も「すっごくイイ声なんだけど(合唱と)音が合わないのよ」「音が落ちるんだけど、かっこいい声でしょ?」「あの子はアルトとしてやる気がないんだけど、すごくいい響きの声でね…」「二枚目がやっぱり良いわー」などと、合唱向きではないことは百も承知で一人一人を丹念に歌い手として育て、確信を持って表舞台で歌わせていた(その中には成人して音楽をなりわいとしている団員たちが何人もいる)。早大グリーから出発してアマチュア合唱を極めようとしてきたフレーベル少年合唱団と、ボーイソプラノの集合団体としても在ったVBC・TFBCでは団体の出演歴や陶冶の方向性を単純に比較することができない。
なぜ、こういうことを冒頭に述べたかというと、私は毎年ここで、何人かの特定のフレーベル団員をめぐって舞台上に目撃した事柄や思いを書いたが、アマチュア合唱団であろうとするフレーベルについても、そうした迫り方で話をしていく方が、実は彼らの合唱の魅力や特長をビビッドに述べることができると確信しているからだ。雑駁でピッチも合いにくい日本の男の子の合唱について、合唱の出来を仔細に語ってみてもろくな結論は出てこないだろう。だが、CD『にじ』の重唱ならば、デビュー後発で変声までを彼らしい真直ぐさでチャーミングに駆け抜けた環ちゃんの猪突猛進ぶりと、黒い軍団を束ね弱きに優しく強きをくじいて結局最後は強きにも優しい鶴岡君のデリシャスな声質を、根っからの高評価で信頼のバイプレーヤー伊澤君がやじろべえのようにそっと支えるあの年のフレーベルにしか創りえない構造…といったら、この歌の導く「人間の本質」を突く深い旨味が分かるだろう(何言ってるのだろう??)。
だが、私が決して忘れてはならないと自身を戒め、現に今現在も私の心の内にあることは以下の通りである。制服をかかえ、家から出ようとするフレーベルのS組団員をつかまえて、「きみはこれから何をしに行くの?」と尋ねたときの答えはおそらく十中八九「仕事です。仕事に行きます。」ではあるが、「誰が歌うの?」と問うたときの即答は「僕たちみんなです。フレーベル少年合唱団です。」でしかありえないのだ。

A組
大人気者のA組である。 
彼らは2019年度のクリスマスも東京メトロ後楽園駅のメトロ・エムでレギュラー尺の駅頭コンサートを打った(2019年12月21日(土)17:00~)。だがしかし超人気者のA組のこと、コンサート開演前から主催者側の想定を遥かに凌駕する数の、彼ら目当ての観客の人垣が膨れ上がったままビル・エントランスを完全(!)にふさぐ騒ぎとなり、ステージへの進入路を断たれた団員たちが地下鉄丸ノ内線改札口のエレベーターに分乗してステージに送り込まれるという空前絶後の事態へと発展した。 コンサートが始まってしまえば、イートンの制服に可愛いマフラーを巻きサンタ帽をかぶっただけのちっこい彼らが、なぜこんな観客動員力を持っているのか。周囲の人々にも皆目見当がつかなかったに違いない。恐るべしA組である。
そこで、厳密には同じメンバー構成ではないが、昨定演に於けるA組の姿を回顧して、その秘密を解き明かしていきたいと思う。
昨定演のA組は堅実な歌うたいの印象がある雨降り熊の子くんやアンパンチ君たちを始めとする上位学年のグループと、きらきらイケイケの「竹友軍団」と、「フレーベル少年合唱団のアルトにはルックスが良くないと配属されない(噂?)」セミプロなアルト・チーム(これがまたステージでは全員モノスゴくカッコいいんだよ!キャー!←個人の感想です)という鉄壁の体制で、「これじゃぁ、完全大人気なワケだわ」と結局私たちは予定調和のような彼らの歌い姿にちょっと嫉妬を覚えたほどだった。「竹友軍団」はB組からの堅実な上進メンバーに直A配属のチャーミングな少年を加えた新しいチームで見ても聞いても元気がもらえ、一方そこに至るまで合唱団を後にした団員たちもS組同様何人もいて、S組に上がってからも苦労した子を含めどの子も綺麗で澄んだ声をしていたのがとても惜しい。
57回定演での、ある少年のショーアップは「隠し球」のようなインパクトを客席に与えた。私は定演当日の客席の状態を「バイキンマンが空の高みに目を回しながら飛んでいくあの状態である」と記している。小さい身体で落ち着いた(魅力的な幼さが共存する)ブレスを繰り、低学年の段階で中声域のビブラートがつきはじめた。昨定演では、その声を生かしMCをプチ演出付きでお池の金魚くんとキュートに掛け合い、客席のA組ファンをニコちゃんマークへ導いている。エンタテイナーでもあるのだ。だが、彼のカッコよさの神髄は実は全くちがうところにもある。地方の国立大学付属小の子が着ているようなちょっとお高そうなワイシャツを纏っている。殆どの観客にはハッキリ見えている事実だが言われなければ気付かない。ベレーからほんのチョットのぞく髪がよく手入れされている。お家のかたがとても気を付けて彼を送り出しているのだ。私たちが彼に対して抱くイメージは「歌への誠意があり実力のある子」だが、彼の魅力はそれとは違うところにも厳然と存在しているのだ。同じことは他の団員にも見られる。お池の金魚くんが出てくるとパッツンマッシュで色白、お目々ぱっちりのルックスに観客の目は行く。だが彼の一番の魅力は手を後ろに組む姿勢が無くなり、アンパンチ君同様、両手が解放されてハッキリするようになった。彼のカッコイイのは一挙手一投足のしぐさ。ただ、気をつけで立っているだけ、無意識に普通に歌っているだけでもポージングがばっちりキマってカッコいい。しかも、それがバレエや舞踊、ダンス、ステージなどエスタブリッシュな芸能から導かれたものではなく、徹底した彼の自然な立ち姿なのだ。昨年度のA組はそうした多くの多彩な団員たちの表に見えてはいてもさりげない隠れた魅力が超満載のチームだった。
Webの画像エンジンで無作為に「フレーベル少年合唱団」とひくと、検索結果の上位に小児がん患者のためのチャリティー公演「ごえんなこんさぁと」(2019年9月29日第一生命ホール)の写真がしばしば登場する。上進組も含め『パプリカ』を演唱するSA混成のチームを写したものだが、よくもこのメンバーを一つの画角に捉えたものだとちょっとビックリさせられる。驚愕である。プロのカメラマンの目を引く魅力が、やはりこの子たちの歌には明らかにあるのだろうと思わずにはいられない。
昨定演のインターミッション・サプライズでS組が先導した『パプリカ』(Nコン合唱バージョン)を例年出演の「第7回下町ジュニアコーラスフェスティバル」に今春(2月15日 かつしかシンフォニーヒルズ)クラス単独参加し最終ステージで披露したのはA組だった。このパフォーマンスは各団の事前の打ち合わせや摺り寄せが殆どできているようには見えないもので(「身振り手振りとか、-中略― そこにあんまり染まってない子どもたちのほうが、美しく魅力的に見えた」と米津玄師はFoorin抜擢の理由をインタビューに応えて言っている:マイナビニュース 2018/08/15)、中高生もいる他団のメンバーに比べ圧倒的に小さくて幼い感じのする彼らは、それでも他の合唱団のダンシングが見劣りのするものに感じられたりしないよう昨年披露した上手な歌い踊りを見るからにセーブして見せていた。他団をひきたてるため懸命に自制している姿がいじらしく、客席の私たちはまたそこに歌う小さな男の子たちのチャーミングさを感じたのである。
フレーベル少年合唱団のA組は来歴として他団の下位チーム(TFBCの予科やグロリアのB組など)とはやや異なるものを持っている。かつてフレーベルの団員は全員A組とB組に振り分けられていた。団員が4年生ぐらいになると一般にA組へ上進し中学2年まで在籍する。団員の最終ステータスは仲間たちとA組の肩書を背負って歌うことだった。だが、1990年代になって、各組内から選抜した団員を「〇組セレクト」といった名称でステージにのせるという慣行が発生。A組の場合、これが今世紀に入ってから「A組セレクト」という呼称で常態化し、のちに「セレクト組」を経て2011年から現在の「S組」となった。だから古くから団を知っている者の印象はあくまでも「フレーベルのメインクラスはA組で、Sはそのセレクトチーム」なのである。一方、一時ABCJの4クラスを擁したフレーベルでは、3年生メインのB組を敢えて合唱団「イチオシ」のチームとしてステージに送り込んだり、所属クラスにこだわらず来る者来たれで出演クルーを募集したり、歌の出来の良さや所属学年を無視し、あえて統率力のある団員を下位クラスに残したりといった組織力重視の配員も存在した。
後楽園駅メトロ・エムのエンタランスを、ニコニコの観客の人垣で塞いだ今日のA組に感じるものは、そのような圧倒的な魅力だ。そこには「A組は、S組の下位クラス」といった劣等や序列は殆ど感じられない。筆者は「フレーベルのA組は日本一の少年合唱チームだ」とまでは言わないにしても、「現在、日本の少年合唱団の低学年チームとしては、質朴さを兼ね備え各自のキャラが全開な日本一の集団エンターテイナーである」ことは認めざるを得ない。指導陣もおそらくそれを十分承知の上でギリギリまで彼らを指導で追いつめ、あとは「もっとやっちゃえ!」と確信犯的に歌わせている。そして客席の私たちはその策略にまんまとド嵌りし、「あー!面白かっタ!あいつら、小さいくせに、ほんとガンバってるよなー。」と心の満腹感にお腹をさすりながら劇場を後にするのである。


ユニフォームについて
冒頭のジャケット写真説明で書いた。一般にフォーマルで格式があるものと考えられていたダブル履きは20世紀の終わりまでスポーツや各種少年団のユニフォームへ形だけ残っていた。これはごく一例で、かつてのフレーベルの制服のディテールは、たとえ闊達でじっとしていない男の子であっても、ステージで照明を浴びている間だけは礼を失しない姿をしていて欲しいという、合唱団を見守る人々の願いを具現していたような気がする。
合唱団は10年ほど前までの一時期、非常にかさのある中折帽を演出ステージにタキシードと組み合わせる形で着帽していた。一方、ベレーは食卓や葬儀中でない限り室内でかぶっていてもマナー違反とはみなされない場合が多い。LSOTもVBCもフレーベルもHBCGや呉も男の子だけの合唱団はかつてベレーを着用していた。これは男の子の髪が殆ど手入れされておらずめしゃめしゃで見苦しいことに対する目隠しや遮蔽を目的に制定されていたアイテムのようにも思える(北九州や旧津山ではセーラー帽をあてている)。上着については現在と同じラペルの無い、青いシャンクボタン・愛らしい底丸のパッチポケットを付けたマリンブルーの3つボタン・シングルイートンだが、組み合わせている白いシャツはトライアングル衿の開襟で、スリーブもしっかりとしたブランドオリジナルだった。これはジャケットの下に半袖を着るのがビジネススーツではなくてもマナー違反だからだ。袖口からシャツが覗いていなくてはいけないという(冒頭のレコードジャケットの団員達も白い袖口の覗いている子が目立つ)。半袖だけを着用する場合は現在の団員達のようにサスペンダーをするか、ベルトをしめていなくてはいけないというマナーの縛りもある。1950年代後半、すぐに成長してサイズアウトすることが前提の子供の服にもまだ「正装」という概念が色濃く残っていたようだ。
フレーベル少年合唱団のオリジナルの制服からは礼儀正しさ以外にも周囲の人々が寄せた「美しく歌う人であれ」の思いがいくつも感じられる。その一つはグレーの半ズボンの機能デザインだ。筆者はかつて彼らの姿をしてだぶだぶ半ズボンと書いていた。活発な男の子の足さばきが良くなるようにという親心からひかれた型紙なのだろうと思う。しかし、彼らがステージに上がり、両足を肩幅に広げ、手を後ろに組んだとたん、そのシルエットは一変する。組んだ幼い手が腰部を押し、開いていたはずのズボンのすそは一瞬にして適度に締まり(正確に言うと、裾の開きが背中側へ移動するため)精悍な姿に転じる。一人一人の姿は貧弱でも、何十人と揃ってステージライトに照らされたときのインパクトは絶大だ。かつての制服をデザインした方は、彼らのステージでのふるまい一挙手一投足をすべて熟知して意匠を組みなおしたにちがいない。
現在のユニフォームがお披露目されるより以前、合唱団は団歌『ぼくらの歌』の前奏が鳴り始めると同時に緞帳をあげて歌い出す演出スタイルを堅持し定期演奏会をスタートさせていた。ご家族や親戚、学校の先生方や会社の皆さんは少年たちが遊びたいのを我慢して練習に通い続け、この日を迎えたことをよく知っている。現在もそれは同じだが、そんな思いで胸元を押さえ「しっかり歌え!」と前のめりで祈る聴衆の前には客調が落ちたあと、重く硬い緞帳が夜の帳のように下りている。団歌の前奏がファンファーレのごとく聞こえてくる。幕の下端が動く。ピアノの音が次第に明るく輝かしくハッキリと聞こえてくる。漏れ出てくる燦然のステージ照明。団員達の黒い短靴のつま先がわずかに見えて光った刹那、真っ白いソックス、ペールオレンジの両腿、ライトグレーの半パンツ、そしてマリンブルーのジャケットとベレーを阿弥陀かぶりにした真摯な少年たちの面差しが、まるでグラデーションを解放するかのように下からダイヤモンド色、ピュアホワイト、金、銀、紺碧、ネイビーへと段階をふんで次々立ち上がってくる。色彩設計されているのである。そして彼らの全姿が全光の中へ浮かび上がったとたん、歌声が明るくひたすらに客席の人々の胸元へ到達する…

 ぼくらのうたよ (ぼくらのうたよ)

子供たちに愛と勇気と夢を売る会社で考えられた、おそろしいほど劇的で圧巻の開幕演出である。毎年のことだが、客席の人々はこの瞬間「わーっ!」「まぶしい!きれいだ。」「すばらしい!」と思わずときめいたことだろう。かつてのフレーベルの制服は、この瞬間のため周到に企画され、デザインされたゴージャスな輝度の高い演出の一部ではなかったのかと筆者は思っている。制服が現在のものに変わってから、合唱団は定演冒頭で上記に代わるサプライズを手を変え品を変え様々に打っていた。だがその一つとして旧制服を陵駕できたものは無いように感じる*。

子供の体位向上とともに、既製品の衣料は標準サイズと生産ラインの見直しがはかられる。ほぼすべての制服アイテムがレディメードである現在のフレーベルの場合、今後2-3年のうちに隊列全体のシルエットはおそらく変動することになるだろう。

*毎年のようにここで話題にしている定演ステージの箱馬の高さだが、かつてはちょうど平均的なA組(現S組)団員たちのソックス丈へ揃うように1段目から積まれていた。このことでビジュアルは一見して安定し、客席は歌に集中することができていたように思える。


セントポール君は、何故「will shine tonight」なのか
筆者出身学院の後輩で、毎ステージ完全な身びいき(?)にまかせ歌い姿を見ているセントポール君である。
彼のステージデビューの姿は実に印象が悪かった。B組ステージでは滅多に見ることのできない仏頂面。団員の不出来にあまり興味の無い私が覚えているほどだから、彼の不機嫌そうな顔は度を越していたのだろう。だが2020年の今、ステージでの彼の表情は、デビュー時の印象を微塵も残していない。ステージの表情だけを見て、その子どもの団員人生を決して判断してはいけないことを彼は私に教えてくれる。現役SA組メンバーの中で多分一番表情が良く、楽し気に、春の訪れとばかり歌い囀っているのが現在のセントポール君だ。そのマジックと秘訣は何であろう。ソロの記録映像として残っている初期のものは2016年12月8日収録のアニマックスのクリスマス「アニメクリスマス・メドレー:デジモンアドベンチャー02~天使の祈り」。最近の声質は下方域にチャームを持った明るいメゾ。男の子の気品が漂いキュートだが鼻腔の抜けに特徴があってハードなはちみつドロップというイメージの声である。その歌い姿が本領を発揮したのは2月のオペラ、『カルメン』だった。 文京シビック区民オペラでの子役のオンステージは『カルメン』でも衛兵交代から幕切れ、カーテンコールまで全編にわたりタップリ潤沢なのがうれしい。セントポール君も、オフホワイトにまとめた衣装が舞台照明に映え、役柄通りの元気なちびギャングっぽい表情やコミカルな演唱が爽快で楽しく、聴衆の耳目を喜ばせた。このときのプログラム冊子には少年合唱団の練習風景やプローヴェ時の記念写真が何枚か掲載されている。だが、彼の姿はたった1枚。学校の制服のまま、端っこへコメ粒ほどに小さく写っているに過ぎない。彼に限らず、この合唱団に限らず、国私立通団組の子供たちの日々のレッスン時間のやりくりの苦労は、いかばかりのものであろう。ステージ上の表情からは全く想像できない苦労や忍耐を要する処遇と彼らは毎日のように戦いながら歌っているのに違いない。だから、私は彼が『カルメン』のステージであんなにも輝いていたのを(本人の努力や持ち味は当然だが)周囲の方々からのすばらしい賜り物としてありがたく受け取ったのである。
ステージがスタートする刹那、多くの団員らは客席を一瞥して安堵の表情を見せる。比してセントポール君の場合、微笑みはステージを通じ不断に繰り出され、止むことはない。客席のどこかに彼をそうさせている人が必ず存在するのだ。あたかも月や惑星が恒星の光を受けて輝きわたるように、セントポール君は客席に必ず内在するいずこかの光源の光を受けて、ステージの間じゅう、観客の眼を射るようにキラキラ光り輝いている。満天の星と青銀の月の光が夜道を歩む私たちをいかに守り、前を向かせ、安堵させもするか、…人里離れた山奥や絶海の孤島で何年か過ごした経験のある人間であればごく当たり前のこととして落涙するほど切実に理解できるだろう。だから、セントポールくんは、「shines toDAY」ではないのだ。セントポール「will shine tonight」なのだ!彼の歌声は、客席にいるどなたかが私たちに届けてくださった、夜目のおぼつかぬ足元を照らす安心のかけがえのないプレゼントなのだ!
しかし、この発光原理はセントポールくんだけにしか持てない特権などではない…フレーベル少年合唱団を現在、こんなにも光り輝く素敵な少年合唱団に止揚してくれている根本の莫大なシステムは、客席で団員らを見守り、心からの慈愛や応援の気持ちで真剣に彼らの歌を聞いている雑多な年齢層の多くの様々な人々が少年たちに投げている光(これはアレゴリーだ)なのではないかと私は真剣に思い始めている。



『星の王子さま プチ★プランス」(マスター収録=キャニオン CX-43) は2018年12月19日に、デジタル変換されたものが阿久悠の記念CD収録曲として満を持し40年5ヶ月ぶりにリリースされた。3分45秒近くもある尺長のフルバージョン(デジタル化されたものには冒頭の「この物語を…」というナレーションが入っていない)。フレーベル少年合唱団を代表すると言っても過言ではないこの録音のクオリティは様々な意味で非常に高く、団員本人・合唱団マネジメントスタッフ・レコーディングとリリースサイドのスタッフ全員が「良いものを全国の人に届けよう」と邁進していたことが音溝から痛烈に伝わってくるパワフルな作品である。ローアングル・ローポジション寄りに鳴る安心安定感のある団員の担当レンジをコンソール側のプロの手腕でダイナミックに聞かせようと果敢に試みる美しい作為にまずびっくりさせられる。中学2年生(14歳)までの現役A組所属がデフォルトであった当時のフレーベル少年合唱団だから為すことのできた仕事と言える。団員のあらゆる音楽生活の経験と育成と日常指導の質の高さが伺える、1978年7月のリリース以来日本の少年合唱団の歌唱頂点の一つに君臨する仕事である。一所懸命に歌おうとする冒頭から、次第に集中が緩んで本来の子供らしい声質が浸潤する後半まで、少年らしいまっすぐさがストレートに出ている至高の商品録音である。薔薇の頬をした作中の王子さまは両耳の後ろに小さなクリームパンのような掌を広げ笑いながら言うのだろう…「ね?本当に大切なことは目に見えたりなんかしなかったでしょ?」日本人総ショタコン化計画とも呼ぶべき過激さ、燦然たる輝きを放つ記念碑的作品である。
18年にリリースが可能になったのはおそらく関係各位の了承があってのことだろう。僭越ながら感謝の意と敬意の念を全フレーベル少年合唱団ファンになり代わり最大限に奉ずる。


としまえんコンサート
かつて「史上最低の遊園地…来るんじゃなかった!!…楽しくもないし、夢もない。おんぼろ木馬(エルドラド)」と新聞一面広告を打っていた、あのとしまえんである。コピーは以下のように続く。「つまらない乗り物をたくさん用意して、二度と来ない貴方を、心からお待ちしてます」
バブル最盛期、泣く子も黙る西武SAISONグループを代表するアミューズメントパークとして大ウソの広告までを打つ大隆盛を誇ったとしまえん。その真っただ中の来園者世代だった筆者も、若い男女入り乱れて午前中からビール(大)をあおり絶叫マシーンに乗りまくって気持ち悪くなったり、オートスクーターを天井から火花散らして誰かの車へ故意に大激突させたり、お化け屋敷でフライング・パイレーツさながらに大絶叫したり、プールサイドでマッチョポーズとったりと痴態に類する思い出は枚挙にいとまがない。お洋服を着ていない宮沢りえの出てこないサンタフェの扉の実物も見たし…。かつての日々、としまえんは少年合唱団の野外演奏会とはおよそ一切無縁で絶対に相容れない騒然とした酒池肉林の熱狂の乱痴気カオス地帯だったのだ。
東映Vシネマのホラー映画が撮られるほどウソのように寂れてしまったとしまえんにフレーベル少年合唱団はここ数年、毎年出演した。午前午後と野外マチネ30分間営業2本に、SAB全クラスが動員され、公開の記念撮影会有りという、極めてゴージャスなライブパフォーマンスである。だがしかし、としまえんコンサートは私たち聴衆にとってもフレーベルの多くを学ぶことができる絶好の機会だった。9月以降の秋口に打たれることが多い企画で、定演後はじめての公演という位置づけから新年度の団員構成(上進・リーダー団員・新しい隊列の並び順・合唱のトーンの変化)があきらかにされた。また、3つのクラスが入れ替わりオンステージすることになるので、歌っていないクラスがスカイトレインやミニサイクロンの近くで立ったまま休憩したりしていて、オフステージの子供の雰囲気が至近に感じられる。コンサート環境としては、カルーセルエルドラド(回転木馬)やサイクロン(ジェットコースター)がキッチュな音楽を奏でていたり轟音をたてながら疾走したり、乗っている客がわけわからん大悲鳴をあげて絶叫していたりとかなりの「史上最低の遊園地」ぶりで、団員たちの集中も途切れがちだったのが見ていて愉快痛快で楽しかった。
昨年度のとしまえんコンサート。彼らはズボンと靴下だけにレギュラーのスタイルを残し、その他は完全無帽で各自ハロウィンやパークを意識したものを着る自由な着衣だった(おそらくFMのようなかなり厳しい事前審査などは無く、当然の親心から全員ものすごい厚着だった。しかも首には支給品のジャックオーランタンカラーのネッカチをしっかり巻いている!)。そういうこともあって、コンサートが始まってから筆者はS組最前列に一人、FMの団員が混じって歌っていることに気が付いた。その位置はつい先月末までU村先輩が両脚をぴっちり閉じて何年も凛々しく立っていた隣である。私の聞く場所から声は分からないが、歌い姿を見る限り上半身が自由でそれゆえに重心の位置が適切で、FMで「水戸コーモンを絞めなさい」と指導される(されていた?)姿勢である。モスグリーンのジャージを着て、背丈はまだ小さいが、のびのびと気持ちよさげに歌っている。だが、驚いてその団員の顔をもう一度あらためると、FMの団員というのは目の悪い筆者の見間違いで、それはあのアンパンチ君なのだった。小児がん征圧キャンペーンのとき既にボウタイに更新があり、彼は定演後すぐS組に上進していたようだ。筆者はよく現在のフレーベル少年合唱団の立ち姿を「後ろに組んでいた手をただ横に下ろしただけで歌としては何も変わらない。だったらあのままで良かったのでは?」とよく揶揄する。だが、アンパンチ君の場合、両手を横に下ろしたからこそ、上半身は歌うために解放されていたように見えた。手を後ろに組んで歌うがゆえに上半身が堅固にブロックされていたフレーベル少年合唱団60年の歴史を完全に塗り変える団員がついに現れたのだ。本人もお家のかたも、おそらく大笑いで決してそうは思っていないだろう。だが、その事の重大さは、ナザレの町に住むどうということも無い一人のユダヤ男が2000年ぐらいの前のある日「休みの日は神様のためにあるわけじゃない!疲れた人が休むためにあるんだ!」と真剣に言い出し、以後の人類史を大きく決定的に方向づけた事態とよく似ている。
フレーベル少年合唱団は60年目にしてついに、大きな転換のときを迎えたのだ。

2019年にあったこと
在京の少年合唱団のステージ上の子供たちは、歌声を聞きながら顔を眺めるだけでも楽しい。
人口流入のある整った地域ゆえ、彼らはまず(ビシッと整髪はしていなくても)イロイロなヘアスタイルの子がサラダボウルのように混在している。坊主っくり、ソフトモヒカン、ツーブロック、ぱっつん、ナチュラル、カーリー、マッシュ、もちろんスポーツカット。毎年、味のある独特なイメージで聞かせるステージや仕草が自然体の岡本(A)君たちはブロークンアシメをキラキラさせていたりふわっと振ったりしていて見ているだけでパワー全開だ。
また以前にも書いた通り彼らは肌色のバリエーションもマルチだ。イエローベース、ブルーベース…塩男子くんに情熱のアロマ褐色男子、リンゴのほっぺ、コーラル君、夢見るキャラメリゼにピリッとスパイシーなシナモンボーイ等々。眼鏡着用率も抜きん出て高く、本当にいろいろな子が歌いに来ている印象のハッピーな華やかさ。「殺風景で色気も食い気もない男所帯」とはもう言わせない。見ても聞いても美味しい児童合唱に会いたかったらぜひともフレーベル少年合唱団のステージを目でも同時に鑑賞すべきだ。
さて、2019年春。たくさんの団員たちがいちどきにステージから姿を消したことは紛れもない事実だ。例えばその団員を筆者が最後に見たのはとしまえんのそれいゆステージだったろうか。A組の最後の年にはここで繰り返し述べてきた「犬のおまわりさん」のソロをつとめていた(そのときのお茶目な相方君も今はもういない)。18年の定演で彼は開幕の第2の童子のセンターにおり、表情も歌いも終始満点の爽快さだった。S組では現在のアンパンチ君の立ち位置に1年間おり、見ても聞いても楽しいステージを届けてくれていた。彼の姿が隊列の中にすっかり見られなくなり、筆者はそれからしばらくしてEテレの食育戦隊番組で歌い踊っている彼の姿を見かけたような気がした。センターで歌っていた女の子が一見して『それいけアンパンマンクラブ』の毎回エンディングでセンターをつとめていた子役だったのだ。「ああ、こういうことならいい。」と私は納得したが、それは筆者の全くの早合点で人違いだった。彼ら自身が何を思い、いかなる理由で合唱団を後にしたのかは、客席にいる私たちにはわからないし、それでかまわないと思う。だが、今改めて子供たちの顔ぶれを思い起こすとき、筆者はどの子にもかなりの文書量で思い出を書き連ねることができそうだ。どの子も少年らしい良い歌を全身全霊で歌っていたのだ。フレーベルではこういう年がおよそ6年に1度ぐらいの周期で厳然と訪れる。だが、今回は「いつもの…」と安易に言えないほど大規模なものだった。
筆者は冒頭、この合唱団とVBC・TFBCとの明らかな差異を述べた。同様の理由から、今日も団員一人一人を陶冶するというイメージを強く持っているのは2013年まではとくにFMで、一方、合唱と歌の中でなんとか「少年らを歌う集団として統べよう」と努力しているのはフレーベル少年合唱団であるように見える。FMの団員らは予科の1年生から本5の最上級生まで舞台へ無造作に放り込まれたとたん姿勢やブレスが揃い、団員同志の立ち位置の間隔やMC・ソロへの登壇ルーチンなども乱れることが無い(逆説的なようだが指導の対象は一人一人なのだ)。金髪碧眼の海外の合唱団の男の子たちが個人名で追っかけを享受していた時代から、VBCの隊員らもまたビッグマンモスのように隊員個人を対象としたティーンエージャーのファンを抱え、『アーバサクサ』(後にNHKうたのおにいさんとなるひなたおさむ等を主に応援していた)などの堅実なファンクラブを導いていた。
一方、出版社を母体とし成立しているフレーベル少年合唱団の場合、初期の指導については雑誌『合唱界』(1956-1969)と後継誌『合唱界ヤング』(1970-1972/1973 いずれも出版者は東京音楽社ほか)に詳しい。団員個人についての言及は勿論無く、人々がフレーベルを「合唱団」として心から応援していたことは間違い無い。
磯部俶率いる指導陣の苦悩は「ドレミ」と歌わせても決してその通りには声を出してくれない男の子たちの音を「いかに合わせるか」の闘いであったようだ。これらの記述の行間からは当時の団員のピッチ感への符合要求は強く感じるが、「彼らの標準語の発音をいかに美しく揃え止揚するか」ということへの言及が思ったほどに見受けられない。指導者自身が純粋でネイティブな山手標準語話者で、しかも東京都心の練習場から団員募集をかけていた合唱団ゆえ、「日本語の発音を整える」ということについては第2順位もしくは団員任せの局面がかなりあったのではないかと筆者は想像している。そして2019年の合唱団でも後者は同じだったのではないか。彼らに対するプラスの評価はこれらの事柄と強く関係があるのではないかと筆者は考えた。

おわりに
定演の幕開けにあたり少年合唱団はここ数年、モーツアルトの「魔笛」2幕16番三重唱を歌っている。昨定演では後奏にあたる伴奏部分を略し端折って見せ、いかにもの現体制の合理を見せた。客席に対し静粛鑑賞を求めるプロローグと見るのが常識的な見解だろうが、フレーベル少年合唱団の応援歴の長い者にとっての意見は少し違っている。1990年代を通して、フレーベル少年合唱団は合唱団として未曽有の存亡の機とも言える危機的状況に陥った。団員本人達には無論戦うすべなどはなく、定期演奏会はガラガラのabcホール(客席数500、港区芝公園、ホールとしては現存せず)に団員の親・親戚とOB関係の観客が前方中央の席を埋めるだけの寂しいコンサートだった。横一列に並んで全員終わりの隊列はなけなし(?)で背の順に並ばせてもパート間で派手な凹凸がある。その歌声も決して秀逸とは言えなかったし、当時の声は少人数で膨大な声量を賄えるほど充実したものでは無かった。「ああ、もう来年はこの定期演奏会もフレーベル少年合唱団も無いのだな。」と、その寂しい客席でため息まじりに諦観したことを今でも思い出す。あの時、団員だった少年たちは、どんな思い出と共に今を生きているのだろう。2020年の今、既に創団半世紀を超える少年合唱団の開演アバンに並ぶ選ばれしS組9名の団員達の姿を見るとき、私は前世紀末の休日の昼の演奏光景がどうしても脳裏に強く蘇ってしまう。フレーベル少年合唱団は今日、それを毎年真摯に年をかさねる大切な定期演奏会の冒頭で見せることによって、彼らが幾度もやり直しまき直しを重ね、何度も何年も生き返るようにここまでやってきたことを私たちに教える。その時々の齢10歳前後の少年たちが何かを祈念し、何かを夢見ながら胸を張って歌ってきたという気高い真実。60年という月日を順風満帆に、鏡のような水面を滑るがごとく歌い過ごし今日に至った安寧では決してないことを彼ら21世紀の9名の隊列は頼もしく無邪気に真摯に語っている。おそらくどの少年も合唱団の来歴を耳にしたことなど無いに違いない。それでもなお、今の団員達の歌い姿に苦しかったあの頃のひたすらな少年たちの図像が具現されるのは、合唱団の夥しい先輩方の不断の歌声と通団の日々が畢竟、合唱団の名と歴史のもと「青空はるか希望の星へ」と優しく歌いかけているからに違いない。

 

フレーベル少年合唱団よ永遠に

2019-11-09 15:10:00 | コンサート

フレーベル少年合唱団第59回定期演奏会
2019年8月23日(金) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円

2019年4月13日午前8時、開店直前の平成時代の喫茶店にステップバックしてきたポニーテールで制服姿の見ず知らずの少女が慌ただしくコーヒーを淹れ始める。ホワイトモノトーンのカジュアルを着てミディアムパーマに下ろした主人公の方は、コーヒーもいれるがワンハンドルマスコンもいれる引く手数多な大人気の若い女優さんだ。カップにコーヒーが満たされる音を聞きながら目をつむってそれを飲み干すと、やがて店内にかかった3つの時計の中央が止まり、左のターコイズの時計が動きだす。彼女は西暦2000年の12月24日午前8時へと旅立っていくのだ。変声直前といった風情を漂わせる一人の少年の真摯でガーネット色の歌声が鮮明にスニークしてくる。水中に漂う彼女は壁一面にかけられた過去の額絵の中から降下するときを探しつつその歌声に舞っている。劇場いっぱいに大音量で響き渡るしっかりした少年のソロ。作品中、最も重要で全ての出来事の集束点となるシーンの幕開けを一人のボーイソプラノの歌声が朗々と広大に牽引していく。この少年の歌声には特徴的なピッチの揺動としっかり練習を重ねたお兄さんぶりの頼もしさが同居し、一度聞いたことのある者であれば、誰がこれを歌っているか直感的に峻別することができる。映画のロールには歌詞の無いBGM的な歌に関するクレジットが一切なく、所属協力社のインフォメーションすら出てこないが、オリジナル・サウンドトラックのCDにはboy soprano:としてアーチスト名も「フレーベル少年合唱団」の記載もハッキリと見て取れる。2018年にビクターのスタジオで収録されたものだ。
この団員の活躍が本格化したのは2014年7月の東北公演の頃から。彼は最年少の仙台ツアーメンバーの一人として参加していたのだ。プログラムには本定演同様アンパンマンの図柄が踊り、今回アンコールとして歌われたセリフ演出入りの「アンパンマンたいそう」がやはりアンコール曲として発表された公演だった。合唱団の世代興行が一巡したことを感じさせる。
フレーベル少年合唱団第59回定期演奏会のステージにこの団員の姿は無かった。それどころか、今期合唱団のソプラノ中核の歌声を担うことが確実だった、彼の大切な弟くんも…。兄は前年、S組上進した弟をしっかりと横並びで隣に引き寄せ、ソプラノ最左翼へ常時肩を並べ、毎公演自重の中で厳しく歌い続けた。一見の客にでさえ、顔を見れば彼らが兄弟であることはすぐにわかる。しっかりと心で繋がった2人の立ち姿は常に私たち観客の「心の保養」であり、神様からの贈り物であり、彼らは質朴なアイドルだった。兄弟を同パート隣同士に立たせ、客席の目を和ませるという日本の少年合唱ではあまり見かけないしつらえがどこから生まれたものなのか、私は全く気がついていなかったが、今春ようやく判然とした。彼らは今、日本各地にいくつもある被災地の一つで今度はご両親を支えはじめているようなのだ。
定演の話の最初にこれを書いたのは、もちろんこの2人の団員の最後の年をいつまでも忘れたくないからだが、彼らのいない合唱団が「そこで歌っていたはずの団員がいない」今回の定演の実情の一端を象徴していたように思えるからだ。


演奏会はセレモニアスリーなクロッカー Emilly Crockerの「グロリア・フェスティバ」で開幕した。ギャロップ・ファンファーレのイメージで書かれたこの曲はアメリカのK-12ミドルゾーンエデュケーションの色彩を強く放つ溌剌としたもの。ラテン語米語歌詞で曲長もたっぷりと歌って3分間に届かないが、その一方フレーベル少年合唱団お得意の追っかけの応酬あり、ハリウッド調の起伏あり、「歌いきったー!」というコーダありと歌う側の満腹感も得られるようになっている。高学年の子たちをエッ?!と驚かせそうな『With you smile』そっくりさんの前奏、からりとした曲調やアドベンチャー映画のサントラにありそうなわくわく感を醸し出すリズム…日本の子供たちにも好まれそうなナンバーをよく選んでオープニングに据えている。フレーベルは本年初頭にはすでに劇場公開できる程度にこの曲を仕上げており、実際かつしかシンフォニーのモーツアルトホールで2月に聞いた演奏は高声部の申し分のないボリューム感や、アルトの子達のカッコいい旋律奪取や、メゾ少年らの甘ぁーいおいしそうなハーモニーなどが満載の「これぞ日本の少年合唱団!」的な仕上がりだった。「この惚れ惚れとさせるヤンチャぶりを夏までにどう刈りそろえていくかが彼らの課題じゃないかな」と客席で思ったことを今でもよく覚えている。
だが、定演当日、団歌に続く彼らS組による「グロリア・フェスティバ」はまるで大人しい穏当な演奏だった。「演奏会の冒頭なのでかなりセーブをかけているのかな」と思っていた。だが、当夜の演奏を最後まで聞いて抱いた率直な印象は、昨年までのイケイケ路線が一転、総じてやややんちゃぶりに欠ける仕上がりの定期演奏会だったということだ。もともと数年後には予想されていた事態だが、まずそれが3年近く繰り上がってやってきてしまったというイメージ。これはいくつかの要因が運悪く重なってしまったということだと思う。前述のかつしかシンフォニーでのコンサートに聞いた天空の城ラピュタのソロ入りのテーマはなんだかムフフな出来栄えの痛快な一曲だったが、この定演で結局再度歌われることはなかった。象徴的な出来事だと思っている。

今回の定期演奏会の期日となった8月23日は、都内の小学校や初等中等学校の2学期始業ギリギリの日程である。9月にならないと小学校では新学期が始まらないというのは、まだ文京区・北区などには残るが基本的に平成のノスタルジーだ(隣接する新宿区・豊島区の2学期始業は定演の週明け)。合唱団側でも来年の定演は8月の19日水曜日へスライドすると発表している。微妙なラインで、定期演奏会が始業式の直前となる団員がいることには変わりない。


冒頭の兄弟団員たち同様、今回の定演では「そこで歌っていたはずの団員がいない」と思わせる光景が印象的な定演だった。
一つは彼らが紺イートンでpart1に登場するシーンから既に明らかになる。フレーベル少年合唱団は2年前から中学生に長パンツ着用を指定している(紺イートンはもともと丈の無いレギュラー半ズボンと組み合わせることが前提にデザインされたものなので、裾丈が長パンツにフィットしない。ユースのプルオーバーをベストに替えているのはこのためか若しくは市販品のサイズアウトが理由だろう)。一見して誰が中学生なのか一見してわかるようになっている。…3人しかいない。一つは中学進学を機に卒団した団員達がいること。彼らは在団中ずっと強烈な存在感を持っていた(客席にいた!嬉しかった!)。もう一つは昨年度お披露目のあったユースクラスに中学2年生以上の団員が吸い上げられたためで、ユース兼任の中学1年生は1名活躍するにとどまる。S組を去った彼らがフレーベル少年合唱団にとってどんな功績を果たし、素晴らしい歌を聴かせ続け、下級生たちを統率していたかはユースクラス・ステージに登場したメンバーやプログラムの名簿を見てもハッキリする。
中1団員たちはソプラノ側からメゾ、アルト側へここ4年間ほぼ同じ位置へ立ち今日に至っている。各回のコンサートで彼らの姿を確認するとほっとしてしまうのはおそらくこのためだ。ソプラノの団員は「アニマックスのクリスマス」「PRIDE」昨年の「天使と羊飼」の天使チームと毎年のようにここでも書いているが、私がどうしても忘れられないのはオペラ「トゥーランドット」でたくさんの団員たちと歌った彼のマツリカのキラリと光る演唱だった。
メゾ位置前列で必ずセンターにいるカッコいい中学生は、三山ひろしのNHKホールのライブ「貴方にありがとう」の頃からセンターに歌いDVDでも終始(合唱団の登場から彼の目前へ緞帳が降りるまで!「全く最後まで魅せてくれる!」と思わず叫んでしまう)印象的に撮られていた。彼はフレーベル少年合唱団の団員には珍しく、手を後ろに組んでいた時代から両脚をぴっちりと閉じ揃えて歌うシルエットを堅持していて、これが彼の声量をコントロールしているような印象を受ける。他にもごく少数だが足を閉じて歌う団員はいるのだが、彼のポジションは必ず最前列センターで固定されているために、観客にとっては演奏会開演とともにその姿が確認しやすく、安堵のようなものを感じるということが常であった。ここ数年のフレーベルのライブで全団員の基準座標のような役割を果たしてきた大切な大切な団員くんである。とくにこの1年間六義園ライブやその他のステージでメインMCなどもつとめ、少年らしい凛々しい声を私たちに届けてきた。
アルト右翼の中1団員は5年生で変声したが最前列の立ち位置をキープし続けた。羽が生えたように勝手気儘に歌いさえずるということをしない。与えられたポジションを堅実に誠意をもって守り続ける職人のようなすばらしい人。彼の声と「少年合唱団員としての生きざま」は、どちらも兄譲りの美しい誇るべきものだ。そしてそのどちらも、私は心から愛してやまない!彼は今日、part5でユースメンバーとしても活躍する。少年合唱というものの真実が、多くの部分で「少年合唱団員としての生きざま」に依って立つものであることを彼の歌い姿は長い間物語ってきた。

part1ではこの後、ボーイソプラノ映えのする「グリーンスリーヴス」や「アメージンググレース」を歌い継いだ。「アメージンググレース」はwowwowの連続ドラマW 「湊かなえ ポイズンドーター・ホーリーマザー」の第2回放送でフレーベル少年合唱団S組出演のうえ歌ったもの。放送は7月13日だが収録は3月21日に行われたため、映っているのも歌っているのも定演後の昨年度S組団員である。先述の最前列センターにいる中学生団員がまだ半ズボンの制服を着こなしているのでそれとわかる。立ち位置の人選や画像の仕上がりはきちんとした映画の迫真のシーンを見せられているかのような印象だった。編集でほんの数秒間、センター団員らが寄りの横舐めドリーで撮られていく。彼らの日常のステージを見慣れているはずの私は、彼らが圧倒的な「存在感」で仕上げられ画像に収まっているのを見て、あまりものクオリティの堅実さに戦慄させられた。おそらく、この驚愕は別人のように高インパクトで撮られた我が子の姿をテレビ画面の中に見てしまった団員保護者全員の偽らざる感想だったに違いない。彼らがきれいに着こなした、白ベレーに白スモックといった衣装のドラマツルギーも手堅い。アニマックスのクリスマスでの彼らの撮られ方の清新さにも舌を巻いたが、今回は設定にかなう歌い姿を披露し、また撮らせてもいる。曲は本編の主人公である「毒親」がトラックに轢き殺される瞬間に合わせ正確にカットアウトされ、表象オブジェの浮かぶショットで団員らが拍手を受けるよう仕組まれている。このため少年たちの歌い終わりは非常に印象的なものになった。作中の歌唱はフラッシュするシーンに合わせてやや乱暴で粗野な整音のまま録りあげられており、ソロ系の声が目立つ部分を絶妙にミュートし今回の定演のものとは印象を異にしていた。また、出演の役どころはそのものズバリ「少年合唱団」の役でソロを擁していない。59回定演ではこの「アメージンググレース」を大活躍のソリストくんが甘く美しく先導し、以降も次々と団員が登壇。ソロの喉を聞かせた。「グリーンスリーヴズ」でもマイナーコードにあった冷涼なアンサンブルを適材適所にフィーチャーしている。フレーベル少年合唱団は今年、メンバーのラックを補うかのように目立ったソロをいくつも打った。どの団員も一人残らず十分独唱に耐えるレベルで日常レッスンに於いて陶冶されていることを印象づけている。素晴らしいことと言える。だが、昨年定演で歌われた団歌や「アンパンマンのマーチ」と、今日ここで聞いたそれらの曲とでは格段にカロリーやポテンシャルや面白み、高音域の冴えが違う。それはユースへの上進や卒団以外にも、そこで歌っていて当然の団員たちが何人か今回の定演には姿を見せなかったことを示している。また、A組上進メンバーたちの補填をもってしてもそこを補いきれていなかったことも物語っているようだ。昨年のプログラム裏面記載のS組団員と今年度のそれとでは単純に比べても10名の団員が減っている。少年合唱団にある日、素敵な少年たちが花咲くがごとく一度に出現したとしたら、それは素敵な少年たちがいつの日か一どきに合唱団を去るのだという摂理。昨年も書いた通り、2年前の2017年、57回定期演奏会のpart3「『いぬのおまわりさん』の2番のソリストたちが、消防少年団の訓練礼式にも負けないくらいカッコいいシャープなお辞儀をして隊列に戻り(彼らは颯爽としたワンワン巡査の正義と真の勇気を少年らしい誠心を尽くして体現しようとしたのだ)、客席の私たちが曲の終わりを待ちきれず思わず拍手した瞬間」がエンタテイメント集団としてのフレーベル少年合唱団の天頂の一つだったと私は今も信じている。「小さいアキみつけた」君たちが透明度の極めて高い、練習を積んだ声を駆使し心を尽くして「小さい秋みつけた」を歌い、その後カラフルな心踊るカジュアルを身にまとったS組団員たちが「PRIDE」で舞台狭しとばかりきっちりとステップを踏んだ。あれは晴らしい夜だった。エンタテイメントとしてのボーイズコーラスのレーゾンデートルとは何か?我が国に於ける少年合唱の醍醐味として無視できない大切なものは何か?…今回の事態はそれらを静かに教えてくれている。


もう一つは今回の定期演奏会へ強烈に通底する既視感を、「前も聞いた」ではなく、「待ってました!フレーベルの定演は毎回絶対コレでなくっちゃ!」と客席に納得させる手法のさじ加減だったと思う。
合唱団は今年も演奏会のアバンに「魔笛」の三重唱(日本語版)をワーニングとして打った(その効果は、当夜文京シビックに居た観客なら誰でも知っている)。この演唱は員数・運びからコスチュームに至るまで全く昨年通りのフォーマットを踏み、今年の演奏会が終演までどのように運ばれるのか、客席の誰もがこの時点で予想できてしまったイメージだった。だが、実はこの隊列は目立たぬよう昨年度とチーム構成・人選が巧みにズラされており、また一つ違ったフレーベル少年合唱団の面白さを楽しめるようにしてあった。しかし、視覚的な印象は圧倒的に「去年の定演と全く同じじゃん!」であり、冷静な目でこれを見ない限り判じることが出来にくい。「前にもこれを聞いたな、見たな」という印象の連なりは、本定演のプログラム進行に徹底して流れ続けていたのである。

定演までの合唱団のメインストリームをトップで支えてきたキーマンは、まっすぐな歌を歌い続けてきたいわゆるクマくんウシくんチームともいうべき頼もしき集団だ(彼ら一人一人についてここで書きつくすと兄弟関係の活躍にまで話が及びとてつもない文章量になるので全員は書かない!)。彼らの学年は、定期演奏会がその年に晩秋から8月へシフトした煽りを受けてS組入りが半年以上も遅れ、客席にいる私たちを心からヤキモキとさせた。「新入団員は1年に15名、合唱団の定めた日程でテストを受けてパスし、適格とされた少年のみ。条件は集団行動遂行能力があり毎週の練習へ必ず出席できる者。」とした現在の団員募集による初期の子供たちでもある。優秀なのは当然だが、下のクラスへ在籍していた元気一杯ボーイズの群れる当時のB組A組をこうした事情から長い間鮮やかな手腕や搦手の心優しさで引っ張ってきた。彼らはS組2軍の下位集団でありながら、ソロやMCへの登壇、頭数が必要な外部出演のS組補充要員、それどころかS組下請けクラスのリーダーとして八面六臂の大活躍を展開し続けた。下級生らの幼さや拙い行動をポロリと客席に見せ「こんな小ぃちゃな坊やたちがあんなにキレイで上手な歌を歌っていたなんて!フレーベル少年合唱団ってステキ!」と客席をメロメロにさせる辣腕の下級生止揚力も持っている。着実な実績の割にいつまで経っても「S組団員」という肩書きにしてもらえずタキシードの制服も与えられない彼らの姿を見て、判官贔屓の私たちは彼らのステージでの姿へ次第に「諦観」や微かな「やさぐれ」のようなものの兆しを重ね始めたほどである。クマくんウシくんチームのソプラノ側リーダー…彼がS組入りした途端大進撃を開始した歌の出来栄えの良さ、一見して感じる爽やかさ、ダンスパフォーマンスのクオリティーの高さはここにも毎年のように書いているので繰り返さない。ただ、少年合唱団員としての彼の最大の魅力は、彼本人よりも寧ろ、周囲の団員たちが舞台上で視線に頼って彼に自分のありかを問い、何かを得て安堵し歌い続けるという姿をさんざん見せてもらってきたゆえの心ゆるびと千年至福に違いない。ひまわりのごとくすらりとして姿勢が良く、かつての辛い時期に太い導管から力強く土中の養分や水分を懸命に吸い上げた結果で周囲の子を明るい気持ちにする。
私はこの団員の出現が、今後しばらくの間のフレーベルの集団と知恵の色を決定づけてくれるのではないかと密かに想い願っている。昭和後期から現在までの首都圏の少年合唱団の、チームとしての主なニュアンスは「歌うエリート集団」だった。自覚し責任を負った上級生らが豊富な経験から下級生集団をきびしく律し、実力主義や年功序列で互いに切磋琢磨しながら成長し変声までの数年間を駆け抜ける。少年スポーツに見る子供らのありように酷似する。かつて少年スポーツの志向は「苛め抜かれて勝ち残ってきた少年たち」をさらに叩いて陶冶するものだった。同様のアプローチは現在の様々な少年合唱団の高学年チームにあっても基本的には変わらないだろう。フレーベル少年合唱団は決定的な団員数低迷の一時期を経験したために、上記のようなモーレツぶりが非常に緩和され現在へ至っているように思われる。だからクマくんウシくんチームのソプラノ側リーダーのような優秀な先輩団員であっても、周囲の団員らを高圧的な態度で処すること無く、少年たちの心のともし火として歌い続け、指導者も保護者も彼の歌を全幅の信頼で認めているのであろう。彼らは「先輩」である以前に同じ戦いをくぐり抜けてきたかけがえのない「戦友」なのであろう。

「フレーベル少年合唱団で超一番好きな団員をたった一人だけ挙げよ。2人ではダメ!」と尋ねられたときの私に一瞬の躊躇も逡巡も無い!クマくんウシくんチームのアルト側代表選手の名を挙げるに決まっている!理由は簡単でただ1つ。彼の歌声は小さい頃から今までずっと、聞いている人々の心を確実に、最高に、シアワセに、ホカホカ暖かくしてきてくれたから!A組の時代から常にセンター寄りアルト側最前列のポジションで歌ってきたため、彼は自分ひとりの声が客席へ直接ゴリゴリと届くような高慢な歌を決して歌わない。周囲を含め、ソプラノの旋律がきちんと響くよう配慮して何年も真摯に誠実にとても品よく歌い続けてきたのだ。だから、一見のお客様にはその声がなかなか聞き分けられないだろう。しかし、合唱の中の彼の声が陰影に富み、少年らしいお茶目さを含みながらラリックやバカラのクリスタルガラスを擦って出したように甘苦しく響くのを一度でも聞き分けてしまったら、私たちはもう引き返せない。彼の声質がどうしてこんなにも人心へ幸せの鐘を静かに打ち鳴らし続けるのか。私は彼の引き締まった安心のたっぷりとした躯体や下顎の構造や咽頭の仕組みの幸運な組み合わせによって発せられたマイクロ波が、私たちの心の振動子にエネルギーを投げ直接ハートをホカホカに温めてくれるのではないか…と、かなりホンキで想像している。一方、ステージ上に見る彼の歌い姿は常に真摯で温暖に気持ちがよく、しかも明らかに秀麗であることから、この少年の生き方自体がすでに「聞いている全ての人々を最高にシアワセにする」ものであるに違いないと確信している。
彼らクマくんウシくんチームの超スーパーミラクルかっこ良すぎでヤバい悶絶ものの歌声は、柏木広樹のCD「VOICE HIROKI KASHIWAGI」(HATS 2019 HUCD-10289)のトラック09「Dear Angel」(フィーチャリング・フレーベル少年合唱団)でタップリと聞くことができる!甘く清らかで上品に切なく、商業的にもパーフェクトの域に達する彼らのボカリーズを聞かないで生涯を終えるというのは、なんと心の栄養を粗末にして生きることになるか!

part1の最後に「ふるさとの空は」が歌われた。フレーベル少年合唱団第27回定期演奏会でとり上げられたナンバーで、基本的に同じ編曲版の32年ぶりの再演である。この曲に強い既視感が伴うのは、TOKYO FM(オンエア当時はFM東京)のサスプロの合唱番組『天使のハーモニー』1987年5月2日土曜日放送分で本編の冒頭にこの曲のライブ音源がコンプリートで使われたからだ(収録:1987年4月5日(日)イイノホール、開演は午後2時だった)。番組名から判る通り、この放送はFM東京少年合唱団(現・TOKYO FM少年合唱団)のフランチャイズ番組で、収録スタッフもFM少年合唱団の定期演奏会やスタジオ録音を担当するチームが「日本人の男の子の合唱」に十分慣れた手際で驚くほど鮮明な音像を再現し穏当にまとめている。フレーベル少年合唱団は27回定演に登壇したA組(現・S組)の中学生団員が総勢15名を超え当時のフレーベルらしい頭声の合唱を大車輪で展開する。このお兄さん集団を統率していたのは手島英という名前の当時中学2年生の少年だった。のちに21世紀のフレーベル少年合唱団の指導者となるその人である。彼らは第2ステージからイイノの舞台に姿を現し(開演直後の最初のステージはB組の担当だった)この「ふるさとの空は」を歌った。合唱団の少年たちは当時、アゴーギグの微揺動が不規則にかかるテクニカルな欠点を常に抱え、自らと戦っていた。また、講演会や落語などをレギュラーカスタマーとする当時のイイノホールには硬質なボーイソプラノの反響レンジを吸い取ってしまうという音響特性があった。この時代、フレーベル少年合唱団は60年間の歴史の中で最も頭声側に発声が振れた時期である。少年合唱がきちんとした頭声を統べ日本語で歌うと結果がどうなってしまうかは、いまさらここで述べるまでもない。
21世紀のフレーベル少年合唱団は現在の彼ららしい声で好条件に恵まれ「ふるさとの空は」を歌った。今回は後半にハンドクラップを加えちょっぴりハンガリーらしさを演出した。拍手に加速がかかり拍の強弱が逆転すればハンガリー化(?)は大成功なのだが、なかなか素敵な感じに擦り寄せてくれたと思う。フレーベル少年合唱団の大きな節目となるタイトルを上手に選び、パート終わりにふさわしい盛り上げをまっすぐに目論んだ。「既視感」はそういう意味でフレーベル少年合唱団らしい味に昇華され、団員らの頑張りを目の当たりにして彼らをこれからも応援していきたいと感じさせられた1曲であった。

part1を通じ、員数的にかなり梳かれた印象の彼らの歌声を通じて明らかに見えてきたのは、実はポスト・クマくんウシくんチームの近い将来に展開される数年後のフレーベル少年合唱団S組の清く正しく美しい少年たちの姿であった。咋定演のAB隊列の上進組を加え、今年度炸裂するはずであったイケイケムード全開チームの猛攻は鳴りを潜め、素敵な少年たちの涼しいポジションがメインストリームになっている。とくにこのネクスト・ジェネレーション右翼(アルト側)にあたる少年たちは、かつてのやんちゃにぎやかな子供っぽいカラーをとうに脱ぎ棄て、歌声も地声も端正でピッチの正確さもしっかりと身にまとう王子さまのような集団に成長している(部外者の私がどう聞いてもアルト側の出力がソプラノ側を常時凌駕しているのだ…)。一方で彼らの少年としての心根の優しさや、性格の純良さ、人懐っこいまでのハニカミの愛らしさなど歌以外にも特筆すべき点は実に満載で面白い。ステージ上へエイリアンの猛攻のごとくやってくる数々のハプニング等にも彼らは全く動じない。プロフェッショナルなのである。9月末の「ごえんなこんさぁと 東京公演 小児がんの子どもたちのためのチャリティー公演 竹下景子さんとともに」の終演後、トリトンスクエアの天空ロビーにトランスルーセントの募金箱を抱え半袖シャツ+ボウタイ・サスペンダーのさっぱりした衣裳で頭を垂れる彼らのあまりにもカッコイイきりりとした清らかな声と姿に接し、不覚にも涙をこぼしそうになった観客は皆無とは言えなかったろう。彼らは実際にはコバケンの方には出ていないのだが、熱誠に一途で胸を張りフレーベルの少年らしい心がスッと澄み渡るような歌を歌っていた。評価に値する。

part2
B組の隊列は当然のことと思うが年によって隊列のモラールとモラルが全く違っている。S組のお兄さんに手を引かれ登場する彼らよりもお兄さんがたの方がめちゃくちゃキュートでラブリーに感じられてしまうような精鋭部隊の年度があるかと思えば「小一プロブレムど真ん中&予備軍」のヤンキー・チーマーもあり色とりどり。本年度のB組諸君はどちらかと言うと後者のイメージなのだが、そこはフレーベル少年合唱団のこと、今年の新入団員たちのハジけっぷりを組み伏せることなく、逆に汲めども尽きぬフレッシュでビビッドで精気と士気に溢れた幼少年の楽しい歌声へあっさりと構造転換し、止揚してしまった。彼らがシモ手袖からいたずらっ子そうな得意満面の表情で登場してきた途端、あらゆる意味で「タダ者ではない」彼らの力量がハッキリする。「少年合唱団」と聞いて、清楚で古風なフォーマルを身につけ、薄荷飴のように青白い長い長い脚をすらりと伸ばした美麗なお兄様がたが天使のような裏声(私たちの誰も天使の歌声を実際に聞いたことは無いはずだが…)で歌うものと信じてきたような哀れな者は、このB組少年たちの登場に一発で崩壊しただろう。実に愉快だ!ザマミロだ!しかしこのステージの過激なエンタテイメント性は、これだけにとどまらない。
彼らは通常のB組ユニフォームに合わせ、イイ感じにスローライフ感満載の帽子を被り得意満面だ。「ちびっこカウボーイ」なのだから、彼らのかぶる小さな琥珀色の手作り感のあるハットは愛らしい荒野の男!ならぬ「荒野の坊や」仕立てのカウボーイハット。だが、このちびっこカウボーイハットは彼らB組の可愛らしさを引き出すための単なるファッションアイテムにとどまらない。まあ、ともかくpart2のプログラムは予想通りカッコかわいさ満点のMCに次いで「ちびっこカウボーイ」が歌われるにいたる。第一声から驚愕だった!毎年フレーベルの定演を聞きに来ている人々にはB組であってもステージ上で美麗なソロの歌声が普通に聞けることは知っている。だが、今年の子達の歌声は冒頭から「早く僕にソロを歌わせろ!ボク、歌えるんだからサ!!」と言わんばかりの高出力・高解像度(?)だ。彼らはその自己顕示の通り快活に楽し気に歌い、とことん客席を楽しませた。その歌が18小節目をまたいだとき、私たちの意識はもう頭上の愛らしいカウボーイハットには一切向いていなかった。彼らの歌が頭上の小道具を凌駕したのだ!日々の練習に耐えてきた魅力的な歌い姿だったのだ。しかも、お愉しみはこれだけではない。「ちびっこ…」を歌い終えた彼らはそのハットをサッと取って卑近のリーダーたちに手渡し、まとめさせ、客席を待たせることなく整頓させ、山台の空所にそっと置かせたのだ。かつてのフレーベル少年合唱団であれば、歌い終えた時点で大人のスタッフ連がひとりひとりの子からハットを回収して済ませたことだろう。だが、彼らは自身へのそういう厚情を許さなかった。この光景に頓着の無い観客も当然いたはずだが、私はB組団員たちの刹那の「僕らの歌なんだから僕らが片づけて当然でしょ?」という刹那に心底ほれぼれとさせられた。これからのフレーベルを彼らの成長とともに見てみたいと強く希求させられたさりげない数瞬だった。
「ちびっこ…」はゼッキーノ・ドロのナンバーとして1965年に紹介された。皆川おさむが歌っているLPレコードの1曲目が「黒ネコのタンゴ」で、ラストナンバーが「ちびっこカーウボーイ」だったといえば納得がいくかもしれない。平成27年度版まで教芸などの小学3年の音楽教科書に取り上げられていた。昭和平成を経て現在まで継続的に歌われてきたことがわかる。「にんげんっていいな」は相貌からちょっと癖のある役をこなしていた80年代の子役、中島義実のソロがリードする「まんが日本昔ばなし」の有名な後テーマで1985年に曲のテレビオンエアが始まった。オリジナルは今聞くと気恥ずかしいほどのテクノくずれで大時代なインストを携えた作品。こちらも現在幼保の現場でごく普通に歌われている。十分巧妙と感服させられたのは、これらの選曲の観客層に対するスタンスだ。ホールを埋めた高い年齢層の人たちは、自らの幼少期にこの2曲をほとんど歌っていない。だが、彼らの子供たち、孫たちはテレビオンエアや、学校・幼保で習ってきた「ちびっこ…」と「にんげんっていいな」をお父さん・お母さん、おじいちゃん・おばあちゃんの前で楽し気に歌いまくったに違いない。だから老人たちはこの2曲を知っているのだ。あたたかい思い出の中に記憶しているのだ。お父さんになった息子らや可愛い孫たちの息づかいがこのプログラムの行間へ聞き取れたに違いない。あたかも家族と共に歌っているように!この演奏会に通底する「既視感」がpart1の最後に「ふるさとの空は」で念押ししたのとは対照的に、B組の選曲は「知っている!でも明らかに今の私たちの歌声だ!」とヒトヒネリかけている。最年少のB組団員でありながらソロもアンサンブルもコーラスも一通りきちんとこなす5-6歳の男の子集団がそれをおそらく承知の上で我が世の春とばかりに歌い上げる。2曲10分間のミニマムなステージだが肥沃に耕され、よくできていた。

part3
毎年楽しみにしているA組のpart3ステージ。だが、シモ手袖から卒然と飛び出てきた彼らの顔ぶれを見てわずかに思い至ったことがあった。本年度の最上級S組のキャスティングに何かを感じ、ボルテージの電位差に触れたことの合点にようやく至った。昨定演のA組ステージの勝負の一つとも言えた「お花がわらった」で、珍しいソロ登壇のバッティングがあった。ソロの団員が1名、先発の子の帰投に阻まれてどうしてもマイクの前に出てくることができない。彼は仲間の眼前で右へ左へと幾度も身をかわし、すんでのところで立ち位置に滑り込みソロを歌いきった。一部始終を客席で見ていた私は彼のピンチを回避する姿にちょっとウットリとさせられた。少年合唱団の出てくるディズニー実写映画のステージ上のワンシーンを見るような美々しさカッコよさだったのである。危機一髪の大ピンチをみごとにかわしたその経験を糧に、彼がメキメキ歌の腕をあげるにちがいないと密かに期待した。それでも私は何か胸騒ぎがして結局それをここには書けなかった。狼狽は的中し、彼は今日の演奏会に出ていない。私たち客席の当夜一番の無敵のヒーローだったお花がわらった君!当時既に、明快な声のカラー(喚声域から上の高い声の方が体格を反映して非常に美麗で安定する)をものにしていた彼が今、SA組にいないのはおそらく本人の意思によるものなのだろうが、一声聞いて「体位が上がればしっかりと豊かで安定した声になるのが明らか」だった彼がいつの日かフレーベル少年合唱団に戻ってきてくれはしないかと私は願い、また客席にいた人々も楽しみに思っていることだろう。今も彼はどこかで、それはそれは美しい声で歌っているに違いない(当日彼とソプラノ側で応答の歌声を囀っていた団員は現在S組で一番背の低いメゾだが、歌っているときの姿勢が最高に秀逸!彼はプロだ!見ていてホッと癒されてしまう!)。とはいえもし、B組から上進したメンバーがどの子もこれほどめざましく清良でなかったとしたら、今年はA組の声もまたキレが良いとは言えない演唱に留まっていたにちがいない。

おばけなんてないさ うちゅうじんにあえたら 赤鬼と青鬼のタンゴ パフ 怪獣のバラード…の5曲が歌われた。自身らのトッパンホールでの仕事を回顧した昨年度の「湯山昭の世界」を整理し、A組の得意とする「こどものうた」を真摯に歌いきった。曲がどれも合唱団で過去に歌われたナンバーの集積であったのにもかかわらず、part3に強い「既視感」を感じさせなかったのは、昨定演との間のこの決断によるところが大きかったと思う。一昨年までのA組の大隊パワーやテイスティーな格好良さをいったん控え、今年の部隊は彼らが2年間かけてB組から運んできたキレの良い清新さや折り目の正しさ、愛らしさを歌声にもきちんと実現し聞いていて気持ちが良い。また、そのメンバーがB組時代から持っている真っ直ぐなソロの味も格別だ。例えば「赤鬼と青鬼のタンゴ」。曲の最後に入るカデンツァ(アルゼンチン・タンゴ??なので、「カデンサ」?)が、もう大爆笑ものに悶えるほどかっこカワイくてたまらない。歌っている少年たちやソリスト(アルゼンチン・タンゴ?なので、「エル・カントール」?)が真剣に一生懸命歌えば歌うほど可愛らしく、こちらはデレデレ状態にさせられてしまう。小学校低学年の男の子がなるべく完璧にソロを努めようと頑張るのは至極当然なことなので、選曲も趣向も全くもって巧妙でズルすぎる♡!見せられ聞かされる側の「可愛さにヤラれたー!もう100%降参だぁ!」の恍惚感が半端なくズバッと出た強烈な1曲であった。B組の選曲でも触れたが、この年代の発表曲を定期演奏会のプログラムにチョイスしてくる手腕や発想力は実に巧妙で(もちろん、団員たちが納得づくめでそれに心から奉じ歌い尽くしたからだが)、客席を全く欺かない。眼力の鋭さやアンテナの好指向性を感じさせる。「うちゅうじんにあえたら」のように近年定演で歌われたか、いつかどこかで聞いた曲というカラーをまといながら、それを慎重に集め、上出来でモチベーションの高いA組の少年たちに歌わせることで「この演奏は前にも聞いた」というポジティブな側面を完璧に払拭しきっている!

続いてS組が「パプリカ」合唱版をイートン脱衣のスタイルで歌った。1日平均気温28.4℃という8月に催される男の子の合唱団のコンサートには、フレーベルらしくベレー着帽・ボウタイをつけるとしても、このスタイルの方が見た目にも爽快だと思った人は客席に多かったのではないだろうか?外見に限ったことではなく、近年のフレーベル少年合唱団のステージ衣装は危険なほど厚着で、男子小学生を立ったまま20分間全力で集中して歌い続けさせるとどの程度の発熱発汗があるのかを知っていると本当にヒヤヒヤさせられる。特に21世紀の彼らはシャツの下へ下着を着けないため体力面でのダメージが予想され、自律神経系の体調を考えると歌っている間だけでも薄着にしてやることが管理側の責務として問われることにもなるだろう(ステージ写真を通年で宣材に使うことが難しくなる…)。
曲の方は、ビルボードにチャートインするFoorinのタイトルではなく、合唱版の振り付けが施されている方のバージョン(Nコン2019バージョン)。心はずませたA組ステージをてんつきで押し出し、白く明るい子供達のシルエットにステージを突如占拠させるステージパフォーマンスは完全なサプライズ。カミ手側に集合するセレクトメンバーに不意打ちのMCを仕掛けさせた。フレーベル少年合唱団らしい弱起への総攻撃やボディスラップで総崩れ的にテンポ走りするスリリングな歌い出しなど、彼らにしか出せないお楽しみは一万発の花火大会クライマックス状態!団員らは見た目の明度同様、体温の高い歌と踊りで客席を煽り、十二分に楽しませ、歌い終えつるべ落としの撤収で迅速にハケるなど、落とし所を全く欠いていない。確信する人はあまりいないのではないかと思うが、これがフレーベル少年合唱団の少年らの本当で本来の素晴らしい姿と魅力であると思う。ピッチの雑駁さやきつめの発声も計算づくなのか非常に功を奏し曲によくフィットしていて聞いていて気持ちが良い。Eテレを観ている観客であれば十分納得できる演奏だったに違いない。だが、場内にいた私がどことなく感じてしまったのは言葉にし難い客席内の微かな雰囲気だった。少年たちの歌声とパフォーマンスに満足した私たちは実際には惜しみない賞賛以外は誰も口に出して言うことがない。だが、これは「一昨年みせてもらったPRIDEステージ」の再現フォーマットに則ったもので、「既視感」の滲出は否定できなかった。男の子の合唱団であるフレーベルが比較的避けて通りがちだったライブパフォーマンスを積極的に取り上げて定期演奏会で見せることの意義は非常に大きいと思う。演出設計上、この位置にインサートされることは全くもって穏当で当然の帰結だが、サプライズであったことがそこはかとない賢しらさを感じさせたのかもしれない。そもそも、こうして前と同じものを確信をもって観せてくれるフレーベル少年合唱団が、なぜ「前と同じように手を後ろに組んで歌う」という姿だけは見せてくれないのだろうか?!悲しい。

part4
最終ステージのPart5が、やなせ作品を現役各クラスのカラーやトータルで「最近のフレーベル少年合唱団」の色へ引き寄せたり落としたりしたのとは対照的に、なつかしい良い匂いのするホッと一息つかせる磯部俶の歌のひと時を静謐に語って見せた。OB合唱団はよくのべるあたわず単独で年輪を重ねてきていて、これを払拭せんがために最後の「遥かな友に」でユースクラスの少年たちを彼らの体側に温厚のまま添わせ慮って歌わせてやっている。だが、私はこの選曲に感じた「既視感」や「僕たちは何年かかってもこの曲をOB合唱団の先輩方のようには歌えないかもしれない」という中高生たちの畏敬の念(それは悲しいことに心の奥底で事実だろう)を知らんぷりすることが出来なかった。かつて「声変わり前のOB会長の姿」と私が心踊らせてこの曲を聞き、ここにも書いたはに丸くんが、今日はおとなしくそこで歌っている。誰が悪いということもなく、また、私はこの選曲でなくても(例えば「花の街」や「片耳の大鹿よ」の編曲譜などでも)よかったのではないかと彼らの歌い姿を見ながら傷心した。先輩方がこの曲を選ばれた理由は、部外者の私たちくだらない聴衆の側にあったのではなかったのかという辛いあきらかな自省がいつまでも後味として残りつづけた。

part5
S・A組による「手のひらを太陽に」、S組諸君の「夕焼けに拍手」、ユースクラスの「冬の街」、A組の「老眼のおたまじゃくし」、S組の「ひばり」そしてオーラスの「ジグザグな屋根の下で」とアンコールの「アンパンマンたいそう」「アンパンマンのマーチ」。定演リピーターにはあまりにもフレンドリーでステキなナレーターである丘野けいこ先生の朗読をたっぷりと聞かせ楽しませ、客席を満足させる最終ステージだ。だが、私が言いたいことはここまで読んでこられたかたには明白であろう。冒頭にも記した通り、2014年のフレーベル少年合唱団のツアーや定演も、本定演同様アンパンマンが表紙を飾るプログラムで(当時のデザインは絶筆にちかいカタカナのアンパンマンとやなせうさぎのもので、今回は60周年らしくキンダーおはなしえほん初版バージョンの平仮名の「あんぱんまん」である)、今回の出演団員のなかで当時「アンパンマンたいそう」をステージで歌ったのはユースのワルトトイフェルくんと山浦先輩、薫先輩だけで、S組以下には一人もいない。
最終ステージで各クラスの歌声を入りくりさせたり、組み合わせたりして聞かせるという設定については様々な意見があるのだろうが、私はクラスごとの声の特徴が際立ち、特に夏休みの間に急激に成長する2・4・6の偶数学年の男の子の身体特性が頼もしく見とれて申し分のない配当だと思う。非常に工夫されており、嫌味なくうまくいったステージナンバーの最後に「ジグザグな屋根の下で」を総出演で歌っている。演奏の仕上がりはさておき、「最終パートのステージテーマは、この曲が先か、やなせたかし100年が先か…」と考える自分がつくづく嫌になった。

59回定演の「既視感」の例外として極めて魅力的に感じたのは木下牧子を歌う「雪の街」のユースクラスだった。part4でOB合唱に埋没していた彼らもここでは一本立ち。しかも、フレーベルの他のクラスが声部ごとになるべくソリッドな感じを持たせようとしているのに比べ、一人一人の声が聞ける余地を残した良心的な声作りをしている。これは、聴衆にとって最高の、きららかな美しい良い匂いのするプレゼントだった。定石通りS組時代メゾ-アルト系だった団員らをテナー側に上げ、全体で、かつてさまざまなセレクトの仕事からソロや小アンサンブルの喉を鮮やかに聞かせてくれていた少年たちの今の声を楽しませてくれた。彼らの物心両面でのポテンシャルを揺さぶる選曲もとてもいい。今回定演でA組の「赤鬼と青鬼のタンゴ」と並び最高にゴキゲンで幸せいっぱいに感じさせてくれたと思われる「This is フレーベル少年合唱団」な1曲である。今年、ワルトトイフェル君は十何回目の定演出演をしたことになるのだろう。彼は4人の歴代指揮者の棒で歌い続け、今日このステージにいる。彼のこうした幸運へ感謝する。また、一度プログラムの団員名の表示から消えていたメンバーの再帰も、今年はテノールにモンスターズインクのMシャツくんが登場してくれた。私がかつて毎定演で楽しみにしていた低声側の「あの4人組」のうちの3人がここで揃ったことになる。彼らの歌いはだから、2017年の「流浪の民」のソロ部分を聞いているような印象であった。しかし、合唱団はこの1曲をボーイソプラノ時代の団員達の姿を想起させるだけの「以前は良かった」的なものにしていない。この隊列にはしっかりと現役S組団員でもある少年が加わって一翼を担っているのだから。その彼の聞きまごうことのない、彼だけが出せる変声後も変わらぬ個性的な声がハッキリと客席に聞こえてきたとき、私はこの夜ここへ来ることができて本当に良かったと思った。

アンコールには「アンパンマンたいそう」が選ばれ、「アンパンマンのマーチ」に添えられた。(この編曲版でセリフ入りの「…たいそう」は、くりかえすようだが、現在のユースの面々が川内萩ホールでメインに歌っていたものである)。オリジナルのものとはセリフの一部やエンディングで違いはあるものの客席を沸かせる手練の巧みさに私たちは思わず引き込まれてしまう。男の子の持っている生来ガサツで音楽的にピタリとはなかなかいかない成長途上の泉門を魅力に逆転させて聞かせるたしなみは、それぞれのクラスがそれぞれの年齢や経験に即して声を出していることや、伴奏者がその鍵盤の向こうを通り過ぎていったおびただしい数の少年たちの生気や、たとえ拙くとも懸命であった彼らの歌いを参照しながら団員らに演奏を届けていたことが大きいと思う。「既視感」への適切な対処は、それを届ける側の、客席への正直な姿勢によるものなのだ。「またコレなのかァ」という否定と「待ってました!やっぱりコレだね!」という聴衆の肯定を決定づけるものの要因に大きな違いがあることは、この曲を聞くだけでハッキリとする。

60周年のフレーベル少年合唱団定演ステージに庶幾があるとしたらはやり彼らの乗る箱馬の高さだろうか。彼らは伝統的にかなり低い蹴上で下段を組んでいるため、近年のS組などはこれを1段ぬかしで使い良い表情を見せてくれる。3段目には平台が噛んでいるため結局高さ1尺をかせぎ、高学年団員のブレスも綺麗に見とることができる。だが、それ以上になると段の高さは6尺に戻ってしまう。背が高い訳ではない団員の場合、かなり後列の客席でも角度によって顔が隠れることはあきらかであろう。また、1段ぬかしの山台使用は後列の団員をホリゾント側へ深く追いやることにもなる。公立小学校で使われているアルミひな壇(脚と台がアルミニウム組成で児童が転倒しても木材同様にダメージを低減する)でさえ高学年の児童が立って後ろの子の視線を邪魔しないよう25センチ(一寸弱)の段差で急峻に組み上がっている。早生まれ1年生の児童ですら「6年生を送る会」や来春の「1年生を迎える会」の練習のため鍵盤ハーモニカなどを抱え短時間に最上段まで登る使い方を当たり前のように要求される現在、体位向上の少年たちで構成される少年合唱団が今更6尺箱馬に拘泥する理由も無いであろう。息子をこの演奏会で卒団させる保護者にとっては、対応はちょっとアリガタイ配慮となるに違いない。

ユニフォームに関しては昨年に準じてアバンのセレクト部隊にタキシードを着せて早替え(今年度の部隊は更衣が速やかで整っており、団長の話すタイミングの二分の一でスタンバイを終えたように感じた)し、以降は紺イートンベースを着脱してバリエーションを捻出し最後まで見せていた。「既視感」ということで言えば、今回のメソッドはフレーベル1990年代の苦しかった時代の定演での窮策を思い起こさせる。当時のフレーベルの団員は現在と同じ紺ベレーの他は開襟にジャケットと裾広の薄鼠の半ズボンしか貸与されていなかった。彼らの自由になったのは「黒い革靴」という条件のアイテムだけで、「白無地のハイソックス」の着用が年間を通じ義務付けられていた。ライバルのTOKYO FM少年合唱団が当時は超短い?!半ズボンに合わせるカジュアル(放送局のロゴが入った7分袖のトレーナー(?!))と「通団服」(ステージ出演時にも着用される)と呼ばれるブランド仕立てのニットシャツとは別に5年ごとフォーマル制服とクリスマスなどに着られる聖歌隊ふうの制服をトータルでリニューアルし耳目を集めていた。がさつな男子小学生の合唱ほどフェティッシュな要素できっちり攻めていかないと客席の支持を得られないことが実態としてはっきりしていたのだ。時のフレーベルのマネジメントスタッフがそれに対し考えたのは、創立後の1960年代から70年代に打っていた「絣浴衣のようなものに兵児帯・草履」のスタイル(今回のプログラムにも1961年9月の最初の演奏会の小さな舞台写真が載っている。そこには「第一回定期演奏会」と記載されているが、実際はこの回のみ「発表演奏会」としていたようだ。馬場先門・東商ホール)やちょっとスポーティーに剣道着を防具なしでセレクトにあてるという和装路線と、通常制服の上着やベレーの着脱という2つだった。団員が目に見えて減少していた当時、月謝をとらないフレーベル少年合唱団ではそれが精一杯の処方だったのである。今回の定演で感じた子供達の制服の着脱は、当時の状況も含めて「ああ、あの時もこれを見たな」という辛苦の思い出だった(それでもやっぱり8月定演での彼らは厚着すぎると思う)。

今回、終演に際して指導陣が子供達の前に導かれ、総顔見せをするというフレーベル少年合唱団らしくないエンディングを試行した。こうしたことがどこから導かれてきたのかは想像にかたくない。合唱団を応援しているのは団員達の友人や幼保のかわいい(?!)お友達ばかりではなく、圧倒的多数が地域やオールドファンの高齢層なのだ。国内の男の子の合唱団に対し「運営に新鮮さが欠け保守的である」と厳しく糾弾しながらも「昭和時代の少年合唱団はどこもよかった」と回顧するその傍若無人ぶりである。指導陣の隊列がはけた後、今年度、褐色王子くんやはに丸くんの後を継いだクマくんウシくんチームのリーダーが、まったく「新鮮さに欠け保守的」なルーチンをかたくなに堅持してフレーベル少年合唱団の終演の呼号を「気をつけっ!礼っ!」と彼らしい颯然とした凛々しい声で投げ、それに応じた少年たちが歌い尽くしたかんばせをようやっと下ろしたとき、私は彼らの姿に心底ほっとして思わず独言することになるのだった。「本当に本当にどうもありがとう。フレーベル少年合唱団よ永遠に」。

 

遅刻してくれて、ありがとう。

2018-11-04 22:40:00 | コンサート

フレーベル少年合唱団第58回定期演奏会
2018年8月22日(水) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円

キャラ立ちの強烈な中学1年生、あらゆる意味で全員めちゃくちゃカッコよく子役事務所が開けそうな美男ばかりの5・6年生…と、フレーベル少年合唱団S組を支える高学年の団員たち。その総数に匹敵する25名の下級生は全て昨定演の後、A組から上進してきた優秀でやんちゃな4年生である。実態は昨年までのA組をミラクル&マジカルな一大エンタテイメント集団へとのし上げていたバトル集団。ユースの出現ということもあり、プログラム裏表紙に印刷されている団員名を見て、昨年度定演時の団員構成とあまりにも変化していることに一見して驚かされる。4年生を送り出したクラスの先生方も、4年生を受け入れた側の先生方も、ポイントや観点の違いはあっても各々ご指導にとても苦労なさったはず。私は彼らの存在が、実はフレーベル少年合唱団の一つの時代の終わりの、目に見えぬ端緒になっているのではないかと推察している。

冒頭、合唱団はセレクトの歌声でアバンを打った。昨年は団長挨拶、指導陣の交替前はミュージックベルを鳴らしたり、団員代表の挨拶を入れていたこともある。
58回定演のアバンは、「魔笛」2幕16番三重唱(日本語版)をフォーマット通り1列横隊のショーアップで。レンガ色タキシード姿のS組セレクト9名。尺はコンプリート長。「魔笛」なので人員は3の倍数。8分の6拍子。歌詞は中間部分がかなり巧妙に充て変えられ、タミーノやパパゲーノの名を(客席の)「みなさま」に挿げ替えてオリジナル通り静粛を求める内容の小品に仕立てている。当夜の演目にはZauberflöteやアマデウス関連のものは見当たらないのに、なぜこの曲が冒頭で歌われたのか、毎年フレーベルの定演に来ている者に理由は明白なのだが、ここでは言わないようにしたい。聞かせるのが団員なら客席にいるのもその関係者だったりするのだから。
実際の上演でもユーモラスな場面に少年たちが男の子ぽい滑稽さで歌い上げる曲。施された「しーっ!しーっ!しずかにっ!」の演技も、多くのステージで見られるものだ。シカネーダの台本は古すぎで(18世紀末だ!)20世紀末からは当時指定された衣装で上演されることは少ない。少年たちのコスチュームも幽霊、サッカーユニフォーム、ストリートチルドレン、宇宙服、完全な普段着…と公演の設定に準じ、聴衆もそれを楽しみにやってくる。だからここでも彼らのレギュラー装束であるタキシードを着用したのだ。2015年夏には舞台設定をテレビゲームの世界とした宮本亜門演出のステージにTFBCが出演し、国営テレビでもオンエアされたため少しだけ話題になった。そうした数十年来の舞台をこれまで見続けてきた者がフレーベルの当夜の演唱を聞いた第一印象は、「女の子が歌っているみたい」というものだった。セレクトの9名はもっか合唱団の基幹にいるバリバリのボーイソプラノたち。アマデウスもこの曲をト音記号では書いていないが、今年の彼らが奏でているのは従来の魔笛の三童子にあったボーイズライクなメリハリの効いたカチンとした芯のある歌いではなく、ふんわりと柔らかくソフトでレガートな流れ(スコア上、1音節を表すための2音以上でのみスラーが付けられている)に終始する小首を傾げた少女たちのイメージなのだった。

団長挨拶を巧みにスペーサーへ活用し、S・Aの全隊60名で団歌を朗唱しパート1がリスタート。先のセレクトを早替えで隊列に戻し、今年は全隊統一で安心感のある見慣れたイートンのシルエットだ。ユースのメンバーを擁し、小学4年生メイン60名規模の隊伍の声は半世紀前の懐かしい歌声を思い起こさせる。あの頃、私たちはフレーベル少年合唱団の溌剌とした演奏にかすかな憧れのようなものを感じた。背後のホリゾントへフレーベルの赤い団章が燦めき、100名を超えるマリンブルーのユニフォームがびっしりと山台に並んだ姿は到来する至福のひと時を約束した。時を超える今、私たち観客は彼らの歌声になんと一喜一憂させられて定演の暫時を過ごすことだろう。今年の団歌はそうした意味で良く仕上がっていた。新A組諸君の彼ららしい声が響く一瞬が訪れ看取できたのは、今年の彼らの団員構成が半世紀前の「B組」に戻ってぴったりと重なったことであり、それ以上のクラスを為す歌声が50年の時を経たかつての「A組」へ生年的・年齢構成的に似たということなのだ(当時はS組というクラスは存在していなかった)。

あらゆることが次々と取り変わってゆく合唱団の事態はこれが2度目のこと。前回は「今、聞いてくれている人たちをどう驚かせ、喜ばせるか」というレーゾンデートルの15年間以上にも及ぶ長大な刷新だった。合唱団はステージ上のローマ君をして客席に向かい「どうぞ前へ来て、写真を撮ってください!」とさえ言わしめている。団歌の間奏・後奏をあっさりと削り去り、定演のステージにフレーベルの団章を引き下ろしさえしたが、ユニフォームを毎回・各ステージごとに着替え、隔週に一度は都内各所で30分レギュラーの一般公開の演奏会を開き、終演時のルーチンをびっくりするようなもので飾った。学校楽器などを上手に仕立てて合唱の合間に聞かせ、外部出演の報告をかなり頻繁に長期間にわたってライブステージで行ない歌ったりもした。それらは客席にいた私たちへの贈り物として受け取られ、このサイトの拙文の中へ大切に保存されている。彼らはそれを見たお客様が思わず「わぁ!すてきねぇ!」と声をあげ、手をたたいて喜ぶ姿を素直な気持ちで眺め、自身への評価とした。今日の客席のために、彼らは様々な変化を打ち続けていたのである。このお客様がたは、どう思うだろうか?が、その驚くべき変化の最大の行動指針だったように思える。
ここ数年、団員たちの出演後のばらしがやや後送りになった印象を受ける。かつて、演奏会終演後、客席でもたもたしていると、先ほどまで歌っていた団員たちがもう着替えてロビーにたまり、保護者の引き取りを待っているという状態だった。それでは現在の団員たちが何をしているか…出待ちをした保護者には我が子の表情をして明らかであろう。彼らはおそらく当日の演唱についてきちんと指導を受けているのだ。フレーベル少年合唱団の2度目の変化の波が、「これまでのお客様を喜ばせるための変化」から、だれを喜ばせるための大きな変化に遷移したか、この例でもはや明解だろう。1度目の変化の最後の10年間の渦中にいたワルトトイフェルくんが「S組アルトの低い声の方」ではなく彼らのための新しいクラスで歌いはじめたのはとても象徴的な出来事のように思える。

当夜のMCは徹頭徹尾昨定演以降多くの場面で活躍してきた団員たち。今年も開演MC担当の褐色王子くんは変声が先週始まったばかりのような状況で、1文を発するだけの職分だが彼の長いステージ人生を知る多くの観客へ思い出のアルバムのように声を投げた。おそらく、この団員がいなかったとしたら現在のフレーベル少年合唱団は気持ちの良いチームワークと心をここまで潤沢に客席へ届けることができなかったろう。MCの声はそういう彼の人柄と団員生活を爽やかに告げている。
チェコ、ハンガリーの調べ(part1)をスメタナのモルダウで歌い始めている。かつてのフレーベル少年合唱団らしい、聞き慣れた穏当なプログラムと出来栄え。8分の6拍子のアウフタクトを気持ちよさげに流して歌う少年らの航行は淀みなく、昨年度S組の基本カラーを遵守した声質が先ほどの褐色王子くんの声を思い起こさせて理運のひととき。一方で今年のチームらしいバランスの良さ、日本語の正確さ、耳の良さからくる柔和で細やかなコントロールなど聴きどころは多い。従来のフレーベルらしい、聴衆を喜ばせる親しみのある選曲だった。

だが、次に一転、「ミクロコスモス」からの3曲が歌われた。曲が合唱でコンサートプログラムに乗るのも、少年の声で供されるのもおそらくこれが日本で初めてのことであろう。実験である。
最初に極めて特徴的で代表的なハンガリー・リズムを用いた「狐の歌」。次が作曲者独特のステレオフォニックな対のイメージと徹底した5度の並行進行伴奏が白眉の「対話」。最後にハンガリー民謡へ極めてバルトーク的なバーバリーな伴奏を施した「新しいハンガリー民謡」(民謡原曲「Erdő, erdő, de magos a teteje」=少年たちも歌った初行がタイトルなのである)。曲集はこの順番では書かれておらず、また作曲年代は3曲とも1938年から39年の春までのほぼ同時期に行われているようだが、これ以外の選択は考えられないという要領を得た曲順で今回ステージに乗せられている。最初に原語歌詞で、続けて日本語で歌うという従来のフレーベル少年合唱団のフォーマットに戻して演奏した。曲間にはMCのタイトル紹介と担当チームのフォーメーションチェンジが挿入される。「新しいハンガリー民謡」のMC担当団員は昨年までA組でキュートかつ印象的な声を聞かせpartエンドの気分を鼓舞するようナレーションをまくしたてていたが今年はカッコよくアルトに落ち着いていた…びっくり!
3曲ともピアノ練習曲集のうちツェルニー30番クラスのものを選んでいる。1曲目は逆付点で後ろに強拍があるリズムを弾く(先行音にストレスが移る場合のシステムも学ぶ)練習曲。2曲目は5度並進行とDモードのレッスン(5度並進行はこの曲だとゆっくりすぎるので、他にリディア旋法のスゴくモダンでカッコいい55番と、巻末に17番練習曲が添えられている)。3曲目は連弾と「ふだんよく耳にする民謡をピアノで弾く」という課題。MCやプログラムにもあったようにピアノのハーモニーを楽しむべき演目だ。少年たちはこのため、巧妙にメンバーチェンジを繰り返しながらオリジナル譜通りユニゾンでピアノの邪魔をしないよう心がけて歌っていた。今年度のメンバーだから達成可能な「小学生っぽさ」と「ちびっこ仕事人ぽさ」の技を爽やかに止揚して完成させている。
1曲目・3曲目はバルトーク本人の採集譜ではないが北ハンガリーとバラトン湖付近で採集されたものと言われている。2曲目の「対話」だけ偶数番目の上行フレーズが、几帳面で理数系ド真ん中のバルトークらしくそれぞれ直前の下行句の正確な鏡映転回形となっているため、作曲家の書斎の机上で一音一語一句綿密に作られたことがわかる。このため、冒頭のフレーズエンドの歌詞
gereblyéd(ゲレビーd)
は、対となる第3フレーズの末尾の
mint tiéd(ミンティイーd)
とアキュートを含めきつく脚韻を踏んでいなくてはならない。少年たちは、これを「gerebl yé」と分けて読んでいた。ハンガリー語のlyはコダーイ(Kodaly)の綴りの末尾に見られるようにエルイプシロン単体の音価で「イー!」と発音する(後半はcsak!とmegfoglak!が正確にライムしていた)のだが、彼らの小さな身体が真夏のパプリカ畑をからからと吹く風に振れるイメージで可愛い。他にも冒頭のvan-e(ヴァ,ネ)を北欧言語ふうに「ヴォーヌ」と読んでいるのが比較言語学的に言ってお茶目で超ラブリーだ。

パート1最後のコダーイ・ゾルタンのAngyalok és pásztorok(アンギャロケシュパーストロク)邦題「天使と羊飼い」を聞いて、フレーベル少年合唱団もこんな曲を歌えるチームになったのだなぁと嬉しい驚きを隠せなかった。堂々の歌いきりは上の五線譜の頭一つ抜けたGから下は加線2本のGまでがユースクラスの寄与もあって7声(直前に最大8声)で、楽譜1ページまるまる「主イ・エ・ス!」「グローリアー!」という歌詞だけをじりじりソステヌートをかけながら現代ハンガリー合唱らしい倍音いっぱいの和声で叫び続ける。先導し天上へ駆り立てる天使チーム2声の鮮烈で精悍な立ち回り。身体ごとぶつかってくるような体温を感じる男の子らしい羊飼いチームの声の動き。見慣れた少年たちの体からその音像が発せられているのかと思うと、聴衆は自己と現世の同一性をあっさり喪失してしまう。天使チームの配置は声のバランスやラストシーンの物語に陶酔感を与えるためか、当夜は羊飼いチーム同列へ回された。七夕の日の六義園でのデモンストレーション(羊飼いチームには当日、まだガイドピアノが入っていてアカペラではなかった)では、4名の天使チームを前へ出し、スラスト・ベクタリングに長けた少年らしい凛々しいリードをエネルギーの減衰無く客席深く叩き込んだ。特にソプラノ最左翼、「小さい秋(あき)見つけた」君の成長した美麗な歌声は観客の心を深く打ち抜く。安定した彼の心身両面での伸びゆく姿に目を見張ったものである(ブレス収めに兄弟独特の味がある)。PRIDEのセンター君もパワーテイスト全開!アルトの天使チームもすでに野太いマジャール低声をものにしていた。PRIDE君以外は昨年までA組で歌っていたというのに!
パート冒頭の「魔笛~Seid uns zum zweiten mal willkommen」で聞かれた「少年のための歌なのに女の子のような」歌声の印象は、コダーイの少女たちのために作られたと思しきこの曲でもはや逆転し、男の子にしか出せない魅惑のエグ味を付与している。冒頭は13拍ものロングトーンをアルトがアカペラで啼ききるという超カッコいいファンファーレで始まり、この合唱団お得意の「追いかけっこ」の運びも最後まで堪能させてくれる。曲はアタッカで羊飼いの歌へ進むのだが、こちらの方が騎馬遊牧民で「羊飼い」そのものだったハンガリー人の味をよく出して、少年たちも強後打ちのリズム、3度5度と重なった泥臭いハーモニーの並進など、よくわかって気をつけ頑張ってくれている。最後の天使と羊飼いの邂逅はフェルマータで3つの場面に分かたれている。天使の役目はファンファーレに徹し、歌詞は羊飼いの少年たちが導かれるようにしてベツレヘムへ到着し、手を合わせ嬰児に謁見する直前で終わっている。ここから後はもうこの世の物語ではないからだ。目がつぶれるほどの千筋の光の照射、子供達の取り返しのつかない目眩と恍惚と喪心と卒倒。天使役の子供達と羊飼いたちが「グローリア!グローリア!」と唱和して幕を閉じる。映画の大スクリーンで見るような物語の臨場感と言葉を失う光束・光度・輝度の高さを男の子の声が今回再現していたのはすばらしかった。むしろ、男の子っぽい粗野な歌いがそれを可能にしたのではないか。これまで「天使と羊飼い」をおびただしい回数聞いてきているはずなのだが、最後の33小節をこんなにも強烈な閃光に射抜かれて体感したことは無い。ソプラノ側天使チームの「怖れるな!この曲は僕たちに任せろ!」的な面目躍如の大踏ん張りは勿論のこと、逆説的かもしれないがユースメンバーのハーモニクスの効きがその薬効の一つだったろう。また、今年の彼らがこの要求に応えようとがんばってきたことは、部外者の私にもステージの姿を通して感じられた。彼らはいくつかのフェルマータを観客に意識させ思考を切ってしまわないよう細心の注意でまたぎ超えている。また、全体的なデュナーミクの持って行き方にはどうしても体力的な限界を感じさせるが、各所のそれにはきちんと努力の跡が見られる。後半天使チームの入る直前の「…誰がする、うッ?」「…オオカミに、いッ?」の末尾のメゾ・アルトがかなり乱暴に八分音符を吐き足しているように聞こえるが、これは原詩のハンガリー語の特性に見合った妥当な歌いきりだ。同様に以降のアルトの天使チームは目立ってしまったが、寧ろそれでよかった。ハンガリー民謡の正しい語法なのだ。カッコよかった!私たち観客は彼らの歌い姿を以前からよく見知っているので安心して聞くことができ、何より驚くような成長の証が聴け、目立ってくれて大感激!だった。

2017年12月12日(火) 、フレーベル少年合唱団は読売日本交響楽団第573回定期演奏会に出演しマーラーの交響曲第3番5楽章を歌った。サントリーホール大ホールのソワレ。指揮コルネリウス・マイスターの読響で、コーラス席には新国立の女声とともにTFBCも着いていた。フレーベルは昨定演後、時機到来と上進したメンバーを擁す22名の団員を送り込み、新S組らしい甘美で爽快な声をヴィンヤードへ響かせた。良く練られたマーラー3番にふさわしい出来の合唱だったが、フレーベル少年合唱団を長年熱心に応援してきた者にとっては永久に忘れることのできない一夜になった。まず、彼らの指定位置は合唱席最奥上方の遠くにあり、ヒロミチのベストを着たあたま数で倍を少し欠くTFBCが見やすい前方の合唱席を占めていた(その事情は分からなくもないのだが口惜しかった)。だが、フレーベルの団員たちは、絵面合わせを言い開くかのように紺ベスト姿で無帽。両手を体側に下ろしたまま歌い通す。演奏は、日本テレビ(!)の番組「読響シンフォニックライブ」の公開収録だったため、翌2018年の1月18日木曜日に楽曲部分ノーカットでオンエアされ、同月28日土曜日にはBS日テレで全国放送されてしまう。楽章の冒頭、奇をてらった妙な演出で起立する様子も映し出された。2013年以降のTFBCの歌声にも諦観的なるものがあり、ここでは何も言わない。ただ、事実としてあるのは、創団以来長きに渡ってフレーベルがトレードマークにしてきた紺ベレーを、できる限り被らないというポリシーが生まれ、S組では手を後ろに組まず横に下ろすという行動指針の確立されたのが、この一夜だったということだ。今回の定期演奏会で歌うS組の姿を見て悄然としたOB、保護者OGやオールドファンは皆無とは言えなかったろう。だが、合唱団は定演での客席の反応を見て、S組だけでなく他のクラスへも「フレーベル少年合唱団は二度と手を後ろに組んで歌わない」というポリシーを1年間のうちにあっさり援用してしまった。(個人的な意見だが、手を横に下ろして歌っても彼らの歌声クオリティーに顕著な変化は見られないように感じる。外見上、手をぶらぶらされたり前で組まれたり半ズボンの裾を握られたりする様子をかなり頻繁に見せられる現在、私は昨年までのように手を後ろで組んで歌ってくれた方がよほど指導の手間がかからなくて良いと思うのだが…)
6年生を来春以降に卒団させるとフレーベル少年合唱団は「年に15名しか新団員を採用しない」というルーチンで厳しく選考されたメンバーだけが歌を紡ぐ精鋭集団になる。観客たちがおそらく意識していないところでもこの少年合唱団は決定的な変転の時を迎えようとしているのだ。

今回、外見的に最も昨年のイメージを継承していたのは年長さんと新1年生で構成されるB組だったのかもしれない。だが、昨定演、退場場面に到るまで徹底的にthis is Froebelなエンタテイメントの見せ場を供していたそのチームは今年一転してボーイソプラノ研修生のふるまいを公開する。堂々の「あんぱんまんたいそう」を前振り代わりに「ドレミファアンパンマン」へ繋げ2曲10分間のステージでキメた前回。今年はプログラムが3曲に増え、反比例するように演奏時間は昨年よりやや凝縮されたような印象を受ける。今回ステージマネージャー(監督)が変わったこともその要因の一つなのか、だが、客席の受け取った率直な印象はB組クルーのポイントとなるストリームが、選曲・指導とも1つ上のチョイスがなされたというものだ。こうした所感はまず登場・退場場面での彼らのアクションや、今年逆に構成年齢を抑えたイメージのA組のクオリティーとあまり差異を感じさせない曲紹介MC(後述するがA組の方が巧みに幼げな愛らしさで客席を魅了する)などで明らかになる。山中+湯浅ゴールデンコンビの「ほんとだよ」で冒頭から突然シャウトとソロをきりっとフィーチャーし、彼らのコ憎らしい妙味を聞かせる。私の耳には場内の拍手(カッコいい)と客席のもらす笑い声(かわいい)が確かに聞こえた。「カッコかわいい」と観客は直感的に高評価しているのである。また、この年齢の子たちがハッキリとした美しい日本語のソロとユニゾン(これはB組ステージを通じて評価されることだった)を繰り出していることも判る。6歳児的な音の落ち方なので記憶的にもハッキリしないのだが、年長さんの男の子にのっけからA#をポンと狙って出させようとした選曲に私は心底惚れた!乳歯の抜けた年長さんと小1プロブレム一切無縁の新1年生のちびボーイソプラノたちへ、定演の演目として「元気で優しくてわけがわからなくてちっともじっとしていない男の子っぽい魅力」と、数年後の未来、立派なS組団員になるため身につけさせたい音楽スキルとそれまでに心身へ刷りこんでおきたい音楽センスと音感とクリエイターへの思いを同時に定演のステージで実現させようとする選曲の審美眼は次の「クラリネットこわしちゃった」でも顕在する。ハンドサインはS組ステージのフィナーレを想起させ、また階名唱を入り口に聴音、楽典、ソルフェージュといったものが小さな男の子にもきちんと学ばれていることを推察させる。鍵盤ハーモニカの吹奏は彼らの日常の活動の充実を思わせる。クラリネットのレプリカを一生懸命「へたくそに吹いている演技」をする少年の仕草の愛らしさ、真剣さ、ひたすらな表情に今年も観客はあっさりノックダウンだ!こういうことがうまくいっていると、「このクラリネット、いったい誰が作ったんだろう?うふふふ」といったことにまで観客が思いを馳せてしまう。楽しいステージになるのである。
選曲の妙はパートフィナーレの「青い空にえをかこう」にも感じられる。上芝はじめという作曲者名はこの曲が小学1年生のために書かれたことを暗示している(JASRAC上の正式登録タイトルが「あおいそらにえをかこう」とひらがな書きになっているのはおそらくこのためだ)。曲の発表された1985年、小学校の音楽教育はまだ「学校音楽校門を出ず」と批判の矢面に立たされていた。小学1年担任をしていた全国の公立学校の教師たちは全放連傘下である無しを問わず音楽の時間の最初の15分間を使って子供たちにNHK教育テレビの番組を視聴させていた。子供たちは元気に振り付きで踊ったり行進したりしながら教室でこうした新1年生向けに特化された新しい挿入歌を歌い、楽しげに帰宅していく。番組名「ワンツー・どん」。85年以降どんくんとともにMCを担当した「リズムのおじさん」が作曲者上芝はじめだった。今回、フレーベルB組がパートの終わりにこの曲をチョイスしたのは、選曲者が目の前にいる1年生の子供たちの成長を的確な目で見据えて下した判断であったことがわかる。かつてこの合唱団の下位クラスの定演ステージでは小学4年生もいるA組のお兄さんたちが年少さんの演目につきあって発達段階に全くそぐわない歌を歌うことはあたりまえだった。当日ユースクラスで歌っていた団員の中にもそうしてS組に上がってきたメンバーはいるだろう。今回B組ステージで1年生向けに作られた曲を1年生たちが彼らの気概で歌いきり舞台を後にしたことも、フレーベル少年合唱団のかつての一時代があきらかに終わったことを象徴的に顕している。全体的にやや走り気味のテンポだったが、カデンツァ(もともとお姉さんやどんくんの独唱部分だが、今回は斉唱で通した)の後のアテンポが綺麗で調和している。「エイヤァ!」の呼号に望まれるのは歌詞と同じ比重で丁寧に、またオリジナルの放送年度によってグー出しを左右交互に混ぜる場合と右拳のみの場合はあるが、最後のポージングで「ヤー!」の声もしくは軍隊式敬礼を添えてみせる低学年担任もいる。

A組ステージのパート3はB組同様、昨年比2曲増量でこちらはタイミングを約5分間延長し20分間のステージだった。拙文冒頭に記した通りここ数年のフレーベル少年合唱団の動向がA組を中心に展開されていたことを再認識させられる非常に分かりやすい構成となっている。最後の8曲目「いま生きる子どもマーチ」はS組の賛助で歌い、昨年11月のTOPPAN HALL「湯山 昭 童謡トーク&フレーベル少年合唱団コンサート」の隠れた原動力が彼らにあったことを物語る。当時まだA組に所属していたこの応援メンバーたちの活躍は実は2016年には本格化していて、NHKホールの出演や点灯式を含むクリスマスのライブ、テレビ番組収録などをはじめ本来S組が担当すべき出演のほとんどでS・A混成もしくはA組単独という派出が日常的に行われていた。この年はとりわけ定演時期スライドの関係からA→Sの上進が半年以上遅れ、下位クラスの有効活用を余儀無くされるという状況に合唱団は置かれていたように思われる。昨年パート3ステージで歌われていた「歌のメリーゴーランド」をとしまえんカルーセルエルドラドの前で歌ったのも、TOPPAN HALLで「いま生きる子どもマーチ」や「あめふりくまのこ」をメインで歌ったのもこの団員たちだった。卑近の3年間、フレーベル少年合唱団のライブ出演はA組の子供達無しには立ち行かなくなっていたのである。そして彼らの八面六臂の大活躍は、57回定期演奏会の「いぬのおまわりさん」の2番のソリストたちが、消防少年団の訓練礼式にも負けないくらいカッコいいシャープなお辞儀をして隊列に戻り客席の私たちが思わず拍手した瞬間を頂点に収束していく。彼らはその後、正式なS組団員となり修練し続けたからである。21世紀初頭の小学生男子の発達段階としては穏当に、夏休みを終えてステージ上の4年生たちはもうおっかない表情のまま、母性本能をくすぐるようなキュートな表情は見せなくなり、「イケメン&美声」というキャッチフレーズが「美声」中心へ移行した。
フレーベルA組は本来の「S組予科」の立ち位置へ回帰したと言える。だが、そこはお客様を喜ばせてナンボであり続けてきたA組、タダでは引き下がらない。彼らは今年、幼さや舌足らずの可愛さが戻ってきたことを逆手にとり、曲目やMC担当者にラブリーで愛くるしいキャラクターのある選択をしかけてきた。「しまうまのうた」から「やどかりさん」までの4曲はピッチホールド的に一般の低学年男子の手には余るチョイスで、それを「細く頼りなげに聞こえる」声質へ収斂し愛おしく聞かせる。曲の内容は未就学児向けのものばかり(歌詞を見るとそれがハッキリする。「すてきな山のようちえん」だ!)。だが、彼らはこれらの曲から実に多くを学んでいるのである。テンポの速いユニゾンを揃えて少年らしい頭声に持ち込む手腕。冒頭のファルセットのソロを受け取る幼少年たちの遠いメゾピアノがたまらなく良い味を出している。現代っ子らしくポップなリズムも鄙びたワルツもお手のもの。「湯山昭童謡の世界」と銘打ってはいるが、これはまさしく「フレーベル少年合唱団A組の世界」なのである。
続いて湯山作品の一つのキープレーヤーとして「ヨット」が歌われる。現在の文科省検定教科書には取り上げられていないが、本作は昭和時代の最後の改定まで東京書籍(!)と教育出版の小学校4年生用音楽科教科書の重要な教材だった(湯山が東書版音楽教科書「あたらしいおんがく(新しい音楽)」の著者代表だったのである)。昭和の最後の20年間に小学校教育を終えた日本人の多くが、この作品で「四分の三拍子」と「適切なブレスのタイミング」という重点事項を学んでいる。こうした演奏会で歌われることを想定して作られた曲ではないのだ。だが団員たちは徹頭徹尾ソフトボイスで冷たい旋律をストイックに運び、この「教材曲」を、タックでしぶいた潮がジブセールからしたたり落ちるヌヴェルバーグ映画ばりの曇天のホッパー・ヨットのワンシーンへと仕立ててしまった。実物のヤンチャな彼らを見ていると、この仕上がりの物凄さ、秀逸さに怖気付きそうになる。
続く「おはながわらった」は掛け合いのソロのリードで後半カノンへと発展する。フラワースマイルの慈愛とナイーブさは小学校低学年の男の子たちには望むべくも無いが、クオリティー的にはよく揃ってスタジオ録音にも耐える歌いを展開している。明るい声へ転向するメリハリがシッカリと把握されていて同じメロディーを執拗に繰り返しても飽きさせない。ただ、プログラム上あと2曲残っているのに最後の(?)MC君はA組最後の曲になりましたとハッキリ前置きして「あめふりくまのこ」を導いている。昨年のトッパンホールでのコンサートにも一押しで歌われたレパートリーだが、メンバーを入れ替えてなお非常に歌いこまれており、この小さい子達がソロ・オブリガートを含むディビジ3部のアゴーギクの効いたかなり背伸びしたトライアルを平然とこなしているのにはちょっとした憧れのようなものを感じた。彼らも翌月以降には中学生もいるS組に上進して歌うのであろう。そうした彼らの道行きをパート終曲「いま生きるこどもマーチ」でかつてのA組メンバーを擁して歌い、客席の人々の心を少年たちの成長に重ねて楽しませ、心から幸せな気分にさせた。多くのメインクルーを送り出して、技術的にも員数的にも振出しへ戻されてなおA組は「湯山昭の世界」の名を借りてフレーベル少年合唱団の最も素晴らしいひとときを届けてくれた。

服装についてはここ数年、S組のタキシードに下位クラスのイートンというルーチンを堅持し、2017年度からB組のみボウタイをやや浅い赤色のリボンタイ(10年前まで全隊で着用したベルベットの長いものではなく、幼保の制服などによく見られるタイプのリボンタイ)へ変更するにとどめている。58回定演ではアバンの出演団員9名のみタキシード着用で、直後に団長の挨拶MCを挿入して早替えをさせ、終演まで全クラスがイートンという演出をとっている。このちょっと「おや?」と思わせるプランはプログラムの団員名簿を見ると合点が行く。合唱団には4年生サイズのタキシードが明らかに不足しているのだ。彼らのダブルのイートンはボタンが足つきのキャンディボタンになっているだけで同じネイビーのものを大阪の公立の小学生も通学に着ている。だが、見るからに高価そうなタキシードをここ2-3年の定演のためだけにポンと気前よく作り足し以降デッドストックに吊るす余裕など普通無いだろう。今回全クラスが単一のユニフォームを着用して終始したことについて、15年前までのフレーベルのステージに感じられていた「何回幕が上がっても出てくる子供の格好は同じ」という閉塞感を頻繁なポジションチェンジや中学生に長パンツをあてるなどして軽減しようとしている。

休憩を挟んでpart4。「ユースクラス誕生」。登場するのはこの「きみらのうたよ」でも歌うさまに触れてきた人気のOBや先輩団員たち。彼らは長い期間、フレーベルのステージで休むことなく歌ってきた。S組の現役同級生と同じステージで歌って、たくさんのお客様に心からの声援を長いこと得続けていた薫くんの立ち姿を一眼見ることができて私は心底幸せだった。
人々はどう思うのだろう。その隊列に変声中のS組現役団員がいるということは、ユースクラスの練習が、S組練習の(おそらく)終了後などに、別立てで行われたことを意味する。カンタンなことでは無いのだ。
パートはMCによる紹介とインタビューを演奏で挟むようにして成立している。ワルトトイフェルくんが最後にマイクを向けられ、本当に良い表情で微笑んで言葉を切った。彼らはゆずり葉のように自覚してこのチームの成員へと進んだ。「ユースクラス」立ち上げの理由は誰の目にもあきらかだったろう。男声用にしつらえられた「ぼくらのうた」と「さびしいカシの木」の2曲が歌われた。「カシの木」の最終連を調べてみて欲しい。これは歳を経たワルト君たちが結局どうなったのかの結末を描いている。わたしもまた、ワルトくんと、歌詞の文句のように、ほほえみながら立ち尽くすのだった。

今年、あの低声系4人組はどうなったのだろう。
彼らは全員昨年定演の「流浪の民」で重要なポストを担い声を聞かせた。美白男子くんは曲紹介MCで彼らしい口上を述べて客席をわくわくさせ、PRIDEで黄色いモンスターズインクMシャツをキメたMくんは、ワルトトイフェルくんと組んで2重唱を聞かせた。歌声は彼の人柄を誠実に映し出す鏡のような篤厚な出来栄えだった。2人とも昨年度の終わりまで出演があったが、今定演のプログラム上に名前は無い。合唱団とはまた違った人生で真摯に素晴らしい少年時代を送っているのだろう。
あのカッコ可愛いはに丸くんにも穏やかな変声の兆候は見られるが、いずれにせよ彼のハンサムで水もしたたるイイ男然とした精悍な声は歌声・話し声とも全く変わることなくボーイアルト街道驀進中だ。褐色王子くんから引き継いだ会心の終演呼号も客席の人々の心へとチェクメイトを決めている。ボーイズ集団としてのフレーベル少年合唱団が、こうした秀逸なキャラクターの団員を育て続けてきたことは、他団や他の児童合唱のチームに誇るべき実績だと思う。彼もまた、数年後には合唱団と違った人生を素晴らしい心の篤さで生きてゆく。そう思いながら終演後の客席を立つ私たちは本当に幸せだ。
そして最後の一人はS組団員であり、なおかつユースクラスへの上進を決めているスタイリッシュなボーイアルト。
私は昨年のレポートで「様々な幸運と巡り合わせの良さでセンター位置上段やアルト最右翼の一番良いポジションで歌うことが多く、テレビや大規模ホールでの出演とDVD、CDなどの記録を通して常に歌い姿やMCを私たちに見せてくれたように思う。」と書いてすぐに反省した。「様々な幸運と巡り合わせの良さ」という失礼な言い草はなにごとであろう!現在もなお、必ず毎回のステージで心を尽くして歌い、日々の厳しい指導もあろうがへこたれずMCを繰り、「もういいか。頑張って歌ったよナ。俺はもともとこの程度だから。」というボーイアルト人生の終結を自己には決して許さず、腕が折れても声が変わり始めても彼は与えられた全ての出演に全身全霊で歌い続けてきた。たぶんあなたが来週コンサートを打つ興行主で、彼を慮って「大変だったら6年生は出なくてもいいんだよ。お家の方と相談してみたら?お休みしても怒らないから。歌える??」等々慰留してみたところで彼の返事は最初から1つに決まっている…「必ず出演して歌います。」だ。おそらく、毎週の練習にも家での練習にも手を抜くことは無いのだろう。声が落ち始め、身体に変化が見え始めてから1年間のステージでの姿を見てさすがの私も目が覚めた。これは「幸運と巡り合わせの良さ」などでは決して無い。彼のたゆまぬ地道な努力を周囲の人々が澄んだ目で真摯に確信を持って見遣り、敬意をもって評価しているからの非常に高い尊いポジションなのだ。たからといって壮絶な少年合唱団人生を期待してS組の下級生らに彼のことを尋ねてみてたところで、たぶん「優しいし、オモシロい先輩だよー!」としか言わないだろう。これが彼の魅力…おそらくそういう素敵な少年なのだ。

曲集「ゆずり葉の木の下で」は、ジェンダーを意識させる作品群であるようにも思える。「モン・パパ」で彼らは「ぼうやはもらう…」と歌い出し、「パパはもらううすっぺらな給料袋を」とかかり受ける。「あおいあおい」では「ぼくたちの心のあおが…」が結びの言葉だ。詞に出てくるのは男の子。母さん、父さん…という語彙も印象的に数カ所で用いられている。これは父と母とその息子の歌集なのだ。豊中少年少女と豊中混声の委嘱作は、子供の声部(ディビジ2部の単声、ソロあり)と混声合唱の構成が前提に作曲されている。少年合唱団とそのOBの合唱では狙われているジェンダーの趣向を正確に打ち出すことができない。それにもかかわらず彼らが「ゆずり葉」に寄せるバラードを2年にもわたって歌い続けていることを、聴衆がどう評価しているのか興味がある。
今回はコンプリートの5曲をステージに乗せた。児童合唱のパートはほぼユニゾンのまま、混声のソプラノとアルトをOB合唱団がテノールで手堅く鳴らし良い響きに持って行っている。例えば、1曲目「あおいあおい」の少年たちとOBの徹底した掛け合い(「対話」とでも言うべきもの)で魅力的なのはまずOBが四部でほわんと運んでいく和音の面白さ。子供達はその上に斉唱のまま清潔で純真なメロディーをレモン・シャーベット状に乗せてさっぱりと口どけさせている。100小節ほどの長さの中に、際立って大きなアゴーギクもディナーミクも存在しない適度な清涼感を保ち聴く人の目と心もを冴えわたらせてくれている。単声だけでここまでもってゆける最近のフレーベル少年合唱団の声作りと実力の高さに気づかされた。
2曲目はデ・ラ・メアの「深く澄んだ目が二つ」で、デ・ラ・メアらしいライトなグロテスクさが上手く書かれ、また歌われていた。前の曲でOB合唱のトッピングとして機能していたボーイソプラノは、ここでは大人の声と動物解剖学的な顔部器官数を唱えるカップルゲームを皮切りにモダニズム的和声を響かせあい駆け抜けてゆくというエキセントリックな聞かせ方をしている。曲集の中で、本曲はおそらくスケルッオに相当する位置づけなのだろうか。子供達の声が規則正しいピアノのリズムに乗せて2拍子、3拍子、4拍子の間で目まぐるしく遷移する中、ちょこまか動き回る。後半、頭部感覚器への処理命令が子供達の声であたかもコンピュータのコマンドのように繰り返され、最終的に「頭が心に」考えよと唱える場面ではこの作品唯一の童声ソロが「♪考えよ」と(たったひと声のキャスティングだが、これまでのフレーベル少年合唱団の人選の中でもベストマッチで群を抜いている)歌われ、曲はアンダンテ相当のピアニッシモで冒頭に回帰し幕を閉じる。S組の声質は昨年のものから4年生メインの鳴りに変わっていて、そこはかとないお茶目な響きがスケルッオにぴったり。跳躍力もしっかりとしているし、ピッチホールドも耳の良さも手慣れた歌の手腕も感じる。

3曲目「川」。キャストを入れ替え、歌うのはA組とメゾ客演の布施奈緒子だ。このメンバーチェンジがとても良い!彼らは昨年までB組ステージで「ドレミファあんぱんまん」を歌っていた幼少年たち。幼少年だが非常に優秀なメンバーであることは前述した。合唱団はここでもそれを実に巧妙に意図的に使い曲世界を説明している。ホ長調のワルツだが、曲が同主調にスライドした途端、指導者たちの目論見通り彼らは覚束なげな歌いになり、それを「少年合唱団」らしくシッカリと持ち直そうと頑張るケナゲさで私たち客席の者の心を奪う。彼らの実際の母親のコーホートより弱冠高めの印象で歌った布施のソロも歌詞に説得力を与えかなり効果的だ。だが、驚くべきことに(子供達の声部はほぼユニゾンであると前述したのだが)、なんと声質だけ幼いまま2部で暫く曲を運んでいくのはA組の彼らなのである。後半のリタルダントから美しく愛らしい男の子らのボカリーズが漏れたあと、客席で感極まって声をあげる女性客のなんと多かったことか!合唱団はこの後の2曲からアンコールの「アンパンマンのマーチ」までA組を加えたまま歌いきり、客席の声援に応えさせる。次の「モン・パパ」でも彼らの無邪気さがまた違ったテイストで発揮されるからだ。

4曲目の「モン・パパ」はS組とOBを呼び戻し、メトロノーム80台のヴィヴァーチェ的なかなり威勢の良いテンポから最終アプローチでの130以上のアジテートまで、子供達のほぼ全編マルカートな面白おかしい声が楽しめる。谷川俊太郎だ。「川」の詞があまり「痛快」な谷川では無かったのに比べ、本曲の歌詞は図に乗って言葉遊びの谷川俊太郎らしさをいかんなく発揮してくれる。男声はおそらく混声四部の下声部をトレースし、少年たちもディビジ2部で対抗する。5度ぐらいボコンと落ちる素っ頓狂な冒頭の歌い出しや、中間部へ唐突に出現する4分の1+5拍子の立ち上がりなど、「10歳ぐらいの男の子だからこそできる」ヘタウマなのか、「小学生の男の子も訓練次第で歌うことができる」技量なのか、客席へ「どっちだと思います?」と問いかけているお茶目なスタンスが腹を抱えるほど愉快で楽しい!だが、彼らの最近の実力をあらかた承知している者たちにとって、「モン・パパ」はフレーベル少年合唱団のカッコ良さ、凛々しさ、精悍さを味わう貴重な1曲になっていた。それはまず、ボーイソプラノが本来混声合唱の女声で歌うべきパートをいくつか(かなり?)あからさまに食っていること。しかも、ママさんコーラス的な鳴りではなくあくまでも少年の歌声で。もう一つは冒頭部分の結びの「♪薄っぺらな給料袋!」に聞きとれた彼らの耳の良さと心のきめ細かさ。少年たちは事前に厳しく指導されていたのだろうか、自分たちと声を合わせている男声が「定期演奏会に毎年やってくる大人の声で歌うどこかのおじさんたち」ではなく、自分たちの心も目も耳も先達としてよく知りぬいているフレーベル少年合唱団の先輩方であることを納得した上で、旋律を巧妙に煽っている。先輩方を心底信頼しているのだ。昨年、私はOB合唱団をして「損な役回り」と同情して書いた。だが、今年は一転、「こんな小さな頼もしい現役たちに完全に信頼され、安心して声を乗せてもらえる」幸福で果報者の男たち、と嫉妬心から記しておきたいと思う。

演奏会は「ゆずり葉」に寄せるバラードで幕を閉じる。
曲集はへ長調ではじまり、下属の「深く澄んだ…」から「川」で1個下の調に渡り、「モン・パパ」で変イ長調に飛んで、最後は主調へ回帰する。なんとなくドラマチックでライトシンフォニー的なカッコ良さを感じさせる構成だ。フレーベルのあの楽しく面白い少年たちがそれをペロリと歌い上げてしまうというところもオシャレ!大団円だが歌にはハッタリのようなものが無く、非常に穏当に仕上げられている。メンバーにはユースクラスを加え、合唱団は今年LIBERA(リベラ)ばりの派手なフォーメーションを組んだ。だが、S/Aの子供達がとても熱心に練習を積んでこの日に備えてきたことがわかる演奏で好感が持てた。アンコールに「リフレイン」と「アンパンマンのマーチ」を歌っている。

ママさんコーラスとともに、日本中の少年合唱もエンタテイメントという視点から近年明らかな結節点を迎えているのだろう。地味なドレスをまといどんぐりまなこで歌うママさんコーラスがもう国内のどこにも無いのと同じように、十年一日のボウタイ姿に直立不動のまま終演まで朴訥に歌う男の子の合唱団というのは国内からそろそろ姿を消そうとしているのかもしれない。それがいかなるベクトル変動によってもたらされたものなのか、客席やロビーを闊歩する人々や彼らの鑑賞を見て感覚的にせよ会釈できたように思える一夜だった。
合唱団が本拠を置く文京区の年少人口は21世紀に入って漸増を続けていたが(現在のS組が50人規模の隊列を維持してこれたのはこのためだ)2020年の近い将来、減少へ転ずる。問題なのは、文京の生産人口・老齢人口ともに2025年で頭打ちとなり以後ほぼ横ばいの推移を見せるという統計結果(RESASシステムによる)。ゆずり葉のような団塊の世代の退出がその主な要因と見られている。団塊人口の少年期は1950年代後期から60年代。フレーベル少年合唱団の誕生が1959年であることを知れば、それが何を意味するかもはや明確であろう。「観客を喜ばせる合唱の終焉」の夥しいひたむきな「観客」こそ、自身もまた少年少女時代、児童合唱を身近に聞きながら育ってきた団塊以降10年の人々なのである。だから、彼らは高度に音楽的で技巧的にもきちんとまとまった秀麗で確実な児童合唱を聴くよりは、ある程度子供らしい不器用さが残り、上手くいかなくても頑張って歌う健気な少年たちの合唱を聞き、歌い姿を眺めることの方がずっと大切なのである。それはとりもなおさず、自らの少年時代の大切な大切な思い出を、男所帯でやんちゃできかん坊そうでふとした時に仲間を守ってやったり無垢で優しげな眼差しを向けたりするフレーベルの子供たちの歌い姿へ見ているからに違いない。合唱団は5年後を見据えて早々とそうした観客を喜ばせる合唱から大きく舵を切った気がする。
フレーベル少年合唱団は団塊でも団塊ジュニアでも老人でもない聴衆にさえ、この長きにわたり心和ませる数多の至福を与え続けてくれた。だから、今日はT.フリードマンの安らかな美しい水を湛えた井泉のような言葉を彼らに贈り拙文を閉じておきたい。Thank you for being late…遅刻してくれて、ありがとう。


合唱団の根本テーゼが途切れることなく生かされ続けてきたから

2017-11-27 00:00:00 | コンサート

フレーベル少年合唱団第57回定期演奏会
2017年8月23日(水) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円


「合唱界」東京音楽社1966年4月号(Vol.10 No.4)の表紙になったフレーベル少年合唱団A組
(1966年当時、少年合唱に特化された別巻「合唱界ヤング」は創刊の4年前だった)
写真は同年3月2日イイノホールで開催された「ろばの会特別公演/宇賀神光利をはげます会」のステージ。合唱団はこの日、ジュニア(のちのJ組)・B組・A組(現在のS組にあたる)を演奏会へ送り込んだ。1ヶ月後、写真の少年たちは、前年度から準レギュラーをつとめるNHKテレビの番組「歌のメリーゴーランド」への出演を続けつつ同局の日本少年少女音楽祭に出演しオンエアされる。

 今の団員にも通っている子がいるらしい学校の1年生だったころ、私は先生から「イエスさまの話に出てくる『癒す』というのは病気を治すという意味ではありません。罪びとを許すことを『癒す』というのです。」と教わった(イエスの時代にはこれが神をも冒涜する極めて重篤なプロテストだったのである)。この話がにわかに我が身の出来事へと転じ、信憑性を帯びて落涙させられたのはフレーベル少年合唱団第57回定期演奏会パート3のA組『楽しい童謡を集めて』の「ちいさい秋みつけた」の3番のソロを聴き終えた瞬間だった。
歌っていたのはMCに構音などの点で努力し続けていると思われる団員で、このときも十分なブレスが採れているとは言い難い仕上がり。だが、実に澄みきった、苦しいほど甘く、薄皮の剥けたように美しい歌声だったのである。リキみや色のついた技巧からは永遠に程遠い。正しい聞き方ができなくなっていた私。欺瞞に満ちた誤った目と耳。その男の子の歌声が真の意味で私を「癒し」てくれたことに気づいた私は心から慚愧の念に苛まれた。この団員の、向こうに青空の透けるような鼈甲飴の歌声は私を静かに諭し許してくれたのだった。いったいどうしてこんなにも目の曇った一人の聴衆を静かに諭すように許してくれたのだろう?どういう心根を持つ子だけが人心を浄める歌を無心に歌うことができるのか、客席にあった人々なら看取できたにちがいない。プログラムの望月先生の文面にもある通り、サトウハチローが東大の裏手に住んでいた頃、自宅の庭の櫨(ハゼ)の木を見て書いたのがこの「ちいさい秋みつけた」なのだが、現在この木は文京区レキセン公園の、少年たちが毎年クリスマスで歌うメトロMと後楽園駅舎の前に移植され真っ赤な大樹へと成長している。つまり、本日の演奏会場の横にこの木は現在も植わっていて、彼らの歌声を聴いていたというわけなのである。TFBCでは1973年の初発のLP化(当時はVBC)から10年後の番組『天使のハーモニー:秋の歌を集めて』(この年の春はまだ半蔵門のFMセンターが落成していなかったので前半は太平スタジオなどで番組レコーディングを行っていた)を経て、ライブではアルト系のソリストたちの独壇場ともなっていた作品である。だが、2017年現在のTFBCにはかつてのひたすらで頑張り屋で、美しい日本語で織りなす心の震えるような「ちいさい秋みつけた」を歌う条件が揃っていない。選曲者に全くその意図が無いのはよくわかっているが、フレーベル少年合唱団のしかも年齢構成上は下位クラスという位置付けのA組の子供達が同じソロ入りでこの曲を美しい澄んだ天真爛漫さを感じさせる歌声で奏でている。彼らA組の歌声は、かほどに聴衆の心を和ませてくれた。同様の選曲傾向は実に前半パートへごく目立たないように織り込まれていて、パート1の「おお牧場はみどり」はTFBCの定期演奏会のオープニングナンバー(フレーベルの定演ならば『団歌』に相当する)であり、A組はパートエンドにFMのアンコール定番(フレーベルの『アンパンマンのマーチ』にあたる)の「気球に乗ってどこまでも」をご丁寧に同じハンドクラップ入りで歌っている。どれも定番の曲であるがゆえにTFBCがTFBCとして歌うチャームを留保しかけている作品たちであり、片やフレーベル少年合唱団の子供達はフレーベルらしい魅力をたっぷり見せつけながら歌声によって場内を席巻した。なかでもこのA組は数年前から非常に人気が高い。毎年、定演終演時に回収される観客へのアンケートの「各パートはいかがでしたか?」の問いに、A組単独出演の「パート3」の「良かった」へチェックを付した人は、ここ数年ダントツの多さだろう。「かっこかわいい」「うまキレイ」という日本の少年合唱特有の魅力を兼ね備えた大人気者集団である。昨年度まで頑張っていた超優秀&全員美男美声の団員たちがS組に上がった後、これまた注目株の才色兼備の子達(ビッグマンモスのノンノン君に似ている団員さんとか、大きな口を開けて歌っていた前歯の無かった子とか…)がB組から上進。春頃はまだゴタゴタしていたのだが、あっという間にチームのパワーは恢復した。A組のステージ上の人気の秘密は、実はソリストたちの歌い終わりの挙動を見るとよくわかる。4年前まで、フレーベル少年合唱団のすべての独唱者は、曲中、ソロパートを歌い終えるとすぐその場でお辞儀をして隊列に帰投していた。団員が頭を下げるものだから、お客様は曲の途中であるにも関わらず拍手をする。ジャズのソロ・フィーチャーのイメージがあって「嫌だ」という人もいた。合唱コンサートの習慣ではないのである。現在の指導陣になってから、フレーベルのS組はこれを通常の「1曲終わって、担当したソリストを前に出すか指揮者が指し示して客席の拍手を求める」というかたちに戻した。だが、A組はかつてのあの習慣を一部分だが残している。長いことフレーベル少年合唱団を聞いてきた観客を意識しているのだと思う。現在のTFBCが見舞われている在りようをフレーベル少年合唱団もかなり長いこと体験して今日に至っている。だがかつてのフレーベルにあって、ライバル合唱団が持っていないものは、この「長いこと聞いてきた観客を意識する」ことだと思う。現在のA組は定演レパートリー的にも安定志向が続き、お客様の好みを考えて、あれこれと極端に盛ることをしない。また、本定演の後に彼らが出演するとしまえんの「秋のアメリカンフェスティバル」やトッパンホールの「湯山 昭 童謡トーク&フレーベル少年合唱団コンサート」で演奏される演目を誠意をもってここで歌っている。
 今年もA組演目の中心は「ろばの会」の時代の曲群で、「歌のメリーゴーラウンド」は、後半背後に並ぶOBの先輩方が出演していたNHKテレビの番組テーマソング(フレーベル少年合唱団は、1967年12月末の公開収録の最終回まで出演してこの歌を歌った。番組は当時既に録画編集での放送・再放送だったため、公式には翌年の春までオンエアされている。)。「青い地球は誰のもの」は「70年代われらの世界」のテーマ。「気球に乗ってどこまでも」は昨年の「夕日が背中を押してくる」に相当する1974年のNHK全国学校音楽コンクール課題曲のA組向けチョイスである。「歌のメリーゴーラウンド」のピアノ伴奏がかつての伴奏譜へ後奏まで忠実だったのが感動モノ!
 今年の大当たりの一つは、このA組のアルトパートだった。パート5まで大活躍!たとえ出力にムラがあっても、彼らのチームはしっかり少年合唱団として機能しきっている。ソロのオンパレードだった57回定演…ソリストたちの起用は昨年のA組ステージが引き金になって巻き起こった嬉しい現象だと私は見ている。今回の定演でもA組のプチソリストたちは既に多くの観客から顔を知られているほどだろう…というか、ほぼ全員がソロを取れる実力の持ち主であることを私たちは再認識させられる。本定演中で一回だけ、アルトソロのスタンバイ時に立ち位置を後方修正する指示が出たのだが、真摯な彼はこれをパワーセーブの指示と曲解して歌っていた。小学生の男の子をソロで歌わせるという指導の難しさや苦労、それゆえに垣間見える子供の心の柔らかさを感じた微笑ましい美しい場面だった。定期演奏会を終えた団員たちが、大挙してS組へと上進してくる(そして、ベレーのかぶり方が現在に比べてどの子も格段にカッコ良くなる!)。彼らのパワー・マックスな歌いぶりと対峙する現S組の先輩方が、秋以降どんな立ち回りで一段階昂進を遂げるか今からとても楽しみだ!
 パート冒頭にはお約束の「美男3人組のナレーション」で客席をドンっ!と沸かす。続く「犬のおまわりさん」は、ソロをかまし、小学校低学年の男の子が歌うにはかなり手の込んだアレンジ。「さっちゃん」は適所にリタルダントを効かせ、彼らにしか出せない魅惑のハーモニーを創出した。そして「気球に乗ってどこまでも」のA組アルトの安心感。今年もジャスト15分間の演奏時間が心憎い。プログラムの団員名紹介も添えられた掲載写真のイメージも、A組団員がフレーベル少年合唱団の基幹を占める員数である現状をさりげなく示している。

 演奏会全体の構成は、前年・前前年のプログラムのいいとこ取りの折衷プランだ。まずインターミッション前の3パートは時間配当・演目の選択傾向も含めた昨年度の演目のデジャブ+プラスアルファで、後半の2パートは一昨年の構成パターンによっている。時間配当はパート4とパート5を合わせ、オーラスのアンコール「アンパンマンのマーチ」を含めずに60分間強という正確な数字をはじきだしていく。後半の1時間のうち、三分の一にあたる20分間は、野本先生のマイクでOB会長とゲスト信長氏とのトーク、先生方による「ゆずり葉の木」の朗読が占め、歌は歌われない。特にパート5は、本年度の全国学校音楽コンクール小学校の部の課題曲紹介番組といった趣のものになった。さらに、残りの三分の二にあたる40分間の中にはOB合唱のみの演目が2曲含まれるため、子供達が歌うのは30分間。「年間活動報告の演奏会」と銘打っているが、S組・A組・両チーム混成それぞれのパフォーマンスは後半、レギュラー営業の出演時間(例えば六義園の野外コンサートなど)と全く変わらないことがわかる。
 SA組を配して聞かせた「団歌」の後、A組らしいシャープで迅速な撤収があり、S組がアカペラでムシデンを聞かせ、続いてウェルカムMCを流し込む。このあとアップテンポなイメージのナンバーの日本語版を3曲積んでいくという昨年、一昨年のフォーマットを踏襲した。「おお牧場はみどり」はソプラノ系オブリガートを明快に聞かせ、「歌の翼に」から「流浪の民」へ流す当日ここまでのS組(25名を僅かに割る人数なのだが)は、木漏れ日のようにブライトで軽快なタッチ。「団歌」に聞こえたA組低声のシャイニーな明るさ。ワルトトイフェルくんたちのこなれたアルト。どれも「少年合唱団のコンサートにやってきた!」という客席のワクワクの感を裏切らない。100点満点の設定であれば、250点を付けたいハマリ役のMCが後から後からマイクスタンドの前へとかっこいいユニフォームの姿を見せる。part1の短い15分間が、どうか永遠に永遠に続いてくれたら良いのにと、無理を夢裡へと頼む自分の理不尽さに気づく。「流浪の民」は2017年に入ってから基本のソロキャストをキープしつつ、様々な舞台で試行が繰り返された。大メインの「慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり」を6年生と5年生の2名のソプラノ「トップソリスト」がステージごと毎回交替しながら競い合うように勤め、客席を魅了してきたのである。フレーベル少年合唱団は今年、4・5・6年と各学年に経験も研鑽も豊富な超弩級のボーイソプラノソリストを擁し、6年生ソプラノには今回の「流浪…」を歌い上げたドラマチックで豊満な声のソプラノソリストと、内面性の強い表現とコロラトゥーラな素材が一人の少年の中で鬩ぎ合うという絶妙な味を持つ昨年「美しく青きドナウ」の高声を担ったソプラノの2名の少年を配している。プログラム文面にもある通り、今回のpart1の目玉商品は彼らをはじめとするソロの横溢なのだ。「なかでも一番好きな団員たち全員のソロが聞けた」と休憩中思わず小躍りした観客もいたに違いない。ソプラノ6年の頂点にいるのは、6年前まで六義園などで観客としてお兄さんがたの歌声を聞いていたクリクリ天パーの男の子。…その後、優しく愛らしいMCの代表選手となり「客席の小さな男の子」はついにフレーベル少年合唱団を代表する色艶のついた気品のある声を繰る高評価のボーイソプラノ・ソリストとなった。長いことフレーベルを応援し続けてきた観客にとって、彼は客席の中からデビューし、様々な困苦と戦い、練習を重ね大輪の花を咲かせたわたしたちのスーパーヒーローくんなのである。

 年長さんと小学1年生のB組のステージは昨年まで「練習の成果発表」を標榜する、彼らの日々の練習ぶりを見せるステージの位置付けだった。だが、今年のパート2にはそれをうたうキャッチフレーズが存在しない。いきなり「ぼくらのともだちアンパンマン!」と、株式会社フレーベル館を代表するエンターテイナーの格付けである。こなれたMCは昨年同様。今年のB組ステージは団員構成にもよるのだろうが、昨年までの2年間に積み上げたスキルを踏襲しつつ軽く凌駕して、客席を楽しませる舞台へとランクアップした。1曲めは「ドレミファアンパンマン」を使い階名唱のスキルを聞かせ、これにコダーイシステムのハンドサインを添えて客席を魅せる。彼らのうち、さらにレベルの高い子は手慣れたタッチメソッドで鍵盤ハーモニカを立奏した。しかも仲間の歌声を生かすため呼気をコントロールするという達人ぶりである。「練習の成果発表」というファクターは表には出てこないが、彼らの練習ぶりがわかる演目なのである。
 B組の2曲目は「アンパンマンたいそう」。プログラム上は「フレーベル特別バージョン」とうたわれているが、驚くべきことにこれは2014年7月に東北大学川内萩ホールでS組の先輩方がNHK仙台少年少女合唱隊との合同演奏フィナーレで歌った「仙台演奏旅行」限定版なのである。基本的には、本定演の会場のチリ沈めで流されていた「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」(日本コロムビア COCX-38573 2014年)に収められているドンカマで始まるピアノ伴奏バージョン…つまり「オーケストラバージョン」(もしくは「カラオケバージョン」と記載されているものもある)では無い方のトラックをベースにしたものだ。ディビジ2部合唱で、フレーズエンドにもたたみかけの声部がついている。途中に入るセリフを言い終えないうちに手の込んだスキャットへ歌い繋ぐという、ちょっと厄介な場面がコーダに控えている(横山潤子/池田規久編曲)。

冒頭の「アンパンマーン!」のシュプレヒコールの後、逆付点のハンドクラップ、あまり一般的でない無声破擦音のスキャットなどが矢継ぎ早に入り、コーダでもこれを繰り返して「ヤッ!」と叫んで終わるというポイントは同じだが、3番レフの後に団員たちが「アンパンチ!」という呼号をあげ、続いてpfに乗せ、「暴力チーム」「はみがきチーム」「てんどんまんチーム(てんどんまんは、テレビ版アンパンマンの記念すべき第一話登場キャラ。そのためか、当演出の初演でこのチームを担当したのはワルトトイフェルくんと豆ナレーターくん達だった)」などの組でセリフを叫び、アンパンマンの主要キャラクターを総ざらえして聞かせるという輝度の高い演出を仕掛けている。仙台ではNHK仙台少年少女のかわいい隊員たちの手を借りながら、文字どおりステージと客席が一体となった華やかなフィナーレへと導いていた。その後、定演の報告会でもこの編曲版は歌われず、筆者がもう2度と聞くことはないと諦めていた演目である。今回の演唱が仙台のものとハッキリ違っているのは、ばいきんまんに「はーひふーへほー!」と登場のセリフも叫ばせるなど、セリフを言わせっぱなしにせず、それぞれの言葉の前後に必ずB組団員たちの子供としての心の声でそれぞれのキャラクターの決まり文句を叫ばせるという趣向が盛り込まれた点。一例として、はみがきまんチームの本来の言葉は「みなさん!毎日歯を磨きましょう!」だが、周囲の団員らに「はーい!」と元気でやんちゃな返事をランダムにさせているのである。私の周囲の客たちはこのシーンの秀逸さ、湧きたつようなシズル感の高さに息を飲んでいた。一方で「ばいきんまんは…おまえだッ!!」という演出上の台詞を聞いて怯んでいた観客の存在を私は感じた…実は「お前!」というのは、ばいきんまんのお約束中のお約束のセリフであり(彼は基本的に人称代名詞としては「俺様」と「お前!」という語彙しか発しない)、今回新たに施されたこの演出が、アンパンマンの作品世界を誠意をもって忠実に再現したものであることがうかがい知れる。結果的に曲の尺は、4分間となった。通常、未就学児の男の子が隊列を整えたままdiv.合唱で歌いきれる曲の長さではない。仙台でこのバージョンの「アンパンマンたいそう」を歌った団員は現在7名ほど在籍中だが、いずれも6年生以上の少年たちだ。同じものを6歳の男の子20名が歌いきり、1000席へ埋まった観客を狂喜させる、しかも無条件にカッコかわいく愛らしい。客席は彼らの可愛さに発狂寸前、テンションマックスのまま完膚なきまでにノックアウトされる。ばいきんまんが目を回しながら空の高みへ吹き飛ばされるときのあの状態である。昨年定演でB組団員全員の上に見え隠れした、きつく締まった「教え込まれた」という感じを今年のパート2のステージから受けることは結局無かった。こんなに上手くいっている最年少クラスでさえ、昨年の出来栄えをさらに上まわる研鑽でエンタテイメントを仕掛けてくる…だから、今年も書かざるをえない…「おそるべし、フレーベル少年合唱団B組!」。

 幕引きしたパート3のA組の背中をてんつきで見ながらカミ手袖より入場するS組は、飛んだり跳ねたりが可能な思い思いのスタイル。プログラムに掲載されていない(事前にチケッティングのフライヤーでも予告されていない)2017年9月27日にAAC一般音声配信が開始された「PRIDE(プライド)」(*)のダンシング・パフォーマンス(動画配信は同10月5日開始)が行われた。「ダンシング」と書いているのは、彼らがレコーディングに参加したオリジナルのPA音源をバックに踊ってくれたため。動画サイトでは口が動いているが、音声は編集もの。唯一とも言えるフレーベル少年合唱団だけの一般向け生演奏は17年6月24日の六義園ライブが貴重な機会であった。当日のS組出演団員は20名ちょっとのコンパクトな隊列だったが、メインストリームの少年たちが、トップソリストらの牽引するソプラノと出所の明確なアルト側の声で「PRIDE(プライド)」を歌ってくれた(当日の曲紹介のMCも、ますますカッコ良くなったはに丸くん!)。
 57回定演で遭遇した驚愕の出来事の一つは、このダンシングのS組団員たちに私服を着せたこと。合唱団にはTFBCのような通団服が存在しないため、ステージを下りた出演団員たちを部外者が見分けることは難しい。日常の子供たちのイメージはまったく想像できないため、彼らの普段着姿は観客にとってビジュアル・センセーションに近いものだったのである。私の記憶では…少なくともこの四半世紀間、フレーベル少年合唱団のS組(旧A組)団員がおもいおもいの私服(TFBCが3年おきぐらいに定演で打つ私服ステージで着られているものは、一見してわかるように「かなり厳格な審査ルーチンで許可がおりた私服」だけである)で定期演奏会のステージに登場したことは一度も無かった。これは今春出演のオペラ『トゥーランドット』で茉莉花を歌ったときの「一人っ子政策の男子小学生たち」を思わせる(今回のトゥーランは改革開放路線以降の現代の北京を描いた設定だった)持ち込み普段着的な衣装を報告的にイメージさせる。企画を担当されたかたの頭の中にあったのは「制服で踊らせるわけにもいかないだろうから」ということだけだったと思うのだが、この企画は結局、合唱団の歴史を作った。定期演奏会で録音を利用したケースは、僅かながらあったと記憶するが、服装についてはド肝を抜く出来事だったのである。ただし、収録動画ではおそらくスポーツブランドのロゴなどが目立つ服を事前にセーブし避けているため、子供達はデイリーユースな本当に各自の肌色にフィットした服を着用しているとは言い難い。当然の判断なのだがちょっと残念である。
 ステージの最前列センターに出て、キラキラと輝くように元気一杯踊っていた団員は、イントロダクションの嚆矢MCをブライトな口上で担当した少年だ。彼の立ち位置の周辺はパッと光明が差したような明るさだった。この子の踊りは溌剌としたシズル感と爽快感とに満ち、客席の私たちのもとへ元気と勇気と希望を届けてくれた。団員は昨年の定演の開幕MCへ、所属年限の長い団員の登壇と抱き合わせに「少しがんばって勉強してほしい子」の一人として指名されていた。実際にも言い澱みがあり、セリフの出来栄えは100点満点とは言い難かった。2016年の秋口まで、彼は子供臭い感じのする冷たい目をした小さな団員の一人に過ぎなかった。だが、何が起きたのだろう!?2016年12月24日のクリスマスイブ、私たちはテレビの画面の中へ、フレーベル少年合唱団の紺ベレーに手を後ろへ組み、楽しげに生きる歓びとばかり歌っている「見たこともない」素敵な一団員の姿を認めて仰天した。…「この子は誰?」という疑問が「これが、あの子なのか?」という驚きへと変わるのに少しだけ時間がかかった。別人のように輝いていたのである。番組はANIMAXクリスマスパーティー2016。彼はこの日、中間挿入された「アニメ・クリスマスソング・メドレー」のトリとなる名探偵コナンのWinter Bellsを出だしのシャープなソロできちんと牽引した。ソプラノ側へずらりと並んだベテラン5年生団員たちを差し置いて(かれらは週末にバレエ「くるみ割り人形」の出演を3ステージも控えていたのである…)、S組からの唯一のフィーチャー・ソリストである。私たちはこの日、少年合唱団を応援する者の歓びともいえる一人の少年の転生を見た。オペラ「トゥーランドット」の動きの多い演技でも彼の演唱は光っていた。57回定演で、この団員が最前センターを占めたダンスパフォーマンスを観客は忘れないだろう。定演を企画された方々が、当ステージを組んでくださったことに心から感謝する。彼は定演が終わった今もキラメキながら歌っているからである。こういうことを見てしまうと、私たちは団員の実力を絶対に値踏みしてはいけないと痛感させられる。公開動画(YouTube教育芸術社チャンネル「PRIDE(プライド) 振り付け動画」)で実際に歌っている参加メンバーはアッ!と驚く人選のわずか11名の顔ぶれだが、彼はここでもウエアをさっぱりと楽しげに着こなし良い表情で溌溂颯爽と踊っている。何よりも編集された動画中、唯一の寄りのソロ・ショットがこの団員のものだったことは嬉しい必定であった。

 「流浪の民」のトリのソプラノ独唱をスタンドインで担当する5年生の団員くん。浅黒い顔で、ステージ上にシャープな表情と居住まいを見せる。それでいて、どこかお茶目ハンサムな雰囲気も漂わせ、女性ファンも多いようだ。この年代の団員たちは昨定演が終わってから一斉に眼鏡使用になった。ふっとした時にヤブ睨みを見せていた彼もその一人。もう一つは全力を放出すると、顎が上がってしまうこと。「PRIDE(プライド)」のステージは実に捨てがたく観客を満足させるものであったが、たった1点だけ後半の部に荷物を残した。S組メンバーの体力を少しだけ奪ったのである。お茶目ハンサムくんの顎は後半上がりっぱなしだった。(A組の弟君も全く同じように顎が上がるので、可愛いすぎて、お客さんたちメロメロです…)

 今年のOB合唱はメンバー構成を維持しながら、声の構造を上手に利用して少年合唱団のOBらしい気品のある合唱に仕立てている。パート4のステージで披露されるOBのみの演唱は冒頭「風になりたい」と中間の「ふるさと」の計10分間弱。フレーベル少年合唱団の老功なOB合唱団は2年前から定演に曲数で挑まなくなった。良い歌ならばたとえ短くとも聴衆は十分満足し、息を呑むような感銘を受け家路についてくれることを確信したからだと思う。
 今年はそのポリシーに従って「遥かな友に」をメインイベントに再選しS組に歌わせ、声を添えたが、悔しいことに現役へオイシイところを全部持って行かれた。現役S組がすごく良い子達で、指導陣の少年たちへの対峙に一分の隙も無かったからである。昨年は成人の半分にも満たないA組に。今年はS組に。…だからと言って小・中学生をチカラワザで組み伏せようものならあっさりと「大人気ない」の誹謗がくだる。現役時代はあんなにカッコかわいく(?)旧制服の着こなしもそつなく天真爛漫な少年たちだったのに…フレーベルのOB合唱団ってホントに損な役回りなのである(涙)。

 おそらく定演を夏休み中に移動させたことで稼いだリハーサル時間の余裕を味方に、パート4以降のSA組は少なくとも今世紀に入って以降見たこともない派手なフォーメーションチェンジをステージ上に繰り広げた。ここ数年、日本の児童合唱団のライブステージは曲ごとのフォーメーションチェンジ・メンバーチェンジが野放しな大流行のトレンドとなっている。素材だけで(もちろん、徹底した指導とそれに呼応する少年たちの頑張りで)十分勝負できている彼らにとって、これが果たして流行追従ではなく、必然性を持つ有効な意味のある必要なターンオーバーであったかどうかはお客様がたからの妥協のない評価に委ねるとして、9月から最上位クラスの即戦力として進級するA組団員の諸君の実力を思い知らされた隊列配置だった。

 後半パートの「群青」では今年も幸せなことに低声アルトの歌声が聞けた。
 5年ほど前の私は、ワルトトイフェルくんをして真の意味での「日本一のボーイアルト」と書いた。当時、それは正しかったのかもしれないが、2017年夏の私は自省の意味を込めてこれを以下のように訂正する。相貌は合唱団のカッコいい兄たちとなったが、現在のワルトトイフェルくんこそが日本一のボーイアルトなのだ!と。フレーベル少年合唱団は昭和時代の半ばから今日にいたるまで中学生の団員を小学生と同じユニフォーム着用で、小学生混成の隊列のままステージに送り込むという長い長い伝統を持っている。定期テストの期間には『休んでも叱られないかな?』という特権(?)を除いて、彼らは小さな小学4年生と同じ部屋で全く同じ練習を受け、卒団まで同じクラスに所属する。彼らの役どころは「下級生の世話」ではなく、待遇もボーイソプラノの合唱団の普通の一団員というところにある。実はワルトくんのステージ衣装は本年4月から長パンツに切り替わったのだが、そのことで逆に見えてきたのは、中学生以上の団員が、自分の半分の背丈ほどしかない小学生と全く対等に同じステージに立ち自分の歌を伸ばしていくというフレーベルの愉快痛快な伝統が今もなお連綿と続いているということであった。ワルトトイフェルくんは辛そうだった過去を超えて今、その楽しい伝統の陣頭の第一線にいる。日本一のボーイアルトなのである。日本中の少年合唱団で歌う中学生以上の団員とは明らかに違う次元に彼と彼らはいる。




 ワルトくんのこの声価を印象付けたのは、2016年9月14日にNHKホールで行われた「三山ひろしコンサート2016in NHKホール」のハイライト「貴方にありがとう」だった。
ソプラノ側が比較的経験の豊富な5年生以上中心のS組メンバーを揃えていたのに対し、ワルトトイフェルくん従えるアルト側ではS組団員が4年生以下の4名だけで、近傍の子らはもちろんのこと、あとはほぼA組9歳以下(!?)のクルーを従えて歌っていたのである。疑いようも無いド演歌だ。だが、この日のアルト側の少年たちは全員、号泣の中を歌いまくる三山ひろしを目前に、男も惚れる歌いっぷりをNHKホールに繰り広げた。老練の歌いのワルトくん、命の絶唱とばかり歌いあげる美白男子くん、幼美少年という形容がピッタリの小さい秋みつけたクン等々…当日、「三山ひろしコンサート2016」のアルト・チームを値踏みしたような愚か者は人間の皮をかぶった悪魔と断じてかまわないと私は本気で思っている。そしてA組アルトとも対等に全く同じ目線で一心不乱に歌っていたワルトくんの団員として生き様に私は今日も元気と勇気をもらうのである。

 最後におなじみの団員たちの姿を見ていこう。
 本年度のS組には上進の日を一日千秋の思いで待ったであろう特別な子供達がいる。昨年の晩秋の終わりにようやくS組入りを果たした少年たちだ。正直なところ、昨夏までA組の下積を延長中の彼らがステージ上に見せていた表情は、非常に固く冷ややかな、どこか諦観を感じさせるきびしいものだった。私たち観客も「この子たちって、しっかり歌えているはずなのにどうしてまだS組に上がれないの?」という目で見ていたのかもしれない。彼らを含めた以降の団員はあたらしい指導陣で「テストを受けて15名だけ入団審査に受かった」子供の一部隊。ご存知のようにそのA組にはソロを担うたくさんの後輩団員たちも群れていて、通常は4月に上のクラスへ上がるはずのオアズケ状態の彼らを下から押している状態だったのだ。これは、昨年度、定期演奏会の開催が夏に変更され、通例春先に実施される上進が秋の終わりへと後送りされたためであろう。今回、もうすっかりS組メンバーの顔つきになっていた彼らは、開幕の瞬間からきらきらと輝くような良い表情で歌い、私たちを心底安堵させた。もともとどういうわけか全員がもれなく「美男、美声でステージ姿もこなれている」このチームは、「流浪の民」のソロなどで早々に各自の顔見世を終え、実力を見せつけた。B組時代からMCの気持ちの良さで客席をメロメロにしていた少年たちでもある。長身のソプラノくんは、かつてのカルメンくん(栗原先輩)をイメージさせる声のポジション。小さい子たちを見下ろす彼の慈愛に満ちた柔和な表情は、確実に私たちをノックアウトする。また、PRIDE(プライド)の配信動画でも最高のポジションで記録されている(細かい振り付けがある「涙を流すたびに笑顔に変えてゆくよ…」の部分の動画は彼をセンター・メインにして編集されている)ほどの技量の高さだ。メゾのベルーガくんは心からハートウォーミングで人々を幸福にするような歌声を嗄声+口形のベストマッチで安定出力してくれている。歯切れの良いMCで活躍することの多い印象の彼も、歌の方はそれを数十倍も上回るヒップなクオリティー。歌っている姿も、ときおり見せる笑顔も屈託がなくて素敵。心の憂さや冷たく凝り固まった困苦を一瞬にして吹き飛ばす温和で至高のプレゼントとも言うべき彼の歌声は、おそらくフレーベル少年合唱団最高の宝物だろう。どの子も「半年も待たされたからこそ強く、くっきりと輝いた」と思わせるS組新団員たちである。彼らのショーアップは今回の定演の必聴ポイントの一つだと断言してよい。

 さて、あの愉快な低声系4人の団員たちは、今年どうなったのだろう。隊列の右側にいることは変わりないが、2人はメゾのライト寄り、2人はアルト高声の最右翼に揃って肩を並べている。どの子も合唱団に無くてはならない少年たちで、高学年男子らしいカッコ良さと利発さを身につけた。一年を通じソロやMCで大活躍し4人ともすとんと声が落ちついた。はに丸くんが一番コンパクトに見えるが胸板があつく、引き締まった四肢に共鳴する声を持っている。「ハンサム」という語彙がぴったりの声質はでしゃばることなく、コーラスの中でリリックに響いている。だが、六義園などで間近に見る彼の姿はまだ十分に華奢で、可憐な少女のようだ。この身体からあの人々の心を射る「ありがとうございました!」の声が出ているのかと思うと感動する。昨年の「青きドナウ」の後、プロの舞台監督率いるスタッフが整音したはずのコンソールをあっさりとハウらせたはに丸くんの声の音圧は話題になった。ペアを組んだソプラノくんのバミリは当夜それでも微妙に前へ出してあり、二人の声はバランス良く客室へフィードバックされるハズだった。2人とも1学年半から2学年分体格に猶予があり、ライバルというよりは仲良しで利発そうな印象を受ける。当時のソプラノくんはポンと声が上がるとき、味のあるメリスマがかかり、ドイツ表現主義や新ウィーン楽派の少年の歌を歌うのに極めて適していた。
 この2人は今年もガンガンにソロを歌えるコンディションで定演に臨んでいるが、今年の合唱団が「どの団員もソロが取れる」というスタンスの中でキャストを組んでいるため、昨年のようなヒーロー然とした佇まいを感じさせない。大人っぽいイイ感じのする表情でsoliやナレーションを受け持っている。実力を持った堅実な歌い手に成長したとみて良い。ソプラノくんには本定演を終えた9月以降、何十年もフレーベル少年合唱団を応援し続けてきた者ですら1度も見たことが無い仰天の至福のサプライズが待ち受けている。はに丸くんは本年度から定演の終演号令を引き継いだ。沖縄ステージでのヘーシなどたくさんの実績から先生方の正当な評価を受けているということが感じられる抜擢である。
 一方、昨年までの終演の呼号を担当していたカッコいい声の褐色男子くんは今年、大トリから一転、コンサートの開幕MCを担当するようになった。フレーベルのキーマンであることは、本年度のメゾ系の声質が彼のカラーでしっくりとまとまっていることを聞くとはっきりする。周囲の思慮深い下級生たちがこの少年の声の独特なトーンを支持するようなカタチで2017年度のフレーベル少年合唱団はキリリと美しく仕上がっている。その出来栄えの良さ、歌の神々しさは、自分のもらった飴を弱い者、小さい者ほど多く分け与え、手の中に握らせるような優しい心根を持つ明るい少年にしかついてこない。彼の「ありがとうございました!」の担当期間は従来のこのポジションの少年に比べてかなり長く、こちらも先生方の信頼度や評価の高さをうかがわせる。だが、ステージ上の彼は小さいころ、MC中に笑ってしまったり、吹き出してしまったり、ドヤ顔でMCを締めたりと、相当なヤンチャぶりだった。私たちは彼が出てくると「…また、何かやっちゃうよ」と楽しみにしていたものである(頼れるリーダーとなった今でもステージ上の彼は合唱に、団に、きわめてくつろいで?!歌っている)。他の合唱団であれば排除されてしまうかもしれないこういう団員を客席が支持し楽しみに応援し、先生方が信頼のもとで彼の声質へと合唱団をまとめ、開演MCという最高の役へと止揚する。人々のこうしたプラス方向への審美眼の存在が現在のフレーベル少年合唱団のすばらしい到達点の一つとなっている。

 はに丸くんを向かって左手に擁し、かつてステージで見た上級生のスマートな立ち姿によって私たちを楽しませてくれているのが2番目のアルトくん。様々な幸運と巡り合わせの良さでセンター位置上段やアルト最右翼の一番良いポジションで歌うことが多く、テレビや大規模ホールでの出演とDVD、CDなどの記録を通して常に歌い姿やMCを私たちに見せてくれたように思う。また、昨年度から六義園MCへ毎回起用される彼の挙動は次第にクールで素敵な既視感を強く伴うものになってきた。ただ、やっぱり男の子だから、今はフレーベル低声部の一翼を担う自分の存在の高さ、素晴らしさや真摯さ、周囲や客席で見守り、静かに応援する人たちがおそらくたくさんいることに気がついていないような印象を受ける。お客様を喜ばせている要因の一つは、やはり声質、立ち居振る舞いなどの外見と信頼度の高い既視感。もう一つは、腕にギプスをつってステージに上がるほどの頑張りを見せるなど彼自身が持っている数々の魅力。外目には見えにくいが、おそらくこれが彼の真の姿だろう。すらりと八頭身に近く足が長くどこから見てもカッコいい!だが、MCの声からは、どこか引っ込み思案でぼそりと何かをつぶやきそうなお茶目なたたずまいも感じさせる。このギャップがめちゃくちゃ楽しい!ボーイアルトはやっぱり楽しくなけりゃ!お客様がたはきっと彼が歌っている姿を見るだけで終始ご機嫌だろう。それらのことも含めこの団員が幸せな少年合唱団員生活を送ってくれている実り多い日々を私は周囲の客席に感じ、安堵させられる。

 美白男子くんと必ず肩を並べているあのメゾソプラノくん。
彼の歌い姿を一言でいい切ろううとしたら、それは「思慮深い歌を歌う少年」である。彼の声はコンサートごと、周囲の仲間たち、先輩方に合わせ理路整然と冷静に計算され、全隊に収まっている。私は最初、その吸い付きぶりに彼の声が「小さい」のではないかと訝っていたほどだ。だが、彼のいるライブパフォーマンスやレコーディングで合唱団のつくるメゾ系の音色はしっかりと地に足がついた心地のよさがあり、爽快だ。これは、彼の思慮深さ、当日の合唱に対する読みの正確さ、再現力の高さ適切さがモノをいう「賢い少年」の技だ。低くなり始めた彼自身の声質は決して陳腐なものではなく、現在の合唱団のカラーで言うと褐色男子くんに似たステキな倍音の鳴るものになっている。フレーベル少年合唱団が実は彼のようなメゾに底支えされて鳴っていることをど程の人が分かって聞いているのだろう!大活躍して欲しい!

 定演で聞かせてくれたMCのキリリとした折り目正しい声を聞いてもう明らかなように、美白男子くんの歌声はメゾソプラノの醍醐味ともいうべき100点満点のレベルに達していて完璧だが、歌声には爽快な少年独特のフラッターが存在する。こうした団員はかつて隊団員一人一人の素材を活かすボイトレをしていたTFBCには一定数存在していて、先生方は彼らのピッチが安定していないのを十分承知の上で出演・収録に重用し大切に育てていた。かつてのFMの先生方には何が少年の歌声の魅力であるかが明白だったのである。「過ぎ行く時と友達」のメインクルーで卒団後BSおかあさんといっしょの「うたのおにいさん」へと大成する日向理(ひなたおさむお兄さん)や、オペラ子役としていくつもの難演目の独唱やタイトルロールをこなしTFBC最初のLPやCDにソロ曲を持っている鈴木義一郎など、その抜擢と活躍ぶりは枚挙にいとまがない。美白男子くんが客席を睨みつけて歌うのは、少年合唱団員としての日々を自らに厳しく真摯に問うているからだ。よりハリのあるボーイソプラノへ自分の歌を高めようとしている彼には、その努力を緩めようとする瞬間がなく、私たちに本当の勇気というものを教えてくれる。2017年の秋シーズンは休場続きだが、いつかきっと戻ってきて欲しい団員くんである。「三山ひろしコンサート2016in NHKホール」でNHKホールのカメラマンさん&スイッチャーさんたちがセンターフィックスに選んだたった一人の少年は、美白男子くんだった。NHKホールのカメラマンさんがたを決して見縊ってはならない!時として国営放送の有名なディレクターさんたちに、「この子をセンターにしないで何で少年合唱団を映す意味があるのですか!」と平然とモノ申すようなタイプの非常におっかない人たちである。そのカメラマンさんがたが、主演三山ひろしの真ん前に重ねて映し出す少年として選んだたった一人の団員が美白男子くんだったのは、一般販売されているDVDを見れば一目瞭然。非常に厳しく的確なプロの目。私などはグーの音も出ないのである。

 最近のフレーベルの子供達は、S組の上級生でもステージ上でキョロキョロするようになった…という話を聞くことがある。観客のこの観察は正確であり、ここ数年目立つようになったというのも正しい指摘だと思う。かつての一時代、フレーベルの団員たちは終演までしっかりと指揮者を注目し続け、大きな口を開けて歌わなくてはいけなかった。だが、現在の指導体制に変わってから、彼らは発声に相応しいミニマムな口型を保ちつつ客席の様子をよく観察するようになる。自分の声が客席にどう届いているか、人々が現在進行の自分たちの歌をどう評価しているか。共演している者が今、どういう状態で演唱しているか。オーディエンスを見て声の広がりとステージ状況を判断するプロの技術を彼らは学んでいるところなのである。上級クラスの子供ほどしっかりとそれを楽しみに見届けようとする。楽しもうとしている。おそらく、そう指導されるようになったからと思う。言われた通り歌いきれば、あとはどうでもよいという権威的な歌い方はフレーベル少年合唱団から姿を消しつつある。小さな彼らは観客の喜びを自分の喜びと糧にして今日も歌っている。だから私たちは色気もへったくれも無い、やんちゃでわけのわからんことばかりつぶやいていて「お母さんから無理やり合唱団に入れられた(怒)!」と毒づく、ナマイキばかり言う彼らがどういうわけか小さなヒーローや宝石に見え、その歌声から明日の美しい夢をもらうのだ。

 定演プログラムのパンフレットは総頁8カラー中綴じA4版をキープ。印刷業界ワールドトップをほこるTOPPANグループの幼児用図書・教材の会社が運営する少年合唱団のプログラムである。イケメン揃い(?!)の団員たちを活写したステージ写真がセンスよく配され、グラフィックやレイアウトもこなれていて全くソツがない。チケットの半券を握りしめ客席に収まった人々の心を踊らせるのにふさわしい内容。かなりの文書量になる先生方・OB会長の解説文は一気に読ませる心憎さである。今回は特に昨定演から当月までの活動報告や今後のスケジュールが掲載され、ステージ中に団員MCでもその内容へ触れるようになった。ただ、SA両クラスとも引く手数多でスケジュールにまったく空きのない彼らのこと、「*その他、CM録音、テレビ、映画挿入歌、多数出演」と小さく注記されているように、例えば定演翌々日にも放送があったWOWWOW/TOKYO MXのアニメ「バチカン奇跡調査官」などは合唱団のクレジットがバッちりオンエアされているのにもかかわらずここには掲載されていないし、フレーベル館が主催する公開のイルミネーション点灯式や、すでに駅頭広告まで打たれている2017年度のメトロMクリスマスコンサートなどは「活動予定」に載っていないのである。その他、非公開のものを含め全て掲載しきれないほどの出演頻度なのであろう。逆に1ヶ月後開始される団員募集についてはプログラムへの掲載を止め、フライヤーのみを継続するなどのスクラップアンドビルドも行なっている。

 ユニフォームの選択はここ数年間の定演同様ストイックにまとまっている。ただ、今年のS組にはPRIDE(プライド)のダンシングが充てられており、この更衣に備えてソックスの指定が無かった。開演時、一見して感じられた上級生たちのバラバラ感はこれが原因のようだ。彼らはせっかく「採寸」していただいたパンツをあてがってもらっても、たちまちその裾は短くなって寸足らずになってしまう。初代指揮者磯部俶が「教えても教えてもすぐ声変わりしてしまう」と白旗をあげていたように今なお彼らは音楽をたくさん学びながらものすごいスピードでナカミもソトミも成長し続けている。普段はソックスが黒だから目立たないだけなのだ。彼らが黒パンツの隙間からちぐはぐな靴下を思い思いに覗かせて山台に立っている屈託のない姿を見て、私もまた磯部のように嬉しいような淋しいような気分で定演の時間を過ごすことができた。
 もう一つは、似通った肌色の子が揃う地方の小学生男子の団体と違って、東京のしかも少年合唱団に通っている子供の肌の色はバラエティに富んでいて、輝くパールのような肌の子からカリフォルニアオレンジのような橙色、皮付き甘栗にベレー帽をかぶせたような男の子まで様々な顔色の子供が一通り所属してステージを彩り客席を楽しませている。制服には顔の色とのマッチングに応える色を指定してはいるが、せっかくの定演の機会なのだから途中で一度服色を変えてやる方が、お家の方々にもお客さまがたにもまた違った男の子の表情を見せるのにふさわしいのではないかと思った。

 パート5をアンコール1曲めまで聞いてやはり「TFBCの近年の定演への近似」という胸騒ぎが追駆する。この拙文にもTFBCへの言及が目立つ。パート1・2・3+アルファとA組団員たちのフレーベル然とした歌いがかなりそれを軽減してくれている。アンコール2曲目、アンパンマンのマーチの前奏を聞いたときの安堵。はに丸くんの「気をつけっ!」の叫び声が揚がった時、正直なところ私はホッと胸をなでおろした。
昨年一年間、実に徹底して行われていた、「活躍の場を与えれれたら、そのうち一人は必ず《実力・経験の少ない団員》を優先枠として確保するという見えないルールは、結果的に今年の合唱団の実力をかなり底上げしている。そのために、歌えるはず、前に出られるはずのチャンスを最も立場の弱い者に譲らなくてはいけないヤリ手の少年たちの思いを私のような客席の一人ですら思ったことがある。また、進みの遅い子供に対応する先生方の心苦労や手間は並大抵のものではなかったはずだ。フレーベル少年合唱団は過去60年間にわたって、ドレミと歌わせてもド↘レ↘ミ↘と歌うことしかできない団員たち(磯部俶による)を袖待機にして歌わせないようなことをせず、諦めずどの子にも最善の指導を施してきたのである。こういう崇高なことができたのは、「子どもたちの健やかな育ちを支え、知と感性にあふれた豊かな価値を創造し、社会に貢献する」という保育・教育を支援する企業体だからこそ持ちあわせた合唱団の根本テーゼが途切れることなく生かされ続けてきたからに違いない。

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*PRIDE(プライド)の動画、フレーベル少年合唱団を初めて見たという人々に尋ねてみたい…「いったい、どの少年が一番上手に踊っていますか?」。
「メゾ位置の右、グレーのプリントTに柄ドットの生成りのハーフパンツを履いた小柄でガチムチな色黒の男の子」と言い当ててくれでもしたら私は天にも昇る機嫌の良い一日だ。子供らしい詰めの甘さは皆無とは言えないが、力強く、腰が据わり、男らしい骨太のダンスを彼は踊っている。意外だという人も多分いるのだろう。通常、この団員は背丈の割にどういうわけかアルト側の後列にいることが多く、若干の構音の癖もあり、注意して曇りの無い目で見ていないと、そのカッコよさや少年らしいサラリとした艶や魅力になかなか気が付かない。ただ、今回の動画ではよく見ると右側の目立つ位置へさりげなく配されていることがわかる。
派手さ、華々しさとは無縁だが、フレーベル団員の素材としての魅力や人懐っこさを動画PRIDE(プライド)は私たちへ丁寧に見せてくれている。





今年の子供達を伸ばせば何ができるだろうか?という在団員のアビリティーに軸足を置いた指導を舞台上に聞く

2016-09-22 23:51:00 | コンサート

フレーベル少年合唱団第56回定期演奏会
2016年8月24日(水) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円

 それはあたかも熱射に炙りあげられ、陽光と潮風とに寂れたやんばるの町外れの街路が盆のうくいの夜半、ヒッチャーに掻き混ぜられた手踊りのワラビンチャーの一群に突如席巻され、熱に浮かされ、法悦と興奮とに憑かれたままステージの上へ溢れるが如く実体化したような…。騒然、喧噪、きらびやかな少年たちとその声のとりかえしのつかない素晴らしい時間。
 昨秋、ャXト3・11とNHK学コンを強く印象付ける癒しや勇気の合唱の数々で幕を閉じたフレーベル少年合唱団の定期演奏会はこの夏の終わりに一転、客席をカオスに叩き込む狂乱のステージパフォーマンスで大団円を迎えた。息が上がり、両の頬を紅潮させ、ヨハン=シュトラウスを歌っていた表情とはまるで別人に転生した少年たちの笑顔をボーダーライトのきらめきの中にはっきりと認めたとき、私たちは「歌う男の子」にしか求められないたくさんの魅力がまだ彼ら中にャeンシャルとして数多秘められていることを強く感じ、驚愕させられた。

 ぴっかぴかのウラジロ、紅の大でーく!まんサージもキリリと眩しい新アンコール君+ワルトトイフェルくん。2人がウチナー・チョーデーばりのカッコ良さで「第2アルトと低い声の下級生」連合のぱーらんくーち隊を挟み、フィナーレのナンバー「とーしんどーい!」を煽り立てていく!てーくーち(太鼓隊)の少年らがステージの袖廊下からなだれ込んでくる圧巻の演出。
乱舞の渦中を横切る豆ナレーター君の黒い身体!少年らしい朴訥なバチさばきの少年たち!びんがたのウチカケ、シマ脚絆に地下たび履いて、囃子言葉に上気して。やがて始まる痺れるような指笛の挑発。生演奏のカチャーシー(唄/三線演奏:栗原厚裕)が持たらす躍動感と迫力とスピードと胸熱は、もはや観客にも団員たちにも何かを考えようとする隙すら与えない。

フレーベル少年合唱団はもう何十年もの長い間、「ステージ全面を効果的に使う」というパフォーマンスのノウハウを持っていなかった(彼らは慢性的な団員不足に喘いでいたのである)。一転、ステージ全面へ布陣されているのはA組本隊とS組の高声担当。身体の熟れかけていない高い声だけをレンジに持つ少年たちだ。襦袢代わりの白Tに合唱団ユニフォームのズボン、白クルーに白シューズ、きわめつけのビンガタの打鰍ヘ鮮やかな原色襟。グリーンが萌えるほどに美し過ぎて!文京を拠点とする合唱団所属の少年たちだからこそバシッ!とキマる着付けのカッコ良さ、オシャンティーさだ。A組アルトを頂点とする彼らの柔らかい、出し慣れた高声は実に美しい。昨定演のアンコールのフィナーレで行ってみせたこうした声の特化を今回の演奏会では冒頭のPart1から一貫して聞かせている。彼らは鈴のようにジウテーを鳴き続け、フレーベル少年合唱団が何十年も前から宝物のように持っていた涼やかで高調子の声質を響かせていった。小さい身体はステージ狭しと乱舞する。交錯するヘーシは「ハーイーヤ!ヒーヤーサーサ !」。ほとばしる無限で放埓なリフレイン。島んちゅの声とボーイソプラノとヘーシの嬌声が混じり合い、喪神し、三板(サンバ)三線のリズムを模したピアノが打楽器のごとく色を添える。

 2008年3月のTOKYO FM少年合唱団第24回定期演奏会は陶冶された多くの団員らが各パートの適所に収まり終え、後のTFBCを支えて行くことになる予科生メンバーも出揃った感のある充実した演奏会だった。彼らは「ぼくらのレパートリー集」の中でも過去実力派の先輩方がソロの持ち歌にしていた作品群(「小さい秋みつけた」や「赤とんぼ」など)や力技の求められる「ほたるこい」「未知という名の船に乗り」、さらに当時のフレーベル少年合唱団の活躍を意識したとおぼしき「緑のそよ風」など、気持ちのよい明るい歌を彼ららしい明快な日本語で次々と繰り出し、客席を喜ばせている。このときのプログラムに、さりげなく、控え目に、しかし標準語訳の団員MCを添える丁寧さで「てぃんさぐぬ花」が配されていた。聴衆の評判は良かったらしく、TFBCは女声合唱版の沖縄音楽を翌年も続けて定演プログラムへ取り上げた。このシリーズの印象は「女声合唱版の軽やかさ」であり、TOKYO FM少年合唱団は結局、彼らの「沖縄の歌」をこのイメージから大きく逸脱させることは無かった。

 フレーベル少年合唱団56回定演の目玉…「おきなわ~歌の国、舞の島~」。彼らが沖縄テーマの曲をとりあげたのは2003年の第43回定期演奏会でセレクト組とA組で歌った三線演奏(運天俊彦・鈴木勝己)入りの林光の「沖縄童歌<島こども歌1>」(全7曲)以来のこと(2010年度まで現在のS組はセレクト組、もしくはA組セレクトと呼ばれていた。ちなみに…翌2004年には「B組セレクト」という選抜もあった…)。最終ステージの開幕はハイ上がりでクオリティーの高いS組セレクト12名による「てぃんさぐぬ花」。だが、「島ん人ぬ宝」ではに丸くんたちが野太く鋭い少年の喉でヘーシを叫びあげ、次の「あかだすんどぅんち」でてーくーち隊の団員らがバチを牛皮に振り下ろした瞬間、文京シビック大ホールの音響設定は涼しげなボーイソプラノ向きの音場から、ドンシャリ系で湿気のあるねばっこい土着の空間へと突如変容を遂げたのだった!島尻の小夜の雨端から弱い白熱電球の灯りとともに漏れ聞こえるぺこぺことした三線の音が鮮やかに到来し辺りを席巻する。フレーベル少年合唱団は邦楽に限らず過去にも頻繁に定演へゲストプレーヤーを招聘し、太鼓など和楽器と共演のステージを持ったことがある。また、子どもたちに和装を施し古謡を歌わせた経験も持っている。今回、彼らがその穏当でボーイソプラノの演奏会然としたまとまりから一転、素晴らしい気持ちの良い逸脱を遂げたのは、彼らが昨年から客席に届いた音の変成や観客の心による声の受容を冷静に注意深く見取る力を得てきたこと、低音域のアルトパートが任ぜられ活躍したこと、選曲のャCントが昨年にも増して巧妙になってきたこと、長い間「S組予科」の地位に甘んじてきたA組が諸々の事情からステージコーアとしての魅力と実力を身につけてきたこと、そして2016年度の5年生チームがマックスの頭角をあらわしたことなど、第56回定期演奏会の随所各曲に見られる今年のフレーベル少年合唱団の見所とチャームャCントによるところが大きいとは考えられないだろうか。

 本定演の見所・聴かせどころの一つである「A組がA組であること」の味わいは、チームの魅力と身の丈にあった選曲とによるところが大きい。Part5には沖縄に材をとった歌々が本島民謡からウチナーャbプ、手遊び歌、エイサーまで広範なバラエティーに富むジャンルをめぐって集められ、これをフレーベルの各チームがそれぞれの心身発達やチームカラーの魅力を効かせ歌っていくという新機軸を展開させている。
 A組が単独で奏でたのは70年代ふうのテイストが濃厚にあらわれた「ゆいゆい(ゆいまーる)」だった。
この曲の出自は、プログラム4ページ目の懇切丁寧な曲紹介を読まずとも、A組のハッキリとした日本語の歌声を聞けば初めて耳にしたという観客ですらよくわかる。「♪一人でお仕事疲れるねー 二人でやるとー楽しいよー」という価値観の押し広げ方を聞いてビッグ・マンモスの歌う「火の玉ロック」や「ヒーローになれ!」の歌詞を思い出してしまった人は実は正しい。これはフジサンケイグループの子ども向け番組挿入歌の常套句なのである。この曲がゆいゆいシスターズの出演で発表された番組は、「マル・マル・モリ・モリ!」を歌う子役、鈴木福ほかの司会と歌で進行する現在の「Beャ刀v…20世紀終わりの番組名は「ひらけ!ャ塔Lッキ」。鈴木福の前代には清水優哉などハイ・キーのボーイソプラノという素材から紅白歌合戦で歌った経験も持つ子役がレギュラーをつとめていた。90年代にはTOKYO FM少年合唱団をバックコーラスに据える主題歌で放送されていた時期もある(ちなみに「きかんしゃトーマスのテーマ」はこの番組の挿入曲である)。兄弟番組の「ママとあそぼう!ピンャ塔pン」で、こうした教育効果を持つ曲を歌っていたのはビッグ・マンモスだった。A組団員たちが冒頭から叫ぶ「ハイヤ!ハイヤ!ハイヤ!ヒヤササ!」というあまりにもベタな囃子声にクスりとしてしまった観客は、それで良いのだ。低学年の少年たちが学校の休み時間に軽く口ずさんでモノを覚えるコミカルな歌なのだ。本定演で所狭しと唄い踊るA組の男の子たちを見て不覚にも(?)「かっこいいなぁ!」との想いを抱いてしまった少年合唱ファンの脳裏では、おそらくかつてのボーイソプラノのヒーロー集団…ビッグ・マンモスの姿が彼らと重なって見えたに違いない。「ゆいゆい(ゆいまーる)」の選曲のマジックと落とし所はこうした来歴にあると思う。


  合唱団が開幕にドイツの名曲を聞かせたのは前述の第43回定期演奏会(2003年11月、イイノホール)以来13年ぶりのことだ。このときもオープニングの団歌をセレクト(現S組)とA組で歌いながら緞帳をあげて開演し、「ドイツの調べ」と題して7曲をセレクトだけで歌っている。今回のプログラムが、この定演の前半部分を下敷きにして編まれたことは想像に難くない。その定演を最後にフレーベル少年合唱団はあの懐かしい旧ユニフォームを脱ぎ捨ててしまったが、こんにちの合唱団に通じる道も見えた…スーパーナレーター君の記念すべきB組デビューのステージだったのである。

 オープニングナンバーは「小鳥がきたよ!」。pfを休ませ、少年たちは無伴奏を味方に軽やかな声で柔和に歌っている…「♪Alle Vögel sind schon da, Alle Vögel, alle!」…「かすみかくもか」「春の訪れ」など、邦訳詞・邦題はその人々の曲に接した環境により違っていても、合唱団の子どもたちはドイツ語詞のみを歌った。アカペラの声…本年度のS組団員一人一人のカラーを小箱入りのプチガトーのように可憐なオーガンジー・リボンをかけ客席へ供した。アイキャッチなメンバー供覧なのである。
 2点気づくところがあった。一つはフレーベル定演が最近あまり打っていなかったアバンの構成であること。近年の定演の開幕は団歌の後に年度リーダーの団員が口火を切るオープニングMCがあり(私は今年度の彼の本番MCが高度に安定したのを聞いて心底良い気分で開演のひとときを過ごした)、1曲目につなげるというパターンだったが、今年はそのルーチンを取らなかった。注目点は構成では無く、ここまでにかかった時間。歌い出された団歌は前奏からもったりとしてテンモェ遅く少年合唱団らしい闊達さに欠けた。さらに団歌の歌い終わりから1曲目の「小鳥がきたよ!」までは(拍手があったとしても)1分30秒間もMC無しの無為な時間が客席に流れた。昨年の定演では隊列と指揮者の整列完了が整然と行われ、歌い終わってからのA組の退場とS組の再整列、MCのマイク前スタンバイが同時。団員入場完了からMCの第一声までを今年の半分量である2分間以内に収めた手際の良さに舌を巻いた。バックステージに詰めているステージドアマンや誘導、ハンドルスタッフの優秀な仕事ぶりが窺えた。だが、今年、ステージで何か動きがあるたびに客席がしばらく待たされるという段取りの傾向は最終ステージまで一貫して散見された。観客は定期演奏会が今回少年たちの夏休み期間にあたる8月の開催に移ったことを知っていて、十分に余裕のある段取りのプローヴェが念入りに繰り返し行われた結果を期待しながら文京シビックのチケットゲートをくぐった。おそらく前日まで台風の上陸やその余波の影響で十分な段取り練習の時間ができなかったということなのだろう。

 ワルトトイフェル君がもし、8年前の10月8日のステージで豆ナレーター君の隣に立っていなかったとしたら…、彼がその後長くの(少なくともステージ上では)辛苦に満ちた4年間の旅路の果てに真の意味での「日本一のボーイアルト」にならなかったとしたら…、その栄誉におぼれ「変声すればただのひと」で早々に団員人生へと幕を下ろしていたとしたら…。第56回定期演奏会のPart1に注目すべき低声アルトの隊列は無く、私たちは何も驚かず、フレーベル少年合唱団の深みを持った新味を聞くこともなく、これが旧態依然としたかつてのレパートリーの再演としか思わなかったろう。2つ目の看取は、合唱団が見抜いて与えたS組低声アルトへの血の通った評価だった。フレーベルはかねてから「今年の子どもたちを伸ばせば何ができるだろうか?」という「在団員のアビリティーに軸足を置いた指導」という傾向を持った合唱団だった。特にこの2年間、その性向は顕著であり、同時に「目に見えるカタチ」でステージ上に示されることが多い。中でも在籍メンバーの構成に味があり、あからさまに「イケメン+美声でないと配属されない」と評される痛快なキャラクター立ちのアルト(メゾソプラノ低声を含まない「アルト・アルト」)の隊列は昨年から惚れ惚れするくらいの人員配置のまま客席をも楽しませている。55回定演では美白男子君とスイッチヒッター君、新アンコール君たちというゴージャスなキャストを2枚岩でパートの境界に繰り込み、信頼の子たちをサンドイッチ状に配し、お茶目で濃さげな4人組を売りに、はに丸くんをメインへ据える超豪華で…「よくもまあ巧妙に考えたものだ…」と呆れるくらい感心させられるアルト隊が聴衆の前へ出現した!
 本年度はこの路線をばっさりと整理し、隊列の中でも最高の信頼を置きたいアルトのメゾ結界にアルト4人組を縦配置。各パートへ分散されていた変声途上の6名を右翼上段のワルトトイフェルくん起点に上下へ結集させ、一見して低声を特化して効かせる特命チームを出現させた。彼らは高低の追っかけっこを丁寧に聞かせてゆくオープニングスピーチ以後の「おお、ひばり」までは徹頭徹尾2部合唱のアルトに一体化していて姿を表さない。簡易なカノンを含めた「追っかけっこ」や小津安二郎ばりの「高低パートの対話」が昨定演から続く聴かせどころの一つであることを彼らは熟知しているからだ。だが、曲がその挙動を抜けフェルマータのついた最後の8小節のコーダに差し鰍ゥると、ふんわり文京シビックの客席に低い声を響かせ始める。美白男子君(彼の気分爽快、正確明快なMCを本定演でもタップリと聞きたかった!かえすがえすも残念…)たちアルト高声の声を安定的に補完しているのである。
 続いてウェルナーの「野ばら」が歌われた。「アカペラ」の逃げ口上と見せかけて、pfの吉田先生はホールの最後列でも聞き取れる、作為的と思わせるほど大きな「音合わせ」のキーをボン!と打ち込んだ。低声アルトの6人がその低い音をトレースした!驚きだった。一見の客にも漫然とドイツリートを楽しもうとしていた客にも、右翼端の隊列を見て「何をしようとしているのだろう?」と判じかねていた観客にとっても、これはまさに「本日のハイライト!」と呼ぶべき1音だった。観客へ故意に聴かせた「音合わせ」だったのである。歌うのはアウガルテン宮殿在住のエスタライヒなゼンガークナーベンや、カツン!と甲高い声に耳殻を擽られるパリ木の十字架少年合唱団であるにせよ、そのカッコイイ合唱を支えているのは体格の良い変声途上の団員たちが繰り出す頼もしい低声アルトとそのコントロールのアクティブさなのだ。だが、これは「フレーベル少年合唱団にも男声パートを作る!」という頭でっかちで融通の利かない「少年合唱ファン」の陥りがちな机上の計画ではなく、「ここに豆ナレーター君や新アンコール君たちがいて歌っているから彼らのために低声アルトのパートを作った」という、目の前の団員たちの歌い姿を愛情をもって見遣り、彼らの「1日でも長く楽しみ、楽しませたい」という団員生活を認め、彼らの心に寄り添った配員計画であると私は思っている。低声アルトの音圧が効いた近年のパリ木の合唱ばりの痛快なサウンドを観客が楽しめたのはとてもよかった。

 Part1のラストはかっこいいMCをあしらった「美しく青きドナウ」のソロ入り日本語版。本曲の見所・聞き所は当夜の終演までを通底し一貫して鳴る「5年生チームのカッコよさ」に尽きる。MCの少年たちは在団歴の差こそあれ、それぞれ品のある高いクオリティーのナレーションを繰り出せるまでに成長した!観客の殆どは「僕達がこれから歌う『美しく青きドナウ』です」と口上を述べるこの2人がこの後どんな活躍をするか未だこの段階で知る由も無い。曲は40小節以上もある序奏>5つの小ワルツ>コーダからなる王道のウィンナワルツである。低声から攻めて行く第一ワルツ。泰然自若のアルトとマルカート気味で飛んだり跳ねたりのソプラノと…。調が五度圏を2つ反時計周りに上がってワルツ3にも達すれば所々に顔を覗かせるトリルや前打音やちょっと『?』なスラーなどのディテール。だが、歌はがさつな小・中学生男子一般の実像からは遠く、誠心誠意頑張っており男の子らしい闊達さだけが踊っている。そして第4ワルツの冒頭に進み出てきたのはあの2人。彼らはここで1オクターブ半超の飛び石跳躍をソロで2回やってのけるのだが(ソプラノ君の方の2回目がおそらくこの曲の最高音)、面白いこともあった。少年合唱の声は文京シビックでもさりげなくマイク収音され観客にわからないよう注意しながらPAで常時客室に戻している。担当のエンジニアさんはおそらくゲネプロまでを注意深く聞きながらギリギリ+αのところでUVを絞ってあるはずなのだが、はに丸くんの声は呆気なくこれを突き抜けていた。2人は確かに定められたバミリの位置にスタンバイし、おそらく問題なくリハーサルを終えている。あっぱれ、ホンバンに強いはに丸くんらしい高音圧・高音量だったのである。(お客さんがたはちょっとビックリしていた…)
団員たちは「三拍子」感をキープしながら走ったりせずコーダのつなぎまでをフォルテッシモで歌いきっていく。決して完璧なピッチでタップしていないが、ここ20年間のフレーベル少年合唱団の合唱には無かった満足のいく完成度の高い合唱を今回のチームは「美しく青きドナウ」の中に具現した。
聴き終わって高低両パートやトータルに響く声を引き連れているのが他でもない本年度の5年生チームの歌声であることに私たちは気付かされる。後奏の残響の中で、本曲からまさに当夜の演奏会が始まったことを知る。この驚愕と満足感は、当日のほんの序章に過ぎなかったのである。


 Part2は「フレーベル少年合唱団の最年少グループ」B組のステージ。パートタイトルも「Bぐみ、せいかはっぴょう」となっていて、プログラムの田中先生の気持ちよい解説にもある通り、「音感をつける訓練」としての音楽体験を客席にもわかる形で提示している。
オープニングはpf伴奏付きの鍵盤ハーモニカでドイツ民謡の「かっこう」(おそらくPart1の演目へのリスペクトなのだ)。1番のみユニゾンの演奏だが、ソフトで抑制の利いた非常に堪能な演奏を聴かせ耳目を集める。子どもたちの顔色を引き立たせる白クロスのフォールディングテーブル列は今年、他パートのステージでも見られたアークのフォーメーションだが、よく見ると両側に立奏の団員たちが一人ずつ付いて、しかも鈴木楽器のまっすぐな立奏唄口を咥えるものだからタッチメソッドで弾いている!惚れた!カッコ良かった!子どもたちの陶冶が目に見える形で判ったからだ。
続く「うちゅうじんにあえたら」と「ドレミのうた」は、こちらもよくセーブの効いた歌声。5-6歳の男の子たちだからどんな声でもありの演奏だが、メロディオンの立奏同様にピッチ・リズム感とも正確で核となる団員らが、ふんわりと発達途上のメンバーの声を周囲にまとわせつつ歌っていて凛々しさを感じさせた。B組は今、ユニフォーム姿も中味も周囲の団員との関わり方も既に一人前のフレーベル少年合唱団員となった子どもたちを何人も擁しているようだ。
「うちゅうじんにあえたら」に挿入される「♪シュー!」というロケットの擬音とアクションは賑やかで音楽性を感じさせないように聴こえる(実際そうした軽い比重の歌を聴かせる合唱団も普通にあるのだが…)、日本の少年合唱団が本来魅力として身につけているはずの土着の短いメリスマやャ泣^メントを合唱に持ち込む初歩訓練の一つだったとみられた。それはA組ステージ冒頭に聞かれる「おなかのへるうた」の歌い出し他や、パート5ではに丸くんたちが叫びあげたヘーシの声のチャーミングさ、カッコよさを聞くと納得がいく。
 今年は階名唱を披露する代わりにハマースタインの「ドレミの歌」を歌ってエンタテイメント性を添えステージを下りた。客席を楽しませながら、オリジナルの英語歌詞にも挑戦してB組の日常訓練の方向性を明らかにする一方、前奏が簡易でオブリガートを含まない編曲を採用するなど、観客の気にならないところで彼らの発達に寄り添う良心が見える!

 Part2を通じ昨年度と大きく異なるのはMCチームの成長ぶり。彼らのナレーションは明らかに頼もしい変容を遂げている。今年、合唱団は定期演奏会前の六義園レギュラーのコンサートを2ヶ月以上も前の6月中旬に2回打った。もともと決まっていたブッキングだと思うが、B組にとっては異例のスケジュールが逆に功を奏したもよう。昨年度まで、この六義園ライブは定演の予行演習との位置付けで3週間ほど前に行われ、上級生団員たちはそれ以後反省のもとに追い込みをかける。だが、B組の子どもたちにとってはもはや「手遅れ」のことも多く、本番のMCも出たとこ勝負の感が否めなかった。前回までの省察からか合唱団最年少チームの彼らも今年は違っていた。6月の六義園コンサート撤収直後から、ナレーション・チームには念入りなご指導が入ったものと思われ、その後2ヶ月間をかけて当夜のような遜色のないレベルのMCにステップアップされたと考えらえる。恐るべしB組である。音楽監督が終演間際の客席に向け、こう話している…「ちょっと無理をさせたかもしれませんが…」「一番大切にしたいことは、子どもたちの可能性を大人たちが止めてしまわないこと」…具体的な例示は無かったが、今回のB組ナレーションはその好例ではないかと思っている。当日客席で聴いた正直な感想は、B組のMC集団がSABの各チームのナレーションの中で最もクリアかつ澱みなく、また幼少年の言葉の魅力も兼ね備えていて出色だったということだ。
 このステージはスタンバイと楽器セッティングを含めて10分間、歌のみの計時で5分間の配当であったかと思われる。曲のコンパクトさを考えるともう1曲聞きたいと感じさせる時間の使い方だと言えはしないか。冒頭の「かっこう」の後に楽器の撤収、2曲目の「うちゅうじんにあえたら」の後はMCを挟むサンドイッチ構造。団員流し入れと楽器セッティングとMCの3点同時進行や、楽器の間から団員を吸い出して並ばせている間にMCをかぶせるといった段取りは丹念なプローヴェを経た彼らにはもはや可能なレベルのプランなのではないかと、その堪能なステージを見た後に思った。

 出ハケのエスコートを担当する上級生たちは昨年の「母性本能突きまくり」のキューティーなメンバーからさらにパワーアップ!今回は上背のあるS組上段のメンバーから下はA組団員までという学年幅の広レンジ。確信犯的なのかカッコかわいい系の少年たちのうち最適任の子らがさらに厳選されているという贅沢さである。A組の子は、この直後に自身の本番も控えていたわけなのだから。羊飼いの少年のようにB組を引き連れる彼らの姿を見せつけられた客席はその至福の光景に再び大撃沈!B組のステージ経験組を拠り所としてか、今年はエスコート団員たちをテーブルグループごとに集約して配した。


 Part3はA組のステージ「楽しい童謡をあつめて」。プログラムを一見して「童謡」というのが昭和30年代前後に作られた曲を中心とするいわゆる「こどものうた」であることに気づく。阪田寛夫、サトウハチロー、まど・みちおの作詞家陣。大中恩、中田喜直、山本直純といった日本人ならば誰でも知っている作曲家たち…。オープニングの「おなかのへるうた」をめぐる事情は昨定演のレメ[トの冒頭に記しておいた。スキルもカッコ良さも(そして多分、舞台裏での破壊力も)「新メンバーを加えてさらにパワーアップした(今年の定演フライヤー文面による)」A組…。冒頭、第2MCが「僕たちの先輩が50年ぐらい前にNHKのみんなのうたで歌いました。」とクールヴォイスでナレーションをかけると、客席内には呼応するようなニヒルな笑い声が漏れた。これは印象的な光景だった。現役団員のうち最も放埓で容赦なく腕白な低学年軍団の彼らにとって、50期も前の先輩方は一緒に「戦いごっこ」や蟻んコ潰しや無意味な下ネタを楽しんでくれたりしそうもない「得体の知れぬ半世紀も歳上のおじいちゃんたち」でしかないからだ。観客はそれを理解した上で笑んだのだ。実際、本年度のOB合唱は少年たちのこのスタンスや選曲やプログラム構成に少々手こずらされることになる。今年のアンコールのステージに、あわれなるかなOB合唱団の姿は…無かった。
 彼等がこのステージで歌い上げた作品を編み出した大中恩も中田喜直も、フレーベル少年合唱団初代指揮者磯部俶の盟友「ろばの会」の同人たちであったことは当然選曲者の知るところだろう。彼らは「童謡」という言葉を注意深く避けて、創作を「こどものうた」と呼んでいた。だが、私はA組に向けたこの懐かしい一連の選曲が上記のような「おなかのへるうた」へのオマージュから来た机上の計画やどうでもいい誰かの経験を語るつまらないノスタルジーであるとは思っていない。歌を学ぶ少年たちの成長を心から願い、愛情をもって眺め、接してきた指導者たちが、A組全メンバーの柔らかく、体温のある、芯も通った心の本質を的確に見抜き、選びあげた「A組の心」とも言うべきノミネートなのである。いずれの作品も作曲者たちが巧みな技法やセンスを駆使して「何かを思いやる気持ち」や「少年時代にこそ在って欲しい安寧」を可憐でコンパクトな有節歌曲の中に再現しているのはこのためなのだ。

 耳目を集めた「おなかのへるうた」に次ぐ2曲目の「夕方のおかあさん」と3曲目の「お月さんとぼうや」。サトウハチローと中田喜直が最強タッグチームを組む珠玉の名作である。少年たちは今年の「フレーベル少年合唱団A組」が持つきららかな明度の高い声質のカラーで歌っていた。「夕方のおかあさん」の最大の歌唱ャCントは「いったい誰が誰の何と同じなのか?」を子どもたち自身が心底理解できているかということだと思う。本曲の最高音であるd音の連桁で「♪ごはんだよぉー」と歌わせた後、中田はB群の少年たちへ「山彦のように」と指示しながらピアニッシモでリフレインさせる。2回目の「♪ごはんだよぉー」が誰の発した声であるかは、この「山彦」の最後の音がタイで次の小節にはみ出していることによってスペーサーの役割を果たし、引き取る音が1オクターブ下のd音であることから明らかである。…幸せそうな親子猫の夕餉を見つめる男の子は背後からかすかに聞こえた自分の母の「ごはんだよぉー」の声を聞く。意識がふっとこちら側の幸福な少年の日々に戻ってくる。「ぼくにもおいしいごはんを作って待ってるお母さんがいるんだ」と思う。だから、「やっぱり同じだ、同じだな」なのである。当夜のA組の子どもたちに「誰が誰の何と同じなのか?」は理解されていたのだろうか。中田が腐心してインサートした「山彦」の後のペダル記号のpfだけが響く間合いを子どもたちは十分すぎるほど待って再現できていただろうか。
 「夕方のおかあさん」の前後に付された短二度で鳴くエキセントリックな連打は懐かしい「ひぐらし」のオノマトベーだが、パート冒頭の「おなかのへるうた」が60年代ふうのコミカルな「なーんちゃって」SEの不協和音で終えたことへのシャレた尻取り遊びにも聞こえた。不協和なこの響きは次の曲の冒頭に響く第2転回のちょっと物憂げな和音へとつながってゆく。A組ステージの選曲は今年も優れて巧みに良くできている。

「お月さんとぼうや」では曲の後半でホ短調から同主調へのほろ甘い転調が行われ、同じタイミングで美しいまっすぐな声のソリストたちが旋律をひきとって歌い収める。単声部ヨナ抜き音階の全く込み入ったところの無い小品だったが、私はこのソロのショーアップを見て、聞いて、定期演奏会プログラム裏面に掲載された団員名簿を思い起こさずにはおられなかった。リストには各クラスごとに団員名が並んでいる。1980年代以降、ここには長い間A・Bの2つの組の団員一覧があり、A組の団員数は多く、B組は多くてもその半分ちょっとといったところだった。20世紀に入ってSABの3クラス編成になり、一時入団順に氏名だけが冗長に並ぶ表になっていた時期もあったが、クラス名が表示されていればS>A>Bの順で団員数は少なくなっているのが普通だった。ところが2016年6月11日。六義園コンサートのA組の隊列を一見して、通常の年度であれば上進しているはずの優秀な3年生団員たちがA組にとどまり頑張っている姿を確認し興味を覚えた。事実、本定演のプログラムに掲載された所属団員の数はS組26名、A組27名(!)、B組25名で実際の出演団員の数もこれにほぼ準じている。合唱団の総団員数は78名で、入団テストと「決められた練習日に必ず出席できること。」という新しい在団条件が功を奏したのか各クラスほぼ25名前後の定員になっている。2016年現在、A組がフレーベル少年合唱団の中で最も所属団員数の多いコーアに成長していたのである。私がこれらを見て、団員たちの成長を感じて思ったことは、定期演奏会が8月にシフトしたことにより、上進のクラス編成が秋に行われるようになったのかもしれないということと、70年代のフレーベル少年合唱団がA・B・C・Jの4クラス編成を持っていた時期があり、現在のB組にあたるJ組(初期にはフレーベル・ジュニアと呼ばれていたことからこの名前が付いた。彼らJ組の特別ユニフォームはめっちゃ可愛い!!)を除くA・B・Cの3クラスがほぼ並列で陶冶されていたことだった。有名なウィーン少年合唱団が4つのコーアを維持しながらローテーションで公演とサーヴィスにあたっていることはよく知られている。フレーベルのA組の子どもたちも今、「お月さんとぼうや」に聞かれるクオリティーのソロをとれるほどに力を付けてきている。2016年は合唱団にとって記念すべき年になるのかもしれない。

 続いて大中恩サウンド炸裂!のギャロップ・リズムの前奏に担われ「ドロップスのうた」が歌われた。リズムに撹乱されることはないA組コーラスも頼もしさが爆発。ャ泣^メントの美しい愛らしさ、合いの手の明瞭さと的確さ、フレーズの追いかけっこの幼獣チックな痛快さ、アルトの子どもたちの信頼の歌いぶり、年齢差3歳以内の声の均質さ。これらをガナり寸前のフルパワーと美麗な高声のいいとこどりの結節点の中で聴かせまくる。上進の日々を待ち望み、楽屋ではおそらく手加減のないギャングエイジ集団と化している彼らA組団員だからこそ、この歌の正しさと小気味の良さをものにしているにちがいない。タイミング的にはPart3のちょうど中間地点に歌われたこの作品は、最後の「たねのうた」とリズム的・聴かせどころ的に通底している。

 昨年のA組ステージには第48回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲「 未知という名の船に乗り」を選んでいた合唱団、今回の学コン課題曲は1985年第52回課題曲Bの「夕日が背中を押してくる」という学コンをあまり意識させないチョイスに留めている(本来は1968年の「みんなのうた」の挿入曲として書かれたもの)。彼らがここで聴かせているのはPart5まで一貫して鳴り続けるカッコかわいいA組アルト声部のキレの良さ。ただしアゴーギグをいなしたやや早めのテンモナ歌っている。「夕方のおかあさん」の処理でも気になったこの走りぶりは、おそらく15分間の配当時間に6曲と前中後3回8名のMCを聞かせ客席を楽しませるという善意から来るタイトさが災いしているようだ。全体量やプログラム構成を無視できるのであれば、Part3のこの時間配当は観客のためにもS組と同等の20分間でよかったのではないかとさえ思う(だが、「MCを半数に減員し、1曲削ればゆったりと歌いますよ」と先生方から提案を受けたとしたら、私は「いえ、このままでいいです」と即答するだろう)。

 「たねのうた」…の唐突さを危惧するプログラムの解説文とは裏腹に、少年たちの歌声はPart3にマッチしていて楽しく、しかも低学年男子の匂いを強烈に放ち胸のすく思いだった。日本語はここでもハッキリとしており、歌詞の内容はすこぶるA組チックである。前奏の刻むリズムは「ドロップスのうた」を想起させ、冒頭から堪能できる彼ららしいユニゾンの声、喚声域を超えた声の温かさ、快活さ、フレッシュさ。ディナーミクをものともしない心だけで強弱を歌いわけていくひたすらさなど、客席でこれを聞けた私たちは最高にシアワセな気分になれた。さらにトリオ部分以降はアゴーギグを効かせて言葉の明瞭性を確保する一方、かけあい、惚れ惚れとさせられる信頼の低学年アルト、オブリガート的からみ、無造作なトランスメ[ズといった当夜の少年らのウリをきちんと織り込んでコーダまでを引っ張っていった。この曲を聴いてフレーベル少年合唱団A組の真のファンになった人も少なくはないだろう。「たねのうた」こそはまさに、A組の少年たちそのものを歌った作品なのだ。彼らの中味の濃い、底抜けに素敵な少年合唱団員人生をそのまま歌にしたものなのだ。暗い土の中に埋められ、眠り続け、だが最後には羨ましいほど愉快な花を咲かせ、聞く人々をこの上なく幸せで満たされた気分にする…いや、気分にさせるのではなく生まれ変わらせる。それが前奏のリズムから展開の構成から胸声すれすれのコーダの歌い上げまでの音楽に歌う喜びとして具現させている。A組団員たちの誰一人としてこれが自分らの団員生活を謳った曲だとは思っていないだろう。「たねってオモシロい!」「ぼくも楽しく歌いたい!」とだけ思っている。だからこそ、彼らの歌声は人々の心の結ぼれを解き、心から元気にさせ、勇気付けたのだ。小さいながら日本の少年合唱団ナンバーワンのチームの子たちだと我々に納得させたのだ。


 現役団員たちの舞台裏での動きはおそらくこうだ。Part1を終えたS組は、マンサージなどの手の込んだ着付けや大デークをはじめとする楽器類の調整のためバックステージに入りPart5に向けて更衣を開始する。続いてPart2を終えたB組が最終ステージのプローヴェに差し支えないよう休憩時間までの余裕を持って撤収とバラしにかけられ、彼らをエスコートしたS組団員がフィナーレステージの準備に合流する。次にPart3を終えた比較的簡易な更衣のA組がバックステージで合流する。これはもともとインターミッション中の保護者のヘルプを見越しての設定だったはずである。彼ら(特にA組の団員たち)は20分間の休憩と5分間配当と思われる団長挨拶と実質歌唱時間10分のOBステージの計35分の間に、更衣、三線との最終調整、板付等のスタンバイをこなさなくてはならない。毎年新しい出演情報や企画の告知があって客席が心待ちにしている団長先生のごあいさつは今回インターミッション後のPart4開幕前に行われた。このタイミングになっているのは全体の配当時間のバランスと、おそらく時間調整の役割を帯びているからだと思う。
 さて、昨秋の定演まで、現役団員たちのレパートリーの本歌取りでチョイスされた合唱曲集を積極的に歌ってきたOB合唱団は今年、フレーベル少年合唱団初代指揮者磯部俶の男声合唱曲集「七つの子供の歌」を採り上げた。2-3曲目に少年合唱団の最初のレコード『たのしい合唱<とっきゅうこだま>/フレーベル少年合唱団』(キングKH50:1959年)からの2曲が顔をのぞかせていることからも判る通り、この曲集は編集もので、その詳細は定演プログラムの太原会長の記述に詳しい。「のぼろうのぼろう」(1972年)を除く6曲は全て昭和30年代前中期の作品であり、曲集タイトルに「子供の歌」とあり、最後の「おさるのやきゅう」を編んだのが合唱団団歌を作ったまど・みちお+磯部俶のコンビであることを知っていると、OB諸兄がなぜこの曲集を選んだか…選曲と心支度の真意はもはや明らかであろう。
 OB合唱団は現役チームの舞台裏の動きやコスチューム・プローヴェの都合で昨年のようなS組セレクトとの合同演奏が打ちづらかった(磯部も沖縄の歌を作ってはいるが、20世紀生まれの子どもたちは歌ったことがない)。また、配当時間は昨年の二分の一に切り詰められている。このため先輩方が寄り添ったのは自分たちの出番より前のPart3「楽しい童謡をあつめて」の方だったと考えられる。しかし頼みの綱、A組は昭和ノスタルジーを吹き飛ばすはっちゃけぶりでパワー全開のままステージを後にし、20分間のインターミッションが入り、今年は団長先生のごあいさつも挿入された。舞台袖にはビンガタの打鰍ワといパーランクーを握りしめた現役チームが今や遅しと50人もぎっしり詰めている…。OB合唱団がA組団員の歌声につなげようとした「郷愁のハーモニー」はPart4開幕時点で観客の頭の中へ既にほとんど残っていなかったろう。私は今年のOB合唱団が結果的に構成面で大変苦戦を強いられたことや、現役ステージのために辛い役回りを買って出たらしいことを推測する。このため本来「昭和ノスタルジー」の香ばしさを誘引するためにもともと曲中に仕込まれているギミック(例えば「大ずもう」に流れる『嵐を呼ぶ男』ばりのリズム…昭和時代中期にはこれを「ジャズ」や「ゴーゴー」のリズムと呼んでいた…や「とっきゅうこだま」のミュージックホンを模したハミングや、「うしがないた」に響く渋いBassの長閑さや、21世紀にはローカル局ですらオンエアしない東京六大学野球の仕鰍ッがやや楽屋オチの「おさるのやきゅう」のコーダといったもの)がOB諸兄にとっては心なしか遣る瀬なく響いたかもしれない。楽しくのびのびとした気持ちの良い演奏であったことは間違いないのだが、昨年のステージがS組セレクトを上手に巻き込んで超好印象だっただけに、企画構成を担当される方々の苦労がわかるような気がした。


 昨年に準じ団員MCはインターミッション前に集約され、後半ステージでは音楽監督のマイク以外子どもの声でのMCは最後の挨拶号令まで一切入らなかった。Part5ではこうした構成上のハイセンスさが貫かれている。例えばほぼ緩急の曲配置が最後のアンコールまでチームカラーを縦糸に織り込んでリズムを刻み続けていること。Part冒頭の「てぃんさぐぬはな」は、13年前の定演で歌った林光(?!)編曲版を選ぶというちょっと(かなり?)のエキセントリックさ(伴奏)。「選ばれし12人」がャ潟tォニー状態でこれに合わせていくものだから、彼らの声は際立ってハッキリと鳴るのだった。A組軍団の破壊力が炸裂する「ゆいまーる」を挟んで、S組各パートのいいとこ取り…第2アルトもカッコよく声を聞かせる(これはクラッシックやジャズのカデンツァというべきではなく、ライブコンサートのステージでアーチストが演奏中途中、プレイヤーを紹介するのに似ている。さしずめそのライブなら「今年のアルト低声、…シブくてカッコいいこの面々ーン!」とでも紹介されるのだろうか…)「しまんちゅぬだから」は目の詰まったBEGINの歌詞を誠意をもって聞かせ、後半はに丸くん独壇場の惚れ惚れさせられるへーしがこれでもかと客席に投げつけられる。感涙を溢しつつ彼の声を腕の中へ抱き止める私たち…。シアワセである。一転、A組の秘めた心と声のリリシズムが手遊び動作とあいまって、訓練された男の子が鳴き続ける高声の肌触りの良さ、優しさ、柔らかさ、温かさ、吹き抜ける島風の清涼感がたっぷりと味わえる「あかたすんどぅんち」。肘、ウオノメ、耳…シーヤープーと唱えながら手遊びで彼らヤマトンチュの8月の白い肌を指差す仕草が、カラダの芯までカフェモカ色した沖縄の男の子の肌色と違っていて何だか妙に可笑しく可愛い。三線もテークーちも彼らの声を邪魔していないどころか共振させ、共鳴させているのは前述の通り。

 フィナーレの「とうしんどーい」の爆発の後、アンコールには今回、「わらびがみ」のウチナーヤマトゥグチのバージョン(歌詞の最初の2行を標準語にした沖縄弁の構成バージョン)をフルコーラス、客席と声を合わせることを想定したのかスローテンモナほぼユニゾンのまま歌い終えた。ボカリーズのディビジ合唱でふんわりと収めた子どもたちの最後の声がホールの音場に消えると、お客様がたは大喜び!今年もここで指揮の音楽監督と少年たちのお約束のアイコンタクトがあり、「アンパンのマーチ」(ファンファーレの入らない高ピッチの版)で打ち上げ、全演目を終えている。お客様方は手拍子をしていて気付かないが、毎年歌われる本曲の今年のこの少年たちのトーンは、Part1の最初の声から一貫して不易のまま美しい。フレーベル少年合唱団の通史後半の中でも非常に高いクオリティに仕上がった豊作年のひとつだと思った。それは、開催時期や在団条件の改正などさまざまな好条件が重なったことと、子どもたちあっての少年合唱を構築できたことなど、多くのファクターの積み重ねによりもたらされた結果であるように思える。ここまでの一気呵成さと迫真の歌い上げは、アンコール部分のトータルタイム10分間という正確さをものにしている。曲の前に挿入された音楽監督の言葉は「トーク」というライトな感覚を持ちながら先の「子どもたちの可能性を大人たちが止めてしまわないこと」といった団員の歌い姿に裏打ちされた、聴衆の心に響く(どこの定演の指導者挨拶でも聞かれるようなイージーな文言ではない)印象的な言葉でまとめられている。真夏の開催で注目されていた少年たちのユニフォームは、後半沖縄ステージのものに更衣されるが、前半は驚くべきことにレンガ色のタキシードとAB組のイートン+ボウタイだった。


変えられないものを冷静に受けとめ、変えられることを勇気を持って変える

2016-05-11 22:25:00 | コンサート
フレーベル少年合唱団第55回定期演奏会
2015年10月28日(水) 文京シビックホール 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円


 初のLP「フレーベル少年合唱団--ぼくらの演奏会から」(キングレコードSKK(H)-284)の1972年の雑誌広告
 合唱団は結成から吹込の行われた1960年代後半までの5年ほどの間に大きな頼もしい変容を遂げた.70年代初頭のモノクロ・オフセット印刷のためユニフォームの詳細は見にくいが、手を後ろに組んだ独特の姿勢を見るだけで彼らがフレーベルの団員であることは一目瞭然


『みんなのうた』です。1曲目は、「おなかのへるうた」。歌は、フレーベル少年合唱団です!

 2015年10月4日午後4時25分。NHK第2放送にチューニングされた全国のラジオから、15秒間もあるコミカルな前奏に続けて腕白そうな少年たちの楽しい歌声が流れてきた。従来聞くことのできたキング版10インチ・バイナルLP『たのしい合唱:とっきゅうこだま』に収録されていた45秒間の録音とは全く異なるフルバージョン。2009年ごろからNHKが押し進めている「みんなのうた発掘プロジェクト」で視聴者の家庭内録音として「埋もれ」ていたオンエアテープを局が「発掘」し、デジタルリマスターしたものだ。大中恩の童謡を特徴付けるひなびたアコースティックの伴奏。トリオの部分では35秒間に及ぶ大円舞曲風で次第にほろ苦く味覚の変わるちょっぴりお茶目な運びが挿入された。合唱団の1-3期生の先輩方はフルレングスの歌詞を「なんちゃってソナタ形式」のように2度歌い、ややおすまし気味…でもヤンチャなテイストが正直に漏れ出た痛快な歌声を披露した。半世紀以上もオンエアされず日の目を見なかった53年ぶりのこの放送は「明らかに変わったが、フレーベル少年合唱団であることはしっかりと守りぬいてきた」合唱団の2015年を象徴し応援するような出来事だったと思える。

 変化は六義園レギュラーの秋のコンサートに並んだB組の隊列から既に顕著で明らかだった。昨年のB組とは明らかに大きく違う。1999年、abcホールのステージいっぱいに並んで炸裂したB組の再決起以来初めての大きな変化を2015年の合唱団は迎えた。「少年たち」と呼ぶには明らかに幼い未就学の子らが、居住まいはしめやかにご機嫌の表情で客席と正立し、可愛らしい声で定演当夜も歌った「ことりのうた」を聞かせる。ぶかぶかで板に付かないユニフォーム姿がまるで不釣り合いに見えるほど彼らの視線はしっかりと指揮を捉えていたし、全員がソロ予備軍と思える程すでに小さな「歌う人の姿」だった。一般の観衆にでさえ一目瞭然だったこのB組の変容は、楽屋に詰めた合唱団の関係者の間ではすでに瞭然たる事実であったに違いない。

 開演。入場。午後6時30分。ステージ下手(しもて)ドアをくぐり、下級生全隊を引き連れたワルトトイフェル君が山台を蹴ってスマートに入場してくる。この時点で、合唱団の変容とワルト君自身の素晴らしい変化は決定的なものになった!この年の4月2日、きゅりあん小ホール、チャリティーのリハーサルで見たワルト君は自分の腰丈ほどのS組アルトの下級生たち(このときの構成は現在のS組アルトのメンバーとは全く違っていた)の退場を「ほら、ほら…」と苦笑いしながら促す、既に退きかけた人の姿だった。前年の定演では豆ナレーター君と共に一世一代の重要なMCを言いよどんだり噛んだりしている。夏に仙台の演奏旅行で見せたキラキラとした歌い姿は見られなくなっていた。日本一のボーイアルトと呼ばれ、これでもう大切な仕事はおおかた成し終えたという安堵や慢心が、徒らに伸びはじめた彼の上背に見え隠れしていた。
 だが、記念すべき55回定演の開幕。ワルトトイフェル君の入場時の表情は、きりりと引き締まり、大人たち総ての聴衆の視線を全身全霊で受け止めるほど真摯なものに変化していた!合唱団最年長にまで昇りつめ「後は後輩たちに任せよう」という忽せな態度は彼のどこにも見当たらなかった。本定演以降、ワルトトイフェル君は殆どの演奏会で歌い続けている。もはや「下級生のお世話係」という印象を彼の姿から感じることは無い。たまたま周囲で歌っているのが自分より4学年ぐらい下の子たちというだけで、自分に課された歌をひたすら真剣に歌い続けているのだった。彼は再び少年合唱団員らしく弛まず変容しなおし、「日本一のボーイアルト」とはどう生きる人のことであるのかを私たちに教えている。かつての日々、A組B組の前列に立っていたずらっ子そうに怒鳴るが如く一人歌っていたあの男の子の姿をここに見ることは無い。人がどう学び続け、伸び続け、善に変わり続けるのかを今、私たちはワルト君の歌い姿に見る。

 登壇してくるS組上級生の子どもたちの全員…昨年の定演で油断を見せた豆ナレーター君も、終始不機嫌そうな印象だった新アンコール君も、見違えるように「歌う人」のひたむきで誠実な表情に変貌を遂げ客席を見据え立っている。昨年までニコニコとして家族の姿や友人の姿をタクトが上がってもなお客席に調べ続けたあの可愛いS組上級生たちの姿は殆どそこに見られなかった。彼らは指揮者の入場までの数十秒間を、あきらかに各自のメンタルリハーサルやイメージトレーニングの反芻のために費やしているように見える。また、かつて指揮者と顔見知りの客人のみを見ながら歌っていたこの合唱団は、この日どのクラスの隊列でも客席全体にときおり視線をずらし注意深く、またあるときは感覚として聴衆の様子や反応を把握しようとする団員が増えた。特にA組ではこの傾向が顕著。すばらしいことである。
 続いて、合唱団が永いこと堅持していた定演時の並び順と隊列の変化が明らかになった。フレーベル少年合唱団ではこれまで基本的にパートごと背の順の並びが隊列の鉄則で、あとは人間関係的にどうしても隣に置くべき(または、置けない)団員を抜き差しして整えるということが長く行われてきた。さらに、クラス単独の場合は2列横隊…クラス混合でSABが一度にステージへ乗る場合も合計3列横隊に留めるよう、クラスを横1列に並べて重ねることが慣行として行われてきた。これは1980年代後半から90年代にかけて団員激減の機をむかえていたとき、少ない団員数でもステージ上で見栄えがし、同時に当時の年齢構成がかなりいびつで背丈の低い団員の顔が極端に見えにくくなってしまうのを回避するための方策として行われていたルーチンの名残である。今回これをS組2列A組2列の4列横隊に改め、見栄え的にも響きとしても「かたまり」感のあるフォーメーションへと刷新。(※1)フレーベルS組にあたる「本科」団員数が2015年、偶然にもS組と互角であったFM少年合唱団がレギュラーステージの3列横隊に違和感を感じさせず歌ってきたことを考えると、今回の演奏会がいかに音楽へ寄り添いながら練り直された会であったかが分かる。SABの全隊について衣裳替えも一切無し(※2)。ワルトトイフェル君率いるアルトチームの後列全体があからさまに入繰りしているのは、彼や豆ナレーター君や新アンコール君たち上級生が修行中の下級生らに両側から寄り添い、「俺らがベストを尽くしておまえたちを守る」という歌を歌っているからだ。また、前列は美白男子君とスイッチヒッター君が、後列でも新アンコール君たちが2枚岩でメゾソプラノとの境界に立って頑張っているのは、この立ち位置が2部合唱3部合唱で正確なピッチを得るために大変重要なャWションにあたるため。今回のアルト陣容は彼ら一人一人の立場が目に見える形で的確に顕示されたものであり、同時に本年度アルトのアビリティの充実を表すものでもあった。

 こうして今年も繰り出されたオープニング団歌『ぼくらの歌』の冒頭でたちどころに久年のファンの目を射抜いたのは、前2列に山台の麓を成したA組団員たちが繰り広げる「35年前のフレーベル少年合唱団が団歌にかけたアタックと姿勢」をストレートに想起させる光景だった!あたかもイイノホールのステージで歌うマリンブルーのユニフォームの彼らがタイムスリップしてここへ流し込まれ実体化して在るように、小さい彼らの歌い姿はブレスも成長途上の腹式呼吸も指揮者を見据える目も日本語も口形も何もかも、あのかつてのフレーベル少年合唱団そのものだったのだ。後列に歌うS組の特に左翼の上級生たちは、後半、この後輩の歌いに作用されながら大人びて心なしか抗っていたかのようにも見える。低声のキャパにはヘッドルームが感じられた。「古きを守りつつ新しいものへ漸進する」役割を負ったS組と、「変化を我がものとし良き段階へ早々に到達しようとする」姿勢を貫くA組…という両クラスの性状が最初の一曲であきらかになった。このことからA組の最初の役儀は全うされ、およそ15秒間の俊敏なフットワークで12名の小学1-2年生がステージから撤収する。入れ替わるようにしてソプラノ・メンバー主体のS組団員が、オープニングMCのショーアップのため左右のスタンドマイクへスタンバイする。これまでステージ上に2つのことがらを同時進行させることへ躊躇しているようにも見えたこの合唱団の変化のひとつの現れである。MC冒頭の発声は、かつてB組のステージで両手をユニフォームの腰に擦りつけながら遅れて登場したあの団員くん。彼は今、メンバーの誰よりも先にナレーションの口火を切る信頼の上級生へと達したのだった。このほかPart1前半の曲目紹介は、いずれも大舞台でのステージ経験・MC経験を複数回持っている団員たちが担当しているが、メンバーを交替させながら「…そして」「…そして」とたたみかけてゆく台詞の展開がリズミカルで楽しく、彼らの声のキャラも味わえて素敵だった。

 全体のプログラム構成をS組について一言で記すと、インターミッションを挟んだ前半がフレーベル少年合唱団の古くからのレパートリーであるイタリア・ナンバー。フィナーレまでの後半が3・11以降を感じさせるNHK学コン課題曲を中心とした癒し系の児童合唱曲群。今年のフレーベルの傾向として、S組ソプラノ声部はピッチ・ホールドに呻吟しており、全隊は昨年度迄の合唱に顕著だった「ボリュームの凌駕」から、「響きへ耳と心を傾けた」ものにシフトし始めている。客席で聴いていても、昨年まで殆ど気にならなかった周囲の観客の咳ばらいやちょっとした物音が、今年はなぜか耳障りで不愉快に感じたほど、S組の歌声と耳と心はクリーンな「響き重視」の局面に向かい始めている。
 S組のスターティングナンバー「フニクリ・フニクラ」。フレーベルが定演をはじめとするレパートリーに繰り返し採り上げてきた作品。大過去のOBたちも、近過去のOBたちにとっても現役時代の思い出の曲の一つとして口ずさめるだけでなく、観客にとってもキャッチーで馴染み深いものになっているようだ。また、ライバル(?)TOKYO FM少年合唱団のかつての代表的なレパートリー…高低のソロ入り、嬌声入りのコケティッシュな編曲。この曲のカッコいいボーイソプラノ・ソロを歌う「おかあさんといっしょ」のひなたおさむおにいさんの小学生時代の姿にあこがれ続けたファンもいる。だが、2013年を境に、TFBCは長きにわたり慣れ親しんだこれら「ぼくらのレパートリー集」のナンバーを敢えて一つずつ丹念にプログラムの俎上へ引きずりあげ、かつての歌いを辞んで「新しいFM合唱団」を誇示するのに余念がない。ここ数年の、日本語で何を歌っているのかハッキリしないだけでなく、変わった色や癖のついた「おなじみのナンバー」は、一定年齢以上のOBたちや何十年もFM合唱団を応援し続けてきた多くの人々の楽しみと憧憬を拭い、さぞ意気消沈させていることだろう。一方でフレーベル少年合唱団が今回Part5の3曲めまでを頑張って注意深く従来のレパートリーに沿わせ「変えられないものを冷静に受けとめ、変えられることを勇気を持って変え、これらを区別する賢い」プログラム構成に徹してきたことが、この冒頭の一曲で既に明らかになっているのだ。合唱団がかつて立たされてきた多くの辛酸の窮地や難局の中でも見限ることなく長年応援し続けてきてくれた聴衆の心に寄り添った変化だけが採用されたようにも感じる。

 ユニゾンの部分ではオキニの団員一人一人の声を容易に聴きわけることが出来るだけでなく、出鼻から突然トップする声の統御、低声パートの少年たちのフィーチャー、エンディングのエールなど男の子の合唱ならではのウマ味を堪能できる。また、2拍子系(8分の6拍子)のリズムに乗って歌う彼らのカッコいい姿を思う存分鑑賞できるのも良い。曲は次の「サンタルチア」の三拍子(四分の三拍子)、続く「勝利の行進」の4分の4拍子というギミックを忍ばせ、一曲ごとに彼らがどう歌い分け、どう「歌い分けられない」のかを聴衆は嗅ぎ取ることができた。S組ソプラノは今、過去10年間の牽引役の先輩がたに比肩する団員が未定で産痛の段階にある。「登山電車」の左翼から聞こえるユニゾンの声はそれを物語るものだった。
 続く「サンタルチア」の引きずるほどテヌートな歌いあげは、彼らの日頃の研鑽を思わせるものだったし、「勝利の行進」はリズミカルな歌い方と見せかけてスラーのごとく高音が断続的にあまねく響くよう統御しながら合唱を展開している。また、当夜様々な場面で発表会の歌いぶりとして適切だったいくつかのテクニックの中、ここでは「合いの手」の本当な処理が聴かれる。また、かつてのような、ぼそぼそとした「力強い」強引な歌声は、少年たちのいたずらっ子そうな歌い姿だけを残していつの間になりを潜めた。彼らは少なくともエフェクト的には劇場内へ「響き重視の音」を戻そうとしているはずである。三点吊とスタンドマイクが2本。かつてのようなブームスタンドは置かれずMC時はワイヤレスのホルダを上下に振って高さを調整する方式に簡素化された。
Part1の最後は、何と言ってもカンツォーネでしょ…というわけで「帰れソレントへ」と「オ・ソレ・ミオ」が続けて歌われた。20名規模のソプラノに対して15名編成のアルトが少年らしい尖った声で「♪輝ける陽は差し来ぬ」と弱音で漕ぎ出すモジュレーションのかっこよさ。小さく開いた口唇から鳴る標準語のクリアさと自然さ。一生懸命つけているャ泣^メントはとても朴訥で可愛く、曲想をなんとか工面して表出しようとするその表情を眺めているだけで幸せになれる。彼らなりのテンメEルバートが繰り広げられているのもラブリーだ。少年たちが一生懸命歌えば歌うほどキュートな味が沁みだして甘い香りが立つ。10年近く前、定期演奏会などのライブパフォーマンスで「オ・ソレ・ミオ」といったイタリア歌曲を歌っていたのは、「先生方のステージ」のすぐる先生だった。合唱団の子どもたちは陶冶されていず、最上級のクラスの子らでさえユニゾンで歌い通した一時期があった。フレーベル少年合唱団は明らかに良い道筋を辿って変容し、今ここにある。
 この部分のMCは団員になってからの年限に負けず劣らず客席にちょこんと腰鰍ッて合唱団のお兄ちゃんたちの歌う様子を眺めていた年月の長かった印象の2名。ギミックの人選と言える。彼らはいつの間にパートエンドのナレーションを引き受けるような団員に成長したのである。そういうわけで、このPart1は「あっという間」の至福のひとときで、実際の演唱時間も15分弱のやや短尺の設定だった。ああ、S組ステージも終わっちゃった…と私たちが力抜けするのも束の間、続くB組オンステージの冒頭に驚くべき衝撃の幕開けが用意されていたのである!

 Part2冒頭、引っ込んでいったはずのS組の少年たちのうち選ばれし子らがB組団員13名を客席側に引き連れシモ手ステージドアから再度姿をあらわす。フレーベル少年合唱団ではB組流し込みのシーンによく見られる「エスコート」入場。だが、今年は客席の人々の心を完膚なきまでになぎ唐キほど上級生たちは可愛かった!S組団員の中から、未就学児の手を引かせて可愛く見える団員だけが注意深く選びとられ、整列順までがおそらく計算しつくされ並べ替えられ、入退場へと的確に充てられている。むろん、連れる彼らは真剣そのもの。小さい子どもたちの肩に掌をあて定位置に立たせ、前を向かせ、中には緊張の姿を見かねて言葉をかけてやったり、「しゃべっては駄目だよ」と身振りで制したりしているお兄さん団員の姿もある。これには完全に激萌え。メロメロ。観客の母性本能突きまくりである。狡猾と言いたくなるほど良くできたこのさり気ない演出は日本中の他の少年合唱団の本科隊団員では蓋し実現不可能に違いない私たちへのスペシャルプレゼントだった。一年生の男の子の歌と見せかけて、実は「キミ!キミ!教室、覚えたかい?」と、その手を引く上級生の少年達の汲めども尽きぬ麗しい心を描く「一ねんせいくんおとうとくん」はフレーベル少年合唱団初代指揮者磯部俶の代表曲の一つである。21世紀の今も桜の頃、全国の小学校の教室や体育館で歌われるこの作品の世界をpart2のS組団員たちの姿に重ね合わせて見ることができたように思う。

 外見は未就学児。B組の団員たちが横一列にステージやや前方へ置き残され、一見B組らしく客席に手を振ったり無邪気におしゃべりしたりして指揮者の右手の上がるのを待つ。だが、前述の通り彼らのたち戻るところは、目立ったメンバーの入れ替えも無く、昨年の大騒ぎのB組ステージが嘘だったかのような端然とした目付きだった。少なくとも彼らは「自分たちが一体何をするためにステージに呼ばれてきたのか」を把握し、「何を聞かせ、何を見せるべきであるのか」を理解し、応じようとしていることが見て取れた。フレーベル少年合唱団の定期演奏会に於けるB組のフィーチャーは長いこと、A組ステージの後半の数曲をシェアするかたちで催されてきた。幼稚園年少の男の子から(2015年現在の募集では年中さんから)所属するスターター・クラスの演唱としては実によく仕上がった演奏を聴かせていたのだが、位置付けは所詮「A組のオマケ」に過ぎず、フレーベル定演の持つ「活動報告会」としてのスタンスを活かし難いというきらいがあった。55回目の定期演奏会でAB組のステージ設定が「下位クラス」のコーナーとしてではなく、それぞれのメルクマールの設定と到達度の公開といったシラバス的なものに大きく変化したことがわかる。1曲目の「ことりのうた」で団員たちはユニゾンだが緩行のぴょんこ節をキープしつつ、なだらかで高めのピッチの山型旋律を3回たどってゆき、「♪ピチクリピ」と優しい声でさえずって終わる。最後の音は、冒頭の小節で一度登った本曲の最高音である。小学生のような頭声はまだ出ないが、彼らがそれを目指して練習をつんでいることは容易に聞き取れた。また、「♪ぴぴぴぴぴ、ちちちちち」の連桁八分音符が小さな団員たちの身体をスタッカートの唱法へ誘引していることなど、選曲が注意深くおこなわれているように感じた。しかも、「ろばの会」と同時期の1952年の童謡をとりあげている。ピアノ伴奏にモダニズム的なイメージを感じるのはこのため。当夜は全てのクラスのイントロMCが統一的にアバンの位置に置かれているので、B組でも1曲歌ってから「ぼくたちはB組です」のナレーションが入る。2人組のショーアップで行われたこの最初の短いMCは低い声で未就学児のイメージを覆すほど素っ気なく無愛嬌だったために客席からはストレートな笑い声がもれた。だが、本年度のB組団員たちの正立する姿を見る限り、これは彼らの偽らざる気持ちの表れだったようにも思えてくる。

 続いての演奏は鍵盤ハーモニカを導入に配したベートーベンの「歓びの歌」。移動式のフォールディングテーブル4台に楽器を並べ、これをステハン4名の手を借りてステージ前方へ流し込み、少年たちは楽器をセッティング位置へ平置したまま卓奏パイプを使って立奏するというフォーマットを採用している。驚くべきことは、最初の一音から美しく揃った息の流量と呼気温度で安定していたこと。一方で「男の子」っぽいスピードで息を送っているため幼少年らしい茶目っ気もキープしている。また、片手(卓奏パイプを用いた鍵盤ハーモニカの奏法では、パイプのマウスピースを左手で軽く握って吹くスタイルが教育楽器としては標準で、右手だけで打鍵することは不自然なこととは言えない)だが一本指ではなく、どの子もきちんとした運指で演奏していたこと。このステージには「自由保育」の片鱗も、「小1プロブレム」のかすかな予兆も見られない。曲はpfのブリッジを挟んで、パイプを放ち、ドレミとラララのボカリーズに持ち込まれる。「幼稚園児に階名唱や固定ドは時期尚早で無意味だろう?」というのは最早過去の物語。この年齢の子どもたちにこそドレミで歌う機会を惜しみなく与え、楽しませ、我がものとさせることの大切さは今更ここで述べることではないだろう。フレーベル少年合唱団は未就学の少年団員たちにこのような教育プログラムを用意して施し、確実に身につけさせているということを顕示する説得力のあるアナウンスとデモンストレーションの場になっていた。事実、彼ら未就学児の歌声の少なくとも半分はしっかりとしたピッチホールド(音程)で展開する。歌は少年たちの第九メーキングのようにボカリーズへと持ち込まれ、やがてトゥッティ的に収斂され大団円をみる。

 音楽監督は休憩後のステージMCの中でB組の演奏楽器を不用意に「ピアニカ」と言いかけ「鍵盤ハーモニカ」と訂正していた。保育図書の会社の主催する演奏会である。客席には幼保や小学1・2年担任などの教育・保育の現場で子どもたちに日々接している者が多少なりとも詰めている。遠目に見ても楽器の材質や色、パイプのジョイントの形状などからこれが、材質も重量もお値段も若干お高めなSUZUKIのソプラノ・メロディオン32鍵であることが分かる。このチョイスはさすが保育教材を扱う会社の少年合唱団なのだ。面白かったのは、少年たちのその歌口にどうやら団員名のシール(テプラ?)が貼られ、衛生上、混用を回避しているらしいのだが、唾液に触れずに済むジョイント部分ではなく、消えやすく剥がれやすく貼りにくい唄口にわざわざ貼られていたこと。未就学の男の子たちに自分の楽器を正しくピックアップさせるだけのことにも細やかな配慮の存在することが分かる。だが、小さい彼らは文京シビックの1800席規模プロセニアム可働の大舞台の上で、セッティングされた鍵盤ハーモニカの吹き口の氏名が整列順と齟齬していることを簡単に見分け、本番中、冷静に自分たちの立ち位置の方を楽器に合わせ入れ替えて演奏してしまう。その恐るべき泰然自若ぶりは、彼らの小さな脳ニューロンで働くドーパミン・トランスメ[ターの統御を強く感じさせた。おそらく、このことにより、退場時に再登壇する先ほどのS組エスコートのメンバーは、入場時と異なるパートナーが突然目の前に現れて狼狽し、動揺から撤収に混乱をきたした。ここがまたS組お兄さん団員たちの振る舞いの天然チックな可愛らしさをたっぷり堪能できた場面。お客様は、もはや撃沈である。わずか10分間ほどのB組ステージが無味乾燥な音楽教育実践報告の場だけで終わってしまわないよう、ファジーな要素がからみやすい可塑的な計画が組まれているのである。
 S組団員たちより緊張しているB組の少年たちの顔色が後半非常に明るかったのは、鍵盤ハーモニカの置き台に鰍ッられた白いテーブルクロスのおかげ。白い布は目隠しではなく、レフ板の代わりをはたして、表面積が狭い小さな子どもたちの顔を生気に満ちて大きく堂々と輝かせていた。

 日常生活を送っていても、小学2年生の男の子の頼もしさに計らずも惚れ惚れとさせられてしまうことがある。「僕はもう1年生じゃないんだ。」と彼ら自身も確信を持って思い、しかし誰も声にすること無くやがて「一人前の小学生」(?!)になってゆく。続くパート3のA組ステージで私が惚れ惚れとさせられたのはこの2年生然とした少年たちの歌のトータルな頼もしさと小1プロブレムど真ん中の「A組少年と呼ばれて」なおの1年生軍団のステージ上には見えにくいはじけぶりだった。合唱団のファンを30年以上もやっていると、舞台に出てきた子どもたちの着付けの状態やベレーから漏れる鬢と前髪やブレスの上がり方で彼らの楽屋やステージしも手袖での様子を何となく窺い知ることができたりするようになるのである。

低学年主体。だが、入退場はS組に比して非常に見栄えが良く、颯爽としていて気持ちが良い。特に後半のステージに見られた上手(かみて)側からの隊列の流し込みは秀逸。この手の訓練をみっちり受けているFMの予科生の入場と見まごうばかり。前方を見据え思い切りよく少年らしいストライドでバミ位置へと迅速に進み出てスタンバイを終える(退場時も同様!)。また、A組のMCスタッフは昨年度定演とほぼ同じメンバーで場馴れ手慣れの心地よさ。アルト最右翼のMCたちの頼もしさ!アルト・エッジから点対称移動組のソプラノ君は一昨年のB組時代のナレーションの態度が極めて好印象だったためか昨年度に続けて今定演でも演出MCとして登用されている。少年らしい上気を感じさせつつ2階席に視線を結び、客席の反応を冷静に見て言葉を発する沈着さと聡明さに私たちは舌を巻いた。よどみないセリフの見切りの良さと一曲目の前奏を背中で聞く身のこなしがその存在を印象付けている。
 だが、団歌を歌って引けた後、再びこのPart3へ姿を見せたA組諸君のユニフォームの緩み方や汗だくの面差しを見る限り、「この子たちって、楽屋や舞台袖でいったい何をして過ごしているの?」と首をかしげずにはいられない。オープニングではそこそこキマっていたフレーベル少年合唱団らしいベレーのかぶり方は、S組の演唱の最中に舞台裏で何があったのか?(笑)、再登場の際、殆どの団員がブッ飛んで乱れており、客席の視線を釘付けにした。彼らの相手をしてきた楽屋・誘導のスタッフが目を回し舞台綱元にへたり込んでいる様子が目に浮かぶ。

 実態的にもルックス的にもフレーベル史上、近年稀に見るヤンチャさ。昨年までの「S組予備隊」という性格を強く帯びたA組(とくにA組後列については)とはテイストが全く異なっている。パート冒頭のMCでも「今年のA組のメンバーは1年生と2年生です」と明言する。これはエクスキューズの意味合いから出た言葉ではないはずだが、演奏が始まったとたん「小学1-2年の男の子だけで、このクオリティの合唱が…いや、そもそも『合唱』と呼べるものがかくのごとく容易に出現しうるものなのだろうか?」と思わされてしまう。秘訣の一つはおそらく上記の通りの大嵐のようなはじけぶり。少年らはステージに上がった途端、楽屋や舞台袖で思いっきり発散していたであろう邪悪な(笑)パワーと破壊的なエネルギーと熱に浮かされたような衝動(!)とを全て無駄なく頼もしく適度に統御された合唱へとコンバートしてしまったように思える。もう一つは、入場場面の美しさに見られるような体格や成長過程の均質さという、指導上のメリット。かつてフレーベルのA組(プレーンA組)には、セレクトに漏れた…例えば高学年でも新入団員という子から、出来の良い年中さんでさすがにB組のまま原級留置できないという団員まで、広い年齢層の少年たちが雑居状態で隊列を作り一つの歌を仕上げていた。入卒団の垣根が低くメンバー構成の殆ど安定しないセレクト・チームへの団員補填のためプレーンA組は毎年虫食い状態で団員が交替し、いわゆる「ワンクッション」のような様相を呈していた時期もあったように見える。だが、時は流れ、おそらく「毎年15人の新入団員を採り、彼らを変声の歳まで揃って歌わせ、卒団させる」という新しい団員募集ルーチンが数年を経てようやく軌道に乗った最初の年に、このA組が成立したものと考えたい。
 さて、こうしたA組ステージの最大の白眉は「選曲の妙」だと思う。1曲めの「夢の宇宙船」で、少年たちお得意の声域から明るい音色で歌い始め、シミュラーなリズムを繰り返しながら航宙路線上のトラブル回避に合わせ新たな歌の戦術を繰り出して対処。最後にフレーベル少年っぽい完全な頭声によってクライマックスを囀らせる。私が「1-2年生の男の子だけで、こんなことが出来るのだろうか?」と驚愕させられたマジックの仕鰍ッは、案外このような適切かつ丁寧な選曲が功を奏していると言えるのかもしれない。少なくともこの低学年軍団の半数は既に正しいピッチで頭声発声をものにし、S組上進を待っている子どもたちということになる。聞いていて爽快で気持ちの良い歌を歌える6-7歳の男の子が20人以上も目の前に並んでいるなんて!
 2曲目には打って変わってマイナースケールのウェットなワルツというミッション。この子らの喉の実力が軽快でアップテンモネスペースシップ・シャンツだけでなく、しっとりとした作品でも楽しめるということ(習練を重ねているということ)が示される。男の子の合唱のコンサートではチョイスしにくいカラーのナンバーだが、トリオの冒頭から起きる鰍ッ合いやコーダに響いているアルトの中にいる鈍い響きが幼さの中でちょっとカッコよくて渋い。
 続く「歌よひびけ」になると、この「鰍ッ合い」のスキルがリバースしながら展開され、観客にとってはお目当ての子の声がよりクリアに捕獲できるという趣向になっている。伴奏の裏打ちやベース音のランニングを頼りにリズムと拍をとらざるをえない彼らとっては「合唱ピアノ」を聴くという大切な訓練の場になっていたように思う。実際バックビートで微かにリズムをとって歌っていた団員が何人か見受けられた。この子たちも、間違いなく1年生や2年生なのである。(ただ、本曲にはちょっとムフフなギミックがあって、アルトが先行で歌い、ソプラノ君たちがさりげなくそれを追唱していたりする…!)

 そして、Part3とA組の顔見世と前半の部のフィナーレを飾る選曲の決定打は昭和56年(1981年)第48回NHK全国音楽コンクール小学校の部の課題曲「未知という名の船に乗り」。この曲を歌って小学生時代を終えた当時全国1200校以上にのぼる参加校の卒業生は現在既に40歳代半ばをむかえている。それ以降に生まれ、学校の合唱コンクールや音楽集会などで「未知という名の船に乗り」を歌った経験のある人々は、当夜、文京シビック大ホールの客席の少なくとも半数を保護者・学級担任などの立場で占めていたに違いない。だからこそ「小学校低学年に『未知という名の船に乗り』なんか歌えるの?!」のセンセーショナル!「私たちが高学年で歌ってさんざん苦労した、あの曲を1年生男子が歌うわけ?」の驚き!ソプラノのMCボーイ君は念押しとばかり「難しかったのでたくさん練習しました。」と触れている。うぅ、カッコかわいくてズルすぎる!彼らは35年ほど前に彼らの大先輩がたや客席の人々が学校で難儀しながら歌ったこの作品のオリジナル通りの前奏に担われて、楽譜通りのユニゾンで歌い出すのである。1-2年生らしい駆け始め。フレーベルらしい頭声。21(17)小節以後をPart3に通底した「鰍ッ合い」「ジャンプ」「アルトパートのリード」といった覚えたての(?)手法を駆使して合唱に仕上げる。2番冒頭の「ホホー」の合いの手(全音符二つ弱の長さのロングトーンをアルトパートだけでキープする)などの割愛は一切無く、伴奏を含め全てフルバージョンでピッチ以外の誤謬無く最後の合唱スキャットまでを歌いきった。今世紀に入ってから、卒園式などの場を中心に、幼保の保育現場では年長さんへかなり難易度の高い合唱曲などを歌わせることがトレンドになってきている。保育図書のレジェンドである株式会社フレーベル館を代表する少年合唱団が、こうした動向へ真摯に対応しているとは考えられないだろうか。

 団長挨拶は今年もインターミッションの前に行われている。飯田団長の就任が合唱団の革新の契機になっていることは疑いもない嬉しい事実。OB会との和合を感じさせるPart4のOBステージへの現役チームの共演。海外公演を射程に入れた練習継続などの話題が情報としてもたらされた。ただ、海外公演に関しては2016年度の開始時点ではまだ具体的計画は明らかにされていない。また、「日本の誇りとなるような少年合唱団に育てていきたい」との祈念は自らを戒める謙遜の言葉と受け取った。フレーベル少年合唱団は只今も紛うことなき「日本の誇り」と私は判じて疑わない。

 Part4はOB会合唱団による男声合唱のためのメドレー『四季の風景』のダイジェスト版演奏。この組曲は、懐かしい唱歌を中心に10曲をピアノ伴奏、Solo入りの男声四部でメドレー化したもの。題名にもあるように、梅雨明けの頃から始まって春の訪れで終わる四季巡りの曲集だ。全10曲をつなげて演奏すれば15分間ほど。しかし、今回のOB合唱のように配当時間内へ収まるようナンバーをピックアップしても、単独で採り上げて歌っても良いという編曲になっている。客席は実際、一曲ごとに拍手をしていた。ここまでを読まれてピンと来られた方…、前年の仙台公演まで現役チームがレパートリーにしていた源田俊一郎編曲の混声・女声・男声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」の後継企画的合唱曲集。もともと「わかば」で始まる組曲だがOB会は間の4曲を飛ばしSoli込みの「緑のそよ風」で歌い終えている。つまり、OB会のこの演目は、現役の少年たちのへの明らかなオマージュになっていたのだ!曲の途中でこれに気がついて聴いていくと、なるほど歳を経てすっかり上品な歌を歌うようになられたOB軍団の歌声が、その現役時代の初々しいイメージを湛えて流れているように思えてくる。メドレー向けの歌を6曲というチョイスは驚くほどの刹那のあっという間の出来事だ。だが、Part4のOBステージのトータルタイムは20分間。次のPart5のアンコール部分を別立てに見做せば55回定演の全ステージPart中、このOBステージの長さがダントツの時間だったということになる。これが一体何を意味しているのか、当夜客席に在って終演までを聞き終えた人々にとり明々白々だった筈である。

 登場してきたのは「新任」の音楽監督。歌い終わって進み出てきたのはOB会長。2人は邂逅のごとくステージしも手コンサート・グランドの前に立ち、おそらく定められたシナリオに従って合同演奏「遥かな友に」へと至るインタビューをすすめる。出色なのは、そうした構成台本の存在を感じさせない自然な話の流れ。音楽監督が、OB会長の回顧を聞きながらフレーベル少年合唱団とOB合唱団のレーゾンデートルを知るという運びになっている。初めてこの合唱団の定期演奏会を聴きにやってきた観客たちに寄り添うような良心的なスクリプト。こうして私たちはフレーベルのありかを再び思う。
 かくして、OB諸氏の隊列の前に、現役S組セレクトの12名が静かに進み入る。ソプラノ、アルト各6名の秀逸なコンフィギュレーション。「選ばれし者たちということにしておきましょうか」とのナレーションがかかる。一瞬ニコリとする団員もいるのだが、彼らはたちどころにひたむきな表情、あの面差しへ。メンタルリハーサル。入場直前までステージ袖で声を合わせ練習を繰り返していたかのごとく、頭蓋の中で曲を幾度も反芻しているように見える。日本人の少年合唱団員がステージに見せる最も秀麗な心惹かれる表情がそこに。演奏が始まると、少年らのこの表情に「細心の注意で客席に響く自らと自分たちと合唱全体のトーンを聞き取り差配し歌い進めようとする」者の清冽な面体が混じってくる。「この瞬間が、第55回定演の隠れた天辺なのかもしれない」と私たちは気付き、震撼しはじめる。会場入り口で渡されたアンケートの「本公演で良かった曲目は何ですか」の質問に迷わず「遥かな友に」と書きこんだ人は少なくなかったろう。

 ネット上を浚うと「フレーベル少年合唱団はなぜ『遥かな友に』をレコーディングしないのか」というリクエストを目にすることがある。引き合いに出されているのはVBCが1976年のLP「ビューティフル・サンデー 天使のハーモニー(3)」で収録したオーケストラ伴奏の録音。ソロの入ったカスケードふうのストリングスをベースに、ハープのグリサンドやウィンドチャイムなどを多用したシーショア・セレナーデっぽい、ちょっと?なインスト。ベツモノの感もある印象に仕上がっている。「遥かな友に」の作られた津久井(「遥かな友に誕生の地」や「遥かな友に歌碑」の石碑が存在する)に合唱交歓のため演奏旅行で毎年通っていたのは晩期のVBCだが、彼らのその録音の白眉は丁寧にボイトレを受けたアルト声部が潜在的に鳴り続ける高安定性というところにあった。VBCの作品と今回の演奏の間には制作を誘起させるようなインタラクションがあるようには思えない。
 フレーベル少年合唱団はこれまでもOB合唱団と声を合わせる経験をしてきている。毎回の定演のアンコール演目で。S組に関しては例えば50回定演のフィナーレでヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」を「先輩方も歌った演目」との位置付けで四部合唱したりしている。今回の「遥かな友に」がこれらの演奏と明らかに違っていたのは、「せっかくの機会だからOBの皆さんも現役たちと歌いませんか?」といったオマケ的なオプションではなく、OB合唱団が現役チームをしっかりと引き寄せて歌い終えたこと。合唱団の側がおそらくそれを仕鰍ッたこと。演唱中の団員の目つきは「僕らは先輩方と最後の一秒まで一生懸命練習してここにいる」とどの子も言っていたし、14名の先輩方の前に1列で並んだ少年の立ち姿は、「タキシードをまとったOBらの数十年前のひたむきな姿」を1対1対応で目前に並べるという素晴らしい表象だった。右から4番目で一本気に歌う小さな(彼はこの隊列の中で背丈も団員歴も一番新しかった)はに丸くんの歌は、S組セレクトの中で一番頼もしく凛々しかった。なぜなら、このステージの彼は、もはやOB隊右から4番目に歌うOB会長の50年前の明らかな心像だったから。
 本曲が作られた時の物語は比較的良く知られている。書かれたのは合宿所の薪小屋。時間は目をぱっちり開いた大学生たちが寝床の上で悶々(笑)としている夜更け。ピアノも譜面台もタクトも無いムサ苦しい場所であろう。この初演(?)を歌った早稲田グリーの学生達は下着同然の寝間着姿だったはずである。本定演での演奏は、この場面のみ指揮を音楽監督・pfを合唱団側の吉田先生にスイッチさせていて、当企画のハンドリングの詳細を窺い知ることができるのだが、合唱団での合宿練習経験を一切持たない現役組の少年たちがその「スマート野郎の子守歌」のイメージを壊すことなく、秘めたものを小出しにしながら3拍子の存在を感じさせないほどロングトーンで静謐に歌ってくれたのがぞくぞくするほど嬉しかった。最後に男声陣が良識をもって声を潜め、少年たちのフェルマータ付きの付点四分音符が文京シビックの2秒超の残響の中へ夜の帳のごとく消えゆくのを耳にした私たちは拍手することを忘れるほど悩殺されたのである。

 続くPart5は「故郷」に始まり「ふるさと」で終わる最終ステージ。指揮者は総出演で2曲ずつを分担した。登場するのはS組セレクト。かつて「A組セレクト」という名前で呼ばれていた現在のS組本隊。A組とこれらの初等組み合わせ論的チーム配列。B組は登場しない。
 B組が終演のステージに姿を見せなかったのは、おそらく今世紀になって初めての10年ぶり以上前のことと記憶する。年齢層の一番低いB組の楽屋待機時間が最も長時間に及ぶ昨年までの香盤を改め、先入れ可能なこのクラスをパート2で歌いきらせ、インターミッション中にバラす。入れ替わりに楽屋入りの一番遅くなるOB組を同じタイミングで現役S組セレクトに合流させたという穏当で常識的なスケージューリングに改められたのだ。さらに1-2年生で体力的にはほぼ限界のA組をPart5前半にフィーチャーしてから一旦休ませ、最後の力でアンコールを歌わせた。全体で30分間前後のクドさの感じられないあっさりとした印象のステージに仕上がっている。ここ迄のタイミングを見ても明らかなように、今回の定期演奏会は時間設定をはじめとして実に緻密に構成が練り上げられているのが分かる。アンコールでさえ、きっちり10分間で閉幕までを運んでいた。
 その奥義と言えるのか定かではないのだが、当夜の後半の部には団員のMCが終演の号令まで一切入らない。マイクのハンドルは音楽監督だけで、曲目解説等は全て刷新されたプログラムの文面に一任されている。

 合唱団は今年、1984年の第24回定期演奏会以来30年間も堅持し続けてきたB4版中折カード片面単色刷りのプログラムをゲリラ的に更新し、全ページ・フルカラーA4中綴じ8頁のデラックスな小冊子に差し替えた。トッパン・グループの一翼を担い、日本人であれば老若男女、すべての世代の人がいづれか手にしたことのある絵本を作り続けてきた会社がデザインしたパンフレットである。シンプルでソツなく、読みやすく楽しい。来場者全員に手渡されるプログラムの内容は、担当する先生方やOB会長の筆による各パートの懇切丁寧で気持ちの良い解説が4頁。続いて音楽監督のご挨拶と先生方、OB合唱団のプロフィールが読める。驚くべきなのは8頁目にあたる裏表紙の内容。仙台公演のプログラムを評して「こんなに鮮明でカッコいいビジュアルが作れるのならば55回目定演プログラムの端っこを飾ってくれていて良さそうなものを」と私はここに書いた。(??!)その演奏旅行の舞台スナップと54回定演のステージ写真が、合唱団の紹介文の下へ鮮明に刷り込まれている。仙台のものはアンパンマンこどもミュージアム&モール1階広場でアンパンマンテラス側から撮影されたもの。つまり、アルト側から撮影されたもの。(背後には場内パトロール中のアンパンマンとカレーぱんまんが写り込んでいる)。定演の写真はタキシードで歌うアメージング君から右側のS組のもの。どちらもS組アルトがメインの写真…もしや、「フレーベルのアルトにはイケメン&美声の子しか配属されない」というウワサは真実?!サプライズはそれだけではない。続いて掲載されている団員名簿はこちらも10年ぶりに入団順、クラス別の構成へ回帰。かつてはこれにパート別のカテゴライズが加味されていたが、2004年の定演プログラムで割り付け位置にミスがあったため、翌年からパートが表示されなくなった。当時、会場に来ていたTOKYO FMのアルト団員さんから開演前、プログラムを指して「フレーベル少年合唱団は、アルトがソプラノとメゾの間で歌っているの?」と真剣に尋ねられ閉口した思い出がある。
 サプライズに溢れた55回定演のプログラム冊子だが、最後に掲載されていた「おしらせ」に度肝を抜かれた。次回定期演奏会は8月24日!夏休みの終わりから2番目の水曜日。おそらく合唱団創設以来初めての夏休み中の定期演奏会。この設定の意図は、もはや明白。現在のスケジュールでは団員の当日集合が平日、学校が引けてからの夕方になることから現役チームの十分なゲネプロの時間が割けないためだ。一時期日曜祝日のマチネで定演を打っていたフレーベルが「当時のあのくらいの時間的余裕が欲しい」と思ったのもうなづけるというもの。さらに夏休み中ということもあって前日まで散発的にプローヴェを組むことも可能。今年度、入退場や演唱中の客席状況目視、響きの把握など新しい戦果をものにし、今後はさらに出はけを含めたMCのスマートさや段取の迅速・確実さなどを課題として抱える彼らが1秒でも長いリハーサル時間を望んでいるのは確然たる事実なのである。
 今回のプログラム冊子には「やなせたかしのうた」のCDの広報と、F館1階を新装して開いたフレーベルこどもプラザの両面カラー広告と定演アンケートと団員募集のびらが挟まれていた。事前に配布された55回定演のフライヤー(ちらし)は例年通りプログラムのデザインを流用したもので、団員募集の要項も兼ねていたが、そこに記されていない一文が正式な「団員募集」には存在した!「決められた練習日に必ず出席できること。」…応募条件筆頭へ加筆されていたのである。かつて「存亡の機」にもさらされたフレーベル少年合唱団にとって団員の所属は長いこと「席を置いててくれさえすれば歌えるときに来てくれたらいいよ」程度の立場の弱いものだったように感じる。彼らには「中学生になるまで、頑張って毎回の練習・出演に、他を置いてでも出席する」というメルクマールが希薄で、現在のOB合唱団がほぼそれ以前の在団員だけで構成されていることを見ても明らか。だが、今年の定演に肩を並べたS組の少年たちの引き締まった表情からは「練習をして、何としてでも定演の舞台に立たなければ」という意識改革が見て取れる。私はこの応募チラシの「応募条件」の加筆がフレーベル少年合唱団捲土重来の鍵になっているように思われた。

 Part5の冒頭、コールド・オープンのごとく唐突に、先ほどシモ手袖へ下りたばかりのS組セレクト12名がそのまま再入場してくる。隊列の構成は全く変わらない。スイッチヒッターくんがアルトからソプラノへ。OBステージへの彼らの出演が、このオープニングのもってこいの流用だったことが判明する。今回の登場では、ソプラノ4名、メゾ4名、アルト4名を感じさせるイメージの隊列に見える。違っていたのは各高パート中間位置の2人の団員が1本ずつトーンチャイムを携えていたこと。マレット(ヘッド)の形状(色)の違いから、これが最低音に近い旧モデルの2本の拡張用トーンチャイムであることがわかる。ピアニストの登壇は無く、指揮者の両手が振れるとともに、2人の団員は魔笛の符牒のごとく楽器を両手で3回振り下ろす(片手で振っていないのは、これが拡張用の最大級のトーンチャイムの標準奏法だからだ。この演奏法は正しいのである)。アルミニウムとは思えない深いフューチュリスモな響きが低くステージ全体の音場に紛れ込む。だが、「音出し」と思われた楽器の使用は、2番以降4小節ごと(楽譜で言うと1段ごと)のオルゲルプンクトとして使われる。曲は「故郷」。少年たちは細心の注意でチャイムを振り、セレクトたちは全神経を集中してこの音をマーカーにアカペラで歌い置いて行く。12人という人数に助けられ、団員たち一人一人の声質がクリアに聞き取れる。一人一人の表情を堪能できる。かつての一時期、フレーベル少年合唱団は団員総数がこの人数と違わぬほどに減少した。切なく佗しいかつての団員たち、関係者たちの思いがこの隊列の背後にひっそりと分からぬ程に紛れ、ペーソスに満ちた涼しいボーイソプラノの響きの中で微かに微笑みながら鳴っていた。忘れがたきふるさと…と、彼らは歌っている。リピートを回し、トーンチャイムの持続低音を聞きながら歌い終える。

 Part5には8つの曲が並んでいる。全て集合論的な帰属・包含関係を持って選ばれている。例えば冒頭の4曲はかつてフレーベルの定期演奏会で歌われた作品が選ばれている。うち2曲はやなせたかしの詞によるもの。2-3曲目と5曲目以降は番組テーマなどのNHK放送楽曲。5-6・8曲目はNHK学校音楽コンクールの課題曲。「手のひらを太陽に」はNHKみんなのうたの放送作品でやなせたかし作詞によるものだ。62年2月の初回放送で録音を担当したのはVBC(ビクター少年合唱隊が結成披露のプロモーション用ソノシートを配布し始めたのが1962年の4月なので、おそらくクレジットは「ビクター児童合唱団」の誤記であると思われる。発見された放送用音源を聞く限り、当時のVBCの歌声であるようには聞こえない)だが、「手のひらを太陽に」の50周年記念CDの童声を録音しているのはフレーベル少年合唱団だった。今回はおそらく準備のため退場したS組セレクトの後を追ってA組単隊がカミ手ステージドアからのイレギュラーな入場。繰り返すようだが、私はこの1-2年生男子チームの全てが小学校低学年男子にあるまじき頼もしさに満ちていると思う。お世辞にも出来上がっているとは言えない身体を押して出来る限りの頭声を運び、歌い納めの穂先を揃えようと頑張ってくれている。私は2015年度のこのA組のチームは「成功」だと思っている。
 彼ら単独の演奏はこの1曲だけで、続く「Believe」からS組が背後に入場し、あの4列横隊の夢のような隊列イメージが再現される。フレーベルでは、ャsュラーな富澤裕セレクションではなく橋本詳路編曲版を使い、限りなく番組オリジナルに近い演奏(テンモセけは、最近やや速めにしているようだ)を再現。ワルトトイフェルくん・豆ナレーターくん率いる低声部がつとめて自然に存在感を発揮した。全隊の少年っぽいステキな日本語は言い淀みも無くきわめてクリアで、手話による歌詞の説明ももったいぶったMCも一切不要の明快な演奏だった。
 続く木下牧子『愛する歌』の「地球の仲間」は、フレーベル初演時の歌に比べA組のフレキシビリティーをうまく使い、上級生たちがその上からブラーをかけるようにてん補。S組アルト前列の子たちが大活躍して良い声質で低声を押さえているため、全体にべちゃべちゃ感の無いヌケの良い合唱になった。
 だが、A組の快進撃もここまで。学コン課題曲で彼らにとっての新譜にあたる平成27年度第82回全国学校音楽コンクール〔小学校の部〕課題曲「地球をつつむ歌声」でA組アルトたちは窮地に立たされる。おそらく声量の底上げを狙って投入された(?)彼らも「未知という名の船に乗り」から30年…21世紀15年目の課題曲は小学1-2年生がそこそこに歌えるほど容易なものではなかったようだ。音取りが明らかに未完成なのは、特にアルト声部の旋律が音高・リズムともソプラノのアーティキュレーションとは別に書かれ錯綜していて取りづらいため。さらに、走りながらパンチパスで後方の味方へボールを送る(敵にボールを奪われたり、気づかれたりしないように)行く旋律(歌詞)の「バックパス」が冒頭から登場。全体の調性がト長調⇔変ロ長調の繰り返しで移ろっていたり、ドシン!ドシン!と、四分の三拍子があたかもダイダラボッチの行進のように1小節1拍でラストスパートをかけたり…と、小さな彼らを困らせるファクターは数え上げればきりがない。この曲には、ペンデレンツキの合唱曲のように、エキセントリックな音を空間に放つためのクレバスのような休符が各所に口を開けている(最初のものは歌い始めの2小節目)。彼らはこれらを活かしきっていず、結局、音取りのできていないボーイソプラノがペンデレンツキ合唱曲ばりのトーン・クラスターチックに響くのを私たちは聞くことになる。

 ここでA組はカミ手側へ撤収し、ラストの3曲は定石通りS組が担当した。
続く「信じる」も谷川俊太郎の詞になる学コンの課題曲だが、Part5の後半に並ぶ曲の中ではやや古い感じのする作品を選んできている。中学の課題曲らしく全体で100小節ほどの長さの気持ちの良い作品。彼らは当夜のS組の真骨頂だった「全音符2つ分のロングトーン」「ユニゾンのカッコよさ」「アルトのリード」「合いの手と追唱」「低い音での言葉の明瞭」「男の子ならではの喉ごしの良いボカリーズ」「少年っぽい内声・ャ潟tォニーのチャーミングさ」「切れの良い高音」など全ての課題をクリアしている。また、生徒が伴奏をすることを想定して書かれた曲と思しき「ピアノ協奏曲」っぽい伴奏や愛らしいブリッジが各所で大活躍!少年たちはそれに背中を押されたのか、曲を「音符の連なり」としてではなく「詞の流れ」として歌い上げている。小学生男子ながらあっぱれ。印象的な「地雷を踏んで…」の歌い出しの前に八分音符1つ分の溜めがあることで気づく本曲の声部は、実はアーフタクトで書かれているのだが、彼らは歌詞を大切に歌っているので、私たちにあまりそのことを意識させない。

 同様の魅力は、次の「いのちの歌」でも全て感じられる。かつて、この合唱団が「瑠璃色の地球」を定演などで歌っていたとき、私たちはそれが歌謡曲であることへ俄かに考えの及ばないことがしばしばあった。だが、「いのちの歌」冒頭4小節のユニゾンの歌声は、マナカナ感満載で朝の食卓の匂いさえ思い起こさせる。少年たちはここでも歌詞とその世界を大切に歌っているのである。特にサビで聞かれるアルトのボカリーズとリードの受け取りがめちゃくちゃカッコ良くキレイ。この子たちの得意の声域も判ってとても幸せな気もちになれた。観客が彼らに惚れる瞬間である。

 ここ数十年、私はフレーベル少年合唱団のステージ上のアルトに「歌う一匹狼の集団」という幼獣のようなニオイ(?)をきつく感じながら彼らの歌を聴き続けてきたのだが、ついに2015年度、アルト前列に(一人一人ではなく)「チームとしてなぜか魅かれる」というトーナルチェンジを見た。
 S組アルト前列にスイッチヒッター君を挿し入れながら同じ背丈のS組初年度生4人のボーイアルトが揃う。美白男子君と、はに丸くんの間に2名のイケメンボーイズを挟み、2015年度組アルトの魅力ともいうべき前列ライトウイングを形成している。定演以外のライブパフォーマンスでもこの4人の配列はほぼ同じ。一人一人はどうということも無い、ギャングエイジの単なる歌う男の子。だが、クリスマスシーズンの合唱団のライブを至近で注意深く聴くうちに気づいた。周囲の団員も、本人らも、そしてもしかすると先生方も気づいていないのかもしれない…現在のフレーベルのアルト声部を下支えしているのはスイッチヒッターくんとこの4人。白手袋のような両掌を体側に伸ばしコンサートの度に繰り出す美白男子君の高安定で明瞭・端正・よどみない正確なナレーション!お隣は、動きの多い歌をさえずってはいても舞台を降りるまで集中力を保持し続けるイケメン君(彼の声質がおそらくこの4名のうち良い意味で最も低めかつハスキー気味)。続いて、まぶたの上に傷跡があるような男っぽい歌い方が「男の子のアルトってカッコいいな」と客席を納得させる声質そのものの二枚目くん(彼のブレスは現在のフレーベルS組の中で最も安定していて、歌っている最中も上体は殆ど静止し、無駄にブレたりしない。この点でも彼は一番男らしい歌を歌っている)。最後に控える、おっかない顔をして前を睨むように歌っているはに丸君は、実は客席から声のかかる人気者。瞬きしているうちに見逃すステージ上の彼の一瞬の微笑みを目撃できた人はきっと幸福になれる。当夜唯一のS組セレクトだったが、実はこの4人のうち最も在団歴が短い。ステージに立っても、まだ手を後ろに組むルーチンが身についていないほどで、タクトをあげる前の先生から「手は後ろ!」の指示が下りる。彼らの本当の魅力は歌以外のところを注視するとよくわかる。ステージに出てきた段階ですでに大汗、ボウタイは入り食って襟足から平ゴムの結び目がピョンと飛び出ている。ラフなベレーのかぶり方。ソックスはぐだぐだ。…本番ではキリリ引き締まった表情で客席を睥睨するカッコイイ少年たちも、おそらく舞台袖を出る直前までは「底抜けにお茶目なボーイズ4人組」?であることが透けて見える。1985年4月5日、TOKYO FMの合唱番組「天使のハーモニー/フレーベル少年合唱団第27回定期演奏会」ライブ収録開始直前のイイノホールの幕内、陣中見舞いに訪れた私の前で、アルト4年生ぐらいの団員たちが先生方の背後からさんざん冗談を仕鰍ッて私を笑わせようとする。放送された録音にその片鱗も聞き取るれことはなかったが、あきらかに30年前の「フレーベル少年合唱団のアルト」のチームとしての魅力をかたちづくり、聴く人々に心からの勇気と幸せな気分を醸していたのはあの陽気で天衣無縫の小さな団員たちだったのだ。2015年のS組アルト前列で歌う4人(去年の定演ステージで未だ「今度はボクたちA組が歌います」とナレーションしていた団員たち)の姿に先輩方のかつての歌いぶりが突然重なって見えた時、合唱団は永の年月をかけてここに帰着し、客席に詰めた人々を幸せにし続けていることを想わざるをえない。彼らを含めた現役の団員全員が中学2年の卒団の日までこのチームでずっと歌い続けてくれたら良いのに!

 プログラムの最後を飾る曲は、NHK学校音楽コンクール記念すべき第80回の小学校の部の課題曲「ふるさと」。2013年(平成25年)の作品である。フレーベル少年合唱団はレパートリー的にフレーベルらしさを残しつつも「ャXト3・11」の選曲へようやく舵をきったと考えてよい。Part5後半に並んだ作品群はアンコールの幕切れに至るまで、ともに震災を体験した私たちへの「癒し」の恵投である。「故郷」から「ふるさと」へ…の構成は、合唱団自らが80年代以降くぐりぬけてきた苦闘の歴史を添わせることで、ドラマチックな物語に仕立てられている。冒頭「故郷」の前曲が、磯部先生時代の合唱団を象徴していることにも合点が行く。合唱団はこれをブキッチョで天然系?で、実はとても気持ちのよい2015年の少年たちに歌わせることで、当夜の観客たちにもまた「癒し」の涼風を当てることに成功している。
 この曲で聞かれる彼らの歌声(同声二部)のャCントもまた、「全音符2つ分のロングトーン」「アルトのリード」「『そこにいる』『そこにある』それぞれの合いの手のたたみかけるジャニーズ楽曲っぽい面白さ」「低い音での言葉の明瞭」など、当Partの一連の曲とほぼ共通している。フレーズを「音符の連なり」としてではなく「詞の流れ」として歌い上げるテクニックも曲の冒頭から披露。アーフタクトの自然さも共通。小山薫堂の詩に付けられたメロディーラインの特徴は、ほとんどのフレーズエンドが高音に跳ねること。フレーベル少年合唱団らしい「切れの良い高音」。それ以外のフレーズ収めではアルトのリードで次の歌詞が打ち出されるわけなのだが、「地球をつつむ歌声」でA組が苦労していた歌詞のバックパス(低声で歌いだされた主旋律が、いつの間にかソプラノパート担当に移っている)は極めて自然に流れ、無意識に遂行されている。彼らはこれをサビの部分でさえさりげなく繰り返し行っている。これはあの、4人組とスイッチヒッターくんを中心とする「高音もトライしやすいアルト」を中心とした低声メンバーや、「ドラマよりも誠実」を信条としているようにも見える現在のソプラノの子どもたちの手になるもののようだ。
 今回の定期演奏会の隊列でこのソプラノ最左翼エッジに立って歌い続けたのは、アルト最右翼の下段からこの位置に点対称で配置換された合唱団きっての天パー系美少年くん(A組でも、この位置に立っていたのは昨年までアルト左下の端で歌っていた団員さん。この配置換の傾向は面白い)。ソプラノ上段エッジというのは、フレーベルの場合、カルメンくん、アンコール君、ローマくんなど歴代のトップソリストたちの定位置だった。だが、ここ数年の彼の来歴はまるでちがう。ソプラノへ移されてからの彼は、パート内を転々とし、極端な場合、単独のコンサートの最中ですら立ち位置は上下左右に移遷されることがあった。ャWションが全く安定しなかったのである。フレーベルBCのファンであればこれが何を意味しているかは明白であろう。実際、演奏中の彼は集中が途切れて口が開かないこともあったし、ようやくMCが割りあてられたかと思うとシラブルの半分で他の子にセリフを持っていかれたりと、とても苦労しながら歌っていた。だが、本定演での彼はまるで違う。口形は何を歌っているか明瞭であり、美しい姿勢は維持され、眼力があり、集中は終演の瞬間まで一瞬たりとも途切れることは無かった。見違えるような、頼もしい姿で彼は歌っていたのである。彼は立つべくしてこのャWションに留まり、定演後の今も歌っている。私は、55回定演が成功裏に幕を閉じたのは、一方で彼のような団員たちの出現に鍵があると思っている。
 また、つい1年前の定期演奏会の最後の一音まで、カルメンくんの後任を託されたと思しきK太君が一人必死の形相でソプラノを支えて歌っていたいびつな印象の曲群も既にここに無い。同じK太君は涼やかに鳴るボーイソプラノの光の波動をその身に共鳴させながらまた、このステージでは安心のまま歌い終えている。
 こうしてア・テンレ縺Aあの印象的なスタカートpfのモチーフが弾き出され、曲は終わる。終幕part後半に顕著だったある種の「既視感」が、実は「NHKの番組音楽」というところよりも、「少年たちのテクニック・聴かせどころの共通」ということに、歌い終えた彼らの表情を見て気づかされる。一方、学コン課題曲が並んだということは音楽監督の就任と無関係だとは言えないだろう。
 NHK学校音楽コンクールに関連する少年合唱団のレパートリーのインパクトはスタート当初前後のTFBCにも顕著だった。当時の主席指揮者、故北村協一氏が全国大会小学生の部の審査スタッフに名を連ねていたこともあり、再スタート時のFM合唱団は学コン課題曲を必ずレパートリーに据えて、コンサートのたびに歌っていた。FM東京少年合唱団が初めて放送電波に乗せて歌声を披露した実質的なデビュー曲が、実は「おお牧場はみどり」や「気球に乗ってどこまでも」などではなく「わりばしいっぽん」(第51回(昭和59年度)NHK全国学校音楽コンクール小学校の部:課題曲A)であったことをかなり意外に思われる方も多いに違いない。課題曲のレパートリー化はビクター時代の1981年、当年の課題曲「未知という名の船に乗り」から始まり1989年の「あたまの上に空」までの9年間続いていた。課題曲がAB二種類あった年度にはそのどちらも(例えば1988年度ならば「いつか」と「地球のこども」の2曲など)歌い、FM東京のラジオ番組内で歌声を聴くことさえできた。聴衆にとってその年の課題曲は毎年やってくる「お楽しみ」であり、年度チームメンバーの実力の試金石ともなっていた。音楽監督を擁したフレーベル少年合唱団が今後同様のレパートリー的充実をみることを心から望んでいる。

 アンコールは、その音楽監督をステージに乗せたままMCを聴かせつつ、上下両サイドからOB隊、単隊列に束ねたA組と指導陣を迅速に流し入れる。B組を除くオールスターキャストで安田姉妹の「ソレアード- - 子供たちが生まれる時」をナレーション入りのフルバージョンで歌った。MC、Nrr.ともに指導者の声。Part5の徹底した団員ホストの省略が踏襲されている。
 フレーベル少年合唱団の演奏会アンコール場面での「客席の参加」はこれまでも毎年のように行われてきた。だが、「プログラムに歌詞カードが挟まれています」という振り鰍ッ程度のアナウンスで、実際の客席は「手拍子はするが、周囲の誰も歌っていない」という程度のものであることが多かった。また、一般の演奏会でも「いっしょに歌ってください」と団員たちの声鰍ッはあるものの、演奏が始まってみたら団員たちは英語の歌詞で歌っていた…といった粗放な段取りが目立つ。
 今回は監督先生のマイクが前もってボカリーズへの客席への参加を促し、pfによるフレーズのさわりを聞かせ、55小節目以降の合流場面でも丁寧な声かけが身振りとともに繰り返された。客席で楽しげに参加した多くの人々は、実はこれが次のオーラスのアンコールナンバー「アンパンマンのマーチ」をきららかで美麗に聞かせるための言葉巧みな誘導であることに誰も気づいていない。トリプレットや16分音符の弱起をかましたちょっと軽快な歌だが、「初めて曲を聞くお客様も必ず歌ってくれる。(ライブのステージでこの歌を歌っていただくが、お客様のノリが悪くて)困ったことは一度も無い。」と安田姉妹のお二人自身が不思議がるほどの名作だ。歌詞もナレーションも、生まれてくる子どもたちに安寧な明るい未来を託す内容。児童合唱のコンサート後半で歌われる作品として適している。63小節目以降は、突然伴奏が鳴り止み、少年たちのユニゾンの声(当夜、数々の演奏場面で聞かれた斉唱のトーンを回想させる…)が柔和に温かく私たち客席の歌声を引き連れる局面が訪れる。そのきらきらと輝きながらもカッコ可愛い美しさ!やがて、伴奏が楽しげに回帰して私たちは現実の演奏会場に引き戻され、惜しげもない拍手を送ることになる。

 だが、どうだろう。突然ステージ上の大人の演者たちはあっさりと撤収を開始し、あっという間に姿を消してしまう。キョロキョロとしている団員たちはたちどころに最後の曲の何であるかに想到し、楽しげに居住まいを整え直す。かくして唐突に…しかし「フレーベル少年合唱団なんだから、この曲なんです!」とばかり最新版のあっさりとした前奏が弾き出され、反射的に少年たちが美しい高声で歌い出す。私が聴き詰めたこの10年間のうち、最も美しい「アンパンマンのマーチ」がこうして終演に歌われた。美しく聞こえたのは、昨年まで怒鳴るように歌っていたB組の子どもたちが今回参加していないからではない。つい数十秒ほど前まで彼らの周囲や客席で大人の歌を歌っていた人々がにわかにそこからはけ、鈴のような甲高い可愛い声が燦然と残ったのだ。鮮やかなコントラストの妙だった。
 このように、今回のステージ構成から、少年たちの声を美しく聴かせるという技術は目覚ましく進歩した。ただ単にSABセレクトSの各チームを適当なバランスで出し入れするという机上で組み上げられたプランではなく、少年たちの声を上手い匙加減でプラスマイナスしながら聴衆の満腹感やオーディオセンセーションを掻き立てるという人の耳や感性に訴えるチーム配当にレベルアップしている。これは少年たちの合唱だけではなく、OBステージからスタッフ総出のアンコールと現役チームのみに収斂するフィナーレの「アンパンマンのマーチ」までの「インターミッション後」を貫通するサウンド設計として実に秀逸に練られたものだったと言える。観客はそれには全く意識させられないまま、一つの大きなステージのうねりを一気呵成に見せられ聞かされ気がついてみると終演の拍手をしているという心憎いマジックなのである。

 この日、ホールロビーにはささやかな物販があり、開演前の客室にはCD「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」がゴミ鎮めのために流されていた。だが、明らかにそこで聞き取れる天真爛漫、無邪気な近年のフレーベル少年合唱団のテイストが、引き締まった面持ちへ改まったステージ上の少年たちの上に顕れることは無かった。

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※1
 フレーベル少年合唱団に於ける4列横隊の唯一の欠点。…同学年の団員を15人の上限で採っている経緯から、同じぐらいの背丈の少年が4列目まで重なり、お目当ての団員の顔がよく見えない。おそらく雛壇の箱足が平置きに近い寸法で咬まされているため?小さい団員への配慮だと思うのだが、B組は従来から山台へ上がることは無かったし、同じ1年生団員をソプラノ側左翼へ縦に配置するTFBCでは特に問題にならない(FMの予科の場合は、ステージピアノの筐体が1年生団員応援の妨げとなる方が問題。全席自由の定演では前方シモ手側の客席が最後に埋まる)ため、安全に留意しながら再考してもらいたい。その方が少年たちの見栄えも大きくカッコよくなることは、30年ぐらい前の合唱団のステージ写真を見れば明白なのだから。

※2
当夜、ステージを経るに従って複数の団員たちの阿弥陀被りのベレーから覗く両の鬢が次第に光りはじめたのがどうしても目に付いた。ふざかしをユニフォームの肩や山台に落としつつ歌う子もいる。汗を飛び散らせただ只管に歌う少年達の姿を見るのは確かに爽快で気持ち良いものではあるが、当夜着たきりだったこのイートンダブルのユニフォームのチョイスは活発な歌う男の子にとってやや厚着に近いものだったのではないだろうか。


少年たちはなぜ「アンパンマンたいそう」を歌ったか

2014-08-29 23:23:00 | コンサート
フレーベル少年合唱団仙台公演
2014年7月21日(祝・月) 東北大学 川内萩ホール
開場 午後4時15分 / 開演 午後5時
ゲスト出演=NHK仙台少年少女合唱隊
入場無料

フレーベル少年合唱団コンサート
2014年7月22日(火)
仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール 1階アンパンマン広場
10時30分
無料エリア

          ※図はイメージです 


 コンサートの終わり、3ステップの山台に4段で揃ったNHK仙台の隊員たち39名とフレーベルの24名の少年たちが小気味良い演出に彩られた「アンパンマンたいそう」を歌い続けます!かつてのフレーベルのユニフォームを想起させもするシンフォニー・ブルーの標準ユニフォーム用ボトムズに、シャーベットグリーンやウェッジウッド色のTシャツを組み合わせたSBC・SGCの隊員たち。ネイビーのベストに赤ボウ・紺ベレー姿のフレーベルの少年たちが交互に隊列を噛まして「♪アンパンマンは君(きみ)さ!」のサビを幾度も幾度も楽しげにたたみかけていきます。お客様方はもちろんのことステージ上の全員が微笑んでいます。インパクトのある、エキサイティングで巧みな、会場をまるごと「元気100倍!」にするフィナーレでした。この企画を思い描き、プログラムを編まれた方々の心中には、ステージの皆が誰をして「♪アンパンマンは君(きみ)さ!」と呼ばわり歌い続けていくのか解っていたはずです。演奏旅行が終わった今も少年たちは自分たちが一体何者であったのかにおそらく気付いていません。雨に濡れれば声も出ず、頭をちぎっては弱っている人々に食べさせてやり、新しい顔を常に付け替えてもらってばかりいる、ヒーローらしからぬルックスの世界最弱のヒーロー…アンパンマン。これは2014年7月の海の日の宵から翌日までのステージに見た「やさしいヒーロー」たちの記録です。

 合唱団創立55周年の節目を迎えるフレーベル少年合唱団、ャXト・カルメン君チームとも言うべき2014年度隊の本格稼働の二日間は「仙台公演」と「仙台アンパンマンミュージアム」でのミニライブ。時期としては4月の年度スタートから、定期演奏会の行われる11月までの中間地点に位置し、タイミング的には6月に発売されたアルバム「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」のリリース1か月後にあたります。前年度の53回定期演奏会前後から「来年は被災地の皆さんを無料でお招きして東北でコンサートをやります」といったお話が少しずつ聞こえはじめていました。一般公開で行われた国内の地方演奏旅行としては、「東京フレーベル少年合唱団:山形公演」(昭和61年8月17日山形県県民会館:友情出演=山形少年少女合唱団シニア・ジュニア、山形少年少女合唱団ブルンネン、YBC放送こども会。フレーベルの子どもたちは2部の分量で10曲と合同演奏でフィンランディアほか2曲を歌うかなり満腹感のある演奏を展開した)からはおよそ28年ぶり、平成に入ってからでは岳南の富士市「フレーベル少年合唱団:30秒ボランティア1周年記念公演」(平成10年7月24日富士市ロゼシアター中ホール:このときもほぼ定演と同量の演目を7部構成で歌っていた)からは約16年ぶり、海外公演では昭和62年の「創立30周年記念中国訪問演奏」(このツアーの後、すぐる先生は24期ソプラノで各パートに一人ずつ配される中学3年生団員の一人になった)が最後で、やはり長の年月が経過しています。在京の男の子のみの児童合唱団がどちらも21世紀に入ってから諸処の事情により夏期合宿や付随する夏の演奏旅行をばっさり止めてしまったことを考えると、今回のツアーは非常に貴重なものであったと言えはしないでしょうか。団員たちも、彼らを送り出すお家の皆様も、お膳立てをなさった周囲の方々も、「昨年はどうだったか」という前例が十何年も昔の出来事ですから、たぶん手探り状態で、結果的にたくさんのことを学ばれ、少年たちも一回り大きく頼もしくなったと思います。

 赤いタキシードを着た眼鏡の人物を背負い颯爽と飛んでくるアンパンマンのキャラクターを中央に配したスカイブルー基調の素敵な図案は、ャXター・チラシ・入場整理券・プログラムなど全てのエフェメラに使われ配布されました。こちらも過去の演奏旅行での配布物と比較してみましょう。山形公演のときのものはベレーを阿弥陀かぶりにした団員少年の美しいカメオのシルエットが使われ、富士公演でも天使の羽を生やした半ズボン姿のかわいい少年が一人描かれています。どちらも団員の姿を象徴的に表していますが、今回のャXターには子どもの見映えにあたるものが見当たりません。中央に配されたアンパンマンの背中に飛び乗って「頼むぞ!アンパンマン!」とばかり微笑んでいるのは、やなせ氏が自身を描くときに使っていた自画像のキャラクター(やなせうさぎ)です。今や空の上にいらっしゃるはずの方が、ここで何故アンパンマンの力を借りて飛んで来たのかに興味を惹かれます。この図像の意味するところは何なのか、私たち観客は演奏会の最後に気付かされ、思い知らされ、少年たちをますます好きになってしまうことになります。

さて、21日の公演当日実際に歌っていたメンバーの顔触れはプログラムの裏面上部にきれいな集合写真で刷り込まれ、眺めることができます。ソプラノ後列のシモ手から2人目に不自然な空間はありますが、高低2部、背の順で並んだユニフォーム姿の少年たちが22名写っています。絵姿は在っても、実際のステージには立っていない団員さんや、逆に残念ながら写真には写っていなくても、当日の舞台には乗って大切な役割を演じてくれた団員さんたちが認められます。これらの入り繰りがあって実際のツアーメンバーは24名を数えましたが、この写真を見て2つのことを想いました。一つは単純に身長順で並んでいるはずの隊列から、ここに写っていない団員を含めはからずも2014年度のフレーベル合唱団の構造や力学を窺い知ることが出来るように思えたこと。もう一つは、既に30年間以上も定期演奏会のプログラムには現役チームの団員の写真が載ってこなかったので、このぐらい鮮明でカッコいいビジュアルが作れるのならば55回目定演プログラムの端っこを飾ってくれていて良さそうなものを…と思ってしまったこと。飾り気の無いユニフォームを着ている男の子の合唱団でも、出演が多い団ほどこうした写真は保護者や団員やファンにとっても思い出になります。ライブ中の記録と違って支度をして撮るスチル写真だからこそ、あの子のベレーのかぶり方が去年とは違っているとか、○○君の眼鏡のフレームはこの年に変わったんだとか、これは△△君らしいソックスの履き方じゃないしずっと履いてる靴も変えちゃったみたいとか…そういうトリビアなところがたくさん見つけられて楽しいのです。

 21日のソワレの会場は東北大学川内キャンパス入口に近い東北大学百周年記念会館川内萩ホール(せんだいはぎホール)でした。震災で部分悼オた東北大の東北アジア研究センターはこの斜向かいのブロックにあります。1960年竣工のダブルパーャXのホールでしたが21世紀に入ってからの改修で、シューボックス・タイプ、オーク張りの深いナチュラルな音響のステージになっていました。最近のフレーベルの子どもたちが慣れ親しんでいるすみだトリフォニーと或る意味共通点を感じさせるところがあります。仙台入りした団員たちにも当然ゲネプロのようなリハーサルがあったらしいのですが、もう何年もこのホールで歌って来たような感じの良い響かせ方を、20人ちょっとの小学生の男の子がイッパツで手繰り寄せたことには驚きを感じます。スパンと狙った所へ声を当ててきます。頼もしいし、カッコいいのです。優しい声も涼し気に鳴らせるし、キュッ!キュッ!と切り込むこともできます。一時期のフレーベルのような、何を歌っても同じ歌に聞こえるというような冗長な頭声発声は存在しません。そういうわけで、合唱団全体の声はエッジが立っていて透明感のある輪郭のハッキリした響きに仕上がっていました。この日のために、どの団員も本気で頑張ってきてくれたのだと思います。定演の前ですと、彼らの歌がきわめて幾何級数的に仕上がっていって本番を迎えることが多く毎年ヒヤヒヤさせられてしまうのですが、今回の「お品書き」の編成を見る限り、そのような心配は杞憂だったことが判ぜられます。演目を見ていきましょう。21日は3部構成で午後5時開演、インターミッション20分間で7時終演ですからおよそ100分間のライブです。プログラムを一見したところ全体のイメージに既視感を覚えます。合唱団「団歌」で始まり、「さんぽ」「君をのせて」…と、アニメソングが2曲。続けて小学生大好きナンバーの「Believe」と「すてきな友達」の2曲。計5曲がPart1です。フレーベル「団歌」などという、仙台のお客様が誰も知らない(笑)ような曲で唐突にコンサートが始まり、人気のかっこいい団員さんらや可愛らしい小さな頼もしい団員君たちをMCに起用し2曲目4曲目の間のベスト・タイミングで聞かせます。前回の定期演奏会でのパターンと酷似しています。影アナが半分で、子どもたちのナレーションが半分。新アンコール君の優しい柔らかい端正な声も、アメージング君の早口のMCもありで、フレーベル少年合唱団のテイストがたっぷりと出ていて楽しいのです。Part2が組曲「ふるさとの四季」で、インターミッションと副団長のお話があり、応援の出演を含む「やなせたかしコレクション」のPart3が続いた後、アンコール2曲で終演…。しかもエフェメラの図案も、やはりやなせ先生でした。お気づきになられたでしょうか?当夜の上演は昨年10月に行われた第53回定期演奏会のリプリーズでおそらく54回定演の部分告知なのです(違っていたのはAB組のメンバーが出ていないことと、終演後にロビーで花束が配られないことだけでした)!少年たちがこれをやるのは、「自分たちのコンプリートバージョンを仙台のお客様にもお届けしたい」という真摯な気持ちからと感じました。
 Part1の「団歌」の歌声は、確かにいつものフレーベルの団員らの歌声なのですが、その他の4曲はそれぞれおさらいの積み重ねを感じさせる工夫やチャレンジがハッキリと聞き取れます。デュナミクや表情付けに適度な工作のあとが出ていてチャーミングな演奏でした。これらの曲は昨秋の定期演奏会の後、クリスマスの練習・本番とオペラ・バレエの出演、やなせ先生のお誕生日関連の出演等で中断はしていますが、少なくとも3月にはライブ本番での試行が再開され、レギュラーの六義園や地域行事での出演、ごほうびのお菓子だけは楽しみにいただくという毎年持ち出しのボランティアのステージなどでお客様の胸をお借りして繰り返し歌い、客席の表情を見ながら勉強しなおしてきた歌の数々です。最初にステージで歌われたときはピッチ・歌詞ともにかなり怪しく、また、たまたまなのでしょうけれどFM合唱団のレパートリーにあるナンバーばかりですから、私たちファンもどうしても聞き比べてしまいます。子どもたちはおそらく辛い想いをしながら、幾度も歌ってここまで頑張ってきたのでしょう。そうした少年らしい気持の良さを感じさせる演奏でした。少年合唱団員というのは、見ていないようでいて、ステージの上から客席全体をよく見ている子が多くいます。だから、本Partのようなライブで少し歌い込んだような曲でも彼らは気を抜いてはいないし、いつもは団塊以上のおじいちゃんおばあちゃんの圧涛Iに多い客層を前に歌うことが頻繁な彼らも、一見して小さい子たちの多い客席を良い表情で真摯に見ていました。また、本ホールはNHK仙台のフランチャイズのようなところでもありますから、お客様の中には見たところ隊員さんのお家のかたや応援の方々と思われるお客様が集まっていらして、…当然フレーベルの団員たちの保護者層とイメージ的に重なりますから、ちょっと安心して歌えたところもあったのかと思います。少年合唱団ですから、もちろん最初から最後まで引き締まった表情のままです。ただ、ブレスや口形などを見ていると、心を込め、胸弾ませ、ひた向きに歌ってくれていることがよく判りました。実は開場の午後4時15分過ぎから1ベルまでの間、ホールには塵沈めで今回公開の「やなせたかしのうた」のうち数曲(おそらく、翌日のライブの伴奏(?)に使用するために持ち込まれたもの?)がリピートでガンガン流れていて、一見のお客様もフレーベルの少年たちの歌声がどんなものであるのか、実物を見る前によく分かるようになっていました。それでもなおかつ子どもたちの第一声を聞いた仙台のお客様がたの第一声は「わあ!きれい!」でした。口を衝いて出た正直な感想だったと思います。プロセニアムレスのステージなので袖幕が無く、ホリゾン側の下手袖後扉(オケコンならばパーカッションとかトランペット系のオ兄さんたちが出てくるドアでしょうか…)の中に団員たちが山台に踏み上がるため寡黙にスタンバイをしています。2ベルの後にご担当の方が、袖扉をこっそり開けておそらくご招待のお客様の着席の確認などをしているのでしょうけれど、その後ろにスタートダッシュを待つ紺ベレーのアルトの団員さんたちがびっしり隠れていて、入場前からもう私たちをワクワクさせてくれるのです!キューがかかると今度はこのドアから前後列が同時に流し込まれるため、お客様を殆ど待たせません。かつてのフレーベルの入場に顕著だったもたつきは皆無でした。Part1の演目はあっという間の5曲ですが、一方で現在のフレーベルの少年たちの衒いの無い歌声を一見のお客様に楽しんでいただくには十分な分量・内容でよかったと思います。このことから客席で私が思い至ったのは、仙台のステージで既に姿の無いカルメン君が10年間の永きを歌いきった後に仲間たちへ何を残していったのかということでした。前述の通り、この演奏会はカルメン君の居ないフレーベル少年合唱団にとって初めての大仕事。ツアー中、ソロも凝ったMCも演出も一切ありません。ただ、カルメン君が合唱団を引き連れた過去数年間、経験豊富で自由に繰れるその声を武器に彼が何者かと戦おうとしたことは1回も無かったという事実に目が行きます。自らの声をバリアに皆を守り、抗う者を組み伏せる力技を彼は注意深く回避していたように思えます。アンパンマンのごとく自分の声を下級生たちの糧に分け与え、カルメン君は明らかにフレーベル少年合唱団の一団員であることを全うしようとしてきた。だからこそ、カルメン君のいないソプラノ部が今日もキラキラと100分間を歌いきり、彼ららしい、生きた合唱を私たちへ届けてくれたのだと私は思っています。3月8日、この日、六義園のライブはブッキングの都合からフレーベル館本社正面玄関前のピロティへと場所を移していました。庭園を囲むマンションやビル群の壁にこだまする少年たちの歌声は都市の喧噪の中で本当に美しかった。最後の客上げの場面で彼らは未だ少年合唱団バージョンのアンパンマンのマーチを歌っていました。そのとき、本郷通り側の観客に混じり、周囲の人々や子どもたちから、出て行って一緒に歌えばいいじゃないか…と腕を引かれているのに、ニコニコしつつ「いやだ!いやだ!」とじたばた抵抗する声の変わりかけた普段着の男の子が一人います。フレーベル館前に集まったお客様がたは、ダダをこねて逃げてしまうこの大きな少年が誰なのか良く知っています。聴衆はもちろんのこと、上級生団員たちも(実は、この日はA組の子どもたちもソロ等のミッションのため隊列へ投入されていました)、合唱団のスタッフさんたちも楽しそうに笑っています。合唱団のユニフォームはまとっていませんが、人気者の男の子なのです。彼は7曲入りのソロCD「永遠~Angel Song~
」(TryTrick LLC.)を吹き込んでいて、その後ネット通販などが開始され、歌声も話題になってゆきます。わたしはこの日、フレーベル館の玄関で見たカルメン君のその姿が、彼らしい衒いの無さや未だヤンチャでナチュラルな心根の優しさを感じさせ、忘れる事が出来ません。普段着のこの姿こそ、カルメン君が現在の下級生たちに残していった素晴らしい贈り物の根底にあるものだと思います。


 副団長先生のお話をはさんだPart2のソプラノチームの声を聴いていると、カルメン君が後輩たちに何を贈り残し、何のために合唱団で生きたのか、容易に理解することができます。ここでは定演のpart2ステージと同じ女声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」全曲が歌われました。キラキラと輝いていたのはソプラノの少年たちです。今回のツアーメンバーを見てみると、高声部はメガ美男子君やアメージング君のような長距離ランナーが何人もいるような顔ぶれではありません。しかし、彼らは個々の努力と力量とによって組曲全体をしっかりと牽引しています。表情も良いのです。歌声にハートと少年らしい一途さ、ひたむきさと誠意があります。気迫がこもっていてここ一番の勝負時にスカスカな合唱をすることはまずありません。小さい団員たちは手慣れたブレスですが歌い込む気迫に満ちています。当日、本来ならばMCの担当があっても良かったはずの団員たちが、皆この声部の所属であったことを考えてもソプラノ・パートのアドバンテージには納得がいきます。本Part冒頭のMCはK太君が担当しました。「ボーイソプラノの声が合唱団のユニフォームを着て歩いている」ようなスーパー・カッコいい団員くんです。MCの話し声も勿論誰しもがぐっとくるような上気した少年の凛々しさにキリリと貫かれていますが、この日、せめて1フレーズだけでもソロの歌声の出番があったらいいのに!と思いました。
一方、Part2のメゾ・アルト部というと、開演部分でのようなハイパワーが出ません。メゾには新アンコール君の鉄壁のリードはありますが、頼みの綱の最上級生たちは変声ギリギリのコンディションで、小さい団員の中には、多分長旅に疲れてしまったのでしょう、もう立ったまま眠りかけている子もいます。5名編成のアルトの強力なエネルギー源になってもらいたい上級生たちは、この日のための「助っ人」という立場が見え隠れし、仙台公演へ向けてコツコツと1から積み上げて来たという感じが希薄なのと、どうしてもきちんとした基礎発声を徹底して叩き込まれてきたという声のつくりではないため、パワー不足を経験の力で補っていたという感じでした。お客様がたの温かい心からの応援の視線をいっぱい頂いてかろうじて踏ん張っていたような気がします。
クロージング面では今回ツアー1日目のPart1がイートンに赤ボウのフル装備で、副団長先生のご挨拶の間に早替えの紺ベストのスタイルになり、それでおしまいです。プログラムに掲載された集合写真のスタイルのまま開演し、途中でイメージチェンジがパッと簡潔に行われて気分が変わるという、品のある更衣に留めています。Part3になって、今度は煉瓦色ブレザーのフォーマルになるのかと思っていたのですが、衣装替えはありませんでした。NHK仙台の隊員たちが半ズボンにボックスプリーツでカラフルなラフ目のプルオーバーを組み合わせていたため、結果的にフォーマルにしない方が正解で良かったのです。それに、子どもたちのこの衣装選択はPart3のステージコンセプトにマッチし、楽しい雰囲気いっぱいで適切でした。


2014年6月25日、日本コロムビアは、やなせたかし作品の18曲を22トラックにまとめ、「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」としてリリースしました。トラック数が収録曲数より4つも多いのは、フレーベル少年合唱団が同じ楽譜をpf伴奏と打ち込みバージョンの2種類でそれぞれ吹き込んでいるからです。合唱団草創の頃のフランチャイズだったキングレコードやアンパンマンのサウンドトラックを手鰍ッるバップではなく、コロムビアからの発売ということもあるのでしょうか、サイトを見るとCDメインの商品というよりは、iTunesやレコチョク等のダウンロード・コンテンツとして作成されたアルバムという感じを強く受けます。「希望する人にはAmaonなどでCDに焼いた盤も売っていますよ」というスタンスです。今回のアルバムの発表によって日本のボーイズ・コーラスも遂に「レコード・CDへ吹き込んで売る」という時代に別れを告げたような気がします。フレーベルの子どもたちは1962年に10インチ・バイナル盤のレコード「たのしい合唱・とっきゅうこだま」(KH-50・キングレコード)のリリースで少年合唱団としてのスタートを切りました。ろばの会、アンパンマン、キンダーブックなどの縁に恵まれて、少年たちは以後半世紀の間、EPシングル・コンパクト盤・30cmLP・コンパクトカセットテープからCD・ミュージックDVDまで様々なディスクメディアに歌声を吹き込み私たちを楽しませ続けてくれました。ときは西暦2014年…今回の配信アルバムがフレーベル合唱団にとってはじめてのダウンロードコンテンツ先行の商品となったわけです。アルバムアーチストはフレーベルの他に八千代とすみだの各少年少女合唱団が担当しています。ただ、フレーベル少年合唱団は全収録22曲のうち、13曲を歌っています。八千代が5曲ですみだ少年少女が4曲ですから、本来はフレーベル少年合唱団のアルバムとしたいところを大人の事情かなにか(?)で、半分弱を他団にうまく割り振って商品にしました…という感じの作りになっています。「夕やけに拍手」などの例外はありますが、ここでフレーベル少年合唱団の子どもたちが吹き込んでいるのはいずれもここ5年間以内に彼らが定演などのライブで歌って来た作品が殆んどです。「雪の街」など季節柄ライブに乗るタイミングを逸していたものも今回はノミネートされました。アーティスト名は「フレーベル少年合唱団」ですが、ここで吹き込みを担当しているのはセレクテッド・セレクトの選抜組の団員さんたち。ここ数年間のフレーベルのステージをご覧になった方でしたら、当録音で歌っている全員の顔をご存知のはずです。「老眼のおたまじゃくし」「シドロアンドモドロ」などの本来AB組のレパートリーでS組団員が歌ってこなかった作品も今回セレクトメンバーの声で歌われました。彼らは、VBCも毎年「天使のハーモニーシリーズ」の録音に使っていた部屋と全く同じ青山のビクタースタジオの3階で2014年の5月にレコーディングを行っています。フレーベル合唱団のテーマソングとも言うべき「アンパンマンのマーチ」も、テレビと同じアレンジの打ち込み伴奏とピアノ伴奏の2タイプが新録音され、昨秋まで数年間歌っていた少年合唱団バージョンのファンファーレ付きイントロのものは既に使われていません。「勇気りんりん」も2001年のキンダーブック2 「わくわくえんのちゃっぴとうたおう」(R0090198_フレーベル館)でオケ伴奏のCD版を発表しているフレーベル少年合唱団ですが、使い回しをすることなく今回さらに2バージョン録りなおしています。前の版で歌われて以来、合唱団がレパートリーとして堅持し続けていた簡易版の歌詞ではなく、ドリーミングさんたちが歌っているちょっとシラブルの建てこんだ「かびるんるん」や「アンコラ」や「てんどんまん」の出てくるバージョンを再録してくれました。「勇気の花がひらくとき」は1997年公開の映画「それいけ!アンパンマン 勇気の花がひらくとき」でフレーベルの先輩方が歌ったサウンドトラック版のようなアカペラの歌唱を更新しました。また、「手のひらを太陽に」は「「手のひらを太陽に」創作50周年記念 生きているから歌うんだ!」(VPCG84911_2011年・バップ)が近年録音されていますが、こちらも録音しなおしています。
どの曲も一聴して、担当している現役メンバーの子どもたち一人一人の姿…歌っているときの仕草、表情、視線や息遣いまでも鮮やかに目に見えるように録り上げられています。ミキシングコンソールの前に座ったエンジニアさんは、自分の仕鰍ッたマイクロフォンを通じ少年たち一人一人の声がオンマイクでフレッシュなままレコーダに飛び込んできてビックリなさったに違いありません。私たちも静かな気持ちで「雪の街」などに耳を傾けていると、各パートから選ばれた団員たちの柔らかなな身体が震えるように鳴って快いボーイソプラノ&ボーイアルトを楽しむことができます。今回の録音の最大の魅力はそこなのです!アルバムの最後には「カラオケバージョン」という触れ込みで「アンパンマンのマーチ」「勇気りんりん」「アンパンマンたいそう」「手のひらを太陽に」の4曲の打ち込みオーケストラ・バージョンに合わせフレーベルの少年たちの歌ったものが収録されています。名前は「カラオケ…」ですが、歌声も録音されているのです(後になってリリースされたコンテンツでは「オーケストラバージョン」という表示に更新されています)。
 さて、20分間の休憩を挟んだPart3の全演目は、この「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ」でリリースしたナンバーから全て選ばれています。NHK仙台SBC・SGCの友情出演は、かつてのフレーベルの地方公演の舞台構成でしたら、他団に1幕をャ刀Iと気前良く差し上げて「どうぞ存分に歌っていってください!」とプログラムを編むのでしょうけれど、今回はおそらくフレーベルの子たちのパワー総量やレパートリー量のコンパクトさに合わせて、それをしませんでした。「アンパンマンのマーチ」で幕を開け、「勇気りんりん」の2曲までが2つの合唱団の冒頭の合同演奏でした。「…マーチ」の前奏も、従来の少年合唱団バージョンのものではなく、今回販売開始になった録音のpf版と同様の前奏になっています(全て池田規久:委嘱編曲)。出演している仙台の隊員たちはフレーベルの子たちと年齢層的にはあまり違いの無いメンバー構成でしたが、「…マーチ」の最初の四分音符を3つ歌っただけで高い実力がサッと判明しています。2曲目の「勇気りんりん」も、ハンドクラップの付く新録音版のピアノバージョンのアレンジで歌われました。拍手の仕方で、やはりSBC・SGCのリズム感の鍛えられ方が判ります。プログラムの構成が、Part冒頭とおしまいだけCDの曲順と機械的に同じにしてあるのかもしれませんが、この2曲を冒頭に据えて仙台の子たちの力を引きだしたのは自然な感じがして非常に巧みだったと思います。その後に、フレーベルの団員たちが1・3列目から左右にサッとはけてNHK仙台少年少女だけで、今回の録音のうち少年合唱団が担当していない「地球の仲間」「さびしいカシの木」と「ぼくらは仲間」の3曲を歌います。彼らが単独で声を響かせるのはこの3曲だけです。フレーベルの現状パワーを冷静に見て寄り添ってくれているのです。日本の児童合唱のレベルというのがこの段階にまで育ち高められ熟していることを「地球の仲間」の第一声は物語っていました。また、このように全体量を考えて彼らが思慮深くゲスト出演に徹してくれたことが、当夜の盛会の一つの大きなカギになっていたと思います。
 今回の演奏会で、アルバムに収録されているのに演目にのぼらなかったフレーベル少年合唱団の担当作品は2曲だけでした。1曲は「雪の街」。もう1曲は「シドロアンドモドロ」です。他のライブでは演奏されていましたが、最初の第一声から、最後の「チョン止め柝」のような歌い上げまでが本当に幼少年らしいちょこまかとした明るい声質で総べられていてステキなのです。でも、本当にスゴイのはこの曲のpf伴奏!ライブでもレコーディングでも、YMOばりのハードコア・テクノっぽいメカニカルなサウンド(笑)をピアノ伴奏で担当なさっているのはツアー当夜も伴奏をしてくださった吉田慶子先生です!カッコ良くてまじ、ヤバすぎます!こういうわけで、NHK仙台のメンバーとチェンジしたフレーベル少年合唱団のみの演奏は「老眼のおたまじゃくし」と「きんいろの太陽がもえる朝に」でした。前者はいずみたく、後者は木下牧子の作曲でいずれも定期演奏会の演目として過去に歌われています。昨年まではAB組のレパートリーだった「老眼の…」は、今回もユニゾンで供されました。終始粘度の高いフレーズがもったりと続いてゆきます。ボーイズのファンとしては、このように斉唱で歌ってもらえると、応援している団員さんたち一人一人の声を容易に耳で捕獲できるのでアリガタイしオイシいレパートリーでもあります!「きんいろの…」は、フレーベルの場合、高低のパートのかけひきやバランスが非常にモノをいう作品なのですが、前述の通り低声の通りが本調子ではありません。客席から「しっかりしろ!アルト!!目を覚ませ!仙台まで来て、このまま終わってしまっていいのか?!」と叫びたくなるのをガマンしていた私の気持ち、お分かりになりますか?こうして、木下作品らしいボカリーズの絡みや、フェミニンなアーティキュレーションの許容など、100%の実力発揮とは行かない中で頑張って聞かせていました。その後、少年たちの隊列が上下に開き、SBC・SGCの隊員たちが行間に流れ込み、合同演奏でフィナーレのステージとなります。「勇気の花がひらくとき」と「アンパンマンたいそう」が歌われました。子どもたちのロングトーンが美しい「勇気の花が…」はNHK仙台、フレーベルともに美麗なソプラノが氷の刃物のハッキリとした仕上がり。パワーのかけ方と両隊の質量がバランス良く合唱を前に押し出して、客席はとても満足しました。「アンパンマンたいそう」は、昨年の定期演奏会まで「アンパンマンのマーチ」の影にかくれて(?)、フレーベル少年合唱団でも1年間に何度もプログラムに上らない曲でした。今回、アルバムコンテンツの録音では、ピアノ伴奏なのに冒頭でドンカマっぽいリズム音がカカカカッと鳴って、少年らの嬌声がホウ!とカットインして始まります。左右からは合の手のハンドクラップ。続いて子どもたちが、歌いだしのフレーズをアレンジした風変わりなスキャットを挿入してきます。伴奏のコードもホンキートンクっぽい音が鳴ったり、ちょっとカッコいいコード進行で流していたりして、わくわくしてきます!またオーケストラ・バージョンの方はドリーミング版に忠実で、イントロのブレークに少年たちが「アーンパーンマーン!」と叫んでくれます。どちらのバージョンの嬌声も、隊列前方の中央寄りに立って歌っている低学年くらいの団員たちの声をダイレクトに拾ったような声質が生乾きのまま記録されていて実にたまりません。当夜、録音のテイストを余すところ無く活かした「アンパンマンたいそう」は、前述の通り愉快で楽しい演出と編曲が私たちをときめかせ、かがやかせ、キラめかせてくれました。「手のひらを太陽に」と「故郷(ふるさと)」がアンコールに採り上げられています。当日もともと明るめだった客調が上がりプログラムに挟み込まれた歌詞カードをお客様に見せる照明計画で、フレーベルの仙台ツアー第1日目が幕を下ろしました。フレーベルの子たちに負けず劣らず仙台の隊員さんたちの撤収のフットワークは迅速・軽快で気持ちがよかったです。
 仙台のステージ上、左右に並んだ団員らの頭一つ抜き出たひと際高いところ…金モールに刺繍されたフレーベル少年合唱団のfマークが、あみだかぶりの紺ベレーの頂きの上できらきらと輝いていました。彼は今、今日ひと日の演目を歌い終え、右向け右でシモ手袖扉へとひな壇の上に歩みを進め帰投して行きます。そうして山台の下り際に、目前を撤収するアメージング君の背中へと、客席に判らぬようフッと安堵の笑みをもらします。この一年ほど、ステージ上に殆んど表情を崩すことのなかった団員くん。注意して見ていないと見落としてしまいそうな一瞬の出来事でした。それがメガ美男子君の今日の姿でした。表情だけでなく、私の知る限り、この1年間、メガ君の出演していないフレーベル少年合唱団のコンサートは1回もありませんでした。小さな団員たちの多いコンパクトなコンサートでも、ぴょこんと飛び抜けて背の高い、見るからに変声途上のその男の子が必ずいて歌っていたのです。少年合唱団員の変声を興味本位でネタや知識や常套句のように取りざたする人間は世の中に曹「て捨てるほどいます。また、かつて中学3年生のボーイソプラノ団員ですら珍しくなかったフレーベル少年合唱団では彼らの「声変わり」はMC原稿の恰好の材料にもなっていました。時は移り、団員構成が驚くほど様変わりし、周囲で歌っているのは変声などまるで無縁そうなあどけない小さな少年たちばかりです。この1年のメガ君の立ち姿は、こうした来歴の中で私たちに「少年合唱団で本当に大切なこと」が何であるか、さりげなく教えてくれます。どこから見ても二枚目のメガ美男子君が、カッコカワイイ外見の良さを見せつけ、これにおもねるようなステージ運びで歌声を聞かせたことは、だだの一度もありません。ステージに見る彼の毎回の勝負は、幼いA組団員だった時代から一貫して「合唱団員としてのナカミ」を謙虚に問い続けることでした。だから今、彼の外見が「お兄さん」になり、良い匂いのするバラの頬をした可愛らしい小さな王子の外見でなくなっていても、団員としての彼の立ち姿に何一つブレは無いのです。もともと「中味」で勝負してきたメガ君だから、見てくれがどうであろうと美男子であろうとなかろうと、頼りがいのある大切な立派なフレーベル少年合唱団員であることに全くもって変わりが無いのです。私はこのことを思うにつけ、現在のフレーベルのいったい何が私たちをこんなにも惹き付け、団員たちが何を見せようとして歌い、人々を楽しませ続けているのかわかるような気がします。2014年現在、大きく3パターンの各々2から8アイテムの組合せでステージユニフォームを構成するオシャレでナイスなフレーベル少年合唱団ですが、彼らはライブ途上、客席やMCのお姉さんたちから「カワイイー!」と声をかけられる事を極端に嫌います。あからさまに顔をしかめる団員たちすらいます。そこには「見てくれでボーイソプラノを判断するな!」という彼らの強烈な信条表明がハッキリと読み取れるのです。仙台のステージの一番長身なメガ君の頭のてっぺんに、なぜ金色のフレーベルの徽章がキラキラと最後まで輝いていたのか、皆さんもこれで合点がいかれたことと思います。

 翌7月22日(火)、一般には平日ですが首都圏の公立の小学校はこの日が夏休み第一日目にあたり、団員たちも仙台ツアーを続行しています。大人の足ですとJR仙台駅エスパルII方面出口などから徒歩圏内にある仙台アンパンマンこどもミュージアムの「アンパンマン広場」で、午前10時30分に2日目のキック・オフでした。15分1本の出演で、フレーベル少年合唱団としては最もコンパクトな10分間前後の営業の次に短いミニ・ライブ。目前の指揮者無し、伴奏もキーボードではなく、カラオケテープでもない、前述のアルバム「やなせたかしのうた」のオケ伴奏の歌入りのトラック4本をPAで流し、団員たちがさらにそこへナマの歌をかぶせるという趣向です。10時半のスタートですから、いくら身支度の速いフレーベルの少年たちでも朝の慌ただしい起床をしてきているはずです。ツアーメンバーたちは、どちらかというとお疲れ気味。また、小さい団員は既にツアーを終えたのか出演していません。前日21日のコンサートでは入場口の1階フロアでCDの物販がありました。(プログラムの裏面に「好評発売中!」の文字も踊る日コロの広告が掲載されています!)一番目立つところへ陣取っているのですが、デスクの位置が僅かに奥まっていて損をしていました。今回の会場はミュージアムの中でもショッピングモールのアトリウムに相当する場所でしたし、本番のパフォーマンスにも使われているわけですからCDの物販があるのかな…と探してみましたがちょっと見付けられませんでした。「会場」と言っても床の中央を外縁部より3段ほど下げて作った窪みで椅子等のセッティングは無く、観客のしゃがむ位置を誘導する白いラインが横に何本も入れられているだけのシンプルなパティオです。これまで彼らが歌って来たような、縁台や立ち見オンリーの場所とは観客の視線のアングルが違います。アンパンマンテラス側の最上段とステップ1段下りたところに2列横隊のレギュラーの整列順で立って(残念ながら、おそらくキャラクターと小さいお客さまとの接触防止のために赤いベルトパーテーションが前方に張られています)ひな壇のようにして使いました。団員クンたちが入場して前方を一見した瞬間、彼らを大きく見上げている小さな子たちの顔・顔・顔…が目に飛び込んで来たはずです。5-6年のステージ経験を持つアメージング君やメガ君でさえ目にした事の無い光景だったに違いありません。おそらくここ10年から15年の間にフレーベル合唱団のライブ経験の中で、今日のこの客席は最も平均年齢の低いものだったはずです。少年たちがこの状況に「ワッ!」と思って良い気持ちで客席に微笑みを返していた光景は目の保養になりました。団員たちの周囲では場内警邏中だったアンパンマン・しょくぱんまん・カレーパンマンが駆けつけて来てくれて応援してくれています。たくさんの人たち、パパさん・ママさんがた…お家に帰ってからミュージアムの今日の思い出のお話の材料になさるのでしょう、写真や動画を夢中になって撮って喜んでいらっしゃいました。こうした光景は日本の他の少年合唱団のライブパフォーマンスではあり得ないことでしょう。彼らの胸に輝くきんいろのfマークがさらに輝いた瞬間でした。会場がアトリウム状と言う印象が強かったからでしょうか、実際には天蓋がありエアコンの効いた涼しい場所でしたが、ベレーにノータイ、紺ベストというスタイルでした。ツアー初日同様、ソックスがクルーではなく、また、着帽で、XYサスペンダーまでいっていないので「猛暑日の屋外対応衣装」というチョイスまでいっていません。ただ、当日の仙台は朝から良い天気で気温もあがりました。野外コンサート経験の豊富なフレーベルの子どもたちは、この5-6年でクーラーのよく効いたバスやビルのロビーで十分な涼をとり、本番キューでサッとステージに出て行って、パッと歌ってサッと撤退する酷暑ライブのかわし方をうまく身につけてきたような気がします。演目は「アンパンマンのマーチ」でいきなり歌いだし、アメージング君の開幕MCの後「アンパンマンたいそう」MC「手のひらを太陽に」さよならMC「勇気りんりん」の4曲がナレーションと交互に歌われていました。全てオーケストラバージョンですから、「…たいそう」の頭には当然「アーンパーンマーン!」と客席を巻き込んだ少年たちの嬌声が入ります。ただ、曲順だけは2曲目の「勇気…」を最後に持ってきてフィナーレに使うということをやっていました。会場をテレビカメラが取り囲んでいるのは日本テレビ系列のミヤギテレビの収録が入っているためです。合唱団の背後にいるキャラクターさんたちの演技は手配が行き届いています。団員たちの前に出て踊るキャラもソプラノかみ手寄り前方の立ち位置が抑えられていて、1体以上はゾーンに入って来ません。旅の疲れが出始めている団員たちでしたが、キャラクターさんたちの動きが直接視界に入らず、客席の反応だけで背後の気配を感じているので最後まで歌に集中することができていたように思えます。前夜に準じたCMの布陣はハッキリとしたナレーションで頼もしかったことは言うまでもありません。

 ツアー初日の川内萩ホール、2日目のアンパンマンミュージアム、…両日ともに開演のキューがかかれば団員たちは整然と流れ込んで所定の位置に整列します。今回、全隊のぺースメーカーにあたる先導を担当していたのはあのワルトトイフェル君でした。バミ位置を正確に目指し軽快に入場口から躍り出てきます。意外に思われるかもしれませんが、2014年度チームの団員の中で、行進の姿勢が一番キマって美麗なのは他でもないワルト君なのです!?爽快な脚の蹴り出しと美しいストライド。目的地をスッと見つめた上体、宙を切るような腕の抜き方など、数年前まで口もろくにひらかず空ろな目で抜け殻のように歌っていた同じ団員の姿だとは思えない立派なスマートな行進の姿勢なのです。実物よりひと回りも二回りも大きく見えること間違いなし!私自身、このことに気付いたのはつい昨年の事でした。「まさか、あの子が?!」…というかたは、次のライブの冒頭、彼の入場を見ていてください!きっと超カッコ良くて驚かれると思います!両日ともにアルト下段のライトウイングにはワルトトイフェル君。隣には同じくらいの背丈で豆ナレータ君が配されていました。通常、下級生団員の前方に上級生団員が2人揃って立つ事は無いので、ちょっと驚いてしまうのですが、私はとても嬉しかった。豆ナレーター君は前年12月7日の「文京ボランティア・市民活動まつり2013」(文京区民センター3階・文京区社会福祉協議会60周年記念式典)のライブと終演の挨拶が私の見た最後の出演でした。ワルトトイフェル君は 2013年12月23日サントリーホールで行われた東京ヴィヴァルディ合奏団のクリスマスコンサート「第14回ファンタジックなクリスマス~天使の秘密featuring栗原一朗とパペットマペット」に一人の観客として来ていました。カルメン君のお引き合わせだったのでしょうか、インターミッションのロビーで偶然出会うことができ、点灯式以来出演を控えていることが気がかりだったので、今後の予定を尋ねてみましたが、「(出演するかどうか)わかりません。」という返事を静かに落ち着いて繰り返していました。事実、この半年以上の間、ワルト君の姿を私がステージ上に見る事は無かったのです。今回、ステージ・アルト前列の端に2人はお兄さんらしくしっかりとした脚を統べて立っていました。以前からずっとそうして2人で立ち続けているような姿で、安堵と頼もしさを強烈に感じる図像だったのです。彼らの歌う表情を見ながら、私は突然思い至るところがあり思わず客席で頓悟の声をあげそうになりました。2008年10月8日すみだトリフォニーホール、第48回定期演奏会第4ステージの中盤です。当年度入団のB組団員たちの顔見世がありました。忘れもしないメガ美男子君が1つ上のクラスにいて、A組団員であるのにもかかわらず彼らしくMC後に挨拶のやり直しをした…という思い出深いステージです。このときB組最前列のソプラノ側に、生き生きとした歌い姿に表情もキラキラと輝く眼光の鋭い男の子が一人いて歌っていました。B組ゆえまだベレーがあてがわれず、マルーンの髪にエンゼルリングが光るその子の隣で、今度は丸い黒真珠のようにふんわりと淡い円満な歌を繰り出す優しい表情の幼少年がおっとりと皆に合わせリズムをとっています。1ダース程もいるB組団員の中で、この2人の姿はひときわ観客の目を引くものでした。その日寄り添って歌い、フレーベル少年合唱団の団員としてスタートを切ったこの2人こそ、現在のワルトトイフェル君と豆ナレーター君です。仙台のステージで、B組時代同様前列隣同士に並び、彼らはあの最初の日と全く同じ表情で歌っていました。私がワルト君の心躍る表情とはずむようなビビッドなブレスを見て思ったのは、満身創痍の中、知らぬ観客たちからは陰で揶揄されたりもし(ステージ上ではスーパーナレーター君がいつもそういう彼をかばっているように見えました)、一時姿が見えなくなりそうな時期さえあったその人が、日本中のボーイアルトの誰もやり遂げることのできなかったろう苦難に満ちた旅路を経て帰還を果たしたこと。宇宙探査船「はやぶさ」同様、苦労して持ち帰った収穫物は風塵のように僅かで「物としては何も無い」ように見えます。ただ、若隼の力を信じ策を講じて支え続けた人たちがいたことと任務を続行し帰還を果したことと何かを持ち帰ったという事実の重さ・気高さは計り知れません。ツアー1日目、この2人は途中から腕をきちんと後ろに組まず、豆君は右に下ろした腕の肘を左の掌で掴み、ワルト君は対称的に左に下ろした腕の肘を右の掌で掴んで歌っていました。ステージ慣れした上級生のやることですから、普段は後列のお客様に見えないところでそれをやるのでしょうけれど、今日だけは前列で客席にもそれが見えてしまっています。彼らがなぜ2人セットで招集に応じ2人並んで歌ったのか、その姿を見ていると判るような気もします。
 合唱団はこの2日間、「僕たちは被災地の皆さんに夢と希望と感動と勇気をお届けにきました」という内容のMCをしきりに繰り返していました。ステージ上では副団長先生のお話、プログラム文面では団長先生の「ごあいさつ」でも、こうした内容の誓言がみられます。「演奏会がなぜ人的被害の大きかった石巻や名取や陸前高田ではなく仙台で開かれたのか?」ということも勿論ありますが、客席にいた私がナレーションを聞くお客様がたの息づかいから感じとった偽らざる思いは、「震災から3年以上も経って、何を今さら…?」というものでした。政令指定の100万人都市、東北の中心地とも言うべき杜の都は既に大きな復興を遂げようとしています。川内萩ホールの隣地で震災時タワーの瓦解をきたした前述の東北アジア研究センターも、改修が終わり清楚なエントランスの建物になっていました。演奏会のこのタイミングが部外者の私にはどうしてもおしはかりかねたのです。
 公演1日目の幕切れ、ついに豆ナレーター君がカミ手位置のまま太く信頼感のあるトーンに成長した声で号令をかけます。「気をつけッ!…ありがとうございました!」。…しかし、ステージ上に並んだ合同演奏後の子どもたちは期せずして全員がこれに応ずるのです。「ありがとうございました!」と。
 楽しく歌声にみちた仙台での2日間の最後の最後…聞いている私たちにとっても歌っている少年たちにとっても大切な思い出の1ページになったに違いない仙台アンパンマンこどもミュージアムでの演奏会の終演に、同じ号令で合唱団を御したのは…。あの日と同じ面差しでここに立ち戻って歌い、「日本一のボーイアルト」の名にふさわしい勇気と強さと幸せいっぱいの2日間をくれたワルトトイフェル君だったのでした。しかし何故、この2人が仙台のステージのために召喚され、その位置に立ち、最後の呼号を叫んだか?勿論、当日のアルトの団員構成をみれば一目瞭然なのでしょうけれど、それだけだったのでしょうか?ヒントは終演してもなお、美しいマットなスカイブルーの表紙を私の手許に鈍く輝かせていた演奏会プログラムに大きくハッキリと描かれていました。満面の笑みのやなせたかし氏を背中に乗せ、いずこへと皆の夢を守るために飛んでゆくアンパンマン!フィナーレのステージで、合同演奏の子どもたち全員が一丸となって「アンパンマンたいそう」を歌い続けます!「♪アンパンマンは君(きみ)さ!♪アンパンマンは君(きみ)さ!」…フレーベル少年合唱団がなぜ従来の終演に歌い込み、一般には震災復興のテーマソングともなっていたはずの「アンパンマンのマーチ」ではなく「…たいそう」を選んでいたのか…。やなせ氏は体調不良から引退を決めていたところ震災が発生、「印刷して売り物に貼ってかまわないから」と復興努力をしている人たちに無報酬でキャラクターを描いて送ったり被災地の子どもたちに「アンパンマンをながめて楽しい気持ちを思い出して!」とャXターを作成し配布するなど、引退なんかしてる場合じゃないとばかり復興支援をペンで遂行していたことはよく知られています。ご本人の最後の願いが「誰か私の代わりに現地に入って子どもたちの前でアンパンマンを描いてきてほしい」だったとしたら誰に頼むでしょうか。もともとアンパンマンの企画自体、やなせ先生が少年合唱団のツテを頼りにフレーベル館に持ち込んで採用してもらい、当時のご担当のかたから「もう、(顔をちぎって人に食べさせたりする弱っちいヒーローの絵本など)これきりにしてくださいね。」と言われたとか言われなかったとか…。フレーベル少年合唱団の少年たちが居なかったとしたら現在のアンパンマンは存在していなかったのかもしれません。合唱団の昨年の定期演奏会の10日前、天国に召され、やなせうさぎになった氏の最初の願いは「フレーベルの少年たち!きみらを2日間だけアンパンマンにするから、私を背中に乗せて皆の心へアンパンマンを描きに行こう!」だったのに違いありません。遺言のようなものだから、最短でこの時期なのです。「♪アンパンマンは君(きみ)さ!」の「君(きみ)」というのはフレーベル少年合唱団の団員たちのことなのです。一度は引退を決め、それでも人々を元気づけようと再起したやなせ氏…出演していた一人の団員の再帰に似ていませんか?だから「アンパンマンたいそう」の歌詞を読み返すと、そこに歌われていることが、よく見えるべく押し出されるようにしてアルト隊列右翼最前で歌い、最後に「ありがとうございました!」と叫んだあの二人の団員に驚く程あてはまるのです。フレーベル少年合唱団の仙台公演。これは雨に濡れれば声も出ず、歌声を人々の心に食べさせて元気100倍にしてやり、新しい顔が次々と入れ替わる、やさしいヒーロー…アンパンマンの2日間の物語です。

フレーベル少年合唱団の2009年クリスマス

2010-01-07 21:33:00 | コンサート
フレーベルウインターコンサート
平成21年12月19日(土)・20日(日) 13時~13時30分 
無料 六義園(東京都文京区本駒込)

ほか

ジングルベル
 2009年11月6日金曜日、午後5時1分。東京都葛飾区錦糸町。この日の東京の日没は16時41分だった。突然暮れ落ちた駅前北口の一帯に突如イルミネーションが灯り、ボードウォークになった野外ステージの上に団員たちがコトコトと列を作って並ぶ。フレーベル少年合唱団のクリスマスシーズンが始まる。掲げられたサインボードの標記は未だ「2009Christmasイルミネーション点灯式」だった。彼らはクリスマスのために用意してきたレパートリー4曲を歌った。「サンタが町にやってくる」「赤鼻のトナカイ」「きよしこの夜」「ジングルベル」。MC抜きのトータルタイミングは7分半で、カラオケ伴奏のため、尺も曲順もフィックスしている。「ハレルヤ・コーラス」も「うれしいたのしいクリスマス」も「わらの中の七面鳥」も「ツリーをかこんで」も、かつてのフレーベルを想起させる曲群はここには見られない。歌い終えるとソプラノのアンコール君がバウの号令をかけ早々に店じまい。2時間のステージを定演でこなす彼らにとってこれは一瞬の出来事だったにちがいない。だが、月をまたいだ途端、彼らの週末はクリスマス関連の出演一色に塗りつぶされることになる。レギュラーの野外演奏会の他にアンテナショップ等フレーベル館の会社関連のコンサート、マチネ・ソワレの両方を抱えるバレエのステージ演奏が3回…。多忙な彼らへ舞台上で先生方から即断即決の指示がとび、少年たちはニコリとそれに応える。

 「ジングルベル」が歌われると合唱団の今年のクリスマスナンバーは聞き納めということになる。もっそりしたマントケープの裾を一瞬ふわりと躍らせて拳をあげ、「ヘイッ!」「ヘイッ!」と呼号を挿み少年らは歌い上げてゆく。長いアッチェレランドの末、彼ら自身も最早どこに楽譜の終止線が引かれているのか混迷するほどに曲が加速すると、ひときわ張った最後の声で「ヘーイ!」と呼ばわり、ひとときは終わる。曲数の少ないクリスマスナンバーにピリオドを打つため設置されたこの曲と演出は実に良く計算されていると思う。
 通常の30分1本のプログラムでは、この4曲の前に短尺の「雪」(雪やこんこ)と「お正月」が導入セクションとして配され、クリスマスの曲の後は「歌えバンバン」と「おもちゃのチャチャチャ」の2曲がイメージを壊さぬよう注意深く並べられている。次に「北風小僧の寒太郎」「リサイクルレンジャーの唄」と磁界がぐっと合唱団のテーマカラー寄りにはたらき、結局「勇気りんりん」と「アンパンマン・マーチ」を客上げで歌ってから「線路は続くよどこまでも」をアンコールに聞かせる。最後まで聞くと、演奏会が通常の「フレーベル少年合唱団コンサート」の12月バージョンという位置づけであったことが判明する。昭和の頃、年末商戦まっただ中の日本橋三越本店の中央ホール…天女像階段にビッチリと並んだフレーベルの少年たちがクリスマスソングを毎年のように何曲も何曲も繰り出していた[*1]のに比べると、今の合唱団が実に手堅い、身の丈に合った演奏会の持ち方をしていることがわかる。「勇気りんりん」のMCで「会場にいるお友だちには、僕たちからのクリスマスプレゼントとして、アンパンマンのシールをさしあげます。」と「元気がでました」君が述べていたり、「線路は続くよどこまでも」のアンコール前MCにプチ鉄ヲタ君自身が楽屋落ちチックに起用されたりという、コンサート・リピーターの聴衆にも十分楽しめる演出がたくさん仕鰍ッられていることでもそれは明らかだ。

 秋は存外終わりを迎えず、今年は11月いっぱい、彼らはまだ紺ベストに赤ボウの軽快なスタイルで歌っていた。宵の風吹く点灯式でもイートンにマフラーだけは巻いて季節感を醸してみせたが、さすがにマントケープは仕舞われたままだった。半ズボンから出た少年らの脚が秋口のオレンジ色のライトに照らし出され颯爽として見えた。

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*1
これはほんの一例でしかないが、1983年12月25日12時30分からのライブでは「きよしこのよる」「諸人こぞりて」「神の御子は今宵しも」「荒野の果てに」「もみの木」「ジングルベル」と「ハレルヤ・コーラス」(!)が歌われた。(「ハレルヤ…」以外は現在も堅持されているTFM少年合唱団のクリスマスシーズンの部分オーダーと殆ど同じであることに驚かされる。)その日動員されたのは小学3年生から中学1年までの団員がおよそ50名。当時の三越のライブは15分間が標準だった。


きよしこの夜
 12月の六義園コンサートの2日目にはソロ入りのスペシャル演目を聞く事ができる。昨年のアルト・ソロ(厳密には「アルト団員によるソロ」)はアングリカン・チャーチの聖堂で聞くトレブルというレベルの充実した出来映えだった。枝垂桜前広場に集まった人々が寒さを忘れ、その歌声に吸引されるがごとく耳を傾けるさまを私は昨日のことのように思い出す。だが隊列に彼の姿は既に無く、今年は4人のアンサンブルがその役割を担った。曲目は「きよしこのよる」。フレーベル版の「きよし…」は冒頭ワンコーラス目が英語で歌われる。合唱団は今年そこに選抜メンバーを配した。担当はソプラノのアリヴェデルチ・ローマ君とカルメン君。アルト側はスーパー・ナレーター君と「元気が出ました」君。まさにフレーベル2009年組イチオシの贅沢なカルテットの到来と言える。(TFM少年合唱団のクリスマスシリーズも、「きよしこのよる」ではソプラノ声部の歴代トップソリストがソロをつとめるという慣例がしばらく続き、聴衆をうならせている。)今回のフレーベルの重唱は無駄を排しスッキリしたソプラノに対し、キャラクター・マックスのアルトが素材そのものの獅ンを押し出して乗り、かなり「通」好みの味に仕上がっていた。
 合唱団が六義園でこのゴキゲンなアンサンブルをたった1回だけしか打たなかった事情はよく分からない。だが、少なくとも2009年六義園クリスマスにこの4人の団員がステージ上で揃ったのは、20日(日曜日)の1度きりだった。前日のプログラムでは、そもそもメインになる上級生団員の出席が鈍く、「2010年春からのフレーベル少年合唱団のカードは、こんな感じになる?!」といった間引かれた印象の隊列が目を引いた。合唱団はこの冬もチームの顔ぶれが全く一定しなかったのである。メインキャストの顔ぶれを不安定にする首都圏の少年合唱団にありがちな諸般の事情については、以前にも述べた(今年は新型インフルエンザがらみの事情もあった)。また、団員が私学のミッション系小学校に通学する場合も少なくない都内の男子合唱団では、クリスマスコンサートの日程が学校のクリスマス行事とバッティングする危険性もあり、メンバー確保はさらに困難を極める。

 微妙な状況で成立した貴重なソロがふるまわれ、曲が合唱に運ばれると状況は変わってくる。歌詞は日本語に置き換わり、あらゆる意味でギアチェンジが行われる。と、その旋律を我がものと引き取って歌っているのは合唱団前列に控えた2年生ぐらいの団員たちなのである。昨年のクリスマスでも、最前列に立つ小さな彼らの顔ぶれはほぼ同じだった。両手で数えれば足りる数名が抜け、そのわずかな間隙を数名が埋めている。最前列の基本構成は不易といえた。ここでは2009年現在のフレーベル少年合唱団の編成が明らかになっている。1年を経て、隊列の後ろからは入れ替わり立ち代わり成長した団員たちが散逸している。だが、小さくて優秀な最前列の子どもらは 有能な後輩を少しだけ受け入れ、ャWションをキープしたままだ。フレーベル少年合唱団の隊列は今、後列からじわじわと痩せているのである。隊列が痩せているのに合唱がやせ細らないのは、消去法で見て前の列で頑張っている1~3年生の子らの様々な力量のおかげとしか思えない。彼らの歌い姿を真剣に眺めてみたらいい。全く無駄の無い発声を保てる子。アルト側には冷静な目で合唱の運びを見ている子や、低声でありながら身体を微小にローリングさせている子(彼はときどき欠伸しているように見えてしまうのだが実はハートで下の旋律を歌っているのだ!すばらしい!)、指揮者のメッセージの一切を汲み尽くす子らが常駐している。ソプラノ側最前にいる諸君の歌い姿からは「フレーベル合唱団のコアは僕たち」という頼もしい自負が見え隠れし、この歳で既にベロシティの自重に意識の殆どを傾けて歌う子さえいる。毎回の出演で必ず定位置に居て歌ってくれているのは、あのフレーベル・カルメン君。低学年セレクト隊の歌のクオリティーを象徴するかのような立ち姿が実に頼もしい。

「きよしこのよる」の2番が持つ穏当なロングトーンやボリュームの制御、少年らしい声のデザインは、あきらかに小学2~3年生の団員によってつけられた厚みだ。だが、客席の私たちは聖夜を謳うこのクリスマスナンバーの最もきらびやな部分にすっかり目を奪われてしまっている。幸せそうにそれだけを眺めている。サンタクロースはそもそも人目につかぬよう、そっとクリスマスプレゼントを配ってまわるものなのである。


サンタが街にやってくる
 舞台の上と下、指揮者の前と後ろ、聞かせている人々の気持ちと聞いている人々の気持ち…同じ演目に対する両者の思惑が一致するときに素晴らしい音楽が生まれると私たちは思う。だが、興行が子どもの合唱で男の子の場合、一概にそうは言い括れない場面に遭遇するときもある。フレーベル少年合唱団がクリスマス・シリーズのコンサートで比較的冒頭近くに歌うことの多い『サンタが街にやってくる』がその格好の例だ。
 この曲の伴奏カラオケには、おそよ40秒間にも及ぶ長尺のディキシーバンド調の前奏が施されている。当然のことながら、プレリュードのその長さは聞いている私たちの待機の限界をわずかに超えているし、歌っている団員たちにも冗長な待ち受けを強いている。そこで、合唱団はこの部分の団員たちに演技上のジャズ・バンドの吹きマネを求めていた。「エア・ジャズバンド」というわけである。これが今流行の「エア・ギター」や「エア・コンダクター」あたりだったら全くノリノリで多分サマになっていたはずなのだが、少年たちは果たせるかな大テレなのである。4~5年生のお兄ちゃんたちは「これもお仕事」という自覚があって、ハニカミつつ消え入りそうになりながらエア・トロンボーンあたりを担当している。もう、1年生ぐらいの団員たちでさえ、照れ笑いしながら「せんせい、ぼく、こんなの恥ずかしいよぉ…」「これ、やっぱりやらなきゃダメ?」と指揮者へと懇願するがごとく目で訴えている。
 結局こういうことがさんざんあってから、団員らの思いに根負けしたらしく合唱団は今年、この演出をきれいさっぱり止めてしまった。イルミネーション点灯式では、身体を左右に振るだけの仕立てで、クリスマス本番では、ソプラノのカッコいい系の団員くん2名がドーナツ鈴を振ってみせるという穏当な趣向や、最後に全員そろって「メリー・クリスマース!」と叫んでくれるというサプライズでも魅せている。クリスマスの匂いが実に良く感じられる演出で全くソツが無い。お客様も満足して聞いているように見える。
 「おっかない顔して歌っている、どこにでもいそうな男の子たちばっかりなのに何でこんなにカワイイんでしょう?フレーベル少年合唱団って?」…聞きはじめて何年にもならない頃の私はすぐさまそれに気づき、当時、合唱団を担当なさっていた様々な方々に尋ねた。「…男の子しかいないからじゃないですか?」…皆が首を傾げながら言った。だが、私は日本にある他の合唱団のステージも知っている。「男の子しかいないから、カワイイ」ということは決して無いのである。判然としないのだが、フレーベル少年合唱団の人懐っこい、ホッとするようなカワイらしさがどこからもたらされるものなのか、私の疑問はもう何十年も全く解けないままでいる。昨年までの子どもたちが、『サンタが街にやってくる』のイントロで羞恥に首の付け根まで真っ赤にしながらサービスしてくれていたあの姿が、かわいく愛らしく思い出される。

♪あなたから…メ~リ、クリスマぁース!
♪わたしから…メ~リ、クリスマぁース!
彼らがこの歌を歌う度、今でもちょっぴり過剰な抑揚で叫んでくれるシュプレッヒシュティンメの部分が、あのエア・ジャズバンドの演技とセットで仕鰍ッられていたことを私は思い起こし、とても幸せな気分にひたれるのである。


ユニフォーム解説
 日本中の少年合唱団のクリスマス向けステージ・ユニフォームはイロイロあれど、やっぱりフレーベルらしいオリジナリティーを楽しめるのがこれ!ズボンのコーデに残っていることから知られるように、レンガ色ブレザーをクリスマス・ステージに使っていた年もあった。(正式にはこのマント・スタイルはクリスマス専用のものではなく、通常12月から2月にかけての野外ステージで着用される)
 絵のマフラーはシャーベットグリーンのメロン色。この他にスミレ色のものがあり、隣同士の団員が同じ色にならないよう交互に配される。団員の交替で日によって若干隊列が異なるため、2日続きのコンサートでも、同じ団員が同じ色のマフラーを巻いているとは限らない。スミレ色の方がやや寒色系で可憐なふっくらした印象。メロン色は暖色系になり明るく甘いクリーミーな立ち姿になる。オキニの団員さんが、その日どちらのマフをしてどんなイメージで登場してくれるのかを楽しみにするのも一興。
 絵の中の団員の体側の部分にツレが出ているのは、彼が中からケープをつまんでいるからだ。この服には基本的にスリーブが無く、こうしておかないと、ジングルベル等の拳をあげる動作や最後のバウで速やかに手を出すことができないため。全員がやっているのではなく、こういうプリペアを経験で知っている高学年のお兄さんたちに多く見られる仕草とも言える。腕が挙がると中に着ているものが見えてしまうので、かなり悪条件の出演で無いかぎり個人持ちの防寒着を中に着込むことはまれ。ワイシャツにイートンの正装がマントの下にきちんと身繕いされている。
 マントケープの着付けはブランケットの角が正面に来るよう施されるが、低学年の団員クンが裾を引きずりそうになりながら歌っている姿はとても可愛らしい。また、特に背の低い団員には腰丈で軽く動きやすいもの(2007年まで着用されていたマントケープの使い回し。当時の合唱団には長パンツのアイテムが無かったので、半ズボンに合わせるためマント丈が短めに設定されていた)が支給されるようだ。現在のパンツは前述の通り側章入りが基本だが、A組ベースの団員にはイートン用のややカジュアルなパンツが宛がわれる(4~5年前よく見られた半ズボン+白ハイソのチョイスは2009年現在、まず無いと言ってよい)。昨年あたりから黒モカシン[*2]とズボンの裾の間に覗くソックスが墨色に変更されたため、トータルで垢抜けた大人っぽい印象になった。

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*2
意外と話題にのぼらないのが、団員たち着用の靴。…本来は合唱団のユニフォームで「個性」を出せるものといったら髪型と靴ぐらいしかない。だが、シューズの趨勢が「コイン・ローファー」と呼ばれるモカシンタイプになっているのが現在のフレーベル少年合唱団の際立った特徴だ。一見してごく稀にカジュアル系のスリッャ唐嘯ュ子やマジックテープの子もいるようなのだが「ビットの無い黒モカシン」というのが基本線。他の少年合唱団には見られないハッキリした傾向と言える。よく見ると、お兄さん団員たちはきちんと申し合わせたようにビーフロール付きのコイン・ローファーを履き、上級生らしさを印象づけている。


リサイクルレンジャーの唄
 冬、彼らがマントケープを身にまとい「リサイクルレンジャーの唄」を歌うとき、私は子どもらの様子を眺めつつ心から穏やかな気分にひたることができる。年明けて3月になれば再び合唱団のユニフォームからマントがとれる。その頃にはまたステージの子どもたちに闘いの日々がやってくる。

 「リサイクルレンジャーの唄」は2006年の秋口に合唱団による一般公開が始まった。翌年2007年の10月に合唱団の吹き込んだCDと楽譜が図書資料の付録というかたちで発売される。合唱団はすでに3年間超のロングスパンでコンサートの度に必ずこの曲を歌ってきている。12月のステージに並んだ団員の中には、すでに演奏回数100回に迫る勢いで「リサイクル…」を歌ってきたツワモノたちがいるに違いない。
 典型的な「チャンチャカ演歌」だ。脇田先生のお付けになられたのだろう前奏の最後には「旅の夜風(愛染かつら)」や「誰か故郷を想はざる」と同じ懐メロのブリッジ・モチーフがばっちりハメ込まれている。「レンジャー」というのは、この場合、レスキューや森林保護官のことではなく、日曜朝にテレ朝でオンエアされているような子ども向け特撮テレビドラマのキャラクターの符丁を意味する。環境保育の切り口をいわゆる「戦隊もの」のキャラになぞらえて啓発するチャンチャカ演歌調の「エコ・ソング」というのが、乱暴に言って「リサイクルレンジャーの唄」の概要になる(何だかめちゃくちゃ!(笑))。楽譜等販売されているものの著作権標記は「作詞・作曲/ソルトマン」だが、JASRAC上のデータや合唱団の演奏会プログラムに書かれた作詞・作曲者は、塩田力という福岡県大野城市役所の職員さんだ。大野城市の公開している楽譜を見ると、曲は当初「戦隊ヒーローものテレビドラマのちょっぴりヒナびたテーマソング」というイメージを狙って作られたものであることがうかがえる。だが、おそらく出版のために譜面がフレーベル館へとまわり、少年合唱団が歌う事を前提にアレンジの手が加えられると、作品は少年の心の仄暗い部分を感じさせる、マイナーコードの(原調D-moll:ニ短調…いかにも、である)、どこか哀愁を帯びた表層をまとうことになったと思われる。これが現在、ステージで毎回歌われている「リサイクルレンジャーの唄」なのである。
 オリジナルの構成は5番まであり、各コーラスがペットボトル・リサイクルの「ペットレンジャー」、紙のゼロエミッション化を目論む「グリーンレンジャー」、空き缶リサイクルの「カンレンジャー」、4番が蛍光灯・乾電池等の重金属系のゴミ(「水銀0使用」が当たり前の現在、乾電池に有害物質が含まれているとは思われないが…)をリサイクルせよと主張する「安全ジャー」、そして5番がリサイクルの優等生であるガラスビンを歌った「ビンレンジャー」…。5番まであるのは、テレビの「戦隊もの」のメンバーが基本的に5色のスーツカラーでキャラクタライズされていることへのオマージュである。彼らが「くるくる回すぜ」などと歌っている歌詞の中、5番だけなぜか「クルクル回すわ」「生まれ変われるわ」「まぶしすぎるの」などと女性語になっているのは、戦隊チームに必ず一人だけ女性キャラが含まれるというテレビの約束事を忠実に踏襲してのことであろう。
 曲の中点にあたる3番になると、それまでの花も嵐も踏み越えて…の「チャンチャカ演歌」の伴奏が突然ひらりと装飾的でメランコリックなバラード調に転ずる。秀麗なコンバートの中、子どもらしい印象を残す2人の少年のソロがカットインしてくる。今聞いてもこの人選には、心から感服させられてしまう。当時の合唱団には、経験豊富で優秀な上級生団員がまだ何人も残っていた。声をかけさえすれば彼らは雑作無くレコーディングをこなしただろう。だが、ここではそれまでのソロに無かった、現在の少年たちの声に通じるテイストのボーイソプラノが起用されている。2009年度のチームのオリジンとも言える味を、このソロから感じ取ることができるのは嬉しい。センターに2人重ねて定位させたスタジオマイクは、怒りの余韻を引きずる少年たちのドラマチックな歌声を忠実に拾っている。「泣きのプチ・アルト」とも言えるペーソスたっぷりの彼らのソングトラックは、この曲が悲壮なヒーローたちの物語であり、我々がまさしく今その戦の佳境にいることを思い知らせてくれるのである。

 「リサイクルレンジャーの唄」のトータルタイミングはCDのもので205秒。…3分以内の曲が大勢をしめる日本の少年合唱団の録音の中では比較的長尺の部類(当日、「リサイクル…」とともに歌われた「北風小僧の寒太郎」のタイミングはわずか90秒間程度しかない)に入ると思われる。理由はよく分からないが、合唱団はこれをライブへと乗せるにあたってリストラし、ソロ入りの3番と内容的に疑問の残る4番をきれいさっぱりスキップしてカラオケ伴奏を作ってしまった。定演など、フレキシブルなピアノ伴奏のステージでもそれは変わらない。私は今でも秀逸な「泣きのアルト・ソロ」の入る3番が無くなってしまったのを残念に思っている。少年合唱団が3・4番と引き換えにライブ・ステージへあげてきたのは、後奏のオチで叫ぶ「ヤー!」の声に合わせた「ダメ出しメ[ズ」だった。お客様は毎回大喜びである。明らかにリピーターと思われる観客を含め、たくさんの大人たちが、この演出に声をあげ興じるさまは、いつどこのステージに行っても目撃することができる。最後の瞬間のタイミングに合わせカメラのシャッターを切ろうと待ち構えているお客さんもいるほどである。「リサイクルレンジャーの唄」は、今や「アンパンマンのマーチ」や「勇気りんりん」とともに、フレーベル少年合唱団の大切なテーマソングの一つになっているのである。

 「ダメ出しメ[ズ」の正確な所作は、「ヤー!」と叫ぶとともに自身の右脚を比較的大きく踏み出し、胸の前に両の手刀をバツ印に交差させて5秒間保持するというもの。バツの位置も以前はオデコのあたりだったが、現在は胸元に下りているため、サービスなのだろうか団員たちの顔がよく見えるようになった。
 例の前奏が鳴ってステージ上の団員たちが居住まいをただすとき、メ[ズに備えて2つの準備動作が行われる。一つは脚を踏み出して腕を前に振った背後の団員たちにぶつかられないよう、前列が前にズレて後ろに空間をつくること。(前の団員にズレてもらう段取りが刷り込まれているために後列の団員たちが、定演などの雛壇の立ち位置でステップを踏み外しそうになる場面を見る事がある。)もう一つは、迅速なメ[ジングのために最初から両手を体側に下ろしておく事である。だが、ステージ上には演奏が始まってからも周囲の団員へ「手を下ろせ」と目配せしている者や、肘や手で客席に分からないよう周囲の子をつついて注意を促したりしている団員たちの姿をよく見かける。フレーベル少年合唱団はもう50年近くも手を後ろに組んで歌ってきたのだから。経験の豊富な上級生の少年たちほど身体に染み付いているこの姿勢を何とかふりきって掌を下ろそうとする。見ていても実にいじらしいのである。「勇気りんりん」「おもちゃのチャチャチャ」など、他にも手を後ろに回さない演目はあるが、スイングやハンドクラップなど他の付随動作があるために自然と手がフリーになるよう工夫されている。
 かつて、この「リサイクル…」が舞台に乗りはじめた頃、団員たちの下ろした両手はバラバラで無秩序だった。グーを握っている子。指の間が開くほどパーにしている団員。OKマークや望遠鏡を指で作って下ろしている子。ソーラン節の演出よろしく両手を太腿の前に当てている子。半ズボンの裾を掴んでしまう子たち。指先がピンとのびて直立不動の東海林太郎の子ども版のような団員もいる。そして、あとはやっぱり手を後ろに組んだまま最後まで歌ってしまう子どもたち…。その後ご指導が入ったらしく、最近の隊列では、軽く握って脱力で下ろす正統派の姿勢が増えた。歌う時の姿勢だけではTFM少年合唱団と見分けがつかない場面もある。だが、2009年の今も、やはり彼らはこの「フレーベル少年合唱団らしくない」物腰と闘いながら「リサイクルレンジャー」を歌っている。もう何十ステージとこの歌を歌ってきた団員らが、毎回どうしても手を後ろに組んでしまう様子を見ていると、様々な局面でパラダイム転換を遂げ、素晴らしい変容を繰り広げてきた現在のフレーベル少年合唱団が、実はまだその難しいプロセスの途上にあることを思い知らされてしまうのである。彼らは未だ、変わりきれてはいないのである。

 地球温暖化の現在にあっても、さすがに12月ともなると野外ステージの衣装にはマントケープが付く。嵩のあるマントは子どもたちにとって決して軽快なアイテムではなく、最後の転調がかかってキーがes-mollに上がると上級生の団員たちは内側からドレープをたぐってラストのメ[ズに備えはじめる。最前列の小さなセレクトたちは、曲の終わる直前に慌ててそれをやろうとする。微笑ましい光景である。だが、いずれにせよ彼らが演奏中に両手を下ろしているか、後ろに組んでいるかは最後まで本人以外の誰にもわからない。けなげにも腐心しつつ歌う彼らに、忙中閑ありのひと息つける日々が訪れたのだ。
 私は彼らがマントケープを身にまとい「リサイクルレンジャーの唄」を歌うとき、心から穏やかな気分になれる。年明けて3月になれば合唱団のユニフォームからマントがとれる。フレーベル少年合唱団のあどけない少年たちに再び闘いの日々がやってくる。


北風小僧の寒太郎
 2009年現在のフレーベル少年合唱団では、厳密なクリスマスソングに類するレパートリーだけでは尺が持たないことは前述した。『北風小僧の寒太郎』が毎年12月に歌われるのはこのためだ。NHK「みんなのうた」出自のこのレパートリーは、歌そのものもそうだが、少年の叫ぶ「カンタロー!」の声が老若男女の聴衆を惹きつけてやまない。ぜひとも男の子の合唱団の声で聞いておきたい演目の代表格と言える。
 団の「寒太郎」のシュプレッヒコールは通常8名以下の団体戦で仕鰍ッられる。だが、合唱団は今年この慣例をいったん保留し、出席団員のメンバー構成を見て捻出したと思しきバリエーションに富むキャストを投入して見せた。昨年の「寒太郎」担当者の残留組を左右2×2で配した回もあった。六義園のクリスマス前最終のライブでは1番のコールを「元気が出ました」君が担当し、2番コールをアリヴェデルチ・ローマ君が叫び、コーダではオリジナルには無いトゥッティーの構成で全員が「カンタロー」と叫ぶといったようなドラマチックなサプライズまで用意した。

 昨年の布陣によるアルト側の配当は4名。3名は比較的活躍していた子どもたち。…だが、12月6日の駅前コンサートで合唱団は今年先ずその3名を休ませ、さらにソプラノ側のメンバーも全休して原隊に戻していた。「カンタロォー!」は今年、たった一人の声によるスタートとなったが、それはかつてどこかで聞いた声色に酷似していたのである…。

 1977年8月17日。ビクター少年合唱隊は青山のスタジオへと終日カンヅメ状態のままレコーディングに入っていた。曲は「北風小僧の寒太郎」。「カンタロー!」と叫んだのは、6年生メゾの久世基弘。当時、彼はフォークソング調の曲をソロで牽引するような隊員だった。人々はユーモラスな仕上がりを期待してプレイバックを聞いた。だが、予想に反し、録りあがった叫び声の招来したイメージは「少年の澄みわたったリリシズム」だった。このことは、その後の久世が変声までにこなす数々の仕事を見ると明らかになる。『ガラスの迷路』『過ぎ行く時と友だち』。…フランスの寄宿学校を舞台にした少年らの愛憎劇や、夜ごとにお前は彼女の窓辺に恋歌うたってる…という内容の曲群を彼は頼まれて歌って行く。VBCはその後、現在にいたるまで「寒太郎」のソロに、単独CD吹込経験を持つような実力のある隊員たちを数年ごと繰り返し投入しリバイバルをはかろうとする。だが、かつて久世の叫んだ「カンタロー!」を凌駕する少年はついに出ずじまいだった。

 フレーベル少年合唱団2009年のクリスマス…プログラムはすすみ、後半にさしかかると一連のクリスマスナンバーは途切れ、聞きなれた「北風小僧の寒太郎」の前奏が流れてくる。進み出てきたのはアルト団員が一人だけ。冒頭の4小節が歌われ、彼がマントケープの裾から掌をにじり出し口に当て叫んだ声は…
 それは実に衝撃的で忘れられない一瞬の出来事だった!寒風に吹き殴られる田舎の野良のあぜ道、ビル風吹きすさぶキラビヤカで消耗の激しい都会の底冷えの舗道…滲んだ埃っぽい涙が目じりを刺して…だが、その声がどこからかカツンと鋭くかすかに響いてくる!「カンタロー!」 …彼の声は、そういう声なのだった。飾りもシナも細工も無く、アルトのメインストリームに属さない声質。季節はまさに年の瀬の空の下、ただ情念の限りを尽し叫んだような一言を私たちは聞き、震撼させられることになる。それは今年最高の彼らからの「クリスマスプレゼント」と言えた。

 私たちの大好きな「フレーベル少年合唱団のアルト」を今年、実質的に底支えしているのは、MCに多用される人気者の団員たちではなく、実はこの寒太郎君をはじめとするカミ手側後列に控える頼もしい少年たちなのではないかと私は見ている。歌う訓練を受けた男子小学生なら誰でもできるという楽しいャWションではない。華々しい役回りも殆ど廻っては来ず、来たとしても「いや。僕はいいよ。」と他の子に譲ってしまったりもし(←これはステージに見る印象)、ごく一部のソプラノ団員から本番中に「そこ、間違ってるだろ?!」と叱責の視線が差し向けられることすらあり、ただひたすら目立ってはいけないアルトの旋律を真摯に支えている…。私はそんな苦労人の彼らを心から尊敬してやまないのである。だが、団員たちははたして自分の積み重ねてきたものの高さ重さに気づいているのだろうか?北風とともにどこからかやってきて、春になるとどこかへフッと行ってしまうひとりぼっちの男の子…彼らがそんな北風小僧の寒太郎にそっくりな団員人生をおくってきたことに、私はちょっぴりほろ苦いものを感じてしまうのである。



フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何だったのか

2009-03-03 20:57:12 | コンサート
フレーベル少年合唱団 早春のコンサート
2月14日(土)・15日(日)各日13時~13時30分
六義園しだれ桜前広場(文京区本駒込)
無料(入園料別途)

少年たちがブランケットを脱ぎ去る
 2009年(平成21年)2月の聖バレンタイン・デーの午後、フレーベル少年合唱団は月毎レギュラーの六義園コンサートを行った。前日吹き荒れた春一番の残り香か、花々のかすかな芳香の中で首都圏の気温は優に20℃を超え、開演時の文京区本駒込の温度計の目盛りは25℃を振り切ろうとしていた。いつものように六義園エンタランスのさざれを静かに踏みしだきながら少年たちが現れると、彼らのコスチュームの移変は誰の目にも明らかだった。2007年の2月24日25日(この頃はまだ午後2時のスタートだった)、昨年2008年の2月16日17日、…毎年2月のコンサート。彼らは紺ブレ長パンツの上下にブランケットを着込み、メロンとスミレのマフラーをピッチリと巻いて「早春コンサート」とは名ばかりの寒風の中で目を細め「北風小僧の寒太郎」を歌っていたと記憶する。今回の「早春のコンサート」でもオープニングに「雪の降るまちを」を歌い、次いで「早春賦」を演目へ組んでいた。だが、合唱団は防寒着をあっさりと脱ぎ置いて、赤ボウに紺ベストの合着のスタイルをフォーマル標準の側章パンツに組み合わせ颯爽と登場した。引き抜きのような彼らの早変わりは爽やかで男の子の合唱団独特の軽快なステップを感じさせる。同時に、これはフレーベル少年合唱団が蓄積してきた膨大な野外コンサートのノウハウを表してもいて頼もしい。MCの少年は「今日は暖かいですね。」という一文をさりげなく織り込んで観客をくすぐるのだが、翌日には一転して「今日は寒いですが…」といった内容にすげかえていく。
 冒頭の隊列が「白手袋をして不規則」なのは毎回オープニングのファンファーレでハンドベルを担当する団員たちがいるからなのだが、意外なことに一見の観客にとってこれが良い意味でビジュアルセンセーションになっているようなのである。いずれにせよ、彼らの六義園コンサートのフォーマットとして開会宣言代わりのセレクトメンバーのハンドベル演奏(曲目は回によって異なっていることもあり、土日でも違っていたりする)を聞くことができる。ここで面白いのは、この合唱団独特の姿勢のため、最近のハンドベル担当の団員たちは白手袋を握りしめるか、はめたままで30分間歌い続け、客上げの子どもたちの手を引いたりMCを繰り出したりまでしているということに観客が殆ど気づいていないということなのかもしれない。


六義園コンサートとMC団員たち
 曲紹介のMC担当はたいていの場合毎回異なり、同じ月の土曜日と日曜日では同じ基本原稿をダブルキャストで受け持つ。土曜日の開幕のMCを現役リーダー格が述べれば、日曜日には昨日出席できなかった現役トップソリストが同じ原稿で片をつけるといった具合。土曜日にソプラノの中堅団員がした曲紹介は日曜日にはまた別のソプラノ中堅団員が担当すると見てよい。六義園コンサートが基本路線として持っている、「土曜日と日曜日、同一内容の2回のマチネ」という構成が、実は非常に重要な意味を持つ。一つは1回の演出で2人の団員を相乗的に育てられるというマルチな利点。もう一つは男の子の合唱団にありがちな病欠や学校行事による突然の欠席に備えられるというフェールセーフな利点である。少なくとも、観客にとっては同じ構成の演奏会であるのにもかかわらず土日で違う少年の声や姿を楽しむことができるのだから、おトク感満載の連続来場サービス特典ということになる。

 この日、MCマイクの前に立った団員の中には、マイクホルダーのクリップの可動を確かめて、過度にマイクヘッドを下げながらしゃべるという姿が散見された。六義園コンサートのマイクセッティングは常に2基のスピーカーに供応する位置へ施される。2ウェイバスレフのフロントメインが彼らの背丈より高い位置にスピーカスタンドをかましてセットされ、隊列の斜め後ろから伴奏を振りかけるという構成になっている。スタジオに入れば彼らもキューボックスを通じて伴奏を聞くだろう。だが六義園では彼ら自身が伴奏音をそこから聴き取らなければ歌えないし、観客も曲を理解できない。必要最低限の構成で成立したミニマムなユニットの中で、MCの少年たちは自分の声がどうしたらハウらずに済み、落ち着いたしっとりした音で鳴らす事ができるのかを耳や体で雰囲気として知っているのである。(スピーカーの位置が十分に遠いときやマイクホルダのピンチのきつい時、マイクスタンドの低さがマックスの場合には下級生たちはそれをやらない)。おそらく彼らが年間のステージパフォーマンスを通じ経験の中から無意識のうちに繰っているのが、このプロ仕様のバウンダリマイク顔負けな「マイクロフォーンの下向け」なのである。


連結式の解消から見えた「ぼくたちの合唱団」
 低学年の小さな子どもたちが低めに立てられたマイクスタンドの首をさらに下へとネジって自分の声を入れようとする姿は、昨年までは演奏会後半でしか見られない大変貴重なシーンの一つだった。
 かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの基本構成として、A組セレクトの部隊のみが演奏会前半を担当し、途中からプレーンA組が合流して最後まで流すという連結式のキャスティングが堅持されていた。しだれ桜のはるかカミ手側の藤棚の近くで、矮小な列を作って入りを待つプレーンA組の小さな子どもたちの頼りなさそうな姿を記憶している人も多いことだろう。だが、その愛らしい隊列は2008年以降の六義園にはもはや存在しない。無くなってしまったのはプレーンA組ではなく、A組セレクトの方だととらえるのが穏当であるように思われた。合唱団がおよそ20年もの間保ち続けていたこの2分隊の編成が、現在のフレーベルの学年構成の上ではもはや成立し得なく(成立し難く)なってしまったと考えてはどうだろうか。

 フレーベル少年合唱団が2008年の夏休み明けにチームの要となる12歳以上の団員をほぼ完全に失うということは、実は客観的な年齢構成の概算により2004年から2005年の段階で部外者にもほとんど明らかになって知られていた。平成20年…チームを牽引する6年生団員はおらず、最上級生の中学生団員たちは夏休みを終えれば一斉に変声をむかえる。そのとき合唱団に残っている上級生は、片手の指で数えれば終わってしまうくらいわずかな人数の10歳から11歳の小学5年の子どもたちでしかないということを2005年の私たちは覚めた頭で計算し震撼させられた。彼らが、子ウサギのように群れているイタズラっ子そうな目つきの低学年の子どもたちを引き連れてフレーベル少年合唱団をどう仕切るのか、その無謀で「バカげている」としか思えないような状況を私は考えないようにしたかった。それが実際、2008年の夏休みをまだ終えないほど早い段階で避けられない現実となったとき、少人数の、重圧に押しつぶされ消えてしまってしかるべきはずの男の子たちは、もたらされた責務をひょいと両肩に担い、うっとりするほど頼もしい楽しげな真摯な立ち姿で私たちの前に現れたのだった。高低のトップソリストを隊列の両翼に従え、アルト側のエッジに暖かい安定感のあるヘッドクウォーターを布陣し、ソプラノ後列の左翼には誠意あふれる声質の少年たちを配しながら。それは『芳しい』と呼べるほど鮮やかで魅力的な出来事だった。彼らは降ってきたただならぬ試練を少年らしい柔らかな心できちんと受け止めて支えきったのだ。今年度のフレーベルが俄然面白くなったのは、そういう彼らが「プレーンA組」に甘んじていたはずの小さな団員たちを「僕らのチームメイト」として大切に相手にしながら歌っているからだと私は思う。


林を抜け、僕らのハーモニーが聞こえる
 六義園コンサートへの批評の代表的なもの2つに、野外演奏であることの意義を問うものと、カラオケ伴奏の是非を問うものがある。前者について言えば、そもそも残念なことに少年合唱の最も美しく爽快な瞬間を聞き逃している。あなたは知っているだろうか?森の中、深い茂みを抜けて聞こえ来る少年たちのコーラスの美しさ、楽しさ!六義園で試してみたらいい。そろいのユニフォームに身を包んだ子どもたちの姿や、それを幸せそうに取り囲む人々の輪から少し離れ、庭園の奥深く、だが子どもたちの声が木立を分け、木々の緑の梢を抜けハッキリとやってくる場所を注意深く探して静かに耳を傾けてみたらわかるというものだ。だが、もう長いこと少年合唱を聞き続けてきた私自身ですら、その驚くべき瞬間を最初に体験したのは、追っかけを始めてからすでに十何年も経ってしまった後のことだった(…しかも、そのとき歌っていたのは私が個人的にかなり良く知っていた少年たちで…それほど極端に想定外な出来事だった!)。私たちの誰もが、歌っている子らの表情や姿見たさに今日も彼らの隊列の前に当然のように陣取る。それは決して悪いことでも無駄なことでもない。だが、ボーイソプラノのハーモニーの美しさ、清らかさ、温もりが森や林の中では何倍にも増幅されて聞こえることをあなたも体験しておくべきだ。フレーベル少年合唱団がもともと株式会社フレーベル館の社会還元事業として位置づけられている以上、私たちはそれが安易に地域の六義園へと結びついているととらえがちだが、彼ら自身もまた、かつて人工物で取り囲まれた神田小川小学校の校庭で毎月コンサートを開きたいなどとは(可能ではあっても)決して思わなかったろう。


カラオケ伴奏をめぐって
 カラオケ伴奏の是非については、ここでさらに2つのことが言いたい。彼らは今年の「早春のコンサート」のアンコールの客上げで「崖の上のャjョ」を歌った。伴奏に使われたのは合唱譜のピアノパートをなぜたものではなく、正真正銘のメイド・イン・映画版宮崎アニメーション・サウンドトラックのカラオケ音源だった。大橋のぞみがスタジオ録音に使い、全国1000万人の観客が劇場のタイトルロールを前に胸震わせて聞いたあのサントラ音源だったのである。上級生団員たちがあまり奔走するまでもなくステージ上手に集まってきてくれたたくさんの「ちいさなお友だち」が、そのCDの冒頭の4秒590msのイントロを聞いただけで弾かれたように歌いだした光景は今さらここで書き記すまでもない。誰の脳裏にも容易に描き得るだろう幸せなワンシーンなのだった。ナマ・ピアノやナマ・キーボードの演奏で子どもたちが歌うことは、決して悪いことだとは思わないし、大切なことだとも思う。だが、目前で歌う子どもたちを見下ろしつつ心底ホッとした安堵の表情をたたえて歌うアルトの上級生団員らのユニフォームの肩が一番大切なことを言っていたのである。「うれしいなぁ!ありがとう!僕たちは伴奏が何で鳴っていてもいいんだ。僕らの仕事は聞いてくれている人たちを幸せな気持ちにしてあげることだから。」

 現在でもときたま不都合の出ることがあるが、かつてフレーベル少年合唱団の六義園コンサートはCDの音飛びやハウリングなど、PA機器類のマシントラブルのオンパレードだった。初期の頃の団員たちは、こういうハプニングがあると、ただならぬ躊躇をためてから演奏自体を放棄してしまうことがあった。指揮者が何か指示なり対応なりを示してくれるのを待っていたのである。だが、現在の団員は既にこうしたハプニングの中で六義園デビューをはたしてきた老練の少年たちだ。伴奏が落ちれば平然とアカペラで歌ってボーイソプラノの素材そのものの声を見せつけてくれるし、CDが音飛びすれば、注意深くそのパターンを聞いてなんとか合わせてみようと試みる。前述の通り、マイクホルダを下向きにしてハウリングを避けようとする団員たちもいれば、マイクのリモートスイッチを疑ってみるような上級生もいる。現在のフレーベル少年合唱団は、オーディオ関係以外にも、およそ考えうる限りの様々なハプニングの洗礼をしだれ桜の前で受けながら今日ここに立っている。2008年の今、先生方が棒を振らず、5年生の男の子に指揮をさせて1曲を聞かせきるほどに団員が成長したのはこのためだ。六義園で起きた信じられない程多くのトラブルが、彼らをこのように頼もしく育てあげたのはもはや疑いようもない。コンサートの最中、自らもパートの中心として歌っているのに、客上げやハプニング等、一人でも多くの手が必要になれば誰からの指示が無くても隣の団員の肩をぽんぽんと叩いて目配せし「おい、行くぞ!」「よし!やろう!」とばかり隊列を飛び出て行く少年たちの姿は見ていても常に颯爽として頼もしく清々しい。そして隣で歌う3年生団員がその数秒間の一部始終を傍視しつつ未来への記憶にとどめる。フレーベル少年合唱団の最も美しい瞬間が、またここにも見られるのである。


プログラムに関する若干の分析
 毎月のコンサートには簡潔なタイトルがつき、次に副題としてのテーマが掲げられる。2009年2月のタイトルは「早春のコンサート」でテーマは「和を楽しむ」だった。また、場合によってその下にプログラム・コンセプトの紹介が添えられることもある。今回は「日本の歌を中心に」。これらは毎回、オープニングMCでアナウンスされる。だが、2月14日15日の実際の構成は、ハンドベル>「雪の降るまちを」>OpMC>「早春賦」>MC>「おてもやん」「会津磐梯山」「ソーラン節」>MC>「どこかで春が」「春よ来い」「うれしいひなまつり」>MC>「宝島」「勇気りんりん」「アンパンマンマーチ」>EdMC>「春よ来い」>アンコールMC>「崖の上のャjョ」>ボウとなっている。確かに日本製の曲ばかりだが、一般的に考えられている「日本の歌」直球路線のプログラムにしていない。特に「宝島」から後半とアンコールが、テレビと映画のアニメ音楽のラインナップになっている点が目を引く。
 Op>本編>Ed+アンコールの大きな三部構成。これが六義園コンサートの誠意ある基本構造だ。今回の本編は団員MCをはさんでそれぞれテーマを持たされた3曲ごとのユニットからなっている。最初が「日本の民謡」で次が「春の童謡」。最後が「アニソン」。典型的な3-3-3構成だが、そこにはフレーベルならではの縦糸がさりげなく織り込まれている。「日本の民謡」の3曲はいずれも昨秋の定期演奏会でも歌われたもので、とくに最後の「ソーラン節」はNET系列の『題名のない音楽会』でオンエアされたものの改良バージョン。このコーナーは「僕らの活動報告」といった趣向で裏打ちされているのである。そこでは「僕たちの歌ったコマーシャル・ソングです!」というような真正面からのアプローチになることもあれば、今回のように、全体のテーマに沿ったものをさりげなく配して済ます場合もある。プログラムの中央に位置する次のコーナーには、メインテーマ通りの曲が並ぶ。最後のコーナーはややひねりの利いた選曲。こうした部分ではフレーベル少年合唱団のテーマソングとも言うべきアンパンマンの番組挿入歌や「リサイクルレンジャーの唄」「星のうわさ」などの彼らの所属がらみの作品がちりばめられている場合が多い。

 前述の通り、1回のマチネに動員される少年は6名。2日間でのべ12名がマイクの前に立っている。今回のコンサートでは、珍しいことにソロやアンサンブル入りの演奏が供されなかった。また、団員による指揮も行なわれなかった。学校行事の影響をモロに被る秋口や、風邪の流行や中学受験など不確定要素の増える年明けの2ヶ月間などは、演目のためにソリストを確保しておきたい男の子の合唱団にとって頭の痛い時期にあたる。しかも、演奏会が必ず週末の2日間(たいていが連続の土日曜日に設定されている)にあたるため、春の運動会にはじまり、夏は学校の林間学校、秋は学潔?竄サの他の文化・体育行事、早春の式典行事、さらには学校公開や模擬テスト、私立の学校に通っている子どもの土曜授業など、年間を通じキャスティングのやりくりや見通しは決して良いものとは言えない。最悪なことに小学生の男の子の健康自己管理能力の水準といったら限りなくゼロに等しいものと相場は決まっている。どこの少年合唱団でもごく当たり前に見られることは開演ギリギリに楽屋へ駆け込んでくる団員。鼻水、嘔吐、瀉痢、失禁に鼻血など出血のオールスターキャスト。こうしたぐずぐずな水モノ状況をおしてソロや演出の少年を捻出する先生方はさぞや大変なことだろうと同情の念を禁じえない。
 現在のフレーベルでは団体戦の重唱は比較的聞かれるが、厳密な意味でのソロは非常に少ない。2日間のコンサートで日曜日にのみ独唱がプログラムに上がるということもある。演奏会全隊のチームカラーは、出演しているソロ団員のメンバーで日によって微妙に異なる。市販されているCDで言うと、今回の初日は「ゲゲゲの鬼太郎」サウンドトラックの声質、2日目は「きかんしゃトーマスのテーマ」のセリフ部分や、「リサイクルレンジャーの唄」の3番のカンレンジャーのアンサンブル(「トーマス…」と「リサイクル…」の曲全体の色を決定づけているのはセリフ担当とソリストの声なのである)に声質が似ている。


観客は六義園コンサートをどう聴いているか
 合唱団は六義園でもまた、終演に列ごとのボウ(&スクレイプ)を見せる。フレーベル少年合唱団の音楽が六義園で観客にどう聴かれているのか、この場面を見るにつけ思い知らされることがある。挨拶の開始は、冷静な目を持った横列ごとのコール担当の号令で始まる。
「気をつけッ!」
男の子が少年合唱団員らしいきりりとした通りの良い声で一言叫ぶと、…何と団員たちといっしょにお客様が姿勢を正すのである。背筋を伸ばし少年たちと相対するのである。私は、この美しい一瞬を目前で幾度と無く目撃し、ただ中に身を置いて来た。お客様は漫然とそこに腰を下ろし、また立っていたのではなく、どうも心の中で「少年たちといっしょに歌っていた」ようなのだった!合唱団がなぜ六義園で「客上げ」の企画にこだわり、誰もが知っている曲の中にオリジナリティーのあるナンバーを苦心して織り込もうと努めるのか。毎回、数多くの観客たちが見ず知らずの少年らの姿をなぜ我がことのように熱心に写真に収め続けるのか。そしてフレーベル少年合唱団の少年たちがどうしてこんなにも人々から愛され可愛がられているのか。六義園コンサートの30分間は観客にとって「私も合唱団とともにここに歌った小さな思い出の時間」なのである。

 少年合唱団のコンサートの観客にとって、途中入団の少年のステージデビューの目撃者になれるということもまた最高の役得の一つだと思う。六義園のコンサートは、少しずつ繰り入れられる中途採用団員たちのために繁くステージデビューのシーンを提供してくれている。しかも、それは豆粒のようにしか見えない大ホールの遥か遠方の舞台ではなく、幸運な事に観客や新入団員保護者の至近で展開されているのである。今回、少年たちの終演の挨拶は直立のボウではなく、簡易の「ボウ&スクレイプ」だった。見慣れぬその団員が未だとってつけたようなかぶりかたの紺ベレーの頭を垂れてサッと彼の右脚を伸べたとき、春風のように温暖で爽やかな感動が私の固くなりかけた側頭をそよがせたのだった。

 あまたの物語を持つボウの後も野外イベントらしい撤収が彼らには待ち構えている。挨拶の列がハケるとまず担当団員は白手袋着用の上ハンドベルの回収があり、その後は先生方が先頭に立ち、現在はアルト側の上級生が列を牽引しフレーベル館へ帰投する。ここではどの保護者にも我が息子の「バックステージ」を観察する絶好のチャンスが与えられている。ショッピングセンターのイベントや劇場出演の終演後には決して見ることのできない「一仕事終えた後の様々な想いをたたえた」愛息たちの表情を脇からそっと読む事が出来る。日本中のボーイソプラノ合唱団でも極めて稀な全保護者向け月毎デラックス特典なのである。


六義園コンサートとは、いったい何だったのか
 最後に、フレーベル少年合唱団の六義園コンサートとは、いったい何であり続けてきたのかを考えてみたい。毎年のフレーベル少年合唱団の定期演奏会の客席には同じ在京のボーイソプラノの合唱団であるTFM少年合唱団の団員の姿を見かけることがある。彼らにとって水曜日の定演の開場時刻がちょうど訓練日の帰りにあたるらしく、保護者のピックアップを待って来場するのに良いタイミングなのだろうと思う。私は定演潜入中(?)のFMの団員たちをこれまでに4~5人は目撃したことがある。そういう彼らをつかまえて、どういうつもりで聴きに来たのかを尋ねると、全く他意の感じられないくったくの無い表情で「楽しみに来ました」と言われたりする。さすがFMの団員たちだけあって、実に的を得た発言だと思う。彼らは音楽技術やステージコンセプトを探りに来たのではなく、心から「ステージを、歌を、演奏を楽しみに来た」と言っている。フレーベル少年合唱団が演奏会で一番大切にしていること、観客が聴き取らねばならないことを、ライバル合唱団の彼らは良く判って聞いているのである。

 タマゴと砂糖とバターと薄力粉が手に入ったら、必ずマドレーヌを作らなくてはいけないとは、誰も思わないだろう。また、嵩リの野菜を下茹でするか、油通しするか、固いもの以外は何も下ごしらえしておかないかは調理人に任せるべきだし、戒律の定めにより「嵩リ」自体が食べられないという人も日本にはおよそ7万人いる。フレーベル少年合唱団の六義園コンサートは「変声前の男の子」という素材をどう料理して見せるか聴かせるかという意味では、私たちの楽しい「食」に酷似している。もしこの愛らしい小さなひとときを外見で区別するとしたら、それは調理が設備万全のワークトップ・キッチンで行われるか日本庭園に面した簡素なギャレーで行われるかでしかない。六義園コンサートをめぐって行われるだろう頻々な批判が有るとすれば、それは前もって味に結論を用意するかどうかだけのことだ。ドンツユ入りの小麦麺を北はホウトウから南は沖縄そばまで食べてみて、どれも全部「おいしかった!」と大喜びするか、「薄色で甘くないダシに柔らかい麺を入れ、稲荷鮨を添えたもの以外は『うどん』とは呼べない」と大人げなく言い張るのかの違いだけである。このように、かつての定期演奏会がそうであったように、「何がどう調理されて出てくるのかわからない」「季節ごと、日ごと、状況に応じていろいろやってみる」のヌーベル・キュイジーヌな楽しみこそがフレーベル少年合唱団の六義園コンサートの醍醐味として浮かび上がってくる。

 初代指揮者である磯部俶が、1959年から60年に著した合唱団の極めて初期のレコードのライナーノーツにフレーベル少年合唱団をして「いろいろとやってみる」と書いているのを読んだことがある。
「きちんとした理論とメトードを確立した上で、計画通り粛々と運営を進める、演奏を展開する」とは書かれていない。この一文には、毎週末、遊びたいのを我慢して頑張って歌いに来ている少年たちや、それを楽しげにとり巻く大人たちの等身大の姿が見え隠れする。その人たちが思いきり少年合唱を楽しめるように「いろいろとやってみるのだ」と磯部は書いているのである。私たちは六義園に集う団員たちの姿を見るにつけ、初代指導者の想いは現在のフレーベル少年合唱団にも驚くほど不変のまま引き継がれていることに気づく。「ぼくらのため、聞いてくれる人のため」、彼らは今日も「いろいろとやってみる」気概を大切にしだれ桜の前へ隊列を作っている。