フレーベル少年合唱団の2009年クリスマス

2010-01-07 21:33:00 | コンサート
フレーベルウインターコンサート
平成21年12月19日(土)・20日(日) 13時~13時30分 
無料 六義園(東京都文京区本駒込)

ほか

ジングルベル
 2009年11月6日金曜日、午後5時1分。東京都葛飾区錦糸町。この日の東京の日没は16時41分だった。突然暮れ落ちた駅前北口の一帯に突如イルミネーションが灯り、ボードウォークになった野外ステージの上に団員たちがコトコトと列を作って並ぶ。フレーベル少年合唱団のクリスマスシーズンが始まる。掲げられたサインボードの標記は未だ「2009Christmasイルミネーション点灯式」だった。彼らはクリスマスのために用意してきたレパートリー4曲を歌った。「サンタが町にやってくる」「赤鼻のトナカイ」「きよしこの夜」「ジングルベル」。MC抜きのトータルタイミングは7分半で、カラオケ伴奏のため、尺も曲順もフィックスしている。「ハレルヤ・コーラス」も「うれしいたのしいクリスマス」も「わらの中の七面鳥」も「ツリーをかこんで」も、かつてのフレーベルを想起させる曲群はここには見られない。歌い終えるとソプラノのアンコール君がバウの号令をかけ早々に店じまい。2時間のステージを定演でこなす彼らにとってこれは一瞬の出来事だったにちがいない。だが、月をまたいだ途端、彼らの週末はクリスマス関連の出演一色に塗りつぶされることになる。レギュラーの野外演奏会の他にアンテナショップ等フレーベル館の会社関連のコンサート、マチネ・ソワレの両方を抱えるバレエのステージ演奏が3回…。多忙な彼らへ舞台上で先生方から即断即決の指示がとび、少年たちはニコリとそれに応える。

 「ジングルベル」が歌われると合唱団の今年のクリスマスナンバーは聞き納めということになる。もっそりしたマントケープの裾を一瞬ふわりと躍らせて拳をあげ、「ヘイッ!」「ヘイッ!」と呼号を挿み少年らは歌い上げてゆく。長いアッチェレランドの末、彼ら自身も最早どこに楽譜の終止線が引かれているのか混迷するほどに曲が加速すると、ひときわ張った最後の声で「ヘーイ!」と呼ばわり、ひとときは終わる。曲数の少ないクリスマスナンバーにピリオドを打つため設置されたこの曲と演出は実に良く計算されていると思う。
 通常の30分1本のプログラムでは、この4曲の前に短尺の「雪」(雪やこんこ)と「お正月」が導入セクションとして配され、クリスマスの曲の後は「歌えバンバン」と「おもちゃのチャチャチャ」の2曲がイメージを壊さぬよう注意深く並べられている。次に「北風小僧の寒太郎」「リサイクルレンジャーの唄」と磁界がぐっと合唱団のテーマカラー寄りにはたらき、結局「勇気りんりん」と「アンパンマン・マーチ」を客上げで歌ってから「線路は続くよどこまでも」をアンコールに聞かせる。最後まで聞くと、演奏会が通常の「フレーベル少年合唱団コンサート」の12月バージョンという位置づけであったことが判明する。昭和の頃、年末商戦まっただ中の日本橋三越本店の中央ホール…天女像階段にビッチリと並んだフレーベルの少年たちがクリスマスソングを毎年のように何曲も何曲も繰り出していた[*1]のに比べると、今の合唱団が実に手堅い、身の丈に合った演奏会の持ち方をしていることがわかる。「勇気りんりん」のMCで「会場にいるお友だちには、僕たちからのクリスマスプレゼントとして、アンパンマンのシールをさしあげます。」と「元気がでました」君が述べていたり、「線路は続くよどこまでも」のアンコール前MCにプチ鉄ヲタ君自身が楽屋落ちチックに起用されたりという、コンサート・リピーターの聴衆にも十分楽しめる演出がたくさん仕鰍ッられていることでもそれは明らかだ。

 秋は存外終わりを迎えず、今年は11月いっぱい、彼らはまだ紺ベストに赤ボウの軽快なスタイルで歌っていた。宵の風吹く点灯式でもイートンにマフラーだけは巻いて季節感を醸してみせたが、さすがにマントケープは仕舞われたままだった。半ズボンから出た少年らの脚が秋口のオレンジ色のライトに照らし出され颯爽として見えた。

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*1
これはほんの一例でしかないが、1983年12月25日12時30分からのライブでは「きよしこのよる」「諸人こぞりて」「神の御子は今宵しも」「荒野の果てに」「もみの木」「ジングルベル」と「ハレルヤ・コーラス」(!)が歌われた。(「ハレルヤ…」以外は現在も堅持されているTFM少年合唱団のクリスマスシーズンの部分オーダーと殆ど同じであることに驚かされる。)その日動員されたのは小学3年生から中学1年までの団員がおよそ50名。当時の三越のライブは15分間が標準だった。


きよしこの夜
 12月の六義園コンサートの2日目にはソロ入りのスペシャル演目を聞く事ができる。昨年のアルト・ソロ(厳密には「アルト団員によるソロ」)はアングリカン・チャーチの聖堂で聞くトレブルというレベルの充実した出来映えだった。枝垂桜前広場に集まった人々が寒さを忘れ、その歌声に吸引されるがごとく耳を傾けるさまを私は昨日のことのように思い出す。だが隊列に彼の姿は既に無く、今年は4人のアンサンブルがその役割を担った。曲目は「きよしこのよる」。フレーベル版の「きよし…」は冒頭ワンコーラス目が英語で歌われる。合唱団は今年そこに選抜メンバーを配した。担当はソプラノのアリヴェデルチ・ローマ君とカルメン君。アルト側はスーパー・ナレーター君と「元気が出ました」君。まさにフレーベル2009年組イチオシの贅沢なカルテットの到来と言える。(TFM少年合唱団のクリスマスシリーズも、「きよしこのよる」ではソプラノ声部の歴代トップソリストがソロをつとめるという慣例がしばらく続き、聴衆をうならせている。)今回のフレーベルの重唱は無駄を排しスッキリしたソプラノに対し、キャラクター・マックスのアルトが素材そのものの獅ンを押し出して乗り、かなり「通」好みの味に仕上がっていた。
 合唱団が六義園でこのゴキゲンなアンサンブルをたった1回だけしか打たなかった事情はよく分からない。だが、少なくとも2009年六義園クリスマスにこの4人の団員がステージ上で揃ったのは、20日(日曜日)の1度きりだった。前日のプログラムでは、そもそもメインになる上級生団員の出席が鈍く、「2010年春からのフレーベル少年合唱団のカードは、こんな感じになる?!」といった間引かれた印象の隊列が目を引いた。合唱団はこの冬もチームの顔ぶれが全く一定しなかったのである。メインキャストの顔ぶれを不安定にする首都圏の少年合唱団にありがちな諸般の事情については、以前にも述べた(今年は新型インフルエンザがらみの事情もあった)。また、団員が私学のミッション系小学校に通学する場合も少なくない都内の男子合唱団では、クリスマスコンサートの日程が学校のクリスマス行事とバッティングする危険性もあり、メンバー確保はさらに困難を極める。

 微妙な状況で成立した貴重なソロがふるまわれ、曲が合唱に運ばれると状況は変わってくる。歌詞は日本語に置き換わり、あらゆる意味でギアチェンジが行われる。と、その旋律を我がものと引き取って歌っているのは合唱団前列に控えた2年生ぐらいの団員たちなのである。昨年のクリスマスでも、最前列に立つ小さな彼らの顔ぶれはほぼ同じだった。両手で数えれば足りる数名が抜け、そのわずかな間隙を数名が埋めている。最前列の基本構成は不易といえた。ここでは2009年現在のフレーベル少年合唱団の編成が明らかになっている。1年を経て、隊列の後ろからは入れ替わり立ち代わり成長した団員たちが散逸している。だが、小さくて優秀な最前列の子どもらは 有能な後輩を少しだけ受け入れ、ャWションをキープしたままだ。フレーベル少年合唱団の隊列は今、後列からじわじわと痩せているのである。隊列が痩せているのに合唱がやせ細らないのは、消去法で見て前の列で頑張っている1~3年生の子らの様々な力量のおかげとしか思えない。彼らの歌い姿を真剣に眺めてみたらいい。全く無駄の無い発声を保てる子。アルト側には冷静な目で合唱の運びを見ている子や、低声でありながら身体を微小にローリングさせている子(彼はときどき欠伸しているように見えてしまうのだが実はハートで下の旋律を歌っているのだ!すばらしい!)、指揮者のメッセージの一切を汲み尽くす子らが常駐している。ソプラノ側最前にいる諸君の歌い姿からは「フレーベル合唱団のコアは僕たち」という頼もしい自負が見え隠れし、この歳で既にベロシティの自重に意識の殆どを傾けて歌う子さえいる。毎回の出演で必ず定位置に居て歌ってくれているのは、あのフレーベル・カルメン君。低学年セレクト隊の歌のクオリティーを象徴するかのような立ち姿が実に頼もしい。

「きよしこのよる」の2番が持つ穏当なロングトーンやボリュームの制御、少年らしい声のデザインは、あきらかに小学2~3年生の団員によってつけられた厚みだ。だが、客席の私たちは聖夜を謳うこのクリスマスナンバーの最もきらびやな部分にすっかり目を奪われてしまっている。幸せそうにそれだけを眺めている。サンタクロースはそもそも人目につかぬよう、そっとクリスマスプレゼントを配ってまわるものなのである。


サンタが街にやってくる
 舞台の上と下、指揮者の前と後ろ、聞かせている人々の気持ちと聞いている人々の気持ち…同じ演目に対する両者の思惑が一致するときに素晴らしい音楽が生まれると私たちは思う。だが、興行が子どもの合唱で男の子の場合、一概にそうは言い括れない場面に遭遇するときもある。フレーベル少年合唱団がクリスマス・シリーズのコンサートで比較的冒頭近くに歌うことの多い『サンタが街にやってくる』がその格好の例だ。
 この曲の伴奏カラオケには、おそよ40秒間にも及ぶ長尺のディキシーバンド調の前奏が施されている。当然のことながら、プレリュードのその長さは聞いている私たちの待機の限界をわずかに超えているし、歌っている団員たちにも冗長な待ち受けを強いている。そこで、合唱団はこの部分の団員たちに演技上のジャズ・バンドの吹きマネを求めていた。「エア・ジャズバンド」というわけである。これが今流行の「エア・ギター」や「エア・コンダクター」あたりだったら全くノリノリで多分サマになっていたはずなのだが、少年たちは果たせるかな大テレなのである。4~5年生のお兄ちゃんたちは「これもお仕事」という自覚があって、ハニカミつつ消え入りそうになりながらエア・トロンボーンあたりを担当している。もう、1年生ぐらいの団員たちでさえ、照れ笑いしながら「せんせい、ぼく、こんなの恥ずかしいよぉ…」「これ、やっぱりやらなきゃダメ?」と指揮者へと懇願するがごとく目で訴えている。
 結局こういうことがさんざんあってから、団員らの思いに根負けしたらしく合唱団は今年、この演出をきれいさっぱり止めてしまった。イルミネーション点灯式では、身体を左右に振るだけの仕立てで、クリスマス本番では、ソプラノのカッコいい系の団員くん2名がドーナツ鈴を振ってみせるという穏当な趣向や、最後に全員そろって「メリー・クリスマース!」と叫んでくれるというサプライズでも魅せている。クリスマスの匂いが実に良く感じられる演出で全くソツが無い。お客様も満足して聞いているように見える。
 「おっかない顔して歌っている、どこにでもいそうな男の子たちばっかりなのに何でこんなにカワイイんでしょう?フレーベル少年合唱団って?」…聞きはじめて何年にもならない頃の私はすぐさまそれに気づき、当時、合唱団を担当なさっていた様々な方々に尋ねた。「…男の子しかいないからじゃないですか?」…皆が首を傾げながら言った。だが、私は日本にある他の合唱団のステージも知っている。「男の子しかいないから、カワイイ」ということは決して無いのである。判然としないのだが、フレーベル少年合唱団の人懐っこい、ホッとするようなカワイらしさがどこからもたらされるものなのか、私の疑問はもう何十年も全く解けないままでいる。昨年までの子どもたちが、『サンタが街にやってくる』のイントロで羞恥に首の付け根まで真っ赤にしながらサービスしてくれていたあの姿が、かわいく愛らしく思い出される。

♪あなたから…メ~リ、クリスマぁース!
♪わたしから…メ~リ、クリスマぁース!
彼らがこの歌を歌う度、今でもちょっぴり過剰な抑揚で叫んでくれるシュプレッヒシュティンメの部分が、あのエア・ジャズバンドの演技とセットで仕鰍ッられていたことを私は思い起こし、とても幸せな気分にひたれるのである。


ユニフォーム解説
 日本中の少年合唱団のクリスマス向けステージ・ユニフォームはイロイロあれど、やっぱりフレーベルらしいオリジナリティーを楽しめるのがこれ!ズボンのコーデに残っていることから知られるように、レンガ色ブレザーをクリスマス・ステージに使っていた年もあった。(正式にはこのマント・スタイルはクリスマス専用のものではなく、通常12月から2月にかけての野外ステージで着用される)
 絵のマフラーはシャーベットグリーンのメロン色。この他にスミレ色のものがあり、隣同士の団員が同じ色にならないよう交互に配される。団員の交替で日によって若干隊列が異なるため、2日続きのコンサートでも、同じ団員が同じ色のマフラーを巻いているとは限らない。スミレ色の方がやや寒色系で可憐なふっくらした印象。メロン色は暖色系になり明るく甘いクリーミーな立ち姿になる。オキニの団員さんが、その日どちらのマフをしてどんなイメージで登場してくれるのかを楽しみにするのも一興。
 絵の中の団員の体側の部分にツレが出ているのは、彼が中からケープをつまんでいるからだ。この服には基本的にスリーブが無く、こうしておかないと、ジングルベル等の拳をあげる動作や最後のバウで速やかに手を出すことができないため。全員がやっているのではなく、こういうプリペアを経験で知っている高学年のお兄さんたちに多く見られる仕草とも言える。腕が挙がると中に着ているものが見えてしまうので、かなり悪条件の出演で無いかぎり個人持ちの防寒着を中に着込むことはまれ。ワイシャツにイートンの正装がマントの下にきちんと身繕いされている。
 マントケープの着付けはブランケットの角が正面に来るよう施されるが、低学年の団員クンが裾を引きずりそうになりながら歌っている姿はとても可愛らしい。また、特に背の低い団員には腰丈で軽く動きやすいもの(2007年まで着用されていたマントケープの使い回し。当時の合唱団には長パンツのアイテムが無かったので、半ズボンに合わせるためマント丈が短めに設定されていた)が支給されるようだ。現在のパンツは前述の通り側章入りが基本だが、A組ベースの団員にはイートン用のややカジュアルなパンツが宛がわれる(4~5年前よく見られた半ズボン+白ハイソのチョイスは2009年現在、まず無いと言ってよい)。昨年あたりから黒モカシン[*2]とズボンの裾の間に覗くソックスが墨色に変更されたため、トータルで垢抜けた大人っぽい印象になった。

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*2
意外と話題にのぼらないのが、団員たち着用の靴。…本来は合唱団のユニフォームで「個性」を出せるものといったら髪型と靴ぐらいしかない。だが、シューズの趨勢が「コイン・ローファー」と呼ばれるモカシンタイプになっているのが現在のフレーベル少年合唱団の際立った特徴だ。一見してごく稀にカジュアル系のスリッャ唐嘯ュ子やマジックテープの子もいるようなのだが「ビットの無い黒モカシン」というのが基本線。他の少年合唱団には見られないハッキリした傾向と言える。よく見ると、お兄さん団員たちはきちんと申し合わせたようにビーフロール付きのコイン・ローファーを履き、上級生らしさを印象づけている。


リサイクルレンジャーの唄
 冬、彼らがマントケープを身にまとい「リサイクルレンジャーの唄」を歌うとき、私は子どもらの様子を眺めつつ心から穏やかな気分にひたることができる。年明けて3月になれば再び合唱団のユニフォームからマントがとれる。その頃にはまたステージの子どもたちに闘いの日々がやってくる。

 「リサイクルレンジャーの唄」は2006年の秋口に合唱団による一般公開が始まった。翌年2007年の10月に合唱団の吹き込んだCDと楽譜が図書資料の付録というかたちで発売される。合唱団はすでに3年間超のロングスパンでコンサートの度に必ずこの曲を歌ってきている。12月のステージに並んだ団員の中には、すでに演奏回数100回に迫る勢いで「リサイクル…」を歌ってきたツワモノたちがいるに違いない。
 典型的な「チャンチャカ演歌」だ。脇田先生のお付けになられたのだろう前奏の最後には「旅の夜風(愛染かつら)」や「誰か故郷を想はざる」と同じ懐メロのブリッジ・モチーフがばっちりハメ込まれている。「レンジャー」というのは、この場合、レスキューや森林保護官のことではなく、日曜朝にテレ朝でオンエアされているような子ども向け特撮テレビドラマのキャラクターの符丁を意味する。環境保育の切り口をいわゆる「戦隊もの」のキャラになぞらえて啓発するチャンチャカ演歌調の「エコ・ソング」というのが、乱暴に言って「リサイクルレンジャーの唄」の概要になる(何だかめちゃくちゃ!(笑))。楽譜等販売されているものの著作権標記は「作詞・作曲/ソルトマン」だが、JASRAC上のデータや合唱団の演奏会プログラムに書かれた作詞・作曲者は、塩田力という福岡県大野城市役所の職員さんだ。大野城市の公開している楽譜を見ると、曲は当初「戦隊ヒーローものテレビドラマのちょっぴりヒナびたテーマソング」というイメージを狙って作られたものであることがうかがえる。だが、おそらく出版のために譜面がフレーベル館へとまわり、少年合唱団が歌う事を前提にアレンジの手が加えられると、作品は少年の心の仄暗い部分を感じさせる、マイナーコードの(原調D-moll:ニ短調…いかにも、である)、どこか哀愁を帯びた表層をまとうことになったと思われる。これが現在、ステージで毎回歌われている「リサイクルレンジャーの唄」なのである。
 オリジナルの構成は5番まであり、各コーラスがペットボトル・リサイクルの「ペットレンジャー」、紙のゼロエミッション化を目論む「グリーンレンジャー」、空き缶リサイクルの「カンレンジャー」、4番が蛍光灯・乾電池等の重金属系のゴミ(「水銀0使用」が当たり前の現在、乾電池に有害物質が含まれているとは思われないが…)をリサイクルせよと主張する「安全ジャー」、そして5番がリサイクルの優等生であるガラスビンを歌った「ビンレンジャー」…。5番まであるのは、テレビの「戦隊もの」のメンバーが基本的に5色のスーツカラーでキャラクタライズされていることへのオマージュである。彼らが「くるくる回すぜ」などと歌っている歌詞の中、5番だけなぜか「クルクル回すわ」「生まれ変われるわ」「まぶしすぎるの」などと女性語になっているのは、戦隊チームに必ず一人だけ女性キャラが含まれるというテレビの約束事を忠実に踏襲してのことであろう。
 曲の中点にあたる3番になると、それまでの花も嵐も踏み越えて…の「チャンチャカ演歌」の伴奏が突然ひらりと装飾的でメランコリックなバラード調に転ずる。秀麗なコンバートの中、子どもらしい印象を残す2人の少年のソロがカットインしてくる。今聞いてもこの人選には、心から感服させられてしまう。当時の合唱団には、経験豊富で優秀な上級生団員がまだ何人も残っていた。声をかけさえすれば彼らは雑作無くレコーディングをこなしただろう。だが、ここではそれまでのソロに無かった、現在の少年たちの声に通じるテイストのボーイソプラノが起用されている。2009年度のチームのオリジンとも言える味を、このソロから感じ取ることができるのは嬉しい。センターに2人重ねて定位させたスタジオマイクは、怒りの余韻を引きずる少年たちのドラマチックな歌声を忠実に拾っている。「泣きのプチ・アルト」とも言えるペーソスたっぷりの彼らのソングトラックは、この曲が悲壮なヒーローたちの物語であり、我々がまさしく今その戦の佳境にいることを思い知らせてくれるのである。

 「リサイクルレンジャーの唄」のトータルタイミングはCDのもので205秒。…3分以内の曲が大勢をしめる日本の少年合唱団の録音の中では比較的長尺の部類(当日、「リサイクル…」とともに歌われた「北風小僧の寒太郎」のタイミングはわずか90秒間程度しかない)に入ると思われる。理由はよく分からないが、合唱団はこれをライブへと乗せるにあたってリストラし、ソロ入りの3番と内容的に疑問の残る4番をきれいさっぱりスキップしてカラオケ伴奏を作ってしまった。定演など、フレキシブルなピアノ伴奏のステージでもそれは変わらない。私は今でも秀逸な「泣きのアルト・ソロ」の入る3番が無くなってしまったのを残念に思っている。少年合唱団が3・4番と引き換えにライブ・ステージへあげてきたのは、後奏のオチで叫ぶ「ヤー!」の声に合わせた「ダメ出しメ[ズ」だった。お客様は毎回大喜びである。明らかにリピーターと思われる観客を含め、たくさんの大人たちが、この演出に声をあげ興じるさまは、いつどこのステージに行っても目撃することができる。最後の瞬間のタイミングに合わせカメラのシャッターを切ろうと待ち構えているお客さんもいるほどである。「リサイクルレンジャーの唄」は、今や「アンパンマンのマーチ」や「勇気りんりん」とともに、フレーベル少年合唱団の大切なテーマソングの一つになっているのである。

 「ダメ出しメ[ズ」の正確な所作は、「ヤー!」と叫ぶとともに自身の右脚を比較的大きく踏み出し、胸の前に両の手刀をバツ印に交差させて5秒間保持するというもの。バツの位置も以前はオデコのあたりだったが、現在は胸元に下りているため、サービスなのだろうか団員たちの顔がよく見えるようになった。
 例の前奏が鳴ってステージ上の団員たちが居住まいをただすとき、メ[ズに備えて2つの準備動作が行われる。一つは脚を踏み出して腕を前に振った背後の団員たちにぶつかられないよう、前列が前にズレて後ろに空間をつくること。(前の団員にズレてもらう段取りが刷り込まれているために後列の団員たちが、定演などの雛壇の立ち位置でステップを踏み外しそうになる場面を見る事がある。)もう一つは、迅速なメ[ジングのために最初から両手を体側に下ろしておく事である。だが、ステージ上には演奏が始まってからも周囲の団員へ「手を下ろせ」と目配せしている者や、肘や手で客席に分からないよう周囲の子をつついて注意を促したりしている団員たちの姿をよく見かける。フレーベル少年合唱団はもう50年近くも手を後ろに組んで歌ってきたのだから。経験の豊富な上級生の少年たちほど身体に染み付いているこの姿勢を何とかふりきって掌を下ろそうとする。見ていても実にいじらしいのである。「勇気りんりん」「おもちゃのチャチャチャ」など、他にも手を後ろに回さない演目はあるが、スイングやハンドクラップなど他の付随動作があるために自然と手がフリーになるよう工夫されている。
 かつて、この「リサイクル…」が舞台に乗りはじめた頃、団員たちの下ろした両手はバラバラで無秩序だった。グーを握っている子。指の間が開くほどパーにしている団員。OKマークや望遠鏡を指で作って下ろしている子。ソーラン節の演出よろしく両手を太腿の前に当てている子。半ズボンの裾を掴んでしまう子たち。指先がピンとのびて直立不動の東海林太郎の子ども版のような団員もいる。そして、あとはやっぱり手を後ろに組んだまま最後まで歌ってしまう子どもたち…。その後ご指導が入ったらしく、最近の隊列では、軽く握って脱力で下ろす正統派の姿勢が増えた。歌う時の姿勢だけではTFM少年合唱団と見分けがつかない場面もある。だが、2009年の今も、やはり彼らはこの「フレーベル少年合唱団らしくない」物腰と闘いながら「リサイクルレンジャー」を歌っている。もう何十ステージとこの歌を歌ってきた団員らが、毎回どうしても手を後ろに組んでしまう様子を見ていると、様々な局面でパラダイム転換を遂げ、素晴らしい変容を繰り広げてきた現在のフレーベル少年合唱団が、実はまだその難しいプロセスの途上にあることを思い知らされてしまうのである。彼らは未だ、変わりきれてはいないのである。

 地球温暖化の現在にあっても、さすがに12月ともなると野外ステージの衣装にはマントケープが付く。嵩のあるマントは子どもたちにとって決して軽快なアイテムではなく、最後の転調がかかってキーがes-mollに上がると上級生の団員たちは内側からドレープをたぐってラストのメ[ズに備えはじめる。最前列の小さなセレクトたちは、曲の終わる直前に慌ててそれをやろうとする。微笑ましい光景である。だが、いずれにせよ彼らが演奏中に両手を下ろしているか、後ろに組んでいるかは最後まで本人以外の誰にもわからない。けなげにも腐心しつつ歌う彼らに、忙中閑ありのひと息つける日々が訪れたのだ。
 私は彼らがマントケープを身にまとい「リサイクルレンジャーの唄」を歌うとき、心から穏やかな気分になれる。年明けて3月になれば合唱団のユニフォームからマントがとれる。フレーベル少年合唱団のあどけない少年たちに再び闘いの日々がやってくる。


北風小僧の寒太郎
 2009年現在のフレーベル少年合唱団では、厳密なクリスマスソングに類するレパートリーだけでは尺が持たないことは前述した。『北風小僧の寒太郎』が毎年12月に歌われるのはこのためだ。NHK「みんなのうた」出自のこのレパートリーは、歌そのものもそうだが、少年の叫ぶ「カンタロー!」の声が老若男女の聴衆を惹きつけてやまない。ぜひとも男の子の合唱団の声で聞いておきたい演目の代表格と言える。
 団の「寒太郎」のシュプレッヒコールは通常8名以下の団体戦で仕鰍ッられる。だが、合唱団は今年この慣例をいったん保留し、出席団員のメンバー構成を見て捻出したと思しきバリエーションに富むキャストを投入して見せた。昨年の「寒太郎」担当者の残留組を左右2×2で配した回もあった。六義園のクリスマス前最終のライブでは1番のコールを「元気が出ました」君が担当し、2番コールをアリヴェデルチ・ローマ君が叫び、コーダではオリジナルには無いトゥッティーの構成で全員が「カンタロー」と叫ぶといったようなドラマチックなサプライズまで用意した。

 昨年の布陣によるアルト側の配当は4名。3名は比較的活躍していた子どもたち。…だが、12月6日の駅前コンサートで合唱団は今年先ずその3名を休ませ、さらにソプラノ側のメンバーも全休して原隊に戻していた。「カンタロォー!」は今年、たった一人の声によるスタートとなったが、それはかつてどこかで聞いた声色に酷似していたのである…。

 1977年8月17日。ビクター少年合唱隊は青山のスタジオへと終日カンヅメ状態のままレコーディングに入っていた。曲は「北風小僧の寒太郎」。「カンタロー!」と叫んだのは、6年生メゾの久世基弘。当時、彼はフォークソング調の曲をソロで牽引するような隊員だった。人々はユーモラスな仕上がりを期待してプレイバックを聞いた。だが、予想に反し、録りあがった叫び声の招来したイメージは「少年の澄みわたったリリシズム」だった。このことは、その後の久世が変声までにこなす数々の仕事を見ると明らかになる。『ガラスの迷路』『過ぎ行く時と友だち』。…フランスの寄宿学校を舞台にした少年らの愛憎劇や、夜ごとにお前は彼女の窓辺に恋歌うたってる…という内容の曲群を彼は頼まれて歌って行く。VBCはその後、現在にいたるまで「寒太郎」のソロに、単独CD吹込経験を持つような実力のある隊員たちを数年ごと繰り返し投入しリバイバルをはかろうとする。だが、かつて久世の叫んだ「カンタロー!」を凌駕する少年はついに出ずじまいだった。

 フレーベル少年合唱団2009年のクリスマス…プログラムはすすみ、後半にさしかかると一連のクリスマスナンバーは途切れ、聞きなれた「北風小僧の寒太郎」の前奏が流れてくる。進み出てきたのはアルト団員が一人だけ。冒頭の4小節が歌われ、彼がマントケープの裾から掌をにじり出し口に当て叫んだ声は…
 それは実に衝撃的で忘れられない一瞬の出来事だった!寒風に吹き殴られる田舎の野良のあぜ道、ビル風吹きすさぶキラビヤカで消耗の激しい都会の底冷えの舗道…滲んだ埃っぽい涙が目じりを刺して…だが、その声がどこからかカツンと鋭くかすかに響いてくる!「カンタロー!」 …彼の声は、そういう声なのだった。飾りもシナも細工も無く、アルトのメインストリームに属さない声質。季節はまさに年の瀬の空の下、ただ情念の限りを尽し叫んだような一言を私たちは聞き、震撼させられることになる。それは今年最高の彼らからの「クリスマスプレゼント」と言えた。

 私たちの大好きな「フレーベル少年合唱団のアルト」を今年、実質的に底支えしているのは、MCに多用される人気者の団員たちではなく、実はこの寒太郎君をはじめとするカミ手側後列に控える頼もしい少年たちなのではないかと私は見ている。歌う訓練を受けた男子小学生なら誰でもできるという楽しいャWションではない。華々しい役回りも殆ど廻っては来ず、来たとしても「いや。僕はいいよ。」と他の子に譲ってしまったりもし(←これはステージに見る印象)、ごく一部のソプラノ団員から本番中に「そこ、間違ってるだろ?!」と叱責の視線が差し向けられることすらあり、ただひたすら目立ってはいけないアルトの旋律を真摯に支えている…。私はそんな苦労人の彼らを心から尊敬してやまないのである。だが、団員たちははたして自分の積み重ねてきたものの高さ重さに気づいているのだろうか?北風とともにどこからかやってきて、春になるとどこかへフッと行ってしまうひとりぼっちの男の子…彼らがそんな北風小僧の寒太郎にそっくりな団員人生をおくってきたことに、私はちょっぴりほろ苦いものを感じてしまうのである。