変えられないものを冷静に受けとめ、変えられることを勇気を持って変える

2016-05-11 22:25:00 | コンサート
フレーベル少年合唱団第55回定期演奏会
2015年10月28日(水) 文京シビックホール 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円


 初のLP「フレーベル少年合唱団--ぼくらの演奏会から」(キングレコードSKK(H)-284)の1972年の雑誌広告
 合唱団は結成から吹込の行われた1960年代後半までの5年ほどの間に大きな頼もしい変容を遂げた.70年代初頭のモノクロ・オフセット印刷のためユニフォームの詳細は見にくいが、手を後ろに組んだ独特の姿勢を見るだけで彼らがフレーベルの団員であることは一目瞭然


『みんなのうた』です。1曲目は、「おなかのへるうた」。歌は、フレーベル少年合唱団です!

 2015年10月4日午後4時25分。NHK第2放送にチューニングされた全国のラジオから、15秒間もあるコミカルな前奏に続けて腕白そうな少年たちの楽しい歌声が流れてきた。従来聞くことのできたキング版10インチ・バイナルLP『たのしい合唱:とっきゅうこだま』に収録されていた45秒間の録音とは全く異なるフルバージョン。2009年ごろからNHKが押し進めている「みんなのうた発掘プロジェクト」で視聴者の家庭内録音として「埋もれ」ていたオンエアテープを局が「発掘」し、デジタルリマスターしたものだ。大中恩の童謡を特徴付けるひなびたアコースティックの伴奏。トリオの部分では35秒間に及ぶ大円舞曲風で次第にほろ苦く味覚の変わるちょっぴりお茶目な運びが挿入された。合唱団の1-3期生の先輩方はフルレングスの歌詞を「なんちゃってソナタ形式」のように2度歌い、ややおすまし気味…でもヤンチャなテイストが正直に漏れ出た痛快な歌声を披露した。半世紀以上もオンエアされず日の目を見なかった53年ぶりのこの放送は「明らかに変わったが、フレーベル少年合唱団であることはしっかりと守りぬいてきた」合唱団の2015年を象徴し応援するような出来事だったと思える。

 変化は六義園レギュラーの秋のコンサートに並んだB組の隊列から既に顕著で明らかだった。昨年のB組とは明らかに大きく違う。1999年、abcホールのステージいっぱいに並んで炸裂したB組の再決起以来初めての大きな変化を2015年の合唱団は迎えた。「少年たち」と呼ぶには明らかに幼い未就学の子らが、居住まいはしめやかにご機嫌の表情で客席と正立し、可愛らしい声で定演当夜も歌った「ことりのうた」を聞かせる。ぶかぶかで板に付かないユニフォーム姿がまるで不釣り合いに見えるほど彼らの視線はしっかりと指揮を捉えていたし、全員がソロ予備軍と思える程すでに小さな「歌う人の姿」だった。一般の観衆にでさえ一目瞭然だったこのB組の変容は、楽屋に詰めた合唱団の関係者の間ではすでに瞭然たる事実であったに違いない。

 開演。入場。午後6時30分。ステージ下手(しもて)ドアをくぐり、下級生全隊を引き連れたワルトトイフェル君が山台を蹴ってスマートに入場してくる。この時点で、合唱団の変容とワルト君自身の素晴らしい変化は決定的なものになった!この年の4月2日、きゅりあん小ホール、チャリティーのリハーサルで見たワルト君は自分の腰丈ほどのS組アルトの下級生たち(このときの構成は現在のS組アルトのメンバーとは全く違っていた)の退場を「ほら、ほら…」と苦笑いしながら促す、既に退きかけた人の姿だった。前年の定演では豆ナレーター君と共に一世一代の重要なMCを言いよどんだり噛んだりしている。夏に仙台の演奏旅行で見せたキラキラとした歌い姿は見られなくなっていた。日本一のボーイアルトと呼ばれ、これでもう大切な仕事はおおかた成し終えたという安堵や慢心が、徒らに伸びはじめた彼の上背に見え隠れしていた。
 だが、記念すべき55回定演の開幕。ワルトトイフェル君の入場時の表情は、きりりと引き締まり、大人たち総ての聴衆の視線を全身全霊で受け止めるほど真摯なものに変化していた!合唱団最年長にまで昇りつめ「後は後輩たちに任せよう」という忽せな態度は彼のどこにも見当たらなかった。本定演以降、ワルトトイフェル君は殆どの演奏会で歌い続けている。もはや「下級生のお世話係」という印象を彼の姿から感じることは無い。たまたま周囲で歌っているのが自分より4学年ぐらい下の子たちというだけで、自分に課された歌をひたすら真剣に歌い続けているのだった。彼は再び少年合唱団員らしく弛まず変容しなおし、「日本一のボーイアルト」とはどう生きる人のことであるのかを私たちに教えている。かつての日々、A組B組の前列に立っていたずらっ子そうに怒鳴るが如く一人歌っていたあの男の子の姿をここに見ることは無い。人がどう学び続け、伸び続け、善に変わり続けるのかを今、私たちはワルト君の歌い姿に見る。

 登壇してくるS組上級生の子どもたちの全員…昨年の定演で油断を見せた豆ナレーター君も、終始不機嫌そうな印象だった新アンコール君も、見違えるように「歌う人」のひたむきで誠実な表情に変貌を遂げ客席を見据え立っている。昨年までニコニコとして家族の姿や友人の姿をタクトが上がってもなお客席に調べ続けたあの可愛いS組上級生たちの姿は殆どそこに見られなかった。彼らは指揮者の入場までの数十秒間を、あきらかに各自のメンタルリハーサルやイメージトレーニングの反芻のために費やしているように見える。また、かつて指揮者と顔見知りの客人のみを見ながら歌っていたこの合唱団は、この日どのクラスの隊列でも客席全体にときおり視線をずらし注意深く、またあるときは感覚として聴衆の様子や反応を把握しようとする団員が増えた。特にA組ではこの傾向が顕著。すばらしいことである。
 続いて、合唱団が永いこと堅持していた定演時の並び順と隊列の変化が明らかになった。フレーベル少年合唱団ではこれまで基本的にパートごと背の順の並びが隊列の鉄則で、あとは人間関係的にどうしても隣に置くべき(または、置けない)団員を抜き差しして整えるということが長く行われてきた。さらに、クラス単独の場合は2列横隊…クラス混合でSABが一度にステージへ乗る場合も合計3列横隊に留めるよう、クラスを横1列に並べて重ねることが慣行として行われてきた。これは1980年代後半から90年代にかけて団員激減の機をむかえていたとき、少ない団員数でもステージ上で見栄えがし、同時に当時の年齢構成がかなりいびつで背丈の低い団員の顔が極端に見えにくくなってしまうのを回避するための方策として行われていたルーチンの名残である。今回これをS組2列A組2列の4列横隊に改め、見栄え的にも響きとしても「かたまり」感のあるフォーメーションへと刷新。(※1)フレーベルS組にあたる「本科」団員数が2015年、偶然にもS組と互角であったFM少年合唱団がレギュラーステージの3列横隊に違和感を感じさせず歌ってきたことを考えると、今回の演奏会がいかに音楽へ寄り添いながら練り直された会であったかが分かる。SABの全隊について衣裳替えも一切無し(※2)。ワルトトイフェル君率いるアルトチームの後列全体があからさまに入繰りしているのは、彼や豆ナレーター君や新アンコール君たち上級生が修行中の下級生らに両側から寄り添い、「俺らがベストを尽くしておまえたちを守る」という歌を歌っているからだ。また、前列は美白男子君とスイッチヒッター君が、後列でも新アンコール君たちが2枚岩でメゾソプラノとの境界に立って頑張っているのは、この立ち位置が2部合唱3部合唱で正確なピッチを得るために大変重要なャWションにあたるため。今回のアルト陣容は彼ら一人一人の立場が目に見える形で的確に顕示されたものであり、同時に本年度アルトのアビリティの充実を表すものでもあった。

 こうして今年も繰り出されたオープニング団歌『ぼくらの歌』の冒頭でたちどころに久年のファンの目を射抜いたのは、前2列に山台の麓を成したA組団員たちが繰り広げる「35年前のフレーベル少年合唱団が団歌にかけたアタックと姿勢」をストレートに想起させる光景だった!あたかもイイノホールのステージで歌うマリンブルーのユニフォームの彼らがタイムスリップしてここへ流し込まれ実体化して在るように、小さい彼らの歌い姿はブレスも成長途上の腹式呼吸も指揮者を見据える目も日本語も口形も何もかも、あのかつてのフレーベル少年合唱団そのものだったのだ。後列に歌うS組の特に左翼の上級生たちは、後半、この後輩の歌いに作用されながら大人びて心なしか抗っていたかのようにも見える。低声のキャパにはヘッドルームが感じられた。「古きを守りつつ新しいものへ漸進する」役割を負ったS組と、「変化を我がものとし良き段階へ早々に到達しようとする」姿勢を貫くA組…という両クラスの性状が最初の一曲であきらかになった。このことからA組の最初の役儀は全うされ、およそ15秒間の俊敏なフットワークで12名の小学1-2年生がステージから撤収する。入れ替わるようにしてソプラノ・メンバー主体のS組団員が、オープニングMCのショーアップのため左右のスタンドマイクへスタンバイする。これまでステージ上に2つのことがらを同時進行させることへ躊躇しているようにも見えたこの合唱団の変化のひとつの現れである。MC冒頭の発声は、かつてB組のステージで両手をユニフォームの腰に擦りつけながら遅れて登場したあの団員くん。彼は今、メンバーの誰よりも先にナレーションの口火を切る信頼の上級生へと達したのだった。このほかPart1前半の曲目紹介は、いずれも大舞台でのステージ経験・MC経験を複数回持っている団員たちが担当しているが、メンバーを交替させながら「…そして」「…そして」とたたみかけてゆく台詞の展開がリズミカルで楽しく、彼らの声のキャラも味わえて素敵だった。

 全体のプログラム構成をS組について一言で記すと、インターミッションを挟んだ前半がフレーベル少年合唱団の古くからのレパートリーであるイタリア・ナンバー。フィナーレまでの後半が3・11以降を感じさせるNHK学コン課題曲を中心とした癒し系の児童合唱曲群。今年のフレーベルの傾向として、S組ソプラノ声部はピッチ・ホールドに呻吟しており、全隊は昨年度迄の合唱に顕著だった「ボリュームの凌駕」から、「響きへ耳と心を傾けた」ものにシフトし始めている。客席で聴いていても、昨年まで殆ど気にならなかった周囲の観客の咳ばらいやちょっとした物音が、今年はなぜか耳障りで不愉快に感じたほど、S組の歌声と耳と心はクリーンな「響き重視」の局面に向かい始めている。
 S組のスターティングナンバー「フニクリ・フニクラ」。フレーベルが定演をはじめとするレパートリーに繰り返し採り上げてきた作品。大過去のOBたちも、近過去のOBたちにとっても現役時代の思い出の曲の一つとして口ずさめるだけでなく、観客にとってもキャッチーで馴染み深いものになっているようだ。また、ライバル(?)TOKYO FM少年合唱団のかつての代表的なレパートリー…高低のソロ入り、嬌声入りのコケティッシュな編曲。この曲のカッコいいボーイソプラノ・ソロを歌う「おかあさんといっしょ」のひなたおさむおにいさんの小学生時代の姿にあこがれ続けたファンもいる。だが、2013年を境に、TFBCは長きにわたり慣れ親しんだこれら「ぼくらのレパートリー集」のナンバーを敢えて一つずつ丹念にプログラムの俎上へ引きずりあげ、かつての歌いを辞んで「新しいFM合唱団」を誇示するのに余念がない。ここ数年の、日本語で何を歌っているのかハッキリしないだけでなく、変わった色や癖のついた「おなじみのナンバー」は、一定年齢以上のOBたちや何十年もFM合唱団を応援し続けてきた多くの人々の楽しみと憧憬を拭い、さぞ意気消沈させていることだろう。一方でフレーベル少年合唱団が今回Part5の3曲めまでを頑張って注意深く従来のレパートリーに沿わせ「変えられないものを冷静に受けとめ、変えられることを勇気を持って変え、これらを区別する賢い」プログラム構成に徹してきたことが、この冒頭の一曲で既に明らかになっているのだ。合唱団がかつて立たされてきた多くの辛酸の窮地や難局の中でも見限ることなく長年応援し続けてきてくれた聴衆の心に寄り添った変化だけが採用されたようにも感じる。

 ユニゾンの部分ではオキニの団員一人一人の声を容易に聴きわけることが出来るだけでなく、出鼻から突然トップする声の統御、低声パートの少年たちのフィーチャー、エンディングのエールなど男の子の合唱ならではのウマ味を堪能できる。また、2拍子系(8分の6拍子)のリズムに乗って歌う彼らのカッコいい姿を思う存分鑑賞できるのも良い。曲は次の「サンタルチア」の三拍子(四分の三拍子)、続く「勝利の行進」の4分の4拍子というギミックを忍ばせ、一曲ごとに彼らがどう歌い分け、どう「歌い分けられない」のかを聴衆は嗅ぎ取ることができた。S組ソプラノは今、過去10年間の牽引役の先輩がたに比肩する団員が未定で産痛の段階にある。「登山電車」の左翼から聞こえるユニゾンの声はそれを物語るものだった。
 続く「サンタルチア」の引きずるほどテヌートな歌いあげは、彼らの日頃の研鑽を思わせるものだったし、「勝利の行進」はリズミカルな歌い方と見せかけてスラーのごとく高音が断続的にあまねく響くよう統御しながら合唱を展開している。また、当夜様々な場面で発表会の歌いぶりとして適切だったいくつかのテクニックの中、ここでは「合いの手」の本当な処理が聴かれる。また、かつてのような、ぼそぼそとした「力強い」強引な歌声は、少年たちのいたずらっ子そうな歌い姿だけを残していつの間になりを潜めた。彼らは少なくともエフェクト的には劇場内へ「響き重視の音」を戻そうとしているはずである。三点吊とスタンドマイクが2本。かつてのようなブームスタンドは置かれずMC時はワイヤレスのホルダを上下に振って高さを調整する方式に簡素化された。
Part1の最後は、何と言ってもカンツォーネでしょ…というわけで「帰れソレントへ」と「オ・ソレ・ミオ」が続けて歌われた。20名規模のソプラノに対して15名編成のアルトが少年らしい尖った声で「♪輝ける陽は差し来ぬ」と弱音で漕ぎ出すモジュレーションのかっこよさ。小さく開いた口唇から鳴る標準語のクリアさと自然さ。一生懸命つけているャ泣^メントはとても朴訥で可愛く、曲想をなんとか工面して表出しようとするその表情を眺めているだけで幸せになれる。彼らなりのテンメEルバートが繰り広げられているのもラブリーだ。少年たちが一生懸命歌えば歌うほどキュートな味が沁みだして甘い香りが立つ。10年近く前、定期演奏会などのライブパフォーマンスで「オ・ソレ・ミオ」といったイタリア歌曲を歌っていたのは、「先生方のステージ」のすぐる先生だった。合唱団の子どもたちは陶冶されていず、最上級のクラスの子らでさえユニゾンで歌い通した一時期があった。フレーベル少年合唱団は明らかに良い道筋を辿って変容し、今ここにある。
 この部分のMCは団員になってからの年限に負けず劣らず客席にちょこんと腰鰍ッて合唱団のお兄ちゃんたちの歌う様子を眺めていた年月の長かった印象の2名。ギミックの人選と言える。彼らはいつの間にパートエンドのナレーションを引き受けるような団員に成長したのである。そういうわけで、このPart1は「あっという間」の至福のひとときで、実際の演唱時間も15分弱のやや短尺の設定だった。ああ、S組ステージも終わっちゃった…と私たちが力抜けするのも束の間、続くB組オンステージの冒頭に驚くべき衝撃の幕開けが用意されていたのである!

 Part2冒頭、引っ込んでいったはずのS組の少年たちのうち選ばれし子らがB組団員13名を客席側に引き連れシモ手ステージドアから再度姿をあらわす。フレーベル少年合唱団ではB組流し込みのシーンによく見られる「エスコート」入場。だが、今年は客席の人々の心を完膚なきまでになぎ唐キほど上級生たちは可愛かった!S組団員の中から、未就学児の手を引かせて可愛く見える団員だけが注意深く選びとられ、整列順までがおそらく計算しつくされ並べ替えられ、入退場へと的確に充てられている。むろん、連れる彼らは真剣そのもの。小さい子どもたちの肩に掌をあて定位置に立たせ、前を向かせ、中には緊張の姿を見かねて言葉をかけてやったり、「しゃべっては駄目だよ」と身振りで制したりしているお兄さん団員の姿もある。これには完全に激萌え。メロメロ。観客の母性本能突きまくりである。狡猾と言いたくなるほど良くできたこのさり気ない演出は日本中の他の少年合唱団の本科隊団員では蓋し実現不可能に違いない私たちへのスペシャルプレゼントだった。一年生の男の子の歌と見せかけて、実は「キミ!キミ!教室、覚えたかい?」と、その手を引く上級生の少年達の汲めども尽きぬ麗しい心を描く「一ねんせいくんおとうとくん」はフレーベル少年合唱団初代指揮者磯部俶の代表曲の一つである。21世紀の今も桜の頃、全国の小学校の教室や体育館で歌われるこの作品の世界をpart2のS組団員たちの姿に重ね合わせて見ることができたように思う。

 外見は未就学児。B組の団員たちが横一列にステージやや前方へ置き残され、一見B組らしく客席に手を振ったり無邪気におしゃべりしたりして指揮者の右手の上がるのを待つ。だが、前述の通り彼らのたち戻るところは、目立ったメンバーの入れ替えも無く、昨年の大騒ぎのB組ステージが嘘だったかのような端然とした目付きだった。少なくとも彼らは「自分たちが一体何をするためにステージに呼ばれてきたのか」を把握し、「何を聞かせ、何を見せるべきであるのか」を理解し、応じようとしていることが見て取れた。フレーベル少年合唱団の定期演奏会に於けるB組のフィーチャーは長いこと、A組ステージの後半の数曲をシェアするかたちで催されてきた。幼稚園年少の男の子から(2015年現在の募集では年中さんから)所属するスターター・クラスの演唱としては実によく仕上がった演奏を聴かせていたのだが、位置付けは所詮「A組のオマケ」に過ぎず、フレーベル定演の持つ「活動報告会」としてのスタンスを活かし難いというきらいがあった。55回目の定期演奏会でAB組のステージ設定が「下位クラス」のコーナーとしてではなく、それぞれのメルクマールの設定と到達度の公開といったシラバス的なものに大きく変化したことがわかる。1曲目の「ことりのうた」で団員たちはユニゾンだが緩行のぴょんこ節をキープしつつ、なだらかで高めのピッチの山型旋律を3回たどってゆき、「♪ピチクリピ」と優しい声でさえずって終わる。最後の音は、冒頭の小節で一度登った本曲の最高音である。小学生のような頭声はまだ出ないが、彼らがそれを目指して練習をつんでいることは容易に聞き取れた。また、「♪ぴぴぴぴぴ、ちちちちち」の連桁八分音符が小さな団員たちの身体をスタッカートの唱法へ誘引していることなど、選曲が注意深くおこなわれているように感じた。しかも、「ろばの会」と同時期の1952年の童謡をとりあげている。ピアノ伴奏にモダニズム的なイメージを感じるのはこのため。当夜は全てのクラスのイントロMCが統一的にアバンの位置に置かれているので、B組でも1曲歌ってから「ぼくたちはB組です」のナレーションが入る。2人組のショーアップで行われたこの最初の短いMCは低い声で未就学児のイメージを覆すほど素っ気なく無愛嬌だったために客席からはストレートな笑い声がもれた。だが、本年度のB組団員たちの正立する姿を見る限り、これは彼らの偽らざる気持ちの表れだったようにも思えてくる。

 続いての演奏は鍵盤ハーモニカを導入に配したベートーベンの「歓びの歌」。移動式のフォールディングテーブル4台に楽器を並べ、これをステハン4名の手を借りてステージ前方へ流し込み、少年たちは楽器をセッティング位置へ平置したまま卓奏パイプを使って立奏するというフォーマットを採用している。驚くべきことは、最初の一音から美しく揃った息の流量と呼気温度で安定していたこと。一方で「男の子」っぽいスピードで息を送っているため幼少年らしい茶目っ気もキープしている。また、片手(卓奏パイプを用いた鍵盤ハーモニカの奏法では、パイプのマウスピースを左手で軽く握って吹くスタイルが教育楽器としては標準で、右手だけで打鍵することは不自然なこととは言えない)だが一本指ではなく、どの子もきちんとした運指で演奏していたこと。このステージには「自由保育」の片鱗も、「小1プロブレム」のかすかな予兆も見られない。曲はpfのブリッジを挟んで、パイプを放ち、ドレミとラララのボカリーズに持ち込まれる。「幼稚園児に階名唱や固定ドは時期尚早で無意味だろう?」というのは最早過去の物語。この年齢の子どもたちにこそドレミで歌う機会を惜しみなく与え、楽しませ、我がものとさせることの大切さは今更ここで述べることではないだろう。フレーベル少年合唱団は未就学の少年団員たちにこのような教育プログラムを用意して施し、確実に身につけさせているということを顕示する説得力のあるアナウンスとデモンストレーションの場になっていた。事実、彼ら未就学児の歌声の少なくとも半分はしっかりとしたピッチホールド(音程)で展開する。歌は少年たちの第九メーキングのようにボカリーズへと持ち込まれ、やがてトゥッティ的に収斂され大団円をみる。

 音楽監督は休憩後のステージMCの中でB組の演奏楽器を不用意に「ピアニカ」と言いかけ「鍵盤ハーモニカ」と訂正していた。保育図書の会社の主催する演奏会である。客席には幼保や小学1・2年担任などの教育・保育の現場で子どもたちに日々接している者が多少なりとも詰めている。遠目に見ても楽器の材質や色、パイプのジョイントの形状などからこれが、材質も重量もお値段も若干お高めなSUZUKIのソプラノ・メロディオン32鍵であることが分かる。このチョイスはさすが保育教材を扱う会社の少年合唱団なのだ。面白かったのは、少年たちのその歌口にどうやら団員名のシール(テプラ?)が貼られ、衛生上、混用を回避しているらしいのだが、唾液に触れずに済むジョイント部分ではなく、消えやすく剥がれやすく貼りにくい唄口にわざわざ貼られていたこと。未就学の男の子たちに自分の楽器を正しくピックアップさせるだけのことにも細やかな配慮の存在することが分かる。だが、小さい彼らは文京シビックの1800席規模プロセニアム可働の大舞台の上で、セッティングされた鍵盤ハーモニカの吹き口の氏名が整列順と齟齬していることを簡単に見分け、本番中、冷静に自分たちの立ち位置の方を楽器に合わせ入れ替えて演奏してしまう。その恐るべき泰然自若ぶりは、彼らの小さな脳ニューロンで働くドーパミン・トランスメ[ターの統御を強く感じさせた。おそらく、このことにより、退場時に再登壇する先ほどのS組エスコートのメンバーは、入場時と異なるパートナーが突然目の前に現れて狼狽し、動揺から撤収に混乱をきたした。ここがまたS組お兄さん団員たちの振る舞いの天然チックな可愛らしさをたっぷり堪能できた場面。お客様は、もはや撃沈である。わずか10分間ほどのB組ステージが無味乾燥な音楽教育実践報告の場だけで終わってしまわないよう、ファジーな要素がからみやすい可塑的な計画が組まれているのである。
 S組団員たちより緊張しているB組の少年たちの顔色が後半非常に明るかったのは、鍵盤ハーモニカの置き台に鰍ッられた白いテーブルクロスのおかげ。白い布は目隠しではなく、レフ板の代わりをはたして、表面積が狭い小さな子どもたちの顔を生気に満ちて大きく堂々と輝かせていた。

 日常生活を送っていても、小学2年生の男の子の頼もしさに計らずも惚れ惚れとさせられてしまうことがある。「僕はもう1年生じゃないんだ。」と彼ら自身も確信を持って思い、しかし誰も声にすること無くやがて「一人前の小学生」(?!)になってゆく。続くパート3のA組ステージで私が惚れ惚れとさせられたのはこの2年生然とした少年たちの歌のトータルな頼もしさと小1プロブレムど真ん中の「A組少年と呼ばれて」なおの1年生軍団のステージ上には見えにくいはじけぶりだった。合唱団のファンを30年以上もやっていると、舞台に出てきた子どもたちの着付けの状態やベレーから漏れる鬢と前髪やブレスの上がり方で彼らの楽屋やステージしも手袖での様子を何となく窺い知ることができたりするようになるのである。

低学年主体。だが、入退場はS組に比して非常に見栄えが良く、颯爽としていて気持ちが良い。特に後半のステージに見られた上手(かみて)側からの隊列の流し込みは秀逸。この手の訓練をみっちり受けているFMの予科生の入場と見まごうばかり。前方を見据え思い切りよく少年らしいストライドでバミ位置へと迅速に進み出てスタンバイを終える(退場時も同様!)。また、A組のMCスタッフは昨年度定演とほぼ同じメンバーで場馴れ手慣れの心地よさ。アルト最右翼のMCたちの頼もしさ!アルト・エッジから点対称移動組のソプラノ君は一昨年のB組時代のナレーションの態度が極めて好印象だったためか昨年度に続けて今定演でも演出MCとして登用されている。少年らしい上気を感じさせつつ2階席に視線を結び、客席の反応を冷静に見て言葉を発する沈着さと聡明さに私たちは舌を巻いた。よどみないセリフの見切りの良さと一曲目の前奏を背中で聞く身のこなしがその存在を印象付けている。
 だが、団歌を歌って引けた後、再びこのPart3へ姿を見せたA組諸君のユニフォームの緩み方や汗だくの面差しを見る限り、「この子たちって、楽屋や舞台袖でいったい何をして過ごしているの?」と首をかしげずにはいられない。オープニングではそこそこキマっていたフレーベル少年合唱団らしいベレーのかぶり方は、S組の演唱の最中に舞台裏で何があったのか?(笑)、再登場の際、殆どの団員がブッ飛んで乱れており、客席の視線を釘付けにした。彼らの相手をしてきた楽屋・誘導のスタッフが目を回し舞台綱元にへたり込んでいる様子が目に浮かぶ。

 実態的にもルックス的にもフレーベル史上、近年稀に見るヤンチャさ。昨年までの「S組予備隊」という性格を強く帯びたA組(とくにA組後列については)とはテイストが全く異なっている。パート冒頭のMCでも「今年のA組のメンバーは1年生と2年生です」と明言する。これはエクスキューズの意味合いから出た言葉ではないはずだが、演奏が始まったとたん「小学1-2年の男の子だけで、このクオリティの合唱が…いや、そもそも『合唱』と呼べるものがかくのごとく容易に出現しうるものなのだろうか?」と思わされてしまう。秘訣の一つはおそらく上記の通りの大嵐のようなはじけぶり。少年らはステージに上がった途端、楽屋や舞台袖で思いっきり発散していたであろう邪悪な(笑)パワーと破壊的なエネルギーと熱に浮かされたような衝動(!)とを全て無駄なく頼もしく適度に統御された合唱へとコンバートしてしまったように思える。もう一つは、入場場面の美しさに見られるような体格や成長過程の均質さという、指導上のメリット。かつてフレーベルのA組(プレーンA組)には、セレクトに漏れた…例えば高学年でも新入団員という子から、出来の良い年中さんでさすがにB組のまま原級留置できないという団員まで、広い年齢層の少年たちが雑居状態で隊列を作り一つの歌を仕上げていた。入卒団の垣根が低くメンバー構成の殆ど安定しないセレクト・チームへの団員補填のためプレーンA組は毎年虫食い状態で団員が交替し、いわゆる「ワンクッション」のような様相を呈していた時期もあったように見える。だが、時は流れ、おそらく「毎年15人の新入団員を採り、彼らを変声の歳まで揃って歌わせ、卒団させる」という新しい団員募集ルーチンが数年を経てようやく軌道に乗った最初の年に、このA組が成立したものと考えたい。
 さて、こうしたA組ステージの最大の白眉は「選曲の妙」だと思う。1曲めの「夢の宇宙船」で、少年たちお得意の声域から明るい音色で歌い始め、シミュラーなリズムを繰り返しながら航宙路線上のトラブル回避に合わせ新たな歌の戦術を繰り出して対処。最後にフレーベル少年っぽい完全な頭声によってクライマックスを囀らせる。私が「1-2年生の男の子だけで、こんなことが出来るのだろうか?」と驚愕させられたマジックの仕鰍ッは、案外このような適切かつ丁寧な選曲が功を奏していると言えるのかもしれない。少なくともこの低学年軍団の半数は既に正しいピッチで頭声発声をものにし、S組上進を待っている子どもたちということになる。聞いていて爽快で気持ちの良い歌を歌える6-7歳の男の子が20人以上も目の前に並んでいるなんて!
 2曲目には打って変わってマイナースケールのウェットなワルツというミッション。この子らの喉の実力が軽快でアップテンモネスペースシップ・シャンツだけでなく、しっとりとした作品でも楽しめるということ(習練を重ねているということ)が示される。男の子の合唱のコンサートではチョイスしにくいカラーのナンバーだが、トリオの冒頭から起きる鰍ッ合いやコーダに響いているアルトの中にいる鈍い響きが幼さの中でちょっとカッコよくて渋い。
 続く「歌よひびけ」になると、この「鰍ッ合い」のスキルがリバースしながら展開され、観客にとってはお目当ての子の声がよりクリアに捕獲できるという趣向になっている。伴奏の裏打ちやベース音のランニングを頼りにリズムと拍をとらざるをえない彼らとっては「合唱ピアノ」を聴くという大切な訓練の場になっていたように思う。実際バックビートで微かにリズムをとって歌っていた団員が何人か見受けられた。この子たちも、間違いなく1年生や2年生なのである。(ただ、本曲にはちょっとムフフなギミックがあって、アルトが先行で歌い、ソプラノ君たちがさりげなくそれを追唱していたりする…!)

 そして、Part3とA組の顔見世と前半の部のフィナーレを飾る選曲の決定打は昭和56年(1981年)第48回NHK全国音楽コンクール小学校の部の課題曲「未知という名の船に乗り」。この曲を歌って小学生時代を終えた当時全国1200校以上にのぼる参加校の卒業生は現在既に40歳代半ばをむかえている。それ以降に生まれ、学校の合唱コンクールや音楽集会などで「未知という名の船に乗り」を歌った経験のある人々は、当夜、文京シビック大ホールの客席の少なくとも半数を保護者・学級担任などの立場で占めていたに違いない。だからこそ「小学校低学年に『未知という名の船に乗り』なんか歌えるの?!」のセンセーショナル!「私たちが高学年で歌ってさんざん苦労した、あの曲を1年生男子が歌うわけ?」の驚き!ソプラノのMCボーイ君は念押しとばかり「難しかったのでたくさん練習しました。」と触れている。うぅ、カッコかわいくてズルすぎる!彼らは35年ほど前に彼らの大先輩がたや客席の人々が学校で難儀しながら歌ったこの作品のオリジナル通りの前奏に担われて、楽譜通りのユニゾンで歌い出すのである。1-2年生らしい駆け始め。フレーベルらしい頭声。21(17)小節以後をPart3に通底した「鰍ッ合い」「ジャンプ」「アルトパートのリード」といった覚えたての(?)手法を駆使して合唱に仕上げる。2番冒頭の「ホホー」の合いの手(全音符二つ弱の長さのロングトーンをアルトパートだけでキープする)などの割愛は一切無く、伴奏を含め全てフルバージョンでピッチ以外の誤謬無く最後の合唱スキャットまでを歌いきった。今世紀に入ってから、卒園式などの場を中心に、幼保の保育現場では年長さんへかなり難易度の高い合唱曲などを歌わせることがトレンドになってきている。保育図書のレジェンドである株式会社フレーベル館を代表する少年合唱団が、こうした動向へ真摯に対応しているとは考えられないだろうか。

 団長挨拶は今年もインターミッションの前に行われている。飯田団長の就任が合唱団の革新の契機になっていることは疑いもない嬉しい事実。OB会との和合を感じさせるPart4のOBステージへの現役チームの共演。海外公演を射程に入れた練習継続などの話題が情報としてもたらされた。ただ、海外公演に関しては2016年度の開始時点ではまだ具体的計画は明らかにされていない。また、「日本の誇りとなるような少年合唱団に育てていきたい」との祈念は自らを戒める謙遜の言葉と受け取った。フレーベル少年合唱団は只今も紛うことなき「日本の誇り」と私は判じて疑わない。

 Part4はOB会合唱団による男声合唱のためのメドレー『四季の風景』のダイジェスト版演奏。この組曲は、懐かしい唱歌を中心に10曲をピアノ伴奏、Solo入りの男声四部でメドレー化したもの。題名にもあるように、梅雨明けの頃から始まって春の訪れで終わる四季巡りの曲集だ。全10曲をつなげて演奏すれば15分間ほど。しかし、今回のOB合唱のように配当時間内へ収まるようナンバーをピックアップしても、単独で採り上げて歌っても良いという編曲になっている。客席は実際、一曲ごとに拍手をしていた。ここまでを読まれてピンと来られた方…、前年の仙台公演まで現役チームがレパートリーにしていた源田俊一郎編曲の混声・女声・男声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」の後継企画的合唱曲集。もともと「わかば」で始まる組曲だがOB会は間の4曲を飛ばしSoli込みの「緑のそよ風」で歌い終えている。つまり、OB会のこの演目は、現役の少年たちのへの明らかなオマージュになっていたのだ!曲の途中でこれに気がついて聴いていくと、なるほど歳を経てすっかり上品な歌を歌うようになられたOB軍団の歌声が、その現役時代の初々しいイメージを湛えて流れているように思えてくる。メドレー向けの歌を6曲というチョイスは驚くほどの刹那のあっという間の出来事だ。だが、Part4のOBステージのトータルタイムは20分間。次のPart5のアンコール部分を別立てに見做せば55回定演の全ステージPart中、このOBステージの長さがダントツの時間だったということになる。これが一体何を意味しているのか、当夜客席に在って終演までを聞き終えた人々にとり明々白々だった筈である。

 登場してきたのは「新任」の音楽監督。歌い終わって進み出てきたのはOB会長。2人は邂逅のごとくステージしも手コンサート・グランドの前に立ち、おそらく定められたシナリオに従って合同演奏「遥かな友に」へと至るインタビューをすすめる。出色なのは、そうした構成台本の存在を感じさせない自然な話の流れ。音楽監督が、OB会長の回顧を聞きながらフレーベル少年合唱団とOB合唱団のレーゾンデートルを知るという運びになっている。初めてこの合唱団の定期演奏会を聴きにやってきた観客たちに寄り添うような良心的なスクリプト。こうして私たちはフレーベルのありかを再び思う。
 かくして、OB諸氏の隊列の前に、現役S組セレクトの12名が静かに進み入る。ソプラノ、アルト各6名の秀逸なコンフィギュレーション。「選ばれし者たちということにしておきましょうか」とのナレーションがかかる。一瞬ニコリとする団員もいるのだが、彼らはたちどころにひたむきな表情、あの面差しへ。メンタルリハーサル。入場直前までステージ袖で声を合わせ練習を繰り返していたかのごとく、頭蓋の中で曲を幾度も反芻しているように見える。日本人の少年合唱団員がステージに見せる最も秀麗な心惹かれる表情がそこに。演奏が始まると、少年らのこの表情に「細心の注意で客席に響く自らと自分たちと合唱全体のトーンを聞き取り差配し歌い進めようとする」者の清冽な面体が混じってくる。「この瞬間が、第55回定演の隠れた天辺なのかもしれない」と私たちは気付き、震撼しはじめる。会場入り口で渡されたアンケートの「本公演で良かった曲目は何ですか」の質問に迷わず「遥かな友に」と書きこんだ人は少なくなかったろう。

 ネット上を浚うと「フレーベル少年合唱団はなぜ『遥かな友に』をレコーディングしないのか」というリクエストを目にすることがある。引き合いに出されているのはVBCが1976年のLP「ビューティフル・サンデー 天使のハーモニー(3)」で収録したオーケストラ伴奏の録音。ソロの入ったカスケードふうのストリングスをベースに、ハープのグリサンドやウィンドチャイムなどを多用したシーショア・セレナーデっぽい、ちょっと?なインスト。ベツモノの感もある印象に仕上がっている。「遥かな友に」の作られた津久井(「遥かな友に誕生の地」や「遥かな友に歌碑」の石碑が存在する)に合唱交歓のため演奏旅行で毎年通っていたのは晩期のVBCだが、彼らのその録音の白眉は丁寧にボイトレを受けたアルト声部が潜在的に鳴り続ける高安定性というところにあった。VBCの作品と今回の演奏の間には制作を誘起させるようなインタラクションがあるようには思えない。
 フレーベル少年合唱団はこれまでもOB合唱団と声を合わせる経験をしてきている。毎回の定演のアンコール演目で。S組に関しては例えば50回定演のフィナーレでヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」を「先輩方も歌った演目」との位置付けで四部合唱したりしている。今回の「遥かな友に」がこれらの演奏と明らかに違っていたのは、「せっかくの機会だからOBの皆さんも現役たちと歌いませんか?」といったオマケ的なオプションではなく、OB合唱団が現役チームをしっかりと引き寄せて歌い終えたこと。合唱団の側がおそらくそれを仕鰍ッたこと。演唱中の団員の目つきは「僕らは先輩方と最後の一秒まで一生懸命練習してここにいる」とどの子も言っていたし、14名の先輩方の前に1列で並んだ少年の立ち姿は、「タキシードをまとったOBらの数十年前のひたむきな姿」を1対1対応で目前に並べるという素晴らしい表象だった。右から4番目で一本気に歌う小さな(彼はこの隊列の中で背丈も団員歴も一番新しかった)はに丸くんの歌は、S組セレクトの中で一番頼もしく凛々しかった。なぜなら、このステージの彼は、もはやOB隊右から4番目に歌うOB会長の50年前の明らかな心像だったから。
 本曲が作られた時の物語は比較的良く知られている。書かれたのは合宿所の薪小屋。時間は目をぱっちり開いた大学生たちが寝床の上で悶々(笑)としている夜更け。ピアノも譜面台もタクトも無いムサ苦しい場所であろう。この初演(?)を歌った早稲田グリーの学生達は下着同然の寝間着姿だったはずである。本定演での演奏は、この場面のみ指揮を音楽監督・pfを合唱団側の吉田先生にスイッチさせていて、当企画のハンドリングの詳細を窺い知ることができるのだが、合唱団での合宿練習経験を一切持たない現役組の少年たちがその「スマート野郎の子守歌」のイメージを壊すことなく、秘めたものを小出しにしながら3拍子の存在を感じさせないほどロングトーンで静謐に歌ってくれたのがぞくぞくするほど嬉しかった。最後に男声陣が良識をもって声を潜め、少年たちのフェルマータ付きの付点四分音符が文京シビックの2秒超の残響の中へ夜の帳のごとく消えゆくのを耳にした私たちは拍手することを忘れるほど悩殺されたのである。

 続くPart5は「故郷」に始まり「ふるさと」で終わる最終ステージ。指揮者は総出演で2曲ずつを分担した。登場するのはS組セレクト。かつて「A組セレクト」という名前で呼ばれていた現在のS組本隊。A組とこれらの初等組み合わせ論的チーム配列。B組は登場しない。
 B組が終演のステージに姿を見せなかったのは、おそらく今世紀になって初めての10年ぶり以上前のことと記憶する。年齢層の一番低いB組の楽屋待機時間が最も長時間に及ぶ昨年までの香盤を改め、先入れ可能なこのクラスをパート2で歌いきらせ、インターミッション中にバラす。入れ替わりに楽屋入りの一番遅くなるOB組を同じタイミングで現役S組セレクトに合流させたという穏当で常識的なスケージューリングに改められたのだ。さらに1-2年生で体力的にはほぼ限界のA組をPart5前半にフィーチャーしてから一旦休ませ、最後の力でアンコールを歌わせた。全体で30分間前後のクドさの感じられないあっさりとした印象のステージに仕上がっている。ここ迄のタイミングを見ても明らかなように、今回の定期演奏会は時間設定をはじめとして実に緻密に構成が練り上げられているのが分かる。アンコールでさえ、きっちり10分間で閉幕までを運んでいた。
 その奥義と言えるのか定かではないのだが、当夜の後半の部には団員のMCが終演の号令まで一切入らない。マイクのハンドルは音楽監督だけで、曲目解説等は全て刷新されたプログラムの文面に一任されている。

 合唱団は今年、1984年の第24回定期演奏会以来30年間も堅持し続けてきたB4版中折カード片面単色刷りのプログラムをゲリラ的に更新し、全ページ・フルカラーA4中綴じ8頁のデラックスな小冊子に差し替えた。トッパン・グループの一翼を担い、日本人であれば老若男女、すべての世代の人がいづれか手にしたことのある絵本を作り続けてきた会社がデザインしたパンフレットである。シンプルでソツなく、読みやすく楽しい。来場者全員に手渡されるプログラムの内容は、担当する先生方やOB会長の筆による各パートの懇切丁寧で気持ちの良い解説が4頁。続いて音楽監督のご挨拶と先生方、OB合唱団のプロフィールが読める。驚くべきなのは8頁目にあたる裏表紙の内容。仙台公演のプログラムを評して「こんなに鮮明でカッコいいビジュアルが作れるのならば55回目定演プログラムの端っこを飾ってくれていて良さそうなものを」と私はここに書いた。(??!)その演奏旅行の舞台スナップと54回定演のステージ写真が、合唱団の紹介文の下へ鮮明に刷り込まれている。仙台のものはアンパンマンこどもミュージアム&モール1階広場でアンパンマンテラス側から撮影されたもの。つまり、アルト側から撮影されたもの。(背後には場内パトロール中のアンパンマンとカレーぱんまんが写り込んでいる)。定演の写真はタキシードで歌うアメージング君から右側のS組のもの。どちらもS組アルトがメインの写真…もしや、「フレーベルのアルトにはイケメン&美声の子しか配属されない」というウワサは真実?!サプライズはそれだけではない。続いて掲載されている団員名簿はこちらも10年ぶりに入団順、クラス別の構成へ回帰。かつてはこれにパート別のカテゴライズが加味されていたが、2004年の定演プログラムで割り付け位置にミスがあったため、翌年からパートが表示されなくなった。当時、会場に来ていたTOKYO FMのアルト団員さんから開演前、プログラムを指して「フレーベル少年合唱団は、アルトがソプラノとメゾの間で歌っているの?」と真剣に尋ねられ閉口した思い出がある。
 サプライズに溢れた55回定演のプログラム冊子だが、最後に掲載されていた「おしらせ」に度肝を抜かれた。次回定期演奏会は8月24日!夏休みの終わりから2番目の水曜日。おそらく合唱団創設以来初めての夏休み中の定期演奏会。この設定の意図は、もはや明白。現在のスケジュールでは団員の当日集合が平日、学校が引けてからの夕方になることから現役チームの十分なゲネプロの時間が割けないためだ。一時期日曜祝日のマチネで定演を打っていたフレーベルが「当時のあのくらいの時間的余裕が欲しい」と思ったのもうなづけるというもの。さらに夏休み中ということもあって前日まで散発的にプローヴェを組むことも可能。今年度、入退場や演唱中の客席状況目視、響きの把握など新しい戦果をものにし、今後はさらに出はけを含めたMCのスマートさや段取の迅速・確実さなどを課題として抱える彼らが1秒でも長いリハーサル時間を望んでいるのは確然たる事実なのである。
 今回のプログラム冊子には「やなせたかしのうた」のCDの広報と、F館1階を新装して開いたフレーベルこどもプラザの両面カラー広告と定演アンケートと団員募集のびらが挟まれていた。事前に配布された55回定演のフライヤー(ちらし)は例年通りプログラムのデザインを流用したもので、団員募集の要項も兼ねていたが、そこに記されていない一文が正式な「団員募集」には存在した!「決められた練習日に必ず出席できること。」…応募条件筆頭へ加筆されていたのである。かつて「存亡の機」にもさらされたフレーベル少年合唱団にとって団員の所属は長いこと「席を置いててくれさえすれば歌えるときに来てくれたらいいよ」程度の立場の弱いものだったように感じる。彼らには「中学生になるまで、頑張って毎回の練習・出演に、他を置いてでも出席する」というメルクマールが希薄で、現在のOB合唱団がほぼそれ以前の在団員だけで構成されていることを見ても明らか。だが、今年の定演に肩を並べたS組の少年たちの引き締まった表情からは「練習をして、何としてでも定演の舞台に立たなければ」という意識改革が見て取れる。私はこの応募チラシの「応募条件」の加筆がフレーベル少年合唱団捲土重来の鍵になっているように思われた。

 Part5の冒頭、コールド・オープンのごとく唐突に、先ほどシモ手袖へ下りたばかりのS組セレクト12名がそのまま再入場してくる。隊列の構成は全く変わらない。スイッチヒッターくんがアルトからソプラノへ。OBステージへの彼らの出演が、このオープニングのもってこいの流用だったことが判明する。今回の登場では、ソプラノ4名、メゾ4名、アルト4名を感じさせるイメージの隊列に見える。違っていたのは各高パート中間位置の2人の団員が1本ずつトーンチャイムを携えていたこと。マレット(ヘッド)の形状(色)の違いから、これが最低音に近い旧モデルの2本の拡張用トーンチャイムであることがわかる。ピアニストの登壇は無く、指揮者の両手が振れるとともに、2人の団員は魔笛の符牒のごとく楽器を両手で3回振り下ろす(片手で振っていないのは、これが拡張用の最大級のトーンチャイムの標準奏法だからだ。この演奏法は正しいのである)。アルミニウムとは思えない深いフューチュリスモな響きが低くステージ全体の音場に紛れ込む。だが、「音出し」と思われた楽器の使用は、2番以降4小節ごと(楽譜で言うと1段ごと)のオルゲルプンクトとして使われる。曲は「故郷」。少年たちは細心の注意でチャイムを振り、セレクトたちは全神経を集中してこの音をマーカーにアカペラで歌い置いて行く。12人という人数に助けられ、団員たち一人一人の声質がクリアに聞き取れる。一人一人の表情を堪能できる。かつての一時期、フレーベル少年合唱団は団員総数がこの人数と違わぬほどに減少した。切なく佗しいかつての団員たち、関係者たちの思いがこの隊列の背後にひっそりと分からぬ程に紛れ、ペーソスに満ちた涼しいボーイソプラノの響きの中で微かに微笑みながら鳴っていた。忘れがたきふるさと…と、彼らは歌っている。リピートを回し、トーンチャイムの持続低音を聞きながら歌い終える。

 Part5には8つの曲が並んでいる。全て集合論的な帰属・包含関係を持って選ばれている。例えば冒頭の4曲はかつてフレーベルの定期演奏会で歌われた作品が選ばれている。うち2曲はやなせたかしの詞によるもの。2-3曲目と5曲目以降は番組テーマなどのNHK放送楽曲。5-6・8曲目はNHK学校音楽コンクールの課題曲。「手のひらを太陽に」はNHKみんなのうたの放送作品でやなせたかし作詞によるものだ。62年2月の初回放送で録音を担当したのはVBC(ビクター少年合唱隊が結成披露のプロモーション用ソノシートを配布し始めたのが1962年の4月なので、おそらくクレジットは「ビクター児童合唱団」の誤記であると思われる。発見された放送用音源を聞く限り、当時のVBCの歌声であるようには聞こえない)だが、「手のひらを太陽に」の50周年記念CDの童声を録音しているのはフレーベル少年合唱団だった。今回はおそらく準備のため退場したS組セレクトの後を追ってA組単隊がカミ手ステージドアからのイレギュラーな入場。繰り返すようだが、私はこの1-2年生男子チームの全てが小学校低学年男子にあるまじき頼もしさに満ちていると思う。お世辞にも出来上がっているとは言えない身体を押して出来る限りの頭声を運び、歌い納めの穂先を揃えようと頑張ってくれている。私は2015年度のこのA組のチームは「成功」だと思っている。
 彼ら単独の演奏はこの1曲だけで、続く「Believe」からS組が背後に入場し、あの4列横隊の夢のような隊列イメージが再現される。フレーベルでは、ャsュラーな富澤裕セレクションではなく橋本詳路編曲版を使い、限りなく番組オリジナルに近い演奏(テンモセけは、最近やや速めにしているようだ)を再現。ワルトトイフェルくん・豆ナレーターくん率いる低声部がつとめて自然に存在感を発揮した。全隊の少年っぽいステキな日本語は言い淀みも無くきわめてクリアで、手話による歌詞の説明ももったいぶったMCも一切不要の明快な演奏だった。
 続く木下牧子『愛する歌』の「地球の仲間」は、フレーベル初演時の歌に比べA組のフレキシビリティーをうまく使い、上級生たちがその上からブラーをかけるようにてん補。S組アルト前列の子たちが大活躍して良い声質で低声を押さえているため、全体にべちゃべちゃ感の無いヌケの良い合唱になった。
 だが、A組の快進撃もここまで。学コン課題曲で彼らにとっての新譜にあたる平成27年度第82回全国学校音楽コンクール〔小学校の部〕課題曲「地球をつつむ歌声」でA組アルトたちは窮地に立たされる。おそらく声量の底上げを狙って投入された(?)彼らも「未知という名の船に乗り」から30年…21世紀15年目の課題曲は小学1-2年生がそこそこに歌えるほど容易なものではなかったようだ。音取りが明らかに未完成なのは、特にアルト声部の旋律が音高・リズムともソプラノのアーティキュレーションとは別に書かれ錯綜していて取りづらいため。さらに、走りながらパンチパスで後方の味方へボールを送る(敵にボールを奪われたり、気づかれたりしないように)行く旋律(歌詞)の「バックパス」が冒頭から登場。全体の調性がト長調⇔変ロ長調の繰り返しで移ろっていたり、ドシン!ドシン!と、四分の三拍子があたかもダイダラボッチの行進のように1小節1拍でラストスパートをかけたり…と、小さな彼らを困らせるファクターは数え上げればきりがない。この曲には、ペンデレンツキの合唱曲のように、エキセントリックな音を空間に放つためのクレバスのような休符が各所に口を開けている(最初のものは歌い始めの2小節目)。彼らはこれらを活かしきっていず、結局、音取りのできていないボーイソプラノがペンデレンツキ合唱曲ばりのトーン・クラスターチックに響くのを私たちは聞くことになる。

 ここでA組はカミ手側へ撤収し、ラストの3曲は定石通りS組が担当した。
続く「信じる」も谷川俊太郎の詞になる学コンの課題曲だが、Part5の後半に並ぶ曲の中ではやや古い感じのする作品を選んできている。中学の課題曲らしく全体で100小節ほどの長さの気持ちの良い作品。彼らは当夜のS組の真骨頂だった「全音符2つ分のロングトーン」「ユニゾンのカッコよさ」「アルトのリード」「合いの手と追唱」「低い音での言葉の明瞭」「男の子ならではの喉ごしの良いボカリーズ」「少年っぽい内声・ャ潟tォニーのチャーミングさ」「切れの良い高音」など全ての課題をクリアしている。また、生徒が伴奏をすることを想定して書かれた曲と思しき「ピアノ協奏曲」っぽい伴奏や愛らしいブリッジが各所で大活躍!少年たちはそれに背中を押されたのか、曲を「音符の連なり」としてではなく「詞の流れ」として歌い上げている。小学生男子ながらあっぱれ。印象的な「地雷を踏んで…」の歌い出しの前に八分音符1つ分の溜めがあることで気づく本曲の声部は、実はアーフタクトで書かれているのだが、彼らは歌詞を大切に歌っているので、私たちにあまりそのことを意識させない。

 同様の魅力は、次の「いのちの歌」でも全て感じられる。かつて、この合唱団が「瑠璃色の地球」を定演などで歌っていたとき、私たちはそれが歌謡曲であることへ俄かに考えの及ばないことがしばしばあった。だが、「いのちの歌」冒頭4小節のユニゾンの歌声は、マナカナ感満載で朝の食卓の匂いさえ思い起こさせる。少年たちはここでも歌詞とその世界を大切に歌っているのである。特にサビで聞かれるアルトのボカリーズとリードの受け取りがめちゃくちゃカッコ良くキレイ。この子たちの得意の声域も判ってとても幸せな気もちになれた。観客が彼らに惚れる瞬間である。

 ここ数十年、私はフレーベル少年合唱団のステージ上のアルトに「歌う一匹狼の集団」という幼獣のようなニオイ(?)をきつく感じながら彼らの歌を聴き続けてきたのだが、ついに2015年度、アルト前列に(一人一人ではなく)「チームとしてなぜか魅かれる」というトーナルチェンジを見た。
 S組アルト前列にスイッチヒッター君を挿し入れながら同じ背丈のS組初年度生4人のボーイアルトが揃う。美白男子君と、はに丸くんの間に2名のイケメンボーイズを挟み、2015年度組アルトの魅力ともいうべき前列ライトウイングを形成している。定演以外のライブパフォーマンスでもこの4人の配列はほぼ同じ。一人一人はどうということも無い、ギャングエイジの単なる歌う男の子。だが、クリスマスシーズンの合唱団のライブを至近で注意深く聴くうちに気づいた。周囲の団員も、本人らも、そしてもしかすると先生方も気づいていないのかもしれない…現在のフレーベルのアルト声部を下支えしているのはスイッチヒッターくんとこの4人。白手袋のような両掌を体側に伸ばしコンサートの度に繰り出す美白男子君の高安定で明瞭・端正・よどみない正確なナレーション!お隣は、動きの多い歌をさえずってはいても舞台を降りるまで集中力を保持し続けるイケメン君(彼の声質がおそらくこの4名のうち良い意味で最も低めかつハスキー気味)。続いて、まぶたの上に傷跡があるような男っぽい歌い方が「男の子のアルトってカッコいいな」と客席を納得させる声質そのものの二枚目くん(彼のブレスは現在のフレーベルS組の中で最も安定していて、歌っている最中も上体は殆ど静止し、無駄にブレたりしない。この点でも彼は一番男らしい歌を歌っている)。最後に控える、おっかない顔をして前を睨むように歌っているはに丸君は、実は客席から声のかかる人気者。瞬きしているうちに見逃すステージ上の彼の一瞬の微笑みを目撃できた人はきっと幸福になれる。当夜唯一のS組セレクトだったが、実はこの4人のうち最も在団歴が短い。ステージに立っても、まだ手を後ろに組むルーチンが身についていないほどで、タクトをあげる前の先生から「手は後ろ!」の指示が下りる。彼らの本当の魅力は歌以外のところを注視するとよくわかる。ステージに出てきた段階ですでに大汗、ボウタイは入り食って襟足から平ゴムの結び目がピョンと飛び出ている。ラフなベレーのかぶり方。ソックスはぐだぐだ。…本番ではキリリ引き締まった表情で客席を睥睨するカッコイイ少年たちも、おそらく舞台袖を出る直前までは「底抜けにお茶目なボーイズ4人組」?であることが透けて見える。1985年4月5日、TOKYO FMの合唱番組「天使のハーモニー/フレーベル少年合唱団第27回定期演奏会」ライブ収録開始直前のイイノホールの幕内、陣中見舞いに訪れた私の前で、アルト4年生ぐらいの団員たちが先生方の背後からさんざん冗談を仕鰍ッて私を笑わせようとする。放送された録音にその片鱗も聞き取るれことはなかったが、あきらかに30年前の「フレーベル少年合唱団のアルト」のチームとしての魅力をかたちづくり、聴く人々に心からの勇気と幸せな気分を醸していたのはあの陽気で天衣無縫の小さな団員たちだったのだ。2015年のS組アルト前列で歌う4人(去年の定演ステージで未だ「今度はボクたちA組が歌います」とナレーションしていた団員たち)の姿に先輩方のかつての歌いぶりが突然重なって見えた時、合唱団は永の年月をかけてここに帰着し、客席に詰めた人々を幸せにし続けていることを想わざるをえない。彼らを含めた現役の団員全員が中学2年の卒団の日までこのチームでずっと歌い続けてくれたら良いのに!

 プログラムの最後を飾る曲は、NHK学校音楽コンクール記念すべき第80回の小学校の部の課題曲「ふるさと」。2013年(平成25年)の作品である。フレーベル少年合唱団はレパートリー的にフレーベルらしさを残しつつも「ャXト3・11」の選曲へようやく舵をきったと考えてよい。Part5後半に並んだ作品群はアンコールの幕切れに至るまで、ともに震災を体験した私たちへの「癒し」の恵投である。「故郷」から「ふるさと」へ…の構成は、合唱団自らが80年代以降くぐりぬけてきた苦闘の歴史を添わせることで、ドラマチックな物語に仕立てられている。冒頭「故郷」の前曲が、磯部先生時代の合唱団を象徴していることにも合点が行く。合唱団はこれをブキッチョで天然系?で、実はとても気持ちのよい2015年の少年たちに歌わせることで、当夜の観客たちにもまた「癒し」の涼風を当てることに成功している。
 この曲で聞かれる彼らの歌声(同声二部)のャCントもまた、「全音符2つ分のロングトーン」「アルトのリード」「『そこにいる』『そこにある』それぞれの合いの手のたたみかけるジャニーズ楽曲っぽい面白さ」「低い音での言葉の明瞭」など、当Partの一連の曲とほぼ共通している。フレーズを「音符の連なり」としてではなく「詞の流れ」として歌い上げるテクニックも曲の冒頭から披露。アーフタクトの自然さも共通。小山薫堂の詩に付けられたメロディーラインの特徴は、ほとんどのフレーズエンドが高音に跳ねること。フレーベル少年合唱団らしい「切れの良い高音」。それ以外のフレーズ収めではアルトのリードで次の歌詞が打ち出されるわけなのだが、「地球をつつむ歌声」でA組が苦労していた歌詞のバックパス(低声で歌いだされた主旋律が、いつの間にかソプラノパート担当に移っている)は極めて自然に流れ、無意識に遂行されている。彼らはこれをサビの部分でさえさりげなく繰り返し行っている。これはあの、4人組とスイッチヒッターくんを中心とする「高音もトライしやすいアルト」を中心とした低声メンバーや、「ドラマよりも誠実」を信条としているようにも見える現在のソプラノの子どもたちの手になるもののようだ。
 今回の定期演奏会の隊列でこのソプラノ最左翼エッジに立って歌い続けたのは、アルト最右翼の下段からこの位置に点対称で配置換された合唱団きっての天パー系美少年くん(A組でも、この位置に立っていたのは昨年までアルト左下の端で歌っていた団員さん。この配置換の傾向は面白い)。ソプラノ上段エッジというのは、フレーベルの場合、カルメンくん、アンコール君、ローマくんなど歴代のトップソリストたちの定位置だった。だが、ここ数年の彼の来歴はまるでちがう。ソプラノへ移されてからの彼は、パート内を転々とし、極端な場合、単独のコンサートの最中ですら立ち位置は上下左右に移遷されることがあった。ャWションが全く安定しなかったのである。フレーベルBCのファンであればこれが何を意味しているかは明白であろう。実際、演奏中の彼は集中が途切れて口が開かないこともあったし、ようやくMCが割りあてられたかと思うとシラブルの半分で他の子にセリフを持っていかれたりと、とても苦労しながら歌っていた。だが、本定演での彼はまるで違う。口形は何を歌っているか明瞭であり、美しい姿勢は維持され、眼力があり、集中は終演の瞬間まで一瞬たりとも途切れることは無かった。見違えるような、頼もしい姿で彼は歌っていたのである。彼は立つべくしてこのャWションに留まり、定演後の今も歌っている。私は、55回定演が成功裏に幕を閉じたのは、一方で彼のような団員たちの出現に鍵があると思っている。
 また、つい1年前の定期演奏会の最後の一音まで、カルメンくんの後任を託されたと思しきK太君が一人必死の形相でソプラノを支えて歌っていたいびつな印象の曲群も既にここに無い。同じK太君は涼やかに鳴るボーイソプラノの光の波動をその身に共鳴させながらまた、このステージでは安心のまま歌い終えている。
 こうしてア・テンレ縺Aあの印象的なスタカートpfのモチーフが弾き出され、曲は終わる。終幕part後半に顕著だったある種の「既視感」が、実は「NHKの番組音楽」というところよりも、「少年たちのテクニック・聴かせどころの共通」ということに、歌い終えた彼らの表情を見て気づかされる。一方、学コン課題曲が並んだということは音楽監督の就任と無関係だとは言えないだろう。
 NHK学校音楽コンクールに関連する少年合唱団のレパートリーのインパクトはスタート当初前後のTFBCにも顕著だった。当時の主席指揮者、故北村協一氏が全国大会小学生の部の審査スタッフに名を連ねていたこともあり、再スタート時のFM合唱団は学コン課題曲を必ずレパートリーに据えて、コンサートのたびに歌っていた。FM東京少年合唱団が初めて放送電波に乗せて歌声を披露した実質的なデビュー曲が、実は「おお牧場はみどり」や「気球に乗ってどこまでも」などではなく「わりばしいっぽん」(第51回(昭和59年度)NHK全国学校音楽コンクール小学校の部:課題曲A)であったことをかなり意外に思われる方も多いに違いない。課題曲のレパートリー化はビクター時代の1981年、当年の課題曲「未知という名の船に乗り」から始まり1989年の「あたまの上に空」までの9年間続いていた。課題曲がAB二種類あった年度にはそのどちらも(例えば1988年度ならば「いつか」と「地球のこども」の2曲など)歌い、FM東京のラジオ番組内で歌声を聴くことさえできた。聴衆にとってその年の課題曲は毎年やってくる「お楽しみ」であり、年度チームメンバーの実力の試金石ともなっていた。音楽監督を擁したフレーベル少年合唱団が今後同様のレパートリー的充実をみることを心から望んでいる。

 アンコールは、その音楽監督をステージに乗せたままMCを聴かせつつ、上下両サイドからOB隊、単隊列に束ねたA組と指導陣を迅速に流し入れる。B組を除くオールスターキャストで安田姉妹の「ソレアード- - 子供たちが生まれる時」をナレーション入りのフルバージョンで歌った。MC、Nrr.ともに指導者の声。Part5の徹底した団員ホストの省略が踏襲されている。
 フレーベル少年合唱団の演奏会アンコール場面での「客席の参加」はこれまでも毎年のように行われてきた。だが、「プログラムに歌詞カードが挟まれています」という振り鰍ッ程度のアナウンスで、実際の客席は「手拍子はするが、周囲の誰も歌っていない」という程度のものであることが多かった。また、一般の演奏会でも「いっしょに歌ってください」と団員たちの声鰍ッはあるものの、演奏が始まってみたら団員たちは英語の歌詞で歌っていた…といった粗放な段取りが目立つ。
 今回は監督先生のマイクが前もってボカリーズへの客席への参加を促し、pfによるフレーズのさわりを聞かせ、55小節目以降の合流場面でも丁寧な声かけが身振りとともに繰り返された。客席で楽しげに参加した多くの人々は、実はこれが次のオーラスのアンコールナンバー「アンパンマンのマーチ」をきららかで美麗に聞かせるための言葉巧みな誘導であることに誰も気づいていない。トリプレットや16分音符の弱起をかましたちょっと軽快な歌だが、「初めて曲を聞くお客様も必ず歌ってくれる。(ライブのステージでこの歌を歌っていただくが、お客様のノリが悪くて)困ったことは一度も無い。」と安田姉妹のお二人自身が不思議がるほどの名作だ。歌詞もナレーションも、生まれてくる子どもたちに安寧な明るい未来を託す内容。児童合唱のコンサート後半で歌われる作品として適している。63小節目以降は、突然伴奏が鳴り止み、少年たちのユニゾンの声(当夜、数々の演奏場面で聞かれた斉唱のトーンを回想させる…)が柔和に温かく私たち客席の歌声を引き連れる局面が訪れる。そのきらきらと輝きながらもカッコ可愛い美しさ!やがて、伴奏が楽しげに回帰して私たちは現実の演奏会場に引き戻され、惜しげもない拍手を送ることになる。

 だが、どうだろう。突然ステージ上の大人の演者たちはあっさりと撤収を開始し、あっという間に姿を消してしまう。キョロキョロとしている団員たちはたちどころに最後の曲の何であるかに想到し、楽しげに居住まいを整え直す。かくして唐突に…しかし「フレーベル少年合唱団なんだから、この曲なんです!」とばかり最新版のあっさりとした前奏が弾き出され、反射的に少年たちが美しい高声で歌い出す。私が聴き詰めたこの10年間のうち、最も美しい「アンパンマンのマーチ」がこうして終演に歌われた。美しく聞こえたのは、昨年まで怒鳴るように歌っていたB組の子どもたちが今回参加していないからではない。つい数十秒ほど前まで彼らの周囲や客席で大人の歌を歌っていた人々がにわかにそこからはけ、鈴のような甲高い可愛い声が燦然と残ったのだ。鮮やかなコントラストの妙だった。
 このように、今回のステージ構成から、少年たちの声を美しく聴かせるという技術は目覚ましく進歩した。ただ単にSABセレクトSの各チームを適当なバランスで出し入れするという机上で組み上げられたプランではなく、少年たちの声を上手い匙加減でプラスマイナスしながら聴衆の満腹感やオーディオセンセーションを掻き立てるという人の耳や感性に訴えるチーム配当にレベルアップしている。これは少年たちの合唱だけではなく、OBステージからスタッフ総出のアンコールと現役チームのみに収斂するフィナーレの「アンパンマンのマーチ」までの「インターミッション後」を貫通するサウンド設計として実に秀逸に練られたものだったと言える。観客はそれには全く意識させられないまま、一つの大きなステージのうねりを一気呵成に見せられ聞かされ気がついてみると終演の拍手をしているという心憎いマジックなのである。

 この日、ホールロビーにはささやかな物販があり、開演前の客室にはCD「やなせたかしのうた~アンパンマンのマーチ~」がゴミ鎮めのために流されていた。だが、明らかにそこで聞き取れる天真爛漫、無邪気な近年のフレーベル少年合唱団のテイストが、引き締まった面持ちへ改まったステージ上の少年たちの上に顕れることは無かった。

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※1
 フレーベル少年合唱団に於ける4列横隊の唯一の欠点。…同学年の団員を15人の上限で採っている経緯から、同じぐらいの背丈の少年が4列目まで重なり、お目当ての団員の顔がよく見えない。おそらく雛壇の箱足が平置きに近い寸法で咬まされているため?小さい団員への配慮だと思うのだが、B組は従来から山台へ上がることは無かったし、同じ1年生団員をソプラノ側左翼へ縦に配置するTFBCでは特に問題にならない(FMの予科の場合は、ステージピアノの筐体が1年生団員応援の妨げとなる方が問題。全席自由の定演では前方シモ手側の客席が最後に埋まる)ため、安全に留意しながら再考してもらいたい。その方が少年たちの見栄えも大きくカッコよくなることは、30年ぐらい前の合唱団のステージ写真を見れば明白なのだから。

※2
当夜、ステージを経るに従って複数の団員たちの阿弥陀被りのベレーから覗く両の鬢が次第に光りはじめたのがどうしても目に付いた。ふざかしをユニフォームの肩や山台に落としつつ歌う子もいる。汗を飛び散らせただ只管に歌う少年達の姿を見るのは確かに爽快で気持ち良いものではあるが、当夜着たきりだったこのイートンダブルのユニフォームのチョイスは活発な歌う男の子にとってやや厚着に近いものだったのではないだろうか。


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