フレーベル少年合唱団60年の歴史を書き換える 大きな布石となった定期演奏会

2023-11-12 06:15:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団 第61回記念定期演奏会
2023年8月23日(水) 午後6時30分開演
文京シビックホール 大ホール 
全席指定 2000円

 

『とーしんどーい』の華やかな演奏が終わり、少年たちが歌い尽くした肩をおろして全てのプログラム演目が終了した。
「たのしかった」と客席の喝采がまだ降り注ぐ文京シビック1800席の明るくなった地明かりを押して、一人の小柄なソプラノ団員がコロナ後のフレーベル展開隊形の半分より前の空隙を縫って伝い降りてくる。歩みは非常に日常鍛錬の行き届いた、腕の振りも美麗で高雅で端正な、見ていても爽快に気持ちの良いものだった。
上級生用標準ネクタイ(複エンボス赤ボウ)、美しい布目のワイシャツ。ソリッド地の長パンツに華美さも不浄のどちらもない清潔そうな黒い革靴。彼の面差しを見て、直接の面識は無くとも知っている観客たちはかすかなそこはかとない嘆声もたてただろう。少年らしい美しく約しい立ち姿をスタンドマイクの少し控えめな位置で愛らしく正し、拍手の残る客席が静寂に帰すのを男の子の明晰な頭脳で聞き分けて、甘く明るく微かに密かに艶めく鼻濁気味の一声をホール場内に通した。
「皆さん、演奏会はお楽しみいただけましたか?アンコールにお応えして最後に、『わらびがみ』を歌います。最後まで楽しんで聞いてください。」
MCの声が愛らしく僅かに裏返ったり、ビブラートがついたり、首を使ってブレスを送ったりするのは彼が小さい頃から宝物のようにして持っている美しい声の表情だ。上田怜歩那のフレーベル少年合唱団員としての真摯な立ち姿である。アンパンチくんからA組団員を経て、閉鎖前のとしまえんカルーセル・ステージに立った彼の歌う姿を見て、私は即座に「フレーベル少年合唱団60年の歴史を完全に塗り変える団員がついに現れた」とここへ確信をもって書いた。今夕、彼が登壇から非常にクオリティーの高い演唱をひたすら繰り広げ最後まで歌いきる様々な場面と声が、私の心へフラッシュバックし蘇った。入退場の度に見せるきりっと整った蹴り出しと腕振りの所作。『とーしんどーい』の振付で光っていた拳のカエシの、迅速でメリハリのある手捌き足捌き。「映画子役」上田怜歩那(特技は歌と金魚すくい)としてではなく「少年合唱団員」「ボーイソプラノ」上田怜歩那としてこのステージに全ての「歌い」をぶつけた彼の姿と生き様は、61回定期演奏会全体の出来の良さ、本公演自体がエンタテイメントとして聴衆の心を魅了しながら止揚する品位の高さをしっかりとあらわしていたように感じる。

こうして賑やかに歌い踊ったフィナーレの後、アンコール曲『わらびがみ』(ヤマトゥグチのバージョン)が、恩納仲泊の石塊だらけの日暮れかけた海岸に打ち寄せる清らな澄んだ静かな波のように、少年たちの声で奏でられる。今夏の合唱用編曲は特に美しく、また団員諸君のアビリティーもグイと引き出す出色の出来栄えだ。ユースをハケて小3から中学生団員までレンジの広いフレーベル少年合唱団らしい声の流れが、ハーモニーを静謐に歌い置いていき、曲は終止線を超えるまで聴衆を惹きつけてやまない。彼等の最後の声が後奏の中、フッとシビック大ホールの客席の彼方に消え去った刹那、私たちは自分が最後に息を殺し、声を載せた彼等の気息を聞いていたことに気づく。終演の甘美なうら寂しさや、このわずか1時間半ほどの歌声の横溢が「素晴らしいものを聞けた」という満足と安堵を感じさせ、吐息とも嘆声ともつかぬ小さな長い息をふぅと吐かせた。

フレーベル少年合唱団第61回定期演奏会は、その名称に適い、上記のような団員の存在ということのみならず「フレーベル少年合唱団60年の歴史を完全に塗り変える」傾向に近い価値を持ったものだった。「この人たちは、どうしてあんな事にこだわって毎年定期演奏会を開催していたのか?」という偏執に似たものが、すっきりと除却されはじめた、そよ風のような風向が、今回の演奏会の最大の魅力だった。当夜客席にいた者であれば、いくつも指折りで枚挙できることだろう。
この点に関しては、本公演のステージ構成を組み立て、「観客に見せ、満足させて帰す演奏会」として企画した人たちの客の心を手玉にとって喜ばせてくれる絶妙で素晴らしい手腕が一番過激によく現れていたと思しき、開演15分間の流れがある。

ステージの実際はこうだ。本ベル定刻に従って、取り出し6年団員メインの隊列がレンガ色タキシードの暑苦しいスタイルで登場し、『魔笛』2幕16番三重唱「再びお二人を歓迎します!」を歌う。この6年生たちの練度は非常に高く、当然ステージ経験も他の団員たちに比べて圧倒的に潤沢(MC等も各自の味を出してきっちり魅力的にこなす)。だが、合唱団は前回定演以降「4歳以下のお子様のご入場はご遠慮ください」としているため、静粛を求めるこのオープニングのギミックは強力な訴追力を持っていない(大人の客の私語は防ぎきれないが、ホール内に響き渡るタイプのものではないからだ)。この図像は第59回定期演奏会の冒頭と全く同じもので、客席の印象は「またこれなのか」ということになる。東京都のこの日の最高気温は34℃ほどあり、暗暖色のタキシード姿の(ただでさえホッカイロが洋服を着て歩いているような)デカい男子小学生が8人並び(一人一人は超カッコいい!のだが…)サスペンションライトを受けて立っている絵柄は、たとえ綺麗な頭声を統べて聞かせてはいても、お世辞にも「清涼で清々しい」とは言えないものだった。聴衆の「不快指数」は開演した時点でマックスなのである。次に団長先生のごあいさつが例年ルーチン通りに行われる。観客はこれが冒頭団員のかぶせ引き抜きの時間稼ぎであることも知っている。
…だが、ステージが『団歌』のスタンバイに移行したとたん、観客はビジュアル的に混乱しはじめる。
ワイシャツ・サスペンダーの小学生団員。長パンツの中学生団員。そして更衣しているはずだったタキシード団員!ごちゃごちゃである。歌うのは、本来最も折り目正しく正装を揃えて歌うべき『団歌』。ステージ前方には2022年以降のS組(小学3-4年)が、十分に暖機を終えたベストの状態で詰めている。合唱団にとっては初めてのことではないが、満年齢8歳から13歳ぐらいまで5歳幅の少年たちが雑駁に並んでいるように見える。かつて、フレーベル少年合唱団は1年中、小学4年から中学2年までの団員を全く同じマリンブルーのステージ衣装でぴっちり1公演、舞台にのせていた。フレーベルの鑑賞歴が長い客ほど、61回定演のオープニングの光景はショッキングであったろう。しかも、わざわざクラス再編したSSSを混配し敢えてここに立たせている!この時点では気が付く由もないが、私たちは終演後、このセンセーションが「フレーベル少年合唱団は今年から60年の歴史を塗り変えます。なぜならば、聞いている人に喜んでもらいたいから」という高らかな宣誓のアレゴリーであったことに気づく。そして、長期にわたって定演プログラム「パート1」を担当させていた最上級のクラスをステージのカミ手(!)から素早く退出させてしまい、小学3-4年年生にNコン課題曲(ここでも象徴的になことに、この曲を歌って小学校の部で金賞をとったのは暁星小学校聖歌隊である)とフィリピンじゃんけんをフリつきで歌わせている。「歴史を塗り変えます」の宣誓が、宣戦布告や革命宣言などでは決して無いこと、彼らの技量の惜しみない顕在化に邁進することを、企画したスタッフは、「魅力タップリ茶目っ気たっぷりイケメン集団」S組キッズたちの歌声で快活に語らせている。
開演わずか15分。最初に観客を煩慮状態のどん底に置いておき、これをビジュアルセンセーションでパッ!と解放し、最後にカッコかわいく楽しいギャングエイジ集団の動きのあるステージでひっくり返し、喜ばせて魅せるという、背伸びは微塵も感じられ無いが、実に巧妙でエンタテイメント性の高い憎らしい舞台展開を仕掛けている。かくして観客は、フレーベル少年合唱団のあの旧態依然とした定期演奏会のステージが、驚くほど客席側に寄り添うかたちで刷新され始めたことを強く知るのである。

 

アンダンテ程度の歩いているのかいないのか分からないようなスピード感。2部合唱とはいえ、殆ど(特に中間部ぐらいまで)執拗にユニゾンで、流れからたつ飛沫や泡沫のごとく和声や間延びしたポリフォニーが添えられるだけという構造上はミニマルアート的な仕上がり。S組のスタートの声は『ほほぅ!』。平成11年度 第66回NHK全国学校音楽コンクールの小学校の部課題曲だ。20世紀末の「だから何なの?」チックな曖昧模糊とした空気感が支配するナンバー。それを真逆の3-4年生男子というボーイズ真っ只中の少年たちが誠心誠意うたっていくという、外見上デペーズマンとも言える取り組みだった。歌詞の主語は一貫「ぼく」。…前述のとおり、おそらく暁星小学校聖歌隊が日本のボーイソプラノ合唱の頂点として最後に歌うことを意識して作られた挑戦状のような作品だと私は今でも勝手に想像している。ニ長調から変ロ長調へ渡り、再度ニ長調に帰着するという、五度圏を線対称でまたぐような、明度はあるがモヤった転調。ユニゾンの単純な音楽のはずが、実に詳細な速度・表情の指示が行われ、スピード・強弱も厳格に指定されたまま4小節をタイで鳴くロングトーン複数個所。男の子の大好きな(?)無声音を期待したい×音符の唐突な挿入あり。ペダル多用やオッターバなど、ほぼ垂水状態にあるピアノ伴奏など、単純ルーズに見えて実は手ごわい課題に、今回S組は臆することなくコテサキの裏技で誤魔化すこともなく真正面から正々堂々と取り組んで「フレーベル少年合唱団S組の合唱」に仕上げていた。一般の8歳から10歳くらいまでの男子小学生には絶対無理であるはずの楽譜を真摯にこなしながら、それでも×音符を歌声にマッチしたシームレスな小慣れた地声で聞かせてみたり(これは次のフィリピンじゃんけんとはきちんと歌い分けていて立派だった)、前述のロングトーンを抱擁力のあるもので解放したり、高い頭声もきちんと前に出している点は上位クラスも真似してほしいくらいの手腕。頻出する弱起の日本語も「弱拍なのにとてもハッキリ聞こえる」頼もしさ。そこには「先生に言われたから、その通りに歌っています」という卑屈さ、萎縮、屈従は殆ど感じ取れない。自分たちの信念だけに頼ってのびのびと自信をもち「これがボクらの仕事なんだからサぁ」とばかりに歌っている。あっぱれ日本一ともいうべき小3小4男子チームでぞっこん惚れる。1999年、我が国の少年合唱の頂点に君臨していた暁星小学校の聖歌隊は、この曲をNHKホールで歌って当然のように金賞を受賞した。だが、すでにその歌声は彼らが『ヒッコリーのおくさん』や『スケッチブックの空』や『だから すきさ』(笑)で聞かせていたような、「小学生の男の子」独特のアバウトさ、無鉄砲さ、ムラっ気、つまんない冒険と男友達、争い事なぜか大好きな(あと、出さなきゃイケナイもの(例えば水筒とか学校からの「お知らせ」とか)絶対に出し忘れる…)小学生男子しか持っていない、けれどもオレら合唱だけは男同士ガッチリ取り組むゼという独特の味(?)を明らかに欠いていた。AIが奏でる「少年合唱」のような、殆ど小学生男子の体臭を感じさせないシリコン・エラストマーのような歌になってしまっていた。61回定演でのフレーベル少年合唱団各クラスを総じたメタメッセージとして、この暁星の警告は厳然としてあったように思える。それを正演目の第1曲目で披露したメタファーの存在意義はあまりにも大きい。

 

続いて一転、フィリピンじゃんけんの歌が歌われた。

 Jack en-poy! hali-hali-hoy!
 Sinumang matalo siyang unggoy
 (じゃんけんポイ あいこでホイ
  負けたら猿よ …じゃんけんポイ)

詰める記号が入っていてタガログ語である。
この選曲が巧みだと思うのは、第一に日本語を聞き取る必要は無いが、「じゃん、けん、ぽい!」というキーワードだけはストレートに聴衆へ伝わるという点。私たちの殆どは(?)タガログ語を解さないからだが、聴衆の意識は、歌っているS組団員たちの身振り・表情など、演出の方へ大きく引き寄せられる。とはいえ、この演奏の価値と大義は、全く違うところにあるように思える。彼らは『ほほぅ!』から一転、高い声をおおらかに自然のまま繰った。小学校中学年の男の子にしか出せない胸声に近い柔らかい精悍な声を、訓練と曲の推進力の加勢によって、あっけなく喚声域から超克し、すぅーっと高い声へ伸ばしたという魅惑のテイストで統べられている。同様に下にも音域を与え、伴奏にのせハンドクラップを動員しながら音楽は楽しく展開されていく。錯綜したリズムや癖のある上行クリシェなど、聞かせどころは満載。超克の高音はやがて、ケソンのロペス湾に長く突き出た遺棄桟橋で調子に乗ってスキップしながらバカ笑いのまま滑走するずぶ濡れの少年らの嬌声のように、じゃんけんのタガログ語と絡み合いながらキュッキュと上へ伸びてゆく。最後の最後、ついに彼らの「地」の声が炸裂して曲は終わる。選曲の巧みさの第2は、これが10年ほど前のフレーベルS組(最上位クラス)の歌の魅力を思わず私たちに想起させることだ。また、歌われるタガログはポリネシア語グループの言語。私たち日本人は開音節のポリネシア語系の言葉を聞くと、遺伝子情報なのか、意味は分からなくてものんびりとした気分や温暖さ、お気楽さ陽気さを覚える(個人の感想です)。フレーベル全クラスの子供たちが数年前まで常に堅持していた天真爛漫さを観客に思い起こさせる。
総じてS組ステージは、緩く積み上げた多段の山台を従来の横方向にではなく、縦へスマートかつ自由に伸ばして使うことで、合唱団の新機軸を開いた。きれいな美しい合唱の歌声を聞かせてそれで終わりという次元から、男の子と言えども、気迫や、上気した顔色や、楽しんで歌う姿や、無我の挙動などを見せ、目でも楽しませて観客を帰すというタイプのコンサートへの移行を私たちは目撃することになる。しかもそれを先ず具現するのは上位のクラスなどではなく、修行中のS組という点で度肝を抜かれた。

 

プログラム冊子については、今回本年度の活動のうちおそらく一般鑑賞等可能なステージの出演実績が報告されるようになった。他の児童合唱団では観客の応援材料としてごく普通に見られる内容だが、レコーディング・映像参加の足跡についても公表できるものは掲載していくことが相応なのかもしれない。また、初めの方に単純な曲目リストを掲載しておき、あとはクラスごとの情報を記事化して内容を整理している。観客アンケートについても、これにならい、曲目ではなくクラスについての意見集めでフォーマット変換が行われた。アンケートはこれでは非常に書きにくいが、子供たちの歌声を聴きに来ている私たちにとって、楽曲のありがたい来歴やライナーノーツの並ぶプログラム冊子よりも、今回のような、団員をめぐる記述で構成されたプロの方が俄然読み応えを感じる。

 

プログラム的にはS組の開幕をトレースしてきちんと横山作品でAB組ステージをスタートさせている。
これは私の個人の印象でしかないのだが、昨定演に比べ、わずかにメロディーラインを幼少年の胸声に近いものへリフトアップし、鍛練の色を薄め、エンタテイメントとして男の子らしさを聞かせるものへ止揚してステージへ載せている。私はこれで良いと思う。それは入団にテストを課してはいても、入ってくるチビ助たちのカラーや歌う力やキャラは年によってわずかに異なっているはずだから。後述もするが、このAB組ステージでの小さい小さい彼らの「見せる」歌は、年を経るにつれてボディブローのようにじわじわと効いて、私たちのハートを最後にノックダウンさせる。『緑のしま馬』の幼団員らは徹底的に練習場で叩き込まれた低声の下味をちょっとダンディーに響かせながら、上はちゃんと「少年合唱団らしく」頭声を鳴らす子達もいてよくできている。選曲もハッタリの無い2部声で、スキッピングなリズムを遵守しながらポリフォニーに聞かせている。それを作曲者の狙い通りあたかも戯れ歌を垂れてノータリンに踊り回る男の子のイイカゲンさ、「何も考えて無いよね?」的な稚拙さを匂わせながら、かなり真摯に正確に歌い切ってしまう。また、日本語も正確で、発音がクリアに響き、心地よい。後奏の無いナンバーで、バッサリ切り落とした歌い終わりの、少年たちのちょっとカッコいいラストノートが文京シビックのホールトーンに残響する数瞬を聞かせるカットアウトのエンディングは、そこはかとない少年の艷(?)をフッと感じさせる音吐で「まったく、この野郎ども!大人をナメやがって!」なエロスが恐れ入った。同様の感想をコーダの瞬間に感じた人は少なくはなかったろう。

少年合唱から遠く離れて「ちなみにボクは大きくなったらカツオ一本釣りしたいです。」のMCが印象的な『おとなマーチ』はA組の手に負えるのかと思うような難曲で、もちろん「ま、デタラメに歌って済ましても可愛いからイイよね」という免罪符を最初は客席側に与えておきながら、とんでもない!彼らが七転八倒ステージの上でがんばって、苦しんで、挫けないで、「僕らはA組だ!できるんだ!」と最後まで粘り強く歌い抜く姿を見せて私たちの予想をひっくり返すという、「こういう選曲をだれがしたんだ⁉︎」的な実に魅力的でステキで興行性に富んだ小憎らしい演奏だった。個人の感想だが、曲は1960年代の色が濃いハッキリとしたアレグレットの構造が3コーラスきっちり繰り返される作品であるため、私たち21世紀の聴衆には1番から3番まで少しずつプロミネンスを考慮し動態やボリュームを加えながらエンディングに登ってゆく色をつけないと、眠たい仕上がりになるような気がする。もちろん、これはA組団員たちの実力の高さと先生方の指導力の高さを考えたうえでの注文だなのだが…。

 

本定演のプログラム作成者の手腕は、ここでスペーサーのようにSS組単独ステージをかまして単調さを回避していたことにある。このクラスがどのような歌を歌っているのかを、構成団員の度量ではなく、彼らが導かれている合唱の方向性から冷静に判断してプログラムを組んでいる。
『ともだちシンフォニー(合唱とピアノ連弾のための)』(寺嶋陸也・曲)が歌われた。ディビジ2声の10分を超える作品でSSの声には合っていたと思う。

 

61回定演に至るまで、フレーベル少年合唱団は2023年に入り大きなもので3つのステージをふんでいる。

まず2月19日にタワーホール船堀(江戸川区)でcolori X アルカイク ジョイントコンサートいちゃりばちょーでー:ー度会えば、みんな兄弟!(東京公演)へ出演した。50名編成の行き届いた歌声で、団歌に続き今回と同じアベタカヒロ譜の『ユイユイ』を歌い『島唄』を初演した。初っ端の前座(賛助出演)であったのにもかかわらず、彼らの歌声からは管理と統御が強く感じられた。まるでウィーン少年合唱団が歌っている日本語のように聞こえたというのも正直な感想だった。続いて3月12日に本日と同じ文京シビック大ホール開催の文京区民参加オペラ プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』(原語上演・字幕付)に子役で出演。コロナ前に開催予定で、いったんチケット払い戻しの憂き目にあった演目のリベンジ公演である。40人の子供が全員おそろいの白いマスクをして横並び1列で演目を歌う演出のオペラを私は生まれて初めて鑑賞した。日本語ではないがマスクに遮蔽され口唇も見えず「何を歌っているのかわからない」という眠い印象はさらに強まった。勿論合唱団が「ボエーム」に出演するのは初めてのコトではない。彼らは本来FMのようにスカート履きで着飾った「女の子」役が居るわけでもなく、全員が男の子の役で2幕を中心にカーテンコールまで所狭しとボーイズパワー全開で大活躍する。かつて山口先輩はメインキャストに肩車をしてもらって大はしゃぎする、ステージ上で一番高いところから演者たちを見下ろす子役として文字通り担ぎ出され歌っていた。だが、今年彼らはきっちり管理されてコロナ禍の最後の過ぎ越しのステージに立たされる。終幕天に召されるミミには大変気の毒だが、かつてステージで大暴れする少年たちを抱腹絶倒で眺めていた者の正直な感想は、残念ながら「今年のボエームはツマラナイ」だった。

ゴールデンウィークの終わり、西田美術館は各SNSに向け、フレーベル少年合唱団の金子みずゞ展ミニコンサート(2023年4月29日)のスチルを1枚だけアップした。カミ手寄り付きから撮られたもので、ソプラノ後列最左翼で歌っている6年生団員の姿はライトこそ1条ハッキリと差し掛かっていたが、後輩たちに隠れほとんど写っていなかった。わずかに認められるその面差しは、第2展示室の隅々にまでぎっしり押し込まれた客たちにも声を贈ろうと仰角で、なおかつ目前に肩を並べる14名の仲間や下級生らを包容するがごとく大きくはっきりと口唇はうち開いていた…小さくなったfベレーの髪の下で。 これが西田美術館コンサートの大竹祥太郎のスチル記録の全てだった。

コンサート冒頭、彼は前振りのナレーションやマイクセットの修正を十分待って、既に低くなり始めたお兄さんぶりの濡れた声で「みなさんこんにちは。僕たちはフレーベル少年合唱団です。東京から北陸新幹線かがやきに乗ってやってまいりました。」とだけ言った。この日、15名の団員たちは新ウィーン楽派ばりの音色旋律を紡ぐようにシモ手からカミ手へ順送りに全員がMCを一言ずつ発している。口火を切った男の子がリーダーとしてこのツアーを引き連れていたのだ。彼の短い言は、わずか15分間、7曲(+アンコール)だけの演奏の旅がどのようなものであったのかをよく諷示している。当日ここにやってきた少年たち全員が生まれるまさに直前まで、東京から残雪の剱岳の麓の町へ午後1時の出演に間に合うよう行こうとしたら、早朝に家を出て、新幹線で米原からしらさぎに乗って折り返すか、越後湯沢からほくほく線0番乗り場に走り、虫川大杉で単線の対行列車を待ってぎりぎりたどり着くか、羽田から飛行機で、回転寿司といっしょに荷物の回る河原のきときと空港へ降りて行くかの大旅行しかなかったのである。フレーベル少年合唱団が富山地方鉄道の折り返しの駅の町でミニ演奏会を持つということは、かつては考えることもできないようなとんでもない大冒険だったのだ。
それを裏付けるかのように、会場となった西田美術館の2階展示室は、彼らがリハーサルに入った時点ですでに後ろ側の壁までびっしりと観客が詰まっていた。整理券を配布して置いた座席では当然不足し、あわてて館内からかき集めてきたらしいベンチやロングシートを次々持ち込んでも足りず、人々はぎゅうづめの立ち見でも満足しきって彼らの歌声を堪能し拍手をした。
良かれとの信念から思いの丈をぶつけて歌いさえずる下級生たちを決して組み伏せたり凌駕したりせず、温めた充填パテのように彼らの歌のホツレ目へ声を充たしてゆくお兄さんぶりの冷静なボーイソプラノを大竹は美術館上階、第二展示室の翠緑の空間へ響かせ続けていた。その声は美麗に頼もしくソプラノの最左翼後列から常に聞こえ続けてはいたが、決して突出したり目立ったりはしていなかった。6年生になり、声も落ち着き始めた彼は、かつて先輩たちから可愛がられ歌ってもらった通りに、今日は下級生たちの歌声を聞き受容して歌いかけ、合唱を作っていたのだ。そこには過去のステージで「♪きのうの夜中 お池の金魚 エヘンっていったんだよぉ~」と歌ったときの独立独歩、「お化けって、生き物なのぉ?」と上田先輩と顔を見合わせ、ぱっつんキラマッシュの髪を揺らし演じたときの歌への思いの拙さは、もはやどこにも見られなくなっていた。わずか15分間の演奏ではあったが、彼の視線は歌いながら仲間と下級生たち、指揮者・伴奏者と客席のすべてを温かく見やって微笑んでいる。

その様子は公開された動画には解像度的にほとんど映っていない。あの場にいた者たちだけが堪能できた、かけがえのない宝物のプレゼントだった。ほんの2年前まで、須藤(兄)先輩や茂木先輩、野木先輩といったメゾソプラノの上級生たちが、練習場で弄ぶオモチャのように小さな彼を相手にし、面白がり面白がらせ、常に歳下の愉快なチビ助として寄り添って歌ってやっていたことが、結果的に今日の6年生団員大竹祥太郎を作ったのだと思う。61回定演のメゾ最後列センターでタイラ君と並び立ち(*)、一意専心に全てのステージで仲間と下級生たちのために心を込めて「合唱」を歌いつくっていた彼の姿は、まさに剱岳の麓のクリーク台地のただ中で歌っていた大竹祥太郎の図像そのものだった。
予定されていた演目を全て歌い終え、彼らは観客の拍手が加減静まるのを数瞬待って定式通り「ありがとうございました!」の呼号に応じようとしていた。だが、おそらく少年たちのステージ・ルーチンを一度も観たことのない美術館側のMC担当者が気早に「ありがとうございました!盛大な拍手でお送りください!」とアナウンスの声をあげたため、挨拶号令を担当する団員はそのきっかけを逸してしまった。大竹は心配そうな表情を見せたが、その目は「ドンマイだよ。みっともなく無いよ!」と言っていた。楽しい想いをした客席の拍手はすぐさまアンコールをねだって揃ってしまったので、挨拶担当はさぞや途方に暮れ困惑したことだろう。彼らは実際、こんなミニ・ライブにアンコールの声がかかるとは思ってもいなかったようで、当然アンコール曲なども用意していなかったとみられる。指揮者はプロらしいとっさの判断で、金子みすゞナンバーの可憐で静謐な『葉っぱの赤ちゃん』を曲目に示した。そのアナウンスは公示されなかったが、彼女がピアニストに曲目を耳打ちするかに告げる様子は公開動画にも残っている。とりわけ神がかって高貴だったのは、その瞬間6年生ソプラノが「先生!やるじゃん!かっこいいじゃん!」とばかり微かに頷いたことと、ビスのチャンスをくださったたくさんのお客様へ感謝と安堵と、「待って正解だったんだよ」と何度も何度も頷きながら担当団員の言動の容認と同意をしたこと。観客の至福と仲間や下級生らの力を再び送ることができる喜びが集約されたような微笑みだった。この日の彼が一体何を心に込めて歌っていたのかを私はそこに見ることができたし、喜色を通じ西田美術館で彼らの歌声を聞いた人々の想いにも触れることができた。彼はこの日、コンサートの間じゅう、合唱団の仲間と指導者たちと客席の挙動や反応を確認するために、目線は自分のMCのタイミング以外始終きょろきょろしていた。フレーベル少年合唱団はコロナ禍の只中に、合唱団員としての生き様のただならぬ魅力とハートを身につけた少年を育てた。それは、大竹が10月22日の『カルミナ・ブラーナ』本番までどう立ち回ったかを知ると感涙するほど納得がいく。日本の少年合唱は、1951年東京少年合唱隊の誕生から70年以上もかけて、ようやくこのような団員を産むフェーズへと到達できたのかもしれない。

私はこの小さな(?)演奏会で、幸運なことにフレーベル少年合唱団員としての友金君の歌い姿とMCをたっぷり聴くこともできた。入団以来合唱団の堅実な「メルクマール」であり、声であり続けた彼の、6年生になったこの日の姿は、人々を明らかに安堵させた。あの日の私は、幸運でもあり、しあわせだった。友金誠一郎という人の真摯な歌い姿と語り姿を心を込めてきちんと見て聞くことができた。フレーベル少年合唱団のファンにとって、これはかけがえもなく素晴らしい演奏会だったのだ!

*『ちびまる子ちゃん』でいうと3年4組大野くんと杉山くんのイケメン二人組(隣町の男子に絡まれていたまる子を2人で助ける、お別れ会で歌を歌ってクラスの皆を爆泣きさせるなど、通常ちょっと激エモなストーリー展開を得意とする)が6年生に成長したイメージ。ナウくてマブいシティーボーイたちという、ステージ上、大変に♪ウララぁーウララぁーなお二人…なのである。

 

フレーベル少年合唱団は昨年、クラス編成をさらに小分けし、SS・S ・A・ B ・ユースの5チームでの運用を始めた。咋定演ではその機能美があまり明確に発揮されていなかった。だが、今年、状況は出捌けに信念のあるアプローチを加えたことで効果的な演出を可能にした。クリアパーツ入りのレゴブロック・クラッシックのように、A組以上のクラスを自由に組み合わせ、さまざまな色やカタチを作り「遊ぶ」ことができる。彼らはワイシャツに制服ズボンの同じ形状をはじめとして、どのクラスをどう組み合わせてもカッチリはまり、発色が良く美麗でピカピカしており、組んだブロックは崩れることがない。SSSAユース間と単独を含む組み合わせは単純に考えても15通りあり、AB組についても3通りあって、合計18通りのバリエーションが可能だ。ここまでは数学的な順列組み合わせの問題だが、フレーベルは「どのチームもシモ手からステージに入り、カミ手へ捌ける」という大原則を61回定演で徹頭徹尾遵守し迅速なスタンバイを提供してみせた。56回定演の頃は最上級クラスが団歌を歌い終えてから次の1曲目が始まるまで、なんと2分間近くもかかっていた。今回、捌けるチームがカミ手ステージドアをまだ潜っている段階で、続投するチームは山台に隊列を整理し、シモ手から入場するチームを迎え入れるという、非常にテクニカルなスタンバイを見せかっこいいレゴブロックを完成させている。従来のフレーベル少年合唱団では決して期待できなかった、評価すべきことと言える。

 

インターミッション前の超メインにあたる個所へ、今定演のフレーベルは自信をもってアンパンマンの歌特集を組んでいる。
フライヤー等で喧伝された呼び物はB組からSS組までがステージに上がる『アンパンマンのマーチ』だが、冒頭にSAの中堅(?)部隊を擁した『アンパンマンたいそう』が歌われた。

現在のSSメインクルーがステージ部隊として成立し、正式な舞台デビューを飾ったのは、2017年8月23日第57回定期演奏会のB組ステージでだった。場所は本日と同じ文京シビックホール大ホール。当時はまだ六義園のライブがあったので、B組はテスト試用に枝垂桜前広場のツツジ前での歌唱経験は持っていたが、ステージ出演はそれが初めてだった。彼らのチームの出来の良さは誰の目にも明らかだったろう。前年度から歌っている上位学年のメンバーは歌の力もMC等の演技経験もあり、その年度新たに加わった下級生たちは一見してヤリ手の風格が所作ガイケンにあふれていた。彼らはのっけの『ドレミファ アンパンマン』から取り出しメンバーがタッチメソッドで赤(ソプラノ)のメロディオン(一般に普及しているのはアルトの緑桃色メロディオン)をあっさりと弾き(コロナ後、吹奏鍵盤を鳴らすことは文部科学省衛生管理マニュアルの指摘により教育現場で疎まれがちになっているためか、今回のアンパンマンステージの開幕をかっこいいマーチングスネアに持ち替えて手引きしたのも、同じ彼であった)B団員たちは全員でコダーイメソッドのハンドサインを繰り出しながら歌うという凝った演出で見せていた。そのステージのメイン演目こそが『アンパンマンたいそう』(仙台ツアー・バージョン)だったのである。ツアーバージョンなので、当然もともと高学年の子供たちが歌うよう編曲されたものなのだが、それを未就学児もいるB組が、わがものとして自信満々楽し気に歌っている。実は当時のS組もA組も実力のある魅力的なメンバーの集団だったのだが、館の実施した定期演奏会アンケートでB組ステージが「非常に良かった」と評価した観客は、S組を差し置いてA組と並び圧倒的多数だったにちがいない。非公式には、フレーベルの隊列が練習出席率に従って編成されると囁かれているのかもしれないが、第57回定演のB組の隊列ではあきらかに『アンパンマンたいそう』のキャスティングのため綿密に隊列が組まれていた。演出セッションの嚆矢で強烈なアンパンチを叫ぶ少年を指揮者の右センター寄りに置き、当時まだダークブロンズの髪をfベレーの下へさらりとアシメに流してヌーヴェルヴァーグのフランス映画に出てくる少年のイメージだった田中君にひょうきんテンドンマンを演じさせるためセンターのシモ手側に置いて、彼らに添わせるよう他のキャラ達を前列へ配列していた。曲がブリッジを奏でるなか、前列の彼らが一斉ショーアップのごとくステージかぶりつきへ繰り出してゆく瞬間の軽快で機敏な姿は、私たちに、彼らが合唱団の最下クラスの男の子たちであることを完全に忘れさせた。

61回定演で歌われた『アンパンマンたいそう』(仙台ツアー・バージョン)は、まごうかたなき現在のSSメンバーのステージの出発点であり、彼らの歌の原点でもあったのだ。かつて色白で真っ赤な唇をしたその春入団の小さな男の子がハッキリとした声で「次は、アンパンマンたいそうをうたいマス。ぼくたちのだいすきなきょくデス。」とMCをかけてあのとき歌は始まっていた。この小さな男の子が頼もしく成長し6年後の2023年、今回同じアンパンマンステージのMC第一声を発している。このことから、私たちは61回定演が、ステージ構成的にも配員的にも団員MC一人に至るまで非常に緻密で周到な計算に基づいて編まれたものであることに気づく。『アンパンマンたいそう』でアンパンマンを演じアンパンチを力の限り叫んだのは忘れることもできない本当に小さな小さな上田くんだった。2017年の夏の彼は、2023年の中学生になった自分とフレーベル少年合唱団のために、生気溢れる強烈なアンパンチを客席へ叩き込んだのに違いない。

 

SAの大部隊を袖に、自分の腰丈ほどしか無い下級生団員を導いてアンパンマンステージの冒頭MCを担当したのは6年前と同じ大竹祥太郎だった。彼は誕生50周年記念アンパンマンを手短に告知すると、サッとメインステージ中央へ片膝をつき、次の下級生へアナウンスマイクの頭を適切な角度でかざした。バレエ『眠れる森の美女』で美しきデジレ王子がパドドゥのアラベスクを支えて見せるバレエ・ファン垂涎のあのポーズである。彼は右立膝、左の膝をついて下腿を伸ばすその姿態をステージセンター・エプロン際でスマートに堂々とキメてMCマイクを下級生に充てる。これが本来の彼のステージパフォーマンスの真骨頂なのだが、してやったりの賢しらさなど微塵も感じられず、自然でひたむきだった。こういう人なのである。イッパツ喰らった!と思った。マイクを向けられた下級生たちはとても魅力的な声で明瞭に無駄なく(幼なさも残しながら)曲紹介をしてゆく。こういう中低学年男子の魅力的なMC群は国内のどの児童合唱団にも真似できないだろう。ルーチンはシモ手側で別の6年団員がバトンタッチを受け持つのだが、担当したのはタイラ君だった!ルックスもダンディーだが、お声やMCの口調はもっと激エモな団員くん!私が年長さんの頃の彼を初めてステージで目にしたときの印象を正直に言おう。…カ、カッコいい(降参まいりました)!だった。5歳くらいの男の子をつかまえて発する言葉ではさらさら無いのは十分わかっているが、ともかく私は銀幕のカウンター・バーでバーボン片手にブリオーニのソフト帽を目深に被って葉巻を燻らすハンフリー・ボガートと正面からタイマン張れる少年と真顔で思った(何書いてるんだろう…)。よく年のステージで、彼がB組制服にベレーで手作り感満載のクラリネットを吹いたとき、タイラ君のダンディーな雰囲気はもう完全に出来上がっていた。MCや歌い姿に兄譲りの独特の表情はあるが、彼が歌っているアルト部は常に適度な締まりがあった。フレーベル少年合唱団の絶対的魅力の一つはこういうキャラクターの団員に大人たちがつまらないバイアスをかけないことだ。
この導入MCは、最後に再び大竹が「総勢70人が心を一つにして歌います。どうぞお聞きください。」とマイクを引き取って終わるのだが、少年たちの一連の言葉は、61回定期演奏会の文字通り最高潮の頂点をなすものだった。お客様は大喜びである。すごい拍手だったと記憶している。指導者たちは「まだ1小節も歌っていないのに、どうして観客はこんなに盛り上がっているのだろう?」と首を傾げたに違いない。だが、フレーベル少年合唱団の定期演奏会のステージは、61回目にして驚くほど客席側に寄り添うかたちで刷新され始めていたのだ。

 

『アンパンマンたいそう』は、正確には仙台バージョンとイントロ嬌声の入るCDピアノ伴奏バージョンのミックスで、忘れていけないのはpfが今回もデリシャスでパワフルな味をだしていること。小学校中学年(とはいっても開演ステージで聴いたように非常に卓抜したセンスを持っている)S組が加わったことで、かなり深い(エロス??とも言って良い?)イイ感じのしっとりした味の歌声を出し、満腹感のある合唱に仕上がっている。キャラの団員たちがそれぞれ前回の『…たいそう』のパフォーマンスの味を刷新するキレキレのセリフを発しているのも魅力だった。私は確信をもって重度な聴覚障害の人々へ(もちろん子供たちにも)引導したい。彼らの歌声はおそらくハッキリとあなたにも聞こえているでしょう?!私が聴いている彼らの歌声が、視覚からあなたにも届いているでしょう?幸せで暖かな楽しくヤンチャな歌声でしょう?!一緒にこれを楽しめると思うと、私はシアワセです!これからのフレーベル少年合唱団がこのような方向性で発展していってくれることを私は心から祈っている。
SSの『勇気の花がひらくとき』は彼らの涼しい高声が高級磁器のような高品位鉄紺に仕上がっていて良い感じだった。
最後にフレーベル版の『アンパンマンのマーチ』がSSSAB連合のユースをのぞく合唱団総集結の大部隊で文京シビックの舞台空間に総攻撃をかけた。彼らが方々のステージで「僕たちのテーマソング」と謳って曲紹介し歌いまくっているナンバーなのだが、通常各コンサートのオーラスに登場することが多い。定演ではアンコール曲で固定されていたため、近年インターミッション中にばらしのかかるAB組は歌うことができなかった。フレーベル少年合唱団は今年、その機会を小さな団員たちにも引き戻してやったのだ。結果は圧巻で、フレーベルのコンサートをしばしば楽しみに行く筆者のような者にとっても驚くべきものだった。その音場が忽然と立ち上がった光景は、6年生MCの「総勢70人が心を一つにして歌います。」の言葉通りのものだったのは言うまでも無い。具体的にはそれぞれの年齢クラスの持っている基本声域が倍音のように互いを響かせあって、人々の快楽中枢に直接届くという味が一つ。もう一つは、西田美術館の大竹が聴かせていたような、上級生部隊がS組AB組の声を凌駕せず、幼い声素材への密着性・柔軟性に優れ、しかも自重による肉痩せを丁度ボーイズ声域中央で柔らかみも適度な艶もあるS組が土台となって持ち上げると言う意外な活用だった。

今回のこの、中間地点に最も大きな山を置き、開始から終演まで緩急を含めシンメトリーに演目を配して聴かせるという、観客の気持ちに深く寄り添った構成は本当にありがたいし、週2回の練習へ足繁く通いつめた団員たちを心から応援しようという想いにもさせられる。

 

*

15分間のインターミッションはあっという間の頃合いで、開けにSSユースの組み合わせで『モルダウ』が歌われた。
現在のユースはプログラム冊子の名簿上20名弱の団員記載はあるが、SSのメンバーとも重複し、学校出席等とのバッティングもあるので参加人数はそれを下回る。
フレーベル初めての演目ではなくかつて幾度か定演に供していたと記憶するが、同声3部(プロでは混声3部と記載)での最初のトライアルだった。彼らは中学で使う現行の教科書で、必ず『ブルタバ』を学習する。現在中学生向けの音楽教科書は日本では教芸と教出の2種類しか存在しない。いずれも中3の1学期(か、前期)にこの曲を扱うことになっているので、文科省検定済み教科書を使わないと宣言するタイプの私立中学校以外の生徒は必ずブルダバを知っていることになる。これは、おそらく一つ前の学習指導要領で、中学校の音楽では必ず『モルダウ』を学ぶように義務付けていた名残(現行と唯一違うのは、曲名が『モルダウ(ブルタバ)』から『ブルタバ(モルダウ)』と主従逆転したことだけだ)と推察する。このことから、タイトルはややユース寄りの発想で決定されたものと想像できる。直前までフルパワーで歌っていたSSを短い休憩を挟んで続投させたことは、ユースの『モルダウ』を、せっかくだからボーイソプラノも参加させましょうと組み込んだ発想が容易に想像でき、実際の演奏もそうした声作りを感じさせた。立教中学校聖歌隊のようなテイストの合唱で、歌い始めからSSの声は突出させずユースの声とソリッドに鳴らすという仕上がりに上手くまとめている。フレーベル少年合唱団がこれまでOB合唱団など男声と組んで歌う際の基本線だった「あくまでも男の子らの声がメインで、男声は添え物」という発想から一歩前に出た20年後を見据えたものになっているのが評価できた。

これは間違いなく指導による新面目だが、実は歌っている子たちの団員生活の来歴にも種明かしがあるように感じた。名称は「SS」と「ユース」の厳然たる別クラスだが、彼らはコロナ外縁の時代、長いことF館5階で同じ「S組」の子供として肩を並べずっと歌っていた。特殊な時期ゆえ、選抜されることも取り出しを受けることも出演で招集されることも無く、かれらはずっと練習室で各パートのチームを心の拠り所として一緒に歌い、マスク越しにじゃれ合う毎日だったろう。コロナ禍が終わり、一緒に歌っていた彼らは変声した者にユースの名が付され、変声未到の少年たちにSSのタグがかけられた。
だから、『モルダウ』でSSとユースが卑近に邂逅し、両者があたかも他人同士のようにそらぞらしく「それぞれのチームの歌を一意専心に歌っている少年たちの表情」チックな演技を客席に見せていたのは、思わず吹き出してしまうほどカワイく(?)て素敵だった♡!なんのことはない、ブレスのニオイからその子のクセまで全員がよく知りあう友達同士なのである。キミら、小6・中学生にもなってまったくヤッちゃってくれるよ!ヤンキー少年合唱団員たちめ!日本一だ!最高だ!大好きだ!私はニヤニヤが止まらなかった。その情景は、あたかも59回定演『パプリカ』の前MCで野木先輩が見せた満面の「ドヤ顔」の様相だった(どうしてドヤ顔をしていたかは、周囲の団員たちがあまりにも気の毒なので、ココには書けない)。

 

宗教的な後見の希薄な、ギャングエイジ集団を根城とする日本の少年合唱において、「声変わりする」と言うことは「終焉(終わり)」「遺失(失うこと)」をまったく意味しない。むしろ各々の団員がボーイソプラノでフレーベルに徒党を組んで歌った賑やかでヤンチャな日々の中から、いったい何を持って行ったのか。声変わりした後に各自が何を得たのか。もちろん、大竹のように在団中すでに彼のゲットした宝物が客席の私たちにもハッキリ聞こえて見える場合もあれば、卒団後何年・何十年もたってそれが現示される団員もいるだろう。いずれにせよ、日本の少年合唱団員にとって、声変わりした後にこそ、彼は大切で貴重な、他に得難い資産をもらうのである。男の子の変声を面白おかしく、また逆に無常儚きオ耽美気取りでシタリ顔に語ったり、あるいはなんちゃってアナール派的な文脈に落として学究を装ったりする輩は明らかに存在するが、少なくともフレーベル少年合唱団員に関する限り、これらは全くの大間抜けの言説とも言うべき愚行と思える。

OB合唱のわずか2つの小品は、時間的に5分間程度の「ほんのちょっと」と言ってもよい演唱だが、彼らがフレーベル少年合唱団の日々から変声後に何を得た(得てきた)のか、実に明快・爽快で膨大な抱えきれない量のメッセージを送っていた。尠くも筆者はそこに「少年合唱団は声変わりしたら終わりで何も残らない」とは口が裂けても言うことができなかった。61回定演に通底する文脈から、このプレゼンスは今回大変際立って強く私たちの心へ響いたと言える。
2曲は初代指導者への敬意をもって選ばれている。かつてみんなのうたも『シューティング・ヒーロー』も歌ったOB合唱団は近年、磯部俶の珠玉の作に絞って現役の定演に加わっている。

『じんちょうげ』(「おかあさんのばか」1965)は男4部らしく少しゴツゴツした歌声になっていて、荒削りに聞こえるよう仕上げていた。曲集全体のイメージを遵守しようとしたのかもしれないが、OBたちの初句「♪げんかんの戸を開けたら」は、いきなりハッキリと明確に私たちの耳介へ飛び込んできた。この小品の詞の最も心を打つ最高潮の場面は小学生の彼女が「玄関の戸を開けた」という行為報告に集約されている。OBたちはそのことを十分わかって歌っているのである。その証拠に、客席の人々は彼女がどうしてしばらく玄関の戸を開けてこなかったかを何気ない歌詞から伺い知った途端、声にならない嘆声を発していたように聞こえたからだった。だから、OBらの2度目の「♪げんかんの戸を(いっぱい)あけた」の高唱を聞いたとき、私たちは完膚なきまで完全にノックアウトされ仰向けにぶちのめされた。小学生の女の子が書いた、行替えしただけの散文のような詩をそのようには決して聴かせない、作曲者とかつてその元で歌っていた少年たちの技量が感じられた。現役たちに対しこの曲で彼らが言っているのは、日本語の歌は日本語をハッキリと明瞭で正確に伝えなくてはなんの価値もないという諫言だった。

2曲目には磯部俶×ろばの会を象徴する至高の名作『びわ』(1956)が歌われた。
OB合唱団も参加したCDにも収められた作品で、1曲目から一転、非常に柔和で綺麗に穂先を揃えて歌い描かれておりステキだった。鍛錬を受けたボーイソプラノの、5年から中学生くらいまでの男の子がソロで歌っても全く遜色なく響くよう作曲されていて伴奏もきちんと沿うように鳴ることが、彼らの演奏から伝わってきた。現役たちから見ればおじいさんと呼んでもよい世代のOB合唱の響きの間から、きれいな汗にほとびた紺のfベレーの下であたたかい息を一本吐きながらこの曲を歌う一人の男の子の微かな倍音や図像が少しずつ漏れ出てきているのが見取れ聞き取れる。2曲目『びわ』に於ける現役たちへ贈る言葉は、きみたちだから出せる、歌に込められたハートの現示のようなものだった。

 

ステージはここで夕刻の陽の高さをきちんと考慮し、『沖縄ソング・アルバム』のタイトルで4曲を歌って打ち止めた。指揮者は固定だがピアニストを曲ごと3先生で交代担当する(おそらく指導クラスの合唱ピアノを信頼した)面白い展開になっている。

SSは2月のコンサートでの編曲版初演をトリビュートして『島唄』を幾分かこなれた質量のある歌声で披露して開幕。つぎにポンキッキ出自で、前回の沖縄定演でもA組を動員し良い意味キッチュさのあるあたたかい柔らかなイメージで客席にプレゼンしていた『ユイユイ』(ゆいまーる)を今回は幸運にもS組の声で継承している。『とーしん…』を除くとこの演奏がウチナーステージではとりわけ客席寄りの美しい体面を持っており、開幕でも聴かせた精気のある高声と、実はウチナー民謡になくてはならない重大要素である「へーし」(囃し言葉)を軽視することなく心を込め、音楽として聴かせるS組らしい誠実さがハートに火をつけた。何よりもpfがペダルを踏むのかソフトに鳴る中、ソプラノ・チームの少年たちがパート単独で(おそらく2小節間弱だけ)泳ぐゾクリとさせる彼らのカッコイイ歌声は強く記憶に残る。また、3-4年生のみのチームでありながら、かなり緻密に強弱や抑揚などアーティキュレーションのメリハリをつけていて(しかも、それが当然の行いとして彼らの小さな身体の中に宿っているようで)魅力的。
やや重い印象の『島人ぬ宝』をユースクラスに受け持たせ、各曲S・SS・ユースとクラスごとの特色ある声でまとめて無難に最終ステージを転がしていった。

多少はあるが、ここでは各チームというよりも所属団員の個々のカラーがクリアで明るくショーアップされて見え、視覚でも楽しめる演奏になっていた。コロナ期に活動報告としての「オンラインによる定期演奏会」などの代替をせず、あくまでもライブ公開にこだわったフレーベル少年合唱団らしい「男の子の歌いをナマで見せる」舞台が展開されていたことに観客は満足したことだろう。

 

『沖縄わらべうた・民謡メドレー』は、『てぃんさぐぬはな』『はなぬーかじまやー』『あさーとぅやーゆんた』『とーしんどーい』の魅力たっぷりなウチナー民謡ばかりが4曲もデラックスに続く。エイサー系あり、スコールでびしょ濡れ(悲惨!)赤嶺駅で聞いた(…個人の体験ですw)祝い歌系あり、おばあの優しさ系もありのまさにチャンプルーなメドレーだ。
『てぃんさぐ…』の8分の弱起で起きる冒頭の精悍な少年らしい爽やかなユニゾン。本曲と『…ゆんた』の旋律線の中に、聞き覚えのあるホッとさせる少年たちの一人一人の声が鮮やかに鳴り渡り、得をした気分になるとともに爽快、心地良かった。『…かじまやー』の愛らしい(?)、彼らを慈しむ気分にさせられた「ティントゥン マンチンタン、ウネタリ主ヌ前 御目カキレ」の美しさ(彼らは、これがどんなシチュエーションで歌われる曲であるのかを理解しているのだ)。
かくしてプログラム掲載のオーラス曲『とーしんどーい』が振り付きで華やかに歌われた。
SSS+ユースがひな壇を広大に使って、それぞれの年代ど真ん中の歌いを展開する。幼いがピッチの堅いS組、変声途上のお兄さんぶりなユース、濃厚で情念に満ちた旋律性のある声を獲得してきたSS組。前回のウチナー定演のような鳴り物入り大騒ぎという混沌ぶりとまではいかないが、ロミロミサラダ的な食感、口当たり、直感的な華やかさで円満に聞かせている。少年合唱団なので、グーに握った拳の返しを見せる。ただ、小さい団員たちはゼブラパンやヒージャー汁を常日頃ゴソゴソ食べながら育っているわけではないため、振る肘は流れ、腕のスナップはどろどろ、掌も開き気味なテーゲーそのものの姿も散見される。一方で、冒頭に述べたように非常に振りのキマッた団員ももちろんいて、男の子ばかり集まった等質な集団でありながら、演唱そのものは見た目にもダイバーシティーが楽しめるにぎやかなフィナーレとなっている。これは明らかに彼らの魅力であり持ち味。あえて、故意にそれを見せ、聞かせていると考えて差し支えないだろう。構成的には、前半の部の最後にA+SSSのコラボ、後半の部の最後にSSS+ユースの共同戦線と、微かだが明らかにカラーをずらしたアライアンスで楽しく統一性を持たせてある。また、ウチナー方言の詰まったカチャーシであるため、私たちやまとんちゅには歌詞のコトバを楽しむことが能わない。その代わり、子供たちのチバリ姿や視線、表情、めっさテーゲー(笑)な踊りっぷりや一方バリバリに決まった振りの男っぷりの良さ、そして一人一人の歌声の温(ぬく)さん熱ちさんといったものに自然と聴衆の視線と聴覚、臭覚は向く。歌というものをテーマ性や文字情報としてしか楽しめない者にはさぞやオモシロ味の少ないステージだっただろう。この、少年合唱を目でも耳でも五感で楽しませようというスキームは、61回定演全体を貫く謀略とも呼ぶべきアッパレな企てだった。完全無欠では無かったが、これがフレーベル60年の歴史を書き換える布石の大きな一目であったと考えるべきだと思う。

 

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男の子が室内でかぶっても良いのはベレーだけであること。ワイシャツ着用(開襟で裾フラットの場合は免除事項が増える)。タイと靴下を必ず付けること。ベルトかサスペンダーのどちらかをしていること。革靴をはいていること。…少年の順守すべきフォーマルのルールはそれだけだ。手入れの行き届かない頭髪をカバーしてくれていたベレーを脱がせたり、ジャケットの下に半袖シャツを着せたりといった究極のマナー違反をさせてまで上着着用にこだわる意味はどこにも無かったのだ。SDGs 環境分野のハードカバー児童書を刊行したりする出版社の合唱団が、真夏の猛暑日にジャケット着用でエアコンをガンガンに効かせて歌う意味はさておき、私たち観客のメンタルは明らかに「見るからに暑苦しい」と悲鳴をあげていた。体温もハートの温度もオツムの沸騰頻度も高い活発な男の子たち。普通に立っているだけの彼らの姿に私たちは熱を感じる。それはそれで魅力なのだが、そういう彼らにジャケットを着せて見せる必然性も芸術性も判じられなかった。
夏定演になってから、客席の評判があまり良好とは感じられなかったステージジャケットの着用について、今回ようやく改善が見られた。ベレーについては ①寝癖隠し・ 形ばかりの汗止めという機能もあるのだろうが、②ベレーもジャケットも外すとフレーベル少年合唱団員であるということを表す徽章が皆無になってしまう。 定演時には着帽もやむを得ないのだろう。また、ボウタイについても、私たち観客はタイの形状で所属クラスを見分けているので、複数クラスを組み合わせてステージに乗せる今回のような場では鑑賞する立場からは外してほしくない。ソックス丈について夏場はクルー丈がふさわしいのだろうが、私たちは男の子の下腿が異様にキズ・アザだらけで超バッチいことをよく知っている。昭和時代、夏休み後半の男子小学生はほぼ間違いなく全身日焼けて真っ黒だったので、以前はクルー丈を履いていても粗が目立たなかったというだけの話だ。

 

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ギリシャ神話、竪琴弾きの楽人オルフェウスが黄泉から戻る話である。
様々な点で旧弊を排する充実した61回定期演奏会だったが、最後にもう一つ「団長挨拶と影アナ以外のMC等で大人がしゃべらない」ということを取り上げておきたい。今回、最下クラスのB組はもちろん、OB合唱の前振りMCですらマイクの前に立っていたのは男の子だった。このことは彼らの団員としてのアビリティーの高さを示すとともに、合唱団が観客に何を聞かせて楽しませようとしたのかを示唆する非常に好ましい出来事だったと思う。だが、アンコール曲目について指揮者は最後にほんの一言発した。この発言はプログラム記事にも書かれている曲集の販売告知の念押しで、以降の少年たちの速やかなステージ進行に影響を与えていたように感じた。ユースの退出タイミングは乱れ、本定演を象徴する少年団員が発する見せ場のアンコールMCと重複してもいた。ここまで一貫して団員たちの歌と姿に集中していた観客の意識は、この告知で少年たちから大きく指揮者側へ反れたように感じた。

 

拙文の最後に、フレーベル少年合唱団1967年リリースのLP『フレーベル少年合唱団--ぼくらの演奏会から』(キングレコードSKK(H)-284)に収められた『谷の子熊』について触れたいと思う。このサイトの2020年12月の記事冒頭にジャケット写真を掲出したレコードだ。『谷の子熊』には印象的な歌詞が付され、2名のソロが当時のレコーディングのごく標準的手順に則ってラスト前コーラスを受け持つ4番構成の2分45秒程度の作品だった。リリース位置はB面の最後から3曲目にあたる。
とりわけ筆者の気を引いたのは、団員たちの「子熊」「父さん熊」をつくる「グマ」という発音だった。この単語は3分間にも満たない曲中に、低声のフガートもあり13回出現している。団員たちは21世紀の私たちが聞いて震撼するほどあっけなく、自然に、難なく13回すべて「ま」と実に美しい山手標準語の正確な発音であっさりと歌っている。ソリストたちも、アルトの団員も全員!1960年代後半、小川町の旧F館の練習場へ行って、A組・B組・中学生・ソプラノ・アルト・途中入団者…等々さまざまなタイプの団員たちを引っ張ってきて「『子熊』って言ってごらん」と、尋ねたとしても、全員が「こま?」とアッサリ即答したことだろう。そのくらいLPの音溝からは発音の揺れやウッカリ(例えば3コーラス目の最後だけ、アルトの端っこの団員だけ、ちょっと幼い感じの団員だけ「こぐぅまぁ」と発音したりすることが)一切聞き取れない。おそらく、これは指導などではなく、フレーベル少年合唱団にやってくるような少年たちは例外なく山手標準語の正確な発音話者であり、これらがごくごく日常的な発音だったということがうかがえる。
恐ろしいことだが、21世紀に生きる私たちはこのLPディスクの全体的な発音を聞いて「なんとなく古臭い」と思ってしまう。懐かしいと感じる者もいるだろうが、要は「現在の発音と違っている」ということだ。

現在のフレーベル少年合唱団の団員たちが彼らの歌の中に具現する日本語は明らかに美しい山手標準語の正確な発音を逸している。団員らの日常聞く音楽に聴かれない発音であり、おそらく合唱団指導者たちも既に正しい発音歌唱経験を持っていないのかもしれない。私たち聴衆は、少年たちが「何を歌っているのか良くわからない」という現実に、少しずつでも真摯に向き合っていく覚悟を決めなくてはいけない時期に来ているようだ。合唱団が60年の歴史を塗り替えようと邁進している中で、聞く者もまた自らの鑑賞経験を塗り替える必要があるのかもしれない。


60回定演が終演し、この演奏会の何が良かったのか幾度も考えた

2022-11-27 13:43:46 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団 第60回記念定期演奏会

2022年8月31日(水) 午後6時30分開演
東京芸術劇場コンサートホール(池袋) 
全席指定 2000円

大竹くんたちみんなの、初めて見る上級生ネクタイ姿。広くなった肩幅で伸びた甘く温かな声をホール音場に聞きわけられた瞬間の、なんとシアワセだったことだろう!
友金くんたち上級生の至福だが真摯に真っ直ぐ互いに添い立って歌う表情を再び拝むことのできる場面をどれほど長く甘苦しく待ち焦がれたことだろう!
野木先輩たちのすっと伸びゆく謝意に満ちた上背のシルエットと歌声を「終わりよし」の心地から楽しめる夕べの到来が、いかほどか、かけがえのないことだったろう。(しかも池袋の地で!)

フレーベル少年合唱団第60回定期演奏会は、筆者にとって(おそらく全聴衆にとっても)、あからさまにいとおしくも甘く切ない素晴らしい演奏の夕べだった!

「唐突に」という形容すら成立するかもしれない。3年間のブランクを凌駕する団歌の始まりだった。
「我ら歌う少年ら、チータカタッタと、ここに集い!」という前奏ファンファーレ…1959年フレーベル少年合唱団誕生の高揚と、当時の少年らの曇りなき青眼は、もはやここには感じられない。(*)60余年の波乱を乗り越え、結局60回目の定期演奏会を前に私たちを襲った辛く悲しい事態を我が事として大人びた冷たい目でうべなうことになった高学年団員たちの歌声、というやるせない味付けが、今定演開幕の団歌『ぼくらのうた』の歌唱にはありありと感じられる。同じ曲を毎年歌わせながら、今年、そこには小中学生男子の持つ体温の高さや無邪気さ、明るさ、楽しさ、「…結局、キミら…『人生とは』…なんて誰ひとり考えて無いんだろうね??!」的な天真爛漫さの魅力などが一切読み取れないように被覆されている。極めて篤実なエンタテイメント性を備えたオープニングの持って行き方だと私は瞠目した。
(*団歌に間奏・後奏が入っていた時代、少年たちはコーダに向け、「緑の丘へ!」とマルカート・アラ・マルチャで行進曲風の味付けがしっかり出るよう高らかに歌っていた。彼らは高度経済成長期日本のモーレツな少年合唱の実践と発展の一翼を担っていたのである。)

しかし、かなり以前から劇場サイトへの告知掲出があったため、”突然のことで驚き”ということは無いのかもしれないが、冒頭1曲目のレパートリーは、なんとクロッカーの『グロリア・フェスティバ』だった!?
3年前の前回定演のオープニング・ナンバーである。
観客を3年前の時間軸へ引き戻して演奏会を楽しんでもらおうというお客様サービスだったのかもしれないが、これは(コロナ前の定演と同じ曲を同じ箇所で扱うことは)非常に危険な選曲で、小心な私だったら決して踏ん切れない大英断だと思う。

レモネードの匂いがする制服の左ポケットからにじり出したくしゃくしゃのドル札2枚とダイム1枚ネコ2枚ワシントンのクオラ1枚をパチンとレジに置くと、お店の人がenjoy!と目配せして「楽しく歌いなさいよ」と言いながらこの楽譜を手渡してくれる情景がありありと目に浮かぶ。合衆国の6年から11年生ぐらいの子供たちの日常の姿をよく具現した1曲で、歌詞にあるミサ通常文はここでは殆ど景気付けのはやし言葉程度の意味しか持っていない。(クロッカーはラテン語部分の意味の説明を一切せず、「こう発音すりゃそれでイイんだからね」とローマ字読みのような発音注記だけをご丁寧に載せている)。その囃しコトバのようなメロディーを「ポスト・コロナ・フレーベル」独特の、飄々とした声が、ぱた、ぱた、ぱたと積層してゆく。私がここで安堵したのは、メゾとアルトがリードして始まる初句の少年たちの背負う身軽な信任だった。コロナ前の数年間、フレーベル少年合唱団S組のアルト声部に顕在し直截に在った臭気は、彼らの体臭や生き様や矜持や指導ではなく、彼らに対するあからさまな「評価」だった。おそらくそれは部外者や一見の観客の目にも明らかであったろう。だが2022年の低声部がリードするキックオフには、少なくとも「評価」に類する査定が見つけられなくなっていた。フレーベル少年合唱団のアルトは癒されたのだ。

続くソプラノ部が単独で突っ走る4小節目から先を、下支した低声たちの慈愛と分別のある合流は、せせらぎのように静かで品もあり聴いていて心地よい。A-Duaにギアアップし「カム オール リジョイス イン ザ ライト」と歌う高声部をドルチェで受けとるアルトの少年たちの心象の自由さ、晴れがましさ、そして何よりも楽しさ弾けっぷりは新しい「フレーベル少年合唱団アルト」の記念すべき健全の凱歌だった。(…と、書いては見たのだが、この部分の約16小節間で聴衆の心を鷲掴みにするのは、ソプラノとメゾの紡ぐ老練の超カッコいいハーモニー!これを意識させずアルトの方にだけ人々の目を向けさせ賞賛を譲るメゾ団員達は「おまえも悪よのぉ」なトンデモない確信実行犯である…)

筆者のプログラム設定に関する杞憂はこの曲に関して完全な見当違いだった。前回の演奏で強く感じられたF音から↑Cへの跳躍(?)で声が抜けてフォールする現象(このモチーフは曲中に9回ほど登場する)はソプラノ・メゾではほぼ克服されていたし、団員の立ち位置の間隔や音場が彼らの耳を幻惑させてしまうのではないかという問題も許容範囲内に留められている。獅子奮迅のアルト・リードの声は常にブライトで明るく私たちを励起させる。

結局アルトの諸君が1拍リードで上の声部の子達を引っ張ってゆくフィナーレのおよそ12小節、冷静な声で歌い始めながら、最後はフォルテシモからディビジ5声で全音符タイ2つを啼く華麗なエンディング。カットオフのPf.がターボ吸引のように「何かスゴいことでもあったんですか?」とばかりこれを収め静寂に帰す憎らしさ。子供達の合唱がうまくいけばいくほどこの落差は大きく、痛快だ。

演奏会は今回も魔笛2幕16番三重唱「再びお二人を歓迎します!」を約倍増員で歌って開幕している。このプログラム設計とクロージング・プランは、曲のタイトル通り「再度、皆様方を定期演奏会に歓迎いたします」という趣向になっている。だが、演奏の内容は今定演の概観をさりげなく(しかし明確に)伝えるものだった。
東京芸術劇場大ホール(改修後は「コンサートホール」という名前に変更されている)を少年たちがどう鳴らすのかを全ての観客は目撃することになる。そして第一声から「コロナ禍の間にフレーベル少年合唱団本隊がどのような歌いを獲得してきたのか」というプラス要素を私たちは耳にする。大ホールがポーイソプラノを煌びやかに粒立ちよく聞かせ、しかも場内音響が彼らの声も合唱も、もにゃもにゃと残響でつぶしてしまうことは無い機能美も報知する。低声部はクリアに聞かすが突出させることをしない。曲の終わりに繊細さデリカシー0(ゼロ)のはずの男の子達が落ち着いて薄皮のようなメノモッソをかけるのを聴いて、ヒエぇーと心中驚嘆の声をあげさせられ、おしまいかと思うと、前回とは異なり、エレガントかつ愛らしいタッチで後奏を鳴らすピアノのアマデウス味も味わえる。

高額なチケットノルマをこなす保護者サイドが1階席の占有優先を持つのは当然の特恵だと思い、また、さぞや大変なノルマだと思うのだが、プログラムには既に次回61回定演のインフォメーションが載っていた。
「文京シビックホール」の文字にちょっとガッカリ…というか、子供たちの声をこんなにフレッシュで煌びやかに響かせた東京芸術劇場で開催実績が作れたのに、なぜ? キャパシティ的にも観客動線的にもノウハウ的にもコロナ時代の開催を無難にクリアしており、音以外の点でも極めて少年合唱団のコンサートにふさわしい芸術劇場の興行に区切りをつけてしまったことは非常に口惜しい。いつか池袋に再凱旋してほしいものである。今回の演奏会場選択は、聞く側(観る側w?)の立場から評価して紛れもない大正解だったと思う。

続いてラターの『永遠の花』ヘルビック日本語版が歌われる。少年たちは一転、高声部主導でユニゾンから穏当+確実なピッチのハーモニーを堅持して歌い切る。コロナ禍の過ぎ越しのミッションと思われる鎮魂の曲なので前曲のような躍動感は求められない。男子小学生メインの合唱団のオープニングステージの選曲として、量的・冒険の度合いについてはお客さまがたからの感想を待つことにしたい。団員たちはどういう「声」を目指してこの曲を仕上げていったのかいつの日か聞くことができたらさぞや興味深いことだろうと筆者は思った。

ここまでのステージの担当は、SS組と名付けられた変声前の最上位クラス。
フレーベル少年合唱団は今定演からクラス編成を従来の3クラス+ユースから、SS・S・A・B+ユースの構成に増組した。
かつて、国内の大所帯の少年合唱団の指導者は、経験のある公立小学校教諭が社教的指名で任ぜられていることも珍しくなかった。先生方にとって、100人程度のわけわからん小中学生男子の前で棒を振るなど、朝飯前のこと。彼らは配属校の音楽集会や学芸行事で複数学年の100人を超える、多様でちっとも言うことを聞かない子供たちを苦労しながら毎日歌わせていたからである。ただ、少年合唱団の員数が増えてくると、小学校の古い音楽室などを利用していた練習場のキャパシティ限界は無視できないものになってくる。関西圏ではとりあえず学年ごと1クラスにまとめステージに乗せるという慣習のみられることがあった。一方、ピアノを置いた大人向けの小分けの練習スタジオを常時間借りしていたVBCでは1-2年目を予科1年 予科2年 というくくりでクラスにまとめ、3年目からはソプラノ・メゾ高・メゾ低・アルトのパート分けで対処した。かつてのフレーベルでは、フレーベルジュニア(後のJ組)・B組・A組の3クラスが基本。ただし、年度によって選抜などの配員からC組の組織があり、これはコロナ前のS組とある程度類似性を持っている。
今回の4クラス+ユースの編成は上記の各団体の集団組成からコンセプト的にあまり逸脱していない穏当なものだ。

だが、筆者はこのSSというどこかで見たことのあるような記号(戦時ドイツ史を真面目に学んだ者ならば、この名称を子供たちのグループへ安易に名付けることが生理的にできないだろう)に、フレーベルの歌声を様々な意味でピュリファイしていきたいという指導陣の強い意図を感じる。その点から考えた場合の子供たち側からの正直な反応は、インターミッション明けのSSSAの連合で聞かせた『カイト』で明らかにされるだろう。…彼らが遠慮がちに差し出した回答は「風が吹けば歌が流れる」とばかり、そこに聞くことができる。

定演前半の演奏者はプログラム上SSが3曲、Sが4曲、ABがともに1.5という大変不規則なものになっている。これは各クラスの経験・実力や60周年ステージを計算してはじきだされた曲数に間違いない。15年位前のフレーベルなら終演が9時をまわる長丁場で全クラスがきっちり歌って済ませたことだろう。АB組の保護者や現А組ファン(私だ…)には大変気の毒だが、どちらのプロ構成が良いかは明らかだろう。

こうして猛然と可愛らしいB組が登場する。
歌うのは新沢ナンバー2曲(「ハミング」はA組との共同戦線)だが、前回B組同様、チビMCの「高品質+高好感度」の選抜の正確さは、もはや「精密爆撃」のレベルである。私たちは今年もまたフレーベル少年合唱団の小さな小さな団員達のステージ上のふるまいにノックアウトされ、自分たちが歌を聴きにきているのかそれとも夢を見に来ているのか前後不覚の境地に喪神させられる。

だが、彼らのセンセーションはそのルックス(?)の可愛らしさではなく歌声の練度の方だった。原調では無いのかもしれないが、筆者には彼らが勉強のためなのか『ハッピーチルドレン』をドドドミ レミファと彼らの特許声域をかすかに広げるレンジにしてもらって歌い始めたように聞こえた。正直な感想は「えー!ウッソー!」だ。ボーイソプラノの合唱で一般ピープルがナントカの一つ覚えのように希求する「カナリアのように美しい高い声」を嘲笑うかのような彼らの「低い声へのガンバリ」に、私たち観客は、歌う幼少年らへの武者修行を感じとり、うっとりと耳を傾けたのだった。全体として低めのメロディーを、伴奏に担われて繰るために、曲がややどんよりと聞こえるのはご愛嬌なのだが、例年のAB組ステージがギリギリのラインでわからぬように聴かせていた「一人前のボーイソプラノになるための鍛錬」としての選曲がやや前に出たような気がした。フレーベル館という企業の教育産業としての舷灯を考えると、これは全く納得のいく方向性だと思う。

A組を加えて、(やはり同様に指導的な)『ハミング』が歌われた。
低めの歌い出しから旋律線は念入りに頭声を要する音域へ漸進しシフトアップしてゆく。
何がそうさせているのか、私たちはそこにA組チームのきららかな「体臭」を嗅ぎ取る。
(不動の人気をほこる新沢作品だが)ほとんど何のドラマも感じられない鼻歌のような眠たい味気のない楽譜を、私たちが身を乗り出して聴いてしまうのは、低学年用のネクタイを締めた子供達の、このそこはかとない、だが、しっかりと客席に香る歌声の「体臭」がもたらす効果であったことはもはや否定のしようがない。

ひと時は2015年のクリスマスの夕暮れだった。
合唱団S組は12月25日の夕べにも1時間おきのクリスマス・ミニコンサートを3本も打つという、非常に精力的な出演をまだ行えていた(団員らはさぞ楽しい仕事だったろう)。地下鉄丸ノ内線後楽園改札脇の小さなステージだったが、いつものように観客たちは彼らの目前1メートルの卑近までびっしりと詰めかけてクリスマスソングを熱心に楽し気に聞いていた。
午後5時の回、『サンタが街にやってくる』を歌い終わった団員たちが撤収を始めると、立ち見の客から前列アルト側に向けて個人名を無心にコールする一団の少年たちの声が聞こえてきた。彼らは幾度も幾度も「柴田ぁ!」「柴田ぁ!」と真剣に呼ばわっている。明らかに4か月後には5年へ進級する小学4年生の男の子たちの声だった。呼ばれた本人はシャイで男らしい彼らしく、少しく微笑んではいたが、ステージ上では退場中といえども決して少年合唱団員としての機序法条は曲げない…退場方向を真っすぐ見すえ、耳だけで、友の声援を嬉しそうに聞いている。彼はすぐ翌年、『美しく青きドナウ』の第4ワルツの二重唱をステージで歌いこみ、『ミクロコスモス』のソロ「きつねの歌」を吹き込むことになる。私はあのクリスマスの日、フレーベルの子供たちが定演を含め日々方々のステージで、友ら少年たちの同様な声を浴びながら微笑むことにようやく気づく。団員たちにとって、おそらく友らは母の次にうれしい応援者なのだろうが、その黄色い声援は周囲でそれを聞く者たちの心をも温かく爽快にしてくれるご祝儀でもあることを思い知った。

コロナ前の年月、定期演奏会で隊列の退場に際し常に小さな幼い友人たちの夥しい喧しいくらいの呼名を浴びていたのは常にB組だった。叫んでいる幼少年たちも、名を呼ばれている幼少年たちも、小1プロブレムやプロブレム予備軍世代真っただ中の子供ら。わきまえの無さ・場知らずの子供っぽさなのだが、私はあの声を聞くたびに「フレーベルらしくてイイな…ステキだな」と、6‐7歳児のぺしゃんこな横顔にどこか嫉妬のような憧れを感じて客席へ浅く腰掛けなおしたものだった。

合唱団では今定演、AB組の演目圧縮から、A組に『ハミング』のコーダを歌わせ(ハミングさせ)ながらB組の退場をおこなうという演出的な対応策をとった。このため、コロナ前に聞かれていた呼号をそこに確認することが私たちには叶わなかった。観客になるべく口を開けさせないという感染防止だったのかもしれない。いずれにせよ、「B組らしくない」「フレーベルらしくない」ステージ印象が、「小さい連中は、とっとと手堅く片付けて済まそう」という思惑の見え隠れとともに控えめではあれ生じてしまったのは、このようなことが理由だったのかもしれない。

 A組が隊列を整え、『パックス・フレーベル2』を象徴するナンバーとして、『宝島』は歌われた。
かつてフレーベル少年合唱団は二週間に一度というすさまじい頻度のペースで都内各所(具体的には錦糸町アルカキット、後楽園メトロエム、大井町きゅりあん小ホール、文京シビック、駒込天祖神社、文京区の社教・公安系の公共施設、そしてフレーベル館本社エントランスや六義園しだれ桜前広場など)で30分間前後のコンサート・出演を打ち続けた。歌っていたのは早野先輩世代付近の団員たちから…ギリギリ山浦先輩ぐらいの代までの、未だ「A組セレクト」「セレクト組」などと呼ばれていた最年長チームである。レッスン時間よりも出演に費やす時間の方が長いのでは…と思われる日々、彼らが繰り返しステージで聴かせていた曲の一つが『宝島』だった。
これを『パックス・フレーベル2』から最も遠いところ…合唱団で一番辛い目に遭いながら懸命に歌っているA組に担わせる。その感動はひとしおだった!
明らかに基礎訓練期間へ制約を受けたままA組にされてしまった彼らの歌声は、10年前の怒涛の出演の日々、やっつけ仕事のように都内各所をまわっていた少年たちの荒削りな歌声を思い起こさせる。60回の節目の演奏会にこの作品が聞けたことは、実に心に響く選曲とA組の真摯なガンバリにも付随して無条件に素晴らしかった!
「ほら、コロナの一番ヒドいときに採られた子たちだから、こんなもんなんですよ。」と言わんばかりにA組というラベルを貼られてしまったように見える少年たち。しかし観客にとっては相反し真逆の存在として心に焼き付けられた。彼らは、実質も生き方も本性も間違いなく不撓不屈の勇気を与え持つスーパーヒーロー集団だ。私たちはこのA組の子供たちのように生きなくてはならないと信ずる。結局何が起きようとも、おそるべしA組なのである。もしここに立っているチームが公表されているように(早生まれ遅生まれの区別なく)小学二年生のみで成立しているとしたら、非常にレベルが高く安寧に指導されている2022年国内屈指の「歌う小2男子たち」であると言わざるを得ない。

 


TBS系 日曜劇場「DCU」オリジナル・サウンドトラック
B09RLPZDBJ
『Saved life』…カ、カッコいい!!このタイプのボーイソプラノがお好きな方には、かなりの母性本能殺傷能力があり、取り扱い注意の危険なナンバーです(w。60回定演のSSSチームのメインストリームの一つになっているトーンでもあると思われます。ボーイソプラノとしての枯れかたを綺麗に精巧に使っていて…と言うよりもこれが彼の声の味なのです。(2022年1月/3月22日リリース)

 

一聴して明らかだったように、S組は金子みすゞナンバーの中でも比較的曲調が明るく快活な作品を取り上げてステージに乗せている。S組のアビリティーにならった好選曲で、彼ら自身も、観客もまた、元気でバリバリと歌う彼らの体躯に励起される。ギャングエイジ胸声の魅力と自発協働の頼もしさ。低声部が「僕たちでやってやる!」と垂範するベースライン、下支え。それらを素直に厚意と解して歌うソプラノの正義と美しさ!「こんな隠し玉だちがいたのか?」と一瞬驚くが、種明かしは前回59回定演でカウボーイハットをかぶって『ちびっこカウボーイ』を歌い、客席をリードして「いいないいな にんげんっていいな」と客席リハーサルをソロ範唱しまくっていた、超優秀な、全員どの子も即ステージ・ソロOKだった最年少チビB組連中(彼らは例えば当時の六義園などでの試験運用の姿や歌いの段階ですでにスゴかった…)がそのまんまS組に名を変えパンデミックをアンパンチして一人前の団員に成長した姿だったのである。「S組をSS組とS組に分けて歌わせるなんて、調子ブッこいたご都合主義すんじゃねぇヨ!」と観客で怒りを露わにクダを巻いていたオールドファンらは、この新S組の登場に、豁然「こういうのは大歓迎ですよ!早く言ってよ!」と押し黙ったことだろう。コロナ禍の閉そく感や私たちのストレスを確実に忘れさせるフレーベル少年合唱団らしい歌声と歌い姿の中学年版だったのである。それはあたかも「指導者たちは、この軍団をフレッシュなまま見せ聞かせようとしてわざわざSS組を押し出してしまったのではないか?」と勘繰りたくなるような歌の、歌い姿のプレゼントだった。AB組の団員の演唱を見て、私たちは、当時はB組であったにせよ、グループとして大ステージで歌った経験のある少年たちは力強く場馴れしている!と確信させられる。59回定演時の彼らの素敵な高揚ぶりやその一方で見せていた「定演なんてチョロい!チョロい!…ボクら、あと10曲はヨユーで歌えるもんねー!まかしとき!」の「ボーイソプラノどや」な頼もしさ(?)を思い返して、リピーター客たちは「全くこいつらヤッちゃってくれるよ!」と薄幸の金子みすゞさえ踊りだしそうなハッピーなひと時を過ごせたのである。天は二物を与えずだったのは、小学生時代の殆どを(3年生団員にとっては全部を‼)マスク着用で過ごした彼らが発する歌詞から漏れ落ちる、少年合唱団員でなければ問われることはないそこはかとない「発音の軽忽さ」だ。今後の挽回はおそらく可能!

この日、演目の編曲リリースを担当された大切なお客様は、お二方お見えになっていた。
子供たちは演目を歌い終えると彼ららしいMCの爽快さで呼号の出だしを導き、コロナ禍を乗り越えた少年らの声を揃え元気よく呼号した。
「せーの!〇〇さーん!」
こうしたシークエンスが2回繰り返されたことを考えると、MCは事前チェックが入った状態で発声されたものである可能性が高い。
「ホームページがリニューアルしました」「この部屋は静かにしてください」「お客様はこちらは食べれないですか?」といった日本語が普通に使われる21世紀の日本で、子供の繰るMCにあれこれ物申すような無粋をするつもりは毛頭ない。子供たちとクリエイターとの距離の近さを感じさせる文言だ。言葉狩りをするつもりも無い。ただ、文部科学省の幼稚園教育要領やこども園保育要領を公に刊行している出版社が運営する少年合唱団の定期演奏会で、少なくとも聴衆にとっては最大の敬意を払いたいお客様を「せーの!」という掛け声で呼び出すというMCにちょっと当惑させられてしまった。
初期初等教育や保育にかかわる者の多くはおそらく「子供になんらかの動作を惹起させる場合、「せーの!」という語彙の使用は極力避けるようにしてください」と言われ、代替する言葉を添えて指導されているはずである。Eテレのブッ飛び放埓男子小学生率いる料理番組『キッチン戦隊クックルン』でさえ、歌い出しが全く揃わないキウイーン少年合唱団に呆れて男の子が発した正解の掛け声は「さん、はい!」だった。団員や館の招待で客席にいた保育者たちや低学年担任らはどう思ったのだろう。

SSSAチームの演唱の中で、とりわけ彼らの魅力が溢れていたのは、インターミッション開けに歌われた『カイト』だった。これは前回の拙文でも触れたように、フレーベルの少年たちの本来持つケイパビリティーを指導陣が信頼し「選ばれし歌う少年たち」の主体性に任せた好演奏。
当日の演目の中では極めて攻撃的で、聴く者のハートを強烈に吸引しながら彼らの高い体温と男の子の心の鋭気でコーダまで持っていくという、本来のフレーベル少年合唱団の妙味を十二分に発揮するナンバーだった。喚声点を無段階変速で自由に上下させる彼らの訓練された広い声域レンジの実力・器量・練度が、本曲では幸福感と共にタップリ味わえる。目前に聞いてしまったら筆者は感激で号泣するだろう。編曲もカッコよくアーティスティック。A組の子達の声もアゲアゲにフォローしていて100万回いいねの煌びやかさ。
モデラートから諦観のような賢しらさで歌い始めつつ、(間奏前後の起伏を含め)これを次第に彼らの宝物であるやんちゃさ、アグレッシブさ、少年の覇気へピウ・モッソ風の味付けで一つずつバリバリと置き換えてゆく快感!叫ぶように歌い上げてゆく少年たちだけが持つ訴求力。声部ボリュームのバランスの適格さバランスの良さ。年齢差6歳前後もの幅を逆手にとったダイバーシティのユニゾンで押しまくることによって、曲オリジナルの嵐のサウンドテイストへのオマージュやパラリンピックの目指すバリアフリーへの希求が無理なくもたらされていく。「歌わされている」感が全く無い爽快も客席にはストレートに伝わった。伴奏も、まるで「小学生男子たちに引っ張られててんてこまい」というイメージを巧妙に演出しながら、実は明快なタッチを随所に効かせており、「少年合唱ピアノ」という日本に何十人もいない特殊伴奏のプロの技を見せている。
曲自体の来歴はNHK2020ソングで米津玄師の曲なのだが、前回定演の『パプリカ』のイメージを引きずっておらず、フレッシュな視聴感で楽しめた。これからのフレーベル少年合唱団の歌やご指導の方向性が、この曲の仕上がりのようであったら良いのに…と切に感じたのは、私だけでは無かったはずだ。
「ユニゾンばっかり」「ロングトーンが不安定」「ライム押韻がしっかり出ていない」「歌詞を間違えている子がいる」「声が幼くなった」「頭声が熟れていない」「エンド・リフレインへの曳航が雑」…なるほど、その通りだろう。だが、そう言う者には彼らの合唱の最も大切な、宝石よりも美しいところが全く見えていない。…と言うか、全然聞こえていない。哀れだ。

 

 
モンスターハンターライズ オリジナルサウンドトラック / カプコン・サウンドチーム
B08XNDNS61

フレーベル少年合唱団がコロナ禍中に成した仕事として、最もハイクオリティーかつゴキゲンでフレーベルらしさが横溢した傑作収録2本を含む。5曲目「おともだち」と88曲目「おともだち 日本語Ver.」
一聴して判明するゴキゲンさ!当時の合唱団のトピックたちを濃縮重合させ歌わせたということがスグにわかるヤバかっこ良さ。「おお!キミたちが!」チックなソプラノ側と、「きゃー!○○クン!!」(いやぁ、このアルト側、個人的に好きっす!)的なファン冥利につきる歌声縦横無尽でわずか3分32秒のタイミングを圧倒している。2021年5月発売。モンハン・ライズの世界観をきっちり遵守していることはステキでヤバ味十分。個々の団員の味がよく出ている日本語Ver.を聞くと、「フレーベル少年合唱団がコロナの気配を感じながらこの録音をこなしたことの価値やこれらの団員らの声をかろうじて商品として残せたことの奇跡にも近い貴重なタイミング」に驚愕や感謝や喜びを感じずにはおられない。大切な、大切な宝物的録音。

 

ユースクラス1.5曲。OB1.5曲 プラス ハレルヤ・コーラス。
AB組のステージのパターン踏襲に入れ子状プログラム構成をかましてインターミッション明けのプランは進む。
アカペラでテンポ100ぐらいの溌剌とした生気に溢れた『いざたて戦人よ』
歌い手の声質は涙が出るくらいクリアで粒立ちよく聞こえ、Pf.の打鍵がジュエリーのごとく詳らかにもたらされるが、語るようなメロディーとメランコリックな「落ち着き」に満ちた『しあわせよカタツムリにのって』
声質が聞こえるのだからすぐに分かってしまうのだろうが、フレーベル少年合唱団を知らない人に音声トラックだけを聴かせ「どっちが高齢者でどっちが中高生?」と尋ねたときの反応はたぶん微妙だ。
「いくさびとが若い人で、カタツムリってんだから年寄りでしょう? そう聞こえる。」
…この完全な錯誤は笑い話のように聞こえるが、フレーベル少年合唱団卒団生チームの実態や生き方やありかたをよく表していると思う。 

 


第11回定期演奏会で平吉毅州を歌うTFBC
フレーベル少年合唱団やLSOTから移籍してきた少年集団とFMの入団審査を受けて上進した本科生との混成チームである。彼らの元の所属をこの中に見分けることは当時の観客にさえ困難だった。
(指揮:北村協一 1996年3月28日 品川区きゅりあん大ホール)
 

 

かつて、工場を含めた日本の都会的な職場の多くで、従業員の昼休みのリクレーションとして、合唱はもてはやされていた。会社のビルの屋上や社員食堂の片隅などで、社内の皆が集まって男女職階の差なく歌を歌うということは、社会人野球同様当時の勤労者の日常にありふれたもので、とりたてて珍しいこととは言えなかった。グロリアがカトリックのサーヴィスとして始まり、VBCが日本ビクター専属のレコード吹き込みのためのプロの合唱団としてスタートを切り、多くの地方の少年合唱団が自治体の代表や学校音楽の特別活動や社会教育団体のような位置づけで走り出したのに比べ、フレーベル少年合唱団は、上記の社会人合唱団のような形で走り出したと思える。小学生男子向けの無料「うたごえ喫茶」の側面も伺える。少なくとも指導者の磯部が理想としたのはそうした形のレーゾンデートルだった。その実際がよく理解できる資料として、拙文にしばしば登場する1956年創刊の音楽雑誌『合唱界』がある。本誌はかかる人々のニーズから生まれスピンオフした『合唱界ヤング』(東京音楽社)がグループサウンズのファングラフの形で存立した後、最終的に海外の少年合唱団のファンムックのような形で1972年9月に休刊(?)した。フレーベルに関しては、創刊のころから演奏会のレポートが出始め、確認されているものの最後は1971年7月号の第10回定演レポート(共立講堂:各クラスのステージグラビアも写真ページに掲載されている)。
とりあげるのは1965年の定期演奏会のレポートである。この『コンサート評定記』は佐々金治(1912 - 2009:元日本合唱指揮者協会会長)・宇野功芳(1930 – 2016:指揮者/音楽評論家)・日下部吉彦(司会:1927- 2017:合唱指揮者)3名の鼎談という形をとっているが、「25日の夜、虎ノ門ホールで開かれました。これについては佐々さん…」という司会の指名があり、佐々氏が鑑賞報告という形で話をすすめる。

「これは磯部君がやっている少年合唱団ですが、すごくなごやかで、生き生きとしてるんですよ。子供らしいのです。演奏会というより、おさらい会みたいだったけれども、ああいういき方があの合唱団の持っている雰囲気かもしれませんね。」

可評価で切り出している。同誌他巻には当時同発のグロリアの定演レポートなども載っているのだが、「発声は良いが、ボリュームや生気に欠ける」などのパッとしない内容で文書量も1段程度とだったことを考えるとフレーベルの方はかなりの高評価だ。だが、佐々はこの後、

「(中略)我々、ハンガリー少年合唱団なんかが頭にあるものですから、ほんとうの音楽というものを、もうちょっと子供たちに植え付けていくべきじゃないかという気がしますね。」

と、つないでいる。1965年当時、海外から来日したことのある児童合唱団は史上わずか3団体しか存在しなかった。ウイーン少年合唱団とパリ木、そしてこの年(1965年)になってハンガリー少年少女合唱団が6月から8月にかけて来日演奏会を打っている。日本の人々はウィーンやパリ木の「ボーイソプラノ然」とした歌声とは全く違う、土着的で荒っぽい騎馬民族の血を引く子供たちがコダーイ・メソッドの学校正課として歌ってきたバリバリのバルトークやコダーイの合唱曲を聞いて「子供の合唱は、こんな極め方も可能なのか!」と衝撃を受けたばかりだったことは想像に難くない。佐々氏は結局、このレポートをこう結んでいる

「やはり望みたいことは、もうちょっと本質的な音楽教育を叩き込んでいった方がいいんじゃないか、私はそう希望しますね。ここのモットーとしては「楽しくいきたい」ということらしいです。まあ、私らがいうことはないと思うんですけれども…。」
(1965年11月1日発行『合唱界』Vol.9 No.11 (25-26pp.)東京音楽社)

団員が小さい子から中学生まで120人もいて、たくさんの大人たちも彼らを応援している。それなのに、「男同志、気兼ねなく楽しく歌って,『あー、スッキリした!面白かった!俺たち、また明日も歌ってはっちゃけようぜ!』じゃモッタイナイだろう?!音楽の勉強に打ち込む格好の場と好機だっていうのに!ま、本人らも指導者もそれで良いってんだから、勝手にすればぁ?」ということである。
佐々氏は創成期のフレーベルの本質をこの時点で的確に見抜いていたと思われてならない。
前述の通り高度経済成長期の人々には「あー、歌ってスッキリした!楽しかったー!明日もまた、みんな、歌で大暴れしようぜ!」という価値観は理解できないことは無かったはずだが、それを明日の日本を担う少年たちが口にし、具現もすることは、やはり許せなかったのであろう。だが、合唱団はこの論評の通り、すごくなごやかで、生き生きとして、子供らしい歌をばりばりと歌いつないでいく。だから少年たちは、成長しても楽しく至福に満ちた音楽の毎日を感謝とともに半世紀経とうが決して忘れない。フレーベルのOB会は、こうした少年の日々のまごうかたなき延長線上に確固として、ある。

だが、ときは流れ、合唱団は初代指導者の交替を好機と考え、頭声発声へ統べた美しい少年合唱をめざしはじめた。
これは当然の帰結で、日本中の男の子の合唱団がおそらくそれを一意専心に希求していたはずである。そうして、当然のことながら合唱団が発足時に持っていたヤンチャで賑やかで「男だけで楽しく歌たえたらそれでいいじゃん!」的な魅力をたちまち失ってしまう。時期同じくしてさまざまな要因が重なり、ご存知の通りフレーベル少年合唱団はたくさんの団員を他団に移籍させてしまうほどの危機的状況に苦しみだす。

フレーベル少年合唱団OB会になぜ若いOBが集わないのかの決定的要因は、先の佐々氏の最後の一文でもう明らかであろう。

『いざ起て戦人よ』はもちろん今回中高生も参加しているし、曲的にSATB版もあるようだが、お行儀よくまとまって感染対策に密閉された現役連中どもをぶっ飛ばす威力に満ちた雄叫び的演奏を聴かせている。現役時代のユース・メンバーの日々のステージ姿を知っていると、比して胸が空くような歌い上げに仕上がっているし、「『高齢者合唱』とは口が裂けても言わせない」楽しさや満足感をもたらしてくれている。
OB合唱は前世紀の定演でもしばしば「いい歳してこんなワンパクぶっこいてていいの?!」という現役を覇気で凌駕する合唱を聴かせ続け観客を楽しませていたし、ユースの連中の方は全員フレーベル少年合唱団の星の王子さまたちだった(…アレゴリーで、個人の感想です…)。『いざ起て…』の歯切れの良さは小手先の発声・発音の技術力ではなく、彼らが半世紀近くも歌い続けてきた阿吽や身体に刷り込まれたタイミングとフレージングとブレスの感覚なのである。「どうやったらこんなに歌えるのですか?」と尋ねられたときのOBらが「さあ?歌えるんで、よくわからない」と首をかしげたあと、「フレーベル少年合唱団を卒団したからじゃないですかね?」と答える様子が目に浮かぶようである。

ユースクラスのMCに岩崎先輩がマイクをとった。
今回のユースに登場する中高生たちは全員言わずもがなフレーベル少年合唱団の元アイドル諸君である。キャー!である。現在の歌声と歌い姿を拝めただけでも来場の価値はあった。
ただ、彼にMCの指名ががかったことは特段すばらしいことのように思える。
前回定演のS組ステージ『アメージング・グレース』の冒頭ソロで合唱を導いたのは彼だった。
その曲が終わり、客席の喝采が向けられてスポットに浴した後、隊列に下がった彼が首を捻って表情を曇らせていたのをあの場にいた全ての観客が目撃した。実に誠意のこもった歌いだったが、まったく本人の満足のいかない出来だったのだろう。彼の声の嗄れ具合から、これがボーイソプラノとしての最後の登壇であることも、合唱団の先生方が花向けとしてソロ機会を与えてくださったことも私たちには想像できた。コロナ禍が押し寄せて、団員には結局、挽回のチャンスはやってこなかった。だから、今日、彼はここに立ったのである。…それが一つ。
もう一つは、彼の前を通り過ぎていった多彩でおびただしい数の同級生のたくさんの面影である。
彼の学年の団員達は全員、入団早い時期から重用され、タレントさんたちの隣でたびたびテレビに映り、オンエアされ、CDにもなってジャケット写真をかざり、オペラ・バレエやネット動画で我が世の春とばかり歌声や歌い姿を披露した。彼らが全員が歌い終え、もう一人もフレーベル少年合唱団のステージに姿が認められなくなった今、それを全て見送ってきた岩崎先輩の存在は極めて大きく貴い。

このことを考えると、OBの『いちぢく』はプログラムの文面にある通り、ここを通って「巣立っていったすべての団員の方々に大きな感謝と尊敬の念を抱く」団員人生への鎮魂の祈りの歌だった。少年の歌心よ清寧にきよらに眠れという歌をかつての自身らや仲間達に歌いかける。磯部俶の楽譜は東海メールクワィアー委嘱の男声合唱組曲 『七つの子供の歌』である。南茨城鹿行霞ヶ浦の南は、曲の作られた1960年ごろ、もうすでに明るい町だった。隣接する地域は早くから有名な醸造産業が集積する工場地帯で、作曲年の春の終わりに『ロッテ歌のアルバム』へ橋幸夫が出演すると、曲『いちぢく』の描く鄙びた、「夕日が、汚いボロっちい野球帽をかぶった少年の黒い面立ちへ赤錆色に差しかけ、彼が父と役牛を迎える手漕ぎ舟の左舷で眩しさに目を細めて顔をしかめる様子を河畔に実る無花果がたわわに眺めている」という風情の水郷の町は日本全国の人々の知る地名となった。このときすでに東京ー藤沢間では湘南電車モハ153がうなりをあげて時速100キロ超で疾走していたし、東京 - 御殿場間の弾丸道路(高速道路)は戸塚開業していて黒塗りの車がノンストップで走り抜けていた。少年たちの通う山の手や都心の小学校はピカピカな校舎の白亜の鉄筋化がほぼ成立しはじめている。テレビはカラー放送だったし、地下鉄1号線は京成と相互乗り入れしてもいた。水を指すようだが、歌に描かれた茨城県最南部の水郷の夕景は実際に見られたものであったのかもしれないが、フレーベル少年合唱団の団員たちの実生活の中では既に完全なノスタルジーの世界であったことは想像に難くない。

だから、彼らが歌い、OB合唱団が歌いかける『いちぢく』は確実に、まず磯部俶の世界であり、かつてのフレーベル少年合唱団の歌の世界なのだ。60回の記念のため、かつてのフレーベル少年合唱団の団員たちに歌われるのにふさわしい。
だが、たった2分数秒間の歌声の中には、かつての少年合唱の日々、神田小川町のビルディングの各階で嗅ぎ取ったり汗ばんだ腕に触れたり小さな半ズボンの尻を落としたりした日々の情景を込めるがごとく、さまざまな表情づけが甘美なアゴーギクやデュナーミクとともに東京芸術劇場大ホールをスイートに鳴らす。
当然のことなのだろうが、60周年の記念としては、「今現在しか知らない」現役たちの歌声よりも数段に、この2分間ちょっとのたった1曲の方が、ふさわしい演奏だったと言わざるを得ない。

『ハレルヤ・コーラス』は、一言で言うとアングリカン・チャーチのテイストを、突き上げるようなテナーを含む高声部がぐいぐい牽引していくというゴージャスなカラリングだった。

10年前の50周年『ハレルヤ・コーラス』で、この曲の紹介MCを担当していたのは一朗君で、歌い終わりの〆の言葉はスーパーナレーター君だった。あの時も豪華なメンバー構成だったのである。曲の仕上がりもまた、太田先輩たちの声質の上品なコケットリーもあり、アルトの扇動が魅力的で、ソプラノは愛らしくフレーベル的だった。ただ、(これは筆者のまったくの想像でしかないのだが)、指揮者サイドからは当時OB合唱に「子供達の声が前に出るよう、先輩方はなるべく抑えてください。(招待客が聴きにきているのはボーイソプラノの方ですから。)」といった「お願い」があったように強く感じた。(誰もそれを咎めなかった。…カルメンくんやスーパーナレーター君の歌声を聞き分けたかったからである…)。

今回、曲の仕上がりはおそらく宗教オラトリオらしいブライトなものに変わっている。
今回の少年たちは全員、学校で必修外国語科の英語を習っていて、現在の基幹団員たちがここぞとばかり声を張り上げる。おそらく忠言の解けたOBたちは現役に負けてたまるかとジョージ2世もビックリな歌い上げであったように感じた。こうして60周年のハレルヤ・コーラスはおそらく18世紀を通じロンドンで再演のたび雪だるま式にキラビヤカになってゆく『メサイア』の雰囲気を彼らなりに再現できていたように思える。コロナ時代にはありがたいご褒美だ。

 


同声合唱とピアノのための組曲 ドラゴンソング (合唱・同声)
音楽之友社  9784276584020
音楽之友社刊の全ての逐次刊行物に刷り込まれる広告には最後まで「9月下旬発売予定」という文面が印刷されていた。本書の標題紙へ、フレーベル定演の初演情報を刷り込む必要があったのだろう。実際には2022年10月1日ごろの店頭リリース。全ての予告広報の端折った文面は、唐突に「“男子たち”がカッコよく歌える作品を目指して、詩と曲が書き下ろされた。」などと少年合唱団関連の前置きをバッサリ略し印刷されていて大笑い!初めて雑誌広告を目にした人たちは「なんじゃコリャ?」と思っただろう。愉快だ。

 

ペダルで広がる伴奏の変ホ長が、イオニア海のアクアブルーの風を受けて廻るセール風車のようにキラキラと鳴り響き、曲は始まる。ガット弦の木製胴や木管が柔らかい共鳴音をホコホコと鼓吹するような明るい日差しの中で、子どもたちはのっけからソプラノーアルトーソプラノーアルトと呼応しながら歌を運んで物語は始まる。少年合唱団らしい…というよりは全くフレーベル少年らしいスイートな声を彼らは鳴き続ける。だが、その歌詞は「けっとばされ、追いかける…」と、全くの乖離で、聴く者を楽しく混乱させる。「だからからっだーな・の・だ…」16分休符の弱起が目の詰まった特徴的でコンテンポラリーな言葉遊びの文句を引き込んで、話はずんずん進められていく。わかりやすい展開は、作曲者が歌詞の美しさ(?)を誠意をもって子供達に歌わせようとしていることがわかる。明快な分かりやすい曲がなるほど「男の子の合唱」を意識して作られたものであることを窺わせる。
筆者が良いと思ったのは、タイトルにある「ピアノのための」存在意義。少年たちはピアノを盛り立てる方の立場をかって出る。ただ、団員たちの土臭いハーモニーやディビジ3部の唸りはちょっとカッコいい。定演のコダーイ『天使と羊飼い』で聞かされたアレだ。

次曲、今度はその真逆の丹精で男の子の声がブレを感じさせないユニゾンで長々と歌っていく。メゾの子たちが別れてアルトと「ひとりじゃないって ほんとなのかな」のかわいい歌声を招き入れて遊んでいくステージはこの曲の聞かせどころの一つだと思う。「男の子の可愛さ」を聞かせようとする信長の目論見も、やはり成功しているのだ。

曲はさらに急緩急と進んで、ほぼユニゾンで『これは棒っきれじゃなくて』がスケルツォ状に咬まされる。方々に取っ散らかされた三連符がステキ。ただ、筆者がこの曲で意識が行ったのは音楽ではなく詞の方。団員たちはこの歌詞をどんな感想で受容していったのかを尋ねてみたい。「面白い」とか「難しい」とか「同じ”付点8分と16分の連桁”で歌詞を歌い分けるのが大変」とか言うのではなく、単純に「好き!」「あんまし…」「ヤバめ」とか、そういう感想だ。それがこの曲の価値を決めているような気がした。

『相棒』はタイトルに反して(?)「サッカー少年の孤独」(笑)をテーマにした執拗なモノローグ。楽譜上は3部または2部で描かれるが、彼の語りはソプラノ→アルト→ソプラノ→アルト…とステレオフォニックに新ウィーン楽派の音色旋律のごとく左右でパス回しされる。ただ、基本の声はおそらくアルトの少年たちがハンドルしてゴールを狙うポジショニング。唯一イエローカードを胸ポケットにまさぐったプレーは、彼らの発音が体力的にダレていたように感じたこと。もちろん彼らは「ハーフタイム無いの?」などとは思っていない。聴いている側のメンタルなのかもしれない。これは地方の少年合唱団ならば看過される程度の標準語の子音ニュアンスだろう。

フィナーレにタイトル作の『ドラゴンソング』が歌われる。
フレーベルの連中が子供ながらホントに巧妙でズルいと思うのは、彼らが合唱の中に終演へ向けた力戦奮闘やボロボロになるまで歌ってやる!という陶酔感のようなものを聞こえよがしに開放している点だ。指導による追い込みという観客へのサービスなのかもしれない。多くの観客はこの作為にまんまとド嵌りして終演のひとときを過ごした。
私のこのカングリ(?)が穏当だと思うのは、彼らは最後、実に現在のフレーベル少年合唱団らしい甘い良い声で『アンパンマンのマーチ』を歌い、「ありがとうございました!」の呼号をリーダーくんの先導で叫び上げて舞台を降りていったからである。SSSの団員たちはまだまだヨユウでステキな歌を歌えるほどの実力を身につけてここに立っているのだ。

演奏を聴き、楽譜を読んでハッキリとわかることは、作曲者が一貫して高低・左右のパートの追っかけっこ・交替・抜き差しや呼応というフレーベル少年合唱団の子供たちらしい味(私は「手腕」とは言っていない)を引き出そうとしている信長モード全開の魅惑の企てである。現在のフレーベルの指導者達がパートの固定をことさら回避し横断しようと鋭意なのは部外者にとってもステージ上に瞭然なのだが、それでもなお10歳前後の少年たちは口をひらけば「先生ぇ、パートで個別練習しましょうよぉー。」などと年齢学年の幅を超えておそらく日ごろ「パート」というよくわからん小集団に固執し、こだわり、「歌の仲間」と安堵して楽しんでおり、(これを教育心理学の術語で「ギャングエイジ」の仲間意識などと呼んでいる。男の子にとって成長段階に必要なものなのだ)…などなどに気づき、尊重して曲を書いている。

それでもなおかつ、私がどうしても言わなくてはいけないのは、この組曲が人気の「覚・信長コンビの作った作品」というモデリングにしっかりと落ち着いているということだ。テイストは確実に「覚・信長コンビ」のものなのだ。
正式曲名も「同声合唱とピアノのための…」で、「少年合唱のための」とは一切書かれていない。信長自身も「ジェンダー・テイストに拘った曲にしたくない」といった内容のことを書いている。
さらに、この作品のフィナーレ『ドラゴンソング』は、彼らなりの演奏時間およそ8分間前後になるのだが、楽譜のアペンディクスにはご丁寧に「コンクールなどで時間制限がある場合には…」と付記されて曲長を4分間に切った71小節以降の短縮バージョンが掲載されている。これを見て、誰しもが「あー!あのコンクール演目とかで超人気の覚・信長コンビの…」と、「♪くりかえし咲くつぼみぃー」などと脳裏に歌いつつ思ったはずであろう。
筆者が考えているのは、「コンクール演目とかの人気曲」と確実に等号で結べそうな「覚・信長コンビの作った曲」が、はたして「60回定演にふさわしい曲」とも等号で結べるのかどうか、そしてこれは私たちが聴衆が数十年の間に身にまとってしまった「ドラゴンについての曲」のイメージにそったものであるかということに尽きる。

満を持して作られたと思しきフライヤー・プログラム類の表裏には、エルマーと竜の挿画を想起させる『ドラゴンソング』のイラストがグレー味のあるライトな縹系(若い男を表現するジャポネスクカラー?)の地に踊り、プログラムの全てのページへ一貫してこのテーマカラーが用いられる。ワッペン部分とチラシエプロンと裏面には水縹の類似補色からあっけらかんとしたキハダが使われ、男の子の心の軽快さを表す。出版社所属合唱団の名にふさわしい意匠となっている。

だが、私たち観客にとって一番嬉しくもあり、また超お得感満載だったのは表面へ小さめに配された団員総勢のステージ記念写真だった。今夏の定演に来場した観客のほぼ99パーセントは、本来の2022年60回定演が3月30日開催で企画進行されていたことを知っている。また、その演奏会は蔓延防止の対策が子供達のブラッシュアップの足枷となり、クオリティー的にも鑑賞料をとって聞かせる保証が出来なくなった(少なくとも館サイドではそうしたニュアンスの告知もしている)ため、名称も『スプリングコンサート』に挿げ替え無観客に近い形で本番プレゲネプロのようにして催行されたことも、東京芸術劇場の公表などから窺い知れた。フライヤーの写真はおそらくこのときに、芸術劇場大ホールのステージ上で舞台背面扉を閉めて撮影されたものであろう。ユースクラスを除く全隊が立像で写し込まれている。ソーシャルディスタンスを順守しているため、後列の団員らでさえパンツ長や靴のつま先まで写っている子もたくさんいる。最大のプレゼントは山台の3段目より上に立つ子供たちの小さく小さく写った顔、顔、顔…!ああ、キミらは元気でここにいてくれたのか!?歌っていてくれたのかと、筆者は震えるほどの喜びに終日機嫌が良かった。さらに目を凝らすと、前方にはイートンの右ポケットや胸ポケットへ白いマスクを中途半端に突っ込んで立つ団員が何人も認められる。この日のAB組諸君の仕草一挙手一投足、息遣いさえもビビッドに再現するショットで、その可愛らしさ・ひたむきさに無条件降伏状態だった!来場前・開演前にこの小さな写真たった1枚で至福の時間を過ごせたのである。


……

拙文の最後に、再び雑誌『合唱界』1962年(Vol.9 No.11)掲載の記事に触れておきたいと思う。

合唱指揮者の横山千秋氏は9月29日東京文化会館小ホール開催のフレーベルの第2回定期演奏会を「ろばの会については(中略)フレーベル少年合唱団の演奏会(第2回定演)にヒサシを借りているという誤解を招かないでいただきたいものだし、ことに子供たちに対する教育的見地からしてもせっかくこのような団体(フレーベル少年合唱団)は、もっとたくさんの世界の名曲にも親しむようなプログラムであって良いはずだと思います。」として徹底的にこき下ろし、レポートのタイトルも「大人の責任は重い」と断罪している。フレーベル第2回定演が実質的に「子供たちの歌の会」ではなく「ろばの会」(合唱団の指揮者=磯部俶が呼びかけ中田喜直・大中恩らとともに作った当時の若手作曲家クラブ)の楽曲発表会であったことにきわめて憤慨している。氏は「合唱界」の既刊上で、東京文化会館で行われた62年5月の全日本少年合唱発表会に出演したフレーベルの歌声を「Aクラス」(国内トップ)と太鼓判を押しているのだが、一方、定演ではプログラム構成に「大人の事情」が色濃く表れたことに強く不快感を示しているのである。後年の「ろばの会」が世に送ったたくさんの名楽曲と寄与した作詞家の顔ぶれ、会の存在意義の高邁さをよく知っている21世紀の私たちからしたら、「そんなに怒らなくったって…」というものだが、「もっとたくさんの世界の名曲にも親しむようなプログラムを」と具体的に書いているところを見ると、歌われる曲、歌われる曲、「また、ろばの会の曲なのかよ」と、よほど鼻についたのだろう。
(『合唱界』1962年11月号 pp.90-92 東京音楽社)

60回定演が終演し、私はこの演奏会の何が良かったのか幾度も考えた。

アンパンチ君・テンドンマン君たちや竹友軍団の諸君、忘れちゃイケないアルトのダンディー・ボーイたち、前回定演で未だA組B組に歌っていた子たちが少年らしく頼もしくしっかりと成長し、胸板も厚く練れた声でステージに歌う姿が見れたことと、意外にも現A組B組の子供たちが東京芸術劇場大ホールを冷涼な綺麗な声で鳴らしていたこと、OBやユースが私たちの心に寄り添う歌声をお土産にくれたこと…「60周年に際し、どのような演目が並んでいるか」は結局2次的なことで、他の選曲でも十分に楽しむことはできた。
おそらく先の横山氏も、フレーベル少年合唱団の第2回定期演奏会に、今回の私の感想と同じような至福の時間を渇望し足を運んだはずだったのに違いない。
以後、フレーベル少年合唱団が横山氏の「大人の責任は重い」批判を真摯に受け止め、注意深く定期演奏会を持っていくようになったのは事実のようである。プログラムは相変わらず「ろばの会」の曲でも、観客が求めているのは演目やその由緒ではなく少年たちの歌声や歌い姿であることに彼らは気づき始めていくのである。

 


フレーベル少年合唱団は2度微笑んだか?

2021-05-06 17:34:00 | オンエア


たのしい合唱
2021年1月20日午後5時19分。ビデオ撮影のボタンが再度押された。東京都文京区本駒込。株式会社フレーベル館本社上階のホール。フロートガラスのドアを抜け少年たちの綺麗な声は聞こえてくるのだが、身長高の幾枚かのアクリル板の向こうへ遮蔽され、ソーシャルディスタンスを保って置かれた黒いスタック椅子に半ば後臀部をひっかけただけの彼らは12人ほどの矮小な小学生男子の一団でしかない。花霧筋の壁紙に沿った後列の中央部近く、鉄兜のくろがねの髪型に白いクタクタのマスクをかけた少年がチェア上手側の絨毯に持ち物を直置きで散らし、ペラの楽譜を膝上へ投げて見下ろしている。少年たちの膝へ翼のごとく開いたそれらはどれもまだしっかりと紙の腰があり、配られたばかりのものであることがわかった。ソフトビニルに仕込まれた丸ゴシックの名札を胸にきちんと掲げとめてはいたが、彼のオフホワイトのプルオーバーもスキニー気味の黒いパンツも袖、襟ぐりが開き、座ればソックスが丸見えになるほどあちこち縮んでズリ下がってしまっている。足元のバッグに手を伸ばせば背中から下着の腰ゴムも見え、両腕を伸ばせばヘソが丸見えになってしまうかもしれない。彼のことが気になって仕方ない目前の下級生はそれを見咎めて「おへそが見えてる」と揶揄するだろうが、上級生の眼差しは「これには事情があってな。だから協力してくれ。」と訴えていたはずであろう。ちょうど1年前に近い2020年2月、文京シビック大ホールのステージに歌劇『カルメン』のチビ愚連隊役で少年がまとっていた衣装だ。あれは素晴らしいマチネだった。少年たちは舞台狭しと歌い廻り、この子は立ち回りがまるで素に見えるほど生き生きと不敵な笑みをふりまく演技で私たちを魅せた。あのときの舞台を堪能し、「楽しげにのびのびと演じていて気持ちがいい」と大喜びし記憶にとどめていた人々。彼はあの夕べの観客へ「ありがとうございました」と頭を下げる代わりに、今日は普段通りの姿を見せ、ひとまわり大きく少年らしく伸びた身体を反比例のごとく一回り小さくなった衣装に何とか通し入れて通団してきたのだった。
始終ポケットに手を突っ込んで歌っているのはズボンが落ちるからか。初めて彼の歌い姿を見る、事情を知らない者からは「なんて悪い姿勢で歌う、イイカゲンな少年なのだろう」と冷たい睥睨の視線を浴びたに違いない。しかし、真実はその逆だったのかもしれないのだ。男の子は言っているように見える…「このマスクしてるメゾは、あの役でこの服を着て歌っていた僕です。今でも歌いに来ています。オペラを楽しんで観て聴いてくださって、ありがとうございました。こんなに大きくなりました。すぐズボンが落ちちゃって困るケド…」…彼の美しい心の姿勢に気づいた人は、礼をイイカゲンにしない真の姿にまた心打たれたことだろう。

1980年代の日々、フレーベル少年合唱団は磯部俶ファミリーの一翼に留まりつつ、尖鋭的な頭声発声のボーイズコーラスのイメージを止揚したいと試みていたように思われる。全国規模・東日本規模の「少年少女合唱祭」のようなものへの参加を楽しみ、数々の子供たちの歌声の連合を堪能し、また自らもひたすらに声を合わせていた。こうして彼らがやんちゃそうな肩をステージに並べ外見上はしかめ面で質朴に歌い出したときの観客の反応はおしなべて「かわいい」のひとことだった。当時「かわいい」「かわゆい」は、時代を代表するキーワードの一つであり、この頃未だ他の形容詞を語頭へ吸引する用法が存在しなかったため、人々は辞書の記載通り単純に「すれてなく、子供っぽい。無邪気で、憎めない。」可評価を彼らの歌い姿へ見たのだった。
とはいえ、古臭い意匠の制服を充てがわれ言われるなりにまとったごくガサツそうな味もそっけもない普通の男の子たちである。「かわいさ」はおろか、一般の人々が「少年合唱」の図像に求める、ガラスの薄片が冷たく放つきらめきのはかない美学や繊細で眉目秀麗な外見からはおよそ程遠い、学校の休み時間の教室で「ジジ抜き」や「消しゴム飛ばし」に興じている男の子を無理やり引っ張ってきてひな壇に並べたような、高貴さからも華やぎからも無縁の少年たちといえた。
ただ、手を後ろに組み二脚を肩幅に開いて歌う彼らの隊列の間から明らかに漏れ出てきていたのは、なんだか人懐こくて安堵を覚える屈託のなさ、悠長さ、天真爛漫さだった。客席の人々はこれをしておもわず「かわいい」と呟いていたのである。フレーベル少年合唱団がステージに登場し歌うと客席は反射的に「かわいい」ともらす。なぜ、数多存在する児童合唱団の中でフレーベル少年合唱団だけが圧倒的にそう言われるのだろう?ときのマネジメントスタッフに繰り返しこの質問をぶつけてみても、返ってくる言葉は「男の子だけしかいないからじゃないですか?」でしかない。自分たちにもよくわかっていないという語調。そもそも当時、日本にはまだ「男の子のみ在籍可」の児童合唱団はいくつもあった。津山も長崎もまだ男の子主体で、蕨や四国のライオンズ高知でさえ男子だけが歌っていた時代なのである。「男の子だけしかいない」と言うのはフレーベル少年合唱団の「かわいさ」を裏付けるときにとりたてて挙げるべき決定的な要因ではなかった。
「フレーベル少年合唱団は2度微笑んだか?」…やがて合唱団は世紀をまたぎ、耳目を驚かせる様々な新規軸をステージ狭しと繰り広げる「アンパンマン少年合唱団」のフェイズへ到達する。少年たちの歌い姿へ相変わらず「かわいい!」と声を掛ける大人たちはいても、「なぜかわいいと感じられるのだろう?」「彼らは2度微笑むのか?」と問う素朴な疑義は、華やかな舞台の影に隠れ、いつの間に忘れ去られていった。

2021年1月23日、『文京区民参加オペラ CITTADINO歌劇団第21期生公演  プッチーニ作曲/歌劇「ラ・ボエーム」<演奏会形式> 2021/02/14 14:00ー』公演の中止・払い戻しが発表された。今年度もフレーベル少年合唱団は出演を予定し、その練習も注意深く留意して進めていたらしい。COVID19禍に怯むことなく、1年間の一般公演オール・キャンセルにもめげず彼らは歌い続けているのである。国内の他の児童合唱団では練習に供する動画コンテンツもアップロードされているようだが「(ここに来ていない)S組団員がビデオを見て練習に用立てる」目的でこの日の練習は録画され、短期間アップもされている。

指導者は冗談で「楽譜、棄てないでね。」と注意を促し、子供達は楽しげに「棄てるワケ無いでしょ!」と一瞬絶句して応じる。『カイト』は渡されたばかりの初見ほどの新譜なのだ。怒っておきながら、彼らが「でも、忘れてくるコトはある」と開き直るところは可笑しい。とはいえ、練習が『ふるさとの四季』に移った途端、セントポールくんは「カイト」の楽譜をポンと足元に投げ捨てている。殆どの人にとってこの時点では…彼のこうした弁えのなさ、無骨さが、実は現フレーベル少年合唱団をしっかりと守ったことに考えが及ばなかったことだろう。
先生は子供たちに「八分休符が出てきたら手を叩きましょう」「四分休符が出てきたら足を鳴らしましょう」「それ以外のところでは声をできるだけ伸ばす」といった指示しかしていない。あとは子供たちが求めるままに歌う姿勢づくりを促し、歌詞唱か階名唱を選ばせる。「先生ぃ!おじいさんが3人もいますよ!」と、メゾソプラノで座ったまま歌おうとしている上級生らに、下級生は容赦が無い。先生の返答は、「そう?放っておきなさい。」だけだが、結局上級生たちは後輩のもの言いに起立して歌わざるをえない。そして全員歌う中でアルト担当団員が一人コンプリートでストンプを完了するとすかさず褒めている。指導者のしていることは子供たちにハンドクラップとストンピングをさせながら階名唱、歌詞唱、選抜三重唱で20分間歌わせているだけなのだが、小さな彼らの目と耳と心はロールプレイング・ゲームのパーティー集団さながらに必死で楽譜を追いつづけ、音楽を作り続けた。1小節歌わせてはストップを入れ、「楽譜をきちんと読みなさい」「ここは8部休符なんじゃないですか?」「なんでレガートに歌えないんだ」「凧を空高く押し上げる風の自由さを表現しなさい!」「一人で歌えないと困る」と機関銃のように注意を与えるような指導は一切行われていない。だが、彼らは各自が集中して注意深く楽譜を読まざるを得ない状況に終始追い込まれ続けた。当然、年端も行かぬ彼らは間違いもところどころ犯している。伴奏ピアノが大きく鳴る真横で休符を読み落としタイミングをズラしたまま歌ったソプラノパートメンバーには皆からギャグとばかり楽しげに範唱じみたボーイソプラノのツッコミが入る。歌い出しに自信を欠くアルトにはすぐさま「寂しィー!」「おい!おい!」と他パートから叱咤激励の言葉も飛ぶ。集中力を欠き、私語もおふざけも多いように見える子供たちだが、他の団員の声を常にしっかりと聞きとりながら歌う力がどの子にもきちんとついている。だがら彼ら全員は20分後、休符の箇所と適切な音価とそれ以外の場所で声を切らないことを身体で覚え、暗譜をものにした。子供達の誰も「楽譜を読まされた」「楽譜を覚えさせられた」「二部合唱に仕立て上げられた」とは思っていない。彼らの目に映った光景は「NくんとMくんが途中でふざけてギャグをいっぱいやってくれました。まじ、面白かったー!」だけであろう。Mくんは、途中で先生から完璧にストンプできていたと褒められた団員である。ドラマ『ポイズンドーター』に映った少年聖歌隊役Mくんの容姿の印象が「ザ・眉目秀麗仕事人!」という激震に似た衝撃で変わったのはいつだったろうか。これが今日のフレーベル少年合唱団のごく日常の練習風景である。

S極とN極。地球は巨大な磁石である。メゾソプラノのSくんとN君。彼らはフレーベル少年合唱団2021年の隊列の真ん中にいて、自転軸に対し10度以上傾いた地磁気双極をなす。S極は歌も仕草も合唱団最強の美男子だが、何かを心疚む表情がステージ上の彼のコーラルピンクの面差しや合唱団最強のダンディーアルト弟君の顔に浮かぶのを観客は心から期待してコンサートに足を運ぶ。昨年度まで前列センターの人々の最も目につきやすいところに据えられ歌っていた。だが、この日、彼は竹友軍団長にその席を移譲し、後列に上がりN極の隣で歌っている。何かを恥じるような、人々を魅了する顔ばせはすでに見られない。黒マスクの向こうでほんのちょっとだけ見せてくれる子供っぽいくったくのない笑み。だが、落ち着いて、安定した、頼り甲斐のある、見ているだけで安堵と男の本領と少年の真摯を彼は体現する。
S極は碧白で燦然と美麗に輝く、人々を惹きつけてやまないオーロラの大地だ。国境も時間帯も無く、誰のものでもなく、みんなのもの。氷に覆われていても、私たちにとってかけがえのない、この惑星の真水の7割が氷のかたちでここに存在する。
一方でN極は氷がただぷかぷか浮いているだけのナカミの無い薄っぺらな極点にすぎない。だが、N極の遥か天空にはポラリスが不動で孤高に強く明るく光り輝いている。荒野を進む旅人や大洋のど真ん中で逡巡しかけた船舶に行く手を教える希望の星。かけがえのない道しるべ。N極は私たちにとって、絶対になくてはならない大切な希望の星なのだ。…現在のメゾ系集団の上級生、方位磁石コンビはこういう2少年たちだ。

練習中の団員の間をスタッフが遊撃手のように動き回り、団員らがポジションを離れずに済むようかいがいしく世話を焼いている。スマートフォンは上手側から指揮者の体側をなめて撮っている。確実に姿の映る団員はソプラノ系4名、メゾ系4名。おそらく本年度アルト系の1名が起立練習の体制になるとようやっと映っている。あとのアルトたちは指導の呼名が出てくるだけだが、やはり3名ほどの出席が確認される。明らかな感染防止のための12名取り出し練習だ。
竹友軍団長、クマくんウシくんチームのメゾ、塩男子くん、ホーリーマザー、小児がん征圧キャンペーン、アンパンチくん、セントポールくん…実像の映っている団員はわずかに9名。だが的確な人選構成は一分の隙も冗長も無い。彼らの一般公開の姿はわずか2週に限り40分間の最小限のものだが、2020年3月以降のフレーベル少年合唱団がいったい何であったか、未曾有の事態にどう対処し、どう歌い続けてきたかをしっかりと私たちに伝えている。

男の子の歌にとって、男の子の合唱にとって、今回の事態で奪われてしまったものは何なのだろう。半減された私たちのお楽しみは何なのだろう。
彼らが舞台上に歌っているときの表情を誰でも容易にすぐ思い浮かべることができる。淡白であったりネガティブであったり。味もそっけもない。むろん色気も。甘美も薔薇の香も。
だが、歌っている本人は、どうだろう?実のところ彼らは一人一人が自身の歌に各自違う視点で魅力を感じ楽しみながら愛着を持って臨んでいる。それが見えにくく、それゆえに評価できないのは聞いている私たち聴衆だけだ。クマくんウシくんチームのリーダーであれば、自分の声がホールといった環境にどう響いているのかを自分の良い耳で心から楽しんで聞き取り、無限軌道のように歌いつないでいくというタイプの子だった。彼自身はおそらくそれに頓着せず上級生としての自覚で歌っているだけなのだろうが、彼らの歌い姿を眺め続けた者にはハッキリとそう認識できる。変声にあたって、彼がどう向き合いながら自分の声の届く様子を楽しみ続けるのかは予想もつかない一大スペクタクルだ。かたや、クマくんウシくんチームのアルト先輩は、自分の胸腔に自分の声が共鳴して響くのを楽しみ、快く感じながら歌っているように見える。一昨年、「聞いている人のハートを直接温める声」と書いたが、その恩恵を無自覚に世界中の誰よりも享受している「最高の幸せ者」は彼自身だろう。自分の胸郭が温かい波長で打ち震えるひとときを、成長し次第に厚くなる胸板で楽しんでいたに違いない。
これは、ほんの一例だ。同じフレーベル少年合唱団S組の隊列を成してはいても、要求される日本語なりを滑舌(?)よく歌い切ることに楽しみを見出している子もいれば、口腔での鳴りや響きに快感を感じている子、自分の得意な音域がより深く豊かに流れることを目当てにしている子、口唇をできる限り狭めて口の中の部屋にどんな音場が生まれるのかを楽しみに歌う自家製トーンクラスタを試行するペンデレツキーの弟子のような団員もいる。
彼らは今、歌いつなぐため、マスクをしている。
彼らが自己の何を魅力と感じ楽しみに歌っているのかは、ライブ中、ボーイソプラノなりボーイアルトなりの口元を注視することでしか判別のしようがない。だが、こうした少年たち一人一人の持つ「僕が歌うよろこび」は、客席にいる私たちから見ればマスクなどによって殆ど遮蔽されてしまい知ることの能わぬ事態に追い込まれてしまった。少年合唱団員を「この子はこういうところがすごい!努力を惜しまない子なのだ!」と私たちが評価できる貴重な材料をこれで半分以上放棄することになった(照明反射板の様相を呈するフェイス・シールドとて五十歩百歩だ)。


竹友軍団長は多動で私語も多く、とりたてて技巧にたけて超絶美麗とは言えない声質の、ごく普通の左翼側メゾソプラノだ。
だが、A組時代の彼は隊列前列のセンターに配され、「是非この団員を見てください!」と常時ショーアップされライトを浴びて歌っていた。どんなコンサートでもソロやポイントとなるMCを全信頼のもと委託され、やり遂げていた。スキルも魅力もたっぷりとあるA組の上級生や同輩クルーたちの中でも彼の演唱は全く見劣りがしなかった。だから1月20日も最も目立つ練習位置に置かれる。純白のバレエタイツを着けてステージに上げておくだけで彼の柔軟性に富んだ気持ちの良いしなやかな肢体の動きや無意識のうちに成立するキメキメのポーズに観客の誰しもが目も心も大満足させられることだろう。サーカスのごむまり少年や海南島の少年ゲリラ部隊を統率する革命バレエの紅小兵ヒーローと言っても十分通用する圧倒的イメージ。ぱっつんマッシュで甘栗色のシャイニーな輝く前髪さえ底抜けに楽しい!しかも今日、彼があたかも無駄口のように発した数々の言葉は今日のフレーベル少年合唱団を語るうえでどれも一言一句意義深く聞き落すことができない。練習が『ふるさとの四季』の復習に移ることを指導者が述べれば「やったぁ!」と応じ、『カイト』の曲練習を終えてさえも一言「もっと歌ってたかった」と何の衒いも無く声高に独り言ちる。疑う余地も無い彼の本音だろう。そこには絶えず立ち続け、決まりごとにしたがって歌い、皆の前で一人歌を試されもし、パートの皆や他声部の子たちと連合し互助し、力の限り歌を紡いだことに対する疲労や諦念や倦厭は一切感じられない。竹友軍団長にとってこの時間は字句通り「もっと歌っていたかった」有意義な陶冶の時間だったのだ。
「やっば!ラッキです。メゾ一番おーいです!」…標準語に訳せば「僕は非常に嬉しいです。幸運に恵まれて(この曲で今日)メゾソプラノを担当する団員の数は、(他の2パートと比べて)多くなっていますよ」。発言の相手は指導者。少年のこの叫び声に対し彼女は「良かったじゃん」と言葉を返している。軍団長がマスク越しの主張ももどかしく、偶然でどうでもいいようなことをなぜ自分に言ったのか、指導者はよくわかっている。練習が「ふるさとの四季」にスイッチしたとたん、もどかしく楽譜を鞄から引っ張り出す付近の団員たちへ、セントポールくんも声をかける…「ちなみに、この中でメゾ、手を挙げて?」。挙手をさせ何かを問うたり声をかけたりしようというのではない。彼は挙手した子供の顔ぶれを確認し、上級生らしい眼差しで彼らを見まわしてそれでおわりだ。近年、特に目立っていた「パートを固定せず曲によって配置をめまぐるしく浮動させる」合唱指導。一連の楽曲の連続でも団員によってはアルト最右翼からソプラノへ、メゾとソプラノの特定の子供を連続して慌ただしく右へ左へシャッフルするシステムも近年のフレーベルでは正面突破で平然と行われる。だが、セントポール君も軍団長もこれに抗おうとしてメゾのメンバー数を確認しているわけではない。彼らはただ、自分たちの最も近しい仲間たちの声と体温と誠実と力の集合を確かめようとしているだけだ。観客の誰も意識することは無いが、これが彼らの歌唱力の源だ。パートの固定を解かれてもなお、彼らはこの曲を共に歌う仲間の心のありかだけはきちんと確かめておこうとするのだ。

セントポール君と初めて会ったのは彼が低学年の頃だ。群れていた団員たちの中、初対面の彼が機関銃のごとく話したのは、幸せに満ちた家族の話。自身については名乗ることも、また一言の自己紹介をすることも無かったが、ほんの数舜で、彼は名札に書かれた名前と人となりをしっかりと相手に印象付け、懐かしい校章が箔押されたランドセルを背負い、帰っていった。
60歳前後の人々の中にシェーンベルクやウェーベルンを聞いて豊かな詩情や情景を容易に思い浮かべられる者がいるのは、幼い頃から少年期にかけて、夥しい回数の再放送を含め『トムとジェリー』をかなり頻繁に繰り返し見て育ったからに違いない。セントポールくんとお池の金魚くん。彼らの40分間の練習光景は、『星空の演奏会』の回をはじめとする「コンサート中に澄ましてヨハン・シュトラウスなどを奏でつつドタバタ劇を展開し、結局終演で満場の拍手喝采を受けてお辞儀を繰り返す」ネコとネズミの両君の関係を彷彿とさせる。金魚くんは歌っているときと先生が話しているときは前を向いているが、その他の時間は真後ろを向いている。冗談を演じ下級生の自分相手に背後から徹底して楽しいことをしてくれるセントポール君ほか、大好きな上級生たちの方を向いているからだ。かくして彼は歌っているときと、他団員たちが取り出しで歌っているのを聞くとき以外は、腹の皮がねじれるくらい笑っている。
一方、ステージ経験が豊富でいったん伴奏がつけば集中を保持できる彼らは今日、新譜『カイト』の同声2部78小節をモノにしてしまった(覚えるべき残りの楽譜は多分30小節ほどだろう)。ベストセラー源田 俊一郎の『ふるさとの四季』の「故郷(2番・3番)」もバランスを整えておさらいを終えている。「先生ぃ、NくんとMくんが××××ってやってくるんですぅー。」と先生にじゃんじゃん言いつけるお池の金魚くんの口調はしかし「先生ぃ、面白いから先生もいっしょに見てくださいよー!笑っちゃうんだから。」としか聞こえない。先生はこれに「良かったねー」と応じているが、最後は上級生を注意するのを諦め、「嬉しいねぇ、軍団長くん」と、一緒になって笑ってしまう。彼らは大切な、大切な、合唱団の宝物のようなお兄ちゃんたちなのだ。
指導者は説諭をなす代わりに、幾度も幾度も「Nさんッ!」…はっきりと名指しでセントポール君に注意を与えてはいる。「私語は慎みなさい」「歌うときの姿勢ができていません」「集中が欠けている」等々、呼名にはさまざまな指導のニュアンスが込められている。だが、周囲の子供達の誰一人として「まったく、高学年のくせにだらしなくて迷惑だな」という表情はおろか口に出して揶揄することもそんな素振りを見せることもない。団員たちは楽しくて大好きなセントポール君の名前を聞けて少しだけホッとするのだ。合点の早い賢しい子たちは心の片隅ですでに気づいている…僕等みんながそれぞれ注意を受けるべきだったのに、セントポール先輩が代表して、伸びた体にそれを全部引き受けて注意されてくれているのだ、と。
だがしかし、フレーベル少年合唱団を心から応援している大人たちにとって、注意を受けたセントポール君の態度は非常に心やすく楽しく気持ちの良いものだ。恥ずかしい…ごめんなさい…気をつけます…もうしません…大きな図体を小さくし、首をすくめて縮こまり、あるときは『ふるさとの四季』の楽譜で顔を隠し、本当に恥ずかしそうな顔をする。全くもって彼の心から「わるびれた」態度と仕草に、私たちは「21世紀の今もこんな気持ち良い心根の子がいるのだなぁ」と安堵する。「いったいこの子、どこのとんでもない学校から来ている子なんだ?!」(うっ!…)と口では揶揄しながらも、目尻を下げて心から笑んでいる自分に気づく。芝居じみたところも大仰なところも全く無い、叱られる度に見せる彼の姿は「かわいい」の一言に尽きる。

1980年代も2010年代も、フレーベル少年合唱団の子供たちの楽屋や緞帳幕の内側は賑やかであたたかで底抜けに明るかった。室内には、端正で男っぷりの良い、透明でキレイな声を涼しげに振り出して歌う少年たちが群れて居るなどとは想像だに出来ないような、愉快でご機嫌でやんちゃで楽し気な嬌声が、劇場控室のトビラの外にまで漏れ出てきていた。部屋を訪ねてきた後援客は、彼らの内と外のギャップはもちろんのこと、クオリティの高い美しいボーイソプラノ・ボーイアルトが実は年齢の上下やパートの枠を超えて「すれてなく、子供っぽい。無邪気で憎めない」少年たちの本質から鮮やかに導き出されてきていることを思い知った。
読まれてこられた方々は既に気づかれたろう。かつての日々、客席の人々がステージに櫛比した少年たちを見たとたん、「すれてなく、子供っぽい。無邪気で憎めない……かわいい」とあっさり言い当てたフレーベル少年合唱団の中心原理は21世紀の今も不変のままだ。彼らがパンデミックを前に、今もなお合唱団未曽有の憂慮事態を乗り切って、いささかの技術的凋落も組織的破綻もきたさず歌い続けてこれた機序とヒケツは、1959年以来の先輩方から受け継がれてきた幕の内の貴重な「かわいい」天分とプロパティだったのだ。
「フレーベル少年合唱団は2度微笑んだか?」…かつてステージがひけるたびにそう問い続けた者は、実は心得違いの誤想を繰り返している。団員らは間違いなく60年もの長きに渡って、微笑み続け、そして世界が疫病に席巻され悲嘆する今日もなお、賑やかであたたかで底抜けに明るい姿のまま美しく元気いっぱいに歌っている。
公告されていないが、フレーベル少年合唱団は2021年の夏の終わり、捲土重来の定期演奏会開催を射程に入れ地道に歩みを続けているようだ。

 

フレーベル少年合唱団は何を歌ったか~2019年秋から2020年春

2020-12-15 12:00:00 | コンサート



フレーベル少年合唱団--ぼくらの演奏会から(キングレコードSKK(H)-284)
一見して団員たち全員がソックスを軽いダブル履きにしているのは、70年代初頭に到るまで、東京の男子小学生は通常、靴下やストッキングの履き口にガーター(パンツのゴムなどで代用した)を入れてとめ、履き口を折って隠しておく必要があったため。これは正しくフォーマルな装着法と考えられていた。


「TFBCは特筆すべき評価として多くのソリストを育ててきた」というもの言いが最近ネット上にしばしば登場する。フレーベル少年合唱団がその来歴として早稲田グリーに依って立ち、育てあげられたものであり、現在は栗友に近いポジションにいる生粋の「合唱する少年たち」であるのに比べ、VBCやTFBCは60年代を終える頃は既に二期会や東京室内歌劇場といった、「オペラやリサイタルへの出演をする声楽家の団体」と深い関係にあった(彼らの練習場が一時、二期会会館や新宿駅周辺にあって、結局それがKDDビル31階のエフエム東京につながったのはこのためである)。VBCの少年たちはチャンバー・オペラや華やかなグランド・オペラの「男の子の役」の童声を担当できるソリストとしても、大人のテナーやバリトンが一人一人カッコイイ持ち味で聴衆を楽しませるのと同じように、子供の個性を十二分に生かすボイトレがすべての団員に対し丁寧に繰り返し施されていた。団員はオペラ子役としても活躍できることを期待され育成されていたのである。一般の児童合唱団ではおそらく全く評価されないであろう特異な持ち味の多くの団員たちがむしろ重用され、先生方も「すっごくイイ声なんだけど(合唱と)音が合わないのよ」「音が落ちるんだけど、かっこいい声でしょ?」「あの子はアルトとしてやる気がないんだけど、すごくいい響きの声でね…」「二枚目がやっぱり良いわー」などと、合唱向きではないことは百も承知で一人一人を丹念に歌い手として育て、確信を持って表舞台で歌わせていた(その中には成人して音楽をなりわいとしている団員たちが何人もいる)。早大グリーから出発してアマチュア合唱を極めようとしてきたフレーベル少年合唱団と、ボーイソプラノの集合団体としても在ったVBC・TFBCでは団体の出演歴や陶冶の方向性を単純に比較することができない。
なぜ、こういうことを冒頭に述べたかというと、私は毎年ここで、何人かの特定のフレーベル団員をめぐって舞台上に目撃した事柄や思いを書いたが、アマチュア合唱団であろうとするフレーベルについても、そうした迫り方で話をしていく方が、実は彼らの合唱の魅力や特長をビビッドに述べることができると確信しているからだ。雑駁でピッチも合いにくい日本の男の子の合唱について、合唱の出来を仔細に語ってみてもろくな結論は出てこないだろう。だが、CD『にじ』の重唱ならば、デビュー後発で変声までを彼らしい真直ぐさでチャーミングに駆け抜けた環ちゃんの猪突猛進ぶりと、黒い軍団を束ね弱きに優しく強きをくじいて結局最後は強きにも優しい鶴岡君のデリシャスな声質を、根っからの高評価で信頼のバイプレーヤー伊澤君がやじろべえのようにそっと支えるあの年のフレーベルにしか創りえない構造…といったら、この歌の導く「人間の本質」を突く深い旨味が分かるだろう(何言ってるのだろう??)。
だが、私が決して忘れてはならないと自身を戒め、現に今現在も私の心の内にあることは以下の通りである。制服をかかえ、家から出ようとするフレーベルのS組団員をつかまえて、「きみはこれから何をしに行くの?」と尋ねたときの答えはおそらく十中八九「仕事です。仕事に行きます。」ではあるが、「誰が歌うの?」と問うたときの即答は「僕たちみんなです。フレーベル少年合唱団です。」でしかありえないのだ。

A組
大人気者のA組である。 
彼らは2019年度のクリスマスも東京メトロ後楽園駅のメトロ・エムでレギュラー尺の駅頭コンサートを打った(2019年12月21日(土)17:00~)。だがしかし超人気者のA組のこと、コンサート開演前から主催者側の想定を遥かに凌駕する数の、彼ら目当ての観客の人垣が膨れ上がったままビル・エントランスを完全(!)にふさぐ騒ぎとなり、ステージへの進入路を断たれた団員たちが地下鉄丸ノ内線改札口のエレベーターに分乗してステージに送り込まれるという空前絶後の事態へと発展した。 コンサートが始まってしまえば、イートンの制服に可愛いマフラーを巻きサンタ帽をかぶっただけのちっこい彼らが、なぜこんな観客動員力を持っているのか。周囲の人々にも皆目見当がつかなかったに違いない。恐るべしA組である。
そこで、厳密には同じメンバー構成ではないが、昨定演に於けるA組の姿を回顧して、その秘密を解き明かしていきたいと思う。
昨定演のA組は堅実な歌うたいの印象がある雨降り熊の子くんやアンパンチ君たちを始めとする上位学年のグループと、きらきらイケイケの「竹友軍団」と、「フレーベル少年合唱団のアルトにはルックスが良くないと配属されない(噂?)」セミプロなアルト・チーム(これがまたステージでは全員モノスゴくカッコいいんだよ!キャー!←個人の感想です)という鉄壁の体制で、「これじゃぁ、完全大人気なワケだわ」と結局私たちは予定調和のような彼らの歌い姿にちょっと嫉妬を覚えたほどだった。「竹友軍団」はB組からの堅実な上進メンバーに直A配属のチャーミングな少年を加えた新しいチームで見ても聞いても元気がもらえ、一方そこに至るまで合唱団を後にした団員たちもS組同様何人もいて、S組に上がってからも苦労した子を含めどの子も綺麗で澄んだ声をしていたのがとても惜しい。
57回定演での、ある少年のショーアップは「隠し球」のようなインパクトを客席に与えた。私は定演当日の客席の状態を「バイキンマンが空の高みに目を回しながら飛んでいくあの状態である」と記している。小さい身体で落ち着いた(魅力的な幼さが共存する)ブレスを繰り、低学年の段階で中声域のビブラートがつきはじめた。昨定演では、その声を生かしMCをプチ演出付きでお池の金魚くんとキュートに掛け合い、客席のA組ファンをニコちゃんマークへ導いている。エンタテイナーでもあるのだ。だが、彼のカッコよさの神髄は実は全くちがうところにもある。地方の国立大学付属小の子が着ているようなちょっとお高そうなワイシャツを纏っている。殆どの観客にはハッキリ見えている事実だが言われなければ気付かない。ベレーからほんのチョットのぞく髪がよく手入れされている。お家のかたがとても気を付けて彼を送り出しているのだ。私たちが彼に対して抱くイメージは「歌への誠意があり実力のある子」だが、彼の魅力はそれとは違うところにも厳然と存在しているのだ。同じことは他の団員にも見られる。お池の金魚くんが出てくるとパッツンマッシュで色白、お目々ぱっちりのルックスに観客の目は行く。だが彼の一番の魅力は手を後ろに組む姿勢が無くなり、アンパンチ君同様、両手が解放されてハッキリするようになった。彼のカッコイイのは一挙手一投足のしぐさ。ただ、気をつけで立っているだけ、無意識に普通に歌っているだけでもポージングがばっちりキマってカッコいい。しかも、それがバレエや舞踊、ダンス、ステージなどエスタブリッシュな芸能から導かれたものではなく、徹底した彼の自然な立ち姿なのだ。昨年度のA組はそうした多くの多彩な団員たちの表に見えてはいてもさりげない隠れた魅力が超満載のチームだった。
Webの画像エンジンで無作為に「フレーベル少年合唱団」とひくと、検索結果の上位に小児がん患者のためのチャリティー公演「ごえんなこんさぁと」(2019年9月29日第一生命ホール)の写真がしばしば登場する。上進組も含め『パプリカ』を演唱するSA混成のチームを写したものだが、よくもこのメンバーを一つの画角に捉えたものだとちょっとビックリさせられる。驚愕である。プロのカメラマンの目を引く魅力が、やはりこの子たちの歌には明らかにあるのだろうと思わずにはいられない。
昨定演のインターミッション・サプライズでS組が先導した『パプリカ』(Nコン合唱バージョン)を例年出演の「第7回下町ジュニアコーラスフェスティバル」に今春(2月15日 かつしかシンフォニーヒルズ)クラス単独参加し最終ステージで披露したのはA組だった。このパフォーマンスは各団の事前の打ち合わせや摺り寄せが殆どできているようには見えないもので(「身振り手振りとか、-中略― そこにあんまり染まってない子どもたちのほうが、美しく魅力的に見えた」と米津玄師はFoorin抜擢の理由をインタビューに応えて言っている:マイナビニュース 2018/08/15)、中高生もいる他団のメンバーに比べ圧倒的に小さくて幼い感じのする彼らは、それでも他の合唱団のダンシングが見劣りのするものに感じられたりしないよう昨年披露した上手な歌い踊りを見るからにセーブして見せていた。他団をひきたてるため懸命に自制している姿がいじらしく、客席の私たちはまたそこに歌う小さな男の子たちのチャーミングさを感じたのである。
フレーベル少年合唱団のA組は来歴として他団の下位チーム(TFBCの予科やグロリアのB組など)とはやや異なるものを持っている。かつてフレーベルの団員は全員A組とB組に振り分けられていた。団員が4年生ぐらいになると一般にA組へ上進し中学2年まで在籍する。団員の最終ステータスは仲間たちとA組の肩書を背負って歌うことだった。だが、1990年代になって、各組内から選抜した団員を「〇組セレクト」といった名称でステージにのせるという慣行が発生。A組の場合、これが今世紀に入ってから「A組セレクト」という呼称で常態化し、のちに「セレクト組」を経て2011年から現在の「S組」となった。だから古くから団を知っている者の印象はあくまでも「フレーベルのメインクラスはA組で、Sはそのセレクトチーム」なのである。一方、一時ABCJの4クラスを擁したフレーベルでは、3年生メインのB組を敢えて合唱団「イチオシ」のチームとしてステージに送り込んだり、所属クラスにこだわらず来る者来たれで出演クルーを募集したり、歌の出来の良さや所属学年を無視し、あえて統率力のある団員を下位クラスに残したりといった組織力重視の配員も存在した。
後楽園駅メトロ・エムのエンタランスを、ニコニコの観客の人垣で塞いだ今日のA組に感じるものは、そのような圧倒的な魅力だ。そこには「A組は、S組の下位クラス」といった劣等や序列は殆ど感じられない。筆者は「フレーベルのA組は日本一の少年合唱チームだ」とまでは言わないにしても、「現在、日本の少年合唱団の低学年チームとしては、質朴さを兼ね備え各自のキャラが全開な日本一の集団エンターテイナーである」ことは認めざるを得ない。指導陣もおそらくそれを十分承知の上でギリギリまで彼らを指導で追いつめ、あとは「もっとやっちゃえ!」と確信犯的に歌わせている。そして客席の私たちはその策略にまんまとド嵌りし、「あー!面白かっタ!あいつら、小さいくせに、ほんとガンバってるよなー。」と心の満腹感にお腹をさすりながら劇場を後にするのである。


ユニフォームについて
冒頭のジャケット写真説明で書いた。一般にフォーマルで格式があるものと考えられていたダブル履きは20世紀の終わりまでスポーツや各種少年団のユニフォームへ形だけ残っていた。これはごく一例で、かつてのフレーベルの制服のディテールは、たとえ闊達でじっとしていない男の子であっても、ステージで照明を浴びている間だけは礼を失しない姿をしていて欲しいという、合唱団を見守る人々の願いを具現していたような気がする。
合唱団は10年ほど前までの一時期、非常にかさのある中折帽を演出ステージにタキシードと組み合わせる形で着帽していた。一方、ベレーは食卓や葬儀中でない限り室内でかぶっていてもマナー違反とはみなされない場合が多い。LSOTもVBCもフレーベルもHBCGや呉も男の子だけの合唱団はかつてベレーを着用していた。これは男の子の髪が殆ど手入れされておらずめしゃめしゃで見苦しいことに対する目隠しや遮蔽を目的に制定されていたアイテムのようにも思える(北九州や旧津山ではセーラー帽をあてている)。上着については現在と同じラペルの無い、青いシャンクボタン・愛らしい底丸のパッチポケットを付けたマリンブルーの3つボタン・シングルイートンだが、組み合わせている白いシャツはトライアングル衿の開襟で、スリーブもしっかりとしたブランドオリジナルだった。これはジャケットの下に半袖を着るのがビジネススーツではなくてもマナー違反だからだ。袖口からシャツが覗いていなくてはいけないという(冒頭のレコードジャケットの団員達も白い袖口の覗いている子が目立つ)。半袖だけを着用する場合は現在の団員達のようにサスペンダーをするか、ベルトをしめていなくてはいけないというマナーの縛りもある。1950年代後半、すぐに成長してサイズアウトすることが前提の子供の服にもまだ「正装」という概念が色濃く残っていたようだ。
フレーベル少年合唱団のオリジナルの制服からは礼儀正しさ以外にも周囲の人々が寄せた「美しく歌う人であれ」の思いがいくつも感じられる。その一つはグレーの半ズボンの機能デザインだ。筆者はかつて彼らの姿をしてだぶだぶ半ズボンと書いていた。活発な男の子の足さばきが良くなるようにという親心からひかれた型紙なのだろうと思う。しかし、彼らがステージに上がり、両足を肩幅に広げ、手を後ろに組んだとたん、そのシルエットは一変する。組んだ幼い手が腰部を押し、開いていたはずのズボンのすそは一瞬にして適度に締まり(正確に言うと、裾の開きが背中側へ移動するため)精悍な姿に転じる。一人一人の姿は貧弱でも、何十人と揃ってステージライトに照らされたときのインパクトは絶大だ。かつての制服をデザインした方は、彼らのステージでのふるまい一挙手一投足をすべて熟知して意匠を組みなおしたにちがいない。
現在のユニフォームがお披露目されるより以前、合唱団は団歌『ぼくらの歌』の前奏が鳴り始めると同時に緞帳をあげて歌い出す演出スタイルを堅持し定期演奏会をスタートさせていた。ご家族や親戚、学校の先生方や会社の皆さんは少年たちが遊びたいのを我慢して練習に通い続け、この日を迎えたことをよく知っている。現在もそれは同じだが、そんな思いで胸元を押さえ「しっかり歌え!」と前のめりで祈る聴衆の前には客調が落ちたあと、重く硬い緞帳が夜の帳のように下りている。団歌の前奏がファンファーレのごとく聞こえてくる。幕の下端が動く。ピアノの音が次第に明るく輝かしくハッキリと聞こえてくる。漏れ出てくる燦然のステージ照明。団員達の黒い短靴のつま先がわずかに見えて光った刹那、真っ白いソックス、ペールオレンジの両腿、ライトグレーの半パンツ、そしてマリンブルーのジャケットとベレーを阿弥陀かぶりにした真摯な少年たちの面差しが、まるでグラデーションを解放するかのように下からダイヤモンド色、ピュアホワイト、金、銀、紺碧、ネイビーへと段階をふんで次々立ち上がってくる。色彩設計されているのである。そして彼らの全姿が全光の中へ浮かび上がったとたん、歌声が明るくひたすらに客席の人々の胸元へ到達する…

 ぼくらのうたよ (ぼくらのうたよ)

子供たちに愛と勇気と夢を売る会社で考えられた、おそろしいほど劇的で圧巻の開幕演出である。毎年のことだが、客席の人々はこの瞬間「わーっ!」「まぶしい!きれいだ。」「すばらしい!」と思わずときめいたことだろう。かつてのフレーベルの制服は、この瞬間のため周到に企画され、デザインされたゴージャスな輝度の高い演出の一部ではなかったのかと筆者は思っている。制服が現在のものに変わってから、合唱団は定演冒頭で上記に代わるサプライズを手を変え品を変え様々に打っていた。だがその一つとして旧制服を陵駕できたものは無いように感じる*。

子供の体位向上とともに、既製品の衣料は標準サイズと生産ラインの見直しがはかられる。ほぼすべての制服アイテムがレディメードである現在のフレーベルの場合、今後2-3年のうちに隊列全体のシルエットはおそらく変動することになるだろう。

*毎年のようにここで話題にしている定演ステージの箱馬の高さだが、かつてはちょうど平均的なA組(現S組)団員たちのソックス丈へ揃うように1段目から積まれていた。このことでビジュアルは一見して安定し、客席は歌に集中することができていたように思える。


セントポール君は、何故「will shine tonight」なのか
筆者出身学院の後輩で、毎ステージ完全な身びいき(?)にまかせ歌い姿を見ているセントポール君である。
彼のステージデビューの姿は実に印象が悪かった。B組ステージでは滅多に見ることのできない仏頂面。団員の不出来にあまり興味の無い私が覚えているほどだから、彼の不機嫌そうな顔は度を越していたのだろう。だが2020年の今、ステージでの彼の表情は、デビュー時の印象を微塵も残していない。ステージの表情だけを見て、その子どもの団員人生を決して判断してはいけないことを彼は私に教えてくれる。現役SA組メンバーの中で多分一番表情が良く、楽し気に、春の訪れとばかり歌い囀っているのが現在のセントポール君だ。そのマジックと秘訣は何であろう。ソロの記録映像として残っている初期のものは2016年12月8日収録のアニマックスのクリスマス「アニメクリスマス・メドレー:デジモンアドベンチャー02~天使の祈り」。最近の声質は下方域にチャームを持った明るいメゾ。男の子の気品が漂いキュートだが鼻腔の抜けに特徴があってハードなはちみつドロップというイメージの声である。その歌い姿が本領を発揮したのは2月のオペラ、『カルメン』だった。 文京シビック区民オペラでの子役のオンステージは『カルメン』でも衛兵交代から幕切れ、カーテンコールまで全編にわたりタップリ潤沢なのがうれしい。セントポール君も、オフホワイトにまとめた衣装が舞台照明に映え、役柄通りの元気なちびギャングっぽい表情やコミカルな演唱が爽快で楽しく、聴衆の耳目を喜ばせた。このときのプログラム冊子には少年合唱団の練習風景やプローヴェ時の記念写真が何枚か掲載されている。だが、彼の姿はたった1枚。学校の制服のまま、端っこへコメ粒ほどに小さく写っているに過ぎない。彼に限らず、この合唱団に限らず、国私立通団組の子供たちの日々のレッスン時間のやりくりの苦労は、いかばかりのものであろう。ステージ上の表情からは全く想像できない苦労や忍耐を要する処遇と彼らは毎日のように戦いながら歌っているのに違いない。だから、私は彼が『カルメン』のステージであんなにも輝いていたのを(本人の努力や持ち味は当然だが)周囲の方々からのすばらしい賜り物としてありがたく受け取ったのである。
ステージがスタートする刹那、多くの団員らは客席を一瞥して安堵の表情を見せる。比してセントポール君の場合、微笑みはステージを通じ不断に繰り出され、止むことはない。客席のどこかに彼をそうさせている人が必ず存在するのだ。あたかも月や惑星が恒星の光を受けて輝きわたるように、セントポール君は客席に必ず内在するいずこかの光源の光を受けて、ステージの間じゅう、観客の眼を射るようにキラキラ光り輝いている。満天の星と青銀の月の光が夜道を歩む私たちをいかに守り、前を向かせ、安堵させもするか、…人里離れた山奥や絶海の孤島で何年か過ごした経験のある人間であればごく当たり前のこととして落涙するほど切実に理解できるだろう。だから、セントポールくんは、「shines toDAY」ではないのだ。セントポール「will shine tonight」なのだ!彼の歌声は、客席にいるどなたかが私たちに届けてくださった、夜目のおぼつかぬ足元を照らす安心のかけがえのないプレゼントなのだ!
しかし、この発光原理はセントポールくんだけにしか持てない特権などではない…フレーベル少年合唱団を現在、こんなにも光り輝く素敵な少年合唱団に止揚してくれている根本の莫大なシステムは、客席で団員らを見守り、心からの慈愛や応援の気持ちで真剣に彼らの歌を聞いている雑多な年齢層の多くの様々な人々が少年たちに投げている光(これはアレゴリーだ)なのではないかと私は真剣に思い始めている。



『星の王子さま プチ★プランス」(マスター収録=キャニオン CX-43) は2018年12月19日に、デジタル変換されたものが阿久悠の記念CD収録曲として満を持し40年5ヶ月ぶりにリリースされた。3分45秒近くもある尺長のフルバージョン(デジタル化されたものには冒頭の「この物語を…」というナレーションが入っていない)。フレーベル少年合唱団を代表すると言っても過言ではないこの録音のクオリティは様々な意味で非常に高く、団員本人・合唱団マネジメントスタッフ・レコーディングとリリースサイドのスタッフ全員が「良いものを全国の人に届けよう」と邁進していたことが音溝から痛烈に伝わってくるパワフルな作品である。ローアングル・ローポジション寄りに鳴る安心安定感のある団員の担当レンジをコンソール側のプロの手腕でダイナミックに聞かせようと果敢に試みる美しい作為にまずびっくりさせられる。中学2年生(14歳)までの現役A組所属がデフォルトであった当時のフレーベル少年合唱団だから為すことのできた仕事と言える。団員のあらゆる音楽生活の経験と育成と日常指導の質の高さが伺える、1978年7月のリリース以来日本の少年合唱団の歌唱頂点の一つに君臨する仕事である。一所懸命に歌おうとする冒頭から、次第に集中が緩んで本来の子供らしい声質が浸潤する後半まで、少年らしいまっすぐさがストレートに出ている至高の商品録音である。薔薇の頬をした作中の王子さまは両耳の後ろに小さなクリームパンのような掌を広げ笑いながら言うのだろう…「ね?本当に大切なことは目に見えたりなんかしなかったでしょ?」日本人総ショタコン化計画とも呼ぶべき過激さ、燦然たる輝きを放つ記念碑的作品である。
18年にリリースが可能になったのはおそらく関係各位の了承があってのことだろう。僭越ながら感謝の意と敬意の念を全フレーベル少年合唱団ファンになり代わり最大限に奉ずる。


としまえんコンサート
かつて「史上最低の遊園地…来るんじゃなかった!!…楽しくもないし、夢もない。おんぼろ木馬(エルドラド)」と新聞一面広告を打っていた、あのとしまえんである。コピーは以下のように続く。「つまらない乗り物をたくさん用意して、二度と来ない貴方を、心からお待ちしてます」
バブル最盛期、泣く子も黙る西武SAISONグループを代表するアミューズメントパークとして大ウソの広告までを打つ大隆盛を誇ったとしまえん。その真っただ中の来園者世代だった筆者も、若い男女入り乱れて午前中からビール(大)をあおり絶叫マシーンに乗りまくって気持ち悪くなったり、オートスクーターを天井から火花散らして誰かの車へ故意に大激突させたり、お化け屋敷でフライング・パイレーツさながらに大絶叫したり、プールサイドでマッチョポーズとったりと痴態に類する思い出は枚挙にいとまがない。お洋服を着ていない宮沢りえの出てこないサンタフェの扉の実物も見たし…。かつての日々、としまえんは少年合唱団の野外演奏会とはおよそ一切無縁で絶対に相容れない騒然とした酒池肉林の熱狂の乱痴気カオス地帯だったのだ。
東映Vシネマのホラー映画が撮られるほどウソのように寂れてしまったとしまえんにフレーベル少年合唱団はここ数年、毎年出演した。午前午後と野外マチネ30分間営業2本に、SAB全クラスが動員され、公開の記念撮影会有りという、極めてゴージャスなライブパフォーマンスである。だがしかし、としまえんコンサートは私たち聴衆にとってもフレーベルの多くを学ぶことができる絶好の機会だった。9月以降の秋口に打たれることが多い企画で、定演後はじめての公演という位置づけから新年度の団員構成(上進・リーダー団員・新しい隊列の並び順・合唱のトーンの変化)があきらかにされた。また、3つのクラスが入れ替わりオンステージすることになるので、歌っていないクラスがスカイトレインやミニサイクロンの近くで立ったまま休憩したりしていて、オフステージの子供の雰囲気が至近に感じられる。コンサート環境としては、カルーセルエルドラド(回転木馬)やサイクロン(ジェットコースター)がキッチュな音楽を奏でていたり轟音をたてながら疾走したり、乗っている客がわけわからん大悲鳴をあげて絶叫していたりとかなりの「史上最低の遊園地」ぶりで、団員たちの集中も途切れがちだったのが見ていて愉快痛快で楽しかった。
昨年度のとしまえんコンサート。彼らはズボンと靴下だけにレギュラーのスタイルを残し、その他は完全無帽で各自ハロウィンやパークを意識したものを着る自由な着衣だった(おそらくFMのようなかなり厳しい事前審査などは無く、当然の親心から全員ものすごい厚着だった。しかも首には支給品のジャックオーランタンカラーのネッカチをしっかり巻いている!)。そういうこともあって、コンサートが始まってから筆者はS組最前列に一人、FMの団員が混じって歌っていることに気が付いた。その位置はつい先月末までU村先輩が両脚をぴっちり閉じて何年も凛々しく立っていた隣である。私の聞く場所から声は分からないが、歌い姿を見る限り上半身が自由でそれゆえに重心の位置が適切で、FMで「水戸コーモンを絞めなさい」と指導される(されていた?)姿勢である。モスグリーンのジャージを着て、背丈はまだ小さいが、のびのびと気持ちよさげに歌っている。だが、驚いてその団員の顔をもう一度あらためると、FMの団員というのは目の悪い筆者の見間違いで、それはあのアンパンチ君なのだった。小児がん征圧キャンペーンのとき既にボウタイに更新があり、彼は定演後すぐS組に上進していたようだ。筆者はよく現在のフレーベル少年合唱団の立ち姿を「後ろに組んでいた手をただ横に下ろしただけで歌としては何も変わらない。だったらあのままで良かったのでは?」とよく揶揄する。だが、アンパンチ君の場合、両手を横に下ろしたからこそ、上半身は歌うために解放されていたように見えた。手を後ろに組んで歌うがゆえに上半身が堅固にブロックされていたフレーベル少年合唱団60年の歴史を完全に塗り変える団員がついに現れたのだ。本人もお家のかたも、おそらく大笑いで決してそうは思っていないだろう。だが、その事の重大さは、ナザレの町に住むどうということも無い一人のユダヤ男が2000年ぐらいの前のある日「休みの日は神様のためにあるわけじゃない!疲れた人が休むためにあるんだ!」と真剣に言い出し、以後の人類史を大きく決定的に方向づけた事態とよく似ている。
フレーベル少年合唱団は60年目にしてついに、大きな転換のときを迎えたのだ。

2019年にあったこと
在京の少年合唱団のステージ上の子供たちは、歌声を聞きながら顔を眺めるだけでも楽しい。
人口流入のある整った地域ゆえ、彼らはまず(ビシッと整髪はしていなくても)イロイロなヘアスタイルの子がサラダボウルのように混在している。坊主っくり、ソフトモヒカン、ツーブロック、ぱっつん、ナチュラル、カーリー、マッシュ、もちろんスポーツカット。毎年、味のある独特なイメージで聞かせるステージや仕草が自然体の岡本(A)君たちはブロークンアシメをキラキラさせていたりふわっと振ったりしていて見ているだけでパワー全開だ。
また以前にも書いた通り彼らは肌色のバリエーションもマルチだ。イエローベース、ブルーベース…塩男子くんに情熱のアロマ褐色男子、リンゴのほっぺ、コーラル君、夢見るキャラメリゼにピリッとスパイシーなシナモンボーイ等々。眼鏡着用率も抜きん出て高く、本当にいろいろな子が歌いに来ている印象のハッピーな華やかさ。「殺風景で色気も食い気もない男所帯」とはもう言わせない。見ても聞いても美味しい児童合唱に会いたかったらぜひともフレーベル少年合唱団のステージを目でも同時に鑑賞すべきだ。
さて、2019年春。たくさんの団員たちがいちどきにステージから姿を消したことは紛れもない事実だ。例えばその団員を筆者が最後に見たのはとしまえんのそれいゆステージだったろうか。A組の最後の年にはここで繰り返し述べてきた「犬のおまわりさん」のソロをつとめていた(そのときのお茶目な相方君も今はもういない)。18年の定演で彼は開幕の第2の童子のセンターにおり、表情も歌いも終始満点の爽快さだった。S組では現在のアンパンチ君の立ち位置に1年間おり、見ても聞いても楽しいステージを届けてくれていた。彼の姿が隊列の中にすっかり見られなくなり、筆者はそれからしばらくしてEテレの食育戦隊番組で歌い踊っている彼の姿を見かけたような気がした。センターで歌っていた女の子が一見して『それいけアンパンマンクラブ』の毎回エンディングでセンターをつとめていた子役だったのだ。「ああ、こういうことならいい。」と私は納得したが、それは筆者の全くの早合点で人違いだった。彼ら自身が何を思い、いかなる理由で合唱団を後にしたのかは、客席にいる私たちにはわからないし、それでかまわないと思う。だが、今改めて子供たちの顔ぶれを思い起こすとき、筆者はどの子にもかなりの文書量で思い出を書き連ねることができそうだ。どの子も少年らしい良い歌を全身全霊で歌っていたのだ。フレーベルではこういう年がおよそ6年に1度ぐらいの周期で厳然と訪れる。だが、今回は「いつもの…」と安易に言えないほど大規模なものだった。
筆者は冒頭、この合唱団とVBC・TFBCとの明らかな差異を述べた。同様の理由から、今日も団員一人一人を陶冶するというイメージを強く持っているのは2013年まではとくにFMで、一方、合唱と歌の中でなんとか「少年らを歌う集団として統べよう」と努力しているのはフレーベル少年合唱団であるように見える。FMの団員らは予科の1年生から本5の最上級生まで舞台へ無造作に放り込まれたとたん姿勢やブレスが揃い、団員同志の立ち位置の間隔やMC・ソロへの登壇ルーチンなども乱れることが無い(逆説的なようだが指導の対象は一人一人なのだ)。金髪碧眼の海外の合唱団の男の子たちが個人名で追っかけを享受していた時代から、VBCの隊員らもまたビッグマンモスのように隊員個人を対象としたティーンエージャーのファンを抱え、『アーバサクサ』(後にNHKうたのおにいさんとなるひなたおさむ等を主に応援していた)などの堅実なファンクラブを導いていた。
一方、出版社を母体とし成立しているフレーベル少年合唱団の場合、初期の指導については雑誌『合唱界』(1956-1969)と後継誌『合唱界ヤング』(1970-1972/1973 いずれも出版者は東京音楽社ほか)に詳しい。団員個人についての言及は勿論無く、人々がフレーベルを「合唱団」として心から応援していたことは間違い無い。
磯部俶率いる指導陣の苦悩は「ドレミ」と歌わせても決してその通りには声を出してくれない男の子たちの音を「いかに合わせるか」の闘いであったようだ。これらの記述の行間からは当時の団員のピッチ感への符合要求は強く感じるが、「彼らの標準語の発音をいかに美しく揃え止揚するか」ということへの言及が思ったほどに見受けられない。指導者自身が純粋でネイティブな山手標準語話者で、しかも東京都心の練習場から団員募集をかけていた合唱団ゆえ、「日本語の発音を整える」ということについては第2順位もしくは団員任せの局面がかなりあったのではないかと筆者は想像している。そして2019年の合唱団でも後者は同じだったのではないか。彼らに対するプラスの評価はこれらの事柄と強く関係があるのではないかと筆者は考えた。

おわりに
定演の幕開けにあたり少年合唱団はここ数年、モーツアルトの「魔笛」2幕16番三重唱を歌っている。昨定演では後奏にあたる伴奏部分を略し端折って見せ、いかにもの現体制の合理を見せた。客席に対し静粛鑑賞を求めるプロローグと見るのが常識的な見解だろうが、フレーベル少年合唱団の応援歴の長い者にとっての意見は少し違っている。1990年代を通して、フレーベル少年合唱団は合唱団として未曽有の存亡の機とも言える危機的状況に陥った。団員本人達には無論戦うすべなどはなく、定期演奏会はガラガラのabcホール(客席数500、港区芝公園、ホールとしては現存せず)に団員の親・親戚とOB関係の観客が前方中央の席を埋めるだけの寂しいコンサートだった。横一列に並んで全員終わりの隊列はなけなし(?)で背の順に並ばせてもパート間で派手な凹凸がある。その歌声も決して秀逸とは言えなかったし、当時の声は少人数で膨大な声量を賄えるほど充実したものでは無かった。「ああ、もう来年はこの定期演奏会もフレーベル少年合唱団も無いのだな。」と、その寂しい客席でため息まじりに諦観したことを今でも思い出す。あの時、団員だった少年たちは、どんな思い出と共に今を生きているのだろう。2020年の今、既に創団半世紀を超える少年合唱団の開演アバンに並ぶ選ばれしS組9名の団員達の姿を見るとき、私は前世紀末の休日の昼の演奏光景がどうしても脳裏に強く蘇ってしまう。フレーベル少年合唱団は今日、それを毎年真摯に年をかさねる大切な定期演奏会の冒頭で見せることによって、彼らが幾度もやり直しまき直しを重ね、何度も何年も生き返るようにここまでやってきたことを私たちに教える。その時々の齢10歳前後の少年たちが何かを祈念し、何かを夢見ながら胸を張って歌ってきたという気高い真実。60年という月日を順風満帆に、鏡のような水面を滑るがごとく歌い過ごし今日に至った安寧では決してないことを彼ら21世紀の9名の隊列は頼もしく無邪気に真摯に語っている。おそらくどの少年も合唱団の来歴を耳にしたことなど無いに違いない。それでもなお、今の団員達の歌い姿に苦しかったあの頃のひたすらな少年たちの図像が具現されるのは、合唱団の夥しい先輩方の不断の歌声と通団の日々が畢竟、合唱団の名と歴史のもと「青空はるか希望の星へ」と優しく歌いかけているからに違いない。

 

フレーベル少年合唱団よ永遠に

2019-11-09 15:10:00 | コンサート

フレーベル少年合唱団第59回定期演奏会
2019年8月23日(金) 文京シビック 大ホール
開場 午後6時 / 開演 午後6時30分
全席指定2000円

2019年4月13日午前8時、開店直前の平成時代の喫茶店にステップバックしてきたポニーテールで制服姿の見ず知らずの少女が慌ただしくコーヒーを淹れ始める。ホワイトモノトーンのカジュアルを着てミディアムパーマに下ろした主人公の方は、コーヒーもいれるがワンハンドルマスコンもいれる引く手数多な大人気の若い女優さんだ。カップにコーヒーが満たされる音を聞きながら目をつむってそれを飲み干すと、やがて店内にかかった3つの時計の中央が止まり、左のターコイズの時計が動きだす。彼女は西暦2000年の12月24日午前8時へと旅立っていくのだ。変声直前といった風情を漂わせる一人の少年の真摯でガーネット色の歌声が鮮明にスニークしてくる。水中に漂う彼女は壁一面にかけられた過去の額絵の中から降下するときを探しつつその歌声に舞っている。劇場いっぱいに大音量で響き渡るしっかりした少年のソロ。作品中、最も重要で全ての出来事の集束点となるシーンの幕開けを一人のボーイソプラノの歌声が朗々と広大に牽引していく。この少年の歌声には特徴的なピッチの揺動としっかり練習を重ねたお兄さんぶりの頼もしさが同居し、一度聞いたことのある者であれば、誰がこれを歌っているか直感的に峻別することができる。映画のロールには歌詞の無いBGM的な歌に関するクレジットが一切なく、所属協力社のインフォメーションすら出てこないが、オリジナル・サウンドトラックのCDにはboy soprano:としてアーチスト名も「フレーベル少年合唱団」の記載もハッキリと見て取れる。2018年にビクターのスタジオで収録されたものだ。
この団員の活躍が本格化したのは2014年7月の東北公演の頃から。彼は最年少の仙台ツアーメンバーの一人として参加していたのだ。プログラムには本定演同様アンパンマンの図柄が踊り、今回アンコールとして歌われたセリフ演出入りの「アンパンマンたいそう」がやはりアンコール曲として発表された公演だった。合唱団の世代興行が一巡したことを感じさせる。
フレーベル少年合唱団第59回定期演奏会のステージにこの団員の姿は無かった。それどころか、今期合唱団のソプラノ中核の歌声を担うことが確実だった、彼の大切な弟くんも…。兄は前年、S組上進した弟をしっかりと横並びで隣に引き寄せ、ソプラノ最左翼へ常時肩を並べ、毎公演自重の中で厳しく歌い続けた。一見の客にでさえ、顔を見れば彼らが兄弟であることはすぐにわかる。しっかりと心で繋がった2人の立ち姿は常に私たち観客の「心の保養」であり、神様からの贈り物であり、彼らは質朴なアイドルだった。兄弟を同パート隣同士に立たせ、客席の目を和ませるという日本の少年合唱ではあまり見かけないしつらえがどこから生まれたものなのか、私は全く気がついていなかったが、今春ようやく判然とした。彼らは今、日本各地にいくつもある被災地の一つで今度はご両親を支えはじめているようなのだ。
定演の話の最初にこれを書いたのは、もちろんこの2人の団員の最後の年をいつまでも忘れたくないからだが、彼らのいない合唱団が「そこで歌っていたはずの団員がいない」今回の定演の実情の一端を象徴していたように思えるからだ。


演奏会はセレモニアスリーなクロッカー Emilly Crockerの「グロリア・フェスティバ」で開幕した。ギャロップ・ファンファーレのイメージで書かれたこの曲はアメリカのK-12ミドルゾーンエデュケーションの色彩を強く放つ溌剌としたもの。ラテン語米語歌詞で曲長もたっぷりと歌って3分間に届かないが、その一方フレーベル少年合唱団お得意の追っかけの応酬あり、ハリウッド調の起伏あり、「歌いきったー!」というコーダありと歌う側の満腹感も得られるようになっている。高学年の子たちをエッ?!と驚かせそうな『With you smile』そっくりさんの前奏、からりとした曲調やアドベンチャー映画のサントラにありそうなわくわく感を醸し出すリズム…日本の子供たちにも好まれそうなナンバーをよく選んでオープニングに据えている。フレーベルは本年初頭にはすでに劇場公開できる程度にこの曲を仕上げており、実際かつしかシンフォニーのモーツアルトホールで2月に聞いた演奏は高声部の申し分のないボリューム感や、アルトの子達のカッコいい旋律奪取や、メゾ少年らの甘ぁーいおいしそうなハーモニーなどが満載の「これぞ日本の少年合唱団!」的な仕上がりだった。「この惚れ惚れとさせるヤンチャぶりを夏までにどう刈りそろえていくかが彼らの課題じゃないかな」と客席で思ったことを今でもよく覚えている。
だが、定演当日、団歌に続く彼らS組による「グロリア・フェスティバ」はまるで大人しい穏当な演奏だった。「演奏会の冒頭なのでかなりセーブをかけているのかな」と思っていた。だが、当夜の演奏を最後まで聞いて抱いた率直な印象は、昨年までのイケイケ路線が一転、総じてやややんちゃぶりに欠ける仕上がりの定期演奏会だったということだ。もともと数年後には予想されていた事態だが、まずそれが3年近く繰り上がってやってきてしまったというイメージ。これはいくつかの要因が運悪く重なってしまったということだと思う。前述のかつしかシンフォニーでのコンサートに聞いた天空の城ラピュタのソロ入りのテーマはなんだかムフフな出来栄えの痛快な一曲だったが、この定演で結局再度歌われることはなかった。象徴的な出来事だと思っている。

今回の定期演奏会の期日となった8月23日は、都内の小学校や初等中等学校の2学期始業ギリギリの日程である。9月にならないと小学校では新学期が始まらないというのは、まだ文京区・北区などには残るが基本的に平成のノスタルジーだ(隣接する新宿区・豊島区の2学期始業は定演の週明け)。合唱団側でも来年の定演は8月の19日水曜日へスライドすると発表している。微妙なラインで、定期演奏会が始業式の直前となる団員がいることには変わりない。


冒頭の兄弟団員たち同様、今回の定演では「そこで歌っていたはずの団員がいない」と思わせる光景が印象的な定演だった。
一つは彼らが紺イートンでpart1に登場するシーンから既に明らかになる。フレーベル少年合唱団は2年前から中学生に長パンツ着用を指定している(紺イートンはもともと丈の無いレギュラー半ズボンと組み合わせることが前提にデザインされたものなので、裾丈が長パンツにフィットしない。ユースのプルオーバーをベストに替えているのはこのためか若しくは市販品のサイズアウトが理由だろう)。一見して誰が中学生なのか一見してわかるようになっている。…3人しかいない。一つは中学進学を機に卒団した団員達がいること。彼らは在団中ずっと強烈な存在感を持っていた(客席にいた!嬉しかった!)。もう一つは昨年度お披露目のあったユースクラスに中学2年生以上の団員が吸い上げられたためで、ユース兼任の中学1年生は1名活躍するにとどまる。S組を去った彼らがフレーベル少年合唱団にとってどんな功績を果たし、素晴らしい歌を聴かせ続け、下級生たちを統率していたかはユースクラス・ステージに登場したメンバーやプログラムの名簿を見てもハッキリする。
中1団員たちはソプラノ側からメゾ、アルト側へここ4年間ほぼ同じ位置へ立ち今日に至っている。各回のコンサートで彼らの姿を確認するとほっとしてしまうのはおそらくこのためだ。ソプラノの団員は「アニマックスのクリスマス」「PRIDE」昨年の「天使と羊飼」の天使チームと毎年のようにここでも書いているが、私がどうしても忘れられないのはオペラ「トゥーランドット」でたくさんの団員たちと歌った彼のマツリカのキラリと光る演唱だった。
メゾ位置前列で必ずセンターにいるカッコいい中学生は、三山ひろしのNHKホールのライブ「貴方にありがとう」の頃からセンターに歌いDVDでも終始(合唱団の登場から彼の目前へ緞帳が降りるまで!「全く最後まで魅せてくれる!」と思わず叫んでしまう)印象的に撮られていた。彼はフレーベル少年合唱団の団員には珍しく、手を後ろに組んでいた時代から両脚をぴっちりと閉じ揃えて歌うシルエットを堅持していて、これが彼の声量をコントロールしているような印象を受ける。他にもごく少数だが足を閉じて歌う団員はいるのだが、彼のポジションは必ず最前列センターで固定されているために、観客にとっては演奏会開演とともにその姿が確認しやすく、安堵のようなものを感じるということが常であった。ここ数年のフレーベルのライブで全団員の基準座標のような役割を果たしてきた大切な大切な団員くんである。とくにこの1年間六義園ライブやその他のステージでメインMCなどもつとめ、少年らしい凛々しい声を私たちに届けてきた。
アルト右翼の中1団員は5年生で変声したが最前列の立ち位置をキープし続けた。羽が生えたように勝手気儘に歌いさえずるということをしない。与えられたポジションを堅実に誠意をもって守り続ける職人のようなすばらしい人。彼の声と「少年合唱団員としての生きざま」は、どちらも兄譲りの美しい誇るべきものだ。そしてそのどちらも、私は心から愛してやまない!彼は今日、part5でユースメンバーとしても活躍する。少年合唱というものの真実が、多くの部分で「少年合唱団員としての生きざま」に依って立つものであることを彼の歌い姿は長い間物語ってきた。

part1ではこの後、ボーイソプラノ映えのする「グリーンスリーヴス」や「アメージンググレース」を歌い継いだ。「アメージンググレース」はwowwowの連続ドラマW 「湊かなえ ポイズンドーター・ホーリーマザー」の第2回放送でフレーベル少年合唱団S組出演のうえ歌ったもの。放送は7月13日だが収録は3月21日に行われたため、映っているのも歌っているのも定演後の昨年度S組団員である。先述の最前列センターにいる中学生団員がまだ半ズボンの制服を着こなしているのでそれとわかる。立ち位置の人選や画像の仕上がりはきちんとした映画の迫真のシーンを見せられているかのような印象だった。編集でほんの数秒間、センター団員らが寄りの横舐めドリーで撮られていく。彼らの日常のステージを見慣れているはずの私は、彼らが圧倒的な「存在感」で仕上げられ画像に収まっているのを見て、あまりものクオリティの堅実さに戦慄させられた。おそらく、この驚愕は別人のように高インパクトで撮られた我が子の姿をテレビ画面の中に見てしまった団員保護者全員の偽らざる感想だったに違いない。彼らがきれいに着こなした、白ベレーに白スモックといった衣装のドラマツルギーも手堅い。アニマックスのクリスマスでの彼らの撮られ方の清新さにも舌を巻いたが、今回は設定にかなう歌い姿を披露し、また撮らせてもいる。曲は本編の主人公である「毒親」がトラックに轢き殺される瞬間に合わせ正確にカットアウトされ、表象オブジェの浮かぶショットで団員らが拍手を受けるよう仕組まれている。このため少年たちの歌い終わりは非常に印象的なものになった。作中の歌唱はフラッシュするシーンに合わせてやや乱暴で粗野な整音のまま録りあげられており、ソロ系の声が目立つ部分を絶妙にミュートし今回の定演のものとは印象を異にしていた。また、出演の役どころはそのものズバリ「少年合唱団」の役でソロを擁していない。59回定演ではこの「アメージンググレース」を大活躍のソリストくんが甘く美しく先導し、以降も次々と団員が登壇。ソロの喉を聞かせた。「グリーンスリーヴズ」でもマイナーコードにあった冷涼なアンサンブルを適材適所にフィーチャーしている。フレーベル少年合唱団は今年、メンバーのラックを補うかのように目立ったソロをいくつも打った。どの団員も一人残らず十分独唱に耐えるレベルで日常レッスンに於いて陶冶されていることを印象づけている。素晴らしいことと言える。だが、昨年定演で歌われた団歌や「アンパンマンのマーチ」と、今日ここで聞いたそれらの曲とでは格段にカロリーやポテンシャルや面白み、高音域の冴えが違う。それはユースへの上進や卒団以外にも、そこで歌っていて当然の団員たちが何人か今回の定演には姿を見せなかったことを示している。また、A組上進メンバーたちの補填をもってしてもそこを補いきれていなかったことも物語っているようだ。昨年のプログラム裏面記載のS組団員と今年度のそれとでは単純に比べても10名の団員が減っている。少年合唱団にある日、素敵な少年たちが花咲くがごとく一度に出現したとしたら、それは素敵な少年たちがいつの日か一どきに合唱団を去るのだという摂理。昨年も書いた通り、2年前の2017年、57回定期演奏会のpart3「『いぬのおまわりさん』の2番のソリストたちが、消防少年団の訓練礼式にも負けないくらいカッコいいシャープなお辞儀をして隊列に戻り(彼らは颯爽としたワンワン巡査の正義と真の勇気を少年らしい誠心を尽くして体現しようとしたのだ)、客席の私たちが曲の終わりを待ちきれず思わず拍手した瞬間」がエンタテイメント集団としてのフレーベル少年合唱団の天頂の一つだったと私は今も信じている。「小さいアキみつけた」君たちが透明度の極めて高い、練習を積んだ声を駆使し心を尽くして「小さい秋みつけた」を歌い、その後カラフルな心踊るカジュアルを身にまとったS組団員たちが「PRIDE」で舞台狭しとばかりきっちりとステップを踏んだ。あれは晴らしい夜だった。エンタテイメントとしてのボーイズコーラスのレーゾンデートルとは何か?我が国に於ける少年合唱の醍醐味として無視できない大切なものは何か?…今回の事態はそれらを静かに教えてくれている。


もう一つは今回の定期演奏会へ強烈に通底する既視感を、「前も聞いた」ではなく、「待ってました!フレーベルの定演は毎回絶対コレでなくっちゃ!」と客席に納得させる手法のさじ加減だったと思う。
合唱団は今年も演奏会のアバンに「魔笛」の三重唱(日本語版)をワーニングとして打った(その効果は、当夜文京シビックに居た観客なら誰でも知っている)。この演唱は員数・運びからコスチュームに至るまで全く昨年通りのフォーマットを踏み、今年の演奏会が終演までどのように運ばれるのか、客席の誰もがこの時点で予想できてしまったイメージだった。だが、実はこの隊列は目立たぬよう昨年度とチーム構成・人選が巧みにズラされており、また一つ違ったフレーベル少年合唱団の面白さを楽しめるようにしてあった。しかし、視覚的な印象は圧倒的に「去年の定演と全く同じじゃん!」であり、冷静な目でこれを見ない限り判じることが出来にくい。「前にもこれを聞いたな、見たな」という印象の連なりは、本定演のプログラム進行に徹底して流れ続けていたのである。

定演までの合唱団のメインストリームをトップで支えてきたキーマンは、まっすぐな歌を歌い続けてきたいわゆるクマくんウシくんチームともいうべき頼もしき集団だ(彼ら一人一人についてここで書きつくすと兄弟関係の活躍にまで話が及びとてつもない文章量になるので全員は書かない!)。彼らの学年は、定期演奏会がその年に晩秋から8月へシフトした煽りを受けてS組入りが半年以上も遅れ、客席にいる私たちを心からヤキモキとさせた。「新入団員は1年に15名、合唱団の定めた日程でテストを受けてパスし、適格とされた少年のみ。条件は集団行動遂行能力があり毎週の練習へ必ず出席できる者。」とした現在の団員募集による初期の子供たちでもある。優秀なのは当然だが、下のクラスへ在籍していた元気一杯ボーイズの群れる当時のB組A組をこうした事情から長い間鮮やかな手腕や搦手の心優しさで引っ張ってきた。彼らはS組2軍の下位集団でありながら、ソロやMCへの登壇、頭数が必要な外部出演のS組補充要員、それどころかS組下請けクラスのリーダーとして八面六臂の大活躍を展開し続けた。下級生らの幼さや拙い行動をポロリと客席に見せ「こんな小ぃちゃな坊やたちがあんなにキレイで上手な歌を歌っていたなんて!フレーベル少年合唱団ってステキ!」と客席をメロメロにさせる辣腕の下級生止揚力も持っている。着実な実績の割にいつまで経っても「S組団員」という肩書きにしてもらえずタキシードの制服も与えられない彼らの姿を見て、判官贔屓の私たちは彼らのステージでの姿へ次第に「諦観」や微かな「やさぐれ」のようなものの兆しを重ね始めたほどである。クマくんウシくんチームのソプラノ側リーダー…彼がS組入りした途端大進撃を開始した歌の出来栄えの良さ、一見して感じる爽やかさ、ダンスパフォーマンスのクオリティーの高さはここにも毎年のように書いているので繰り返さない。ただ、少年合唱団員としての彼の最大の魅力は、彼本人よりも寧ろ、周囲の団員たちが舞台上で視線に頼って彼に自分のありかを問い、何かを得て安堵し歌い続けるという姿をさんざん見せてもらってきたゆえの心ゆるびと千年至福に違いない。ひまわりのごとくすらりとして姿勢が良く、かつての辛い時期に太い導管から力強く土中の養分や水分を懸命に吸い上げた結果で周囲の子を明るい気持ちにする。
私はこの団員の出現が、今後しばらくの間のフレーベルの集団と知恵の色を決定づけてくれるのではないかと密かに想い願っている。昭和後期から現在までの首都圏の少年合唱団の、チームとしての主なニュアンスは「歌うエリート集団」だった。自覚し責任を負った上級生らが豊富な経験から下級生集団をきびしく律し、実力主義や年功序列で互いに切磋琢磨しながら成長し変声までの数年間を駆け抜ける。少年スポーツに見る子供らのありように酷似する。かつて少年スポーツの志向は「苛め抜かれて勝ち残ってきた少年たち」をさらに叩いて陶冶するものだった。同様のアプローチは現在の様々な少年合唱団の高学年チームにあっても基本的には変わらないだろう。フレーベル少年合唱団は決定的な団員数低迷の一時期を経験したために、上記のようなモーレツぶりが非常に緩和され現在へ至っているように思われる。だからクマくんウシくんチームのソプラノ側リーダーのような優秀な先輩団員であっても、周囲の団員らを高圧的な態度で処すること無く、少年たちの心のともし火として歌い続け、指導者も保護者も彼の歌を全幅の信頼で認めているのであろう。彼らは「先輩」である以前に同じ戦いをくぐり抜けてきたかけがえのない「戦友」なのであろう。

「フレーベル少年合唱団で超一番好きな団員をたった一人だけ挙げよ。2人ではダメ!」と尋ねられたときの私に一瞬の躊躇も逡巡も無い!クマくんウシくんチームのアルト側代表選手の名を挙げるに決まっている!理由は簡単でただ1つ。彼の歌声は小さい頃から今までずっと、聞いている人々の心を確実に、最高に、シアワセに、ホカホカ暖かくしてきてくれたから!A組の時代から常にセンター寄りアルト側最前列のポジションで歌ってきたため、彼は自分ひとりの声が客席へ直接ゴリゴリと届くような高慢な歌を決して歌わない。周囲を含め、ソプラノの旋律がきちんと響くよう配慮して何年も真摯に誠実にとても品よく歌い続けてきたのだ。だから、一見のお客様にはその声がなかなか聞き分けられないだろう。しかし、合唱の中の彼の声が陰影に富み、少年らしいお茶目さを含みながらラリックやバカラのクリスタルガラスを擦って出したように甘苦しく響くのを一度でも聞き分けてしまったら、私たちはもう引き返せない。彼の声質がどうしてこんなにも人心へ幸せの鐘を静かに打ち鳴らし続けるのか。私は彼の引き締まった安心のたっぷりとした躯体や下顎の構造や咽頭の仕組みの幸運な組み合わせによって発せられたマイクロ波が、私たちの心の振動子にエネルギーを投げ直接ハートをホカホカに温めてくれるのではないか…と、かなりホンキで想像している。一方、ステージ上に見る彼の歌い姿は常に真摯で温暖に気持ちがよく、しかも明らかに秀麗であることから、この少年の生き方自体がすでに「聞いている全ての人々を最高にシアワセにする」ものであるに違いないと確信している。
彼らクマくんウシくんチームの超スーパーミラクルかっこ良すぎでヤバい悶絶ものの歌声は、柏木広樹のCD「VOICE HIROKI KASHIWAGI」(HATS 2019 HUCD-10289)のトラック09「Dear Angel」(フィーチャリング・フレーベル少年合唱団)でタップリと聞くことができる!甘く清らかで上品に切なく、商業的にもパーフェクトの域に達する彼らのボカリーズを聞かないで生涯を終えるというのは、なんと心の栄養を粗末にして生きることになるか!

part1の最後に「ふるさとの空は」が歌われた。フレーベル少年合唱団第27回定期演奏会でとり上げられたナンバーで、基本的に同じ編曲版の32年ぶりの再演である。この曲に強い既視感が伴うのは、TOKYO FM(オンエア当時はFM東京)のサスプロの合唱番組『天使のハーモニー』1987年5月2日土曜日放送分で本編の冒頭にこの曲のライブ音源がコンプリートで使われたからだ(収録:1987年4月5日(日)イイノホール、開演は午後2時だった)。番組名から判る通り、この放送はFM東京少年合唱団(現・TOKYO FM少年合唱団)のフランチャイズ番組で、収録スタッフもFM少年合唱団の定期演奏会やスタジオ録音を担当するチームが「日本人の男の子の合唱」に十分慣れた手際で驚くほど鮮明な音像を再現し穏当にまとめている。フレーベル少年合唱団は27回定演に登壇したA組(現・S組)の中学生団員が総勢15名を超え当時のフレーベルらしい頭声の合唱を大車輪で展開する。このお兄さん集団を統率していたのは手島英という名前の当時中学2年生の少年だった。のちに21世紀のフレーベル少年合唱団の指導者となるその人である。彼らは第2ステージからイイノの舞台に姿を現し(開演直後の最初のステージはB組の担当だった)この「ふるさとの空は」を歌った。合唱団の少年たちは当時、アゴーギグの微揺動が不規則にかかるテクニカルな欠点を常に抱え、自らと戦っていた。また、講演会や落語などをレギュラーカスタマーとする当時のイイノホールには硬質なボーイソプラノの反響レンジを吸い取ってしまうという音響特性があった。この時代、フレーベル少年合唱団は60年間の歴史の中で最も頭声側に発声が振れた時期である。少年合唱がきちんとした頭声を統べ日本語で歌うと結果がどうなってしまうかは、いまさらここで述べるまでもない。
21世紀のフレーベル少年合唱団は現在の彼ららしい声で好条件に恵まれ「ふるさとの空は」を歌った。今回は後半にハンドクラップを加えちょっぴりハンガリーらしさを演出した。拍手に加速がかかり拍の強弱が逆転すればハンガリー化(?)は大成功なのだが、なかなか素敵な感じに擦り寄せてくれたと思う。フレーベル少年合唱団の大きな節目となるタイトルを上手に選び、パート終わりにふさわしい盛り上げをまっすぐに目論んだ。「既視感」はそういう意味でフレーベル少年合唱団らしい味に昇華され、団員らの頑張りを目の当たりにして彼らをこれからも応援していきたいと感じさせられた1曲であった。

part1を通じ、員数的にかなり梳かれた印象の彼らの歌声を通じて明らかに見えてきたのは、実はポスト・クマくんウシくんチームの近い将来に展開される数年後のフレーベル少年合唱団S組の清く正しく美しい少年たちの姿であった。咋定演のAB隊列の上進組を加え、今年度炸裂するはずであったイケイケムード全開チームの猛攻は鳴りを潜め、素敵な少年たちの涼しいポジションがメインストリームになっている。とくにこのネクスト・ジェネレーション右翼(アルト側)にあたる少年たちは、かつてのやんちゃにぎやかな子供っぽいカラーをとうに脱ぎ棄て、歌声も地声も端正でピッチの正確さもしっかりと身にまとう王子さまのような集団に成長している(部外者の私がどう聞いてもアルト側の出力がソプラノ側を常時凌駕しているのだ…)。一方で彼らの少年としての心根の優しさや、性格の純良さ、人懐っこいまでのハニカミの愛らしさなど歌以外にも特筆すべき点は実に満載で面白い。ステージ上へエイリアンの猛攻のごとくやってくる数々のハプニング等にも彼らは全く動じない。プロフェッショナルなのである。9月末の「ごえんなこんさぁと 東京公演 小児がんの子どもたちのためのチャリティー公演 竹下景子さんとともに」の終演後、トリトンスクエアの天空ロビーにトランスルーセントの募金箱を抱え半袖シャツ+ボウタイ・サスペンダーのさっぱりした衣裳で頭を垂れる彼らのあまりにもカッコイイきりりとした清らかな声と姿に接し、不覚にも涙をこぼしそうになった観客は皆無とは言えなかったろう。彼らは実際にはコバケンの方には出ていないのだが、熱誠に一途で胸を張りフレーベルの少年らしい心がスッと澄み渡るような歌を歌っていた。評価に値する。

part2
B組の隊列は当然のことと思うが年によって隊列のモラールとモラルが全く違っている。S組のお兄さんに手を引かれ登場する彼らよりもお兄さんがたの方がめちゃくちゃキュートでラブリーに感じられてしまうような精鋭部隊の年度があるかと思えば「小一プロブレムど真ん中&予備軍」のヤンキー・チーマーもあり色とりどり。本年度のB組諸君はどちらかと言うと後者のイメージなのだが、そこはフレーベル少年合唱団のこと、今年の新入団員たちのハジけっぷりを組み伏せることなく、逆に汲めども尽きぬフレッシュでビビッドで精気と士気に溢れた幼少年の楽しい歌声へあっさりと構造転換し、止揚してしまった。彼らがシモ手袖からいたずらっ子そうな得意満面の表情で登場してきた途端、あらゆる意味で「タダ者ではない」彼らの力量がハッキリする。「少年合唱団」と聞いて、清楚で古風なフォーマルを身につけ、薄荷飴のように青白い長い長い脚をすらりと伸ばした美麗なお兄様がたが天使のような裏声(私たちの誰も天使の歌声を実際に聞いたことは無いはずだが…)で歌うものと信じてきたような哀れな者は、このB組少年たちの登場に一発で崩壊しただろう。実に愉快だ!ザマミロだ!しかしこのステージの過激なエンタテイメント性は、これだけにとどまらない。
彼らは通常のB組ユニフォームに合わせ、イイ感じにスローライフ感満載の帽子を被り得意満面だ。「ちびっこカウボーイ」なのだから、彼らのかぶる小さな琥珀色の手作り感のあるハットは愛らしい荒野の男!ならぬ「荒野の坊や」仕立てのカウボーイハット。だが、このちびっこカウボーイハットは彼らB組の可愛らしさを引き出すための単なるファッションアイテムにとどまらない。まあ、ともかくpart2のプログラムは予想通りカッコかわいさ満点のMCに次いで「ちびっこカウボーイ」が歌われるにいたる。第一声から驚愕だった!毎年フレーベルの定演を聞きに来ている人々にはB組であってもステージ上で美麗なソロの歌声が普通に聞けることは知っている。だが、今年の子達の歌声は冒頭から「早く僕にソロを歌わせろ!ボク、歌えるんだからサ!!」と言わんばかりの高出力・高解像度(?)だ。彼らはその自己顕示の通り快活に楽し気に歌い、とことん客席を楽しませた。その歌が18小節目をまたいだとき、私たちの意識はもう頭上の愛らしいカウボーイハットには一切向いていなかった。彼らの歌が頭上の小道具を凌駕したのだ!日々の練習に耐えてきた魅力的な歌い姿だったのだ。しかも、お愉しみはこれだけではない。「ちびっこ…」を歌い終えた彼らはそのハットをサッと取って卑近のリーダーたちに手渡し、まとめさせ、客席を待たせることなく整頓させ、山台の空所にそっと置かせたのだ。かつてのフレーベル少年合唱団であれば、歌い終えた時点で大人のスタッフ連がひとりひとりの子からハットを回収して済ませたことだろう。だが、彼らは自身へのそういう厚情を許さなかった。この光景に頓着の無い観客も当然いたはずだが、私はB組団員たちの刹那の「僕らの歌なんだから僕らが片づけて当然でしょ?」という刹那に心底ほれぼれとさせられた。これからのフレーベルを彼らの成長とともに見てみたいと強く希求させられたさりげない数瞬だった。
「ちびっこ…」はゼッキーノ・ドロのナンバーとして1965年に紹介された。皆川おさむが歌っているLPレコードの1曲目が「黒ネコのタンゴ」で、ラストナンバーが「ちびっこカーウボーイ」だったといえば納得がいくかもしれない。平成27年度版まで教芸などの小学3年の音楽教科書に取り上げられていた。昭和平成を経て現在まで継続的に歌われてきたことがわかる。「にんげんっていいな」は相貌からちょっと癖のある役をこなしていた80年代の子役、中島義実のソロがリードする「まんが日本昔ばなし」の有名な後テーマで1985年に曲のテレビオンエアが始まった。オリジナルは今聞くと気恥ずかしいほどのテクノくずれで大時代なインストを携えた作品。こちらも現在幼保の現場でごく普通に歌われている。十分巧妙と感服させられたのは、これらの選曲の観客層に対するスタンスだ。ホールを埋めた高い年齢層の人たちは、自らの幼少期にこの2曲をほとんど歌っていない。だが、彼らの子供たち、孫たちはテレビオンエアや、学校・幼保で習ってきた「ちびっこ…」と「にんげんっていいな」をお父さん・お母さん、おじいちゃん・おばあちゃんの前で楽し気に歌いまくったに違いない。だから老人たちはこの2曲を知っているのだ。あたたかい思い出の中に記憶しているのだ。お父さんになった息子らや可愛い孫たちの息づかいがこのプログラムの行間へ聞き取れたに違いない。あたかも家族と共に歌っているように!この演奏会に通底する「既視感」がpart1の最後に「ふるさとの空は」で念押ししたのとは対照的に、B組の選曲は「知っている!でも明らかに今の私たちの歌声だ!」とヒトヒネリかけている。最年少のB組団員でありながらソロもアンサンブルもコーラスも一通りきちんとこなす5-6歳の男の子集団がそれをおそらく承知の上で我が世の春とばかりに歌い上げる。2曲10分間のミニマムなステージだが肥沃に耕され、よくできていた。

part3
毎年楽しみにしているA組のpart3ステージ。だが、シモ手袖から卒然と飛び出てきた彼らの顔ぶれを見てわずかに思い至ったことがあった。本年度の最上級S組のキャスティングに何かを感じ、ボルテージの電位差に触れたことの合点にようやく至った。昨定演のA組ステージの勝負の一つとも言えた「お花がわらった」で、珍しいソロ登壇のバッティングがあった。ソロの団員が1名、先発の子の帰投に阻まれてどうしてもマイクの前に出てくることができない。彼は仲間の眼前で右へ左へと幾度も身をかわし、すんでのところで立ち位置に滑り込みソロを歌いきった。一部始終を客席で見ていた私は彼のピンチを回避する姿にちょっとウットリとさせられた。少年合唱団の出てくるディズニー実写映画のステージ上のワンシーンを見るような美々しさカッコよさだったのである。危機一髪の大ピンチをみごとにかわしたその経験を糧に、彼がメキメキ歌の腕をあげるにちがいないと密かに期待した。それでも私は何か胸騒ぎがして結局それをここには書けなかった。狼狽は的中し、彼は今日の演奏会に出ていない。私たち客席の当夜一番の無敵のヒーローだったお花がわらった君!当時既に、明快な声のカラー(喚声域から上の高い声の方が体格を反映して非常に美麗で安定する)をものにしていた彼が今、SA組にいないのはおそらく本人の意思によるものなのだろうが、一声聞いて「体位が上がればしっかりと豊かで安定した声になるのが明らか」だった彼がいつの日かフレーベル少年合唱団に戻ってきてくれはしないかと私は願い、また客席にいた人々も楽しみに思っていることだろう。今も彼はどこかで、それはそれは美しい声で歌っているに違いない(当日彼とソプラノ側で応答の歌声を囀っていた団員は現在S組で一番背の低いメゾだが、歌っているときの姿勢が最高に秀逸!彼はプロだ!見ていてホッと癒されてしまう!)。とはいえもし、B組から上進したメンバーがどの子もこれほどめざましく清良でなかったとしたら、今年はA組の声もまたキレが良いとは言えない演唱に留まっていたにちがいない。

おばけなんてないさ うちゅうじんにあえたら 赤鬼と青鬼のタンゴ パフ 怪獣のバラード…の5曲が歌われた。自身らのトッパンホールでの仕事を回顧した昨年度の「湯山昭の世界」を整理し、A組の得意とする「こどものうた」を真摯に歌いきった。曲がどれも合唱団で過去に歌われたナンバーの集積であったのにもかかわらず、part3に強い「既視感」を感じさせなかったのは、昨定演との間のこの決断によるところが大きかったと思う。一昨年までのA組の大隊パワーやテイスティーな格好良さをいったん控え、今年の部隊は彼らが2年間かけてB組から運んできたキレの良い清新さや折り目の正しさ、愛らしさを歌声にもきちんと実現し聞いていて気持ちが良い。また、そのメンバーがB組時代から持っている真っ直ぐなソロの味も格別だ。例えば「赤鬼と青鬼のタンゴ」。曲の最後に入るカデンツァ(アルゼンチン・タンゴ??なので、「カデンサ」?)が、もう大爆笑ものに悶えるほどかっこカワイくてたまらない。歌っている少年たちやソリスト(アルゼンチン・タンゴ?なので、「エル・カントール」?)が真剣に一生懸命歌えば歌うほど可愛らしく、こちらはデレデレ状態にさせられてしまう。小学校低学年の男の子がなるべく完璧にソロを努めようと頑張るのは至極当然なことなので、選曲も趣向も全くもって巧妙でズルすぎる♡!見せられ聞かされる側の「可愛さにヤラれたー!もう100%降参だぁ!」の恍惚感が半端なくズバッと出た強烈な1曲であった。B組の選曲でも触れたが、この年代の発表曲を定期演奏会のプログラムにチョイスしてくる手腕や発想力は実に巧妙で(もちろん、団員たちが納得づくめでそれに心から奉じ歌い尽くしたからだが)、客席を全く欺かない。眼力の鋭さやアンテナの好指向性を感じさせる。「うちゅうじんにあえたら」のように近年定演で歌われたか、いつかどこかで聞いた曲というカラーをまといながら、それを慎重に集め、上出来でモチベーションの高いA組の少年たちに歌わせることで「この演奏は前にも聞いた」というポジティブな側面を完璧に払拭しきっている!

続いてS組が「パプリカ」合唱版をイートン脱衣のスタイルで歌った。1日平均気温28.4℃という8月に催される男の子の合唱団のコンサートには、フレーベルらしくベレー着帽・ボウタイをつけるとしても、このスタイルの方が見た目にも爽快だと思った人は客席に多かったのではないだろうか?外見に限ったことではなく、近年のフレーベル少年合唱団のステージ衣装は危険なほど厚着で、男子小学生を立ったまま20分間全力で集中して歌い続けさせるとどの程度の発熱発汗があるのかを知っていると本当にヒヤヒヤさせられる。特に21世紀の彼らはシャツの下へ下着を着けないため体力面でのダメージが予想され、自律神経系の体調を考えると歌っている間だけでも薄着にしてやることが管理側の責務として問われることにもなるだろう(ステージ写真を通年で宣材に使うことが難しくなる…)。
曲の方は、ビルボードにチャートインするFoorinのタイトルではなく、合唱版の振り付けが施されている方のバージョン(Nコン2019バージョン)。心はずませたA組ステージをてんつきで押し出し、白く明るい子供達のシルエットにステージを突如占拠させるステージパフォーマンスは完全なサプライズ。カミ手側に集合するセレクトメンバーに不意打ちのMCを仕掛けさせた。フレーベル少年合唱団らしい弱起への総攻撃やボディスラップで総崩れ的にテンポ走りするスリリングな歌い出しなど、彼らにしか出せないお楽しみは一万発の花火大会クライマックス状態!団員らは見た目の明度同様、体温の高い歌と踊りで客席を煽り、十二分に楽しませ、歌い終えつるべ落としの撤収で迅速にハケるなど、落とし所を全く欠いていない。確信する人はあまりいないのではないかと思うが、これがフレーベル少年合唱団の少年らの本当で本来の素晴らしい姿と魅力であると思う。ピッチの雑駁さやきつめの発声も計算づくなのか非常に功を奏し曲によくフィットしていて聞いていて気持ちが良い。Eテレを観ている観客であれば十分納得できる演奏だったに違いない。だが、場内にいた私がどことなく感じてしまったのは言葉にし難い客席内の微かな雰囲気だった。少年たちの歌声とパフォーマンスに満足した私たちは実際には惜しみない賞賛以外は誰も口に出して言うことがない。だが、これは「一昨年みせてもらったPRIDEステージ」の再現フォーマットに則ったもので、「既視感」の滲出は否定できなかった。男の子の合唱団であるフレーベルが比較的避けて通りがちだったライブパフォーマンスを積極的に取り上げて定期演奏会で見せることの意義は非常に大きいと思う。演出設計上、この位置にインサートされることは全くもって穏当で当然の帰結だが、サプライズであったことがそこはかとない賢しらさを感じさせたのかもしれない。そもそも、こうして前と同じものを確信をもって観せてくれるフレーベル少年合唱団が、なぜ「前と同じように手を後ろに組んで歌う」という姿だけは見せてくれないのだろうか?!悲しい。

part4
最終ステージのPart5が、やなせ作品を現役各クラスのカラーやトータルで「最近のフレーベル少年合唱団」の色へ引き寄せたり落としたりしたのとは対照的に、なつかしい良い匂いのするホッと一息つかせる磯部俶の歌のひと時を静謐に語って見せた。OB合唱団はよくのべるあたわず単独で年輪を重ねてきていて、これを払拭せんがために最後の「遥かな友に」でユースクラスの少年たちを彼らの体側に温厚のまま添わせ慮って歌わせてやっている。だが、私はこの選曲に感じた「既視感」や「僕たちは何年かかってもこの曲をOB合唱団の先輩方のようには歌えないかもしれない」という中高生たちの畏敬の念(それは悲しいことに心の奥底で事実だろう)を知らんぷりすることが出来なかった。かつて「声変わり前のOB会長の姿」と私が心踊らせてこの曲を聞き、ここにも書いたはに丸くんが、今日はおとなしくそこで歌っている。誰が悪いということもなく、また、私はこの選曲でなくても(例えば「花の街」や「片耳の大鹿よ」の編曲譜などでも)よかったのではないかと彼らの歌い姿を見ながら傷心した。先輩方がこの曲を選ばれた理由は、部外者の私たちくだらない聴衆の側にあったのではなかったのかという辛いあきらかな自省がいつまでも後味として残りつづけた。

part5
S・A組による「手のひらを太陽に」、S組諸君の「夕焼けに拍手」、ユースクラスの「冬の街」、A組の「老眼のおたまじゃくし」、S組の「ひばり」そしてオーラスの「ジグザグな屋根の下で」とアンコールの「アンパンマンたいそう」「アンパンマンのマーチ」。定演リピーターにはあまりにもフレンドリーでステキなナレーターである丘野けいこ先生の朗読をたっぷりと聞かせ楽しませ、客席を満足させる最終ステージだ。だが、私が言いたいことはここまで読んでこられたかたには明白であろう。冒頭にも記した通り、2014年のフレーベル少年合唱団のツアーや定演も、本定演同様アンパンマンが表紙を飾るプログラムで(当時のデザインは絶筆にちかいカタカナのアンパンマンとやなせうさぎのもので、今回は60周年らしくキンダーおはなしえほん初版バージョンの平仮名の「あんぱんまん」である)、今回の出演団員のなかで当時「アンパンマンたいそう」をステージで歌ったのはユースのワルトトイフェルくんと山浦先輩、薫先輩だけで、S組以下には一人もいない。
最終ステージで各クラスの歌声を入りくりさせたり、組み合わせたりして聞かせるという設定については様々な意見があるのだろうが、私はクラスごとの声の特徴が際立ち、特に夏休みの間に急激に成長する2・4・6の偶数学年の男の子の身体特性が頼もしく見とれて申し分のない配当だと思う。非常に工夫されており、嫌味なくうまくいったステージナンバーの最後に「ジグザグな屋根の下で」を総出演で歌っている。演奏の仕上がりはさておき、「最終パートのステージテーマは、この曲が先か、やなせたかし100年が先か…」と考える自分がつくづく嫌になった。

59回定演の「既視感」の例外として極めて魅力的に感じたのは木下牧子を歌う「雪の街」のユースクラスだった。part4でOB合唱に埋没していた彼らもここでは一本立ち。しかも、フレーベルの他のクラスが声部ごとになるべくソリッドな感じを持たせようとしているのに比べ、一人一人の声が聞ける余地を残した良心的な声作りをしている。これは、聴衆にとって最高の、きららかな美しい良い匂いのするプレゼントだった。定石通りS組時代メゾ-アルト系だった団員らをテナー側に上げ、全体で、かつてさまざまなセレクトの仕事からソロや小アンサンブルの喉を鮮やかに聞かせてくれていた少年たちの今の声を楽しませてくれた。彼らの物心両面でのポテンシャルを揺さぶる選曲もとてもいい。今回定演でA組の「赤鬼と青鬼のタンゴ」と並び最高にゴキゲンで幸せいっぱいに感じさせてくれたと思われる「This is フレーベル少年合唱団」な1曲である。今年、ワルトトイフェル君は十何回目の定演出演をしたことになるのだろう。彼は4人の歴代指揮者の棒で歌い続け、今日このステージにいる。彼のこうした幸運へ感謝する。また、一度プログラムの団員名の表示から消えていたメンバーの再帰も、今年はテノールにモンスターズインクのMシャツくんが登場してくれた。私がかつて毎定演で楽しみにしていた低声側の「あの4人組」のうちの3人がここで揃ったことになる。彼らの歌いはだから、2017年の「流浪の民」のソロ部分を聞いているような印象であった。しかし、合唱団はこの1曲をボーイソプラノ時代の団員達の姿を想起させるだけの「以前は良かった」的なものにしていない。この隊列にはしっかりと現役S組団員でもある少年が加わって一翼を担っているのだから。その彼の聞きまごうことのない、彼だけが出せる変声後も変わらぬ個性的な声がハッキリと客席に聞こえてきたとき、私はこの夜ここへ来ることができて本当に良かったと思った。

アンコールには「アンパンマンたいそう」が選ばれ、「アンパンマンのマーチ」に添えられた。(この編曲版でセリフ入りの「…たいそう」は、くりかえすようだが、現在のユースの面々が川内萩ホールでメインに歌っていたものである)。オリジナルのものとはセリフの一部やエンディングで違いはあるものの客席を沸かせる手練の巧みさに私たちは思わず引き込まれてしまう。男の子の持っている生来ガサツで音楽的にピタリとはなかなかいかない成長途上の泉門を魅力に逆転させて聞かせるたしなみは、それぞれのクラスがそれぞれの年齢や経験に即して声を出していることや、伴奏者がその鍵盤の向こうを通り過ぎていったおびただしい数の少年たちの生気や、たとえ拙くとも懸命であった彼らの歌いを参照しながら団員らに演奏を届けていたことが大きいと思う。「既視感」への適切な対処は、それを届ける側の、客席への正直な姿勢によるものなのだ。「またコレなのかァ」という否定と「待ってました!やっぱりコレだね!」という聴衆の肯定を決定づけるものの要因に大きな違いがあることは、この曲を聞くだけでハッキリとする。

60周年のフレーベル少年合唱団定演ステージに庶幾があるとしたらはやり彼らの乗る箱馬の高さだろうか。彼らは伝統的にかなり低い蹴上で下段を組んでいるため、近年のS組などはこれを1段ぬかしで使い良い表情を見せてくれる。3段目には平台が噛んでいるため結局高さ1尺をかせぎ、高学年団員のブレスも綺麗に見とることができる。だが、それ以上になると段の高さは6尺に戻ってしまう。背が高い訳ではない団員の場合、かなり後列の客席でも角度によって顔が隠れることはあきらかであろう。また、1段ぬかしの山台使用は後列の団員をホリゾント側へ深く追いやることにもなる。公立小学校で使われているアルミひな壇(脚と台がアルミニウム組成で児童が転倒しても木材同様にダメージを低減する)でさえ高学年の児童が立って後ろの子の視線を邪魔しないよう25センチ(一寸弱)の段差で急峻に組み上がっている。早生まれ1年生の児童ですら「6年生を送る会」や来春の「1年生を迎える会」の練習のため鍵盤ハーモニカなどを抱え短時間に最上段まで登る使い方を当たり前のように要求される現在、体位向上の少年たちで構成される少年合唱団が今更6尺箱馬に拘泥する理由も無いであろう。息子をこの演奏会で卒団させる保護者にとっては、対応はちょっとアリガタイ配慮となるに違いない。

ユニフォームに関しては昨年に準じてアバンのセレクト部隊にタキシードを着せて早替え(今年度の部隊は更衣が速やかで整っており、団長の話すタイミングの二分の一でスタンバイを終えたように感じた)し、以降は紺イートンベースを着脱してバリエーションを捻出し最後まで見せていた。「既視感」ということで言えば、今回のメソッドはフレーベル1990年代の苦しかった時代の定演での窮策を思い起こさせる。当時のフレーベルの団員は現在と同じ紺ベレーの他は開襟にジャケットと裾広の薄鼠の半ズボンしか貸与されていなかった。彼らの自由になったのは「黒い革靴」という条件のアイテムだけで、「白無地のハイソックス」の着用が年間を通じ義務付けられていた。ライバルのTOKYO FM少年合唱団が当時は超短い?!半ズボンに合わせるカジュアル(放送局のロゴが入った7分袖のトレーナー(?!))と「通団服」(ステージ出演時にも着用される)と呼ばれるブランド仕立てのニットシャツとは別に5年ごとフォーマル制服とクリスマスなどに着られる聖歌隊ふうの制服をトータルでリニューアルし耳目を集めていた。がさつな男子小学生の合唱ほどフェティッシュな要素できっちり攻めていかないと客席の支持を得られないことが実態としてはっきりしていたのだ。時のフレーベルのマネジメントスタッフがそれに対し考えたのは、創立後の1960年代から70年代に打っていた「絣浴衣のようなものに兵児帯・草履」のスタイル(今回のプログラムにも1961年9月の最初の演奏会の小さな舞台写真が載っている。そこには「第一回定期演奏会」と記載されているが、実際はこの回のみ「発表演奏会」としていたようだ。馬場先門・東商ホール)やちょっとスポーティーに剣道着を防具なしでセレクトにあてるという和装路線と、通常制服の上着やベレーの着脱という2つだった。団員が目に見えて減少していた当時、月謝をとらないフレーベル少年合唱団ではそれが精一杯の処方だったのである。今回の定演で感じた子供達の制服の着脱は、当時の状況も含めて「ああ、あの時もこれを見たな」という辛苦の思い出だった(それでもやっぱり8月定演での彼らは厚着すぎると思う)。

今回、終演に際して指導陣が子供達の前に導かれ、総顔見せをするというフレーベル少年合唱団らしくないエンディングを試行した。こうしたことがどこから導かれてきたのかは想像にかたくない。合唱団を応援しているのは団員達の友人や幼保のかわいい(?!)お友達ばかりではなく、圧倒的多数が地域やオールドファンの高齢層なのだ。国内の男の子の合唱団に対し「運営に新鮮さが欠け保守的である」と厳しく糾弾しながらも「昭和時代の少年合唱団はどこもよかった」と回顧するその傍若無人ぶりである。指導陣の隊列がはけた後、今年度、褐色王子くんやはに丸くんの後を継いだクマくんウシくんチームのリーダーが、まったく「新鮮さに欠け保守的」なルーチンをかたくなに堅持してフレーベル少年合唱団の終演の呼号を「気をつけっ!礼っ!」と彼らしい颯然とした凛々しい声で投げ、それに応じた少年たちが歌い尽くしたかんばせをようやっと下ろしたとき、私は彼らの姿に心底ほっとして思わず独言することになるのだった。「本当に本当にどうもありがとう。フレーベル少年合唱団よ永遠に」。