はじめよう!きみらのコンサート…フレーベル少年合唱団の2013年度を占う小さな静かな、しかし大切な演奏会

2013-09-16 23:50:00 | ノンジャンル
フレーベル少年合唱団 六義園コンサート
2013年2月23日(土)・3月2日(土)各日13時~13時30分
六義園しだれ桜前広場(文京区本駒込)
無料(入園料別途)


 2週続きのこのコンサートの特色は、カルメン君率いる2012年度フレーベル少年合唱団最強のメインクルーたちを地の塩として歌わせ、次年度のカンバスにどうあしらおうとしているか…就いては、クラス編成の持ち上がる4月からの合唱の鳴りを真摯に正確に見計らおうとする極めて野心的な試みでもあったことに尽きる。2月23日のライブについては六義園HP移行の時期にあたり事前インフォメーションがあったかどうかは疑わしい。だがしかし、事前にしっかりと開催情報の告知がなされていた過去5年間の六義園2月のコンサートよりも観客動員数は増したように見える。年が改まり最初の六義園パフォーマンスではあったが、集まった人々の多くは、このライブの意味を事前に把握していたようにも思える。

 アンコール君は、2年前の春の六義園コンサートと同じシモ手後列最左翼のャWションへと静謐に復帰していた。彼がこぞの春、長の別れを告げるがごとく不調そうに「ありがとうございました」と呼ばって去ったその同じ場所である。あの日、すらりと伸びた白い二脚にはテーピングテープが何列もいびつに伸びていた…。かつて人々が「天然純正ボーイソプラノ」と呼び、ピュアな透明感をたたえつつ歌い、語っていた彼の声は今、熟れた少年らしい深い艶がしっかり付いて心底魅力的なものに変容したと思える。2年前の彼が未だステージ上にふんわりと滲出させていた天真爛漫でひょうきんな屈託のなさ、おぼつかなさは既に無い。その頬はきりりときつく引き締まって、初陣の騎馬にまたがるひとのようだ。彼はそうしてきびしく新しい30分間のレパートリーを歌いきり、2週にかかるコンサートの最後、こう叫ぶ。
「ありがとうございました!」
呼応するのは、可愛らしく、幼く甘い入団2年目以下の団員たちの声である。このあまりに対照的で対極にある2つの声の邂逅はしだれ桜前広場に集う私たちをとても仕合わせで安寧な気分にさせてくれた。
2013年の今、彼の熟した「天然純正ボーイソプラノ」の呼号が滲出させていた「色」は、もはやはにかみよりも長の年月を歌ってきた人となりを感じさせるものへと止揚されていたからだった。彼はここで既に、団員としての日々にいつの日かけじめを付けようとする彼自身の想いをしっかりと込めているのである。

 風が強く、この日例えば「セビリアの春祭」などで決定的な「歌い落とし」のミステイクをごく平然と現出させてしまったのは、彼らが自然の風切り音の中でピアノ伴奏だけでなく他声部の歌声を聞きとることが出来なくなってしまったからのように思われる。団員たちは強風の野外コンサートへと送り出される際、紺ベレーが吹き飛ばされないように、また、防寒のためにどの子も帽子の縁を延ばし、すっぽりと耳も隠れんばかりに深くかぶることになる。彼らが冬季の野外コンサートでしばしば見せるこのベレーの作法は、オシャレな都会っ子が群れをなして歌っていた神田小川町時代には決して見られないものだった。だから、今回もあまりソフィスティケートされているとは言いがたいこの「ベレーの深被り」を忠実に守る小さな団員たちの姿に混じって、はちまわりへ沈めながらもフレーベルらしいアミダかぶりや自分スタイルの着帽を固守する団員たちの姿が見られたのはとても嬉しいことだった。アルト後列の少年らが桃月の六義園に差す淡い午後の光を前髪に載いて歌うさま。アメージング君がA組時代とくに誠心誠意守っていた立教小学校ふうのベレーの着け方への回帰。いずれも彼らの先輩方がかつての日々、ステージ上に見せていた心一つのシルエットを想起させる。(アルト系ならば、メガ美男子君やワルトトイフェル君のベレーのかぶり方はここ数年常に阿弥陀被りなのだ。メガ君はごくまれに小粋な斜被りを混ぜて見せてくれることもある)。私たちオールドファンやおそらくOBたちがホッと懐かしい居心地の良いものを感じる絵姿が、彼らのハチマワリには在るように思える。



 コンサートは唐突にユニゾンで「♪さあ、はじめよう!♪さあ、はじめよう!たのしい、ぼくらの、コンサート!」と歌われてスタートする。アバンタイトルのシャレた構成で、OP・MCは曲の後出しだ。「はじめようコンサート」の1曲とMCである。2月・3月の各々の回では団員構成から声質自体が非常に異なり、滑り出しの数秒間で各回の切り口が判明する趣向になっている。3月の回の合唱は経験も体格も歌の方向性さえも非常に異なるかなり広いレンジの男の子の声の集合から成っている。2013年度のフレーベル少年合唱団の愁事を表象するかのような歌声ということになるのだが、魔チて2月末の回の歌声はその声の範囲がステージ経験・学年とも1?年程度の団員達の層へと収斂しているために、まとまり感もあって一応歌われているが全体的に年若い印象を受ける(こちらの方が2013年度のこの少年合唱団のベースラインをかたちづくるカラーであると考えて良い)。
 共通のオープニング曲を経て、演奏会は2月末の回では『冬から春にかけての曲』というふれこみで「白い道」「どこかで春が」「春の風」の3曲に続けて『世界の春の祭り』とのサブタイトルで「アンデスの祭」「セビリアの春祭」の2曲を歌い『ソロコーナー』につなげる構成。一方、3月に入ってからの回では『春の歌2曲』として上記から「春の風」と「セビリアの春祭」だけがチョイスされて『ソロコーナー』へ振っている。6日間を挟んだだけの同じ会場のコンサートの演目にこのような差異が生じているのは出演団員の構成メンバーの違いによるものであると考えて差し支えないように思う。2月末の回でメインを張ったのは入団規定が変わってから採られた舞台経験2年前後の主クルーたちであり、いっぽう3月初頭の回には彼ら幼いメンバーに加えてそれ以前の繁忙だった時期を過ごした比較的学年の高い団員もまた肩を並べていた。こうした構成の拡張で、今春の演奏会は旧S組系団員たちメインのコーナーと、軸足をAB組に置いた団員たちのみのコーナー、4月から新しいS組団員として送り込まれる子どもたちをショーアップする趣向のコーナーという、歌い手のグルーピングにいくつかのバラエティーを持たせたライブになっていた。
 2月のプログラムに見られる「白い道」は昨秋定演のAB組の演目で、この日の団員構成を象徴的に物語っている。この曲が『冬から春にかけての曲』なのは、原曲がビバルディ『四季』の冬の2楽章であるからなのだが、同時にそれがNHK『みんなのうた』発掘プロジェクトによるものであることを示唆してもいる(NHKにはオリジナルの放映テープが保存されておらず、曲には今だ春がやって来てはいないのである)。次の「どこかで春が」はフレーベル少年合唱団が毎年の2?月の六義園コンサートで必ずといってよいくらいの頻度で歌ってきたもの。続く「春の風」は1972年(昭和47年)、NHK『みんなのうた』のオンエア。こちらも「みんなのうた発掘プロジェクト」の過程で個人蔵の音声テープが発見され、2012年4月、40年ぶりに放送されたナンバーなのである。同様の楽譜採択はTOKYO FM少年合唱団でも見られる傾向だが、今後しばらく続きそうな予感がした。2月の回の前半はどろどろと流れて行く幼いファルセットの奔流。2012年度(平成24年度)のS組のメインのカラーは「もはや」ここには無い。4月初旬のチャリティーにも聞こえた新しくもつたない頭声の横溢が、ここで既に確かめられ同定されてきている。指導陣がこの現状を今後定演までの半年間でどう対処していくか窺い知れる。合唱団が「春の時期を中心に5歳ぐらいから10歳くらいまでの男子15名程度を団員として採用する」と成形した震災の年以降の選抜計画がはたして何をもたらしたのか、検証と確定が6ヶ月の間に行われることは間違いない。「どこかで春が」に特徴的な頭声のテクニックや「春の歌」を通底する、60年代歌謡曲が70年代の書式に解放されて行く刹那の仄かなリズム感の獲得など、年端の行かない子ども達ではあっても殊のほか誠実に正しく鍛冶されているのが頼もしく、また素晴らしいと思った。



 第一日目、カルメン君の担当は、S組配属1年未満の2名の団員が歌うソロ・コーナーのイントロMCと終演号令だけだった。彼の文句は「初めてのソロ・コーナーです。おおブレネリを歌います。一番を全部通して一人で歌うのは始めてです。ドキドキしていると思います。応援してください!…せぇの!頑張って!頑張って!」のみだった。彼自身にはソロの配当は無く、3月の2回目のパフォーマンスではアンダーキャストに全ての役を譲っている。彼らしい老練な手慣れた口調のインフォメーションは、もはや下級生たちに聴かせてみせた「お手本」ともとれる。合唱団は5年前、アリヴェデルチ・ローマ君に託した豪腕なリーダーシップを2013年のカルメン君へ求めることについては慎重にならざるを得ないのかもしれない。かつての日々と2013年度では、課題や目標は同じでも団員構成の要素や少年達の来歴はまるで違う。当時すでに5年選手に近かったカルメン君のような少年達が、さまざまな声と形でローマ君をしっかり支えていたことを思うとき、指導陣は彼を徹底して使役し、遣い唐オてしまうことを望んではいないように思える。
 この日、しだれ桜前広場でブルーの団員募集のプリントを配られた人もいるだろう。春の団員募集を射程に入れた演奏会だったのかもしれない。一見して明確なのは、確かにそこへ立って堅実に合唱を支えているカルメン君の歌声と、それとは裏腹に清楚で慎ましやかな印象の彼の立ち姿だ。この年のカルメン君がフレーベル少年合唱団の悲劇のヒーローとしてではなく、日本一のボーイソプラノの一人として手堅い美しい日々を過ごすことになる端緒となったのが、今回のこの六義園コンサートであったように思われてならない。

 進み出てきたのは2人のソリストたち。合唱団のファンにとってこの顔触れは「昨秋の定期演奏会のS組ステージに突如現れてしっかりと高声部を支えた助っ人のような2人」。ステータスとしては今だ「新進のメンバー」なのである。だが、「おおブレネリ」の1番手を引き受けた少年の面影には確かで強烈な心覚えがあった。

 昨年の春、私は着膨れてどんよりと六義園の「客上げ」のステージに押し込まれ歌う彼の姿を見ていたのだった。汗ばんだグレーの私服。背中に手を組んだ独特の姿勢から、先ほどまで客席側にいた彼が入団間もない見習いの団員であることは判った。スッキリとした半袖シャツにベストという団員たちのスラりと伸びた背筋の櫛比するその傍で、彼の躯体の印象はどちらかというと弛緩して、声は詰まり、前方へと出づらく、フレーベルらしい高重心の姿勢にもなっていなかった。少年の第一印象は、まさにそういうものであった。
 やがて彼が夏のユニフォームをまとい、飛び級のS組団員として毎回のステージへ姿を見せるのに時間はかからなかった。躯体通りの妙味に満ちたボーイソプラノ。タクトを見つめる深い目。彼が常に歌を慈しみ、仲間とともにそれを鳴らして憩っているらしいことを私たち聴衆は容易に看てとった。包容力のある謡姿は頼もしく謹直に変わった。わずか1年後のこの日、彼は冬用の厚いマントにスミレ色のマフラーをふわりと巻き、もう一人のソリストを従えて聴衆の前に立った。ずんぐりとした印象の、息の詰まった声で歌う男の子の姿は既にそこに無かった。緊張に包まれ、精悍で凛々しいが子どもらしい柔和さと屈託の無さに満ちた、学級委員っぽい「におい」のする歌を歌う、頼もしい少年の姿だけがそこに存在していた。キツメに咽を統御する独特の発声の色と少年の明晰さのバランスの妙味のようなものを私たちは楽しむことが出来たように思える。
 続くソリストの登壇は彼の経験上の実態を感じさせながらも、ボーイソプラノとしての「素材」を爽快に直截に鳴らしだしたものだった。顔の骨格といったものなのだろうか、私が実際に出会ってきた少年らの中で、鼻から下の造作が彼に似た子どもたちも何人かいる。どの少年も王子の声で、話し声は「鉄人28号の正太郎少年」といった趣き。子役さんであれば難役ばかりを3?年間に厖大な量でこなした人気の嘉数一星のルックスがこの団員さんの鼻から下の顔の造作と非常によく似ている。2013年の彼がまだわずかに身にまとっているうっすらとした幼さでさえ「素材」としての魅力やチャームャCントに感じられてしまう。一方で、これまでの彼は、カッコ良さから天衣無縫へとシフトして行く2010年代初頭のフレーベル少年合唱団の中で、今だソプラノ声部を不言実行で支えうる「新入り団員」の一人という立場にあったように思える。本コンサートでのソリストとしての彼の登壇は、合唱団がこのうつくしく一途な王道のボーイソプラノを今後積極的に採用し、客席を心から楽しませていきたいとの方針表明であると信じたい!

 私の知る限り、六義園等の30分レギュラーの単独コンサートで完全なソロのみのナンバーが披露されたのは2009年12月以来3年3ヶ月ぶりのことである(カルメンの「ハバネラ」の初公開時ですらローマ君・カルメン君の2人のユニゾンで、合唱も入っていた)。さらに団員名のインフォメーションがあったのは、おそらく(?)2008年夏の「題名のない音楽会」の公開収録以来のことになるのではないだろうか?(かつてオンエアされたものには久保田直子アナウンサーの「それでは一朗君にお話をうかがってみましょう!」というMC、また、カルメン君と「元気が出ました」君の2人がインタビューに答えるという楽屋オチ的な編集箇所だけが残っていたのである…)。公開ステージに於ける団員名のアナウンスは、私の記憶では本オンエア以来、1回も行われていなかった。団員による自己紹介の意図は「名前を知ってもらう」というところよりもむしろ、児童合唱団としてのフレーベルのクオリティのアベレージをバイアス無く呈示することと、3年くらいかけて団員の力の平均値をこの子たちぐらいまで引き上げたいという指導陣の構想を示していたかのように思える。
 かくして吹き抜ける庭園の弥生の風に苛まれながら豆ナレーター君のソロが立ち上がって来る。2月のソリスト達に比べ、当回のピッチ設定はやや低めの印象を受けた。所属は正真正銘のアルト。「高」もあれば「低」もある「おおブレネリ」の歌いの中で、彼の喉はボーイアルトらしい声質をよく効かせていてカッコいい。これは、おそらく彼のために調整された曲なのである。ファルセットへと切り替えすエッジの鋭さやパワーの鰍ッ方…手慣れた処理で歌を片付けて行く頼もしさやアーシーなルックスなど実に面白いソロなのだが、かつて『新しい世界へ』の右翼から事。成分のように常態的に聞こえて来ていたような男っぷりの良い痛快な彼の持ち味はこの選曲では活かしきれているとは言い難かった。後半を引き取ったボーイソプラノは2009年の冒頭にはソプラノ部の右で既に幼い腕を後ろに組んで立ち、しかも上品な良い表情でローマ君やアンコール君の繰り出す歌をかなり下から支えて今日に至っている。今回の演唱ではこの来歴に起因するような生真面目さやピッチの探りなどが認められ、穏当で大人しい仕上がりだった。また、外見上の彼に見える通りの声が出ていて頼もしいとも思った。



 プログラムはこの、「はじめてのソロコーナー」を終え、2月の回と3月の回では構成を変えて分岐する。2月のライブでは前述の通り春のナンバーを前唐オに展開しているので「勇気の歌」と「アンパンマンたいそう」と「手のひらを太陽に」をセットにして「やなせたかし集」といった趣向で同じメンバー構成のまま歌っている。3月の回では構成団員の層が潤沢なためにここでクラスチェンジを行い、小さな子ども達をSA組とスイッチさせて送り込む。導入MCには人気の団員クンを起用しているのだが、彼は自分たちを「ぼくたちのクラス」としか自己紹介しないので、部外者の私たち観客にはこれが厳密な意味でのB組なのかAB組であるのか、それとも「次年度のS組には入らない子たち」という程度の意味なのかは判然としない。いずれにせよ私の個人的な評価は「団員歴の浅い就学児童であるのかさえ疑わしい小さい男の子達」の歌にしてはピッチ・リズムともセンス良好で、ステージ勘のある子さえ散見され、さすが選抜を受けて入団してきた子ども達の歌…というものであった。ただ、体格的なハンデからくる全体の声量の低さはいかんともし難く、PA拡声されてもなおS組レギュラーの声のマウントには遠く及ばない。小さな声だが芯のある彼らの歌声を聞くと、フレーベルのB組指導陣がこれまでも定期演奏会でいきなりソロをぶつけて私たちに小さい団員達の声を聴かせようとしていた意図が共感的に非常に良くわかるような気がした。
 3月の彼らのステージの導入は「シドロ・アンド・モドロ」。これは驚くべき選曲である。子役時代の杉田かおるの持ち歌。子ども向けのチャチャチャ。数年前までのSA組がライブパフォーマンスで「おもちゃのチャチャチャ」を頻繁に打っていたことを考えると合点のいくレパートリー化なのかもしれない。サビのフレーズ以外の場面が比較的メロディアスに出来ているために、幼い団員達はこれを追いきれていない。3月のこの次点では未だ歌い込みの余地があるように思えた。
 「シドロ・アンド・モドロ」と「老眼のおたまじゃくし」の2曲は、実は、2月の回の「やなせたかし集」のレベルアップ(?)したスピンオフ・ナンバーのようなものだ。いずれもやなせたかし×いずみたくの3枚組「手のひらを太陽に50周年記念CD生きているから歌うんだ!」(限定盤)VPCG-84911に所収されている。同じディスク3の冒頭にフレーベル少年合唱団の歌う珍しいフルバージョンの『手のひらを太陽に」がカッティングされているように、今回の六義園プログラムはやなせの仕事とこころなしかの関係性を感じさせる(CD版では「シドロ…」も「老眼の…」もフレーベル少年合唱団は担当していない)。1960年代の最後の年、フレーベル少年合唱団のツテで持ち込んだ原稿が絵本化されたをことをきかっけに、やなせ氏はフレーベル館でアンパンマンを描くことになったという逸話はネット上にもまま散見される。
 3月のコンサートではここでキャストを「新しいS組」(団員MCママ)に組み直し、「ふるさとの四季~故郷・春の小川」のメドレーと人気のミュージカルナンバー「すてきな友だち」を歌っている。どちらもこの日のメンバー構成を物語るようなアルトのガッツリ感が美味しい(美味し過ぎる!?!)合唱だが、「すてきな友だち」はファルセットに抜き続ける声がとてもフレーベルらしいカラーで痛快なユニゾン。一方、コーダに男の子の合唱ではあまりお目にかかれないこころもち長めのフェルマータを引っぱって聴かせたことで、ミュージカル・ナンバー的なニオイが瞬時に惹起されていて面白いと思った。「ふるさとの四季」のハイライツの方は色々な声が交錯して非常に荒い歌であるという状態なのだが、それぞれの声が聞こえるぶん、先生方のご指導の筆跡が少年達の歌の中にハッキリと聴き取れた。彼らは先生方の言葉を守り、つたないながらもあとをついてゆこうとしているのだ。この子たちは各々自分たちのスピードで自身の歌を良くしてゆこうとしている。MCが「新しいS組メンバーで」と宣して前置きした含意は非常に深かったということになる。2日間にわたるコンサートの意味をひと言で言い尽くせていたように思えてならない。


 
 2月では「やなせたかし集」の後、3月の回では「すてきな友だち」の結びに両日とも「ちいさいみんなもどうぞ参加して一緒に歌ってください」という統一された団員MCがかかり、昨年度一時期抑制されていた客上げのタイミングが復帰している。曲目は2月が「アンパンマンのマーチ」のみで、3月には同曲の前に「うれしいひな祭り」を加えている。「…ひな祭り」は2番までの半裁短縮バージョンで、「アンパンマン…」は団歌のファンファーレで始まるフレーベル少年合唱団バージョン。一方、2月のパフォーマンスでは少年合唱団バージョンではない旧い方の「アンパンマンのマーチ」を歌っていた。ご指導の裁量であるのか、伴奏者の意図によるのか、団員のクラス編成による必然か、コンサートでの気勢や場や意義をくんだ者の判断であったのか、いずれにせよ合唱団バージョンの方が明らかにハイピッチで全体的に華やか・精彩なイメージを受ける。この2日間の2種類の編曲の歌い分けは興味深く、またある意味では合唱団の現状や方向性を示唆するものだった。首のすわりきっていないようなA組の小さな団員たちが、両方の回でそれぞれ異なった伴奏に担われてそれぞれに異なったカラーで合唱団のテーマ曲と言うべきものを歌い分けている。
 しばらく「お休み」の状態にあった客上げが復活したことは個人的には非常に歓迎できること。今後もどうか継続していって欲しいと切に願うのみだが、驚くべきことにどちらの回も、「アンパンマンのマーチ」の拍手が鳴り止まぬ刹那に号令の団員が出ていって「ありがとうございました」と終演の呼号をかけている。つまり、これまでフレーベル少年合唱団の30分レギュラーのコンサートでは毎回必ず聴かれていた「アンコールしてもいいですか?」のMCが、定期演奏会同様ここでも省略されている。20年くらい前の音楽シーンで流行した「モア・ミュージック、レス・トーク」的な味付けの少し早急な幕切れを感じさせる。日本の少年合唱団ライブの楽しみ・事。・醍醐味の一つは疑う余地も無く少年達の繰り出すナレーションの数々であり、近年のフレーベル合唱団はその運用で非常に抜きん出て長けていた。「スーパーナレーターくん」「豆ナレーター君」「アンコール君」「プチ鉄君」エトセトラ、エトセトラ…団員たちをここでそう呼ばってさえそれが誰であるのか特定できるほどかつてリピーターの観客たちは彼らの登壇MCを毎回楽しみに演奏会場へ足を運んでいたのである。「アンコールしてもいいですか?」という符号についてはさておき、私はそれがフレーベル少年合唱団のステージから「歌の時間を増やす」という意趣のために消えたり減縮されたりすることを心から恐れるささやかなファンの一人である。



 3月の回、他でもないワルトトイフェル君が、打ち合わせたタイミングを失念するほどに待ちきれず「はじめようコンサート」と、コンサート冒頭に曲紹介をきりだす。昨年までの彼のように「先輩方の歌に僕たちが声を貸していく」趣のものではない…、2013年春のこの演奏会が日本一のボーイアルトへ伸びていこうとする「僕」と「僕らのコンサート」であることを告げている。3月2日、「S組インターン団員」メインと言えなくも無い圧涛Iな幼い鳴りの合唱の中で、隊列の右端からは聞き紛うことの無いこのナレーターのアルトがかつての日々同様、甘美に鈍い響きを伴って聞こえてくる…。
 2008年10月8日。フレーベル少年合唱団第48回定期演奏会。パート4の中途で舞台へと流し込まれたB組団員たちの姿はどれも矮小で散漫、かつあまりにも場慣れしているとは言いがたかった。唯一、ソプラノ側エッジに近い位置で意気揚々と歌を繰り広げる一人の幼少年のキラキラとした姿だけが目を奪った(隣には当時色黒ャ`ャカワの声質の男の子がいたと記憶する…S組編入に年差は生じたが彼らは5年後の今日のコンサートでも隣同士だった!)。怒鳴るような稚拙な発声だが、彼の歌声は収容定員1800名を超えるすみだトリフォニー大ホールの奥まったどの席からでもハッキリと聞き取れたに違いない。「これは面白いことになった…。」と直感した観客は筆者だけだったとは思われない。だが、私たちはそのとき歌声の主に「どうかこの輝きを3年後も失わずにいてね!」と言っておくべきだったように思える。ステージ要員として配された1年目の彼の声はまだ六義園、アルカキット、全ての演奏会で明快だった。YouTubeに2009年12月の錦糸町駅前のライブがアップされていた(残念なことに「フルーベル少年合唱団のコンサート」と誤記されており、2013年現在、ニコ動のファイルともに存在しない)。圧涛Iなのはソプラノメインのローマ君の声とプチ鉄君のアルト。当時センターに配されていたワルトトイフェル君の3人の声質。だがおそらく様々な出来事と事情があり「やがて客席の私たちの目にも見えるほどあしざまな段階を踏み、彼が指揮者の前をソプラノからメゾ、メゾからアルトへと横滑りに配置転換されてゆくにしたがって、両目の輝きや開いた口の大きさは次第に変わっていった。」(2011年11月・記)のである。こうして、昨春、2012年の春、小ホールのチャリティーにドライリハーサルから居たらしい2人の男性が後ろの席で幕間、2人のアルト団員について話しているのを私は偶然聞いてしまう。一人は小さな小さなS組団員のこと。頑張って頑張っているのだが、リハーサル中に立ったまま寝てしまうという。もう一人の団員は「あの子、全くヤル気が無かったよなぁ」「口も開かない」「寄りかかるように立っている」「目もうつろで指揮なんか見てないんだ」「何だかなぁー」と言われている。この2人のアルト団員がそれぞれ誰と誰を指しているのか、もはや明らかだろう。かつてのキラキラした歌い姿は、今やボウタイの片側がワイシャツのカラーの下に折れたまま。一方のソックスを中途半端にずり落とし、ぼんやりと焦点も定まらず歌う彼のどこにも見ることはできなくなってしまっていた。
 2012年12月。フレーベルの子どもたちは親子向けの出演でクリスマスの歌を何曲か歌っているところだった。学校のホールである。一見の客席の反応は「キレイ!(きれいな声!)」だったが、スタンバイしたその少年はホリゾンへ寄りかかって歌おうとし、指揮者に声をかけられてしまう。全ての演奏が終わった退場の場面、すぐる先生は突如アルト側へと踏み込んで後列右端に立つ彼の両の肩に手を置いた。コンサートマスターのナンバー2に相当する団員へ「今日のサブ・キャプテンはキミだよ!」と挨拶の号令を促す、フレーベルのコンサートの終わりではしばしば目にする指示符丁である。手を置かれた団員の心の中で大きな音をたて、カチリとスイッチの入ったことがすし詰めになった客席の後方からもハッキリと見てとれた。「今、フレーベル少年合唱団のアルト・パートを率いているべき団員はいったいどこに居る!?」…彼はようやっと自らの置かれた立場と任務の重さ、高さへと想到したかのように見える。こうして次の週、文京シビックのバレエ「くるみわり人形」1幕のフィナーレに姿を見せたこのボーイアルトの歌声に、「無気力」と揶揄された少年のたたずまいは微塵も残ってはいなかった。かつての日々、どのステージにも見られた自らを鼓舞するような大きなブレスを作り、ワルトトイフェル君は再び大きく歌いはじめていた。ステージ上に舞い落ちる紺碧の爽やかな美しい降雪の中、私たちに勇気を与えるかのように彼はいつまでも身を躍らせて囀り続けていた。

 苦渋の中で押しつぶされ傷ついたたたくさんのボーイソプラノたち…それでも幸運に恵まれ、何とか最後まで持ちこたえて終えた団員人生。ボーイソプラノというものは、「日本人の小学生男子」という属性を持つ子どもやご家族にとって、極めて消耗の激しい、苦労してようやくなしとげられるかどうかの尊い人のなせるわざなのである。自主退団の憂き目の縁に立たされ、ふらふらになりつつもゴールテープを切るタイプの団員たちは最後のステージに至るまで満身創痍だ。「全てをなし終えた」彼らの笑顔には安堵をたたえる放心だけが色濃く滲む。
 私の知る限り、ワルトトイフェル君だけが、「開かない口唇」と「皆無に等しい声量」と「しだれ桜前広場の棒杭に寄りかかって終始歌ってしまう心持」と「指揮者のタクトには結ばない目の焦点」と「おざなりなユニフォームの着こなし」という団員人生の一時期の淵からひとり這い上がり、今や「日本最古の歴史を持つ少年合唱団の低声部を支えよう」とステージ上へ舞い戻ってきた、2013年春現在なお歌い続ける日本でただ一人のボーイアルトなのである。むろん努力も錯誤も無しに一朝一夕にできる気楽な再出発ではない。この日も開演後しばらく響いていた彼のリードは、中盤、中だるみの刻を迎える。だが、今の彼は決してそのままパフォーマンスを終えようとはしない。気持ちを鼓舞し、自力で何度も何度も形勢を立て直し歌い繋ごうとする。急いてさえ預かったオープニングのMC(これは本来フレーベル少年合唱団ではカルメン君が担当すべき重要なセリフだ)を瞳を輝かせ繰り出そうとする。彼は今もまだ、演奏会の最中でさえ自らと戦い続けているのである。そういう意味で彼は、単なる歌の巧拙でははかることのできない、真の意味での「日本一のボーイアルト」の地位に登りつめようとしているように思える。少なくとも現存する日本最古の少年合唱団の今後数年のャXト「1・5カラー」のライト・ウイング側を担う者は、間違いなく彼であり、彼を取り囲み、ともに支えあって来た子ども達なのである。
ステージを下りた彼の日常の姿を実は私はまるで知らない。だが、小学生にとって5年間にわたる長の年月(TFBCならば5年もの舞台経験を持つ団員は無条件に全団員の尊敬のマトに価するだろう)。打たれても打たれても、口が開かず声が前に出なくなっても、翌週にはちゃんとアルトの定位置に戻ってきて歌うワルトトイフェル君の小さな姿に、私はこれまでどんなにか励まされ元気付けられてきたことだろう。最後まで必ず彼を客席で応援し続けようと私が信念のように思い至ったのは、そんな彼の立ち姿と、その肩を押すように支え続けるお家の方々の深い愛情とが真実として彼の歌に見え隠れしていたからに違いない。ご家族の方がもしこの拙文を読んでいらしたとしたら、「うちの子はそんな狭い了見から合唱団に通わせてきたわけではない!」と憤慨なさるかもしれない。だが、私は私の心からの感謝の気持ちを込めて、ここにステージ上での彼の生きざまを記録しておきたかった。少年の歌というものがどんなときに人を勇気付け、歌声がどんな子どもの口から出るときに真の力を持ちうるのか、私はどうしても書き残しておきたかった。

 やり遂げた!…という1・2年目選手たちのさっぱりとした屈託のない笑顔。「僕にもできる!」というワルトトイフェル君たちのほこらかな眼差し。「僕らの勝負はこれからだ!」というS組最上級生達のふっきれた歌い姿。フレーベル少年合唱団2・3月の六義園コンサートの終演に見られた彼らそれぞれの作り物ではない表情は、2013年度の団員達の行く末をきららかに堅実に占っていたよう思われてならない。さあ、はじめよう!きみらのコンサート!