フレーベル少年合唱団60年の歴史を書き換える 大きな布石となった定期演奏会

2023-11-12 06:15:00 | 定期演奏会

フレーベル少年合唱団 第61回記念定期演奏会
2023年8月23日(水) 午後6時30分開演
文京シビックホール 大ホール 
全席指定 2000円

 

『とーしんどーい』の華やかな演奏が終わり、少年たちが歌い尽くした肩をおろして全てのプログラム演目が終了した。
「たのしかった」と客席の喝采がまだ降り注ぐ文京シビック1800席の明るくなった地明かりを押して、一人の小柄なソプラノ団員がコロナ後のフレーベル展開隊形の半分より前の空隙を縫って伝い降りてくる。歩みは非常に日常鍛錬の行き届いた、腕の振りも美麗で高雅で端正な、見ていても爽快に気持ちの良いものだった。
上級生用標準ネクタイ(複エンボス赤ボウ)、美しい布目のワイシャツ。ソリッド地の長パンツに華美さも不浄のどちらもない清潔そうな黒い革靴。彼の面差しを見て、直接の面識は無くとも知っている観客たちはかすかなそこはかとない嘆声もたてただろう。少年らしい美しく約しい立ち姿をスタンドマイクの少し控えめな位置で愛らしく正し、拍手の残る客席が静寂に帰すのを男の子の明晰な頭脳で聞き分けて、甘く明るく微かに密かに艶めく鼻濁気味の一声をホール場内に通した。
「皆さん、演奏会はお楽しみいただけましたか?アンコールにお応えして最後に、『わらびがみ』を歌います。最後まで楽しんで聞いてください。」
MCの声が愛らしく僅かに裏返ったり、ビブラートがついたり、首を使ってブレスを送ったりするのは彼が小さい頃から宝物のようにして持っている美しい声の表情だ。上田怜歩那のフレーベル少年合唱団員としての真摯な立ち姿である。アンパンチくんからA組団員を経て、閉鎖前のとしまえんカルーセル・ステージに立った彼の歌う姿を見て、私は即座に「フレーベル少年合唱団60年の歴史を完全に塗り変える団員がついに現れた」とここへ確信をもって書いた。今夕、彼が登壇から非常にクオリティーの高い演唱をひたすら繰り広げ最後まで歌いきる様々な場面と声が、私の心へフラッシュバックし蘇った。入退場の度に見せるきりっと整った蹴り出しと腕振りの所作。『とーしんどーい』の振付で光っていた拳のカエシの、迅速でメリハリのある手捌き足捌き。「映画子役」上田怜歩那(特技は歌と金魚すくい)としてではなく「少年合唱団員」「ボーイソプラノ」上田怜歩那としてこのステージに全ての「歌い」をぶつけた彼の姿と生き様は、61回定期演奏会全体の出来の良さ、本公演自体がエンタテイメントとして聴衆の心を魅了しながら止揚する品位の高さをしっかりとあらわしていたように感じる。

こうして賑やかに歌い踊ったフィナーレの後、アンコール曲『わらびがみ』(ヤマトゥグチのバージョン)が、恩納仲泊の石塊だらけの日暮れかけた海岸に打ち寄せる清らな澄んだ静かな波のように、少年たちの声で奏でられる。今夏の合唱用編曲は特に美しく、また団員諸君のアビリティーもグイと引き出す出色の出来栄えだ。ユースをハケて小3から中学生団員までレンジの広いフレーベル少年合唱団らしい声の流れが、ハーモニーを静謐に歌い置いていき、曲は終止線を超えるまで聴衆を惹きつけてやまない。彼等の最後の声が後奏の中、フッとシビック大ホールの客席の彼方に消え去った刹那、私たちは自分が最後に息を殺し、声を載せた彼等の気息を聞いていたことに気づく。終演の甘美なうら寂しさや、このわずか1時間半ほどの歌声の横溢が「素晴らしいものを聞けた」という満足と安堵を感じさせ、吐息とも嘆声ともつかぬ小さな長い息をふぅと吐かせた。

フレーベル少年合唱団第61回定期演奏会は、その名称に適い、上記のような団員の存在ということのみならず「フレーベル少年合唱団60年の歴史を完全に塗り変える」傾向に近い価値を持ったものだった。「この人たちは、どうしてあんな事にこだわって毎年定期演奏会を開催していたのか?」という偏執に似たものが、すっきりと除却されはじめた、そよ風のような風向が、今回の演奏会の最大の魅力だった。当夜客席にいた者であれば、いくつも指折りで枚挙できることだろう。
この点に関しては、本公演のステージ構成を組み立て、「観客に見せ、満足させて帰す演奏会」として企画した人たちの客の心を手玉にとって喜ばせてくれる絶妙で素晴らしい手腕が一番過激によく現れていたと思しき、開演15分間の流れがある。

ステージの実際はこうだ。本ベル定刻に従って、取り出し6年団員メインの隊列がレンガ色タキシードの暑苦しいスタイルで登場し、『魔笛』2幕16番三重唱「再びお二人を歓迎します!」を歌う。この6年生たちの練度は非常に高く、当然ステージ経験も他の団員たちに比べて圧倒的に潤沢(MC等も各自の味を出してきっちり魅力的にこなす)。だが、合唱団は前回定演以降「4歳以下のお子様のご入場はご遠慮ください」としているため、静粛を求めるこのオープニングのギミックは強力な訴追力を持っていない(大人の客の私語は防ぎきれないが、ホール内に響き渡るタイプのものではないからだ)。この図像は第59回定期演奏会の冒頭と全く同じもので、客席の印象は「またこれなのか」ということになる。東京都のこの日の最高気温は34℃ほどあり、暗暖色のタキシード姿の(ただでさえホッカイロが洋服を着て歩いているような)デカい男子小学生が8人並び(一人一人は超カッコいい!のだが…)サスペンションライトを受けて立っている絵柄は、たとえ綺麗な頭声を統べて聞かせてはいても、お世辞にも「清涼で清々しい」とは言えないものだった。聴衆の「不快指数」は開演した時点でマックスなのである。次に団長先生のごあいさつが例年ルーチン通りに行われる。観客はこれが冒頭団員のかぶせ引き抜きの時間稼ぎであることも知っている。
…だが、ステージが『団歌』のスタンバイに移行したとたん、観客はビジュアル的に混乱しはじめる。
ワイシャツ・サスペンダーの小学生団員。長パンツの中学生団員。そして更衣しているはずだったタキシード団員!ごちゃごちゃである。歌うのは、本来最も折り目正しく正装を揃えて歌うべき『団歌』。ステージ前方には2022年以降のS組(小学3-4年)が、十分に暖機を終えたベストの状態で詰めている。合唱団にとっては初めてのことではないが、満年齢8歳から13歳ぐらいまで5歳幅の少年たちが雑駁に並んでいるように見える。かつて、フレーベル少年合唱団は1年中、小学4年から中学2年までの団員を全く同じマリンブルーのステージ衣装でぴっちり1公演、舞台にのせていた。フレーベルの鑑賞歴が長い客ほど、61回定演のオープニングの光景はショッキングであったろう。しかも、わざわざクラス再編したSSSを混配し敢えてここに立たせている!この時点では気が付く由もないが、私たちは終演後、このセンセーションが「フレーベル少年合唱団は今年から60年の歴史を塗り変えます。なぜならば、聞いている人に喜んでもらいたいから」という高らかな宣誓のアレゴリーであったことに気づく。そして、長期にわたって定演プログラム「パート1」を担当させていた最上級のクラスをステージのカミ手(!)から素早く退出させてしまい、小学3-4年年生にNコン課題曲(ここでも象徴的になことに、この曲を歌って小学校の部で金賞をとったのは暁星小学校聖歌隊である)とフィリピンじゃんけんをフリつきで歌わせている。「歴史を塗り変えます」の宣誓が、宣戦布告や革命宣言などでは決して無いこと、彼らの技量の惜しみない顕在化に邁進することを、企画したスタッフは、「魅力タップリ茶目っ気たっぷりイケメン集団」S組キッズたちの歌声で快活に語らせている。
開演わずか15分。最初に観客を煩慮状態のどん底に置いておき、これをビジュアルセンセーションでパッ!と解放し、最後にカッコかわいく楽しいギャングエイジ集団の動きのあるステージでひっくり返し、喜ばせて魅せるという、背伸びは微塵も感じられ無いが、実に巧妙でエンタテイメント性の高い憎らしい舞台展開を仕掛けている。かくして観客は、フレーベル少年合唱団のあの旧態依然とした定期演奏会のステージが、驚くほど客席側に寄り添うかたちで刷新され始めたことを強く知るのである。

 

アンダンテ程度の歩いているのかいないのか分からないようなスピード感。2部合唱とはいえ、殆ど(特に中間部ぐらいまで)執拗にユニゾンで、流れからたつ飛沫や泡沫のごとく和声や間延びしたポリフォニーが添えられるだけという構造上はミニマルアート的な仕上がり。S組のスタートの声は『ほほぅ!』。平成11年度 第66回NHK全国学校音楽コンクールの小学校の部課題曲だ。20世紀末の「だから何なの?」チックな曖昧模糊とした空気感が支配するナンバー。それを真逆の3-4年生男子というボーイズ真っ只中の少年たちが誠心誠意うたっていくという、外見上デペーズマンとも言える取り組みだった。歌詞の主語は一貫「ぼく」。…前述のとおり、おそらく暁星小学校聖歌隊が日本のボーイソプラノ合唱の頂点として最後に歌うことを意識して作られた挑戦状のような作品だと私は今でも勝手に想像している。ニ長調から変ロ長調へ渡り、再度ニ長調に帰着するという、五度圏を線対称でまたぐような、明度はあるがモヤった転調。ユニゾンの単純な音楽のはずが、実に詳細な速度・表情の指示が行われ、スピード・強弱も厳格に指定されたまま4小節をタイで鳴くロングトーン複数個所。男の子の大好きな(?)無声音を期待したい×音符の唐突な挿入あり。ペダル多用やオッターバなど、ほぼ垂水状態にあるピアノ伴奏など、単純ルーズに見えて実は手ごわい課題に、今回S組は臆することなくコテサキの裏技で誤魔化すこともなく真正面から正々堂々と取り組んで「フレーベル少年合唱団S組の合唱」に仕上げていた。一般の8歳から10歳くらいまでの男子小学生には絶対無理であるはずの楽譜を真摯にこなしながら、それでも×音符を歌声にマッチしたシームレスな小慣れた地声で聞かせてみたり(これは次のフィリピンじゃんけんとはきちんと歌い分けていて立派だった)、前述のロングトーンを抱擁力のあるもので解放したり、高い頭声もきちんと前に出している点は上位クラスも真似してほしいくらいの手腕。頻出する弱起の日本語も「弱拍なのにとてもハッキリ聞こえる」頼もしさ。そこには「先生に言われたから、その通りに歌っています」という卑屈さ、萎縮、屈従は殆ど感じ取れない。自分たちの信念だけに頼ってのびのびと自信をもち「これがボクらの仕事なんだからサぁ」とばかりに歌っている。あっぱれ日本一ともいうべき小3小4男子チームでぞっこん惚れる。1999年、我が国の少年合唱の頂点に君臨していた暁星小学校の聖歌隊は、この曲をNHKホールで歌って当然のように金賞を受賞した。だが、すでにその歌声は彼らが『ヒッコリーのおくさん』や『スケッチブックの空』や『だから すきさ』(笑)で聞かせていたような、「小学生の男の子」独特のアバウトさ、無鉄砲さ、ムラっ気、つまんない冒険と男友達、争い事なぜか大好きな(あと、出さなきゃイケナイもの(例えば水筒とか学校からの「お知らせ」とか)絶対に出し忘れる…)小学生男子しか持っていない、けれどもオレら合唱だけは男同士ガッチリ取り組むゼという独特の味(?)を明らかに欠いていた。AIが奏でる「少年合唱」のような、殆ど小学生男子の体臭を感じさせないシリコン・エラストマーのような歌になってしまっていた。61回定演でのフレーベル少年合唱団各クラスを総じたメタメッセージとして、この暁星の警告は厳然としてあったように思える。それを正演目の第1曲目で披露したメタファーの存在意義はあまりにも大きい。

 

続いて一転、フィリピンじゃんけんの歌が歌われた。

 Jack en-poy! hali-hali-hoy!
 Sinumang matalo siyang unggoy
 (じゃんけんポイ あいこでホイ
  負けたら猿よ …じゃんけんポイ)

詰める記号が入っていてタガログ語である。
この選曲が巧みだと思うのは、第一に日本語を聞き取る必要は無いが、「じゃん、けん、ぽい!」というキーワードだけはストレートに聴衆へ伝わるという点。私たちの殆どは(?)タガログ語を解さないからだが、聴衆の意識は、歌っているS組団員たちの身振り・表情など、演出の方へ大きく引き寄せられる。とはいえ、この演奏の価値と大義は、全く違うところにあるように思える。彼らは『ほほぅ!』から一転、高い声をおおらかに自然のまま繰った。小学校中学年の男の子にしか出せない胸声に近い柔らかい精悍な声を、訓練と曲の推進力の加勢によって、あっけなく喚声域から超克し、すぅーっと高い声へ伸ばしたという魅惑のテイストで統べられている。同様に下にも音域を与え、伴奏にのせハンドクラップを動員しながら音楽は楽しく展開されていく。錯綜したリズムや癖のある上行クリシェなど、聞かせどころは満載。超克の高音はやがて、ケソンのロペス湾に長く突き出た遺棄桟橋で調子に乗ってスキップしながらバカ笑いのまま滑走するずぶ濡れの少年らの嬌声のように、じゃんけんのタガログ語と絡み合いながらキュッキュと上へ伸びてゆく。最後の最後、ついに彼らの「地」の声が炸裂して曲は終わる。選曲の巧みさの第2は、これが10年ほど前のフレーベルS組(最上位クラス)の歌の魅力を思わず私たちに想起させることだ。また、歌われるタガログはポリネシア語グループの言語。私たち日本人は開音節のポリネシア語系の言葉を聞くと、遺伝子情報なのか、意味は分からなくてものんびりとした気分や温暖さ、お気楽さ陽気さを覚える(個人の感想です)。フレーベル全クラスの子供たちが数年前まで常に堅持していた天真爛漫さを観客に思い起こさせる。
総じてS組ステージは、緩く積み上げた多段の山台を従来の横方向にではなく、縦へスマートかつ自由に伸ばして使うことで、合唱団の新機軸を開いた。きれいな美しい合唱の歌声を聞かせてそれで終わりという次元から、男の子と言えども、気迫や、上気した顔色や、楽しんで歌う姿や、無我の挙動などを見せ、目でも楽しませて観客を帰すというタイプのコンサートへの移行を私たちは目撃することになる。しかもそれを先ず具現するのは上位のクラスなどではなく、修行中のS組という点で度肝を抜かれた。

 

プログラム冊子については、今回本年度の活動のうちおそらく一般鑑賞等可能なステージの出演実績が報告されるようになった。他の児童合唱団では観客の応援材料としてごく普通に見られる内容だが、レコーディング・映像参加の足跡についても公表できるものは掲載していくことが相応なのかもしれない。また、初めの方に単純な曲目リストを掲載しておき、あとはクラスごとの情報を記事化して内容を整理している。観客アンケートについても、これにならい、曲目ではなくクラスについての意見集めでフォーマット変換が行われた。アンケートはこれでは非常に書きにくいが、子供たちの歌声を聴きに来ている私たちにとって、楽曲のありがたい来歴やライナーノーツの並ぶプログラム冊子よりも、今回のような、団員をめぐる記述で構成されたプロの方が俄然読み応えを感じる。

 

プログラム的にはS組の開幕をトレースしてきちんと横山作品でAB組ステージをスタートさせている。
これは私の個人の印象でしかないのだが、昨定演に比べ、わずかにメロディーラインを幼少年の胸声に近いものへリフトアップし、鍛練の色を薄め、エンタテイメントとして男の子らしさを聞かせるものへ止揚してステージへ載せている。私はこれで良いと思う。それは入団にテストを課してはいても、入ってくるチビ助たちのカラーや歌う力やキャラは年によってわずかに異なっているはずだから。後述もするが、このAB組ステージでの小さい小さい彼らの「見せる」歌は、年を経るにつれてボディブローのようにじわじわと効いて、私たちのハートを最後にノックダウンさせる。『緑のしま馬』の幼団員らは徹底的に練習場で叩き込まれた低声の下味をちょっとダンディーに響かせながら、上はちゃんと「少年合唱団らしく」頭声を鳴らす子達もいてよくできている。選曲もハッタリの無い2部声で、スキッピングなリズムを遵守しながらポリフォニーに聞かせている。それを作曲者の狙い通りあたかも戯れ歌を垂れてノータリンに踊り回る男の子のイイカゲンさ、「何も考えて無いよね?」的な稚拙さを匂わせながら、かなり真摯に正確に歌い切ってしまう。また、日本語も正確で、発音がクリアに響き、心地よい。後奏の無いナンバーで、バッサリ切り落とした歌い終わりの、少年たちのちょっとカッコいいラストノートが文京シビックのホールトーンに残響する数瞬を聞かせるカットアウトのエンディングは、そこはかとない少年の艷(?)をフッと感じさせる音吐で「まったく、この野郎ども!大人をナメやがって!」なエロスが恐れ入った。同様の感想をコーダの瞬間に感じた人は少なくはなかったろう。

少年合唱から遠く離れて「ちなみにボクは大きくなったらカツオ一本釣りしたいです。」のMCが印象的な『おとなマーチ』はA組の手に負えるのかと思うような難曲で、もちろん「ま、デタラメに歌って済ましても可愛いからイイよね」という免罪符を最初は客席側に与えておきながら、とんでもない!彼らが七転八倒ステージの上でがんばって、苦しんで、挫けないで、「僕らはA組だ!できるんだ!」と最後まで粘り強く歌い抜く姿を見せて私たちの予想をひっくり返すという、「こういう選曲をだれがしたんだ⁉︎」的な実に魅力的でステキで興行性に富んだ小憎らしい演奏だった。個人の感想だが、曲は1960年代の色が濃いハッキリとしたアレグレットの構造が3コーラスきっちり繰り返される作品であるため、私たち21世紀の聴衆には1番から3番まで少しずつプロミネンスを考慮し動態やボリュームを加えながらエンディングに登ってゆく色をつけないと、眠たい仕上がりになるような気がする。もちろん、これはA組団員たちの実力の高さと先生方の指導力の高さを考えたうえでの注文だなのだが…。

 

本定演のプログラム作成者の手腕は、ここでスペーサーのようにSS組単独ステージをかまして単調さを回避していたことにある。このクラスがどのような歌を歌っているのかを、構成団員の度量ではなく、彼らが導かれている合唱の方向性から冷静に判断してプログラムを組んでいる。
『ともだちシンフォニー(合唱とピアノ連弾のための)』(寺嶋陸也・曲)が歌われた。ディビジ2声の10分を超える作品でSSの声には合っていたと思う。

 

61回定演に至るまで、フレーベル少年合唱団は2023年に入り大きなもので3つのステージをふんでいる。

まず2月19日にタワーホール船堀(江戸川区)でcolori X アルカイク ジョイントコンサートいちゃりばちょーでー:ー度会えば、みんな兄弟!(東京公演)へ出演した。50名編成の行き届いた歌声で、団歌に続き今回と同じアベタカヒロ譜の『ユイユイ』を歌い『島唄』を初演した。初っ端の前座(賛助出演)であったのにもかかわらず、彼らの歌声からは管理と統御が強く感じられた。まるでウィーン少年合唱団が歌っている日本語のように聞こえたというのも正直な感想だった。続いて3月12日に本日と同じ文京シビック大ホール開催の文京区民参加オペラ プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』(原語上演・字幕付)に子役で出演。コロナ前に開催予定で、いったんチケット払い戻しの憂き目にあった演目のリベンジ公演である。40人の子供が全員おそろいの白いマスクをして横並び1列で演目を歌う演出のオペラを私は生まれて初めて鑑賞した。日本語ではないがマスクに遮蔽され口唇も見えず「何を歌っているのかわからない」という眠い印象はさらに強まった。勿論合唱団が「ボエーム」に出演するのは初めてのコトではない。彼らは本来FMのようにスカート履きで着飾った「女の子」役が居るわけでもなく、全員が男の子の役で2幕を中心にカーテンコールまで所狭しとボーイズパワー全開で大活躍する。かつて山口先輩はメインキャストに肩車をしてもらって大はしゃぎする、ステージ上で一番高いところから演者たちを見下ろす子役として文字通り担ぎ出され歌っていた。だが、今年彼らはきっちり管理されてコロナ禍の最後の過ぎ越しのステージに立たされる。終幕天に召されるミミには大変気の毒だが、かつてステージで大暴れする少年たちを抱腹絶倒で眺めていた者の正直な感想は、残念ながら「今年のボエームはツマラナイ」だった。

ゴールデンウィークの終わり、西田美術館は各SNSに向け、フレーベル少年合唱団の金子みずゞ展ミニコンサート(2023年4月29日)のスチルを1枚だけアップした。カミ手寄り付きから撮られたもので、ソプラノ後列最左翼で歌っている6年生団員の姿はライトこそ1条ハッキリと差し掛かっていたが、後輩たちに隠れほとんど写っていなかった。わずかに認められるその面差しは、第2展示室の隅々にまでぎっしり押し込まれた客たちにも声を贈ろうと仰角で、なおかつ目前に肩を並べる14名の仲間や下級生らを包容するがごとく大きくはっきりと口唇はうち開いていた…小さくなったfベレーの髪の下で。 これが西田美術館コンサートの大竹祥太郎のスチル記録の全てだった。

コンサート冒頭、彼は前振りのナレーションやマイクセットの修正を十分待って、既に低くなり始めたお兄さんぶりの濡れた声で「みなさんこんにちは。僕たちはフレーベル少年合唱団です。東京から北陸新幹線かがやきに乗ってやってまいりました。」とだけ言った。この日、15名の団員たちは新ウィーン楽派ばりの音色旋律を紡ぐようにシモ手からカミ手へ順送りに全員がMCを一言ずつ発している。口火を切った男の子がリーダーとしてこのツアーを引き連れていたのだ。彼の短い言は、わずか15分間、7曲(+アンコール)だけの演奏の旅がどのようなものであったのかをよく諷示している。当日ここにやってきた少年たち全員が生まれるまさに直前まで、東京から残雪の剱岳の麓の町へ午後1時の出演に間に合うよう行こうとしたら、早朝に家を出て、新幹線で米原からしらさぎに乗って折り返すか、越後湯沢からほくほく線0番乗り場に走り、虫川大杉で単線の対行列車を待ってぎりぎりたどり着くか、羽田から飛行機で、回転寿司といっしょに荷物の回る河原のきときと空港へ降りて行くかの大旅行しかなかったのである。フレーベル少年合唱団が富山地方鉄道の折り返しの駅の町でミニ演奏会を持つということは、かつては考えることもできないようなとんでもない大冒険だったのだ。
それを裏付けるかのように、会場となった西田美術館の2階展示室は、彼らがリハーサルに入った時点ですでに後ろ側の壁までびっしりと観客が詰まっていた。整理券を配布して置いた座席では当然不足し、あわてて館内からかき集めてきたらしいベンチやロングシートを次々持ち込んでも足りず、人々はぎゅうづめの立ち見でも満足しきって彼らの歌声を堪能し拍手をした。
良かれとの信念から思いの丈をぶつけて歌いさえずる下級生たちを決して組み伏せたり凌駕したりせず、温めた充填パテのように彼らの歌のホツレ目へ声を充たしてゆくお兄さんぶりの冷静なボーイソプラノを大竹は美術館上階、第二展示室の翠緑の空間へ響かせ続けていた。その声は美麗に頼もしくソプラノの最左翼後列から常に聞こえ続けてはいたが、決して突出したり目立ったりはしていなかった。6年生になり、声も落ち着き始めた彼は、かつて先輩たちから可愛がられ歌ってもらった通りに、今日は下級生たちの歌声を聞き受容して歌いかけ、合唱を作っていたのだ。そこには過去のステージで「♪きのうの夜中 お池の金魚 エヘンっていったんだよぉ~」と歌ったときの独立独歩、「お化けって、生き物なのぉ?」と上田先輩と顔を見合わせ、ぱっつんキラマッシュの髪を揺らし演じたときの歌への思いの拙さは、もはやどこにも見られなくなっていた。わずか15分間の演奏ではあったが、彼の視線は歌いながら仲間と下級生たち、指揮者・伴奏者と客席のすべてを温かく見やって微笑んでいる。

その様子は公開された動画には解像度的にほとんど映っていない。あの場にいた者たちだけが堪能できた、かけがえのない宝物のプレゼントだった。ほんの2年前まで、須藤(兄)先輩や茂木先輩、野木先輩といったメゾソプラノの上級生たちが、練習場で弄ぶオモチャのように小さな彼を相手にし、面白がり面白がらせ、常に歳下の愉快なチビ助として寄り添って歌ってやっていたことが、結果的に今日の6年生団員大竹祥太郎を作ったのだと思う。61回定演のメゾ最後列センターでタイラ君と並び立ち(*)、一意専心に全てのステージで仲間と下級生たちのために心を込めて「合唱」を歌いつくっていた彼の姿は、まさに剱岳の麓のクリーク台地のただ中で歌っていた大竹祥太郎の図像そのものだった。
予定されていた演目を全て歌い終え、彼らは観客の拍手が加減静まるのを数瞬待って定式通り「ありがとうございました!」の呼号に応じようとしていた。だが、おそらく少年たちのステージ・ルーチンを一度も観たことのない美術館側のMC担当者が気早に「ありがとうございました!盛大な拍手でお送りください!」とアナウンスの声をあげたため、挨拶号令を担当する団員はそのきっかけを逸してしまった。大竹は心配そうな表情を見せたが、その目は「ドンマイだよ。みっともなく無いよ!」と言っていた。楽しい想いをした客席の拍手はすぐさまアンコールをねだって揃ってしまったので、挨拶担当はさぞや途方に暮れ困惑したことだろう。彼らは実際、こんなミニ・ライブにアンコールの声がかかるとは思ってもいなかったようで、当然アンコール曲なども用意していなかったとみられる。指揮者はプロらしいとっさの判断で、金子みすゞナンバーの可憐で静謐な『葉っぱの赤ちゃん』を曲目に示した。そのアナウンスは公示されなかったが、彼女がピアニストに曲目を耳打ちするかに告げる様子は公開動画にも残っている。とりわけ神がかって高貴だったのは、その瞬間6年生ソプラノが「先生!やるじゃん!かっこいいじゃん!」とばかり微かに頷いたことと、ビスのチャンスをくださったたくさんのお客様へ感謝と安堵と、「待って正解だったんだよ」と何度も何度も頷きながら担当団員の言動の容認と同意をしたこと。観客の至福と仲間や下級生らの力を再び送ることができる喜びが集約されたような微笑みだった。この日の彼が一体何を心に込めて歌っていたのかを私はそこに見ることができたし、喜色を通じ西田美術館で彼らの歌声を聞いた人々の想いにも触れることができた。彼はこの日、コンサートの間じゅう、合唱団の仲間と指導者たちと客席の挙動や反応を確認するために、目線は自分のMCのタイミング以外始終きょろきょろしていた。フレーベル少年合唱団はコロナ禍の只中に、合唱団員としての生き様のただならぬ魅力とハートを身につけた少年を育てた。それは、大竹が10月22日の『カルミナ・ブラーナ』本番までどう立ち回ったかを知ると感涙するほど納得がいく。日本の少年合唱は、1951年東京少年合唱隊の誕生から70年以上もかけて、ようやくこのような団員を産むフェーズへと到達できたのかもしれない。

私はこの小さな(?)演奏会で、幸運なことにフレーベル少年合唱団員としての友金君の歌い姿とMCをたっぷり聴くこともできた。入団以来合唱団の堅実な「メルクマール」であり、声であり続けた彼の、6年生になったこの日の姿は、人々を明らかに安堵させた。あの日の私は、幸運でもあり、しあわせだった。友金誠一郎という人の真摯な歌い姿と語り姿を心を込めてきちんと見て聞くことができた。フレーベル少年合唱団のファンにとって、これはかけがえもなく素晴らしい演奏会だったのだ!

*『ちびまる子ちゃん』でいうと3年4組大野くんと杉山くんのイケメン二人組(隣町の男子に絡まれていたまる子を2人で助ける、お別れ会で歌を歌ってクラスの皆を爆泣きさせるなど、通常ちょっと激エモなストーリー展開を得意とする)が6年生に成長したイメージ。ナウくてマブいシティーボーイたちという、ステージ上、大変に♪ウララぁーウララぁーなお二人…なのである。

 

フレーベル少年合唱団は昨年、クラス編成をさらに小分けし、SS・S ・A・ B ・ユースの5チームでの運用を始めた。咋定演ではその機能美があまり明確に発揮されていなかった。だが、今年、状況は出捌けに信念のあるアプローチを加えたことで効果的な演出を可能にした。クリアパーツ入りのレゴブロック・クラッシックのように、A組以上のクラスを自由に組み合わせ、さまざまな色やカタチを作り「遊ぶ」ことができる。彼らはワイシャツに制服ズボンの同じ形状をはじめとして、どのクラスをどう組み合わせてもカッチリはまり、発色が良く美麗でピカピカしており、組んだブロックは崩れることがない。SSSAユース間と単独を含む組み合わせは単純に考えても15通りあり、AB組についても3通りあって、合計18通りのバリエーションが可能だ。ここまでは数学的な順列組み合わせの問題だが、フレーベルは「どのチームもシモ手からステージに入り、カミ手へ捌ける」という大原則を61回定演で徹頭徹尾遵守し迅速なスタンバイを提供してみせた。56回定演の頃は最上級クラスが団歌を歌い終えてから次の1曲目が始まるまで、なんと2分間近くもかかっていた。今回、捌けるチームがカミ手ステージドアをまだ潜っている段階で、続投するチームは山台に隊列を整理し、シモ手から入場するチームを迎え入れるという、非常にテクニカルなスタンバイを見せかっこいいレゴブロックを完成させている。従来のフレーベル少年合唱団では決して期待できなかった、評価すべきことと言える。

 

インターミッション前の超メインにあたる個所へ、今定演のフレーベルは自信をもってアンパンマンの歌特集を組んでいる。
フライヤー等で喧伝された呼び物はB組からSS組までがステージに上がる『アンパンマンのマーチ』だが、冒頭にSAの中堅(?)部隊を擁した『アンパンマンたいそう』が歌われた。

現在のSSメインクルーがステージ部隊として成立し、正式な舞台デビューを飾ったのは、2017年8月23日第57回定期演奏会のB組ステージでだった。場所は本日と同じ文京シビックホール大ホール。当時はまだ六義園のライブがあったので、B組はテスト試用に枝垂桜前広場のツツジ前での歌唱経験は持っていたが、ステージ出演はそれが初めてだった。彼らのチームの出来の良さは誰の目にも明らかだったろう。前年度から歌っている上位学年のメンバーは歌の力もMC等の演技経験もあり、その年度新たに加わった下級生たちは一見してヤリ手の風格が所作ガイケンにあふれていた。彼らはのっけの『ドレミファ アンパンマン』から取り出しメンバーがタッチメソッドで赤(ソプラノ)のメロディオン(一般に普及しているのはアルトの緑桃色メロディオン)をあっさりと弾き(コロナ後、吹奏鍵盤を鳴らすことは文部科学省衛生管理マニュアルの指摘により教育現場で疎まれがちになっているためか、今回のアンパンマンステージの開幕をかっこいいマーチングスネアに持ち替えて手引きしたのも、同じ彼であった)B団員たちは全員でコダーイメソッドのハンドサインを繰り出しながら歌うという凝った演出で見せていた。そのステージのメイン演目こそが『アンパンマンたいそう』(仙台ツアー・バージョン)だったのである。ツアーバージョンなので、当然もともと高学年の子供たちが歌うよう編曲されたものなのだが、それを未就学児もいるB組が、わがものとして自信満々楽し気に歌っている。実は当時のS組もA組も実力のある魅力的なメンバーの集団だったのだが、館の実施した定期演奏会アンケートでB組ステージが「非常に良かった」と評価した観客は、S組を差し置いてA組と並び圧倒的多数だったにちがいない。非公式には、フレーベルの隊列が練習出席率に従って編成されると囁かれているのかもしれないが、第57回定演のB組の隊列ではあきらかに『アンパンマンたいそう』のキャスティングのため綿密に隊列が組まれていた。演出セッションの嚆矢で強烈なアンパンチを叫ぶ少年を指揮者の右センター寄りに置き、当時まだダークブロンズの髪をfベレーの下へさらりとアシメに流してヌーヴェルヴァーグのフランス映画に出てくる少年のイメージだった田中君にひょうきんテンドンマンを演じさせるためセンターのシモ手側に置いて、彼らに添わせるよう他のキャラ達を前列へ配列していた。曲がブリッジを奏でるなか、前列の彼らが一斉ショーアップのごとくステージかぶりつきへ繰り出してゆく瞬間の軽快で機敏な姿は、私たちに、彼らが合唱団の最下クラスの男の子たちであることを完全に忘れさせた。

61回定演で歌われた『アンパンマンたいそう』(仙台ツアー・バージョン)は、まごうかたなき現在のSSメンバーのステージの出発点であり、彼らの歌の原点でもあったのだ。かつて色白で真っ赤な唇をしたその春入団の小さな男の子がハッキリとした声で「次は、アンパンマンたいそうをうたいマス。ぼくたちのだいすきなきょくデス。」とMCをかけてあのとき歌は始まっていた。この小さな男の子が頼もしく成長し6年後の2023年、今回同じアンパンマンステージのMC第一声を発している。このことから、私たちは61回定演が、ステージ構成的にも配員的にも団員MC一人に至るまで非常に緻密で周到な計算に基づいて編まれたものであることに気づく。『アンパンマンたいそう』でアンパンマンを演じアンパンチを力の限り叫んだのは忘れることもできない本当に小さな小さな上田くんだった。2017年の夏の彼は、2023年の中学生になった自分とフレーベル少年合唱団のために、生気溢れる強烈なアンパンチを客席へ叩き込んだのに違いない。

 

SAの大部隊を袖に、自分の腰丈ほどしか無い下級生団員を導いてアンパンマンステージの冒頭MCを担当したのは6年前と同じ大竹祥太郎だった。彼は誕生50周年記念アンパンマンを手短に告知すると、サッとメインステージ中央へ片膝をつき、次の下級生へアナウンスマイクの頭を適切な角度でかざした。バレエ『眠れる森の美女』で美しきデジレ王子がパドドゥのアラベスクを支えて見せるバレエ・ファン垂涎のあのポーズである。彼は右立膝、左の膝をついて下腿を伸ばすその姿態をステージセンター・エプロン際でスマートに堂々とキメてMCマイクを下級生に充てる。これが本来の彼のステージパフォーマンスの真骨頂なのだが、してやったりの賢しらさなど微塵も感じられず、自然でひたむきだった。こういう人なのである。イッパツ喰らった!と思った。マイクを向けられた下級生たちはとても魅力的な声で明瞭に無駄なく(幼なさも残しながら)曲紹介をしてゆく。こういう中低学年男子の魅力的なMC群は国内のどの児童合唱団にも真似できないだろう。ルーチンはシモ手側で別の6年団員がバトンタッチを受け持つのだが、担当したのはタイラ君だった!ルックスもダンディーだが、お声やMCの口調はもっと激エモな団員くん!私が年長さんの頃の彼を初めてステージで目にしたときの印象を正直に言おう。…カ、カッコいい(降参まいりました)!だった。5歳くらいの男の子をつかまえて発する言葉ではさらさら無いのは十分わかっているが、ともかく私は銀幕のカウンター・バーでバーボン片手にブリオーニのソフト帽を目深に被って葉巻を燻らすハンフリー・ボガートと正面からタイマン張れる少年と真顔で思った(何書いてるんだろう…)。よく年のステージで、彼がB組制服にベレーで手作り感満載のクラリネットを吹いたとき、タイラ君のダンディーな雰囲気はもう完全に出来上がっていた。MCや歌い姿に兄譲りの独特の表情はあるが、彼が歌っているアルト部は常に適度な締まりがあった。フレーベル少年合唱団の絶対的魅力の一つはこういうキャラクターの団員に大人たちがつまらないバイアスをかけないことだ。
この導入MCは、最後に再び大竹が「総勢70人が心を一つにして歌います。どうぞお聞きください。」とマイクを引き取って終わるのだが、少年たちの一連の言葉は、61回定期演奏会の文字通り最高潮の頂点をなすものだった。お客様は大喜びである。すごい拍手だったと記憶している。指導者たちは「まだ1小節も歌っていないのに、どうして観客はこんなに盛り上がっているのだろう?」と首を傾げたに違いない。だが、フレーベル少年合唱団の定期演奏会のステージは、61回目にして驚くほど客席側に寄り添うかたちで刷新され始めていたのだ。

 

『アンパンマンたいそう』は、正確には仙台バージョンとイントロ嬌声の入るCDピアノ伴奏バージョンのミックスで、忘れていけないのはpfが今回もデリシャスでパワフルな味をだしていること。小学校中学年(とはいっても開演ステージで聴いたように非常に卓抜したセンスを持っている)S組が加わったことで、かなり深い(エロス??とも言って良い?)イイ感じのしっとりした味の歌声を出し、満腹感のある合唱に仕上がっている。キャラの団員たちがそれぞれ前回の『…たいそう』のパフォーマンスの味を刷新するキレキレのセリフを発しているのも魅力だった。私は確信をもって重度な聴覚障害の人々へ(もちろん子供たちにも)引導したい。彼らの歌声はおそらくハッキリとあなたにも聞こえているでしょう?!私が聴いている彼らの歌声が、視覚からあなたにも届いているでしょう?幸せで暖かな楽しくヤンチャな歌声でしょう?!一緒にこれを楽しめると思うと、私はシアワセです!これからのフレーベル少年合唱団がこのような方向性で発展していってくれることを私は心から祈っている。
SSの『勇気の花がひらくとき』は彼らの涼しい高声が高級磁器のような高品位鉄紺に仕上がっていて良い感じだった。
最後にフレーベル版の『アンパンマンのマーチ』がSSSAB連合のユースをのぞく合唱団総集結の大部隊で文京シビックの舞台空間に総攻撃をかけた。彼らが方々のステージで「僕たちのテーマソング」と謳って曲紹介し歌いまくっているナンバーなのだが、通常各コンサートのオーラスに登場することが多い。定演ではアンコール曲で固定されていたため、近年インターミッション中にばらしのかかるAB組は歌うことができなかった。フレーベル少年合唱団は今年、その機会を小さな団員たちにも引き戻してやったのだ。結果は圧巻で、フレーベルのコンサートをしばしば楽しみに行く筆者のような者にとっても驚くべきものだった。その音場が忽然と立ち上がった光景は、6年生MCの「総勢70人が心を一つにして歌います。」の言葉通りのものだったのは言うまでも無い。具体的にはそれぞれの年齢クラスの持っている基本声域が倍音のように互いを響かせあって、人々の快楽中枢に直接届くという味が一つ。もう一つは、西田美術館の大竹が聴かせていたような、上級生部隊がS組AB組の声を凌駕せず、幼い声素材への密着性・柔軟性に優れ、しかも自重による肉痩せを丁度ボーイズ声域中央で柔らかみも適度な艶もあるS組が土台となって持ち上げると言う意外な活用だった。

今回のこの、中間地点に最も大きな山を置き、開始から終演まで緩急を含めシンメトリーに演目を配して聴かせるという、観客の気持ちに深く寄り添った構成は本当にありがたいし、週2回の練習へ足繁く通いつめた団員たちを心から応援しようという想いにもさせられる。

 

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15分間のインターミッションはあっという間の頃合いで、開けにSSユースの組み合わせで『モルダウ』が歌われた。
現在のユースはプログラム冊子の名簿上20名弱の団員記載はあるが、SSのメンバーとも重複し、学校出席等とのバッティングもあるので参加人数はそれを下回る。
フレーベル初めての演目ではなくかつて幾度か定演に供していたと記憶するが、同声3部(プロでは混声3部と記載)での最初のトライアルだった。彼らは中学で使う現行の教科書で、必ず『ブルタバ』を学習する。現在中学生向けの音楽教科書は日本では教芸と教出の2種類しか存在しない。いずれも中3の1学期(か、前期)にこの曲を扱うことになっているので、文科省検定済み教科書を使わないと宣言するタイプの私立中学校以外の生徒は必ずブルダバを知っていることになる。これは、おそらく一つ前の学習指導要領で、中学校の音楽では必ず『モルダウ』を学ぶように義務付けていた名残(現行と唯一違うのは、曲名が『モルダウ(ブルタバ)』から『ブルタバ(モルダウ)』と主従逆転したことだけだ)と推察する。このことから、タイトルはややユース寄りの発想で決定されたものと想像できる。直前までフルパワーで歌っていたSSを短い休憩を挟んで続投させたことは、ユースの『モルダウ』を、せっかくだからボーイソプラノも参加させましょうと組み込んだ発想が容易に想像でき、実際の演奏もそうした声作りを感じさせた。立教中学校聖歌隊のようなテイストの合唱で、歌い始めからSSの声は突出させずユースの声とソリッドに鳴らすという仕上がりに上手くまとめている。フレーベル少年合唱団がこれまでOB合唱団など男声と組んで歌う際の基本線だった「あくまでも男の子らの声がメインで、男声は添え物」という発想から一歩前に出た20年後を見据えたものになっているのが評価できた。

これは間違いなく指導による新面目だが、実は歌っている子たちの団員生活の来歴にも種明かしがあるように感じた。名称は「SS」と「ユース」の厳然たる別クラスだが、彼らはコロナ外縁の時代、長いことF館5階で同じ「S組」の子供として肩を並べずっと歌っていた。特殊な時期ゆえ、選抜されることも取り出しを受けることも出演で招集されることも無く、かれらはずっと練習室で各パートのチームを心の拠り所として一緒に歌い、マスク越しにじゃれ合う毎日だったろう。コロナ禍が終わり、一緒に歌っていた彼らは変声した者にユースの名が付され、変声未到の少年たちにSSのタグがかけられた。
だから、『モルダウ』でSSとユースが卑近に邂逅し、両者があたかも他人同士のようにそらぞらしく「それぞれのチームの歌を一意専心に歌っている少年たちの表情」チックな演技を客席に見せていたのは、思わず吹き出してしまうほどカワイく(?)て素敵だった♡!なんのことはない、ブレスのニオイからその子のクセまで全員がよく知りあう友達同士なのである。キミら、小6・中学生にもなってまったくヤッちゃってくれるよ!ヤンキー少年合唱団員たちめ!日本一だ!最高だ!大好きだ!私はニヤニヤが止まらなかった。その情景は、あたかも59回定演『パプリカ』の前MCで野木先輩が見せた満面の「ドヤ顔」の様相だった(どうしてドヤ顔をしていたかは、周囲の団員たちがあまりにも気の毒なので、ココには書けない)。

 

宗教的な後見の希薄な、ギャングエイジ集団を根城とする日本の少年合唱において、「声変わりする」と言うことは「終焉(終わり)」「遺失(失うこと)」をまったく意味しない。むしろ各々の団員がボーイソプラノでフレーベルに徒党を組んで歌った賑やかでヤンチャな日々の中から、いったい何を持って行ったのか。声変わりした後に各自が何を得たのか。もちろん、大竹のように在団中すでに彼のゲットした宝物が客席の私たちにもハッキリ聞こえて見える場合もあれば、卒団後何年・何十年もたってそれが現示される団員もいるだろう。いずれにせよ、日本の少年合唱団員にとって、声変わりした後にこそ、彼は大切で貴重な、他に得難い資産をもらうのである。男の子の変声を面白おかしく、また逆に無常儚きオ耽美気取りでシタリ顔に語ったり、あるいはなんちゃってアナール派的な文脈に落として学究を装ったりする輩は明らかに存在するが、少なくともフレーベル少年合唱団員に関する限り、これらは全くの大間抜けの言説とも言うべき愚行と思える。

OB合唱のわずか2つの小品は、時間的に5分間程度の「ほんのちょっと」と言ってもよい演唱だが、彼らがフレーベル少年合唱団の日々から変声後に何を得た(得てきた)のか、実に明快・爽快で膨大な抱えきれない量のメッセージを送っていた。尠くも筆者はそこに「少年合唱団は声変わりしたら終わりで何も残らない」とは口が裂けても言うことができなかった。61回定演に通底する文脈から、このプレゼンスは今回大変際立って強く私たちの心へ響いたと言える。
2曲は初代指導者への敬意をもって選ばれている。かつてみんなのうたも『シューティング・ヒーロー』も歌ったOB合唱団は近年、磯部俶の珠玉の作に絞って現役の定演に加わっている。

『じんちょうげ』(「おかあさんのばか」1965)は男4部らしく少しゴツゴツした歌声になっていて、荒削りに聞こえるよう仕上げていた。曲集全体のイメージを遵守しようとしたのかもしれないが、OBたちの初句「♪げんかんの戸を開けたら」は、いきなりハッキリと明確に私たちの耳介へ飛び込んできた。この小品の詞の最も心を打つ最高潮の場面は小学生の彼女が「玄関の戸を開けた」という行為報告に集約されている。OBたちはそのことを十分わかって歌っているのである。その証拠に、客席の人々は彼女がどうしてしばらく玄関の戸を開けてこなかったかを何気ない歌詞から伺い知った途端、声にならない嘆声を発していたように聞こえたからだった。だから、OBらの2度目の「♪げんかんの戸を(いっぱい)あけた」の高唱を聞いたとき、私たちは完膚なきまで完全にノックアウトされ仰向けにぶちのめされた。小学生の女の子が書いた、行替えしただけの散文のような詩をそのようには決して聴かせない、作曲者とかつてその元で歌っていた少年たちの技量が感じられた。現役たちに対しこの曲で彼らが言っているのは、日本語の歌は日本語をハッキリと明瞭で正確に伝えなくてはなんの価値もないという諫言だった。

2曲目には磯部俶×ろばの会を象徴する至高の名作『びわ』(1956)が歌われた。
OB合唱団も参加したCDにも収められた作品で、1曲目から一転、非常に柔和で綺麗に穂先を揃えて歌い描かれておりステキだった。鍛錬を受けたボーイソプラノの、5年から中学生くらいまでの男の子がソロで歌っても全く遜色なく響くよう作曲されていて伴奏もきちんと沿うように鳴ることが、彼らの演奏から伝わってきた。現役たちから見ればおじいさんと呼んでもよい世代のOB合唱の響きの間から、きれいな汗にほとびた紺のfベレーの下であたたかい息を一本吐きながらこの曲を歌う一人の男の子の微かな倍音や図像が少しずつ漏れ出てきているのが見取れ聞き取れる。2曲目『びわ』に於ける現役たちへ贈る言葉は、きみたちだから出せる、歌に込められたハートの現示のようなものだった。

 

ステージはここで夕刻の陽の高さをきちんと考慮し、『沖縄ソング・アルバム』のタイトルで4曲を歌って打ち止めた。指揮者は固定だがピアニストを曲ごと3先生で交代担当する(おそらく指導クラスの合唱ピアノを信頼した)面白い展開になっている。

SSは2月のコンサートでの編曲版初演をトリビュートして『島唄』を幾分かこなれた質量のある歌声で披露して開幕。つぎにポンキッキ出自で、前回の沖縄定演でもA組を動員し良い意味キッチュさのあるあたたかい柔らかなイメージで客席にプレゼンしていた『ユイユイ』(ゆいまーる)を今回は幸運にもS組の声で継承している。『とーしん…』を除くとこの演奏がウチナーステージではとりわけ客席寄りの美しい体面を持っており、開幕でも聴かせた精気のある高声と、実はウチナー民謡になくてはならない重大要素である「へーし」(囃し言葉)を軽視することなく心を込め、音楽として聴かせるS組らしい誠実さがハートに火をつけた。何よりもpfがペダルを踏むのかソフトに鳴る中、ソプラノ・チームの少年たちがパート単独で(おそらく2小節間弱だけ)泳ぐゾクリとさせる彼らのカッコイイ歌声は強く記憶に残る。また、3-4年生のみのチームでありながら、かなり緻密に強弱や抑揚などアーティキュレーションのメリハリをつけていて(しかも、それが当然の行いとして彼らの小さな身体の中に宿っているようで)魅力的。
やや重い印象の『島人ぬ宝』をユースクラスに受け持たせ、各曲S・SS・ユースとクラスごとの特色ある声でまとめて無難に最終ステージを転がしていった。

多少はあるが、ここでは各チームというよりも所属団員の個々のカラーがクリアで明るくショーアップされて見え、視覚でも楽しめる演奏になっていた。コロナ期に活動報告としての「オンラインによる定期演奏会」などの代替をせず、あくまでもライブ公開にこだわったフレーベル少年合唱団らしい「男の子の歌いをナマで見せる」舞台が展開されていたことに観客は満足したことだろう。

 

『沖縄わらべうた・民謡メドレー』は、『てぃんさぐぬはな』『はなぬーかじまやー』『あさーとぅやーゆんた』『とーしんどーい』の魅力たっぷりなウチナー民謡ばかりが4曲もデラックスに続く。エイサー系あり、スコールでびしょ濡れ(悲惨!)赤嶺駅で聞いた(…個人の体験ですw)祝い歌系あり、おばあの優しさ系もありのまさにチャンプルーなメドレーだ。
『てぃんさぐ…』の8分の弱起で起きる冒頭の精悍な少年らしい爽やかなユニゾン。本曲と『…ゆんた』の旋律線の中に、聞き覚えのあるホッとさせる少年たちの一人一人の声が鮮やかに鳴り渡り、得をした気分になるとともに爽快、心地良かった。『…かじまやー』の愛らしい(?)、彼らを慈しむ気分にさせられた「ティントゥン マンチンタン、ウネタリ主ヌ前 御目カキレ」の美しさ(彼らは、これがどんなシチュエーションで歌われる曲であるのかを理解しているのだ)。
かくしてプログラム掲載のオーラス曲『とーしんどーい』が振り付きで華やかに歌われた。
SSS+ユースがひな壇を広大に使って、それぞれの年代ど真ん中の歌いを展開する。幼いがピッチの堅いS組、変声途上のお兄さんぶりなユース、濃厚で情念に満ちた旋律性のある声を獲得してきたSS組。前回のウチナー定演のような鳴り物入り大騒ぎという混沌ぶりとまではいかないが、ロミロミサラダ的な食感、口当たり、直感的な華やかさで円満に聞かせている。少年合唱団なので、グーに握った拳の返しを見せる。ただ、小さい団員たちはゼブラパンやヒージャー汁を常日頃ゴソゴソ食べながら育っているわけではないため、振る肘は流れ、腕のスナップはどろどろ、掌も開き気味なテーゲーそのものの姿も散見される。一方で、冒頭に述べたように非常に振りのキマッた団員ももちろんいて、男の子ばかり集まった等質な集団でありながら、演唱そのものは見た目にもダイバーシティーが楽しめるにぎやかなフィナーレとなっている。これは明らかに彼らの魅力であり持ち味。あえて、故意にそれを見せ、聞かせていると考えて差し支えないだろう。構成的には、前半の部の最後にA+SSSのコラボ、後半の部の最後にSSS+ユースの共同戦線と、微かだが明らかにカラーをずらしたアライアンスで楽しく統一性を持たせてある。また、ウチナー方言の詰まったカチャーシであるため、私たちやまとんちゅには歌詞のコトバを楽しむことが能わない。その代わり、子供たちのチバリ姿や視線、表情、めっさテーゲー(笑)な踊りっぷりや一方バリバリに決まった振りの男っぷりの良さ、そして一人一人の歌声の温(ぬく)さん熱ちさんといったものに自然と聴衆の視線と聴覚、臭覚は向く。歌というものをテーマ性や文字情報としてしか楽しめない者にはさぞやオモシロ味の少ないステージだっただろう。この、少年合唱を目でも耳でも五感で楽しませようというスキームは、61回定演全体を貫く謀略とも呼ぶべきアッパレな企てだった。完全無欠では無かったが、これがフレーベル60年の歴史を書き換える布石の大きな一目であったと考えるべきだと思う。

 

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男の子が室内でかぶっても良いのはベレーだけであること。ワイシャツ着用(開襟で裾フラットの場合は免除事項が増える)。タイと靴下を必ず付けること。ベルトかサスペンダーのどちらかをしていること。革靴をはいていること。…少年の順守すべきフォーマルのルールはそれだけだ。手入れの行き届かない頭髪をカバーしてくれていたベレーを脱がせたり、ジャケットの下に半袖シャツを着せたりといった究極のマナー違反をさせてまで上着着用にこだわる意味はどこにも無かったのだ。SDGs 環境分野のハードカバー児童書を刊行したりする出版社の合唱団が、真夏の猛暑日にジャケット着用でエアコンをガンガンに効かせて歌う意味はさておき、私たち観客のメンタルは明らかに「見るからに暑苦しい」と悲鳴をあげていた。体温もハートの温度もオツムの沸騰頻度も高い活発な男の子たち。普通に立っているだけの彼らの姿に私たちは熱を感じる。それはそれで魅力なのだが、そういう彼らにジャケットを着せて見せる必然性も芸術性も判じられなかった。
夏定演になってから、客席の評判があまり良好とは感じられなかったステージジャケットの着用について、今回ようやく改善が見られた。ベレーについては ①寝癖隠し・ 形ばかりの汗止めという機能もあるのだろうが、②ベレーもジャケットも外すとフレーベル少年合唱団員であるということを表す徽章が皆無になってしまう。 定演時には着帽もやむを得ないのだろう。また、ボウタイについても、私たち観客はタイの形状で所属クラスを見分けているので、複数クラスを組み合わせてステージに乗せる今回のような場では鑑賞する立場からは外してほしくない。ソックス丈について夏場はクルー丈がふさわしいのだろうが、私たちは男の子の下腿が異様にキズ・アザだらけで超バッチいことをよく知っている。昭和時代、夏休み後半の男子小学生はほぼ間違いなく全身日焼けて真っ黒だったので、以前はクルー丈を履いていても粗が目立たなかったというだけの話だ。

 

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ギリシャ神話、竪琴弾きの楽人オルフェウスが黄泉から戻る話である。
様々な点で旧弊を排する充実した61回定期演奏会だったが、最後にもう一つ「団長挨拶と影アナ以外のMC等で大人がしゃべらない」ということを取り上げておきたい。今回、最下クラスのB組はもちろん、OB合唱の前振りMCですらマイクの前に立っていたのは男の子だった。このことは彼らの団員としてのアビリティーの高さを示すとともに、合唱団が観客に何を聞かせて楽しませようとしたのかを示唆する非常に好ましい出来事だったと思う。だが、アンコール曲目について指揮者は最後にほんの一言発した。この発言はプログラム記事にも書かれている曲集の販売告知の念押しで、以降の少年たちの速やかなステージ進行に影響を与えていたように感じた。ユースの退出タイミングは乱れ、本定演を象徴する少年団員が発する見せ場のアンコールMCと重複してもいた。ここまで一貫して団員たちの歌と姿に集中していた観客の意識は、この告知で少年たちから大きく指揮者側へ反れたように感じた。

 

拙文の最後に、フレーベル少年合唱団1967年リリースのLP『フレーベル少年合唱団--ぼくらの演奏会から』(キングレコードSKK(H)-284)に収められた『谷の子熊』について触れたいと思う。このサイトの2020年12月の記事冒頭にジャケット写真を掲出したレコードだ。『谷の子熊』には印象的な歌詞が付され、2名のソロが当時のレコーディングのごく標準的手順に則ってラスト前コーラスを受け持つ4番構成の2分45秒程度の作品だった。リリース位置はB面の最後から3曲目にあたる。
とりわけ筆者の気を引いたのは、団員たちの「子熊」「父さん熊」をつくる「グマ」という発音だった。この単語は3分間にも満たない曲中に、低声のフガートもあり13回出現している。団員たちは21世紀の私たちが聞いて震撼するほどあっけなく、自然に、難なく13回すべて「ま」と実に美しい山手標準語の正確な発音であっさりと歌っている。ソリストたちも、アルトの団員も全員!1960年代後半、小川町の旧F館の練習場へ行って、A組・B組・中学生・ソプラノ・アルト・途中入団者…等々さまざまなタイプの団員たちを引っ張ってきて「『子熊』って言ってごらん」と、尋ねたとしても、全員が「こま?」とアッサリ即答したことだろう。そのくらいLPの音溝からは発音の揺れやウッカリ(例えば3コーラス目の最後だけ、アルトの端っこの団員だけ、ちょっと幼い感じの団員だけ「こぐぅまぁ」と発音したりすることが)一切聞き取れない。おそらく、これは指導などではなく、フレーベル少年合唱団にやってくるような少年たちは例外なく山手標準語の正確な発音話者であり、これらがごくごく日常的な発音だったということがうかがえる。
恐ろしいことだが、21世紀に生きる私たちはこのLPディスクの全体的な発音を聞いて「なんとなく古臭い」と思ってしまう。懐かしいと感じる者もいるだろうが、要は「現在の発音と違っている」ということだ。

現在のフレーベル少年合唱団の団員たちが彼らの歌の中に具現する日本語は明らかに美しい山手標準語の正確な発音を逸している。団員らの日常聞く音楽に聴かれない発音であり、おそらく合唱団指導者たちも既に正しい発音歌唱経験を持っていないのかもしれない。私たち聴衆は、少年たちが「何を歌っているのか良くわからない」という現実に、少しずつでも真摯に向き合っていく覚悟を決めなくてはいけない時期に来ているようだ。合唱団が60年の歴史を塗り替えようと邁進している中で、聞く者もまた自らの鑑賞経験を塗り替える必要があるのかもしれない。