創価学会体験記

選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

せつないとき

2005-03-31 21:34:38 | 体験記
 私の住んでいる地域の人達は 「せつない」って よく使う。辛いことや 我慢できないことを 「せつない」っていうらしい。

 一見 お気楽 脳天気な私にも 辛いことは平等に舞い込む。いえ 自分のテリトリーのことではありません。テリトリー外の 遠い所だから「ほんと せつない」
 でも 私はぜええええたい 学会員さんや 他の方にも 自分の不幸を話すことは 無いだろう。話すことがあるとしたら 不幸を乗り越えた後のことだろう。

 私にも 世間一般の 不幸はあったと思うが、周りの人の愛情で乗り越えたし 傷も全く残っていない。でも それを わざわざ人に語ることは 絶対しないだろう。聖教新聞には 良いところしか かかれないけれど 一見 乗り越えた後の(聖教で取材後の) 苦しみなど(病気の再発や 再就職先の倒産)は無視されるだろう。

 あのねぇ 不幸は 至る所にあるし、それに見合うだけの愛情は どこかから そそがれる。大丈夫、外の世界も案外 良い奴が居るよ。それを見極める目さえ あればね。

自責

2005-03-31 00:13:01 | 体験記
 学会員さんと 付き合っていると あまりの天真爛漫さ 一生懸命さに こちらの方が 悪いことをしている気がする。

 心の中では 「折伏されるのは嫌だし、聖教新聞は 学会の資金援助になるから取りたくないし 公明党には絶対入れない」と思っているから。表面だけで 本音を言わずに付き合う私は 相手を裏切っている気持ちになる。学会の悪いことを書くと、彼女の悲しい顔を思い浮かべる。

 でも彼女は いい人ではなかった。友人でもなかった。「いつでも辞めて良いから、学会にお金はいらないわ、仏教の勉強よ」と 方便と称して 嘘をついた。嘘をつく人間、約束を守れない人間とは 本音ではつきあえない。

 「方便」って 後から思い起こして 「あぁ あれは 私の為の方便だったのだなぁ」と感謝の念が起こるものを指すのだ。入会してみると 彼女が言ったことは全くの嘘だった。

 そして学会を理解しない 我々を責める人達に 私たちは自責の念を抱く必要は 無いのだ。あなたが 悪いのでは けして無い。

(すみません、年度末なので ちとバタバタしています。コメント下さった皆さん 読んでいます。)