創価学会体験記

選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

思いついた事

2005-03-01 16:52:56 | 体験記
 昨日は 親鸞さんの ありがたい話などをして 「おぉ freeさんも 案外 頑張っているね」って所を見せようとしたのですけれど、やっぱり ちょっと本をかじっただけなので「やっぱり 馬鹿だったんだ~」となりそう。また今度ねぇ。^^

 最近 ちょっと思っていること書きますね。どうも学会員さんと 非学会員さんのトラブルをみると、学会員さんが人生の中心に 学会を持ってくることに原因があるのではないかと思っています。宗教って まあ 人生をよりよく生きるための教えなのですよ。ですから 人生の中心ではなくて 脇ぐらいに置いておいてくれないかなぁ。

 よく 本来は学会員のための組織のはずなのに 組織のための学会員になっているのではないか!と 言いますね。それと 同じ事を言っているのです。

 でさ 恋人や家族を 置いて活動に出かける人達は「今しかない、今結果を出して 先生にお答えする」って もう すごく熱心で一つの事しか見えないのですよ。友人に折伏するときも 「絶対良いものだから、すごいんだよ」で 引かれてしまうし、反論すると「学会の素晴らしさを分かんないなんて~~」と逆上してしまいます。

 でも 学会員で活動家でも 学会を人生の中心に置いてない人は 周りとの距離も測れるし、家族や友人とも良好な 関係を保っているようです。

 だから ローカルルールで 「宗教を人生の中心に置いてるなんて ださい」って広めてしまえば、夫婦喧嘩でも 「まぁ あなたったら 人生の中心に 宗教を置いてしまって」よよよよ。「う そんなつもりはなかった ごめん」とならないかなぁ。

 頭の中で考えていたときは 素晴らしいアイデアのようだったけれど 書いてみると そうでもないなぁ。きっともっと 文才のある人が書けば 説得力のある文章になるのにね。「世界の中心で愛を叫ぶ」って良いキャッチで 本が売れたように「人生の中心で 宗教はこまる」とかなんとか すごいキャッチをだれか 考えてくれないかなぁ
でも ホント 宗教は人生の脇役で居てくれよ・・・