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東日本大震災4カ月 現場が遠くなっていないか

2011-07-10 21:02:16 | 東北関東大震災関連
東日本大震災4カ月 現場が遠くなっていないか(産経新聞) - goo ニュース

「がれきは『ごみ』じゃない。おれたちにはすべてが思い出なんだよ。それが早く処理しろ、処理しろ、だろ。やりきれないね」
 「『復興、復興』って言ってるけど、取り残されてるような感じだな。『疎外感』が募るばかりだよ」
 5月下旬、岩手県沿岸部の避難所を取材したときのこと。ある高齢の男性から叱責された言葉が今も胸に突き刺さっている。
 がれきを辞書で言うような「破壊された建造物の破片。値打ちのないもの」で片づけてほしくない。自分にとっては生活の痕跡なのだ。そして、政治や行政の動きが現場に対応し切れていない。男性はそう言いたかったのかもしれない。
 仙台市の中心街は活気を取り戻している。だが、沿岸部の現場は復興どころか復旧にもほど遠い。
 復興が叫ばれている。前を向こうとする動きはフォローしなければならないが、現実も忘れてはいけない。実に難しい問題だが、報道する立場としてはどちらが欠けてもいけない。
 3月11日、「被災地総局長」となった。できるだけ被災者と接し、被災者の目線に立ち、現場の姿を伝えていく。復興の流れの中でともすれば薄れてしまいがちなことが自分に課せられた使命だと思った。
 だが、復興へのビジョンが示され始めたころから、現場が遠くなっていった。県庁や市役所、県警本部などに落ち着いて中心街から発信するだけになってはいないか。沿岸部への駐在員を置かず、仙台の中心街から派遣しているからこそ、総局員にはできるだけ、現場に足を運ぶように-と指示している。
 宮城県南三陸町では3割以上の飲料水が復旧しておらず、一部の地域ではいまだに川で洗濯を続けているという。エアコンがない避難所では感染症の心配がある。仮設住宅に入れば「自力」を求められ、公共料金などの支払いが発生する。仕事を失い、義援金も届かない被災者には金銭的な不安が増幅する。
 宮城県の村井嘉浩知事は復興への「10年計画」を示した。最初の3年間を「復旧期」、次の4年間を「再生期」、最後の3年間は「発展期」。すべてが終了し、復興となる考え方だ。今は復旧途上。だからこそ、現場の姿を伝えていく必要がある。
 現場には明るい話題だってある。6月下旬、生鮮カツオの水揚げ量日本一を誇る気仙沼港で待望の入港があった。すさんだ港町は大いに活気づいた。
 全国に「がんばろう!」のエールが巻き起こり、東北や宮城を助けようという気持ちは一つになった。もう一つの現場・福島は内陸部への影響も甚大だが、沿岸部もまた壊滅的な被害を受けた。「東北、宮城=沿岸部」という認識は今も共有されているだろうか。
 沿岸部の魚介類や農産物は日本人の胃袋を満たしてきた。沿岸部の自然は癒やしを与えてきた。日本全体がいつまでも現場に関心を持ってほしい。復興の名の下に置き去りにされないよう、今後も現場の姿を発信していきたい。


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