博多の禅僧仙厓さんは、私の大好きな人で、その臨終の話は有名です。いくつかのバリエーションがあるのですが、ここでは玄侑宗久さんの『やがて死ぬけしき』に記されているところに従います。
病の床に臥せっており、その最期を見送らんと多くの弟子たちが枕頭に集ったときのことです。仙厓さんはおもむろに次の遺偈(ゆいげ)を詠みました。
来時知来処 (来る時 来る処を知る)
去時知去処 (去る時 去る処を知らん)
不撒手懸崖(手を懸崖に撒せず)
雲深不知処(雲深くして処を知らず)
生まれてきたときに、どこから生まれてきたのかを知ったように、 去っていくときに、どこに去っていくのかわかるんだろうなあ。 手を今崖っぷちにひっかけている状態で下を見ると、 雲が深くてどこにいくのかわからない。(玄侑宗久さん訳)
これでは格好がつかないと思った弟子たちが、「もう一言ないでしょうか」と迫ると、仙厓さんは一言「死にとうもない」と答えて、息を引き取ったという話です。
私はこの話に、ずいぶん救われたように思います。もっと言えば中年期の心の支えでもあったように思います。私はこの詩や最後の言葉をこんな風に理解しました。
詩の中で、自分はどこにいるかもわからない、と卑下して見せて笑わせて、こうやって皆に囲まれてぐずぐずしているのが幸せだ、死にたくないなあ、と呟いたのだと捉えました。それは、弟子たちを和ませ、そして静かな内省へと導く言葉なのだろうと。
これはこれで間違いではないのだと思うのですが、残された弟子たちの側に身を置いて見た時の考え方ではないかと、最近思うようになりました。
弟子たちよりも仙厓さんの亡くなった歳の方に近づいてくると、結句のあたりに別の感慨を抱くようになります。この時期の茶掛に「雲深不知処」が掲げられているので、しみじみ考えてしまうことがあるのです。
みずからを振り返って、あたり一面霧が晴れたように澄み渡り、自分の今いる場所が明瞭にわかるということは、これからもまずないだろうと思います。むしろ歳を重ねるごとに霧は深まり、見通しは悪くなるばかりのように感じます。
せいぜい自分にできることは、手さぐりで人との距離や、互いの力の及ぼしうる範囲を、そのつど確かめるのが精一杯なのではあるまいか、などと考えます。
遺偈三句目の「不撒手懸崖」は崖に手をかけながら、思い切って飛び降りることをしない、という意味です。これは往生際わるくグズグズと死なないという風にも理解されますが、一方で、自分が崖にぶら下がっていることを自覚していて、つねに飛び降りる準備ができているという意味にも理解されます。
禅語で「懸崖撒手(けんがいさっしゅ)」とは、勇気を出して物事に当たることを言います。そうすると、自分はいつでも手を離す覚悟はできている、実際に手を離してどこに辿り着くかはわからないけれども、と仙厓さんは言おうとしたのではないか。そんな風に思いを膨らませるのです。
見通しが悪いことそのものは悪いことではない、それを自覚して今を精一杯生きること、こういう捉え方を、仙厓さんの遺偈の読みとして今は受け入れています。