稽古場の床の間に向かい、一輪挿しに活けてある芙蓉の花を見ていると、その艶やかさに圧倒されるようです。それでも夢中で稽古を続けているうちに、花は萎れて下を向いていました。
この夏の尋常ではない暑さのせいばかりではなく、夏の時期の茶花には、午前中にしか花を咲かせない「半日花」が多く使われるのです。
芙蓉の歌といえば、山川登美子が思いを寄せる与謝野鉄幹に贈ったのが、この一首です。
わが息を芙蓉の風にたとえますな
十三弦をひと息に切る
鉄幹に思いを寄せながら、親の勧める縁談を断りきれず、郷里で結婚した登美子でしたが、翌年夫と死別し、再び鉄幹のもとに帰ります。晶子と結婚していた鉄幹との、あやうい関係のなかで詠んだのが、この一首でした。
「十三弦」とは箏を指しています。その弦を「ひと息に切る」とは、激しい決意と痛切な断ち切りの意志を表しています。「わが息」と「ひと息」の言葉の重ねにも、自己決定の力が込められています。
自分の思いを貫けなかったことへの後悔、その報いのようにわが身に押し寄せる不幸、その歯がゆさがにじみ出るような一首です。
結核で早逝してしまう登美子の、命の絶唱と言ってもよいでしょう。
登美子が亡くなったあと、鉄幹は次の歌を詠みました。
芙蓉をばきのふ植うべき花とおもひ
今日はこの世の花ならずと思う
芙蓉の花を現世の愛の対象として手に入れたかったのに、手の届かないところに行ってしまった、と鉄幹は詠います。
しかし私には、先の登美子の歌が、この鉄幹の歌への返歌のように思えて仕方がありません。
「私はあなたの幻の花ではない、ただ、もっと思いのままに生き抜きたかったのだ」と突き返すような。
たとえ半日の命でも、その花は誇り高く咲き、凛として萎れてゆきます。芙蓉の花に、登美子の気高さが重なって見えるようです。