宿命。
生まれてくる先(親)、性別、国籍は宿命であり、変える事はできません。
しかし、これらも全て私たちがこの世に生まれる前に、私たち自身があの世で決
めてきたことだということは、私がこれまで読んできたスピリチュアルの書籍の
どの書籍にも書かれていることです。
そして、寿命もそうです。
これも、どの書籍にも、この世に生まれてくる前にいつ頃あの世へ帰るのか、
決めてきていると記されています。
そのなかで、スピリチュアル・カウンセラー 江原啓之氏は次のように述べられ
ています。
「何歳ごろにこの世を去るかは、自分自身であらかじめ決めてきている宿命です。」
「突然の死のように見える死も、幼い子どもの死も、それがその人の寿命なのです。」
「短命な人生を経験すること自体を目的としているたましいもあります。」
「たましいの視点では、どれだけ長く生きるよりも、いかに充実した人生だった
かのほうがはるかに大切です。」
「寿命は、その人生における学びの終わりを意味します。」
「人が亡くなると、『あの人はまだ若かったのに』『もっとやりたいことがあった
でしょうに』と周囲の人たちは思いがちですが、本人のたましいは、その人生で
学ぶべきことは修了したことを自覚しているものです。」
ですから、江原氏は、私たちがこうして生きているのは、
「あなたにはまだまだ学ぶことがあるのよ。」
「あなたが設定した寿命は、まだまだ先よ。」
ということだと述べています。
学び残しがあるうちは、そして寿命が来ないうちは、どんなに帰りたくても
ふるさと(あの世)に帰れないのだと言われています。
「人生は、息を引きとる最後の一秒に至るまでが学び」なのだそうです。
そうですよね・・・そうなんですよね。
・江原啓之氏のように、指導霊を通して「あの世」の存在を我々に教え、
・福島大学の飯田史彦教授のように、亡くなった方の魂が語りかけてくる
という事実と本人自身の臨死体験によって体外離脱し見て来た精神世界
の様子や光が語ったあの世とこの世との繋がりとその仕組みを、国立大
学教官という立場をかえりみず我々に真実として伝え、
・シスターであり、聖心女子大学の鈴木秀子教授のように、階段から転げ
落ちた際に体験した体外離脱の話を語られ、
・坂本政道氏のように、ガチガチの唯物論者であった方が、体外離脱し
て見てきた非物質の世界を、我々に伝えようとしていただいたり、
・宜保愛子氏のように、みずからの霊的体験と霊視によりあの世の存在を
我々に伝えたり、
と、皆様が「肉体の死が『全て』ではない。」「魂こそ我々の本質」である
と、語ってくれるのは、「死(肉体の死)を見つめ、限りあるこの生をいか
に生きるか」という気づきを与えてくれていることはもちろんのことですが、
物質世界にたましいをもってきた我々に、死別の悲しみを乗り越えるヒント
と手助けを与えていただいているのだと感じました。
もしかしたら、わざわざ「あの世」の記憶を消してまで肉体に宿ったたましい
に、なぜあの世のことを少しだけ教えてもらえるような、そんなあの世とこの
世の境をかいま見せてくれるのは、「死別」を乗り越えるためにそうしている
のではないかとも思った次第です。
<高次の光が「あの世」の存在を我々に伝えてくれる理由を考える>
わざわざ「あの世」を教えてくれる。そのような世界を見れる人が多少では
あるがこの世に実在する。
↓
↓それは、なぜか・・・
↓
死別の悲しみは、残される寂しさもあろうが、やはり故人を愛するがゆえに出て
くる感情
↓
↓
その感情は、決して俗っぽくない、他利愛のものである。
↓
↓
・しかし、愛すれば愛するほど、悲しみから抜け出せない。
・誰しも、いつか必ず愛した人との「死別」の経験はする。
・「死別」これだけは、誰も避けて通れない。親との別れ。夫や妻、子との別れ。
友人との別れ。
・そして、自分自身も遅かれ早かれいつか皆と別れるときが来る。
↓
↓
それを苦に思い、後追い自殺をしてしまう人もいる。
また、愛する人の死によって、自分自身、捨て鉢となってしまう人もいる。
↓
↓
そのような人たちを本来の目的に戻すため
愛によって、かえって精神の成長を後退させないため
↓
↓
我々が元来たところの「精神世界」に存在する高次の光の配慮によって
「あの世」のことを、霊媒体質の肉体を持ったたましいを通して、少しだけ
かいま見せてくれて、あの世でまた会えるのだという安堵感を与えてくれて
いる。
そうではないかと、思いました。
人生における苦労(あの世で決めてきた試練)の度合いは、そのたましい
の成長の度合いによって、さまざまでしょうけど、「死別」の苦しみは、
どのたましいにとっても同じ苦しみですし、究極の試練ですし、避けること
が出来ないことですから。
だから、「死別」を乗り越える救いの手をそっと伸ばし、江原氏や飯田教授、
坂本氏、鈴木教授、宜保氏などのような方々を通してあの世の世界を伝え、
高次の光(我々が神と呼ぶ存在かもしれませんが)は我々を優しく見守って
くれているのだと思いました。
写真の虹は、昨年8月21日携帯カメラで撮影したものです。
雨上がりのあと・・・私にもいつか虹がかかるのかなぁ
生まれてくる先(親)、性別、国籍は宿命であり、変える事はできません。
しかし、これらも全て私たちがこの世に生まれる前に、私たち自身があの世で決
めてきたことだということは、私がこれまで読んできたスピリチュアルの書籍の
どの書籍にも書かれていることです。
そして、寿命もそうです。
これも、どの書籍にも、この世に生まれてくる前にいつ頃あの世へ帰るのか、
決めてきていると記されています。
そのなかで、スピリチュアル・カウンセラー 江原啓之氏は次のように述べられ
ています。
「何歳ごろにこの世を去るかは、自分自身であらかじめ決めてきている宿命です。」
「突然の死のように見える死も、幼い子どもの死も、それがその人の寿命なのです。」
「短命な人生を経験すること自体を目的としているたましいもあります。」
「たましいの視点では、どれだけ長く生きるよりも、いかに充実した人生だった
かのほうがはるかに大切です。」
「寿命は、その人生における学びの終わりを意味します。」
「人が亡くなると、『あの人はまだ若かったのに』『もっとやりたいことがあった
でしょうに』と周囲の人たちは思いがちですが、本人のたましいは、その人生で
学ぶべきことは修了したことを自覚しているものです。」
ですから、江原氏は、私たちがこうして生きているのは、
「あなたにはまだまだ学ぶことがあるのよ。」
「あなたが設定した寿命は、まだまだ先よ。」
ということだと述べています。
学び残しがあるうちは、そして寿命が来ないうちは、どんなに帰りたくても
ふるさと(あの世)に帰れないのだと言われています。
「人生は、息を引きとる最後の一秒に至るまでが学び」なのだそうです。
そうですよね・・・そうなんですよね。
・江原啓之氏のように、指導霊を通して「あの世」の存在を我々に教え、
・福島大学の飯田史彦教授のように、亡くなった方の魂が語りかけてくる
という事実と本人自身の臨死体験によって体外離脱し見て来た精神世界
の様子や光が語ったあの世とこの世との繋がりとその仕組みを、国立大
学教官という立場をかえりみず我々に真実として伝え、
・シスターであり、聖心女子大学の鈴木秀子教授のように、階段から転げ
落ちた際に体験した体外離脱の話を語られ、
・坂本政道氏のように、ガチガチの唯物論者であった方が、体外離脱し
て見てきた非物質の世界を、我々に伝えようとしていただいたり、
・宜保愛子氏のように、みずからの霊的体験と霊視によりあの世の存在を
我々に伝えたり、
と、皆様が「肉体の死が『全て』ではない。」「魂こそ我々の本質」である
と、語ってくれるのは、「死(肉体の死)を見つめ、限りあるこの生をいか
に生きるか」という気づきを与えてくれていることはもちろんのことですが、
物質世界にたましいをもってきた我々に、死別の悲しみを乗り越えるヒント
と手助けを与えていただいているのだと感じました。
もしかしたら、わざわざ「あの世」の記憶を消してまで肉体に宿ったたましい
に、なぜあの世のことを少しだけ教えてもらえるような、そんなあの世とこの
世の境をかいま見せてくれるのは、「死別」を乗り越えるためにそうしている
のではないかとも思った次第です。
<高次の光が「あの世」の存在を我々に伝えてくれる理由を考える>
わざわざ「あの世」を教えてくれる。そのような世界を見れる人が多少では
あるがこの世に実在する。
↓
↓それは、なぜか・・・
↓
死別の悲しみは、残される寂しさもあろうが、やはり故人を愛するがゆえに出て
くる感情
↓
↓
その感情は、決して俗っぽくない、他利愛のものである。
↓
↓
・しかし、愛すれば愛するほど、悲しみから抜け出せない。
・誰しも、いつか必ず愛した人との「死別」の経験はする。
・「死別」これだけは、誰も避けて通れない。親との別れ。夫や妻、子との別れ。
友人との別れ。
・そして、自分自身も遅かれ早かれいつか皆と別れるときが来る。
↓
↓
それを苦に思い、後追い自殺をしてしまう人もいる。
また、愛する人の死によって、自分自身、捨て鉢となってしまう人もいる。
↓
↓
そのような人たちを本来の目的に戻すため
愛によって、かえって精神の成長を後退させないため
↓
↓
我々が元来たところの「精神世界」に存在する高次の光の配慮によって
「あの世」のことを、霊媒体質の肉体を持ったたましいを通して、少しだけ
かいま見せてくれて、あの世でまた会えるのだという安堵感を与えてくれて
いる。
そうではないかと、思いました。
人生における苦労(あの世で決めてきた試練)の度合いは、そのたましい
の成長の度合いによって、さまざまでしょうけど、「死別」の苦しみは、
どのたましいにとっても同じ苦しみですし、究極の試練ですし、避けること
が出来ないことですから。
だから、「死別」を乗り越える救いの手をそっと伸ばし、江原氏や飯田教授、
坂本氏、鈴木教授、宜保氏などのような方々を通してあの世の世界を伝え、
高次の光(我々が神と呼ぶ存在かもしれませんが)は我々を優しく見守って
くれているのだと思いました。
写真の虹は、昨年8月21日携帯カメラで撮影したものです。
雨上がりのあと・・・私にもいつか虹がかかるのかなぁ
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